邪馬台国畿内説 Part342
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1523648734/
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 >>101
>>いや、「尺」は、周代から殆ど変わっていないから、問題がない。<
>「八咫の鏡」という言葉が使われた頃には変わってるから 大問題<
「尺」の度量衡の実距離は、周代から殆ど変わっていないから、問題がない事と、
咫は、「咫≠尺」であり、
「女性の手の大きさ」を形容する近似的文言であり、
度量衡を規定する文言ではなく、
また、「八咫の鏡」という文言が使われた最初は、
周代の天照の頃の話に出て来るんだから、
8世紀に初めて出て来た文言ではない。 >>72
>きちんと史料批判をして、信頼性があれば、根拠にしても何も問題がない。
お前は一切史料批判をしてしていない >>103
>周小尺が女性の掌起源起源で、秦漢には使われてない単位<
「周小尺」とか「女性の掌」とかの話なんか、していないよ。 >>112
また大和説者らが、
嘘をついてまでして、
九州説を貶めようとしてるな。 >>113
それはウソ
八咫の鏡という言葉が確実に使われてる時代の一尺は全然違う >>116
なんか嘘ついてるって証拠は?
中傷はダメだよ >>115
>「周小尺」とか「女性の掌」とかの話なんか、していないよ。
またウソをついているね
お前は>>102で
>「女性の手の大きさ」位であり、単なる「尺」とは違う、
と書いているよ >>113
>また、「八咫の鏡」という文言が使われた最初は、
周代の天照の頃の話に出て来るんだから、
天照大神が周代とか、すでにトンデモ 宗像神は大和国の宗像神社が従一位で
筑前国の宗像大社の(市杵島姫神、湍津姫神、田心姫神)が正二位だから
そこそこ重視してる程度
下総国の香取神宮や常陸国の鹿島神宮より下 畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、 畿内説を論破されてしまったキナイコシが、追い詰められて、発狂したのではないのかな、、、 >>122-123
ほら、九州説はこんな嘘をつくしか打つ手のない敗勢だ 畿内説が破綻し、一方的に論破されてしまったキナイコシが、発狂してしまい、悪口しか言えなくなってしまったね。。。 テンプレートに書いてあることの根拠が、本当は無いもないということが、優れた考古学者達によって、明らかになってしまったね。 改めて狂人のキナイコシが貼り付けているテンプレートを読んでみると、訳が分からなくなってくる。。。
奈良のあの古墳が、魏志倭人伝の世界とかけ離れていることの言い訳ばかりで、、、
かえって、奈良のあの古墳が、魏志倭人伝の世界とかけ離れていることが強調されているのではないのかな。。。 いつ覗いてもテンプレートが論破されているね、、、、 >>128
仕方ないよ、、、、
天皇家直近の国家機関を巻き込んだ、あの2013年の延べ何百時間にも及ぶ、箸墓の大規模調査でリアルに破綻した説だから。
畿内説を精力的に先導する考古学者たちが、意気消沈して古墳から戻ってきた姿は、僕も今でも目に焼き付いている、、、、 >>129
あれでしょ、、、あれ、あそこに埋もれてたあれ、
先頭のお役所の方は気づかなかったようだけど、、、 >>130
そうそう。あれを最初に目にしたあの人が、機転を利かせて足元の枯葉を蹴り掃いて覆ったけど、、、 来週の世界ふしぎ発見で卑弥呼の謎についてやると予告編で告知していた
畿内説、九州説問わず必見です
土曜の夜9時からTBS系列 これか
大英博物館に秘められた卑弥呼の謎![字]
日本に16万以上もある古墳。明治時代に日本に来ていたイギリス人が興味を持ち、調査を行ったという。
現在、大英博物館に残る記録から、日本誕生の秘密が明らかになる!? 大英博ならゴーランドコレクションか?
卑弥呼に関係するようなものなんてあったかな? 不思議なんだよね。
2013年以来、学者は勿論、一般人にも、畿内説を連呼する狂人はいないのに、インタ−ネットの世界では、目立つのだよね。 他説が何も反論できず
ウソついて中傷するくらいしか
抵抗ができなくなったんだから
畿内節で決まりなんだよ 2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、 >>144
そういうデマばかり流してるから
九州説は世間の信用を失ったんだよ
いつまでたっても学べない人達だなあ 2013年の大規模調査なんてない
日本経済新聞(2013/2/20)
卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1905C_Q3A220C1CR0000/
研究進展に期待
日本考古学協会など考古学、歴史学の15の研究者団体は20日午前、
宮内庁が陵墓として管理している奈良県桜井市の箸墓古墳を立ち入り調査した。
宮内庁が研究者側からの要望に応じて立ち入りを認めるのは初めて。
同古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もあり、陵墓の公開や研究の進展につながると期待されている。
立ち入り調査をしたのは研究者16人。
約1時間半をかけて墳丘の最下段を一周し、地表に見える葺(ふ)き石や土器などの遺物の状態、墳丘の形などを観察した。
参加した日本考古学協会の森岡秀人理事によると墳丘表面で、築造以前の様子を示す弥生最末期の土器などが見えたという。
森岡理事は「古墳の詳しい状況を実感できた。今回得た知見や印象によって研究が加速するのでは」と話し、
今後の陵墓公開に向け「国民の文化遺産として大切に守るべきもの。宮内庁とさらなる協力体制を目指したい」と強調した。
研究者らは午後、宮内庁が管理する西殿塚古墳(同県天理市)も調査する。 >>103
>周小尺が女性の掌起源で、秦漢には使われてない単位<
「周小尺」ってのは、何であって、
「女性の掌起源」ってのは、何に書かれているんですか?。 >>105
>>以前に「八咫鏡」という文言があったから、
後の記紀や宗像の記録などに記録されたんだよ。
相変わらず、大和説者は、頭悪いな。<
>以前って、いつから?<
天照の頃から。 >>112
また大和説のガキや、排他的人種差別の皇国史観戦争狂のwwが、
嘘をついてまで 九州説を貶めようとしてるな。 >>114
>>(半分×書の内容であっても)
きちんと史料批判をして、信頼性があれば、根拠にしても何も問題がない。<
>お前は一切史料批判をしてしていない<
お前ら大和説の・・・・アホは、
「皇国史観大和説」という結論先にありきであるから、
一切史料批判をしてしていないし、
信頼性の史料批判をする必要がない。 >>118
>なんか嘘ついてるって証拠は? 中傷はダメだよ<
大和説者は、始めから「南→東」などの嘘吐き騙しをして来た。 >>119
>>「周小尺」とか「女性の掌」とかの話なんか、していないよ。<
>またウソをついているね お前は>>102で
「女性の手の大きさ」位であり、単なる「尺」とは違う、
と書いているよ <
この男は、またウソを書いているね。
「女性の手の大きさ」は「女性の掌」の大きさではないし、
「尺」は「周小尺」でもない。 >>120
>>また、「八咫の鏡」という文言が使われた最初は、
周代の天照の頃の話に出て来るんだから、<
>天照大神が周代とか、すでにトンデモ<
二中歴に拠って、神武即位元年は紀元前91年頃であり、
天照は、記紀に拠って、神武よりも、6代以上前になるから、周代。 >>121
>宗像神は大和国の宗像神社が従一位で
筑前国の宗像大社の(市杵島姫神、湍津姫神、田心姫神)が正二位だから
そこそこ重視してる程度
下総国の香取神宮や常陸国の鹿島神宮より下<
701年に、倭国を併合吸収継承して、
倭国の存在や歴史を抹殺盗用造作しようとした大和日本国の、
「正〜位」などのランク付けも、半分×であり、
史料批判無しには、論拠にならない。 >>124
ほら、大和説は、
「南→東」などのような、
こんな嘘をつくしか打つ手のない敗勢だ。 >>142
大和説や他説が何も反論できず、
ウソついて中傷するくらいしか 抵抗ができなくなったんだから、
九州説で決まりなんだよ。 >>147
「南→東」などのような、
そういうデマばかり流してるから、
大和説は世間の7割の信用を失ったんだよ。
いつまでたっても学べない人達だなあ このzarakokuという75歳の爺さんもよくわからんなぁ
理由もなく他人を皇国主義者とか罵ったかと思うと
神武や天照を何の疑いも持たず実在の人物だと決めつけてる
頭の中どうなっているんだろう 九州北部説なんて一番ないだろうにw
九州北部から水行二十日、水行十日、陸行一月までしておきながら、
まーだ九州北部にいるとか。
ちょーウケるwwww 南水行の「南」は「東」の間違いだってことで決着してんじゃないの?
テンプレに反論がないし 九州説にとっても九州北部から南に30水行したら何もない所に着くはずなんだがな そこはまた暴挙に等しい倭人伝の読み替えをするんでしょ
北部九州にするためだけに 2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、 >>165 対 >>166
いつまで続けるつもりなんだろう。 @阿波 >>126
そうだね、、、
そして、僕たちは最近新しい情報を手に入れたね。。 畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
狂人のキナイコシが、焦ってインターネットで暴れるだけになってしまったね、、、、 九州北部から水行二十日、水行十日、陸行一月で着く、
ヤマタイという音の響きに近い場所。
大和しかないじゃないの。
女王国=大和より東に海を渡って千余里で至る、
クナ、クヌという音の響きに近い場所。
静岡と神奈川の久能と久能山と久野しかないじゃないの。 畿内説は2013年、もろくも破綻した。
論争は、段々、九州説同士の戦いになってしまうではないのかな。
有力な候補地が目白押しで、なかなか、結果がでないだろうけどもね。
畿内説の掲示板で、それをやるのは、一々、畿内説信者へ、論争の途中経過を教えてあげる手間を省くため。 >>127
仕方ないよ、、、、
奈良のあの古墳は、天皇の妹を祭ってあるものなのだもの。。。
魏志倭人伝の世界の古墳とは、時代も、距離も、方角も、形もなにもかもちがうのだからね。。。。
テンプレートは嘘をちりばめて、その全てのことに言い訳しなきゃならないのだからね、、、 >>170
>女王国=大和より東に海を渡って千余里で至る、
大和より東は笠置山地や布引山地だよ。 海は無い。 @阿波 >>168
そうそう、僕たちは、とうとう、優れた考古学者が紹介してくれた大物主の倉庫が、古墳のことではなく、巻向駅から歩いていける、あのちっぽけな空き地にあったものだということを調べ上げてしまったものだものね。。。 >>174
その先に伊勢湾があるじゃないの。
そこから東に海を渡って千余里で着く場所は静岡から神奈川あたりしかないじゃないの。
静岡から神奈川あたりでクナ、クヌという音の響きに近い場所は久能と久能山と
久野しかないじゃないの。 >>143
でも、結構な数の研究者の目に留まっちゃったんだよね。。。 >>172
でも、インタ−ネット工作が、観光客の対応に、猫の手も借りたい筈の、去年の黄金週間もやまなかったね。 >>176
>その先に伊勢湾があるじゃないの。
その山地を超えた所は伊勢国。 大和の東に海は無い。 山ばかり。 @阿波 >>177
将来を嘱望されている、有能な若手学者がフェードアウトしていく、きっかけになった2013年の調査からこのかた、急に畿内説の素人や学芸員レベルの爺さんのネットでのつぶやきが危地外じみてきたね
有能な若手考古学者を繋ぎとめるために、ポストをちらつかせるのが常套手段だが、大和王権を扱う若手の学者たちは、邪馬台国問題からは距離を置きたがっている 女王国の東から千里余り海を渡ると、再び国(四国)がある。。。
皆、倭人の種類だが、また侏儒国があり、それは(四国の)南側にあって、人の長さが3、4尺なのだ。。。 >>163-165にグウの音も出ないため
愚劣なコピペの異常連投で
ひたすら荒らす
惨めな九州説 >>87
>宗像大社の鏡を宮中賢所に分霊したというのは、重要な縁起だよ。
宮中賢所に分霊したのは「宗像大神」であって、「鏡」ではない
さらに言えば、分霊というのも正しくなくて「分祀」だな
大和朝廷は、沖ノ島祭祀を主導しているし、宗像大神を祀るのも当然
分かりやすい例でいうとお正月に神社からお札をもらってきて神棚に祭るのと同じ
まあ、御札ってことはなくて、もうちょっとちゃんとした儀式の上で
分祀するのだろうけれど、分祀して祭る場所は、宮中の祭壇にあたる賢所になる
宗像大神の鏡の神霊を宮中の鏡に移すんじゃないよ >>175
あのちっぽけな空き地の大規模発掘調査では、その柱の穴は、粗末な倉庫のものだということと、大物主時代の化石だらけだったことと、そして、そこが、魏志倭人伝時代の直前に湖の底だったことが判明したのだものね。 いつ覗いてもテンプレートが論破されているね、、、、 >>184
具体的な儀式としてはそうだろうね。
宮中の八咫の鏡と筑紫宗像の八咫の鏡には強い所縁があるということだよね。 >>178
ここで騙しの宣伝しているのは、
奈良の観光関係の組合員や、公務員じゃないのかもね。
ひょっとすると、専門の下請け業者なのかな、、 >>141
2013年のあの大規模調査よりも、数年後のあれのせいでしょ。
勿論、2013年のあの調査が畿内説破綻の発端となったことには変わりないけど、、、
やっぱりとどめになったのはあれだね。。。 >>87
>卑弥呼の前にも男王が70〜80年いたことが書いてあるから、畿内では説明がつかない。
>卑弥呼は突然現れたわけではなく、それ以前からの倭と漢の交流の延長線上にある。
>畿内には漢との交流の痕跡はなく、漢から倭王と認められたのは博多湾勢力。
畿内説では、卑弥呼の時代は纒向が都とされた時期と考えるから、記紀の系譜で言えば
崇神天皇かその前代の頃となる
崇神天皇が第10代天皇とされているのだから、その前に9代の大王がいるのだから
「男王が70〜80年いたこと」と何も矛盾しないだろ?
そして、遺跡の状況から見ると、纒向遺跡の建設開始直前まで栄えた「都」(祭祀中心?)
として、滋賀県守山市の伊勢遺跡が挙げられる
広域の王たちが集まる社会状況が、伊勢遺跡段階でも認められる
また、この近江の地域は、気長足姫尊を出す息長氏の領域でもあり、後の息長氏の地位
立場の基盤になっていると考えると、大和朝廷の前身の一部と見ることに矛盾はない
卑弥呼の共立が纒向建設開始の契機であり、皇統は大和(邪馬台)国から、体制は
この伊勢遺跡のシステムの移入で大和朝廷が始動したと考えれば、整合的な倭国の
始まりを描くことができる (帯方郡から)南に航海すると、二十日で(北九州市や大分県となった)投馬国に至る。
官は彌彌、副官は彌彌那利といい、50000戸あまりあるようだ。。
(帯方郡から)南に10日航海し、陸路を1月行くと女王が都にしている所である(後に、熊本城が建てられた)邪馬壹国に至る。
官は伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮といい、70000戸あまりあるようだ。。
女王の国とそこから北の地域は、その戸数や道や里の様子は、おおよそ書き記すことができるが、その他のかたわらの国は遠くて交流も絶えており、詳しく書き記せない。。。
(帰りに宿泊するのは、邪馬台国の)次は斯馬国であり、その次は巳百支国であり、その次は伊邪国であり、
その次は都支国であり、その次は彌奴国であり、その次は好古都国であり、
その次は不呼国であり、その次は姐奴国であり、その次は對蘇国であり、
その次は蘇奴国であり、その次は呼邑国であり、その次は華奴蘇奴国であり、
その次は鬼国であり、その次は為吾国であり、その次は鬼奴国であり、
その次は邪馬(八女)国であり、その次は躬臣国であり、その次は巴利国であり、
その次は支惟国であり、その次は烏奴国であり、その次は(帯方郡からの道里を前述し、示した)奴国である。
これが女王の境界が尽きるところである。。。
(女王国の)南に狗奴国があって、男子が王になった。
その官には狗古智卑狗がある、、
女王に服属していない、、、 >190
大和国の東に海は無い。 よって、大和国は女王国ではない。 @阿波 キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。 僕たちの訳分では、魏志倭人伝の作者は、まず倭人の住む土地があって、それを倭地と書いたのだよね、、、 そうだね、、、
そしてその中に倭国があって、さらにその中に、女王国や伊都国やマツラ国等がある。。。 倭人のいる地域は、倭国の範囲を超えて広がっているのだったね。。。 そうそう、12000里は、女王国の入り口までの距離だ。。。 そして、女王国の入り口は伊都国と奴国の間にあるのだったね。。。 そうだね、女王国の入り口は、帯方郡から水行十日で到着したマツラ国から、熊本城までの陸行一月の途上だったね。。。 キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。 (帰りに宿泊するのは、邪馬台国の)次は斯馬国であり、その次は巳百支国であり、その次は伊邪国であり、
その次は都支国であり、その次は彌奴国であり、その次は好古都国であり、
その次は不呼国であり、その次は姐奴国であり、その次は對蘇国であり、
その次は蘇奴国であり、その次は呼邑国であり、その次は華奴蘇奴国であり、
その次は鬼国であり、その次は為吾国であり、その次は鬼奴国であり、
その次は邪馬(八女)国であり、その次は躬臣国であり、その次は巴利国であり、
その次は支惟国であり、その次は烏奴国であり、 その次は(帯方郡からの道里を前述し、示した)奴国である。
これが女王の境界が尽きるところである。。。 2013年のあの調査が畿内説破綻の発端となった、、、 >>179
>その山地を超えた所は伊勢国
そこにある伊勢志摩が、次有「斯馬國」でちょうどいいと思うんだがな
その次の次有「已百支國」国は、後に景行天皇の皇子の五百城入彦皇子が
治めた美濃国不破郡の「イフキまたはイホキ」(伊福貴、伊夫伎、五百木)地方
(現在の岐阜県大垣市)でよいと思う 現在まで「伊吹」山として残る地名
こうして余傍国20国をあげて、此女王(国の)境界所盡から、後漢書では
東渡海千余里で狗奴国に行くんだからちょうどいいくらいだろ >>192
伊勢湾があるじゃないの。
屁理屈だよ。 畿内説さんは南を東にしたのなら
東の海は北の海に変えるべきかと。
日本海かな? >>190
>そして、遺跡の状況から見ると、纒向遺跡の建設開始直前まで栄えた「都」(祭祀中心?)
>として、滋賀県守山市の伊勢遺跡が挙げられる
近畿の遺跡をかき集めて好き勝手ばかり。
距離が離れすぎていて、纒向と関連するという根拠がない。
伊勢遺跡は日本海の筑紫と出雲の文化圏だよ。 >>187
>宮中の八咫の鏡と筑紫宗像の八咫の鏡には強い所縁があると
西海道風土記逸文をちゃんと読んでるか?
「自天降居埼門山之時、
以青玉置 奧津宮之表、
以八尺紫玉置 中津宮之表、
以八咫鏡置 邊津宮之表、
以此三表成神體之形而納置三宮」
奥津宮(沖ノ島)に、 青玉を置き(祀り)
中津宮(筑前大島)に、 八尺紫玉(八尺瓊勾玉?)を置き(祀り)
邊津宮(総社)に、 八咫鏡を置き(祀り)
もともと宗像三神は天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた女神で、
天照大神(または素戔嗚尊)の娘神になる
3つの宮に、三種の神器を置いた形だけれど、剣がないのは、
三神そのものが剣から誓約で生まれたためなのかも知れない
宮中の鏡と宗像神社の鏡に所縁があるんじゃなくて、
神話に合わせて、祀る形代、物実が選ばれているってところだと思うよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています