邪馬台国纏向説

1日本@名無史さん2018/02/05(月) 12:44:33.40
破綻しました、、、、

2日本@名無史さん2018/02/05(月) 12:46:18.67
>>1
2013年が致命的だったね。。。

3日本@名無史さん2018/02/05(月) 12:56:20.01
基地害がまた嘘スレ立てたのかよ

4日本@名無史さん2018/02/05(月) 12:57:20.88
>>1は頭の病院に行った方がいい

5日本@名無史さん2018/02/05(月) 13:12:06.66
>>1
賛成します。

6日本@名無史さん2018/02/05(月) 13:16:44.62
>>1
私も同じ意見です。

7日本@名無史さん2018/02/05(月) 13:18:44.17
>>4こそ頭の病院に行った方がいい

8日本@名無史さん2018/02/05(月) 13:19:50.46
基地害は>>3だろうね。。。

9日本@名無史さん2018/02/05(月) 13:20:22.73
>>7>>8
賛成です、

10日本@名無史さん2018/02/05(月) 13:21:07.57
>>9
私も同じ意見です。

11日本@名無史さん2018/02/05(月) 14:11:46.59
論破された、頭のおかしいキナイコシが、畿内説が破綻した腹いせに、マルチで荒らしているね。。。

12日本@名無史さん2018/02/05(月) 14:24:21.93
岡上、またこんなインチキスレ立てたのか

13日本@名無史さん2018/02/05(月) 14:47:57.35
>>1
5年経ちましたね、、、

14日本@名無史さん2018/02/05(月) 14:53:37.59
邪馬台国纏向説とは、大和朝廷が東遷して、纏向に邪馬台国を作成したという説ですね。。。

15日本@名無史さん2018/02/05(月) 14:55:14.83
>>14
その通りです、、、
しかし、5年前の大規模調査で、完全に破綻してしまいました。。。

16日本@名無史さん2018/02/05(月) 19:07:10.85
邪馬台国鹿児島
https://ncode.syosetu.com/n2362di/

天照から神代三代は鹿児島

答え書いてた

種子島が侏儒国であると比定される動きが、一部に出ている。
これは、種子島から発掘 された弥生期から古墳時代にかけての人骨の調査結果で、
「極端な」短頭、低頭、低 身長特徴を持ち、魏志倭人伝に記述されている侏儒國の人類学的特徴と一致していると の見解による。
この特徴は同時期の人骨が発見されている沖縄や九州、
本州などには 見られない特徴で「小人並」の成人の人骨は種子島だけにしか見られないとのことである。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)

17日本@名無史さん2018/02/05(月) 22:54:52.21
基地外による乱立スレ晒し上げ

18日本@名無史さん2018/02/06(火) 02:15:39.42
キチ>>1晒し上げ

19日本@名無史さん2018/02/06(火) 08:37:19.37
今日も、優れた考古学者たちに、キナイコシが、偽の畿内説スレッドで、畿内説を鮮やかに論破されているね。。。。
そして、今、論破されたキナイコシは『ボーボボ』 と、意味不明な呟きをするしかないようだね、、、

20日本@名無史さん2018/02/06(火) 09:01:43.53
幻覚が見えているようでつね

21日本@名無史さん2018/02/06(火) 12:49:12.37
>>19
キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。

22日本@名無史さん2018/02/06(火) 15:07:55.54
>>21
そうだろうね、、、2013年が致命的だった。。。

23日本@名無史さん2018/02/06(火) 20:24:45.38
2013年に何があったか明らかにできない妄想嘘つき>>1

24日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:56:56.04
キチ>>1晒し上げ

25日本@名無史さん2018/02/08(木) 02:40:24.22
スレ乱立犯晒し上げ

26日本@名無史さん2018/02/08(木) 08:24:07.85
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。

魏略逸文
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif

27日本@名無史さん2018/02/08(木) 09:16:45.83
真夜中にキナイコシが、複数のスレッドで一人で呟いているね。。。。



516日本@名無史さん2018/02/08(木) 02:29:53.59
このスレにも、いたような気がする

・さすが天皇だな、自分だけは助かろうと

とか、本当に嫌っている人々がいるのかな

25 名前:日本@名無史さん 2018/02/08(木) 02:40:24.22
スレ乱立犯晒し上げ

28日本@名無史さん2018/02/08(木) 13:25:45.14
スレ乱立犯晒し下げ

29日本@名無史さん2018/02/08(木) 14:31:58.75
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
キナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、

30日本@名無史さん2018/02/08(木) 15:21:48.66
九州説が追い詰められて
こんなスレをでっち上げて
ひとり虚しくウソをついて暴れている

31日本@名無史さん2018/02/08(木) 15:52:01.39
>>1
邪馬台国あまり興味がないが、関連スレ目立つので一言
魏志倭人伝だと邪馬台国は鉄器国家です
纏向周辺に鉄があった3世紀末には卑弥呼は死んでいる
纏向と卑弥呼は無関係だよ

3231を補足します2018/02/08(木) 15:55:25.72
卑弥呼の死が日本列島の鉄器分布を改革して、やっと近畿地方にも行き渡るようになったのでしょうね

33日本@名無史さん2018/02/08(木) 16:17:30.97
>>32
賛成

34日本@名無史さん2018/02/08(木) 16:39:20.64
謎の人物達が現れて、高度な話題で、キナイコシを追い詰めているな。。。

35日本@名無史さん2018/02/08(木) 19:46:05.03
また岡上がウソをついて暴れているな

36日本@名無史さん2018/02/09(金) 02:14:09.77
息を吐くように嘘をつく>>1晒し上げ

37日本@名無史さん2018/02/09(金) 08:51:22.63
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
キナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、

38日本@名無史さん2018/02/09(金) 09:14:58.31
追い詰められて焦って嘘をつきまくりの>>1

39日本@名無史さん2018/02/09(金) 11:25:19.88
キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。

40日本@名無史さん2018/02/09(金) 13:00:31.48
畿内説が破綻し、自論を論破されたキナイコシが、重複偽スレッドを乱立しているね。。。

41日本@名無史さん2018/02/10(土) 07:56:22.00
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
畿内説が破綻し、自論を論破されたキナイコシが、焦って重複偽スレッドを乱立しているね。。。

42日本@名無史さん2018/02/10(土) 08:05:06.29
自論を論破されたキナイコシは、発狂してしまったね、、、、

43日本@名無史さん2018/02/10(土) 08:41:54.63
今日も、優れた考古学者たちに、キナイコシが、偽の畿内説スレッドで、鮮やかに論破されているね、、、

44日本@名無史さん2018/02/10(土) 23:25:19.75
そうだろうね、、、2013年が致命的だった。。。

45日本@名無史さん2018/02/10(土) 23:27:39.69
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
キナイコシが、焦ってインターネットの偽の畿内説スレッドで暴れるだけになってしまったね、、、、

46日本@名無史さん2018/02/11(日) 00:45:53.80
基地外曝し上げ

47日本@名無史さん2018/02/11(日) 08:12:32.02
今日も、優れた考古学者たちに、キナイコシが、偽の畿内説スレッドで、鮮やかに論破されているね、、、

48日本@名無史さん2018/02/11(日) 08:35:39.23
ここはウソばかりつく異常者の乱立させた有害スレ
ウソが書いてある

49日本@名無史さん2018/02/11(日) 09:21:27.99
重複偽スレッドで、キナイコシは、里の長さのことでも鮮やかに論破されてしまっているね、、、

50日本@名無史さん2018/02/11(日) 09:22:45.99
あまり、レベルの高い話題ではないのではないのかな。。。

51日本@名無史さん2018/02/11(日) 09:23:33.36
僕たちの訳分では、魏志倭人伝の作者は、まず倭人の住む土地があって、それを倭地と書いたのだよね、、、

52日本@名無史さん2018/02/11(日) 09:26:57.86
そうだね、、、
そしてその中に倭国があって、さらにその中に、女王国や伊都国やマツラ国等がある。。。

53日本@名無史さん2018/02/11(日) 09:29:03.19
倭人のいる地域は、倭国の範囲を超えて広がっているのだったね。。。

54日本@名無史さん2018/02/11(日) 09:30:09.01
そうそう、12000里は、女王国の入り口までの距離だ。。。

55日本@名無史さん2018/02/11(日) 09:33:37.94
そして、女王国の入り口は伊都国と奴国の間にあるのだったね。。。

56日本@名無史さん2018/02/11(日) 09:39:10.73
そうだね、女王国の入り口は、帯方郡から水行二十日で到着したマツラ国から、熊本城までの陸行一月の途上だったね。。。

57日本@名無史さん2018/02/11(日) 09:42:06.23
だから、一里が何メートルかに関係なく、邪馬台国は九州にあることがはっきりしているのだったね。。。

58日本@名無史さん2018/02/11(日) 12:17:06.33
丸痴異常者独白スレ

59日本@名無史さん2018/02/12(月) 10:05:37.60
今日も、優れた考古学者たちに、畿内説のキナイコシが、偽の畿内説スレッドで、鮮やかに論破されているね、、、

60日本@名無史さん2018/02/12(月) 10:27:17.35
  狂人の独白は続く

61日本@名無史さん2018/02/12(月) 12:26:11.10
>>54
入り口までは七千里。

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。

62日本@名無史さん2018/02/12(月) 12:27:05.34
>>60
正解

63日本@名無史さん2018/02/12(月) 12:44:55.00
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、

64日本@名無史さん2018/02/12(月) 13:37:26.56
     ↑
今日も異常者が一人で暴れているな


どうして九州説は異常者ばかりなんだろう

65日本@名無史さん2018/02/12(月) 16:10:54.04
異常者が多いのではなくて、九州説を信奉し続けるためには、異常者であることが必須条件だということなのだろう

66日本@名無史さん2018/02/12(月) 16:20:21.35
こんなところに粘着する畿内説の方がおかしい。

67日本@名無史さん2018/02/12(月) 19:57:00.40
今日も、優れた考古学者たちに、畿内説のキナイコシが、偽の畿内説スレッドで、鮮やかに論破されているね、、、

68日本@名無史さん2018/02/12(月) 20:00:07.20
2013年が、致命的だった、、、、

69日本@名無史さん2018/02/12(月) 21:17:22.26
     ↑
今日もスレ立てた愚かな異常者が一人で暴れているな

70日本@名無史さん2018/02/12(月) 22:09:01.75
畿内説のキナイコシが、発狂してしまったね、、、、

71日本@名無史さん2018/02/12(月) 22:25:58.98
うんにゃ
畿内説は破綻したのは

畿内の同和地区と邪馬台国国の關係が解明しないからね

72日本@名無史さん2018/02/13(火) 08:30:11.15
今朝も、優れた考古学者たちに、畿内説のキナイコシが、偽の畿内説スレッドで、鮮やかに論破されているね、、、

73日本@名無史さん2018/02/13(火) 08:33:26.90
     ↑
今日もスレ立てたアホな異常者が一人丸痴で暴れているな

74日本@名無史さん2018/02/13(火) 08:40:42.64
自論を論破された畿内説のキナイコシが、悪口を呟くだけになっているね、、、

75日本@名無史さん2018/02/13(火) 08:44:03.40
>>1
邪馬台国纏向説とは何だろうか、、、

76日本@名無史さん2018/02/13(火) 08:48:02.73
>>75
奈良県に、鍵穴型の古墳が何個かつくられた纏向遺跡、という遺跡があります。。。。
邪馬台国纏向説は、その遺跡が邪馬台国だという説です、、、

77日本@名無史さん2018/02/13(火) 08:49:27.33
>>76
その説は、2013年に破綻してしまったのではないのかな、、、

78日本@名無史さん2018/02/13(火) 08:50:19.65
>>77
そうです。。。
もう5年経ちました。。。

79日本@名無史さん2018/02/13(火) 13:12:04.88
重複偽スレッドで、キナイコシは、東は南ではないことでも鮮やかに論破されてしまっているね、、、

80日本@名無史さん2018/02/13(火) 13:19:42.76
>>76
円墳ではないからダメだよ。

81日本@名無史さん2018/02/13(火) 14:04:51.65
纏向が卑弥呼と無関係なのは、3世紀前半の鉄製品がないというだけでも、致命的な証拠になります。
そして、もう1点指摘することができるのですが、同様に3世紀前半の硯がないということも大きいでしょうね。
魏志倭人伝では、卑弥呼は皇帝に上表文を送っていますからね。
硯は、鉄のように錆びたりしませんからね。

82日本@名無史さん2018/02/13(火) 14:32:17.00
箸墓古墳は主体部を発掘してないので
結論は出せないが、
周壕などの異物は4世紀以降のみである。

83日本@名無史さん2018/02/13(火) 14:55:19.29
>>82
異物じゃダメね

w

84日本@名無史さん2018/02/13(火) 14:58:55.72
箸墓古墳は主体部を発掘してないので
結論は出せないが、
周壕などの遺物は4世紀以降のみである。

85日本@名無史さん2018/02/13(火) 15:00:27.33
【邪馬台国はどんな国?】

「魏志倭人伝」−「倭人は兵器に矛を用いる」
―銅矛であれ鉄矛であれ、
矛が多量に出土しているのは北九州、奈良県は出土無し。

「魏志倭人伝」−魏への持参物、魏から女王への贈り物に多数の「絹織物」
−邪馬台国のあった弥生時代後期までの「絹」は、すべて九州からの出土。

「魏志倭人伝」−「倭人は鉄の鏃を用いる」
鉄は圧倒的に九州にある。
http://www.infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg

「魏志倭人伝」−「魏は卑弥呼に五尺刀二口を与えた」
−弥生時代の鉄刀、鉄剣は福岡県から92例出土、奈良県からは1例のみの出土。

三角縁神獣鏡は魏の鏡に非ず、卑弥呼の時代は「方格規矩四神鏡、内行花文鏡」
邪馬台国時代、古墳時代を通じて、福岡県から37面、奈良県からは、わずか2面。

その山に丹あり
弥生時代の奈良では、朱丹は二箇所で しか使用されていない。
福岡県では41箇所の遺跡で使用されている。

86日本@名無史さん2018/02/13(火) 15:15:50.93
纏向というより、畿内全体でみた場合でも、文字文化は博多湾岸を経由しなければいけませんが、3世紀後半になっても、土器の動きは、畿内から九州への一方通行です。
文字を伝えるのは物ではなく人ですが、畿内への人的資源の移動が証拠立てられないというのが、実情ですね。
西暦230年代、畿内に文字を理解できた文化があったことを証明出来ないことは、畿内説にとって、大きな痛手です。

87日本@名無史さん2018/02/13(火) 16:26:32.61
>>79
あまり、レベルの高い話題ではないのではないのかな。。。

88日本@名無史さん2018/02/13(火) 16:28:12.49
このただ一つの纏向説スレッドに、謎の人物達が現れて、高度な話題で、キナイコシを追い詰めているな。。。

89日本@名無史さん2018/02/13(火) 16:29:40.90
矛や鉄や文字の考古学が、邪馬台国の決め手になるのではないのかな。。。

90日本@名無史さん2018/02/14(水) 02:08:57.66
レベルの高い話題について行けないから、嘘をつきまくりのスレを乱立させまくりで荒らすしかない>>1

91日本@名無史さん2018/02/14(水) 08:27:50.16
今朝も、優れた考古学者たちに、畿内説のキナイコシが、偽の畿内説スレッドで、鮮やかに論破されているね、、、

92日本@名無史さん2018/02/14(水) 11:09:50.36
3世紀前半に、卑弥呼を共立した倭国が朝鮮半島に進出した最大の理由は、鉄でしょうね。
魏志倭人伝は東夷伝の一部ですが、東夷伝に倭人が弁韓に鉄を採りに来ているという記述があります。また、実際に、弥生時代を通して玄界灘近辺には鉄が溢れています。
公孫や曹魏との交流も、弁韓での、鉄の採掘を認めて貰うためであるとするのが、合理的です。
渡海という危険を冒して、鉄を獲得していたわけですから、女王の都の建設や警備に鉄器が使われていないとする理由はありませんね。理由があるならお示し願いたいです。
ところが、西暦230年代、卑弥呼が中国と交流を始めた頃、纏向には鉄が全くありません。仮に、ホケノが230年代(そんなことをいう学者さんは現在は皆無ですがね。)だとしても、それは鉄器が有力者の副葬品になるほどの希少品だったことの証拠になるだけです。
そして、大陸とやりとりするための文書作成の道具、硯もありませんしね。
纏向は、邪馬台国ではありませんよ。

9392です。2018/02/14(水) 11:43:56.94
不正確な書き方が、気になりますので、修文します。

弥生時代末期に、卑弥呼を共立した倭国が朝鮮半島に進出していた最大の理由は、鉄でしょうね。
魏志倭人伝は東夷伝の一部ですが、東夷伝に倭人が弁韓に鉄を採りに来ているという記述があります。また、実際に、弥生時代を通して玄界灘近辺には鉄が溢れています。
曹魏と(ひょっとしたら公孫とも)の交流も、弁韓での、鉄の採掘を認めて貰うためであるとするのが、合理的です。
渡海や他民族との軋轢という危険を冒して、鉄を獲得していたわけですから、女王の都の建設や警備に鉄器が使われていないとする理由はありませんね。合理的な理由があるならお示し願いたいです。
ところが、西暦230年代、卑弥呼が曹魏と交流を始めた頃、纏向には鉄が全くありません。仮に、ホケノが230年代(そんなことをいう学者さんは現在は皆無ですがね。)だとしても、それは鉄器が有力者の副葬品になるほどの希少品だったことの証拠になるだけです。
そして、大陸とやりとりするための文書作成の道具、硯もありませんしね。
纏向は、邪馬台国ではありませんよ。

94日本@名無史さん2018/02/14(水) 13:50:05.34
インチキスレになに書いてんの

馬鹿まるだし

95日本@名無史さん2018/02/14(水) 14:31:54.17
>>91
畿内説が破綻し、一方的に論破されてしまったキナイコシが、発狂してしまい、悪口しか言えなくなってしまったね。。。

96日本@名無史さん2018/02/14(水) 14:35:43.31
このただ一つの纏向説スレッドに、謎の人物が現れて、高度な話題で、キナイコシを追い詰めているな。。。
そういえば、熊本城の地下の、卑弥呼の遺跡には鉄も硯もあったのではないのかな。。。

97日本@名無史さん2018/02/14(水) 14:38:28.39
卑弥呼の生きていた時代の纏向には、鉄も硯もないのだね。。

98日本@名無史さん2018/02/14(水) 14:52:17.70
>>97
優れた考古学者達が指摘するように、矛や絹もないのではないのかな。。。。

99日本@名無史さん2018/02/14(水) 15:00:00.41
重複偽スレッドで、キナイコシは、「里=約100m」だということでも鮮やかに論破されてしまっているね、、、

100日本@名無史さん2018/02/14(水) 15:03:16.30
>>99
あまり、レベルの高い話題ではないのではないのかな。。。

101日本@名無史さん2018/02/14(水) 15:05:17.93
僕たちの訳分では、魏志倭人伝の作者は、まず倭人の住む土地があって、それを倭地と書いたのだよね、、、

102日本@名無史さん2018/02/14(水) 15:05:33.80
そうだね、、、
そしてその中に倭国があって、さらにその中に、女王国や伊都国やマツラ国等がある。。。

103日本@名無史さん2018/02/14(水) 15:05:50.77
倭人のいる地域は、倭国の範囲を超えて広がっているのだったね。。。

104日本@名無史さん2018/02/14(水) 15:06:10.08
そうそう、12000里は、女王国の入り口までの距離だ。。。

105日本@名無史さん2018/02/14(水) 15:07:02.56
そして、女王国の入り口は伊都国と奴国の間にあるのだったね。。。

106日本@名無史さん2018/02/14(水) 15:07:17.83
そうだね、女王国の入り口は、帯方郡から水行二十日で到着したマツラ国から、熊本城までの陸行一月の途上だったね。。。

107日本@名無史さん2018/02/14(水) 15:07:42.14
だから、一里が何メートルかに関係なく、邪馬台国は九州にあることがはっきりしているのだったね。。。

108日本@名無史さん2018/02/14(水) 16:03:38.08
弥生時代までの文字文化の痕跡はそう多くありません。
特に漢字は、大陸との交流でしか使いようがありませんからね。
周という文字が読める土器が出るくらいでも、話題になるくらいです。
福岡以外で、硯は出雲でも出土したようですが、熊本はどうだったでしょうか。
それとあと一言だけ。
帯方郡から水行二十日の地点は投馬國ではありませんか。
陸行一月の開始は水行十日の後ですよ。

109日本@名無史さん2018/02/14(水) 22:45:10.39
ガイキチ>>1晒し上げ

110日本@名無史さん2018/02/14(水) 23:20:52.05
女王国の入り口というか境界は、楽浪帯方から七千里ですよ。

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

111日本@名無史さん2018/02/15(木) 09:31:02.11
>>110
後漢書では博多湾付近に在った倭奴国が倭国の極南界
魏志倭人伝では狗奴国との境が倭国の南の端で
倭国の入り口というか境界は朝鮮半島南岸ですね。

