凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part35 [無断転載禁止]©2ch.net
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荒れないためのルールを作っておきます。
・城壁の議論や城壁以外の議論を妨害・規制することを禁止
両者とも双方敬意を表して尊重し共存してマターリ進行すること。
・中世の城スレッドなどの他のスレッドへレスするか
当城総合スレッドに書き込むかは各人それぞれの自由な選択に基づき任意である。
・他のスレッドへの強引な勧誘、誘導は差し控えて、レスする当人の自由な選択を
スレッドの住人間相互に尊重すること。
・落とし格子に関する議論をスルーしたりして妨害するのは禁止です。
以上のルールを立てておきます。
城総合スレッドですので城壁の議論だろうがそれ以外の議論だろうが、
規制する行為は荒らし行為と見なし、両者相互に尊重してマターリ共存していきましょう。
また、上記ルールを否定、批判するのも荒らし行為といたします。
前スレ
凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part34
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1479478757/ 六分の侠気 四分の熱
口をひらけば嫉みあり 筆を握れば誹りあり 城の外に家臣の屋敷をビッシリ建てるのはわかる。
けど、曲輪に家臣の屋敷をビッシリ建てるってどうなのよ?
あまりに狭すぎて全員集合する場所すらなさそう
全員集合する必要もなかった?
http://livedoor.blogimg.jp/sengokuaruko/imgs/6/8/684295ac.jpg 向かって右端に「出丸」という曲輪があるんだが、これの存在意義・役割は?
宇宙戦艦ヤマトの第三艦橋みたいだな なるほど、城が90度横転したときのための予備の天守閣だな。
真田さん「こんなこともあろうかと!」 山城で、主郭とは別の尾根に曲輪を設置すると防御力が増す?
芥川山城
http://castle.slowstandard.com/photos/main_pic/akutagawayama-dai.jpg
castlejp.web.fc2.com/04-kinkityugoku/105-akutagawasan/photo/agy00a.JPG
曲輪 谷 曲輪
↑
大手道 城壁厨のガイドライン
ばればれの自演連投で、多数を装う。
=を多様するが、脳のキャパが極小なのですぐに混乱する。
自分を批判するレスはすべて同一人物によるものと断定する。
得意技は鸚鵡返しだが、意味不明な変更を加える。
基本的な日本語に不自由している。但し書きが理解できない。
前スレが900に達しないうちに次スレを立てて来たのに、間抜けなので後れをとる。
住人の意向に関係なく、勝手に間抜けなテンプレに変える。
嫌城壁厨という言葉を発明した。
住人に一方的に課した義務を自らは履行しない。
議論議論と連呼するが、専用スレで議論するほどの知識がない。
主目的は平和なスレを荒らすこと。
平日休日を問わず、2ちゃんねるに常駐している。 >>12
そりゃ増すでしょ
主郭までの障壁は多ければ多いほど有利だし
厳密に言うと中世の山城には本丸という概念はないんだけどね 江戸時代の近世城郭は
石垣からはみ出た雑草を刈るとか、こまめにやっていたのかな? >>8
高槻城出丸は寛永年間になって増設されたという
普通に考えて城の西側の防御を固めるものだろう
濠に囲まれて家臣を住まわせること城内と変らないが、門は北側だけに留まったという
半ば城外的な扱いの「補強」施設だな >城の外に家臣の屋敷をビッシリ建てるのはわかる。
ってのも意味わからん
敵が攻めてきても城外で寝泊まりしろってか 曲輪の中に重臣の屋敷地を与えれば、それが曲輪の中のさらなる小郭としての
防御機能を持つということにさっぱり思い至ってないんだろ。 城壁厨のガイドライン
ばればれの自演連投で、多数を装う。
=を多様するが、脳のキャパが極小なのですぐに混乱する。
自分を批判するレスはすべて同一人物によるものと断定する。
得意技は鸚鵡返されることだが、意味不明なレスを正しいレスに変更を加えられる。
基本的な日本語に不自由している。但し書きが理解できない。
前スレが900に達しないうちに次スレを立てられ、間抜けなので後れをとる。
住人の意向に関係なく、勝手に間抜けなテンプレから正しいテンプレに変えられる。
嫌城壁厨という言葉を発明した。
住人に一方的に課した義務を自らは履行しない。
議論議論と連呼するが、専用スレで議論するほどの知識がない。
主目的は平和なスレを荒らすこと。
平日休日を問わず、2ちゃんねるに常駐している 主郭2郭3郭なんて現代で決められた名称。実際の本丸はどこだったかは予想するしかない 家の近くに豪族の城跡があって、その数百メートル離れた所に出城跡があるけど出城の役割って何?
どうせ早々に本城に退却して敵の陣地にされるんでしょ? 圧倒的な兵力差が無ければ、寄手の兵力を分散出来るのでは? >>25
軍事学での『遅滞行動(遅滞戦術)』と云うパターンが多いのかな?
例外として、山科本願寺の出城は先代の隠居城(土塁と堀)
守護大名・畠山氏の勝竜寺城の近辺に国衆の単郭方形居館(土塁と堀)
越後の御館は守護大名上杉氏の為の迎賓館?
コブみたいな独立丘陵が数百〜数千m毎に点在している地域では、アッチもコッチも城にしてたかな… 三原城など続日本百名城に05月21日 18時10分nhk
三原市にある三原城と新高山城が歴史的な価値を認められ、このほど「続日本100名城」に選ばれました。
「日本100名城」は歴史家などで作る日本城郭協会が全国各地に残る城の中から歴史的な価値の高い城を選んだものでこのほど市民からの推薦をもとにさらに100の城を「続日本100名城」として選びました。
候補となった全国のおよそ500の城から、県内では三原市の三原城と新高山城が選ばれました。
三原城は、戦国時代の武将・毛利元就の三男、小早川隆景が瀬戸内海に浮かぶ島をつないで築城し、満潮になると海に浮かぶように見えたことから「浮城」とも称され、ことし、築城から450年を迎えます。
また、新高山城は隆景が三原城の前に居城とした山城で山の広い範囲に土塁や石垣の一部が残るなど戦国時代の武将が戦への備えとして築いた山城としての特徴が色濃く残されています。
県内では毛利元就が拠点とした安芸高田市の郡山城のほか、広島城と福山城がすでに日本100名城に選ばれています。
城を管理している三原市教育委員会では「2つの城を含めて三原を周遊してもらえるような観光プランを作り、さらにPRしていきたい」としています。 クイズで学ぶ“城下町米子”05月27日 19時06分nhk
かつて城下町として栄えた米子市の町並みを歩いて回りながら、米子の歴史にちなんだクイズを解いて楽しむイベントが、27日に開かれました。
このイベントは、かつて城下町として栄えた米子市の魅力を再発見してもらおうと地元の有志で作る実行委員会が開いたもので、およそ60人の市民が米子城の城跡など4か所を回り、そこで出題されるクイズに答えながら、米子の歴史を学びました。
このうち米子城の城跡では今も残されている「枡形」と呼ばれる石垣で囲まれた四角形の敷地が何に使われていたかというクイズに挑戦しました。
そして、参加者どうしで話し合いながら「城兵の集合場所」という答えを導き出していました。
また、米子城の外堀があった場所に建てられている山陰歴史館では、外堀に架けられていた橋の中で歴史館に最も近い橋の名前は何かというクイズが出題されました。
参加者たちは米子の城下町の場所が記された地図を真剣な様子で眺めながら「藪根橋」という答えにたどりついていました。
参加した市内の60代の男性は「米子の街を知りたいと思い参加しました。クイズはとても勉強になりました」と話していました。 28日 18:20戦乱に運命を懸けた城主たちrsk
岡山の歴史について学んでもらい、地元への愛着を深めてもらおうという講演会が岡山市中区で開かれました。
会場には約800人の歴史ファンが詰めかけました。
岡山の歴史の豊かさについて語ろうというもので、ゲストには岡山市出身の歴史作家、磯田道史さんらが招かれました。
講演会では、岡山市文化財課の乗岡実課長から、岡山と大阪は城などのつくりが似ていて、
宇喜多秀家と豊臣秀吉が親しい関係だったことが紹介されました。
講演会の模様は、6月11日にRSKテレビで放送する予定です。 幕末の佐賀城下写真発見 直茂250年祭写す
ttp://www.saga-s.co.jp/sp/news/saga/10101/433603 戦国の時代劇に姫路城とか出てきたら萎えるな。
関係者に止める奴はいないのか 暴れん坊将軍に江戸城天守閣が出ても止めるやついなかっただろ さすがに最近の城ブームで、アレは姫路城という認識は
だいぶ広がってるからこれからはムリだろ。
そも、今はもうCG合成した方が楽だろうし。 逆に大河ドラマで躑躅が崎館のセットが出てきた時は、衝撃的だったな >>33
初期の江戸城天守閣は連立だったから姫路城使ってもいい気がするが
家光期に大奥のために壊していま天守台のある場所に建て替えても火事で焼けちゃって吉宗期には無かったからなぁ
富士見櫓が妥当 >>38
天守台の位置を変更したのは、秀忠期で御殿拡張も全体的だが 歴史ヲタとしては、暴れん坊将軍のお城は姫路城だとのクレームをつけて
悦に入りたいのだろうなww
でもさぁ
テレビ局もこの種のクレームを真に受けて、姫路城をバックにした松平健の写真を
変える必要はないと思うぞww
こういうのはコンビニで500円で売っている歴史うんちく本のネタにして楽しむべきで、
聖徳太子は実在しないと言って教科書を書き換えようとした文部科学省の醜態を繰り替えるなよ 時代劇は大衆の娯楽としてのフィクションであって、ドキュメンタリーでも歴史の教材でもない。 時代劇の江戸城の天守閣は記号であり様式美。
あれにツッコミを入れるのは歌舞伎の衣装や設定にツッコミを入れるようなもので、
野暮の極みである。 弘前、丸岡、犬山、丸亀、宇和島のアレが天守閣として通用するのなら、
江戸城の富士見櫓も立派な天守閣だろう。
現存天守閣の大半が宇土櫓よりショボい実質三階櫓ばかりというのは情けない。 千早城や赤坂城は鉄砲狭間もないショボくて情けない城だったらしい >>50
日本の城の歴史では、大半の期間は
白壁の天守閣どころか、石垣すら、いや瓦屋根すらろくに
なかったからな。 結局、山城の防御力って険しい山道を登らせてどれだけ疲弊させるかなのか >>49
裏側から見れば実に簡素な富士見櫓はあくまで隅櫓で、天守とは見えない造りなのは自明だが。 >>57
それは弘前城天守にも言えること
というのが
>>49の主張なんじゃないの? 会津の御三階や水戸偕楽園の好文亭も天守の一形態と言える。 >>53
闘うためなら猶更石垣や防火性の強い瓦や白壁が必要になってくると思うけど >>59
弘前は名目上は隅櫓としての造立だから、“弘前のアレが天守閣として通用するのなら”だったら
そうもあろうけど、他もずらずら並べちゃだめでしょ。 天守って、この付近に大将がいますよって目印というか的のようだから江戸時代に入って藩主は二の丸や三の丸に住むようになったの? >>55
「劔岳 の山頂に城建てたぞ!かかってこいや」 室町時代の山城なんかは、素通りされても文句言えないような結構な標高に建ててるけどな 江戸城富士見櫓って普通に天守の代用扱いじゃなかったっけ?
別に現存天守にしてもいいよな >>61
コストとの兼ね合いだろうな。
土塁だって、いまだに陣地で使われているからな。
ブルで適当に泥を運ぶだけで良いから。
手っ取り早く陣地を作るのにはちょうど良いといって。 ぶっちゃけ「天守の代用」ってなんなん?
天守になんか特別な役割ってあるん? 端的に言えば、
「見ろ! 人がゴミのようだ!」 by ムスカ大佐
じゃね。 >>61,67
石垣はあるに越したことは無かろうけど、コストを考えれば
やはり権威の象徴でないかね。
実戦的には、後北条の土塁に畝堀、障子堀ってのが
コストパフォーマンスが高そうな。 石落としって本当に実戦で使用したことあるの?
あれって覗き窓のようにしか思えないんだけど >>71
おそらくないのではないかな?
天守閣のある城で、実際に戦闘が行われていた事例が数少ないうえに、
天守閣のみに立てこもって、増援を待っていたとの事例はなさそうだから。
たいていは天守閣のみになる前に、大混乱になっているからな。 天守閣を失ったあとの江戸城は富士見櫓で政治が行われていたの? 関ケ原の戦後に落城した伏見城、岐阜城、大津城、佐和山城、
伏見城だけ再建されたのに結局廃城
このあたりの経緯は?
秀吉が家康に伏見城で政務を執れと遺言したのは知ってるけど、
再建から廃城まで期間が短すぎる >>75
うーん、あえて釣られてみるけど、やっぱ釣り針がデカ過ぎるな(笑) >>73
天守閣で殿様が生活していたのかとか言う類の質問がyahooの知恵袋のほうで
山ほどあるから見るがよいぞ。 時の記念日 丸亀城で「時太鼓」06/10 14:40nhk
「時の記念日」の10日、太鼓で時を知らせる「時太鼓」を子どもたちが打ち鳴らす催しが丸亀市の丸亀城で開かれました。
丸亀市の丸亀城では、太鼓で時を知らせていた江戸時代の「時太鼓」の習わしを、市の観光協会が平成18年に復活させて以来、ほぼ毎日正午に太鼓の音が鳴り響いています。
「時の記念日」の10日は、国の重要文化財に指定されている城の大手一の門、別名「太鼓門」近くの広場で、近くの保育園の子どもたちやご当地キャラクターなどが「時太鼓」を打ち鳴らす催しが開かれました。
会場では、子どもたちが童謡の「とけいのうた」を歌ったり、ダンスを披露したりして、盛りあげました。
正午になると、子どもたちが順番に打ち手を務め、元気よくバチを振るって「ドンドン」と太鼓の音を響かせました。
参加した子どもは「太鼓をたたくとドーンと音がして面白かった」と話していました。 [11日 17:53]丸亀城で「住みます芸人」転落rsk
11日午前、丸亀市の丸亀城で、27歳の男性が石垣から転落し大けがをしました。
男性は、丸亀市を中心に「住みます芸人」として活動しています。
午前10時ごろ、丸亀市の丸亀城で足をくじいたと男性から消防に通報がありました。
救急隊がかけつけたところ、三の丸の石垣の下にこの男性がいて、病院に搬送されました。
男性は、丸亀市を中心に「住みます芸人」としてコンビで活動する「まるチャンかめチャン」
の森本瞬さんで、大たい骨を折る大けがをしました。命に別状はないということです。
警察によりますと、森本さんは、仕事のため丸亀城を訪れその前に散策していたということで、
三の丸の石垣の上の柵を乗り越え約10メートル下に落ちたとみられています。
近くには自転車が残されていました。
丸亀城は石垣の美しさで知られ、天守の入場者は年間10万人前後に達する観光地です。 ブラタモリ名古屋編を見ていて思ったんだが、タモリは相当の地学好きだな。
パッと見て石垣の石の種類の違いがわかるんだからな。
お前ら、石の種類ってパッと見てわかる?
城好きは地学・地理の知識は必須だな。あと、日本史・軍事学の知識もあれば尚更良し。
あと、「何故、ここに馬出しがあるのか?」とか「何故、この堀は水堀でこの堀は空堀なのか?」
というのはちゃんと理由があるんだな。地形を有効的・効率的に活かすということで。
それと、名古屋城って大坂城同様、低地の中の細長い台地の上に建てられてるんだな。
大権力者はこういう地形が好きだな(笑)
http://i.imgur.com/5x0RzgX.jpg
あと、碁盤の目の町割りも好きなようだ
http://i.imgur.com/9MxEbMq.jpg ブラタモリを見て日本史板でドヤ顔されてもなあ
花崗岩くらい中学生でも知ってるだろ >>80
ちょっと訂正
「盛り土をしてあえて広げた馬出し」な これは「地形を有効的効率的に活かす」というのとは
ちょっと関係なかったかな >>80
名古屋の場合、名駅辺りで標高2〜3メートル。
今でも大雨で浸水の被害がでるからね 中世の城の本丸跡とみられるとこって何かあったらしき土台があるけど
ここが本丸ですよ的な櫓でもあったんだろうな
迷路みたいな構造になってるし山中にあるから目印でもないと城内で遭難しそう >>85
発掘でもやってみれば面白いのにね
山城は基本的には建物は建てなかったとか聞いたけど全国あちこちの本丸跡で柱穴見つかってんだよね
掘っ立て小屋は建物に含まないのかね 400年以上前の自然破壊が元に戻ってないなら
それはそれで別の問題が生じる 枯れた榎をしゃちほこの模型に06/17 14:52nhk
かつて松江城の三の丸があった島根県庁の前庭に植えられ、2年前に枯れて伐採された樹齢がおよそ300年のエノキを活用して作ったしゃちほこの模型が完成し、松江市で披露されました。
しゃちほこの材料となったエノキは、島根県庁の前庭にあり、樹齢300年以上とみられていましたが、おととし8月に枯れたため伐採されました。
県がエノキの活用方法を公募した結果、松江市の市民団体が提案した松江城のしゃちほこと同じ大きさの模型2体を作る案に決まり、およそ1年半かけて制作されました。
模型の完成披露式が17日、松江城で開かれ、松江市の松浦市長が「松江城を見守り続けてきたエノキがこうして新しい形に生まれ変わり多くの人と松江城との縁を作ってくれることを期待したい」とあいさつしました。
そして、しゃちほこを制作した市民団体の代表者から松浦市長に目録が手渡されました。
このあと、会場に集まった人たちにサンドペーパーが渡され、模型を磨いて最終的な仕上げを行いました。
しゃちほこの模型は高さがおよそ2メートル、幅が1.6メートルと、松江城天守にあるものと同じ大きさで、来月中旬ごろから松江市の松江歴史館で展示されるということです。
しゃちほこを制作した市民団体の代表の藤岡大拙さんは「松江城のしゃちほこを身近に感じてもらい、松江の歴史にふれるきっかけになってほしい」と話していました。 高知城伝承の「梅漬け」作り06/18 18:08nhk
江戸時代初期から高知城で作られていたとされる『梅漬け』と呼ばれる漬け物
作りが高知市で行われました。
この催しは、今では食べる機会も少ない『梅漬け』を広く知ってもらおうと、
高知城歴史博物館が開きました。
会場の「高知市文化プラザかるぽーと」には、主婦などおよそ30人が集まりました。
博物館によりますと『梅漬け』は土佐藩の初代藩主、山内一豊の時代から作られて
いたとされますが、資料は残っていません。
参加した人たちは、先祖が高知城で奉公をしていたという高知市の女性の家に代々
伝わってきたレシピを基に、博物館の担当者から『梅漬け』の作り方を教わりました。
はじめに手のひらに酒かすを広げ、塩漬けされたウメの実をその上に置いて、
まんじゅうを作るように1つ1つ丁寧に包んでいきました。
そして酒かすで包まれたウメを瓶に入れて『梅漬け』を作っていきました。
『梅漬け』は半年ほど漬けると水分などが抜け、漬け物などとして酒かすの
豊かな香りを味わうことができるということです。
参加した高知市の60代の女性は「『梅漬け』というものを初めて知りました。
どんな味になるのかワクワクしながら待ちます」と話していました。 入野城跡の発掘展 黒潮06/19 17:17nhk
黒潮町にある室町時代に築かれた入野城跡から発掘された陶磁器や茶道具などの出土品を紹介する展示会が開かれています。
黒潮町の入野地区には、室町時代の後期にこの地域を治めた入野氏が築いたとされる山城の跡地が残されています。
黒潮町教育委員会が、ことし3月までのおよそ半年にわたって発掘調査を続け、その結果を広く知ってもらおうと今回、展示会を開きました。
会場の黒潮町にある「大方あかつき館」には、陶磁器や茶道具など、およそ200点が展示されています。
このうち鍛治場の跡地で見つかった鉄くずや砥石などは、当時、城を建築する際に使ったくぎや大工道具などが城の鍛治場で作られていたことをうかがい知ることができます。
また、お湯を沸かす「風炉」という茶道具は、風炉のふちや土台の部分の破片が展示されています。
1つの城の跡から、これほど多くのかけらが見つかるのはめずらしいということです。
黒潮町教育委員会の山本哲也遺跡調査嘱託職員は、「入野地区の発展の歴史を知ることができる数多くの資料が展示されているので、多くの方に見に来てもらいたいです」と話していました。
この展示会は、今月28日まで開かれています。 アホみたいにニュース記事転載してるけど、それ拙いって分かってやってるのかね。善かれと思ってやってるんだろうけど、自分の身を削ってまでやる事じゃないよ 何を今更感はあるけど、その手のTVニュース記事はすぐ消えるしな。
まぁ、個人的には全文引用じゃなくタイトルとURLを晒すだけでいいんじゃないかとは思う。 >>90
ニュースでは、『陶磁器』と一括りにされがちだが、
これは、陶器なのか?磁器なのか? >>95
釉薬がかかっているのが磁器なんじゃない? 今、普通に使っている茶碗などが磁器
たたき割ってみても断面は真っ白
とても土を焼いたものとは見えない
そう、石が原料だから
焼成温度も高くて、作るのが難しい >>95
比較的高温で焼いた硬質土器が磁器だけど、厳密な区分は難しい。
日本では土質(白土か否か)で分けるのが一般的だけど、中国では
>96の言うように施釉の有無で陶器と磁器とを分けているな。 一回だけ焼くのが陶器で二回焼成するのが磁器じゃなかったっけ 陶器磁器のカテゴライズはともかく、黒潮町のは青磁片との事
こういう場合、カワラケや焼き紙面〆、陶器なども同時に出土したりするけど 釈迦に説法なので、焼き物の蘊蓄は割愛するが、磁器が本格的に国内で製造されるようになるのは、朝鮮の役以降。
青磁と云う事は、朝鮮からなのかな 今でこそ高麗青磁がもてはやされているけど、茶の湯がらみで室町時代となると
高麗はもう滅んでるし、本家中国の青磁でないかな。 高松城「崩落危険性」の石垣修理06/22 17:47nhk
国の史跡に指定されている高松城跡の本丸と二の丸を結ぶ「鞘橋」の北側の石垣が崩れる危険性があるとして、高松市は今年度、石垣の解体修理を行うことになりました。
高松市は高松城跡の石垣整備会議を開き、委員を務める専門家などに鞘橋北側の石垣の解体修理について説明しました。
鞘橋は天守のあった本丸と二の丸の間の内堀に架かる橋です。
この橋の北側、二の丸側の石垣に、積んだ石が外側に押し出される「はらみ」と呼ばれる変形が見られ、石垣が崩落する危険性があるとされています。
このため高松市は、変形が目立つ2面の石垣の合わせて15平方メートルについて、石を一旦取り外して元の状態に積み直す解体修理を行うことにしたものです。
解体修理は今年11月頃から3か月ほどかけて行われる予定です。
また高松市は解体修理にあわせ石垣の上や周辺などで発掘調査を行い、高松城の絵図に描かれている塀や石垣に上がるための階段の遺構などが残っているか確かめることにしています。
国の史跡に指定されている高松城跡では、高松市が策定した保存整備基本計画に基づいて、石垣の解体修理が行われていて、「鞘橋」北側の石垣は、5か所目の解体修理となります。
>鯖移転tesも兼ねて 小早川隆景の新資料 初公開06月18日 06時18分nhk
三原城を築城した戦国武将・小早川隆景の没後420年に合わせた展示会が三原市で開かれていて、小早川家の末えいから寄贈された貴重な資料が、初めて公開されています。
展示会では、戦国時代の武将・毛利元就の三男で、三原城を築城した小早川隆景にまつわる資料、59点が展示されていて、小早川家の末えいから寄贈された7点は、今回、初めて公開されました。
このうち、小早川家に伝わる肖像画は、隆景の表情がこまやかに描写され、隆景を知る画家が描いた、最も古い時期のものだと見られています。
また、江戸時代に毛利家から小早川家に贈られたと伝わる、小早川家の家紋が施されたかぶとや、梨の色のうるしを塗って作られた木製のくらや、あぶみなど、貴重な資料が並べられています。
三原市では、寄贈されたこれらの資料にまつわる逸話や時代背景などについて、調査を進めています。
市の教育委員会文化課の時元省二さんは「資料を通じて隆景と三原の歴史を感じてもらいたい」と話していました。
この展示会は三原市円一町の三原リージョンプラザで来月2日まで開かれています。
>>107
このnhkも急ぐ内容以外は 基幹局も消える直前の6日後と消える寸前にしてるし
有料や要登録になってでもアーカイブがあるトコは見出しとアドのみにしてる ミスやっさ“祭りの魅力発信を”06月22日 16時16分nhk
三原市の伝統の夏祭り「三原やっさ祭り」をPRしようと、「ミスやっさ」に選ばれた2人が22日、三原市の天満市長を訪問し「祭りの魅力を発信したい」と抱負を述べました。
22日は、今年の「三原ミスやっさ」に選ばれた浦郷杏菜さん(31)と木頃理絵さん(20)が三原市役所を訪れました。
2人は天満市長に「県内外のさまざまな催しで祭りを紹介し盛り上げていきたい」と抱負を語りました。
これに対し、天満市長は「今年は三原城築城450年の記念の年なので、1年間ミスやっさとしてどんどん三原をPRしてほしい」と激励しました。
「三原やっさ祭り」は戦国武将・毛利元就の三男、小早川隆景が450年前に三原城を築いたのを祝ったのが始まりとされ、「やっさ、やっさ」という軽快なかけ声に合わせて踊る伝統の夏祭りです。
「ミスやっさ」の木頃さんは「やっさ祭りはもちろん、三原の魅力を市内外のたくさんの人に知ってもらえるよう頑張りたい」と話していました。
「三原やっさ祭り」は8月11日から13日まで開かれます。 那賀町で室町時代の城跡見つかる06/28 18:22nhk
那賀町の那賀川沿いで室町時代のものとみられる城の跡が見つかりました。
調査にあたった県はこれまで詳しい場所がわかっていなかった「小仁宇城」の跡とみて出土品などの詳しい鑑定を進めています。
那賀町の那賀川沿いでは堤防の建設工事を行うのに伴い、県と県埋蔵文化財センターがことし4月から、発掘調査を行いました。
その結果、1500平方メートル余りの敷地から建物の柱などの跡とみられる穴が1500か所見つかったほか堀の跡も確認されたということです。
また、主に室町時代のものとみられる陶器や碁石などがおよそ1万7000点出土したということです。
県などは今回見つかった柱や堀の跡の配置が、室町時代、那賀町にあったとされる
「小仁宇城」のものと似ていることから見つかったのはこの城の跡とみています。
また「小仁宇城」は、これまで詳しい場所はわかっておらず、県などは「町の歴史を知るうえで、重要な発見だ」と評価しています。
調査にあたった県埋蔵文化財センターの島田豊彰専門研究員は
「私たちがふだん暮らしている場所の足元にも長い歴史が眠っていることを、この機会に知ってほしい」と話していました。
県と県埋蔵文化財センターは来月1日に現地説明会を開くことにしています。 異論もあるんだから、記事のベタ貼りはもう止めろや。
容量超過でスレ途中でdat落ちすりゃ皆に迷惑だわ。 >>113
その境目はあいまいじゃないの?
