邪馬台国は伊都と平原遺跡だったらしいぜPart6 [無断転載禁止]©2ch.net

1ドナルド・トランプ2017/05/12(金) 17:53:40.12
国≠クニ クニ=市町村
例:日本国の中に、山城のクニや、筑前のクニ、吉備のクニ

<里程編(魏・東夷尺)>
帯方郡
↓海岸水行七千里
狗邪韓クニ(倭人投馬国へ入国)
↓海渡千里
對馬クニ(島の大きさ分の1辺四百余里×2を迂回)
↓海渡千里
一大クニ(島の大きさ分の1辺三百里×2を迂回)
↓海渡千里
末盧クニ(邪馬台国九州本土へ入国)
↓陸行五百里
伊都クニ(女王所在地・首都ワシントン)魏使の到達はここまで
↓(東南)百里
奴クニ(邪馬台国中心・ニューヨーク)
↓(東)百里
不彌クニ

<日程編(倭尺)>
帯方郡
↓(南)水行20日
投馬国(朝鮮半島南部に到着)
↓(南)水行10日・陸行1「日」
邪馬台国(中心都市の奴クニへ到着)

イギリスへ行く旅程=ロンドンへ行く旅程、フランスへ行く旅程=パリへ行く旅程
邪馬台国へ行く旅程=奴クニへ行く旅程

<総距離(総計)>
奴クニまで、〆て一万二千里でした

784日本@名無史さん2018/02/05(月) 23:24:31.66
>>780

難升米は、外交実務を担当しているので、弟王(倭男王)である。
壹與は、兄王(倭女王)である。

785日本@名無史さん2018/02/06(火) 00:03:49.22
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市前原(旧怡土郡)、奴国 福岡市博多(那の津)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg

786日本@名無史さん2018/02/06(火) 07:11:29.37
自衛隊の戦闘ヘリが墜落した佐賀県神埼市は、
元は加無佐岐。華奴蘇奴国(かなそな国)。
と考えられる。
櫛田宮という神社は弥生時代からつづくというが、くしだ という地名は
傍国の中には見当たらないようだ。

787日本@名無史さん2018/02/06(火) 07:21:39.24
http://saga-port.com/wp-content/uploads/2017/07/8528dc35b7cad89f084057c921868202.jpg
神幸(かなさき)と名付けたとある。
華奴蘇奴とは、カナサの3文字までしか合わない。
景行天皇は卑弥呼の数十年前の人(100年以内)。吉野ヶ里とは直接の関係はなにも
なさそうだが、あのあたり一帯は古代から人が大勢住んでいたのだろう。

788日本@名無史さん2018/02/06(火) 07:37:32.93
遠賀川といえばヒラタ船
鉄道敷設以前は筑豊の石炭は
遠賀川の平田船で河口まで運ばれていた。

789日本@名無史さん2018/02/06(火) 07:40:06.27
神崎の櫛田神社は吉野ヶ里の近所だからね。
吉野ヶ里の勢力の、後世の集落地だろうね。

790日本@名無史さん2018/02/06(火) 08:48:37.99
景行天皇の実年代は4世紀初頭だと思う。
筑紫の梟帥(女王)である神夏磯姫の時だからね。
神夏磯姫が壹與の次の女王だろう。

791日本@名無史さん2018/02/06(火) 18:41:53.20

792日本@名無史さん2018/02/07(水) 07:31:31.29
>>790 卑弥呼亡きあとは台与などが登場したけれど九州内では紛争がつづいて、
そのうち小勢力の一派が近畿に東征に出発して、畿内の大勢力に加担して
うまく大きな勢力になることができた。
そのあとは西に東に征服戦争を起こして、九州方面には
神夏磯姫のエピソードが残った、ということでいいんじゃね?

793日本@名無史さん2018/02/08(木) 07:30:49.64
倭は、対馬から朝鮮半島沿岸を水行して、中国本土にやってくる
というのが、中国における古来からの伝統的な認識で、
史書にもそう書いてあるが、
帯方郡から届けられた文書には、そういう内容ではなかった。
帯方郡にやってきた女王国の使者は、水行十日陸行一月かかったという。

江戸時代の朝鮮通信使と同じく、半島陸行が伝統的なコース。
遣隋使なら船で中国本土まで直行だが。

794日本@名無史さん2018/02/15(木) 15:35:00.41
卑弥呼がヤマトトトヒモモソヒメで
男弟が崇神天皇で
筆頭官伊支馬が「イクメ」イリヒコ垂仁天皇で崇神の皇太子だろ?

邪馬台国=大和朝廷で何も問題ないじゃん?

795日本@名無史さん2018/02/15(木) 15:46:18.23
>>751
女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國「遠絶」 不可得詳
その余の旁國については「遠絶」にして詳らかに得べからず

の「遠絶」は、女王国(邪馬台国)から「遠絶」じゃないよ
次有斯馬國の斯馬國は、邪馬台国の次=隣の国なんだし

「遠絶」なのは、大陸王朝からの「遠絶」だよ
三国志を編纂している陳寿が調べようと思っても「遠絶」だから調べにも行けない

796日本@名無史さん2018/02/15(木) 17:14:22.73
伊都にいた魏の使いが、面倒くさがって行かなかったんだろう。
いずれにしても、邪馬台国は九州北部だな。

797日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:44:41.84
>>795 そやな

798日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:44:15.59
記紀(日本)にも
三国志東夷伝(中国)にも書かれている
「日向三代が70-80年伊都日向にいた」
考古学的には甕棺墓

後ろは卑弥呼で木棺墓
その末裔が7世紀に失脚したが
ある程度の敵対権勢を持っていたので記紀から抹殺する必要があった

逆に前は大国主で???
その末裔は7世紀に存在していて
畿内権力中枢に入っていたので記紀に記載されることとなった
鴨しかおらん

以上は誰でも至る結論

799日本@名無史さん2018/02/18(日) 11:54:50.76
鴨王が大国主の末裔という伝承もあることはあるが、やや懐疑的になってきた。
というのは、鴨王の玉依姫の夫が事代主らしいのだが、他の伝記も多いため、要するに鴨王の父親は不明ということらしい。

賀茂建角身命が 丹波の国の神野の神伊可古夜日女を娶って生んだ子の名を玉依日子と玉依日売がいた。
川遊びしていた玉依日売は川上より流れ下る丹塗矢を持ち帰って床の辺に置いておくと遂に孕んで、男子を生んだ。
そして、この子(可茂別雷命)が成人したとき、 外祖父の建角身命は、
八尋屋を造り、
八戸の扉を竪て、
八腹の酒を醸(か)みて、
大きな家を建て、その家にこもって酒を醸し、人々をつどい集めて、七日七夜の宴を行った。
「汝の父と思はむ人に此の酒を飮ましめよ。(お前の父と思う者にこの酒を差し上げよ。)」=[誓酒(ウケヒザケ)の儀礼]、
そして子神は杯を捧げ持って父に奉ろうと、屋根の甍を衝き抜けて天へ昇っていってしまいました。
それによって、父の正体("丹塗矢")は、火雷命(ほいかづちのみこと)であることが分かります。そして子神は、外祖父の名にちなみ、可茂別雷命と號(なづ)けられています。

この賀茂別が鴨王なのだが、正体不明の父親がここでは天津神であるということになるらしい。
事代主は国津神なので、全く違う伝承が存在することになる。
ちなみによくわからない夫が実は事代主だったという話は、百襲姫などにも見られるので、一つの類型というか、よくある話だったのだろう。
縁起を担いで事代主ということにしただけかもしれない。

800日本@名無史さん2018/02/18(日) 11:58:57.80
>>799
>川遊びしていた玉依日売は川上より流れ下る丹塗矢を持ち帰って床の辺に置いておくと遂に孕んで、男子を生んだ。

その「川」は阿波の吉野川。  丹塗矢の「丹」は阿波の若杉山。  @阿波

801日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:02:42.63
>>799
「延喜式式内社 阿波國美馬郡 十二座 鴨神社」
鎮座地 徳島県三好郡東みよし(旧三加茂)町加茂字山ノ上3650  
御祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)・市杵島姫命・品陀和気命・天照皇大神
「阿波志」に「鴨祠延喜式小祀と為す。加茂村に在り旧事記にいわゆる事代主の神孫、鴨王是也」と。
また、「寛保改神社社帳」には「加茂村式加茂大明神神主加茂村 白川信濃同長太夫、同助大夫、同権之進」とあり、
更に「阿府志」には、「鴨神社小社三好郡加茂村に在り祭神一座別雷神、神主白河信濃社侍宮川某堂河原某」とある。
鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。 「徳島県神社誌」

京都、上賀茂神社の創立が、天武天皇7年(678年)と伝えられているので、「鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。」を信じれば
「京都、上賀茂神社」より「阿波國 鴨神社」の創立が古いということになる。  @阿波
「郷社 下加茂神社」
鎮座地 徳島県三好市三野町加茂野宮492−2
御祭神 玉依姫命

※玉依姫は、鴨神社の御祭神「 別雷神 」の母にあたる。

802日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:04:55.00
>>799
式内社「事代主神社」 式内社 「建布都神社」は、同じ阿波市にあり、『ともに日本唯一 阿波にだけ在る式内社』です。

式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(八百万の島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。

同じく、建布都神(武甕槌神)も全国で阿波にだけ(これも島根にも無い)あるように阿波の人物でしょう。  @阿波

803日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:06:22.28
>>799
【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】
徳島県阿南市長生町に鎮座する「八鉾神社」。祭神は大己貴命。延喜式内社である。
この「八鉾神社」には四つの重要文化財が神宝として保管されている。
また「八鉾神社」自体も重要文化財に指定されているので、合計五つの重要文化財を持ち合わせている神社となる。
一つは「大己貴命 木造彫刻立像」
二つ目は「少彦名命 木造彫刻立像」
三つ目が「二品家政所 下文 」
四つ目が「附紺紙金泥法華経」である。
この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられている。
八鉾とは八千矛神(やちほこのかみ)。
出雲の主であり、長(おさ)である大国主神のこと。
大国主神の別名、大己貴神は、長国の偉大な主を意味している。
大国主神は、スサノオ命の子孫で、稲羽の素兎の物語で有名である。
オオクニヌシは、兄さん達から大きな袋を持たされる等、色々のいじめを受けたが、それらの試練を乗り越え、出雲国を治める立派な人となった。
オオクニヌシの子供にコトシロヌシ(えべっさん)と建御名方神(たけみなかたのかみ)がいる。
コトシロヌシは、式内社の事代主神社として、勝浦町沼江と阿波市市場町伊月に祀られ、タケミナカタは、式内社のタケミナトミ神社として石井町浦庄字諏訪に祀られている。
平安時代に記録される3132座の式内社の中に、これら八鉾神社やタケミナトミ神社等の神社は、阿波にしかない。   @阿波

804日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:08:58.99
>>801
>京都、上賀茂神社の創立が、天武天皇7年(678年)と伝えられているので、「鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。」を信じれば

西日本のほとんどの神社が、白村江の敗戦後の伝記しか残されていないので、どこもそうなってしまう。
ただ、記紀の編纂よりかなり古い話であることから考えると、その年代は明らかに間違いだ。
何しろ、鴨王の次に生まれるのが神武の妻となるイスケヨリ姫で、鴨王の叔父は神武と戦った登美の長髄彦だからだ。

805日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:20:51.57
ついでに言うと、鴨王の母親が長髄彦の妹なら、他の伝記では天孫饒速日がその夫であるが、その子はウマシマジになってしまう。
伝記に混乱がある。

806日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:22:40.42
>>804
>ただ、記紀の編纂よりかなり古い話であることから考えると、その年代は明らかに間違いだ。
>何しろ、鴨王の次に生まれるのが神武の妻となるイスケヨリ姫で、鴨王の叔父は神武と戦った登美の長髄彦だからだ。

「明らかに間違い」とは言い切れない。
「阿波三加茂の鴨神社」の創建が、「京都、上賀茂神社」より古いということを言っている。
「阿波三加茂の鴨神社」の創建が、「神武天皇や長髄彦の時代」と言ってるわけではない。  @阿波

807日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:32:22.95
>>806
もともと神社というより賀茂王家の宮なら、畿内の方は神武の時代まで遡るだろう。
まあ、それでも2〜3世紀だとは思う。
あと、鴨王の末裔が阿波、土佐の開祖になっているだろ?
だから阿波にも祭っているわけだよ。

808日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:34:07.49
>>803
八千矛命。、、、出雲帝国第8代オオナモチ(帝王の称号)で出雲の西の王家、神門臣家の当主。
正后は宗像家の多岐津媛命。亦云、神屋楯媛命。高津媛命。
(多岐都媛を多宜都媛と表記すると大宜都媛(創作キキ神話)と字儀は同じ)。
父親の宗像のアタカタス命は神門臣家の出身で八千矛命の実の叔父にあたり、イトコ同士の婚姻だった。

、、、天照大神=市杵島媛命(徐福(ホアカリ/ニギハヤヒ(=ニニギ))の2度目の嫁)が寡婦となり(原因は徐福(スサノオ/実行犯は忠良な部下のホヒ)が八千矛を殺害したため)陰鬱にお暮らしの姉の多岐都媛を心配して、
様子見舞いをスサノオ(息子のホホデミ)に頼んだ話だったのでは?

809日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:40:17.59
>>807
出雲人の伝承に依れば、
出雲の東西の王家の王族らが葛城に移住、開発したのは紀元前2世紀〜1世紀ころ。

810日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:41:58.29
>>808
天神地祇がごちゃ混ぜどこまで正しいのかわからん。

811日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:49:43.56
>807
>もともと神社というより賀茂王家の宮なら、畿内の方は神武の時代まで遡るだろう。

だから、その根拠を出さなきゃ。 妄想を楽しむのもいいけど。  @阿波

812日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:52:46.07
>>807
>あと、鴨王の末裔が阿波、土佐の開祖になっているだろ?

当然そうなる。 だって、倭国(阿波)の人なんだから。  


>だから阿波にも祭っているわけだよ。

当然そうなる。 だって、倭国(阿波)の人なんだから。  @阿波  

813日本@名無史さん2018/02/18(日) 13:22:40.71
>>811
なんの根拠を求めているのかわからんな。
年代は不明と言っているし。

814日本@名無史さん2018/02/18(日) 14:53:38.51
>>810
天神地祇で思い出したけど、
国津神って少なすぎないか?
普通は家臣というか征服された側が各地に大量にいて、
少数の支配者が勝者として特別扱いされるものだと思うが。

815日本@名無史さん2018/02/18(日) 15:03:34.25
>>813
>畿内の方は神武の時代まで遡るだろう。

この根拠は?  @阿波

816日本@名無史さん2018/02/18(日) 15:22:02.15
>>803
狗奴国=長国(県南)
狗奴国=長国の男王卑弥弓呼=建速須佐之男命
狗奴国=長国の男王卑弥弓呼=建速須佐之男命の子=大国主神

その「大国主神」を祀るのが、全国唯一の式内社「八鉾神社」  

因みに、北の邪馬台国=粟国(県北)    @阿波

817日本@名無史さん2018/02/18(日) 16:09:41.22
紀元前には扇谷遺跡までの日本海沿岸が統一されていたのだから
その経路上にある豊国もまた早くから倭国の支配下に入っていたわけだ。
豊国には王墓がずうっと存在しないのだから単なる米倉みたいなもんで
刃向かうこともなくその時々の権力者に従ってたんだろ。

818日本@名無史さん2018/02/18(日) 16:17:45.08
カミムスビが既に東方拡散してたっぽいし
スサノオより先にオオヤマツミなんてのも東方進出してるし
何波にもわたってそうだね。本格的に国家として東征したのはまた別だけど。

819日本@名無史さん2018/02/18(日) 16:32:37.33
>>814
>普通は家臣というか征服された側が各地に大量にいて、
>少数の支配者が勝者として特別扱いされるものだと思うが。

その通りだけど、いちいち記録しなかっただけじゃないか?
出雲とかは流石に別格として、あとは土蜘蛛とか熊襲とか蝦夷とか、全部そうだろ。

820日本@名無史さん2018/02/18(日) 17:16:14.60
狗奴国=長国(県南)は海人(アマ)族。

朝鮮半島だろうが出雲だろうが若狭だろうが越後だろうが、お手の物なんですよ。

もちろん、関東もね。  @阿波

821日本@名無史さん2018/02/19(月) 06:37:22.57
>>803
@阿波はアホだから何も考えずに馬鹿羅列してるけど
考古学的には銅矛が分布しない阿波に八鉾神社があるわけだ。

822日本@名無史さん2018/02/19(月) 10:02:10.12
>>821
>考古学的には銅矛が分布しない阿波に八鉾神社があるわけだ。

「弥生時代の青銅器の分布」
http://www.geocities.jp/yasuko8787/bb-0.JPG

「銅剣・銅矛・銅戈」も「平形銅剣」も「銅鐸」も全て倭国(阿波)が中心に在る。

これらすべての青銅器分布が含まれているのは倭国(阿波)だけである。

まさに、阿波に「八鉾神社」があるわけだ。

これは、倭の王権が「倭国(阿波)」にあった証拠である。 

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波

823日本@名無史さん2018/02/19(月) 20:21:42.00
>考古学的には銅矛が分布しない阿波に八鉾神社があるわけだ。

で、徳島から出土した銅矛を呈示して?

824日本@名無史さん2018/02/19(月) 20:51:32.36
いまのところ銅矛は出土していない。 銅剣の出土のみ。
銅矛じゃないといけないの?  @阿波

825日本@名無史さん2018/02/19(月) 21:18:42.37
やはり阿波に銅矛ないわけか。
これは面白いな。

阿波が所属していた祭祀型銅剣の
阿波での年代は何世紀から何世紀なの?

826日本@名無史さん2018/02/19(月) 22:17:54.84
徳島県で現在までに発見されている銅剣数は細形,平形を合わせて源田遺跡の細形銅剣1本,神山町左右山の平形銅剣2本,同じく東寺で平形銅剣3本と美馬郡西祖谷山五社大明神の平形銅剣1本で合計7本となっている。

因みに源田遺跡では袈裟祥文銅鐸 3個も銅剣と一緒に出土している。  @阿波

827日本@名無史さん2018/02/19(月) 22:23:41.49
>>825
>やはり阿波に銅矛ないわけか。
>これは面白いな。

ほんとに面白いね。 【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】 があるなんて。  

で、九州に「大国主神を祀る式内社」ってあるの?  @阿波

828日本@名無史さん2018/02/20(火) 18:07:28.96
>>825
>やはり阿波に銅矛ないわけか。
>これは面白いな。

ほんとに面白いね。 【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】 があるなんて。  

で、九州に「大国主神を祀る式内社」ってあるの?  @阿波

829日本@名無史さん2018/02/20(火) 18:51:18.46
>>826
阿波の銅剣は鮎喰川沿いに出土しているわけだけど、
阿波と言えば吉野川が最大河川でしょ?
弥生時代の吉野川流域は誰が支配してたの?考古学的に何か見つかってる?

830日本@名無史さん2018/02/20(火) 19:29:52.29
>>829
阿波の銅剣は鮎喰川沿いばかりではなく、美馬郡西祖谷山(高天原?)でも出土しているから、
おそらく阿波国中に分布していた可能性が高い。

卑弥呼統治時代の王都は鮎喰川下流域集落群だろう。

>弥生時代の吉野川流域は誰が支配してたの?考古学的に何か見つかってる?

(旧)吉野川流域では、神武天皇が攻めた「長髄彦」の本貫地は徳島県板野郡板野町川端なので、

(旧)吉野川北岸下流域の鳴門・板野古墳群一帯を「長髄彦」が支配していたのだろう。  @阿波

831日本@名無史さん2018/02/20(火) 19:39:48.60
>>830
阿波説を主張していながら疑問に思わないの?
瀬戸内に分布する銅剣が阿波では吉野川の南で細い鮎喰川流域のみに
集中してるわけで、
じゃあ最大河川の吉野川流域には銅剣よりも強い、あるいは先に住んでいたような
人たちがいたはず。
まさか無人じゃないだろうから、思い当たる弥生遺跡はないの?

832日本@名無史さん2018/02/20(火) 19:44:29.66
>>831
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・吉水遺跡・拝原東遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地

【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡

【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡

※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡

【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡          

こういう「邪馬台国勢力」と「狗奴国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波

833日本@名無史さん2018/02/20(火) 19:49:16.03
>>832
阿波で見つかった銅鐸って、出土地がはっきりしているのはいくつあるの?

834日本@名無史さん2018/02/20(火) 20:02:32.96
>>833
阿波では41遺跡、43口の銅鐸が知られる有数の銅鐸出土地域ですが、

銅鐸埋納と相前後して、記号や絵画とは異なる、思想を表現した「弧帯文土器(直線と曲線の組合せにより表されている)」

が矢野遺跡、黒谷川郡頭遺跡、井出上遺跡から出土しています。  @阿波

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