112日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:32:01.45
>>111
そうですね。
狗邪韓国が女王の境界ですね。

113日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:38:37.00
ガイキチ>>1晒し下げ

114一介の古墳ファンです。2018/02/15(木) 11:42:29.30
古墳の年代について調べていると、どうしても邪馬台国論争の問題が絡んでしまいますね。卑弥呼の塚が弥生墳丘墓なのか古墳なのか、です。
古墳の年代にとって、纏向は重要な地域です。畿内や、列島規模でみても、古墳時代の原点であります。

115日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:43:14.12
しかし、西暦240年前後、纏向は無文字であり、無鉄です。
少なくとも、考古学的証拠は皆無です。
この文明発生前の地域が、鉄の産地を跨いで中国大陸と文字による交流が可能だったとするのは、不合理ですね。

116日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:44:25.73
3世紀全般や4世紀に視野に広げれば、卑弥呼の死後ということですが、舶来鏡や鉄器等の大陸の文物は入ってきているのだから、介在するものがいたようですが、直接的な相互交流の証拠には不十分です。

117日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:45:24.20
九州節ったら

ニセスレたてて馬鹿みたい

118日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:45:54.10
後漢書では倭の西北界が拘邪韓國ですね。
朝鮮半島には南西部に前方後円墳がありますね。畿内の影響があった最古の証拠でしょうね。
ただ、どんなに引き上げても、5世紀中葉のようです。
邪馬台国の時代に畿内の影響があった考古学的証拠になりません。

119日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:47:18.68
魏志倭人伝では、倭国は対馬以南です。倭人の地の領分で、官が置かれ統治されていた領分が倭国との認識のようですね。官が置かれていなかった朝鮮半島や、女王国の東に海を千里渡った領分は倭種の地です。

120日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:48:45.52
卑弥呼の前の男王のときや、倭国大乱後の卑弥呼の共立の当時、倭国は統一体だったのでしょう。
共立後、しばらくして狗奴国の卑弥弓呼素が反乱したのですね。

121日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:50:41.81
そして、魏国はそれ以降、再び台与を共立するまで、倭国を女王の属国と女王国と男王国=狗奴国の3グループに分けて認識していますね。女王国は一万二千里から、卑弥呼の宮が邪馬台国と考えるのが合理的です。(このあたりはスレの住人さんに同じような意見の方がいますね。)

122日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:57:46.43
 岡上の独白は続く

123日本@名無史さん2018/02/15(木) 12:30:16.01
>>115
魏に何回も朝貢したり使節を受け入れてるのに
無文字なんてことは有り得ないよな。

124日本@名無史さん2018/02/15(木) 12:39:12.30
【卑弥呼の王宮の候補】

・高祖宮
魏志に伊都国と記された糸島市にある。
糸島平野と福岡平野の間にあるクシフル山があり、福岡に通じる峠を日向峠と呼ぶことから、高祖宮は記紀にある筑紫の日向の高千穂宮に比定できる。
高千穂宮は天孫ニニギが八咫の鏡を伴って筑紫の王として即位した宮であり、神武天皇が東征に出発した宮でもある。
後にこの地に建設される怡土城、高祖城はクシフル山の山頂を含む中国式山城であり、高千穂宮の名にふさわしい。
糸島平野にある三雲南小路遺跡はニニギと木花咲耶姫の墓と伝えられる。
高祖宮の目の前の平原遺跡からは、ニニギ王家の家宝である神宝八咫の鏡が出土している。
伊都高祖宮こそ倭国の王都であり、平原遺跡は倭国女王卑弥呼が被葬者の最有力候補である。

・橿日宮
現在の香椎神宮。
卑弥呼の後継者となる筑紫の女王の一人として、景行天皇の時代に筑紫の梟帥の称号と八咫の鏡を持つ神夏磯姫(神橿日姫)がいて、その名からはおそらく橿日宮に住んでいたと思われる。
景行天皇の孫の仲哀天皇も橿日宮を拠点としており、代々の筑紫の王宮として用いられていたと考えられる。
魏志では不弥国に比定されることが多く、ここまでは距離が明記されているので郡使が往復したことは確実である。何のために往復したのかと言えば、卑弥呼に会いに行った可能性がある。

・高良宮
筑後一宮。高良大社や高良玉垂宮などからなる複合施設だが、後世の仏教との習合や神仏分離などの影響による。
近隣には卑弥呼もしくはそれに近い人物の墓と言われる祇園山古墳がある。
卑弥呼が筑後出身ならば、高良宮が元宮だったかもしれない。
郡使が滞在した伊都国までやや遠いのと、魏志倭人伝に該当する記事もないのが不利。
すると祇園山は壹與の墓か?

いずれの宮も聖地である山の西の麓にあり、王は太陽を背にして君臨したと考えられる。
これは倭国が太陽信仰をもとにした祭政一致体制であったためである。
その象徴となるのが王位の証である八咫の鏡などの内行花文鏡である。
平原遺跡に見られる鳥居や御柱などは、3世紀において神道が成立していたことを示す。
卑弥呼が用いたと記録された鬼道も、三種の神器や榊を用いた神道の儀式であったはずである。

125日本@名無史さん2018/02/15(木) 12:39:39.32
【壹與と與止日女】

肥前国一宮である與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町川上)があり、かつては河上神社と呼ばれていた。
その祭神は與止日女命(ヨドヒメ)といい、世田姫(ヨタヒメ)、淀姫(ヨドヒメ)、豊姫(ユタヒメ)とも呼ばれる。
與止日女神社を流れる佐嘉川は江戸時代の治水工事までは佐賀平野において筑後川に流入していた。
魏志に記された末盧国に比定される松浦にも淀姫神社(長崎県松浦市志佐町)があり、そこから松浦川を上った上流にも河上大明神こと淀姫神社という神社がある(佐賀県伊万里市大川)。
與止日女神社の末社は福岡県から熊本県、長崎県、対馬まで分布している。
後に淀姫神社は畿内にも勧請され、豊臣時代の淀川や淀姫の名前の由来でもある。
かつて豊前国一宮は今の宇佐八幡宮(大分県宇佐市)ではなく香春三山の香春宮(香春神社、福岡県田川郡)であったとされており、三の岳の祭神が豊比v命といい、同一人物の可能性がある。
この領域は邪馬壹国連合の一部であり、その主である與止日女命は卑弥呼の権威を受け継いだ壹與そのものだろう。
熊襲の由来が卑弥呼の敵であった肥後の狗奴国であれば、卑弥呼のいた筑後でも伊都国のあった筑前でも狗奴国のあった肥後でもなく、肥前から壹與が共立されることでバランスを取り、狗奴国が和解して倭国が統一されたと考えることができる。

この與止日女神社の西に大願寺廃寺跡(佐賀市大和町大字川上大願寺)という遺跡がある。
ここに熊襲の王であるクマソタケル、名をトロシカヤ(取石鹿文)という人物の墓が伝わる。
この地に伝わる伝承では、筑紫を根城としていたトロシカヤが筑紫の穴倉陣で小碓命に襲われて肥前川上に脱出してくる。
小碓命は船で肥前堀江、蠣久と追跡し、大願寺の山中でトロシカヤの宮の新築祝いに女装して潜入し、トロシカヤを暗殺する。
死の間際にトロシカヤはクマソタケルの名を返上してより小さな地域の王の名であるカワカミタケル(川上梟帥)と名を改め、小碓命にヤマトタケル(倭建命)の名を献上する。
ここで重要なのは熊襲がこの時代に筑紫を拠点に九州北部を治めていて、倭国の王家そのものと考えられる点である。
また、その本拠地は壹與と見られる人物の本拠地でもある。狗奴国として分裂していた肥国王統から女王壹與を迎えることで、倭国は安定を手に入れたのである。

126日本@名無史さん2018/02/15(木) 12:50:44.94
 
 
   岡上はニセスレつくりが好きだなあ
 
 

127日本@名無史さん2018/02/15(木) 12:58:12.69
 
  ここ、上げてる奴は荒しだな

 
 
 

128日本@名無史さん2018/02/15(木) 12:58:33.37
>>114
邪馬台国や狗奴国を比定するには、弥生後期集落遺跡の分布群で検討するべき。

もう、古墳や銅鏡や里程などでは不可。  @阿波

129日本@名無史さん2018/02/15(木) 12:58:39.26
共産革命の“役に立つ白痴”津田左右吉の大害毒
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2018/02/02/153406

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

「神武天皇から開化天皇までの記紀は嘘八百の歴史創作である」との津田史学を錦の御旗にする
井上光貞/直木孝次郎らの共産党系学者のプロパガンダ言説は、
「邪馬台国・九州説」と手に手に取り合って、荒唐無稽な歴史偽造を画策している。
いうまでもなく、大和朝廷は、紀元後250年の三世紀半ばまで、畿内の大和盆地には存在していなかったという、
これこそトンデモ“嘘八百の歴史創作”をするためである。

「邪馬台国・九州説」の根拠に真っ当なものは一つもない。例えば、人口わずか六千人規模の吉野ケ里遺跡(佐賀県)をもって、人口35万人以上の「邪馬台国」だと騒ぐのは、
「六千人」と「35万人以上」の区別がつかない幼児と変わらない。
『魏志倭人伝』には「邪馬台国は7万余戸」とある。鬼頭宏は、「一戸は10名で換算せよ」とするから(注3)、この場合は邪馬台国の人口は「70万人以上」となる。
多くの研究論文では「一戸5人」で計算しているので、これに従えば「7万戸以上×5人=35万人以上」となる。
人口「35万人以上」を擁する「くに 国」は、九州のどこにも煙すらない。

要するに、「邪馬台国・九州説」とは、次の荒唐無稽な馬鹿げた妄想に耽る歴史偽造屋の戯言なのだ。

『魏志倭人伝』を一読したとき、多少の教養があれば、それが特記する「卑弥呼」が、
第七代孝霊天皇の皇女「やまとととびももそひめのみこと」にそっくりだとすぐさま感じてこそ常識ある日本人。
「ももそひめのみこと」は、大和朝廷における神宮の斎宮であった。  
鉄を産出する吉備の国を制圧した第七代孝霊天皇が(180年頃に)造営した“ミニ都”纏向遺跡は、
天理市の柳本駅(鉄道・桜井線)の南あたりが北端ではないか。そして、この線より南側で田原本町に入った所に、孝霊天皇の御所と政庁が建立されていたと推定される。
仮にそうだとすれば、纏向の“ミニ都”は、三世紀初頭の日本では破格の大きさとなろう。