スターリンの邸宅や別荘だって、ちんけな軍隊なら
太刀打ちできないほどの装備や防御設備があったそうだから。 その前に鎌倉時代の政所をそのまま室町の政所へ流用してたのか 鎌倉〜室町前期だったら地方支配が荘園を単位としていたのには変わりない
だろうけど、領家の政所と地頭の屋敷は別の場所にあったのじゃなかろうか。
で、後の城館になっていったのは後者と。 >>120
むしろ、避雷針つけてなかったのか、それで今までよく雷が落ちなかったもんだ、というのが今回の感想だわ。 彦根城って山の麓の狭い平坦地に無理矢理御殿を詰め込んでるから庭も池もないね。玄宮園で泊まったりもしてたのかな >>122
未だにこんなこと言ってる奴いるんだ
三段撃ち自体は朝鮮出兵で散々使われていて、それに苦戦していた明が降伏倭兵から取り入れている(神器譜)
信長が発明したか知らんが実在した戦法なのは事実 >>125
更番射撃は実用的なマスケットの登場と同時期から使われてて日本と戦った明軍も採用してるのは確かだけど、
記事のやつは"信長の三段撃ち"の事じゃない? ほとんどの人間は他の人間を殺せないという現象に興味がある。
こんなんでどうやって戦争していたのだろうか?
↓
戦争における人殺しの心理学 発砲率15%について★2
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1400073341/
1 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2014/05/14(水) 22:15:41.67 ID:NVTJmC9S
デーヴ・A・グロスマン著 「戦争における”人殺し”の心理学」によると
第二次大戦以前での米兵の最前線での発砲率は10%〜15%であるらしい。
残りの8〜9割の人間は敵兵を撃とうとしない
その後、訓練方法を変えて朝鮮戦争での発砲率は50% ベトナム戦争では
90%以上に達したが、戦場で敵兵を殺した米兵の多くが帰還後PTSDに罹患
した >>125
中国には、鉄砲以前、弩で同様の戦法があるらしい
それと、立花宗茂の逸話だが、東国の人達は、早合を知らなかったらしい。
このあたりも、興味深いね。 >>129
立花宗茂の逸話(『立斎旧聞記』)は、一度改易されて史料が散逸したから、
あまり信頼性は無いよ 完璧なマニュアルだけを要求する奴って、中学生なのかねぃ…
旧い話だと前世紀には『甲陽軍鑑』を引用するとフルボッコされたが
90年代頃から『甲陽軍鑑』であっても使えるとこは使うと風潮は変わってきたのに、未だに全肯定か全否定で決めつける
オキャクサンが定期的にやってくるな、このスレ 「資料」と「史料」を区別できないのだから、
バカなんじゃねぃ? スレ的には松永久秀の信貴山城とか。名前の御利益のみならず、たぶん、たとえケンカすることがあっても
クリスマス休戦ができることでしょう(笑)。 >>127
URL元ちゃんとよんだ?
どう見ても三段撃ちそのものを否定してるだろ
>「当時の鉄砲は火縄銃で着火部分が露出している。3人の人間が火のついた鉄砲を持ったまま、狭い場所で入れ替わり立ち替わり撃ち続けるのは引火のリスクが高すぎる。
>現実的ではなく、後世の創作だと考えられています」 ちなみに神器譜の図がこちら
http://www.cos.url.tw/images/tp/id1000102.jpg
ここまでハッキリとした図で残ってたら解釈がどーたらで言い逃れすることも不可能 局部的に鉄砲を使いたい場所に対し鉄砲の数が多いと必然的に列にはなるな >>138
それは「異時同図法」ちゃうんか
同じ画面に同じ人物を複数回描き込むという描き方
http://i.imgur.com/ZuvaGbN.jpg >>140
異時同図法ってのは同じ情景(背景)での物語展開を表すものだから、
神器譜のは意図の当否はともかく異時同図法とは言わないんじゃないの。 その図の説明(現代の注釈)に、
「排成三列各別装銃、進銃、放銃的鳥銃手陣形」とあるな
三列を並べて、それぞれ装銃、進銃、放銃の小銃手陣形である、とでも訳す? >>140
一巻のほうに以火器更番撃打(火器を持ちて代わる代わる射撃す)って明記されてるから
もう諦めな 銃を打つための○□△のあの城壁ってデザインなの?
覗いて見てもなんか狙い辛そうで打ちにくそうな穴だけど 俺なんて「三段撃ちはなかった」と徹底的に刷り込まれてるから、いまさら
あったとか言われてもどうにも信用できん <弘前城>石垣から「イカの形の謎の石」名は「いかすみ石」
ttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170719-00000073-mai-soci
毎日新聞 7/19(水)
お役所にしてはなかなかナイスなネーミング。大正期の修理で組み込まれたものという
可能性もあるのかね? 逆にどういった城を選んで600なんて数字がでたんだろう? なんでお笑いタレントが公式ツイートしてんのか、経緯がよく判らん記事だな。
>>148
江戸時代の大名の数を三百諸侯やら江戸三百藩とかいうから(実際は入れ替わりがあるので延べ五百数十家)、
ざっくりその倍で600みたいな話なんじゃなかろうか。 当時は館とか屋敷って言ってたのに現代になって勝手に城と呼び始めたのも結構あると思う >>151
同感だ。
ついでに砦とか櫓と呼んでいたのも、城認定したのがいっぱいあると思う。
例えば一夜城あたりはそれに近いのではないかな? 当時は武家とか関東って言ってたのに現代になって勝手に幕府と呼び始めたのも結構あると思う プラトン「人間とは二足歩行する動物である」
ディオゲネス「ほ〜ん、じゃあ鳥は人間なんだ?」
プラトン「・・・人間とは羽根を持たない二足歩行する動物である」
ディオゲネス「プラトンによるとこれが人間らしいぜww(鶏の羽根を毟りながら)」 西俣さん等「土から成るから城」と軽く触れられている書籍が多いが、
古代中国での元々の漢字の意味は「土をトントン突き固めたもの」と云う意味で版築の土塁や城壁を指していたらしい そんな誰でも知ってる話ををどや顔で書かれても・・
ちなみに漢文では陣営や防壁を設置する動詞としても「城」を使う
この場合は城(きず)くと読み下す やまとことばの「シロ」は「のりしろ」みたいな、特定の用途に供された領域、くらいの意味らしいね。
↑
そんな誰でも知ってる事をドヤ顔で書いてどうするw
↑
省エネの為に予め自分で突っ込んでおいた 大和国の北方の地域は、山のうしろということで山背(やましろ)国と呼ばれた
桓武天皇がこの地域へ遷都するにあたって国名の文字を「山城」とあらためた
支那の都城を気取ったのである
「城」の訓読みは「き」しかなかったのだが、この山城(やましろ)国制定以来、「しろ」の訓みが表れた 山背って奈良視点の地名か
ただ、山なんてあったかな? 低い丘陵だが平城山がある
両国を分かつように平城京のすぐ北側に横たわっている ま、とにかく「城」は日本語では「き」と言っていたということ 「城」(き)と「木」「樹」(き)は同じ音だけど、どういう関係かな? >>167
孫引きは過ちの元だが、『城(き)』は百済からの借用語らしい。 wikipedia
百済語で城を意味する語はkiであったのは確実であるので、上代日本語の城(き)は百済語からの借用語と考えられる
日本書紀欽明天皇23年条の歌謡「韓国(からくに)の城(き)の上に立ちて‥」
城(き)は韓国のものという認識をとどめているようである 日本国語大辞典にあたってみたけど、>>162が有力説で>>160は少数説の一つという扱いなんだな。
ってことは平安時代前半は「ヤマシロノクニ」じゃなくて「ヤマキノクニ」と訓まれていたわけか。 国名はずっと「やましろ」のままで変わらない
文字だけが山背から山城に変わった 百済から「き」を借用する前は「城」をまた違った大和言葉で呼んでいたかも知れない
漢字の読み方は時代によって異なってくる >>171
それじゃ辻褄が合わない。
@平安前期には「城」は「キ」と訓んでおり、「シロ」という訓は室町期まで未出。
A延暦年間に「山背国」は「山城国」と改称された
この2つの命題が真なら、この時代今の京都府(の一部)は「ヤマキノクニ」と呼ばれていた、というのが唯一の解となる。
現に日本国語大辞典もそういう見解。 「やましろのくに」を山城国と書けとの帝の命なのだから仕方がない
だが「城」という字は「き」としか読まないのだからそうしていた
そのうちに「やましろ」を「山城」と書くのなら、山=やま、城=しろ、なんだなという認識になってきたのだろう
‥と思う >>173
おいおい嘘つくんじゃねえよ
日本国語大辞典だと字だけを改めてなお「やましろ」と訓じたため、「城」に「シロ」の訓が生じた。
って書いてあるぞ >>175
先に書かれてしまった
8世紀初頭に、「地名は漢字2字で好字を用いるように」と指示が出された
つまり「やましろ」という地名が先で、漢字が後 >>175
いきなり「嘘つくんじゃねえよ」はちょっとご挨拶だねえ。
語源説(1)について、の項を読んでくれ。俺が複写した版では下記の如くなっている。
”延暦年中、国名がヤマシロ(山背)からヤマキ(山城)に改められた後も「山城」を
旧称でよんでいたことから”
句読点送り仮名含めて一字一句まちがいなくこう書いてある。
ちなみに「ヤマキ」という訓は他の資料でも発見した。 >>174
> 「やましろのくに」を山城国と書けとの帝の命なのだから仕方がない
これ↑がちょっと違うんじゃないかなあ。お触れを出したほうの意識としては
「書き方も読み方も変えろ、山背/ヤマシロを山城/ヤマキとしろ」というつもりであって、
「書き方は変えるけど読み方は元通りでいいよ」というつもりではなかった。
少なくとも詔の文言「宣改山背国為山城国」を素直に読めばそうなる。
>>176が言うような表記だけ変える命令の場合は「着好字」とか「必用二字」とか
「字」が入ってるけど、上の詔には無いし。
しかし、文書といえば行政文書が99%だったこの時代、地名の表記を変えるのは比較的簡単だったが、
文盲の庶民も用いる発音の方はそうはいかず、「山城とかいても前のとおりヤマシロと読む」状態が
横行して、しまいにはそれが主流になってしまったということじゃないか、
‥と思う はい、わかりました
これからは御城はおしろと読まずにみきと読むようにします …と思う吉宗であった
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l '''"::. 彡ミi
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`''ー- 、:::: / / >>172
まぁ、百済式の築城技術伝来以前に、少なくとも百済以前である、弥生末の倭国大乱当時から
城砦相当の物は当然あっただろうからね。 百済から言葉を持ってくるということは日本語には無かったんだろうな
今ならアイデンティティとかコンセンサスとかハラスメントとか 弥生時代にも防御施設はあった
例えば吉野ケ里遺跡には二重の環濠、濠の内外に木柵、土塁、逆茂木が設けられ、見張りや威嚇のための櫓もあった
ただ文字記録があるべくもなく、これらを何と呼んでいたかはわからない 大和朝廷は7世紀から11世紀にかけて特に陸奥や九州などの辺境に城柵を設けた
個々の名は多賀城あるいは多賀柵などと記されるが、城も柵も「き」と呼んでいた
時代が下って、「とりで」というのがある
砦、塁、寨などと書かれるが、これは本城の一部を取り出した出城という意味である >百済語で城を意味する語はkiであったのは確実
『三国史記』にXXXの記述があるから間違いない(キリッ)ってのは、
記紀に○○○の記述があるから間違いないというのと同列なのだが、
何故か後者は必ず登場して必死に否定する奴がいるのに、前者でそれを指摘する奴がでてこない不思議。 「聖書には”イエスは神の子”って書いてあるから、イエスは神の子だ」って主張することと、
「聖書には”馬”という語が頻出するから、聖書の編纂者たちは馬を知っていたに違いない」
と推論することの違いがわからない、かわいそうな子がいるみたいだね。
お大事に 「ネトウヨガー」は頭が悪いのか、頭が悪いふりをしているのか、時々分からなくなるが、
今回のは何が問題かも理解できていない「ネトウヨガー」が一生懸命考えましたってかんじw
お大事に だれもネトウヨとか書いてないのに、頭の中から勝手に「ネトウヨガー」って声が聞こえるのか・・・
もうお薬飲んでも手遅れみたいだね。せめて余生を安らかにお過ごしください。 誰が誰にレスしているのか理解できるエスパー登場!
現実とネットを混同して実生活で意味不明なことを言ってはいないかと心配
お大事に 何をこの子は怒ってるの?
城の音が当初日本語にはなくて朝鮮語から借りて来たってのが気に入らないのかな
でも仕方ないよね
大和朝廷時代の日本には城なんてないし
わざわざ作る必要もなかったんだから 『三国史記』で、中国や日本の史料と整合性がとれないのは、中国や倭猿が偉大な祖国を嫉妬したからニダ。
ウリナラマンセーのホルホル本などとレッテルを貼るのは、愚かなネトウヨだけニダ。
『三国史記』は無謬の一級史料ニダ。典拠は全て処分して現存していないが、廃棄する前にウリの先祖が確認したから間違いないニダ。
もうこれでいいんじゃない?
どうせこのネット戦士は立ち去らないし、無駄にスレが荒れるだけなのだから…
論拠が『三国史記』にのみ立脚するなら、その説は間違いない真実。
これで終了。解散。 この「ネトウヨガー」くんが現れるまでは、このスレで誰一人ネトウヨなんて
言ってないのに、一人で「ネトウヨガーネトウヨガー」って馬鹿騒ぎして、挙句
「ウリナラマンセー」とか「○×ニダ」みたいなくっさいジャーゴンを
連呼しておいて、自分はネトウヨではないつもりらしい。
キチガイかよ・・・ お前が立ち去れよ。 何か違いしてるようだけど
俺は>>188じゃないが
大体、古代朝鮮で城をキと訓じていたのは日本書紀が典拠でしょ
だから三国史記ガー三国史記ガーというのは的外れ
書紀が謝ってるというのならその根拠をどうぞ 中国もそうだけど高句麗、百済、新羅も行政単位である県は同時に城を意味し
実際、城に置かれていた
一方、倭の行政施設である屯倉、田荘は倉庫と田地であり防衛施設をもたない
これは何故かというと列島内では蝦夷、隼人にしても常に優勢であったし
百済、新羅、高句麗といった半島勢力にしても操船技術で勝っておりワンサイドゲームができたから
実際、三国史記には新羅が対馬にある倭の軍営を討とうとしたが渡航戦に慣れてないという理由で断念している 完全に板違いの朝鮮語りに熱心な子は、誰を相手に何を戦っているのか
第三者にはさっぱり分からんけど、縄文時代と弥生時代の防衛施設の有無も知らなければ
「屯倉、田荘」の知識も不完全。
ネットで検索してコピペしてドヤ顔。何を書き写しているのか当人にも分かっていないのだから
他の人間にも何を言いたいのか全く分からん。
まぁ有史以前は板違いと指摘しても、延々と朝鮮語りを続けるんだろうけどね、この子。
職場で面倒なオヤジが誰も関心のないことを一人語りする迷惑。
サラリーマンの悲哀が何となく分かった希ガス。 会社でオジサンたちから虐められてるの?
ごめんね傷つけて
大体、縄文時代と弥生時代とか一体どれぐらい話遡らしてるのww >>196
>縄文時代と弥生時代の防衛施設の有無も知らなければ
て自分で書きつつ
>まぁ有史以前は板違いと指摘しても、
ってお前バカ?
有史以前まで話遡らしてるのはお前だろ
鬼女とかネトウヨおばちゃんの巣はいくらでもあるんだから、さっさとそっちに帰れば? 191は有史を何時代だと考えているのだろう…
敵を一人と思い込んでレスアンカーを付けずに戦うネット戦士カッケェーw >>184
吉野ヶ里遺跡にしてもそうなんだけど弥生時代の環濠集落は堀が内側にしかないものが多いんだよ。
これは外敵を想定しているとしたら相当おかしな構造でむしろ内部の成員の脱走を防ぐためなんじゃないかという説もある。
少なくとも今では防御集落だと断定はされていない。
そもそも飛鳥時代に入るまで渡来人の住居を除けば瓦葺や礎石土壁を持った恒久的な建築物はなく
大王や豪族の館ですら掘っ建て小屋にしか過ぎなかったのだからわざわざ防壁を回らしてまで防御するという発想はなかったんじゃないかな。 >200は自分ちはウサギ小屋なので戸締まりしない人なのかな。 っていうか>>200は何度同じ事を書き込むんだ。
自分が以前何を書いたのかも覚えていないのかなぁ…
ちなみに、俺ん家の堀は塀の内側にある、もちろん防犯のため。
以前コレを書いたのに、未だに堀が内側にあるのは外敵を想定しないと言い張るんだ。 >>201
群馬の三ツ寺遺跡のこと言ってるんだろうけどあれは当時の豪族居館にしては特異的な構造してるだよ。
全体を囲む堀と雉城と甕門はここと北谷遺跡しか見つかってない。
斑鳩宮や飛鳥京遺跡の大王や大豪族の館すら防御遺構はない。
日本書紀や古事記には稲を積んで防戦した記録は見えるけど攻城戦の記述は全くないし、
どうせ藁ぶき板壁の掘立て小屋しかないんだからその程度で充分だったんじゃない。 先に結論ありきで、自分の妄想に固執断定するのは、有史という言葉も知らない誰かさんと同一人物だと思われちゃうから控えめにね。 最近では鎌倉時代の武家屋敷もほとんどは、土塁も堀ないってことがわかってきてる
どうせ戦争になったら山に逃げるんだから、わざわざそんなもん作らんだろう
楠木正成も赤坂に籠る時、自分で自分の館燃やしてるし 板葺宮とかダセえよな
板材の屋根とか雨漏りするだろうが
百済から瓦博士を連れてきてたんだから、そいつらに瓦作らせろよ >>206
そういえば、教科書に「鎌倉武士の館」って掲載されていたよなぁ 武士であっても誰であっても、立派に屋敷を建てるなら既存建築様式の寝殿造を簡素化して流用した。jk それってこれのことだろ
加治氏館な
http://www.hello-school.net/haroreki007004.jpg
よく教科書には武家造りの典型例とされてるけど実は堀や土塁で囲まれた武家館は当時としてはレアケース
小和田哲男の「戦国の城」にはいまは堀は同時に用水地としても使われていたとか古い説が載っているんだが
同書に当時の様子がわかる史料として挙がっている粉河寺縁起、法然上人行状絵図、男衾三郎絵詞、一遍上人絵伝に描かれてる館にはそんなものはない で合戦になると山上りと言って山城に籠るわけだが当時の絵巻物見ると城と言っても柵と掻盾を並べた程度のただの陣地
http://tokyo-metanoia.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/10/20/b12102001.jpg
戦国末期になると居住空間をもった山城も現れるけど
大半の中世山城はこの程度だっただろうと思われる
発掘に際して曲輪内から無数の人が数人入れる程度の穴が見つかることがあって
寝起きはその中に入って上に筵をかぶせてしてたらしい 織豊期間中にどれだけ凄まじい勢いで築城技術が進歩したか分かるな
つうかそれ以前がショボすぎるだけなんだが
中国や朝鮮から建築技術が伝わっても寺社勢力が独占して世俗には流れてこなかったのが痛い 古墳時代に入ると環濠集落というか密集集落自体そのものが見られなくなり散居形態が一般的となる
http://www.city.shiojiri.lg.jp/tanoshimu/bunkazai/hiraideiseki/hiraideiseki.images/kof2.JPG
豪族居館
http://www.uraken.net/rekishi/japan/jap05m.jpg
かつてはこれがスタンダードだと思われていたが防御遺構が明確に確認できるケースは実はかなり珍しい
大半の豪族の館は土塁も堀も櫓もない場合がほとんどである
法円坂遺跡の倉庫群 難波屯倉と推定されている
http://blog-imgs-42.fc2.com/a/t/a/atamatote/EOS_6394_1.jpg
天皇や豪族はこうした屯倉や田荘を各地に造り「売田」を行うことで私腹を肥やしていった
「売田」とは小作農に田地や稲を割り振り小作料を取り上げることで後世の出挙によく似ている
屯倉や田荘は所有者が王族か豪族かの違いで見ての通りただの倉庫である
堀も土塁も何もないが防衛にあたってはワンちゃんをつかっていたらしい事実、犬養部と呼ばれるブリーダー業を専門にした部民もいた
中国のように遊牧民の侵入や朝鮮半島のように国家間の戦争もほとんどなかった当時の倭ではワンコを走らせる程度でも十分だったのだろう >>215
いちばん下、大阪歴史博物館に行った時についでに見たわ 天下普請で築城した場合、城の構造や仕掛けが筒抜けなんだけど、
問題なかったのかな? 豊臣大坂城の構造なんて家康は熟知してただろうけど、
冬の陣では落とせなかっただろ 西股総生「戦国の軍隊」を最近読んだ
普請は軍役の一部だそうだな
「城を築け」と命じられたら大工・職人・人夫・材料を自分で自腹で用意して
自分で城を設計して築いて、完成した状態で主君に引き渡さなければならない
かなり大変なんじゃない? 朝鮮式山城と水城
https://2.bp.blogspot.com/-OxT_KePYfz4/WQNC-W1CS0I/AAAAAAAAd9Q/7hgg1nehkC8wdDEssJTLTsMONZFzKA0KgCLcB/s1600/P2040089%2B%25282%2529.jpg
日本書紀によると百済人の憶礼福留と四比福夫が築城を監督したらしい
それまでの日本の建築物とは一線を画する壮絶な規模であり、版築土塁や石壁もさることながら倉庫の一つ一つまで礎石や瓦を使うという手の入れようである
周辺の山城を城壁で連結して平地の市街地や政庁を守る構造は、二人の故国である百済の王都泗沘城と全く同じ構造
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/images/h19a/0113-06.jpg
滅ぼされた故郷とまったく同じものを造って唐、新羅軍を待ち受けようとはまったく粋なことをなさる
幸い仲間割れが起こって連合軍が攻め来ることはなかったが
御所ヶ谷神護石
http://www.heichiku.net/wp-content/uploads/2009/12/e28332c5da811a670c0a093c76b04d8e1.jpg
http://www.hb.pei.jp/shiro/buzen/goshogatani-kogoishi/nawabarizu_b.jpg
神護石とはかつて神域だったという俗説から生まれた名称で構造は朝鮮式山城と同じ
違いは日本書紀にのってるかのってないかの違いだけである
現在では唐尺が使われていること及び出土した柱根や土器の解析から築城年代は朝鮮式山城と同様7世紀半ば以降ということがわかっている
この神護石にしてもそうだが日本で築かれた古代山城は規模こそ本場と劣らないものの山奥に造り過ぎて戦略的な意味を為さない、
水沢を城内に取り囲めてないため籠城してもすぐ干からびる、城壁を適当に引きすぎて完周しない、など稚拙な面が目立つ 払田柵
http://www45.tok2.com/home/todo94/photogallery/thumbnail2007/hottanosaku-minamimon2.JPG
柵は古代百済語の城の音を当てて払田柵(ほったのき)と読む
実は朝鮮式山城より起源は古く最古の渟足柵、磐舟柵は大化年間に造れている
音こそ百済語であるものの単純に木材もしくは土壁で囲んだだけの城は朝鮮半島で多分例がなく恐らく日本固有にして初の本格的な明確な防御施設である
西日本に造られた山城と比べるおっそろしく規模がショボいが衝車や投石機もない攻城兵器など持たない蝦夷相手にはこれで充分だったのだろう
東北地方ではその後も後三年の役まで現役だったのだが奥州藤原の100年の天下の間にすっかり忘れられてしまった 西股総生はなあ「軍事史研究家」にありがちなんだけど現代人の発想や価値観を過去に投影してるところがな このスレでも、戦争になっても絶対燃えない破壊されない塀前提で
塀の内側に堀があるから攻撃泡が有利になるとか言っちゃってる子いるじゃん
どんな超金属で強固な構造物だよw >>225
あの方は、未だに『杉山城問題』に拘泥してるしねw 集落の周りに柵回らしてるから防御施設だって安直に考えてる時点で現代人の視点なんだよなぁ と、都市部に住んでいて野生動物と遭遇した経験のない現代っ子が(ry 吉野ヶ里遺跡の真ん中にある楼閣も魏志倭人伝から連想したもので
あれが本当に楼閣状の構造してたとかどうかは実は根拠ない
祭礼の場で実際にはトーテムが並んでたとか言われてたり本当は何のための場所かははっきりしてない
法円坂の復元倉庫も屋根が変な形してるって話が上がってるけど、あれも家型埴輪が写実的に作れてる前提なので本当にあんな形だったかはわからん >>230
それ内側にしか堀が内ことの説明に全然なってないんだよな
土塁の外側のほうが地勢が高くなってることも それより、泡が気になる
"方"の誤変換なのか"側"のタイプミスなのか 攻撃方(かた)を"ほう"って読むと思ってて泡と変換されちゃったとか? 読み方を間違って覚えてたとはさすがに思いたくないので、手っ取り早く変換するために"ほう"を使ったのか、あるいは側を打つつもりが"g"の打鍵が弱かったのかな?と 戦争のためならば冷徹な合理主義の考えで防御施設を作らなければならない
ところが、戦争ではなくて宗教的な事とか何か他のことを考えて弥生時代の柵が作られていたとなると合理主義では解釈できない
弥生時代に濠や柵のある遺跡は少数派であること
柵で囲った中に何かがあった痕跡が無いものがあること
こう言った事から、一般的には戦争を考えなくてよい時代にわざわざ何かの意図をもって柵や濠を作ったのかと思える
作った動機もわからないのだからムズカしい 発掘で何かよく分からないものが出たらとりあえず「何らかの儀礼のためと考えられる」としとけばいい、って書いてた考古学者がいたなあ・・・ 儀礼というものは部外者が見れば、何が何だかわからないものだ 「何らかの儀礼のため」と書いておけば何か分かったような気になるけど、実際には
「わけが分からないものはわけが分からない」というトートロジーになってるだけ。
出土遺物だけからわかることは案外少ないのであって、文書史料は無論民族誌や民間伝承なども
広く渉猟してはじめて用途や意義が判明することも多いのだ、というのがその考古学者の論旨だった。 堀が内側ってのは確かに不可解だけど、弥生時代に「戦争」とも呼び得るような武力紛争が発生、激化したことは、考古学的知見からも支持されてるんでしょ?それともそれすら再検討されてるの? あと、飛鳥時代以前には防塞を必要とするような武力衝突は無かったんだろうか?
古墳の副葬品に武具や甲冑、武人像なんかが頻出するところを見ても、大王や豪族が武器や軍隊を重視していたことは疑う余地は少ないように感じるが・・・ >>242
1世紀とか2世紀の弥生時代には、生活に不便な山上に住む高地性集落の遺跡が見受けられるが、何らか防御を考えての事だろうと推測されている 弥生時代は環濠も出てくるし、柵もある
→ 米をめぐる紛争の時代だったのだ
‥こういうあまりに分りやすい考えは再検討されてるようね 弥生人骨に縄文ではほとんどみられない他殺体が数多いという考古学的知見から、
米を巡るかどうかはともかく、紛争の時代であったことに変わりはなかろう。 そういや胆沢城には土塁の内外両方に堀があったんだってね。
本場の中国の城塞で、壁の内側に堀を設けた例がないとすれば、
弥生的習慣の残存と解しうるかも。 >>248
土塁の内側に堀つくるとイノシシ避けになるん?
どういう理屈かよくわからない。 >>242
それでいい。ちょっと前から暴れている子は、誰かに自分の主張を聞いてもらうという経験がほとんどない可哀相な子。
まともな学力のある子なら突飛な主張をする際は客観的な事実が必要なことぐらいわきまえているが、
この子はそういう経験がないから、オコチャマが考えたボクのニホンシー的な書き様になる。
もう一つ指摘できるのは、基本的な平時の防御施設と戦時の防御施設が両立するという当たり前の事実が理解できない。
平時の指摘には戦時にはー、戦時の指摘には平時にはー、だ・か・らお前の言ってることは的外れ。ボクちゃんが正しいと言い放つ。
壕のある古墳を知らないのか、知っていても技術が独占されていただの当人にしか通用しない理屈で否定するだろうし、
礎石は、適当な石ころを置いてあるだけだ程度にしか思っていない。素人。
群馬の三ツ寺遺跡を反証として認めないなら、○○氏が「○○」にて特異だとしているとしなければならないし、
ボクちゃんの言っていることは○○氏が「○○」で検証し、この論文は△△氏や××氏が引用し一定の支持がある。
こう書いて初めて他者は真剣に読むべきレスだと向き合ってくれる。
逆に言えば、ここで暴れている低学歴のボクちゃんが、乏しい知見に反することを誰かが突然熱弁しはじめたとする。
そいつは、俺の言っていることは大勢がそう考えている(はず)、お前の言っていることは間違っている、俺は認めない。
こんな事しか言えない相手の言っていることを黙って聞けるのかというはなし。 それ全部、お前に当てはまることだが
気に食わないんならお前が思う思わないじゃなくて具体的な根拠となるものを挙げて反論しろ
>基本的な平時の防御施設と戦時の防御施設が両立するという当たり前の事実が理解できない。
だから何?堀の外側のほうが地勢高くなってるの?
>礎石は、適当な石ころを置いてあるだけだ程度にしか思っていない。素人。
そんなこと書いてないんだが、
>壕のある古墳を知らないのか、知っていても技術が独占されていただの当人にしか通用しない理屈で否定するだろうし、
そんなことも書いてないんだが
何で古墳には濠巡らしてんのに館には濠回らしてのは何故かという話 つうかお前、大分前から大勢に突っ込まれまくってるけど皆内心お前のことウザいって感じてること気付いている?
興奮してまくし立ててるだけでお前だけ何の知見も示せてないんだが
それが出来ないなら消えてくれる?場の雰囲気悪くなるから まず、第一柵を回らしている=防御用とはかぎらない
例えば沖縄のグスクはほとんどは居住性をもたないただの祭礼空間である
チャシにもチャランケや儀式用に作られたものが多い
第二、戦闘や戦争の有無と城塞のあるなしは関係ない
例えばミノア文明は戦士もいて戦争もあったがどの「宮殿」も基本的には防壁を持たない無防備な構造になっている
第三、日本書紀を見ると大和王権内どうしの争いでは稲を積み立てて障壁として戦っていて恒久的な要塞を築いてる様子がない
またほとんどの豪族居館は防御遺構を持たない王権の中枢である飛鳥京ですらそうである
反論ある人は具体例あげてどうぞ 傍観してたクチだが、数少ない例外事例を並べたところで意味はないし、
中央集権国家で、日頃から私兵を養い邸宅を要塞化すりゃ、叛意ありと
見なされて即処断されるだろ。 >>250
だれもネトウヨとか一言も言ってないのに「ネトウヨガー」って連呼してた人かな?
とりあえず、「オコチャマが考えたボクのニホンシー的な書き様になる」「低学歴のボクちゃん」
みたいな下品なだけの煽りはやめなさいよ。それができないなら書き込まなくていいよ。
少なくとも君に「それでいい」とか上から目線全開で褒められてもうれしくもない。
>>253
1はわかる。3もある程度はわかる(史書にないことをもって存在しなかったことの証明とするのは
弱いと思う)。2はやっぱり>>254も言ってるような例外事例じゃないかね。ミノア文化の場合は、
強力な海軍力があったので城壁が必要なかった、という説明も多い。
あと、豪族居館のほとんどから防御遺構が検出されない、というのは具体例なり引用なりほしいところ。
ざっとググって見た限りでは、各地の豪族居館とされる遺跡からは環濠や木柵の遺構が検出されて
いる事例が多いみたいだけど。
>>254
古墳時代のヤマト王権ってそこまで中央集権国家だったのかね? >>254
中央集権国家といってしまうと語弊はあったかもしれんけど、ヤマト王権においては
大伴(親衛軍)・物部(国軍)という軍事を管掌する軍事豪族が存在したからね。 >数少ない例外事例を並べたところで意味はない
つーかさ、「倭国大乱」なんかどうなんのよ?
戦争中は堀を廻らし塀を建て、戦乱が収束すると一切の痕跡を掻き消したの?
なんか前提が無茶苦茶な気がする。
俺は戦国時代しか興味ないし、他は教科書程度のことしか知らんけど。 >>255
>>186で予告してあるが、
日本人に「記紀は出鱈目なことも書いてるよね」と言っても、「いや知ってるし、だから何?」で終わるのに、
『三国史記』を否定的に扱うと必ず愛国戦士が登場するのは2chの御約束。
で、共通しているのは、国士様はストーカー気質。何日・何週間たっても粘着する。
悪いw君のことは俺忘れてたわw
まともなスレの流れが君の朝鮮語りから、あれはじめて、この流れならどんな妄想を書いても大丈夫と、変な奴を呼び込んだ自覚ある?
勿論ないよね…
それはそうと、このスレには「有史」という言葉すら知らないのに、自分を学力で見下すのは許さないと息巻いている子がいる。
どんだけプライドが高いのやらorz 閑話休題
「塀の内側に壕があっても、防御性集落」とする方々は…
古代豪族居館が、環壕集落の外側に存在する事例について、どのような解釈なのだろうか? で、倭国大乱は最新の主流な学説とやらではなかったことになってるの?
それとも大規模な戦乱が長期に亘っても、平和を愛する諸国民で構成された当時の倭民は
誰一人として防御施設をつくらなかったの?
最新で主流とされる研究結果を知りたい >>261
豪族居館の成立時には、環濠集落は解体してるんじゃね 弥生時代の殺傷人骨の研究によれば、弥生時代前半は短剣による背後からの殺傷や弓矢による側部・背後からの殺傷が多い
数人単位の戦闘かと思える
また矢合戦や儀礼的殺人の可能性もある
これに対し、弥生時代後半では、鉄剣・鉄刀などの・鋭利な殺傷痕跡が矢傷と重なって見られるものがあり、まず矢を射て、剣でとどめをさすといった戦闘が考えらる
以上から、弥生前期では小規模な奇襲・襲撃・裏切り、また儀礼的な争いが中心であり、弥生後半には激しい集団戦の比重が高まったと考えられる
‥ということだって
‥野戦で雌雄を決してたんじゃね
知らんけど (追補)
弥生後半には一遺跡から大量の殺傷人骨が出てくることが増えてくるともある
集落が責められたのだろうけど、弥生遺跡で濠や柵のあるものは少ないと言うんだから、防御施設関係なしで戦争をやることが多かったんだろう >>253
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4864/cool/kitayatu/kitaya.htm
>調査で、このうち西側の低地が、人工の堀で、しかも古墳時代のものであること
>が確かめられた。さらに巨大な「台形の山は、上面に盛土がなされ、また周囲に
>石積みがめぐる可能性が強くなった。同種の遺跡は、現在のところ、古墳時代
>豪族居館として著名な三ツ寺T遺跡以外に無い。
正確に言うと堀を巡らし葺石で覆った高台を持つ居館は他にも数か所見つかっていて
いずれも北関東に集中していてるだが蝦夷と隣接していたためだろう
それ以外は政庁とみられる建物の南と西に濠を儲けた極楽寺ヒビキ遺跡、ほか特定の建物の周りだけ幅数メートル程度の溝を儲けた
例が北九州で数か所確認できるのみ
大和王権の中枢とみられる郷遺跡群や脇坂遺跡ですら全体を防御するすような堀は見つかってない >>262
何度も書くが戦争のあるなしと防御性遺構のあるなしは関係ないんだよ
書紀見ると稲を積みたて陣地作って戦ってるしそれだと痕跡も何も残らないだろ
そもそも恒久的な建物をつくる発想がなかったんじゃないの
王宮ですら大王の代替わりごとに変わってるし 豪族も代替わりごとに集落を換えていた可能性があると? 大和王権の軍制の話が出てるのでついでに書いとくが、王権時代には国軍というものがなくその基盤は
国造が隷属民から募った私兵でこれを律令制研究では便宜的に国造軍と言う(岸俊男「防人考」)
後に朝鮮半島の軍事行政制度である「評」が導入されて初めて国軍といえる評制軍が造られる(末松保和「朝鮮の軍事組織について」)
評制は難波朝時代(孝徳天皇)に立てられたという記録から(皇太神宮儀式帳、常陸国風土記)せいぜい遡っても7世紀半ばを下らない
>>268
集落まで変えたなんて書いてないが
掘っ立て柱の耐用年数はせいぜい10年もって30年なんだから当然、頻繁に建て替える必要がある
ずっと使い続ける前提なら瓦葺なり礎石使うなりするだろ キリスト教が広がっていくさい、従来地元で信仰されていた宗教施設を潰した地に教会を建てたように
征服者が旧来の施設を占有していくのだから旧い施設の跡地が残らないのに不思議はない
遺構が見つからないから存在しないというのは、五世紀以前にこの国では文字が誰にも読めなかったというのと同じ位
頭が悪い発想
>>267
>何度も書くが
いや、もう書かなくていいから、いっそのことコテ付けてくれないか、NGワードに設定して読めないようにするから 塀の内側に掘りがあるのは泥棒返し。
盗んだ物を外に運び出しにくくしてるんだわ 徹底的に破壊されたテノチティトランですら遺構が見つかってるのにそれは無理があるべ
破壊されたなら破壊されたで絶対に痕跡が残る
それすらも残らないように巧妙に隠蔽されたというのならもう何でもありだ
何でもあったことに出来る たしかに何でもありだな
壇の越遺跡で板塀がみつかったとメディアが大騒ぎしていたが
見つかりにくいものが見つかったから大騒ぎになったのか
このスレで一人が(未だにソースをださない)最新の知見とやらによるところの
存在しないものが見つかったから大騒ぎになるのか
結論ありきで都合の良い材料だけを引っ張てくる
最初から理解する気もないのに何とかの一つ覚えのように「塀の内側に堀ガー」を繰り返す
話者の立ち位置でどうとでもなるはなしだよな
親切な俺様的には先に言っといてやるが(君頭悪いし)、壇の越遺跡は飛鳥時代以前じゃないだろという突っ込みでドヤ顔はやめてね
時代が降っても見つかったということで大騒ぎになったのだから、それより数百年前の遺構に痕跡を求めるのはどうなのよっていうこと
それはそうと本当にださないな君、最新の知見とやらのソース 檀君朝鮮も本当にあったし、中国から漢字が伝わる以前から日本には神代文字があったんだよ。
当時の物のが見つからないのは征服者が破壊したから。
あったと思いたい人がいるんだから、それを無下に否定することはないよ。
この話題はこれで終わり。いいね? 274は187と同じ臭いがする
本人は上手いこと言ったつもりなんだろうが… \
 ̄ヽ、 _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
`'ー '´. ┌─┐
○ |●|
O. └―┤
___|_
/_愛●国\ と、思うネトウヨであった。
/ u \,三._ノ\
/ u ノ( ( 。 )三( ゚ )\
| ⌒ ⌒(__人__)⌒ |
\ u |++++| /
/ ⌒⌒ \ >>274
見つからないけどあったのを知ってる、
あったと思いたい気持を否定しないでくれ、
プギャー マジで質問するのだが、何の痕跡も残せないほど徹底的に破壊することは
可能かな?
