>>299 の言語分布の地図ってのは、漢字氏姓以前と言うより現代ではないのかな?
文字で残せないものが、音が残せるかね? 語り部w 地域性は無理でしょ?

と言うより、縄文から弥生に人種的変化が認められて、言語変化や氏名、文字の普及が無い?
土人文明が海渡って普及したのか? 土器厨だの水田耕作だの、なんの話だよ。

倭人伝に話を戻すと、前2行しか語ってなかった >>6
147年に張政が見た九州だが、
下戸與大人相逢道路逡巡入草 傳辭説事或蹲或跪兩手據地為之恭敬 對應聲曰噫比如然諾

この時の、大人が卑弥呼時代の九州人と違う対応なことを言ってるのではないか?
對應聲曰噫比如然諾 ま、関西の関東人とは言わんが、
それまで、『えんちゃいます?』 とか、『もうかりまっか?』 なのが、
『あい』で、おわりw 配流豪族、貴族的尊大さ のように思うんだが?

240年から247年の間に、
一大率=国造、国司のような配流支配者を受け入れてると思うね。
領主とその家臣が配流されても被支配の農民は変わらないけど、
それ? 弥生化と矛盾しないか?

弥生時代と言うのは、縄文の数万年の原始共産制から、
土地や資本の私有化が軍事を伴って日本を席巻した、古墳時代への変革期であって
それに、それに、1300年もかかった訳で、地域性も相当考慮すべきなのに
考古学が土器ごときで、弥生期の編年、とか事態が へんやねんw

魏と卑弥呼の国交が発覚した247年以降、あるいは銅鐸期から古墳期の改革で
日本の政策に明確な変化が生まれたことは間違いない。