邪馬台国畿内説 Part353

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1◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:27:50.46
 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。

 邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
 勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。

前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1528495001/


◆0【 要 旨 】  ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。

 これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。

 2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
 換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。

 倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
 博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
 絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
 それは桜井市纒向以外にありえない。

2◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:29:40.71
◆1(女王所都)
 奈良県桜井市に所在する纒向遺跡が2世紀末に人為的・計画的に建設された前代未聞の巨大祭祀空間であり、また北部九州を含む列島各地の文化を受容し融合し、そして全国に発信する中枢的な場であったことは、夙に知られている。(◆2,FAQ38参照)

 現・纒向駅近くに東西軸上に複数棟連続して計画的に建築された大型建物群(4棟まで発見済み)は、3世紀前半のものと公式発表されている。
 居館域は桜井線西側のみでも東西150m、南北100m前後の規模を持ち、大小それぞれ構造・機能を異にする複数の建物が方形の柵列に囲繞されており、重要な古道として知られる上つ道に接面している。これに比肩するものは、弥生時代に存在しないのは勿論のこと、飛鳥時代まで見当たらない。大型建物の傍(大型祭祀土壙SK-3001)で宗教的行事が行われた痕跡も発見された。

 この建物群は、位置関係から言って三輪山及び箸中山古墳と緊密な関係が推察される。建物廃絶の時期と箸中山古墳建設開始の時期が近いこと(FAQ10参照)を勘案すると、三輪山と関係の深い宗教的指導者がここに君臨し、死後に箸中山古墳に葬られたと考えるのは合理的である。この大型建物群と箸中山古墳そして上つ道の位置関係は、トポロジー的に咸陽と驪山陵を想起させる。

 箸中山古墳は、日本列島広域各地の葬制を総花的に集約した定型化古墳の嚆矢であり、初期ヤマト政権の初代王墓と考えられるが、被葬者が女性であるという伝承にも信憑性(◆3参照)がある 
 乃ち、その葬制の総花的性格から初期ヤマト政権の初代王は各地の首長に「共立」され求心的に集約された権力基盤を持つ者であり、かつ女性と考えられる。その死亡時期は3世紀中葉(FAQ30参照)である。

 この地に、青銅鏡や武具、新たな土木技術や萌芽的馬匹文化(FAQ21参照)、列島に存在しなかった植物の花粉等(金原2015)など、中国文化が急速に浸透する時期は、列島が魏晋と通交した時期と重なる。
ほぼ同時代史料である魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)の記事と上記の考古的諸事実を突合すると、箸中山古墳の被葬者は曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、◆2〜8に詳述するとおり、ここ纒向が女王の所都である。

3◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:29:58.29
◆2(箸中山古墳に見る共立の構造と政治的ネットワークの形成)
 前掲の大型建物が廃絶時に解体され柱まで抜き取って撤去されていることは、後世の遷宮との関連も考えられるが、歴代の宮のあり方に照らせば、建物の主の死去に伴う廃絶と考えることに合理性があるといえる。したがって、この建物の主人の活動時期は卑弥呼と重なる。
 また、箸中山古墳はこの建物の真南2里(魏尺)に立地し、且つ上つ道(推定)で結ばれるなど緊密な関係を有しており、この建物の主が被葬者であると合理的に推認できる。

 血統による相続原理が未確立な社会において、葬礼の執り行われる首長墓や殯屋は次代首長継承権の公認・公示される儀式の場(FAQ26参照)である。その場で顕示されている各地の葬制は、いわば王権の中における各地首長の影響力のバロメータである。
 つまり、纒向に誕生した定型化前方後円墳のあり方は、共立された王をめぐる権力構造の表象たるモニュメントに他ならない。そして箸中山古墳以降、古墳の築造企画共有が、初期国家の骨格を形成する。

 纒向の時代、上つ道に沿って系統的に展開する大王墓級古墳を時系列的に見ても、箸中山を嚆矢として西殿塚、行灯山、渋谷向山と明確な連続性が認められ、一連の政権が列島規模で存在したことが判る。これらの大王墓級古墳とそれぞれ築造企画を共有し、単純な整数比で縮小された首長級古墳が、全国に展開(澤田1999)しているからである。
 築造企画の共有は、地縁的集団首長間の相対の結縁における相互承認関係を基調とした、擬制的親子或いは兄弟的政治力学関係を示していると考えられ、これが重層的に各地を網羅している状況が観察できる。

 この個々の紐帯の集積が、律令的全国支配が企図される以前の、さらには各地首長の自立性が希薄化して国造化する以前の、倭国の政治的骨格である。ここでいう重層的とは、例えば大王級古墳の4/9の築造企画を持つ古墳においては、大王と2/3の力関係を誓約した大首長があり、更にその大首長と2/3の力関係を誓約した首長があるような関係を意味する。
乃ち、大王が4/9首長に対して直接指導力を発揮するのでなく、2/3大首長を通じて影響力を行使するような形態の国家権力構造である。

 その始発点が、元来は無形である地域的政治集団間の政治力学関係が具現化・表象化し固定化される時期、乃ち機構的には未組織で初代国王の個人的カリスマに依存したプレ国家段階(庄内期)から或る種の政治的機関により運営される初期国家段階(古墳時代)へと移行する画期、乃ち布留0期にあるとみることが出来よう。

4◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:30:20.50
◆3(文献に見える箸中山古墳の特異性)
 その行灯山、渋谷向山がともに帝王陵として伝承され、それらと規模的に同等である箸中山もまた「箸陵」の名が伝えられているにも拘わらず、帝王の姨の墓に過ぎないと紀で位置付けられている。
 このことは、築造工事の大規模さや神と人の協業による築造という逸話が紹介されていること、就中それが紀の収録する唯一の陵墓築造記事であることも併せて鑑みれば、紀編纂時の、行灯山及び渋谷向山の規模を認識している読者視点に於いて、明らかに不自然である。
 箸中山、行灯山及び渋谷向山は、例え位置関係及び築造年代の連続性を等閑看過しようと、その圧倒的質量において、同等格の主権者が連続的に存在したと人々に印象付けずにはおかない。
 換言すれば、眼前の事実として当該陵墓を実見している読者にとって紀編纂時点で箸中山古墳の被葬者に崇神や景行と並ぶ男性帝王が被葬者として伝承されていたならば、現行のように改変を行うことは困難であろうということ、そして被葬者についての伝承が存しない場合も現行のように新規創作することが難しいであろう、ということである

 また、所謂三輪山伝説の類型要素について記との相違点から考証すると、後世に陶邑から入って当地の勢力者となったと考えられる三輪氏の始祖譚など3世紀の史実とは無関係な要素が一連の地名起源譚等とともに接合されていることには疑いない。三輪山伝説類型の神婚説話や天岩戸神話など、付加された疑いの濃厚な類型的部分を除去すると、改変以前に存したと思われる伝承の残存部分が浮かび上がって来よう。

 乃ち、手白髪陵に治定された西殿塚などより明確な形で、被葬者が男性の帝王でないことを示す伝承が紀編纂時においても無視しえなかった情報として存在したと考えることが出来よう。
 女性被葬者のものと治定されている他の巨大古墳には、仲津姫(応神后、景行曾孫)や手白髪(継体后、雄略・市辺孫)など先代との血統的継続性に疑義のある大王に正統性を付与している配偶者のものなどが目立つ。或いは、五社神(神功)など本人が大王相当とされる者のものもある。これらの性格と比較しても、やはり箸中山の位置付けは異例である。

 紀のしるす壬申乱の倭京での逆転戦勝に関連して、磐余彦天皇陵と箸陵の二つが登場することも加味しつつ、敢えて踏み込んで言えば、箸中山が考古学的知見から推察されるとおりの始祖王墓的な存在であること、かつ巫女王墓であるということを、当時の民衆が知悉しており、紀編纂当時の政治がそれを改竄し切れなかったという推測すら成り立つ余地があろう。

5◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:30:39.47
◆4(纒向の地政的意味と倭国の形成)
 纒向は二上山と三輪山で奈良盆地を南北に二分する横断線の東端近くに占地する。この地は大阪湾から大和川を遡上した瀬戸内航路の終点にして、初瀬街道経由で伊勢雲出川河口付近から東海航路に向かう起点である。
 同時に上つ道に面し、北陸・山陰にも抜ける交通の要衝である。乃ち、三輪山をランドマークとする辻に関塞の神を祀る地であり、古くより大市が立つ。

 威信材の流れや墓制の消長から、弥生時代の北部九州では対外交渉力で突出した小国の興亡があったことが判明しており、そのうちには中国製威信財を独占的に入手し配布することで「倭国」的な政治的纏まりを現出せしめるやに見えた者もあった。
 しかしながら、国家形成と呼べる水準に至らぬまま衰退し、最終的には2世紀末の大乱期、中国製威信財入手ルートの途絶を以て、この列島における旧世界の秩序は崩壊した。
 代って、気候条件悪化に起因する社会不安の沈静化と政治的求心力の喪失による紛争の回避を目途として、この地纒向に新たな秩序の中枢が構築され、本格的な国家形成が緒に就く。

 共立とは、各地の葬制を総花的に集約した定型化前方後円墳に表象されることになる政治的関係における求心的集約の状態を、当時の中国の語彙で表現したものに他ならぬと思われる。おそらくは当初に調停の庭であったそれが、完鏡等の威信財供与と祭祀の規格化に表象される首長間のリンケージの核となっていくのである。
 それは首長と首長個々の相対の結縁が重層化した形態をとり、次代の前方後円墳築造企画共有に繋がっていく祖形となる。

 定型化前方後円墳における葬制の「総花」性の中で、突出しているのは吉備地方であり、北枕原則が貫徹している畿内―吉備は葬制から見た政治状況中の枢軸といえる。
 もとより畿内第V様式圏の文化的斉一性は、交流圏・通婚圏として纏まりが存在したことを示す
此の環大阪湾文化圏と吉備を核とする瀬戸内圏との合作は、日本列島中西部を縦貫する流通大動脈を形成し、現実的に倭国乱の帰趨を決したとも言えよう。
 後段で触れる所の寒冷化による海水準低下で、多くの砂丘上の港湾集落が廃絶し潟港が埋没して機能低下を来たした日本海航路に対して、瀬戸内航路の価値は大いに上昇していた。纒向に誕生した政権の特徴である求心性も、この流通支配の趨勢を踏まえたものであろう。
 この意味で、倭人伝に登場する倭の国が東夷伝中で珍しく流通や通信に言及していることは、注目に値する。

 初期ヤマト政権の性格を、アンフィクチュオニーと通商連合の両面から理解することは、有益である。

6◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:30:54.45
◆5(倭国の形成と気候変動)
 1に、南播磨を主力とする畿内系住民が北部九州に移住し交流しているとみられる状況
 2に、河内と吉備の交流の深さ
 この2点を併せ鑑みれば、東海地方(中勢)にも影響力を持つ宗教的指導者を、纒向の地に地域間紛争回避の機構として擁立した勢力の中核をなすのは、汎列島的交易網の再構築と拡大を目途とする、瀬戸内の海上交通を支配する首長たちの利益共同体であろう。
 共立によって地縁的紐帯の域を超えた広域のプレ国家が誕生した。その成熟段階であろう3世紀前半末には、四等官を有する統治機構や市場の統制、通信網の整備などが観察されている。
 これが更に個人的カリスマの死去を契機として、布留0期に、機関化した政治システムのフェイズへと進むのである。

 2世紀は、炭素年代の較正曲線などからも太陽活動の不活発な状況が見て取れるとおり、寒冷化が進んだ時期であることが知られている。
 この寒冷化は、世界的な環境収容量力の低下となって、漢帝国の弱体化を決定づける農村の疲弊(逃散を含む)や北方民族の南下を引き起こしており、世紀末葉の中国は天下大乱の時期となった
倭国乱もこの時期である。
 寒冷化による海退は、砂丘の発達を再開させ、温暖期に安定していた砂丘上に展開していたいくつもの海浜集落を廃絶に追い込み、潟港の機能低下と相俟って国内流通網の再編(※日本海航路の衰退と瀬戸内航路の隆盛を含む)を促した。
 弥生社会を終焉に向けて転身を強いていた気候変動の総決算である。

7◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:31:13.01
◆6−1(自然環境と下部構造からみた国家形成期社会の動態)
 これより先、寒冷化に対応する生産力確保という社会的必要性が、開墾や治水・灌漑の分野で大規模開発行為を行うに足る労働力を大量に徴発できるような強権的な地縁型首長を誕生させつつあった。
 これは、墳丘墓の急速な巨大化・高塚化から窺知できる。換言すれば、高塚化の加速した地域には急速な脱弥生の社会構造変動が起こっている。
 先駆的な具体例としては、寒冷期に向かう不安定な気候が卓越する時期、吉備中南部で体系的な用水施設を備えた大規模な水田開発が、高塚化された大規模で入念な埋葬に見る威信や地位を付託された特定の人々の析出と共時的に生起(松木2014)している。

 析出された特定者への威信付託の象徴として、モニュメントである墳丘墓に付帯するものとして、本源的に個人が身体に装着する物品に由来する威信財には親和性がある反面、個人所有に馴染まない楽器型青銅製祭器は前途を分かつたものと推察される。
 後期に入って既に退潮となっていた大型の武器型及び楽器型青銅器祭祀は、より広範な地域統合を象徴する社会的ニーズの高まりから、その役割をより可視性の高い高塚墳丘墓によって代襲され、その社会的使命が終焉に向かう。
 やがて地域間統合の阻害要因となりうる祭器の性格の差異を捨象する必要から、武器型の持つ金属光沢属性を鏡面に、楽器型の鋳造文様の造形的属性を鏡背に統合して引き継がれ、古墳祭祀の付帯要素に落着(吉田2014)した。
 分節化した統合性の象徴として、小型で可搬性のある銅鏃のみが儀器化して古墳時代に引き継がれる。

 方形周溝墓は主に親族集団墓として近畿・東海を中心に分布し、円形周溝墓は析出層の墓制として岡山に分布したが、その境界である南播磨で両者が共存した。
この延長上に、円形墳丘墓は弥生後期に摂津・播磨から阿讃播・摂河泉・丹波南部・大和山城、近江へと展開し、後期後葉には周溝陸橋部から変化した突出部付き円形墳丘墓として環大阪湾地域及び大和盆地にほぼ同時展開し、これが大和で巨大化の加速する前方後円形墳丘墓に繋がる。
 二つの文化の共存した播磨で前方後円型墳丘墓と方形周溝墓の間の階層性が発生し、これが前方後円型墳丘墓巨大化の要因となって拡散した可能性がある。辺縁部で派生した葬制の変化が、畿内社会内部にも進行していた階層化を承ける形で中心部へとフィードバックされたのである。
 この墓制の成立過程には、庄内式土器が制作技法、焼成方法ともに在地以外からの影響を受け技法の一部を取り入れて新たな型式を創出していること(長友2006)とも共通した特質がある。

8◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:31:29.34
◆6−2
 高塚化の進行から窺知される社会構造変化は各地域で概そ銅鐸祭祀の終焉と期を一にしていることが知られているが、こと畿内とくに大和に関しては例外的に、銅鐸祭祀の縮小と高塚の発生(モニュメント社会の到来)に大きな時間差がある。むしろ高塚化に代えて第V様式が広範囲に斉一性を発揮しているように見えるのが畿内の特異性であり、世俗権力的な核の見出しにくい弥生後期畿内社会の特質の解明が待たれる。

 巨視的観点からは、弥生石棒文化圏から銅鐸分布圏そして畿内第V様式と、令制畿内の前身が連綿として環大阪湾域を核とした東瀬戸内囲繞エリアを形成している。

9◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:31:51.31
◆6−3
 ここで夙に指摘される畿内弥生社会の均質性の中から急激に巨大前方後円墳にみる権力集中が湧起したことは、近代のポピュリズムにも通じるものがある。権力の一局集中と公共性、一者が突出・隔絶することと他者が均質であることは、対立的に見えてその実良く整合が取れるのである。
 一方、九州で高塚化が起こらなかったのは、その先進性が災いして中間階層が富裕で有力な社会構造であった為に、突出した権力の発生に対して掣肘が大きく働き停滞的であった所以であると考えられる。

 この寒冷化が過ぎると、次の古墳寒冷期が開始するまでの間、砂丘上には再びクロスナ層の形成が始まり、集落も再生する。宗教的権威が政治力を行使できた背景には、このような一時的温暖化による社会不安の沈静化という現実があり、気候変動が祭祀者の存在感を強調する意味で予定調和的に働いた可能性がある。
 このクロスナ層中の遺物に共伴するのが庄内併行期の土器である。

10◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:32:09.45
◆7−1(北部九州における人の移動と政治的動向)
 3世紀初頭から約半世紀の時間幅が庄内併行期と呼ばれ、卑弥呼の活動期間が稍前倒し的にこれと概ね重なる。
 北部九州で出土する楽浪土器は庄内併行期をピークに激減、土師器 IIB(布留0新相〜布留I古相)期には確認例がない(久住2007)ことが知られている。これは停滞期(高久楽浪IV期)を脱した楽浪が再興期(同楽浪V期)に活発な対外活動を展開したのち急速に衰退する、という趨勢がリアルタイムに反映している。(FA43参照)
 つまり旧二郡域との交渉はIIA期(布留0古相併行)の中でほぼ終了していたものとみられ、ピークとなる庄内期の中に魏と定期的交渉を持った西暦240〜248年が位置すると考えられる。

 庄内併行期は、先行する弥生V期に引き続き畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことにその最終時期である布留0期に級数的に進展する。この流入は人的移動を伴うものと考えられており、博多湾岸に広がり、河川に沿って内陸に浸透する。

 上位の墳墓に畿内系土器が供献される事例が増え、3世紀前半のうちに博多那ノ津地域の政治中枢が弥生時代以来の春日地域から畿内系色濃厚な比恵・那珂地域へ移ることからも、その浸透状況の性格が覗われる。
 逆に、最後まで在地系の独自性を維持するのが糸島地域で、その畿内系土器の受容に極めて消極的な姿勢は、ヤマト王権への接近傾向が顕著な博多とは対蹠的と言える。
 外港である今津湾、加布里湾双方に畿内系の往来が見られるにも拘らず中心部が在来系一色で、極めて僅かの供献土器が祭祀遺構とされる一角で発見されるのみ、という状況は、あたかも包囲的閉塞の中で辛うじて政治的独立を保証されているようにさえ映る。

 1つに、前方後円墳の浸透状況(外港:泊地区に久住IIB期、中心街:塚廻に同IIC期)がその後の伊都国の終焉過程を表象していること
 2つに、強権的色彩を帯びた一大率が人口の少ない伊都国に治を置いて検察業務を執行していると記す史料
 これらを突合すると、対外交易の主導権を喪失した後の伊都国の姿が窺知できよう。

11◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:32:27.79
◆7−2
 北部九州の土器編年で言えば卑弥呼の人生の大半を占める時期の相当する久住IA・IB期、博多は対外交易について最大級の中心地である。そのころ、博多は畿内人の流入を含む深い人的交流があり、生活様式から祖先祭祀の形態まで、その影響を受けている。

 その影響を受けた在来系と影響を与えた外来系が共存・集住している集団と、外来系に対して閉鎖的な在地集団の間に、前者を上位とする集団間の階層差も指摘(溝口1988)されている。
 糸島三雲番上地区に一定数の楽浪人居住が確実視されていることも鑑みれば、倭が中国と国交を再開した3世紀中葉において、中国は必ず博多の情報を入手していると見做してよい。従って、中国魏王朝は畿内にあった倭人社会最大の政権を知っていると考えるべきである。土師器IB期が魏王朝と国交のあった時期に相当することは諸説の一致するところである。

 この時期に、奴国の中枢域に比定される那珂比恵地域の土器相が畿内ヤマトの「飛び地」的展開に向かっている現実は、邪馬台国九州説にとって絶望的である。

12◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:32:47.47
◆8(結語)
 日本列島の対外交渉は、古くは勒島貿易、ついで原ノ辻貿易、そして博多湾貿易と移行する。
 原ノ辻貿易の直接主体が壱岐のオウであり、そこに最も影響力を持っていたのが前原三雲の王であることが有名である。
 原ノ辻が活気を失い博多湾が対外交渉の主役に躍り出るのが、庄内併行期である。

 その転換の最終段階には、大和や播磨から移住してきた人々やその二世世代が圧倒的シェアを占める港湾都市で西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易を展開する時代となる
 前原三雲の王は静かに表舞台から退場していく。

 博多湾貿易の時代全体を通じて、那珂川地域ー足守川流域ー纒向は国内流通の大動脈を支えるトロイカとして機能し、その消長も時期的に一致する。これが倭人伝記載の三大国(奴・投馬・邪馬台)アライアンスであり、博多湾貿易を基軸とする倭国の政体であり、金海貿易へ移行するまで存続したと考えられる。

 遡って、第二次高地性集落は弥生後期になると低丘陵上で一部の一般生活集落が防衛的要素を帯びた形態をとる。
 この現象は、寒冷化現象に起因すると思われる社会変動の存在や、同じく寒冷化に起因する中国の政情不安による威信財輸入途絶という政治的要素を綜合的に判断すると、文献資料上にある「倭国乱」にほかならない。
 この時期に高地性集落が中九州から東海、北陸にまで展開するという事実は、「倭国乱」が日本列島中西部を広範に巻き込んだ社会現象であることを物語る。

 土器拡散にみる遠隔地交流の活性化と併せ見れば、2世紀末〜3世紀の状況証拠は、すべて初期ヤマト政権と新生倭国の誕生を指し示しているのである。副葬習慣をほとんど受容しない地域であった畿内(佐原1970)の豹変的社会構造変化は、全国区的政権誕生に向かう胎動にほかならない。
 そして絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開したとき、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
以上の根拠により、それは桜井市纒向以外にありえない。

13◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:33:02.06
◆9 参考 (URL)
●ネット上でも見られる、畿内説を取る代表的な学者のひとり
 寺澤薫が一般向きに書いた論説
纒向学研究 第1号(PDF)
ttp://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-1.pdf
纒向学研究 第2号(PDF)
ttp://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-2.pdf


◆ 参考(市販書籍)
●文献ベースの入門的論説
西本昌弘「邪馬台国位置論争の学史的総括」日本書紀研究17所収
仁藤 敦史「倭国の成立と東アジア」岩波講座日本歴史1所収

●コンパクトで包括的な概説書
洋泉社編集部編「古代史研究の最前線 邪馬台国」

●東アジアの考古学へと視野を広げた解説書
東潮「邪馬台国の考古学」

14◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:33:21.52
◆10 実年代目安の参考
(現時点で高等学校日本史教科書などに採用されている年代観と概ね同等の、最も広く通用しているもの)

○弥生時代後期
  1世紀第1・2四半期〜2世紀第3四半期中頃
○庄内式期(庄内0〜3)
  2世紀第3四半期中頃〜3世紀中頃 
○古墳時代前期前半(布留0〜1)
  3世紀中頃〜4世紀第1四半期
○古墳時代前期後半(布留2〜3中・新段階)
  4世紀第2四半期前半〜4世紀第3四半期
○古墳時代中期前半(布留3の一部、TG232〜TK216)
  4世紀第4四半期〜5世紀中頃
   (古代学研究会 森岡、三好、田中2016による)

※箸中山古墳は布留0古相に該当(寺澤2002)
※本文◆7の「3世紀初頭から約半世紀の時間幅が庄内併行期」は
 庄内0を庄内式直前として弥生後期に分類する考え方で、実年代観は同一である。
 同様に、布留0を庄内に分類する考え方も実年代観に違いがない。
 庄内併行期を弥生時代と呼ぶか古墳時代と呼ぶかが実年代観の相違でないことと同じ。
※北部九州編年(久住)との並行関係(久住2002,2006,2010)
 IA期ー 大和庄内0〜1    ー 河内庄内I〜II
 IB期ー 大和庄内2〜3    ー 河内庄内II 〜III ●纒向矢塚、矢藤治山                  
  IIA期ー 布留0古相      ー 河内庄内III   ●箸墓、権現山51号
  IIB期ー 布留0新相〜布留1古 ー河内庄内IV〜V  ●西殿、桜井茶臼山、黒塚、
                           浦間茶臼山、西求女塚
  IIC期ー 布留1中相〜布留1新 ー河内庄内IV〜布留I●椿井大塚山、神原神社、
                           メスリ山、行灯山、祇園山

15◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:33:37.66
◆11
◆FAQ 1
Q:倭人伝には九州のことばかり書いてあるではないか!

A:九州は倭国の一部なので問題ない。
 郡使は伊都国で常に駐するので、九州のことがよく観察されているのは当然のこと。
 逆に、伊都国の属する博多湾岸地域に見られない風俗や産物(灼骨卜占や丹井)が記されている事実は、倭国の地域的広がりを推定するうえで重要な情報であり、就中、倭国の都が博多湾岸地域には無いことを物語る。壹岐一国では観察されたが首都よく観察しても見出せなかった風俗を、倭国全般の風俗と記録することは、合理的行動でないからである。

 畿内は朱の生産地を擁しており、これは3世紀の九州に見られないものである。水銀朱精練遺構は三重の丹生の天白遺跡や森添遺跡、宇陀の丹生河上が縄文、唐古鍵・清水風が弥生中期で宮古北が布留0と、古くから利用されている鉱床所在地近辺に点在する。
 水銀朱採掘遺跡そのものは未発見であるが、丹後赤坂今井墳丘墓(弥生終末)出土の水銀朱が明らかに丹生鉱山産朱の特徴を示し(南ら2008)、ホケノ山の水銀朱はMn,Feの含有量に於て大和水銀鉱山と同じ特異性(南ら2001)を示す。
桜井茶臼山(3世紀末)出土の水銀朱が大和産であることは水銀、硫黄及び鉛同位体比分析によって判明済み(南ら2013) である。これらの状況から、3世紀の宇陀や丹生に丹山が有ったことは確実視される。

 北部九州の古墳出現期には、津古生掛古墳など畿内と関連の深い一部の限られた墳墓より畿内産の水銀朱が発見され(河野ら2013)ている。被葬者でなく埋葬施設に施朱するのは九州では殆ど見られない儀礼(志賀・谷口2012)であり、東方からの影響と考えられる。
 また、纒向遺跡から出土した卜骨も倭人伝の記事と合致する。(FAQ51参照)
 倭人伝に糸魚川産の硬玉ヒスイが登場していることにも疑義の余地はなく、当時の中国人が認識する倭国の範囲は日本列島規模である。

16◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:33:56.24
◆FAQ 2
Q:水行とは河川を行くことだ!
  魏使は九州を出ていないではないか!

A:海を行くときも「水行」と記載された実例があるので不成立。
「水行」と書かれているが川であるか海であるか判明しないケースを、川と判断する理由は無い。
 逆に、明確に河川を移動しているケースで陳寿が「水行」という語彙を使った例は無い。
(例)
  「泝流」が6回
  「泝(+固有名詞川名)が7回
 倭人の地が大陸ならぬ大海中の島嶼上に所在することは予め明示されている。
 倭人伝における「水行」の初出が「循海岸」と副詞的に形容されている以上、以降の10日や20日に及ぶ「水行」をその省略形であると見做すことには合理性がある。

17◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:34:14.48
◆FAQ 3
Q:行程論から言って、畿内説は無理ではないのか!

A:倭人伝の記す行程を記載通りに辿れば、沖縄本島付近の南海上(◆FAQ40参照)となる。史料にいかなる解釈を施して上記以外の比定地を求めても、それはテキストの改竄もしくは粉飾に他ならない。
 「當在」という語法からは、筆者が里程等から倭人の国を会稽東冶(現・福州市近郊)程に南方であると具体的に推計し、倭人の南方的風俗との整合性確認を意図したことが明らかである。故に、「自郡至女王國」の「萬二千餘里」は倭人の国が会稽東冶ほどに南方であると言う筆者の認識を端的に示している。

 以上から、倭人伝の里数及び「南」という方位倶に致命的な誤りが含まれていること、並びに筆者が1里=1,800尺を用いていること、の二点に疑問の余地がない。(註※)
実際の倭人の国々は倭地は会稽山陰はおろか魏都許昌ほどの南方に過ぎず、纒向は洛陽とほぼ同じ北緯である。
 三海峡渡海は概ねの定点を得ることが可能なので、測距に錯誤があることが明らか(◆FAQ19参照)である。加えて、九州本島最南端は会稽山陰より猶ほ北方である。また、現実の1/5ほどの架空の1里を想定するならば、楽浪を「雒陽東北五千里」とする地理感に照らすと倭地は洛陽の猶ほ北であり、倭人伝記事と全く整合しない。
 筆者の認識した万二千余里の数字、及び「南至邪馬壹國」の方位「南」。この双方に錯誤を認めない限り、「當在會稽東治(当作「冶」)之東」と記述されることは有り得ない。東冶の「東」の方位に誤差を認めて強引に現実的地理に近づける解釈を行うことも、角を矯める愚を犯すに等しい。

 実際の地理上3海峡の間隔が等距離でないことはもとより、倭人伝所載のとおりの行程を辿ったのでは、伊都国であることが確実視される糸島三雲にも、奴国たるべき博多・比恵那珂エリアにも到達できないことは自明である。
 このように、行程記事は方位・距離ともに著しい誤情報を含み実用に耐えないので、所在地比定には採用しない。検証にのみ用いる(関連:◆FAQ8,17,18,19,20も参照)

※検証 古代中国の地理感覚(続漢書地理志注記による)
 遼東郡:雒陽東北三千六百里 楽浪郡:雒陽東北五千里
 予章郡:雒陽南二千七百里  南海郡:雒陽南七千一百里
 (雒の用字より漢代原史料に基づくものと推定)

 倭人伝云う所の12,000余里うち韓が方可4,000里であるから、南方向成分は9,000里程度となろう。楽浪が東北5,000里より南方向成分を概略3,000里程度と見積もると、
楽浪から、会稽山陰よりも稍や南に所在する予章まで南北で6,000里以下、広東まで10,000里程度とイメージできる。上記約9,000里は帯方〜現・福州市間の南北距離として矛盾がない。
 また、12,000余里うち南方向成分が9,000里程度となると方位は著しく南南東に偏し、倭人伝冒頭に掲げる「帯方東南」との齟齬が大である。このことも「南水行」の方位に錯誤を認むべき根拠となろう。

18◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:34:32.05
◆FAQ 4
Q:纒向遺跡は、七万戸だという邪馬台国には小さすぎる!

A:誰も、纒向遺跡=邪馬台国だなどと、主張はしていない。
 纒向遺跡は、巫女王の居た王都であり、国ではない。
 また、「邪馬台国は大和国」と言う表現を用いる諸説も、多くは邪馬臺の語源(音写元)についての言及であって、領域としての令制大和国という定義を主張していない。

 畿内説においては、邪馬臺を大和朝廷の王畿とした内藤湖南の見解(内藤1910)以来大きなブレは無いものの、令制国の疆埸と3世紀とでは時間差による異同が無視できない。よって、邪馬台国の厳密な範囲については材料不足であるものの、令制五畿の概念に代えて、考古学的観点から概ね2世紀末葉時点の近畿第V様式分布域を想定する。
 また、邪馬台国と女王国を=でなく⊂で考えた場合、纒向遺跡に搬入量の多い中勢雲出川流域等をはじめとする畿内周縁部もまた、女王国に含まれる可能性を考慮する必要もある。


◆FAQ 5
Q:方位を間違っていたなら海峡を渡れず遭難する!

A:1719年に朝鮮通信使の一行として来日した申維翰は、対馬で南下しているのに東へ向かっていると誤認した。さらに対馬は東西に長い島(東西約三百里,南北はその1/3)と著書『海游録』に記す。(「東西可三百里、南北三之一分」)
 佐須浦(現・対馬市上県町佐須奈)は対馬の北西端、府中(現・厳原)はそこから東(実際は南)二百六十里と書く。
(「自此西距釜山四百八十里、東至島主府中二百六十里」)

 小船越では、実際昇る朝日を見ているのに、依然東に進んでいると考えており、彼の地理勘はちょうど90度狂っている。
 対馬から見て釜山を西、大阪京都を北、長崎を東と認識している。
 ところが、対馬からの京都大阪の方位について大きく錯誤しているにも拘わらず、江戸は京都の東千三百里と正しく把握している。

 むろん遭難などせず、ちゃんと日韓を往復している。
 このように、使者が方位を誤認していても安全に往還可能であることの証明が存在するとともに、誤情報の竄入によって全体の整合性は易々と喪失することが明らかである。


◆FAQ 6
Q:畿内説では、卑弥呼は記紀の誰なんだ?

A:記紀の王統譜をそのまま史実と見做さないため、卑弥呼を記紀の誰かにそのまま当て嵌めない。近年の歴史学のあり方に沿った考え方と認識している。

19◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:34:58.21
◆FAQ 7
Q:纒向から九州の土器が出ないではないか!
  纒向は九州邪馬台国と交流のない別の国だろう?

A:そのような事実はなく、当然交流があった。
 畿内第V様式、庄内式、布留式みな時系列に沿って北部九州から出る(本文◆7参照)し、纒向においても筑紫で製作された庄内甕(久住2006)が出る。畿内と北部九州を結ぶ海路の重要拠点からも畿内系・吉備系の土器が発見される。(◆FAQ31参照)
 このことは、往来していたのが畿内系・瀬戸内系の人間だったことを示し、畿内と北部九州の片務的関係を示唆する。かつ畿内系が社会的に上位である。(◆7参照)


◆FAQ 8
Q:「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」
  と倭人伝にある。畿内説は南を東に読み替えるから、これは北だな?

A:読み替えない。
 行程論とは別の方法で纒向を倭国の都と特定した結果「南至邪馬壹國」の南は「東」の誤りと判明した。つまり、行程論で邪馬台国の位置を比定しようとする九州説の多くとは論理の向きが逆の方法論である。
 これは他の箇所をも読み替えるという主張ではない。
 伊豆七島などは唐古鍵の時代から畿内と交流圏である。考古的遺物の分布からも、古来百船の渡会たる伊勢より三遠駿さらに南関東に至る海上交通路の存在が明らかであり「女王國東渡海千餘里」の情報源として注目される。


◆FAQ 9
Q:狗奴国はどこだ?
  女王を共立したのが西日本を覆うような広域だとしたら
  女王に属さず逆に脅かす程の勢力、狗奴国とは何者か?

A:S字甕第1次拡散域ならびに多孔銅鏃分布域が中部から北陸、関東に及ぶ広域に存在した
有力な候補である。
 中九州を中心とした免田式分布域も面積的には狭いが、倭国の対外交渉を阻害する可能性という側面での危険性を考慮すれば対抗勢力として評価できる。
 倭女王卑弥呼は二郡の対韓戦役に協力した形跡がなく、その言い訳に狗奴国の脅威が強調された可能性もある。
 いづれにせよ領邦国家が成立している史的発展段階にはなく、当時の「国」は複数の政治的地域集団が点と線で結ばれ彊埸が不分明であったと考えられることは念頭におく必要がある。
 王名の卑弥弓呼を称号と理解する限りでは倭国と同一文化圏に属するものと解せるので、卑弥呼の共立に対して不服な分派という解釈もあり得よう。

20◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:35:16.64
◆FAQ 10
Q:箸墓は宮内庁管理の陵墓で発掘できない筈だ!
  年代が判るという考古学者はおかしいではないか!

A:箸墓(箸中山古墳)墳頂で採取された土器相は宮内庁書陵部から報告書が出ており、その成果が弥生後期後葉から連続する時間軸上での指標となっている。
 陵墓指定から外れた墳丘裾、渡り堤、周濠は発掘され、県の機関から正式の報告書が出ている。

 封土を築いた土取り穴底で発見された土器等が工事開始直後周濠最底部に埋没した土器であって完成直後の時点を示すと判断され、布留0古相の範囲内で築造され完成したと判定されている。
 しかしながら封土以前には地山切り出し工事があるため、着工がさらに若干遡る可能性も否定できない。


◆FAQ 11
Q:倭人伝の国は律令下の郡ほどの規模だろう!
  それらの国が30国程度なら、筑前・筑後・肥前三国程度の規模にならないか?

A:倭人伝の記述からは、5千戸未満の小国と、万単位の大国に二極分化している状況が見て取れる。
・前者が、自然国境等に阻まれて規模的に弥生拠点集落の域を脱していない「クニ」
・後者が、河川流域や平野等の単位の大きな纏まりへと進化した、新しい時代の「国」
とみられる。
 後者に属する奴国の位置は、博多湾岸地域最大である福岡平野に求めることが妥当である。彊埸には筑前型庄内甕の波及範囲を想定することが出来よう。
 使訳通じる30国のうち両者の構成比は不明だが、すべてを郡単位と見做すのは不合理である。

21◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:35:43.52
◆FAQ 12
Q:倭人伝には「兵用矛」と明記されている!
  畿内説は倭人伝と合わないのではないか?

A:矛という考古学用語は古代中国人の認識とは異なる。よって判断材料とならない。
 福岡県においても、3世紀前半と確認できる鉄矛はひとつも出土しておらず、条件は同じである。
 弥生時代に導入された銅矛は、儀器化する一方で実用武器として一部が鉄器化したが、殆ど普及しないまま弥生中期で概ね消滅した 。
 以降、古墳時代に入って、騎兵の突撃を迎え撃つための三角錘型の穂先を持つ突刺武器=矛が再出現するまで途絶した理由は、実用武器として堅牢性の要求水準が袋状鉄斧等より高く、鋳造品である銅矛と同等の袋穂構造を鉄の鍛造品で作ることが経済合理性の上で鉄槍に劣後したためと考えられる。

 当時の槍は中世以降のものと容貌を著しく異にしていて、剣状の穂先を4つの杷木で挟んで糸で巻き黒漆で塗りかためて固定しており、使用法も形状も矛の後継品であったと思われる 。

 倭人伝に描写された3世紀前半は矛の副葬が盛行した嶺南地方と対蹠的に、本邦で信頼に足る鉄矛の出土例が見られない時期であり、当時の倭人社会で使用されている長柄武器は、現代語で言う槍である。
 倭人伝にいう実用武器の「矛」の実体は、倭人伝原資料の報告者が目撃したところの倭人の武具、乃ち今日の考古学者が槍と呼ぶ遺物である可能性が最右翼といえるだろう。
 当時の中国で「槍」という文字は長柄武器を指すものではないので、現代人の言う3世紀当時の槍を実見した中国人がこれを表記した可能性のある語彙が他に見当たらず、自分たちの社会で最も類似した道具の名前で呼んだとして何ら不思議は無いからである。

 なお、「日本考古学の習慣で柄に茎を入れるものをヤリ、袋部に柄を差し込むものをホコといっているが、これは現代考古学の便宜上の区別に過ぎない」(「弥生から古墳前期の戦いと武器」日本の古代6)ともいう。
 加えて
「『兵用矛楯木弓。竹箭或骨鏃。』とあるは、大要漢書地理志の儋耳朱崖の記事を襲用せり。此等は魏人の想像を雜へて古書の記せる所に附會せるより推すに、親見聞より出でしにあらざること明らかなり。」(内藤1910)
 の指摘は今日も有効である。

22◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:36:24.06
◆FAQ 13
Q:倭人の墓は「有棺無槨」と明記されている!
  古墳に槨のある畿内は倭人の国ではない!
 
A:槨という現代日本の考古学用語は、古代中国人の語彙である槨(本来の槨)とは異なるものである。よって否定材料にならない。
 
 現代語「槨」が古代中国のそれとかけ離れていることは粘土槨や礫槨など古代中国にない呼称を用いていることでも明白であり、考古学者の間でも批判的意見のあるところである。
 古墳の竪穴式石室もまた古代中国人の云う槨の概念とかけ離れた形状・構造であり、両漢魏晋人に槨と認識される可能性は無きに等しい。
 畿内で一般的な墓は木棺直葬で「有棺無槨」に適合している。
 逆に、北部九州に多い箱式石棺は中国人に槨と認識される可能性が否定できない。
 
 
◆FAQ 14
Q:畿内の政権が、本国を遠く離れた九州伊都国に諸国が畏憚するような強制力を持つ機関を置くことは困難なのではないか?
  
A:北部九州最大勢力の奴国域内に畿内系住民が多数おり、奴国と畿内は密接な協調関係にあったと合理的に推定できる。この人的資源を背景として、伊都国の外港を管掌する位置にヤマト王権が強権的な監察者を置くことは十分に可能であったと思われる。
 伊都国の王都域とされる三雲遺跡から今津湾に注ぐ瑞梅寺川の河口付近には、博多在住の畿内系住民が往来したとみられる特殊な拠点がある。
 糸島は壱岐と強いパイプを有していたことから、弥生中・後期にあって対外貿易の利を独占的に享受していた経緯が、遺物から窺知される。北部九州にあっても威信財の配布に於いて明らかに格差のある扱いを受けてきた辺縁部の首長にとって、対外貿易当事者の利権独占を制約する強権的な監視者の存在は有益である。
 このような状況下で、畿内出自の流官が北部九州において、諸国が畏憚するような強制力を持つ機関を主導することには、これといった困難が認められない。

23◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:36:43.86
◆FAQ 15
Q:鉄器の乏しい畿内の政権が覇権を握るのは無理だ!

A:倭人伝の描かれた卑弥呼の政権は覇権的でない。
 宗教的権威者を核に、各地の首長が自主的姿勢で政治力を求心的に集約(共立)したものであり、考古学が解明した3世紀の状況とよく整合する。

 一方、伐採用石斧の減少状況から鉄器の普及状態を推測すると、九州と畿内でも極端な格差が無い。準構造船(久宝寺南:庄内新)をはじめとする木製品の加工痕からみても、一定量の鉄器が普及していたと思われる。
 遺存例には大竹西遺跡の鉄剣(弥生後期初頭)や唐古鍵40次調査の板状鉄斧、痕跡では加美遺跡Y1号周溝墓の鉄斧による伐採痕や唐古鍵SD-C107鉄斧柄、纒向遺跡メクリ地区の大型鉄器を研磨したと推定されている大量の砥石(3世紀前半〜中頃)など。
 鍛冶を伴う遺構は纒向石塚の北東200m近辺出土の鞴羽口や鉄滓等(3世紀後半)、淀川・桂川圏で中臣遺跡(京都山科,弥生後〜古墳初)、西京極遺跡(京都市内,弥生後前)、和泉式部町遺跡(右京区,弥生後〜古墳初)、
南条遺跡(向日市,弥生後前)、小曽部芝谷遺跡(高槻,弥生後)、美濃山廃寺下層遺跡(八幡,弥生後後)、星ヶ丘遺跡(枚方,弥生後後)、鷹塚山遺跡(枚方,弥生後後)、木津川圏で田辺天神山遺跡(京田辺,弥生後〜古墳初)など。

 纒向での鉄利用状況については、大型建物D隣の大型祭祀土壙SK-3001より出土したヒノキ材(庄内3)の分析で、その加工痕及び周辺で植生上少ないヒノキの多用という状況から
「集落を包括した工人専業集団の発達がなされ、鉄器が一般使用または使用できる集落」(金原 2011)
 と結論されている。

 弥生終末期(庄内新相)の畿内中枢に於て遺物が直接土壌と接触しにくい墓制が普及し始めると同時に俄かに豊富な鉄器が登場するという状況を鑑みると、畿内の土壌の特性が鉄器の遺存状態に大きく影響していたことには疑問の余地が無い。


◆FAQ 16
Q:記紀には卑弥呼に当たる人物が登場しない!
  九州の邪馬台国と大和朝廷が無関係だからだろう!

A:3世紀の史実を、8世紀に書かれた記紀が逐一忠実に反映しているとは期待すべきでない。
ことに、記紀の成立した当時の国是は治天下天皇が外国に朝貢した歴史を容認しない。

24◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:37:00.83
◆FAQ 17
Q:三国志の東夷の部分は短里で書かれていたのだ!

A:同一書の中で説明もなく、同名の別単位系を混用するのは不合理である。
 また、倭人伝の里程を現実の地理と突合した有意な規則性は。未だ提示されてない。
 よって短里という単位系を帰納することは不可能であり、短里は存在しないと言える。
 このことは白鳥庫吉(1910)以来縷々指摘されているが、有効な反論がない。


◆FAQ 18
Q:3世紀の科学では、目視出来ない長距離の直線距離も天測によって求めることが出来た筈だ!

A:いかなる史料上にも、そのような測定実施の記録がない。
 万が一にも、そのような測定があったなら福岡県が魏の許都の真東に所在することが明らかになるので、倭人伝の記事と齟齬する。
 したがって測定は存在しない。

 また、魏代の三角測量技術を示す当時の史料上では1里=1800尺であることが明瞭であり(『海島算経』劉徽,A.D.263)、多数出土している尺の現物と突合すれば、異常に短い架空の里単位系が実在しないこと、これ明らかである。

25◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:37:18.69
◆FAQ 19
Q:釜山〜対馬あるいは対馬〜壱岐の距離は、信頼できる基準ではないか!
  これに基づいた里程論で、邪馬台国は九州島内に求められる!

A:1〜2例から単位系を帰納すること自体が手法として非科学的であるというより、帰納の方法論に反する。ましてや、海上の距離のような測定困難な値から、古代の単位系を逆算することはナンセンスである。

 新しいものでは、1853年の『大日本海岸全圖』にまで釜山〜豊浦(対馬北岸)は48里と書かれている 。江戸時代の48里は約189qであり、海保水路部距離表に基づく釜山〜佐須奈間は34海里(=63q)である。
 江戸時代に1里が約1,300mという「短里」があったであろうか? 否、間違った距離情報があっただけである 。
 まったく信頼性のない情報を用いて得た邪馬台国の比定地は、当然ながら信憑性が無い。

 逆に、郡使の「常所駐」と記される伊都国から奴国の距離「百里」を、有効数字一桁(50〜150里)の範囲で三雲遺跡から日向峠越えで博多南遺跡に到着するまでの実距離20km超と突合すると、正常な中国の単位系(1里=1800魏尺)で十分に解釈可能である。魏人或いは楽浪人の実見した可能性が最も高い地域で現実性ある数値が得られていることは、空想上の単位系を前提とした邪馬台国論の空虚さを物語っていよう。

26◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:38:23.87
◆FAQ 20
Q:倭人伝の里程はすべて概ね実距離の1/5〜1/6
  これで説明が付く!

A:そのような整合性は認められない。
 考古学的知見から、帯方郡治は鳳山郡智塔里の唐土城、狗邪韓は金官伽耶に比定される
 対馬国邑は不確定ながら、一支国邑は原ノ辻、末盧は唐津市中原付近、伊都は糸島三雲、奴は那ノ津に求めることが出来る。

 信頼に足る実測に基づく限り倭人伝記載の里程には有意な規則性が認められず、倭人伝の里程には多数の間違いが含まれることになる 。
 郡から九州本島に至るまでの距離は、ちょうど1万里になるように机上で創作ないし強引に調整されたものであると考える方に妥当性があろう。

 九州説の重鎮たる白鳥倉吉が、現実の地理と照合して里数に有意な規則性が見出せないことを以て里程に基づいた邪馬台国位置論の抛擲を提言(白鳥1910)してより、既に100年が経過したが、有効な反論は提起されていない。
 
 
◆FAQ 21
Q:箸墓の周濠から馬具が出土している!
  箸墓の築造は5世紀に近いとみるべきだ!
 
 
A:箸墓(箸中山古墳)の周濠が機能停止して埋没する過程で堆積した腐食土層より、廃棄された木製輪鐙が布留1式土器とともに発見されている。つまり周濠が機能して流水が通じていた時期にシルト層が堆積した時間幅に続いて腐食土の堆積した時間幅がある。
 箸中山古墳の築造を布留0古相の3世紀第3四半期、布留1を西暦300年前後±20年程度とする実年代観と矛盾しない。
 このような摩擦的な遺物の存在は、魏晋朝と纒向の初期ヤマト政権の交流による断片的な馬匹文化の流入と途絶を示すものとして合理的に理解される。
 
 中国本土では前漢代の雲南省「シ眞」(テン)国の陶俑の片鐙、中華王朝では湖南省西晋墓の陶俑片鐙(西暦302年埋葬)が最古発見例で、現物は西暦340年の河南省出土例まで降る。
 三国志には魯粛が下馬する際に孫権が鞍を支えた記述があり、鞍に装着された昇降用片鐙に体重が懸って鞍が傾くの防いだ状況が窺われる。
 西暦302年時点で騎馬に従事しない陶工が正確に描写できる程度には普及が有ったと見ることが出来ることからも、4世紀初頭に日本列島で現物が出ることに不合理はない。

27◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:38:43.01
◆FAQ 22
Q:歴博がAMS法による土器付着炭化物のC14を測定、箸墓の築造年代を西暦240〜260年と発表した!
  これは信用ならない!
  同じ層位から出土した桃核が100年約新しい年代を示しており、こちらが信用出来る!
A:箸墓(箸中山古墳)で発掘された桃核のひとつが1σ西暦380〜550年という数値を示しているが、2σは西暦245〜620年である。
 もう一個が1σ西暦110〜245年であり、土器付着炭化物の数値群と整合性がある。
 つまり、桃核の測定値が系統的に新しい年代を示すとかいうのではない。

 考古学的常識を大きく逸脱した一個の異常値を盲信するのは非科学的である。
 炭化物の多孔性が持つ吸着力はコンタミネーションのリスクを伴うことも含め、統計的に信頼に足る量の測定例集積を待つべきである。

 逆に、矢塚古墳庄内3層位出土の桃核2つ(NRSK–C11及び12)並びに土器付着炭化物1つ(NRSK–6)は、揃って3世紀第2四半期前半をピークとする値を綺麗に示している。
http://i.imgur.com/rYVZcSP.png
 これを、桃核なら信じられるという主張に則って庄内3の定点として信用した場合、後続する布留0古相を3世紀中葉とする歴博見解を強く裏付ける好材料となるであろう。

 一部に土器付着炭化物の測定値が系統的に古い数値を示すという意見があるが、そこで提示されている稲作到達以前の北海道の測定例は海産物由来のリザーバー効果で説明できる。一年草である米穀の吹き零れを測定した歴博例と同一視することはできない。

28◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:39:10.96
◆FAQ 23
Q:卑弥呼の冢は円墳なのだから箸墓ではありえない!