まあ遺跡に限らずに、役所の機密書類の改ざんや破棄にしても、
噂の真相によると、役所の文書管理のシステム構造上からして、
改ざんや破棄をすると何らかの痕跡が残るとは言っていたけどな。 上から違うモノをのせちゃえば、それを壊さないと下はわからないからな
石山本願寺→豊臣大坂城→徳川大坂城
今の大阪城を壊さないと石山本願寺の遺構はわからんだろ
住宅になって旧場内は、住宅を壊さないと確認できないだろ
徳川以外の二条城や大津城の遺構もおそらくあるだろう 徹底的に破壊しても痕跡は残るとか残らないとか言っているが、痕跡が残っていても、あるいは全く破壊とかしてなくても、未発見の遺跡なんて幾らでもある理窟だわな
発見できてないのに、ある筈だとか何故言うのかわからない
有る筈だとか言ってるのは文献が残っているって事なのか
そこらへんを整理して書いてくれなくちゃ意味不明だ
雑誌ムーにでも書いとけばいいような話に聞こえる 前近代のテクノロジーではいくらテッテ的に破壊しても、痕跡を残さないというのは無理だよ。
かなり粘着質な徹底性とハイレベルな土木能力を持っていたローマ人が破壊したカルタゴだって、遺物や遺構は出てくるんだし。 ただなぁ
今治城の天守閣の例はどうなんだろうか?
今治城の復元天守を立てるとき、いろいろ調査をしたそうだけど、
あの場所に天守閣がった痕跡が見当たらなかったと報告されているのだけどな。
とは言っても、文献上はあの場所に天守閣があったのは確実されているし、
天守閣を移築して、代わりに入った久松松平の殿様はあの場所に天守閣が
あったのだよと言わんばかりに、模造施設を作っていたのだからな。 沼田城はなぜ破却されたのだろう
せっかく外様を改易してやったのだから、関東の北の抑えとして譜代の臣に与えれば良さそうなものを 確実視できる史料なんて何もないだろ
後代の年代記から8年ほどあったとか言ってる人がいるだけ
実際は天守創る用の部材を譲ったとかそんなんだろう 大和朝廷時代に城郭があったかどうかという話だけど
隋書倭国伝に「無城郭」って明記されてるからやっぱりなかったんじゃない その城郭ってのは城砦ではなく、大陸式の都邑を囲む城壁という意味に解されてるな。 城郭、ってのは都市という意味もある
文脈的に考えてこっちのこと言ってるっぽい
「その国、居するに城郭無し。木を以て柵と為し、草を以て屋と為すのみ。」 その文脈では、(土石の代わりに)草木を使ってるというんだから、
あきらかに"都市"という意味とは違うだろw >>284
篠山城や津城の事を考えると二の丸・本丸の接するところではなく
南隅櫓の位置に天守を構えたと思うんだ。
また亀山や上野は「本丸」中心部に天守を構えたところを見ると
今の神社のあるとこで、駿府城の天守曲輪と同じ発想じゃないかと
思う。 >>291
海城という構造からしても、あのあたりに高層建築物があった方が
使い勝手が良いからな。
実際今治城の復元天守でも、今でも灯台の代用品になるくらい海から見たら
目立つしな。
海城は、城そのものに高層建築物を作っていないにしても、たいていは
周辺部の山に見張り台を設けているからな。
現在の今治城の前にあった、国分城でも実質的な海城だったしな。
藤堂高虎は琵琶湖の湖賊のこともよく知っていたはずだから、あの場所に城を作るなら
何らかの見張り台的な高層建築物を置いたに違いないと思うのだ。 思う思わない何て何の根拠にもならないし、それが根拠になるなら何でもあったことにできる
発掘して改修の跡が見つかてないんだったら最初からなかったんじゃないの
大体、たかが灯台用のために維持する手間も費用も掛かる天守なんか作るかね?
どうしても必要なのならば二条城みたいに火の見櫓建てればいいだけの話 今治城に関して
御殿は二ノ丸みたいだが、本丸は捨て曲輪? 豊臣方が京都で放火画策 大坂夏の陣前にオランダ人書簡
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20170821000078
放火しか考えていない豊臣秀頼方の悪党が京に多くいる
大坂夏の陣直前の洛中の状況を克明に記した記述が、当時、
京都にいたオランダ東インド会社商務員の書簡で確認された。
フレデリック・クレインス准教授が和訳した。二条室町の商人宅に
滞在中だった商務員が書いており、「町衆に近い目線で記した貴重な資料」という。 >>293
中心は神社になっていて発掘自体が今は無理 西南戦争で熊本城の木造部分を焼いたのは、籠城側、というのって未だに一つの説扱い?
平時の木造増設部分なんか攻め手に燃やされたら視界が塞がれるし籠城側の士気も落ちる。
背水の陣みたいなもので予め焼いておくというのは合理的だと思うが、、、
そういえば、女首相が閣議で「この部屋に男は自分一人なのか!」で始まった某紛争。
自国の軍艦が沈められてから、軍艦の可燃性の塗料を戦場で落としたり木製品を海中投棄したりしてたよなw
放火や戦火で燃えるという発想は平時じゃタブーなんだろうか。 >>297
木造とはいえ漆喰で塗られた瓦葺の建物を火矢かなんかで遠距離から
放火するのはいうほど簡単ではなかったんじゃない? 大阪城とかも
炎上するのは落城寸前、というか落城時だよね。
英軍艦に関して言えば、英海軍は戦闘能力より居住性を重視する伝統が
あるらしい。極北から熱帯まで全世界に展開しつつ兵員の健康と志気を
維持するためにはある程度しかたないのかも。日本海軍の巡洋艦を見て
「初めて本物の軍艦を見た。我々がこれまで見てたのはホテルだった。」とか
褒め殺した、なんて話もあるし。 いや…最後のは英人風の嫌味だし…
日米開戦前に米から贈られた大量の駆逐艦もケチつけてるから、連中。
まぁ熊本城の木造部分が燃えるか燃えないかは、その時点でのメンテ次第だわな
万全の戦時対策がしてあったのか、金がないから半世紀以上ほったからしだったか
堀に面していない建造物まで耐火構造なのか
あと、十年位前に熊本城で写真撮ってたら、城ボランティアっぽいお爺さんに話し掛けられて
俺の履いてる靴の話からカメラの機材の話になって、最後に本命らしい西南戦争での話がはじまったが
大砲の射程から陣地まで、言うことがコロコロ変わるのはまいったw
ただの歴史好きだったかも つうかさぁ木材でもゲームじゃあるまいしそんな簡単に焼け落ちないでしょ
近代でもアメリカの入植者の都市とか Baturin要塞といったコサックの砦は
城壁まで木で作られてるけど、そんな簡単に焼き払えるものなら最初から作られなかっただろ ナパーム弾もない時代に大火を人為的に起こすとか困難やで
城内に押し入って片っ端から火をつけて鎮火にあたる人を切り捨てて行かないと なろう系の小説を読んでいると、「森でファイヤーボールなんか使うな!火事になる!!」というセリフを読む度にイラッとくる
生木が簡単に燃えるかー
このスレをみてると、「乾燥した木でも簡単には燃えない(キリッ)」
ゼロかイチか、なんでこんな極端な考え方しかできない奴が多いんだろうorz 世の中には、普通にポイ捨て山火事注意の看板が立ってるんだから
なろう系作家の方がキミよりは世間を知ってる気がするぞ。 この前の糸魚川のときもそうだけど、強風が吹いてると燃え広がりやすいんだろうな 瞬間的な炎とタバコの火の区別もつかない…
残念なオツムなのに上から目線…
ちょっと前に暴れた子? タバコの火より低威力のファイアーボールってなんだよソレw
顔真っ赤なようだが、迷惑な飛び火しないように。 ナロー系の話だけに、狂気(きょうき)に通ずるものがある。
どうでえ、少しは涼しくなったかい。 ゼロかイチか、極端な考え方しかできないって言ってる本人が一番当てはまってるよな
まぁいい歳こいてなろう系なんて読んでる精神年齢のオツムの奴には自覚なんてないんだろうけど 「エロ本なんて下品なものは不潔です(キリッ)」
なんだろう…童貞臭?
低俗本を読まない宣言できるぼくちゃんの気高さ(フッ)
とか鏡をみながらにやついているのかねぃ、このおこちゃま、あ、国士様だったかw ああ・・おばちゃんがエロ系のなろう小説を読んでるのはよくわかったから
もう書き込まなくていいよ 今夏は、広島城を訪問。
本丸上段の北東部に菜園があったらしいが、何を植えていたのだろうか? 姫路城備前門跡を発見 建造時期は江戸初期か
ttps://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201709/0010572013.shtml
2017/9/20 神戸新聞NEXT
だそうで。繁華街っつーから埋め戻して開発になるのか、調査が終われば
まるっと撤去なのか、どうなんだろ。 なんで女って石垣好きアピールする奴多いんだろうなw >>314
姫路城はまだいいほうだな
聚楽などは発掘しても全部埋め戻しだからなあ
まあ街中だから仕方がないが これは賛否分かれそう
動物愛護団体が騒がないかな
家で買ってるオカメインコは羽切って飛ばないようにしてあるけど籠の中で飼ってるものだしなぁ
野生の鳥の羽切るのはちょっとかわいそう >>321
こうして種明かしされたら、ちょっと複雑ですね 矢狭間や鉄砲狭間の向きについて気になることがあるんだけど
狭間って視界をとるために、壁の片方を広く、もう片方を狭く作ってあるけど
広い方を城内側するか城外側にするかって城によって違うよね
なんで? 外を広く取るのは主に鉄炮狭間で突き出した銃身の射角を取るためだけど、
その場合でも内が狭くなってるわけじゃなく、断面を見れば鼓型だろ。 >>324
そうだったのか
鼓型とは想定してなかったから、城外側から見て内側が狭くなってるものかと思った
じゃあ逆に外側が広くなってないのは射角が要らないような場所なのかな
ピンポイントで狙えれば良い枡形付近とか >>325
一直線だが上下に狙えればいい「折り」部分とか? >>325
用途的な、場所による使い分けは当然あるだろうけど、
まず第一には壁の厚さによるんじゃないかな。
石垣添いの長土塀など、狭間の設置個所にさほどの
厚みがなければ外を刳る必要性は少ないと思う。 江戸城天守閣の再建はナンセンスか? 費用350億円
http://www.nikkeibp.co.jp/article/matome/20140806/410498/?ST=mobile
城郭復元建築の第一人者である三浦正幸・広大大学院教授を訪ねて
CGの復元図を作成してもらった。 忍城や関宿城や大多喜城ですら天守まがいの三階櫓を再建してるんだから、
水戸城や川越城もさっさと再建すべきでは?
江戸城天守よりよほど安上がりだろ。 >>332
人気があって観光客を呼び込める城じゃないとな
どうせ市民税・県民税で造るんだし 首里城を再建したバブル期こそ江戸城本丸御殿や明治宮殿を再建する絶好のチャンスだったのに残念だ。 江戸城はただでさえ人来るんだから天守に少々金かかっても回収できるでしょ 江戸城を再建したければ、日光江戸村にでも間伐材を利用した集成材を
使って再建したらどうだ? 江戸城が現役の城だった時代の大半は天守はなかったのだから、今更天守なんて必要ない。
それよりは櫓群や御殿を再建した方がいい。 城といえば天守閣しか思いつかない観光第一主義は昭和の発想だな
今更大江戸スカイツリー はいらない 歴史的にも価値は無し、経済効果とか怪しい言葉にも価値は無し
て、事でポケGOみたいにARで城を見せりゃ良かろうぞ まぁ、江戸城で復元っつーと、まずは大奥なんでないかい。
外人さんも喜びそうだし。 アシガールって見とる?
誰が考証してるのか知らんけど、セットや衣装がよくできてると思うんだが >>341
江戸城も城らしく立派なのは櫓や門や表御殿であって
大奥なんて建物自体はそれほど魅力ないからな
豪華絢爛な衣装をまとった女中たちを人形で展示しておくならだが ユネスコが南京大虐殺から慰安婦や徴用工まで世界記憶遺産に登録する動きを見せるので、日本はユネスコ脱退辞さずとして抗議しているそうだ
アメリカに続いてユネスコ脱退すれば、縛りがなくなってコンクリート天守の再築もできようというもの
古くなった名古屋城も大阪城も建て直ししようぜ 文化庁がコンクリート天守の新築を許可しないのは、ユネスコ関係条約の「ベネチア憲章」を受けての事だ
その国際条約では遺跡を復元するには昔の通りにやれとなっている
木造建築が主である日本の事より、石造建築のヨーロッパなどの遺跡復原を念頭に決められたような縛りだ 昔はあれだけコンクリート天守を建ててたのに、ある時から急にやまってしまっただろ
名古屋城みたいな大きな天守でも昔の通りに木造でなきゃならんと厳しすぎる事になってるのはなぜか調べて見なさい まあ、戦災焼失天守をはじめとする主要な城の天守はあらかた再建されたからな。
復興天守のない金沢とか仙台とか福岡は、幕府に遠慮して元々天守を建てなかった城だし。 とはいえ復興ブームのときに萩城天守が再建されなかったのは悔やまれる。
会津若松城同様、古写真がバッチリ残ってるのだから外観復元は可能だったのに。 >>354
山口は戦後になっても、有力政治家を輩出しているのに、
どうして萩城を復元しなかったのだろうか?
あの時代なら、お金はいくらでも出しただろうに、 >>353
金沢城は江戸初期に落雷で天守焼失後再建しなかっただけで
元々はあるぞ。 >>353
福岡城は細川忠興の書状から黒田長政が(以下略 天守なんぞ復元するくらいなら寺社建築でも復元した方がいいんじゃないの
規模も世俗建築とは比較にならないし
大きいことはよいことだ的な昭和脳のお父さんたちも満足するでしょう
http://livedoor.blogimg.jp/shyougaiitisekkeisi2581/imgs/8/a/8a60b4cb.jpg
大体、高層建築の癖に角柱な時点で天守は不安定なんだよね >>358
ちょっと信じがたいほど大仏殿がでかいんだが、けど、今も西本願寺のお堂は
でかいし、そんなものか 水戸城なんて有った場所は今は小学校
なんだろう。すぐ再建出来んだろ。
子供にも観光にもプラスだろ。
それでなくとも魅力度最下位なんだからね。 >>360
水戸藩主は江戸在府で住んでなかったからな
水戸黄門がここに住んでいた!といって観光客集めるのか >>362
城の再建をするなら税金を使うので観光は最重要
観光の話はするななら
城の再建の話もするな、だな >>360
もともと水戸はどっかの城を移築したものらしい
どう再建すればいいか分からなかったのかも 尼崎みたいに別の場所に天守閣を再建しているところもある。
忍城や関宿城の三階櫓も同様。
水戸城天守も弘道館の裏の空き地とか、どっか空いた土地に再建すればよい。 尼崎って個人が再建していて出来上がったら市に寄贈されるんでしょ?
なんか裏を勘ぐってしまうw ブラタモリで知ったんだが、大坂城も名古屋城も海や低湿地に囲まれた細長い台地の端っこに建ってるんだな
http://service-news.tokyo/wp-content/uploads/2016/11/20130313015216.gif
https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=635x10000:format=jpg/path/s693a965aef69b319/image/iabc458d34337df57/version/1397098202/image.jpg
こんなところに城を築いたということはあくまでも防衛第一で、城下町・都市を発展させるとかほとんど考えてなかった
んじゃないのかな
もちろん、清須など周辺の住人を無理やり移住させたようだし最低限の城下町は作ったけど、秀吉も家康も
まさか後世の人間が城の隣の低湿地や海を乾いた平野に完全に変えて数十万都市に発展させるなんて
想像もしてなかったんじゃないのか 頭の悪い考察だな
江戸も日比谷入江という名の海が入ってきていたが
現実はどうなった? >>367
今は野外復元よりもVR映像で仮想体感にシフトし始めているんだよね
バーチャルなら時間も予算も比較的かけずに作れるし、遺跡にもやさしい 城の壁に漆喰を塗るようになったのは何時頃からなんだろう >>369
家康はどうか知らんが、
秀吉はある程度は計算していたのではないかな?
秀吉は土木建築のプロだし、安土城や石山本願寺を見ているから。 >>369
16世紀に終わりの天正地震による津波で、長嶋→清州、松ヶ島→松坂に本拠地を
移した事も無関係とは言えないだろう。 >>376
多門山城あたりじゃないか?
小牧城や岐阜城で既に使われていた可能性もあるかも >>376
今んとこ最古の例は1480年頃成立の笠置寺縁起絵巻に見える笠置城なんだが、時期的には
寺院を城郭に改築することが流行った南北朝かも
http://kasagidera.la.coocan.jp/hozonsiryou/pict-28emaki.jpg 名古屋城天守にエレベーターが付かないそうだし
河村たかしGJやね そういや、この前の台風で近所の寺の倉の漆喰が大きく剥がれとった
伝統的な建築資材・建築工法は雨・風・・・それと、揺れ(地震)に弱い? 地震だと建物全体が歪みながら揺れ続けて
漆喰には必ずひびが入るし
土壁から浮いて面で剥がれたりするよね
雨も下地の土壁部分が水気に弱くて
水分で膨張したりするし
同じく面でベロッと剥離して落ちたり
壁自体濡らさないのが理想的 >>381
名古屋城新天守、エレベーターなしへ 江戸期の姿忠実に
http://www.asahi.com/articles/ASKCJ3F4GKCJOIPE005
名古屋市は16日、2022年末完成を目指す名古屋城の木造新天守にエレベーターを設置しない方針を有識者会議で示した。
以下略 >>385
何処か忘れたが、雨対策で、漆喰から鎧壁(鎧張り)に改築してる櫓があったな エレベーターなしとか時代に逆行してる。
時代はいまバリアフリーだろ。 >>389
掛川城天守は漆喰から板張りに変えたな
名古屋城は昔は部分的に板張りの櫓が有ったが、当初は板張りだったのか、
あとから傷んだ櫓だけ板張りにしたのかよく分からん >>390
だからそういった対策は、障碍者の日を設けて、クレーン車を横付けしたり
ソフトバンクやトヨタと提携して、介護ロボットを実用化することで
対応すべきだと思うのだけどな。 一般の家にあるような椅子式階段昇降機を設置すりゃいいじゃん。申し込み制にしてさ いずれ現存12天守にも、天守までの登頂エスカレーターや
天守エレベーターつけろっつー話になるんじゃねーの。 「いずれ」っていう仮定の話且つ「現存」って指定してるのにか...(困惑) 障碍者団体は天安門やクレムリンにもエレベーター付けろと中ロ政府に抗議したらどうかな >>395
それに近い考え方で良いのでないの?
障碍者の日とか、敬老の日でも作って、
障碍者限定、65歳以上の年寄り限定で、
その日だけ、特別にいす式階段昇降機を臨時に取り付けるとか、すれば良いと思うのだ。
とりあえず、名古屋市は障碍者団体の要望に対して、
どう対処すべきかのアイデアを募集してはどうかな? おもてなし武将隊みたいな感じで、おもてなしおんぶ隊を作る。
希望する観光者は無料か低料金でおんぶして登ってやる。 天守閣の入り口に若手レスラーや力士みたいなマッチョ集団が待機して、
マッチョいかがっスか〜と呼びかけ、希望する観光客をかついで登ってやればいい。 >>405
>>406
機械を使わないということは、凄いコストになるが >>369
どっちも既存の城があった場所に建てたんだろう
大坂城←石山本願寺跡地
名古屋城←那古野城跡地
どちらも三方のうち一方は開けているのでそこに城下町は造れた
そもそも戦国時代の日本は人口1200万人程度
今はその10倍
戦国時代に今の大阪市や名古屋市みたいな大都市は予定していない >>407
これは要望じゃなくて強請だな。
団体事務長とやら、なんでまた最初からここまで居丈高なんだろ。 >>404
>特別にいす式階段昇降機を臨時に取り付ける
>407を見れば、名古屋市はあらかじめ常設でその手の装置を設置の意向だけど、
障害者団体はそれじゃまかりならん、と憤ってるようで。 >>407
こいつら普段から、こういう傲慢な態度で行政に圧力かけて
障害者利権むさぼってるんだろうな >>410
そんなことを言い出したら、ウィーンでもパリでも北京でも城壁に囲まれていたけど、
人口が増えて不便になったから、片っ端から城壁を撤去して道路にしただろう? >>414
秀吉は天下を執ったら聚楽第を本拠地にしたし
名古屋はそもそも当時から地方都市
首都と比べてどうするw >>413
こういうのは例外を認めると、その範囲がどんどん拡大するから 金沢城の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は木造による復原だが、建物内にエレベーターを設置した
他にも、傾斜が急で幅の狭い階段を復原しつつ使用はさせずに、幅広で緩やかな階段を別途新設して見学に提供している箇所がある 両方の意見を満たすためには大阪城みたいに
外側にエレベーターをつけるしかないな 戦災で焼失してなくても障碍者団体ってそういういちゃもんつけてそう >>421
今はネットの時代だから、この種のイチャモンに対しては、
ネットでどう対処すべきの意見を募集して、妥協させるしかないよ。 もし藩が現代でも残ってて城が現役の藩主居館だったら普通にエレベーターは設置されてるだろうな。 >>423
「もしも」で語るなら今のまま建て替えしないでよくね? まぁ、元のままと拘るのなら、建築方法も重機を使わず、
当時のまま人だけで何とかして、工期も同じにしろとなる
過去と今は違う 東大寺大仏殿も明治の大修理で鉄骨を入れてるし、昭和に再建された薬師寺金堂も内陣だけは鉄筋コンクリート造。
名古屋城天守閣にエレベーターをつけるのも、まあ仕方ない。 今日のひるおびでコメンテーターの落語家がお前らと同じように、エレベーターに文句言ってたな。
他のコメンテーターは外付けエレベーターならオーケーとか、税金使う以上は障害者への配慮は当然とか言ってたが。 城は教育の場だよ
当時の城にはエレベータがあったっていう間違った歴史は教えられん 萩は倒幕の拠点だから藩政時代を偲ぶような天守を再建する意識は低いだろう >>434
松下村塾などを「世界遺産」に認定して
江戸期の萩を世界にアピールしようとしてるのに? 海抜0メートルの天守台
水が湧かない詰丸
萩城はバカ城ですね >>433
ならば現代の根幹をなす民主・平等の観点からバリアフリー化は必須
当時無いものは無いとハッキリ説明すれば良い
現代の木造復元も、柱・梁の追加等が行われているので、その点は
ちゃんと説明するべき >>435
だからこそだろ?
古建築に興味があるというよりも江戸期の山口の倒幕の精神を後世に伝え美化していくのが目的じゃないのか >>436
萩城は水城部分の背後に山城がある
非常時になれば山城に籠る
水城部分に造られた天守など実用的ではない >>428
倒壊しそうな建物をやむなく補強するのと一部のわがままでないもの取り入れるのはわけが違うだろ
カタワはどっちみち天守があるところまで自力でこれないんだから
エレベーター付ける必要なし >>440
「今」必要なものを取り入れるということでは同じこと
建物倒壊に繋がる構造上の問題と、人権の侵害に繋がる主義の問題は、
双方共に無視はできない
そして様々な理由で身体に問題を生じた者達を物心両面で可能な限り
ケアするのは、社会の義務である >>442
不特定多数の人が入る施設である以上、その中に含まれる身体に問題がある人達の
ことを考慮するのは、平等の観点から当然かと
当時と同じく、一部の特別な人が限られた時期にのみ登れるのなら話は別ですが >>439
背後にある山城部分を詰丸と呼ぶのだが、行ったことあるか? >>443
何でカタワはどこにでも入りたがるの?
イスラム教徒以外は入れないのは人権侵害だってカアバ神殿に突入してみたら? エレベーターは日本の恥だからすべて撤去すべき
紫禁城もアルハンブラ宮殿もピラミッドにもそんなものついてないから 障害者なんていろんな面で優遇されているのに平等にする必要なんてないな おもてなしマッチョ隊が天守閣入り口でマッチョいかがっスか〜と呼び込みするのではいかんのか? >>435
尊王思想とかカルトだから俺は大嫌い
板違いなのでこれくらいにしておくが ただ今回の名古屋城の場合は、完全に復元するのだからな。
エレベータは論外だよ。
そういったのは皆で知恵を絞って、妥協点を見出すべきだよ。 >>453
石垣にケーソン入れている段階で、完全復元は欺瞞 ケーソンは目に触れないが
エレベーターは目障り極まりない エレベーター付きで再建して500年後に地震等で崩壊したらまたエレベーター付きで再建するのかな >>455
なら、今の外見復元のままで立入禁止にすればいいじゃん なんで一部のわがまま障害者のために健常者まで立ち入り禁止にならなきゃいけないんだよw 現在の免震基準で新築するのだし
江戸時代の城の完全復元なんてできるわけない >>453
木造部分を復元するなら妥協点は無い
復元するか復元しないか、どちらか一つ >>459
今の建物はどのみち耐震基準が適合せず、立入禁止にせざるを得ないし
木造復元を公的団体が予算を組んで行うなら、国民・市民の一員たる身体に問題がある人が排除されるべきではない 排除するな差別するな言うなら健常者と同じ義務果たしてから言えや >>446
サンクトペテルブルクの聖イサーク寺院には外装式エレベータあったぞ >>463
「じゃあお前も障害者になれや」レベルの屁理屈だな。 外装式エレベーターというのは、現存古建築に手を入れて改変するのを避けるという趣旨だろう
非現存建物を今建てるというんだったらエレベーター入れたって構わないと思う
文化庁がウンと言えばだが これは戦災で失われた文化財の復元事業であって
単なる展望施設の建て替え事業じゃないんだよ
本来なら昭和の再建の時にやっておくべきだったんだが、
当時の法律とか諸般の事情でコンクリ天守になっただけ
で、その仮に建てたコンクリ天守が耐用年数に達したから
この機会に焼失前の本来の姿に戻そうっての話
障害者とか関係ない どっちみちカタワの奇形身体では天守のある所までたどり着けないのだから
必要ない >>467
現代に合わせた復元をすることに何ら問題はない
変えた所はきちんと説明すればよいだけ
完全な復元なんて不可能だし
復元中の本丸御殿とて、例えば一枚板の戸が
複数の板で構成されている
同様のことは天守でも起き得る エレベーターつけるのとは改変の次元が違うだろ
アホか >>470
構造に関与しないのだから、石垣のケーソンより問題はない エレベーターに乗るのはなにも障碍者だけじゃないだろ
ベビーカー乗せた子連れ観光客や高齢者も想定している
健康な独身男が一人で来ることだけを想定していない ベビーカーに乗るような乳幼児を自分の身勝手で連れ回すのは
虐待だな。 エレベーターは仕方ないとしてもベビーカーまで配慮せよとは
もはやただの展望台 そこまでして木造復元するくらいなら、コンクリートの天守閣風博物館のままでいいわ。 >>477
城跡にその天守閣風博物館を建てることは現在できない
文化庁が遺跡破壊だという
昔は何にも規制がなかったからコンクリート天守でも建てられたけど 文化庁も頭が固いと言いたいところだが、これは国際条約に縛られて言っていることだ
「記念建造物および遺跡の保全と修復のための国際憲章」(ヴェネツィア憲章 1964年)
1931年のアテネ憲章では記念建造物、遺跡の修復の際に近代的な技術や素材の使用を認めていた
対してヴェネツィア憲章では建築当時の工法や技術、素材を使用することが求めれている
戦災で破壊されたヨーロッパの石造建築物では、バラバラになった石材を再び組み上げるようなことをしている
復元工事は排除するのが原則、現地に残っている部材を組み立てることくらいならよろしいとなっているからである
しかし日本のような木造建築は材木が燃えてしまっているので一から新築するしかない
この場合、憲章のいう「真正」性の解釈は大変難しいことになる
あまり細かい事までこだわらずに、木造であれば‥と日本の文化庁は独自にゆるく解釈している面もある
世界の遺跡でもなかなか憲章の通りとはなっていないのが実情だ
憲章万能ではない >>475
子育て中の男女は家から出るなってか。
少子化の観点からダメだろうな。 おんぶしろよ
ディズニーランドだってアトラクションに乗る時はベビーカー預けるだろ 機動要塞名古屋城w
なお、ディズニーのアトラクションには車椅子対応のものもある >>483
10年前まではバスや電車でベビーカーを畳めとアナウンスされていたが
今はベビーカーのままで周囲が場所を開けて優先して乗せろになった
世の中が子育て中心に変わっている 百歩譲って車いすまでは許せても、ベビーカーなんぞに配慮する必要はない。
乳母車押してまで城に行く必要性あるのか。 >>485
そういうのアナウンスしたらネットでギャーギャー言うのがいるから言わないだけだろ
まあ将来の城オタ候補なお子様たちには期待はしたいわな こういう弱者配慮は一切無視すべし
階段の手すりも本来は必要ない ガキを甘やかすな
そもそも天守閣に登れないような赤子を連れてくるな まぁ、一つにこだわる必要もないんだよな。
現状の位置の新天守はできるだけ資料に忠実に建てて文化財としての最高峰を目指す。
余裕があれば付帯施設も復元して江戸時代そのままの方向で行く。
で客寄せパンダ城は交通の便のいい名古屋駅ビルの上あたりに鉄筋コンクリエレベーターエスカレーター動く歩道完備で、
老人ホームに末期ケア施設も併設しておく。
ちょっと金はかかるだろうけど、あれこれ口出ししてくれた団体がただのクレーマー団体でなく、
バリアフリーの理念を本気に信じて運営しているなら、喜んで全額出してくれるだろう。 えらくドヤッてるくせに、全く流れを理解してないのなw
障害者のクレーマー様は、名古屋市を一望できる展望塔(それならもう名古屋テレビ塔で十二分)に
登りたい訳じゃなく、あくまで名古屋城天守台の上の木造復元天守に上る権利(大方は別に絶対に
登りたいわけでもないし興味も無かろう)を要求してるんだよ。 だからそれに意味がないつってんだろ。
エレベーター付けるためにせっかくの図面を無視して嘘建築やったら、もうそれは復元名古屋城でも何でもないわけで、ただの展望台に過ぎない。
だったら、もっと眺望のいい他の展望台に行くか、
どうしても名古屋城風展望台に行きたいなら交通の便のいい駅前に城風ドンガラ展望台でも立ててそっちに行かせりゃいいって話。
旧名古屋城なら建造当初に名古屋を一望出来たろうけど、今となってはビルにさえぎられてろくに回りも見えない。
一望したけりゃ他にもあるんだから、わざわざ正確な図面を台無しにしてまで低い展望台なんか立てる意味はない。 すぐ近くにエレベーター付きの清須城があるだろw
そっち行けよ なにやらずいぶん日本語弱そうだが、クレーマー様にとってはそもそも木造天守も展望塔も
どうでもいいんだよ。
再建計画に事寄せての、健常者と同じ事とをする“権利”の要求闘争なんだからさ。 要するに利権団体の嫌がらせだろ。
利権屋や人権屋がマウント取りたいだけだろ。 城も大事な観光収入だからな。一部の城基地より万民に来てもらいたいんだよ。昇りはエレベーター降りは滑り台とか何でも造れよ ここで暴れている奴が自腹で
エレベーターなし江戸時代初期と同じ工法で再建すればいいだけなのに 城のプラモデルも許せんだろうな
本物通りの構造をした木製模型でないとダメだと言うんだろう ここでグダグダいきってるカタワは自費ですべての天守、仏閣仏塔にエレベーターをつけて回ればいいのに
目の前でそんな戯言ほざいたら池にでも叩き込んでやるがな この手のことで騒いでる連中は歴史とか資料とか技術とかどうでもよくて、
政治活動だけが全てなんだろうな。
そういうのは違うところでやればいいのに、運動に巻き込まれた名古屋城はいい迷惑。 名古屋城の石垣調査、中断 発言巡り有識者会議が紛糾
http://www.asahi.com/articles/ASKD43PPWKD4OIPE00B.html
名古屋市は4日の市議会経済水道委員会で、名古屋城天守台石垣の発掘調査を中断していると明らかにした。有識者会議が紛糾し、発掘調査の助言を得られないのが理由。
木造新天守の「2022年末の完成」という工期が遅れる可能性があり、来年1月には調査を再開したいという。
(中略)
しかし、10月の有識者会議で、天守閣部会の座長が「(石垣部会は)安全性を考えていない」と発言。石垣部会が撤回を要請して紛糾した。
市は石垣部会の助言を得られず、11月に発掘調査を中断した。経済水道委で「(工期に)影響が出る可能性がある」と答えた。 最近、西股総生の本で軍役というのは
自前で武器兵糧を揃えて出陣するだけ
でなく、自前で人・物を調達して城を
築いて主君に引き渡すことも含まれる
ということを知った。
けど、これってあまりにも負担が大き
すぎなくない? 城を築くことを
命ぜられたらあまりにも大損では? ちょっと前に新聞の全面広告にあった『日本の城』¥29000
購入予約しようと思ったらコレ、去年「日本死ね!」で大燥ぎしたユーキャン主導なんだね。
熊本城の石垣は朝鮮人の技術とか書いてそうなので、買うの止めた。orz
購入する気のある人、買ったらレビューよろ。 西股総生とか大ぼら吹きだからどこまで信用していいか分からない
西ヶ谷恭弘もそうだけど城郭研究の連中は変なのが多い 西ヶ谷恭弘によると
野面済みは巨石崇拝によるもので
侍は夜戦ってはいけないという掟があるので夜間は忍者部隊が戦っていたんらしいふ〜ん >>511
西俣さんといえば、10月に『杉山城の時代』が発売されたみたいだねww >>512
石垣のことを石蔵と読んでいた時代もあったようだからな
安土日記などには石蔵の高さ云々〜とか記されている
石蔵とは縄文神道の岩蔵(ドルメン)からきているのではないかと推測する またものすごいトンデモ野郎が来たな
安土日記にある石蔵ってのは地階のことでしょ
縄文神道って何?神道が縄文時代からあると本気で信じてるんですか?
縄文直系のアイヌに神道がありますか?ドルメンを作ったりしますか?しませんよね 中国式の石組みより、倭式の石組みの方が高度だからと石垣を積みなおした朝鮮。という歴史的な事実が話柄になると、
「にほんちゃんもー」と発狂する奴がでてくるのは匿名掲示板の御約束。
どういう文脈で書かれているのかなんてどうでもいいんだよ、このキチガイは。 中国の城壁は版築か塼造で朝鮮半島のような石造りの城壁何てほとんどないんですけど
つうか何でそこでまったく関係のない朝鮮の話が出てくるの?ネトウヨってホント朝鮮の人が気になって仕方がないんだね
ストーカーの素質あるよ 石造りの城壁から宇宙創造まで、全て朝鮮様のおかげです。
イルボンも間違ったことを言ってるニダ!
満足した?
全て君が正しいから。
もうでてこないでね。 ネトウヨってホントに人とコミュニケーションができないんだな
こいつ前にも荒らしてた低能ウヨだろ ↑
レッテル貼りしかできないバカが異臭を放ってます かまうなって、レス乞食に餌をやるなよ、つけあがるから。
>中国の城壁は
中国には石壁が存在しないのか→そんなことは言ってない、日本語読めないの。
中国より朝鮮の石壁の方が優れているのか→そんなことは言ってない、日本語読めないの。
文章自体が間違っているが、間違いを指摘しても言い逃れる逃げ道を残している。
誰も間違いを指摘しなければ、出鱈目の妄想を本当であるかのように錯覚させることができる。
「ネトウヨガー」の何時もの手口。
相手をするだけ時間の無駄。 城壁厨のガイドライン
ばればれの自演連投で、多数を装う。
=を多様するが、脳のキャパが極小なのですぐに混乱する。
自分を批判するレスはすべて同一人物によるものと断定する。
得意技は鸚鵡返しだが、意味不明な変更を加える。
基本的な日本語に不自由している。但し書きが理解できない。
前スレが900に達しないうちに次スレを立てて来たのに、間抜けなので後れをとる。
住人の意向に関係なく、勝手に間抜けなテンプレに変える。
嫌城壁厨という言葉を発明した。
住人に一方的に課した義務を自らは履行しない。
議論議論と連呼するが、専用スレで議論するほどの知識がない。
主目的は平和なスレを荒らすこと。
平日休日を問わず、2ちゃんねるに常駐している。 >>522
いやだから中国の城壁は土かレンガで朝鮮や日本みたいに石造りのものはないんだが・・・ 石板の組積造は、隋代の安済橋)(河北省趙県、605〜617)のような、当時の世界における先進的なアーチ橋の技術をも開発した。
地上の・石造建築としては、墓前に建てられた門闕があり、河南・四川省などに漢代の遺構が残る。
「万里の長城」p94-96 長城小站編著 馮暁佳訳 恒文社 2008年11月25日
明代には石積みの長城も建設。 そりゃ探せば少数はあると思うけど北京や南京の城壁も山海関や八達嶺長城もレンガ造だし
逆に考えると中国以外の国では何で石造が一般的なんだろう
レンガなら石切り場から運ぶ手間も省けて運搬も容易だと思うんだが、そんなに作成が難しいものなのかね だから中国の城壁は土かレンガで朝鮮や日本みたいに石造りのものはない
中国に石造りのものはない
中国に石造りのものはない
中国に石造りのものはない 春秋戦国時代だと斉長城や楚の方城、秦の長城も石積み
首都の城壁はいづれも版築だけど
城壁の工法とか軍事機密だから、そう簡単には同じものは作れなかったのでは >>530
石は意外と調達に苦労するからな。
戦国時代の城だって、石の調達に苦労して漬物石、挙句仏像まで徴発していたからな。 まぁそれは採掘技術や石工をどれだけ揃えれるかによるよね
東北地方とか石垣作りに適している花崗岩がわざわざ地面を掘らなくても地表に露出してるぐらい豊富なのに
江戸時代に入ってもほとんど土塁の城ばかり >>590
煉瓦でネックになるのは燃料じゃないの。
中国の長城のように周辺の森林を薪にしてまるっと伐採した方が見通しが利いて便利とか、
あるいは石炭泥炭がそこらに豊富にあるってんでもなけりゃ、小国ほど木材資源を無駄には
できんでしょ。 >>525
んで、明石城の再建計画って進んでいるの?
神戸新聞とかだと地味に進捗情報がありそうだけど、地元民はここにいるのかな。 あ、明石じゃなくて尼崎だわw
尼崎城は結局どうなったんだろう。 >>534
それだと日本が平安時代から刀剣や銅器輸出国だったことの説明がつかない気が
レンガの焼成と製鉄製銅とどちらが木材を多く消費するのかよく知らないけど 磯田道史「近世大名家臣団の社会構造」を読んでるが、上士の下士に対する切り捨て御免特権とか土下座の強要とか着れる服が決まってるとか・・・・萎えた。幻滅した。そら福沢諭吉もキレるよな。
城もどうでもよくなってきた。
武士そのもの、武家社会そのものが嫌になった。 いや、身分制とか封建制とか基本的にそういうものだろ
逆にどんな思い入れを抱いてたのか知りたい。 >>529
西アジアtか乾燥地帯では日干しレンガの城壁は割りと一般的だとおもう。やっぱり燃料がネックなのでは? そのバカはどういうレンガが使われているのかも知らないんだよ、多分。 >>541
な?ジャップだろ
愚にもつかぬ縛りを作って上下関係を見えるようにする
そこにはめ込まれた人間は逆らいもせず唯々諾々と従う
現代の社畜と構図が一緒
最高にジャップ
劣等民族ジャップ
ジャップジャップクソジャップ
占領軍様に統治してもらえないと人並みの国家体制も作れない精神年齢12歳児ジャップ >>544
日干し煉瓦は燃料いらないし、所詮土の塊なので多雨地域ではすぐに崩れる あとレンガ造は地震に弱い
バム要塞も震度5で倒壊したし
イタリアみたいに地震多発地域でもレンガ造りの建築が古代から一般的な地域もあるが
日本とは建築技術のレベルが違い過ぎる なにこの
よくわかんないけど、とりあえず、かきました
って小学生の自由研究っぽい駄文 今和次郎が書いてたけどヨーロッパの古民家と比べて日本の古民家は防火、耐久性に劣るのは当然として
地震にも弱いとか
世界有数の地震頻発地帯なのに耐震技術も低いとかなんなの そりゃ、民家くらいは、燃えたら建てる、潰れたら建てるで、この2千年やってんだもの。 磯田の本に書いてあった上士による下士差別だが、こういう精神構造が脈々と現在のバワハラいじめに続いているのかと思うと萎えるわ。 >>553
つうか城も礎石や瓦、石垣を使った常態的な建築が作らるようになったのは16世紀半ばの織豊城郭からだからな
それ以前の城は掘っ立て柱の茅葺
櫓や塀も敵が攻めてきた時だけ建てるもので、ずっとあるようなものじゃない
まぁ同じ日本でも沖縄は本土では鎌倉時代後期にあたる頃から礎石や石垣を使った城を作っていたけど >>563
ジャップってこんな貧弱なものしか作れないんだな
劣等民族ジャップw >>566
"corea",19cとか"korea",19cとかで画像検索すると、普通に市電とか建物とか美術品なんかの写真が多く出てくるみたいだね。
君の出したその画像検索結果って、どちらかというと日本のネットユーザーの民度の低さを示してるんじゃないの? 中世の城はほとんど建物もなければ人もいなくて普段は城下で生活していて
戦の時だけ立て籠るって常識かと思ったけど知らないニワカもいるんだな 平屋の屋並の写真で何を自慢したいんだか。
右手には藁葺き小屋がしっかり写ってるし。 日本の同時代の民家も平屋がほとんどなんですけど
明治まで葛飾とか江戸川区も藁ぶき屋根が並んでたし
例え首都でも郊外なんてそんなもの よくネトウヨがソウルとの比較画像としてあげるこの画像も実際は愛宕山から見た大名の下屋敷群である
http://mag.japaaan.com/wp-content/uploads/2014/12/edo-660x350.jpg
こんなの歴オタなら常識だろうが庶民のほとんどは板葺きの長屋に住んでいた
庶民がこんな屋敷に住めるわけないって
紫禁城を当時の一般的な中国の住居として挙げるぐらいの欺瞞 >>572
うんなこと言ったら日本も明治まで台東区もドヤ街が広がるエリアだったぞ
どんな国にもスラム住民はいるわけで
特にソウルは日本みたいに身分ごとに住む場所区分けされてるわけでもないので猶更 どこでも韓国を下げてればウケると思ってるネトウヨくん >>574
なんで台東区が出てくるのかわからんけど、
江戸城で言えば日本橋から半蔵門あたりでしょ。 久々に帰ってきたっていうか常駐しているんだろうけど
中世日本の城は掘っ立て小屋君と
朝鮮の石垣技術はせかいいち〜は同一人物だよなぁ
ネトウヨガーが何人も変わりばんこしているわけもなし
>韓国 甄萱城 10世紀前半
朝鮮の城壁が石を垂直に積み上げる手法だったので、上から攻撃可能な日本の石垣に注目が集まった。
朝鮮国王・宣祖は北方の城郭改修で、倭城の築城法を知る者の派遣を指示したとされる。
その具体例が鏡城城(現在の北朝鮮・咸鏡北道)。
1615年に古い城郭を撤去、翌年に石垣を積み上げ改修した。
竹州山城(韓国・京畿道)は1604年の改修で、史料に「倭制」に倣ったとあり、石垣が残っている。 誰一人「ネトウヨ」なんて言ってなかったスレで「ネトウヨガー」連呼を始めた糖質低能も同一人物だよなあ? 誰一人「ネトウヨ」なんて言ってなかった
誰一人「ネトウヨ」なんて言ってなかった
誰一人「ネトウヨ」なんて言ってなかった
脊髄反射ワロタw 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) >>581
あまりに惨めすぎて、そういう無内容なレスしかできないの?
ていうかいい加減気づけよ、お前に反論してるのが一人だけってのがそもそもお前の妄想だから。俺の過去半月のレスは>>520、>>543、>>544、>>558、>>568、>>580ですべてだよ。 直前の書き込みも見えない奴に無知だのと言われてもなぁ…
それにアルファベット順だとkはjの次なのでイルボンの下風は嫌だと言っちゃう民族だよね↓使うの
corea
何時からこんな表記が一般化したのやら >>540はその「ネトウヨガー」ですね...たまげたなぁ コリアがcから始まる言語なんて珍しくもないんだが。
「Coreaと綴るのはJの下風に立つのを嫌う朝鮮人!」って・・・
病院行けよ あとこのスレには二度と帰ってくるなよ迷惑だから。 「倭城」って近世の城郭であって中世じゃないし
織豊城郭以前の城は石垣どころか明確な土塁も曲輪もないよ >織豊城郭以前の城は石垣どころか明確な土塁も曲輪もないよ
吉田城の石垣調査報告書なんか、分厚い城郭研究書には必ず引用されているのだが
もとより興味がないんだろうな、「出ていけ」と排除の論理が大好物な外国人が連投しているスレではw
日本sageだけが目的で日本史板に常駐しているんだろ、君 以前、どれが縦掘りか登城道かわからないなんて話が合ったけど
実際に目にすればわかると思うが中世の城郭とか明確な遺構がほんと何もない
日本城郭体系の縄張り図を妄信している人いるけど、あれも書いた人の感性次第だからな〜
堀なのか?道なのか?枯れ川なのか?曲輪も土塁もなければ整地されてないとこがほとんどで本当にこれ昔からあったのか具体的な形とかハッキリしないことが多い >>590
吉田城っていっぱいあるけど多分三河吉田城のことだと思うけど
池田輝政が入ってくるまで土塁の城だったって調査ではっきりしてるでしょ
つうか江戸時代に入っても土塁造りの城って結構あるよ
北関東や東北何て石垣ある方が珍しい 追記
西股総生は曲輪すべてが何らかの意味があるもので彼によると中国の兵法書やヨーロッパの戦術書の陣形図のように
巧妙に主郭を守るように出来ているらしい
でも本当に防衛を考えるなら小さな曲輪を無数に斜面に配置するとか、わざわざ進入路を作ってるようなもので
尾根上に兵がたくさん詰めれるような大きな曲輪をつくって斜面はすべて切岸にしたほうが合理的だし倭城は実際そうゆう構造をしている
まだ西股が必死こいて排撃してる藤木久志の戦国の城、避難民保護施設説のほうが説得力ある
ルイス・フロイスもそういう旨のことを書いてるし あの塹壕みたいなやつかな?
織豊城郭ではほとんど見かけない形式だから応仁の乱かすくなくとも中世にはあったと思う
あと中世の城ではよくあることなんだけど急こう配で這って進まないといけないような場所に巨大な土塁があったり
逆に緩かな所にはほとんど防御遺構がなかったりすることが多々ある
あれも何か意味があるのだろうか >>592
あぁ検索したらその「吉田城」がヒットしたのねw
その「吉田城」じゃないよ
つーか本当に専門書を読まずにドヤ顔してたんだな
>北関東や東北何て石垣ある方が珍しい
これも城郭本の定番ね
一冊ぐらい本を読もうよ
ちゃんと理由が書いてあるから じゃあ無知な俺に君の知見をどうぞ
少なくとも高石垣を作る技術を確立したのは織豊政権でそれ以前はなかったというのが現在(2017時点)の通説だけどな
これはシンポジウムで聞いた話だけど織豊城郭の形成に本当に穴太衆がどこまで影響していたか謎が多いらしいね
というのも織豊政権以前に穴太衆が組んだ石垣には勾配が内から このスレでは○○は駄目。
△△はとんでも。
XXは嘘つき。
というレッテル貼り大好き君が暴れているから、
どこの誰かは言えないけれど、「シンポで聞いた」だけでは、
どの程度信憑性があるのか判断しにくいね。 >>600
文明国と比較するのはやめてくれないか
卑怯だ 名古屋城天守閣、屋根の瓦は緑から「黒か茶」に
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20171222-OYT1T50027.html?from=tw
駿府城もそうだが最上階のみ銅瓦剥き出しなのは冠をイメージしているのかね
後、名古屋城天守の1・2階の間は当初設計では福井城のように屋根は無かったと思う >>596
それはお前じゃね?
まともに石垣をそろえた吉田城といえば三河吉田城しかないだろ
本当に室町時代に江戸時代みたいな立派な石垣や御殿を備えた城があったと思ってるの?
お前の地元にも戦国時代の城跡でも見て来いよ
そんなものが立てれるだけの敷地がないって一目でわかるから 「日本の城 知られざる築城の歴史と構造」 香川元太郎
どちらが城として優れているかはともかくとして、朝鮮式山城が、かなりの費用と労働力を用いて入念に
造られていることは確かである。
石垣一つにしても、その石垣がいまだに残されてるのは、じつは驚異と言える。
戦国時代の城にも、時々石垣が使われているが、現在ではかなり崩れているのが普通だ。
安土城の石垣でさえ、現在でこそ整備や復元がなされているが、一九五五(昭和三十)年頃までは、原形を留めないくらい
に崩壊していた。ところが、城の石垣は、それより九00年も古いのに、水門部分などが残されていた。
倉庫群にしても、二九ページに見られるように礎石や瓦を用いたもので、これも中世の城のほとんどが掘っ立て柱、板葺や
草葺の建築だったことを思えば、驚くべき手間のかけようである。
「戦国山城を攻略する キャッスリング入門」 森本基嗣
いづれにしても、石垣は部分的にしか使用されず、土塁の
土止めや虎口(郭の出入り口)の一部分に付設される程度の技術しかなく、天然の断崖あるいは人
手を加えて急峻に仕上げた崖(切岸)の方がはるかに堅固であったようです。
また、防備面で尾根を切断する堀切や山の斜面を堅に区画する竪堀、建物も、礎石を用いた本格的
なものは稀で、大概は掘立柱を用いたものだったようです。無論、天守ようなものは存在してな
く、せいぜい物見櫓程度であったとのことです。 >>601
比較対象は朝鮮に限るとネトウヨルールで決まってるのにな
ブサヨの連中はルールを守れよ 韓国にしかマウント勝負を仕掛けられないクッソ情けないネトウヨ 吉田城といえば三河
他に何所があるのか検索しても分らない
日本sageが目的なので日本の城のことなんか知らない
朝鮮式山城は朝鮮人による朝鮮人の技術
九00年(←900年?)も完全に放置していたことが確実な(どこかにある)水門部分が残されている
比較対象は破却された安土城
数少ない朝鮮式山城?と数多く造られた中世の城を比較
都合の良いとこだけピックアップ
これが正しい比較考察w 半島の古代山城とか日本で言えば弥生古墳時代のものなのに何でネトウヨって1000年もあとの近世城郭と比較するの?
比べるなら同時代にすれば?
丸都山城と吉野ヶ里遺跡がほぼ同時代だぞ 城壁厨のガイドライン
ばればれの自演連投で、多数を装う。
=を多様するが、脳のキャパが極小なのですぐに混乱する。
自分を批判するレスはすべて同一人物によるものと断定する。
得意技は鸚鵡返しだが、意味不明な変更を加える。
基本的な日本語に不自由している。但し書きが理解できない。
前スレが900に達しないうちに次スレを立てて来たのに、間抜けなので後れをとる。
住人の意向に関係なく、勝手に間抜けなテンプレに変える。
嫌城壁厨という言葉を発明した。
住人に一方的に課した義務を自らは履行しない。
議論議論と連呼するが、専用スレで議論するほどの知識がない。
主目的は平和なスレを荒らすこと。
平日休日を問わず、2ちゃんねるに常駐している。 石垣や櫓を備えた本格的な近世城郭って築城にはどのくらいの経済力が必要だったんだろうか?大規模な中世城郭と比べても段違いに高価?だったのかな。
天正から元和までの短い期間とは言え、万石に欠けるくらいの国人領主の城でも近世城郭化してる例は結構あるみたいだよね。この↓備後相方城だって三千石程度の国人の城だけど結構ご立派。
https://i.imgur.com/O10oJOf.jpg
https://i.imgur.com/JNAP4mJ.jpg
https://i.imgur.com/q9us3wT.jpg
あの壮大な竹田城だってせいぜい二万石そこそこの大名の城だし。
日本もドイツみたいに、帝国騎士レベルの小領主の近世城郭遺構がうじゃうじゃ残ってたら面白かったのに。 >>612
石垣遺構は毛利の直轄城として整備された時代のものだそうだから
別に不思議はないでしょ。 竹田城も、秀長が縄張りしたものを秀吉の支援を受けて赤松広秀が完成ということだから、
赤松は但馬・播磨の境の拠点であり生野銀山をも管轄する豊臣の城の城番みたいな
立ち位置だったんじゃないのかね。 >>613
あ、そうなんや!
俺が見たサイトでは有地氏時代とか書いてあったから「三千石の国人がこんな立派な城?!」とちょっとびっくりしたんだけど、俺の早とちりなのね・・・ >>615
613ではないが、算木積みの石垣は毛利ではなく、福島治世下で築かれた可能性もある。
郷土史でも両説紹介している。 >>612
フランスでゲドロン城プロジェクトといのがあって当時の工法、当時の道具を使って材料も現地調達で中世の城を作るという試みなのだが
男女あわせて45人の労働力でも25年もあればこんな立派な城が作れるらしい
https://www.youtube.com/watch?v=MOsAXAwDJRc
ちなみに14世紀の神聖ローマ帝国では城壁がめぐらされた帝国自由都市が3000、帝国騎士の城塞は10000を数えたというのだから凄すぎる 岡本太郎をデスったり、石造を無条件にアゲたり…
例年世界史板では冬になると日本の建物をデスる奴が毎年何度も「日本の家は寒い」と書き込んでいたのに
数年前から全くみなくなったが、世界史板のように一面的なものの見方が如何に愚かか説明してやれば流れは変わるのだろうか、
それとも質問板の沖縄荒らしと同じキチガ…もとい偏執者には理屈は無駄なのだろうか。
そういやこの偏執者の登場時期は同じだよなぁ。
「みんな違ってみんないい」という言葉の対極だよな、この西洋マンセー。
「一人の思想、一人の言葉」にみんな従えというファシスト臭が臭杉。 朝鮮の次はマウントの対象をヨーロッパに切り替えたのか懲りないねぇ・・ネトウヨは
余計勝ち目ないだろうに
つうか岡本太郎って誰だよwwググったら城郭研究とは何の関係もない美術家の人やん 岡本太郎しらないのは逆に無知すぎなんだよなぁ... 世界史板で無条件日本マンセー朝鮮叩きなんてしてたら、ここより余計叩かれると思うけどね。
ここよりずっと左巻き多いし。
この前も漢帝国と弥生時代日本は同レベル。古代から日本は世界強国だったとかほざいてた馬鹿ウヨがもう叩き食らってたな。 >>620
ま、さすがに中高生くらいのお子様か日本人じゃないかだねぇ。 >>617
面白い試みだけど、教会ならともかく城に25年ってのは時間かけすぎだよなぁ。
でもまぁ、500人くらい動員できれば2〜3年でできるのかね? 江戸時代の250人/万石の軍役相当で
2万石の大名ならなんとか、って感じかね。 いいか、よく聞け。
本当に大切なのは日本人が誇りを持てる、愛国心を鼓舞する歴史を描かれるかということだ。
日本人ならわかるだろ?
重要なのは誇りの持てる歴史であって、史実だとか真実だとかどうでもいい。
日本人ならまずは国益を第一に考えよう。 >>624
ソレ、日本を韓国か朝鮮に置き換えれば、実にしっくりくる主張ではあるな。
いわゆる、歴史をコリエイトってヤツだけどなw 14世紀の沖縄の今帰仁城や首里城は敷地面積でも同時代の本土の土御門内裏や花の御所を大きくしのぐ総石垣造りの城だが
慶長年間の検地でも精々8万9000石程度ということを考えると三山時代にこのグスクを作った勢力は本土の中小国人とそう変わらない動員能力しか持たなかったはず
それでも本土とは隔絶した規模の築城を行っているのだから、経済力や動員能力ではなくて技術力如何だと思う あーそう、
じゃあブルンジでもスリナムでもガイアナでもレソトでも東ティモールでもブータンでも通るから無理に韓国を当てはめる必要なんて皆無だなw え、20万人もの娘達が強制連行・性奴隷にされたというのに何の抵抗をすることもなく
黙って見てたという誇らしい歴史を騙るのは韓国以外にないと思うが… >>626
沖縄は大陸渡りの技術もそれはあったろうけど、そもそも本島の1/3が琉球石灰岩という土地柄だから
建材として容易に入手しやすかったということがあるんでないの。 まぁ大規模な土木工事というのは、不労対策と為政者の施策の方向性次第だからね。
本土のサヨクは沖縄が如何に搾取されたかは声高に指摘するが、琉球政府が周辺諸島に
奴隷労働を強いたことや弾圧にふれることはない。
弱者に対する優しい視線とやらは何処いったっていう話。 >>629
そもそも日本自体が有数の石灰岩、花崗岩、玄武岩、安山岩の産地なんだよ
とくに山城は固い地盤が好まれることから、これらの岩盤の上に立てらていることが多い
そのため後世石切り場となって城の遺構のかなりが失われた城もあるんだが、そういった城に石材が使われているかというとそうでもない オランダみたいに陸地の3分の1が干拓地でろくな石切り場がなくて
海外からわざわざ石材を持ってきて城や教会作ってたしな 木曽山脈とか世界有数規模の花崗岩の塊だけどな
あと北上山地、筑波山地、八溝山地、阿武隈山地、朝日山地、飯豊山地もな ヨーロッパとか石材が露出してる地域がほとんどないから
地面深く掘り進んでまで採石してるけど
つうか東北に総石垣の城が少ないのは云々がいかに机上に空論かよくわかるな 石造の城を構築するには大量の石材が必要です。これを遠くから運送するとなるとそれだけで大変な労力とコストを要します。
ですので、多くの場合には、その土地に産するありとあらゆる石材が使用されているはずです。
場合によっては城を建てる敷地内に石切り場を設けてそこから切り出しています。
というか、適当な石材が採れることが城の立地条件の一つになっていたのではないでしょうか(例:Chinon城、Chateau de Coucy城、Chateau Gaillard城など)。
多くの場合には加工の比較的容易な石材である、hard chalk(硬質チョーク石)、flint(燧石)、lime stone(石灰岩)、sand stone(砂岩)ですが、
花崗岩のように加工が難しい硬石であっても適度の大きさの塊や玉石状になったものは使われています(北欧各地の中世の城)。
石の入手が困難な場所に建てられた城の場合にはどこからかそれを運んでこざるを得ないわけですが、例えば、
フランスのノルマンディー海岸にあるCaenの石灰岩(Caen stone と呼ばれる)は有名で、フランス国内の城や教会だけでなく、遠く英国まで運ばれて築城用にも使われています。
同様な石灰岩として、英国のコーンウォールで採れるbeer stoneがあります。 中世ヨーロッパも日本みたいに大小何百の封建領主の集まりで大した動員能力なんてないだろうに >>631
岩盤の上に築いている山城なんてのはごく一部だろ。
山城の大方は尾根筋を平削して曲輪を造り、掻き揚げ土塁、堀切、竪堀を巡らすのが普通だから、
岩盤が剥き出しのような山での普請は中小土豪では手に余りすぎる。 アイヌのチャシで岩盤を掘り下げて2〜3mのささやかな堀切を設けているところがあったけど、あれは大変な作業だったろうなあ・・ 江戸城だって天下普請の城だから
諸大名に伊豆から石材を運ばせられた
徳川が一大名だったら土塁の城だったろう >>640
いやむしろ違うってとこでがあるのなら教えてほしいわ
つうかお前は岩盤層と岩山の区別がついてないだろ
新城山城、東岩坂城、米ノ山城、大谷城、渋見城、備前富山城、豊前松山城、武蔵高松城、大除城、片山城
ああああああ〜もう上げたらきりがないから「城郭体系」でも読め
採石で崩されて縄張りの一部やあるいは完全消滅した城とか100とか200ってレベルじゃないからな
現在も違法採掘が続いて「城郭体系」通りじゃなくなってるとこも多い 中世江戸城なら千代田区まで入り江が入り込んでいたので
鎌倉石や房州石を海上輸送で搬入できただろ
凝灰岩なので加工コストも対してかからないし 勢力範囲とか意味わからん
お前の頭の中では中世日本はすべて地産地消の原始時代なのか?
刀剣や武具や衣服や紙や食器や農具もすべて領内で自前で揃えていたと思ってるの?
近場に石の産地があるんだからそこから買えばいいでしょ ゆとり世代の歴オタはゲーム脳が多いから戦国時代も年ガラ年中戦ってたわけではなくて普通に人々は国々を行き来してたって視点が抜けてるよね
磁器や木綿なんて16世紀半ばまでずっと海外からの輸入頼み >>643
オレサマ解釈の『岩盤』を語られてもなーw
ここの用語解説あたりが分かり易かろう。
ttp://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/yougo/A_kihon/kihon_ganban.htm
以下引用------
岩盤
安山岩や流紋岩などの火山岩、花崗岩などの深成岩および新第三紀以前の堆積岩
(新第三紀層、古第三紀層、中生層、古生層)が岩の状態で存在している地層を
岩盤と呼び、岩石や岩が総称的に用いられるのに対して岩盤はある広がりを持った
概念として用いられます。
一般に、平野は堆積物(土)に被われ、山地は風化土(土)に被われ、岩盤が
直接露出している個所は標高の高い山岳地帯、滝や急流沿い、崖地などに限られます。
これらのように岩盤が露出する箇所はいずれも侵食の激しい個所であり、
地表を被っていた土砂が侵食・崩壊によって失われている個所です。
平野や里山など、通常は岩盤が見当たらない個所でもその下位には岩盤が
広く分布しています。 643じゃないけどそれ全然反論になってないと思う
そもそも岩盤地層じゃない山ってないだろ >>649
>そもそも岩盤地層じゃない山ってないだろ
そうだよ。だから岩盤は遍く表土の下にある訳であって、>631で山城は岩盤の上に建てられていると
主張するのならば、それは露出した岩盤の上だということになるし、そうではなく表土に覆われている
岩盤ということであるなら、容易に採掘できるわけでもないので石材として使われてないのも当然という話。 極論すると埋め立て地に立てられた城でもない限りどの城も岩盤の上に建てられていると言えるよね ヨーロッパは氷河時代の名残りで表土が薄いから、岩盤まで掘り下げて基礎を置いてる城も多い、とか聞いたような気がするが・・・
日本の近世城郭は平城や平山城址公園が多いし、チョット無理そうだなあ >>646
近隣国が防備を固めるために石垣づくりの立派な城を築くことがわかっていて
石を供給するって随分おおらかな領主様だな きみの理屈だと領土に鉄鉱山がないところは武具もろくにないってことになるし
鉄砲も一瞬で全国に普及したことの説明がつかないよね
必要物資を自前ですべて用意できるのならともかく、手に入らないものは買うしかないのだから
領内に高く売れそうなものがあるのなら当然売るでしょ 関東での殺し合いに鉄砲が使われても、堺の商人は困らない
近隣同士の直接の利害関係を理解できないのか
簡単に買うと言うが数量や価格など完全に売り手市場だ 中世城郭好きとしては愛知県の古宮城が良い、と言ってみる。
縄張りの手ぬぐい欲しい。 >>657
鉄砲は全国津々浦々、堺の商人が売って広めたと思ってるの?
完全に買いて売りてが固定してる市場なんて存在しないんだけど欲しいものを買いたいなら自分も何かを売らないといけない
それがまだ理解できないの? 堺の商人に直接着て卸してもらうにしても必ず隣国は通るだろ
それともヘリから空輸でもしてたのかい? >>659
今川も北条も武田に塩を売らなかったから上杉が出て来る逸話があるのに
なにをほざいてるんだ?
金になっても売らないときは売らないものだ 今川や北条の塩留め伝説は江戸時代に入ってから出来たもので実際にはなかったというのが有力
だいたい今川や北条が禁止した所で越中から入って来るし、塩輸出停止した分の赤字はどこで補填するのって話
北条氏邦は実際に武田勝頼に対して塩止めを実施したことあるけど半年の期限を設けている
輸出がストップすれば当然自分もダメージ受けるし、これが限界だよね 金持ちじゃなきゃ軍隊も持てなければ戦争もできないでしょ
火縄銃やその弾丸の原料の鋳鉄や鉛も火薬に使う硝石もわざわざ南蛮貿易で手に入れてたんだよ 道灌の時代って領主権力はどこまで在地を掌握してたんだろうか?そんな商取引を根絶させるなんてこと強制できたのか?てのが一つと、
まだまだ中世的な広域権力がどっこい生き残ってたこの時代、そちらからも広域的な商取引を保護する力が働いてたりはしなかったんだろうか?
甲斐武田氏なんて最後まで「守護大名から脱皮できなかった」と主張する人もいるようだし、
軍を率いてじゃなくて私的な旅行として上洛する武将もちらほらいた事から考えても、
戦国時代ってものを「戦国大名が地域的公権力の独占に至った時代」と捉えることには抵抗があるなあ。 ある一方の領主が経済封鎖したところで、また別のルートを使うだけだろうな。
もし、その地域の権力者すべてに号令をかけて経済封鎖圏をつくれる広域権力とかそれこそ近世になるまで出てこない。
石山合戦でも毛利が兵糧の補給をするもんだから10年以上粘られたしな。 >>667
守護大名は云うまでも無いが、多くの戦国大名は直轄領が少ないんだよな。 中世が在地領主によって分断された社会なら京上夫とか公事を徴収できないでしょ
荘園もなくなったのは太閤検地からだからな 中世に石垣のある城がどれほどあったんだよ?
石だけあればできるものでもない それこそ六角観音寺城みたいな守護大名のような権力の大きいところしか石垣城は持てなかったよ。国人とかは無理。それもまだ加工技術も積み方も途上。 権力の大きい小さいとか関係ない
新田金山城を現在の形にした由良氏とか岐阜城の織田氏とか、それこそグスク時代の琉球なんてどれほどの力があったんだよ
問題なの技術力で石材の多寡だとか権力があっても作れる人がいないと意味ない 波賀城、唐沢山城、信濃霞城、長岩城、花尾城とか田舎の聞いたこともない豪族クラスの作った城のほうが
立派な石垣があるもんな
守護クラスの城はデカいだけで案外作りは大雑把な所が多い >>674
花尾城の麻生氏は、そこそこの国衆だと思うけど、一般的には無名なのかなぁ 対馬金田城とか668年の築城
国造軍が解体されたのが685年、庚寅年籍が完成して全国的な挑発が可能になったのが690年
時期的に考えると上県と下県の国造が部民を率いて対馬単独で作ったということに
古代の弱小豪族でも本気出せば近世城郭と遜色ないレベルの規模の築城もできるってことで それって国造が独力で築造したと断定していいんだろうか?
大和朝廷の大王に全国的な徴発の権限(国造その他を通してではあれ)があったこと、この時期の対馬の防備強化が大王の関心事であったことを考えると、ちょっと納得がいかないな 要地だからこそ大和の手が掛かっているんじゃないかと思うのは当たり前だと思うが
まだそこまで支配が及んでいないという証拠が出てくるなら別だけど 法制史と考古学の間では大分温度差があって、考古学者は朝鮮式山城は中央集権制がなければとうてい完成できないと
日本書紀の大化の改新の記述をナイーブに信じる傾向があるが、一方、「郡司制の成立 」など法制史側の研究を読むと
壬申の乱になっても、国造層の支持を集めたほうが勝つというヤマト王権時代と変わらぬ旧態依然の戦いをしているこを強調している
法制史的に考えると対馬のみならず全国の朝鮮式山城も神籠石もすべて豪族層の手によるもののはず
朝廷の人頭別広域支配はどんなに下らせても持統朝が下限だもの
>>678
古代国家を近代主権国家と同じものと考えてない? >>679
個別人頭支配の不在=全国的動員の不在、なのかなあ。
例えば律令国家の個別人頭支配は遅くとも10世紀頃には機能しなくなったわけだが、その後も一国平均役のような全国的賦課は続いてるわけだよね。 封建制のような重層的間接的支配だってかなり集権的になりうることは、マルクブロックあたりも書いてますよね >>680
>>681
荘園公領制を中央集権制と言ってる人はいないと思うけど
マルクブロックってヨーロッパの人でしょ
ヨーロッパはどうか知らんけど日本史では職の体系による重層的間接的支配が近世の中央集権制のはじまりとされていますけど 律令制以前の大和王権=守護、国造=国人みたいなものだと思えばよいよ
ただしヤマト王権に守護ほどの力はない
守護は大田文を通して土地別に税をかけることもできたけど大和王権は土地も把握できてない
当然一国平均役のようなことも不可能
重層的間接的支配すらろくに出来てない状態 律令制以前の大和王権=守護、国造=国人みたいなものだと思えばよいよ
ただしヤマト王権に守護ほどの力はない
守護は大田文を通して土地別に税をかけることもできたけど大和王権は土地も把握できてない
当然一国平均役のようなことも不可能
重層的間接的支配すらろくに出来てない状態 >>682
ん〜マルクブロックは余計だったな。もうけっこう酒が入ってるもんで失礼しましたw
>>680だけ読んでください。 いえいえ私も相当酒はいってる状態なので
要は律令制以前の大和王権は部族国家の寄せ集めという事です >>684
しかし、その程度の支配でも、はるばる朝鮮半島まで万単位の遠征軍を送ることができたわけですよね?まあ遠征と築城では事情が異なるかもしれないけど・・、 鉄資源は半東南部に依っていたのだから当時の日本の勢力全体の死活問題だったろうよ
ガリア戦争とかマルコマンニ戦争みたいに部族国家レベルでも利害関係が一致すれば数十万単位の軍勢が揃うとかよくある事 日本が鉄を確保する為に、朝鮮半島にどうしても勢力を維持しておかなければならなかったのです。
しかし、663年に白村江の戦いで破れると、日本は大陸での拠点と鉄鉱石の供給源を完全に失ってしまいました。
ところが、突然、ほぼ同じ時期に、出雲のあたりで砂鉄から鉄を取り出す方法が発明され
日本は急速に大陸進出の目的を失ってしまいました。
砂鉄から鉄を取り出す方法は、日本以外は行ってません 白村江の戦いのときは日本は一つに統一などされておらん
白村江で新羅が勝ったことにより九州倭國が畿内ヤマトにたいする反撃が始まったんだ
城めぐりの前に歴史の基本をおさえるように 歴史の基本を学んでいれば九州倭国なんてものは存在しなかったことわかるがな
当時の日本はソマリアやパキスタンのトライバルエリアみたいに様々な首長勢力が集まって一つの文化圏を構成しているだけで
国家単位のまとまりはまだない 築城時の費用って材料費ぐらいで、土木はタダというか税金免除みたいな感じ? 木年貢と言って杣人に貢納義務を科して取り立てるシステムなので材料費も領民の全額負担で基本はタダ
夫役も作手識をもつ作人の義務なので税金免除といった見返りはない
ただし富裕層は代納金を払うことで免除してもうらことも出来た
中世山城は掘っ立て柱、茅葺なので頻繁に建て替えないといけない
百姓側の負担は半端じゃなかったとおもわれる >>697
織豊期になると、日用も雇っていたみたいだよ。 日本の城の場合、奴隷を鞭打って酷使したとは考えにくいよな。 遠くから来る人には高く
近い人は安く払ってたみたいね 中世日本の徴税は基本的に田地が基準
雑公事といって夫役兵士役はもちろん紙や漆といった工芸品や金銀、牛馬や食料品、もしくはそれらの購入費用も田地をもとに徴発された
荘園領主や荘官は無一文でも結構贅沢な生活が出来たと思われる >>699
ミミヲキリ、ハナヲソギの「阿弖河荘上村百姓等言上状」を知らんのか?
しかも問題視されたのは地頭が取り過ぎて、荘園領主への材木負担がおくれていることで
百姓に対する体刑自体は取り沙汰されていない
兵役や貢進物の拒否した者を処刑した記録がママあるのでこれでもまだ生温いぐらい >>694
倭國とは九州北部のことなんだ、伊都国、奴国、邪馬台国しらんのか? 白村江の戦いの時代に伊都国、奴国、邪馬台国もないし
ヤマト王権も対外的には倭を自称してるし
百済救援軍には畿内や讃岐、陸奥国の人も加わっているが唐、新羅側史料では一括して倭と呼んでおり
九州北部オンリーとかそんなわけがない >>702
あれは奴隷だとは認識していないのではないかな?
昭和の時代のサラ金が、借金の取り立てで無茶苦茶をやる感覚
じゃないの? 今日新春一般参賀へ行ってきたけど、乾門まで初めて通ったわけだが良かったわ 乾門までは新年一般参賀でも歩けるんだよね
一方、途中で分かれる西桔橋から本丸へ上がる道は乾通りの通り抜けの時しか歩けない
これ豆ね >>708
じゃあついでに。西詰橋横(富士見櫓方面)の石垣だけが谷積みでランダムにデカイ石が混じってたんだけど、あれは明治維新以降の積み直しかな? >>710
蓮池堀の石垣?
よく知らんが、江戸城の石垣って関東大震災で崩壊したとこが結構あるって聞いたことがある
そこにあたるのかも 今調べてみた
関東大震災の時には、富士見多聞は外壁が剥落したけど倒壊はしてないようだし、
その下の石垣も震災後の修理工事の範囲からは外れているらしい
むしろ西桔橋の本丸側たもとが修理工事の範囲になってる >乾門までは新年一般参賀でも歩けるんだよね
TVでみるだけの地方民だが、自転車が通りかかるという光景をみたことがない
もしかして、自転車での通行は禁止? >>713
どこのこと聞いているのかよくわからんが、
乾門は直接道路に面してなくてすぐ外には大きな車まわしがあるから、そのせいかな?
車まわしは一般道路に面していて、ランナーも自転車も普通に走ってるよ
まあ、自転車は確かに少ないみたいだけと 城スレで、旅行の話をするなというのは、
刑事ドラマで出張話をするなと似たような響きがあるな。
刑事ドラマだって、あれは旅行マニア、列車マニアのトラベルガイドとして
作っているしな。 年末に武蔵野から町田の方に越してきたら、徒歩圏内に2ヶ所も中世の城跡があって驚いた。
武蔵野には江戸中期の新田開発ブームまでは歴史らしい歴史なんてなかったからなあ・・・ ま、江戸城にすら行ったことがない田舎在宅の嫉妬だろ、哀れ 江戸城とかありがたがって行ってるのは関東周辺の糞カッペぐらいだろ
都民にしてみればほんとただの公園 >>721
あー、都民と言っても千差万別ですけどね。 お上りさんの興奮した脳内では美化されてるかもしれないけど
天下人の城の割りには土塁が多いし、縄張りも単調で何もおもしろくない
石垣や規模だけなら大阪城や名護屋城、伊賀上野城の圧倒的に格上だし
縄張りなら姫路城、津山城のほうが技巧的で見どころが多い >>724
素晴らしい見識ありがとう。
君がバカなのは分かった。 >>719
正直、このスレだって
旅行ガイドブックとしてみている奴はたくさんいると思うぞ。 諏訪原城が「徳川の城」になると、名古屋城や篠山城に代表される
巨大馬出は徳川が創始したことになるのだろうか なんだ、ここは旅行板じゃないとか喚く割には、
真面目なネタ出してもダンマリかよ ま、常駐してるらしい旅行板云々クソはただのクレーマーだしな。 平野に平城なら分かるけど、篠山みたいな回りが山に囲まれてるのに敢えて平城にしたのはなぜ? 盆地は山に囲まれた平地、松本、甲府
会津若松は城のそばに山があったから、アームストロング砲でやられた >>735
近所の山では大き過ぎるから
手頃な大きさの丘を利用して築城したのが篠山城さ 敵が回りの山に陣取ったら平城じゃ不利ってことじゃないの >>744
篠山城の場合、援軍が来ることが前提の幕府による築城だから 篠山城は堅牢すぎて天守を建てちゃいかんって話、
それが本当なら天守台もいらないじゃないか 最初は建てる予定だったけど築城の途中で中止が決まったから。櫓はあったと思う 篠山城に天守が建てられていたら、どんな姿になっていただろうか? 篠山城址の古い写真には城址の入口に武家屋敷の藥医門が移築されていたけど、
今は無いところをみると老朽か何かの理由で解体処分したのだろうか・・・ 江戸時代に入ると天守の形も定型化しちゃってなんだかつまんないな
織豊時代の天守とか本当に独創的なものが多かったのに
金森長近時代の大野城とかこんな形だったらしいぜ
http://www.yomiuri.co.jp/chubu/photonews/article.html?id=20170827-OYTAI50008 >>754
独創性はさておき、よくこんな狭い
ところで生活できたな
見るからに息が詰まりそうだ >>755
・・・・と思ったけど、よく見たら
俺んちよりもものすごくデカい >>754
層塔型の方が安く速く大きく作れるし
モダニズム建築と言える 城普請が多過ぎる藤堂高虎が城を定型化したからね
大坂城包囲網を完成させるのに悠長なことは言っていられない >>755
天守+本丸御殿だからね、高山城も同じような構造じゃなかったけ >>758
層塔型は高虎ではなく、家康か中井正清当たりの発案だと思う
高虎の関与がない加納城御三階が移築だが破風有り層塔型だし 水戸城の大手門で瓦塀が発掘され
城門の脇で四つの瓦塀が見つかった
のは水戸城以外なく日本最大規模だ
そうだ!
やるな、水戸城! 玖島城に行ってきた。城壁と二層式の櫓のみだったが、石垣は立派で2万8000石の大名にしては不相応な城郭であった。 >>762
こっそり密貿易とかね。
米だけでみたら、あまり豊かな土地とは言えないからね。 川越城跡─初雁公園をどうするか、ようやく動き出したようですね。
本丸と八幡郭を復元する構想が頓挫し富士見櫓再建もいつの間にか立ち消えになり、大幅にトーンダウンしたスタートどうなることやら…
city.kawagoe.saitama.jp/shisei/seisakushisaku/fuzokukikan/kaiginokekka/toshi_seikatsukiban/koenseibi.html 近世城郭で、築城中に転封・改易を命じられた事例ってある? 上杉景勝は会津若松の近くに新しい本拠地の城を建設していたが、米沢移封で破脚になってなかったか >>763
密貿易とか豊かかどうかとか関係ないでしょ
近代みたいに労使契約を結んだ労働者に賃金を与えて働かせるわけでもないんだし
領民の犠牲を考えないのならいくらでも立派に出来るよ
人足を雇う場合でも夫銭は賦役を免除された百姓が払うのだから
領主側に何の負担もない 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
1V1JU >>767
それは少し違うと思うぞ。
独裁者のやりたい放題が通用した例は世界史を見てもごくわずかだと
おもうぞ。
普通はそれなりに給料なり、何らかの精神的な満足感を
あたえているぞ。
実際島原の乱だって、島原城を立派に作りすぎたのも
遠因になっているのだから。
中国の古典でも、あの身上であれだけ立派な城を作っていては、
中の人は大変だろうから、すぐに攻略できるぞと言って
攻略した話があるのだし。
それの現代版が今の北朝鮮だ。
スターリンだって、やりすぎで独ソ戦では危うく負けそうになったのだから。 夫役は基本的に無償労働だが
教科書にもそう書いてあるだろ
あんたが思う思わないが勝手だが同時代の連中はそれに甘んじていたのだから仕方がない
なんでキツイ労役でも耐えれたのかというと公民としての義務を果たすという「公民意識」に支えられていたのではと永原慶二は推測している
>スターリンだって、やりすぎで独ソ戦では危うく負けそうになったのだから。
まったく逆
あんな、ド田舎国家だったロシアをたった数十年でドイツをしのぐ工業化を成し遂げたのは集団農業化と飢餓輸出による圧制の賜物
大戦中のドイツ軍の死者のうち87%は独ソ戦によるものなんだが
たったソ連一国でここまでの戦果を挙げれたのも農民の犠牲を顧みなかったおかげだよ
北朝鮮も軍拡に勤めてるからアメリカも簡単に手出しできなくなってるわけで
でないとフセインみたいにとっくに寝首掻かれてるよ >>775
夫役と言ってもなぁ。
税金だ、ただ働きをしろと言っても食事や寝るところくらいはきちんと出していただろうしな。
今の派遣労働者は、駐車場代は出せ、食事代も出せ、データー装備費も出せ
挙句ノルマ営業でいらない商品を押し付けられる例もあるかと思うとな。 普請奉行 川合伸旺 遠藤太津朗 内田勝正 中田浩二 田中浩 >>776
黒田長政の場合は、年貢の減免、この村の子孫から犯罪者が出ても罪を赦してやる等の手形を出してる
後者は、後々犯罪者の部落となったとも言われる ブラタモリでやってたけど高野山では、食料は麓の農民が貢進していたそうで
昭和に入ってもなお、そういう風習があったそうだ。
当然、罰則なんてないので、農民たちが自発的に行っていたということになる
あまり過酷に扱うと逃散してしまうから、限度はあったろうが、労働基準も何もない時代なので
どの程度の労役を課すか、見返りは完全に領主の自由裁量だったろう。
江戸時代ならともかく、中世はいつ隣村との抗争になるかわからない、自力救済の時代なので
勢力のある家に労役を納めてケツ持ちになってもらうこと自体が、それなりの「報酬」になったのではないかと思う。 >>779
今のブラック企業の経営者みたいに、中世の領主はそんなに無茶は
できなかったのではないかな? 城攻めしてて、収穫時期などで攻城側が引き上げたら城側の勝ちになるの? トイレ掃除した後のペーパーは便器じゃなくてゴミ箱に捨てれば
トイレがつまんないの? >>781
中世はほとんど無法地帯で、村八分が実質上の死刑として機能していたような世界だからな。
逃散のハードルは近世より高かったのでは。
実際、中世は個人単位の逃散がほとんどなくて、荘官や名主クラスを指導者として推戴してる場合が多い。 いや…
黒田基樹氏の『百姓から見た戦国大名』には、それと真逆のことが書いてあるのだが
なんかソースあるの、ソレ 清水克行の「室町社会の騒擾と秩序」「喧嘩両成敗の誕生」読む限りそんな感じだけどな
つうか黒田基樹も室町時代が多数の隷農を従えた大規模家父長制によって成り立っていたことを否定してないと思うけど あぁ、『』と「」の使い分けができていないということは素人か…
じゃ学術用語の使い分けもできない罠
俺が言っているのは二行目ね
どう受け取って大規模家長制云々が返ってきたのか
ちょっと見当がつかないけど >>782
戦争は政治の延長線上との考え方によれば、
城を攻めて、落とせずに引き上げても必ずしも
攻撃側の敗北とはならないときもある。
単に取り囲んで脅すだけでも、政治的な勝利につなげることはできるから。
戦術論だけで行けば、攻撃したのだから落とさなければ敗北だとの考えになる。 磯田道史「歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ (中公新書)」を読んだ
伊賀者も色んな使われ方をされていて、徳川家康に仕えていた伊賀者は攻城の時に
城壁に取りつく・・・なんてこともさせられていたんだな
当然、死傷率高めで後で家康から鉄の板数十枚を貰ったそうだが・・・・・
ここで俺の疑問
1攻城の時に城壁に取りついてその後どうする?
2城壁に取りつけという命令は死ねという命令と変わらないと思うが、嬉々と従った?
3鉄の板は鉄砲の弾よけ、矢よけだろうけど、役に立つ? >>791
追記
疑問
4一番乗りを果たしたら他の武将から妬まれない? 「伊賀者のくせに!」みたいな。
そもそも忍びが一般武将をさしおいて一番乗りを果たしてもいいのだろうか? >>788
何言ってるか理解できないのなら速水融の本を読んだ方がいいよ
日本に何時から直系家族が成立したのか知ってたのなら疑問にすら思わない話 いや、それ。何の回答にもなってないし。
取り敢えず、会話が成立していないのに気づけよ。
一部のサンプル例から敷衍しているだけだと確認しても、俺に何のメリットがあるの?
そもそも、用語を適切に使用していないことが明らかな時点で議論にならないし、
完全にスレチだ罠。 何が言いたいのかさっぱりわからないが
負けたくないという熱い意思は伝わった来るな
>>785で書いたことは、黒田基樹と主張していること相反してないのだが
それを「真逆」だと思ったのは、お前が氏の著書をろくに理解できてないだろ
当時の家族形態を知っていれば常識的な話なのだけれども、わからないようならば速水融読んで勉強して来いよって話 頭悪そう
反論できないなら最初から噛み付いてこなければいいのに 20そこそこの男の子っぽいよね
論文でもない掲示板で「学術用語の使い分け」もクソもないだろうに
専門知のあるボクアピールしたいんだろうけど >>786
「百姓から見た戦国大名」に書かれてる世界って>>785の通りなんだけど・・・
奴隷も普通にいる階層社会で、常に女や食料をめぐっていて争っていたと第1章あるよな
それともお前の持ってる方には、戦国時代の農村は平等で自由で争いもないユートピアでしたとでも書いてあるんかい 戦国時代の農民は常に女と食い物に飢えてて、そのままだと殺し合いになるので
隣国に攻め入ってガス抜きさせたのが当時の合戦の実情ということになるな黒田の論だと
こんなお猿さんの群れの頭の中に戦術や戦略なんてないだろうし
食い物食えて女とやれれば、それで満足だったんじゃねえの そんな女と食い物の奪い合いのヒャッハーな世界で、どうして街道整備が進み
国を越えた物流網があったのかはスゲー謎だな。(・∀・) 五街道なんて古代以来廃れたまんまで再び復興するのは江戸時代に入ってからだがな 日本昔話の「物くさ太郎」には主人公が「女捕り」に出かける場面がサラッとあるよね >>803
国を超えて流通路や巡礼路があった中世の西欧や中東はよっぽど平和な社会だったんだろうな 徳川大坂城の縄張りに豊臣大坂城天主を色違いで建てるってしっくりこない >>804
釈迦に説法とは思うが、古代官道と近世の五街道は、全くの別物。
知らない人が、読むと勘違いしますよ。 >>808
竹田城の順位がたっけーなぁ
んならワシは利神城を推すぜ
石垣の崩壊具合がカッコいいわ 中世の流通網がらみの話なんだけど、教科書だと城下町は戦国時代からってことになってるけど、13世紀半ばにはすでにあったらしい。
http://bingo-history.net/archives/12743
>次に市との関係で考えて見ます。中世十三世紀半ば以降になると各地に、和市と呼ばれる私的な市が出現し、市には物資の集積流通を通して富が集積して行きその富を
>求めて様々な勢力が食指を伸ばし、
>自己の勢力下に置こうとします。
>この様な過程で市場内の有力者が地域豪族と被官関係を結び市の機能を守ろうとします。結果市場周辺に市の有力者、または豪族の館や城が築かれます。
>豪族たちにとって、この様な川筋を押さえ舟運を自己の勢力下に組み込むことは、最も重要なことであったと考えられる。
>この様な視点で考察すると県東部でも江の川流域を始め各地に川城とも呼べる山城が多く存在する。
こうした市は、戦いで分捕ってきた人やモノを売りさばいて発展して来た負の側面もあるわけだけどね。
一日市(ヒト市)なんてズバリな地名が今でも全国各地に残ってる。 >>804
近年は戦国後期にはもう街道・宿場のシステムが既に出来ていたという話になってるんだがな。
知識をキャッチアップしといた方がいいぞ。
こういうのな。
ttps://www.rekihaku.ac.jp/kenkyu/kenkyuusya/kojima/journey.html 見れないけど・・
古代官道クラスの全国規模で張り巡らされた道路とか江戸時代に入らないとさすがにないだろ >>814
すまん、そのままコピーしたつもりがなぜか脱字があったよ。
ttps://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/journey.html
で、別に元々古代官道の話をしてるわけじゃないんだが、あれ相当のは道幅も直線状の経路も
江戸時代になっても出来てないだろ。江戸時代の街道は戦国時代のものの延長上だし。 >>806
略奪された百人の花嫁ってミュージカルがあったなあ 「嫁かたぎ」とか戦後に入っても地方によっては現役であったからな
これとは逆に「婿かたぎ」もあった >>808
四国の城がひとつも入ってないとか納得できない 阪急交通調べだから、同社の人気旅行先ランキングっしょ。 誘拐されてそのまま嫁にされるってそんな理不尽な・・・
安心して出歩けないではないか 日常生活もままならない
男が拐われて肉奴隷にされたり奴隷にされたりする可能性もあるよな
男にとっても危険 実際、戦国の本を読んでいたらこの手の話は普通に
でてくるしな
男衾三郎絵詞もたいがいで遊行僧とかホームレスを捕まえて犬追物の
的にしてたって・・・・ そんな殺生な! ありえないくらいの超ぐうたらな奴が京都に行ったら急に働き者になるという
展開がよくわからん
その後、性欲がムクムクと沸き起こって公然わいせつ・痴漢・住居侵入・
器物損壊・・・・と非法の限りを尽くした挙句、行きずりの女を無理やり
嫁にすることに成功して、その後、長寿を全うしたってどんな話やねん!
中世人はそんなんで納得したんか 道徳律が違うから仕方ないね
自力救済世界における悪ってのは弱者のことだもの 「自由即死」と呼ばれた時代だからな
領主権力から一歩でも踏み出せばそこはもう力がすべての世界よ
男衾三郎も現代人の視点で見れば通り魔殺人鬼だが怪しい見かけない連中を所領から払って治安を守っているというそれなりの意義がある 山から樹木がなくなって武家社会・都市・農村はどう乗り切ったのだろうか?
↓
>899 名前:底名無し沼さん (ササクッテロ Sp0b-90cU)[] 投稿日:2018/02/16(金) 09:30:11.78 ID:G2qYi3CHp
>江戸時代も富嶽三十六景とかとまんまだったらしいな、燃料無いし建材も木しかないし
>幕末に撮られた写真でさえこれ
>http://i.imgur.com/YGl1vGO.jpg
>http://i.imgur.com/vVXvUmL.jpg
>905 名前:底名無し沼さん (ワッチョイ 57b5-qi38)[] 投稿日:2018/02/16(金) 13:34:50.64 ID:yBNVHXR20 [2/3]
>>>899
>戦国時代は近畿を中心に山はほとんど禿山になったらしい。
>石油も石炭もない時代だから、城作ったり武器の金属を製作するのに木材が大量に使われた。
>ここで農民出の秀吉は循環社会をよく把握していたから植林を行った。山がダメになると田畑もダメになることを知っていたから。
>吉野の杉の最古の物はその頃の植林なんだが、樹齢が400年以上もある。 また、このオッサンほとぼりが冷めた頃に出て来たな
この執着心の強さお前アスぺの気があるだろ?
はげ山だらけならフロイスやツンベルク、アレクサンダー・フォン・シーボルトが日本ほど
植生が豊かな国はないといった理由を教えてくれよ >戦国時代は近畿を中心に山はほとんど禿山になったらしい。
>らしい。
徳川林政史研究所『徳川の歴史再発見 森林の江戸学』? 2012/2/20
>河内では禿山三割・樹木地帯七割
ちなみにこの本、禿山ばかり教の信者は陸奥の一部地域だけをサンプル例として、
禿山ばかりの証拠として多用している。
同じ本に書かれてる都合の悪い記述は完全スルーw でも禿山は存在したじゃん
存在した場所は日本じゃん 「ほとんど」が抜けたねw
禿山が存在したかどうかが、城スレと何の関係が? >>829
>徳川林政史研究所『徳川の歴史再発見 森林の江戸学』
前に話題になったときに図書館で探してざっと読んでみたけど、最近のマスゴミ同様、
確かに禿山論者は自説に都合のいい部分だけ恣意的に取り上げているという印象しか
なかったな。 一昨年、私が話題にしたんだが、禿山に対する認識がバラバラと云う事も感じましたね。
農学部出身として、「えっ、草地=禿山なの?」みたいなね 丹沢の表尾根とか一時は河原みたいになってたけど、シカ避け柵と植林でだいぶ回復してきたね。
でもあれで展望がなくなっちゃうのは残念な気もしないでもない。 >>830
カモノハシは卵産むから哺乳類は卵生類みたいな生物覚えたての中学生レベルの屁理屈 金沢の西惣構の枡形復元だけど、部分的過ぎて微妙な仕上がりになりそう この枡形は用水がコの字型になってて馬出みたいな威圧感あっただろうな 三英傑 信長・秀吉・家康の銅像、名駅西側に設置検討
http://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20180306/5764161.html
名古屋は戦国武将にゆかりのある街の魅力をPRしようと、
織田信長ら三英傑の銅像を名古屋駅の西側に設置する方向で
検討を進めることになりました。 【広島】「尾道城」を解体へ、尾道に城下町の歴史はなく「誤った歴史を伝える」 1964年に建てられた天守閣のような建物★2
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1518921957/ 愛媛か香川にもそんな城なかったっけ?
復興天守建ててるけどほんとにそんな城あったのかほんとにそこにあったのかもわからない城 元寇のとき、なんで元軍はアホの一つ覚えのように博多に来たわけ?
弘安の役のときは石垣も築かれている
北九州ならどこでも良かったのでは? 小田原城のお堀の水を抜くそうな
3/11TXN系19:00より 千隻以上の大船団が入れる天然の良港というだけで限られるし、しかも後背地が平野で進撃しやすい。伊万里湾とかだと山岳部で封じ込められる恐れがある。 >>856
歴史上の上陸作戦って敵軍が待ち構えてるところに全勢力をあげて突撃!
・・・・みたいなのが多いし、「守るのも攻めるのもそこじゃないとダメ」という
ピンポイントの場所があるんだろうな
ノルマンディー上陸作戦とか沖縄とか硫黄島とか 相次ぐ“バックカントリー”事故 - NHK クローズアップ現代というサイトを見てたら
バックカントリースキーのエリアの図が小谷城のように見えた
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3610/images/03.jpg 敵対している小豪族同士の城って数百メートルしか離れていない場合もあるけど、いつも臨戦態勢だったの? 話の腰をおるが、天守や本丸御殿の解体の資料がないから
存在しないと言い切っていいものなのか? wikiの3名城のページ
姫路・大阪・名古屋が一番一般的みたいな書き方だけどそうなの?
姫路は鉄板というより候補の1つって感じだよなあ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%90%8D%E5%9F%8E 名城の定義がない
築城250年以上を経て、攻城戦で落城しなかった熊本城だけが名城と言えるかもな >>864
日本三〇〇といったら、三番目にご当地モノを入れるのがお約束 どうやら元々江戸城が入っていたけど
誰かがに姫路城に変えてそのまま残ってるみたいだな
ご当地城の押し合いだな
荻生徂徠の3名城を一番前に持ってきて
3大名城は候補として大阪・名古屋・熊本・姫路あたりを並べるのが無難だろうね >>864
天下人の居城として築かれた江戸・大坂を別格として
名古屋・熊本・姫路を三名城とするのが妥当 >>868
天下人の居城として築かれたのは豊臣秀吉の時代の大坂城で
いまある徳川が築いた大坂城は違うしな
それを言い出したら秀吉が天下人の城として築いたのは聚楽第や伏見城であって
大坂城はあくまでも豊臣のプライベート城だったともいわれている
(秀頼が天下人になれば大坂城が天下人の城だっただろうが) 名古屋城天守閣の木造復元はよいとして、
なんだよ金シャチ横丁って。
城内にいらんもの作るなよ。
名前からして下品でダサくてカッコ悪い。 二の丸の前にさ、
本丸の隅櫓・多聞・櫓門 復元してくれよ
本丸完全再現できたら名古屋まで行くよ 名古屋城は本丸大手馬出を復元しないから
まぬけな縄張りになってしまっている >>879
城内って言ったって、場所は義直ゾーン、宗春ゾーンともに官公庁街になっている三の丸だし、今まで周辺を含めて食事処がほとんど無かったんだから、それくらい勘弁してやれよ。 >>879,883
飲食ゾーンなのかw
ネーミングからは一杯ひっかける飲み屋横町のような。 < それはそれでおkだけど 姫路城に御殿がないのは画竜点睛を欠く
なんとか再建してほしい >>885
んじゃ備前丸を復原しよう
そうして城下からの天守群の眺めを遮ろうぜ 姫路城はあれだけ現存建物があるのだから現存路線
復原路線は取らないんだろう 姫路城は国宝&国の史跡&世界遺産なので
勝手に景観を変えちゃいけないんだよ
何の指定も受けていない観光目的の復元城と一緒にしてはいけない ああ 名古屋城な
税金使って観光施設を作るくせしてバリアフリー無視
忠実な復元だからいいんだとバカの大合唱 >>891
ああ 名古屋城な
後世に誇れる忠実な復元目指すくせしてそれをねじ曲げる障害者のバリヤフリー虫大量発生
税金だからいいんだとバカの大合唱 >>893
後世に誇れるも何も復元城じゃあ
将来にわたって国宝・重要文化財指定は無理だし
当時のものが残ってないと意味ないじゃん 今の名古屋城は地震に弱いから取り壊すというが、大規模な耐震補強をやれば良いのに
熊本城が今、大がかりに修繕しているように
木造御殿の勢いで木造天守の方が客を呼べると踏んだのかな
コンクリートのままの方がバリアフリーでも何でもできるだろうに 身の丈に合わないバカでかいものを作ると
将来に誇れるどころか将来の負債となるのにな
当たり前だがコンクリートよりも木造のほうが耐久性が低く
木の節が痛んだり腐ったりすれば適時修復交換していかないといけない
将来にわたる維持管理や修復工事にも金がかかる
国宝や重要文化財なら国から予算が付くが(それも抑え気味で
国宝城でもどこでも寄付金募集を大々的に宣伝している)
復元名古屋城はただの名古屋市民のおもちゃだし >>897
今の国宝城は約400年前に当時の最先端工法で建造
一方名古屋城は図や写真をもとに平成の工法で復元
100年後に平成の建造物から国宝を選ぶなら別の建物だわ >>896
>当たり前だがコンクリートよりも木造のほうが耐久性が低く
>木の節が痛んだり腐ったりすれば適時修復交換していかないといけない
いや、保守管理費用がかかるのは、現天守でも同じ。
近視眼的にはローコストかもしれないが、コンクリートの耐震補強や延命には限界がある上
に、現状文化庁がコンクリートによる再度の外観復元天守の建造は事実上認めないわけで。
(官僚答弁でうそぶいているが、資料が豊富な分つき返されるのが目に見えている。)
そこら辺を考え合わせなければ、フェアな議論じゃないよ。 >>884
現在、名古屋飯と土産物屋で構成。
基本、観光客向けの施設だからねぇ・・・。
ただ、今後海鮮ビアガーデンなども期間限定でオープン予定。 コンクリなら火事でも燃えず、地震でも倒壊せず
未来永劫保つと思っているバカがいるよなw 鉄筋コンクリート建築って木造建築のように
解体修理して傷んだ部材だけ取り替えることはできないから
解体した時点で歴史的価値はゼロになってしまうんだよね 金シャチ横丁とかいらんわ
名前からして町人っぽくて武家の殿堂にふさわしくない。 >>899
>>901
コンクリートよりも木造のほうが耐久性が低いという話をしていて
コンクリートは修復不用だといってないのに
コンクリートでも修復が必要なんじゃ、バカ!キーッ!
木造とコンクリートでどっちのほうが
修復費用が掛かるかなんて俺は計算できないんじゃ、キーッ!
木造ならどんなに巨額な費用が掛かっても名古屋市民が負担するんじゃ、キーッ!
それに木造なら100年後に名古屋市民の力で国宝にして
国民の税金じゃぶじゃぶ使って修復してやるんじゃ、キーッ!
といってる馬鹿がいるよな 今ある小ぶりなコンクリート製天守と
新造する徳川御三家時代の木造天守とではまったく修理費用が違う
そこを混同する名古屋市民
下手に国宝などになると(まずならないが)景観を変えちゃいけないので
あれもこれも復元しよう!となんでも復元テーマパークにしたい
名古屋人の好みには合わない
名古屋市民の税金で好きなだけ増築修復維持するのが望ましいだろう 内部がただの博物館のコンクリ天守閣より
まがい物でも木造復元の方が味がある。 大阪城内の第四師団司令部?の建物がオサレなレストランに変貌してワロタ
天守の真横にエレベーター設置、階段にスロープ設置orコンクリート道に改造でワロタ
いかに金を儲けるか 人を集めて金を落とさせるか それしか考えとらんわ 名古屋城天守を木造に建て替えてもエレベーターは設置してほしい 名古屋城
木造でエレベーター無し
コンクリートでエレベーター有り
どちらかにすれば良い 旧陸軍の兵営が置かれた城址
弘前 秋田 山形 盛岡 仙台 会津若松 水戸 宇都宮 東京 佐倉 甲府
松本 新発田 高田 富山 金沢 鯖江 敦賀 静岡 名古屋 岐阜 津
篠山 福知山 大阪 姫路 岡山 鳥取 松江 浜田 福山 広島 山口
徳島 高知 松山 丸亀 小倉 福岡 久留米 熊本 都城 鹿児島 師団司令部 城址のみ
近衛師団ー江戸城北の丸
2師団ー仙台 3師団ー名古屋 4師団ー大阪 5師団ー広島
6師団ー熊本 8師団ー弘前 9師団ー金沢 10師団ー姫路
12師団ー久留米 14師団ー宇都宮 >>915
富山城址には置かれてないよ。
県庁舎が維新後から城址にあって、神通川対岸の現富山大学キャンパスが
第69連隊とそれを軍縮で吸収した第35連隊の元兵営。 >>915
我が高槻城には工兵連隊(大隊?)が駐屯しとったんだが >>894
明治20年(1887)再建の大阪城本丸桜門は重要文化財に指定されてますが 混戦虐待デシタッケ薬害死刑スタッフ以外ニグループ100件以上介護保険税金泥棒殺ッテマス100森友ノロウイルス焼肉虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ死テルン盗難郡大報酬公害モヤシテ老害ケタチガイ違反重々ヤット麻薬王振戦山口炉ウドモ死ネ世嘔吐
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1442312377/ 近衛師団司令部ー北の丸
近衛歩兵1連隊ー北の丸
近衛歩兵2連隊ー北の丸
近衛歩兵3連隊ー赤坂
近衛歩兵4連隊ー青山
第1師団司令部ー本郷
歩兵1連隊ー六本木
歩兵3連隊ー麻布
陸軍省ー三宅坂
参謀本部ー市ヶ谷
憲兵司令部ー九段下 第4師団司令部ー大阪城本丸
歩兵8連隊ー法円坂
歩兵37連隊ー法円坂
歩兵61連隊ー和歌山城
騎兵4連隊ー真田山
野砲兵4連隊ー信太山 >>911-913
身体障害者に限れば家庭用に手すり?につけて車椅子で昇降
できる昇降機が有るけどあれじゃだめかなあ >>902
大阪城天守は登録有形文化財
名古屋テレビ塔も登録有形文化財に指定されてるけどね
因みに名古屋市役所庁舎と愛知県庁は国の重要文化財 >>923
現実的に、それで必要十分かどうかとは全く別に、
簡易昇降機じゃ許さん!完全勝利!!、ってのが
障碍者のごく一部なんだろう闘うグループの主張かと。 >>906
お前が一番馬鹿だろうが。
悔しかったら分かりやすい文を書け。 >>925
現天守閣でもエレベーターでは最上階まで登れないのに
、新天守には最上階までエレベーターを付けろと、デモ
行進をした奴らがいる。
その事が問題になったと聞いた事もないのに、建て替える
といった途端に、この手の奴らが出てくる。
結局、自分たちのエゴでしかないんだよ。
バリアフリーが重要な価値観なのは分かっているが、それが
全てにおいて優先する価値観では無い。
我慢するところは我慢しろ、と言いたくもなってくる。 第16師団司令部ー京都伏見(現・学校法人聖母女学院本館)
歩兵9連隊ー京都伏見(現・龍谷大学 京都府警察学校)
歩兵20連隊ー福知山
歩兵33連隊ー津 昔「河内連隊奮戦記」という漫画本あった
架空の河内連隊が満州やニューギニア戦線で戦う
昭和40年頃出版されたのを古本屋で買いました
知り合いに貸したまま返ってこない本
大阪城の師団司令部で参謀たちが芸者相手に酒盛りしている最中に
生きて帰れないニューギニアに送られる兵隊が乗り込んで将校を蹴飛ばして暴れる抱腹絶倒 バリアフリーでスロープや手すりつけてい いから大阪城の紀州御殿を復元してほしい。 そもそも和歌山城の御殿を大坂城に移築したのが訳がわからんよな
やはり天守も御殿も有った名古屋に対抗したのかな? 場合によっては天皇も来るから、それなりの格式がある建物が求められたのでしょう >>936
陸軍の偉いさんが、取り壊し予定だったのを惜しんで、譲り受けたらしい 和歌山城も福山城も耐震性がたりないとか
福山は築城400年の掻き入れ時まで時間がないから
現在のコンクリ天守を強化するようだけど
和歌山は木造再建でとの意見もあるらしい
さて、どうなるか 福山城は最上階の外見や裏側の鉄板張りを復元すべきだろう。 >>940
福山城の場合、先ずエアコン
窓も小さいので、夏はサウナ状態で、展示資料がかわいそうだよ 別にコンクリート天守でもかまわないが、
せめて内装は壁や柱や天井に化粧板を張って
木造チックにするくらいはやってほしい そういえば江戸城の富士見櫓は関東大震災で倒壊したあと、
内部をコンクリで再建したんだよな。 「本能寺の変」 ダンスメンバー、女性に傷害容疑
http://www.yomiuri.co.jp/national/20180501-OYT1T50140.html
「本能寺の変」をテーマにしたダンスで知られる2人組ユニット「エグスプロージョン」の
小原良夫容疑者(36)を書類送検した
小原容疑者は「おばらよしお」として活動し、「踊る授業シリーズ」として、
歴史をダンスと歌で表現しユーチューブで人気を集めた。 鳥取城の山の上の城には防空監視所があったな。
知らずにいったら判らないだろうけど、
天守台の下に残骸が転がってた。 ずっと勘違いしていたんだが、
吉田郡山城の麓の可愛川は、あの江の川で日本海側に流れているんだな…
瀬戸内海に注ぐ太田川の支流と思っていた 若干スレ違いだが、
ナチスドイツの高射砲搭も勝てば戦勝記念碑として飾り立てて
残すつもりだったみたいだな。
高射砲搭も城とみてみれば、史上最強だったのではないかな?
なにせ軍事的な手段では結局落とせずに、交渉によって降伏させたのだからな。 戦後、破壊しようとしたけど頑丈すぎてやってられないから、
そのまま放置か埋めて誤魔化すとかしたそうだから確かに最強クラスかもw 石山本願寺の攻防戦を城攻めとすれば、
レニングラードこそ史上最大の城攻めと言えるのでは
ないかな?
スターリングラードだと市街地の9割以上を取られたけど、
レニングラードの場合は包囲網をしっかりと築いて
その中に敵を寄せ付けなかったわけだから。 城壁厨のガイドライン
ばればれの自演連投で、多数を装う。
=を多様するが、脳のキャパが極小なのですぐに混乱する。
自分を批判するレスはすべて同一人物によるものと断定する。
得意技は鸚鵡返しだが、意味不明な変更を加える。
基本的な日本語に不自由している。但し書きが理解できない。
前スレが900に達しないうちに次スレを立てて来たのに、間抜けなので後れをとる。
住人の意向に関係なく、勝手に間抜けなテンプレに変える。
嫌城壁厨という言葉を発明した。
住人に一方的に課した義務を自らは履行しない。
議論議論と連呼するが、専用スレで議論するほどの知識がない。
主目的は平和なスレを荒らすこと。
平日休日を問わず、2ちゃんねるに常駐している。 話題の名古屋城だけど、あんだけの木材どこから調達するの?
もう準備しとかないといけない段階じゃない?
姫路城の解体修理ですら建材探しで中断したくらいなのに、今の地球上にあれだけの木材を一斉供給出来る場所ある?
サイトには予算や日時ばかりで建材については全く触れられていない。 竹中の技術提案書に調達可能と書いてあったと思う。
でも今後の神社仏閣の修築に影響出ちゃうだろうなあ。無垢で巨大建築に使えるレベルのヒノキなんてもう枯渇してる。 清水寺の住職は500年先の補修、立替を考えてて
必要な木材を植林してるってニュースで言ってたなあ 伊勢神宮も500年計画でヒノキ育ててるな。
昔、木曽のヒノキが枯渇した時、禁伐にして復活させたのが尾張藩なんだよなあ… 昭和の姫路城大修復のとき
特例で木曽の大木の使用許可がでたのに
運搬中にヘマして折ってしまいました でも、実は折れていないとしっかり建たないことがわかりました。 歴史的建造物の修復ならともかく、なんちゃって再建なんて集成材で十分じゃね? 戦前、旧江戸城北の丸の近衛連隊が
毎日、正午に歩兵砲で空砲を一発撃ち時間を知らせた
東京駅や上野駅までドンという砲声が轟いた
当時の官公庁は土曜日は業務を午前中で終えたため
半ドンという語源になっていた 松江城建築のときも月山富田城を解体して木材を使ったらしいし、そこらの自然に生えてる木では難しいのね >>971
同感だな。
当面は間伐材を利用した集成材で間に合わせて、解体修理ごとに
あらかじめ用意した、文化財保護の森から切り出したら良いと思う。 名古屋市も木造復元天守にエレベーターをつけろともめているけど、
まずは伊予大洲城で障碍者対策の装置を公募してみてはどうかな? >>975
陣城とかなら適当な木材で構わないと思うが、居城など恒久的に使う城だと
木材を暫く寝かせて乾燥させないと建てた後で歪むからすぐには使えないんじゃないかと >>978
病院、市役所にはエレベータも必要だが、わざわざ名古屋城に設置する必要があんのかな? 姫路城は一族で百万石近く、
家康の婿であった池田輝政であったから、
築城を許されたのかな?
あの場所であの規模、他の外様大名だったら許可されたかどうか 名古屋城天守は畳敷きらしいけど当時から畳敷きだったの?
離宮になってから敷かれたの? >>982
姫路城築城当時は、まだ大坂城に豊臣秀頼がいる
家康は関ケ原で東軍についた豊臣恩顧大名については寛大であり
池田はおろか秀吉親族の加藤や福島も加増されて大城建造を許してるからな
大坂の役で豊臣宗家が滅んで徳川将軍家の憂いがなくなると
池田は即、転封されて石高減らされてるし(加藤や福島は改易)
その後の姫路藩主は親藩、譜代ばかり
親藩の松平(奥平・越前)、譜代の本多・酒井など 未だ住めるんじゃないの?公開すると荒らされるし。白鷺連が。 >>980
マスコミが差別だって騒ぐからねw
最近宗教みたいになってきたよ 少子高齢化の昨今で年寄りが登れないとなると、人気ガタ落ちだろうね 付けた方が客は増えるし、最大多数の最大幸福も得られる このスレッドは1000を超えました。
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