130日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:00:04.02
私のように、纏向遺跡を『古事記』や『日本書紀』の中に“発見”して、吉備の国を制圧してトテツモナイ富を得た孝霊天皇が“ミニ都”を造営したのかな、
その皇女「ももそひめのみこと」は神宮斎宮と摂政とを兼ねていたのだろうか、
魏の遣使は大阪湾までの大海用の船から大和川の河口で降り河川用舟艇に乗り換え、
両岸から大勢の日本人農夫が引くロープで牽引され大和川を遡行して、
「ももそひめのみこと」が祈祷する祭祀の都へと向かったのだろうか、などと想像する時、
纏向遺跡は生き生きと生命を得て千八百年間の時を超越し現在に飛び跳ねる。

131日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:03:38.11
>>123
パンピーが無文字なんだよ

132日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:07:12.03
 
 
  荒らしの立てたニセスレ

 
 

133日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:14:48.03
>>130
纏向遺跡は倭国(阿波)の豪族古墳造営の前線基地ですよ。 

纏向での役目が終わったので、佐紀盾列古墳群などへ解体移設されている。  @阿波

134日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:18:34.97
>>114
邪馬台国や狗奴国を比定するには、弥生後期集落遺跡の分布群で検討するべき。

もう、古墳や銅鏡や里程などでは不可。  @阿波

135日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:30:23.84
畿内説を論破されてしまったキナイコシの、スレッドへの、妨害が激しくなってきたね。。。。

136日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:32:51.15
畿内説を論破されてしまったキナイコシが、追い詰められて、発狂したのではないのかな、、

137日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:34:14.43
ただ一つの、この邪馬台国纏向説スレッドが、予想以上に盛況だね、、、

138日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:36:07.31
話題のレベルが高くて、畿内説を論破されてしまったキナイコシが、ついてこれないようだね。。。

139日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:45:18.87
イザナギが降臨した淤能碁呂島は能古島、イザナギが禊をしたのは小戸、そこに建てられたのが住吉。
福岡こそイザナギの都。
倭国の建国の地。

そしてその倭国の女王となったのが卑弥呼。

考古学的にも、3世紀以前の倭国の王墓は博多湾沿岸にしかない。
そして博多湾沿岸は稲作伝来の地、弥生文化発祥の地。
全ては博多湾沿岸から始まった。

140日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:45:36.75
三角縁神獣鏡の同型鏡を分析すると鏡径に大小があり、小さくなるほど文様が不鮮明になる。
これは母鏡から鋳型を作りできた子鏡をまた同じように鋳型にとって順次コピーしていったとみられる。
踏み返しされた三角縁神獣鏡の母鏡とみられるもっとも大きな径となるものが出土した古墳をみると、北九州と吉備に片寄っていることがわかる。
これは三角縁神獣鏡の流通の起点が畿内ではないことを示しており、たとえ下賜と仮定しても
北九州から畿内にもたらされた蓋然性が高く畿内説にとって非常に不利な結果となっている。

母鏡の出土例
>藤崎方形周溝墓
>天神森古墳
>原口古墳
>名島古墳
>香椎ヶ丘古墳

>以上福岡

>湯迫車塚古墳 岡山
>赤塚古墳 大分
>造山1号噴 島根
>椿井大塚山古墳 奈良

141日本@名無史さん2018/02/15(木) 14:34:42.23
このスレ立てた奴が独りで暴れてるな


あきらかに偏執狂だろ

142日本@名無史さん2018/02/15(木) 15:18:28.30
畿内説を論破されてしまったキナイコシが、このスレッドの話題のレベルが高すぎて、ついてこれないで、悔しさのあまり、おかしな言いがかりをつけているな。。。

143日本@名無史さん2018/02/15(木) 15:19:03.92
畿内説を論破されてしまったキナイコシが、三角縁神獣鏡の同型鏡を分析することは、無理なのだろうね、、、

144日本@名無史さん2018/02/15(木) 15:31:02.57
岡上が必死で荒らす

145日本@名無史さん2018/02/15(木) 15:35:17.96
いくら岡上がにくくても、これは別人だろう。
岡上は畿内説なのに無理押しをしないから、畿内説の主流派の根拠をことごとく否定してしまう。
まあ、畿内説は身内から見ても嘘つきの集まりということで。

146日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:32:51.16
>>145
岡上だろ
畿内説じゃないし

147日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:37:39.39
岡上だな

148日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:46:23.76
yata2016だよ

149日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:51:27.77
>>123
上表文は倭王印で封泥または押印されなければいけませんから、卑弥呼の膝元から送られていますね。邪馬台国に文字文化があったことは間違いありませんよ。

150日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:52:20.41
>>128
邪馬台国や狗奴国を比定することには、あまり興味がありませんね。
邪馬台国を弥生集落遺跡と考えた場合にも、最低でも文字文化は欠かせません。今のところは玄界灘沿岸以外だと、島根県か三重県ということになりますか。
山陽、畿内、四国は厳しいのではと思います。

151日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:53:17.90
東夷伝に朝鮮半島で倭人が鉄を入手したとありますが、鉄は貴重だから、再利用されて残っていないことも考えられますから、代わりに鉄文化とリンクしているものを見つければいいのです。
畿内の古墳との関連でならば、まず、割竹形木棺の伝播を考えるべきでしょうね。
ところが、畿内の古墳で、引き上げても250年とされるホケノの前の年代に割竹形木棺がないのです。(私には見つけられませんでした。)

152日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:53:58.85
それと、畿内は古墳時代の原点であることは、間違いありませんが、鉄器使用開始の指標となるホケノのこの割竹形木棺の墓制は、滋賀県野洲市が発祥なのです。少し遅れて平原1号、それから半世紀遅れで纏向へと伝播しています。

153日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:57:44.93
。。。

117 名前:岡上 ◆JN/67qb8kM Mail: 投稿日:2017/09/10(日) 20:27:43.84
なんか罵倒ばっかりですね。
世間では景初四年実在説のほうが有力ともおもいませんけど。。。


785 名前:日本@名無史さん Mail: 投稿日:2017/09/12(火) 09:57:28.01
>>683
仕方ないよ、、、、
あの2013年の調査以前から、国家に否定されているのだものね。。。
あれは、天皇の妹の墓なのだからね。。。


234 1 名前:岡上 ◆JN/67qb8kM Mail: 投稿日:2017/06/09(金) 23:37:22.40
今日は何か盛り下がってますねぇ。。。

まぁまともに考えてみたら、倭国大乱後の女王墓である平原が重要じゃないわけないですよね。

154日本@名無史さん2018/02/15(木) 17:12:47.37
>>152
割竹型木棺の製作に鉄器が必要ということでしょうか。
滋賀県は「畿内」というよりも、日本海航路による筑紫勢力の圏内であるように思います。

155日本@名無史さん2018/02/15(木) 17:14:04.33
>>150
>邪馬台国や狗奴国を比定することには、あまり興味がありませんね。

じゃあ、ここに来る意味はなにですか?  @阿波

156日本@名無史さん2018/02/15(木) 17:20:09.39
荒らし

157日本@名無史さん2018/02/15(木) 17:20:23.90
>>150
>邪馬台国を弥生集落遺跡と考えた場合にも、最低でも文字文化は欠かせません。

倭人に文字文化が有ったとは確認されていません。 

そんな、確認されていないものより、鉄鍛冶炉遺構や辰砂採掘遺跡ですね。  @阿波

158日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:16:07.10
>>114
邪馬台国や狗奴国を比定するには、弥生後期集落遺跡の分布群で検討するべき。

もう、古墳や銅鏡や里程などでは不可。  @阿波

159日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:35:18.00
あほ

俺様ルールかよ

160日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:42:09.88
まあ、魏志倭人伝にない前方後円墳を根拠にされても困るよな。
邪馬台国とは別にそのような集団がいたというだけだし。

161日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:45:36.03
無知は嫌ですねえ

162日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:46:14.28
その「俺様ルール」に対応できないのかな?  @阿波

163日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:53:28.05
>>159
その「俺様ルール」に対応できないのかな?  @阿波

164日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:54:53.84
どうせここ、荒らしの立てたエセスレだから

165日本@名無史さん2018/02/15(木) 19:59:43.29
>>114
邪馬台国や狗奴国を比定するには、弥生後期集落遺跡の分布群で検討するべき。

もう、古墳や銅鏡や里程などでは不可。  @阿波

166日本@名無史さん2018/02/15(木) 20:11:35.22
邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif

167日本@名無史さん2018/02/15(木) 20:14:08.13
邪馬台国と周辺国
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg

168日本@名無史さん2018/02/15(木) 20:53:38.84
>>166-167
九州の中の蛙 大海を知らず。  @阿波

169日本@名無史さん2018/02/16(金) 01:46:40.52
狂人>>1晒し上げ

170日本@名無史さん2018/02/16(金) 07:19:09.23
2013年が致命的だったね。。。

171日本@名無史さん2018/02/16(金) 18:11:58.17
割竹型木棺の製作に鉄器が必要かどうかは、断定しきれませんね。
丸木でのカヌーは石器でもつくっていますしね。
ただ、死期を予測して作ったり、在庫を常に確保していたとするのは、弥生の感覚にとっても、縁起が悪いのではないでしょうか。
死の直後に数日で作らなかったのだとしたら、鉄器は必要でしょうね。
あと、鉄入手のルートのこともありますが、丸木でのカヌー作りと作業が酷似しているから、おっしゃる通り、日本海航路に早くから進出していた勢力が関わっているでしょうね。
2世紀までに若狭や敦賀から琵琶湖岸に達していた勢力があったと思います。

172日本@名無史さん2018/02/16(金) 18:13:40.04
割竹型木棺の製作に鉄器が必要かどうかは、断定しきれませんね。
丸木でのカヌーは石器でもつくっていますしね。
ただ、死期を予測して作ったり、在庫を常に確保していたとするのは、弥生の感覚にとっても、縁起が悪いのではないでしょうか。
死の直後に数日で作ったのだとしたら、鉄器は必要でしょうね。
あと、鉄入手のルートのこともありますが、丸木でのカヌー作りと作業が酷似しているから、おっしゃる通り、日本海航路に早くから進出していた勢力が関わっているでしょうね。
2世紀までに若狭や敦賀から琵琶湖岸に達していた勢力があったと思います。

173日本@名無史さん2018/02/16(金) 18:18:38.26
よく、勘違いされることですが、寿陵でもないかぎり、葬儀に該当する、セレモニーは棺の方が墳丘墓より、重要です。
現代でも同じことでしょう。
墳丘墓や古墳は、王権の継承者ための、継承セレモニーのアイテムです。

174日本@名無史さん2018/02/16(金) 18:20:59.46
だから、葬礼での種族の分類は、棺によって考えるべきですね。

175日本@名無史さん2018/02/16(金) 19:05:07.68
>>155
タイトルの纏向の語に反応しましたね。
古墳好きですからね。

176日本@名無史さん2018/02/16(金) 19:18:46.26
キナイコシの語源は何?どういう奴?


             見物人

177日本@名無史さん2018/02/17(土) 01:42:27.98
狂人>>1晒し上げ

178日本@名無史さん2018/02/17(土) 10:44:47.64
畿内説を論破されてしまったキナイコシの、スレッドへの、妨害が激しくなってきたね。。。。

179日本@名無史さん2018/02/17(土) 23:25:27.79
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1518118699
キチガイキナイコシはスレを使いきったら次を立てるという常識が通じない
だってキチガイだもんなw

180日本@名無史さん2018/02/18(日) 02:10:42.69
異常者>>1晒しage

181日本@名無史さん2018/02/18(日) 13:51:16.77
畿内説を論破されてしまったキナイコシの、スレッドへの、妨害が激しくなってきたね。。。。
2013年が、致命的だった、、、、

182日本@名無史さん2018/02/18(日) 16:08:30.24
嘘つき晒し上げ

183日本@名無史さん2018/02/18(日) 17:02:14.39
纏向遺跡自体は、西暦200年頃、誕生していますね。
纏向石塚が、210年頃の築造ですから、ある程度の人口集落があった証拠になります。
でも、鉄器が皆無の年代です。勿論、それ以降も文字については、3世紀全体を通しても、その痕跡はありませんから、邪馬台国とは無関係です。
そして、卑弥呼が魏と接触し始めた230年代もまだ無鉄器です。
250年頃以降、ホケノ築造ですから、纏向の鉄器時代は、卑弥呼死後ですね。
卑弥呼死後、鉄入手ルートにつながった、もしくは、近江方面の鉄入手勢力に征服されたということになります。

184日本@名無史さん2018/02/19(月) 01:31:20.68
異常者>>1晒しage

185日本@名無史さん2018/02/19(月) 08:13:35.06
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1518118699
キチガイキナイコシはスレを使いきったら次を立てるという常識が通じない
だってキチガイだもんなw

186日本@名無史さん2018/02/19(月) 10:16:22.67
桜井茶臼山古墳は興味深いですよ。三角縁神獣鏡が出土していて、宗像との関わりもあるようです。纏向とは少し離れていて、纏向遺跡には、無い要素があります。誰の古墳でしょうかね。

187日本@名無史さん2018/02/19(月) 11:06:23.07
九州北部から運ばれた内行花文鏡が大事にされていた古墳だよね。
被葬者の出身地はどこだったのかな?

188日本@名無史さん2018/02/19(月) 11:20:37.31
>>186-187
北部九州説はじめ、だれにも分からない

189日本@名無史さん2018/02/19(月) 13:04:20.13
実は、考古学的に墳形以外に纏向の古墳とヤマト王権の関連を見出すことはできません。ヤマト王権最初期の大王墓とされる西殿塚古墳も、そうですね。
対照的に、桜井茶臼山古墳の副葬品は、大和王権の祭祀を思わせるものが多い。北部九州の影響を強く受けています。
時期的には西暦300年頃過ぎ、天皇家に系譜が繋がる人物が初めて畿内に権力を獲得して、ここに埋葬されたのでしょうね。

190日本@名無史さん2018/02/19(月) 13:07:42.55
何百枚もの三角縁神獣鏡が、庄内式と全く共伴関係にないことは、不思議ですね。ほとんどは、布留式期に模倣して制作された国産鏡とするのが合理的でしょう。画文帯を模倣したものか、中国製の三角縁神獣鏡を模倣したものかは、わかりませんがね。
邪馬台国論争にとっては、ややこしいことをしてくれたものです。

191日本@名無史さん2018/02/19(月) 13:13:59.46
難升米が曹叡に拝謁したタイミングを考えれば、下賜鏡は景初三年の作でしょう。
下賜鏡が三角縁神獣鏡かどうかは、わかりませんが、もしそうならば、紀年銘くらいはあったかもしれません。
景初三年鏡が出土したのは、出雲なのですが、残りの99枚はどうなったのでしょうね。
邪馬台国が九州ならば、銅鏡などは珍しくもなんともありませんから、鋳つぶして、リサイクルした可能性もあります。
そうではなかったとも、最終的には、倭国を併呑した大和朝廷によって、奈良の大仏にでもなったのですかね。

192日本@名無史さん2018/02/19(月) 13:34:42.84
桜井茶臼山古墳の副葬された三角縁神獣鏡の破片が、紀年銘が正始元年とあるものと、一致したようですね。
恐らく、舶来鏡でしょう。西暦240年代頃はどこにあったのかが、問題になりますが、共に副葬されていたものから類推すると、やはり、九州北部ということになりそうです。

193日本@名無史さん2018/02/19(月) 14:18:36.60
邪馬台国の条件として、まずは、西暦240年に文字文化と鉄文化があったことです。
そして、それ以前から、曹叡が卑弥呼の好物と認識したものがあったことが必須です。絹、金、刀、銅鏡、真珠、鉛丹ですね。
残念ながら纏向は全く該当しません。

194日本@名無史さん2018/02/19(月) 14:52:25.02
畿内説は、あの2013年の大規模調査で破綻した。。。

195日本@名無史さん2018/02/19(月) 15:36:54.24
レベルの高い謎の考古学者が、難解な論理で、追い詰めてしまったのではないのかな、、、

196日本@名無史さん2018/02/19(月) 15:46:21.16
畿内説を論破されたキナイコシが、偽の邪馬台国畿内説スレッドで、方格規矩鏡と超大型内行花文鏡のことでも、鮮やかに論破されてしまったねw

197日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:14:22.11
>>195
レベルの高い謎の考古学者達の投稿を、僕たちが編集して、次回のスレッドのテンプレートにすればよいのではないのかな。。

198日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:15:25.71
26日本@名無史さん2018/02/08(木) 08:24:07.85
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。

魏略逸文
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif

199日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:16:00.35
31日本@名無史さん2018/02/08(木) 15:52:01.39
>>1
邪馬台国あまり興味がないが、関連スレ目立つので一言
魏志倭人伝だと邪馬台国は鉄器国家です
纏向周辺に鉄があった3世紀末には卑弥呼は死んでいる
纏向と卑弥呼は無関係だよ

3231を補足します2018/02/08(木) 15:55:25.72
卑弥呼の死が日本列島の鉄器分布を改革して、やっと近畿地方にも行き渡るようになったのでしょうね

200日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:17:23.47
81日本@名無史さん2018/02/13(火) 14:04:51.65
纏向が卑弥呼と無関係なのは、3世紀前半の鉄製品がないというだけでも、致命的な証拠になります。
そして、もう1点指摘することができるのですが、同様に3世紀前半の硯がないということも大きいでしょうね。
魏志倭人伝では、卑弥呼は皇帝に上表文を送っていますからね。
硯は、鉄のように錆びたりしませんからね。

82日本@名無史さん2018/02/13(火) 14:32:17.00
箸墓古墳は主体部を発掘してないので
結論は出せないが、
周壕などの異物は4世紀以降のみである。

201日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:17:53.08
85日本@名無史さん2018/02/13(火) 15:00:27.33
【邪馬台国はどんな国?】

「魏志倭人伝」−「倭人は兵器に矛を用いる」
―銅矛であれ鉄矛であれ、
矛が多量に出土しているのは北九州、奈良県は出土無し。

「魏志倭人伝」−魏への持参物、魏から女王への贈り物に多数の「絹織物」
−邪馬台国のあった弥生時代後期までの「絹」は、すべて九州からの出土。

「魏志倭人伝」−「倭人は鉄の鏃を用いる」
鉄は圧倒的に九州にある。
http://www.infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg

「魏志倭人伝」−「魏は卑弥呼に五尺刀二口を与えた」
−弥生時代の鉄刀、鉄剣は福岡県から92例出土、奈良県からは1例のみの出土。

三角縁神獣鏡は魏の鏡に非ず、卑弥呼の時代は「方格規矩四神鏡、内行花文鏡」
邪馬台国時代、古墳時代を通じて、福岡県から37面、奈良県からは、わずか2面。

その山に丹あり
弥生時代の奈良では、朱丹は二箇所で しか使用されていない。
福岡県では41箇所の遺跡で使用されている。

202日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:18:14.79
86日本@名無史さん2018/02/13(火) 15:15:50.93
纏向というより、畿内全体でみた場合でも、文字文化は博多湾岸を経由しなければいけませんが、3世紀後半になっても、土器の動きは、畿内から九州への一方通行です。
文字を伝えるのは物ではなく人ですが、畿内への人的資源の移動が証拠立てられないというのが、実情ですね。
西暦230年代、畿内に文字を理解できた文化があったことを証明出来ないことは、畿内説にとって、大きな痛手です。

203日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:18:49.17
9392です。2018/02/14(水) 11:43:56.94
不正確な書き方が、気になりますので、修文します。

弥生時代末期に、卑弥呼を共立した倭国が朝鮮半島に進出していた最大の理由は、鉄でしょうね。
魏志倭人伝は東夷伝の一部ですが、東夷伝に倭人が弁韓に鉄を採りに来ているという記述があります。また、実際に、弥生時代を通して玄界灘近辺には鉄が溢れています。
曹魏と(ひょっとしたら公孫とも)の交流も、弁韓での、鉄の採掘を認めて貰うためであるとするのが、合理的です。
渡海や他民族との軋轢という危険を冒して、鉄を獲得していたわけですから、女王の都の建設や警備に鉄器が使われていないとする理由はありませんね。合理的な理由があるならお示し願いたいです。
ところが、西暦230年代、卑弥呼が曹魏と交流を始めた頃、纏向には鉄が全くありません。仮に、ホケノが230年代(そんなことをいう学者さんは現在は皆無ですがね。)だとしても、それは鉄器が有力者の副葬品になるほどの希少品だったことの証拠になるだけです。
そして、大陸とやりとりするための文書作成の道具、硯もありませんしね。
纏向は、邪馬台国ではありませんよ。

204日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:19:31.63
108日本@名無史さん2018/02/14(水) 16:03:38.08
弥生時代までの文字文化の痕跡はそう多くありません。
特に漢字は、大陸との交流でしか使いようがありませんからね。
周という文字が読める土器が出るくらいでも、話題になるくらいです。
福岡以外で、硯は出雲でも出土したようですが、熊本はどうだったでしょうか。
それとあと一言だけ。
帯方郡から水行二十日の地点は投馬國ではありませんか。
陸行一月の開始は水行十日の後ですよ。

205日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:19:59.75
110日本@名無史さん2018/02/14(水) 23:20:52.05
女王国の入り口というか境界は、楽浪帯方から七千里ですよ。

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

111日本@名無史さん2018/02/15(木) 09:31:02.11
>>110
後漢書では博多湾付近に在った倭奴国が倭国の極南界
魏志倭人伝では狗奴国との境が倭国の南の端で
倭国の入り口というか境界は朝鮮半島南岸ですね。

206日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:20:25.13
112日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:32:01.45
>>111
そうですね。
狗邪韓国が女王の境界ですね。

207日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:20:44.66
114一介の古墳ファンです。2018/02/15(木) 11:42:29.30
古墳の年代について調べていると、どうしても邪馬台国論争の問題が絡んでしまいますね。卑弥呼の塚が弥生墳丘墓なのか古墳なのか、です。
古墳の年代にとって、纏向は重要な地域です。畿内や、列島規模でみても、古墳時代の原点であります。

115日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:43:14.12
しかし、西暦240年前後、纏向は無文字であり、無鉄です。
少なくとも、考古学的証拠は皆無です。
この文明発生前の地域が、鉄の産地を跨いで中国大陸と文字による交流が可能だったとするのは、不合理ですね。

116日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:44:25.73
3世紀全般や4世紀に視野に広げれば、卑弥呼の死後ということですが、舶来鏡や鉄器等の大陸の文物は入ってきているのだから、介在するものがいたようですが、直接的な相互交流の証拠には不十分です。

208日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:21:08.73
118日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:45:54.10
後漢書では倭の西北界が拘邪韓國ですね。
朝鮮半島には南西部に前方後円墳がありますね。畿内の影響があった最古の証拠でしょうね。
ただ、どんなに引き上げても、5世紀中葉のようです。
邪馬台国の時代に畿内の影響があった考古学的証拠になりません。

119日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:47:18.68
魏志倭人伝では、倭国は対馬以南です。倭人の地の領分で、官が置かれ統治されていた領分が倭国との認識のようですね。官が置かれていなかった朝鮮半島や、女王国の東に海を千里渡った領分は倭種の地です。

120日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:48:45.52
卑弥呼の前の男王のときや、倭国大乱後の卑弥呼の共立の当時、倭国は統一体だったのでしょう。
共立後、しばらくして狗奴国の卑弥弓呼素が反乱したのですね。

121日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:50:41.81
そして、魏国はそれ以降、再び台与を共立するまで、倭国を女王の属国と女王国と男王国=狗奴国の3グループに分けて認識していますね。女王国は一万二千里から、卑弥呼の宮が邪馬台国と考えるのが合理的です。(このあたりはスレの住人さんに同じような意見の方がいますね。)

209日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:21:34.52
123日本@名無史さん2018/02/15(木) 12:30:16.01
>>115
魏に何回も朝貢したり使節を受け入れてるのに
無文字なんてことは有り得ないよな。

210日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:22:20.42
124日本@名無史さん2018/02/15(木) 12:39:12.30
【卑弥呼の王宮の候補】

・高祖宮
魏志に伊都国と記された糸島市にある。
糸島平野と福岡平野の間にあるクシフル山があり、福岡に通じる峠を日向峠と呼ぶことから、高祖宮は記紀にある筑紫の日向の高千穂宮に比定できる。
高千穂宮は天孫ニニギが八咫の鏡を伴って筑紫の王として即位した宮であり、神武天皇が東征に出発した宮でもある。
後にこの地に建設される怡土城、高祖城はクシフル山の山頂を含む中国式山城であり、高千穂宮の名にふさわしい。
糸島平野にある三雲南小路遺跡はニニギと木花咲耶姫の墓と伝えられる。
高祖宮の目の前の平原遺跡からは、ニニギ王家の家宝である神宝八咫の鏡が出土している。
伊都高祖宮こそ倭国の王都であり、平原遺跡は倭国女王卑弥呼が被葬者の最有力候補である。

・橿日宮
現在の香椎神宮。
卑弥呼の後継者となる筑紫の女王の一人として、景行天皇の時代に筑紫の梟帥の称号と八咫の鏡を持つ神夏磯姫(神橿日姫)がいて、その名からはおそらく橿日宮に住んでいたと思われる。
景行天皇の孫の仲哀天皇も橿日宮を拠点としており、代々の筑紫の王宮として用いられていたと考えられる。
魏志では不弥国に比定されることが多く、ここまでは距離が明記されているので郡使が往復したことは確実である。何のために往復したのかと言えば、卑弥呼に会いに行った可能性がある。

・高良宮
筑後一宮。高良大社や高良玉垂宮などからなる複合施設だが、後世の仏教との習合や神仏分離などの影響による。
近隣には卑弥呼もしくはそれに近い人物の墓と言われる祇園山古墳がある。
卑弥呼が筑後出身ならば、高良宮が元宮だったかもしれない。
郡使が滞在した伊都国までやや遠いのと、魏志倭人伝に該当する記事もないのが不利。
すると祇園山は壹與の墓か?

211日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:22:27.91
いずれの宮も聖地である山の西の麓にあり、王は太陽を背にして君臨したと考えられる。
これは倭国が太陽信仰をもとにした祭政一致体制であったためである。
その象徴となるのが王位の証である八咫の鏡などの内行花文鏡である。
平原遺跡に見られる鳥居や御柱などは、3世紀において神道が成立していたことを示す。
卑弥呼が用いたと記録された鬼道も、三種の神器や榊を用いた神道の儀式であったはずである。

212日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:23:08.10
125日本@名無史さん2018/02/15(木) 12:39:39.32
【壹與と與止日女】

肥前国一宮である與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町川上)があり、かつては河上神社と呼ばれていた。
その祭神は與止日女命(ヨドヒメ)といい、世田姫(ヨタヒメ)、淀姫(ヨドヒメ)、豊姫(ユタヒメ)とも呼ばれる。
與止日女神社を流れる佐嘉川は江戸時代の治水工事までは佐賀平野において筑後川に流入していた。
魏志に記された末盧国に比定される松浦にも淀姫神社(長崎県松浦市志佐町)があり、そこから松浦川を上った上流にも河上大明神こと淀姫神社という神社がある(佐賀県伊万里市大川)。
與止日女神社の末社は福岡県から熊本県、長崎県、対馬まで分布している。
後に淀姫神社は畿内にも勧請され、豊臣時代の淀川や淀姫の名前の由来でもある。
かつて豊前国一宮は今の宇佐八幡宮(大分県宇佐市)ではなく香春三山の香春宮(香春神社、福岡県田川郡)であったとされており、三の岳の祭神が豊比当スといい、同一人物の可能性がある。
この領域は邪馬壹国連合の一部であり、その主である與止日女命は卑弥呼の権威を受け継いだ壹與そのものだろう。
熊襲の由来が卑弥呼の敵であった肥後の狗奴国であれば、卑弥呼のいた筑後でも伊都国のあった筑前でも狗奴国のあった肥後でもなく、肥前から壹與が共立されることでバランスを取り、狗奴国が和解して倭国が統一されたと考えることができる。

213日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:23:16.56
この與止日女神社の西に大願寺廃寺跡(佐賀市大和町大字川上大願寺)という遺跡がある。
ここに熊襲の王であるクマソタケル、名をトロシカヤ(取石鹿文)という人物の墓が伝わる。
この地に伝わる伝承では、筑紫を根城としていたトロシカヤが筑紫の穴倉陣で小碓命に襲われて肥前川上に脱出してくる。
小碓命は船で肥前堀江、蠣久と追跡し、大願寺の山中でトロシカヤの宮の新築祝いに女装して潜入し、トロシカヤを暗殺する。
死の間際にトロシカヤはクマソタケルの名を返上してより小さな地域の王の名であるカワカミタケル(川上梟帥)と名を改め、小碓命にヤマトタケル(倭建命)の名を献上する。
ここで重要なのは熊襲がこの時代に筑紫を拠点に九州北部を治めていて、倭国の王家そのものと考えられる点である。
また、その本拠地は壹與と見られる人物の本拠地でもある。狗奴国として分裂していた肥国王統から女王壹與を迎えることで、倭国は安定を手に入れたのである。

214日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:24:24.75
139日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:45:18.87
イザナギが降臨した淤能碁呂島は能古島、イザナギが禊をしたのは小戸、そこに建てられたのが住吉。
福岡こそイザナギの都。
倭国の建国の地。

そしてその倭国の女王となったのが卑弥呼。

考古学的にも、3世紀以前の倭国の王墓は博多湾沿岸にしかない。
そして博多湾沿岸は稲作伝来の地、弥生文化発祥の地。
全ては博多湾沿岸から始まった。

215日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:24:45.07
140日本@名無史さん2018/02/15(木) 13:45:36.75
三角縁神獣鏡の同型鏡を分析すると鏡径に大小があり、小さくなるほど文様が不鮮明になる。
これは母鏡から鋳型を作りできた子鏡をまた同じように鋳型にとって順次コピーしていったとみられる。
踏み返しされた三角縁神獣鏡の母鏡とみられるもっとも大きな径となるものが出土した古墳をみると、北九州と吉備に片寄っていることがわかる。
これは三角縁神獣鏡の流通の起点が畿内ではないことを示しており、たとえ下賜と仮定しても
北九州から畿内にもたらされた蓋然性が高く畿内説にとって非常に不利な結果となっている。

母鏡の出土例
>藤崎方形周溝墓
>天神森古墳
>原口古墳
>名島古墳
>香椎ヶ丘古墳

>以上福岡

>湯迫車塚古墳 岡山
>赤塚古墳 大分
>造山1号噴 島根
>椿井大塚山古墳 奈良

216日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:25:14.66
149日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:51:27.77
>>123
上表文は倭王印で封泥または押印されなければいけませんから、卑弥呼の膝元から送られていますね。邪馬台国に文字文化があったことは間違いありませんよ。

150日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:52:20.41
>>128
邪馬台国や狗奴国を比定することには、あまり興味がありませんね。
邪馬台国を弥生集落遺跡と考えた場合にも、最低でも文字文化は欠かせません。今のところは玄界灘沿岸以外だと、島根県か三重県ということになりますか。
山陽、畿内、四国は厳しいのではと思います。

151日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:53:17.90
東夷伝に朝鮮半島で倭人が鉄を入手したとありますが、鉄は貴重だから、再利用されて残っていないことも考えられますから、代わりに鉄文化とリンクしているものを見つければいいのです。
畿内の古墳との関連でならば、まず、割竹形木棺の伝播を考えるべきでしょうね。
ところが、畿内の古墳で、引き上げても250年とされるホケノの前の年代に割竹形木棺がないのです。(私には見つけられませんでした。)

152日本@名無史さん2018/02/15(木) 16:53:58.85
それと、畿内は古墳時代の原点であることは、間違いありませんが、鉄器使用開始の指標となるホケノのこの割竹形木棺の墓制は、滋賀県野洲市が発祥なのです。少し遅れて平原1号、それから半世紀遅れで纏向へと伝播しています。

217日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:25:45.46
154日本@名無史さん2018/02/15(木) 17:12:47.37
>>152
割竹型木棺の製作に鉄器が必要ということでしょうか。
滋賀県は「畿内」というよりも、日本海航路による筑紫勢力の圏内であるように思います。

218日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:26:06.87
160日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:42:09.88
まあ、魏志倭人伝にない前方後円墳を根拠にされても困るよな。
邪馬台国とは別にそのような集団がいたというだけだし。

219日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:26:29.79
166日本@名無史さん2018/02/15(木) 20:11:35.22
邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif

167日本@名無史さん2018/02/15(木) 20:14:08.13
邪馬台国と周辺国
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg

220日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:27:04.76
172日本@名無史さん2018/02/16(金) 18:13:40.04
割竹型木棺の製作に鉄器が必要かどうかは、断定しきれませんね。
丸木でのカヌーは石器でもつくっていますしね。
ただ、死期を予測して作ったり、在庫を常に確保していたとするのは、弥生の感覚にとっても、縁起が悪いのではないでしょうか。
死の直後に数日で作ったのだとしたら、鉄器は必要でしょうね。
あと、鉄入手のルートのこともありますが、丸木でのカヌー作りと作業が酷似しているから、おっしゃる通り、日本海航路に早くから進出していた勢力が関わっているでしょうね。
2世紀までに若狭や敦賀から琵琶湖岸に達していた勢力があったと思います。

173日本@名無史さん2018/02/16(金) 18:18:38.26
よく、勘違いされることですが、寿陵でもないかぎり、葬儀に該当する、セレモニーは棺の方が墳丘墓より、重要です。
現代でも同じことでしょう。
墳丘墓や古墳は、王権の継承者ための、継承セレモニーのアイテムです。

174日本@名無史さん2018/02/16(金) 18:20:59.46
だから、葬礼での種族の分類は、棺によって考えるべきですね。

175日本@名無史さん2018/02/16(金) 19:05:07.68
>>155
タイトルの纏向の語に反応しましたね。
古墳好きですからね。

221日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:27:27.91
183日本@名無史さん2018/02/18(日) 17:02:14.39
纏向遺跡自体は、西暦200年頃、誕生していますね。
纏向石塚が、210年頃の築造ですから、ある程度の人口集落があった証拠になります。
でも、鉄器が皆無の年代です。勿論、それ以降も文字については、3世紀全体を通しても、その痕跡はありませんから、邪馬台国とは無関係です。
そして、卑弥呼が魏と接触し始めた230年代もまだ無鉄器です。
250年頃以降、ホケノ築造ですから、纏向の鉄器時代は、卑弥呼死後ですね。
卑弥呼死後、鉄入手ルートにつながった、もしくは、近江方面の鉄入手勢力に征服されたということになります。

222日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:27:49.55
186日本@名無史さん2018/02/19(月) 10:16:22.67
桜井茶臼山古墳は興味深いですよ。三角縁神獣鏡が出土していて、宗像との関わりもあるようです。纏向とは少し離れていて、纏向遺跡には、無い要素があります。誰の古墳でしょうかね。

187日本@名無史さん2018/02/19(月) 11:06:23.07
九州北部から運ばれた内行花文鏡が大事にされていた古墳だよね。
被葬者の出身地はどこだったのかな?

223日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:28:16.20
188日本@名無史さん2018/02/19(月) 11:20:37.31
>>186-187
北部九州説はじめ、だれにも分からない

189日本@名無史さん2018/02/19(月) 13:04:20.13
実は、考古学的に墳形以外に纏向の古墳とヤマト王権の関連を見出すことはできません。ヤマト王権最初期の大王墓とされる西殿塚古墳も、そうですね。
対照的に、桜井茶臼山古墳の副葬品は、大和王権の祭祀を思わせるものが多い。北部九州の影響を強く受けています。
時期的には西暦300年頃過ぎ、天皇家に系譜が繋がる人物が初めて畿内に権力を獲得して、ここに埋葬されたのでしょうね。

190日本@名無史さん2018/02/19(月) 13:07:42.55
何百枚もの三角縁神獣鏡が、庄内式と全く共伴関係にないことは、不思議ですね。ほとんどは、布留式期に模倣して制作された国産鏡とするのが合理的でしょう。画文帯を模倣したものか、中国製の三角縁神獣鏡を模倣したものかは、わかりませんがね。
邪馬台国論争にとっては、ややこしいことをしてくれたものです。

224日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:28:34.37
191日本@名無史さん2018/02/19(月) 13:13:59.46
難升米が曹叡に拝謁したタイミングを考えれば、下賜鏡は景初三年の作でしょう。
下賜鏡が三角縁神獣鏡かどうかは、わかりませんが、もしそうならば、紀年銘くらいはあったかもしれません。
景初三年鏡が出土したのは、出雲なのですが、残りの99枚はどうなったのでしょうね。
邪馬台国が九州ならば、銅鏡などは珍しくもなんともありませんから、鋳つぶして、リサイクルした可能性もあります。
そうではなかったとも、最終的には、倭国を併呑した大和朝廷によって、奈良の大仏にでもなったのですかね。

192日本@名無史さん2018/02/19(月) 13:34:42.84
桜井茶臼山古墳の副葬された三角縁神獣鏡の破片が、紀年銘が正始元年とあるものと、一致したようですね。
恐らく、舶来鏡でしょう。西暦240年代頃はどこにあったのかが、問題になりますが、共に副葬されていたものから類推すると、やはり、九州北部ということになりそうです。

193日本@名無史さん2018/02/19(月) 14:18:36.60
邪馬台国の条件として、まずは、西暦240年に文字文化と鉄文化があったことです。
そして、それ以前から、曹叡が卑弥呼の好物と認識したものがあったことが必須です。絹、金、刀、銅鏡、真珠、鉛丹ですね。
残念ながら纏向は全く該当しません。

225日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:30:44.77
>>197
ここは、纏向説スレッドだから、纏向説が破綻している根拠だけを抜き出して、纏めればいいのではないのかな、、

226日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:31:39.95
内容が、高度すぎて、少し難しいね。。。

227日本@名無史さん2018/02/19(月) 18:20:31.08
ありもしない大規模調査w

228日本@名無史さん2018/02/19(月) 23:15:42.62
スレ乱立犯>>1晒し上げ

229日本@名無史さん2018/02/20(火) 09:12:10.75
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1518118699
キチガイキナイコシはスレを使いきったら次を立てるという常識が通じない
だってキチガイだもんなw

230日本@名無史さん2018/02/20(火) 10:06:35.04
今日も、優れた考古学者たちに、キナイコシが、偽の畿内説スレッドで、畿内説を鮮やかに論破されているね。。。。

231日本@名無史さん2018/02/20(火) 10:11:58.17
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、

232日本@名無史さん2018/02/20(火) 11:17:36.60
>>1さんがどういう意図でスレを立ち上げられたかはよくわかりません。
纏向を邪馬台国の首都とするのか、纏向が邪馬台国そのものに一致させるのかもわかりません。
しかし、魏と交流していた240年頃の卑弥呼が、纏向以外の地にいたことは断言できますね。
考古学的には240年代までの纏向には、鉄文化も、文字文化も、鏡も、鉄剣もありませんからね。
邪馬台国の都の訳がありませんよ。

233日本@名無史さん2018/02/20(火) 11:30:41.62
もっとも、「それじゃあ、おまえは邪馬台国をどこだと思っているんだ?」と問われても、
わからないと答えるしかありませんが。
距離や方角などについては、魏志倭人伝に記載されている行程をどのように解釈すべきか、文献学上の裏付けが必要なのでしょうが、その方面は全く無学なのでね。
しかし、考古学的には、繰り返しますが、邪馬台国の条件は、西暦240年に文字文化と鉄文化があって、それ以前から卑弥呼の好物の絹、金、刀、銅鏡、真珠、鉛丹があったことです。

234日本@名無史さん2018/02/20(火) 11:45:46.05
倭人に文字文化があった根拠は?

235日本@名無史さん2018/02/20(火) 12:30:22.35
畿内説は、あの2013年の大規模調査で破綻した。。。

236日本@名無史さん2018/02/20(火) 12:34:34.54
畿内説を論破されたキナイコシは誰に質問しているのだろうか。。。。
このスレッドに現れた謎の考古学者は、ほとんどの倭人に文字文化がなかったといっているようだが、、、

237日本@名無史さん2018/02/20(火) 12:36:15.00
>>236
そうだね、だからこそ、文字が発達した邪馬台国が倭国の中では、考古学的に特徴的になるといってるようだね、、

238日本@名無史さん2018/02/20(火) 12:37:09.28
>>237
発狂したキナイコシは、そんなこともわからないのだろうね。。。

239日本@名無史さん2018/02/20(火) 12:43:33.93
よく調べてみると、熊本城の地下から、文字の痕跡が発見されるのではないのかな。。。

240日本@名無史さん2018/02/20(火) 12:54:22.18
>>236
倭人に文字文化があった根拠は

奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
徳島県国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。

ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。

それは、7世紀末頃に阿波から奈良へ遷都(持統朝)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。

阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波

241日本@名無史さん2018/02/20(火) 13:45:22.72
>>234
倭人全体で考えれば、繊維質上に文字は残ってないようですが、弥生後期までに、硯や、文字が刻まれた土器が出ています。
上位層では、「太伯」「大夫」という漢語を文字で代々伝えたと思いますよ。渡来した時のままの言語体系を数百年続け、該当する漢語の発音を、口伝だけで伝え、再び、漢人に対し特定させるほどの正確さで発音したことも、否定はしきれませんが、可能性は低いでしょうね。
ただ、私が主張したかったのは、倭人全体に文字文化があったことではなく、邪馬台国の首都で、卑弥呼か、卑弥呼の側近が漢語を解し、詔を読み、上表文を書くほどの文化レベルに達していたということだけです。
遠距離の首都同士の国交ですからね。会話ではなく、読み書きのやり取りが必要ですからね。
そして、正誤を卑弥呼は確かめなければなりませんから、文字を解せる者は複数人いなければいけませんね。

242日本@名無史さん2018/02/20(火) 13:46:43.03
文字が刻まれた土器ではなく、墨書きされたものだったでしょうかね。

243日本@名無史さん2018/02/20(火) 13:48:31.24
両方ありますね。

244日本@名無史さん2018/02/20(火) 13:59:12.10
3世紀の熊本にも阿波にも、文字の痕跡はないようですよ。

245日本@名無史さん2018/02/20(火) 14:14:21.30
通訳がいたんだから、中国人を雇っただけということもある。

246日本@名無史さん2018/02/20(火) 14:46:05.56
>>245
上表文は倭王印で封泥か押印されます。そうして、魏皇帝は内容の真偽を確かめるのだし、そのために、印を送りました。
だから、卑弥呼のいる邪馬台国で書き上げなければいけません。意思疎通に悪意の他者が介在しない工夫です。
上表文を書いたのが、中国人であって、倭人側には内容の正誤を確かめるすべがないとしたら、卑弥呼は倭王印で押印しづらかったと思いますよ。

247日本@名無史さん2018/02/20(火) 14:49:04.61
本当にいなきゃあしょうがないわな
中国人を複数雇えば良いよ

248日本@名無史さん2018/02/20(火) 14:56:02.46
アンチの立てたエセスレに唾棄

249日本@名無史さん2018/02/20(火) 15:13:05.93
三世紀の墨書土器は、わりと各地から出てる。
一文字が多いので呪文っぽい雰囲気。

250日本@名無史さん2018/02/20(火) 15:20:41.50
キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。

251日本@名無史さん2018/02/20(火) 15:23:42.88
>>244
まだ、熊本城の地下が発掘されていないからね。。。

252日本@名無史さん2018/02/20(火) 15:24:41.89
>>246
発狂したキナイコシは、そんなこともわからないのだろうね。。。

253日本@名無史さん2018/02/20(火) 15:31:53.62
少し、荒れ気味のスレ進行ですね。
あったことは証明できますが、なかったことは証明できませんからね。3世紀の熊本にも文字はあったのかもしれないし、雇われ中国人がいたのかもしれません。
でも、複数の中国人を邪馬台国まで招致し、漢語を読み書かせたのならば、つまり、邪馬台国にはその程度の文字文化はあったということです。

254日本@名無史さん2018/02/20(火) 16:38:48.34
>>253
読み書きできない程度では、大袈裟に「文字文化」と言えないのでは?  @阿波

255日本@名無史さん2018/02/20(火) 17:47:53.37
>>254
倭人に文字文化があった根拠は

奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
徳島県国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。

ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。

それは、7世紀末頃に阿波から奈良へ遷都(持統朝)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。

阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波

256日本@名無史さん2018/02/21(水) 02:03:18.11
息を吐くように嘘を吐く>>1晒しage

257日本@名無史さん2018/02/21(水) 11:18:22.95
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1518118699
キチガイキナイコシはスレを使いきったら次を立てるという常識が通じない
だってキチガイだもんなw

258日本@名無史さん2018/02/21(水) 12:37:52.06
連続句読点爺は嘘スレや偽スレを乱立させるキチガイだもんな

259日本@名無史さん2018/02/21(水) 12:40:49.14
連続句読点爺は嘘スレや偽スレを乱立させるキチガイだもんな

260日本@名無史さん2018/02/21(水) 16:00:40.97
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、

261日本@名無史さん2018/02/22(木) 02:17:09.64
焦って嘘を重ねて暴れている>>1晒し上げ

262日本@名無史さん2018/02/22(木) 07:57:25.51
今日も、優れた考古学者たちに、キナイコシが、偽の畿内説スレッドで、畿内説を鮮やかに論破されているね。。。。

263日本@名無史さん2018/02/22(木) 10:36:44.18
嘘つきには現実と妄想の区別がつかないらしい

264日本@名無史さん2018/02/22(木) 10:40:49.27
age

265日本@名無史さん2018/02/22(木) 10:52:57.04
キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。

266日本@名無史さん2018/02/22(木) 12:28:44.48
age

267日本@名無史さん2018/02/22(木) 12:45:25.30
狂人>>1晒し上げ

268日本@名無史さん2018/02/22(木) 13:30:22.89
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、

269日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:07:17.92
纏向が邪馬台国ではないという理由は、すでに何点も提示しましたが、有効な御反論を頂けなかったのは残念です。

270日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:08:25.52
また、私は熊本や徳島の弥生時代の文字の事情は知らないですし、スレの論点と離れてしまうようですよ。

271日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:09:48.69
いまのところ、考古学的には3世紀前半の纏向で文字の痕跡は見つかっていませんが、邪馬台国で文字が伝われたかどうか、魏志倭人伝の金印と上表文の記述に対する評価次第でしょうから、この辺りの文献史学の決着待ちというところですか。

272日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:10:52.52
いまのところ、考古学的には3世紀前半の纏向で文字の痕跡は見つかっていませんが、邪馬台国で文字が使われたかどうか、魏志倭人伝の金印と上表文の記述に対する評価次第でしょうから、この辺りの文献史学の決着待ちというところですか。

273日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:12:46.81
纏向の古墳群が2世紀以前からの土着勢力のものであったとしても、ホケノ以降は近江を通して日本海側からの影響を受けていることは、棺と鉄のことで説明しました。

274日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:14:36.99
また、纏向とは少し離れる南側の後続する大王墓が、より、九州地方との副葬品の組み合わせに酷似してきます。

275日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:16:49.32
こうしてみると、纏向の3世紀後半(卑弥呼没後)というのは、他地域との交流によって、急激に発展し、権力が集約していったようです。

276日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:18:42.51
冷静に判断すれば、4半世紀ほど、纏向は曹魏と接点を持った240年頃の邪馬台国の時代に間に合っていないのです。

277日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:19:22.77
本当のところ、邪馬台国には興味がないのですが、古墳の学術研究の始点が、邪馬台国問題に振り回されてしまうのは、苦々しいですね。

278日本@名無史さん2018/02/22(木) 15:34:24.97
なにを一人で悦に入ってんの?

279日本@名無史さん2018/02/22(木) 16:19:23.60
キナイコシが、重複偽スレッドで、畿内説を鮮やかに論破され、腹いせにこの本物のスレッドを荒らしに来るのではないのかな。。。

280日本@名無史さん2018/02/22(木) 17:33:32.15
現実を直視できない狂人>>1晒し上げ

281日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:31:35.95
2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、

282日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:46:54.78
ますます妄想が激しくなったガイキチ>>1晒し上げ

283日本@名無史さん2018/02/23(金) 08:39:58.77
今日も、優れた考古学者たちに、畿内説のキナイコシが、偽の畿内説スレッドで、鮮やかに論破されているね、、、

284日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:19:03.88
難升米が謁見したのが明帝であると、文献史学的にこれ以上はない形で時間軸が明示されたのですから、考古学もこれを基に邪馬台国を探すべきでしょう。
つまるところ、西暦230年代であり、それ以降の考古遺物は卑弥呼の塚比定に限って、引き合いにだすべきでしょうね。
邪馬台国の条件としては、鉄と文字、卑弥呼の好物それから、人口でしょうか。その他の魏志倭人伝に紹介される産物や風習は、倭人のものであって、邪馬台国限定のものではありませんからね。
従って、文献史学と考古学の突合せは、鉄と文字、卑弥呼の好物(金や銅鏡)、七万戸と、西暦240年以前の考古遺物です。
纏向遺跡でいえば、庄内式以前ということになり、あっけなく、候補から消え去ります。

285日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:21:29.04
畿内説が破綻し、キナイコシが論破されてしまったのは、もう誰の目にも明らかなのではないのかな。。。

286日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:23:13.94
今日も、ただ一つのこの纏向説スレッドに、レベルの高い謎の考古学者が現れて、畿内説を鮮やかに論破してしまっているよ、、、

287日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:25:46.04
>>286
キナイコシを何度も論破し、キナイコシが最も恐れている岡上氏ではないのかな、、、

288日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:30:45.48
基地外はこわいよ

289日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:51:18.21
畿内説が破綻して、自論を論破されてしまったキナイコシが基地外になってしまったね。。。

290日本@名無史さん2018/02/23(金) 14:49:41.19
纏向遺跡の庄内式期終末期に、かろうじて、ホケノが築造されたのかもしれませんが、すでに、布留0から始まる後続の布留式期が始まっています。

291日本@名無史さん2018/02/23(金) 14:51:43.83
そして、この時期には、巻向駅近くの、掘立建物群は廃絶されています。つまるところ、卑弥呼の宮として引き合いに出された掘立建物群は、実はホケノ前の無鉄器時代だったのであり、同時に存在した可能性が考古学的にほぼ無いのですね。

292日本@名無史さん2018/02/23(金) 14:52:41.55
この時期より前、纏向の他の古墳にも近江の刳り抜き棺は採用されていません。

293日本@名無史さん2018/02/23(金) 14:53:45.51
ひょっとすると、掘立建物群廃絶の時期に、纏向は近江の勢力に征服されたのかもしれませんね。仮に、そうでもなくても、強い影響下に入ったことは間違いありませんね。時期的に、卑弥呼の没年付近だね。

294日本@名無史さん2018/02/23(金) 15:53:35.62
今、キナイコシが、偽の重複スレッドで箸墓古墳が那珂八幡などの(後からの)模倣だと論破されてしまったね、、、

295日本@名無史さん2018/02/23(金) 16:17:51.05
キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。

296日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:23:04.14
連続句読点爺も、本当に自分が嘘つきだってことを、認識できないのではないかな

297日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:51:10.58
大物主への年貢を入れる倉庫なんだから
大物主が滅ぼされたら当然廃絶されたのだろう。

298日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:55:23.08
近江勢力というのが、出雲の配下であり、纒向の倉庫を運営していたということかな?
興味深い。

299日本@名無史さん2018/02/24(土) 02:24:59.18
狂人>>1晒し上げ

300日本@名無史さん2018/02/24(土) 04:29:20.45
桜井市は踊らされている

301日本@名無史さん2018/02/24(土) 04:30:29.73
>>299=奥村

302日本@名無史さん2018/02/24(土) 07:09:40.97
>>300>>301=キウス

303日本@名無史さん2018/02/24(土) 09:56:47.38
ガイキチ>>1晒しage

304日本@名無史さん2018/02/24(土) 12:14:14.15
>>298
出雲で負けた集団が近江を通って纏向に落ち延びた

305日本@名無史さん2018/02/24(土) 19:47:03.44
2013年が致命的だったね。。。

306日本@名無史さん2018/02/24(土) 19:49:22.16
今日も、ただ一つのこの纏向説スレッドに、レベルの高い謎の考古学者が現れて、畿内説を鮮やかに論破してしまっているよ、、、

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