A:「径」は円形以外のものにも用いられる表現である(ex.典韋の斧の刃:魏書18)ので、円墳と特定する根拠はない。
 また、築造過程で箸中山古墳は円丘と基壇部のみの前方部から成っていた時期がある。
 基壇部は水平方向から見ると隆起していない。
 よって、基壇部の築造企画が当初より前方後円型である事実は、方丘後付説を否定できる材料ではない。

箸中山古墳は以下の過程で築造されたと推定される。
1)地山周囲を馬蹄形に掘り込み基壇部と周濠、渡り堤等を削り出しで整形構築
2)基壇後円部上に円形に堤状の土塁構築
3)その内側を埋めて円丘の段築を一段完成、2)から繰り返し円丘を完成させる。
  この時点で、基壇前方部から円丘頂上に向けてスロープがある。
4)主体部を構築しスロープより棺を搬入し、墳丘上で葬送儀礼を行う。
5)前方部基壇上に盛土と方丘を構築して完成
以上の段階1〜4で方丘が存在していない。

 1)は基壇部や周濠の渡り堤が一体に地山から削り出されていることから
 2)3)は椿井大塚山の事例から
 スロープについてはアジア航測によるレーザー計測で存在が確認された。
 箸中山古墳では第4段テラスに接合して実用性が認められるのに対し、時代が降るとともに形骸化している。
 方丘築造が後出であるという判断は以下に拠る。

・箸中山古墳の後円部と段築が接合しないこと。
・箸中山古墳の円丘から降りてくるスロープが墳丘くびれ部から前方部寄りの位置で、前方部盛土に遮られる形で消失していること。
・椿井や中山大塚の構造や、河内大塚や見瀬丸山など築造中に中断放棄されたと考えられる古墳で、前方部に盛土がないこと等

29◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:39:34.11
◆FAQ 24
Q:黥面文身は九州の習俗で畿内には無いだろう!

A:黥面文身を九州説の根拠とすることは不可能である。
 黥面土器の分布から見て、弥生時代終末から庄内併行期にこの習俗が特に盛行したのは岡山県及び愛知県(設楽1989)であり、九州ではない。
 両地域と深い交流のあった纒向に黥面の人々がいたことは確実であろう。
 古墳時代の畿内にも、この習俗が濃厚に存在したことは埴輪から明らかである、

 このように、倭人伝の黥面文身記事は九州説にとって不利な記述である。


◆FAQ 25
Q:九州にあった倭国が大和の日本に取って代わられたことは、旧唐書に明らかではないか!

A:7世紀或いはそれ以前の史実解明を、日本列島と国交のない10世紀の後晋で書かれた後代史料の新出情報のみに依拠するのは、学問的でない。

 旧唐書では倭・日本別国説と倭→日本改名説が両論併記されており、中国側の認識の混乱を表している。以下の各項等を勘案すると、別国説は、壬申乱に由来する訛伝等として片付けて毫も問題ない。
・唐代に書かれたことが明らかな史料がみな倭=日本という認識を示していること。
・唐会要(倭=日本と認識)より、旧唐書における錯誤の発生過程が時系列的に認識できること。
・突厥伝で同一国異政権を「別種」と表記している事例が確認できること。
 
 後晋は僅か10年しか存続しなかった短命国家であり、政変の頻発する中で、旧唐書は編集責任者が転々とする過酷な環境のもとに編纂され、国家滅亡の直前にようやく完成をみた。
 このためか、倭と日本が同一国でありながら伝が重複するという不体裁が発生しているばかりでなく、他にも同一人物の伝が二本別に収録されるなど、他の史書に例を見ない杜撰が複数件発生している。

30◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:40:06.06
◆FAQ 26
Q:古墳時代にあっても前方後円墳の企画が一律に展開しているわけではない!
  ヤマトに統一政権があったなど幻想ではないのか!

A:日本列島における国家形成は弥生終末から急速に進展し、庄内期のうちにヤマトの王権を頂点とする萌芽期国家の紐帯が醸成されたとみられる。しかし、領邦国家の誕生は未だ遥か先である。
 統一政権という語彙に、律令時代をも凌駕する近代的な地域的政治集団をイメージするのは、明らかに間違いである。

 遠隔地同士の盟主的首長が、擬制的兄弟或いは親子的結縁で主に通商ルートに沿ってネットワークを構築し、網の目が列島の過半を覆った時点でも、それら点と線の合間には各個の盟主的首長には各地各個の敵対者もいるであろうし、中立的に距離を保つ者もいるのは当然である。

 さらには、このネットワークの構成要素たる個別的関係が、世代を超えない当代首長単独相対の不安定な関係であったと考えられる。なぜなら、被葬者の遺伝的形質から推定される当時の親族構造から言って、血縁的相続関係が各地首長権の安定的継承を保証し得ていないからである。
 ゆえにこそ、首長権の継承を決定づける古墳の墳頂祭祀において、そのステージの造作や儀式の所作で、首長権の継承を保証する従属者の奉事根元声明(誄)とともに、上位者や盟友に関する外交関係の継続も宣言されたのであったと考えられる。

 古墳の定型化はこういった政治的諸関係の公示を含む組織化・規格化にほかなるまい。

31◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:40:29.39
◆FAQ 27
Q:ヤマトという地名が、奈良県に古くからあった固有のものという確証などあるまい!

A:ヤマト、カハチ、ヤマシロ、アフミなど、これら地理的特性を説明している地名は、古来のオリジナルと考えて支障えない。
 ことにヤマトとカハチは対概念であり、確実にセットでオリジナルの古地名と考えるべきである。


◆FAQ 28
Q:九州には平原1号墓や祇園山古墳などに殉葬の例があるが、畿内の古墳には無い!
  卑弥呼の墓があるのは九州だ!

A:平原1号墓、祇園山古墳ともに公式調査報告書は殉葬墓の存在を認めていない。
 また、殉葬の奴婢たちが卑弥呼冢域に埋葬されているとする文献的根拠は無い。

 参考事例であるが、始皇帝陵の陪葬坑はその多数が冢どころか陵園外にある。
 日本の古墳においても墓域の認識は要検討であり、ましてや垂仁紀のように殉死者の遺体が遺棄されるのであれば痕跡も発見困難である。

 以上のとおり、墳丘本体に殉葬痕があるか否か卑弥呼冢の判定基準にしようという考えには合理性が無い。

32◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:41:43.84
◆FAQ 29
Q:魏への献上品に絹製品があるだろう!
  弥生絹があるのは九州のみ!
 
A:献上品に含まれている高密度絹織物「縑」は弥生絹ではない。
 高密度絹織物は弥生時代の九州には存在せず、奈良県下池山古墳(布留1式古段階:3世紀末)が初出であり、景初の遣使が献上した班布がこれであると推定(布目1999)されている。
 九州の弥生絹は織り密度の低い粗製品で、弥生中期の発見例が多いが、弥生後期には衰退している。弥生末期はわずかな発見例のみで、品質的にも低く、織り密度も低下している。
 
 一方で、古墳時代の絹生産は伝統的な撚り糸を用いながらも弥生九州と比較にならない高密度の織布を行っている点で、技術的系譜が連続していない。
 九州と畿内の絹生産は中国製青銅鏡の様相と酷似した推移を示していると言えよう。
 
「縑」に特徴的な、経糸と緯糸に併糸を加える技術で織られた大麻製織布が弥生中期の唐古鍵で発見されており、弥生時代における布の織り密度としては記録的に高い値を示している。(21・23次概報)
 正始四年に倭の献上した絳青縑は赤色部分をベニバナで染色された「縑」であり、当時の纒向遺跡でベニバナの栽培乃至染色が行われていた状況(金原2013,2015)と一致する。茜染を意味する「蒨絳」の語彙が別途使用されているため、単独の「絳」deep redはベニバナ染と解されるからである。
 
 以上から、3世紀前半以前の畿内で絹織物製造の画期的技術変革があったと思われる。
 九州説にとって不利な条件と言える。 
 
 
 

33◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:42:12.69
◆FAQ 30
Q:卑弥呼が死んだのは3世紀中葉と言っても3世紀前半のうちだ!
  箸墓の築造と時間差があるだろう!

A:正始8年は帯方の新太守が赴任した年であり、卑弥呼はその着任を知って郡に状況報告の遣使をしたと考えるのが妥当である。よって正始8(西暦247)年は卑弥呼没年ではなく、生存の最終確認年である。
 隔年の職貢が途絶したこの時から「及文帝作相、又数至」(晋書東夷倭人)とある景元4(263)年までを動乱期として捉えると、卑弥呼の没年は3世紀第3四半期の前半頃で、造墓開始がこれに続くものとみることができる。
「卑弥呼以死大作冢」とあるので、卑弥呼の死と「大作冢」の間には因果関係が認められ、寿陵ではないと判断できることと、卑弥呼の死の先立って張政の渡倭と檄告喩という政治的状況が開始している時系列を勘案した結果である。
 以上から、大作冢の時期と箸中山古墳の築造とされる布留0古相の時期とには整合性がある。

 なお、「以死」を「已死」と通用させてその死期を繰り上げて考える見解もあるが、通常の「因」の意味に解することに比べ特殊な解釈であり説得力を欠く。
 また、「已」と解しても会話文の発話時点を遡るだけなので、地の文である本例では意味がないため、倭人伝の当該記事の記述順序を時系列順でないように入れ替えて読む根拠としては脆弱と言える。
 このことは目前の用例からも明らかで、「已葬、舉家詣水中澡浴、以如練沐」の「已」が直前行の「始死停喪十餘日、當時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飮酒」と時系列を入れ替えないことは誰もが知るところである。
 解釈上も、繰り上げて卑弥呼の死を正始年中とすると、併せて壹與の初遣使も遡ることになり、不合理である。
「田豐以諫見誅」(魏志荀掾j、「騭以疾免」(歩騭裴註所引呉書)、「彪以疾罷」(後漢書楊彪)などの用例に従い、「(主格)以(原因)→(結果)」の時系列で読むのが順当である。

 なお、倭人伝自体に正始8年以降の年号記載がないが明らかにそれ以降の記事が載っていることを勘案すると、張政派遣に関する一連の記事は嘉平限断論に基づいて書かれた改元以降の事柄である可能性が高い。

34◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:42:34.82
◆FAQ 31
Q:投馬国はどこに比定するのか?

A:畿内説の場合、投馬国を吉備玉島や備後鞆あるいは出雲に当てる説が従来から知られている。
 考古学的に見て3世紀には瀬戸内航路が基幹交通路であったと見る立場、及び初期ヤマト政権の形成と勢力拡大に吉備が大きく関わっていたと見る立場からは、これを早鞆瀬戸や鞆の浦など鞆(船舶の部位名称)を含む地名や玉島・玉野など音韻的に近似する地名が多く分布するところの、瀬戸内航路に深く関連する地域的政治集団の連合体とみる見解が、整合性の上で有力視されよう。
 もとより、交易ルートを分有する首長は利害を共有し易く、強固なギルド的連合を組成するインセンティブが存在する。
 氏族名の上では上道氏・下道氏の祖に御友別の名が見られることも興味深い。

 当時の基幹交通路には、吉備形甕の分布形態から、博多湾沿岸→周防灘→松山平野・今治平野→備後東南部→吉備→播磨・摂津沿岸→大阪湾→河内湖→大和川→大和というルートが推定(次山2009)されている。
 また河内産庄内甕の伝播経路を、(播磨〜摂津〜河内)間を陸路として外を同上に見る見解(米田1997)も参考として興味深い。
 これら瀬戸内ルート説は、海水準低下に起因する日本海航路の機能低下を鑑みると妥当性が高い。

 優れて規格性・斉一性に富んだ吉備形甕の分布域は、博多湾域への大量搬入を別とすると、東においては揖保川流域で畿内第第V様式圏と重なり、西には芸予・防長の文化圏と予州で重なる。伊予以西から博多湾までは吉備形甕、庄内甕及び布留甕みな大きな集中がなく沿岸部に点在しており、吉備・伊予を核として各地沿岸部の小首長が協調的に交易ルートを維持し博多湾に到達していた状況が窺知される。
 吉備は葬儀用器台文化の中心であり、瀬戸内・畿内は勿論のこと西出雲や但丹狭にまで影響を及ぼしている。
 弥生後期から古墳前期における吉備中南部の人口動態(松木2014)と、足守川流域における墳丘墓の卓越性から見て、中瀬戸内における港津性を有する主要河川ごとの首長の連合体の中核はこの地域を想定するのが妥当と思われる。

 畿内色に染まって以降の那珂川地域と、足守川流域、ならびに纒向という3エリアの消長が時期的に一致していることは注目に値しよう。
 これを倭人伝記載の三大国(奴・投馬・邪馬台)のアライアンスとして理解し、博多湾貿易を基軸とした政体が金海貿易への移行とともに解体するものと概念把握するのである。

35◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:42:59.02
◆FAQ 32
Q:畿内説はなぜ記紀を重要視しないのか?

A:いかなる史料も史料批判が欠かせない。
 3世紀の史実解明にとって、原史料すら成立が6世紀を遡る見込みの乏しい史料を使用することは、考証に要する労力負担が過大な割に成果の期待値が低い。

 これが部分的利用に留まる所以である。


◆FAQ 33
Q:「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」
  と倭人伝にある!
  海を渡るとは陸続きでないところに行くことだから、女王国は本州にある畿内ではないな?

A:陸続きのところへも渡海するので、伊勢から遠駿相総等への東海航路と見做して問題ない。

 「夏六月,以遼東東沓県吏民渡海居斉郡界」(三国志三少帝)遼東熊岳付近→山東半島
 「東渡海至於新羅、西北渡遼水至于営州、南渡海至于百済」(旧唐高麗)北朝鮮→韓国

36◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:43:39.83
◆FAQ 34
Q:平原王墓の豪華な副葬品を見よ!
  伊都国は隆盛のさなかである!
 
A:平原1号方形周溝墓の築造時期は弥生後半〜弥生終末とされるが、より詳細には、埋没の開始した周溝下層出土の土器相から、弥生終末(西新式直前)と位置付けられる。(柳田2000)
 原の辻貿易が終焉にさしかかり糸島が対外貿易のアドバンテージを喪失することとなる時期に当たる。
 副葬品は中国製青銅鏡を含まない鏡群中心で構成され、使用された金属素材は、鉛同位体比分析に基づけば一世紀ほども前に入手された輸入青銅器のスクラップであった可能性が高い。
 
 当時は楽浪IV期(停滞期)にあたり漢鏡6期の完鏡舶載品が払底していた時期で、舶載鏡の多くが鏡片として研磨や穿孔を施して利用されていた。
 国産の小型仿製鏡は漢鏡6期の破片を原料として利用することも叶わず、それ以前に舶載された所謂前漢鏡タイプ(馬淵W領域)製品のスクラップを原材料としたと考えられるが、平原出土鏡の約半数がそれらと同じ素材で作鏡されている。それらは漢鏡4期の舶載鏡素材に近い特徴を示している。
 残り半数には上記領域をはみ出した素材(同WH領域)が用いられており、原料不足を異種青銅器スクラップないし異質の備蓄で補填した可能性がある。これらには山東省出土の戦国期遺物に近い特徴が認められる。
 大量鋳造の中途で異種の金属素材が追加投入されるような状況は、荒神谷の銅剣で観察されている。(馬淵ら1991)
 
 後漢鏡に用いられる金属素材は、漢鏡5期の早いうちに所謂前漢鏡タイプ(馬淵W領域)から後漢鏡タイプ(同E領域)に移行している。
 平原1号出土の大型乃至中型仿製鏡群は、漢鏡4期及び5期の模倣作であり、かつ後漢鏡タイプの金属素材を使用せず、かつまた北部九州で拡散することがない。
 いづれも古墳時代の仿製鏡や復古鏡とは断絶がある。
 
 後続する2号以下にはめぼしい副葬品は発見されておらず、規模的にも退潮が明らかである。
 このように、「絶域」時代で、大陸系文物の入手経路と、倭国の代表たることの背景としての漢朝の威光が共々喪なわれ、また博多湾貿易への移行によって経済的基盤も喪失している状態である。
 
 以上より、平原1号は、伊都国当事者にとって自分たちの凋落が決定的という認識のもと、大規模とは言えない墳丘墓の被葬者のために年来の保有資産を思い切り投入した墓所、という様相を呈していると見ることができるであろう。

37◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:43:59.00
◆FAQ 35
Q:当時の出雲には日本海側を総括するような大帝国があったのだ!

A:四隅突出型墳丘墓の分布域は一見して山陰・北陸を糾合しているかに見えるが、墓制の異なる但丹狭でもとから東西が分断されている。しかも雲伯と越、さらに因幡にも異なる地域性があり、墳丘規模的にも西出雲の西谷墳墓群が隔絶して卓越するとは言い難い。
 ことに西出雲西谷が最盛期にあって因幡の西桂見がこれらを凌ぐ規模であることに加えて、葬儀用器台の文化が吉備から直接流入しているのは西谷のみである。

 以上より、各地域の自主性ある地域的独立政権を成員として統一的指導者なき緩やかな同盟関係があった可能性、という以上の想定は困難である。
 ことに越地域は、雲伯との政治的連携があった形跡が希薄であることが指摘されている。(前田1994,2007)

 一方で、西出雲の西谷墳墓群は、草田3(弥生後期後葉・楯築墳丘墓や平原1号墓と同時期)から草田5(庄内後半併行、布留0含まず)の時期に最盛期を迎えたあと急激に衰退する。
 それでも弥生中期以来の文化的伝統を保持したまま、古墳時代に入ってもヤマトの文化圏に呑併されずに、独自性を保った地方首長として永く存続した特異な地域である。
 国譲りの神話は、ヤマトに従属的とはいえ同盟関係であった地方政権(※)が、5世紀以降に分断・解体の圧力に晒され宗廟祭祀の存続保証と引き換えに独立性を著しく減衰させていく、という政治的状況を反映した後代所生の教条的逸話と考えるべきであろう。

 弥生後期から古墳初期の史実を追求するにあたって、記紀に基づいて出雲を過大評価することは非現実的である。
 同時に、北部九州勢力等に武断的に征服された等と過小評価することも、全く非現実的である。

※神原神社(箸中山古墳に後続する3世紀後半、三角縁紀年銘鏡を蔵)が四隅突出墓から方墳に退行した直後段階と評価できる。

38◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:44:15.82
◆FAQ 36
Q:弥生中〜後期に隆盛を誇った伊都国は、終末期にもヤマト政権発足に関して強いイニシアチヴを発揮している筈だ!

A:伊都国は、3世紀前半から半ばにかけ北部九州で畿内系土器が拡散する状況下において、極めて閉鎖的であったことが明白であり、伊都国側が政治的に有利な立場は観察され難い。
 博多方面で外来系に対して閉鎖的な在地集団が集団間の階層差において劣後する状況も鑑みる必要があろう。(◆7参照)

 文化面においても、打ち割りタイプの銅鏡祭祀は従前より既に列島各地に波及していることから、その淵源が北部九州であっても畿内に対して影響力を有したとは評価できない。
 また、畿内で主流となる護符的用途の完鏡祭祀(囲繞型をとる非破砕祭祀)は畿内で完成したもので、伊都国の影響ではない。
 吉備ー畿内で支配的な器台祭祀が九州に見られないこと、精製三器種による祭祀は畿内から九州に入ったこと等を見ても、宗教面で伊都国がヤマト政権に先駆的であるとは見られない。

 なにより、漢鏡6期流入段階では既に糸島地域(伊都国)は漢鏡流通の核としての機能を停止しており(辻田2007、上野2014など)、仿製鏡の製作者としてもこれを流通に供して威信財供給者として影響力を行為することがない。
 那珂川流域(奴国)が規模を縮小しながらも小型仿製鏡の生産と供給を維持しているのと対照的である。

 伊都国の文化的先進性は、古墳文化に消化吸収された源流の一つという以上の評価は難しいであろう。

39◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:44:31.52
◆FAQ 37
Q:特定の戦役が考古学的に存在確認されることなど滅多にない
  纒向が九州勢力に征服されたことを考古学的に否定など出来ない筈だ!

A:纒向遺跡は、土器相・葬制共に畿内と複数辺縁地域との相互作用によって累進的に発展してきた遺跡である。
 外部の特定地域からの支配的影響力は認められない。
 これが総花的・キマイラ的と言われる所以である。

 ことに高塚化の希薄であった北部九州については、根本的に社会構造が違っていたと見られ、畿内側が一貫して北部九州の政治的様相に影響を与える側である。
 古墳時代のモニュメント型社会の根幹を形作る突出部付円丘の墳型もまた2世紀末から畿内に胚胎していた因子の史的展開経路上にあり、箸中山から西殿、行灯山、渋谷向山と大王級古墳が連続する。
 ヤマト王権が2世紀末の形成期から4世紀中葉まで、外部から侵略等を受けることなくこの地に連続的に存在していたことに、疑問の余地はない。

40◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:45:11.77
◆FAQ 38
Q:纒向遺跡は一般人の住む竪穴式住居がなく、首都たり得ないのではないか!
  仕えているはずの多数の侍女や警護の兵士はどこに住むのだ!
 
A:一般人の居住空間が宮城を囲繞する中国式の城市は持統朝を待たねばならない。
 意図的企画により建設された纒向遺跡は、首長居住域も集住環境の埒内にある弥生時代の大集落とは一線を画しており、内郭が独立し宮殿及び禁苑域が発生した萌芽的政治首都と評価できる。
 金文の「宮」が並行する複数建物と囲繞する方形牆垣からなる朝政空間を象形していることからも、庭院と回廊性の屋外空間を伴うこの大型建物群は宮殿の要件を具備しているといえよう。
 古来中国の宮都造営は河川の利用と改変を伴うのが常で、多くの場合に漕渠が開鑿される。
 この点も、矢板で護岸工事を施した長大な大溝の掘削で開始した纒向遺跡との類似性が認められる。
   
「自為王以来少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人給飮食伝辞出入。」
 とあるとおり、卑弥呼に近侍するもの寡少で、その居処が一般人の居住区とは隔絶していた状況が窺知される。
 纒向遺跡の示す非農村・非居住空間性、祭祀空間性といった性格と合致していると言えよう。
 霊的威力者と信じられている者が一般人と雑居しないことは民俗的に肯われるが、弥生末に拠点集落が解体して内郭が首長居館を為す方形区画として独立化している傾向とも平仄が合う。
 
 大溝の建設や、封土の運搬量が五百〜千人日×十〜五年とも言われる箸中山古墳をはじめとする土木工事跡は、相当の人口が纒向で労働していた証左である。農村型集落でないにも拘らず居館域下流の水路で多量のイネ科花粉が発見されていることで、稲籾や雑穀など穀類の集積的収蔵があったことが判明していることも、これを下支えする。
初瀬川の水運も有之、相当の昼間人口の参集することが可能であったことからも、弥生的大型集落が発展的に分散・解体したとされるこの時期、纒向遺跡の近傍に郊外的居住環境が展開していたことは確実である。
 侵入経路の限定される奈良盆地自体に防衛上の利点があり、かつ四通八達の交通要衝でもある
新生した倭国の首都と目するに相応しい遺跡といえよう。

41◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:45:33.68
◆FAQ 39
Q:魏志によれば卑弥呼の都があるのは邪馬壹國である!
  邪馬台国と呼び習わすのは畿内の大和と結びつけたい作為だろう?

A:倭人伝の記載する倭人固有語には日本語のもつ開音節言語の特徴がよく顕れており、閉音節であることを示す入声かつ二重母音となる「邪馬壹國」が、後世に発生した写本間の誤写であることは確実と言える。

 女王所都の用字については12世紀を境に「臺」から「壹」へと移行して截然としており、誤写の発生時期が概ね明らかである。


◆FAQ 40
Q:倭があるのは会稽「東治」の東である!
  九州でいいではないか!

A:孫策に敗れた会稽太守王朗が「東治」(拠 書陵部蔵 南宋刊「紹熙」本)へと敗走している。
  http://i.imgur.com/BOEvc2X.png
行き先が東冶の候官(現 福州市冶山遺跡)であることは同行した虞翻ならびに追撃した賀斉の伝、並びに閩越の地と記す裴註所引献帝春秋にて明らかである。
 福州市の東は沖縄であり、倭人伝の里程記事で邪馬台国所在地論争をすることの無益さを示す
 ◆FAQ17で触れた短里なるものを想定し難い証左でもある。

 会稽東冶は、「会稽東冶五県」(呂岱伝)という用例からも判るとおり会稽郡東冶県の意味ではなく、同郡南部の通称的地域名(県名も当時既に冶県でない)である。
 沿革も「李宗諤圖經曰…元鼎中又立東部都尉、治冶。光武改回浦為章安、以冶立東候官。」(資治通鑑所引注)などと紛らわしく、諸本とも治と冶の混用が多い。
 東候官(故・冶県)は魏代・呉下は単に候官と称され、のちに会稽郡を分ち建安郡の属となった
 このため、陳寿が三国志を執筆したとされる太康年間に会稽郡東冶県が存在しないことを以て東治は会稽東冶と別であるとする少数意見があるが、不合理である。そもそも会稽東冶が郡県名でないのみならず、儋耳朱崖など晋代にない歴史的地名が同じ倭人伝に用いられているからである。

 捜神記や大平広記に登場する「東治」も全て冶県を指す。

42◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:46:19.03
◆FAQ 41
Q:平原1号を見よ!
  九州には古くから三種の神器がある!
  大和朝廷は九州勢力の後裔なのは明らかだろ う?

A:その主張は、出現期古墳が鏡・剣のみで玉を欠く事実によって否定されている。
 出現期古墳は、発生より2〜3世代は玉を副葬に用いない畿内の習俗を継続しており、文化的混淆が進むには未だ時間を要していた。玉を副葬する文化圏の出身者は頭初からは初期ヤマト政権の中枢に参与していないと判断できる。
 また、王権の象徴たるレガリアは、世界史的に見て被征服者から征服者に移転する傾向が強い。
 記紀においても、榊に伝宝である鏡・剣・玉を懸垂して征服者を迎える降伏儀礼が記されている。(景行紀、仲哀紀)
 
 畿内系土器は、葬送祭祀の供献土器として、古墳時代に系列的に展開する大王級古墳に採用されている。これらの受容に極めて消極的(FAQ36参照)であった三雲遺跡の支配者が、初期ヤマト政権と政治権力として連続しているという想定には、微塵も現実性がない。
 
 弥生後期以降盛行した小型仿製鏡は内行花文鏡と同じ連弧文鏡系列に属すが、弥生後期のうちに分布が畿内圏まで達しており、その供給地は那珂川流域に求められる。
 平原の八葉鏡は仿製鏡として独自の簡化と肥大化を遂げており、系統樹では古墳出土鏡の系譜に繋がらない枝葉に属する。同じく大宜子孫銘鏡(径27.1cm)も異形の内行花文鏡である。
 これに対し、古墳出土の国産大型内行花文鏡は細部の仕様に倭臭を加えつつも、基本の幾何的設計原理(※)を舶載内行花文鏡から踏襲しており、系譜的に平原と断絶している。平原出土鏡と古墳時代に盛行する内行花文系仿製鏡との間のヒアタスは大きいといえよう。
 
※内行花文鏡の幾何的設計原理
円を8分割し、円周に内接する正方形を得る。
この正方形に内接する円を、雲雷文帯と連弧文の基調線とする。
この基調線の1/2径の同心円を圏帯の基調線とし、その内側に柿蔕鈕座を配す。
 
 この、コンパスと定規だけで笵上に描画できる設計原理が、舶載の長宜子孫内行花文鏡から大型仿製内行花文鏡(柳本大塚、下池山など)に継承されており、平原鏡と異根である。これらが同笵鏡を持たないことも平原鏡と異質である。

43◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:46:37.95
◆FAQ 42
Q:初期の布留式があちこちで古式新羅伽耶土器と一緒に見つかっているではないか!
  新羅の建国の頃まで時代が下るのだから当然箸墓は4世紀の古墳だ!

A:古式新羅伽耶土器とは新羅や伽耶という国の土器ではなく、新羅と伽耶の地域性が発現する以前の時代の土器を指す用語(武末1985の定義による)なので、単純な誤解である。弁辰韓V期(後期瓦質土器)に後続する年代の様式とされており、箸中山古墳の年代とも矛盾しない。
 弁辰韓V期初期の良洞里162号墳では最終段階の弥生小型仿製鏡と漢鏡6期が共伴する。

 申敬は慕容鮮卑による扶余の崩壊に起因する事象として木槨墓 II類の成立を捉えて大成洞29号墳の実年代を求めたが(申1993)、文献解釈として説得力ある根拠とは評価できない。しかし両耳付陶質短頸壺の成立を西晋陶磁器の影響下にあるものとした申編年には説得力があり、3世紀第4四半期に位置付ける結論には問題がない。
 定角式銅鏃の編年により椿井大塚山(布留1)がこの直後の年代に位置付けられる。

 申編年による大成洞29号墳の陶質土器金官伽耶I期は久住 IIB期に併行するが、申が同じI期に含めた良洞里235号墳は前段階である弁辰韓V期に編年されており(高久1999)不整合である。
 良洞里235号墳を木槨墓I類とみる金一圭は、嶺南の陶質土器編年をより詳細に10段階に細分して陶質土器の初源をもう一段階古く3世紀半ばから(金2011)とした。これは忠清道系陶質土器を共伴する加美周溝墓の庄内 II〜III(久住IB〜 IIA)や、久宝寺の瓦質土器(弁辰韓V期)模倣品の年代と整合性がある。
 参考事例に西暦250年代とされる昌原三東洞2号石棺墓に副葬された硬質(陶質)土器短頸壺(釜山女子大学博1984)がある。

 嶺南の陶質土器が形態上西晋陶磁器の影響下にあるとする前提は、より二郡に近接する忠清道系の陶質土器の起源がもう一段階古いとする動向と整合性がある。
 このように日韓の交差編年は年々精緻化し、通説が強化されている。

44◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:46:56.17
◆FAQ 43
Q:平原が2世紀末だというのは何故だ? 箸墓は何故3世紀半ばなのだ?
  炭素や年輪は信用できないし鏡は伝世しているかも知れない!
  確かな根拠などないだろう!

A:楽浪・帯方郡塼室墓は分類・編年すると
 1B II型式→ 1BIII型式→ 1BIV型式と漸移的に変化している。
 また、1C型式が1BIII〜IV型式の時期に亘って並存していた。

その築造年代を端的に示す紀年銘塼が
・1B II型式新段階の貞梧洞31号墳から興平2年(195)銘
・1C型式の鳳凰里1号墳から正始9年(248)銘
・1BIII−1型式のセナル里古墳から嘉平四年(252)銘
・1BIV型式の楸陵里古墳から太康四年(283)銘である

以上から
 1B II型式新段階(2世紀末〜3世紀前葉:塼室墓最盛期)
→1BIII型式(3世紀中葉:衰退期)
→1BIV型式(3世紀後葉以降:末期)
という実年代が得られており、このうち塼室墓1B II型式新段階が楽浪木槨墓V期と併行する。(高久2009)凡そ公孫氏が郡県支配を再編し倭韓との接触を強化してから、倭人の魏への定期職貢が途絶するまでの楽浪郡再興期に当たる。

 楽浪木槨墓V期は下大隈式に後続する西新(I式)及び庄内と併行する(白井2001)
 また後期瓦質土器の登場は西新式と同時期である(李昌熙2008)
 よって西新式直前の平原1号墓が2世紀末に、布留0(大和庄内最新層)の箸中山古墳が3世紀中葉後半に相当する。

45◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:47:33.93
◆FAQ 44
Q:三角縁は存在しない年号が書かれている!
  国産に決まっている!
 
A:景初三年から正始元年の改元事情を鑑るに、景初四年は実在したと考えざるを得ない。
 史料上で抹殺された年号は珍しくない。
 このような当事者しか知りえない事実は、中国製の証拠として有力である。
 
 中国皇帝の即位は原則として踰年改元であり、即位後最初の正月に改元と共に慶賀の大会が催されるが、魏明帝は景初三年正月元日に死去したため、即位祝賀と忌日が重なる事となった。
 この問題の解決法として魏朝は、明帝の推進した三統暦思想を敢えて廃案にし、再び夏正月を採用し元日を一ヶ月のちに移動させた。(宋書志礼一)
 最終的に後十二月として閏月扱いとなるが、忌日と新年の大宴会作楽を分離させる為には景初四年正月の実在が必須である。
 
 この改暦議論は忌日直前の十二月に入って始めて議論が始まって急遽決定された事柄であるため、暦の運用に当たって混乱が生じるのは自然であり、幾つかの記事にその痕跡を留めている。
一例として「春二月乙丑、加侍中中書監劉放、侍中中書令孫資為左右光祿大夫。」の記事は、景初四年(正月壬午朔)でなければ干支が合わない。
 
 景初中の倭女王遣使から正始元年の冊封使派遣までの間、景初三→景初四→正始元各年銘の銅鏡が慌しく制作される状況の想定は現実的であり、
従来より考古学者が推定する所の、相互に連携した複数工房で同時進行し急いで集中的に制作されたという三角縁神獣鏡第1ロットの制作環境と合致する。

46◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:47:51.28
◆FAQ 45
Q:纒向遺跡に中国と通交した痕跡などあるのか?

A:◆1で略述したとおりである。
 ホケノ山古墳は、3世紀に製作された後漢鏡や素環頭大刀などの武具を副葬品に蔵する。
 箸中山古墳は、幾何的な正円を築く土木技術が用いられた列島最初例であり外来の技術である。
 その周濠からは萌芽的馬匹文化の痕跡(FAQ21参照)が見出された。
 倭人が上献した班布や倭錦そして絳青縑(FAQ29参照)も重要である。
 ベニバナ及びバジルという、これまで列島に存在しなかった植物の花粉等(金原2015)は、朝鮮半島での発見例が無く、中国本土との直接交渉の結果であると見るのが最も妥当である。帰属時期は庄内3頃(纒向61次:李田地区溝1-A、橋本2008)とされる。
 同じく花粉の大量検出によって大型建物群の近傍に桃園があったことが確認され
(金原2011)、SK-3001出土の桃の大量供献事例と併せ、魏志上で張魯の教団と同じ「鬼道」という呼称を用いられている卑弥呼の宗教が初期道教の影響を受けた新宗教であるとする見解について裏付けが得られた。

 また、纒向遺跡から遠からぬ萱生の下池山古墳(布留1式古段階:3世紀末)からは、中国にない超大型国産鏡を収納するための、国産ではあり得ない羅張りの夾紵製容器が出土しており、中国に特注したとしか考え難い状況が観察されている。(河上2008)
 その入手時期は二郡との通交が途絶する以前に求めざるを得ない。

47◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:48:07.55
◆FAQ 46
Q:洛陽晋墓から連弧文と蝙蝠座鈕の間に円形のある内行花文鏡が出土している!
  これが魏晋鏡だろう?

A:洛陽晋墓からは日光鏡や昭明鏡など前漢鏡も出ており、本鏡も伝世した後漢鏡と見てよい。
 2世紀の鏡である。

 内行花文鏡全般において、連弧文と蝙蝠座鈕の間にある圏帯は
  内側に櫛歯文を伴う圏帯→櫛歯文が省略され圏帯のみ→圏線に退化→すべて消失
 という順に簡化していき、漢鏡6期(2世紀)において圏帯、又は圏線のあるもの(VA)と既に消失したもの(VB)とが共存する。
 蝙蝠座鈕内行花文鏡の場合は、圏帯のあるものがI型、無いものが II型と呼称される。

 この前半タイプI型が共伴する遺物の紀年銘には
  A.D.94(洛陽近郊出土),105(長安出土),191(洛陽出土)
などがある。
 2世紀末時点で既に伝世鏡であろう。
 雲雷文のない四葉座内行花文鏡の成立する漢鏡6期の始期も、自ずと明確である。

48◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:48:28.06
◆FAQ 47
Q:魏志によれば「其國」には2世紀前半から男王が存在している!
  2世紀末から始まる纏向遺跡では無理ではないか?

A:素より、「其國」=纒向遺跡と考える者は畿内論者には事実上いない。

 魏志記す男王は、異説もあるが、後漢書謂う安帝永初元年請見せるところの「倭國王帥升等」とし、これを倭人の外交を事実上とり纏める立場にあった伊都国王に当てる見方が有力であろう。
 これに倭国王と称すべき実態が具わっていたか否かについては寧ろ否定的に捉える必要がある。
弱体化した後漢帝室には東夷王度海奉国珍を積極的に求める動機があり、帥升「等」という表現からは倭国王をその他と隔絶した者として扱っていない漢朝の姿勢が窺知できるからである。

 少なくともこの政治体制は、地域的統合の不首尾や甕棺分布域の縮小、漢鏡6期鏡の減少などから見て既に衰退期にあり、2世紀末には漢鏡を副葬する弥生首長墓の終焉とともに最終的な崩壊を迎えたものと推定される。(FAQ34,36参照)

 倭国乱を収束に導いた卑弥呼共立と新生倭国の国家形成はこれと無縁であり、女王の都する所が桜井市纒向であることを妨げない。

49◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:48:53.14
◆FAQ 48
Q:そもそも纒向遺跡とはどの範囲を指すのだ?
  考古学的に確認されているのか?

A:纒向遺跡は、考古学的な範囲確認調査により、旧烏田川河道から旧纒向川河道の間の扇状地に所在する複数の微高地上に展開する遺跡とされている。
遺跡建設の早い時期に大型の運河が開削され、また照葉樹系の花粉に代わり乾燥した人為地を好む草本の花粉が検出されるようになっており、計画的な開発行為が大規模に行われていた状況が窺知される。

 桜井市教育委員会は旧烏田川河道北岸にも同遺跡が広がる可能性を指摘し、天理市にまたがる考古学的想定に基づいた遺跡全体図をも公表している(桜井市同遺跡保存活用計画書2016)が、柳本町及び渋谷町側で連続する遺跡は現状では確認されていない。

 広大な遺跡であり、宮内庁を含めて地権者が膨大な数にのぼるため、調査には文化財保護法第四条3項はじめ種々の制約がある。
 このため調査が及んでいる範囲は現状は未だ全体中の僅かな部分に過ぎないが、我が国における王権誕生への道筋を辿れる遺跡群として極めて重要視されている。

50◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:49:16.22
◆FAQ 49
Q:光武が印綬を賜うた委奴国はイト国と読むべきではないのか?

A:古代音韻史が未発達であった時代の謬説であり、過去の遺物である。
 今日の定説では「奴」をdoと濁るのは隋唐長安音であり1世紀の発音としてあり得ない。上古音nagが順当であろう。
 また、范曄後漢書に先行する袁宏(東晋)後漢紀光武帝紀にも「倭奴国」として現れており、「委」が「倭」と同義であることに疑問の余地が無い。
 魯宣公倭が委とも表記されることからも通用が明らかである。
  「宣公 名倭。一名接。又作委。文公子。」(杜預左氏伝註)
 さらに「委」、「倭」の子音はwであり、伊都国はyであるので全く発音が異なる。

 固より光武時には已に「倭人」という民族名が知られており、此の文字を同じ倭人の国名表記に、民族名としての倭という語義を含意させずに固有名詞「倭奴」として用いることも、就中発音の異なる表音文字として使用することも、凡そ正常な用字とは考え難い。
 また、正式の国名が複合語であるケースも「(女偏に若)羌」「車師後部」など珍しくない。


◆FAQ 50
Q:纒向の大型建物群はそれほど画期的で空前絶後なものなのか?
  どこにでもありそうだ。

A:建物群が大小とも中心軸を共有する規格性を有することは画期的であるが、計画的配置という点では伊勢遺跡という先行例がある。
 画期的と言う意味では、建物及び囲繞柵列が作る空間が「庭院と回廊からなる朝庭」的空間を想起させる点は、接面する幹線道路の質と相俟って、柵列を伴う倉庫群と一線を画す。
 纒向全体の規模と計画性を鑑みれば、必然的に比較対象は飛鳥等の宮処となろう。
勿論、箸中山・渋谷向山・行灯山の規模を考えれば誉田山・大仙に対応する未発見の宮処がより上位であることは予察されるものの、現状では飛鳥時代の宮処以前に纒向の大型建物群に比肩するような知見はない。
 単に床面積のみ着目すれば時代的に後続する七尾の万行遺跡SB02(布留0併行)は大規模であるが、立地ならびに構造から見て用途が宮処ではないので、比較対象外である。

51日本@名無史さん2018/06/13(水) 01:49:24.13
駄文妄想

52◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:49:34.08
◆FAQ 51
Q:卜骨は九州にとって不利な条件ではないのだ!
  壱岐や有明海沿岸で発見事例があるではないか!

A:九州説が倭人伝に照らして不自然である、という結論しか出ない。
 灼骨卜占は倭人全般の習俗として記載され、考古学的知見と合致している。
 郡使往来常所駐と云われる伊都国でその習俗が見当たらないのであれば、より重要な倭人の拠点ーー例えば女王所都のようなーーで目撃されたと推察するのが自然であろう。
 壱岐で目撃され、奇異ゆえ印象的で記録に残ったとするならば、一支国の条に特記されるのが順当である。

 弥生時代の卜骨の発見例は20都府県50余遺跡に及ぶ。
 日本海ルートで能登・佐渡に、太平洋ルートで東海・南関東に波及し、弥生社会全般に広く流布した習俗と考えられるが、東山道・南海道及び九州本島で希薄である。
 卜占を系譜的に辿れば半島よりの伝播であるが、博多湾岸地域に遺存例が無く、壱岐島から飛んで因幡の青谷上寺地と大和の唐古鍵の二遺跡に集中があることは、海上交通ルートの歴史を考察する上でも興味深く、この習俗と海上交通に従事する職能集団との関係が窺知される。
年代的に推移を見ると、弥生前・中期に壱岐ー山陰ー畿内と点在し、後期に瀬戸内ー畿内が浮上するからである。
 ことに、唐古鍵で弥生後期初頭に成立したと考えられる卜占の技術体系タイプが、後期末頃までに九州を含む全国に波及していることも、興味深い。

 五畿での出土例は以下の摂河和各遺跡
  新方・森之宮(摂津)
  雁屋・鬼虎川・亀井(河内)
  唐古鍵・纒向・四分・坪井大福(大和)
 ことに唐古鍵では弥生前期から後期まで連続して複数存在する。

53◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:49:52.93
◆FAQ 52
Q:纒向衰退後に邪馬台国はどうなったのだ?

A:双系制社会では平穏な地位継承でも盟主地盤が地理的に移動することが有り得るので、考古学的に見た中心地の域内移動は必ずしも政権交代とは断じられない。纒向の衰退は、◆8で述べた経済基盤の変化のほか、祭祀型盟主からの質的変化を含意している可能性がある。
 奈良盆地内でも有意な地域集団は、式のほか葛城と添がある。大王級古墳の消長から見て、纒向(式)につぐ次期宮都は添の平城宮下層が有力候補地となろう。南山城・近江との関係が興味深い。(参考:塚口2012)
 巨大集落遺構の確認されている葛城地域は対応する大王級古墳を欠いており、河泉との関係において更なる探求を要す。
甲冑保有形態から筑紫の老司・鋤崎両古墳が畿内の前期政権に近しい旧来の地方首長で、畿内の中期政権からは寧ろ牽制対象であったとする分析(藤田2015)には、式・添と河泉・葛城の間で盟主系譜の不連続が示唆されている。


◆FAQ 53
Q:一大率は女王の膝許で、その威光の元に権勢を揮ったのだろう?

A:諸国を畏憚せしむるような勢力者が特置され、その治所が伊都国に在ることは、博多湾岸が女王の都からは直接統治の容易でない遠隔地にあることを示す。当時は最も注意すべき検察対象に治所を定めたと理解するのが自然であろう。
此の「大率」の用字や発音が「襲津彦ー沙至比跪」や「筑紫率」と通底することは興味深い。

 刺史は中央が派遣して地方に駐在する勅任官であり、任地の州に治所を置き地方官人事を三公府を経ず皇帝に劾奏する刺挙の吏である。
定期上奏は東漢初に在地出身の上計掾史の職務(続漢書所引東観漢紀、続漢書百官志州郡)へと合理化(「州牧自ら還りて奏事するを断つ」光武帝紀)改革されている。
 秩禄の軽重や地方行政への関与度は年代により異なるが、監察官・軍監の職能と皇帝の使者としての性格は変わりない。
 この刺史に類比されることで、大率が遠隔地に赴任して来た流官であることは明瞭であろう。但し、此の様な地方転出者が容易に土着して在地首長化することは、後世の少弐氏など枚挙の例に事欠かない。

54◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:50:10.29
◆FAQ 54
Q:一大率は女王国以北に置かれているんだ!
  以北ってことは女王国も含むんだぞ!

A:実際の用例ではそうならない。
「從右北平以東至遼…為東部、從右北平以西至上谷為中部…從上谷以西至燉煌…為西部」
   (三国志所引魏書鮮卑)
「自單單大山領以西属楽浪、自領以東七県都尉主之」
   (三国志東夷伝濊)
「建安中、公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡」
   (同韓伝) ※屯有県は楽浪に属す。


◆FAQ 55
Q:韓は倭と「接」している。地続きだ。
  狗邪韓国は倭人の国の一つだぞ!

A:「接壌」とあれば地続きであるが、「接」だけでは根拠にならない。
外接遼東、得戎馬之利(続漢書孔融)
    山東省の刺史が遼東と「接」
訶陵國、在南方海中洲上居、東與婆利、西與墮婆登、北與真臘接(旧唐書南蛮)
    海中の島国がカンボジアと「接」

 狗邪(伽耶)は金官国、安邪(安羅)は咸安郡と、3世紀に主要な遺跡のある半島南岸は弁辰の諸韓国で占められ、3世紀前半は弁辰韓V期の文化圏である。(高久1999,久住2006,朴2007)
倭人の国ではあり得ない。

55◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:50:33.69
◆FAQ 56
Q:「世有」は「代々」という意味ではない。「魏の治世に」という意味だ!

A:「世有」には「代々…」という意味と、「世間には…」「この広い世界に…」などと訳すべき用例がある。「魏の治世に」という意味はない。

「世間に…」in the world の用例
・「世有人愛假子如孤者乎?」(魏氏春秋秦朗)
・「世有仁人、吾未之見。」(先賢行状王烈)
・「世有思婦病母者、豈此謂乎!」遂不與假。吏父明日死,思無恨意。(魏略王思)
・「世有亂人而無亂法」若使法可專任、則唐虞可不須稷契之佐、
 殷周無貴伊呂之輔矣(杜畿子恕)
  ※範囲は全世界、時代は魏朝に限らず、いつの時代にも不易
  ※これらは不特定者someoneの存在を示唆する例である。

「代々…」の用例:
・魏因漢法、母后之號、皆如舊制、自夫人以下、世有¢ケ。
 太祖建國、始命王后、其下五等…(后妃傳第五)
  ※漢朝下の魏王の頃から魏朝まで代々変更を重ねている。
・世有名節、九世而生寧。(傅子管寧)
  ※田斉を去った管仲の子孫が、漢代に北海で家を再興してから9代目が管寧
・袁氏子孫世有名位、貴達至今。(裴註袁渙)
  ※袁渙の父は漢朝の司徒、渙は魏武に重んじられ、子孫も顕官に達し晋朝に至る。
・今汝先人世有冠冕(王昶)
  ※のち魏の司空となる王昶が子と甥に語る訓戒
   昶の伯父柔は漢護匈奴中郎将、父澤は代郡太守、兄で甥の父機は魏東郡太守
   当然ながら先人は王昶一人のことではなく、父祖代々を指す。
・臣没之後、而奮乎百世、雖世有知者、懷謙莫或奏正(翻別傳)
  ※百世に亘って代々を想定

56日本@名無史さん2018/06/13(水) 01:50:45.13
 
纏向古墳群とは誰の墓なのか。
私は崇神の母系の物部ではないかと思ってます。
当時は母親の実家で子供を育てたわけですから、崇神の住んだ纏向は母親のイカガノシコメが住んでいた所でしょう。
つまり物部の土地である。

また大阪交野(かたの)に箸墓の縮小サイズである雷塚古墳(森古墳群)があります。
この雷塚古墳は箸墓と同時期か少し後と言われています。
箸墓は260〜280年くらいでしょう。
つまり雷塚古墳は崇神時代より少し前です。

ところでこの森古墳群、前期古墳にしては珍しく被葬者をほぼ特定できます。
交野の語源になった肩野物部集団です。
被葬者として推定できるのは彼らしかいません、一択です。

つまり崇神の前に【物部が前方後円墳を造っていた】という事になります。
しかも彼らは箸墓とも強い関りがあることになります。

というわけで纏向古墳群は瀬戸内海洋集団・物部の墓である。
ここに卑弥呼はいないという事です。

アホの>>1
アホの>>1

57◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:51:09.48
◆FAQ 57
Q:弥生時代に前史を持たない纒向がなぜ宮都の地に選ばれるのか?
  必然性がない!
 
A:奈良盆地は古奈良湖の消失過程にあり、河道周辺の未乾燥地を稲作向きの農地へと、木製農具でさえ容易に開墾可能であった。
この特性により、奈良盆地は高い人口吸収力を有し、移民を誘致しやすく、首長権力の伸長(◆6参照)を可能とする立地条件を具備していた。
 法隆寺付近や島の山古墳の東西に弥生遺跡が分布していることで、当時既に古奈良湖の痕跡は極めて狭隘な残存部分しか存在していなかったことは明らかである-
https://i.imgur.com/V3UEFm4.png 「大和弥生社会の展開とその特質」寺澤2016
( 奈良盆地の弥生時代の遺跡分布と基礎地域 『纏向学研究 4』 p6 図2)
-が、河合町の川合浜等の地名からも判明するとおり、奈良盆地各地を縦横に結ぶ大和川水系の水運は近世まで盛んであった。
居住に適した微高地を水稲耕作に適した低地が囲む単位集落が無数に発生し、それらが水運で結ばれることで、自然国境に局限されない国家形成を支えるインフラが予め準備されていたと言える。
 
 加えて、三輪山麓は交通の要衝(◆4参照)である。東海S字甕の拡散ルートである東山道に依存せずに交易ルートを東に伸ばすには、初瀬街道から中勢に抜けて海路を確保するのが要諦であった。
大和川水系に属し、且つ、上つ道で淀川水系を経て摂津山背・東国・北陸・但丹狭へ通じる交通網の多重結節点である当地には、塞の神が祀られる必然性がある。
 
 畿内及びその隣接地各地の首長が会盟し、調整の裁定を大巫女に仰ぐ場所としては、近隣首長の色が付いていない纒向の地が適切であろう。
 

58◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:51:43.47
◆FAQ 58
Q:行程論で検証すると、畿内説は無理ではないのか!

A:行程記事には、方位・距離ともに誤情報が含まれていることが明らかなので、所在地比定には採用しないが、検証には用いる(関連:◆FAQ1)

「自郡至女王國萬二千餘里」のうち、九州本島到着までに萬餘里相当を費消済みであるので、行程解釈で伝統的な連続説或いは放射説の孰れに依拠しても、残余は1,300〜2,000里となる。
これは魏尺24cm×1,800尺=1魏里432m換算で概ね562〜864kmに相当する。
 参考値として博多港より奈良県桜井市の三輪参道入口(大鳥居前)までフェリー航路と現代の道路上の通算距離を得ると、直行航路の場合概ね620km、寄港地11設定の場合概ね793kmとなり、妥当な範囲に収まり適合する。
 
「南至投馬國水行二十日」「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」
 より、連続説に依拠し所用日程を通算した場合
「大宰府海路卅日」(延喜式卷第廿四主計寮上)と照合して水行日程が妥当である。
 
 また、推古紀所載裴世清の旅程より
「六月壬寅朔丙辰、客等泊于難波津。是日以餝船卅艘迎客等于江口安置新舘」
「秋八月辛丑朔癸卯、唐客入京。是日遺餝騎七十五疋而迎唐客於海石榴市衢」
 以上48日経過である。外交使節旅程の類例に照らし、陸行日程が妥当である。
 
 さらに、里程1,300〜2,000里を日程合計60日で除すると約22〜33里@日で「師行三十里」(漢書律歴下)、「師日行三十里」(同王吉伝)等と整合性がある。
 また、既知の日程から距離を逆算したと推定される類例がカローシュティ文書(楼蘭〜精絶)等に見出せる。上記通算日程60日に30里@日を乗じて1,800里が、25里@日の場合1,500里が得られる。
 
 以上、結論として検証に耐える。但し、この試算は邪馬台国の位置比定に使用しない。

59◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:52:01.13
◆FAQ 59
Q:「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」
  の起点は帯方郡である! 畿内に到着し得ない!

A:不合理である。
「南至」が「倭人在帶方東南大海之中」と矛盾する。

また
1「南至投馬國水行二十日」
2「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」
は構文が同じであり、「南至邪馬壹國」の起点を帯方郡とするなら「南至投馬國」の起点も帯方郡にせざるを得ないが、投馬国には水行のみで到着し得る。
よって韓地陸行説が蹉跌し、陸行日程が韓地で費消し得ないため帯方郡起点説は成立し得ない。

60日本@名無史さん2018/06/13(水) 01:52:10.88
あれだけいた畿内説コテハンがほんと消えたなあ。
高齢さんとかも最近見なくなったし。
あの人の世界観は好きだったけど、考古学的証拠が出そろった最近はやっぱり反論できずに言い張るだけになってちょっとかわいそうだったよね。
ジョーカーもあれはあれで頑張っていたけど意外と判断思考は科学的だったから
議論が煮詰まってくると九州説そのまんまの発言をし始めてそれは九州説じゃんと指摘されて本人絶句したり相当悩んでるっぽかったよね。
ここでまだ頑張ってるのはスレ主と根拠厨くらいで科学的議論を放棄してのテンプレ死守の印象操作作戦に徹底してもはや議論が成り立たない。
岡上は東遷説とはいえ畿内説なわけで真っ向から取り組んでなんとか畿内説に持っていこうとしているのだけど、
もう味方であるはずの岡上程度の東遷説議論ですら許容できないほど畿内説は追いつめられているのだな。

61◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:52:18.38
◆FAQ 60
Q:「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」のような日数表記が
  「東行至不彌國百里」のような里程表記と混在するのはおかしいではないか!
  所用日数を別に記したのだ。日数の起点は帯方郡である!

(且末國)去長安六千八百二十里。…西北至都護治所二千二百五十八里、
     北接尉犂、南至小宛可三日行、…西通精絶二千里。
(精絶國)去長安八千八百二十里。…北至都護治所二千七百二十三里、
    南至戎盧國四日行、…西通「手偏に于」彌四百六十里。
(ケイ賓國)去長安萬二千二百里。不屬都護。
    …東北至都護治所六千八百四十里、東至烏「禾偏に宅の旁」國二千二百五十里、
    東北至難兜國九日行、西北與大月氏、西南與烏弋山離接。
(烏弋山離國)王去長安萬二千二百里。不屬都護。
    …東北至都護治所六十日行、東與ケイ賓、北與撲挑、
    西與犂「革偏に于」・條支接。
    行可百餘日、乃至條支。…自條支乘水西行、可百餘日、近日所入云。
(大月氏國)去長安萬一千六百里。不屬都護。
    …東至都護治所四千七百四十里、西至安息四十九日行、南與ケイ賓接。
(姑墨國)去長安八千一百五十里。
    …東至都護治所二千二十一里、南至于闐馬行十五日、北與烏孫接。

                (以上、漢書西域上)

62◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:52:38.92
◆FAQ 61
Q:「到其北岸狗邪韓國、七千餘里」
  これは実測したとしか考えられない!
  誤りというなら誤りが発生した理由を明らかにせよ!

A:未知の単位系が存在すると帰納的に証明されていない以上、魏尺実寸に照らして誤りとするほかない。錯誤発生の原因特定は再発防止以外の意義を認め難い。

 戦果報告は十倍にして公表する習慣があり「二郡遂滅韓」の戦果報告が誇張されていて不思議はない。 「破賊文書、舊以一為十」(国淵伝)
 或いは「方四◯◯里」が「四方◯◯里」と同義に使用されることがあり、混用による錯誤も有り得る。

 また、倭奴国王の朝貢が万里の遠国と顕彰された形跡が有之、これが規定値として固定され、渡海3回と按分された可能性を考慮する必要がある。FAQ58に述べた約2,000里と合算すると万二千里が得られる。
「建武之初…時遼東太守祭肜威讋北方聲行海表、於是濊貊・倭韓萬里朝獻」
              (後漢書東夷)
「如墨委面、在帶方東南萬里」(如淳)

 さらには、大同江河口の鎮南浦より仁川・木浦・麗水を経由して釜山に至る航路は1,296km(距離表S22)である。これを一里約400mで割り戻すと3,240里が得られる。当時の船舶は航続距離が短かったため現代の航路より寄港地が多く迂回路分の距離縄伸びが大きいこと、江戸時代末まで対馬海峡が約3倍に誤認されていた歴史的事実等に照らせば、十分に許容範囲内の錯誤である。

 このように、倭人伝所載の非現実的な里程の発生には幾らでも原因の想定が可能である。公文書に現れる両漢魏晋の度量衡に照らして其れらが間違いであると判定する以上の詮索は不要であろう。

63◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:53:03.73
◆FAQ 62
Q:帯方郡や狗邪韓国をどこに比定しているのだ! 明確にせよ!

A:定説に従う。

 金石文等により、楽浪郡治が平壌市楽浪区土城里、黏(虫偏に單)県が温泉郡城(山偏に見)里土城。南浦市江西区台城里は県名未詳。
 帯方郡治が鳳山郡智塔里土城、郡の外港と考えられる列口県城が殷栗郡雲城里土城(南浦の対岸付近)、旧南部都尉治の昭明県城が信川郡北部面青山土城、長岑県城が信川郡信川邑、含資県城が安岳郡柳城里に比定される。

 二郡は孰れも大同江水系に展開し、遺跡分布より、帯方郡は支流の瑞興江・載寧江及び西江流域流域、北を慈悲山、南を滅悪山脈の長寿山まで沙里院・鳳山郡・銀波郡・麟山郡、西を載寧郡・新院郡・銀泉郡・安岳郡・信川郡・殷栗郡・三泉郡・松禾郡の区域と考えられる。
近代的道路が整備されるまで滅悪山脈は迂回せねばならず、同山脈以南で墓制の異なる碧城郡・海州市は郡域外であろう。

 以下、漢系遺物を多数出土する韓系遺跡が、伯済国とされるソウル風納洞・夢村から、月支国と目される天安清堂洞、そして泗川勒島、義昌茶戸里、馬山を経て金海まで海路で結ばれている。金海良洞里及び大成洞が弁辰狗邪(狗邪韓)国に相当する。

 楽浪と濃密な交渉実績のある交易拠点遺跡が沿岸部や島嶼部に点在することから、沿海航路が重要な通交ルートであったことが明らかである。
 

◆FAQ 63
Q:旧唐書に「倭国者古倭奴国也」とある! 倭国は九州にあった倭奴国の後身なのだ!

A:「古○○也」は政治的連続を表さない。
同じ旧唐書に「(獣偏に奇)氏 漢縣、古郇国也」等とあるのと同じである。
唐の河東道(獣偏に奇)氏県は、周代の姫姓侯国であった郇国が戦国時代に滅び、変転を経て漢代に郡県に編入された地であり、姫姓郇国からの政治史的・系譜論的な関連は無い。

64◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:53:22.04
◆FAQ 64
Q:平均身長約160cmの集団で測定した歩幅が約73cmという報告がある!
  径百余歩である卑弥呼冢は、100m超級の古墳ではあり得ない!

A:基礎知識の誤りである。
  現代日本人のいう一歩は、古代中国ではケイ(足偏に圭)と呼ばれ、一歩は一挙足2回を指す。上記の歩幅調査資料は考古資料の魏尺6尺(=一歩)と綺麗に一致しており、その百余歩は箸中山古墳など、大王級とされる初期古墳の後円部径に合致する

ケイ、一挙足也。倍ケイ謂之歩。(小爾雅)
人践三尺法天地人、再挙足歩備隂陽也。(白虎通)

65日本@名無史さん2018/06/13(水) 01:53:22.17
「魏志倭人伝に記載されている物」(西暦300年以前弥生時代)
10種の魏晋鏡 福岡県398 奈良県4
鉄刀 福岡県17 奈良県0
素環頭大刀素環頭鉄剣 福岡県16 奈良県0
鉄剣 福岡県46 奈良県1
鉄矛 福岡県7 奈良県0
ほぼ福岡県だけで奈良県を完封、奈良県を口にする方がおかしい状況

奈良県から多く出土している物もあるにはある
(西暦300年以後古墳時代)
三角縁神獣鏡 福岡県49 奈良県100
前方後円墳80m以上福岡県23 奈良県88
前方後円墳100m以上福岡県6 奈良県72

古墳時代以降、文明が東に伝わり発展した地域の一つとして奈良県もあった模様
ただ時代が違うから

絹織物出土に関しては九州たくさん、奈良0

66◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:53:47.51
◆FAQ 65
Q:平原1号墓出土の八葉鏡は周長が8咫に相当する!
  倭国の王権を象徴する歴史的遺物である!

A:史料的根拠、考古学的根拠ともに欠いた俗流説であろう。
考古的遺物の尺は
 殷商:約16cm
 西周:約20cm
 戦国〜後漢初:23.1cm (安定的)
 後漢末〜魏晋:24cm前後から微増傾向 (荀勗が再発見)
 南北朝〜隋唐:30cm弱
と変遷しており、異民族流入の顕著だった克殷と南北朝に変動の画期がある。克殷期は女性の社会的地位下落に特徴があり、衣工尺の社会的影響力後退も首肯できる。
 先秦〜両漢の中婦人は身長160cm未満、手長16cm台で殷商尺と概ね一致(岩田1995)する。後漢初時点で『説文』に周尺の8寸と表記される可能性があるのは、衣工尺として遺存した殷商尺と西周公定尺の関係であろう。
参考事例であるが、魯班尺と公定尺の関係も10:8に近い。
 後漢尺の8寸を1咫と換算する史料的根拠はなく、中婦人手長の実態(男性18cm台、女性16cm台:岩田前出)とも齟齬する。まさに現行の公定尺なのであるから、「戦国時代から使用されていたので周尺である」という弁明も不合理である。
「咫」が計測単位として使用された事例も欠いており、上古の換算率のみが伝承された事例と考えるのが妥当であろう。

 また、記紀に登場する「咫」は史料成立年代からみて後漢尺基準と見なす合理性がない。用字のみ共通な異根の単位系であろう。
記紀における八咫鏡は王権と関係ない使用事例も少なくなく、八咫であるから倭国の王権を象徴する歴史的遺物だ、とする根拠がない。
 ましてや、鏡の大きさを周長で表記した実例もなく、現代的文学ロマンの産物と言わざるを得ない。

《古代中国の男女身長及び手長:岩田前出)
――――――――――MAN------------FRAU------
4500-3200B.C._____166.8 18.1 155.5 16.7
3000-2000B.C._____165.3 18.0 154.2 16.6
2015-1900B.C._____168.8 18.3 157.3 16.9
A.D.1979__________170.3 18.5 159.0 17.1

67日本@名無史さん2018/06/13(水) 01:53:48.88
畿内説は実は東遷説だな。

【畿内説の主張のまとめ】
(奥山氏>>1の発言をまとめたもの)
「伊都国の太陽祭祀を継いだ卑弥呼が、瀬戸内海勢力の実力を背景として、総花的に纏向で共立された」
「首長のいない広域政治集団が発生したが、圧力が高まって、急激な首長権が確立した」
「弥生中〜後期に隆盛を誇った伊都国は、蝋燭の最後の輝きをはなって音もなく衰退した」

68◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:54:22.00
◆FAQ 66
Q:魏志に先行する史料である魏略においては、行程記事は伊都国で終わっている!
  本来は伊都国までの行程の記事であったのだ!

A:魏略は逸文ーーすなはち断片ーーとしてのみ存在しているため、「書かれていること」ではなく「書かれていないこと」を根拠にする利用法は原理的に不可である。
 当該箇所は張楚金(唐)の『翰苑』中「分*職命官 統女王而列部」に雍公叡の付した注である。(「*職」は「職」の異体字で、偏が「耳」でなく「身」)
乃ち「皆統屬女王國」を説明するための引用であり、注者が行程記事として抜粋した文ではない。「其國王皆屬王女也」で引用が終わる所以である。

 なお、『翰苑』は写本が粗悪で脱字・衍字、不適切な節略多く、注自体も意図的な改変や誤りが多々見られるのみならず、出典書名誤記すら有るため、安直な利用が憚られる史料である。


◆FAQ 67
Q:末盧国を呼子付近に想定すれば伊都国への方位は東南でよい!
  なぜなら、渡海に適した夏場の日の出は真東よりずっと北である!
  倭人伝にある方位に間違いはないのだ!

A:その程度の熟練度の人物が記載した記録であれば、方位や距離に信頼を置くことなどできないであろう。まして、壱岐から東松浦半島付近に渡航してきたであろう時間帯を鑑みれば、夏場に真西よりずっと北寄りの日の入りを見ている可能性の方が高い。
 東松浦半島突端付近からは糸島富士(可也山)が目視でき、伊都国の方位が東南でないことは十分に認識できる。

 ・東松浦半島北端は北緯33.5度(基準点:呼子 尾ノ下鼻)
 ・伊都国は北緯33.5度(基準点:三雲 細石神社)
 ・奴国は仮に北緯33.5度(基準点:春日 岡本遺跡)
であり、すべて倭人伝の記載する方位と異なる。

 ちなみに非現実的想定ではあるが、若し『周髀算経』一寸千里法などが天測技術として実用化されておれば、上記3地点が東西に並ぶことが判明し、倭人伝に現れる方位誤認は発生しない。

古代の海岸線に沿って「東南陸行」することは、巨大な松浦潟に遮られて困難である。
https://i.imgur.com/qfiOJLu.png

 因みに、現代の東松浦半島は北松浦半島の北東にある。
 地名が実際の地勢と著しく異なる。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

69◆UiepmfCeDJqf 2018/06/13(水) 01:54:54.91
以上テンプレ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

注意*前スレが終了してから書き込んでください。

なお、書き込みは
 邪馬台国畿内説に関係が有って
 根拠のある内容をお願いします。
 畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。

 前スレ終了以前の書き込みは荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【追加・変更点】 ◆なし

70日本@名無史さん2018/06/13(水) 01:55:10.97
やはり、八咫鏡に食い下がっていた根拠厨がスレ主だったんだな。

71日本@名無史さん2018/06/13(水) 02:41:30.87
六拾弐病

六拾弐病(ろくじゅうにびょう)とは、定年退職後の老年期に見られる、
周囲を見下した言動や、自惚れに満ちた妄想を連呼する様などをさす語。
自らを客観視することができず、盲目的に自身を絶対化する、というのがその典型的例。
現役時には社会に適合してゆくために相対化させざるを得なかった自己が、
定年によって自らをとりまく環境が急激に変化することで相対化のバランスを失い、
自分が特別な存在であって欲しいとする願望が顕在化することで発症する。
簡単に言えば、「俺様偉い病」である。

その思考の基礎となる知識は、遠い昔に聞きかじった程度の浅いものや、
定年で生じた余暇によって取得した程度の中途半端なものであるため、
罹患者の主張は往々にして突飛な妄想でしかなく、周囲に受け入れられることはない。
しかし、本人は自身の思考は特別に優れているものだと盲信しているため、
受け入れられない原因を周囲のせいであると主張し、攻撃性を高めつつ、負のスパイラルへと堕ちていく。
このため、「六拾弐病」は陰謀史観との相性が非常によい。
なお、「六拾弐病」の名は、定年後数年を経て症状が顕在化することから名付けられたものであり、
もちろん全ての罹患者が62歳で発症するものではない。

似た症状を呈するため、「六拾二病」は「老年性中二病」と称されることもあるが、
思春期に自身を特別な存在だと仮想する「中二病」が、
確立されていない自己とそれを取り巻く社会の拡大とに折り合いを付けられず、
自己を疑似的に絶対化することで周囲との相対化の波から逃避しようという、
いわば自己防衛的な理由によって発症し、
ほとんどの場合本人の成長とともに症状が改善されるのに対し、
「六拾弐病」は、罹患者が生来持つ傲慢さがその根底にあるため、
一度発症してしまうと、死ぬか、惚けて思考能力が失われるかしない限り、
症状が改善されることはないとされる点は対照的であるといえる。

72日本@名無史さん2018/06/13(水) 02:42:20.02
全1病

全1病(ぜんいちびょう)とは、邪馬台国畿内説スレに出没する九州説論者のみが発症する、心の病。
畿内説側の書き込み全てが>>1◆UiepmfCeDJqによる物であると信じ込む、一種の強迫観念である。
学問の世界ではすでに追い詰められている、という事実を認めたくない九州説論者が、
畿内説に多くの賛同者などいるわけがないのだ、と自分自身を騙そうとすることで発症する。
>>1◆UiepmfCeDJqが自演によって多数派を装っているのだ、と言う発想は、
実は、自身が自演を頻繁に行っているという事実の裏返しにほかならない。
現時点では治療法は発見されておらず、一度発症すると死ぬまで治ることはない。

73日本@名無史さん2018/06/13(水) 02:43:28.41
ザラコク

邪馬台国関連スレに出没する非常識異常行動者のひとり
呼称は、Yahoo掲示坂で使用していたハンネ「zarakoku」から

古田武彦と彼が提唱した九州王朝説を盲目的に信仰しており、その信心の深さは、
世間的には偽書として決着している『東日流外三郡誌』を未だに真書であると主張するほど

自らを「素人おじん」と称することもあり、一見、自身を客観視できているかのようであるが、
その書き込み内容は、自分の信奉する説以外はすべて間違いだと決めつけてかかる、六拾弐病患者特有のもの
素人が専門家をこき下ろすという行為に疑問を感じなくなっているほど思考が硬直化している

「全レスバカ」と呼ばれることがあるほど片っ端からレスを付けまくるが、
ほとんどが他人の会話への横レスかつ超遅レスであり、周囲と会話が成立することはまずない
レスを付けることが目的化している節があり、その内容は、
他人の発言を長々と全文引用したあげく、賛成!とか間違いだ!とか数文字書き足すという程度のもの、
自分の都合のいいように語句を入れ替えただけのオウム返しのものなど、無意味なものばかりである
投稿数だけは圧倒的で、コピペ連投並みにスレを荒らす結果となっているが、本人に自覚はない
社用のPCで勤務時間中に5ちゃん投稿に血道を上げる問題経営者である

自分に不都合な情報を自分に都合が良いように勝手に脳内変換していることが多いが、
ソースを提示されても、自身の記憶や理解の方が正しいと主張する、傲慢な思考の持ち主

常駐していたYahoo掲示板を倫理規定に触れて出禁になったらしく、最近5ちゃんに居付いてしまった
「生きる独善」との形容がぴったりな75歳

74日本@名無史さん2018/06/13(水) 02:45:51.73
岡上

邪馬台国関連スレに出没する狂人のひとり
考古学界では全く賛同者がいない説を「考古学的に確定している」と主張し、ありもしない大規模調査をでっち上げ、
学界の多数派である邪馬台国畿内説を破綻したと主張する、ゴッドハンドも真っ青の捏造常習犯である

自分は正しく、これまでの研究者がみんな間違っていた、などと平気で主張する、典型的「六拾弐病」患者

コテ+トリと、コテの九州王、伊都国女王、卑弥呼、名無しを使い分け、自説を関連スレで書き込みまくる
糸クズ、八咫バカ、連続句読点キチともよばれる

「咫」の説明である「周尺」を「円周の尺」と読み、
伊都国を女王国であると漢文の用例を無視して誤読し、
平原遺跡出土鏡の文様には八咫烏があると現物を知らないで主張し、
魏志倭人伝中の「下戸」を「酒が飲めない人」と訳すなど、
お笑いエピソードには事欠かない

偽スレや妄想スレを立て続ける異常性に気がついていないのは本人だけ

未確定な事項であっても、自分に都合がよければ勝手に確定事項であると脳内変換し、
それを根拠として立論してしまうチェリーピッカー
日本史の方法論をまるで理解していない、自分偉い教の教祖である

75日本@名無史さん2018/06/13(水) 02:47:22.83
キウス

邪馬台国関連スレに出没する真性の基地外であり、病的なウソつき。
「希薄」を読むことができず、「箕臼(キウス)」と誤変換し続けたことから「キウス」と呼ばれるように。
自演爺、四棟粘着爺、指さし厨とも。

ウソの書き込みや自演、成り済ましを平然と行い、畿内説スレの>>1を騙り偽スレを立てること数度。
>>1のトリと同じ英数字を名前欄に書き込んで成り済まそうとしたこともある、最低のクズである。

「全1病」罹患者にして典型的「62病」発症者。

「自論」、「私見」、「勉強してください」、「学がない」、「貴君」、「しかり」など特徴的な言い回しの多用、
5ちゃんでは一般的ではない「スレ主」頻発、名前欄への書き込み多用などの特徴ですぐに判別できる。
1◆UiepmfCeDJqfを奥村と呼ぶ、寺澤薫氏・同志社大学・纒向学研究センターをディスる、
草を生やす際に半角で1文字目大文字、?を連続させる、といった特徴もある。

キウスの書き込みを褒めたり、礼を言ったり、「ワロタ」と応じたりする書き込みは、すべて自演である。
他人を騙す行為も自分ならばすべて許されると信じている節のある、傲慢の塊である。

日本語の読み書きが満足にできないこと、日本史や日本の地理に関する基礎知識がないことなどから、
日本の義務教育を受けていないどころか日本国内に居住していないのではないかと推測されている。

76日本@名無史さん2018/06/13(水) 02:48:41.88
ザラコク
>…< 嘘吐き騙し 南≠東 大和説 !。 ?。 ×。

キウス
スレ主 奥村 しかり 大笑い Ww いい線ついてる 正論 ヤマト王政 論じろ

岡上
八咫の鏡 伊都 平原 内行花文鏡 三種の神器 神道 キナイコシ 、、、 。。。

ハナホジ
物部 葛城 鴨 大物主 ヒメタタライスズ ミミ 出雲族

サイキバ
鉄がない 奈良湖 倉庫

77日本@名無史さん2018/06/13(水) 02:49:31.16
2013年の大規模調査なんてない

日本経済新聞(2013/2/20)
卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1905C_Q3A220C1CR0000/

研究進展に期待
日本考古学協会など考古学、歴史学の15の研究者団体は20日午前、
宮内庁が陵墓として管理している奈良県桜井市の箸墓古墳を立ち入り調査した。
宮内庁が研究者側からの要望に応じて立ち入りを認めるのは初めて。
同古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もあり、陵墓の公開や研究の進展につながると期待されている。

立ち入り調査をしたのは研究者16人。
約1時間半をかけて墳丘の最下段を一周し、地表に見える葺(ふ)き石や土器などの遺物の状態、墳丘の形などを観察した。

参加した日本考古学協会の森岡秀人理事によると墳丘表面で、築造以前の様子を示す弥生最末期の土器などが見えたという。
森岡理事は「古墳の詳しい状況を実感できた。今回得た知見や印象によって研究が加速するのでは」と話し、
今後の陵墓公開に向け「国民の文化遺産として大切に守るべきもの。宮内庁とさらなる協力体制を目指したい」と強調した。

研究者らは午後、宮内庁が管理する西殿塚古墳(同県天理市)も調査する。

78日本@名無史さん2018/06/13(水) 02:51:24.94
650日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:03:02.66
元ねた見つけたわ
国土地理院時報(2000 no.94)
「近畿地方の古地理に関する調査(国土地理院地理調査部)
http://www-im.dwc.doshisha.ac.jp/~nihei/nara/index.php?%C6%E0%CE%C9%CB%DF%C3%CF%A1%A7%C3%CF%B7%C1%A1%A6%C3%CF%BC%C1%A1%A6%BF%E5%B7%CF


657日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:12:52.10
>>650のリンク先にある「奈良盆地の地形学的研究」53ページに

>なぜなら、奈良盆地が更新世以降において湛水し湖沼化したという事実は認められない。

とあるな

79日本@名無史さん2018/06/13(水) 02:52:23.51
660日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:18:00.17
奈良県遺跡地図Web
http://www.pref.nara.jp/16771.htm

664日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:21:12.40
データベース名 遺跡
ID 11A-0104
市町村 川西
遺跡名 下永東方遺跡
所在地 磯城郡川西町下永東方
種類区分 集落・町屋,社寺
時代区分 縄文,弥生,古墳,奈良,平安,鎌倉,室町
時代詳細 縄文・晩〜古墳・後、奈良〜室町
遺跡概要 方形周溝墓、井戸、掘立柱建物、区画溝
遺物 縄文、弥生、土師、須恵、黒色土器、中世土器、木製品、石器、石製紡錘車、土馬
文献・備考 白米密寺伝承地、『下永東方遺跡』(文化財報86)2001、
『奈良県遺跡調査概報2003年度第1分冊』2004、
『奈良県遺跡調査概報2004年度第1分冊』2005

668日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:24:19.31
データベース名 遺跡
ID 11A-0123
市町村 川西
遺跡名 下永東城遺跡
所在地 磯城郡川西町下永東城
種類区分 集落・町屋,墓・墓地
時代区分 縄文,弥生,古墳,鎌倉,室町
時代詳細 縄文、弥生・中、古墳・前〜中世
遺跡概要 方形周溝墓、土坑、掘立柱建物、井戸
遺物 石器、弥生、土師、石釧、木器
文献・備考 『下永東城遺跡』(文化財報103)2003

80日本@名無史さん2018/06/13(水) 02:57:29.77
「俺の歴史的大発見を発表させろ!」地方の博物館に急増する“歴史的新発見おじさん”たち

https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20180527/Cyzo_201805_post_163508.html

歴史ブームも、光あるところに影がある。

若い世代には歴史をテーマにしたあらゆる形態の作品が人気を博したり
『応仁の乱』や『観応の擾乱』といった、
マニアックなジャンルの歴史書がベストセラーとなる昨今。
だが、人気の裏にはさまざまな問題もあった。

「突然やってきて、展示物などに持論を語った上で
『自分がやってきた研究成果を発表する機会をつくってほしい』
という人が、最近多いんですよね」

 そう話すのは、近畿地方にある郷土資料館の職員だ。
すでに10年あまり資料館で働いているが、最近になり、
リタイアした団塊の世代による独自研究の「持ち込み」が増加しているという。

「ちゃんと、これまでの歴史を学んだ上で新たな視点を提示するような研究なら聞く価値があります。
でも、だいたいはトンデモ論。
原典になる史料や基本文献、学術論文をあたることもなく、
一般読者向けの軽めの本だけをたくさん読んで
『これまでにない発見をした』という人が多いんですよ」(同)

81日本@名無史さん2018/06/13(水) 03:00:15.24
岸本直文「倭における国家形成と古墳時代開始のプロセス」
『国立歴史民俗博物館研究報告』第185集,2014年
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun8/pdf/185012.pdf


上野祥史「日本列島における中国鏡の分配システムの変革と画期」
『国立歴史民俗博物館研究報告』第185集,2014年
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun8/pdf/185011.pdf

82日本@名無史さん2018/06/13(水) 03:01:08.97
畿内説が破綻したと主張しているのはキチ


纒向遺跡 邪馬台国論争「畿内説」に画期

毎日新聞2018年5月14日 14時07分(最終更新 5月14日 14時35分)

解説

邪馬台国の最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の中心的施設跡で出土した大量のモモの種について、
放射性炭素(C14)年代測定で「西暦135〜230年の間に実った可能性が高い」との分析結果が出た。
遺跡は邪馬台国より後の4世紀以降とする異論もあるが、卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)の活動時期と年代が重なる今回の分析は、
遺跡が邪馬台国の重要拠点だったとする「畿内説」を強める画期的な研究成果といえる。

83日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:19:24.03
年代が近いだけ。

84日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:29:32.97
近畿は元々縄文系勢力も渡来人系勢力も仲良く暮らしていた。
温暖で河内湖の水資源も豊かで稲作も盛んになり、豊かな地域に発展したんだろう。日本書紀でいう食国、芦原中津國。

スサノオが豊かな田に嫉妬して度々荒らしにきたとあるだろう。近畿周辺の東海や山陰の勢力が嫉妬したんだな。
そして征伐に来る。
倭国大乱、近畿征伐、記紀でいう神武東征だよ。

結果できたのが、山陰と東海の勢力を中心とした大和朝廷だよ。
近畿は大和朝廷の最初の討伐ターゲットだったんだな。
大和朝廷は4世紀前後四道将軍で関東東北を征伐する。

大和朝廷に虐げられていた元々の近畿の勢力、関東の先住民が手を結び、神功皇后応神を旗頭にして大和朝廷の旧勢力に叛旗を翻すんだよ。
藤原氏の守り神が関東の人々であるように、近畿と関東は同盟関係だったんだな。

85日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:31:35.53
古代の難波はどういう場所だったのか?
下の長唄は、なにわの地が芦原中津國や食国と認識されていたのが分かる。
それを前提に記紀を読み直すと面白い。

聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首

押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の 
古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の 
思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす 
長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥 
味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども

86日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:32:50.07
畿内の勢力は2世紀末に大きく変わる。
纒向遺跡でも、東海や山陰、吉備などの外来系土器が突然現れる。
記紀にもヤマト征伐によって大和朝廷が始まる様子が記述されている。
畿内征伐によって誕生した大和朝廷の主体は、尾張、出雲、吉備。

次に考古学的に大きな変化があるのは4世紀後半。 大きな政権交代があったんだろう。
神功皇后応神に該当する時代。
記紀や各地の伝承。
忍熊皇子の討伐、飛騨の顔が二つ頭が一つの怪物を討つエピソードがあったり、出雲の生馬の神がもう荒ぶらないと宣言したり。
神功皇后が三韓征伐の往路復路で、八雷神に似た頭が八つで牛の姿をした塵輪鬼を討つ話があったり。
纒向遺跡の外来系土器の中心、東海(飛騨の怪物)、山陰(出雲の生馬の神、牛荒神の木)、吉備(塵輪鬼)が討たれるエピソードばかり。
全て牛というキーワードが共通する。
同時代の若草山山頂古墳。かつては牛塚と呼ばれていた。牛頭天王と何か関係あるのかもしれない。

87日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:34:19.85
魏志倭人伝
邪馬台国の官

官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。

伊支馬は生駒。生馬。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲醜大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。
奴佳鞮は中臣。
邪馬台国の官は、大和朝廷の官と瓜二つ。

出雲地方には生馬神が祀られているんだな。
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている。

出雲風土記かな、生馬神の子は、もう荒ぶらないと言ったとか。
ヤマトの地名と出雲の集落名、共通点が多い。

邪馬台国の官の筆頭
伊支馬。これがどういう勢力か解明できれば、邪馬台国卑弥呼に近付ける気がする。

伊支馬、生駒、生馬、伊熊、猪熊、生目などの地名が、ヤマト、出雲、三河、遠賀川、宮崎に見られる。
何か関係あるのか?

88日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:37:41.03
杵築大社の天井図。八雲が一つ欠け七つしかないだろ。
あれは、紀元前後出雲地方の内乱の結果、神庭にいた渡来人系の出雲の王族が追放されたから。

出雲地方で元々信仰されていたのは、姫神の幸神、東から来て文物をもたらしたクナトの神。そしてその子のサルタヒコ。
サルタヒコ一族は、オオナムチに破れるんだな。
そして、畿内など各地に逃げ延びる。
加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が各地で見つかっている。

89日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:39:55.72
同じ紀元前後の時代。
丹後半島の王族ヤマタノオロチ族。
丹後半島に侵攻したカグツチ(ホアカリ系、記紀でいうスサノオ)に王が殺されて、一族が畿内に逃げ延びる。

その後一部伊吹山辺りに移った可能性がある。
伊吹山、ヤマタノオロチの神霊が住むと言われているな。

ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になるな。

級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
息長氏と関係あるのか。
丹後半島に遅れて、畿内淡路島や池上曽根、彦根で鉄工房が始まるからな。

伊吹山、和歌では一途な想いの代名詞。

畿内に逃げ延びたヤマタノオロチ族は、助けてくれた大阪湾の渡来人に恩義を感じていたのかもな。

伊吹山の神は、大和朝廷と最後の最後まで戦い抜いている。

90日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:43:08.18
畿内に逃れてきた出雲の王族サルタヒコ一族、丹後半島のヤマタノオロチ族、環大阪湾にいた倭人(クナト一派)が、1世紀半ば近畿一円に国を作る。
クナ。クニの語源。対外的には倭国。
二世紀半ば〜倭国大乱で、尾張三河など東海勢力&出雲など山陰の勢力に滅ぼされた国。

91日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:47:00.30
サルタヒコ。
出雲族の姫神幸神と、倭人の彦神クナトの神の子。

倭人と出雲族の同盟の証。

月夜見にして大国主、卑弥弓呼。日見彦。暦の一子相伝者。
倭国大乱で殺されて、日本列島から暦が無くなる。

猿田彦で注目すべきは最初に出会った場所。

天の八衢。
道が幾つにも別れる処、方違。
面白いことに上町台地と泉北丘陵の間に方違神社がある。なにわ、和泉、河内、淡の境。

その近傍にイシズ川。 サルタヒコが消えたのはいすゞ川の上流。


猿田彦が溺れたとされるのが、阿邪訶の海。
方違神社のすぐ北がアサカ、浅香。
浅香の北がオサカ、大阪。
浅香の南、泉北丘陵にコサカ、小坂。

伊勢と同じものが揃っているんだな。
凄い偶然。

更にサルタヒコはヒラブカイに挟まれて亡くなるとある。
泉北丘陵、イシズ川を遡った地に平井と深井という弥生時代から立地が変わっていない集落がある。
平井と深井の間が弥生時代の鈴の宮遺跡。
サルタヒコは最後はこの辺りに逃れていて、殺されたんだろう。

伊勢湾は大阪湾のコピー
倭国大乱で犠牲になった神々の鎮魂の場所

92日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:49:16.69
八十島祭。
天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀と書かれてある。なぜ大阪で行うのか?



後鳥羽院の八十島祭にしたがった津守経国の歌。

 ○天の下のどけかるべし。難波潟、田蓑たみのの島に御祓しつれば      津守経国

 八十島は、田蓑島のほかに中之島、福島、曽根洲、柴島くにじまなどの地名に残る。

 ○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば

   淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ          仁徳天皇


難波の崎からオノコロ島、淡路島見えるとある。
古代の人々は国生み神話は、大阪湾の話であるのを当たり前のように理解していた。

大阪湾は国生みの場所でもあり、国造りの場所でもある。

93日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:51:11.86
【倭国】

紀元前に博多湾沿岸に倭国が成立して漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。

記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。

博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
連合国家である倭国の盟主は筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していた。
筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。

九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
実際にはこれに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。

2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された王位の証である八咫の鏡は、筑紫伊都国が王権の所在地すなわち倭国の王都であったことを示している。

94日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:51:46.60
【狗奴国】

狗奴国王の名前は卑弥弓呼といい、卑弥呼と瓜二つである。
卑弥呼とはもとより不和であるとある。
倭国大乱は倭国の王位をめぐる争いのことである。

九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。

このことから、狗奴国と邪馬台国は近縁関係であると推察される。
卑弥呼亡き後の争いは、狗奴国が筑紫に攻め上ったものであると考えられるが、壹與の共立によりこれが収まったということは、狗奴国も納得のいく人事であったということだ。
狗奴国熊襲は邪馬台国の南、熊本の勢力であるが、実質的には肥国の王家であり、肥前河上のヨド姫であれば熊襲の姫でもあるので狗奴国の納得のいく人事であった。
また、卑弥呼が筑後山門の出身であるならば、筑後も本来は肥国の一部に筑紫が膨張して張り出した部分であるので、卑弥呼とヨド姫も同属である。
壹與を邇邇芸の妃であり志賀島の海神の娘である豊玉姫に比定しないわけは、豊玉姫では狗奴国との争いを収める立場になれないからである。
後世には肥前のヨド姫は豊玉姫に習合されてしまうが、本来は別人である。

邇邇芸と神功皇后は天津神である筑紫王家、卑弥呼と卑弥弓呼と壹與は肥国王家、綿津見神と豊玉姫は豊国王家に属している。
いずれも連合国家である倭国を構成する中心的な王国である。

95日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:52:26.50
【伊都国】

伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
平原遺跡には鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあった。
高祖宮は伊都国から日の出の方にあり、卑弥呼らは太陽を背にして君臨していた。
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武は天の子は太陽を背にするべきだと発言していて、伊都は神道の基本である太陽信仰の都である。
卑弥呼の鬼道とは、中国人から見た古代神道のことだったのである。

伊都国の平原遺跡は3世紀頃の女王墓であり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、後漢の頃には見られなかった巨大な国産の内行花文鏡、いわゆる八咫の鏡が5面含まれていたことから、倭国大乱後の倭国の王権が伊都国にあったことがわかる。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原遺跡の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。
魏志において伊都国は人口が1000戸と少ないが、魏志に卑弥呼の王宮の下女は1000人とることと一致する。
近隣の世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都が分離されていたと考えられる。

伊都国には高祖宮(高祖神社)があり、後世にはその東側の高祖山とクシフル山の山頂を囲む中国風山城(奈良時代は怡土城、戦国時代は高祖城と呼称される)があった。
高祖山を越える峠が日向峠であり、筑紫の日向のクシフル山にある高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。

アマテラスの孫のニニギはクシフル山に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などが、魏志において倭国大乱の前の男王の時代70〜80年を担った日向王家の王墓であると考えられる。
三雲南小路遺跡の拝殿であり漢の金印を保管していた細石(さざれいし)神社は天孫邇邇芸と木花佐久夜毘売を祭神とし、
平原遺跡からはニニギが授かった三種の神器である八咫の鏡と思われる超大型内行花文鏡が出土しており、筑紫の伊都がその名の通り倭国王家である日向三代の都であった証拠である。

96日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:52:56.48
【邪馬台国はどんな国?】

「魏志倭人伝」−「倭人は兵器に矛を用いる」
―銅矛であれ鉄矛であれ、
矛が多量に出土しているのは北九州、奈良県は出土無し。

「魏志倭人伝」−魏への持参物、魏から女王への贈り物に多数の「絹織物」
−邪馬台国のあった弥生時代後期までの「絹」は、すべて九州からの出土。

「魏志倭人伝」−「倭人は鉄の鏃を用いる」
鉄は圧倒的に九州にある。
http://www.infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg

「魏志倭人伝」−「魏は卑弥呼に五尺刀二口を与えた」
−弥生時代の鉄刀、鉄剣は福岡県から92例出土、奈良県からは1例のみの出土。

三角縁神獣鏡は魏の鏡に非ず、卑弥呼の時代は「方格規矩四神鏡、内行花文鏡」
邪馬台国時代、古墳時代を通じて、福岡県から37面、奈良県からは、わずか2面。

その山に丹あり
弥生時代の奈良では、朱丹は二箇所で しか使用されていない。
福岡県では41箇所の遺跡で使用されている。

97日本@名無史さん2018/06/13(水) 06:57:01.68
◎纒向には、万単位の人々が暮らし、土木作業を行っていた。纒向集落は、ヤマトの地が外部勢力に征圧され、その結果できた集落。
纒向は、ヤマトの地を征圧した兵と徴用された地元民が万単位で土木作業に従事した大集落。
卑弥呼は鬼道で民を纏める役割を担っていた。

さらに4世紀に突然消失し武器などの遺留物が無いこと(もぬけの殻)を考えると、記紀の四道将軍の記述と合致する。
◎纒向は、4世紀に意図的に解散し、民は兵として全国平定に駆り出されたと推測できる。


纒向遺跡は記紀で神武東征として描かれている畿内征伐の主体が、実際は出雲など山陰、尾張三河など東海、吉備など瀬戸内海の勢力が中心であったと教えてくれる。
彼らは畿内の民を酷使して巨大古墳を作らせ、更に殉葬として多くの人々を殺害した。

纒向遺跡は、更に四道将軍として描かれている関東東北征伐も実際にあったことを示唆する。

98日本@名無史さん2018/06/13(水) 07:21:17.69
福岡の丹は本邦産じゃないからな
朱丹を以って其身體に塗る、中國で粉を用いるが如し
一部の支配層だけが墓に使うのではなく、倭地では豊富に産するということだな

99日本@名無史さん2018/06/13(水) 08:08:20.24
 故・金関 恕(かなせき ひろし)がさん奈良県天理市和爾の東大寺山古墳から発見した「国宝」中平銘鉄刀。
金関さんは2017年3月の考古学雑誌で、この刀は卑弥呼の五尺刀ではないかという見解を述べられている。
同じく京都教育大学名誉教授で元・橿原考古学研究所指導研究員の和田萃さんも、和邇氏の系譜に卑弥呼がいるのではという見解を述べられているようだ。

仮にそうだとして、謎の豪族・和邇氏と卑弥呼の関係が誰にも分からなかった。
解いたのはわしだ、まいったか。
邪馬台国は葛城だ。

   事代主
     ┣━━━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主             孝昭
     ┃              ┃
    阿田賀田須        天足彦国押人命
                   ┃
                和邇日子押人命
                 ┣━━━━━━━┓
               彦国姥津命    姥津媛(開化天皇妃)
   ┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
 伊富都久命          彦国葺命   小篠命    乙国葺命
  ┏━━━━━━┳━━━━━━━┫   【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
 彦忍人命   建耶須禰命    大口納命        【飯高氏祖】
(武社国造)    ┃       ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
       八千宿禰命  難波根子武振熊命   彦汝命     真侶古命
      (吉備穴国造)  【和邇氏祖】  【葦占氏祖】  (額田国造)

100日本@名無史さん2018/06/13(水) 08:13:27.24
>>98
魏から「真朱(珠) 鉛丹各五十斤」を貰ってるから倭地では真朱や鉛丹は貴重品で豊富には採れなかったんじゃないかな、豊富に産するなら魏は贈らんだろう。

101日本@名無史さん2018/06/13(水) 08:22:18.99
>>722
>いや、そんな「原則」を現代人が勝手に作っても、古代人は従わないから <

「居住外縁部」は、陳寿の倭人伝の行程記載で使っているし、
遼東と高句麗や、高句麗と扶余の位置関係の記載でも使われている。

102日本@名無史さん2018/06/13(水) 08:25:25.35
>>723
泣く子と、「南→東」などの嘘つき騙しをワメくを大和説の・・・・ガキや爺ィには、
打つ手ないかもね。
・・・・や猿が論理で説得できないのと同じ。

103日本@名無史さん2018/06/13(水) 08:27:15.86
>>100

真朱はもらってないよ

104日本@名無史さん2018/06/13(水) 08:36:29.14
>>726
「南→東」などの嘘つき騙しの大和一元史観教の・・・・が、
幾ら「絶対的」と言張っても、
倭国は正北抵新羅に拠って九州であり、
「自昔・・・東征毛人五十五國」であり、
「大和日本国は、倭国の別種の旧小国の、地方の市を監督する大倭職」なんだから、
他の夢ロマン近畿説お爺さんの千差万別な説ともども、
まともな科学や学問とは、何の関係もない。

105日本@名無史さん2018/06/13(水) 08:41:10.94
>>743
>その通りだ、桜井市に邪馬台国などない。<

そもそも、邪馬台国なんてものが存在しない。

>女王が住んでいたのは奈良県御所市だ。<

女王が卑弥呼や壹與の事を言っているんだろうから、
「南≠東」などに拠って、×だ。

106日本@名無史さん2018/06/13(水) 08:46:58.48
>>759
>測定結果じゃないんだよ 机上の架空の計算結果 周髀算経にそう書いてある<

周髀算経には、測定結果とした記載がされている。

107日本@名無史さん2018/06/13(水) 08:47:15.04
狗奴国はなにわ、和泉、河内
2世紀末の畿内征伐でなにわは陥落したんだろうな
かつて大坂城の地にあった生國魂神社
神武東征の際に生島神、足島神を鎮魂した謂れが残っている

魏志倭人伝当時の狗奴国は和泉と河内
狗奴国は邪馬台国の南
ヤマトの南の和泉と河内
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦
武埴安彦の祖父だな

108日本@名無史さん2018/06/13(水) 08:54:41.72
>>760
>大地がほぼ平面ならば谷本が計算しているモデルとは違う
後期高齢者には理解するのは無理だろうが<

谷本さんは、大地は地球球面と、太陽光線はほぼ平行光線という現在の知識からの、
夏至正午の8尺棒の影長が、1尺6寸の地から、1尺5寸の地までの距離や、
1尺6寸の地から1尺7寸の地までの距離の近似値を計算確認され、
それと、「千里」であるという記載から、
「千里は76.3km〜76.9km位になる事を確認された。

109日本@名無史さん2018/06/13(水) 09:07:31.19
>>761
大和説者はいつもこんな極論断定をやるんだよなぁ。
「魏志倭人伝は間違っていなる」という、「間違った前提」を基礎において
現実ではありえない比定をしようとするる。

>自然国境も何もないところに、古代の国の境がくるはずがないだろうに<

古代の国は、当然居住外縁部が接している場合と、
遼東〜高句麗や、高句麗〜扶余などの場合と同じように、居住外縁部同士がかなり離れていて、
その間は無人地域や、弱小部族集落はある場合がある。

110日本@名無史さん2018/06/13(水) 09:09:18.35
>>103
この後に続く文が「鉛丹各五十斤」だから、ここの真珠は真朱の誤記は学会でも定説なんだが、異議があるのか?

111日本@名無史さん2018/06/13(水) 09:14:32.76
>>767
>だから古田が決めた<

いや、史料事実が決めた。

>古田が思いついた商品の里は、中国、韓国、日本では議論されていない<

現在のような後代の、
広域支配国家主義志向が中心の国での「結論先にありき」の権力学者らの議論は、
古代での都合の悪い事実を否定抹殺する事が多くて、
何の信頼性も価値もない。

112日本@名無史さん2018/06/13(水) 09:27:00.20
>>110

「出真珠」「其山有丹」と真珠と丹は書き分けてる
中国では真珠鉛丹各五十斤なんだが
どの学会で定説? 

113日本@名無史さん2018/06/13(水) 09:34:38.47
日本の学会
後漢書では「其山有丹」は「其山有丹土」だから真珠は真朱で丹は赤土のことだな。

114日本@名無史さん2018/06/13(水) 09:41:09.93
>>113

後漢書は「其山有丹 土氣温腝」だよ

115日本@名無史さん2018/06/13(水) 09:46:41.08
後漢書注
漢籍按:「其山有丹土。氣??」疑為「其山有丹。土氣??」之誤。

116日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:02:55.43
つまり、畿内説は完全に破綻してしまったのだね。。。

117日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:03:06.66
>>106
>周髀算経には、測定結果とした記載がされている。

そう書いてあっても、実測値でないことはバレバレなんだよ
ザラコクさんはきちんと原典を読んでないだろうから知らないだろうけど、
八尺棒の冬至と、春分、秋分の影の長さも書いてある

正午における太陽の影長
夏至:1尺6寸
冬至:1丈3尺5寸
春・秋分:7尺5寸5分

これで、春・秋分が、夏至と冬至の影の長さの平均になっているのが分かるか?
でも、現実には、その平均よりも春・秋分の影の長さは長くないとおかしいんだ

こんなところからも、蓋天説に従って「作った数字」だってことがばれてるんだよ

118日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:04:08.53
後漢書
土氣極寒「東夷列傳第七十五 挹婁」
土氣多寒「南蠻西南夷列傳第七十六 西南夷 冉駹」
土氣溫和「西域傳第七十八 奄蔡」

119日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:04:45.61
畿内説が破綻したことがはっきりした今、纏向遺蹟とは何だったのか研究すれば良いのではないのかな。。。

120日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:05:27.88
>>103
>真朱はもらってないよ

眞珠のことだよ
真珠貝から採れる宝石の真珠ではないとする方が多数説

121日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:08:09.12
>>120

誰の論文に書いてる?

122日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:08:35.93
>>119
そうだね。。。
僕たちは、もう、邪馬台国の議論からは卒業して、畿内説が破綻したことを踏まえた上で、纏向遺蹟とは何だったのかという一段、高いレベルの研究を始めたな。。。

123日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:09:43.85
>>122
最有力の説は、纏向遺蹟大物主倉庫説だね、、

124日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:10:55.84
大物主とは、何者だろうか、、、

125日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:11:46.64
>>124
ネアンデルタール人ではないのかな。。。

126日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:21:44.77
>>113
>後漢書では「其山有丹」は「其山有丹土」だから真珠は真朱で丹は赤土のことだな。

ブブー!
後漢書でも
其山有丹土。氣溫腝
漢籍按:「其山有丹土。 氣溫腝 」疑為「其山有丹。土氣溫腝」之誤

となってるよ
土氣で、土地の気候、くらいの意味

同じ三国志の烏丸鮮卑東夷伝の挹婁で
處山林之間,常穴居,大家深九梯,以多為好。「土氣寒」,劇於夫餘。
という使い方も出ている

後漢書と魏志倭人伝の対応箇所は

後漢書
出白珠青玉 其山有丹 「土氣温腝」冬夏生菜茹 無牛馬虎豹羊鵲

魏志倭人伝
出真珠青玉 其山有丹
「倭地温暖」冬夏食生菜
其地無牛馬虎豹羊鵲

魏志倭人伝の3箇所に分かれている記述を要約してまとめただけ

127日本@名無史さん2018/06/13(水) 10:46:58.89
>>104
>「南→東」などの嘘つき騙しの大和一元史観教の・・・・が

そもそも現代人は東西南北の四極で方位を捉えることを当然だと思っているが、これとて自明のことではない。

非常に素朴な段階の生活を考えてみると、 初めは地勢によって方位を決めたのである。
例えば一方にしか山がない地域ならば、山側とその逆側、
それに山を前にしてその左右といった捉え方をする。
地域によっては海や川が基準となる。
地形によってはもっと複合的な基準を持つこともありうるだろう。

 しかし行動や交流の範囲が広がると、ある地域でしか通用しない方位観では不便になる。

そこでやっと太陽を仰ぐ。
太陽は、どこから見ても、東から出て、南に昇り、西に沈む。
これによって東西南北の段階に達するが、まだ人類普遍の方位観を獲得したとは言えない。
なぜなら、日の出・日の入りの方角は季節によって変動するので、
どこを正位とするかには選択の余地が残るからである。

 太陽によって東西を決定するときには、日の出・日の入りの、
夏至の日の方角を基準とするか、冬至とするか、その中間にするか、
または季節に従って正位が変動すると考えることもありうる。
だから東と西が一直線で結ばれるとも限らないし、東西南北の領域が四等分されるとも限らない。
方位とはかくも人為的なものなのである。
さらに複数の方位観が併用されるときには、それらを組み合わせてより複雑な方位観が形成されることもありうる。

128日本@名無史さん2018/06/13(水) 12:29:47.31
いつも太陽が見えてるワケじゃないだろうに

129日本@名無史さん2018/06/13(水) 14:29:16.18
三輪 能

思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。

三輪の神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。
天の岩戸は関。
関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し大和朝廷を作ったんだな。

尾張三河には火明命の子孫の神を祀った石作神社がいくつもあるな

あま市 石作神社

石作明神、石作連、火明命。
どういうことだろう。
近隣に美和の地名もある。
三輪、纒向と何か関係あるのかもしれない。

130日本@名無史さん2018/06/13(水) 14:46:53.87
雨降ったらダメ

131日本@名無史さん2018/06/13(水) 15:35:01.79
つまり、畿内説は完全に破綻してしまったのだね。。。

132日本@名無史さん2018/06/13(水) 15:35:27.32
畿内説が破綻したことがはっきりした今、纏向遺蹟とは何だったのか研究すれば良いのではないのかな。。。

133日本@名無史さん2018/06/13(水) 15:36:12.00
>>132
そうだね。。。
僕たちは、もう、邪馬台国の議論からは卒業して、畿内説が破綻したことを踏まえた上で、纏向遺蹟とは何だったのかという一段、高いレベルの研究を始めたな。。。

134日本@名無史さん2018/06/13(水) 16:33:19.19
畿内説の学者より、九州説の一般人のほうが知力に長けてるようだな

135日本@名無史さん2018/06/13(水) 16:51:23.64
こういうのが六拾二病っていうのか

136日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:16:18.57
>>722
>いや、そんな「原則」を現代人が勝手に作っても、古代人は従わないから <

「居住外縁部」は、陳寿の倭人伝の行程記載で使っているし、
遼東と高句麗や、高句麗と扶余の位置関係の記載でも使われている。

137日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:20:20.38
>>771
>数キロ単位というのがウソだな
われらの短里珍説に合わない、とゴネてるだけ<

倭には漢代にも100国があり、馬韓にも魏代に85国位があった位だから、
倭国乱で減った九州の倭國の30国には、
数キロ単位に国があってもおかしくない地域があっただろうなあ。

138日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:20:58.29
>>772
>ワープというか 里数表記の後、水行二十日、水行十日陸行一月移動している<

陳寿は、「萬二千余里」の女王之所都への部分行程の説明は、里数記載で説明を完結させており、
日数記載は、部分行程の所要日数ではない。

「南→東」などの嘘つき騙しで、行程里数や日数を操作してるのは、
大和天皇家一元列島支配教にクルった・・・・大和説者だけだろ。

139日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:21:36.72
>>777
>福岡の那珂で大和型庄内甕を模倣製作している<

違うね。
柳田に拠って、庄内の最古は三雲であり、
という事は、まず那珂が庄内を模倣し、
更に「東征毛人五十五國」に伝播模倣され、
米田に拠って、播磨や河内が模倣生産して一部を弥生銀座へ搬入上納し、
筑紫からの土器搬入が全くなかった大和からは、弥生銀座への搬入も殆どなかった、
という事が実態。

140日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:22:20.18
>>778
>「魏の使いは福岡から出ていない」とかなんの根拠もない <

不彌國で萬二千余里がほぼ終わっていて、その南に邪馬壹國女王之所都があるから、ほぼ筑紫であり、
魏使自身はそれから他へ行った形跡がないから、
「魏の使いは福岡から出ていない」という事になる。

141日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:23:34.16
>>781
>ザラコクさんはどうせグダグダ言い続けるだろうけど、それ以外の人との理解の共有のために
『周髀算経』にみられる数値について 一 一寸千里説の意味するもの 一
下司 和男 計量史研究 33−1 [39] 2011
「一寸千里則」は、天地が8万里を隔てた平行平面をなすという蓋天説の
 宇宙像から必然的に導き出される法則であって、実測の結果から帰納されたものとは
 考え難い 。」<

こりゃまた・・・・アホの学者だね。
「天地が8万里を隔てた平行平面」だなんて、
始めから誰も知り得ないし、測定不能なもの。

>「『周髀算経』に出てくる「里」は、宇宙を観測する器具である表の影と
 蓋天説の宇宙の定数を結びつける、いわば蓋天説における「宇宙里」とでも
 称すべき単位であって、現実に土地の計測に使われている計量単位である里とは
 異なるものであると認識すべきである。」<

これも下司の・・・・アホの勘繰りだな。
「里」は「田の下に土」だから、田畑の平均的サイズとされた距離単位。

>オマケ 『周髀算経』影の測定<

現代の「南→東」などの嘘つき騙しの大和説学者らの、
周髀算経記載への曲解否定と思われる話など、何の信頼性の価値もなく、
読む暇もないし、読む気もしないし。

142日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:24:46.41
>>782
>福岡は搬入庄内式土器は非常に少ない<

最近ようやく、(佐々木の説とは変わって来て)、
そのような話になって来ているね。
要するに、筑紫は、自前の庄内が中心であり、優勢であった、という事。

>在地の特徴がわずかに残った大和型庄内甕の模倣製作<

これが×。
三雲の方が古いんだし、
搬入上納されたのはわずかに播磨や河内の庄内であって、
大和の庄内の搬入は全くないんだから、
「大和型庄内甕の模倣製作」には全くならない。

143日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:39:13.51
>>142
>要するに、筑紫は、自前の庄内が中心であり、優勢であった、という事。

自前のwww
庄内www

庄内式土器って時点で、畿内様式の「模倣」なんだよ
王のお膝元が、辺境の土器形式を模倣するか?と考えれば、
どちらに政治勢力の中心があったか、すぐに分かる

以前に「よいものは取り入れても何も問題ないだろう」みたいな
言い訳をしていた九州説がいたが、ここで問題になっている土器様式は
「炊飯甕」であり、機能的には西新町式も庄内式も、差はないんだよ
単にデザインの問題であり、庄内式が「優れた」「よいもの」ということではない

それでいて、庄内式が九州でも模倣製作され、布留式で「統一」されるのは、
政治的意思がその背後にあるからだ

144日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:40:29.99
>>784
>それなら、末慮国四千余戸、奴国二万余戸という戸数は出てこない
集落はどうがんばっての百戸単位にしかならない <

それほどでもない。
馬韓でも「凡五十餘國」。
辰韓は「始有六國、稍分爲十二國」。
弁辰は「弁辰亦十二國、又有諸小別邑」だから、いろんな大きさの国がある。

>当時の国は、水系単位〜平野単位と見るのが妥当
水系単位での治水・利水のための共同体が国となっていったと考えるのが自然
平野の中に国境線を引いたら、水利権争いの元にしかならない
そういう視点から見て、末慮国の位置を名護屋浦湾の到達地点で示した、などと
いうのは噴飯もの
末慮国が糸島平野に食い込んでいたというのも、ありえない<

「陸行五百里」というのは、末盧國の居住外縁部〜伊都國の居住外縁部間の里数であり、
当時は、その間に、無人地帯や、微小な部族国家や集落が存在していた可能性がある。

145日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:42:46.75
>>785
>>里程が福岡で終わっている。<

>つまり、里程と日程の両方が書かれている、陳寿は知っていた、っていう説だよね?
投馬国までは何里になるの? 水行20日だけど?<

投馬國は、巨大な側副傍線國の説明であり、魏使らは行っておらず、
水行二十日は、「夷人不知里數、但計以日」であるから、倭人からの伝聞情報であり、
里数は聞かされていない。

146日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:43:58.09
>>789
>魏慶元四年に劉徽『九章算術』註釈本が世に出ました
劉徽はその十章として『海島算経』を書いています
『海島算経』は一歩=六尺、一里=三百歩が前提で答を求めることが出来ます<

劉徽は、(谷本計算が出来なかったんだから)周髀算経の一寸千里からのんだから)里数計算が出来ず、
魏使らの「里」記載や、陳寿の「里」記載も知らなかったアホ学者。

>なお『海島算経』以降でないと三角測量は広まらなかったのではないでしょうか<

簡易三角測量は、既に周髀算経が使っていた。

>裴秀は『禹貢地域圖』を泰始四年〜七年にかけて完成させています
それまでは正確な地図というものは存在しませんでした
詳しくは『晋書』《裴秀伝》に引用されている『禹貢地域圖』序文をお読みください<

裴秀が、周髀算経の北回帰線以北の一寸千里の法や、魏使や郡役人らの地理記録を参照していれば、
多少価値があるが、という程度の事。

>残念なことに正始年に倭を訪問した魏使等は正確に地理情報を得る技術をまだ持ってはいなかったのです<

残念な事に、キミは、
大和説という思想宗教的な結論先にありきのために、
魏使らの計測技術の正確性が理解出来ない、・・・・アホであった、という事です。

147日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:44:38.04
>>794
>教えてもらったことをなぞるなw<

「倍正南方」の意味が理解出来ず、教わった事をなぞるなよ。

148日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:45:25.84
>>800
>東南陸行五百里到伊都國が末盧國の入口から末盧國内を通り抜ける距離を含むなら
東行至不彌國百里も奴国の入口から奴国内を通り抜ける方位と距離にしないと<

奴國は、出発と到着の間に「途中移動の説明文言」がないから、
側副傍線國の説明であり、魏使らは通っておらず、
通り抜けないんだよ。

149日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:46:14.15
>>806
>筑紫日向とか倭人伝にはない 高祖山に遺跡なんかない <

新唐書は、「筑紫城の倭奴國の阿毎氏の、 彦瀲の子の神武が大和へ徙した」と、
はっきり証言している。

150日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:51:02.88
畿内説はもはや成り立たないことがわかった仮説をいつまでもごり押ししているだけだからな。

151日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:53:30.66
>>819
「南→東」だとか「長里だ」とか言い出すと、大和説者は、
ここまで狂って来ちゃうんだなあ。

152日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:56:17.43
大和説は学問ではなくカルトだから。

153日本@名無史さん2018/06/13(水) 17:58:48.73
>>855
「南→東」などの嘘つき騙しの・・・・アホの詐欺師の大和説者に、
そんなこと要求するのは、魚に鰓呼吸するなと言うようなものだ。

154日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:01:41.05
>>143
畿内が庄内の最古という証拠はどこにもない
むしろ庄内期から乾田はじまるんだから九州からの流入だろう
三雲遺跡の庄内式の件も、三角縁鏡信者は三雲遺跡を古すぎると言い、畿内庄内式信者は新しいと言い忙しいことで

155日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:07:04.45
>>154
>畿内が庄内の最古という証拠はどこにもない

庄内だけの話じゃなくて、畿内第X様式から順に九州に入っているのが
確認されているんだから、あがいても無駄

日本の考古学は、土器形式については世界一細かく見てるから、
通説に逆らっても、ほぼ徒労にしかならないw

156日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:18:05.43
どうやって確認したの?

157日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:20:09.13
>>866
>周髀算経ってのは、結局のところ、地面と天が平行な二つの平面として
存在しているという蓋天説に立った計算書で、現実世界には合わないんだよ<

そりゃ、周代の周地付近の人が知り得た範囲内での「天地像」だからだ。

>そこにある、二つの平面間が八万里で、棒の長さが八尺とすると、
千里対一寸という比率が出る<

相変わらず、・・・・アホな事を言ってるね。
その八万里とは、周地付近の人には、計測出来るものではない、んだよ。
だから、周地付近での夏至正午の8尺棒の影長の1尺6寸が、
南へ千里行くと一寸短くなるから、その千里を16回繰り返して南に一万六千里行けば、
夏至正午に太陽直下の場所(現在でいう北回帰線)になり、
8尺棒とその影長の作る直角三角形と、太陽直下長と曼千里の作る直角三角形が相似になるから、
太陽高は8万里だ、と求まったんだよ。

>これを一寸千里の法と言っているだけで、実測値ではないし現実の地理と
関わりのある数字ではない <

周地付近での一寸千里の法の測定から、計算された事だ。

158日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:28:36.17
小林行雄氏による弥生土器の編年

@ 弥生土器X様式期に小形丸底鉢(東阿波型土器)の登場

A その後、庄内式大和形甕の登場

                            @阿波

159日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:29:07.30
>>871
>周髀算経ってのは、結局のところ、地面と天が平行な二つの平面として
存在しているという蓋天説に立った計算書で、現実世界には合わないんだよ
そこにある、二つの平面間が八万里で、棒の長さが八尺とすると、 千里対一寸という比率が出る<

この・・・・アホは、その八万里という数字が出て来た根拠が全く説明出来ていない。

>これを一寸千里の法と言っているだけで、実測値ではないし現実の地理と
関わりのある数字ではない <

周地付近の一寸千里の計測から、求まった。

160日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:29:41.52
>>155
ここでいう畿内第V様式なんていうのは何の意味もなく
庄内式が古いか新しいかどちらが起源かの問題
三角縁鏡信者からしたら三雲遺跡は古いんだろ?
なら九州が起源

161日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:45:29.06
つまり、資料が増えて研究が進んだ結果
九州説は日本の考古学者の研究を完全無視するしかなくなってしまった
九州説の考古学者はいない

162日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:46:08.59
>>873
>そういう第一次蓋天説と、もうちょい複雑化した第二次蓋天説が混ざってる
要するに、ちぐはぐな寄せ集め <

いや、周代にあっては、十分な天地像の推論。

>円周率も3だし、<

概数。

>後漢代にはもう古臭い説だった<

後代になれば、知的退化も知的進化も起こり得る事。
また、後漢代の学者も現代大和説学者も、
(谷本さんがされたような)一寸千里の法から千里の距離を計算する、
という事をしなかったし、出来なかった、知的退化したアホであった。

>算術の例題としては難易度がそこそこだったので後世にもよく利用されたが、天文学説としては妄説と呼ばれていた<

後代の天文学者も、知的退化したアホであった。

163日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:47:45.32
反日地球平面説の会

164日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:51:01.49
ザラコクさんてさ、きちんと典拠を示されても、絶対に自分では読まずに
その場の思いつきだけで条件反射的に、ごみコメントを書いて、
スレを浪費するのが目的なんだよなぁ

いい加減にして欲しい

165日本@名無史さん2018/06/13(水) 18:58:35.43
>>874
>>何で「魏志倭人伝は間違っていない」は「間違った前提」だと言えるの? 根拠は?<

>古代の歴史書で、自国以外のことを書いた文書が「無謬」であると考える方が
そもそもおかしい<

この男も、脳のおかしい・・・・詐欺師。
誰も100%完全な、「無謬」だ、なんて言っていない。
魏使らの実見記録は、はるか後代の史家や現代大和説者の自己解釈よりも、
はるかに客観性が高く、信頼性や確率が高い、と言っているのだ、

>実際、末慮国ー伊都国間も、伊都国ー奴国間も「東南」ではない
つまり、方角が間違っている訳だ<

「東南」は、陳寿の行程記載の規則性からは、末盧國からの出発時点での出発方向であり、
伊都国の方向ではなく、
ほぼ間違ってもいない。

>魏志倭人伝の間違っている部分を実際に示せるのだから、
「魏志倭人伝は間違っていない」と前提とするのは誤りだと確定している<

お前の読み方が間違っていた、とほぼ確定している。

>「正しい部分も間違っている部分もある」として読むのが正しいというよりも当然<

客観的な史料批判に拠って、確率の高い帰納的推論で読むべし、という事が当然。

166日本@名無史さん2018/06/13(水) 19:04:33.99
中国の歴史家より反日民族団体の解釈のほうが
はるかに信頼性や確率が高いと言っているんだよな

167日本@名無史さん2018/06/13(水) 19:06:12.44
>>165
>魏使らの実見記録は、はるか後代の史家や現代大和説者の自己解釈よりも、

大和説者の自己解釈じゃなくて、数十年に及ぶ日本の古代史研究の成果としての
比定地の定説から見て、魏志倭人伝の旅程記述は九州上陸直後から正確ではないのは
明白なんだよ

九節論者の無理やり読みや「解読ww」は、本当に無意味な努力

おそらく、「末慮国から東南陸行五百里」は伊都国への旅程ではないし
魏と邪馬壹國(魏志倭人伝表記、これも誤り)との交渉では、
建忠校尉の梯儁さんも、塞曹掾史の張政さんも、末慮国には寄っていない

168日本@名無史さん2018/06/13(水) 19:08:30.86
>>877
>>自分の頭の中で勝手なルールを作り、それをもとち妄想するのが畿内説。<

>水争い≒土地争いで、そうした紛争が国家形成の原動力というのは、
割に不偏的に見られる歴史の流れなんだがな
まあ、見聞の狭い人には目に入らないのかもしれないが <

まあ、水の共同利用、というのが、
全生物でも人類でも、の生存共存発展の原動力であったんだがな。
まあ、「南→東」などの嘘つき騙しの宗教的な大和説者や、
見聞の狭い・・・・あほには目に入らないのかもしれないが。

169日本@名無史さん2018/06/13(水) 19:18:26.61
「壹」はおそらく版本段階のころから
「因詣臺」と同じ字を避けるようになったんだろうね

170日本@名無史さん2018/06/13(水) 19:21:29.56
>>168


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



今言えサギジジイ!

171日本@名無史さん2018/06/13(水) 19:40:14.34
>>167
「濱山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之」
末慮国これは末慮国から伊都国への旅程での風景じゃないの? 

172日本@名無史さん2018/06/13(水) 19:42:44.39
>>167
「濱山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之」
これは末慮国から伊都国への旅程での風景じゃないの?

173日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:01:34.85
>>171
末慮国のところに書いてあるのだから、末慮国のことだろう
別に、次の国への移動の道中を書いたと考える理由はないだろ?

末慮国から、東南陸行五百里であれば、松浦川沿いに遡って行って
笹原峠を越えて佐賀に抜ける道が妥当な想定となるが、そこには伊都国はない

後漢代の記録で、対馬、壱岐を経て末慮国に上陸して、そこから松浦川を
遡って佐賀平野の国に行く旅程記録があって、
それとは別に、北部九州に末慮国、伊都国、奴国がこの順番に並んでいる情報が
あって、それをニコイチにした結果が、末慮国から「東南陸行五百里、到伊都國」
なのだと思う

佐賀平野の国は、吉野ヶ里でもいいし、惣座遺跡でもいい

174日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:03:31.43
>>879
>その500里もお手製だしなー<

変な言い方で、誤魔化すなよ。
「陸行五百里」は、史料事実であり、史料実態だよ。

175日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:05:07.09
>>173じゃあ何時見たの?
佐賀平野?www

176日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:05:13.71
>>687
>1例からであっても、その内実には多くの論点に関する事実を持っており、
多数例からの帰納的推論が出来るもの。<

帰納的推理だろ 論じゃないろ
特殊な個々の前提から一般的な結論を帰納により導き出す推理から得られた結論は蓋然的な確かさしかもたない これ常識

177日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:07:59.82
北部九州沿岸の情報は漢代のころから楽浪郡にはあっただろうな

178日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:10:16.87
>>155
V期の土器様式と庄内はつながってないから
畿内に搬入された証拠



爆弾落としてみるテスト。

179日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:12:19.92
>>175
>じゃあ何時見たの?

末慮国滞在中だろ?
壱岐から1日がかりで渡ってきて、そのまま次の国へ足早に
移動するってこともあるまい

>佐賀平野?www

まあ、筑紫平野でいいんだけれど、佐賀市の辺は佐賀平野でいいだろ

180日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:14:50.73
>>174
>変な言い方で、誤魔化すなよ。
>「陸行五百里」は、史料事実であり、史料実態だよ。

その五百里を「短里」という「お手製の尺度」でのみ読むっていうのが
ご都合主義だって言うんだよ

短里は史料事実ではなく「史料解釈」
しかも、根拠がなく間違っているお手製の目盛りってことだよ

181日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:15:50.25
畿内第Y様式とか、庄内0期とか言ってみる

182日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:16:15.81
>>880
>>781に引用されている 『周髀算経』にみられる数値について 一 一寸千里説の意味するもの 一
下司 和男 計量史研究 33−1 [39] 2011 によると、
話としては「第二次蓋天説が混ざってる」けれど、計算部分には 反映されてないみたいだよ
まさに「ちぐはぐな寄せ集め」<

元々、周髀算経自体は、周代の蓋天説で書かれており、
>>781に引用されている
『周髀算経』にみられる数値について 一 一寸千里説の意味するもの 一
下司 和男 計量史研究 33−1 [39] 2011
によると、話としては「第二次蓋天説が混ざってる」けれど、計算部分には
反映されてないみたいだよ
まさに「ちぐはぐな寄せ集め」の、自己解釈の混入が起きているから、
混ざったんんだろうなあ。
いずれにしても、漢初や後漢末期の収集者は、
谷本さんのような「一寸千里の法での千里距離の確認」などしていないので、
まさにこの投稿者や現代大和説学者らと同じく、
「幼稚でちぐはぐな下司解釈の寄せ集め」、という事だな。

183日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:17:17.22
ここの畿内説の奴は
他説批判に終始して何も畿内説の進捗状況を語らないネ
時計が止まったままで
畿内で決まりと吠えるだけだもんネ
他説批判もグチとしか聞こえないネ

184日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:17:40.50
このスレには、山門説(筑紫平野説)で、
水行は海じゃないって言うやつは湧かないんだな

伊都国説の論破より、そっちの論破の方が面倒なんだが

185日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:19:17.76
>>183
>時計が止まったままで

すでにもう決着はついているからねぇ
あとは少しずつ、発掘成果や研究成果が公表されるのを順番に楽しみにしているだけ

186日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:26:05.87
>>183
でも、説文解字注の「咫」の解釈とか、
漢籍電子文獻資料庫の後漢書の「其山有丹土氣溫腝」の読点の位置とか、
このスレの議論で解釈の進んだ部分もあるんだよ

少し前までは「漢籍按:「 其山有丹土。氣溫腝」疑為「其山有丹。土氣溫腝」之誤。」の
(夾註)は付いてなかった

私が、英語でメールしてから、この(夾註)がつけられたんだよ

187日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:26:32.48
ここの畿内説は聞きかじっただけのネトウヨだから、議論を期待しても無駄。
考える頭なんて持っていない。

188日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:27:35.90
>>184
畿内説はいつも脳内九州説と戦っているよな。
だから九州説に対する批判が的外れで、ザラコクにすら歯が立たない。

189日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:27:58.48
自意識過剰

190日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:27:59.27
>>894
>実測しなくても書けるよ<

太陽高の八万里は、
何の論拠もなくっちゃ書けるものではないよ。

191日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:29:14.26
あんたも何の論拠もなくウソを書いてるだろ

192日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:30:19.00
>>183

>他説批判に終始して

九州説がウソ書きに来なきゃ誰も九州説の話題はしないと思うよ

193日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:31:00.72
>>687
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>史料事実そのものや、史料批判の結果の史料実態からの、
確率の高い帰納的推論だ。<

>一例だけからの帰納って、事実上意味がないんだよ 循環論法でしかない
他例を沢山出せるならともかく、一例だけで言い張っても無駄なんだよね<

変な男。
1例からであっても、その内実には多くの論点に関する事実を持っており、
多数例からの帰納的推論が出来るもの。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

帰納的推論なんておこがましいね・・・規則性皆無
帰納的推理だろ 帰納的推理とはね
特殊な個々の前提から一般的な結論を帰納により導き出す推理で
得られた結論は蓋然的な確かさしかもたないのだよ

言い訳でよく使うが、論理的では無い

194日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:31:40.97
ほうほう。
畿内説は閉じこもって自分達だけの妄想にふけっていたいと。
そのまま世の中に出て来なければ迷惑にはならないのだろうけどな。

195日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:33:36.22
>>901
>倭国の北限は大海の日本海<

倭国は、「正北抵新羅」だから九州であり、
だから、その北限大海は、九州〜半島の間の海峡。

>筑紫は西服衆夷六十六國の中の一国 <

服は「既に服している」という自動詞の意味での使用。

196日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:37:37.96
>>185
宗教じみてて怖い

197日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:38:24.30
>>194

畿内説は学者の論文や報告書が情報源だから
新たな調査結果が出なければ基本的に既出の話題はしない

198日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:42:41.78
>>185さん
纒向の大型掘立柱建物は平地式でなく高床式と確定したのですか

199日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:42:57.17
>>195
あんたば漢文とかまったく勉強してないんだから
「服」の目的語が何か分からなくて
デタラメ言って恥をかく必要はな

三歳児の脳で孫と遊んでいろ
それが幸せだ

200日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:44:07.71
>>907
>古田氏は島巡り説なのに末盧國を唐津付近に比定するのは変ですよなね<

違うよ。古田さんの上陸地の比定は、唐津港付近。

>壱岐の南岸から急に唐津付近はないですよね
壱岐の南岸なら次は末盧國の北岸に着かないと。<

郡出発から韓国までは「循海岸水行」コースを選択しているのと同じで、
都市氏の松浦水軍家の案内であれば、
安全最短の原則で、「呼子付近から循海岸水行を採用」した可能性は十分にある。

201日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:45:43.33

202日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:46:53.05

203日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:47:20.18
都市氏?

204日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:51:43.44
>>908
>九州と畿内の地名の類似では大分の玖珠と大和葛城の国栖が対応しているわけだが、<

文字も音韻も違うから、対応していない。

>縄文まで遡る大和の国栖の方が古い。<

「自昔・・・東征毛人五十五國」があったんだから、
縄文の毛人は、弥生の根拠にならない。

>したがって地名の類似、つまり人の移動は畿内→九州だ。<

したがって、地名の類似、
つまり弥生倭人の人の移動は、九州→瀬戸内近畿東海南関東だ。

>唐の時代に流行した風水を遣唐使が持ち帰り、大宰府に当てたのであろう。
九州説はアホ丸出しw、

そんな、分裂幻覚の妄想しか出来ない大和説者は、アホ丸出し。

205日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:51:49.68
妄想スゲーな

206日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:54:45.30
東征だ!
「日本一たい焼」が桜井市にもある
九州から
たい焼きまで東征だ

207日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:57:17.17
>>913
>たしかに縄文時代なら東高西低だから畿内説にも勝機があるな、<

大分の玖珠と大和葛城の国栖は、音韻も文字も違うから、始めから×であった。
また、大和も、九州倭国の「自昔・・・東征毛人五十五國」の中の一国であるから、
それでも、始めから×であった。

208日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:58:11.07
『たいやきくん』?

万引き家族のような話でしょ、
人の家の、お金で家(ビルやマンション)を建てたり

本来は他の人の収入

209日本@名無史さん2018/06/13(水) 20:59:04.60
>>914
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説は、
ムー大陸や宇宙人UFOを信じる・・・・アホ詐欺師と同類。

210日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:00:29.01
>>189
>自意識過剰

Proposal for correction on a position of a punctuation mark in 後漢書 東夷列傳 倭

I think that a punctuation mark”。” should be moved.

後漢書/ 列傳 凡八十卷/ 卷八十五 東夷列傳第七十五/ 倭
2820頁
×其山有丹土。氣溫腝,冬夏生菜茹
○其山有丹。土氣溫腝,冬夏生菜茹

These sentences are correspondent to follows.
三國志/魏書 凡三十卷/卷三十 魏書三十 烏丸鮮卑東夷傳第三十/東夷/倭
855頁
其山有丹,
倭地温暖,冬夏食生菜

and
《通典》《邊防一》《倭》
其山出銅,有丹。土氣温暖,冬夏生菜茹,

And there is also such a sentence.
三國志/魏書 凡三十卷/卷三十 魏書三十 烏丸鮮卑東夷傳第三十/東夷/挹婁
847頁
土氣寒,劇於夫餘。

211日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:01:01.08
wiki『たいやきくん』~【印税】というところを読んでみて

212日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:01:03.15
>>206
箸中にあるね
日本一たい焼き 桜井市支店 

卑弥呼みたらしだんごVS日本一たい焼き????

213日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:03:35.57
>>915
>葛城の北窪遺跡、伏見遺跡は縄文まで遡る。
国栖とは吉野の先住民を指した言葉。<

列島の住民は、
南方系中心の縄文系の上に、大陸方面からの弥生系が、九州に渡来して来て、
「自昔・・・東征毛人五十五國」をして、東方に広がって行った。

214日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:07:42.57
今川焼というのもあるんだけど、知ってる?
大判焼きとか

地方によって商品名が違うだけで、
今川焼と大判焼きは同じなんだっけ?

215日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:08:59.62
邪馬台国には関係ないが

216日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:09:29.05
>>916
>川一本毎に国邑に分かれるわけじゃない 三雲周辺で3国に分かれてしまう、

筑紫城の倭奴國は、卑弥呼時代の30国には消失しており、
倭奴國の代わりに類似名の奴國と伊都国が出現しているんだから、
倭国乱の時に、倭奴國が奴國と伊都國に分裂していた可能性が高い。

217日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:10:21.02
「魏使は九州には確実に行っている」
 これは事実だよね

218日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:13:03.22
>>919
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、
縄文人も弥生倭人の、両方ともが嫌いな、宗教的な皇国史観のアホ人種が多い。

219日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:15:18.85
その広告史観というのは、いつできたの?

220日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:24:19.39
■日本一たい焼の歴史■
昭和29年福岡市野間の四ツ角で実演されたのが始まり

H4.12/18
日本一たい焼 1 号店 城原店オープン!

H16.4/4
日本一たい焼グループ 1日最高3000匹越え!


大阪初進出!  大阪富田林店オープン


H19.1/28
日本一たい焼グループ 1日最高4000匹越え!


H19.12/17
大阪りんくう田尻店オープン


四国初進出! 愛媛松前店オープン


H21.2/28
奈良県初進出!奈良桜井店オープン


H25.
10/17日に「纒向遺跡」として国の史跡に指定

221日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:29:10.64
以前から聞いているはずなんだけど、
なぜ福岡県が出てくるんだ?

新興宗教か何かの信者?

222日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:29:27.31
>>920
>そもそも現代人は東西南北の四極で方位を捉えることを当然だと思っているが、これとて自明のことではない。非常に素朴な段階の生活を考えてみると、
初めは地勢によって方位を決めたのである。<

いや、地勢がはっきりしない砂漠や森林や海上では、やはり太陽を中心とする天体の方向で決めたのである。

>例えば一方にしか山がない地域ならば、山側とその逆側、 それに山を前にしてその左右といった捉え方をする。
地域によっては海や川が基準となる。 地形によってはもっと複合的な基準を持つこともありうるだろう。<

そりゃ、赤ちゃんや、アホな幼児や、・・・・大和説者は、両親のいる方向が大事であったんだろう。

>しかし行動や交流の範囲が広がると、ある地域でしか通用しない方位観では不便になる。そこでやっと太陽を仰ぐ。
太陽は、どこから見ても、東から出て、南に昇り、西に沈む。
これによって東西南北の段階に達するが、まだ人類普遍の方位観を獲得したとは言えない。
なぜなら、日の出・日の入りの方角は季節によって変動するので、 どこを正位とするかには選択の余地が残るからである。<

赤ちゃんや、・・・・アホの大和説者はそうなんだろうが、
普通の人は、勉強すれば、季節変動でも、東西南北は変わらない、という事が直ぐに判る。

>太陽によって東西を決定するときには、日の出・日の入りの、
夏至の日の方角を基準とするか、冬至とするか、その中間にするか、
または季節に従って正位が変動すると考えることもありうる。
だから東と西が一直線で結ばれるとも限らないし、東西南北の領域が四等分されるとも限らない。
方位とはかくも人為的なものなのである。<

・・・・大和説者以外の普通の人は、「日の出日の入り」方向法や、8尺棒の影端の方向で、
季節に拠っても、変動しない、という事が直ぐに理解できる。

>さらに複数の方位観が併用されるときには、それらを組み合わせてより複雑な方位観が形成されることもありうる。<

太陽や天体で方位を決める普通の人は、複雑な方位観が形成される事はない。

223日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:31:10.02
大判焼きは元々大判の形
たい焼は明治末期には既にある

224日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:35:17.45
>>927
>九州の差別問題は白村江の移配俘囚や黒田藩が姫路から連れて来た皮工をルーツとする以上、
弥生時代に大きな王権があったとは言えないのだ。、

関係がない。「正北抵東」に拠って、倭国は九州にあったのだ。

>邪馬台国とは葛城だ。<

「南≠東」に拠って、×だ。

225日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:37:13.00
家のストーカーか何かがいるのかな?

福島県と福岡県(似ているではなくて??)が、
何やらというスレが建っていた事があったり

どこかで知り合ったりした人?
それとも直接会ったこと、面識はない?

226日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:39:37.69
>>930
>ワロタ、チョンみじめwww <

この、分裂幻覚の妄想のようなヘイトスピーチの・・・・男は、
どうやら、ssnのようだね。

227以下 纏向遺跡の纏めでいいですか?2018/06/13(水) 21:42:15.01
纏向遺跡の特徴
@ 纒向遺跡は大集落でありながら、人の住む集落跡が発見されていない。祭祀用と考えられる建物と土抗、祭祀用具、物流のためのヒノキの矢板で護岸された大・小溝(運河)などである。
A 平成21年に3世紀前半〜中頃の大規模な建物群の遺構が見つかった。4棟の建物が軸線をそろえて東西に一直線に並んでおり、立地は人工的に整地が施され、付近には特殊な工房跡もみつかっている。
B 日本全国で作られたと思われる遺物の出土が多い。特に伊勢国、尾張国が突出している。また、搬入品のほか、大和で製作されたが各地の特色を持つとされる土器も多く、 関連遺構ではその比率が高くなる。

推論として
@遺跡の性格としては居住域というよりも 、頻繁に人々や物資が集まったり祭祀のための聖地と考えられる。
A高い規格性と、この時代最大の建築物であることから、卑弥呼の居館ではないかと推定される。
B土器の出土はきわめて広範囲であり、弥生時代以前にはみられない規模の広汎な地域交流があったと思われる。

畿内説における纏向の位置づけ
@〜Bの特徴より、纏向遺跡は居住用の都市ではなく、巨大祭祀施設と考えられる。
その祭祀施設には、全国から人々が集まっていることから、全国の祭祀の中心となるものであったと考えられる。
纏向遺跡の中心の建物群に卑弥呼が居住し、祭祀をしていたものと考えられる。

228日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:42:18.00
>>932
>そうだよ。
だから7世紀の朝廷は白村江の敗戦が途方もないショックだったわけ。
尾張氏の末裔の国=新羅に日本が負けたのだから。<

白村江で負けたのは、「正北抵新羅」の九州倭国であったんだよ。

229日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:46:00.95
>>933
>だいたいヒミコやトヨの墓が何らかの神域になってない方がおかしい。
平原遺跡のようなミカン畑がヒミコの墓であるはずがない<

白村江の後で、大敗した九州倭国を併合吸収継承した大和は、
かなり、九州倭国の存在や歴史を隠蔽抹殺しようとしたんだよ。

230日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:48:03.71
でも、たい焼き、今川焼きというのも、
少なからず関係していると思う、鉄板、型を鋳造したりという話でしょ

職人など

231日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:50:51.16
キナイコシの呟きが、狂気じみているな。。。

232日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:51:53.35
つまり、畿内説は完全に破綻してしまったのだね。。。

233日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:52:09.92
畿内説が破綻したことがはっきりした今、纏向遺蹟とは何だったのか研究すれば良いのではないのかな。。。

234日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:52:26.51
そうだね。。。
僕たちは、もう、邪馬台国の議論からは卒業して、畿内説が破綻したことを踏まえた上で、纏向遺蹟とは何だったのかという一段、高いレベルの研究を始めたな。。。

235日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:53:08.37
>>234
最有力の説は、纏向遺蹟大物主倉庫説だね、、

236日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:53:14.97
>>935
>古代の歴史書で、自国以外のことを書いた文書が「無謬」であると考える方が そもそもおかしい
正しい部分もあれば「間違っている部分もある」というだけのことが どうして認められないのか?
現実に合わない部分を、記述に合うように無理やり「変な解釈」をでっち上げて
正しいと言い張りながら読むような、やり方が九州説の基本であり
間違っているところの根本なんだよ<

九州説は、何も「無謬だ」なんて断定をしていないよ。
魏志倭人伝のような、魏の役人たちの実際の実見記録のような史料の方が、
後代の史家や現代大和説学者らの自己解釈や「南→東」などの嘘つき騙しよりも、
客観性も信頼性も、正しい確率も高い、と言ってんだよ。

237日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:53:23.36
大物主とは、何者だろうか、、、

238日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:53:59.03
ネアンデルタール人ではないのかな。。。

239日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:55:57.65
>>939
>ヒミコ、トヨ、男弟、ヒミコの両親、叔父さん叔母さんなど高天原の神々の墓だから。<

面倒くさいから、「南≠東」などに拠って×、ね。

240日本@名無史さん2018/06/13(水) 21:59:29.23
>>940
>畿内周辺には、卑弥呼以前にも興味深い遺跡は色々あるからな
伊勢遺跡とか池上曽根遺跡の巨大神殿とか <

どちらも、「自昔・・・東征毛人五十五國」の中の一国であり、
倭国将軍に拠って出来、地方の市を監督する「大倭」職の国であったんだろう。

241日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:02:11.63
>>193
テンプレの朝鮮通信使のことだろ
あんた正解
通信使の一例からは多数列は見つからない・・・帰納法を理解していない 
畿内説の研究者が見つけてきた一例を書きこんだのだろう

南→東は
誤認したか、転写ミスぐらいで納めれば良い・・・問題山積だが

242日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:11:10.99
>>227
>A高い規格性と、この時代最大の建築物であることから、卑弥呼の居館ではないかと推定される。

楼閣高く、兵が厳かに守り、千人の下女が働く王宮ではないですね。

243日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:14:06.24
ザラコク?の畿内説に対する厳しい指摘は理解できないでもない 時折脱線するが
畿内説の若い者は疑心暗鬼にならないで、盲目的に従っているとは思えないが
学問を志すなら自分なりに私利私欲なくで研究してみる事を勧める
九州説も弱点は多々ある 九州内の邪馬台国の位置はいろいろ説があり、九州説内部で議論は続く
畿内説は纏向・箸墓の一枚看板でないことを望む

244日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:15:39.06
キウス

245日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:19:10.15
>>244
はずれw

246日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:19:46.68
>>942
>故・金関 恕(かなせき ひろし)がさん奈良県天理市和爾の東大寺山古墳から発見した「国宝」中平銘鉄刀。
金関さんは2017年3月の考古学雑誌で、この刀は卑弥呼の五尺刀ではないかという見解を述べられている。<

卑弥呼は九州の共立女王で、
明帝からの下賜の五尺刀の一本が、卑弥呼から東征将軍の一人にから下賜されたもの、
という解釈であるんなら、構わない。

>同じく京都教育大学名誉教授で元・奈良県立橿原考古学研究所指導研究員の和田萃さんも
和邇氏の系譜に卑弥呼がいるのではという見解を述べられているようだ。<

これも、和邇氏が、卑弥呼の部下の東征将軍の一人であった、という事なら、構わない。

247日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:19:48.46
>>242
高床式かも不明 年代も不明
王宮じゃ無いだろう
まず
王宮なら周辺に王以外の居館域が多数あるはずだが無い

蛇足

畿内説の応急(王宮)措置が纒向なんちゃって

248日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:22:23.22
>>247
>畿内説の応急(王宮)措置が纒向なんちゃって

本当にそれ。
出てきたものをなんでもいいからなんとか卑弥呼に結びつけようと屁理屈ばかり。
しかし実態がわかるにつれてますます矛盾が大きくなる。
200回も掘ってろくな成果が出ないなら、纒向は卑弥呼と関係ないよ。

249日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:31:45.77
纒向はヤマト王権の象徴で邪馬台国と関係ない
(魏志倭人伝から纏向は解せない ▲も無い、鉄も無い、居住域でも無い、等々
地方から人々を呼び寄せ、その祭祀施設を見せることにより、
初期ヤマト王権の権威を高めようとしたもの程度かな・・ヤマト王権は九州の弱小国の東征だがね

倭種の別国

250日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:33:13.17
スマソ 
九州の弱小国か難民が行きついたところが奈良

251日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:34:21.03
>>954
>邪馬台国は大和国なのにな<

邪馬台国なんて存在しないし、
「南≠東」に拠って、×な。

252日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:40:03.69
>>958
>>遺跡数に比べて、鉄器がおそろしいほどない。<

>その「おそろしいほど」ってのはただの主観
纒向遺跡の庄内土器の時代の範囲内の、 纒向石塚の北東200m近辺から鞴羽口や鉄滓等が確認された
鉄鍛冶を伴う遺構が出土してるよ<

何だ?、鉄鏃の数量や、鉄製品の数が言えなかったのかい?。
よっぽど少なかったようだね。

253日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:40:35.94
>>247
高床式では無いことは調査で立証済み
出所不明の纏向復元図  これ学者は関係無いから
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E5%B7%BB%E5%90%91%E5%BE%A9%E5%85%83%E5%9B%B3++%E7%BA%8F%E5%90%91%E5%AD%A6

254日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:50:16.55
>>252
賛同する
大和は文明的に相当遅れていたのであろう
九州経由で鉄の技術を持ち込み文明開化で再開発されたのが大和
邪馬台国なんて畿内には存在しない 倭種の別国
大和は狗奴国でも無い小国

255日本@名無史さん2018/06/13(水) 22:55:29.08
在日韓国人が圧倒的に多いのは畿内なんだよ
連れてきたわけでもない、軍需工場や炭鉱があったわけでもない
古より大陸との交流があった証拠なんだよ
畿内に邪馬台国があり大陸との交流が盛んだった証拠
http://todo-ran.com/t/kiji/11618

256日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:01:28.07
>>235
薄笑いして書き込んでるなww
>>255
ヤマト王権は東征で
倭人と渡来人の連合が築いた国だから当たり前の話
邪馬台国では無い
松本清張曰く「明日香の常用語は百濟語」

257日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:04:22.10
桓武天皇の妃は百済のブネイ王の末裔

258日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:05:37.10
桓武天皇の妃は百済のブネイ王の末裔
出典
続日本書紀

259日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:09:40.99
倭国+朝鮮=日本ってか

260日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:09:47.98
畿内説が破綻したことがはっきりした今、纏向遺蹟とは何だったのか研究すれば良いのではないのかな。。。

261日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:10:46.60
そうだね。。。
僕たちは、もう、邪馬台国の議論からは卒業して、畿内説が破綻したことを踏まえた上で、纏向遺蹟とは何だったのかという一段、高いレベルの研究を始めたな。。。

262日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:11:27.86
>>217
事実だが何が言いたいの

263日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:13:39.64
>>221
古代
福岡県も奈良県も無い
感覚的な位置でいいんでねーの

264日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:15:25.54
>>254
よく言うね 勝手だが

265日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:28:51.10
>>252


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



早く言えサギジジイ!

266日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:38:55.67
>>264
畿内説の史書無視は酷いものだ。

267日本@名無史さん2018/06/13(水) 23:53:18.47
野鍛冶は賤民だからね
動員力が必要な大規模土木工事を行えるのが支配者

268日本@名無史さん2018/06/14(木) 00:25:57.97
>>261
神武東征の前に長脛彦とかなにかが統治してた勢力の遺跡だろう

269日本@名無史さん2018/06/14(木) 01:06:48.04
遺跡と遺蹟の区別が付いてないんだな

日本語ではほぼ遺跡で統一されているんだが、
そういうのが分からない育ちの人なんだろうな

270日本@名無史さん2018/06/14(木) 01:30:14.45
>>253
>高床式では無いことは調査で立証済み

どうやって立証したのか教えてくれるかな?
専門家の想定では高床式のようだよ
http://www.makimukugaku.jp/pdf/gaihou.pdf

CGだとこんな感じ
http://makimuku.jp/makimuku3.html

271日本@名無史さん2018/06/14(木) 02:20:31.56
そりゃキウスだもん
息を吐くように嘘をつく

272日本@名無史さん2018/06/14(木) 05:12:40.80
>>67
>畿内説は実は東遷説だな。<

畿内なんてなかったし、
大和は、正北抵新羅の九州の倭国から別れた別種の旧小国であり、
白村江の後で、大敗した倭国を併合吸収継承したのだから、
東遷説も×だな。

>「伊都国の太陽祭祀を継いだ卑弥呼が、瀬戸内海勢力の実力を背景として、総花的に纏向で共立された」<

南≠東に拠って×。

>「首長のいない広域政治集団が発生したが、圧力が高まって、急激な首長権が確立した」<

「自昔・・・東征毛人五十五國」の中の一国であり、倭国の地方の市を監督する大倭職の旧小国。

>「弥生中〜後期に隆盛を誇った伊都国は、蝋燭の最後の輝きをはなって音もなく衰退した」<

倭奴國から別れた伊都国は、卑弥呼の頃も王や一大率がおり、
壹與や銚子塚や端山の倭王を輩出し、
磐井が姫氏に代わってまた倭国王になり、
タリシホコは天子を称し、
白村江の大敗で大和の同じ阿毎氏に併合吸収継承されたが、
その残映は、太宰府に平安中期まで存続した。

273日本@名無史さん2018/06/14(木) 05:31:55.13
>>80
>「突然やってきて、展示物などに持論を語った上で 『自分がやってきた研究成果を発表する機会をつくってほしい』
という人が、最近多いんですよね」
そう話すのは、近畿地方にある郷土資料館の職員だ。 すでに10年あまり資料館で働いているが、最近になり、
リタイアした団塊の世代による独自研究の「持ち込み」が増加しているという。
「ちゃんと、これまでの歴史を学んだ上で新たな視点を提示するような研究なら聞く価値があります。
でも、だいたいはトンデモ論。
原典になる史料や基本文献、学術論文をあたることもなく、 一般読者向けの軽めの本だけをたくさん読んで
『これまでにない発見をした』という人が多いんですよ」(同) <

大体、「近畿地方にある郷土資料館の職員」なんて、
出身大学の教授らの、「南→東」などの、史料事実の否定曲解をする嘘つき騙しの、
文部省や右翼マスコミなどの思想宗教に狂った大和説に、隷従するばかりの非学問的なハクチばかりであり、
何の価値もなく、国民の7割に否定されており、放っておけばよいのであり、
国民は、どんどん史料事実に基づいた九州説の成果を、国民に広げて行けばよいんですよ。

274日本@名無史さん2018/06/14(木) 05:39:28.08
>>81
>岸本直文「倭における国家形成と古墳時代開始のプロセス」
『国立歴史民俗博物館研究報告』第185集,2014年
上野祥史「日本列島における中国鏡の分配システムの変革と画期」
『国立歴史民俗博物館研究報告』第185集,2014年<

国立歴史民俗博物館研究報告なんて、
文部省や右翼マスコミや嘘つき騙しの学会教育界の、
「南→東」などの嘘吐き騙しに拠る宣伝でしかないんだから、
何の価値もなく、読んでもむしろ精神衛生上の害になるばかりであり、
国民の7割にも拒否されており、
国民は、放置して、ゴミ箱に捨てて置けばよいんですよ。

275日本@名無史さん2018/06/14(木) 05:49:30.37
このスレでは畿内説は破綻してしまった
さっさと閉めろ

276日本@名無史さん2018/06/14(木) 05:50:13.11
>>82
>畿内説が破綻したと主張しているのはキチ
纒向遺跡 邪馬台国論争「畿内説」に画期
毎日新聞2018年5月14日 14時07分(最終更新 5月14日 14時35分)
解説・・・<

朝日ですら、社長以下の支配者は「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説に支配されてしまっており、
キョクウの読売産経などと朝日との、中間である毎日なんても、全く信頼性がなく、
国民は、そんな新聞は黙ってゴミ箱に捨てて放っておき、
黙々と、史料事実を学習研究しておいて、子や孫に伝えて行けばよい、んですよ。

277日本@名無史さん2018/06/14(木) 05:53:05.96
>>270
掘立柱建物を誇大広告する頭の中が見てみたいな

278日本@名無史さん2018/06/14(木) 05:58:08.63
>>84
>倭国大乱、近畿征伐、記紀でいう神武東征だよ。
結果できたのが、山陰と東海の勢力を中心とした大和朝廷だよ。<

倭国大乱もなかったし、朝廷なんてもなかったから、この投稿子も×人間。

もう、ずっと毎回のように、
テンプレに引き続いて、
「南→東」などの史料事実の否定曲解をする嘘つき騙しの・・・・大和説者の、
九州説者らへのヘイトスピーチ街宣や、テンプレ擁護の大量投稿をし続けているが、
国民の皆様は、騙されないように、気を付けて、黙殺しておきましょうね。

279日本@名無史さん2018/06/14(木) 06:00:57.10
>>92まで、殆ど全て、
「南→東」などの嘘吐き騙しの・・・・大和説者の宣伝投稿ばかりでしたね。

280日本@名無史さん2018/06/14(木) 06:32:31.17
>>270
arigatou

纏向の掘立柱で高さ10Mは無い 住居として使えない 
もしあったとしたら、建てたが歪んで失敗作となり短期間でボツ
ましてや纏向の地盤は弱く石床は必需だが無い

倉庫なら理解できるが
観光目的で似非復元するとしか思えない

281日本@名無史さん2018/06/14(木) 06:56:38.11
>>276
新聞が悪いのでなく公表する側が悪い

282日本@名無史さん2018/06/14(木) 07:21:30.10
畿内説は虫の息だな
でも殺すなよ
からかう楽しみがなくなる

283日本@名無史さん2018/06/14(木) 07:34:42.03
>>277
>掘立柱建物を誇大広告する頭の中が見てみたいな

そんなことより「高床式では無いことは調査で立証済み 」なら、
それをきちんと示してよ!

284日本@名無史さん2018/06/14(木) 07:34:42.70
畿内説が支持されていないことがよくわかるスレ
早く締めた方が無難

285日本@名無史さん2018/06/14(木) 07:37:37.22
>>283
調査報告でも掘立柱建物でしょ
調査報告書一読すれば良い
高床式ではない 

286日本@名無史さん2018/06/14(木) 07:38:06.76
>>280
>纏向の掘立柱で高さ10Mは無い 住居として使えない

出雲大社も掘立柱だったと思ったが?
直径数十センチ級の柱はそうそう沈めようと思っても沈まないよ?
奈良盆地全体が湿地だと思ってるんじゃないかな?
この建物があるところは扇状地の微高地で、地下水面も低いところだよ

287日本@名無史さん2018/06/14(木) 07:41:34.05
>>285
掘立柱建物だと、なんで
高床式ではないの?

288日本@名無史さん2018/06/14(木) 07:41:39.31
>>285
>調査報告でも掘立柱建物でしょ

>高床式ではない 

その「掘立柱=高床式はあり得ない」っていう思い込みをどうにかしなよww

>調査報告書一読すれば良い

>>270で引用のhttp://www.makimukugaku.jp/pdf/gaihou.pdf
概報だけど、調査報告書そのものだぞ?ww

289日本@名無史さん2018/06/14(木) 07:47:02.67
>>285
今のところ不明が正解じゃ無いのか
不明なのに高床式の復元は非難されるべきだろうがネ

290日本@名無史さん2018/06/14(木) 07:49:30.38
なんで不明なんだ?
束柱もあるのに

291日本@名無史さん2018/06/14(木) 07:50:05.15
>>275>>277>>281>>282>>284

こういうのがキウス?

「遺蹟」を咎められたからキレてるのかな?

292日本@名無史さん2018/06/14(木) 08:00:35.73
>>288
2013年の報告だね
現在の位置づけは掘立柱建物
(同じ纏向学研究センターのHPより)

293日本@名無史さん2018/06/14(木) 08:13:11.96
>>292
だから、なんで掘立柱建物だと
高床式ではないと思い込んでるの?

294日本@名無史さん2018/06/14(木) 08:23:15.08
高床式だという証拠プリーズ

295日本@名無史さん2018/06/14(木) 08:25:42.39
>>293
この質問は論理的に無意味だな。
ついいつものクセが疑問文で返しているようだが、それで何かを証明できるわけではない。
こいつの言葉はナンセンスだということだ。
畿内説自体がろくな出土品もないのに言い張っているだけだからナンセンスだけどな。

296日本@名無史さん2018/06/14(木) 08:29:29.90
>>292
「建物Bと柱列との間は狭い所で1.5m、広い所でも1.7mと非 常に近接しており、
 建物Bが床の低い建物であるとすれば屋根と柱列が干渉する可能性が考えられるこ とから、高い位置に床面が想定されている。」
「(建物Dは)建てられていた柱の太さは15cm前後と推定される円形の柱穴が検出されており、その配列から 柱間の広い南北方向の床を支えるための束柱であった可能性が高いと考えている。」
(纒向遺跡発掘調査概要報告書 -トリイノ前地区における発掘調査-)

297日本@名無史さん2018/06/14(木) 08:31:59.20
>>295
答えられないんだな

だからその「掘立柱=高床式はあり得ない」っていう思い込みをどうにかしなよww

298日本@名無史さん2018/06/14(木) 08:33:52.85
>>295
なんで論理的に無意味なんだ?
論理的に説明してくれ

299日本@名無史さん2018/06/14(木) 08:45:44.18
>>97
>◎纒向には、万単位の人々が暮らし、土木作業を行っていた。纒向集落は、ヤマトの地が外部勢力に征圧され、その結果できた集落。
纒向は、ヤマトの地を征圧した兵と徴用された地元民が万単位で土木作業に従事した大集落。
卑弥呼は鬼道で民を纏める役割を担っていた。<

「南≠東」に拠って、卑弥呼は筑紫の共立女王であり、
大和には直接的な関係がなく、
卑弥呼の名前を出した時点で、×。

300日本@名無史さん2018/06/14(木) 08:52:18.27
>>98
>福岡の丹は本邦産じゃないからな
朱丹を以って其身體に塗る、中國で粉を用いるが如し
一部の支配層だけが墓に使うのではなく、倭地では豊富に産するということだな<

朱丹は、原料は多種あるが、全て顔料。
九州には、ベンガラなど、大量に産出する。

301日本@名無史さん2018/06/14(木) 08:53:09.46
>>296
柱が太さが15cm前後細くて柱間が1.5m〜1.7mの建物だと平屋の背の低い建物だな。

302日本@名無史さん2018/06/14(木) 08:54:15.49
>>99
>邪馬台国は葛城だ。<

邪馬台国なんて存在しないし、
葛城も、「南≠東」に拠って×だ。

303日本@名無史さん2018/06/14(木) 09:00:13.60
>>103
>真朱はもらってないよ <

又特賜汝紺地句文錦三匹、細班華kei五張、白絹五十匹、
金八兩、五尺刀二口、銅鏡百枚、眞珠、鉛丹各五十斤、
皆裝封付難升米、牛利還到録受。

304日本@名無史さん2018/06/14(木) 09:05:31.59
以前にも掘立柱建物=掘立小屋と思い込んでいたバカがいたなwww

305日本@名無史さん2018/06/14(木) 09:09:41.74
太さが15cm前後の柱は束柱だろ

306日本@名無史さん2018/06/14(木) 09:23:28.09
>>107
>狗奴国はなにわ、和泉、河内 <

「南≠東」に拠って×ね。

307日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:00:15.52
>>301
纒向は平地式掘立柱建設だな
それよりも、竪穴式住居跡が纒向には欲しいな

308日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:03:53.84
>>292
纒向学研究センターがサボってるだけ
高床式だと思う

309日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:07:02.16
>>295
同意
訳が分からなくなると逆質する典型
自論が無い証拠

310日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:07:22.46
根拠は?

311日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:08:53.48
高床であっても、楼閣も柵もなく、下女が待機するところもないのなら、卑弥呼の王城ではないな。

312日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:16:13.82
>>286
出雲大社の原型は長瀬高浜遺跡で
高床式ですが
纒向は高床式とは断定出来ない無いのでパス
高床式でもい

313日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:17:03.82
>>270
これを見ると、400年前に建てたという故郷の神社、本殿じゃなくてというかその横に
ある建物に似ているわ。
めちゃくちゃ床が高くて、ずっと不思議だったんだよな。

314日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:19:27.81
すまん
長瀬高浜遺跡は高床式は断定済み
纒向は掘っ立て柱建物まで確定
高床式かどうかは現段階では不明

315日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:24:32.90
>>292
この人、めっちゃ変わってるね。
掘立柱建物と高床式が共存しないらしい。
じゃあ、この当時の高床って、どんな基礎ななの?
掘立柱建物は、土間?

纏向の建物は、「掘立柱の高床」だけどな。

316日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:35:29.30
>>294
無い
有れば苦労しない

317日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:37:30.88
>>315
なら堂々と公表すれば良いのだが、
推論段階ではないのかしらね

318日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:40:52.82
2013年報告「これは高床式や」

現在の報告「高床式は早まった、掘立柱建物あたりの表現に抑えとこ」

319日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:42:29.77
>>311
>高床であっても、楼閣も柵もなく

いい加減に、調べもせずに思い込みで難癖をつけるだけっていう芸風、何とかしなよ

「纒向遺跡発掘調査概要報告書 -トリイノ前地区における発掘調査-」より
柱列
 第162・168・170次調査区において検出された遺構である。この
柱列はすでに第20次調査時にその存在が想定されていたもので、第162次
調査では先に確認されている部分も含めて南北方向に約23m分検出されている。
この柱列は当初、微高地上を東西に区画するものかと考えられたが、途中で
柱列が90°曲がり東へと延びることが判明しており、建物B〜Dの建物群全体を
取り囲む『柵や塀のような構造』になると推定される。」
『 』は引用者

柵はあるねw

320日本@名無史さん2018/06/14(木) 10:54:06.26
古墳の序列は大>中>小だがそれ以外にもある。
立地場所だ。

上座>中座>下座になる。

実際、各地域の上座にはその地域の始祖王らしき人物の墓がある。
例を挙げれば河内の玉手山古墳群、交野の森古墳群、讃岐の萩原墳墓や猫塚などなど。

では大和盆地の最上座とはどこか。

高天原(御所市高天)だ。

高天原(御所市高天)にある日本最古の神社の境内に径百余歩の塚があり、
魏志倭人伝の記述通り奴婢が埋葬されている。
https://textream-cimg.west.edge.storage-yahoo.jp/58/b6/1835208-96a8cbd6169180a157075d145f086b7f/24/b0c96b994750a363867d0a717b81e934.jpg

トヨもヒミコも、ヒミコの父さんやお母さんも、叔父さんや叔母さん、
そして男弟までみんな死後にこの地に埋葬され、高天原の神々になったのだ。

321日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:00:05.28
纒向あたりは細粒灰色低地土壌

322日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:01:48.54
九州説って・・バカなのか?

323日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:04:02.22
>>113
>日本の学会
後漢書では「其山有丹」は「其山有丹土」だから真珠は真朱で丹は赤土のことだな。<

後漢書は、
魏志のような魏使らの実見記録ではなく、
後代での「自己解釈に拠る(魏志などに)書き換えが多い」半分×書であるから、
信頼性が低く、
日本の学会は、
「南→東」などの史料事実の否定曲解の嘘つき騙しを止めない犯罪者的集団であるから、
信頼性は全くない。

324日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:04:09.11
>>322
今さら?

325日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:08:25.60
>>324
すまん、つい・・・

326日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:12:34.43
>>319
推定されると有るとの違いは?
規模もついでに教えて

327日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:15:51.30
>>319
それって、大型建物だけの物じゃん
都市を守っていない

328日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:16:08.72
>>326
柵を定義してくれるかな?

「建物群全体を 取り囲む『柵や塀のような構造』になると推定される」ような構造物は
普通に柵と呼んで差し支えないと思うが?

329日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:20:18.27
>>326
>規模もついでに教えて

だから、貼ってある発掘調査報告書(概報)を読みなって
怠け者なんだから、もう

「地形からの推定に頼らざるを得ないが、周辺には東西150m×南北100m前後の範囲に
 居館域が展開する可能性を考えており、その内部は柱列を境として内郭と外郭に区画
 されていたと思われる。」

330日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:20:28.54
掘立柱建物は床をつくる高床建物と床はつくらず土間とする平地式建物に分かれる
床下を支える束柱があるということは高床式で、古墳時代になってから登場する

331日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:23:23.81
つまり掘立柱建物だから高床じゃないと思い込んでる九州じいさんは
確実に無学痴呆

332日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:23:36.54
狗奴国と争っているのに
纒向は無防備すぎると思うよ
市場兼斎場だろうな
周辺は墓地

333日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:24:14.73
>>327
だから何?

なんで都市を守らんといかんの?

334日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:25:03.74
九州説って・・バカなのだよ

335日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:25:11.44
>>331
高床式と公言している学者誰?
著書は?
数多く挙げれば説得力も増すよ

336日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:26:19.48
>>334
それグチだからやめとけ

337日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:27:57.91
>>327
>都市を守っていない

日本では、環濠中に逆茂木を植えたものはあっても、都市を囲むような柵は
一例も見つかっていないと思うが?

つまり日本には、邪馬台国はなかったという主張かな?

「居處宮室樓觀『城柵』嚴設、常有人持兵守衞」
一応、「城」柵、とはなっているけれど、弥生時代に城構えの集落はないんだから
大陸風の都市国家を想定する必要はないだろ?

「これらの柱穴は多くが径30p前後、深さ40p程度の規模を持つ」
「この柱列を構成する柱材の太さは約15p」
(纒向遺跡発掘調査概要報告書 -トリイノ前地区における発掘調査-より)

結構立派な柵だと思うよ

338日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:28:54.72
>>333
狗奴国と争っているから

339日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:32:17.08
>>117
>>周髀算経には、測定結果とした記載がされている。<

>そう書いてあっても、実測値でないことはバレバレなんだよ
ザラコクさんはきちんと原典を読んでないだろうから知らないだろうけど、
八尺棒の冬至と、春分、秋分の影の長さも書いてある<

冬至は、影長が長くて半影部分も多きくて、影端の位置がはっきりしなかったための多きくて、
やや不正確な計測値。
そして、春分秋分の影長は、
冬至晷長一丈三尺五寸,小寒丈二尺五寸,大寒丈一尺五寸一分,立春丈五寸二分,
雨水九尺五寸二分,啟蟄八尺五寸四分,春分七尺五寸五分,清明六尺五寸五分,
穀雨五尺五寸六分,立夏四尺五寸七分,小滿三尺五寸八分,芒種二尺五寸九分,
夏至一尺六寸,小暑二尺五寸九分,大暑二尺五寸八分,立秋四尺五寸七分,
處暑五尺五寸六分,白露六尺五寸五分,秋分七尺五寸五分,寒露八尺五寸四分,
霜降九尺五寸三分,立冬丈五寸二分,小雪丈一尺五寸一分,大雪丈二尺五寸
を見りゃ判るように、夏至と冬至の間を等分に分割しただけの計算値。

>正午における太陽の影長 夏至:1尺6寸  冬至:1丈3尺5寸  春・秋分:7尺5寸5分
これで、春・秋分が、夏至と冬至の影の長さの平均になっているのが分かるか?
でも、現実には、その平均よりも春・秋分の影の長さは長くないとおかしいんだ<

お前の脳の邪悪性とインチキ性が、おかしいんだよ。

>こんなところからも、蓋天説に従って「作った数字」だってことがばれてるんだよ <

夏至と冬至は近似計測値であり、その他は近似計算値だよ。

340日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:34:04.19
>>118
>後漢書
土氣極寒「東夷列傳第七十五 挹婁」
土氣多寒「南蠻西南夷列傳第七十六 西南夷 冉駹」
土氣溫和「西域傳第七十八 奄蔡」 <

成程。

341日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:37:24.23
狗奴国
消滅説、、邪馬台国に戦争で負けた
継承説、、隼人、熊襲になった
ヤマト王権になった説、、東征
逃亡説、、九州から逃亡者ヤマト王権になった

342日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:48:21.63
>>127
>「南→東」などの嘘つき騙しの大和一元史観教の・・・・が <

>そもそも現代人は東西南北の四極で方位を捉えることを当然だと思っているが、これとて自明のことではない。
非常に素朴な段階の生活を考えてみると、 初めは地勢によって方位を決めたのである。
例えば一方にしか山がない地域ならば、山側とその逆側、 それに山を前にしてその左右といった捉え方をする。<

山があっても、太陽は見える。

>地形によってはもっと複合的な基準を持つこともありうるだろう。<

地形では、東西南北の決めてにならない。

343日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:51:12.61
>>129
>関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し大和朝廷を作ったんだな。<

大和朝廷なんてなかったんだから、
この男も、皇国史観にクルった×人種ね。

344日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:53:34.57
>>135
大和説学者や大和説者っていうのが、六拾二病っていうのかな?。

345日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:54:41.87
>>343
貴方はなんか宗教的な関係の人なの?

346日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:55:09.27
>>137の訂正
倭には漢代にも100国があり、韓にも魏代に85国位があった位だから、
倭国乱で減った九州の倭國の30国には、
数キロ単位に国があってもおかしくない地域があっただろうなあ。

347日本@名無史さん2018/06/14(木) 11:59:49.93
>>339
>冬至は、影長が長くて半影部分も多きくて、影端の位置がはっきりしなかったための多きくて、
>やや不正確な計測値。

いや? 半影までの長さと考えられるって、
『周髀算経』影の測定  http://www.geocities.jp/yamauo1945/shuhisankei1.html
に書いてあるだろ?

まずは、提示された情報を読んでから答えなよ
ザラコクさんの頭の中には、ほとんどまともな知識は入っていないんだから、その状態で何か書いても、意味のある文章にはならないんだって!

>見りゃ判るように、夏至と冬至の間を等分に分割しただけの計算値。

こっちはずっと、そう言ってるだろ? 『周髀算経』の数値は、基本、机上の計算値であって、実測値じゃないんだよ

>お前の脳の邪悪性とインチキ性が、おかしいんだよ。

罵倒しかできないねぇ まともな反論ができない人は大変だw

知識と根拠と論理展開で、相手を説得する・納得させるのが、こういう掲示板での討論の基本なんだがな

ま、ザラコクさんには無理だろうけれどww

>夏至と冬至は近似計測値であり、その他は近似計算値だよ。

つまり、「全部」「近似計算値」で、実測値はないってことだね!
つまり、現実の地理とは無関係ってことだ!
ザラコクさん本人認定ww

よって、『周髀算経』の千里に、短里の根拠を求めても、まったく意味がないってことだ

九州説、終了! お疲れ様でした

348日本@名無史さん2018/06/14(木) 12:02:38.52
>>340
>成程。

なるほどとか書いてるけど、これ、
「後漢書に「其山有丹土」と書いてあるから九州でよく使われている
 ベンガラのことだ、だから、九州でいいんだ」
っていうのを否定してるんだぞ?

なるほどなら、それでいいけど、また一つ、九州説の論拠が潰えたな

349日本@名無史さん2018/06/14(木) 12:28:47.25
え!

何科あったの?

350日本@名無史さん2018/06/14(木) 12:30:26.24
纒向の大型建物だが平地式だと思う
溝の深さが1m以下では到底❓階建てはムリ

351日本@名無史さん2018/06/14(木) 12:31:37.24
精神科

352日本@名無史さん2018/06/14(木) 12:33:34.82
>>337
吉野ヶ里はどうよ

353日本@名無史さん2018/06/14(木) 12:40:02.95
>>350
溝の深さって、いったい何の話だ?
お前の日本語はわからない

354日本@名無史さん2018/06/14(木) 12:40:36.65
環濠集落なら唐古・鍵遺跡
ここも王都の候補

355日本@名無史さん2018/06/14(木) 12:41:44.49
>>352
時代が違う

356日本@名無史さん2018/06/14(木) 12:44:37.73
卑弥呼は唐古・鍵遺跡に住んでいて
祭事は纏向で行われたでいいでしょうか?

357日本@名無史さん2018/06/14(木) 12:50:13.95
>>348
「其山有丹 土氣」であっても
否定してたことにはならないよ
丹が赤土(ベンガラ)のことだよ。

358日本@名無史さん2018/06/14(木) 13:10:55.46
ダダをこねる
死に体の
九州説

359日本@名無史さん2018/06/14(木) 13:10:59.54
赤土は赭

360日本@名無史さん2018/06/14(木) 13:25:18.24
>>357
>丹が赤土(ベンガラ)のことだよ。

ベンガラのような「どこにでもあるもの」は、倭国の産物として特記されない
魏志倭人伝に限らず、倭国を世界の東の果ての神仙郷=東王父の蓬莱山のように
捉える観念が通底しているんだよ

徐福が目指したのは、倭国じゃなくて蓬莱山だというのを意識した方がいい

其山有丹の丹は、仙薬たる水銀朱を意識した記述なんだよ
ベンガラでは弱すぎる

361日本@名無史さん2018/06/14(木) 13:26:16.70
赭,今之赤土也
丹:巴越之赤石也  說文解字

362日本@名無史さん2018/06/14(木) 13:32:25.70
九州説の致命傷だな

363日本@名無史さん2018/06/14(木) 15:14:42.56
つまり、畿内説は完全に破綻してしまったのだね。。。

364日本@名無史さん2018/06/14(木) 15:14:59.62
畿内説が破綻したことがはっきりした今、纏向遺蹟とは何だったのか研究すれば良いのではないのかな。。。

365日本@名無史さん2018/06/14(木) 15:15:14.79
そうだね。。。
僕たちは、もう、邪馬台国の議論からは卒業して、畿内説が破綻したことを踏まえた上で、纏向遺蹟とは何だったのかという一段、高いレベルの研究を始めたな。。。

366日本@名無史さん2018/06/14(木) 15:15:53.43
>>365
最有力の説は、纏向遺蹟大物主倉庫説だね、、

367日本@名無史さん2018/06/14(木) 15:16:19.99
大物主とは、何者だろうか、、、

368日本@名無史さん2018/06/14(木) 15:17:35.17
>>367
ネアンデルタール人ではないのかな。。。

369日本@名無史さん2018/06/14(木) 15:34:26.37
>>360
いや、それは主観で思い込みにすぎないと思うよ
「丹」だけの記述ではベンガラでも水銀朱でも意味合いは合ってるからね

文献上、厳密に言えば、「丹」は「有」で「出」ではないから、鉱山があり天然の物があれば条件的にはそれでokなんだよ

真珠を魏から貰ってるが、これは「真朱」の事であると通説では考えられるているから、倭国では「真朱」あまり産出はしていなかったとは推定できる
ただし、これについても「真珠」の可能性が無い訳ではないので、根拠にはできないね

370日本@名無史さん2018/06/14(木) 15:52:53.86
>>369

真珠が誤字というのはどの学者が言ってるのかな?

371日本@名無史さん2018/06/14(木) 16:14:03.00
「有」は丹だけじゃなくて、
「其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷」も「有」
真珠は海中から採れるから「出」だろう

372日本@名無史さん2018/06/14(木) 16:25:05.55
出青玉も、富山の宮崎海岸や境海岸は通称ヒスイ海岸と言われるように
海から海岸に打ち上げられるから青玉はヒスイだろう

373日本@名無史さん2018/06/14(木) 16:46:56.79
>文献上、厳密に言えば、「丹」は「有」で「出」ではないから、鉱山があり天然の物があれば条件的にはそれでokなんだよ


そんなこと言ってる学者はいないな

なぜって、学者は大抵漢文が読めるから

374日本@名無史さん2018/06/14(木) 16:49:15.69
>>355
吉野ヶ里は紀元前4世紀頃から律令制時代まで長期間存在してたようだから
時代的には含まれているよ。

375日本@名無史さん2018/06/14(木) 16:50:26.34
>>373
「丹」は「有」で「出」ではないから丹は倭の特産物ではないんだよ。

376日本@名無史さん2018/06/14(木) 16:51:06.10
>>366
そんなこと言ってる学者はいないな

馬鹿だと学者にはなれないから

377日本@名無史さん2018/06/14(木) 16:55:41.95
>>375
そんなこと言ってる人はいないな

理由がないことを言い張るのはサルだから

378日本@名無史さん2018/06/14(木) 17:05:16.44
中国でたくさん採れる真珠は色、形、大きさが不揃いだから
重さで表しているのだろう
倭地の真珠は白珠と孔で表されているから色、大きさが揃っていたんだろうな

https://zhongyibaike.com/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0

379日本@名無史さん2018/06/14(木) 17:11:59.07
>>143
>>要するに、筑紫は、自前の庄内が中心であり、優勢であった、という事。<

>自前のwww 庄内www 庄内式土器って時点で、畿内様式の「模倣」なんだよ<
王のお膝元が、辺境の土器形式を模倣するか?と考えれば、
どちらに政治勢力の中心があったか、すぐに分かる<

弥生銀座よりも三雲の方が古いんだから、
弥生銀座も、弥生銀座と近い時期の河内や播磨も、三雲の模倣になるんであり、
倭国王のお膝元が、辺境の近畿の土器形式を模倣するか?と考えれば、
どちらに政治勢力の中心があったか、すぐに分かる。

>ここで問題になっている土器様式は
「炊飯甕」であり、機能的には西新町式も庄内式も、差はないんだよ
単にデザインの問題であり、庄内式が「優れた」「よいもの」ということではない<

庄内式の方が薄くて熱効率が良かったから、広がった。

>それでいて、庄内式が九州でも模倣製作され、<

近畿が模倣した。

>布留式で「統一」されるのは、 政治的意思がその背後にあるからだ<

米田は、布留は、近畿よりも南加賀の方が古い、といっているんだよ。
どっちにしても、田舎の大和が先行した事もなければ、「模倣された」事もない。

380日本@名無史さん2018/06/14(木) 17:14:52.29
>>164の訂正。
劉徽は、(谷本計算が出来なかったんだから)、
周髀算経の一寸千里からの里数計算が出来ず、
魏使らの「里」記載や、陳寿の「里」記載も知らなかったアホ学者。

381日本@名無史さん2018/06/14(木) 17:15:20.71
反日朝鮮人がウソ連呼しても無意味

382日本@名無史さん2018/06/14(木) 17:18:19.23
>>154
>畿内が庄内の最古という証拠はどこにもない
むしろ庄内期から乾田はじまるんだから九州からの流入だろう
三雲遺跡の庄内式の件も、
三角縁鏡信者は三雲遺跡を古すぎると言い、畿内庄内式信者は新しいと言い忙しいことで<

成程。

383日本@名無史さん2018/06/14(木) 17:24:56.91
>>155
>>畿内が庄内の最古という証拠はどこにもない<

>庄内だけの話じゃなくて、畿内第X様式から順に九州に入っているのが
確認されているんだから、あがいても無駄、

馬鹿だね。
三雲にも第五様式があった、という事は、
第五様式も三雲が先行していて、
それを弥生銀座や近畿が模倣した、という事になるんではないか。

>日本の考古学は、土器形式については世界一細かく見てるから、
通説に逆らっても、ほぼ徒労にしかならないw<

そりゃ好都合だ。
柳田や米田の説に逆らったって、
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説学者のインチキも、ほぼ徒労になる、って事だ。

384日本@名無史さん2018/06/14(木) 17:29:05.28
>>369
>文献上、厳密に言えば、「丹」は「有」で「出」ではないから、鉱山があり天然の物があれば条件的にはそれでokなんだよ

いや、丹の鉱山があるかどうかを知るには、丹を採らないことには分からないだろう?
土の中にありますって、上を歩くだけじゃ分からないんだから

畿内の古墳で使ってる水銀朱の量は、えげつないほど多いよ
桜井茶臼山古墳で、200キロくらい使ってる
50斤=30キロなんて、その1/7強くらいにしかならない

385日本@名無史さん2018/06/14(木) 17:35:50.68
>>158
>小林行雄氏による弥生土器の編年
@ 弥生土器X様式期に小形丸底鉢(東阿波型土器)の登場
A その後、庄内式大和形甕の登場    @阿波<

小林は、明確な「南→東」などの嘘つき騙しの大和説教授であるから、
そんな嘘つき騙しの教授の編年など、何の価値もなく、
(阿波と同じように)根拠にはならないよ。

386日本@名無史さん2018/06/14(木) 17:49:39.61
>>161
>つまり、資料が増えて研究が進んだ結果
九州説は日本の考古学者の研究を完全無視するしかなくなってしまった
九州説の考古学者はいない <

つまり、「南→東」などの嘘つき騙しの大和説の学者の中の、
柳田や米田や石野や久住らが、
ついうっかり、「大和説教授らの説を否定してしまう事になる情報」をしゃべってしまって、
大和説教授らや右翼マスコミらは、困り果てている、ってことだ。

387日本@名無史さん2018/06/14(木) 17:55:30.60
>>163
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者らは、
周髀算経が周地付近での「天地像の推論」であった、という事も判らず、
「谷本さんの千里距離の確認計算」を思いつく事も出来ず、
太陽高が8万里のいう事の計算法も判らなかったような、
・・・・アホ集団であった。

388日本@名無史さん2018/06/14(木) 17:58:54.49
>>387
>「天地像の推論」であった

つまり、実測値じゃないってことだろ?
現実の地理的な推定には使えないって!

389日本@名無史さん2018/06/14(木) 18:01:00.69
>>164
>ザラコクさんてさ、きちんと典拠を示されても、絶対に自分では読まずに
その場の思いつきだけで条件反射的に、ごみコメントを書いて、
スレを浪費するのが目的なんだよなぁ いい加減にして欲しい<

まあ、「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者の「典拠」提示など、
嘘つき騙しである確率が非常に高いし、
私は忙しいから、そんな嘘つき騙し人種の文など関心も読む暇もない。
まあ、読んで欲しけりゃ、この掲示板に書きだしてくれ。

390日本@名無史さん2018/06/14(木) 18:06:01.06
>>166
この大和説男らは、
中国の「使節の実見などに拠って書かれた記録」よりも、
国家国粋皇国史観大和説の民族団体の自己解釈の方が、
はるかに信頼性や確率が高いと言っているんだよな。

391日本@名無史さん2018/06/14(木) 18:15:42.01
>>383
>三雲にも第五様式があった、という事は、
>第五様式も三雲が先行していて、
>それを弥生銀座や近畿が模倣した、という事になるんではないか。

おまえは真正のアホなのか。
畿内は第一から第五まで弥生土器が揃っていて、九州は第五からなら、
それは畿内の方が古いということだろ。
おまえアホ過ぎ、もう消えろ。

392日本@名無史さん2018/06/14(木) 18:20:18.81
畿内説のテンプレもそういう風にわかりやすく書けばいいのに。
妄想ばかり先行していて読みにくい。

393日本@名無史さん2018/06/14(木) 18:24:18.36
>>389
>嘘つき騙しである確率が非常に高いし、

確率が高いかどうかは、読んでみないことには分からないだろ?
そうやって逃げ続けて、意味のないウソを書き続けるのがザラコクさんクオリティだなww

394日本@名無史さん2018/06/14(木) 18:42:09.46
>>167
>>魏使らの実見記録は、はるか後代の史家や現代大和説者の自己解釈よりも、<

>大和説者の自己解釈じゃなくて、数十年に及ぶ日本の古代史研究の成果としての
比定地の定説から見て、魏志倭人伝の旅程記述は九州上陸直後から正確ではないのは
明白なんだよ<

「南→東」などの、
史料事実を否定曲解の嘘つき騙しの大和説の「古代史研究家」の説なんて、
何の信頼性もないよ。

>九節論者の無理やり読みや「解読ww」は、本当に無意味な努力<

大和説信者の国民は、本当に無意味な努力。

>おそらく、「末慮国から東南陸行五百里」は伊都国への旅程ではないし
魏と邪馬壹國(魏志倭人伝表記、これも誤り)との交渉では、
建忠校尉の梯儁さんも、塞曹掾史の張政さんも、末慮国には寄っていない <

張政らは、詔書や金印や大量の下賜品を持っていないから、
一大國から伊都国へ直行した可能性もあるが、
梯儁らは、持っているから、「安全最短の原則」で、末盧國上陸した、と思う。

395日本@名無史さん2018/06/14(木) 18:45:27.03
>>391
勉強した方が良い

396日本@名無史さん2018/06/14(木) 18:52:46.60
素人の唱えるトンデモ説を「勉強」すると
脳が腐るぞ

397日本@名無史さん2018/06/14(木) 18:53:56.20
>>169
>「壹」はおそらく版本段階のころから
「因詣臺」と同じ字を避けるようになったんだろうね<

宋明清代の考証校勘学者は、
三国志の写本版本の「壹」に関しては、誰も「壹」の考証校勘をしておらず、
魏志倭人伝の中で校勘対象になったのは、「都支国と郡支国」と、「黄幢と黄憧」だけだ。
という事は、版本の底本写本も「壹」であったのであり、
お前の「版本段階の頃」というのが、嘘つき騙しのインチキだ。

398日本@名無史さん2018/06/14(木) 18:57:16.50
>>171
>「濱山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之」
末慮国これは末慮国から伊都国への旅程での風景じゃないの?、」

いや、記載の順番からは、末盧国内付近での見聞移動の風景だ。

399日本@名無史さん2018/06/14(木) 19:53:46.87
>>173
>末慮国から、東南陸行五百里であれば、松浦川沿いに遡って行って
笹原峠を越えて佐賀に抜ける道が妥当な想定となるが、<

陳寿の行程説明の原則は「出発説明+途中の説明+到着説明」であり、
だから、「東南」は、目的地方向ではなく、
出発時点での出発方向説明であり、
その後は、案内人や道なり移動だ。

>そこには伊都国はない<

伊都国は、風土記や書紀に拠って、「怡土郡」にある、と判っているから、
佐賀は×だ。

>後漢代の記録で、対馬、壱岐を経て末慮国に上陸して、そこから松浦川を
遡って佐賀平野の国に行く旅程記録があって、
それとは別に、北部九州に末慮国、伊都国、奴国がこの順番に並んでいる情報が
あって、それをニコイチにした結果が、末慮国から「東南陸行五百里、到伊都國」
なのだと思う 佐賀平野の国は、吉野ヶ里でもいいし、惣座遺跡でもいい <

まるで分裂幻覚の妄想、だな。

400日本@名無史さん2018/06/14(木) 19:55:35.81
>>397


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



今言えテメエ!

401日本@名無史さん2018/06/14(木) 19:56:52.00
>>176
1例からであっても、その内実には多くの論点に関する事実を持っており、
その多数の事実からの、帰納的推論が出来る。

402日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:06:51.21
>>180
>>「陸行五百里」は、史料事実であり、史料実態だよ。<

>その五百里を「短里」という「お手製の尺度」でのみ読むっていうのが
ご都合主義だって言うんだよ <

郡から末盧國までの記録での「里の距離≒短里」が、
末盧國から突然「長里」での記録に変わる、と言い出す事が、
「お手盛りの尺度」や「ご都合主義」って言うんだよ。

>短里は史料事実ではなく「史料解釈」<

いや、史料実態。

>しかも、根拠がなく間違っているお手製の目盛りってことだよ<

そして、この男も、
途中で「短里記載から長里記載に変わる」といういうインチキ男だ、って言うんだよ。

403日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:10:25.96
>>402
>途中で「短里記載から長里記載に変わる」といういうインチキ男だ、って言うんだよ。

そんなことを言っている畿内説はいないよww
一貫していっているのは、
「里で書いてある以上は、魏晋里以外にはない」
そして、
「魏晋里と合わないのであれば、それは不正確な数値であてにならない」

404日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:14:34.65
>>185
すでに、「南≠東」や、
「倭国は正北抵新羅で九州」や、
「大和は、筑紫城の倭奴國から別れた別種の旧小国」や、
大和は、「自昔・・・東征毛人五十五國」の中の一国で、
倭国の地方の市を監督する大倭職の国、
もう決着はついているからねぇ。
あとは少しずつ、発掘成果や研究成果が公表されるのを順番に楽しみにしているだけ。

405日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:15:08.62
>>403
魏晋里と合わない上に、規則性がないからね

406日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:17:12.16
>>186
>でも、説文解字注の「咫」の解釈とか、
漢籍電子文獻資料庫の後漢書の「其山有丹土氣溫腝」の読点の位置とか、
このスレの議論で解釈の進んだ部分もあるんだよ
少し前までは「漢籍按:「 其山有丹土。氣溫腝」疑為「其山有丹。土氣溫腝」之誤。」の
(夾註)は付いてなかった
私が、英語でメールしてから、この(夾註)がつけられたんだよ<

成程。そうだったのでしたか。

407日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:18:37.08
>>187
>ここの畿内説は聞きかじっただけのネトウヨだから、議論を期待しても無駄。
考える頭なんて持っていない。<

賛成です。

408日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:21:08.18
>>189
>自意識過剰 <

大和説者は、「南→東」などのような嘘つき騙しの・・・・性過剰。

409日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:23:44.26
>>192
スレ主や大和説者が、「南→東」などのようなウソ付き騙しを書きに来なきゃを、
誰も大和説を話題には、しないと思うよ。

410日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:24:13.06
九州説はきちんと議論のできない人が多いな

411日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:26:13.41
罵るばかりだし

412日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:29:37.55
九州説は議論でも何でもなく畿内説にイチャモンつけたいだけ

413日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:32:43.19
ウソでもなんでも声闘が習慣の民族だからな

414日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:33:29.41
>>193
一例だけであっても、
それが正しい場合と、間違っている場合と、どちらでも言えない場合の3論点があり、
どこで、何時、誰の証言であるのか?などの問題点が起こるし、
何故その例が発生したのか?など、
最低6点以上の論点が発生し、それらの根拠からの帰納的推論が必要になるんだよ。

415日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:33:43.10
>>207
>大分の玖珠と大和葛城の国栖は、音韻も文字も違うから、始めから×であった。

ならば九州と畿内の地名の類似自体を放棄するわけだな?
東遷説も放棄でいいね?

416日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:40:14.03
>>197
>畿内説は学者の論文や報告書が情報源だから
新たな調査結果が出なければ基本的に既出の話題はしない<

大和説者は、始めから「南→東」や「大和説→畿内説」などの嘘つき騙しであるから、
大和学者の論文や報告書は、全く信頼性も客観性もなく、
だから新たな調査結果が出ても、
基本的には、何の信頼性も価値もなく、
話題にされず、放置される。

417日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:41:25.12
『九章算術』劉徽註序にあるように洛陽城の南北で表の影を測定してますよ
一寸差千里が実用的ではないことは分かっていたんじゃないですかね
果たして数学者に外交情報が公開されますかね?
『海島算経』慶元四年(263年)=蜀の滅亡
『三國志』太康元年頃(280年)
ですので劉徽は陳寿を知らないかもしれません

418日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:48:52.89
>>199
あんたは、漢文や漢字とかをまったく勉強してないんだから、
「服」が自動詞か他動詞か?が判らないだけではなく、

日本国伝と倭国伝とをはっきり別の場所に書き分けた唐会要の倭国伝の、
「正北抵新羅」に拠って、
倭國は九州にある事になるから、倭王武も九州の人であり、
だから「西服衆夷六十六國」は九州倭国の事になる、
という事も判らない・・・・アホであった事になり、

これ以上デタラメ言って恥をかく必要はなく、
三歳児の脳で孫と遊んでいろ。
それが幸せだ。

419日本@名無史さん2018/06/14(木) 20:58:14.30
>>215
>邪馬台国には関係ないが <

邪馬台国なんて存在しないが。

420日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:05:38.32
>>219
>その広告史観というのは、いつできたの?<

皇国史観は、記紀の史観であり、だから、
白村江の後で倭国を併合吸収継承した大和日本国の天武の命令で出来た事になり、
中世の日本書紀学者や近世の古事記学者らの、大和説学者らが広めた偽史観である、
という事になる。

421日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:08:58.88
>>221
以前から聞いているはずなんだけど、
なぜ、奈良県が出てくるんだ?。
「南≠東」などに拠って、
嘘つき騙しの・・・・アホ詐欺師の大和説だ、っという事が判っているはずなのに。

新興宗教か何かの信者?。

422日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:11:02.86
気に入らない記事は全て正しくないことにしたい畿内説

423日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:17:56.45
>>406
>成程。そうだったのでしたか。

>>186は、ザラコクさんの主敵の私の書き込みだよ?ww

424日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:29:33.04
>>227
>(纏向遺跡)推論として
@遺跡の性格としては居住域というよりも 、頻繁に人々や物資が集まったり祭祀のための聖地と考えられる。<

倭国の地方の市を監督する大倭職の、祭祀用建築である。

>A高い規格性と、この時代最大の建築物であることから、卑弥呼の居館ではないかと推定される。<

「南≠東」などに拠って×。「居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衞」になっていない。

>B土器の出土はきわめて広範囲であり、弥生時代以前にはみられない規模の広汎な地域交流があったと思われる。<

筑紫倭國からの搬入は0であり、
纏向→筑紫への搬入上納は、播磨や河内にもはるかにおとり、非常に少量である。

>畿内説における纏向の位置づけ<

畿内なんて存在しないから、×。

>@〜Bの特徴より、纏向遺跡は居住用の都市ではなく、巨大祭祀施設と考えられる。<

弥生銀座や吉野ケ里と違って、地方の市を監督する大倭職の国だった、という事だ。

>その祭祀施設には、全国から人々が集まっていることから、全国の祭祀の中心となるものであったと考えられる。<

筑紫からの搬入は0。

>纏向遺跡の中心の建物群に卑弥呼が居住し、祭祀をしていたものと考えられる。<

「南≠東」などに拠って×。

425日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:35:50.25
>>241
>南→東は
誤認したか、転写ミスぐらいで納めれば良い・・・問題山積だが、

南と東は、誤認も転写ミスもするようなものではなく、
誤認や転写ミスの確率は、ほぼ0。

426日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:36:57.86
ザラコクの頭の中で日本の歴史はどうなってるんだ

427日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:41:51.22
南南東みたいな微妙な方位をどちらかと言えば南と表記したんじゃね

428日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:41:52.13
日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳

法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。

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429日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:47:12.09
>>243
>ザラコク?の畿内説に対する厳しい指摘は理解できないでもない<

畿内なんて存在しなかったから、この筆者も?・・・。

>時折脱線するが
畿内説の若い者は疑心暗鬼にならないで、盲目的に従っているとは思えないが
学問を志すなら自分なりに私利私欲なくで研究してみる事を勧める<

もう残り人生が少なくなって来ており、
「南→東」などの嘘つき騙しは黙過し難いし、
文部省や右翼マスコミや学会教育界が、嘘つき騙しの大和説で、
国民を洗脳しようとしている事も、黙過し難いから、
放置して死んでしまうのも嫌だ。

>九州説も弱点は多々ある九州内の邪馬台国の位置はいろいろ説があり、
九州説内部で議論は続く<

もっと大きな嘘つき騙しの大和説が、国民の3割の支持しかないのに、
国やマスコミや学会教育界を牛耳っている、という事が黙過し難い。

>畿内説は纏向・箸墓の一枚看板でないことを望む<

「南→東」などの嘘つき騙しの大和説を応援しているこの男は、
おそらく・・・・だな。

430日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:52:05.58
>>255
>畿内に邪馬台国があり大陸との交流が盛んだった証拠 <

畿内も邪馬台国もなかったし、
現代韓国人なんて、古代と関係がある筈もないから、×。

431日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:53:03.48
嘘つき騙しはザラコクだろう
九州説はどうも自分らのやってる事を畿内説がやってると喧伝するクセがあるな

432日本@名無史さん2018/06/14(木) 21:57:58.00
>>263
>古代 福岡県も奈良県も無い 感覚的な位置でいいんでねーの<

倭国伝と日本国伝をはっきり書き分けている唐会要の倭国伝に、
「正北抵新羅」と書かれているから、倭国は九州であった事になり、
それが、全ての説を規定し支配している。

433日本@名無史さん2018/06/14(木) 22:04:37.81
>>432


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



今言えテメエ!

434日本@名無史さん2018/06/14(木) 22:17:49.07
>>243
>畿内説は纏向・箸墓の一枚看板でないことを望む

畿内説者の多くが纏向・箸墓古墳のようですが、ヒミコもトヨも住んだのは葛城。

10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。
これで邪馬台国論争は終了する。
崇神陵=行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。

2015久住編年でもこれが最有力。
そして卑弥呼擁立の時代=庄内0式(2世紀末)まで文化断絶がない。
という事は崇神から卑弥呼の時代までを普通に遡れるのだ。
にもかかわらず古代史家、考古学者の誰一人ヒミコを探そうとしない。
ヒミコは記紀に登場しないという固定観念があるからであろう。

わしは探した。 ほらヒミコもトヨもいた。

I崇神(310年頃 318年没)
H開化
     G孝元
          F孝霊   
トヨ津        E孝安 D孝昭
トヨ津   (250年頃)C懿徳 
ヒメ踏鞴        B安寧
ヒメ踏鞴        A綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) @神武 

神武から6代孝安まで宮は葛城である。
また神武から孝安まで不自然な事に正后はいても「妃」がいない。
彼らは複数の妃を持つ大王ではなかったからである。

つまり魏志に書かれた女王国とは神武〜孝安時代の事であり、 それは葛城王朝であった。

435日本@名無史さん2018/06/14(木) 22:24:39.79
葛城辺りは対狗奴国の前線だな
そんな危険なところに王はいない

436日本@名無史さん2018/06/14(木) 22:28:34.91
>>435

失せろ

437日本@名無史さん2018/06/14(木) 22:31:19.00
>>281
>新聞が悪いのでなく公表する側が悪い<

私がYahooで「南≠東」の議論をしていた時に、
朝日が突然、大和説に「南」問題がある事を書いたので、驚いたが、
大和説が、「南→東」などの嘘吐き騙しになる事を知っていて、
その事を隠して、大和説の宣伝公表を載せる事は、
そりゃ嘘つき騙しの大和説仲間である事になり、悪い。

またYahoo経営者も、
それまでの掲示板を止めて、それ以前の投稿を全て非公開処置にして、
textreamなるものに変えたが、
そこではいろんな禁止文言が設定され、一部は解除されたが、
「倭国」や「倭奴国」が、史料事実文言であるのに禁止文言として残っていた、
という信じられない事をやっていた。

だから、それ以来、マスコミも信用していない。

438日本@名無史さん2018/06/14(木) 22:41:01.50
>>283
>>掘立柱建物を誇大広告する頭の中が見てみたいな<

>そんなことより「高床式では無いことは調査で立証済み 」なら、
それをきちんと示してよ! <

確か、どなたかが「石床」が存在しなかった、と言っていたよ。
「石床」がなければ、柱の下の地面の強弱に拠って、
柱の沈下度合が柱毎で違ってしまって、凸凹になってしまう。
つまり、高床のような重い建物を建てても、柱の沈下の違いで凸凹になってしまって、
その内に倒れてしまう事になる。

という事は、大きくて重い宮殿ではなく、
「居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衞」ではなく、
卑弥呼の宮殿ではない、という事だ。

439日本@名無史さん2018/06/14(木) 22:46:02.99
九州説の妄想スゲーな

440日本@名無史さん2018/06/14(木) 22:53:38.82
>>320
>トヨもヒミコも、ヒミコの父さんやお母さんも、叔父さんや叔母さん、
そして男弟までみんな死後にこの地に埋葬され、高天原の神々になったのだ。<

トヨなんていなかったが、
「南≠東」だけでも、×。

441日本@名無史さん2018/06/14(木) 22:55:30.64
>>322
「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説って・・バカなのか?。

442日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:00:15.25
>>331
>つまり掘立柱建物だから高床じゃないと思い込んでる九州じいさんは
確実に無学痴呆<

「石床」がないから、高床や重量建築は無理、って話は、どうなったの?。

443日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:01:46.08
>>334
「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説者って・・バカなのだよ。

444日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:10:53.31
>>442
無学痴呆だって証拠になった

445日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:12:43.31
>>337
>日本では、環濠中に逆茂木を植えたものはあっても、都市を囲むような柵は
一例も見つかっていないと思うが?
>「居處宮室樓觀『城柵』嚴設、常有人持兵守衞」
一応、「城」柵、とはなっているけれど、弥生時代に城構えの集落はないんだから
大陸風の都市国家を想定する必要はないだろ?<

吉野ヶ里には、柱幅が30p位で、柱間が15〜20p位柵で、高さ2.5m位の柵に囲まれた、
直径70〜80m位の柵は、あったと思うが。

>「これらの柱穴は多くが径30p前後、深さ40p程度の規模を持つ」
「この柱列を構成する柱材の太さは約15p」
(纒向遺跡発掘調査概要報告書 -トリイノ前地区における発掘調査-より)
結構立派な柵だと思うよ <

吉野ヶ里よりも貧弱なようだが。

446日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:16:26.37
3世紀では畿内の何をとっても九州より貧弱だよ。
ここには大勢力はいなかった。
魏はおろか、川内へも出て行けず、東海の勢力を通じて細々と外部とつながっていた。
地方と中核にもなれず、後に筑紫の文化が流入して初めて発展し始めることになる。

447日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:17:39.45
>>339の訂正
冬至は、影長が長くて半影部分も大きくて、影端の位置がはっきりしなかったための、
やや不正確な計測値。
そして、春分秋分の影長は、
冬至晷長一丈三尺五寸,小寒丈二尺五寸,大寒丈一尺五寸一分,立春丈五寸二分,
雨水九尺五寸二分,啟蟄八尺五寸四分,春分七尺五寸五分,清明六尺五寸五分,
穀雨五尺五寸六分,立夏四尺五寸七分,小滿三尺五寸八分,芒種二尺五寸九分,
夏至一尺六寸,小暑二尺五寸九分,大暑二尺五寸八分,立秋四尺五寸七分,
處暑五尺五寸六分,白露六尺五寸五分,秋分七尺五寸五分,寒露八尺五寸四分,
霜降九尺五寸三分,立冬丈五寸二分,小雪丈一尺五寸一分,大雪丈二尺五寸
を見りゃ判るように、
夏至と冬至の間を等分に分割しただけの計算値。

448日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:19:33.81
(@_@)

449日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:25:32.17
>>341
>狗奴国
消滅説、、邪馬台国に戦争で負けた
継承説、、隼人、熊襲になった
ヤマト王権になった説、、東征
逃亡説、、九州から逃亡者ヤマト王権になった<

松野氏姫氏系図では、卑弥呼らの記載の頃に、
記紀に書かれた熊襲の王や姫たちの名前が何人も書かれており、
卑彌弓呼のような人物の名前はなく、
これから見ると、松野氏姫氏は、卑弥呼や卑彌弓呼が亡くなった後で、
卑弥呼の後裔が熊襲と合同したらしい、という事になる。

450日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:39:45.14
>>347
>>冬至は、影長が長くて半影部分も多きくて、影端の位置がはっきりしなかったための多きくて、
やや不正確な計測値。<

>いや? 半影までの長さと考えられるって、
『周髀算経』影の測定  http://www.geocities.jp/yamauo1945/shuhisankei1.html
に書いてあるだろ? まずは、提示された情報を読んでから答えなよ <

『周髀算経』影の測定、って、周髀算経自身ではなく、現代の大和説者の「勝手な解釈」なんだろ?。
そんなものは、周髀算経自身と違って、根拠にならないし、関心もないよ。

>>見りゃ判るように、夏至と冬至の間を等分に分割しただけの計算値。<

>こっちはずっと、そう言ってるだろ? 『周髀算経』の数値は、基本、机上の計算値であって、実測値じゃないんだよ<

ウソを付くな。夏至と冬至は実測値だよ。

>>お前の脳の邪悪性とインチキ性が、おかしいんだよ。<

>罵倒しかできないねぇ まともな反論ができない人は大変だw
知識と根拠と論理展開で、相手を説得する・納得させるのが、こういう掲示板での討論の基本なんだがな <

鏡で、自分が嘘を付いている顔をよく見て見な。

>>夏至と冬至は近似計測値であり、その他は近似計算値だよ。<

>つまり、「全部」「近似計算値」で、実測値はないってことだね!<

また違う事をしゃべっている。
「近似計測値」と「近似計算値」とを書き分けてあるだろ。

はい、大和説、終了! お疲れ様でした。

451日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:45:44.98
>>348
>>成程。<

>なるほどとか書いてるけど、これ、
「後漢書に「其山有丹土」と書いてあるから九州でよく使われている
 ベンガラのことだ、だから、九州でいいんだ」 っていうのを否定してるんだぞ?
なるほどなら、それでいいけど、また一つ、九州説の論拠が潰えたな<

相変わらずの詐欺師だな。
私は、後漢書=半分×書だ、という説なんだから、
始めからずっと、後漢書の記載を論拠にせず、魏志の記載を根拠にして来たんであり、
「後漢書の其山有丹土」という記載を使った事もないぞ。

452日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:49:43.28
>>354
>環濠集落なら唐古・鍵遺跡 ここも王都の候補 <

ダメだ。
唐古・鍵遺跡は、銅鐸祭祀であったから、出雲系であり、
倭国からの東征毛人五十五國で征服された方だ。

453日本@名無史さん2018/06/14(木) 23:53:31.51
>>358
「南→東」の嘘吐き騙しだけではなく、
また新しい嘘つき騙しを作り出して、ダダをこねる 死に体の、
大和説。

454日本@名無史さん2018/06/15(金) 00:01:44.97
>>360
>>丹が赤土(ベンガラ)のことだよ。<

>ベンガラのような「どこにでもあるもの」は、倭国の産物として特記されない<

ベンガラは、火山地形に多いんだろ?。
中国では火山は少ない。

>魏志倭人伝に限らず、倭国を世界の東の果ての神仙郷=東王父の蓬莱山のように
捉える観念が通底しているんだよ 徐福が目指したのは、倭国じゃなくて蓬莱山だというのを意識した方がいい <

魏志倭人伝は、徐福の事を書いていない。

>其山有丹の丹は、仙薬たる水銀朱を意識した記述なんだよ ベンガラでは弱すぎる<

古田史学会の正木さんは、観世音寺の「石臼」に付着していたのは、阿蘇のベンガラだった、
という報告をしておられたよ。

455日本@名無史さん2018/06/15(金) 00:12:44.81
魏の里=短里などとウソツキ騙しの九州説

456日本@名無史さん2018/06/15(金) 00:37:42.38
キナイコシが全く九州説を理解せず適当に批判していることがよくわかるな。

457日本@名無史さん2018/06/15(金) 04:57:33.83
基本的な質問でスマン
纒向を大集落とか都市と確定はできているのか
推理の範疇では無いのか

458日本@名無史さん2018/06/15(金) 05:16:54.78
>>414
同意
一例から多数列(事例・事実の集積)が見いだされなければ帰納的「推論」とならない
一例から結論付けるのは帰納的「推理」であり結果は不確かなものとなり論理性に欠ける
カキコミをした者は
帰納的推論とか持ち出すレベルまでいたっていない
ただケムに巻くために使ったのであろうが、大和説はそんな似非手法の者が多い

459日本@名無史さん2018/06/15(金) 05:56:38.93
一例(倭人伝)から確率が高い(島巡り仮説)と結論付けてるのがザラコク
他例を沢山出せないなら推理でしかないと言ってるのが畿内説

460日本@名無史さん2018/06/15(金) 05:58:29.82
>>457

住居跡なし
市場兼斎場

461日本@名無史さん2018/06/15(金) 06:15:37.73
>>459
ザラコクは理解できないと 南=東の嘘つきだマシと連呼する
かと思えば出発した時の方位と言う

大平洋ルートで畿内をザラコクはどう思うのか

不彌国(北九州)から南へ投馬国(宮崎)
投馬国(宮崎)から南へ向かい黒潮で紀伊半島南部
紀伊半島から陸行で畿内邪馬台国

帰路は不明だがたぶん瀬戸内航路 魏使の2回目以降の訪問も瀬戸内航路

推理でスマソ

462日本@名無史さん2018/06/15(金) 06:24:11.98
思い付きだが

魏使は一度しか邪馬台国に行っていない
其の後の外交は邪馬台国の支局(対馬?北九州?)とのやりとり
よって伝聞で得た邪馬台国の情報も倭人伝に記述されている

根拠なし思い付き

463日本@名無史さん2018/06/15(金) 06:24:46.74
>>362
丹も、大和説の致命傷だな。

464日本@名無史さん2018/06/15(金) 06:37:21.82
>>377
>そんなこと言ってる学者はいないな 馬鹿だと学者にはなれないから<

大和説学者は、「南→東」などの嘘吐き騙しをしているから、
全員、漢字漢文が読めないアホであるか、・・・・詐欺師なんだよ。

465日本@名無史さん2018/06/15(金) 06:42:39.37
>>463
丹は伝聞で魏使は見ていない  どうだ

466日本@名無史さん2018/06/15(金) 06:47:56.41
六拾二病+13

467日本@名無史さん2018/06/15(金) 06:51:14.01
>>384
>畿内の古墳で使ってる水銀朱の量は、えげつないほど多いよ
桜井茶臼山古墳で、200キロくらい使ってる
50斤=30キロなんて、その1/7強くらいにしかならない<

桜井茶臼山も、椿井と同じく九州倭国の東征将軍の墓であった可能性が高いから、
新征服地の産物を徴収して、墓を飾ったんだろうなあ。

468日本@名無史さん2018/06/15(金) 06:55:09.05
>>388
>>「天地像の推論」であった<

>つまり、実測値じゃないってことだろ? 現実の地理的な推定には使えないって!<

いや、一寸千里は計測であり、
天地像は、一寸千里の計測からの推論だよ。

469日本@名無史さん2018/06/15(金) 06:56:45.57
>>466
wwwwww
南→東を論理だてて言えない
wwwwww

470日本@名無史さん2018/06/15(金) 06:58:09.65
>>446
>後に筑紫の文化が流入して初めて発展し始めることになる。

わざわざ、遠路遥々九州から御出まし頂かなくとも、(尤も流入させるほどの文化はないがw)
すぐ前の倭国(阿波)の最新最高度の文化が揃っていますから。 ご心配なく。  @阿波

471日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:04:58.93
>>391
>>三雲にも第五様式があった、という事は、 第五様式も三雲が先行していて、
それを弥生銀座や近畿が模倣した、という事になるんではないか。<

>おまえは真正のアホなのか。
畿内は第一から第五まで弥生土器が揃っていて、九州は第五からなら、
それは畿内の方が古いということだろ。
おまえアホ過ぎ、もう消えろ。<

おまえは、真正のアホだな。
大和が、第四から第五に、わざわざ変わったのは、
倭国の東征や年代や差から、
大和も三雲の第五を模倣したからだ、
という事になるだけではないか。
おまえアホ過ぎ、もう消えろ。

472日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:09:58.17
>>393
>>>(大和説学者は)嘘つき騙しである確率が非常に高いし、<

>確率が高いかどうかは、読んでみないことには分からないだろ?
そうやって逃げ続けて、意味のないウソを書き続けるのがザラコクさんクオリティだなww<

そうやって、大和説学者の論文の掲載から逃げ続けて、
意味のないから嘘つけヘイトスピーチを書き続けるのが、wwのクオリティだな。

473日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:13:22.65
>>461
大平洋ルートが分かりやすい
投馬国
邪馬台国九州説では日向国都萬(つま、都萬神社周辺、現西都市妻地区)説、薩摩国説、五島列島説、等がある。
瀬戸内海航行説の場合、名称の類似から備後国の鞆とする説等があり、
日本海航行説では出雲国や丹後国、但馬国等にあてる説がある。

投馬国は日向にあった。投馬国を中心とした九州勢力が
東征で畿内邪馬台国を制圧しヤマト王権樹立
神武東征

474日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:20:00.28
>>454
>ベンガラは、火山地形に多いんだろ?。
>中国では火山は少ない。

ベンガラは酸化鉄
どこにでもあるよ
日本の古墳時代頃の最大の生産地は濃尾平野付近
濃尾平野に火山なんてないだろ?

475日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:25:16.97
>>472
>そうやって、大和説学者の論文の掲載から逃げ続けて、

この話題はもともとが、畿内説の貼った論文をザラコクさんが読みもせずに
見当違いの嘘を書き続けてるって話なんだが
こっちはいちいち論拠の論文その他を示してるんだよ

こうやってさらに嘘を重ねていくのが、ザラコクさんクオリティww

476日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:29:33.33
>>468
>いや、一寸千里は計測であり、

でもどこで測ったのかは、言えないんだろ?ww
当時、きちんと子午線に沿って千里を測れたかというと、無理なんだし、
実際、影の長さの差が南北等距離で等しくなるなんてことはないんだから、
実測してないのは確実なんだよ

477日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:30:57.39
以前 太平洋ルートを主張した畿内説の学者が居たと思う
この人も畿内説内部や学会に潰されてしまった
黒潮は激流だから無理とかなんとか いちゃもんつけられた

478日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:33:01.64
学会の封建的な体質を変えない限り
学問としての考古学は成り立たなくなる

479日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:34:40.67
九州説は怪しい陰口ばっかり言ってる
卑しいことだ

480日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:41:07.42
>>461推論としては成り立つ。瀬戸内航路よりマシだと思うがダメ
   畿内説のガンコ爺学者が許さないからダメ

481日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:41:45.29
「畿内説」の考古学者たちは、なにか出土すれば、すぐ邪馬台国と結びつけて、マスコミ発表を行なう。
そのほうが、マスコミにとりあげられやすく、発掘費などを獲得しやすいということなのであろう。
「かすったら畿内説」主義である。「証明」よりも、「宣伝」主義である。 このくりかえしが、我が国の古代史像を、大きくゆがめている。

482日本@名無史さん2018/06/15(金) 07:45:13.32
畿内説は商売 商売

483日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:10:16.98
>>396
>素人の唱えるトンデモ説を「勉強」すると脳が腐るぞ <

「南→東」などの、
史料事実を否定曲解する嘘つき騙しの大和説学者の唱えるトンデモ説を「勉強」すると、
脳が腐る・・・・になって、
戦争に行かされて、殺されるぞ。

484日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:13:31.87
>>481
仕方ない
畿内説の研究者は私利私欲で集まった輩だから
研究者の数は多いが支持する人は少ない
キラリと輝く研究者であって欲しい

485日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:22:19.28
>>403
>>途中で「短里記載から長里記載に変わる」
といういうインチキ男だ、って言うんだよ。<

>そんなことを言っている畿内説はいないよww<

ほら、wwも、途中から「大和説→畿内説」に変えた嘘つき騙しのインチキ男だ。

>一貫していっているのは、 「里で書いてある以上は、魏晋里以外にはない」
そして、 「魏晋里と合わないのであれば、それは不正確な数値であてにならない」<

ほら、大和説ww者は、「秦漢朝の使用里→魏西晋朝の使用里」
というすり替えをしているインチキ詐欺師だ。

486日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:24:52.04
今、5年ぶりに覗いたけれど、5年前と同様に、テンプレートが論破されているね、、、、

487日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:25:27.40
公費での海外視察は否定しないが
お遊び無しで頼むよ、

488日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:25:35.42
どうして、奈良の狂った老人は桜井市に邪馬台国があったと考えているのかな、、、

489日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:27:47.73
倭国と日本国が別の国で、同時にも存在していたことが、はっきりした今、邪馬台国は何処にあったのか自ずと判明するのではないだろうか、

490日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:28:48.13
>>405
>魏晋里と合わない上に、規則性がないからね<

魏志の記載里は、秦漢朝里と合わない上に、
魏西晋朝里は、秦漢朝里の6分の1位にしかならない、という大きな矛盾性があるからね。

491日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:29:02.42
魏志倭人伝の時代は西暦何年なのだろうか、、、

492日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:29:38.09
仲哀天皇の王宮は、なぜ畿内ではないのだろうか。。。

493日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:32:38.01
>>410
>九州説はきちんと議論のできない人が多いな<

大和説者は、「南→東」などのような史料事実の否定曲解ばかりしか出来ず、
きちんと議論する事しか出来ない・・・・アホ人間が多いな。

494日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:35:16.71
>>411
>罵るばかりだし <

「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、
議論に負けると、
口先での人種差別的ヘイトスピーチを罵るばかりだし。

495日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:38:32.04
>>412
>九州説は議論でも何でもなく畿内説にイチャモンつけたいだけ、

「南→東」や「大和説→畿内説」などの嘘つき騙しの大和説者は、
議論でも何でもなく、
九州説にヘイトスピーチ的イチャモンをを付けたいだけ。

496日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:41:07.60
>>413
>ウソでもなんでも声闘が習慣の民族だからな <

ウソでもなんでも、
人種差別的ヘイトスピーチ声闘が、
キョクウ大和説人種の習慣だからな。

497日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:42:45.25
畿内説はザラコク氏に反論せずに人格攻撃ばかり

498日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:43:51.68
畿内説のやり口に辟易し、口には出さないが関川さんをリスペクトしてる人多いよ

499日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:50:23.51
>>415
>>大分の玖珠と大和葛城の国栖は、音韻も文字も違うから、始めから×であった。<

>ならば九州と畿内の地名の類似自体を放棄するわけだな?<

いや、「音韻も文字も一致」している例は、幾つもあるから、放棄しない。

>東遷説も放棄でいいね?<

卑弥呼らの東遷説は、始めから放棄しており、
倭国の「東征毛人五十五國」はあった、という論。

500日本@名無史さん2018/06/15(金) 08:59:19.47
>>417
>『九章算術』劉徽註序にあるように洛陽城の南北で表の影を測定してますよ
一寸差千里が実用的ではないことは分かっていたんじゃないですかね<

九章算術は、秦漢里で書かれており、
劉徽は、周髀算経の里を知らなかったし、谷本計算も当然出来なかったから、アホ。

>果たして数学者に外交情報が公開されますかね?<

そりゃ、魏使らの記録の存在や周髀算経の記録は知っていた。

>『海島算経』慶元四年(263年)=蜀の滅亡
『三國志』太康元年頃(280年)
ですので劉徽は陳寿を知らないかもしれません<

『海島算経』慶元四年(263年)なら、周髀算経や魏使らの記録は知っていた。

501日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:03:26.49
>>498
そんな陰口に辟易しているよ

502日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:07:16.00
関川さんって、誰?

503日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:09:14.27
>>497
>畿内説はザラコク氏に反論せずに人格攻撃ばかり

いやいや、「平安時代」の「藤原氏を送った朝廷」が畿内の朝廷じゃないって言う人は
まともに相手にできないだろ?

旅程記事の方角は、出発方向だって謎理論を使うし

504日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:09:14.92
今朝はザラコクと伊都クズとキウスのコンボかよ

505日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:10:01.43
>>500
『海島算経』も1里=1800尺だよ
短里なんて無い

506日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:11:38.55
>>502
リスペクトされてないようだ

507日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:17:31.06
>>498
関川の土器編年に興味あるよ

508日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:26:52.75
石野とコバンザメ寺沢が畿内説を歪めてしまった

509日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:35:10.87
九州説は中傷ばっかりだな

510日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:38:05.70
福永もボケてきた
意地を通すのもいいが、推論を強要しすぎて困る

511日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:40:11.30
>>509
中傷と捉えるか、意見として捉えるかは自由だから許す

512日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:42:06.15
>>423
>>>でも、説文解字注の「咫」の解釈とか、
漢籍電子文獻資料庫の後漢書の「其山有丹土氣溫腝」の読点の位置とか、
このスレの議論で解釈の進んだ部分もあるんだよ
少し前までは「漢籍按:「 其山有丹土。氣溫腝」疑為「其山有丹。土氣溫腝」之誤。」の
(夾註)は付いてなかった
私が、英語でメールしてから、この(夾註)がつけられたんだよ<

>>成程。そうだったのでしたか<

>>186は、ザラコクさんの主敵の私の書き込みだよ?ww<

ありゃ?、こりゃ大失敗であった。
「南→東」などの嘘つき騙しの・・・・詐欺師の大和説者のwwでは、
何の信頼性もない話であった。」

513日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:43:01.51
九州説は陰口ばっかりだな

514日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:53:23.84
>>426
>ザラコクの頭の中で日本の歴史はどうなってるんだ<

主観的で、倭国の存在や歴史を抹殺盗用造作した記紀よりも、
同時代記録性や客観性の高い歴代中国史書群や、
(大和説学者らの解釈説明ではなく)客観性の高い考古発掘事実の方が、
日本の歴史の根拠になる、
という頭だ。

515日本@名無史さん2018/06/15(金) 09:57:29.20
>>514
せっかく客観的なそれらを主観的に解釈する奇妙な頭だ。

516日本@名無史さん2018/06/15(金) 10:06:37.71
>>431
>嘘つき騙しはザラコクだろう
九州説はどうも自分らのやってる事を畿内説がやってると喧伝するクセがあるな<

嘘つき騙しは、「南→東」などの史料事実の否定曲解の、
文部省や右翼マスコミや大和説学会や教育界だろう。
大和説らは、どうも自分らのやってる事を、九州
説がやってると喧伝するクセがあるな。

517日本@名無史さん2018/06/15(金) 10:09:12.16
>>434
>畿内説者の多くが纏向・箸墓古墳のようですが、ヒミコもトヨも住んだのは葛城<

畿内もトヨもなかったし、
卑弥呼も「南≠東」に拠って、×。

518日本@名無史さん2018/06/15(金) 10:09:55.16
>>471
>おまえは、真正のアホだな。
大和が、第四から第五に、わざわざ変わったのは、
倭国の東征や年代や差から、
大和も三雲の第五を模倣したからだ、
という事になるだけではないか。
おまえアホ過ぎ、もう消えろ。


大和が三雲の第五を模倣したと?
それが畿内の第四になった?
基地外もここに極まれり。

519日本@名無史さん2018/06/15(金) 10:10:54.02
>>435
>葛城辺りは対狗奴国の前線だな そんな危険なところに王はいない <

狗奴國も「南≠東」に拠って×。

520日本@名無史さん2018/06/15(金) 10:12:44.06
>>517
>「南≠東」に拠って

そもそも現代人は東西南北の四極で方位を捉えることを当然だと思っているが、これとて自明のことではない。

非常に素朴な段階の生活を考えてみると、 初めは地勢によって方位を決めたのである。
例えば一方にしか山がない地域ならば、山側とその逆側、
それに山を前にしてその左右といった捉え方をする。
地域によっては海や川が基準となる。
地形によってはもっと複合的な基準を持つこともありうるだろう。

 しかし行動や交流の範囲が広がると、ある地域でしか通用しない方位観では不便になる。

そこでやっと太陽を仰ぐ。
太陽は、どこから見ても、東から出て、南に昇り、西に沈む。
これによって東西南北の段階に達するが、まだ人類普遍の方位観を獲得したとは言えない。
なぜなら、日の出・日の入りの方角は季節によって変動するので、
どこを正位とするかには選択の余地が残るからである。

 太陽によって東西を決定するときには、日の出・日の入りの、
夏至の日の方角を基準とするか、冬至とするか、その中間にするか、
または季節に従って正位が変動すると考えることもありうる。
だから東と西が一直線で結ばれるとも限らないし、東西南北の領域が四等分されるとも限らない。
方位とはかくも人為的なものなのである。
さらに複数の方位観が併用されるときには、それらを組み合わせてより複雑な方位観が形成されることもありうる。

521日本@名無史さん2018/06/15(金) 10:13:30.50
>>517
また理由もなく言い張るだけ

九州説は困ったものだ

522日本@名無史さん2018/06/15(金) 10:17:18.48
>>439
>九州説の妄想スゲーな <

大和説者の、「南→東」などの嘘つき騙しや、
「石床」の非存在の隠蔽や、
無ければ巨大建築はすぐ壊れる、という人類の常識の否定の妄想は、
スゲーな。

523日本@名無史さん2018/06/15(金) 10:24:03.92
ちゃんと掘立柱と公表されてるのに
 ”「石床」の非存在の隠蔽”
などと誹謗する神経が
理解できない

524日本@名無史さん2018/06/15(金) 10:45:04.20
>>444
>>「石床」がないから、高床や重量建築は無理、って話は、どうなったの?。<

>無学痴呆だって証拠になった<

高床説や、卑弥呼の「居處宮室樓觀、城柵嚴設」だ説は、×だ、て証拠になったな。

525日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:00:42.51
>>455
>魏の里=短里などとウソツキ騙しの九州説<

「南→東」などの嘘つき騙しだけではなく、
魏志や魏西晋朝の里=長里、などと、
6倍位も違うウソツキ騙しの大和説。

526日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:10:34.41
怒号ばかりで中身がない

527日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:12:24.38
>>459
>一例(倭人伝)から確率が高い(島巡り仮説)と結論付けてるのがザラコク<

いや、始めから、「島巡り」移動記録は、倭人伝にしかない、と言っているよ。

>他例を沢山出せないなら推理でしかないと言ってるのが畿内説<

畿内なんて存在しないし、
「南→東」などの嘘つき騙しや、
「他例」などという「無いものねだり」をして、口先でヘイトスピーチをして、
議論に勝っているかのように装って、
世間の人々を騙して、国家国粋皇国史観戦争集団に引きずり込もう、としているのが、
大和説者。

528日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:16:16.98
>>489
倭国と日本国が同時に存在した時代、両国に住む人種は同じだったのかな。。。

529日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:16:56.96
>>491
計算すると、西暦200年頃からだな。。。

530日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:17:54.05
テンプレートに書いてあることの根拠が、本当はもないということが、優れた考古学者達によって、明らかになってしまったね。

531日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:19:16.53
>>486
仕方ないよ、、、、
天皇家直近の国家機関を巻き込んだ、あの2013年の延べ何百時間にも及ぶ、箸墓の大規模調査でリアルに破綻した説だから。
畿内説を精力的に先導する考古学者たちが、意気消沈して古墳から戻ってきた姿は、僕も今でも目に焼き付いている、、、、

532日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:20:47.22
つまり、畿内説は完全に破綻してしまったのだね。。。

533日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:21:02.61
畿内説が破綻したことがはっきりした今、纏向遺蹟とは何だったのか研究すれば良いのではないのかな。。。

534日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:21:28.09
>>533
そうだね。。。
僕たちは、もう、邪馬台国の議論からは卒業して、畿内説が破綻したことを踏まえた上で、纏向遺蹟とは何だったのかという一段、高いレベルの研究を始めたな。。。

535日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:23:50.42
>>534
最有力の説は、粗末な土間の掘立小屋の遺蹟だね。。。

536日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:24:54.97
>>527
>「他例」などという「無いものねだり」をして、口先でヘイトスピーチをして、
議論に勝っているかのように装って、

「他例」が「無いものねだり」だったら
出せと要求して批判した側が議論に勝っている

だって帰納してないのが暴かれたんだから

537日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:24:58.73
>>535
大物主の物ではなかったのかな。。。

538日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:25:17.92
大物主とは、何者だろうか、、、

539日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:25:42.24
>>538
ネアンデルタール人ではないのかな。。。

540日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:26:58.97
>>529
では、邪馬台国時代の天皇は誰なのだろうか、、、

541日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:29:01.81
「石床」の非存在の隠蔽について突き詰めていくと、畿内に邪馬台国が無かったことがはっきりしてきたな。

542日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:31:03.45
仲哀天皇の王宮は、なぜ畿内ではないのだろうか。。。

543日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:34:03.97
この言動を見るに、九州説は狂っているとしか考えられない
 
 
 

544日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:43:00.96
>>461
>ザラコクは理解できないと 南=東の嘘つきだマシと連呼する
かと思えば出発した時の方位と言う<

大和説者は、理解が出来ないと、
「南→東」などの嘘つき騙しや、
陳寿の行程説明は、「出発説明+途中説明+到着説明」の順次式である事を否定曲解する。

>大平洋ルートで畿内をザラコクはどう思うのか
不彌国(北九州)から南へ投馬国(宮崎) 投馬国(宮崎)から南へ向かい黒潮で紀伊半島南部
紀伊半島から陸行で畿内邪馬台国
帰路は不明だがたぶん瀬戸内航路 魏使の2回目以降の訪問も瀬戸内航路 推理でスマソ<

魏帝の命令の、詔書や金印や大量の下賜品を運ぶ、安全最短の原則の魏使らが、
宮崎沖から太平洋の黒潮に身を任せて漂流して、紀伊山地を横断するような、
生命の危険を伴うようなルートを選択する筈がない。
これは、「南→東」の嘘つき騙しにもなっており、×。

545日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:45:38.12
言い張るだけ


理由はなにもない




そんな九州説が末期症状が深刻に見えない人はいないだろう

546日本@名無史さん2018/06/15(金) 11:58:30.20
>>462
>思い付きだが
魏使は一度しか邪馬台国に行っていない
其の後の外交は邪馬台国の支局(対馬?北九州?)とのやりとり
よって伝聞で得た邪馬台国の情報も倭人伝に記述されている
根拠なし思い付き<

張政らは、
「卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、jun葬者奴婢百餘人」などを実見している。

547日本@名無史さん2018/06/15(金) 12:00:58.53
つまり、北部九州にある
ちっさな墓じゃないことは
確実

548日本@名無史さん2018/06/15(金) 12:12:00.38
>>465
>丹は伝聞で魏使は見ていない  どうだ<

魏使らは、
其四年、倭王復遣使大夫伊聲耆、掖邪狗等八人、
上獻生口、倭錦、絳青糸兼、緜衣、帛布、丹木、hu、短弓矢。
掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬
の「丹木」をおそらく知っているし、
「以朱丹塗其身體、如中國用粉也」も「其山有丹」もおそらく見ているし、
「鉛丹」もおそらく知っている。

549日本@名無史さん2018/06/15(金) 12:14:18.29
>>538
最後の大物主とはアタガタス。
不思議なことに先代旧事本紀には彼の妻の名だけが書かれていない。
何故か、分るか?
彼の妻がモモソ媛だからだ。
つまり崇神時代に殺されたのがアタガタスだと分る。

崇神はアタガタスを殺し、手元にあった鏡を放逐した。
さしずめ鏡に殺神者としての自分が映ったのであろう。
その鏡は伊勢神宮にあり、式年遷宮という形で今も彷徨う。
皇室はこの鏡を怖れ1500年間伊勢神宮を参拝しなかった。

そして国宝・中平銘鉄刀を保持してた和邇氏が天理で祀ってきたのもこのアタガタス。

わしが和爾坐赤阪比古神社をはじめて参拝した時、
こんな辺鄙な神社にわざわざ参拝しに来てくれたことが嬉しいのか、
それとも悲しいのか、あるいは苦しいのか知らないが、
その青白き蛇体がのたうち回っていた。

大物主とは蛇に例えられるがその通りだ。

550日本@名無史さん2018/06/15(金) 12:29:44.70
>>548
>おそらく知っているし、
>おそらく見ているし、
>おそらく知っている。

全部、自分の脳内のかってな空想のみ

ザラコクさんは知らないことを、こうやって捏造しながら生きているんだよな
恥さらしw

551日本@名無史さん2018/06/15(金) 12:31:33.13
なんでアタ?

552日本@名無史さん2018/06/15(金) 12:39:15.12
畿内説を論破されたキナイコシは、追い詰められると、空白の改行を行う癖があるな。。。

553日本@名無史さん2018/06/15(金) 12:51:29.47
>>552
お前らの連投がウザいと思った者は誰でもやる

554日本@名無史さん2018/06/15(金) 12:58:30.53
>>477
なんか有名な人が最近
太平洋ルートを見直すべきとか言ってたの見たよ

555日本@名無史さん2018/06/15(金) 13:19:58.71
キナイコシが追い詰められた挙句に、議論の場から真っ逆さまに転落してしまった。。。

556日本@名無史さん2018/06/15(金) 13:45:58.71
>>555
あんた、議論してないだろ

557日本@名無史さん2018/06/15(金) 13:48:47.11
>>546
「大作冢 徑百餘歩 殉葬者奴婢百餘人」
徑百餘歩とは何が徑百餘歩なのだろうか?殉葬者奴婢百餘人の範囲が徑百餘歩ではないのかな。

558日本@名無史さん2018/06/15(金) 13:57:27.42
>>557
冢と書いてあるだろう

559日本@名無史さん2018/06/15(金) 14:46:53.82
>>551
>なんでアタ?

よく言われるのは、手を「当て」て測ったことが、
あて⇒あた、の語源だったんじゃないか、ってこと

手に合う箸の長さが、一あた半、というのは、
実際に手を当てて確かめる身体尺としての長さ

560日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:16:07.87
卑弥呼の居館? 纒向遺跡の大型建物跡を「見える化」 奈良・桜井
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180615-00000506-san-cul

561日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:18:09.54
>>538
ネアンデルタール人ではないのかな。。。

562日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:19:22.60
>>530
そうだね、、、
そして、僕たちは最近新しい情報を手に入れたね。。。

563日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:20:26.79
改めて狂人のキナイコシが貼り付けているテンプレートを読んでみると、訳が分からなくなってくる。。。
奈良のあの古墳が、魏志倭人伝の世界とかけ離れていることの言い訳ばかりで、、、
かえって、奈良のあの古墳が、魏志倭人伝の世界とかけ離れていることが強調されているのではないのかな。。。

564日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:21:05.10
>>531
あれでしょ、、、あれ、あそこに埋もれてたあれ、
先頭のお役所の方は気づかなかったようだけど、、、

565日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:27:11.35
解釈の原因は解釈者自身の固定観念。解釈の自由には責任が伴う
言葉風紀世相の乱れはそう感じる人の心の乱れの自己投影。人は鏡
憤怒は一時の狂気、無知無能の自己証明。中途半端な知識主ほど激昂
「真実は一つ」は錯誤。執着する者ほど矛盾を体験(争い煩悩)
他人に不自由(制約)を与えれば己も不自由(不快)を得る
問題解決力の乏しい者ほど自己防衛の為に礼儀作法マナーを要求
情報分析力の低い者ほどデマ宗教フェイク疑似科学に感化洗脳
自己肯定感の欠けた者ほど「己の知見こそ全で真」に自己陶酔
人生経験の少ない者ほど嫌いキモイ怖い想定外ウザイ不可解を体験
キリスト教は世界最大のカルト。聖書は史上最も売れているト本
全ては必然。偶然 奇跡 理不尽 不条理は思考停止 視野狭窄の産物
人生存在現象に元々意味価値理由目的義務使命はない
宗教民族領土貧困は争いの「原因」ではなく「口実動機言訳」
虐め差別犯罪テロ紛争は根絶可能。必要なのは適切十分な高度教育
体罰は指導力問題解決力の乏しい教育素人の独善甘え怠慢責任転嫁
死刑は民度の低い排他的集団リンチ殺人。「死ねば償える」は偽善
核武装論は人間不信と劣等感に苛まれた臆病な外交素人の精神安定剤
投票率低下は社会成熟の徴候。奇人変人の当選は議員数過多の証左

感情自己責任論 〜学校では教えない合理主義哲学〜 m9`・ω・)

566日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:40:44.01
つまり、畿内説は完全に破綻してしまったのだね。。。

567日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:41:32.79
畿内説が破綻したことがはっきりした今、纏向遺蹟とは何だったのか研究すれば良いのではないのかな。。。

568日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:42:16.45
>>528
同じじゃないのかな。。。
倭国である女王国から、東に海を渡った土地にも倭種が住んでいたと魏志倭人伝に紹介されているからね。。。

569日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:42:50.54
>>564
そうそう。あれを最初に目にしたあの人が、機転を利かせて足元の枯葉を蹴り掃いて覆ったけど、、、

570日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:43:12.31
大和王権を扱う優秀な若手の学者達にとっては、纏向が邪馬台国の要素の存在しない遺蹟であることは常識なのだが、中には、邪馬台国を食い物にしている老学者からのハラスメントを避けるために、心にもない追従の意を発している者もいる。。。

571日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:43:57.81
2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、しかし、一部の良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、

572日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:44:23.42
不思議なんだよね。
2013年以来、学者は勿論、一般人にも、畿内説を連呼する狂人はいないのに、インタ−ネットの世界では、目立つのだよね。

573日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:44:41.33
畿内説は2013年、もろくも破綻した。
論争は、段々、九州説同士の戦いになってしまうではないのかな。
有力な候補地が目白押しで、なかなか、結果がでないだろうけどもね。
畿内説の掲示板で、それをやるのは、一々、畿内説信者へ、論争の途中経過を教えてあげる手間を省くため。

574日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:47:40.63
>>560
こうやって一般人に周知していくのはいいことだわ
着実に一歩一歩進んでる
あとは早いこと教科書を書き換えてもらいたい

575日本@名無史さん2018/06/15(金) 15:55:32.67
>>558
横ですまんが、ここは毎回の事なんだが、倭人伝の記載は大きい冢ではなく、大いに作るなんだよ

墓域の可能性もあると、モリコーさんも言ってたね

576日本@名無史さん2018/06/15(金) 16:36:07.04
>>575
モリコも駄目だね
大いに冢を作ったが出来たのは小さい墳丘
などと言っても
笑い者だ

577日本@名無史さん2018/06/15(金) 16:49:59.90
>>470
>>後に筑紫の文化が流入して初めて発展し始めることになる。<

>わざわざ、遠路遥々九州から御出まし頂かなくとも、(尤も流入させるほどの文化はないがw)
すぐ前の倭国(阿波)の最新最高度の文化が揃っていますから。 ご心配なく。  @阿波<

倭国は九州であり、「倭国(阿波」は×。

578日本@名無史さん2018/06/15(金) 16:54:28.59
>>473
>瀬戸内海航行説の場合、名称の類似から備後国の鞆とする説等があり、
日本海航行説では出雲国や丹後国、但馬国等にあてる説がある。<

どちらも「南≠東」に拠って×。

>投馬国は日向にあった。投馬国を中心とした九州勢力が
東征で畿内邪馬台国を制圧しヤマト王権樹立 神武東征<

畿内も邪馬台国もなかったから、×。

579日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:03:57.54
>>474
>>ベンガラは、火山地形に多いんだろ?。 中国では火山は少ない。<

>ベンガラは酸化鉄 どこにでもあるよ
日本の古墳時代頃の最大の生産地は濃尾平野付近
濃尾平野に火山なんてないだろ?<

濃尾平野のどこに最大の生産地があるんだい?。
しかし、焼岳や御嶽山や白山は火山だし、室生火山群があった筈だし、
伊吹山も火山のようだったし、
周りじゅう火山だらけ。

580日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:09:15.05
>>475
>>そうやって、大和説学者の論文の掲載から逃げ続けて、<

>この話題はもともとが、畿内説の貼った論文をザラコクさんが読みもせずに
見当違いの嘘を書き続けてるって話なんだが
こっちはいちいち論拠の論文その他を示してるんだよ<

「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者の論文なんて、
始めから価値もない、といっているんだし、
関心もない。

>こうやってさらに嘘を重ねていくのが、ザラコクさんクオリティww<

こうやってさらに、世間の人々に嘘やヘイトスピーチを重ねて騙していくのが、
wwのクオリティww。

581日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:14:14.36
>>476
>>いや、一寸千里は計測であり、<

>でもどこで測ったのかは、言えないんだろ?ww<

周地付近とその南北千里の位置で測った、と書いてあるし。

>当時、きちんと子午線に沿って千里を測れたかというと、無理なんだし、<

東西南北の計測法もかいてあるし。

>実際、影の長さの差が南北等距離で等しくなるなんてことはないんだから、
実測してないのは確実なんだよ<

大地平面近似が出来る地域では、「影の長さの差が南北等距離で等しくなる」んだし、
実測していたのは確実なんだよ。

582日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:17:03.05
>>479
大和説は、「南=東」などの嘘つき騙しの怪しい陰口ばっかり言ってる。
卑しいことだ。

583日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:24:17.50
>>501
>そんな陰口に辟易しているよ<

大和説人種の、
そんな「南→東」などの嘘つき騙しや、
根拠を言わないで、口先だけのヘイトスピーチ陰口に、
辟易しているよ。

584日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:32:26.08
うぜーから
これなんとか論破してくれ
「「南→東」などの嘘つき騙し」

585日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:47:28.95
>「「南→東」などの嘘つき騙し」

そもそも現代人は東西南北の四極で方位を捉えることを当然だと思っているが、これとて自明のことではない。

非常に素朴な段階の生活を考えてみると、 初めは地勢によって方位を決めたのである。
例えば一方にしか山がない地域ならば、山側とその逆側、
それに山を前にしてその左右といった捉え方をする。
地域によっては海や川が基準となる。
地形によってはもっと複合的な基準を持つこともありうるだろう。

 しかし行動や交流の範囲が広がると、ある地域でしか通用しない方位観では不便になる。

そこでやっと太陽を仰ぐ。
太陽は、どこから見ても、東から出て、南に昇り、西に沈む。
これによって東西南北の段階に達するが、まだ人類普遍の方位観を獲得したとは言えない。
なぜなら、日の出・日の入りの方角は季節によって変動するので、
どこを正位とするかには選択の余地が残るからである。

 太陽によって東西を決定するときには、日の出・日の入りの、
夏至の日の方角を基準とするか、冬至とするか、その中間にするか、
または季節に従って正位が変動すると考えることもありうる。
だから東と西が一直線で結ばれるとも限らないし、東西南北の領域が四等分されるとも限らない。
方位とはかくも人為的なものなのである。
さらに複数の方位観が併用されるときには、それらを組み合わせてより複雑な方位観が形成されることもありうる。

586日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:48:08.08
>>576
それ、主観でしかないよ

「冢」と「墳」の違いも重要とする説もあるが、何度も話題に登っているけど、明確な答はでてないな

ただ、卑弥呼の墓は表現は「冢」

個人的には径100歩もあって、なぜ「墳」ではなく「冢」なのかが気になるがね

587日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:50:48.73
>>503
>>畿内説はザラコク氏に反論せずに人格攻撃ばかり<

>いやいや、「平安時代」の「藤原氏を送った朝廷」が畿内の朝廷じゃないって言う人は
まともに相手にできないだろ?<

「開成四年正月、遣使薜原朝常嗣等來朝貢」という事が、
唐会要の(日本国伝には書かず)倭国伝に書かれている、
という史料事実の説明が出来ないんだろ?。

>旅程記事の方角は、出発方向だって謎理論を使うし<

奴國と投馬國に関しては、
出発説明と到着説明との間に途中移動の説明文言が存在しない、
という史料事実の説明が出来ないんだろ?。

588日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:54:46.97
>>505
>『海島算経』も1里=1800尺だよ 短里なんて無い<

『海島算経』も、
慶元四年(263年)なら周髀算経や魏使らの記録は知っていたのに、
それの持つ「1里の距離や意味」が判らなかったアホであった。

589日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:58:02.67
>>509
>九州説は中傷ばっかりだな<

大和説は、
「南→東「」などの、史料事実を否定曲解する嘘つき騙しや、
口先で九州説者へのヘイトスピーチ中傷ばっかりだな。

590日本@名無史さん2018/06/15(金) 17:58:22.22
>>584
ザラコクの「「南→東」などの嘘つき騙し」は
ザラコクがテンプレを読んでいないから無理
読めばある程度理解できる

591日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:00:11.25
>>510
>福永もボケてきた 意地を通すのもいいが、推論を強要しすぎて困る<

福永って誰?。どんな人?。

592日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:02:15.56
>>511
>中傷と捉えるか、意見として捉えるかは自由だから許す<

大和説は、
「南→東「」などの、史料事実を否定曲解する嘘つき騙しや、
口先で九州説者へのヘイトスピーチ中傷ばっかりだから、
黙過し難く、許さない。

593日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:04:06.02
邪馬台国へのルートである。

魏志倭人伝において、ます到着するのは末盧国である。500里をはるばる歩き、伊都国(博多湾一帯)に至る。
伊都国から奴国(飯塚市を中心とした遠賀川流域一帯)へ。さらに東に進み、周防灘に面する不弥国(行橋市)に至る。飯塚市から行橋市に古くからルートがあり、関門海峡が通れなかった当時、玄界灘と周防灘を結ぶ重要な迂回路だった。
そこから船で南へ沿岸を航行し、20日かけ大隅半島を抑えている投馬国へ着く。
大隅半島を南へ漕ぎ出し黒潮に乗る。黒潮は時速7Kmであり、何もせずとも1日に150Km進む。黒潮は自然と潮岬に接岸する。(現代において観測され証明されている)つまり10日で潮岬に流れ着く。
熊野辺りにに上陸し、陸行1ヶ月でヤマトに至る。
これが魏志倭人伝当時の邪馬台国へ至るルートである。

594日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:04:31.80
>>513
>九州説は陰口ばっかりだな<

大和説学者や大和説シンパらは、
「南→東「」などの、史料事実を否定曲解する嘘つき騙しや、
口先で九州説者へのヘイトスピーチ陰口中傷ばっかりだから、
黙過し難く、許さない。

595日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:07:13.25
魏志倭人伝には、伊都国が千戸しか人がいないと書かれている。漢数字で千と万は間違えるはずはないので、実際千戸程度しかいなかったんだろうね。
もう一つ魏志倭人伝には、一大率が伊都国に置かれているとある。
3世紀半ばに大兵団が置かれていた場所の候補地は博多那珂地区しかない。
博多も区域としては伊都国に含まれるが、一大率が支配していたのだろう。
つまり伊都国は、平原周辺(王とその取り巻き)以外の大部分を一大率に召し取られたと考えると矛盾がない。

魏志倭人伝によると、
伊都国から奴国までは百里、奴国から不弥国まで百里とある。また不弥国からは南へ船で20日進むとある。
不弥国は周防灘に面した国と考えるのが妥当。

奴国は不弥国と伊都国の中間にある。地図を見ると遠賀川がその辺りにある。

遠賀川流域は、縄文時代〜弥生時代にかけての石器の一大製造拠点。その石器は九州全土に広がり、特に九州北部に強い影響力を持っていた。
また遠賀川流域の飯塚市から、行橋市には古くからルートがあり、関門海峡が通れなかった当時玄界灘と周防灘を結ぶ重要な迂回路であった。
奴国は2万戸の大国であり、遠賀川流域一帯の国であったと考えられる。

問題は不弥国である。
魏志倭人伝によると伊都国と同じように千戸しかないとある。壱岐ですら三千戸であることを考えるとかなり不自然。
行橋市の北は京都郡、苅田。
石塚山古墳など早期の前方後円墳がある。

巨大古墳のあるところは、労働力の集積地(非農業人口集積地)。つまり拠点地域。

不弥国も伊都国と同じように、大部分の領地を女王国に召し取られた可能性がある。
その地域支配の拠点が苅田辺りに作られていた可能性がある。

九州北部支配の拠点、博多那珂地区の一大率と苅田の駐屯兵団。少なくとも二ヶ所は魏志倭人伝の時代から存在。

596日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:07:43.19
>>515
>せっかく客観的なそれらを主観的に解釈する奇妙な頭だ。<

大和説学者や大和説シンパらは、
「南→東「」などの、史料事実を否定曲解する嘘つき騙しや、
口先で九州説者へのヘイトスピーチ陰口中傷ばっかりであり、
せっかく客観的で信頼性の高いそれらの史料事実を、
主観的に解釈する、インチキの奇妙な頭だ。

597日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:10:01.77
>>578
貴様は許さん
>投馬国は日向で南に向かって黒潮で南紀、陸行で畿内><
これに対して何も答えていない
貴様こそ、都合のいいとこだけ部分的に揶揄してだけのアンチ畿内説のバカ
言葉尻をとる以前に聞く耳を持たないバカ

貴様が
東南陸行 五百里 到伊都國 の方位について
末盧国から伊都国は東だろと言ったら、伊都国に行くまでにまずは東南に向かう必要があったと言っただろ

貴様は支離滅裂なんだよ

598日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:12:05.84
>>584
>うぜーから
>これなんとか論破してくれ
>「「南→東」などの嘘つき騙し」

何度も論破してあるんだが、ご本人が認めないんだよ
この人、ザラコクさんには、何を言っても通じないんだ

ザラコクさんは
まともな知識がなく、何も知らない
教えてもらっても、決して調べようとはしない
明確に間違いを指摘されても、何をどうしようと認めない

知らない、調べない、認めないの「三ない主義」で、
対話が不能だから、どうしようもない

599日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:17:20.03
女王国まで12,000里、不弥国と投馬国の境界まで12,000里だな。
不弥国以北は卑奴母離が置かれている。一大卒管轄下の属領だな

600日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:20:19.95
>>596
ザラコクよ
貴様の拠り所は支離滅裂の方位だけじゃん
伊都に邪馬台国も方位や距離だけとっても無理・・これ常識
不弥国から伊都までの行程で 九州説で説明せよ

貴様は本当は畿内説だろ

601日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:26:09.78
畿内の勢力は2世紀末に大きく変わる。
纒向遺跡でも、東海や山陰、吉備などの外来系土器が突然現れる。
記紀にもヤマト征伐によって大和朝廷が始まる様子が記述されている。
畿内征伐によって誕生した大和朝廷の主体は、尾張、出雲、吉備。

次に考古学的に大きな変化があるのは4世紀後半。 大きな政権交代があったんだろう。
神功皇后応神に該当する時代。
記紀や各地の伝承。
忍熊皇子の討伐、飛騨の顔が二つ頭が一つの怪物を討つエピソードがあったり、出雲の生馬の神がもう荒ぶらないと宣言したり。
神功皇后が三韓征伐の往路復路で、八雷神に似た頭が八つで牛の姿をした塵輪鬼を討つ話があったり。
纒向遺跡の外来系土器の中心、東海(飛騨の怪物)、山陰(出雲の生馬の神、牛荒神の木)、吉備(塵輪鬼)が討たれるエピソードばかり。
全て牛というキーワードが共通する。
同時代の若草山山頂古墳。かつては牛塚と呼ばれていた。牛頭天王と何か関係あるのかもしれない。

神功皇后、応神のエピソードは、
尾張出雲吉備を中心とした邪馬台国体制(初期の大和朝廷)に対するクーデターだな。

大和朝廷に虐げられていた九州北部、畿内、関東の先住民が手を結び立ち上がったんだろう。
かつてのクナ国体制側の反撃とも言える。

602日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:27:07.78
>>595
>魏志倭人伝には、伊都国が千戸しか人がいないと書かれている。漢数字で千と万は間違えるはずはないので、

魏略では
「東南五百里 到伊都國 『戸万余』」と書いてあるよ

「漢数字で千と万は間違えるはずはない」のであれば、魏略か三国志のどちらかが
意図的に虚偽記載をしたことになる

古代のことは、なかなか正確には分からないものだし、
「○○なはずがない」式の決め付けをすると、議論が歪むばかりで、生産性のない議論に
堕してしまうよ

ザラコクさんを見れば、勝手な決め付けはろくなもんじゃない、のがよく分かるだろ?ww

603日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:29:43.03
>>518
>> 大和が、第四から第五に、わざわざ変わったのは、 倭国の東征や年代や差から、
大和も三雲の第五を模倣したからだ、 という事になるだけではないか。<

>大和が三雲の第五を模倣したと?<

第五は、三雲にも弥生銀座にも存在するし、
大和で第四が第五になった理由は存在しないし、
九州倭国には楽浪土器などで早くから「庄内類似の第五」を作る理由があり、
大和は、倭国の東征毛人五十五國の中の一国であるから、
「庄内類似の第五」が伝来した可能性は十分ある。

>それが畿内の第四になった? 基地外もここに極まれり<

「それが畿内の第四になった」なんていっていない。
筑紫の第五が大和に伝来した、と言っている。

基地外詐欺師もここに極めれり。

604日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:33:48.84
>>520
>>「南≠東」に拠って<

>そもそも現代人は東西南北の四極で方位を捉えることを当然だと思っているが、
これとて自明のことではない。・・・<

何だ?、また同じことの貼り付けか。
つまらん。
古代人も現代人も、東西南北は、太陽や天体の動きから決めていただけだ。

605日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:34:46.76
>>597
大平洋ルートは畿内説では✖だから
まずザラコクより畿内説を纏めろよwww

606日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:37:44.96
悪い
✖まずザラコクより畿内説を纏めろよwww
〇まず畿内説が説として容認しろ・・・主流は瀬戸内でいいがね

607日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:38:20.93
>>603
ぞうやって失笑を買い、まず東遷説が消えていった
安本の轍を踏むわけね

608日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:40:27.67
>>521
>また理由もなく言い張るだけ 九州説は困ったものだ<

また、史料根拠や理由もなく、ヘイトスピーチを言い張るだけか。
「南→東」などの嘘つき騙しの・・・・大和説者は、
困ったものだ。

609日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:40:48.19
>>586
始皇帝の墓も「冢」だよ

610日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:45:27.78
>>523
>ちゃんと掘立柱と公表されてるのに  ”「石床」の非存在の隠蔽” などと誹謗する神経が
理解できない <

掘立柱だった、と言っておいて、
未だに、纏向を、高床建築だとか、卑弥呼の「居處宮室樓觀、城柵嚴設」だとかを、
宣伝し続けている大和説学者や、右翼マスコミや、大和説シンパらの、
神経が理解出来ない。

611日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:47:16.88
>>603

第五は、三雲にも弥生銀座にも存在するし、
大和で第四が第五になった理由は存在しないし、

理由も何も大和では第一から第五まであり、そして土師器(庄内・布留)へと普通に続いてただけだが。


>九州倭国には楽浪土器などで早くから「庄内類似の第五」を作る理由があり、

おまえはハゲ頭にウジ虫が湧いてるのか?
楽浪土器の存在がなんで「庄内類似の第五」を作る理由になるのだ?


>大和は、倭国の東征毛人五十五國の中の一国であるから、
「庄内類似の第五」が伝来した可能性は十分ある。

いや大和には第五以前の四、三、二、一があるわけだが。
やっぱりハゲ頭にウジ虫が湧いてるわけだな。

612日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:47:35.84
>>526
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、
ヘイトスピーチ的怒号ばかりで中身がない 。

613日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:48:56.90
とんでもかな

出雲や阿波は神武東征の出城だと思う・・出城にするだけの文化は以前よりあった
当然 畿内に国か連合体があった(邪馬台国では無く首都は奈良と限定しない)
畿内の圀の包囲網が出雲・阿波
阿波・出雲説では、邪馬台国が阿波・出雲とするがその場合も
邪馬台国の所在地に限らず東征は認めるべきだ

614日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:58:16.10
>>534
>>(大和説者は)「他例」などという「無いものねだり」をして、口先でヘイトスピーチをして、
議論に勝っているかのように装って、<

>「他例」が「無いものねだり」だったら
出せと要求して批判した側が議論に勝っている <

出せと要求した方が、嘘つき騙しをしている事になる。

>だって帰納してないのが暴かれたんだから<

一例からでも帰納的推論が可能である、という説明はしてあるんだから。

615日本@名無史さん2018/06/15(金) 18:58:37.50
>>609
ご存知でしょうが念のため
「家」は当時 「生きてる人の住居」を指す場合もあり「死んだ方の住居=墓」を示す場合もあります
また「塚」は墓だけに限られた文字ではありません

616日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:05:53.23
>>613
>出雲や阿波は神武東征の出城だと思う・・

違う。 神武東征は倭国(阿波)国内での出来事。 阿波市→鳴門市への東征譚。 
誇大妄想してはいけない。  @阿波

617日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:06:04.15
>>557
大いに冢を作る 徑百餘歩に 殉葬者の奴婢は百餘人

618日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:08:59.72
>>601
こいついつも同じコピペしてるが畿内説のレベル下げてるだけでほんと邪魔
乏しい知識で与太話作ってるだけ

619日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:11:51.18
卑弥呼の墓考察

卑弥呼の墓は径百歩と記述されてるが、
小山に葬られたでも良いのではないか

「卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩」 ですが径百餘歩の墓には異論がありませんが
自然を利用して墓を作り、その全体像が小山も含め墓であり径百歩でもいいかもしれないと思う

自然を利用した大邸宅も数多くありますが、家屋だけでその邸宅の大きさを表現していないのは周知ですが

620日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:14:17.84
>>618
>ほんと邪魔

そういうのに対してスルースキルを磨かないと、
匿名掲示板への出入りはやってられないよ?

621日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:22:01.30
続きです>>618です
前方後円墳は殆ど人工的な手を加えられてますが、
卑弥呼の墓は自然を利用した墓ではないかと思います
畿内説で言う纏向や箸墓は三輪山信仰も含まれており
墓は三輪山信仰とズレてないでようか?
箸墓の方位(前方から後方に至る)も気になります、大型建物群と方位は合わせる必要があると思う

622日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:23:45.88
大家(おおや)さんの話?
大家という名前の人の話ではないよ

家の老婆は、
そのような事を言ったりしていた事があるんだけど、
なぜだと思う?

もれ(仮)の兄にwそのような事を言っていた

623日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:23:55.90
>>619
それじゃ大作冢とは言わんよ

624日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:27:25.66
でも人に土地や家を貸したり売ったり、何やら・・・とか、
そのような家でもないし、何なんだろう

昔の話なのかな、数代前の話とか?

625日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:31:19.62
>>614
帰納の意味を知らないだけ
それは説明とは、言わない

626日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:38:14.71
>>621
不思議だね
纒向の神殿は三輪山(ご神体?」)の同一方向に向かっているが
箸墓はそれにならっていない
不思議なんだよね
 三輪山(ご神体)のどの方向には立てるかは目で確認できたので誤差はあまり無いと思う
三輪山に向かっているなら誤差は気にしなくていいかもしれないが、箸墓近辺しかり前方後円墳の方位はバラバラ
現在の地方の墓地の方が規則正しいかも

627日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:40:56.63
『松傾』「▢▢力夫」?

このような名前の家なんだけど、なぜだと思う

628日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:42:17.10
纒向と箸墓の建物は關係無いから
畿内説は強引すぎる

629日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:45:27.09
いいね

箸墓と纏向 
テンプレに添った議論でよい

630日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:51:19.86
>>616
@阿波 

阿波は邪馬台国の土地
阿波説は
畿内説の範疇で王宮の所在地が奈良か阿波かの論争だろ
畿内説内部で片付けろ

631日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:52:28.04
>>626
それはただの予断

632日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:52:57.80
淡路島を真っ二つに分ける阿波説はおろかだよ

633日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:55:13.16
>>631
根拠は?
論ずること止めたか、脳が着いて行けないのか?

634日本@名無史さん2018/06/15(金) 19:55:15.84
>>630
阿波は畿内説と関係ないので謝絶するわ

635日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:00:09.01
>>634
>阿波は畿内説と関係ないので謝絶するわ

阿波は畿内説と関係ないが、
阿波は畿内と大いに関係がある。  @阿波

636日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:08:06.66
>>626
興味あり

纒向の祭事建築物がどこに向かってるかもわかる
箸墓がどこを向いてるかもわかる
箸墓と纏向の祭事建築物の時代が違う
炭素年代法が進めば、箸墓以前の纏向以前・・

こんがらがってきた
炭素年代法で箸墓と纏向のどちらが古いのか???????????????????
モモソは宮内庁が決めただけ

637日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:12:41.75
纏向消滅時と箸墓成立時が同じくらいというストーリーじゃなかったか

638日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:15:50.11
>>636
箸墓が布留0で纏向の最盛期
大型建物が庄内3でその直前

639日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:16:21.37
箸墓は夏至を意識している

640日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:24:08.65
>>637
ぜんぜん違う

641日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:26:09.32
サルタヒコの遺言。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立、阿波サク

国底立神
&国常立神、鬼門に封じられた神、天香久山に祀られている神
&阿波咋

倭国大乱を引き起こした張本人

642日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:30:26.81
>>619
>卑弥呼の墓は径百歩と記述されてるが、
>小山に葬られたでも良いのではないか

全くその通り。
死んでから径百余歩の墓なんか作ってたら10年はかかる。
その間、殯をおこなってたというアホな話になる。

>「卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩」 ですが径百餘歩の墓には異論がありませんが
>自然を利用して墓を作り、その全体像が小山も含め墓であり径百歩でもいいかもしれないと思う

ヒミコの墓は大和盆地最上座の単純明快な場所にある。

高天原(御所市高天)だ。
高天原(御所市高天)の日本最古の神社の境内に径百余歩の墓(山)があり、
魏志倭人伝の記述通り、周囲に奴婢が埋葬されている。
奴婢とは土蜘蛛である。
https://textream-cimg.west.edge.storage-yahoo.jp/58/b6/1835208-96a8cbd6169180a157075d145f086b7f/24/b0c96b994750a363867d0a717b81e934.jpg

かつてここの地で土蜘蛛を葛城で土蜘蛛を征した男がいた。
日向から来た神武である。

643日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:33:20.68
>>13
http://eroolove.chuko.net/2018/04/24226

イッちゃうお姉さんwwwwwwwwvvwwwwvvwwwww

644日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:33:28.87
× かつてここの地で土蜘蛛を葛城で土蜘蛛を征した男がいた。

〇 かつてここ葛城で土蜘蛛を土蜘蛛を征した男がいた。

645日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:34:35.62
また訂正w

〇 かつてここ葛城で土蜘蛛を征した男がいた。

646いかがでしょうか2018/06/15(金) 20:49:26.17
纒向の桃の種   (朝日新聞 本年5月 
    西暦135〜230年・・・・纏向学研究センター公表(放射性炭素(C14)年代測定)

卑弥呼の死亡時期 (倭人伝)
    西暦247〜248年
箸墓古墳  (どこかの公表)
    西暦240〜260年築造 (土器の付着物より炭素年代法)土器は「布留(ふる)0式・・この年代比定は広範囲」

647日本@名無史さん2018/06/15(金) 20:54:51.58
『周髀算経』の里は「三分里之一、即為百歩」というものですよ
魏のナンバー1数学者が知らないのだから魏では誰も知らないんじゃないですか?

『禹貢地域圖』泰始四年〜七年(268〜271年)より古い地図に
馬王堆漢墓出土の『長沙国南部図』(前168年以前)があります
これは約18万分の1の縮尺で書かれています
1800尺=1里が基本になっていますね

648日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:00:40.47
>>646
考古学上 
布留遺跡は貴重です
あまり畿内説では脚光は浴びてませんのが残念です
不都合があるのでしょうか

649日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:01:48.64
『周髀算経』か
1里=300歩で常識そのものだな

650日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:02:40.72
>>640
ああ、思い出した
纏向消滅時じゃなくて、纏向の神殿消滅時だったわ

651日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:07:45.53
>>648
イミフ

652日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:11:34.53
>>646
炭素年代は摩訶不思議だな
科学者にも狂いが数十年以上という奴もいるし
誤差が大きいので
万年前、億年前なら通用する、否、氷河期はどうする 日本の歴史的風土はどうする

ベニバナ花粉やバジルの炭素年代も調査済みだと思うが何故公表しないのかな 

653日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:11:38.25
しかし九州説もよくもまあ短里説をそれらしく粉飾するために
周髀算経の記述の中から見つけ出して来たもんだ

654日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:16:01.44
>>651
布留(ふる)0式です

655日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:19:21.09
>>619
あんた偉いが
学会では通用しない
馬鹿学会に聞いてもらいたいもんだ

656日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:21:22.19
>>653
考古学の権威学者が夢想して卑弥呼と大和朝廷を結びつけたがるので
日本の考古学はグダグダになってる

日本の考古学の基礎は偉い学者が机の上で考えたのが始まりでそれが基礎のまま
近畿と北陸で全てが発生し関東東北には遺跡なしという思い込みと夢想に基づいて
縄文も弥生も随分滅茶苦茶な解釈が長く続いた
長い期間、関東の遺跡の発掘には予算をおろさず
関東には近畿より古い遺跡などはないとした
…が、結局素人が縄文より古い石器時代の遺跡を関東で掘り当て
認めざるをえなくなり、以降関東や東北の遺跡が発掘され認定された
…が、近畿より古い時代に栄えた文化を認めたくないために
縄文時代とし縄文が異常に長くなった

卑弥呼も同じく卑弥呼が近畿圏じゃないと困るので九州説を認めないからグダグダ

657日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:26:27.91
畿内説は崩壊した
説として成り立たんでも無いが
ボケと私利私欲で携わる学者が崩壊させた
誰かが指摘したが
巻向は邪馬台国ありきでなく純粋に論ずるべきだ
貴重な日本の遺跡には違いないが邪馬台国論争に巻き込むのは止めえーーー
日本の歴史として貴重な遺跡でいい

658日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:29:37.94
学者のほぼ全てが畿内説だからって中傷はあかんよ

659日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:32:10.64
畿内説は勘違い
皇国史観とは良くいった  東征は神武だろう
ヤマト王権の野望は全国制覇 その拠点が奈良でしかない
当然 奈良にも文明はあった 東海にも関東にも東北にも・・・
南が東なら候補は東海地方以降の日本でいくつもある

660日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:35:50.76
九州説はヘイトスピーチがひどいな

661日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:37:05.18
大化改新は倭人VS倭人を利用した渡来人
九州倭国は渡来人の力を借りて東征
これは歴史上異論はない
異論があれば立証せよ 例えば仏教伝来だな 万の神はどう思うか仏陀を

662日本@名無史さん2018/06/15(金) 21:43:34.96
お前の言う万の神というのは何のことなんだ?
池沼か何かなのか?

五行(火、風、地・・・など)が何やら〜
昔から、そういう考えがあった〜?というのも、
後付けなんだけど

ほとんど大陸から入ってきた話

663日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:00:55.11
邪馬台国=ヤマト王権でいい

バカの極みが多すぎ
歴史の真実なんてどうでもいい 古代だろ関係ない
国体をわかって無いバカが九州という
現代を生きる人に迷惑かけるな
歴史は
   現代を生きる人のそれ以下でもそれ以上でもない
歴史は生てるものが幸せのために変えれば良い これ鉄則

時代が歴史を変えてよい
歌舞伎の発祥はエタだが海老蔵とエタと言われない
織田信長の末裔と信長の悪行は関係ない
家康は鑑真坊主だが武将で良い
秀吉の生家は無く移動農民)だが關係ない
南北朝時代の争いを現天皇に問うてどうなる
阿部首相の生家は酒造  古来「酒造は賤民やはぐれ者、やくざ?」の仕事と言う学者もいるが
現代は関係ない
皇国史観=現代を愛してる証拠だ
否なら海外に移住せよ

664日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:05:52.04
また変なのが湧いた

665日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:10:20.85
キウスだよ

666日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:11:56.71
>>664
たまにゃいいいんでねーか

毎度湧くテメーよりマシ

変なのの定義は自分で決めてるのだろうが

何が変なのか語れよ

そうしないと

テメーも「変なのが湧いた」と言われても仕方ない

667日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:14:38.51
全部変だろw

668日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:18:11.57
キウスの書き込みにまともなところなんかあったっけ?

669日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:19:24.74
>>1=>>664=>>665

キウスと呼ばれて光栄だがキウスは九州説

少しは名無しでなく論じろよ

九州説は進歩無いよ いつも同じことの繰り返し2013以降

九州でなにが発見されたのか

ヒガミの九州説

670日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:23:15.25
くだらんテンプレ
朝鮮通信使かよ
一例で帰納的推論は止めれ

俺じゃなけど論破されたな

671日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:25:13.34
>>668
4棟指摘ぐらいかな

672日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:35:06.25
>>669

673日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:43:52.79
>>646

個々が一体となっていない、整合性が無い
炭素年代法は問題が多い 
但し書きを付けるくらいなら発表すべきではないな
もしくは
不確定要素は歪めないが、素年代法ではこんなの出ましたと公表すべき

纏向が3世紀にこだわっていない
3世紀の遺跡は多くあるから
吉野ヶ里も3世紀に存在してたし

674日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:45:33.67
>>619
山を利用したものは墳という
冢とは言わない

675日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:46:37.12
>>671
テンプレの朝鮮通信使にも言及してたな
いまでは、帰納的推論は無駄と論破されたな

676日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:47:45.70
>>675

ザラコクの功績

677日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:49:05.58
>>671
それが有効だったと思ってるのはキウスだけ

678日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:51:43.94
>>669
全一病で馬脚を現すwww
キウスに間違われて死にたくなる奴はいても
光栄に思う奴などいやしない

679日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:52:12.16
>>674
出所は何処ですか

680日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:52:24.40
>>543
>この言動を見るに、九州説は狂っているとしか考えられない <
 
「南→東」などの嘘吐き騙しや、
「正北抵新羅」に拠って倭国は九州である、という事の否定や、
「大和は、倭国の東征毛人55国で出来た別種の旧小国」の隠蔽など、
この言動を見るに、
大和説学者や、マスコミや、PC会社などは、狂っているとしか考えられない、。
 

681日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:54:08.69
ザラコクの功績は古田教信者がいかにおかしいかを世界に知らしめたこと

682日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:54:27.38
>>545
大和説者は、口先のヘイトスピーチを言い張るだけ。
理由はなにもない嘘つき騙し。

683日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:57:11.46
>>547
>つまり、北部九州にあるちっさな墓じゃないことは確実<

つまり、大和にある巨大前方後円墳は冢ではないから、
大和ではない事は、確実。

684日本@名無史さん2018/06/15(金) 22:57:48.09

口先のヘイトスピーチ

685日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:03:19.90
>>679
あまり突っ込まなくても
「十六国河西镇墓文」(漢文で読みにくいですが和訳もあります)
魏の圀でも塚と家の区分は不明確です
死人の墓が家でもあり塚でもあるような表現です

686日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:03:39.39
>>550
>>おそらく知っているし、
>おそらく見ているし、
>おそらく知っている。<

>全部、自分の脳内のかってな空想のみ
ザラコクさんは知らないことを、こうやって捏造しながら生きているんだよな
恥さらしw<

全部、史料事実からの、帰納的推論であるのみ。
大和説者らは、都合の悪い事を、こうやって、
史料事実からの帰納的推論部分を書かないで隠して、
捏造しながら生きているんだよな。
恥さらしww。

687日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:06:32.91
>>553
>お前らの連投がウザいと思った者は誰でもやる<

大和説者の「南→東」などの嘘吐き騙しの連投がウザいと思ったものは、
誰でも非難する。

688日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:10:55.59
家と冢と塚

689日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:12:36.89
>>560
>卑弥呼の居館?<

石床がないから、高床や宮室樓觀が無理であり、×。

>纒向遺跡の大型建物跡を「見える化」 奈良・桜井<

「南≠東」などに拠って、×。

690日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:19:10.88
>>576
>モリコも駄目だね 大いに冢を作ったが出来たのは小さい墳丘 などと言っても
笑い者だ<

大和説者も駄目だね。
冢と書いてあるのに、前方後円墳は冢ではなく墳だ。
笑い者だ。

691日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:23:35.83

>>「「南→東」などの嘘つき騙し」<

>そもそも現代人は東西南北の四極で方位を捉えることを当然だと思っているが、
これとて自明のことではない。・・・<

現代人も古代人も関係なく、
人類は、太陽や天体の動きで、東西南北の方向を決めて来たのだ。

692日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:37:51.88
>>586
>それ、主観でしかないよ
「冢」と「墳」の違いも重要とする説もあるが、何度も話題に登っているけど、明確な答はでてないな
ただ、卑弥呼の墓は表現は「冢」
個人的には径100歩もあって、なぜ「墳」ではなく「冢」なのかが気になるがね<

古代中国人は、「冢」と「墳」をかなり明瞭に使い分けている。
孔明の遺言も使い分けており、
始皇帝の墓は、角錐的であり、冢とされ、
馬韓も「居處作草屋土室、形如冢」とされるが、その家は円錐的。
要は、冢は「錐体」的であり、尖り状。
それに対して「墳」は、丸みを持った盛り上がり状。

693日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:41:44.84
>>590
>ザラコクの「「南→東」などの嘘つき騙し」は ザラコクがテンプレを読んでいないから無理
読めばある程度理解できる <

2chの掲示板に参加した時に、3回、テンプレに逐一反論を書いたが、
僅かに反論されただけで、殆どは無視されたようはであった。

694日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:51:59.52
>>693


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



今言えサギジジイ!

695日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:52:32.32
>>593
>邪馬台国へのルートである。<

邪馬台国なんて存在しなかったから、×。

>魏志倭人伝において、ます到着するのは末盧国である。500里をはるばる歩き、伊都国(博多湾一帯)に至る。
伊都国から奴国(飯塚市を中心とした遠賀川流域一帯)へ。さらに東に進み、周防灘に面する不弥国(行橋市)に至る。飯塚市から行橋市に古くからルートがあり、関門海峡が通れなかった当時、玄界灘と周防灘を結ぶ重要な迂回路だった。
そこから船で南へ沿岸を航行し、20日かけ大隅半島を抑えている投馬国へ着く。<

途中移動があった事を示す説明がないから、魏使らは行っていない。

>大隅半島を南へ漕ぎ出し黒潮に乗る。
黒潮は時速7Kmであり、何もせずとも1日に150Km進む。
黒潮は自然と潮岬に接岸する。(現代において観測され証明されている)つまり10日で潮岬に流れ着く。<

魏帝の詔書や金印や大量の下賜品を届けなければならない魏使らは、
安全最短が原則であり、
黒潮に乗って流れに任せるような危険な漂流コースは、選択しない。

>熊野辺りにに上陸し、陸行1ヶ月でヤマトに至る。<

紀伊半島横断のような、遭難する可能性がある危険なコースも選択しない。

>これが魏志倭人伝当時の邪馬台国へ至るルートである。<

邪馬台国なんて存在しないし、「南≠東」などに拠って×。

696日本@名無史さん2018/06/16(土) 00:00:02.79
>>651
>ニバナ花粉やバジルの炭素年代も調査済みだと思うが何故公表しないのかな  <

イミシン

697日本@名無史さん2018/06/16(土) 00:09:07.71
ベニバナやバジルは

3世紀に渡来してない
文句あるなら植物の歴史に詳しい専門家に聞いてくれ
特にベニバナ染色の技術

698日本@名無史さん2018/06/16(土) 00:10:45.08
>>661
そうなんんだ
なんとなく納得

699日本@名無史さん2018/06/16(土) 00:19:13.09
>>661
摩訶不思議なんだよ 畿内説は
邪馬台国=ヤマト王権と言うなら仏教は無い
卑弥呼の敬う神道がいかなる理由で仏教になったのか
明日香しかりその後も仏教
邪馬台国畿内説ならそこのとこヨロシク
九州説では立証済み・・やめとこ 畿内説のスレだから

700日本@名無史さん2018/06/16(土) 00:30:24.00
自演中毒患者キウス

701日本@名無史さん2018/06/16(土) 00:42:45.48
何の話なのか知らないけど、
印(玉璽)というのものがあるでしょ?
授かった(拾った?)、持っているからといっても、
それがどうした?としか言えないはず


どらえも〜ん助けてみたいな話なのかな、
『虎の威を借りる狐』

そのようなものを見せられても、
実際は通用しないという話

702帰納的推論は”削除”2018/06/16(土) 00:45:54.01
畿内説は帰納的推論では無い

テンプレが全てでは無い

線がずれているが>>1の責任で無い(朝鮮通信使を持ちだし南を東にとの論を展開したのは間違い)

>>1が拾ってきた情報で済ませればいい 彼も人の子

   5ちゃんだよ ここは

皆 このスレが好きなんだろ

703日本@名無史さん2018/06/16(土) 00:48:33.88
文化圏というの?違うはず、
だから、そんな物(玉璽?印?)を持っていても、通用しない

それが何なんだよ?みたいになるはず

704日本@名無史さん2018/06/16(土) 00:53:56.90
>>700
www
あたりです 
自演はしてませんよ  分脈でわかるはずです
私より骨のあるザラコクとまともに対峙すべきでしょう

705日本@名無史さん2018/06/16(土) 00:54:30.95
北海道、東北?
本当の先住民(原住民)から見ると、
ヒミコというのも、ゴキブリ(寄生)のような存在でしょ

悪く言うと、そうなる

706日本@名無史さん2018/06/16(土) 00:57:09.49
私利私欲の>>1貴君には分からないでしょう

エタ野郎には参ったね 
>>1 貴君の書き込みでは無いだろうが

707日本@名無史さん2018/06/16(土) 01:00:11.15
[エタ野郎]
の書き込みを削除しない?できない?
>>1貴君はスレ主として最低だよ

708日本@名無史さん2018/06/16(土) 01:07:06.09
絶対王者のような存在(家)がいたんだろう

それを他の国(近代も同じだと思う)の力を借りて・・・・
〜みたいな話でしょ

709日本@名無史さん2018/06/16(土) 01:07:13.81
和訳は無い 文献示せ



685日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:03:19.90
>>679
あまり突っ込まなくても
「十六国河西镇墓文」(漢文で読みにくいですが和訳もあります)
魏の圀でも塚と家の区分は不明確です
死人の墓が家でもあり塚でもあるような表現です

710日本@名無史さん2018/06/16(土) 01:10:05.28
悪いな
和訳は無い 「和訳」の文献示せ




685日本@名無史さん2018/06/15(金) 23:03:19.90
>>679
あまり突っ込まなくても
「十六国河西镇墓文」(漢文で読みにくいですが和訳もあります)
魏の圀でも塚と家の区分は不明確です
死人の墓が家でもあり塚でもあるような表現です

711日本@名無史さん2018/06/16(土) 01:13:32.98
最終的(現状、現在)には、どういう状態になってるの?
因果応報、自業何やらと言っている人たちがいたり

712日本@名無史さん2018/06/16(土) 01:15:22.45
>>674
detarame
言うな

713キウス ◆PyuQX798ps 2018/06/16(土) 01:25:16.93
ザラコク氏は
投馬国の比定地は何処とお考えですか?

714日本@名無史さん2018/06/16(土) 01:39:26.08
>>702
帰納的推論でなく
帰納的推理が大和説
推論≠推理
大和説は推理  

715日本@名無史さん2018/06/16(土) 01:43:23.29
キウスが火病ってるな
久しぶりに一時帰宅が認められたのかな

716日本@名無史さん2018/06/16(土) 01:49:41.67
>>709
張り付けときます
和訳無いと思います 塚と家は明確ではありませんが
中華思想??よくわかりませんが故人の墓も家でいいでしょう
家とは何なのかから勉強ください  

出版社:中国社会科学出版社
出版年:2017年12月
コード:434664   251p  24cm ISBN/ISSN 9787520308915

価格 4,471円

在庫有
弊社に在庫がございます。店頭在庫については別途お問合わせください。
在庫には、限りがございます。大量注文の場合、ご対応できない場合がございますので、あらかじめご承知おきください。

717日本@名無史さん2018/06/16(土) 02:05:18.59
説文注
(冢)
「高墳也。土部曰。墳者、墓也。墓之高者曰冢。」

718キウス ◆PyuQX798ps 2018/06/16(土) 02:06:17.84
>>715=>>1でしたら

>>1貴君にはお世話になりました
有難うございます

貴君の言う通り
一時帰宅のようなものです

あなたも相変わらずお元気で何よりです

ザラコクさんもお元気なようですね

他説の論客も現れたようですね

お一人で他説に対峙するのも限界があります

お仲間にお声がけしてもいいと思います

私の現在は仕事も兼ね人権版に少し書きこんでます
性格上少しで無いようです

それでは ご健勝をお祈りします

719日本@名無史さん2018/06/16(土) 02:46:20.61
>>679
三国志
山に因りて墳を為し、冢は棺を容るるに足る

720日本@名無史さん2018/06/16(土) 03:09:19.53
誤訳乙

721日本@名無史さん2018/06/16(土) 06:08:05.72
キウスは帰納が理解できていない
テンプレでは海游録の事例から一般的な規則性(方位を誤認する)を導いているのではない
Qの推理に対するAは反例

722日本@名無史さん2018/06/16(土) 07:18:32.30
畿内説は、責任持ってくだらんテンプレを修正させろよ。
さもないと、畿内説は全員があれを信じているアホだと思うからな。

723日本@名無史さん2018/06/16(土) 08:10:38.36
>>722
>畿内説は、責任持ってくだらんテンプレを修正させろよ。

それだったら、九州説で責任をもって、ニセスレ立てをやめさせて、
連続句読点やつぶやきのコピペ荒らしをやめさせて、
ザラコクさんに会話ができるようにさせてくれるかな?

テンプレはスレ立てごとに修正入ってるよ?
最近だと、平原1号墓出土鏡は八咫鏡じゃないとかが追加されただろ?

724日本@名無史さん2018/06/16(土) 08:16:36.53
ヒミコは誰なのか、キチッッと特定し、その居住地や墓を特定すること。
それをしていない纏向説も九州説も空想である。

I崇神(310年頃 318年没)
H開化
     G孝元
          F孝霊   
トヨ津        E孝安 D孝昭
トヨ津   (250年頃)C懿徳 
ヒメ踏鞴        B安寧
ヒメ踏鞴        A綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) @神武 

ヒミコとはヒメ(踏鞴五十鈴)媛であり、住まわれたのは葛城である。
大和盆地最上座の高天原(御所市高天)にある日本最古の神社の境内にある。
径百余歩の塚で魏志倭人伝の記述通り、周囲に奴婢が埋葬されている。
奴婢とは土蜘蛛である。

https://textream-cimg.west.edge.storage-yahoo.jp/58/b6/1835208-96a8cbd6169180a157075d145f086b7f/24/b0c96b994750a363867d0a717b81e934.jpg

725日本@名無史さん2018/06/16(土) 08:28:04.03
>>722
んで、テンプレのどこを修正しろと言ってるの?

726日本@名無史さん2018/06/16(土) 10:10:52.16
>>598
何度も論破してあるんだが、ご本人が認めないんだよ。
この人、wwさんには、何を言っても通じないんだ。
wwさんはまともな脳がなく、何も知らない。
教えてもらっても、決して調べようとはしない。
「南≠東」など、明確に間違いを指摘されても、何をどうしようと認めない。
知らない、調べない、認めないの「三ない主義」で、
・・・・で対話が不能だから、どうしようもない。

727日本@名無史さん2018/06/16(土) 10:17:27.80
>>600
wwら大和説者よ。
貴様らの拠り所は、時期を早めて騙した支離滅裂の前方後円墳だけじゃん。
邪馬台国も畿内も朝廷も天皇も存在しなかったから、全く無理。・・これ常識。
不弥国から邪馬壹國女王之所都までの行程で、大和説を説明せよ。

貴様らは本当は・・・・だろ。

728日本@名無史さん2018/06/16(土) 10:20:23.46
>>601
>畿内の勢力は2世紀末に大きく変わる。
纒向遺跡でも、東海や山陰、吉備などの外来系土器が突然現れる。
記紀にもヤマト征伐によって大和朝廷が始まる様子が記述されている。
畿内征伐によって誕生した大和朝廷の主体は、尾張、出雲、吉備。<

畿内も大和朝廷も存在していなかったし、
大和は「九州倭国の東征毛人五十五國」の中の一国」であるにすぎないから、
×ね。

729日本@名無史さん2018/06/16(土) 10:40:24.58
>>602
>魏略では「東南五百里 到伊都國 『戸万余』」と書いてあるよ
「漢数字で千と万は間違えるはずはない」のであれば、魏略か三国志のどちらかが
意図的に虚偽記載をしたことになる<

魏略は、直接的な写本版本ではなく、
後代史書での内容説明的な書き換えも含む引用しか残っておらず、
直接的な史料になる魏志よりも「信頼性が落ちる」、
という史料批判で見ておかなくてはならないもの。

730日本@名無史さん2018/06/16(土) 10:45:42.70
【誘われたら、優秀″】 手に、マイクロ・チップ  ←<関/輿水>→  メール、ネットで公開処刑
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529112504/l50

731日本@名無史さん2018/06/16(土) 10:55:44.14
>>723
>連続句読点やつぶやきのコピペ荒らしをやめさせて、

つぶやきは畿内説だと思う。
たまに九州説スレでもつぶやくらしいけど。

732日本@名無史さん2018/06/16(土) 10:59:37.37
>>606
>(黒潮漂流ルート)〇まず畿内説が説として容認しろ・・・主流は瀬戸内でいいがね<

黒潮漂流説も大和説も、人類の常識に反しており、
どちらも×。

733日本@名無史さん2018/06/16(土) 11:05:57.41
黒潮ルートはキウス

734日本@名無史さん2018/06/16(土) 11:08:45.02
>>607
>(第5様式土器)ぞうやって失笑を買い、まず東遷説が消えていった
安本の轍を踏むわけね <

第5様式は、楽浪土器の技法の学習模倣である可能性が高いから、
当然、倭国の東征毛人五十五國の中の一国の大和よりも、筑紫の方が早くて当たり前。

こうやって大和説は、国民の失笑を買い、消えていった。

735日本@名無史さん2018/06/16(土) 11:24:08.57
弥生土器は、その研究の初期段階で、地域ごとに第I〜第V様式の5段階に大別した
第II様式以降は各地で地域性が現れるので、同じ様式名であっても、土器の特徴はまったく異なる

各地でまったく異なっていった土器の特徴が、西日本の広い範囲で似始めるのが庄内式期(弥生VI期)
布留式になると各地の土器はその影響下に入り、地域色はかなり薄れていく

736日本@名無史さん2018/06/16(土) 11:36:33.68
>>611
>理由も何も大和では第一から第五まであり、
そして土師器(庄内・布留)へと普通に続いてただけだが。
>楽浪土器の存在がなんで「庄内類似の第五」を作る理由になるのだ?<

第五様式や庄内の発生は、楽浪土器や瓦式土器のなどの焼成の技法の模倣であるから、
三雲などの筑紫で起こったんであり、
大和は、筑紫倭国の「東征毛人五十五國」の中の一国であり、
倭国の別種の旧小国の附庸國であるから、
楽浪土器や瓦式土器の技法の伝来は、筑紫よりも遅れるから。

737日本@名無史さん2018/06/16(土) 11:45:49.94
>>613
とんでもかな 出雲や阿波は神武東征の出城だと思う・・出城にするだけの文化は以前よりあった
当然 畿内に国か連合体があった(邪馬台国では無く首都は奈良と限定しない)
畿内の圀の包囲網が出雲・阿波
阿波・出雲説では、邪馬台国が阿波・出雲とするがその場合も
邪馬台国の所在地に限らず東征は認めるべきだ <

梁書の段階でも、倭国と区別して、
出雲は文身國と記録され、越は大漢國と記録されているから、
尚も独立的に存続していた事になる。
また、阿波は、卑弥呼の直属的な部下であった事を示す「鏡片」が出土しているから、
卑弥呼の頃に「東征毛人五十五國」の中の一国になっていた、という事になる。

738日本@名無史さん2018/06/16(土) 11:46:57.73
>>736
>第五様式や庄内の発生は、楽浪土器や瓦式土器のなどの焼成の技法の模倣であるから、
三雲などの筑紫で起こったんであり、

あなた、なにも知らない知識ゼロで、思いつくままにデタラメ書いてるでしょ

九州説はコレだから困る

739日本@名無史さん2018/06/16(土) 12:07:37.40
>>737
>出雲は文身國と記録され、越は大漢國と記録されているから、

ザラコクはいつもコレ
なにも根拠のない思いつきを言い張るだけ

740日本@名無史さん2018/06/16(土) 12:22:32.21
>>619
>卑弥呼の墓考察 卑弥呼の墓は径百歩と記述されてるが、
小山に葬られたでも良いのではないか ・・・<

小山程度では「墳」になる。
はっきり「冢」だ、と書いてある。

741日本@名無史さん2018/06/16(土) 12:25:19.56
>>621
>続きです>>618です
前方後円墳は殆ど人工的な手を加えられてますが、
卑弥呼の墓は自然を利用した墓ではないかと思います
畿内説で言う纏向や箸墓は三輪山信仰も含まれており
墓は三輪山信仰とズレてないでようか?
箸墓の方位(前方から後方に至る)も気になります、
大型建物群と方位は合わせる必要があると思う<

「卑弥呼の墓」は、「南≠東」などに拠って、×です。

742日本@名無史さん2018/06/16(土) 12:29:16.24
>>625
>帰納の意味を知らないだけ それは説明とは、言わない <

演繹もそうだが、
帰納も1例からでも、幾らでも可能。

743日本@名無史さん2018/06/16(土) 12:31:56.73
>>629
>いいね 箸墓と纏向  テンプレに添った議論でよい<

テンプレは、「南→東」などの嘘つき騙しであるから、×。

744日本@名無史さん2018/06/16(土) 12:45:41.12
>>742
そんな妄想するのは
帰納って何をする
ことか知らないから


異常だ


 

745日本@名無史さん2018/06/16(土) 13:01:27.58
zarakokuって、ことあるごとに
「古田さんは帰納的推論をされて〜」
とか吹聴してたな

帰納という言葉の意味を知らないんだから
ただデタラメを言っていたわけだね

746日本@名無史さん2018/06/16(土) 14:45:40.63
劣化コピーになっているんだよ。

747日本@名無史さん2018/06/16(土) 14:49:43.68
それをいうなら超劣化

748日本@名無史さん2018/06/16(土) 15:36:52.03
>>740
>小山程度では「墳」になる。

卑弥呼の「冢」は巨大古墳でいいんだね?

 

749日本@名無史さん2018/06/16(土) 15:57:49.16
弥生時代〜古墳時代の食料事情はどうだったんだろうな?
増えた人口を維持できる土地とか限られてそう。
東北とか江戸時代ですら飢饉の度に何十万人亡くなっているしね。

750日本@名無史さん2018/06/16(土) 16:13:05.91
死んでたんじゃね?

751日本@名無史さん2018/06/16(土) 16:39:47.00
>>742
さすがにこれはない

752日本@名無史さん2018/06/16(土) 16:59:20.97
【稲作の分布】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

旧国 『延喜式』出挙稲数(束)
◆畿内 2,087,126
山城 424,070
大和 554,600
河内 400,954
和泉 227,500
摂津 480,000

◆西海道 5,990,581
筑前 790,063
筑後 623,581
豊前 609,828
豊後 743,842
肥前 692,589
肥後 1,579,117
日向 373,101
大隅 242,040
薩摩 242,500
壱岐 90,000
対馬 3,920

畿内の開墾が進んだ時代でさえ、九州の方がはるかに稲の収量が多く、より多くの人口を維持できたと考えられる。
弥生時代においては、奈良、京都、大阪などに沼地が広がっており、この差はさらに大きかったと考えられる。
九州ならば、福岡奴国2万戸を含む7万戸を福岡県だけでまかなえるし、熊本狗奴国が邪馬台国に対抗できた理由も説明できる。

753日本@名無史さん2018/06/16(土) 17:10:28.31
>>746>>747
>劣化コピーになっているんだよ。
>それをいうなら超劣化

古田史学の時点でトンデモなのに、それを超絶劣化させたものは、
なんて呼べばよいのだろう?

754日本@名無史さん2018/06/16(土) 17:14:16.20
>>749
>弥生時代〜古墳時代の食料事情はどうだったんだろうな?

弥生時代前期末から中期初頭(2400年〜2300年ほど前)にかけて、西日本一帯で発生した大洪水により、西日本一帯の灌漑水田稲作は壊滅です。 
この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。
その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、一部で大柿遺跡の棚田がみられるが、縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせるらしい。
弥生時代前期中葉に大規模化した灌漑水田稲作経営は、災害の影響もあって一段落したものと考えられている。
土器の植物種実圧痕観察(レプリカ法)により、弥生時代終了までイネに替わり、アワ・キビ・ヒエなどが主流であったようだ。  @阿波

755日本@名無史さん2018/06/16(土) 17:17:52.90
>>752のコピペもいい加減にして欲しい

地域別人口の超長期的推移
http://www2.ttcn.ne.jp/
honkawa/7240.html  
地域別人口規模の順位の変遷
http://www2.ttcn.ne.jp/
honkawa/7242.html  
鬼頭宏(2000)「人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)」
「弥生時代から奈良・平安初期にかけて
 畿内、畿内周辺、山陽、山陰、四国の5地域が揃ってシェアを拡大し、
 そのうち畿内周辺は全国1になっている。この5地域は平安前期には、
 やはり揃って地位を低下させている。
 ある時期、これら地域がひとつのまとまりとして他地域を凌駕する人口扶養力を
 養えたことが日本の古代国家の成立の背景となったと捉えることができる。」

756日本@名無史さん2018/06/16(土) 17:26:46.17
>>755
>ある時期、これら地域がひとつのまとまりとして他地域を凌駕する人口扶養力を
 養えたことが日本の古代国家の成立の背景となったと捉えることができる。」

それは、忌部一族による広範な拓殖展開により、もたらされたもの。  @阿波

757日本@名無史さん2018/06/16(土) 17:27:15.12
>>636
>箸墓と纏向の祭事建築物の時代が違う
炭素年代法が進めば、箸墓以前の纏向以前・・<

箸墓は、布留だから、4世紀。
纏向は、庄内だから、(筑紫の庄内より後であって)3世紀第4四半世紀頃。

>こんがらがってきた
炭素年代法で箸墓と纏向のどちらが古いのか?<

どちらも3世紀第四四半世紀以後。

758日本@名無史さん2018/06/16(土) 17:30:37.98
>>638
>箸墓が布留0で纏向の最盛期
大型建物が庄内3でその直前<

ちょっとだけ違う。
布留0は、庄内ではなく、はっきり布留。

759日本@名無史さん2018/06/16(土) 17:38:34.92
>>641
>サルタヒコの遺言。 「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立、阿波サク<

猿田彦は、天孫降臨の天孫族らの「東征毛人」に関しての、
在地の毛人蝦夷系の部族長ら全員に対するら総称。

>国底立神  &国常立神、鬼門に封じられた神、天香久山に祀られている神
&阿波咋 <

これも、倭国や天孫族とは違った、在地の古き神々の総称。

>倭国大乱を引き起こした張本人<

倭国大乱なんてなかった。
倭国乱なら、九州倭国内の乱。

760日本@名無史さん2018/06/16(土) 17:40:50.01
>>642
>ヒミコの墓は大和盆地最上座の単純明快な場所にある。 高天原(御所市高天)だ。<

「南≠東」だから、×。
ssnは×人間。

761日本@名無史さん2018/06/16(土) 17:55:33.79
>>646
>纒向の桃の種(朝日新聞 本年5月<

朝日は、皇国史観大和説人種が半分以上いるようだから、信頼性は半分以下。 
    
>西暦135〜230年・・・・纏向学研究センター公表(放射性炭素(C14)年代測定)
>箸墓古墳(どこかの公表) 西暦240〜260年築造(土器の付着物より炭素年代法)<

AMS法は、
プラズマ化という放射性崩壊を促進する方法であるために、
50〜100年位古い年代が出るから、
50〜100年位新しい年代が正解。」

>土器は「布留(ふる)0式・・この年代比定は広範囲」<

庄内と布留は明確に区別出来るから、
布留0は、庄内ではなく、布留になる。

762日本@名無史さん2018/06/16(土) 17:57:22.01
>>755
> そのうち畿内周辺は全国1になっている。この5地域は平安前期には、

いつの時代の話をしているんだよ。
弥生時代から平安までひとくくりにして何か言えるのか?
その根拠のデータは何だ?

763日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:09:20.26
>>647
>『周髀算経』の里は「三分里之一、即為百歩」というものですよ<

「三分里之一、即為百歩」という里歩系内の関係は、
周代からずっと変わっていなかったんだよ、
始皇帝は命令した「1歩=6尺」は、
里歩系と(里歩系とは違った)尺寸系との換算の命令。

>魏のナンバー1数学者が知らないのだから魏では誰も知らないんじゃないですか?<

「魏のナンバー1数学者」とやらは、
周髀算経の使用里や、魏朝の使用里を知らなかったか?、
それよりも始皇帝の「1歩=6尺」の換算だけを順守した、という事になるんだよ。

>『禹貢地域圖』泰始四年〜七年(268〜271年)より古い地図に
馬王堆漢墓出土の『長沙国南部図』(前168年以前)があります
これは約18万分の1の縮尺で書かれています
1800尺=1里が基本になっていますね<

漢朝は、秦の始皇帝の「1歩=6尺」の換算命令を踏襲しているんだから、
「1里=300歩」と「1歩=6尺」で、
1800尺=1里を基本にして、当然なんだよ。

764日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:15:40.59
>>763
>「三分里之一、即為百歩」という里歩系内の関係は、
>周代からずっと変わっていなかったんだよ、

だから周代から
「1里=300歩」
だろ

765日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:17:21.48
>>648
>考古学上布留遺跡は貴重です
あまり畿内説では脚光は浴びてませんのが残念です
不都合があるのでしょうか <

米田に拠って、大和の布留のよりは南加賀の布留の方が古く、
大和は、南加賀からの伝来模倣だった、という事になった位だから。

766日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:24:48.04
>>653
>しかし九州説もよくもまあ短里説をそれらしく粉飾するために
周髀算経の記述の中から見つけ出して来たもんだ <

しかしまた大和説者は、よくもまあ、
「周髀算経の一寸千里の短里」の短里記載を否定抹殺するために、
周髀算経の記述を、
実測ではなく、「天地像からの帰結だ」とする、
分裂幻覚の妄想をして来たもんだ。

767日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:30:14.33
>>658
>学者のほぼ全てが畿内説だからって中傷はあかんよ <

畿内なんてなかったし、
大和説は「南→東」などの嘘つき騙しをしない限り成立しないんだから、
大和説学者は、皆確実に・・・・詐欺師である事になるから、
中傷されて当然なんだよ。

768日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:31:17.89
纒向の桃の種 >  (朝日新聞 本年5月 
    西暦135〜230年・・・・纏向学研究センター公表(放射性炭素(C14)年代測定)

こんなことより中塚武さんの酸素同位体比で勝山古墳の祭祀に使われた木材を鑑定すればいいのに。
祭祀に古年輪年代の3世紀前半という数値が正しいかどうかわかる。
祭祀に古材を使うわけない。
だから勝山古墳の被葬者の埋葬された時代を特定できるはずだ。

769日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:32:48.78
訂正
×祭祀に古年輪年代の3世紀前半という数値が正しいかどうかわかる。

〇年輪年代の3世紀前半という数値が正しいかどうかわかる。

770日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:33:38.97
>>660
>九州説はヘイトスピーチがひどいな<

「南→東」などの嘘つき騙しの・・・・詐欺師の大和説の、
九州説者に対するヘイトスピーチは、ひどいな。
おそらく、九州説に負けた事が悔しくたまらないんだろうなあ。

771日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:36:35.36
>>767
中傷が正当化できるわけないでしょ
あなたのは異常者の感覚だ

772日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:37:48.29
>>770
九州説者に対するヘイトスピーチって
どれのこと?


そんなもの存在するの?

773日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:39:07.43
>>745
古田氏の帰納的推論は
多数数列から導き出すから
確立は上がるよ

774日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:41:45.28
>>663
>邪馬台国=ヤマト王権でいい<

邪馬台国なんて、存在しない。

>バカの極みが多すぎ 歴史の真実なんてどうでもいい 古代だろ関係ない
国体をわかって無いバカが九州という 現代を生きる人に迷惑かけるな
歴史は 現代を生きる人のそれ以下でもそれ以上でもない
歴史は生てるものが幸せのために変えれば良い これ鉄則<

この男は、学問や科学を否定する、バカの極みの・・・・宗教人間。
ナチスやイスラムやオームと同じように、いずれはその宗教のために、
国や国民を殺戮してしまうために・・・・アホ。

775日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:44:42.83
>>666
>たまにゃいいいんでねーか 毎度湧くテメーよりマシ
変なのの定義は自分で決めてるのだろうが 何が変なのか語れよ
そうしないと テメーも「変なのが湧いた」と言われても仕方ない<

この男も、学問や科学を否定する、バカの極みの・・・・宗教人間。
「変なのが湧いた」と言われても仕方ない人種。
ナチスやイスラムやオームと同じように、いずれはその宗教のために、
国や国民を殺戮してしまうために・・・・アホ。

776日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:45:54.77
>>773
古田氏が帰納的推論してたとか
またデマだろう

777日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:48:45.93
>>761
>AMS法は、
>プラズマ化という放射性崩壊を促進する方法であるために、

ザラコクさんがいくらウソを百回言い張っても、物理法則は変化しませんよ?
ちょっと調べれば分かることなのに、調べもせずに自分に都合のいい間違い
(結果としてウソ)をいい続ける

ザラコクさんは、知らない、調べない、認めない、を地でいってるねww

778日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:50:49.88
>>669
>キウスと呼ばれて光栄だがキウスは九州説 少しは名無しでなく論じろよ
九州説は進歩無いよ いつも同じことの繰り返し2013以降
九州でなにが発見されたのか <

「正北抵新羅」が発見されて、倭国が九州であった事が確定し、
「南≠東」や、弥生銀座や、祇園山や、平原の21枚の「尚方作」鏡が再認識され、
「九州説で確定」が発見されたの。


ヒガミの九州説

779日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:56:26.35
>>675
>テンプレの朝鮮通信使にも言及してたな
いまでは、帰納的推論は無駄と論破されたな<

「南」という1例だけ、からの帰納的推論でも、
テンプレも大和説が、否定されたんだよ。

780日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:57:19.43
ユガミの九州説

781日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:59:32.37
>>779
帰納を知らない非科学ザラコクが否定されました

782日本@名無史さん2018/06/16(土) 18:59:43.03
>>679
>>山を利用したものは墳という 冢とは言わない<

>出所は何処ですか<

当然、孔明の遺言。

783日本@名無史さん2018/06/16(土) 19:01:04.05
>>782
つまり無学な人の誤訳だな

784日本@名無史さん2018/06/16(土) 19:07:43.95
>>685
>あまり突っ込まなくても
「十六国河西镇墓文」(漢文で読みにくいですが和訳もあります)
魏の圀でも塚と家の区分は不明確です
死人の墓が家でもあり塚でもあるような表現です <

3世紀では、
陳寿の「冢」の使用意味は、
馬韓伝での「居處作草屋土室、形如冢」でも、韓の家は「錐体」形であったから、
「冢」は「錐体」的なものの表現と確定しており、
孔明は「山のようなもの」を「墳」と言っているから、
「墳」は「山のような形」と確定しています。

785日本@名無史さん2018/06/16(土) 19:25:28.65
>>784
山が錐形なんだよ

786日本@名無史さん2018/06/16(土) 19:26:24.43
>>713
>ザラコク氏は
投馬国の比定地は何処とお考えですか?<

不彌國から「水行二十日」の距離(水行は1日450里位で、9000里位)ですから、
南九州であり、
会稽海外の東テイ人の20国の中心地と思われる上野原遺跡が、投馬國になった、という事になる、
と思います。

787日本@名無史さん2018/06/16(土) 19:32:40.36
>>724
>ヒミコとはヒメ(踏鞴五十鈴)媛であり、住まわれたのは葛城である。<

「南≠東」などに拠って、×ね。

788日本@名無史さん2018/06/16(土) 19:52:06.29
>>735
>弥生土器は、その研究の初期段階で、地域ごとに第I〜第V様式の5段階に大別した
第II様式以降は各地で地域性が現れるので、同じ様式名であっても、土器の特徴はまったく異なる<

大和説者が、
「大和の庄内に少し類似の第V様式が、弥生銀座や三雲に搬入された」
と言っていた事が、おかしかった。
庄内の焼成の技法は、楽浪土器や瓦式土器の技法や、
半島や大陸からの伝来の青銅や鉄やガラスの溶融技法が参考になった、
という推論は避けられないのだから、
列島では、半島や大陸に近い筑紫が先行した、という推論も避けられなかった。

>各地でまったく異なっていった土器の特徴が、西日本の広い範囲で似始めるのが庄内式期(弥生VI期)<

九州倭国の「自昔・・・東征毛人五十五國」や、
「地方の市を監督する大倭職」の存在で、模倣が広がった、
という説明が付いてしまう。

>布留式になると各地の土器はその影響下に入り、地域色はかなり薄れていく<

これも、米田の「大和よりも南加賀が先行」で、
筑紫と南加賀のどちらが古かったのか?、という問題になった。

789日本@名無史さん2018/06/16(土) 19:53:22.55
>>786
>上野原遺跡が、投馬國になった

それだと、投馬国は邪馬台国よりも南だね?
投馬国へは水行二十日、また可五萬餘戸と、その戸數道里が略載されているから、
女王国より以北になるはずなんだが?
自女王國以北、其戸數道里可得略載

それに、伊都国があって南に敵国の狗奴国があって、その南に女王国に属する投馬国って、
敵味方が入り組みすぎてないかい?

790日本@名無史さん2018/06/16(土) 19:57:14.82
>>788
>「大和の庄内に少し類似の第V様式が、弥生銀座や三雲に搬入された」
と言っていた事が、おかしかった。
庄内の焼成の技法は、楽浪土器や瓦式土器の技法や、
半島や大陸からの伝来の青銅や鉄やガラスの溶融技法が参考になった、
という推論は避けられないのだから、
列島では、半島や大陸に近い筑紫が先行した、という推論も避けられなかった。


何を言ってるのか自分でもわからないだろ。
もう家で屁をこいて寝ておれ。

791日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:01:49.92
>>738
>>第五様式や庄内の発生は、楽浪土器や瓦式土器のなどの焼成の技法の模倣であるから、
三雲などの筑紫で起こったんであり、<

>あなた、なにも知らない知識ゼロで、思いつくままにデタラメ書いてるでしょ<

いや、どんな場合にも、
何故新しい「焼成や溶融」の技法が出来たのか?、
という理由を考える事が、必要なのであり、
だから、大陸や半島からの技能の伝播伝来があったんだろう、という、
人類の常識的な理解になる事になる。

>九州説はコレだから困る<

「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、
理由など考える事無く、
全て、大和説学者の説明を妄信隷従する事しか出来ない・・・・アホだから、困る。

792日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:06:31.08
ヒミコが死んでから径百余もの墓を造り始めるわけがない。
その間、10年近くも「モガリ」を行ってたのかという話になる。

もともとヒミコが死んだ時のために大きな塚(小山でもいい)があって、
埋葬部分だけの工事であろう。

https://textream-cimg.west.edge.storage-yahoo.jp/58/b6/1835208-96a8cbd6169180a157075d145f086b7f/24/b0c96b994750a363867d0a717b81e934.jpg

大和盆地最上座の位置にある高天原(御所市高天)の日本最古の神社の境内に、
径百余歩の塚(小山)があり、周囲に奴婢(土蜘蛛)が埋葬されている。

793日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:14:14.48
>>739
>>出雲は文身國と記録され、越は大漢國と記録されているから、<

>ザラコクはいつもコレ なにも根拠のない思いつきを言い張るだけ、

倭国の位置は、唐会要の「正北抵新羅」で九州である事が確定しており、
梁書は、文身國を倭国の東北七千里だ、と書いており、
長里では太平洋のはるか沖になってしまうが、短里なら出雲でピッタリであり、
更に梁書は、大漢國を文身國の東5千里と書いているから、
短里で、越にピッタリだから。

ただし、扶桑國の位置は、断定ではなく、
「説云、扶桑在大漢國東二萬餘里」、という説紹介であり、
太平洋はるか沖になってしまう失敗説明になっており、
これは「扶桑在中国東二萬餘里」の誤伝であった可能性が高く、
ほぼ大和付近になる事になる。

794日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:20:39.05
>>744
>そんな妄想するのは 帰納って何をする ことか知らないから 異常だ<

帰納や演繹が、一例からではいけない、なんてどこにも決められておらず、
一例であっても、最低6項目以上の論点が発生して1論点だけにはならないんだから、
そんな人類の常識も判らないお前は、異常だ。

795日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:27:09.60
>>745
大和説者って、これまで一度も、
「古田さんは帰納的推論をされて〜」に反論をしていなかったな。
帰納という言葉の意味を知らないで・・・・大和説者が、騒ぎだしたで、
という事だから、
ただ、その尻馬に乗って、デタラメヘイトスピーチを吹聴し始めた、
ってわけだね。

796日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:29:35.60
ザラコクは嘘ばかりついているなあ

797日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:30:19.01
>>747
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説は、
大和説学者や大和説者の誰か?のな、
劣化コピーになっているんだよな。

或いは、それをいうなら超劣化の・・・・アホガキ。

798日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:34:38.87
>>748
>>小山程度(の大きさ)では「墳」になる。<

>卑弥呼の「冢」は巨大古墳でいいんだね?<

祇園山は、低い丘陵の上に造られた「冢」だよ。

799日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:34:41.98
はじめて九州説を唱えたのは新井白石だが、
畿内なら大和朝廷及び古代天皇の朝貢を認めざるを得なくなるゆえ、
緊急避難先として心にもない九州を当て馬として出しただけ。

それを九州ゆかりのカッペや、
反権力、反中央のブサヨがいまだ支持してるという構図。

800日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:34:47.36
ザラコクは悪態ばかりついているなあ

801日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:38:02.07
>>753
大和説学者の時点で既に「南→東」などの嘘つき騙しのトンデモなのに、
それを妄信隷従して超絶劣化させた大和説者らの説は、
なんて呼べばよいのだろう?。

802日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:39:39.03
>>798
>祇園山は、低い丘陵の上に造られた「冢」だよ。

祇園山は山の中腹にあるんだが、知らんの?

803日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:43:37.88
>>754
>この洪水被害は大規模かつ広域的なもので、
京都盆地や奈良盆地、岡山平野、博多平野、濃尾平野など広く西日本一帯で確認されている。

こりゃウソだな。
筑紫では、弥生銀座が大繁栄している。

>その大洪水により、阿波においては弥生時代中期初頭には各集落が小規模化し、
一部で大柿遺跡の棚田がみられるが、
縄文的な生業と地域社会へ回帰するような様相をみせるらしい。<

阿波も、「鏡片」が出土しているから、
筑紫の卑弥呼が派遣した東征将軍に征伐され支配された事になる。

804日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:51:52.81
>>755
>鬼頭宏(2000)「人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)」
「弥生時代から奈良・平安初期にかけて
 畿内、畿内周辺、山陽、山陰、四国の5地域が揃ってシェアを拡大し、
 そのうち畿内周辺は全国1になっている。<

鬼頭という男も、
「畿内」なんて存在もしない嘘つき騙し文言を使っているから、
結局は、大和説の・・・・アホ信者であったらしい、って事だな。

また、当然の事ながら、鬼頭は、
弥生銀座の繁栄を隠蔽するインチキをしているようであり、
瀬戸内〜東海が、九州倭国の「自昔・・・東征毛人五十五國」があった地域だ、
という事をも、知らん振りしている・・・・アホの詐欺師。

805日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:53:14.48
ザラコクは中傷ばかりしているなあ

806日本@名無史さん2018/06/16(土) 20:59:47.02
ザラコクって、

俺様の支持する主張は正しい
なぜなら俺様が支持するからだ

俺様の支持しない主張は間違っている
なぜなら俺様が支持しないからだ

的なことしか言ってないよね

807日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:10:22.75
>>768
>>纒向の桃の種 >(朝日新聞 本年5月 
西暦135〜230年・・・・纏向学研究センター公表(放射性炭素(C14)年代測定)<

>こんなことより中塚武さんの酸素同位体比で
勝山古墳の祭祀に使われた木材を鑑定すればいいのに。
祭祀に古年輪年代の3世紀前半という数値が正しいかどうかわかる。 祭祀に古材を使うわけない。
だから勝山古墳の被葬者の埋葬された時代を特定できるはずだ。<

中塚の方法は、結局年輪年代法と同じ事であるから、同じような欠陥を持っており、
樹木が吸収する酸素の同位体比が、
海水などのH2Oの影響や、光合成のCO2の吸収の地域的差異に拠っての、
変動要素があるから、
正確な年代が求められるとは、限らない。

808日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:15:35.59
>>776
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者が、
古田氏よりもよい帰納的推論をしてたとか言うのは、
またデマだろ?。

809日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:24:58.52
やっぱりシラ、白が重要なキーワードな気がする シラの正体がわかればいいんだが

しら、おしらさま、白日、天白、しらぬひ、

おしらさま伝承は伊勢以東、東海を中心に東北まで分布

白澤、人面の牛、牛妻
白も牛と繋がってくる

新羅も本来はシラ

白根は、島根、鳥取、神奈川、埼玉に多いな

尾張名古屋に天白区があるな

810日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:26:35.14
>>777
AMS法は、 プラズマ化という放射性崩壊を促進する方法であり、
wwがいくらウソを百回言い張っても、

電磁場と重力場が相互作用をしていて、相互作用は場の安定化方向を志向するから、
原子から周りの電子を取り去るプラズマ化は、原子核内の場の攪乱を齎し、
ベータ崩壊を促進してしまう、

という物理法則は変化しませんよ。

wwは、ちょっと調べれば分かることなのに、調べもせずに自分に都合のいい間違い
(結果としてウソ)をいい続ける。

「南→東」などの嘘つき騙しの大和説のwwは、
知らない、調べない、認めない、を地でいってるねww。

811日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:29:14.56
>>778の訂正
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、口先ヘイトスピーチのヒガミの説。

812日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:31:08.29
>>780
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、
精神構造のユガミの大和説。

813日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:34:15.50
>>807


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



今言えサギジジイ!

814日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:41:22.49
>>789
>>上野原遺跡が、投馬國になった<

>それだと、投馬国は邪馬台国よりも南だね?
投馬国へは水行二十日、また可五萬餘戸と、その戸數道里が略載されているから、
女王国より以北になるはずなんだが?<

投馬國説明には、出発と到着の間の「途中移動」文言がないから、魏使らは行っておらず、
だから、側副傍線國の説明文。

>自女王國以北、其戸數道里可得略載 <

投馬國は、女王之所都の直ぐ北の不彌國からの側副傍線國。

>それに、伊都国があって南に敵国の狗奴国があって、その南に女王国に属する投馬国って、
敵味方が入り組みすぎてないかい?<

だから、倭人は、九州内縦断をさけて、不彌國からの水行二十日路を説明した。

815日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:45:40.77
>>790
>>「大和の庄内に少し類似の第V様式が、弥生銀座や三雲に搬入された」
と言っていた事が、おかしかった。
庄内の焼成の技法は、楽浪土器や瓦式土器の技法や、
半島や大陸からの伝来の青銅や鉄やガラスの溶融技法が参考になった、
という推論は避けられないのだから、
列島では、半島や大陸に近い筑紫が先行した、という推論も避けられなかった。<

>何を言ってるのか自分でもわからないだろ。
もう家で屁をこいて寝ておれ。<

庄内が筑紫先行、という理由を言われてしまって、ショックで、
何を言ってるのか自分でもわからなくなったんだろ?。

もう家で屁をこいて寝ておれ。

816日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:52:09.37
>>792
>ヒミコが死んでから径百余もの墓を造り始めるわけがない。
その間、10年近くも「モガリ」を行ってたのかという話になる。<

魏志には「寿陵」であったなんて書かれていない。
また、径百余歩は、短歩であるから、径25〜30m位であり、
祇園山は、丘陵〜山付近を少し削っているから、
径25〜30m位の冢であれば、容易に出来る。

817日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:53:20.21
短歩とか創作すな

818日本@名無史さん2018/06/16(土) 21:55:23.02
>>786
>ザラコクは嘘ばかりついているなあ<

「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、
嘘つきヘイトスピーチばかりやっているなあ。

819日本@名無史さん2018/06/16(土) 22:00:09.36
>>799
「南→東」などの嘘つき騙しの大和説を、
ゆかりのカッペや、権力や中央のキョクウや、右翼マスコミや、キョクウの学会教育界が、
いまだ支持してるという構図。

820日本@名無史さん2018/06/16(土) 22:02:06.47
>>800
>ザラコクは悪態ばかりついているなあ 、

「南→東」などの口先騙しの嘘つき大和説者は、
未だに、ヘイトスピーチの悪態ばかり付いているなあ。

821日本@名無史さん2018/06/16(土) 22:04:26.11
中身がなんにも無い
悪口だけ



九州説はもう終わりだな

822日本@名無史さん2018/06/16(土) 22:30:40.98
>>817
>短歩とか創作すな<

周髀算経の一寸千里から、「1里≒76.5m」が判り、
周代から「1里=300歩」である事は変わっていないから、割り算して、
「1歩≒25.5cm」で、ほぼ一尺になり、
「短歩」だ、という事になる。

823日本@名無史さん2018/06/16(土) 22:32:59.36
>>821
「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説者は、中身がなんにも無い。
悪口だけ。
大和説はもう終わりだな。

824日本@名無史さん2018/06/16(土) 23:23:22.70
>>823


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



今言えサギジジイ!

825日本@名無史さん2018/06/16(土) 23:38:33.21
《論語・学而篇》馬融注引《司馬法》云:“六尺為歩,歩百為畝”。

《司馬法》司馬穰苴
→《史記》列傳 司馬穰苴列傳

826日本@名無史さん2018/06/16(土) 23:43:01.53
>>810
>プラズマ化という放射性崩壊を促進

これがウソww

827日本@名無史さん2018/06/16(土) 23:47:50.68
>>822
>「1歩≒25.5cm」で、ほぼ一尺になり、
>「短歩」だ、という事になる。

これもウソww
歩はもともとが身体尺で複歩だから、どうやってもそんなに短くはできない

そもそも、ザラコクさんが主張するような「足の裏一つ分」の長さなら、
「脚」の字が使われるんだよ

828日本@名無史さん2018/06/16(土) 23:52:24.08
>>814
>側副傍線國の説明文。

これもウソww
側副傍線國などという概念は、カルト教団の中でしか信じられていないw

829日本@名無史さん2018/06/17(日) 00:59:53.25
>>823
南→東は
大平洋ルートで解決済

830日本@名無史さん2018/06/17(日) 02:12:16.22
「歩」の旧字体は両足の足跡の象形文字
→画像検索で見た方が早いです

831日本@名無史さん2018/06/17(日) 02:50:39.58
中国文化を否定しないと成り立たない九州説って
なんだそれ

832日本@名無史さん2018/06/17(日) 06:15:36.73
日中両国の古代を嘘で塗り固めるか九州説

833日本@名無史さん2018/06/17(日) 06:31:46.67
>>798
>祇園山

そこに王権があった謂れも王墓である謂れもない。
平原も同じく。

これは致命傷。

纏向は王権があった謂れがあるが、それは崇神以降である。
ならば箸墓は崇神以前であるので謎だが、
日本書紀に書かれてるモモソ媛ではなく、
崇神の叔父のイカガノシコオあたりであろう。
妹のイカガノシコメとヒメヒコを形成してることに留意。
彼が磯城の王であった証拠だ。
そのイカガノシコメから産まれたのが崇神。

834日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:02:01.61
>>833
>そのイカガノシコメから産まれたのが崇神。

その伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命をお祀りさえしない所など、以ての外。
「物部氏」の祖神とされている伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命が
日本で唯一、阿波國麻殖郡 伊加々志神社で祀られている。  @阿波

835日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:04:09.49
>>824
>・・・今言えサギジジイ!<

不可知部分が殆どである自然や歴史は、
知り得た事実の範囲内からの帰納的推論をするものだよ、
・・・・アホガキー!。

836日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:13:19.47
>>825
>《論語・学而篇》馬融注引《司馬法》云:“六尺為歩,歩百為畝”。
《司馬法》司馬穰苴 →《史記》列傳 司馬穰苴列傳<

秦の始皇帝の「1歩=6尺」時代の後漢の馬融の注引じゃ、
周代に関しての、何の根拠にもならないよ。

837日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:17:34.58
>>826
>>プラズマ化という放射性崩壊を促進<

>これがウソww<

アインシュタインの予言や、電磁場と重力場の存在の観測結果を否定するか?、
同じ資料でのベータ線法での計測とAMS法との対比計測を、
やってから、「ウソ」だといいな。

838日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:25:03.46
>>827
>>「1歩≒25.5cm」で、ほぼ一尺になり、 「短歩」だ、という事になる。<

>これもウソww 歩はもともとが身体尺で複歩だから、どうやってもそんなに短くはできない<

開脚歩行での、単歩とか複歩とかでは、
個人差や本人の努力差などで差があり過ぎて、
「長さ単位」としては使い物にならないんだよ。
単位として使えるのは、やはり、足底長という身体長。

>そもそも、ザラコクさんが主張するような「足の裏一つ分」の長さなら、
「脚」の字が使われるんだよ <

「脚」では単歩になってしまうではないか。
インチキするなよ、ww。

839日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:34:13.60
>>828
>側副傍線國の説明文。<

>これもウソww<

何だ?、
「出発記載と到着記載との間に、途中の移動などの説明が存在しない」
という史料実態に関する反論は、まだ聞いていないよ。

>側副傍線國などという概念は、カルト教団の中でしか信じられていないw<

「南→東」の嘘つき騙しや、
「途中の移動の説明が存在しない」事を隠蔽逃亡した大和説カルト教は、
国民の3割のアホ信徒にしか信じられておらず、
国民の7割から否認されているんだよ。

840日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:35:45.66
>>829
>南→東は 大平洋ルートで解決済<

人類の常識で否定済み。

841日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:39:43.74
>>830
>「歩」の旧字体は両足の足跡の象形文字 →画像検索で見た方が早いです<

「両足」という点が、複歩と同じ事になり、ひっかかるね。
身体寸法での長さの単位は、普通は、片方だけだから。

842日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:40:59.81
>>831
>中国文化を否定しないと成り立たない九州説って なんだそれ<

中国漢字文化を否定しないと成り立たない大和説って、
なんだそれ?。

843日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:43:14.72
>>832
「南→東」などの嘘つき騙しで、
日中両国の古代を嘘で塗り固めるか、・・・・詐欺師の大和説。

844日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:43:32.19
畿内説は中国漢字文化否定しませんが、何か?

845日本@名無史さん2018/06/17(日) 07:50:56.04

この漢字の読みは畿内説ではミナミ

846日本@名無史さん2018/06/17(日) 08:08:25.77
>>842


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



今言えテメエ!

847日本@名無史さん2018/06/17(日) 08:53:46.67
>>838
>「脚」では単歩になってしまうではないか。
>インチキするなよ、ww。

単歩ではないことは認めるのか?
なら、その時点で25.5センチは自動的に否定されるなww
自分の言動にすら責任が持てないザラコクww

ザラコクの主張する足裏の大きさを表すなら、漢文で足首から先の部分を表す漢字が
「脚」なんだから、25.5センチを継ぎ足しながら距離を測るなら、「歩」ではなく
「脚」で表現されないとおかしい

この本質的な部分にまったく反論できない時点で、単歩=25.5センチは破綻しているww

848日本@名無史さん2018/06/17(日) 08:59:53.50
>>839
>「出発記載と到着記載との間に、途中の移動などの説明が存在しない」

この場合、側副傍線國であるという主張が妥当であるという論証が皆無

地理・旅程記事は厳格なフォーマットがある訳ではなく、文の流れや
対句などの表現技法、書くべき情報量によって当然に個々具体的な書き方には
揺れ、幅がある

それを、勝手に側副傍線国などと決めつけるのは、カルト内だけでしか通用しない
恣意的な解釈

849日本@名無史さん2018/06/17(日) 09:04:49.71
>>837
>アインシュタインの予言や、電磁場と重力場の存在の観測結果を否定するか?

これ、実験(というか観測)の意味、分かってないだろ?
重力場によって空間が曲がるが、その曲がった空間内での直線通りに光は直進する

そこにグラヴィトンとフォトンの相互作用はない

850日本@名無史さん2018/06/17(日) 09:07:46.59
>>841
>「両足」という点が、複歩と同じ事になり、ひっかかるね。
>身体寸法での長さの単位は、普通は、片方だけだから。

引っかかるのはザラコクさんが無知なだけだよ
尋も、両手を広げた長さだし、片方が普通なんていう時点で間違った決めつけ

もの知らずが妄想を書き散らしても、ただの嘘つきにしかならないww

851日本@名無史さん2018/06/17(日) 09:09:59.30
>>842
>中国漢字文化を否定しないと成り立たない

「歩」の象形文字からの成り立ちや、実際の用例をすべて無視
否定しているのがザラコクさんww

852日本@名無史さん2018/06/17(日) 09:22:56.15
自分の目的に利用するため色々単位を捜索しちゃう九州説は学問でありえない

853日本@名無史さん2018/06/17(日) 09:26:05.92
>>845
こういうウソはいけない

854日本@名無史さん2018/06/17(日) 09:37:25.52
古代ローマも2歩分で1パッスス(約1.48m)

855日本@名無史さん2018/06/17(日) 10:00:09.10
>>848
>地理・旅程記事は厳格なフォーマットがある訳ではなく、文の流れや

陳寿は一つの距離を日程と里程の二つで記載したんですね。
そのフォーマットを理解しないのが畿内説。

856日本@名無史さん2018/06/17(日) 10:03:49.87
>>855
そんなフォーマットがあったという根拠は?

857日本@名無史さん2018/06/17(日) 10:27:33.43
なんも根拠のないのが九州説

858日本@名無史さん2018/06/17(日) 10:37:38.60
一歩が6尺で在る以上、歩は複歩で確定なわけだが

859日本@名無史さん2018/06/17(日) 10:38:22.41
>>857
意味のないレスを繰り返し、九州vs畿内の対立を煽り、スレを流そうとする
お前は最低な奴だなぁ

860日本@名無史さん2018/06/17(日) 10:40:18.73
九州説が零落し果てたのは事実

861日本@名無史さん2018/06/17(日) 10:48:05.10
九州説は一部の素人マニアが専門の学者が認めてない史料珍読で創作した架空の歴史だよ

862日本@名無史さん2018/06/17(日) 10:52:22.01
ちなみに「止」の象形文字は片方の足跡
これも画像検索してね

863日本@名無史さん2018/06/17(日) 11:03:51.24
>>859
意味のないレスの典型はザラコクだな
悪口雑言しか言ってない

864日本@名無史さん2018/06/17(日) 11:48:56.25
>>839
水行

865日本@名無史さん2018/06/17(日) 11:59:10.18
行水

866日本@名無史さん2018/06/17(日) 12:29:06.13
ザラコクがいくらわめいても
魏で使われた里は短里にならないし
一寸千里は実測された数値にならない

867日本@名無史さん2018/06/17(日) 13:11:45.17
魏ではなく東夷では短里で良さそうだ。

868日本@名無史さん2018/06/17(日) 13:22:42.02
理由は?

869日本@名無史さん2018/06/17(日) 13:53:47.73
なにごとも理由がないのが九州説

870日本@名無史さん2018/06/17(日) 14:50:55.98
結論が先にあって、あとから理由を考えてると
こんなふうに息が続かなくなるのさ

871日本@名無史さん2018/06/17(日) 15:54:47.75
魏志倭人伝と実際の地理を比較すると、魏志倭人伝ではかなり一里が短いことがわかるよ。

872日本@名無史さん2018/06/17(日) 16:03:22.09
>>871
具体的には?

873日本@名無史さん2018/06/17(日) 16:05:44.08
九州説って具体的じゃないというより
もう観念論だろ

874日本@名無史さん2018/06/17(日) 16:18:07.54
現代人の知らない未知の単位があったんじゃない
間違った距離情報があっただけだ
なぜなら、規則性がないから

875日本@名無史さん2018/06/17(日) 17:41:15.19
>>873
もう観念して欲しいものだな

876日本@名無史さん2018/06/17(日) 17:46:08.07
>>832
>>祇園山<

>そこに王権があった謂れも王墓である謂れもない。 平原も同じく。
これは致命傷。<

勿論、魏志の記載や、
祇園山の墳裾の第1主体の甕棺の、「剣や鏡片を持った成人女性」は、
卑弥呼に使えた奴婢のトップクラスの女性であった可能性が高く、
また、書紀に伝承がある朝倉地域や八女地域の真ん中に位置し、
がある松野氏姫氏の火の国にも近い。

877日本@名無史さん2018/06/17(日) 17:54:18.27
>>847
>>「脚」では単歩になってしまうではないか。 インチキするなよ、ww。<

>単歩ではないことは認めるのか?<

歩という距離単位の始まりは、足底長だよ。

>ザラコクの主張する足裏の大きさを表すなら、漢文で足首から先の部分を表す漢字が
「脚」なんだから、25.5センチを継ぎ足しながら距離を測るなら、「歩」ではなく
「脚」で表現されないとおかしい <

足底は、脚ではないよ。

878日本@名無史さん2018/06/17(日) 17:55:10.55
>>874
規則性はだいたい1里80mくらいであってるよ。

879日本@名無史さん2018/06/17(日) 17:58:49.51
>>878
証拠は?

880日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:04:34.68
>>848
>>「出発記載と到着記載との間に、途中の移動などの説明が存在しない」<

>この場合、側副傍線國であるという主張が妥当であるという論証が皆無<

魏志倭人伝の行程移動の記載では、
出発記載と到着記載との間に、途中の移動をした文言がないから。

>地理・旅程記事は厳格なフォーマットがある訳ではなく、文の流れや
対句などの表現技法、書くべき情報量によって当然に個々具体的な書き方には
揺れ、幅がある<

「南→東」などの嘘つき騙しの・・・・詐欺師の大和説者では、
「揺れや幅」で誤魔化す事が幾らでもあるんだろうが、
陳寿は、非常に真面目な性格であるようであるから、
「揺れや幅」のあるような記載をせず、
個々の記述は、非常にきちんとした説明や書き分けをしている。

881日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:27:58.14
>>849
>>アインシュタインの予言や、電磁場と重力場の存在の観測結果を否定するか?<

おや?、これは変な文になっているね。訂正。
アインシュタインの予言の、電磁場と重力場の相互作用の存在の観測結果を否定するか?。

>これ、実験(というか観測)の意味、分かってないだろ?
重力場によって空間が曲がるが、その曲がった空間内での直線通りに光は直進する<

また、この男(ww)は、判っていないんだな?。
現在の実験や観測は、「重力場という座標系」の上で行われており、
「重力場に拠って空間が曲がる」のではない。
そして、その重力場の上で、直進すべき(遠い星からの)光線(電磁波)が、
皆既日食の時の太陽の近くを通る時に、重力場と相互作用をして曲がった、
という事が観測された。

>そこにグラヴィトンとフォトンの相互作用はない<

だから、グラヴィトンという存在は、万有引力に拠る重力場の凝集、として説明され、
だから、観測の結果、フォトン(光子、電磁場の凝集)との相互作用もあった事になる。

882日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:33:32.49
>>850
>>「両足」という点が、複歩と同じ事になり、ひっかかるね。
身体寸法での長さの単位は、普通は、片方だけだから。<

>引っかかるのはザラコクさんが無知なだけだよ
尋も、両手を広げた長さだし、片方が普通なんていう時点で間違った決めつけ<

尋も、通常の計測単位ではない。
手を使うんなら、(片方の)前腕長としての「尺」がある。

883日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:33:32.83
>>879
韓、壱岐対馬の寸法

884日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:37:54.86
>>851
>>(大和説者は)中国漢字文化を否定しないと成り立たない<

>「歩」の象形文字からの成り立ちや、<

お前は、「歩の象形文字」を説明していないよ。

>実際の用例をすべて無視 <

大和説者は、「南→東」などの、実際の用例を無視している。

885日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:40:14.52
>>852
>自分の目的に利用するため色々単位を捜索しちゃう九州説は学問でありえない<

自分の目的に利用するために、「南→東」などの嘘つき騙しや、
色々単位を造作しちゃう大和説は、学問でありえない。

886日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:42:55.91
>>854
>古代ローマも2歩分で1パッスス(約1.48m)<

英語でも「foot」は、身体長。

887日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:43:41.86
>>881
>グラヴィトンという存在は、万有引力に拠る重力場の凝集、として説明され、

どうしてこういうバカをさらして平気なんだろう?

888日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:46:47.11
>>856
>そんなフォーマットがあったという根拠は?<

「女王之所都水行十日陸行一月」と、
「郡から邪馬壹國」の部分行程の里記載、との書き分け。

889日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:48:16.20
>>877
>足底は、脚ではないよ。

足首から先の部分を表す文字が「脚」だ
「手長」に当たる長さを言うなら「脚長」になる

足底長さが「歩」と書かれることはないよ

890日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:50:21.45
>>857
>なんも根拠のないのが九州説<

「南→東」などの嘘つき騙しのように、
いつも、何の根拠もなく、都合の悪い史料記載を否定曲解する・・・・詐欺師なのが、
大和説者。

891日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:52:52.07
>>888
「郡から邪馬壹國」だという証拠は?

892日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:53:49.90
>>890
根拠がないという証拠は?

893日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:55:11.05
>>883
>韓、壱岐対馬の寸法

その何が証拠なの?

894日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:55:25.26
>>858
>一歩が6尺で在る以上、歩は複歩で確定なわけだが<

始皇帝が「1歩=6尺」と命令したからと言って、
周髀算経の一寸千里や、「歩=足底長的寸法」や、魏西晋朝などの短里記載が、
変わる筈がないが。

895日本@名無史さん2018/06/17(日) 18:59:00.97
>>860
>九州説が零落し果てたのは事実<

安部文部省や右翼マスコミやキョクウの学会教育界が、
幾ら大和説を宣伝しても、
国民の7割から拒否され、零落し果てた、という事が事実。

896日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:04:11.82
>>861
>九州説は一部の素人マニアが専門の学者が認めてない史料珍読で創作した架空の歴史だよ<

大和説は、学会教育界が「南→東」などの嘘つき騙しをして、
一部の(国民の3割の)素人マニアを騙して、
国民の7割が認めてない史料珍読で、
創作した架空の歴史だよ。

897日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:17:26.79
>>863
>意味のないレスの典型はザラコクだな 悪口雑言しか言ってない <

「南→東」などの嘘つき騙しなどの、意味のないレスの典型は、
大和説者やwwやssnや「早く言え」らだな。
悪口雑言しか言ってない 。

898日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:18:09.19
南の記述が間違いなら、
径百歩も間違いかも
畿内説で議論すべきだな

九州説は
南も、径百歩も議論する必要無い
研究を続けるだけで良い

899日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:20:02.81
>>898
空想だけでは意味がない

900日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:21:12.02
>>894
そりゃ始皇帝の時代にはそんなもの無いからな
変わるわけもない


 

901日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:24:39.86
纒向って、なぜ住居跡見つからず王宮と言うのか?
斎場か別荘か倉庫?

902日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:27:39.07
>>899
南が東は空想は分かるな
論理的な解答無いな
推理としてもお粗末

903日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:29:04.23
>>898
>南も、径百歩も議論する必要無い

それ、研究しないってこと?
自己矛盾するけど?

904日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:31:20.44
>>902
日本語でお願いします





無理とは知ってるが言ってみました

905日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:32:48.83
>>898
畿内説では方位は間違いで
径百歩は正当としてるが
なにか問題ある?

906日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:34:14.81
>>903
違うね
記述に従い解明すれば良いと言うこと

907日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:36:50.82
>>866
>ザラコクがいくらわめいても 魏で使われた里は短里にならないし
一寸千里は実測された数値にならない <

「南→東」なども嘘つき騙しの大和説者やwwが、いくらわめいても、
魏で使われた里は長里にならないし、
一寸千里は実測を否定する事にもならない。

908日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:38:48.07
>>906
だからそれ、文献批判はしません=研究しません
って意味だろ?

909日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:39:28.42
>>907
ふつう反論もしないで否定はできない

910日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:40:32.47
>>869
>なにごとも理由がないのが九州説<

「南→東」などのように、都合の悪い史料事実の否定曲解をしたり、
なにごとにもまともな根拠や論理がない、嘘つき騙しの・・・・詐欺師なのが、大和説。

911日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:40:49.96
>>905
ご都合主義

912日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:44:12.53
>>911
だという根拠は?

913日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:45:04.79
>>908
文献批判ばかりしてどうするの?
先ずは文献に従い解明するのが常道
確信が持て、皆が納得できたら文献の間違いを指摘すれば良い
私は、九州説だが卑弥呼の墓はまだ発見されていないと思う

914日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:45:05.11
>>870
>結論が先にあって、あとから理由を考えてると こんなふうに息が続かなくなるのさ<

大和説者は、
皇国史観大和説、という結論先にあって、
「南→東」などの嘘つき騙しのように、
先にウソを付いて、あとから理由を考えていると、
こんな風に息が続かなくなり、
国民の7割から拒絶されているのさ。

915日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:46:33.82
>>912
南は南だから

916日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:48:45.10
>>873
>九州説って具体的じゃないというより もう観念論だろ<

大和説って、具体的な歴史の学問的な説というよりは、
皇国史観狂という宗教的な観念論なだろう。

917日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:52:43.71
>>901
纒向は
調査段階だから期待せよ
畿内説の学者は確定的な事は言っていない
最有力候補なのだ

918日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:54:37.42
畿内説悔しそうだなw w

919日本@名無史さん2018/06/17(日) 19:57:35.07
>>874
>現代人の知らない未知の単位があったんじゃない
間違った距離情報があっただけだ
なぜなら、規則性がないから<

魏志に書かれた里は、
「南→東」などの嘘つき騙しの現代大和説人種には判らないだけであり、
魏の役人や陳寿が確認した情報であっただけで、
間違った情報ではない。
何故なら、秦漢朝時代の里の6分の1位の里距離の記載で統一されている、
という規則性があるから。

920日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:00:20.44
>>875
>もう観念して欲しいものだな <

「南→東」などの嘘つき騙しの大和説者は、
既に嘘つき・・・・詐欺師であった事がバレバレだから、
もう観念して欲しいものだな。

921日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:02:16.61
>>917
税金の無駄使い やめれ

922日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:08:36.61
>>887
>グラヴィトンという存在は、万有引力に拠る重力場の凝集、として説明され、<

>どうしてこういうバカをさらして平気なんだろう?<

この男は、
場の相互作用が、全ての素粒子の存在の原因になっている、
という事が判らず、
何故バカをさらして平気なんだろう?。

923日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:10:34.80
畿内説完敗ですね。

924日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:13:42.27
纒向の復元はまだ早い
そんな金が有れば、
近くの田畑を掘ったほうが良い

925日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:26:47.35
>>922
>場の相互作用が、全ての素粒子の存在の原因になっている、

本当に、何も、分かっていないww
現代物理学で、力がどのように記述されているか、根本を理解していないww

その程度の理解で、プラズマ化すると崩壊確率が上がるっていう嘘をつき続けているw

本当に大学に行ったのかい?
どこの大学なのか、言うてみ?
恥ずかしくて言えないか?ww

926日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:28:13.33
>>889
>>足底は、脚ではないよ。<

>足首から先の部分を表す文字が「脚」だ
「手長」に当たる長さを言うなら「脚長」になる<

ウソを付くな。

[常用漢字] [音]キャク(漢) キャ(唐) カク(呉) [訓]あし〈キャク〉
1 ひざから下の足。転じて、足全体。「脚下・脚部・脚力/健脚・双脚・馬脚・飛脚」
2 ある範囲の下側。「脚韻・脚注/山脚」
3 支えとなるもの。物事の根拠。「三脚・橋 ...
デジタル大辞泉

>足底長さが「歩」と書かれることはないよ<

周髀算経からは、「1歩≒25cm≒足底長」になる。

>>862さんも、
ちなみに「止」の象形文字は片方の足跡
これも画像検索してね
と書いておられた。

927日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:31:16.51
紅花花粉の炭素年代測定の結果まだか
もしくは出てるが都合が悪い結果か

928日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:37:37.41
>>891
>「郡から邪馬壹國」だという証拠は?<

「水行十日陸行一月」という日数の数量記載の対象は、
その直前の文言の「女王之所都」という事になり、
それは、郡からの行程移動の目的地になるから。

929日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:39:41.97
>>892
>>「南→東」などの嘘つき騙しのように、
いつも、何の根拠もなく、都合の悪い史料記載を否定曲解する・・・・詐欺師なのが、
大和説者。<

>根拠がないという証拠は?<

「南→東」は、根拠がない。

930日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:44:51.68
キウス

931日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:45:07.48
>>898
>南の記述が間違いなら<

「南」なんて、間違える人ははいない。

>径百歩も間違いかも<

径百歩も計測だから、殆ど間違えない。

>畿内説で議論すべきだな、

畿内なんて存在しないから、大和説者の嘘つき騙しの文言。

932日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:46:43.31
>>899
>空想だけでは意味がない<

大和説は、「南→東」などの空想だから、意味がない。

933日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:52:03.58
>>900
>(1歩=6尺)そりゃ始皇帝の時代にはそんなもの無いからな 変わるわけもない<

周代までは周髀算経の一寸千里で「1歩≒1尺」であったし、
秦直後の淮南子も、一寸千里を使っているから、
始皇帝が変えたのであり、悪い。

934日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:52:16.72
>>929
だから、根拠がないという証拠は?

935日本@名無史さん2018/06/17(日) 20:59:45.23
>>905
>畿内説では方位は間違いで<

畿内なんてなかったし、
周髀算経や礼記に「東西南北」の方位の決め方が書かれているから、
「方位は間違い」は、問題があるし、悪い。

>径百歩は正当としてるが なにか問題ある?<

前方後円墳では、「径」は前方部〜後円部の「長径」になり、
箸墓は×だから、問題があり、悪い。

936日本@名無史さん2018/06/17(日) 21:04:20.22
>>909
>ふつう反論もしないで否定はできない<

大和説者は「南≠東」に、
反論もしないし、
だから、否定も出来ない。

937日本@名無史さん2018/06/17(日) 21:06:53.87
しないって証拠は?

938日本@名無史さん2018/06/17(日) 21:08:50.46
>>917
>纒向は 調査段階だから期待せよ
畿内説の学者は確定的な事は言っていない 最有力候補なのだ、<

「南≠東」だから、最も可能性がない遺跡の一つであり、
「最有力候補」ではない。

939日本@名無史さん2018/06/17(日) 21:25:05.20
>>925
>>場の相互作用が、全ての素粒子の存在の原因になっている、<

>本当に、何も、分かっていないww
現代物理学で、力がどのように記述されているか、根本を理解していないww、

wwは、
重力場が全ての物質の存在の座標系になっていて、
他の場との相互作用(=力)で、その物質の位置や存在を確認出来る、
という「場の根本的な論理」が判っていない。

940日本@名無史さん2018/06/17(日) 21:48:50.71
>>935
>箸墓は×だから、問題があり、悪い。

で、祇園山でも平原1号墓でもいいけど、どこをどう計ったら径百歩になるんだ?

941日本@名無史さん2018/06/17(日) 21:50:03.29
>>939


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



今言えサギジジイ!

942日本@名無史さん2018/06/17(日) 21:55:28.12
参詣径が百歩なんだろ

943日本@名無史さん2018/06/17(日) 21:56:02.43
>>926
>ちなみに「止」の象形文字は片方の足跡

お前本当にバカだな!

「止」の象形文字が片方の足跡で、「𣥂」の象形文字がもう片方の足跡
二つ合わせて、複歩で「步」だ!

「𣥂」が表示されなかったら「少」だと思いな

944日本@名無史さん2018/06/17(日) 21:57:42.47
>>942
>参詣径が百歩なんだろ

そんなことが「どこに書いてあるんだ?」
あんまり笑わせるなよw

945日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:00:28.65
>>939
>重力場が全ての物質の存在の座標系になっていて、
>他の場との相互作用(=力)で、その物質の位置や存在を確認出来る、
>という「場の根本的な論理」が判っていない。

そういう思いつきのウソじゃなくて、少しは意味のあることを書けよ

これには答えられないのかい?
「本当に大学に行ったのかい?
 どこの大学なのか、言うてみ?
 恥ずかしくて言えないか?ww」

946日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:04:02.87
>>944
「径」って小道という意味だよ

947日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:05:48.41
>>944
説文「径:歩道也」
http://www.zdic.net/z/19/sw/5F84.htm

948日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:12:02.21
>>926
>ウソを付くな。

嘘を吐くな!
日本語じゃなくて中国語で考えなきゃダメだろう!
漢典http://www.zdic.net/z/22/js/811A.htm
1. 人和某些动物身体最下部接触地面的部分 で、
英語だと feet が第一義で、書いてあるだろうが!

漢文読めない人間が、ぐだぐだ言ってもムダ

949日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:19:34.87
>>946
>「径」って小道という意味だよ

それを言う奴はこれまでにも何人もいたけど、「そういう意味もある」ってだけで、
径百歩を「小道は百歩」と訳したら意味が通らないだろう?

卑彌呼以死大作冢徑百餘歩
これの解釈で
「卑弥呼が死んだ 大いに冢を作る さし渡しは百余歩」というのと
「卑弥呼が死んだ 大いに冢を作る 小道は百余歩」というのと、
どちらが自然に読めるか考えてみなよ

そもそも百余歩でどこまで行けるんだ?
その小道はどこからどこまで?

950日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:20:15.06
>>940
>>箸墓は×だから、問題があり、悪い。<

>で、祇園山でも平原1号墓でもいいけど、<

私は、卑弥呼の墓は、(平原ではなく)祇園山説だ。

>どこをどう計ったら径百歩になるんだ?<

殉葬墓群のある墳裾の、外縁部だ。

951日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:24:15.95
>>943
>「止」の象形文字が片方の足跡で、「𣥂」の象形文字がもう片方の足跡<

どこが「片方の足跡」になっているんだ?。

952日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:24:40.90
いい加減畿内説っていうネーミングやめたらいいのに。
邪馬台国はヤマト国だろ。
何で関係のない他の畿内を巻き込もうとするんだろ?

他の畿内の人々は、邪馬台国や初期の大和朝廷みたいな縁起悪いものと関係ないんだけどな

953日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:25:45.62
壱岐に三千家がある可能性は当時の人口的にない
三韓に十五万家以上ある可能性は当時の人口的にない
当時千人以上収められる一つの建築物はない
当時径百歩の冢などない

「破賊文書旧以一為十」

三国志には実際に十倍されている記述が散見される
韓と倭の里数、日数、戸数、奴碑数、冢の径数もまさにそれであろう

954日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:27:07.33
>>945
>>重力場が全ての物質の存在の座標系になっていて、
他の場との相互作用(=力)で、その物質の位置や存在を確認出来る、
という「場の根本的な論理」が判っていない。<

>そういう思いつきのウソじゃなくて、<

思いつきではなく、自然の実態だ。

955日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:28:57.32
>>949
「さし渡し」なんて意味は当時はないよ

956日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:51:22.69
>>953
>壱岐に三千家がある可能性は当時の人口的にない<

壱岐ではない。一大國。
吉野ヶ里で千戸位だから、三千家は十分可能性があるし、
そもそも、陳寿の情報源は、魏使らの記録。

>三韓に十五万家以上ある可能性は当時の人口的にない<

倭が十五万家であるんだから、三韓にあってもおかしくないし、
そもそも、これは、郡役人たちの記録が元。

>当時千人以上収められる一つの建築物はない<

当然、「居處宮室樓觀」の周りに竪穴式が沢山あっても十分。

>当時径百歩の冢などない 、

楽浪太守の墓や、祇園山がある。

>「破賊文書旧以一為十」 三国志には実際に十倍されている記述が散見される
韓と倭の里数、日数、戸数、奴碑数、冢の径数もまさにそれであろう<

「散見」では、根拠にならず、
そもそも、韓と倭の里数、戸数、奴碑数、冢の径数は、陳寿ではなく、
魏使らや、魏や郡の役人らの記録が元。

957日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:53:32.64
>>955
>「さし渡し」なんて意味は当時はないよ

魏志倭人伝と同じ、三国志の用例

三國志卷十八/魏書十八/二李臧文呂許典二龐閻傳第十八
太祖行酒、韋持大斧立後、「刃徑尺」

これは「小道」では意味が通らないでしょ?
「刃のさし渡しが尺」以外に解釈はないと思うけど?

三国志の記述だから、「当時」で間違いないよな?

958日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:57:39.82
>>954
>思いつきではなく、自然の実態だ

ほら、すぐ馬脚
自然の実態じゃなくて、現代物理は数学的なモデルなんだよ
そこが分かってないから、徹頭徹尾、適当で間違ったことを書き続けているww

で、相変わらず、これには答えないのかい?
「本当に大学に行ったのかい?
 どこの大学なのか、言うてみ?
 恥ずかしくて言えないか?ww」

959日本@名無史さん2018/06/17(日) 22:58:04.89
用例とか同時代性とかをことごとく無視したりねじ曲げたりするのが伊都クズ

960日本@名無史さん2018/06/17(日) 23:00:07.76
>>951
>どこが「片方の足跡」になっているんだ?。

これも何度も貼ってるんだがな
https://f.jigen.net/img/fn/k/1/70/27497o1.png

前が「止」で後ろが「𣥂」の象形文字
二つ合わせて「歩」になるんだよ

961日本@名無史さん2018/06/17(日) 23:20:34.88
祇園山古墳のWikipedia、えらい適当な編集がされてるな
葺き石のある方墳で2段築成だし、完全に古墳時代に入ってからのものなのに
冒頭で「三世紀中期のものと推定され」と根拠なく書いてあって、
古墳のサイズその他のテンプレ部分では、「2世紀中期」と書いてあるww

とりあえず、ページの問題点に
「出典がまったく示されていないか不十分です。
 内容に関する文献や情報源が必要です。(2018年5月)」
って書かれてるけど、九州説のやり口そのもので笑える

962◆UiepmfCeDJqf 2018/06/17(日) 23:35:01.39
新スレ立てました。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1529244234/

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*前スレが終了してから書き込んでください。

なお、書き込みは
 邪馬台国畿内説に関係が有って
 根拠のある内容をお願いします。
 畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。

 前スレ終了以前の書き込みは荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

963日本@名無史さん2018/06/17(日) 23:36:10.26
韓、倭を服属させた司馬懿の功績に手をつけることを恐れたため韓・倭の権威・国力に関わる数字が10倍のまま修正されていないと仮定した場合
水行二十日、水行十日、陸行一月、奴碑千人、径百余歩、殉葬百人も10倍されていると見るべき

水行・陸行は漢書西域伝と比べて不自然なほど整った数字が記載されているのも10倍されているとしたら合点がいく
10倍された場合は元がどんな数字でも10の倍数になるからだ

邪馬台国の七万戸は一戸5人なら35万人で日本の総人口60万人の半分以上
魏志倭人伝記載の戸数計14万9千戸で日本の総人口は軽く超えて、狗奴国も傍余国も倭種の国も全部存在できない

壱岐島三千家はあの狭い島に15000人/60万人で日本の総人口の約1/40も壱岐島にいる計算になる
明治時代の30000人/4000万人の約1/1333と比べて異常な数値である

奴碑千人に関しても守衛や役人の数も含めたら宮殿内部の働き手の数は千人を優に超えるであろう
仮に2000人だとしたら、当時の日本の人口の300分の1という凄まじい数が宮殿に集結することになる
当時2000人が住める建物はおろか集落すらないだろう

径百余歩も同時代それに相当する冢はないが、10倍なら候補はいくらでもある
平原一号墓などは副葬品だけ見れば卑弥呼の墓の条件を満たしていると言えるが大きさが足らなかったがこれで綺麗に収まる
周濠の土壙墓の数も一致する

964日本@名無史さん2018/06/17(日) 23:41:42.38
韓と倭の戸数里数の異常性の考察


高句麗 方可二千里 戸三万
3万戸/2千里=15

夫餘 方可二千里 戸八万
8万戸/2千里=40

韓 方可四千里(四百里)
馬韓 総十万余家(一万)
弁辰 総四五万家(四五千)

15万家/4千里=37.5
(1万5千家/4百里=37.5)

面積は誇大なのは確実なので面積を1/10に直して家数を直さない場合
15万家/4百里=375

当時の日本の人口予想が約60万人
韓の家が平均4人以上なら、半島南部だけで日本の総人口を上回る計算
扶余の10倍近く、高句麗の25倍という韓の人口密度は異常
よって韓の家数も里数同様に誇張されているとみて間違いない

965日本@名無史さん2018/06/17(日) 23:49:03.27
つまり全ての数字が10倍に誇張されていたと。
やはり卑弥呼の墓は平原遺跡か。

966日本@名無史さん2018/06/17(日) 23:54:15.58
>>963
>径百余歩も同時代それに相当する冢はないが、10倍なら候補はいくらでもある

ただ一人の倭王のための墓、大作冢と特記された墓が、
いくらでも候補があるような凡百の墓ではおかしいとは思わないのかねぇ
時代が合う厚葬墓で、最大の墳丘を持つものが第一候補だよ

「径百余歩も同時代それに相当する冢はないが」となるのは、恣意的に
倭国を九州限定にしているから
北部九州の外には、古墳時代に入る前から巨大な墳丘を持つ首長墓が、
吉備、出雲、丹波、大和で作られるようになっているよ

そういうのをすべて無視して、無理やり倭国を九州限定にしないと
成りたたないのが九州説

967日本@名無史さん2018/06/17(日) 23:59:28.40
>>963
>副葬品だけ見れば卑弥呼の墓の条件を満たしていると言えるが

魏晋代の舶載鏡が一枚も副葬されてないんですがそれは?

968日本@名無史さん2018/06/18(月) 00:00:52.71
>>934
南は南だからネ

969日本@名無史さん2018/06/18(月) 00:08:28.66
径が小道だとしたら
箸墓には円部の直径に近い直線の小道があったことにならないか

970日本@名無史さん2018/06/18(月) 00:24:06.97
>>942
>参詣径が百歩なんだろ <

参詣径だとしたら、
前方後円墳は、遺体は円墳の頂上に埋葬され、方墳はあくまで頂上に至る通路としての役割として
径百歩はどこからどこまで??

971日本@名無史さん2018/06/18(月) 00:33:02.84
>>966

卑弥呼の冢が築かれた時代を考えてみよう
卑弥呼の死の直前は
倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状
卑弥呼の死後は
更立男王國中不服更相誅殺
という戦乱の時代

築造年数 約15年8か月
作業人数 約680万人
費用    約800億円

これは仁徳天皇陵の試算だからこれよりかは幾分少なくなるだろうが、これほどの年数、人員、費用を戦乱の時代に墓造りに割けるだろうか?
いや割けない、戦争・戦乱でそれどころではないはずだ

箸墓が時代が合うというのも眉唾
畿内説の寺澤薫の土器編年でも3世紀後半で卑弥呼の墓ではないとしている
関川尚功編年では4世紀中頃で年代は全く合わない
安本美典、小沢一雅などによる統計学的処理でも4世紀中頃を指す
炭素年代測定法は年輪年代法の絶対年代を基にした暦年こう正ができていないため参考程度にしかならない
このような状況で一体何を根拠に箸墓古墳を卑弥呼の死と同時代とするのであろうか

972日本@名無史さん2018/06/18(月) 00:40:29.66
>>967

魏晋代の仿製鏡がある
さらに中でも目を引くのは長さ120cmの鉄素環頭大刀だ
一尺は約24cm、五尺は約120cmこの刀は魏から二口下賜された五尺刀にぴったりである

973日本@名無史さん2018/06/18(月) 05:14:21.73
>>972
魏晋代のものだという根拠なし

974日本@名無史さん2018/06/18(月) 05:52:35.75
平原のは120cmじゃないだろ

975日本@名無史さん2018/06/18(月) 05:59:15.82
>>971
関川尚功編年とか大昔の、しかも調査報告書で没った編年を持ち出しても
なんの反論にもならないでしょ

976日本@名無史さん2018/06/18(月) 06:04:45.53
五尺刀でない

977日本@名無史さん2018/06/18(月) 06:07:46.44
つか、仿製鏡じゃダメだし

978日本@名無史さん2018/06/18(月) 06:55:47.38
伊都説ボロボロだな

979日本@名無史さん2018/06/18(月) 07:08:27.07
ボツった関川変年 w

980日本@名無史さん2018/06/18(月) 07:16:57.71
大学出たての時の作だもの
拙劣なのは仕方ない
問題は何年経っても間違いを直さないこと

981炭素年代法の結果に恣意があるのでは2018/06/18(月) 07:18:52.95
炭素年代法

纒向の桃の種   ( 纏向学研究センター)
    西暦135〜230年

卑弥呼の死亡時期 (倭人伝)
    西暦247〜248年
箸墓古墳の土器付着物  ( 国立歴史民俗博物館)
    西暦240〜260年築造 

        ⇧
纒向は、100年余りの誤差があるが・・・・2世紀から3世紀に持って行きたい??? 
箸墓は20年の誤差・・・・・卑弥呼の没年近くに持って行きたい?????

982日本@名無史さん2018/06/18(月) 07:26:03.61
誤差って意味、わかってる?

983日本@名無史さん2018/06/18(月) 07:26:35.21
畿内説は年代詐欺を積み重ねているわけだ。
捏造史観、神の手だな。

984日本@名無史さん2018/06/18(月) 07:41:56.96
負け組の九州説さん

もう中傷しか打つ手がないんですか?



ww

985日本@名無史さん2018/06/18(月) 07:45:37.14
いろんな研究者の言うことがだんだん纏まってきたな
そろそろ邪馬台国は畿内ということで決着がつきそうだ

986日本@名無史さん2018/06/18(月) 07:47:52.57
指差し爺っさんマルチポストか

987日本@名無史さん2018/06/18(月) 07:50:22.32
>>981
矛盾なくまとまって来たね

988日本@名無史さん2018/06/18(月) 07:52:28.02
>>969>>970
>参詣径だとしたら、
>前方後円墳は、遺体は円墳の頂上に埋葬され、方墳はあくまで頂上に至る通路としての役割として
>径百歩はどこからどこまで??

前方後円墳に参詣径を考えてる人はいないよ?
何言ってるの?

参詣径ってのは、平原1号墓をなんとか径百歩にしようという、
恣意的な無理読みだよ

989日本@名無史さん2018/06/18(月) 07:56:54.03
九州説、頼みの綱は我流トンデモ読みかw

990日本@名無史さん2018/06/18(月) 07:58:16.60
>>948
>嘘を吐くな! 日本語じゃなくて中国語で考えなきゃダメだろう!
漢典http://www.zdic.net/z/22/js/811A.htm
1. 人和某些动物身体最下部接触地面的部分 で、
英語だと feet が第一義で、書いてあるだろうが!<

国民を騙すなよ!。
「脚」は、「身体最下部接触地面的部分」であり、足の最下部部分であり、
膝付近から足底の事を言っている事になるから、
「複歩」や「単歩」や「歩の定義」とは関係ないではないか。

991日本@名無史さん2018/06/18(月) 08:02:53.06
>>990
だから「歩」を靴のサイズだぁみたいにいうのはナンセンスな珍説
そうなら「歩」じゃなくて「脚」を使うだろって話

992日本@名無史さん2018/06/18(月) 08:03:07.00
大阪北部 震度6弱

993日本@名無史さん2018/06/18(月) 08:04:57.70
それどころじゃない

994日本@名無史さん2018/06/18(月) 08:07:05.38
>>951
>>「止」の象形文字が片方の足跡で、「𣥂」の象形文字がもう片方の足跡<

>どこが「片方の足跡」になっているんだ?。<

その投稿をされた方に聞いてみな。

995日本@名無史さん2018/06/18(月) 08:11:22.20
>>956
反論否定済み。

この投稿も、
都合の悪い情報を否定隠蔽して、ヘイトスピーチ的批判投稿をする、
おそらく大和説者に特有の・・・・の投稿ね。

996日本@名無史さん2018/06/18(月) 08:14:42.87
>>995
ザラこくは自分の投稿を反論否定済みか
結構なことだ
地震は大丈夫か?

997日本@名無史さん2018/06/18(月) 08:22:11.15
>>958
>>(重力場が認識の座標系)思いつきではなく、自然の実態だ<

>ほら、すぐ馬脚 自然の実態じゃなくて、現代物理は数学的なモデルなんだよ<

ほら、すぐ馬脚。
物理学も数学も、「存在する自然現象に関する近似的な説明論」に過ぎないんだよ。



そこが分かってないから、徹頭徹尾、適当で間違ったことを書き続けているww

998日本@名無史さん2018/06/18(月) 08:22:17.59
都合の悪い情報を否定隠蔽して、ヘイトスピーチ的批判投稿をするのは
九州説のお家芸だろう

証拠はそこら中に転がってる

999日本@名無史さん2018/06/18(月) 08:26:19.54
あらゆる学問を否定する九州説w

1000日本@名無史さん2018/06/18(月) 08:26:57.49
大体もう畿内説で決まりだからな

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