♪邪馬台国ドンと来い!♪133 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
,..-─‐-..、
/.: : : : : : : .ヽ
R: : : :. : pq: :i}
|:.i} : : : :_{: :.レ′
ノr┴-<」: :j| <ソースを書きなさい!
/:r仁ニ= ノ:.ノ|! _
/:/ = /: :/ }! |〕) コツン
{;ハ__,イ: :f | /´
/ }rヘ ├--r─y/
/ r'‐-| ├-┴〆 _, 、_ '⌒ ☆
仁二ニ_‐-イ | | ∩`Д´)
| l i 厂  ̄ニニ¬ ノ ⊂ノ < ヤダヤダー!!
,ゝ、 \ \ __厂`ヽ (__ ̄) )
/ /\_i⌒ト、_ ノrr- } し'し′
└-' ̄. | |_二二._」」__ノ
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。
前スレ
♪邪馬台国ドンと来い!♪132[転載禁止]©2ch.net・
http://lavender.2ch.net/history/?v=pc#14 倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里 始度一海 千餘里 至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴 又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴 又渡一海 千餘里 至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺皆沉没取之 東南陸行 五百里 到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐 至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸 東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家 南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸 自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡 其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里 男子無大小 皆黥面文身 自古以來 其使詣中國 皆自稱大夫 夏后少康之子封於會稽 斷髪文身 以避蛟龍之害 今 倭水人好沉没捕魚蛤 文身亦以厭大魚水禽 後稍以為飾 諸國文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差 計其道里 當在會稽東治之東 其風俗不淫 男子皆露紒 以木緜招頭 其衣横幅 但結束相連略無縫 婦人被髪屈紒 作衣如單被 穿其中央貫頭衣之 種禾稻紵麻 蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與儋耳朱崖同 倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣 有屋室 父母兄弟卧息異處 以朱丹塗其身體 如中國用粉也 食飲用籩豆 手食 其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 擧家詣水中澡浴 以如練沐 其行來渡海詣中國 恒使一人不梳頭不去蟣蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人 名之為持衰 若行者吉善 共顧其生口財物 若有疾病遭暴害 便欲殺之 謂其持衰不謹 出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷 不知以為滋味 有獮猴黒雉 其俗 擧事行來 有所云為 輒灼骨而卜 以占吉凶 先告所卜 其辭如令龜法 視火坼占兆 見大人所敬 但搏手以當跪拝 其人寿考 或百年或八九十年 其俗国大人皆四五婦 下戸或二三婦 婦人不淫不妬忌 不盗竊少諍訟 其犯法 軽者没其妻子 重者没其門戸及宗族 尊卑各有差序足相臣服 自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史 王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯 下戸與大人相逢道路 逡巡入草 傳辭説事 或蹲或跪 兩手據地 為之恭敬 對應聲曰噫 比如然諾 其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑弥呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 自為王以来少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人 給飲食傳辭出入居處 宮室樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛 女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至 参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連 周旋可五千餘里 景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏将送詣京都 其年十二月 詔書報倭女王曰 制詔 親魏倭王卑弥呼 帶方太守劉夏遣使 送汝大夫難升米 次使都市牛利 奉汝所獻 男生口四人 女生口六人 班布二匹二丈以到 汝所在踰遠 乃遣使貢獻是汝之忠孝 我甚哀汝 今以汝為親魏倭王 假金印紫綬 装封付帶方太守假綬 汝其綏撫種人 勉為孝順 汝來使難升米 牛利 渉遠道路勤勞 今以難升米為率善中郎將 牛利為率善校尉 假銀印?綬 引見勞賜遣還 今以絳地交龍錦五匹 絳地縐粟罽十張 蒨絳五十匹 紺青五十匹 答汝所獻貢直 又特賜汝紺地句文錦三匹 細班華罽五張 白絹五十匹 金八兩 五尺刀二口 銅鏡百枚 真珠?丹各五十斤 皆装封付難升米牛利 還到録受 悉可以示汝國中人使知國家哀汝 故鄭重賜汝好物也 正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王 并齎詔 賜金帛錦罽刀鏡采物 倭王因使上表 答謝詔恩 其四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘等八人 上獻生口倭錦絳青縑緜衣帛布丹木拊短弓矢 掖邪狗等壱拝率善中郎將印綬 其八年太守王頎到官 倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状 遣塞曹掾史張政等 因齎詔書黄幢 拝假難升米 為檄告喩之 卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人 更立男王 國中不服 更相誅殺 當時殺千餘人 復立卑弥呼宗女壹與年十三為王 國中遂定 政等以檄告喩壹與 壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪拘等二十人 送政等還 因詣臺 獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雑錦二十匹 >>48
やぁ、貴殿は熊本かお?
ワイは熊本じゃないけど熊本好きだお。
幻の邪馬台国は熊本だお。 >>49
そうだそうだ。
阿蘇神社奥宮
阿蘇山上神社由緒記
本宮 当神社は元官幣大社阿蘇神社の奥宮なり。
御祭神 古来阿蘇神社(本宮)一の宮・二の宮・五の宮の三柱 の神の荒魂を祀る。いずれも阿蘇噴火口に鎮まれり。
北の御池(噴火口)一の宮 健磐龍命
中の御池(噴火口)二の宮 阿蘇都比当ス
南の御池(噴火口)五の宮 彦御子命の御神霊
由緒 社記に曰く、欽明天皇十四年三月(西暦五五二年) 阿蘇山火起って天に接す阿蘇宮の御三社を祀り社家 の内笠忠基をして奉仕せしむ。之を天宮祝と云う。
古来朝廷の尊崇篤く、国家有事の際には特使を派 して奉幣祈願が行われた。平安初期より、神霊池 (噴火口)に異変ある度に九州鎮守府太宰府より、 祈祷を厳修した事が史書に記載されている。
社殿 現在の社殿は昭和三十三年の大噴火により被害を 受け同年再建されたものである。
神域 阿蘇噴火口(神霊池)を中心として八丁四面とし て古来穢れを忌み、登山者は心身を清浄にして登拝 するを例とした。 >>50
邪馬台国と全然関係があるようには読めない。
熊本が狗奴国では何か不満なのか? なるほどなあ。
ヒミっていうお母さんの娘だから日御子かあ。
本宮ひろ志のまんがより 與止日女神社の祭神は世田姫(肥前国風土記)であり與止姫(肥前国風土記逸文)。世田姫は豊玉姫であり乙姫。これらの姫君は荒ぶる神である甕依姫が卑弥呼もしくはトヨの事だと思う。 淀姫のトーテムは鯰。健磐龍命の蹴破り神話で退治された大鯰が邪馬台国の人々の事。
神功皇后で都合よく書き換えられてる気がすんだよね。そもそも神功皇后は存在事態が怪しい ちなみに、
神功皇后は、
今、世界中に愛をワールドメイトの
植松愛子先生の前世です。
これは100%ガチです。 >>54
いろいろ習合されているよね。
壹與の存在の記録を神功皇后の妹で上書きして消し去ろうとしているのかな。
神功皇后の存在は万世一系説にとってはアキレス腱断定にら、実在していたと思うけど、いいように利用されているね。 後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
自らの事跡を誇るために海から見えるあの場所に陵を造らせたのではないか 後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
自らの事跡を誇るために海から見えるあの場所に陵を造らせたのではないか >>59
日本書記では卑弥呼は神功皇后だからなあ。
記紀は邪馬台国を知らないと思う。 ホムダワケノミコト(応神天皇)は気比大神イザサワケと名を交換すんだっけ。複雑やね 一冊だけ邪馬台国本読んだだけの素人だけど、これは学問というより空想の世界だなw
結局南へ水行10日陸行1月の記述のせいで邪馬台国の位置に関して論争があるようだが、単純にこれは先入観の問題で南は東の誤りで古代中国人の日本列島の
地理認識の誤解による先入観によるもので、陸行一月はおそらく夏場にきたから、台風シーズンで台風直撃で邪馬台国復興のために1月かかりその間中国からの使者は大阪湾近辺に留め置かれたと
考えればいい。先入観で普通に1月陸路で移動したと考えるから読み誤る。
と素人ながら思うがどうかね?やはり
こんなん空想の世界の話になるから不毛だな。 ぶっちゃけ邪馬台国の場所なんてどうでもいい。知識と想像力を鍛えるためにここにいる。
邪馬台国がわかれば次は高天原を目指すのじゃー! >>65
どんな本でも1冊に書かれた情報量には限界があるから
魏志倭人伝に書かれたことについて
出土されているものについて
魏志倭人伝以外の書物からの裏付けについて
記紀の記載されていることについて
などを知らないと思うので
邪馬台国について考えるつもりならもう少し本を読んで知識を得ないと考える根拠がないでしょう >>65
書いてある内容から推察すると
読んだというその一冊はあまりいい本ではなかったかもしれない
そんな入門者にはまず基本となる本を読むことをお勧めする
一例を挙げれば
『「邪馬台国」はなかった』 >>65
あなたのように新たに邪馬台国に興味を持つ人が増えたことは喜ばしい
でも南を東と考えれば解決と思っているともったいない
例えば邪馬台国の北岸は韓国に面していると記述されているが
それはどういうことなのだろうと考え出すちもっと楽しさが広がって行くよ 邪馬台国は190〜270年の九州北部二十数か国の国邑連合で
武力で国家を形成するほどの力は無く、世襲じゃないシャーマンの女王を共立。
この時、対馬貿易が有ったので、魏が使者を寄こして倭人伝に記録が残った。
これだけが、邪馬台国だろ。
魏使を返した二六六年以降、東国平定の畿内、出雲の併合勢力が進攻してきて
筑紫が管理下に入り、対馬航路に任那建立、百済新羅の開拓で高句麗馬を搬入。
この三〇〇年〜四〇〇年で朝廷は甲斐、上州、信州、関東に御牧を広げた。
これが、大和朝廷の基礎だよ。 邪馬台国は無くなったw
卑弥呼の墓は筑紫の君の墓の下にでもなってる。 >>72
>例えば邪馬台国の北岸は韓国に面していると記述されているが
ウソをつくな! >>73
狗古智卑狗と卑弥弓呼素はどこの誰だと思う? 「倭の北岸」は紛れもなく狗邪韓国。
倭人の勢力範囲の最北端がこの狗邪韓国=巨済(コジェ)島であったことは明らかなこと。
日本国は巨済島を歴史的に自国固有の領土であると宣言し実効支配でも何でもやるべきである。 邪馬台国は畿内で間違いないだろ。
これっていかにもって感じのオタクが
妄想でああだこうだ言ってるだけで。
結局倭国大乱が九州限定か西日本全体かで決まるが、高地集落性から西日本全体とみていいんだし、邪馬台国は畿内。
あとは65で書いた通り先入観でああだこうだオタクが論争してるだけ。 >>66
キレイに決まりましたね。
必殺「邪馬台国なんてどうでもいい」
頂きました。 >>80
会心の一撃出ちゃったか。
そりゃーすまんこ( ノД`) >>83
イヤ、まったく!!!!!
モモちゃんまだ来てる? >>84
モモちゃんとは誰だ、吉備桃太郎か(鼻ホジやな >>85
さすがサボタソ!!!
モモちゃんまだ来てるかしら?(鼻ホジ >>86
最近鼻ホジは来ないな、話に乗ってきてくれる数少ない1人だったのに >>87
そうか、、(´・ω・`)ショボーン
サボタソまじサンクス!!
おやすみンゴwww. 倭人が支配した新羅『新羅本紀』
紀元前50年 倭人達が兵を率いて辺境を侵
紀元前20年
瓠公という倭人、瓠を腰につって海を渡って来たために瓠公と称した。
諸王に仕えた重臣で。金氏王統の始祖となる金閼智を発見する。
新羅の3王統の始祖の全てに関わり新羅を建国した倭人である。
初代新羅王の赫居世居西干の朴姓も同じ瓠で同一人物。
後に倭人の四代目新羅王、脱解尼師今が新羅に着いた時に瓠公の家を継いだ。
この瓠公の屋敷が歴代新羅王の王城である月城。
新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。
朴氏初代の朴赫居世朴氏=瓠公は倭人であり。
金氏始祖の金閼智(第13代味鄒尼師今の7世祖)説話では、
鶏の鳴き声を聞いたので瓠公が調べると、金色の小箱なかから小さな男の子が現れた。
金の小箱に入っていたので「金」を姓とした。
新羅の王族3姓(朴・昔・金)の起源は倭人であり倭人が支配した。 邪馬台国はヤマトと読み、筑紫のこと。
都は伊都国。 俺、福岡に邪馬台国があったとは思えない。
外敵の侵入を防ぐのに、地理的に不向きだから。
阿蘇一択。 福岡市ではなく糸島市。
周りを山に囲まれ、小さな港が利用可能。
福岡との交通路は日向峠さえ抑えておけばいい。 >>94
糸島市、調べたけど、気のいい場所ですね。
でも、なんで福岡県なんだろうな?
熊本の方が、自然の要塞で国造りに適してると思うけどな?
まあ、元からそこが栄えてたんなら何も言うことないが… 文化的先進地が福岡だったのですよ。
熊本も狗奴国として卑弥呼と対立できるくらいだから、豊かな国だったのでしょう。 高祖山のクジフル岳から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に
「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故に、 此地は甚吉き地かな」
とあるように、韓国の正面に位置することができる。 >>96,97
なるほど、ちゃんと、福岡にあるべき理由があったんですね。
しかし、みんなちゃんと勉強してるなあ。
さすが学問板!! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています