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【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬捌
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0001日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 06:56:12.12
九州に決まっとろうが
福岡県山門郡、筑紫、糸島、大宰府、鐘崎、鹿児島県川内、出水、阿久根、宮崎県日向、延岡、高千穂、熊本県熊本、阿蘇、八代、球磨郡、人吉、佐賀県唐津、伊万里、長崎県松浦、佐世保、雲仙、島原、天草、潜木、塩田周辺を今すぐ発掘せよ!

邪馬台国畿内説の根拠は
邪馬台=大和=奈良(完)と言う
風潮に論理的に反論するスレです
九州中南部説、九州南部説、魏志倭人伝から邪馬台国の位置を推測する議論等々も大歓迎です!

※泡チョンコなどの荒らしはスルーで
推奨NGワード… 「阿波」「忌部」


【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬漆
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1566335692/
0002日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 06:58:40.88
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない

【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
>沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける

【嘉興府志】
https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
>{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし
0003日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 06:59:19.00
ついに「南水行十日陸行一月」の謎が解けたyo!
魏志倭人伝の核心は「倭国(女王之所都)=計其道里 當在会稽東冶之東(その道里を計るに、まさに会稽東冶の東にあるべし)」の一文。

1.西晋初代・武帝司馬炎は、祖父・司馬懿仲達(秀吉)を後見人に指名してくれた大恩人・曹叡(信長)の、(実は呉より北にいた)卑弥呼を特別待遇してしまった判断ミスを正当化し、呉を滅ぼす先鞭を付けた賢帝に仕立てる必要があった。
→曹魏の帝都・洛陽から見て東南にある孫呉との戦いにおいて、その背後に倭国「女王之所都」があれば、最高の牽制となる。
→孫権の帝都・建業とほぼ同緯度の会稽郡「東治(シ・さんずい)」ではなく、そこから更に約580km南で、帯方郡から12,000里の「東冶(ン・にすい)」の東にあると思わせたい。
2.しかし本当の位置も残さなければならない。
3.ところで倭国の気候&風俗(服装、産物、動物、武器)は、南越(ベトナム)国境にある海南島の大陸側、儋耳朱崖に似ている。

そこで陳寿が行った忖度が、女王国(九州)島が、狗邪韓国(伽耶)の南から儋耳朱崖(ベトナム国境)まで届く、中国大陸をすっぽり包み込む「南北に」長大な2つの列島であるように思わせるテクニック。
まず、正解の【奴国@】と、「當在会稽【東冶】之東」となる幻の【奴国A】を設定。
「奴国」を2回使って「女王之所都」が「奴国だよ、奴国だよ」と正解の【奴国@】を暗示(ダチョウ倶楽部「押すなよ、押すなよ」←2回目の念押しがポイント)。
次に、投馬国(宮崎)から南水行十日にある奄美大島を南に引き伸ばして、女王国島のパラレルワールド「邪馬台国島」を、そこに東治⇔東冶間の「陸行(徒歩)一月」を転用して幻の【奴国A】を創り、「東冶(ン・にすい)」の東に「女王之所都」を合わせた。
同時に倭国に行ったことがある中国知識人には「陸行一日(奴国)」の間違いとすぐに気が付くようにもした(「日」の両端の棒を下に延ばし日+Л→「月」)。
卑弥呼は、漢委奴国王以来の奴国王・帥升「其國本亦以男子為王 住七八十年」の男系女子(孫娘)で、先祖である歴代倭王(死者=鬼)の神託を聞くイタコとして(鬼道政治)、北部九州30カ国から共立された巫女(斎王)。
邪馬台国七万戸=奴国二万戸(福岡平野)+(南の狗奴国に狙われた)後背地・筑紫平野五万戸。
0004日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 06:59:23.74
>>2により邪馬台国までの所要時間は水行ならば10日、陸行ならば一ヶ月であると確定したが、
同時に行程が放射読みで書かれていることも導かれる

なぜなら前段に書かれている投馬国へは水行20日とあるので、連続読みならば、訪問者は投馬国に着いた時点で必ず船に乗っていることになる
20日間も船に乗って投馬国まで来たのに、そこからわざわざ船を乗り捨てて3倍も時間の掛かる陸路を選ぶ理由が存在しない
そのままあと10日船で行けば済む話であるから、もし連続読みで記載しているのならば投馬国からの陸路なんて記載する必要が無い

そうではなく、行程が放射読みで書かれているため、伊都国を経由して邪馬台国へ行こうとする中国人への道案内のための文章としては
彼らが船を確保できていないケースも想定しなければならない
なぜなら末廬国から伊都国までは陸行だと書いてある以上、伊都国に到着する中国人は船に乗っていないわけだからな
そのため時間さえかければ陸路でも行けることを併記する必要があった

つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
水行のみで行ける場所なので海か大河のほとりであり、かつ陸行も可能なので伊都国との間に通行不能な山塊などは存在しない地域、となる
0005日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 07:00:12.78
>>3の図解(模式図)だyo!【魏志倭人伝の倭国観】
   ┏━━┓帯方郡  ┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
←┐┃黄海┗狗邪韓国┛(伽耶)〜〜〜日本海〜〜
洛陽┃〜〜〜↓↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━━━━━━━━━━━━━━
【魏】┃〜対馬▲↓南「水行10日」〜〜〜〜┃「女王国東渡海1,000里 複有国 皆倭種」 
 ↓ ┃「瀚海」↓↓玄界灘〜〜〜〜〜〜〜┗━━━━━━━━━━━┓
   ┃〜壱岐▲↓〜〜〜〜┌南「水行10日」┐関門海峡〜瀬戸内海▲┃
v✖s┃〜〜┏末盧━━━━↑━━━━━┓↓〜〜〜〜┏━━━┓〜┃ 
   ┃〜〜┃伊都国→不弥国▲▲▲▲▲┃↓〜〜〜〜┃侏儒国┃〜┗━━━┛
 ↑ ┃〜〜┃▲↘「陸行1日」(正)‗▲▲▲▲↓国東半島┗━━━┛「在其南 人長3〜4尺
【呉】┃〜〜┃♀奴国@【女王之所都】▲▲┃↓豊後水道〜〜〜〜〜去女王4,000里」
建業┃〜〜┃狗奴国▲▲▲▲▲▲投馬国←┘宮崎平野=南「水行20日」
会稽┃〜〜┗━━女王国島━━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜
東治┃〜東シナ海〜┌南「水行10日」〜〜〜〜〜〜〜〜
   ┃〜〜┌┌←←▲奄美大島┐↙陳寿の創作(女王国島のパラレルワールド)↓
 ↓ ┃〜〜│↓「陸行1月」(幻).│←「自女王國以北其戸数道里可得略載※」(北部九州30カ国)
   ┃〜〜│↓〜▲〜〜〜〜〜│亶州(沖縄)〜↓「自郡至女王国 12,000里」
東冶┃〜〜│♀奴国A(幻)〜〜│←『【女王之所都】計其道里 當在会稽「東冶」之東』(魏<西晋のプロパガンダ)
   ┃〜〜│▲狗奴国(幻)〜〜│夷州(台湾)〜↑「此女王境界所尽 其南有狗奴國 不属女王」
香港┃〜〜└┐〜〜〜〜〜〜〜│←「※其余旁国(幻)遠絶 不可得詳」
┏▲海南島〜└邪馬台国島(幻)┘〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
┃↖儋耳朱崖〜〜南シナ海〜〜「所有無與儋耳朱崖同(服装・産物・動物・武器)倭地温暖冬夏食生菜」
┛←南越(ベトナム)〜〜〜〜〜↘▲裸国フィリピン〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜↘▲黒歯国インドネシア▲パプアニューギニア「複在其(奴国A)東南 船行1年」
0006日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 07:03:19.83
>>1
おつ
0007日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 07:05:42.19
>>3
>>5
卑弥呼の魏帝への朝貢目的は、蜀の牽制として西のインド・クシャーナ朝「親魏大月氏王」同様、呉の牽制として東の「親魏倭王」号を取得し、帯方郡が管理している「伽耶の鉄」の倭国における輸入独占権の確保(郡宛て書簡封泥用の金印「親魏倭王」)。
つまり狗奴国戦争における後方支援(後に援軍)要請だったわけで、南の狗奴国の位置が決まれば、自動的に北の邪馬台国の位置も決まることになる。
長年続く邪馬台国所在地論争の核心は、実は狗奴国の位置であることに留意されたい。
そこで九州説、畿内説における狗奴国を検討すると、以下のようになる。

−女王国 東渡「海A」千余里 複有「国B」皆倭種(〇九州説…A関門海峡・B本州、✖畿内説…A鈴鹿山脈・B北海道)
−其南有狗奴國 不属女王(〇九州説…熊本もしくは薩摩、✖畿内説…仲良し東海)

畿内説はいずれも当てはまらない上「複有国(東)」と「狗奴国(南⤴東)」が重複し混乱が生じる。
また、軍事力(鉄製武器)も通信手段(文字・駅伝制=早馬)もない3世紀の畿内にいて、遠隔の北部九州を安定支配するのは物理的に不可能。
魏志倭人伝を史料として採用する以上、消去法によって九州説が正しいことになる。
では、狗奴国が熊本平野か鹿児島川内(せんだい)平野かだが、邪馬台国七万戸を統治している女王卑弥呼をして、魏の明帝曹叡に援軍要請させるほど窮地に陥れる(狗奴)国の国力を考えると、
その人口は邪馬台国と同等(七万戸)もしくはそれ以上の人口(八万戸)と想定。
面積から見て、狗奴国が川内(せんだい)平野でゎ3世紀の開墾能力では限界があると思われ、狗奴国は菊地平野(狗古智比狗の本拠)+熊本平野+八代平野の3平野を合わせた超大国と考定して、
北の邪馬台国は、吉野ヶ里遺跡を始め弥生拠点集落の宝庫「筑後川の賜物」筑紫平野、卑弥呼王宮は扇状地の最高所・甘木朝倉と確定。
卑弥呼の冢「大作冢径百余歩(尺)=0.25m×100歩=直径25m」は、3世紀中頃の築造で、筑紫平野を一望でき、同時期の殉葬者が少なくとも66人以上確認されている「有棺無槨」祇園山古墳(リンク参照)を比定。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
0009日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 07:12:14.62
>>7すると、欽明(現・皇室の開祖)の父にして、古代史の謎である継体の正体(呉の南の「越」王の分家=狗奴国・卑弥弓呼末裔/八代淡海→「近江」)も判明!古代史は以下のように一挙に解明できるのである!

漢委奴国王=1世紀(弥生後期)
帥升=2世紀(倭国大乱)
卑弥呼=3世紀(弥生終末)邪馬台国(帯方郡張政の仲介で狗奴国を併合)…伊都国王神武「更立男王国中不服」を派遣し、紀伊半島西部水銀鉱床で栄えていた大和纏向を征服させ、奥津城(王家の谷)として隠蔽&独占。
崇神朝=4世紀(前期古墳)伊都国(台与死後「複立男王並受中国爵命」)…垂仁、伊勢神宮を創建し紀伊半島東部も聖域化。紀伊半島の水銀鉱床完全独占。
応神朝=5世紀(中期古墳)邪馬台国(仲哀を武内宿彌&神功が暗殺)…魏晋>【宋>斉>梁】南朝へ朝貢再開。479年「武」上表「安東大将軍倭王」に任官(悲願達成)。
継体朝=6世紀(後期古墳)狗奴国(武烈死後、倭王磐井を暗殺「百済本紀531年、日本の天皇・皇太子・皇子共に薨去」、筑紫君と矮小)…阿蘇邪靡堆へ遷都。倭国独自(九州)年号創設。
日出処「天子」倭王阿毎多利思比孤、新羅の朝貢を契機に隋煬帝に対し対等外交宣言607年
欽明朝=7世紀(飛鳥時代)…仏教伝来による墓制(国家祭祀)変更のため、欽明皇子、蘇我稲目と共に奥津城(王家の谷)に下向。大和分家として飛鳥疎開宮造営。
用明&厩戸…物部守屋を誅殺し前方後円墳廃止。大和分家を乗っ取ろうとした蘇我氏を九州本家の天智が誅殺し、近江大津京へ東遷(大化の改新)。
天武朝=8世紀(奈良時代)記紀編纂→唐外交の火種【九州年号&多利思比孤】を抹消すべく、崇神朝〜応神朝〜継体朝の歴代倭王権@九州本家の交代が、すべて大和分家で起こっていたように史実歪曲。
畿内を記紀の歴史テーマパーク化(九州の地名を移植。朝倉&阿蘇外輪山→三輪山、八代淡海→近江琵琶湖など)
桓武朝=9世紀(平安時代)

まとめると、
九州本家…卑弥呼台与(邪馬台国)→崇神朝(伊都国)→応神朝(邪馬台国)→継体朝(狗奴国/阿毎多利思比孤)→天智東遷(難波宮大津宮)→桓武(平安京)
大和分家…神武(伊都国)東征→崇神朝奥津城造営(紀伊半島の水銀鉱床目的)↘欽明朝(推古摂政厩戸)→天武持統(飛鳥宮藤原京)→元明(平城京)
0010日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 07:18:48.24
>>8関連

247 :日本@名無史さん :2019/09/01(日) 03:43:37.83
邪馬台国は人口七万戸、奴国の3.5倍を誇る超大国として書かれている
単一の集落による都市国家ではなく広範囲に渡る領域国家でなければ不可能な数字だろう

余傍二十一カ国に対蘇国(トスこく)などがあるので筑後川の北側は邪馬台国ではなく共立国の領土のようだ
邪馬台国の範囲は筑後川の南側を北限とし、南は山鹿市のあたりまでと見る
山鹿市にある方保田東原遺跡は中九州最大の集落遺跡であり、菊池川を挟んで対狗奴国の最前線だと思われる
大量の鉄器が出土し、武器の割合が多いことからもそれが窺える

ここで見つかった家型土器の戸の部分は形状が明らかに引き戸ではなくドアである
そのせいか妙にモダンに見える
http://inoues.net/club6/add_kuma08.jpg

色々と興味深い遺跡である
http://inoues.net/club6/kumamoto_katouda.html


295 :日本@名無史さん :2019/09/02(月) 13:54:36.12
>>290日本@名無史さん2019/09/01(日) 21:48:24
>地形を見ると山鹿市と筑後山門(みやま市)の間は山間部だけど間道がありそうだな
>現在の国道443号線ルートで山あいを通り抜けられそうだ .
>うまくすると国道3号線ルートで八女方面にも抜けられたかもしれない

443号線と3号線のあいだにも県道4号線がある。山鹿から八女市本町へほぼ直線。
途中の峠越えは、自動車道化のためグネグネに見えるが、徒歩の場合はおおむね直線的。
このルートの良いところは、八女市手前(南)の 矢部川を、岩礁地帯を利用して簡単に渡れること。
八女本町からは、
国道3号線沿いに久留米方面へと、県道15号線?の城島経由で吉野ヶ里・佐賀市方面へも行ける。
0011日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 07:20:27.74
>>8関連

138 :日本@名無史さん :2019/08/28(水) 16:30:46.88
>>137
循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸 狗邪韓國 七千餘里
始度一海千餘里 至對海國

到其北岸 狗邪韓國で、とりあえず倭に到達したという認識なのかと思う。
主語の理解で、倭人伝は其や此、之と言う代名詞が何を示しているかを読むのは非常に重要。

また、循海岸水行が終わって、始度一海
この 始度一海 によって、到達後の新たな行程と直列している。

到伊都國 については、
東南 至奴国 百里 が続き、これには動詞が無い。 つまり、行程として書いてはいない。
東行 至不彌國 百里 は、これまでの直列行程の語順では、東行 百里 至不彌國、違いは
東行したら不彌国が有る ということで、奴国と並列した伊都近隣国の紹介である。
0012日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 07:22:14.64
>>9の続き
邪馬台国女王・台与の死後、倭王となった伊都国王・崇神朝「複立男王並受中国爵命」の玄孫(4世孫)・仲哀から王権を相続(奪還)した応神(胎中天皇)は、仲哀の実子ではなく、
筑紫女王・神功皇后(記紀が邪馬台国女王「卑弥呼」と混同させられる理由)と大臣・武内宿彌の子供説(リンク参照)がある(仲哀崩御の十月十日後に筑紫で出生)。
仲哀の息子(応神の異母兄)たち(籠坂かごさか&忍熊おしくま皇子)の反乱もこれが原因である。

ここに武内宿彌の正体も明らかになるのである!
崇神朝(伊都国系)の@景行A成務B仲哀、続くC応神(息子)D仁徳(孫)の5人の大王に仕えた彼は、筑紫邪馬台国女王・卑弥呼の男弟の末裔なのである!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%86%85%E5%AE%BF%E7%A6%B0

その応神朝@筑紫(邪馬台国系の♂武内宿彌&♀神功皇后)を筑紫君磐井の乱で下剋上した狗奴国王・継体@阿蘇は、仁賢皇女・手白香姫を娶って欽明皇子を産ませることで、歴代倭王統の維持を図った(倭国大乱の再発予防)。

この欽明皇子が義理の父・蘇我稲目とともに、古代東アジア標準の中央集権強化手段=仏教への国家祭祀(墓制)変更のため、奥津城(王家の谷)大和に下向して大和分家(飛鳥)を築き、
その次男・用明の代で、ついに強硬な廃仏派である大連・物部守屋を滅ぼして前方後円墳築造を廃止。その妹推古が仏教の国教化に成功。
しかし、全国の官寺建設で国家予算を恣にした蘇我蝦夷・入鹿父子が大和分家の皇族を次々に粛正し、乗っ取ろうとしたため、九州本家の天智@太宰府(瓦葺き)が飛鳥(板葺)宮に下向。三韓大使の目の前で誅殺(乙巳の変)。
その後、663年に白村江海戦での惨敗により、唐・新羅の連合艦隊による倭王征伐がいよいよ現実味を帯びたため、〔倭国独自(九州)元号を創設した継体朝の、「天子」を名乗ってしまったため、記紀に消された〕多利思比孤系統の九州本家・天智が、近江大津京に東遷。

ここに倭王権は史上初めて九州島を出て、近江大津京→飛鳥浄御原宮→新益藤原京→平城京→平安京へと続く畿内中心の歴史が始まるのである!
欽明以前の古墳時代の畿内には、記紀伝承地に大王宮が一つも出土せず(明治以降設置の石碑のみ)、巨大王墓と倉庫しか出土しないのは、そのためである。
0013日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 07:26:51.37
>>1
otu おつ、乙
0014日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 07:28:33.03
>>12の続き
ダイワとしか読めない大倭(後漢書東夷伝からの借用)を「ヤマト」と読ませるのはなぜか?
邪馬台国があったからではなく、その逆で、国内外(唐)に対し、新益藤原京を新設した畿内に筑紫邪馬台&阿蘇邪靡堆があったと思わせたかったからなのである!

白村江海戦惨敗で九州本家の天智が東遷した後、大和分家の天武が(確実に唐を刺激する、継体創設の倭国独自年号&日出処「天子」多利思比孤を抹消するための)歴史改ざん書である記紀を書かせ、
九州の地名をそっくり移植し、畿内を記紀の歴史テーマパーク化していったからで、そのテーマパークの名前が「大倭」(ヤマト)なのである!
また7世紀の隋・唐までの中国歴代王朝には、倭国は九州島のみと認識されていたことが判る。
魏志倭人伝「女王国(九州)東渡海千里複有国皆倭種(本州)又有侏儒国在其南(四国)」
旧唐書(原文略)
日本の使者Aは「日本国(本州)は昔の倭国(九州)とは別の国だった(九州から見て日が昇る)日辺にあったので、日本と名付けた」
別の使者Bは「倭と言う名前が優雅でないから日本と改名した」と言い、また別の使者Cは「日本(本州)は昔小国だったが、倭国の地(九州)を併せた」と言った。
来朝した使者ABCの態度が尊大で、真実を言っている様子がなかったので、中国は彼らを疑った。

事実は逆で、白村江海戦惨敗で九州本家が大和分家(近江大津京)に東遷後、実際はすべて北部九州で展開していた記紀の歴史テーマパークにするため大倭(後に大和)と書かせ、
発音だけ九州時代の都であった筑紫邪馬台〜阿蘇邪靡堆(ヤマト)としたということなのである!
ゆえに「魏志倭人伝」の年代記述に合わせて箸墓の築造年代を繰り下げて生まれた畿内説(他人の褌)、ならびに教科書に載っている古墳時代にあったとされるヤマト王権(定説)は、
超大国・唐(アメリカ・トランプ大統領)との友好親善を最優先課題とせざるを得なかった天武・持統朝が国家事業として遂行した、この複雑なからくりに惑わされて生まれた電波(幻想)で、
特に前者は、記紀(定説・ヤマト王権)というゴール地点から、考古学と魏志倭人伝という他人の褌で、どこまで史実(スタート地点)歪曲を定着させられるのか?という、社会実験に過ぎないのである。
0015日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 07:30:40.41
>>8関連
見づらいのでレス番やアンカーは割愛、誤字一部修正

安曇の祖とされる安曇磯良(あずみのいそら)には磯武良(いそたけら)という別名があり、五十猛(いそたける)と同一の可能性がある
恐らくイソタケルとは個人名というよりはイソの王という意味だろう
イソとは伊都、つまり魏志倭人伝にいう伊都国は後の安曇族の国だった可能性が高い

筑前国風土記逸文に、
「五十迹手(いとで)奏ししく、高麗の国の意呂山に、天より降り来し日桙の苗裔、五十迹手是なり。」
「天皇、即ち五十迹手を美めたまいて伊蘇志(いそし)と曰う。故れ、時の人五十迹手が本土を号けて伊蘇(いそ)国と曰う。伊覩(いと)と謂うは訛れるなり」
とあり、怡土郡が元々はイソという地名であったことが記されている
日本書紀によれば五十迹手は筑紫の伊覩県主(いとのあがたぬし)の祖

天村雲命の別名に天五多底(あめのいたて)がある
五十迹手(いとて)と同一人物の可能性がある
また射立神(いだてのかみ)という呼称もあり、伊達神こと五十猛と同一視する向きもある
そうすると天村雲命=五十迹手=五十猛=安曇磯武良

草薙剣の元の名が天叢雲剣なのは有名だが、ヤマタノオロチからこれを手に入れたのは素戔嗚命であり、その息子が五十猛とされる
スサノオが息子の五十猛=安曇磯武良=天村雲命に譲り、その佩剣となったから天叢雲剣なのではないか
天叢雲剣は皇室の神器となった後に熱田神宮に祀られているが、熱田神宮の大宮司は当初は尾張氏だった
尾張氏は安曇氏と同祖氏族
http://img-cdn.jg.jugem.jp/472/1262880/20190718_2587894.png
0016日本@名無史さん
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2019/09/18(水) 07:33:32.03
>>14
まとめると、663年8月の白村江海戦で(互いに先陣を競って無秩序な突撃を繰り返す)倭国水軍を全滅させた大艦隊を擁し、https://youtu.be/dTk54jNZtnE?t=3404
その気になれば、完全に無防備〔もはや陸軍のみ→夥しい神籠石(高句麗)式&朝鮮(百済)式山城の築造ラッシュ〕となった倭国に来襲し、天智の京都・太宰府を殲滅できた超大国・唐(外交)への忖度で生まれた記紀が消そうとしたのは、

A.倭国史上初めて九州島を出て、近江大津京に東遷した天智@太宰府以前の倭王権(崇神朝〜応神朝〜継体朝)が北部九州(筑紫邪馬台〜阿蘇邪靡堆〜天智太宰府)にあったこと
 →3王朝ともその奥津城(王家の谷)&新益藤原京を新設したばかりの畿内にあったことにした(記紀の歴史テーマパーク「大倭」→「大和」>聖徳太子「以和為貴」より)。
B.さらに、磐井の乱で応神朝@筑紫を乗っ取った、継体朝@阿蘇がやらかしていた3つの不都合な史実なのである!

@(武寧王の百済を完全属国化した)継体@阿蘇邪靡堆が創設した(時間の支配者=中国皇帝からの独立を意味する)倭国独自(九州)年号の創設
 →天智の倭京(太宰府)以前は全て抹消!(下記リンク参照)
A新羅からの朝貢で調子に乗って、世界の支配者「天子」煬帝相手に日出処「天子」を名乗ってしまった阿毎多利思比孤(冠位十二階)
 →同時期の大和分家・厩戸皇子と合成し、憲法十七条(以和為貴)「聖徳太子」を捏造&抹消!
B白村江海戦惨敗で唐新羅連合艦隊の倭王成敗(王族9親等全員処刑)に恐れ慄いた九州本家・天智@太宰府の、(裏口から船で高句麗に脱出できる)近江大津宮への遷都(臆病風→周辺国の笑い草)
 →舒明♂皇極♀の長男&斉明皇太子として大和分家に接続&統合!(皇極斉明重祚・天智天武兄弟の秘密)

-継体による倭国独自(九州)年号一覧
継体・善記・正和・教知・僧聴・明要・貴楽・法清・兄弟・蔵和・師安・和僧・金光・賢称・鏡當・勝照・端政・告貴・願転・光元・定居・倭京・仁王・僧要・命長・常色・白雉・白鳳・朱雀・朱鳥・大化・大長
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nengo/nengou.html
-熊本県玉名市和水町前原の石原家文書
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaiho122/kai12204.html
0017日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 07:35:54.37
>>8関連
見づらいのでレス番は割愛、アンカー修正

伊都国が海人の国であったことを考えると、邪馬台国の場所も見えてくる
海人の高位の者が身につけたとされるゴホウラ貝輪の分布が有明海東岸に集中しているのだ
http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/f012.gif
https://img04.ti-da.net/usr/o/c/t/octagon/image_1378.jpg

また、弥生時代の鉄鍛冶工房もまたこのあたりに集中している
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg

有明海の東海岸、すなわち筑後国山門郡が邪馬台国の中心だろう
製鉄関係はもう少し南まで続いているので、>>10のとおり山鹿市あたりまで邪馬台国の範疇と見る
0018日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 07:36:34.43
今城塚古墳に眠る大王の、ピンクの石は、なぜ遠路はるばる運ばれたのだろう。。。
0019日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 07:37:16.06
>>15関連
見づらいのでレス番やアンカーは割愛

筑前国風土記逸文に五十迹手が伊蘇志(イソシ=勤)と褒められたので地名をイソにしたとある
一方の五十猛はイサオシの神と称えられている
安曇磯武良=五十猛=五十迹手は確実のようだ

伊太祁曽神社の御由緒について
http://itakiso-jinja.net/yuisho.php
> そして五十猛神は高天原から樹種を持ってきますが韓国には植えず日本に持ってきて、九州より播き始めて日本中を青山にしました。
> このことから有功神(いさおしのかみ=大変に功績のあった神様)と呼ばれています。

また、先代旧事本紀によれば天村雲命の別名は天五多底(あめのいたて)とされているが
兵庫県の射楯兵主神社に祀られている射楯大神(いたてのおおかみ)はそのものずばり五十猛だとされている
http://sohsha.jp/under02.php
> 御祭神 射楯大神 いたてのおおかみ
> 五十猛命(いたけるのみこと)と称し、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子神であられ、檜や楠等の木々を植樹して、日本の国土を緑豊かな国にされた
> 植樹の神様と崇められています。
> また、神功皇后(じんぐうこうごう)の新羅遠征の折に、御船の先導をしたという播磨国風土記の故事から、勝利や幸福へ導く道開きの神様としても崇敬されています

事績に神功皇后の新羅遠征で水先案内をしたとあるが、太平記や磯良神社の社伝によれば、神功の水先案内を務めたのは安曇磯良とされる
安曇磯武良=五十猛=五十迹手=天村雲命はもう間違いないと断定していいだろう
0020日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 07:41:47.95
>>15,19関連
見づらいのでレス番やアンカーは割愛

まさにそこが今回最大の収穫かもしれない
つまり記紀神話の年代のでっち上げの手法が判明したということだ

五十猛は素戔嗚命の息子なので神代の人間、というか神だが、五十迹手を褒めたのは仲哀だし、磯良は神功の水先案内を務めているから人代の話である
つまり実在の人物として人代に記録されている人間が別名を使って素知らぬ顔で神代にも書かれていることになる
従来考えられていたように神代が九州で人代が畿内というような分かれ方ではなく、人代の出来事を神話仕立てにして遠い過去の出来事として
投影したのが神代であり、人代と同一人物が重複して登場しているのだ

これはつまり、他の神々にも人代におけるモデル人物が存在する可能性を示している
例えば天照大神のモデル人物は神功皇后かもしれない、とかな
スサノオの子であるイソタケルが安曇磯武良なら、天照大神はその伯母にあたるから一世代上だが概ね同時代の人物とみると
むしろそう考えたほうが自然なくらいだろう

単に伊都国が安曇の国であることを実証するのが目的だったのだが、思いがけず記紀の嘘を暴いてしまったのかもしれない

もっと深い問題もある
天村雲命が五十猛=安曇磯武良=五十迹手と同一人物だということが分かったわけだが、この天村雲命は
「然が宋の太宗に献上した王年代記にも登場する
曰く
「初めの主は天(御)中主と(号)す。 次は天村雲尊と曰い、其の後は皆な『尊』を以って(号)と爲す。」
とうとう倭王になってしまった
しかもなんと天之御中主に次ぐ二代目の倭王にされてしまっている

王年代記は記紀よりも後に作られており、神武の即位が周の時代と書かれていることからも明らかに年代が捏造されている
そして二代目倭王が天村雲命=五十猛=安曇磯武良になっているのを見ても、単に年代を何百年かスライドさせたのではなく
倭王の即位順までメチャクチャに改竄されているし、倭王じゃない人まで倭王にされている有様

要するに、大和朝廷が作成した史書は、個々のエピソードについては脚色、改変はあれど元になった事実があるのだろうが
その年代観も天皇の順番さえもまるで信頼が置けないということである
0021日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 07:50:29.81
>>10の山鹿・菊池関連
見づらいのでレス番やアンカーは割愛

山鹿・菊池は怪しいねえ
なんとスサノオのヤマタノオロチ退治の逸話がこのあたりにもあるらしい
実はヤマタノオロチ退治の逸話って地元のはずの出雲国風土記にはなぜか載ってないんだよね
本当はこの地域の話だったんじゃないか?

https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12513375590.html
>熊本県山鹿市菊池市一帯は「肥川 ひのかわ」と呼ばれる菊池川が流れ、八岐大蛇(やまたのおろち)神話の櫛稲田姫(くしなだひめ)生誕の
>伝説の地・熊本県山鹿市に旧稲田村があります。櫛稲田姫の本来の名称は「稲田媛」。

>福岡県高良大社の「高良玉垂宮神秘書」第1条に「ヤマタノオロチと天叢雲の剣」について古典的記載があります。
0022日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 08:11:52.54
>>20
記紀の年代が嘘なのは誰でも知ってることだけど、
どんな嘘のつき方をしているかが分かったというのは何気に大きいね
0023日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 09:38:43.65
>>1 
安曇氏を表に立ててるが、安曇一族ゆかりの者なのかな??
0024日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 20:13:40.24
魏志倭人伝を正しく読めば
邪馬台国は九州を飛び出した南の海上
0025日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 20:27:38.10
少なくとも畿内ではないということ。
0027日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 21:02:29.51
倭国(阿波)一択。   @阿波
0028日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 21:14:08.34
無駄に淡路の先進性を利用して
ど田舎の阿波を持ち上げてみせたい詐欺はよしたほうがよいよ
0029日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 21:19:35.84
淡路島も、倭国(阿波)の島の一つに過ぎないのを、知らないんだろうかw   @阿波
0031日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 21:24:42.76
阿波みたいな希薄なところよりも
むしろ淡路に看板を取り替えてみたらよいよ
0032日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 21:27:05.38
倭国(阿波)一択。   @阿波
0033日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 21:28:05.30
帯方郡から南満二千里は九州島の果て。
会稽東治の東は屋久島。
どっちにしろ、本州は無い。

で、満二千里の行程には3千里の東行が有る。
マイナス3千里+a は、九州内に収まっている。

女王国以北で、いろいろ見聞した魏使の文言で
九州上陸後に、東に行っていた可能性は無い。
0034日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 21:34:44.65
個人の願望はそれはそれなりに尊重してあげたい
でも
あきらかな虚偽を連呼する行為は悪質なあらし行為だからきをつけてね
0036日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 21:42:47.28
あ、ごめん、>35は>>20へのレスだ。

菊池あたりで気になるのは阿蘇の蹴破り神話と乙姫がいる事かな
0037日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/18(水) 22:27:51.58
>>32
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑)
0038日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 02:17:13.66
>>33
>で、満二千里の行程には3千里の東行が有る。
マイナス3千里+a は、九州内に収まっている。

なんで東行するとマイナスなんの?
0039日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 02:50:00.70
>>28
淡路島って安曇の故地のひとつだしな
先進性も頷ける
http://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg

淡路島で発掘された鉄製のヤスも北部九州の技術が使われている
海人の遺構なんだろう

弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
0040日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 03:02:05.90
>>19
前スレより

519 :日本@名無史さん :2019/09/07(土) 17:27:36.20
安曇磯良は本当にあちこちに出てくるな
タケミカヅチやアメノコヤネまで安曇磯良らしい

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
>民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
>(磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
>『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)

http://www.genbu.net/saijin/isora.htm
>袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
>一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。
0041日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 03:21:19.09
>>20
>>40のとおり鹿島神宮の武甕槌も磯良とされる上に、やはり神功の梶取(舵取り)を務めたとされる
武甕槌の父は伊都之尾羽張とされているので、やはり伊都国絡みの人物なのだろう

その武甕槌の葦原中津国平定は神武東征よりも前の時代の出来事とされているし、神武が東征中に熊野で苦戦しているときに
天照大神から手助けを命じられてフツノミタマの剣を神武に与えたのも武甕槌とされている

射楯兵主神社の射楯大神=五十猛といい、神武東征以前の神が神功の水先案内を務めたという伝承が多いところを見ると
本当は神功は神武よりも前の人物ではないかと思う

記紀で神武より後の人物ということにされたのは、神武即位を紀元前660年という考古学的にあり得ないほど昔に設定したがゆえのことか
8世紀の記紀編纂者が外征の大勝利という功績を大和朝廷のものにしたかったという事情によるものだろう
0042日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 04:05:46.30
>>21
>実はヤマタノオロチ退治の逸話って地元のはずの出雲国風土記にはなぜか載ってないんだよね
初めて知った
マジかよ
0043日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 06:28:01.09
いくら妄想を開陳しても、北部九州は帯方より萬二千餘里ではないから、あり得ないよ。
水行〇日~も、帯方起点説をとると帯方から「南」に行くと大海上でしかないから、これもありえない。

結局、水行を一日あたり何kmに見積もるかという話になるが、九州で可能性があるのは南部だけ。
0044日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 06:30:06.37
>>39
淡路島も、倭国(阿波)の島の一つに過ぎないのを、知らないんだろうかw   @阿波
0046日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 06:43:35.51
>>39
>淡路島で発掘された鉄製のヤスも北部九州の技術が使われている

碌な鍛冶炉遺構遺跡や資源の無い北部九州に、邪馬台国など在る訳がない。  以上御終い。   @阿波
0047日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 07:56:00.43
淡路島は、もとは阿波路島だったのを、知らないんだろうかw 
0048日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 07:57:42.69
>>43
萬二千余里で筑後山門で何も問題ない
畿内厨残念w
0049日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 07:59:31.47
>>40
>一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。

こんな感じだったのかな?

頭に「悪魔の角」を持つ男性、除去手術が無事成功(印)
https://article.yahoo.co.jp/detail/46dbf620d6ec8789db51d0c64b9fe459122dce68
https://giwiz-cmspf.c.yimg.jp/c/cmspf/96/73/57/18/020de8532edbb9a41dac35ee88acbe2e.jpg

皮角という腫瘍らしい
都怒我阿羅斯等もこれだったのかも
0050日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 08:53:01.65
>>19
>事績に神功皇后の新羅遠征で水先案内をしたとあるが、太平記や磯良神社の社伝によれば、神功の水先案内を務めたのは
>安曇磯良とされる。安曇磯武良=五十猛=五十迹手=天村雲命はもう間違いないと断定していいだろう
>>40
> また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
>>41
>鹿島神宮の武甕槌も磯良とされる上に、やはり神功の梶取(舵取り)を務めたとされる
武甕槌の父は伊都之尾羽張とされているので、やはり伊都国絡みの人物なのだろう

以上の共通点はというと、
博多湾を根拠地としていた安曇磯良に代表される安曇一族は、天皇家に仕え、此れを助けたということ。
(後世のナカトミ・フジハラも同じで今日に至っている。)
では、そもそもの天皇家一族とは(筑紫の)どこを本拠地にしていた誰々で其の出自や如何?、ということになる。
0051日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 08:59:10.02
>>43
>いくら妄想を開陳しても、北部九州は帯方より萬二千餘里ではないから、あり得ないよ。

短里で九州上陸から二千里だと、福岡県を出るか出ないか、つまり筑後平野に収まる。
その南には肥後熊本の狗奴国がある。
0052日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 09:00:54.09
>>50
>では、そもそもの天皇家一族とは(筑紫の)どこを本拠地にしていた誰々で其の出自や如何?、ということになる。

記紀を読むと、イザナギイザナミにゆかりの地が能古島(おのころ島)と小戸とある。
小戸のある筑紫の日向が倭国の王都だろう。
0053日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 09:24:50.30
>>51
それは九州上陸後の唐津・末盧国からの陸行ルートによる。
末盧国−糸島イトコク−博多ナコクと進めば、二千里は筑紫平野(筑後平野)で尽きる。
しかし、末盧国−東南・佐賀川上のイトコク−東行・吉野ヶ里のフミコクと進めば、二千里は熊本平野まで伸びる。
つまり、糸島経由か佐賀川上経由かで、約30qの南北差が出るわけだ。、
0054日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 09:47:02.36
>>50
往古より、九州は天皇家と誼がない。 今もって、宮中祭祀で「蚊帳の外」。  あとは推して知るべし。   @阿波
0055日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 09:47:55.87
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、

分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。

九州に倭王権があれば、有り得ない話である。  @阿波
0056日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 10:16:21.43
>>53
菊池地方を狗奴国としなくてはいけないなら、邪馬台国があまり南すぎても都合が悪かろう。
0057日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 11:04:18.17
>>56
倭人伝が言うのは、「ここが女王の境界(親女王グループの境界)つきるところであり、その南に狗奴国あり」である、
位置の記述としては不明確であるので、邪馬台国(女王国)に接して狗奴国があったかどうかも明確でない。
まずは邪馬台国(女王国)の位置を定め、女王国はここだから、そうすると狗奴国はこの南のどこだったのであろうか・・、の順になる。
(確証のない段階で)先に狗奴国の位置を熊本と定めるのは本末転倒・手順真逆である。
0058日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 11:26:00.73
>>57
そもそも、碌な集落遺跡や資源の無い熊本に、強大国狗奴国など在る訳がない。  なにを考えているんだか。   以上御終い。   @阿波
0059日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 11:51:35.25
>>57
福岡側から熊本に射ち込まれた「鉄の鏃」が大量に出土するからだろ
0060日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 12:09:20.46
>>57
狗奴国の官に菊池彦とあるのだから、邪馬台国はどんなに頑張っても筑後までしか南下しない。
0061日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 12:37:22.69
>>60
>狗奴国の官に菊池彦とあるのだから

今の菊池となんの関係もない。  盲信の極み。   @阿波
0062日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 12:39:30.48
>>59
古代にミサイルでもあるまいに、、、博多から菊池までとぶわあきゃない。
それで、その大量の矢じりはいつの時代のもので熊本のどこから出てきたのかねえ
0063日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 12:44:35.09
倭人伝の狗古智卑狗は三世紀の名、
菊池は11世紀の領地領主の名、飛びすぎてて、せいぜい連想ゲーム程度。
畿内説が箸墓を先に決めたため、あとから考えた説明がトンチンカンになり大失敗した。ま、そう焦ることはない。
0064日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 12:46:43.79
菊池城は奈良時代にはすでにあったが?
0065日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 12:58:51.41
それは久々知城といって、150mほどの水もない山の上に作られた木造の軍用備蓄倉庫のこと。
久々知の名には、別の意味もあって、新羅からやってきた木造建築の技術集団のことでもある。
今も、尼崎市に久々知の名が残り、ここが本拠地だったとみられている。
その集団が大和朝廷の命で7世紀ごろに建築した備蓄倉庫だったからではないか。
ともあれ、世に同姓同名は少なからずあり、人まちがいは絶えぬ。ご用心・ご用心!
0066日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 12:59:53.08
>>65
その通り。   @阿波
0067日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 13:26:10.57
>>65
>それは久々知城といって、150mほどの水もない山の上に作られた木造の軍用備蓄倉庫のこと。

そういうのを古代では柵とか城と呼ぶのだよ。
0068日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 13:30:56.01
建物跡67棟、広さは東京ドーム12個分。
ふむ、立派な倉庫… というより基地だな。
0069日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 15:00:33.78
鞠智城跡II
(論後編I)
このように見ていくと、鞠智城の築城の目的は、
交通の要衝かつ穀倉地帯であった菊鹿盆地を抑え、(米などの)物資を貯蓄し、
必要に応じて大宰府あるいは肥後国府などへ、運搬することであったとするのが最も 現実的である
0070日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 15:06:33.75
それだけなら登楼などいらないではないか。
遺跡の全容と一致しない。
0071日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 15:22:15.11
関心深いようだねえ。詳細は下記で検索してご参照ください、

>鞠智城跡調査報告書
鞠智城跡の発掘調査の成果をまとめた報告書(PDFファイル)の閲覧およびダウンロードができます。
学会関係者や研究者のための学術的資料としてのみならず、
県民の皆様の埋蔵文化財及び史跡の保護に対する認識と理解を深めていただくための一助となれば幸いです。
0072日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 22:07:49.14
>>49
これは見事に角だな
もしこれが顔に出来たら顔面に牡蠣が付いてると思われてもおかしくない
0073日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 22:10:34.47
>>50
それはやはり>>8のとおり筑後の山門だろうね
物部氏ゆかりの土地でもあるし

> 331 :名無しさん@1周年 :2019/09/10(火) 18:19:03.66 ID:yjDSp0sY0
> >>300補足
> のちの大連・物部氏の故地が福岡県みやま市瀬高町太神にある「こうやの宮」と呼ばれる場所
> 正式名称は磯上物部神社
> 久留米の高良大社にある高良記天慶神名帳に「礒上物部神(いそのかみもののべしん)」と書かれている
>
> そこには5体の神像が祀られていてそのうちの一つが手に七支刀を持っている
> 明治7年に奈良県天理市の石上神宮で七支刀が発掘されるよりも古くからこの地に祀られていた
> 物部氏の像と考えられており、物部氏が九州出自の氏族であることを示している
> カバネが臣ではなく連なのもこのためだろう
> https://stat.ameba.jp/user_images/20190526/11/kenbuncho2017/1b/e2/j/o1475087514416523027.jpg
>
> そしてこの磯上物部神社のある場所こそまさに筑後国山門郡にあたり、邪馬台国があった場所と考えられる
> 地名の太神(オオガ)は古代にはオオミワと読まれていた
> 明らかに畿内大和の祖型となった地である
> https://lunabura.exblog.jp/25416518/
> >この地の旧名は筑後国山門郡太神村で、『倭妙類聚抄』には「太神郷」と出てきます。
> >「山門」には「夜万止」(やまと)、
> >「太神」には「於保美和」(おほみわ)と読み仮名がついています
0074日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 22:11:08.63
ここの城はそっとしておこう
0075日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 22:14:29.68
筑紫の卑弥呼の話なら190年から247年迄だし
狗奴国=熊本なら、250〜300年程度で統合されてても良い。
時系列は西暦が良いよね。 記紀厨は神話が300年以降で重複とか論外。

熊襲隼人でも初期の平定は350年迄じゃないのかな?
もちろんこの九州南部戦で鞠智城の必要があった可能性はある。
熊襲征伐とかは、東側じゃないかな?
350年時点だと百済や新羅より、強い兵力合ったんだと思うよ。
鞠智城??? いつの話?
0077日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 22:20:55.02
江田船山古墳の近所のお城だな
鉄剣の持ち主が住んでたところかもな
0079日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 22:34:50.09
江田船山古墳も、副葬品の滑石勾玉などから、「忌部はん」 のお墓とわかる。   @阿波
0080日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 22:40:50.38
>>76
製鉄民だからそりゃそうだ
0081日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 22:46:27.75
>>40-41
春日大社の天児屋根って中臣氏の祖神だろ
すげえなそんなところまで繋がるのかよ
日本古代史関連ではいまだかつてなかったダイナミズムを感じるぜ
0082日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 22:57:15.70
本物の貴族の末裔だな
0083日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 22:58:39.07
>>81
藤原純友が海賊になったのは血統だった・・・?
0084日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 23:13:43.51
祖先云々もさることながら難読書を読み解ける人が羨ましい
0085日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 23:37:52.33
>>75
>熊襲隼人でも初期の平定は350年迄じゃないのかな?
>熊襲征伐とかは、東側じゃないかな?

熊襲と隼人をごちゃ混ぜにすると理解できなくなる。
熊襲は肥国王家の別名だ(古事記の名称が重複している)。
すなわち有明海沿岸勢力であり、筑紫と倭国の王権を争ったのだろう。

一方の隼人は、邇々藝の子である海幸彦の末裔であり、れっきとした天孫族である。
その拠点は投馬国こと都万であり、山幸彦の筑紫と兄弟国になる。
0086日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 23:44:03.41
残る豊国王家(大山積や豊玉彦ら)は、志賀島を本拠地として筑紫王家(ニニギら天孫族)と姻戚関係を結んでいたが、それ故に記紀に何人も登場するのに影が薄く、次第に遠賀川流域や関門海峡まで圧迫されていったのだろう。
律令制の時代までに豊前豊後といえば現在の大分県にまで位置がズレている。
0087日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 23:48:42.63
熊襲平定と一口に言うが、熊襲の位置付けも難しいため、いつ平定されたかは定義そのものが難しい。
明確なエピソードは小碓尊による平定だが、その舞台は肥前川上(佐賀県)だとされている。
しかも直前まで熊襲タケルは筑紫野(福岡県)にいたということだ。
熊襲は倭国中枢の勢力と言ってもいい。
博多湾沿岸の筑紫にとっては非常に脅威だったろう。
0088日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 23:57:49.90
では卑弥呼はどうなのか?
狗奴国を熊本とすると、狗奴国は熊襲そのものだが、王の名が卑弥呼と同類なので、実は同じ王家なのかもしれない。
肥前川上の淀姫が壹與のことだとすると、卑弥呼の死後に壹與の共立により博多湾沿岸も有明海沿岸も倭国として統一され、その王都は一時的に肥前川上であったかもしれない。
壹與も卑弥呼も肥国王家の女王だと仮定すると、全てが合理的に収まってしまう。
つまり3世紀後半に熊襲の女王壹與は倭国女王を兼ねていたことになる。

キーとなるのは、神武東征が2世紀の倭国大乱の頃となるかもしれないということ。
三代にわたって筑紫を支配した天孫族が都落ちした後に肥国女王が筑紫を含めた倭国女王に共立されたと考えられないだろうか?
そして伊都国の官のネギが天孫族(ニニギ)の末裔なのだろう。
0089日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/19(木) 23:58:38.48
記紀みたいな、そんなことより、倭人伝を正しく読まないか?

使 大倭 監之 自女王國以北 特置 一大率 檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有 如刺史
王 遣使 詣京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使倭國 皆 臨津捜露 傳送文書 賜遺之物 詣女王 不得差錯
下戸 與大人 相逢道路逡巡 入草 傳辭説事 或蹲 或跪兩手 據地 為之 恭敬 對應 聲曰 噫比 如然諾

これは、247年魏と女王国の国交が終わった時の査察官、政帳の報告である。
240年の女王は、邪馬国の臺 王宮で遣建中校尉梯儁から、奉詔書印綬 があった。

247年に倭人船に便乗して査察に来た張政は伊都に駐留させられて見た。
刺史のような一大率(進駐軍司令官)がいて 王の文書も贈答品も全て検閲される。
つまり、卑弥呼は王ではない。 と言う報告である。

下戸 與大人 の下りの、前章風俗説明には漢書引用と思える
主語が其(倭人)の 其俗 国大人 皆四五婦 下戸或 二三婦 という文が有るが

この時の 主語は、使(張政)であり 大倭(小筑紫ではない)を (査察した張政が)監之 である。
九州人とは違う、中央から派遣された将軍直属の官僚の態度を報告している。 
0090日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 00:07:58.42
景行天皇が九州を巡航した時の筑紫のタケルは八咫の鏡を持つ神夏磯姫であった。
彼女こそ時の倭国女王であり、おそらく壹與の次の世代の女王だったろう。
景行天皇が倒した土蜘蛛の中には、ミミナリなどの邪馬台国の官の名前が見える。

そして神夏磯姫の末裔とされるのが田油津姫である。
神功皇后に攻め滅ぼされたその場所は筑後になる。
おそらくは神夏磯姫も田油津姫も、故地は筑後つまり有明海沿岸なのだろう。
つまり彼らも肥国王家であり熊襲となる。
実際、田油津姫については熊襲とすること多いのだが、筑紫のタケル(梟師)であった神夏磯姫の末裔であったことを記紀は意図的に隠したのだろう。
タケルはその国の最高指導者の称号だが、神夏磯姫の場合は筑紫の梟師と表記され、それは筑紫を統率する大率(率と帥は同義)や大宰の帥にも通じる。
0091日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 00:16:33.76
>>89
>記紀みたいな、そんなことより、倭人伝を正しく読まないか?

それについて反対はしないが、同じ時代を記録した文献が国内にもあるのだから、すり合わせをすれば良い。
魏志倭人伝は和人からの聞き取り情報が多いので表面的になってしまう。
そこから推論しても、非常にあやふやな推定しかできない。
狗奴国や熊襲を攻め滅したのはいつか、という問いがその良い例で、国内の文献を参照すると事情が非常に複雑であることがわかる。
邪馬台国と狗奴国と投馬国の関係だって、魏志倭人伝だけではわからないことだらけだ。
しかし、熊本から迎えた女王が支配する福岡と、女王が留守の間にお家騒動を起こした熊本と、福岡の元々の王家から追い出された分家の宮崎と考えると、その微妙なバランスがわかってもらえると思う。
仮に倭人が魏の使いにこれを説明したとしても、彼らは「面倒くせえ」と思い、「卑弥呼と熊本の王は仲が悪い」「投馬国はもっと遠い(よって中立的?)」としか報告しなかったのかもしれない。
0092日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 00:19:02.54
>>89
>つまり、卑弥呼は王ではない。 と言う報告である。
これのどこが正しく読んでるんだよw
相変わらずウソツ畿内は頭おかしいな
0093日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 00:26:42.25
読解能力ないんか
0094日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 00:43:20.95
畿内厨に読解力を求めるなよw
0095日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 00:45:01.03
>>91
記紀と倭の五王をすり合わせると矛盾が生じる。
400年には、中国語が判ってて、倭王は漢字名を使った。
鉄剣とかで文字の利用の存在は考古立証もあるでしょ?

で、王は全て古墳に入ったと思ってよい。
記紀はこの400〜500年の王を特定できない。
世襲であれば、こういうことは無い。

大和朝廷の世襲の成立は500年以降である。
継体天皇かな? これだけの事を提案した。
0096日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 00:46:38.04
>>41
>武甕槌の父は伊都之尾羽張とされているので、やはり伊都国絡みの人物なのだろう
天之尾羽張という呼び名もあるよね
海人の尾羽張さんなのか

神名によく使われる「天(あめの)」は「海人(あま)の」の意味っぽいな
0097日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 00:48:57.10
>>95
>>20で指摘された天皇の即位順などを記紀がいじりまくったせいで合わなくなったんじゃないかな
遣隋使のときも推古天皇の時代のはずなのに裴世清が会ったタリシホコは男だし
0098日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 00:55:25.12
>>95
>記紀はこの400〜500年の王を特定できない。

記紀は畿内の歴史書
でも中国とやりとりしていたのは筑紫の倭王
そりゃ一致しないだろう
0099日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 00:58:07.93
>>97
多利思比孤の姓は天(アマ)だしね。
そりゃ九州の海人の王でしょう。
倭国では阿蘇山が火を噴くとまで書いてあるわけで。
0100日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 01:28:05.30
>>99
いつだったかニュー速のスレに書いたことがあるけど、その阿蘇山のくだりの次に出てくる如意宝珠って不知火だと思うんだよね
八代海が有名だけど有明海でも発生するし
倭人は夜になると発光する如意宝珠を魚眼の精霊だと考えていると書いてあるけど、実際に手にとって眺められるようなものは
精霊だとは思わないんじゃないかな
海の上に浮かび追いかけても決して追いつくことのない不可思議な存在だからこそ魚眼の精霊だと考えたんだと思う
原理的には蜃気楼と同じだから、月が主要光源だった当時は青白く光っただろう(現代では港湾のナトリウムランプの影響でオレンジが多い)
0101日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 01:38:40.07
如意宝珠って、潮の満ち引きを自在に操る玉じゃないのか?
つまりは干珠満珠のこと。
住吉の神(海神の親玉)から神功皇后の手に渡ったとされる。
筑後の高良大社の神宝でもある。
まさに海人族にとっての理想の宝。

あれ?
ここは海人族のスレじゃないじゃん。
なんでこんなところに書いているんだ?
0102日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 02:02:46.69
【邪馬台国の終焉】

八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮(香椎宮)に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮の王(五十迹手、熊鰐)が出迎えたが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、仲哀の妃の息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。

倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。

仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じく景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にした。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは各王朝の祖先神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。
0103日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 02:28:48.13
>>49,72
俺が想像してたのはバングラデシュの樹木男だな
https://foto.haberler.com/galeri/2013/09/14/%20-3-58022_b.jpg
https://foto.haberler.com/galeri/2013/09/14/%20-58022_b.jpg

磯良=五十猛の父であるスサノオにも体毛を抜いて様々な樹木にしたという伝承があるので
遺伝性の皮膚異常がある一族だったのかも知れない
安曇は若狭湾岸に相当進出しているので都怒我阿羅斯等も同じ一族だったのかもな
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
0104日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 03:03:10.36
>>100
なるほどね
魚の目だというからには海か川だろうし有り得る話だな
0105日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 03:14:50.00
>>20>>41を見るにつけ、前スレで書いたこれが本当だったんじゃないかって気がしてくる

仲哀神功は九州邪馬台国が東遷するより前の人物で、神功は卑弥呼と台与の二人の事績をくっつけたもの
そして三韓征伐とは帯方郡からの援軍要請の結果だったのではないか
というのも魏志韓伝にどうも納得のいかない記述がある

「韓忿攻帯方郡崎離營 時太守弓遵楽浪太守劉茂興兵伐之 遵戦死 二郡遂滅韓」
韓が帯方郡の崎離営を攻撃して帯方太守弓遵と楽浪太守劉茂が討伐にあたり、弓遵は戦死したが韓は滅ぼしたとある
だがこれは不自然ではないか

太守は郡の軍権のトップであるので、弓遵は帯方郡の軍勢の総大将ということになる
この時代の戦争で総大将が討ち取られているのに戦には勝ったなんていうことがあり得るだろうか?
楽浪太守の劉茂が頑張ったという解釈も不可能ではないが、攻撃されているのは帯方郡であり楽浪は援軍の立場であるので不自然だろう
魏本国から援軍があったとも聞かないし、総大将が討たれて士気ダダ下がりの帯方軍が、敵将を討って意気上がる韓に打ち勝ったというのは信じ難い
桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られたのに残った家臣が奮戦して織田勢を壊滅させましたとか言われたら「そんなバカな」だろう

そこで考えたのが、窮地に陥った帯方郡残党ないし劉茂が先に親魏倭王となった卑弥呼に援軍を出させたのではないかということ
神功は香椎宮の神託で出兵したとあるが、本当は香椎の浜に帯方郡の船が来て韓の背後を衝くように依頼されたのではないか
狗奴国との戦争に協力してもらうつもりで朝貢したのに逆に援軍に駆り出されるハメになった卑弥呼だが、"親魏"倭王としては断る訳にもいかず
伊都国の安曇水軍を送って韓を南から攻めたのが三韓征伐の実態なんじゃないか

弓遵を討ち取って勝利を確信していた韓だったが留守にした本国を倭に攻められて大慌てで撤退し、帯方郡は難を逃れた
しかし、東夷に太守を討ち取られた挙句、自力解決できずに別の東夷に助けてもらいました、では魏帝国の面目丸潰れであるため
記録には残さなかった
一方の記紀はかつて中国に従属していたことを隠したかったので神託ってことにして事実を隠蔽した

どうだろうか?
0106日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 03:52:29.61
>>105
あり得なくはない話だけど記録がないから実証はほぼ不可能だろうね
誰かが私的な日記にでも残してない限り
0108日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 06:34:31.25
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、

分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。

九州に倭王権があれば、有り得ない話である。  @阿波
0109日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 07:15:15.24
>>108
九州行幸無しの意味がよくわからんのだけどねえ
景行天皇、仲哀天皇、神功皇后なんかのことははいらないの
さらに遡って言えば、九州神話の高天原や天孫降臨のことは、天皇家の祖のことじゃないのかえ。
0110日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 07:18:15.23
泡は放っておけ。
0111日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 07:21:32.53
>>109
>九州行幸無しの意味がよくわからんのだけどねえ

九州に倭王権があれば、有り得ない話である。  @阿波
0112日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 07:35:30.42
>>109
>さらに遡って言えば、九州神話の高天原や天孫降臨のことは、天皇家の祖のことじゃないのかえ。

九州は今も昔も、天皇家宮中祭祀で「蚊帳の外」。  「天皇家の祖」などと、何を考えているのやら。   @阿波
0113日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 07:56:46.73
な〜んだ、
徳島の商工会のステマだったのか(笑笑笑
0114日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 08:23:38.05
>>113
な〜んだ、
敵前逃亡だったのか(笑笑笑    

九州に倭王権があれば、有り得ない話である。  

九州は今も昔も、天皇家宮中祭祀で「蚊帳の外」。  「天皇家の祖」などと、何を考えているのやら。   @阿波
0115日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 08:32:59.91
オーイ、徳島の商工会のステマよ。
あの写真に写ってた左端のきれいなネーチャンは元気かい、あれがうわさの@阿波の娘か??
0116日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 12:54:22.31
魏志倭人伝に書いてある邪馬台国の位置は現在の地図だと九州のはるか南の海上で
また帯方から女王国までの距離と書いてある南1万2千里は魏で使われていた尺度で換算すると赤道を越えた位置になる
魏志倭人伝の邪馬台国の位置は現実の位置は書かれていないのである
0117日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 13:03:54.19
>>113
な〜んだ、
敵前逃亡だったのか(笑笑笑    

九州に倭王権があれば、有り得ない話である。  

九州は今も昔も、天皇家宮中祭祀で「蚊帳の外」。  「天皇家の祖」などと、何を考えているのやら。   @阿波
0118日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 13:22:23.28
もう誰もキナイコシの言うことに耳を貸さないね。
畿内説はその場限りの嘘をつきまくる詐欺だとバレたからね。
0119日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 13:42:27.18
もう誰も@阿波の言うことに耳を貸さないね。
阿波説はその場限りの嘘をつきまくる詐欺だとバレたからね。
0120日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 17:53:03.51
>>105
韓忿 攻帯方郡 崎離營 時太守弓遵 楽浪太守劉茂 興兵伐之 遵戦死 二郡遂滅韓
に関する、記録なら、倭人伝にあるよ。

其六年 詔賜 倭難升米黄幢 付郡假授
其八年 太守王頎到官
倭女王卑弥呼 與狗奴國男王卑弥弓呼 素不和 遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状
遣塞曹掾史張政等 因齎詔書黄幢拝假難升米 為檄告喩之

其六年245年に郡は 詔賜 倭難升米黄幢 で魏の正規軍として戦線に参加を要請した。
其八年246年太守王頎到官 遣倭載斯烏越が、うちも戦争で忙しいと言い訳。

この帰国便で女王国を査察 難升米に黄幢拝假 
対韓制圧戦で後方からの参戦要請の 檄 である事を告げた。

倭人伝行程で 張政は伊都までしか来ていない。
丗有王皆統屬女王國が 往來する 伊都で壹與と難升米に檄告喩
魏使張政は 伊都で 郡使 常所駐 駐留させられた。
伊都は筑紫で檄告諭の壹與は筑紫王です。

壹與 遣倭大夫率善中郎將掖邪拘等二十人 送政等還因詣臺
壹與は、張政の送還で 帯方郡が韓との戦争で
後方応援しなきゃなんないほど弱っちいのか逆に魏へ偵察を出した。

本当は傀儡であろう壹與と言うより、一大率の将軍 だと思う。
結果、両者どーでも良くなったw これが247年
0121日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 17:53:39.22
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。  まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。   @阿波 

まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。   @阿波 
0122日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 17:55:55.27
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、

分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。

九州に倭王権があれば、有り得ない話である。  @阿波
0123日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 18:22:45.73
筑紫には女王卑弥呼がいたんだから、
大和朝廷の王は居ないに決まってる。

400〜500年の倭の五王も、
世襲王権だったかはアヤシイ。
これは、古墳で大阪湾地域が日本の中心。

記紀で言うと、福井方面ゆかりの継体天皇辺りからは、
継続性が推定出来て、聖徳太子は間違いなく、奈良大和の斑鳩王。
しかし、天智天武天皇も系統は別かもしれない。

あっちこっちから王妃迎えて政争のネタなんだよ。
聖徳太子の後宮700人とかだってよ。
源氏物語の世界だよw

そもそも、250年迄の話なのに九州説ってのは、
卑弥呼が大倭王って言う想定か?
0124日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 18:31:03.47
>>118
まさに魏志倭人伝を正しく読めば邪馬台国は会稽東(治)冶の東
現在の地図で言うと沖縄か台湾の辺りか
帯方より南1万2千里で赤道を越えたオーストラリアになる辺りと書いてある事がわかる

魏志倭人伝に書いてある邪馬台国の2つの位置情報が合致しないので
魏志倭人伝の邪馬台国の位置は実際のものではないという事は明白
0126日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 18:51:59.60
男子 無大小 皆 黥面 文身
自古以來 其使 詣中國 皆自稱 大夫
夏后少康之子 封於會稽 斷髪文身 以避 蛟龍之害
今 倭 水人 好沉没 捕魚蛤 文身 亦以 厭大魚水禽後稍 以為飾
諸國 文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差
計其道里 當在 會稽東治之東

会稽は夏后少康之子、または別文献の太伯の後にちなんで、
会稽の話であって、長江河口地域である。 北緯30度なら屋久島?
当然、九州以外の日本列島は当たらない。

自郡至女王國 萬二千餘里が『其』道里であって
『其』は、文脈上
南至 投馬國 水行二十日 南至 邪馬壹國 水行十日 陸行一月
の 言い換え、である。

郡から九州上陸が 東行3千里を含む積算一万里であることは、既出。
0127日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 19:10:56.00
>>126 >自郡至女王國 萬二千餘里が『其』道里であって

それもあるが、
自郡至女王國 萬二千餘里だけでは道里を計ったことにはならない。
もう一方の、自洛陽至会稽も計り、両者を対比したうえで、當在 會稽東治之東 を導いたものと思われる。
実際に当たってみても、自郡至女王國を萬二千餘里とするなら、自洛陽至会稽も概ね萬二千餘里である。
0128日本@名無史さん
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2019/09/20(金) 19:40:28.94
>>125
魏志倭人伝に書かれていないことをあれこれ妄想する畿内説よりマシ。
0130日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 19:48:57.55
畿内スレは終戦処理ですごいことになっとるようだな。
さすがの畿内厨も、ついに畿内スレを逃げ出すまでになったか、、、、、
0131日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 19:52:57.60
畿内説スレは負けた九州説の残党がが悔し紛れに荒らすだけにになったし
これからこっちに居つこうかなあ
0132日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 19:55:19.63
倭人伝原理主義とか言ってからかったつもりか知らぬが、何しろ1700年余も大事に受け継がれてきたものだ。
書かれていることも、そこから導き出されることも尊重せねばならぬ。
また「短里」と書かれていなくとも、其の1里がどれくらいの現代qに相当するかぐらいは、見当をつけなくてはならぬ
0134日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 20:02:34.63
>>131
良い心がけだ。
北部九州説は満杯だから、倭人伝原理主義ではあるが、佐賀川上説を応援してくれ。
奥山だって、唐津の地図を示して北東へは行けないと力説していた。その唐津からは、南へ、そして東へ行くだけでよいのだからな。
0135日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 20:07:01.23
>筑前国風土記逸文に・・・


なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?

なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?

あとは、推して知るべし。   @阿波
0136日本@名無史さん
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2019/09/20(金) 20:17:23.59
>>131
ほれ、この一番下の行の図が古代の唐津湾だ。
中原の船着き場遺跡からは、北東行きは険しい山に遮られて困難なので、松浦川に沿って南へ下るのだ。

◆FAQ 67
Q:末盧国を呼子付近に想定すれば伊都国への方位は東南でよい!
  なぜなら、渡海に適した夏場の日の出は真東よりずっと北である!
  倭人伝にある方位に間違いはないのだ!

A:その程度の熟練度の人物が記載した記録であれば、方位や距離に信頼を置くことなどできないであろう。まして、壱岐から東松浦半島付近に渡航してきたであろう時間帯を鑑みれば、夏場に真西よりずっと北寄りの日の入りを見ている可能性の方が高い。
 東松浦半島突端付近からは糸島富士(可也山)が目視でき、伊都国の方位が東南でないことは十分に認識できる。
松浦川河口近辺並びに糸島三雲から可也山を目視しても、3世紀の科学技術水準による簡易的な三角測量を用いれば、伊都国中心部が東南方向に所在しないことを十分に覚知可能である。

 ・東松浦半島北端は北緯33.5度(基準点:呼子 尾ノ下鼻)
 ・伊都国は北緯33.5度(基準点:三雲 細石神社)
 ・奴国は仮に北緯33.5度(基準点:春日 岡本遺跡)
であり、すべて倭人伝の記載する方位と異なる。

 ちなみに非現実的想定ではあるが、若し『周髀算経』一寸千里法などが天測技術として実用化されておれば、上記3地点が東西に並ぶことが判明し、倭人伝に現れる方位誤認は発生しない。
また古代の海岸線に沿っての「東南陸行」は、巨大な松浦潟に遮られて困難である。
https://i.imgur.com/qfiOJLu.png
0137日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 21:59:54.52
>>107
いや>>15,19を見れば伊都国が安曇海人の国なのは確実
0138日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 22:01:02.98
>>130
とうとう畿内説が完全崩壊したのか
まあもともと無理のある設定だったしな
0139日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 22:02:41.00
>>105
>桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られたのに残った家臣が奮戦して織田勢を壊滅させましたとか言われたら「そんなバカな」だろう
ワロタw
たしかに
0140日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 22:17:10.97
>>127
自洛陽至会稽の満二千里を 之東 と言うのも検討しました。

男子 無大小 皆 黥面 文身
自古以來 其使 詣中國 皆自稱 大夫
夏后少康之子 封於會稽 斷髪文身 以避 蛟龍之害
今 倭 水人 好沉没 捕魚蛤 文身 亦以 厭大魚水禽後稍 以為飾
諸國 文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差
計其道里 當在 會稽東治之東

これが、ひとまとまりの文ですが、計其道里の 其 に該当する文が存在しません。
前節の 自郡至女王國 萬二千餘里 に当たります。
これだと、南至 投馬國 水行二十日 南至 邪馬壹國 水行十日 陸行一月
の言い換えなので、あえて 自洛陽至会稽の満二千里を之東 でなくても大丈夫です。

計其道里 當在 會稽東治之東 がこの位置にある事自体が問題で
計其道里が、自郡至女王国満二千里=自洛陽至会稽満二千里 であるとも考えられます。

謎の東夷伝里の補足説明なわけですが、満二千里を説明しています。
0141日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/20(金) 23:56:17.73
>>134
佐賀川上に邪馬台国があったとは思えんが
まず畿内の大和に地名からして負けている
0142日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 06:38:15.28
>>141
>まず畿内の大和に地名からして負けている


「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。   大和国の 「大和」である。

「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。   阿波国なのに「倭」である。

これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。  @阿波
0143日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 07:10:08.81
>>139
神武東征は、大将だった兄が戦死したが、残党が大和にたどり着いたというストーリーなんだが。
0144日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 07:17:48.03
>>140
計其道里の「其」は、今 倭 水人 の倭を指しているとみるべきじゃないかな
つまり、
夏后少康之子 封於會稽 斷髪「文身」と、今 倭 水人 好沉没 捕魚蛤 「文身」が合わせてあり、
その習俗の文身も類似しているが 
一方で道里を計ってみても、則ち自洛陽至会稽満二千余里(=華人の日常知識?)と自郡至女王国満二千余里とを比べてみても、
緯度もまた会稽と似たようなところにある・・・、
0145日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 08:09:33.24
>>141
あ〜、説明不足ですみません。
最近、佐賀川上を力説しているのですが、深夜にはほとんど書き込まないので、失礼してます・・。

従来の伊都国説は、唐津・末盧国から東南陸行至の糸島にイトコクあったとしますが、実際には北東陸行するので??と考え、、
やはり倭人伝の記述通り、東南陸行500里の佐賀川上に真の伊都国があった、という新しい説です。
則ち唐津・中原の船着き場遺跡から、松浦川沿いの古道を南へ進み、小さな峠を越えて300里で佐賀平野の多久市へ・・、
ここで大きく東へ折れ、山すその古道を200里で佐賀川上の伊都国に到るわけです。

つまり途中の多久で右折するので、至るではなく「到る」が使用されているのです。この到るの用法には前例が有り・・、
下記の如く、韓半島の南西岬でも大きく右折して乍南乍東するので、ここも到狗邪韓国と「到る」になっています。

「従郡至倭、循海岸水行歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪韓国、七千余里」
(なお、次の東南奴国百里は佐賀市街、東行百里の不彌国は旧三根郡の吉野ケ里一帯とする)
0146日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 08:15:23.74
>>100
新解釈だな
だが筋は通っている
0147日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 08:16:52.31
>>143
大将は最初から神武だが?
0148日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 08:20:59.96
倭人伝は行程を放射読みにする箇所はちゃんと他とは書き方を変えている
記述法を書き分けてあるということはそこは他とは違う読み方をしなければならないということ

連続読みの行程部分は全て動詞が至や到よりも前に書かれているが、
放射読みの箇所は動詞が至より後ろにあるか動詞そのものが無い

・從郡至倭 循海岸水【行】 歴韓国 乍南乍東 七千餘里┃到 其北岸 狗邪韓國 ・・・・・・・・【動詞は前】
・始【度】一海 千餘里┃至 對海國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・又南【渡】一海 千餘里・瀚海┃至 一大國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・又【渡】一海 千餘里┃至 末盧國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・東南 陸【行】五百里┃到 伊都國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・東南┃至 奴國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞なし】
・東【行】┃至 不彌國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・南┃至 投馬國 水【行】二十日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞は後ろ】
・南┃至 邪馬壹國 女王之所都 水【行】十日陸【行】一月 ・・・・・【★動詞は後ろ】

動詞が後ろまたは無い三箇所は距離と方位の起点が前段から移動しない
つまり並列の箇条書き文章であり、地図上では前段から放射読みとなる
上の行程文に照らすと放射読みの起点は全て伊都国である
まとめると

帯方郡 → 狗邪韓國 → 對海國 → 一大國 → 末盧國 → 伊都國
  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  . ┃
ルート分岐@ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・┣→ 奴國 → 不彌國
ルート分岐A ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・┣→ 投馬國
ルート分岐B ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・┗→ 邪馬壹國

という構造
0149日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 08:32:59.25
>>147
長男の五瀬命だろ。
日下で戦死したんだよ。
0150日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 08:57:47.67
>>148
あれ、一部おかしくないか??

東南┃至 奴国 百里・・・【★動詞なし】、であるからここは奴国へ移動していない。
東【行】┃至 不彌國 百里・・・【動詞は前】、なんだから、キミの定義に従えば、不彌国へは移動しており、
そして、その不彌国から再度放射読みで南の投馬国と邪馬台国へ至るにならないか???

・東南 陸【行】五百里┃到 伊都國 ・・・・・・・【動詞は前】末盧国から連続読みで伊都国へ移動した
・東南┃至 奴國 百里 ・・・・・・・・・・・・・【★動詞なし】 伊都国から放射読みで伊都国にとどまっている状態。
・東【行】┃至 不彌國 百里 ・・・・・・・・・・【動詞は前】伊都国から連続読みで不彌国へ移動した
・南┃至 投馬國 水【行】二十日 ・・・・・・・・【★動詞は後ろ】不彌国から放射読みで不彌国にとどまったまま
・南┃至 邪馬壹國 女王之所都 水【行】十日陸【行】一月 ・・・・・【★動詞は後ろ】不彌国から放射読み不彌国にとどまったまま
0152日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 09:40:59.71
もう勘違い畿内説などはとっくに逝っているのだよ
0153日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 09:42:33.47
ふーん、そういうことか。
ま、そうだろな、古くはシラトリ、エノキ、
戦後になってハラダ、フルタ、邪馬台国の怪も、ことごとく方向オンチの方角ムシだし・・
0154日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 10:29:39.48
>>97
アマタリシヒコというのは、「尊称」じゃないかと思うな。
だから、基本全員の王のあたまについていた。
ついていたというか、ついているものだった。
普段は長ったらしいからそんな名前で呼ばないが、正式名称として。
「起源」は、倭国統一のときの王、天足彦国押人命。
彼の弟が「ヤマトタリシヒコ」。
もしかすると、卑弥呼は天足彦国押人命の妻なのかも知れん。夫は早くに死んでいた。
王になるには、卑弥呼の一族の娘を妻にする必要があった。
その娘が母親であるものでは、王として認められ、そうでないものが王になることは
難しかった。母がそうでも、複数の有力者達の間で争いが起きた。
0155日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 10:31:29.46
>>続き
それは100年以上、いや継体の時代まで続いた。
その一族はその後没落したが、没落したというか天皇家に取り込まれたというか一体化
してしまったというべきか。
ほとんどの有力者の一族はその一族の地を引くようになっていたからな。
ないがしろにしてきた女王の一族の祟りを恐れ、伊勢に呼び寄せることにしたのが
「外宮」の神様だった。アマテラスと同様に祀ることこで祟りを鎮めようとした。
そして、女王の魂はそれで納得した。
草薙の剣が熱田神宮にあり、それを長らく誰も違和感も持たず取り返しもしなかった。
後になって一度取り返そうとしたら、不幸が起きた。
草薙の剣を守っているのが女王のちを引く姫だから。
だから、今でも熱田神宮に守られている。

記紀は、その女王のことを書いてはいないようで隠しきれていないように見える。
女王の一族の血を消してしまうと、天皇家そのものが成立しないから。
母や祖母がいないことになってしまう。
だから、系譜は隠せない。
いや、隠すと言うか、天武の時代でもそれは自明のことであり、どの氏族も女王の一族の
血を引いていた。天武に忖度して、彼女の一族こそが日本を作った立役者であることを
「書かなかった」
卑弥呼の一族とは何か?その一族こそ、アマテラスの正当な後継者であり、天孫降臨の
本物の子孫なのだろう。
九州からやってきた「自称天孫」は、本物の天孫の血を何代にも渡って取り入れ
10代経ってようやく「身内」と認められた。
崇神や垂仁の頃は、有力候補が多すぎて争いが起きた。
景行は母はかの一族の本家の姫で、その姉妹をまとめて妻にした父のおかげで他に有力者が
いなかった。
ここにきて、「天皇家」が王の中の王となり、一気に統一が進み、前方後円墳が広まった。
各地の同時期の有力な前方後円墳は、景行の母である日葉酢媛命の古墳と同形をとることが多い。
四世紀前半の時代である。
0156日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 10:49:58.49
なるほど!
0157日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 10:52:43.98
>>149
>日下で戦死したんだよ。

阿波国(あわのくに:徳島県)の蜂須賀藩家臣成立書に、日下姓が見られる。  また、隣の香川県も日下姓が多く、高知県高岡郡日高村にも日下の地名がある。

現在、西日本に存在する日下姓の大半は、徳島県か香川県等、四国地方を起源にしている。   @阿波
0158日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 10:54:17.35
「日下姓の起源」

古い由来の姓に「日下(くさか)」姓がある。

日下姓は、聖徳太子様の時代には存在していた名前である。 「古事記 中つ巻」の冒頭に日下の名前が登場するので、神代の時代から人代の時代に入った時には、もう既に存在していた名前である。

勿論、日本書紀にも出てくる。

阿波国(あわのくに:徳島県)の蜂須賀藩家臣成立書に、日下姓が見られる。 また、隣の香川県も日下姓が多く、高知県高岡郡日高村にも日下の地名がある。

徳島県全体としては、徳島市に集中しており、日本一「日下姓」が多い地域である。

香川県全体としては、高松市に集中しており、日本一の徳島市に続いて「日下姓」が多い地域である。

このことから、西日本に存在する日下姓の大半は、徳島県や香川県等、四国地方を起源にしていると考えられ、

よって、記紀に登場する日下姓をみても、記紀は四国地方を記したものと言える。   @阿波
0159日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 10:56:59.34
>>155: >崇神や垂仁の頃は、有力候補が多すぎて争いが起きた。
景行は、母がかの一族の本家の姫で、その姉妹をまとめて妻にした父のおかげで他に有力者が
いなかった。
ここにきて、「天皇家」が王の中の王となり、一気に統一が進み、前方後円墳が広まった。

縁故は大事、今でもそうだが、古代はなおさら・・。
0160日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 11:00:40.26
>>159
>崇神や垂仁の頃は、有力候補が多すぎて争いが起きた。

その舞台が、倭国(阿波)。


>ここにきて、「天皇家」が王の中の王となり、一気に統一が進み、前方後円墳が広まった。

その舞台が、倭国(阿波)。   @阿波
0161日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 11:01:44.24
「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。   大和国の 「大和」である。

「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。   阿波国なのに「倭」である。

これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。  @阿波
0162日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 11:09:49.45
>>144
前スレの274で
陳寿の文が太伯削除由来で改変された説で 作った修正文があるが
これに太伯の伝説と 呉の会稽が 倭には遠すぎる
伝太伯 古公亶父之子 譲王 封於會稽/ 聞之 一同訝疑 倭地 極遠絶
と言う二文を、加えると

自郡 至女王國 萬二千餘里

倭人 聞舊語 自謂 太伯之後
伝太伯 古公亶父之子 譲王 封於會稽 斷髪文身 以避 蛟龍之害
之聞 於一同 訝疑 倭地 極遠絶
計其道里 當在 會稽東治之東
自古以來 其使 詣中國 皆自稱 大夫

其 男子 無大小 皆 黥面 文身
(夏后少康之子 封於會稽 斷髪文身 以避 蛟龍之害)←削除
今 倭 水人 好沉没 捕魚蛤 文身 亦以 厭大魚水禽後稍 以為飾
諸國 文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差

太伯伝を夏后少康之子に置き換える改訂で、文章が壊れた可能性が推測できる。

倭人伝の文の順列を修正無しで読むなら、悪文だが
洛陽〜会稽 を之東に持ってくと帯方から女王への満二千余里に一致するになります。

ご指摘、ありがとうございます。
0163日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 11:30:58.03
>>145
そんなトコにゃあ何にもないぞ
通説通りに伊都国は旧怡土郡で糸島市
魏志倭人伝は邪馬台国を倭の極南界隈とされていた会稽東治(冶)の東
沖縄辺りに持っていくための辻褄合わせで距離と方位が実際とは違って書かれている
0165日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 11:59:49.05
計算なんて要らねえ
魏志倭人伝に邪馬台国の位置は会稽東治(冶)の東に当たると書いてる
0166日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 12:49:06.06
>>163
いくつかありますよ。
ま、何といっても有名なのは、肥国王家の総大将の熊襲タケルの砦だったこと。
その熊襲タケルは死に臨んで「カワカミンタケル」に改名しました。お墓も近くにあるその川上で〜す。、
0167日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 12:55:09.86
>>154
>アマタリシヒコというのは、「尊称」じゃないかと思うな。

天皇家にはタリシヒコという諡が何人もいる。
諡号は死後に付けられたという解釈だが、実は生前から使われていたのだろう。
0168日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 12:57:19.38
>>166
肥前川上の與止日女神社が壹與の都だと思います。
でもそれは福岡の邪馬台国と熊本の狗奴国を統合するためにそこを都としたのであり、卑弥呼の時代の都は糸島でしょう。
0169日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 13:04:27.93
朝廷の祭祀には玉が祭料,幣帛として使われた。 忌部は,大和朝廷が祭祀に必要としたその玉類の生産,調達にかかわっていたとの指摘がある。

忌部の祖神である「天太玉命」に玉の文字が含まれていることも偶然ではないはずだ。

「日本書紀」(神代下第九段)に忌部に関する記述があり「…櫛明(くしあかる)玉神を作玉者とす…」とある。

「古語拾遺」にも似た記述があり,忌部氏はいろいろな神を率いて幣帛・祭具の生産に従事した。

櫛明玉神は出雲国の玉作の祖という。

さて,島根県で玉作といえば,出雲玉作遺跡がある玉湯町,松江市忌部だ。 つまり旧意宇郡忌部郷を中心とする地域だった。

「延喜式祇式」臨時祭条に「…毎年十月以前令意宇郡神戸玉作氏造備…」とある。

これを「出雲風土記」と照らすと,毎年十月に玉を調達した玉作氏の住む意宇郡神戸が,「和名抄」に出てくる「忌部神戸」であることが明らかになる。

つまり出雲の玉作りは忌部が行っていたわけだ。

もちろん,忌部の祖神を祀る天太玉命神社がある奈良県橿原市の近くにも玉作遺跡である曽我遺跡がある。 大和朝廷の官立の玉作工房だったようだ。

徳島の玉作遺跡は,徳島市国府町矢野の「矢野遺跡」と三好市三加茂町の「稲持遺跡」がある。 両遺跡とも緑灰色の蛇紋岩を使用し,勾玉の製作をしていた。

矢野では気延山や眉山から石を運んできたようだ。 時代は矢野が若干古く弥生時代後期後半とみられる。

矢野遺跡周辺は,いうまでもなく古代阿波が最も栄えていた土地である。  @阿波
0171日本@名無史さん
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2019/09/21(土) 13:50:49.52
倭人伝原理主義に従えば、
佐賀川上の伊都国の東には吉野ヶ里一帯に広がる不彌国があった。
そしてその不彌国から南の方角に、投馬国と邪馬台国があったという。
吉野ヶ里の南は筑後市・柳川市・みやま町(旧山門郡)、玉名市、山鹿市、菊池市、合志市、熊本市などになる。
計算上、不彌国までは1万600里ほどだから、女王国まで残りは千数百里(約100q)ほどだ。
さて卑弥呼が都とした7万戸の超大国は、いったいどのあたりにあったのであろうか。
0172日本@名無史さん
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2019/09/21(土) 14:03:38.40
>>170(佐賀川上・抄)
末盧国東南陸行500里の佐賀川上にあった伊都国と、
此処から東行く百里の吉野ヶ里にあった不彌国との中間に位置する大和町久池井には、
8世紀前半に作られた国府(現・肥前国庁跡110m×80m)がある。
その中心軸線は北7度西偏である。

そして、和名抄に記された古国府(オキ、乎伎国府)のほうは、
佐賀川上に残る区画遺構(大願寺地区の古代廃寺跡250m×200m)だったのであろう。
この中心軸線は北約10度西偏である。

したがって両遺構の中心軸線には約3度の差があるが、
仮にこの軸線が北極星を指すものであったとすれば、その歳差から・・、
佐賀川上の古国府(オキ、乎伎国府)の方が、約600年古い設計施工であり、
西暦150年頃までさかのぼり得る大区画遺構ということになる。

なお此の古国府(乎伎国府、オキとは土塁の意味)こそ、
熊襲タケル累代の土塁砦を利用して作られた古国衙だったのではないかという論者もいる。
0173日本@名無史さん
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2019/09/21(土) 14:24:09.25
>>172
代々王がいて一大率があると魏志倭人伝に書かれている伊都国と佐賀川上は
随分と様相が違うようですなあ
0174日本@名無史さん
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2019/09/21(土) 14:50:19.98
>>173
トンデモ説は、みんなその程度。   心臓に毛が生えている連中ばかり。   @阿波
0175日本@名無史さん
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2019/09/21(土) 14:55:43.89
>>173
倭人伝上の方角里数はピタリだし、大区画遺構もある。また現地の見晴らしも良く、
東南百里には、奴国と思しき佐賀市街から、朝夕立ち上るかまどの煙も見えたはず。
なのに、伊都国らしき遺跡がみつからない印象はその通り。。

というのも、
明治期までここに2000基もの中小古墳があったことは知られていたが、伊都国に比定した者は全くいなかった。
倭人伝原理主義の俺でさえ、まだ1年にもならぬ。
依って、佐賀県教育委員会による発掘調査も全くなされていないのが現状だ。正否判定が出るまでに、あと30年はかかるだろうねえ。
0176日本@名無史さん
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2019/09/21(土) 15:50:33.40
>>175>
トンデモ説は、みんなその程度。   心臓に毛が生えている連中ばかり。   @阿波
0177日本@名無史さん
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2019/09/21(土) 16:19:19.28
>>175
あれもこれも、@阿波と徳島商工会にはかなわないねえ。
とくにスサノオ面の皮の厚さと、心臓の毛の生え具合は、とてもとてもかなわぬ。
0178日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 16:50:20.34
佐賀川上の付近は、かって山田郷とよばれたそうであるが、
関心を呼ぶのは・・、
その山田を、古くは「也万多(ヤマタ)」と書かせ、読ませていたらしいことである。
えっ、ここがヤマタイと、思わず目を疑ってしまった。
また隣接の小津郷は、「乎ツ(乎都)」となっているが、これまたヲツであり、もしや「ゐツ(伊都)」の訛りではと、これまたゲスの勘ぐりをしてしまったのである。

(参考)
>『肥前国風土記』では、郷里制の下で佐嘉郡は6郷・19里とあるが、郷・里の名は登場しない。
>『和名抄』では同じく6郷とし郷名も記している。
・城崎郷(木佐岐) - 遺称地として佐賀市大和町尼寺の国分地区に城崎という地名があり、この付近と推定される。
・巨勢郷 - 佐賀市巨勢町付近と推定。
・山田郷(也万多) - 佐賀市大和町東山田、大和町川上の西山田の付近と推定。
・小津郷(乎ツ・乎都) - 『川上神社文書』では小津郷の地名に与賀里とあり、現在の佐賀市与賀町を含む一帯と推定。
(以下、略)
0179日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 16:50:31.60
佐賀平野の開拓が進むのは4世紀なんだよ。
壹與や熊襲タケルが開拓者であり、卑弥呼時代は海が遠のいた吉野ヶ里を解体している頃だろう?
0180日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 16:51:25.24
九州の山田さんは邪馬台国さんなのか。
0183日本@名無史さん
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2019/09/21(土) 17:26:45.30
>>182
うん、そうだよねえ。
折角の小津(ヲツ)≒ゐツ国(伊都国)のすぐ隣に、山田ヤマタイ国では格好悪いねえ。
それより山田のオロチの方がありがたい。九州の山田さんはヤマタノオロチに成ってしまうけど・・・。
0184日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 17:50:04.64
首が8本で股は7つなはずなのに八岐大蛇とはこれいかに。
その解答がこれか。
0185日本@名無史さん
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2019/09/21(土) 18:27:56.73
>>178
佐賀川上とは伊都国なのか邪馬台国なのかどうなのか
邪馬台との一致なら遺跡から見て大和の方が上だね
0186日本@名無史さん
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2019/09/21(土) 18:32:44.88
>>185
佐賀川上も大和も、
碌な集落遺跡や資源の無い所に、「邪馬臺国」など居る訳がない。  なにを考えているんだか。   以上御終い。   @阿波
0187日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 19:10:30.16
>>150
>東【行】┃至 不彌國 百里・・・【動詞は前】、なんだから、キミの定義に従えば、不彌国へは移動しており、
>そして、その不彌国から再度放射読みで南の投馬国と邪馬台国へ至るにならないか???

文章だけならその解釈も不可能ではないけれど、そうだとすると奴国を前に持ってきた意味が不明になるんだよね
全ての放射読み箇所を不彌国基準にして奴国の方位を南にすれば連続読み部分と放射読み部分がきれいに分かれるんだから
そのほうがスッキリした文になったはず
陳寿ほどの文筆家が書いた文章でそれはおかしいから、不彌国については奴国からの連続読みであることを示すため
つまりルート分岐@の続きだよと言うのを明示するために動詞を前にしたと考えるべきだろう
0188日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 19:42:55.09
>>184
交際相手が二人なら二股
先が三本で三又
「また」は分岐点のことだけでなく
分岐した数のことも表す
なので、頭が八つで「ヤマタ」はおかしくない
0189日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 20:22:34.08
放射読みなんて無いね
地名に当てはめれば邪馬台国の道のりは一直線になっている事が判る
0190日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 20:56:17.79
>>185
倭人伝原理主義に従えば、各国へは、以下のような方角・里数になります。
(九州上陸地点)
唐津・中原船着き場遺跡(現・唐津競艇場の正門前)の末盧国の港
・末蘆国→佐賀川上の伊都国は、東南陸行して到る37q(500里)で、方角・里共にドンピシャ、
・伊都国→佐賀市街の奴国は、東南方向に見える(至)7.5q(100里)で、同じく方角・里共にドンピシャ、
・同伊都国→吉野ヶ里の不彌国は、東へ行くこと11q(146里)で、方角はドンピシャ、里の四捨五入100里も適切

・不彌国→投馬国(宮崎県西都市都万)は、南方向にある(至)。(郡より)水行二十日 。
(水行20日の内訳:自郡至末盧国まで万余里を十日、さらに九州西岸回りで都万まで万余里を十日)。 方角はドンピシャ、里も適切。
・同不彌国→邪馬壹国(官衙は熊本県菊池郡砦村臺城)女王之所都(宮殿は宮崎県高千穂町三田井・・馬臺の訛り)も、南方向にある(至)。
(郡より)水行十日(郡〜末盧国、万余里)と陸行一月(末盧国〜三田井間158qで二千余里)。方角、里共に適切。
(中略)
・其余傍国22国は、国名のみ順次記載。華奴蘇奴国は、華奴国と蘇奴国の2国縮合記述とみる
・自郡至女王国万二千余里は、郡〜不彌国まで1万600里と、残り不彌国〜臺城〜高千穂町三田井まで110qで、1400余里。
0191日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 21:41:50.28
末蘆国 ってのは、247年の遣倭載斯烏越船が
同乗して来た、張政に卑弥呼の墓を見せるため、あるいは一大率が
防衛上魏使に伊都の港を見せない為に、一度だけに使った辺境。

伊都は考古学上、今宿から早良、福岡平野湾岸の西北麓であって
北西500里は、糸島半島北岸。 卑弥呼の墓は、ほぼ糸島半島内である。

呼子だの唐津は、参問倭地、21国、周旋可五千餘里の
邪馬台国7万戸 の広さの中には入りがたい。

卑弥呼は、糸島、福岡、筑紫平野の筑紫王である。
0192日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 21:53:26.37
>>148
倭人伝を正しく読むとそうなるな
連続読みだけで考えるのは記述法の変化を無視した謬論
0194日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 22:05:35.92
邪馬壹国って編成されたもんとちゃうんかい?

字面を見ればな(°▽°)

日本に馬術を利用した戦闘法あったっけ?

大将あたりのみ乗ってあとは大半が徒士やぞ
0195日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 22:06:58.85
海外から入ってきたもんなら当て字をするがその場合は一番発音に近い漢字が使われる

中国人らが読むためにな
0196日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 22:08:20.05
日本に文献資料など入ってきたらまたそれを日本読みに切り替える

つまり原型なくなるんだ(°▽°)
0197日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 23:35:13.86
>>194
邪馬台国に牛馬はいないと魏志倭人伝に書いてなかったかな?
0198日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 23:39:03.61
197
牛は南西諸島に行かないといないだ(°▽°)

日本で唯一、馬がいた可能性があるんが九州

こっから日本各地に繁殖させた可能性が大
0199日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 23:39:39.22
後漢書には倭の西北は狗邪韓国になっとるから弁辰狗邪は共立倭国のひとつだな。
0200日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 23:41:51.97
九州産の日向馬が本土に持ち込まれたんじゃなかろかと

牛自体は沖縄よりちょい上までの離島まで行けばおる可能性がある

まあ古代あたり東南アジアあたりから広がったんじゃなかろかと、、、

寒い地域にはいないでもともと
0201日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 23:49:10.74
山越言われてんのは山間部にこもってのゲリラ戦やしな

匈奴どうなん?

もともと北京あたりが根城やぜ連中ら

西方月氏ら追い払って今の中国北部まで勢力を広げたんは連中らだよ

漢にそのあと開発した武器の差で勝負にならなくて負けたんだよ
0202日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 23:51:45.07
倭人らってのははっきり呉の流れを組む海人連中らなんだよ

得意としたんは海上戦、この末裔らみたいなんが後年くだって満州国の祖形となる金国と戦争やってるだ
0203日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 23:53:07.34
ほとんどが漢に従う武将らに転身、
0204日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 23:55:31.65
あとは羌族、これはチベット系言われとるが

これも中国周辺にいた異文化系の戦闘系民族

戦争起こすときは交流はないがそゆ連中らの参戦を誘うみたいなんは漢もやってるからな
0205日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/21(土) 23:57:53.73
匈奴の北にモンゴル系言われてるんがいるからモンゴルともちゃうんだよ匈奴

もともと山間部を根城とした連中らだからよ
0206日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 00:17:06.54
>>149
五瀬命が大将だったなんて書いてる史書あるか?
どれも最初から東征の主役は神武だろ
0207日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 01:14:54.34
それは最終的に神武が生き残ったから、生存者バイアスだよ。
五瀬が生き残っていたら、今の天皇家の祖先になっていたかもしれない。
記紀は現在の天皇家に直結しない傍系に冷淡だしね。
0208日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 02:11:57.44
>>207
それはお前の想像だろ
想像を>>143のように断言するようじゃ畿内説と変わらんぞ
0209日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 02:23:16.88
>記紀は現在の天皇家に直結しない傍系に冷淡だしね。

初期天皇は傍系どころか系統入り乱れ激しかったはず。
結果的に時代時代に生き残った奴らを後世に無理やり万世一系にまとめちゃったんだよ。
初期天皇の異常な長命は「系統」と見るといい。
神武系統とか綏靖系統とか、それぞれ数人居るのを血族ごとにまとめて個人名にしちゃった感じ。
血脈自体は天皇ごとに全然バラバラ。
0210日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 06:48:10.61
神武は日向・高千穂の出身者、五瀬は隣の五瀬村出身者
0211日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 07:08:31.38
(修正)
神武は日向・高千穂の山部氏族の出身者、(ヤマ)
五瀬命は隣邑の五瀬村出身者(ヤマ)、
久米命はさらにその隣の球磨郡久米氏族の出身者(クマ、クナ)
0212日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 07:16:25.68
>>211

碌な集落遺跡や資源の無い九州に、邪馬台国など在る訳がない。 なにを考えているんだか。  

神武東征の参謀役となった速吸の門(鳴門海峡)の大人・宇志比古尊が全国で唯一、式内社「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。

何の縁も所縁も無ければ、こんなところに 、「宇志比古尊」を祀るはずがない。  後は推して知るべし。   @阿波   
0213日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 07:57:35.31
九州倭国といえば、
北部九州・博多湾岸を根拠地に活躍し、57年に漢から金印を拝受した倭奴国王を想う。
だから、倭人伝の伊都国、奴国、不彌国も、当然的に博多湾岸を想定するのは普通の流れだろう。

しかし倭人伝の記事通りに進めば、
唐津上陸後は、脊振山系の西端を迂回して佐賀平野へ抜け、
そこから東行して佐賀平野の東部まで進んで、そして南の邪馬台国、投馬国へ向かっている。
どう見ても、伝統的盟主の博多湾岸・倭奴国勢力圏を避けて南下しているように見える。これをどのように解釈すべきなのであろうか??
0214日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 08:24:55.47
>>212
あのな、
倭人伝は、倭国遺跡総覧でもないし、古墳や神社のガイドブックでもないんだよ。
0215日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 08:33:09.77
>>214
あのな、
倭人伝には、「其山有丹」なんだよ。
あのな、
「丹」の採れないところに卑弥呼は居ない。   わははははは   @阿波
0216日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 08:33:55.69
>>214
あのな、
倭人伝には、「其山有丹」なんだよ。
あのな、
「丹」の採れないところに卑弥呼は居ないんだよ。   わははははは   @阿波
0217日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 08:38:23.91
>>214
>倭人伝は、倭国遺跡総覧でもないし、古墳や神社のガイドブックでもないんだよ。

碌な「倭国遺跡や古墳や神社」の無い九州に、「邪馬臺国」など在る訳がない。  なにを考えているんだか。   @阿波
0218日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 09:02:58.53
あのな、
「丹」のような貴重鉱物は中央構造線に沿ったところなら、どこでもとれるんだよ。
阿波でも取れるが、もちろん九州でも丹と取れる。菱刈鉱山には世界最高級の金鉱脈もある  わははははは  @@@
0219日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 09:11:52.43
>>218
>阿波でも取れるが、

あのな、
阿波では採れて・い・た・んだよ。


>もちろん九州でも丹と取れる。

あのな、
九州では採れて・い・な・かった・んだよ。  わははははは   @阿波
0220日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 09:25:55.75
熊襲征伐と称して九州遠征した景行天皇の行幸路の先々には、実は、希少種鉱物の鉱山が数多くあった。
最初の豊後大野市から日向へ向かう古峠の道筋には、大水銀鉱山があった。
そして旅の最後の筑後広川から山道を行って辿りついた浮羽にも、錫・水銀などの鉱山があった。
景行天皇は、湯治場を巡り、地元の商工会のネーチャンたちと仲良くしただけではなかったのだよ。
0222日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 09:45:30.64
>>220
>古風土記編纂時に温泉が九州にないってことは無いと思うよ。

だよね。  では、

なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?

なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?

あとは、推して知るべし。   @阿波
0223日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 10:16:46.75
なんで徳島に在る商工会への天皇行幸が、無いのだろうか?

あとは、推して知るべし。
0224日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 10:23:57.76
>>213
>しかし倭人伝の記事通りに進めば、
唐津上陸後は、脊振山系の西端を迂回して佐賀平野へ抜け、
そこから東行して佐賀平野の東部まで進んで、そして南の邪馬台国、投馬国へ向かっている。
どう見ても、伝統的盟主の博多湾岸・倭奴国勢力圏を避けて南下しているように見える。これをどのように解釈すべきなのであろうか??


根本的に勘違いをしている。
倭人伝の行程は帯方→邪馬台国への魏使ルートじゃない。
邪馬台国→帯方への、倭使の語ったルートを中華視点に書き直したもの。

魏使ルートなら半島南岸海流に乗ってから壱岐経由で伊都国へ直行するのが合理的。
わざわざ遠回りして半島北上して対馬とか、無駄に松浦半島の山中行とか謎過ぎる。
0225日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 10:28:32.52
>>223
>なんで徳島に在る商工会への天皇行幸が、無いのだろうか?

残念なことに、徳島には温泉がないんだよ。

だから、同じ四国の道後へ湯治行幸に行ったんだね。

『日本書紀』や伊佐爾波神社(八幡宮)の社伝などによると、

厩戸皇子(聖徳太子)だけでなく、景行天皇・仲哀天皇・神功皇后・舒明天皇・斉明天皇(皇極天皇)・中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人王子(後の天武天皇)

など多くの皇族方が病気療養のため四国の道後温泉に行幸、来湯している。

それは取りも直さず、道後温泉が倭国王都(阿波)と同じ四国に在り、湯治場として近かったからに他ならない。   @阿波

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%8C%E6%B8%A9%E6%B3%89
0226日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 11:16:22.94
>>225
そうか、そうか、、
徳島には温泉がないのか、それは残念じゃのう。
でもまあ、それ以外には自慢できるものがたくさんあるじゃろう。商工会も、それで頑張ってくれ・・。
0227日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 11:21:52.51
>>226
九州には、自慢できる温泉が腐るほどあるのに、

なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?

なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?

あとは、推して知るべし。   @阿波
0228日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 11:42:52.18
九州は天皇家のふるさとだから、行幸などと仰々しいことは言わないのだ。
ただの里帰り・・・だな。
0229日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 11:46:49.17
>>228
う〜ん、妄想がいまいちだね。   もうちょっと、頑張ってみよう!  わははははは   @阿波
0230日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 12:32:47.76
景行が温泉行ってるじゃん
0231日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 12:40:49.76
>>230
景行天皇自身が、九州巡幸したという根拠はなにかな?  わははははは   @阿波
0232日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 12:50:47.65
景行天皇から応神天皇までは
九州に住んでたからねえ。
0233日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 12:57:11.58
>>232
景行天皇自身が、九州巡幸したという根拠はなにかな?  わははははは  

景行天皇から応神天皇までは 九州に住んでたという根拠はなにかな?  わははははは  @阿波
0234日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 13:54:33.63
>>233
記紀だよ。

久留米に仮宮を作って
豊前から大隅までを攻め、6年滞在して
九州に住んでいないという根拠は何かな?
0235日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 14:23:26.73
>>234
>久留米に仮宮を作って

記紀のどこに「久留米」などと書かれているのかな?  わははははは   @阿波
0236日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 14:25:25.57
>>190
魏志倭人伝には最終的に邪馬台国が現在の地図で見ると沖縄辺りになる会稽東治の東と書かれてて
距離や方位はそれに辻褄を合わせた正確性を欠いたもの
区間によって一里が50m〜200mになる事は昔から知られていたし
明治時代の九州説学者白鳥庫吉も魏志倭人伝の里については正確なものではないと指摘している
0237日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 14:50:02.76
弥生時代に会稽東治の東が正確に沖縄ってどうやったらわかるんだい?
0238日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 14:52:00.42
>>226
九州には、自慢できる温泉が腐るほどあるのに、

なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?

なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?

あとは、推して知るべし。   @阿波
0239日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 15:25:09.02
>>237
現在の地図で見れば沖縄という事だよ
そこは邪馬台国じゃないのは明らかにも関わらず魏志倭人伝にはそう記されている
つまり魏志倭人伝の行程は邪馬台国までを記したものではないという事

ちなみに福建省福州市の東の海上になる会稽東治の東には
昔からたまに人が漂着して遠くて詳細はわからないけど住民がいる事は知られていて
古くは東テイ人が住む国があるとされていた
0240日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 15:28:25.85
>>239
>現在の地図で見れば沖縄

だから弥生時代には会稽東治の東の正確な場所などわからないだろ。
これで議論は終わりだ。

九州説を否定する根拠にはならん。
0241日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 15:30:39.39
ふふ。そこまで無理してでも行程論を否定したいということは
行程論だと九州説になってしまうと認めているわけだな。
0242日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 15:41:32.27
>>240
正確な場所がわからないだろ?
けれど魏志倭人伝はそこが邪馬台国と書いているわけさ
つまり距離と方位は正確なものでは何でもないって事
まあ陳寿はそこが邪馬台国じゃない事は十分知ってただろうけど

>>241
否定してないよ
むしろ肯定をしている
魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の位置は現在の地図で見れば
沖縄か台湾の辺りになる会稽東治(冶)の東と書かれていると
0243日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 15:52:39.61
>>242
弥生時代には会稽東治の東の正確な場所などわからない。
これは東シナ海を挟んでいるから。

一方で沿岸航海と対馬海峡渡海による行程論の距離と方位は全く別もの。

あんたはあえて混同して
あたかも否定したように誤魔化しているだけだなキナイコシ。
0244日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 16:04:52.11
>>236
わざわざ、>>190 を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
おかげさまで、全区間に於いて方位はほとんどドンピシャ、距離も全行程に於いて1里70-80mに収まるようになりました。
その根拠理由の一つですが、明治の白鳥先生の行程も大幅に見直し、新らしく佐賀川上ルートを設定した結果と思われます。
よろしくご検討くださいませ。
0245日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 16:11:52.53
短里を採用するならば、論拠となる資料は唯一「周髀算経」のみだが、これからすると短理は75~76mとなる。

行程距離は「倭人は里を知らない」と史書にあるから倭人の計測値ではない。
北九州内の地理に関しては、滞在華人・半島人からの伝聞情報をつなぎ合わせたと考えれば辻褄は合う。
北九州滞在華人・半島人が周代など古い時代に渡ってきたものであれば、古い尺度しか知らない可能性もある。

魏人があえて短里などという現行の魏尺度でないものを使う意味はないし、魏人が何かの目的をもって真面目に計測したにしてはバラつきがありすぎるから、これはない。
0246日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 16:27:00.37
倭人伝自体の松浦までの距離で
短里は間違いないと思いますよ。

ここが短里じゃなければ
日本国内に収めることすら困難になります。
0247日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 16:43:25.32
短里を採用するとなると、帯方-女王国の距離「萬二千餘里」は直線距離となる。
論拠となる周髀算経の日影長計測法で測れるのは、あくまで「二点間の直線距離」だからだ。

魏人が女王国にて直接計測した可能性もある。

魏略逸文の「自謂太伯之後」を信じるとすると、女王国は華人の末裔国ということになる。
大多数の邪馬台国「倭人」は里を知らずとも「華人」の末裔たる一部エリート層は周髀算経を知っていた可能性はある。
そういった一部の邪馬台国人が計測したとしても、辻褄は合う。

短里を採用するなら、帯方-女王国間は直線距離で萬二千餘里=約900km前後というのが必然。
0248日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 17:24:13.27
>>247
>短里を採用するとなると、帯方-女王国の距離「萬二千餘里」は直線距離となる。

その通り。   @阿波
0249日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 17:27:58.39
>>247
>短里を採用するなら、帯方-女王国間は直線距離で萬二千餘里=約900km前後というのが必然。


その通り。   

帯方郡(平壌)
↓【南】海岸水行7000里(500km)1里=71m
狗邪韓国(順天)
↓【南】海渡1000里 (70km)1里=70m
津島国(方400里、千戸)(対馬上対馬か)
↓海渡1000里 (50キロ)(50km)1里=50m
一支国(方300里、三千家)(壱岐郷ノ浦か)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25キロ)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
↓【東南】100里 (15キロ)1里150m
奴国(二万戸)(田川辺り)
↓【東】100里 (25キロ)1里250m
不弥国(千戸)(築上町辺り)
↓【南】水行20日
投馬国(五万戸)(宿毛)
↓【南】水行10日又は陸行1月(旧土佐街道)
《邪馬台国》女王・卑弥呼(七万戸)
↓【東】海渡1000里(50km)1里=50m
女王国東渡海千余里復有国皆倭種 (阿波から東へ1000里渡海→奈良周辺)

帯方郡→女王国(阿波)万二千里(直線距離 900km)1里=75m

∴1里=70mは、概ね妥当。   @阿波   
0250日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 17:36:14.03
行程でも、四国の阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波

何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。   @阿波
0251日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 17:36:26.49
>>242
九州の大きさを過大評価しただけ。
報告書が短里だったのだろう。
0252日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 17:38:30.06
>>247
>短里を採用するとなると、帯方-女王国の距離「萬二千餘里」は直線距離となる。

区間距離の積み上げだから、直線である必要はない。
朝鮮半島沿岸は南へ東へと曲がっていることが記載されている。
0253日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 17:43:06.53
>>252
>朝鮮半島沿岸は南へ東へと曲がっていることが記載されている。

関係なし!   @阿波

帯方郡(平壌)
↓【南】海岸水行7000里(直線距離 500km)1里=71m
狗邪韓国(順天)
0254日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 17:59:59.71
行程でも、四国の阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波

何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。   @阿波
0255日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:16:12.44
まずもって、短里を採用するということは陳寿の引用が
「魏使の行程記録ではない」
ということを意味する。これは100%と言っていい。

魏使が魏帝に対する公的報告書として魏尺以外の尺度を用いることはあり得ないからだ。
中華においては尺度・度量衡というものは王朝の権威と密接に関わる。
魏使が魏帝に報告するならば、魏尺以外はむしろ不敬である。

短里説を採用するならば、行程記録が「魏使の報告書によるものではない」、言い換えれば
「魏使の通ったルートではない」
ことを示している。
0256日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:20:16.79
>>255
>魏使が魏帝に報告するならば、魏尺以外はむしろ不敬である。

却下!

時代は西晋だよ。  わははははは   @阿波
0257日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:22:34.14
>>255
安心したまえ、 けっして、九州ではないから。  もちろん、畿内でもないがw   わははははは   @阿波
0258日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:23:58.13
魏尺ってなんだ?w新機軸?
0259日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:26:13.23
>>258
畿内も九州も、もうボロボロ状態だね。  @阿波
0260日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:28:31.25
>>243
なぜ別のものなのか
魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の位置は会稽東治(冶)の東と書いているのに

>>244
一里が所によって50m〜200mと変動し
邪馬台国が現実的な場所に書かれてない魏志倭人伝に
全てがドンピシャに当てはまる読みは逆にありえない話
0261日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:30:45.89
>>251
短里は存在が確認されてないね
魏で使われた里は当時の尺定規や度量衡を記した史書から換算すると
一里約430mで古代から使われていた尺度とそう変わらない
0262日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:32:09.29
>>255

勝手ルールを振り回してもダメ。
実際に短里で書いてあるのだから。
0263日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:40:51.95
>>260
行程は連続したもの。
会稽東治の東は東シナ海を挟んだ弥生時代レベルでのだいたいの方角。
全然別物。

ていうか、あんたがいくら喚こうが、
「事実」は別物なので、
会稽東治の東だからおかしい→行程論はおかしい
という論理の飛躍は成り立たない。

見苦しい詐欺行為を垂れ流してるから親切心で注意してるだけ。
0264日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:45:07.33
魏志倭人伝だけじゃなくて高句麗とか韓とかも短里で書かれとる
0265日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:45:18.13
>>262
短里で書かれているなら、それは魏使の報告書の引用ではないということ。
日本でも建築業界なんかでは未だに尺貫法が部分的に生きてるが、現代の公務員が公務の公的報告書に尺貫法を使ったりはしない。
魏使が魏帝に報告するなら、魏の尺度を使う。

逆に、陳寿が魏史の報告を引用したという根拠がどこにあるのか?
0266日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 18:55:26.26
>>255
>魏使が魏帝に報告するならば、魏尺以外はむしろ不敬である。

却下!

時代は西晋だよ。  わははははは   @阿波
0267日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 19:02:14.09
だから魏尺ってなんだよ?w存在したのかんなもんw
0268日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 19:03:38.57
>>263
いや成り立つけど
魏志倭人伝に書いてある邪馬台国の位置は沖縄か台湾になる会稽東治の東となっていて現実的なものじゃないので
書いてある行程をいくら辿っても実際の邪馬台国にはたどり着かない
0269日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 19:07:30.78
会稽ってのがそもそも倭人らの拠点なんだが
0270日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 19:08:48.49
もうはっきり倭人らの祖と言われてるんが封ぜられて根拠地とした中心地

会稽
0271日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 19:08:51.25
>>260
>邪馬台国が現実的な場所に書かれてない魏志倭人伝に
>全てがドンピシャに当てはまる読みは逆にありえない話

それがでございますねえ、なんとなんと、有ったのでございます。
明治の東京帝国大学・白鳥先生と、天皇御用係の宮内省・近藤芳樹博士のおっしゃった女王の都は肥後熊本の山門郷。
ならば唐津から、徒歩で肥後熊本を目指してみようと考えました。
とはいえ最近の私めは、足腰もそうとう弱っておりますので、
超軽量で走行メーター付きの高価な外国製自転車を買い求め、旅してみたのでございます。
もちろん、平戸は遠いのでそちらへは行かず、、、唐津からすぐ南へ向かい、近道−近道と、ズルいたしました。
ところが、、、
朝出発してお昼には佐賀平野に入ったので、ここらで超豪華な昼飯をと思い、コンビニに立ち寄った時のこと、
なんと走行メーターが37.5qを指しているではありませんか。・・ん、唐津から陸路500里じゃないか!!
なんとまあ、そこがくだんの佐賀川上だったのでございますyo。(つづく)

0272日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 19:11:21.80
>>268
書いてある行程=帯方郡から北部九州までの行程

会稽東治の東=「弥生時代に」会稽から東シナ海を見渡した方角

会稽東治の東を否定しても、行程論とは全く関係なし。
あんたが連呼すればするほどキナイコシの信用が落ちていくだけだから
どーでもいいが(つか、これ以上落ちようがないからいいのか。
恥を晒しつづけてくれたまへ。
0273日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 19:21:40.90
あと短里が云々とか今さらどうでもいいだろ。
今どきの学者で、末蘆が唐津、伊都が糸島三雲、奴国が須玖とか比恵那珂、ってのが
定説なんだから、短里でだいたい合ってる。
どうしても短里を否定するなら倭人伝に関しては度量衡を採用できなくなり、百余歩なども同時に無意味となって議論そのものがすべて消し飛ぶ。
なにをギャーギャー騒いでるのか意味不明。
0274日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 19:47:22.86
>>273
>今どきの学者で、末蘆が唐津

対馬海流に流されて、末蘆が唐津など有り得ない。 今どきの学者は何を考えているのやらw  わははははは   @阿波
0276日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 20:21:46.10
>>268
そう信じたいだけでしょ。
そうしないと帯方郡から一万二千里の邪馬台国は九州で確定してしまうものね(もう確定しているけど)
0277日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 20:25:23.91
長さの尺度が辺境の地を強調するために誇張されていたんだろう。
それを逆算すると短里になる。
まあ、短里で書かれていると言ってもいい。
そして径100歩も誇張であり、実際は平原遺跡が卑弥呼の大きさ。
0278日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 20:33:11.87
>>275
唐津〜多久のように山間部を通る道や、多久〜佐賀川上を通過する山裾の道は、
代替の土地が少なく、古代も中世も現代も似たようなところを通らざるを得ない。
また、近年の自動車道化でバイパス舗装やトンネルになった場合でも、並行していることが少なくない。

古代の道をなぞって作られた主要街道・官道の場合は、
今日でも、旧宿場街道や集落道のような形で残されていることが多い。。
グーグルマップで最大拡大してみると、けっこうな部分でそうした古代・中世の道筋らしきが観察できる。
0279日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 20:46:44.86
>>272
会稽東治の東を否定はしてないよ
現在の地図で見れば沖縄か台湾辺りと肯定している

>>276
帯方より南1万2千里は魏里で換算するとオーストラリア付近
これは淮南子という漢の時代の神仙思想の地理書にある
地の果てを表す空想的な数字で邪馬台国までの距離を表したものではない数値
0280日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 20:49:02.53
>>277
短里という単位はないよ
魏志倭人伝には邪馬台国は沖縄辺りと書かれているから
距離や方位は邪馬台国までの物ではない
0281日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 20:52:07.68
>>278
本当に当時の道と今の道はそっくりそのまま同じかな
舗装もなくて川があれば迂回して雑木林に覆われた山があっても迂回して
現代の距離感で古書に100%合致する距離は測るのは難しいのではないのかな
0282日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 21:14:21.01
古代を舐めたらあかんぜよ
0283日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 22:18:01.48
>>274
対馬海流のことは気になるね
朝鮮半島→日本 のときは海流に乗ればいいけど
日本→朝鮮半島 のときはどうやって移動するんだろか
0284日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 22:23:51.49
>>281
当然だが、100%同じにはならないな。
ただ、古代の道より現代の道が近道とは限らない。
自動車道は設計上、一定の勾配以上にはできないので、特に山間山寄りでは、大きく迂回したり、グネグネ回ったりになる。

その点、人間が歩いた古代の道は一種のケモノ道なので、急坂で近回りするところも多々ある。
それと雑木林・森林の中は、日陰になってて地面が出ているところも少なくない。
だから、意外に歩きやすいし、道の維持にも手間がかからない。
オレは、山国育ちだから、そういう場面は幾度も経験している。
0285日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 22:34:24.40
>>283
>日本→朝鮮半島 のときはどうやって移動するんだろか


大陸からの行きと帰りのルートは異なる。

大陸への出航地(平戸市周辺)

大陸への渡航出航地として考えられるのは度島(浦小川遺跡)・的場大島(朝鮮井戸海岸遺跡)など。  @阿波
0286日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 22:35:29.57
書いてある行程は北部九州までは間違いなく、伊都=糸島半島であることは誰の意見も一致する。
そこまでの方角・数値がしばしば間違っていることからもわかるように、方角・数値の信用性は低い。
信用性の低いものを基準に位置論を唱えること自体無意味。

そもそも、伊都or不弥から少なくとも10日以上、普通に解釈すれば30日以上水行する事になるので、この時点で北部九州の線は消える。

末廬上陸から不弥まで合算700里しかなく、短里換算だと50数km。
徒歩1か月の距離としては短すぎるし、1か月が1日の誤記だとしても徒歩1日の距離としては長すぎて全然合わない。
「『水行〜』は帯方起点」というのも、まったく成立しない。
0287日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 23:15:20.51
>>285
壱岐にはいけそうなんだが、対馬・朝鮮半島は厳しくないかな

やってみたら行けるものかな
もうちょっと南に下がって天草あたりから五島列島とかでなくても行けると
0288日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/22(日) 23:20:06.49
>>283
季節選べば大丈夫
0289日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 00:19:09.19
ギリギリ行けそうな線はあるのだが、ギリギリすぎないか・・・
0290日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 02:07:21.57
>>286
>>2,4でその辺はもう解決済み
その結果が>>8
0291日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 05:52:25.60
>>290
>>2,4でその辺はもう解決済み
その結果が>>8

解決済みではなく、「妄想済み」な。
帯方起点だと「南」に水行にならない。方向は「東南」。
そもそも、倭は帯方の東南と陳寿は認識している。

伊都から福岡平野経由で佐賀平野に抜けるのが陸行1月の意味だとすると、距離がまったく合わない。
江戸時代の伊勢参りや、朝鮮通信使の行程を見ると徒歩旅人の一日あたりの進行は30km程度。
11月だと900〜950kmは進むことになる。
伊都-佐賀平野はだいたい100km程度。健脚であれば3日ぐらい。
3日で到達できる距離を水行10日と遠回りする意味もない。

未整備悪路を考慮してその半分の歩速だとしても1週間あれば足る。

北部九州に邪馬台国を設定すると日数と距離の整合性なし。
南部九州なら可能性はゼロではない。
0292日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 05:53:15.86
11月じゃねぇな、1月だ。
0293日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 06:04:09.14
>>291
>帯方起点だと「南」に水行にならない。方向は「東南」。
帯方起点なんてどこにも書いてないわけだが
お前が妄想だろw

>伊都から福岡平野経由で佐賀平野に抜けるのが陸行1月の意味だとすると、距離がまったく合わない。
>江戸時代の伊勢参りや、朝鮮通信使の行程を見ると徒歩旅人の一日あたりの進行は30km程度。
街道が整備された時代と一緒にするとかバカかよw
まして使者は銅鏡百枚などの重量物を抱えて大人数で移動してるんだぞ
古代中国において軍が一日に進む標準的な行軍距離を一舎と言い、一舎=三十里とされる

http://ksbookshelf.com/DW/Kanjirin/KanjirinHB6i.html
> 【舍】
> C軍隊の一日の行軍距離の単位、一舎は三十里(約15km)、「一舎ごとに一宿する」ことから

平地の標準でこれなのだから、道なき道ではその半分以下も充分有り得る
まして筑紫平野は大小の河川が多数ある
今のように橋が整備されている時代とは違い、渡河点までいちいち迂回しなければならないことを考えれば
筑後山門まで一月でも何ら不思議はない
0294日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 06:50:38.05
壮年の男性であれば一日十里も可能だろうが、
籠や老人、女子供の足もあり、
江戸時代の宿場間の距離は15km程度が
上限となっている。

場合によっては15kmでも難しく
さらにその中間地点に
宿が作られた場所もある。
0295日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 06:51:47.19
>>293
>筑後山門まで一月でも何ら不思議はない

その筑後山門が「まぼろし」なんだが・・・、
0296日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 06:52:20.18
>>287
>壱岐にはいけそうなんだが、対馬・朝鮮半島は厳しくないかな


対馬着岸は、対馬の北端(上対馬)。

朝鮮半島着岸は、釜山。   @阿波
0297日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 06:56:33.67
>>296
ちなみに、対馬出航は、対馬南端の神崎から釜山へ。   @阿波
0298日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 07:03:16.25
フルタ私学やヤマタイ国の怪やその異形バージョンは、迷路・冥界に落ちる宿命。
なぜなら、そもそも上陸地点からイト国・ナ国へが神功皇后記を下敷きにしており、時代背景も方角も距離もペケ、、、
0299日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 07:07:40.13
>>298
その修正は、倭国(阿波)に任せなさい。   @阿波
0300日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 07:14:21.93
>>296

狗邪韓国(順天)

↓【南】海渡1000里 (70km)1里=70m

津島国(方400里、千戸)(対馬上対馬か)

↓海渡1000里 (50キロ)(50km)1里=50m

一支国(方300里、三千家)(壱岐郷ノ浦か)

↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m

末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)


狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。

因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。
0301日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 08:03:07.99
畿内説は、モモソを下敷きに・・、
邪馬台国の怪は、神功皇后を下敷きに・・、
@阿波は、商工会のネーチャンを下敷きに・・、 どれもこれも、似たり寄ったり。
0302日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 08:25:40.22
>>301
>@阿波は、商工会のネーチャンを下敷きに・・

@阿波は、 ↓ を下敷きに・・

行程でも、四国の阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波

何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。   @阿波
0303日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 09:11:40.76
>>293
>C軍隊の一日の行軍距離の単位、一舎は三十里(約15km)、「一舎ごとに一宿する」ことから
平地の標準でこれなのだから、道なき道ではその半分以下も充分有り得る

いや、平地の標準ルートで糸島-佐賀平野が100km程度ってことなんだが。
山間ルートならもっと短いが。
吉野ヶ里出土の銅鐸が島根の銅鐸と同型である事から明確なように、佐賀-糸島はおろか本州までの流通ルートははるか昔に確立している。
邪馬台国期に道なき道などあり得ない。

100kmを1か月だと1日の踏破距離は3km強という事になり、半分どころか一桁違う。
全て山岳ならともかく、平地の標準ルートとしてはまったくあり得ない。
0305日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 09:57:10.10
>>303
「陸行一月」

陸行一月区間(旧土佐街道 別名土佐浜街道)  途中の河川は川船で渡河

投馬国(土佐国宿毛) ? 途中、魏使一行 阿南市若杉山辰砂採掘現場視察 ? 女王国(阿波国鮎喰川下流域集落群)

距離約350km 歩行速度11.7km/日   @阿波
0306日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 09:58:08.09
>>303
「陸行一月」

陸行一月区間(旧土佐街道 別名土佐浜街道)  途中の河川は川船で渡河

投馬国(土佐国宿毛) → 途中、魏使一行 阿南市若杉山辰砂採掘現場視察 → 女王国(阿波国鮎喰川下流域集落群)

距離約350km 歩行速度11.7km/日   @阿波
0307日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 10:05:12.82
佐賀平野が無い時代になに言ってるんだ
ムー大陸か
0308日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 11:10:26.09
うん、そうだねえ。
縄文海進のころは、まさにムー大陸状態だったんだよなぁ。
0309日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 11:12:27.71
縄文後期から、倭国(阿波)の時代が 始まる。   @阿波
0310日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 11:13:59.30
庄・蔵本遺跡とは

庄・蔵本遺跡は、阿波徳島のランドマーク、眉山の北側山麓に広がる遺跡です。

蔵本キャンパスでは、1982 年に体育館器具庫地点の発掘調査を嚆矢とし、これまで30次にわたる発掘調査が実施されています。

その結果、縄文時代晩期から近代までの幅広い時代にわたる、数多くの貴重な文化財が発見されています。

その中でも、弥生時代前期のそれは極めて豊富で、初期の農耕集落遺跡として、学界で注目されています。

弥生時代の始まりには、2重の大溝が居住地の周りを巡り、その周辺に墓地や畑・水田が広がっていたようです。

そのほか、弥生時代中期の方形周溝墓群、後期の中国鏡、銅鐸片を発見するなどの学術的価値の高い成果をあげています。

旧河道や溝などからは、土器・石器などの道具に加え、木製品・炭化種実といった有機質資料も豊富かつ良好な状態で出土しており、

弥生人の生活誌の復元にも大きく貢献しています。   @阿波

http://tokudaimaibun.jp/s_rist.html
0311日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 11:15:07.02
「田井遺跡(縄文時代前期〜中期)  所在地  徳島県海部郡美波町由岐田井」

縄文時代前期〜中期・様々な道具とアクセサリー

田井遺跡は海水浴場として知られる田井ノ浜の北西約300mにある標高約20mの小山のすその微高地上にある。

2001年(平成13年)に道路建設に伴って発掘調査により、縄文時代前期末〜中期(約5,000〜4,000年前)にかけての、主に石器を製作した跡とみられる遺構が発見されている。

出土した遺物として土器・石器類が多いが、なかでも注目されるのは様々な石を材料とした石器の道具やアクセサリー類である。

石鏃にはサヌカイトやチャート、石斧には結晶片岩、けつ状耳飾には滑石や蛇紋岩というように、それぞれの用途に適した石を選んで製作していたことが分かっている。

※縄文人が、海を通じて広く交流をしていた様子が各種の遺物から分かる。 ← 言葉を濁しているが、倭国(阿波)の海人族のこと。   @阿波 

「田井遺跡で出土したけつ状耳飾」
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5022996/
0312日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 11:16:31.24
「加茂宮ノ前遺跡(縄文時代)」

阿南市加茂町にある加茂宮ノ前遺跡のは発掘調査では注目すべき成果がいくつもあった。

その一つに縄文時代後期(約4千〜3千年前)の集落跡の発見を挙げることが出来る。

集落跡からは、竪穴住居2軒のほか、屋外炉(火を燃やした跡)、土坑などが見つかった。

注目されるのは、県内で初めて確認された円形配石遺構16基だ。

1基の円形配石遺構は、直径が1〜3m。

人の頭よりやや大きい砂岩の河原石を円形に並べたもので、円の内部には小石や、白色の小円礫(砂利)が敷き詰められていた。

また、16基あるサークルが一部重なり合っていることや出土した地層に高低差があることから、

全ての円形配石遺構同時期に作られたのではなく、長期間にわたって順に造られたと考えられる。

配石遺構は、主に祭祀施設として利用されたと考えられる。

縄文時代前期から中期(約7千〜4千年前)ごろ、中部地方を中心として直径が50mを超えるような環状列石(ストーンサークル)が造られるようになった。

後期に入ると、その分布は東北地方にまで広がる。

一方、西日本では、こうした大型の環状列石は造られることはなく、代わりに小型の円形配石遺構が造られた。

しかし、発見された遺構は極めて少ない。

円形配石遺構が竪穴住居に近接している加茂宮ノ前遺跡の場合、日常生活と祭祀をした場所が一体として発見された稀な例として、全国的に注目されている。

(県埋蔵文化財センター事業課長・氏家敏行)      2019年(令和元年)6月30日 徳島新聞朝刊
0313日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 11:17:19.42
「矢野遺跡(縄文時代)」

徳島南環状道路建設に伴い1992〜98年に行われた発掘調査で、縄文時代後期初頭(約4千年前)の遺構面から見つかった。

このうち、土面は縦15.8センチ、横16.7センチ、厚さ1センチのほぼ円形で、粘土で作られている。穴を開けて目や口を作り、鼻や眉も付けている。

用途は定かではないが、祭祀で使われた可能性がある。土面としては国内最古で、最も西の地域の出土例となっている。

土器は煮炊き用の深鉢や盛り付けに使われた鉢、つぼなど。関東の土器に見られる文様だけでなく、近畿から九州北部の広範囲で確認された文様が混じっている。

祭祀で使われた赤色顔料「水銀朱」が付着しているものもあり、国内最古の水銀朱の使用例として注目されている。

石器にはやじりなどの狩猟道具や食物加工用具がある。最も多いのは石の重りの石錘で、網にくくりつけて漁労に使ったほか、編む際の重りなどに使われたとみられる。

文化審議会は「縄文時代最古級の土面や、水銀朱の使用例が含まれ、西日本における縄文時代中期末から後期の生活の様子を示す資料として貴重だ」としている。

2019年(平成31年)3月19日 徳島新聞朝刊
0314日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 12:04:03.58
トピズレ
古過ぎ
0315日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 12:06:31.28
「加茂宮ノ前遺跡(弥生時代)」

阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡は、那賀川の右岸、標高24〜26mの自然堤防上に立地している。

発掘調査で弥生〜古墳時代集落の中心部を確認した。

それ以前の調査成果と合わせ、竪穴住居が約100軒発見されたことになる。

県内の他の弥生時代集落では、鉄器が製作されたとみられる竪穴住居は各集落の中で1,2軒程度しかない。

ところが、加茂宮ノ前遺跡の弥生時代中期末〜後期初頭の竪穴住居の約半数では、鉄器を生産していたことを示す鍛冶炉が複数設けられていた。

生産に関わる道具類と鉄鏃などの製品も出土した。

背景には、水銀朱の生産との関連が考えられる。

これまでの発掘調査で、石臼や石杵といった水銀朱の生産に使った道具類のほか、原材料となる辰砂が大量に出土している。

その流通ネットワークを通じて、当時の最先端技術だった鉄器の製作法とその原料の鉄が持ち込まれたと推測できる。

加茂宮ノ前遺跡の弥生時代中期末〜後期初頭の竪穴住居からは、稀少な装飾品も多数発見された。

この時期の県内の他の遺跡からは、ガラス小玉や凝灰岩製管玉などが数点しか出土していない。

加茂宮ノ前の集落が繁栄していた証といえる。

県内の弥生時代中期末の鍛冶炉の発見例は、県内では加茂宮ノ前遺跡が初めてだ。

それ以外は鳴門市大麻町の光勝院寺内遺跡、徳島市名東町の名東遺跡、徳島市国府町の矢野遺跡など、いずれも吉野川下流域の遺跡に限られていた。

(県埋蔵文化財センター専門研究員・田川憲) 2019年(令和元年)7月 1日 徳島新聞朝刊
0316日本@名無史さん
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2019/09/23(月) 12:09:19.14
「矢野遺跡(弥生時代)」

徳島県最大級の弥生時代の集落、銅鐸(重要文化財)が出土

1992年(平成4年)から始まった徳島南環状道路建設に伴う発掘調査により、徳島県では最大規模の弥生時代の集落遺跡であることが判明した。

現在までに、竪穴住居跡約100棟が見つかっている。

大量の遺物の中で、とくに注目されるのは銅鐸である。鰭と呼ばれる縁の部分を太い線で飾る突線鈕式と呼ばれる銅鐸の中でも最新型式。1992年12月18日に発見された。

銅鐸は木製容器に納めて埋められたと考えられ、土坑の周りには、7本の柱穴が確認されている。このような埋納状況が判明した銅鐸は非常に珍しく、銅鐸の謎を解く鍵となる。

1995年6月15日に重要文化財(考古資料)に指定された。

そのほか、鉄器を製作したと考えられる鍛冶遺構も見つかっており、集落内での鉄器生産を考える上で興味深い。
0317日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 12:10:43.49
徳島県阿南市水井町「若杉山遺跡」・「丹波坑口」・「長生町奥ノ谷遺跡」

出土遺物
@石器(石臼・石杵)
A土器
 甕・広口壺・二重口縁壺、小型丸底鉢、鉢、高杯、器台=生活用具のほとんどがそろっている
 小型丸底坩(弥生X様式後半〜布留式まで)庄内式並行期がほとんど
 土器胎土(結晶片岩・石英・雲母)
B玉類
 蛇紋岩製勾玉
C鉄製品
 刀子・不明鉄製品(やりかんな?)
D自然遺物
 貝片・獣魚骨・人骨片

想定される生産形態
・土器以外の生活用具が少ないが、生活用具のほとんどが揃っている
・籾痕の付いた土器や鹿・猪・貝類=一定期間生活
・岩盤直上に営まれる→近くの集落の人間が農閑期に行う特産的生産レベルのものではなく、
 分業化された専門工人集団の生産
・ハマグリ・オキアサリの成長線分析→採取時期は夏期後半から秋期後半

 若杉山遺跡の採掘作業は、夏季後半から秋季後半に行われていた可能性
              (徳島県立博物館1997・岡山1998)
0318日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 12:11:52.34
鳴門・板野古墳群について    「徳島県の歴史散歩(山川出版社)」から抜粋

鳴門市大麻町の山地の麓には、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて、前方後円墳を核とした首長墳が集中する。総称して鳴門・板野古墳群と呼んでいる。

主な古墳は、西山谷2号墳  池谷宝幢寺古墳(県史跡)  天河別神社古墳群(6基・県史跡)  萩原1号墓(消滅)・2号墓  大代古墳(県史跡)  板野の愛宕山古墳(県史跡)

発掘調査で埋葬施設が判明した西山谷2号墳、天河別神社1・2号墳、愛宕山古墳、大代古墳は、いずれも結晶片岩板石積みの竪穴式石室を構築しており、

鮎喰川産の土器を供献するなど、気延山古墳群との親縁性を示している。

西山谷2号墳は全国最古級の竪穴式石室で、石室外周に萩原1・2号墓に類似した一種の囲み壁をつくっている。 積石木槨から竪穴式石室の成立を考える上で興味深い。

近年、東阿波型土器が大和・河内地域の遺跡から相当量出土することをふまえ、大阪府茨木市の将軍山古墳や紫金山古墳、高槻市の闘鶏山古墳を始めとする

摂津・北河内地域に点在する結晶片岩石積みの竪穴式石室について、その用材石室構築技術が、阿波地域から提供されたとみる説が定着しつつある。

鳴門板野古墳群には中国製の銅鏡の副葬がみられるのも特徴である。

「板野・鳴門古墳群」
http://ktmrj15.webcrow.jp/p36ts/tpx14042619maibun.htm
0319日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 12:17:04.25
畿内の古墳は、阿波のお墓。

畿内地域の古墳の石材調査が進むにつれて、倭国(阿波)の結晶片岩を石室や葺石に用いた前期古墳の事例が増加してきた。

大阪府の「闘鶏山古墳」、「将軍山古墳」、「鍋塚古墳」、「牧野車塚古墳」、神戸市の「西求女塚古墳」などが典型例だ。

そして、そうした結晶片岩を使う事例が、畿内北部の淀川流域から瀬戸内北岸にかけての一帯に多い傾向もより明瞭になってきた。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/kouko/061018awaitano.htm
0320日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 12:19:42.52
『阿波の青石(緑色結晶片岩)の石槨石材搬出状況』

・西求女塚古墳(兵庫)・五色塚古墳(兵庫)・紫金山古墳(大阪)・茨木将軍山古墳(大阪)
・弁天山C1号墳(大阪)・櫛山古墳(河内)・燈籠山古墳(河内)・松岳山古墳(奈良)・茶臼塚古墳(奈良)
・玉手山7・9号墳(奈良)・貝吹山古墳(奈良)・ホケノ山古墳(奈良)

    北條芳隆「讃岐型前方後円墳の提唱」(1999大阪大学考古学研究所 記念論集)より
0321日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 12:21:19.91
徳島県鳴門市大麻町萩原の「萩原2号墓」で、板材でつくった墓室・木槨(もっかく)を積石(つみいし)で囲んだ三重構造の埋葬施設が確認された。

県教委と県埋蔵文化財センターによると、築造は弥生時代終末期の2世紀末〜3世紀初頭で、邪馬台国の女王、卑弥呼が活躍した時期に一致する。

石で木槨を囲う例は、他には弥生墳丘墓と前方後円墳の過渡期的存在とされるホケノ山古墳(奈良県桜井市、3世紀前半)だけで、同古墳の構造に影響を与えたのは確実。  

前方後円墳の成立に阿波地域が大きな影響を与えたことを示す貴重な資料となる。
0322日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 12:24:20.25
「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。  

圧倒的な倭国(阿波)の遺跡のまえに、ぐうの音も出ない九州説や畿内説。   @阿波
0323日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 12:37:57.39
 文字のないところに歴史はない。
0324日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 12:43:13.96
>>323
>文字のないところに歴史はない。

その通り。   

奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。

阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。

ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。

ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。

それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。

阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
0325日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 13:01:50.00
>7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。

 皆、三世紀以前の話をしてるんだけど?
0326日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 13:16:25.63
>>325
>皆、三世紀以前の話をしてるんだけど?

縄文時代後期から、7世紀末までの倭国(阿波)の話をしてるんだけど?  わははははは   @阿波
0328日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 13:37:48.11
今となっては黒潮で水行とか言ってた頃が懐かしいなあ
逝ったっきりじゃんとか突っ込んでも聞く耳もたずに主張しまくってて懐かしかった
@高地性集落が四国横断山中街道の宿場町とかあったな
人間おいつめられるといろいろ考えつくものだ
0329日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 13:39:28.16
>@高地性集落が四国横断山中街道の宿場町
銅鏡百枚かついで魏使が足腰鍛えたってあれだなw
0330日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 15:10:25.69
まぁ、魏人が短里などという亡国の尺度を使う意味もメリットもないし、短里を採用する時点で「魏使の報告書」が陳寿のソース源でないことは明らかだわな。

さらに水行〇日、陸行〇日ってところでそれを決定づけてる。
それまで記録してきた里数換算を行程の途上で突如放棄とかありえん。

そんな報告書を魏帝に提出したら、魏帝は「げぇっ!!」って大口あけて絶句しよるわ。
0331日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 15:13:43.02
>>303
またそうやって都合の悪い箇所は見えないふりをする
魏使は銅鏡百枚などの重量物を運搬していると言っているだろう
もともと標準速度での移動は無理なんだよ

>いや、平地の標準ルートで糸島-佐賀平野が100km程度ってことなんだが。
日本語が通じない人か?
多くの河川があるので渡河点までいちいち迂回してたら100kmどころじゃ済まないってことなんだが

>吉野ヶ里出土の銅鐸が島根の銅鐸と同型である事から明確なように、佐賀-糸島はおろか本州までの流通ルートははるか昔に確立している。
>邪馬台国期に道なき道などあり得ない。
末廬国から伊都国までのルートでさえ草木が生い茂って前を進む人間の背中が見えないと書かれているわけだが?
都合の悪い箇所を見えないふりする癖は直したほうがいいぞ
魏志倭人伝の記述を無視した想像は結局ただの妄想に過ぎないのだから

吉野ケ里でわかるように当時は環濠集落が主である
環濠集落は環濠で外界と集落を区切っているのだから、城郭で外界と区切っている中国やヨーロッパの城塞都市文化と同じで、
区画の外には無人地帯が広がっている
人が住んでいなければ橋もろくにかからないし、九州の気候ではひと夏であっという間に草ぼうぼうの道なき道になる
まして筑紫平野の女王共立諸国はつい最近まで倭国大乱で争っていたのだから、敵の進行ルートにもなり得る街道や橋の整備を行う動機がない
0332日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 15:16:26.93
>>330
そんな報告書を魏帝に提出したら、魏帝は「げぇっ!!」って大口あけて絶句しよるわ。

西晋 だと、何度言えばw   @阿波
0333日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 15:17:31.80
>>330
>そんな報告書を魏帝に提出したら、魏帝は「げぇっ!!」って大口あけて絶句しよるわ。

西晋 だと、何度言えばw   @阿波
0334日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 15:22:00.55
>>330
>それまで記録してきた里数換算を行程の途上で突如放棄とかありえん。

伊都国や不弥国で行程はほぼ終了したんだよ。
だからそこまでの日数をおさらいしただけ。
0335日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 15:22:34.34
・東夷世界の情報が全て短里で記されている
・短里と魏尺の変換係数がわからない
この条件が揃っていたら、短里でそのまま記すしかないな。

例えば未知の国がインチという尺度を使っていて、
未知の国の地図がインチ尺度で書かれていたとする。
そしてインチ尺度と我々のメートル法との変換係数が不明だとする。
とすれば、勝手にメートルに変換するわけにもいかないから、
とりあえずインチで記すのが正確。
メートルへの変換は後世に託す。
0336日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 15:29:55.17
>>330
>まぁ、魏人が短里などという亡国の尺度を使う意味もメリットもないし、短里を採用する時点で「魏使の報告書」が陳寿のソース源でないことは明らかだわな。
いや、陳寿は短里で書かれていることをちゃんと認識しているよ
だからこそ万二千里という数字から会稽の東というおおよそ正しい方向を計算できている
長里で書かれていると認識していたら倭国の位置は赤道付近まで行ってしまうので会稽どころの話じゃない
0337日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 15:33:07.04
帯方郡(平壌)
↓【南】海岸水行7000里(直線距離 500km)1里=71m
狗邪韓国(順天)
↓【南】海渡1000里 (70km)1里=70m
津島国(方400里、千戸)(対馬上対馬か)
↓海渡1000里 (50キロ)(50km)1里=50m
一支国(方300里、三千家)(壱岐郷ノ浦か)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25キロ)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
↓【東南】100里 (15キロ)1里150m
奴国(二万戸)(田川辺り)
↓【東】100里 (25キロ)1里250m
不弥国(千戸)(築上町辺り)
↓【南】水行20日
投馬国(五万戸)(宿毛)
↓【南】水行10日又は陸行1月(旧土佐街道)
《邪馬台国》女王・卑弥呼(七万戸)
↓【東】海渡1000里(50km)1里=50m
女王国東渡海千余里復有国皆倭種 (阿波から東へ1000里渡海→奈良周辺)

帯方郡→女王国(阿波)万二千里(直線距離 900km)1里=75m

∴1里=70mは、概ね妥当。   

狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。

因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。
0338日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 15:46:51.00
洛陽市−紹興市(会稽)の距離は1069.8km

1069.8km÷12000里=89m
0339日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 16:57:12.19
大陸からの行きと帰りのルートは異なる。


大陸からの往路は筑前(宗像)・豊前経由

玄関口(福津市周辺 万津浦)   



大陸への帰路は豊前・筑前・肥前(松浦)経由

出航地(平戸市周辺)   @阿波
0341日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 18:35:06.94
>>339
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないじゃん(大爆笑)
0342日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 18:59:17.97
>>339

言うだけ番長
0343日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 19:18:49.08
当時は帆船がある可能性はあまりないそうだから
海流・潮流に流されると思っていいだろうな
漕いだくらいでは逆らえない
0345日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 19:28:48.47
だよな〜

黄海を船が行き来した記録向こうにあるもんよ

なんかの船が朝鮮よってそのあと日本にきた古代の航海史記録みたいなんなかったっけ?

その連中らが渡来人だの呼ばれていきなり出てきた連中らじゃねえの?
0346日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 19:29:22.46
倭人経由で勝手にきたんならそいつら勝手に日本にきただけやな
0347日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 19:30:00.89
じゃないの
0348日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 19:30:38.55
そんなん持ち上げる理由ないぞ(°▽°)

宣言する連中らいるなら海に沈めるか?

当たり前の反応だろ
0349日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 19:38:28.71
やったぜ!

朝鮮半島から鉄ゲッツ!!!
0350日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 21:56:45.25
>331

きみはほんとうにばかだなあ。

>魏使は銅鏡百枚などの重量物を運搬していると言っているだろう
もともと標準速度での移動は無理なんだよ

船から荷下ろしした後は現地倭人の人夫に手分けして運ばせるんだよ。
魏使が自分で担いだとでも?

>多くの河川があるので渡河点までいちいち迂回してたら100kmどころじゃ済まないってことなんだが

多くの渡河点って具体的にどこだよ?

>末廬国から伊都国までのルートでさえ草木が生い茂って前を進む人間の背中が見えないと書かれているわけだが?

末廬国から伊都までは倭の朝貢使が通ったルートだから、そもそも魏使は通ってない。
魏使は壱岐から伊都まで直行。
距離的に変わらない上に海流乗れるから。

伊都から女王のもとに交易品は伝送されるって書いてるだろ。大量の荷物を輸送できる街道は既にあるんだよ。
外交の玄関口から王都まで、道なき道を行かねばならぬ運営体制とかありえないから。

王都が陸の孤島なわけがないだろうが。
万一の事変の時に援軍も送れんぞ?


史書に書いてもいない「魏使の通ったルート」という妄想から始めるから、そんなヘンテコリンな考えになるわけ。
倭人伝のどこに「魏使の通った道をトレースしました!」なんて書いてあるんだ?

帯方からなら松浦経由でなく、壱岐から糸島直行の方がはるかに「合理的」なのは猿でもわかるよな?
あえて「不合理」な松浦経由した理由は何?
0351日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 22:13:27.72
>>350
>船から荷下ろしした後は現地倭人の人夫に手分けして運ばせるんだよ。魏使が自分で担いだとでも?
誰が担いだって人力である以上、移動速度は変わらないわけだが
きみはほんとうにばかだなあ

>多くの渡河点って具体的にどこだよ?
普通は橋だろ
場所によっては渡し船もあったかもしれん
いずれにせよ現代のように多数あるわけもなく移動距離は長くならざるを得ない

>末廬国から伊都までは倭の朝貢使が通ったルートだから、そもそも魏使は通ってない。
何を根拠に?
妄想はもうたくさんだぜ

>伊都から女王のもとに交易品は伝送されるって書いてるだろ。大量の荷物を輸送できる街道は既にあるんだよ。
伊都国は安曇海人の国だ
海路で運んだに決まっている
街道は必要ない

>史書に書いてもいない「魏使の通ったルート」という妄想から始めるから、そんなヘンテコリンな考えになるわけ。
つまりお前は史書に書いてもいない「倭の朝貢使が通ったルート」だと妄想してるわけね
倭の朝貢使がどうして伊都からじゃなく末盧に行かなきゃいけないのか意味不明なわけだが

そもそも倭の朝貢使のルートなら陸行五百里はどこから出てきたんだ?
倭人は里程を知らんのだぞ?
お前の妄想はとっくに破綻してるんだよ
0352日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 22:17:40.46
>>338
>洛陽市−紹興市(会稽)の距離は1069.8km

>1069.8km÷12000里=89m

お見事。
0353日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/23(月) 22:49:49.18
んなら卑弥呼って呼ばれた女王がいたん会稽やん、、、
0354日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 00:17:24.76
奈良文化財研究所のブログより

https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2013/06/20130601-1.html
>古代の方位測定法
>いまの私たちなら、方位磁針(コンパス)を使うのが簡便です。ただし、よく知られているように、磁針が指す磁北は、
>地球の自転軸の延長方向である真北とは一致しません。
>奈良や京都では、真北から7度ほど西にずれています。この差は地域や時代によって異なりますが、6〜8世紀ではさらに大きく、
>西日本では平均して10〜15度も西へずれていました。したがって、古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。
>
>ではどうやって方位を測ったのかというと、まず間違いないのは太陽を利用する方法です。地面に棒を垂直に立て、それを中心に円を描きます(全周させなくてもかまいません)。
>午前と午後の2回、棒の影の先端が円周上にくるときがありますが、その2点を結べば、ほぼ正確に真東西となります。
>この方法は、古くから『周礼しゅらい』をはじめとする中国の書物に記され、簡単なうえに精度もよいことが実験でも確かめられています。

太陽を利用する方法は精度が高いが定点観測しなきゃいけないので都市計画にはいいが移動時には使えない
魏使は方位磁針で方角を測ったが磁北が西に大きくずれていることに気づかなかったため魏志倭人伝の方位にずれが生じた
と考えるとすっきり解決するのではないか
0355日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 04:06:25.59
>>354
なるほど、この修正を加えれば呼子から糸島まで東南になるな
倭人伝の謎もだいぶ解明されてきた感じがするね
0356日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 06:06:57.06
>>351

>誰が担いだって人力である以上、移動速度は変わらない

そうだよ?人夫に分散させれば平時の行軍装備と変わらない重量で運べるから、平時の行軍速度と変わらないね?
冊封には軍事同盟の意味合いもあり、なおかつ蛮地に赴くときは危険も多いから倭への魏使は武人…船舶比率が高いから水軍のそこそこの将官と精兵ってとこだろ。
まさか、ヨボヨボの爺さんや書生然としたモヤシっ子を派遣するわけはないだろう。
なんで遅くなると思ったの?

>いずれにせよ現代のように多数あるわけもなく移動距離は長くならざるを得ない

いやだから、渡河地点がいくつあって、距離は何倍に増えたの?具体的に。

>街道は必要ない

重要な都市と都市ができれば、そこに街道ができるんだよ。往来あるんだから。
平地を通る糸島-佐賀間で、街道が「できない」と思う理由はなに?

>倭の朝貢使がどうして伊都からじゃなく末盧に行かなきゃいけないのか意味不明

海流と船舶技術。
倭人でも「行き」は対岸距離が短い松浦半島経由。「帰り」は対馬海流が利用できる壱岐から糸島。


>倭人は里程を知らんのだぞ?

いや、だからそれはずっと前に解明済だろ。
土着倭人は里を知らないけど、古い時代に来た渡来人、現代的に言うと「ザイニチ」には里の知識が伝承されてたのだよ。
特に北九州一帯には、古くからの半島人も多いからね。
でないと、短里を使う意味がわからないね?
0357日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 06:07:20.62
「魏使の通ったルート」だと仮定すると、

●松島半島から糸島まであえて困難な陸路を行った理由
●魏使が短里を使う理由

これらに対する説明ができてないね?
俺はその疑問に既に「合理的」に解答を出してるね?

お前の妄想はとっくに破綻してるんだよ。

もし、糸島から佐賀まで日速3kmでしか進めない未開の地だったらね…

安心しろ、そこに邪馬台国はない。

正史に記載されている以上、邪馬台国=大和だと言うのが中華の公式見解だからな。
0358日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 07:13:38.61
>>357
>正史に記載されている以上、邪馬台国=大和だと言うのが中華の公式見解だからな。

あなたさま、魏・晋王朝のお役人様でいらっしゃいますか???
0359日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 07:21:34.74
>>357
>正史に記載されている以上、邪馬台国=大和だと言うのが中華の公式見解だからな。

頭が可哀想な人?
0360日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 07:53:15.05
>>354
>魏使は方位磁針で方角を測ったが磁北が西に大きくずれていることに気づかなかったため魏志倭人伝の方位にずれが生じた

それにしても極北を計る方法は、「西日本では最大10-15度」だそうだからさしたる問題ではない。、
ましてや朝夕の日の出・日の入りの方角をあてにして45度も間違えるよりは、はるかにましではないか??
0361日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 08:01:52.92
>>356:>平地を通る糸島-佐賀間で、街道が「できない」と思う理由はなに?
>>357:>もし、糸島から佐賀まで日速3kmでしか進めない未開の地だったらね…

なんでここに糸島−佐賀が出てくるか、分かりかねるのだけれどねえ。佐賀に邪馬台国でもあったのかねえ。
0362日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 08:49:14.46
そういえばこの時代、壱岐→対馬 はどうやっていったのだろうな
対馬→壱岐 は海流にのって行けそうだけど、反対なら流されそうなのだが
0363日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 10:37:49.18
季節を選べば大丈夫だよ
0364日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 10:38:12.55
>>362
この海峡間(釜山−対馬−壱岐−唐津)の潮の流れはとても複雑なのだそうだ。
干満の差、月齢の差、四季の差などで潮の方向や強さが大きく変わる。
また、風向によっては底流と表面50p位までの流れの方向も違う。

結果として、旧暦の夏6月頃と冬12月頃が、潮としては最も渡りやすく、
各島間は基本的に1日航海で渡れることが、近年の海潮レーダー観測で明らかにされたそうだ。。
事実、卑弥呼の遣いは6月と12月に渡ったらしいことが、倭人伝からも読み取れる。
0365日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 12:14:06.46
つまり倭人らの拠点自体が会稽ってわけな(°▽°)

そっからさらにどっか行ったとこに邪馬壹国←ってのがあったって話だべ

魏の連中らは魏の首都、洛陽←から会稽←までの道のり距離、方角を記録に残したわけだよ
0366日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 14:26:16.10
会稽と言えば

呉の夫差と越の勾践の戦争で有名やな
0367日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 14:27:18.65
会稽自体はもともと越国の領地

呉の夫差と越の勾践の間で戦争があった地だよ
0368日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 16:02:36.67
倭人の方向感覚は
20度から25度程度で北が北北西にやや偏している
であればこそ真北にはない半島が真北にあるということにはなる
半島が真北にあるということは
真西方向ぴったしに会稽東部都尉の支配した領域があるということだよ
0369日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 18:39:01.68
>>340
>無理がありすぎる

どこが無理なのかを指摘できない、小心者ですか?  わははははは   @阿波
0370日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 19:25:13.23
>>340
帯方郡(平壌)
↓【南】海岸水行7000里(直線距離 500km)1里=71m
狗邪韓国(順天)
↓【南】海渡1000里 (70km)1里=70m
津島国(方400里、千戸)(対馬上対馬か)
↓海渡1000里 (50キロ)(50km)1里=50m
一支国(方300里、三千家)(壱岐郷ノ浦か)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25キロ)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
↓【東南】100里 (15キロ)1里150m
奴国(二万戸)(田川辺り)
↓【東】100里 (25キロ)1里250m
不弥国(千戸)(築上町辺り)
↓【南】水行20日
投馬国(五万戸)(宿毛)
↓【南】水行10日又は陸行1月(旧土佐街道)
《邪馬台国》女王・卑弥呼(七万戸)
↓【東】海渡1000里(50km)1里=50m
女王国東渡海千余里復有国皆倭種 (阿波から東へ1000里渡海→奈良周辺)

帯方郡→女王国(阿波)万二千里(直線距離 900km)1里=75m

∴1里=70mは、概ね妥当。   

狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。

因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。   @阿波
0371日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 19:36:49.87
大陸からの行きと帰りのルートは異なる。


大陸からの往路は筑前(宗像)・豊前経由

玄関口(福津市周辺 万津浦)   



大陸への帰路は豊前・筑前・肥前(松浦)経由

出航地(平戸市周辺)   @阿波
0372日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 21:38:15.16
それ高麗時代に日本に仏教が伝わってきたルートじゃないの?
0373日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 21:40:59.28
会稽郡が古代中華世界の南の果てなんだよ

それより南は全て南蛮と呼ばれた
0374日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 22:27:14.36
>>356
>そうだよ?人夫に分散させれば平時の行軍装備と変わらない重量で運べるから、平時の行軍速度と変わらないね?
どれだけの大名行列組む気だよお前はw
人間の数が増えるほど移動速度は遅くなるのが常だがそんなことも分からんのか?

>いやだから、渡河地点がいくつあって、距離は何倍に増えたの?具体的に。
いや、それを明らかにしなきゃいけないのは距離が100kmほどだと断言しているお前なんだが?
ちゃんとルート上に渡河可能な地点が十分にあって迂回が必要なかった証明をしろよ

>重要な都市と都市ができれば、そこに街道ができるんだよ。往来あるんだから。
伊都国からの往来は船だと言ってるだろう
なんで海人族がわざわざ3倍も時間の掛かる陸路を取ると思ってるんだ?

>平地を通る糸島-佐賀間で、街道が「できない」と思う理由はなに?
筑後山門は福岡県なんだが?
地理も理解できてないくせに噛み付いてきたのか?

>倭人でも「行き」は対岸距離が短い松浦半島経由。「帰り」は対馬海流が利用できる壱岐から糸島。
根拠が一つもないな
ただの妄想じゃないか

>土着倭人は里を知らないけど、古い時代に来た渡来人、現代的に言うと「ザイニチ」には里の知識が伝承されてたのだよ。
それも根拠が一つもない
ただの妄想だな

>でないと、短里を使う意味がわからないね?
いや、>>336の通り短里で書いてあるのは生粋の中国人である陳寿も認識しているから半島人関係ない
お前の妄想はとっくに破綻している
0375日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/24(火) 22:35:38.64
>>357
>●松島半島から糸島まであえて困難な陸路を行った理由
松浦な
三国志の常識を知らんようだが中国北方の魏の人間は船が苦手だ
魏人は赤壁の戦いで嫌というほど思い知ってる

>●魏使が短里を使う理由
司馬懿の功績を大きくするため短里で数字を誇張した
昔から言われていることだな

>俺はその疑問に既に「合理的」に解答を出してるね?
いや全然
愚にもつかない妄想が並べてあるだけだったよ

>正史に記載されている以上、邪馬台国=大和だと言うのが中華の公式見解だからな。
これもまた愚にもつかない妄想
魏志から三百年以上後の隋使に邪馬台国の場所なんて分かるわけがない
単に地名が同じだったからそう思っただけのこと
地名が同じなのは筑後山門から畿内にヤマトの名を持っていったのだから当たり前だが、隋使には知る由もない
0376日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 03:25:48.31
邪馬台国とは関係ないけど、金印見つかってる割に奴国関連の遺跡って全然掘られてねえな
福岡空港前の月隈丘陵で犬と散歩してるとさ、犬がくんくん地面かいで掘るんだけど、割れた赤粘土の皿がわんさか出てくる
月隈遺跡は古代の祭祀場 兼 共同墓場で、昭和の代に開発される前に一通り学術調査されてるんだけど、国際スポーツ大会までにスポーツ公園を作らないといけない事情で急遽、発掘調査を切上げて、そのままその上に道路敷いてしまったらしいんだよ
俺の爺ちゃんがそのときその工事の現場監督やってて「甕棺の上にコンクリートば流し込んでくさ罰当たりなことしちょった」ってめっちゃ嘆いてた

だから俺はまだまだ掘られてないお宝が眠ってるこの月隈丘陵が奴国一の聖地だったのでないかと思ってる
0377日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 03:42:17.30
まあ普通に考えて日本で最初に稲作の始まった席田遺跡の外縁を取囲むように走ってる月隈丘陵に何もないはずかないわな
先祖代代志免に住む祖父が言ってことだが、東平尾公園が整備されるまでこの辺りの人は忌地として絶対にこの丘陵には立入らなかったらしい
奴国が大陸人の最初の入植地なのだから、邪馬台国論争をする前に博多周辺の胡散臭いところを粗ざらい調査するほうが古代史研究に寄与すると思うが、学者や九州説者は平原遺跡に釘付けなんだよな
趣味で月隈を研究してる教育委員会のジジイいないかな
0378日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 07:04:42.48
>>375
>単に地名が同じだったからそう思っただけのこと

面白いこと云うねエ。 
畿内大和も筑後山門も、単に地名が同じだったからそう思っただけのこと、・・じゃないの。
0380日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 07:24:09.18
「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。 

圧倒的な倭国(阿波)の遺跡とは、雲泥の差。   @阿波
0381日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 07:27:33.84
陸行一月というのの算出根拠推定だが、
魏からの贈り物は、卑弥呼のもとへ伝送されたとなっている。
伝送とあるのだから、駅のようなものが有って物資や一般情報へ伝達されたようだ。後世の駅家の数が参考になるのではないか。
0382日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 07:38:20.68
「陸行一月」

陸行一月区間(旧土佐街道 別名土佐浜街道)  途中の河川は川船で渡河

投馬国(土佐国宿毛) → 途中、魏使一行 阿南市若杉山辰砂採掘現場視察 → 女王国(阿波国鮎喰川下流域集落群)

距離約350km 歩行速度11.7km/日   @阿波
0383日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 07:45:25.31
>>381 つづき
というのは、我が村に駅家はなかったが、その代替として昭和の初めまで郵便文書の伝送があった。
村から村へ、地元の健脚が郵便文書を担ぎ、走り伝えたという。

これはなかなか合理的で、
自分の家で朝飯を食ってらら、郵便を受け取って走り、
隣り村へ送り届けたら駄賃をもらって帰り、我が家で昼飯を食べる。
こうすれば、移動往復の食事や宿泊の世話設備が必要ない。。昔の伝送は、昔なりに巧妙な仕組みだったわけだ。
0384日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 08:01:11.84
>>378
畿内大和はその通りだろう
魏志倭人伝の描写と全然合ってないのに主張しているんだから

筑後山門は魏志倭人伝の描写にピッタリ>>8
0385日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 08:07:55.36
>>384
>筑後山門は魏志倭人伝の描写にピッタリ>>8

魏志倭人伝の「丹」の採れない筑後山門に、邪馬台国など在る訳がない。  以上御終い。   @阿波
0386日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 08:10:12.49
>>383 続つづき
重たい荷物の伝送の場合は、走り伝えるというわけにはいかない。
それなりに準備も必要で、背負い道具や雨風に備えてミノ傘もいる。腹も減るから握り飯の一つも用意しただろう。
だから、半日伝送して、現地で昼飯を喰い、帰り道に半日費やして、夜は我が家で晩酌し、カーチャンと休む。
こうすれば、昼飯・宿泊・酒色の手間・世話・心配もいらない。
重い物資の伝送は半日づつの行程だったのではないか・・・、
0387日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 09:16:34.84
三国志魏志の「邪馬台国」への「行程」は
「邪馬台国」が魏の敵である呉の後背を襲える福建省の真東に位置するという
結論から逆算したもの

福建省の真東は琉球しかないんだから
最初からデタラメ

よって魏志に記されている「行程」などまったく何の意味も無い


中国は「令和」の種元となった科学者張衡によって後漢の時代に
現地に行きさえすればほぼ正確に緯度を計測する技術を確立している
これにより張衡以降の地図の精度は飛躍的に向上した

南北の位置がデタラメだというのは
中国の役人が誰一人「邪馬台国」なんぞに到達していないという
決定的な証拠
0388日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 10:14:41.26
>>374

>いや、それを明らかにしなきゃいけないのは距離が100kmほどだと断言しているお前なんだが?

あー、元ネタは>>8のこの珍図な。俺はこれ見て「佐賀はねぇだろ」って言ってるわけ。
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg
平野部を抜けるルートだと100kmぐらい。平野ルートでどう考えても陸行1月じゃねえだろ、って話。

ちな、過酷な山岳ルートで訓練された兵士がどのくらいの速度出せるかというと
ハンニバルのアルプス越えで200km以上10日ぐらい(+5日で軍団集結)。
八甲田山弘前隊で200km以上11泊12日。
時代も装備も違うが、体力が倍も違うわけじゃないから、どちらも結局20km/1日前後というところに落ち着くのだろう。

魏使が決死の強行軍で急ぐわけはないから、半分の速度と見積もって山越えルートで10km/日ってところか。

>どれだけの大名行列組む気だよお前はw

まさしくそれだよ。魏の威光を知らしめる目的で、大名行列組んだんだよ。
大名行列が「道なき道」を行くはずがないだろ。
重要な国賓を、「道なき道」に案内するわけがないだろ。

民草に知らしめるためにも、街道を行列組んでいくんだよ。
0389日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 10:15:36.99
>三国志の常識を知らんようだが中国北方の魏の人間は船が苦手だ
それお前の妄想。どんな国にも、得意なやつ、不得意なやつ、色々いる。
魏の水軍は全員赤壁要員のクローンか?
海路・遠征に長けた奴を選抜するにきまってるだろうが。

>司馬懿の功績を大きくするため短里で数字を誇張した
魏志における短里の論拠のひとつは張遼伝の「天柱山高峻二十餘里」記述であるが、これは位置諸説あるがもちろん倭ではない。
司馬懿の功績関係ない。
「辺境では中華中央の度量衡更新が伝わらず、古いままの単位が残ったところがあった」とすれば、筋は通る。


>愚にもつかない妄想が並べてあるだけだったよ
それはお前の読解力が決定的に足りないから。

>魏志から三百年以上後の隋使に邪馬台国の場所なんて分かるわけがない
これもまたお前の妄想、根拠なし。


魏人が船が苦手〜とかいうところ、思わず「げぇっ!」って噴いたわ(笑)

帯方から9000里も渡海しておいて、壱岐に至った段階で「船は苦手づら〜早く陸に上がるづら〜」って、どんな状況だよ。
0390日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 10:35:04.71
仮に呉の牽制であるなら魏の興味は倭人伝の記述通り九州の南の地勢がどうなっているか。
陸伝いにどこまで南下できるか、聞き取りや現地のフィールドワークで得られた情報から
倭地が周旋可能な1つの島であることを認識した。
そして、実際に九州南部を調査したからこそ花弁状住居や九州南部風の記述がある。

後に陳寿のデスクワークによりおおよその緯度も推定された。
(だだしこれには単位の混同という大きな誤りがあったが)

当然、戦略的位置にある九州南部の国と関係を持とうとする。
重要拠点の政治的安定のため内紛があれば積極的に仲裁もするだろう。
戦略的位置から外れる東の辺境なら倭種の記述で十分。
0391日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 11:52:20.63
>>363>>364
海流というか潮目・潮流なんだろうけど、
うまく乗った上で漕いで
時速5kmで進めたとしても、
途中で潮目が変わらないかな。
大体6時間周期で潮目は変わるのではなかったっけ。
壱岐→対馬 最短距離で75kmほどあるから、どんな加減だろうなと。
0392日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 12:32:48.88
>>391
離岸流という特殊な潮らしい(海岸に当って反転する流れ? 専門的なことは理解してない)
なお港から潮に乗るまでは手漕ぎ。潮は6時間でなく、12時間で反転したと記憶している。
つまり、基本は各島間12時間以内に渡り切る方法だが、特別な良潮のときは壱岐−釜山はノンストップで行けたらしい。
0393日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 13:39:36.51
>>385
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないじゃん(大爆笑)
0394日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 22:17:41.84
>>388
>あー、元ネタは>>8のこの珍図な。俺はこれ見て「佐賀はねぇだろ」って言ってるわけ。
だからその図のどこに佐賀が関係するんだよw
地理も分からんカスが寝言ほざくな

>平野部を抜けるルートだと100kmぐらい。平野ルートでどう考えても陸行1月じゃねえだろ、って話。
だからその平野部には多数の河川があるんだが?
平野部をまっすぐ抜けられるように多数の渡河点があったことを示せなければ100kmはただの妄想

>代も装備も違うが、体力が倍も違うわけじゃないから、どちらも結局20km/1日前後というところに落ち着くのだろう。
他国の文化を持ち出しても無駄
中国では一日一舎=三十里が平地での標準、魏の一里は約430mとされるから13km弱
街道もなく草刈りもされていない無人地帯はその半分も出ないだろう
そして行く手を阻む多数の河川
一月は余裕でかかるな

>まさしくそれだよ。魏の威光を知らしめる目的で、大名行列組んだんだよ
まさしく妄想だよw
威光を知らしめるためなら現地人使っちゃダメだろw
甲冑着込んだ魏兵じゃなければ魏の威光なんて伝わるかよ
そもそもそんな大量の現地人雇う予算が辺境の帯方郡のどこにあるんだよ

>重要な国賓を、「道なき道」に案内するわけがないだろ。
だから海路で移動したって図に書いてあるじゃねえかアホウ
知能障害を起こしてんじゃねえよ
0395日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 22:27:17.40
>>389
>それお前の妄想。どんな国にも、得意なやつ、不得意なやつ、色々いる。
南船北馬も知らねえのかよ
本気で無知だなお前

>海路・遠征に長けた奴を選抜するにきまってるだろうが。
それこそお前の妄想だ
そんなことが可能なくらいなら最初から赤壁で負けてねえわ

>司馬懿の功績関係ない。
いや東夷伝だけ短里にしてある動機として司馬懿が公孫淵を討って韓・倭への支配を開いたという功績を誇張するためというのは
多くの研究者が指摘している

>それはお前の読解力が決定的に足りないから
読解力が無いのはあの地図をみて佐賀がどうたら言い出すお前だよw

>これもまたお前の妄想、根拠なし。
魏志から三百年以上後の隋使に邪馬台国の場所が分かる理由を述べよ

>帯方から9000里も渡海しておいて、壱岐に至った段階で「船は苦手づら〜早く陸に上がるづら〜」って、どんな状況だよ。
他にルートがなければ苦手でも船に乗るしかないわけだが
ようやく陸地についてさっさと上がりたいと思うのは当然の心理だろう
まあ伊都国に行ったら「女王のところまで歩く?その大荷物じゃ一月はかかるぞ。船なら十日だが」と言われて結局また船に乗る羽目になるんだがな
0396日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 22:36:24.99
>>389
ああそれと、狗邪韓国までの七千里は沿岸水行で狗邪韓国から末盧国までの三千里は外洋渡海だ
波の荒さも潮の速さも全く違う
海に不慣れな魏人には生きた心地がしなかっただろうよ
陸地についたら一刻も早く船を降りたいと思っただろうね
0398日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 23:05:07.98
>>354
これで方角問題も解決か
あと残ってる謎って何があったっけ?
0400日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/25(水) 23:45:58.24
>>356
>倭人でも「行き」は対岸距離が短い松浦半島経由。「帰り」は対馬海流が利用できる壱岐から糸島。
だったら末廬国と伊都国の間が「前を行く人の背中が見えないほど」草が伸び放題なのはおかしくね?
お前は当時もう国と国の間に街道があったと思ってるんだろ?
魏志韓伝に倭人が弁韓まで来て鉄を採掘してると書いてあるんだから、朝鮮半島には頻繁に行っていたはずだぜ
0401日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 08:04:30.54
畿内スレ:
>>887 名前:日本@名無史さん 2019/09/26(木) 06:35:07
日本は未開の地で北九州に幾らか文化的な邑があって国になり漢倭奴国王がいたぐらいだね。
黄巾の乱が発端、道教宗教集団が流れてきて奈良を芙蓉とした。卑弥呼は西王母、天王は東王父。
移民を受け入れ信者を増やしていったのが初期。隋書では卑弥娥と扱われてる。
0402日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 08:14:06.84
>>397
ま、この海峡の流れは潮の干満というよりは、川の流れの蛇行渦巻斑点流のような感じだ。
6時間でも変わるし、8時間でも変わるし、12時間でも変わる。
ともあれ、ヤシの実のように潮に流されてたどり着いたのではない。
風向きも利用し、潮の流れの変化も大いに利用したが、何より基本的には人力でこぎ渡ったということだろうねえ。
0403日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 10:07:55.10
そもそも魏志倭人伝ほど胡散臭い物はない、
馬鹿馬鹿しい
0404日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 13:49:51.24
畿内説とか北部九州説とか胡散臭い信者ばかりじゃ、ご本尊の倭人伝も胡散臭く見られるわな。。
ごもっとも。、
0405日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 18:26:48.69
寒国と同じだな

自説が敗北
→自説もあれだが相手説も胡散臭い
の論点ずらし
0406日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 18:27:55.22
畿内説に対して「北部」九州説を限定して持ち出すということは
理屈では北部九州説が正しいと理解しているのだな
0407日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 19:17:44.31
>>406
そうかもね。
0408日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 19:18:10.29
魏志倭人伝に九州北部の地名しか出てこないのだから、どうしようもない。
0409日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 21:08:14.92
会稽東治の東はう吉が東を治めたの喩えだろ、なになに尊も真人もこれ道教。記紀神代は道教にあふれてるよ。卑弥呼は西王母。
0410日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 21:11:34.72
三国志魏志の記述でわかるのは

(1) 三国志正史が執筆された晋の時代までの中国人がわかっていた
倭人領域の地理は九州北岸まで それ以外の地理はまったく知らない

(2) 倭の中心国家の使者と称する人間が魏皇帝である曹叡と内宮で謁見し
 国名に曹叡の内宮の字「臺」を得る
 これにより得体のしれない蛮族ではないという「肩書き」を得て金印をもらっている
 東夷の他の諸族と違うと認定されているから顔中入れ墨だらけだったのも
 まちがいない

 中心国家の位置はデタラメ・よって風俗の記述もデタラメで
 おそらく華南の蛮族の風俗の引き写し
0411日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 21:25:07.34
考えても考えても自説に至らない
よってデタラメと考える
チーン
0412日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 21:35:24.90
そのあたりは、漢書地理志のパクリだね

「其君禹後,帝少康之庶子云,封於會稽,文身斷髮,以避蛟龍之害。後二十世,至句踐稱王,與?王闔廬戰,敗之雋李。夫差立,句踐乘勝復伐?,?大破之,棲 會稽,臣服請平。」
「民皆服布如單被,穿中央為貫頭。男子耕農,種禾稻紵麻,女子桑蠶織績。」
0413日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 22:13:45.59
筑紫とか出てくるニカ(°▽°)???
0414日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 22:16:38.61
神話集立てるはよいが怪しいやつらがそれを利用してその宗教の役職みたいなんに入りこむために利用してるとこあるからな

そいつらはっきり調べて詐称だったら全てそれら廃止な(°▽°)
0415日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 23:44:09.52
魏志倭人伝に帯方から邪馬台国までの距離とある南に1万2千里は
元は漢の神仙思想による空想的地理書である淮南子にある架空の世界の最果てまでを表わす数値
魏志倭人伝に書いてある邪馬台国までの里程はそれに辻褄を合わせたもので
実際の距離方位を記したものではない
0416日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/26(木) 23:59:50.49
なるほど。やっぱどう考えても道教だよな。陳寿はよく解ってるよな、この女王国。
0418日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 01:46:35.09
>>397
そんなゴリマッチョが鉄の武器持って攻めてきたらヒョロい平地の弥生人は為す術もなかっただろうな
安曇が日本各地を制圧するわけだ
0419日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 02:14:30.44
>>410
>倭人領域の地理は九州北岸まで それ以外の地理はまったく知らない

そこで卑弥呼に金印を渡しているのだが。
0420日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 05:19:41.88
壱岐→対馬の渡航にこだわっている者だけど、
丁度よかった潮目が数時間程度で変わって、あとは潮目に逆らいながら漕ぎ続けることになる。
残り20-30km程度は漕ぎ続けないといけない。途中で休めば当然流されるから。

本当に可能だろうか。この点が疑問。

対馬→朝鮮半島、九州島→壱岐 は可能だろうが、
壱岐→対馬は可能?ギリギリありそうな感じもするけど確実性は全く感じない。
0421日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 05:35:29.53
壱岐の住民が穀物を買い出しに行ってるらしいし
白村江のときには、
九州から48000人を百済に送り込んでるわけで
地元民が潮を読めば、そう困難な航海でも
なかったということだろう。
0422日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 05:37:24.83
>>420
>壱岐→対馬は可能?ギリギリありそうな感じもするけど確実性は全く感じない。

その通り。   

大陸への出航地(平戸市周辺)から、壱岐をパスして、直接対馬に渡った可能性が高い。

大陸への渡航出航地として考えられるのは度島(浦小川遺跡)・的場大島(朝鮮井戸海岸遺跡)など。  @阿波
0423日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 05:57:30.29
>>420
>壱岐→対馬は可能?ギリギリありそうな感じもするけど確実性は全く感じない。

その通り。   

大陸への出航地(平戸市周辺)から、壱岐をパスして、直接対馬に渡った可能性が高い。

大陸への渡航出航地として考えられるのは度島(浦小川遺跡)・的場大島(朝鮮井戸海岸遺跡)など。  @阿波

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波
0424日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 07:00:58.95
>>421
そういうことだね。一大国の地元民も、又南北市櫂、とあるから、
そこにはそれ相応の経験と知識の蓄積があったのだろう。しかも南北ということは対馬と唐津を意味する。
0425日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 07:12:35.61
その渡海技術を独占することで、倭国の王権が成立したと考えている。
0426日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 12:55:02.98
>>417
魏志倭人伝自体に倭地の端は邪馬台国よりさらに南に四千里と書いてあるが
そしてそう書いてあっても
南1万2千里が淮南子に出てくる想定上の世界の最果てを示す数字で
実際の帯方から邪馬台国までの距離を示すものではない事に変わりなし
0427日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 13:56:57.42
>>423
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないじゃん(大爆笑)
0428日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 14:45:01.33
>>426
ご本人はご満足のご様子だが、どことなく理屈にはなり得ていないように思われますねえ。
0429日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 15:08:04.94
>>428
理屈にはなり得ているのは、後にも先にも倭国(阿波)だけ。   

倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。  まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。    

まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。   @阿波 
0430日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 15:36:22.84
>>426

 その通り
0431日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 15:39:57.46
>>430
>実際の帯方から邪馬台国までの距離を示すものではない事に変わりなし

違う!
帯方郡→女王国(阿波)万二千里(直線距離 900km)1里=75m   @阿波
0432日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 16:29:41.91
>>426
万二千里は修辞、ぞな、もし!
0433日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 16:30:01.46
>>428
そうだね。
あれは変人の呟きだよね。
0434日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 16:30:30.61
>>432
ニャンコ先生?
0435日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 16:37:40.15
>>432
>万二千里は修辞、ぞな、もし!

違う!
帯方郡→女王国(阿波)万二千里(直線距離 900km)1里=75m   @阿波
0436日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 16:52:49.97
>>435
言うだけ番長
説得力〇
0437日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:02:11.77
>>436
帯方郡(平壌)
↓【南】海岸水行7000里(直線距離 500km)1里=71m
狗邪韓国(順天)
↓【南】海渡1000里 (70km)1里=70m
津島国(方400里、千戸)(対馬上対馬か)
↓海渡1000里 (50キロ)(50km)1里=50m
一支国(方300里、三千家)(壱岐郷ノ浦か)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25キロ)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
↓【東南】100里 (15キロ)1里150m
奴国(二万戸)(田川辺り)
↓【東】100里 (25キロ)1里250m
不弥国(千戸)(築上町辺り)
↓【南】水行20日
投馬国(五万戸)(宿毛)
↓【南】水行10日又は陸行1月(旧土佐街道)
《邪馬台国》女王・卑弥呼(七万戸)
↓【東】海渡1000里(50km)1里=50m
女王国東渡海千余里復有国皆倭種 (阿波から東へ1000里渡海→奈良周辺)

帯方郡→女王国(阿波)万二千里(直線距離 900km)1里=75m

∴1里=70mは、概ね妥当。   

狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。

因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの着岸地である。   @阿波
0438日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:03:20.26
>>436
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。  まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。    

まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。   @阿波 
0439日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:09:10.06
>>437
魏使たちは、奴国、不弥国、投馬国には、行ってない。
0440日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:19:03.68
>>439
そう、思いたいだけだろう?  わははははは    @阿波
0441日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:21:21.18
>>440
奴国、不弥国、投馬国はどんな国だったと書かれてるんだ?
0442日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:24:37.19
>>441
教えて。   @阿波
0443日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:28:00.34
>>442
末盧国四千戸でもあれだけ国情記事があるんだ.
二万の奴国なら、もっとたくさんの記載があって当然じゃないか?
行ってないから、記事がないのさ。
0444日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:32:44.28
>>443
>二万の奴国なら、もっとたくさんの記載があって当然じゃないか?
>行ってないから、記事がないのさ。

行ったから、記載があるんだよ。  わははははは   @阿波
0445日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:38:11.42
>>444
「参問倭地」
伊都国で問い正しただけだろ?
奴国に行ったのなら、書くことが一杯あっただろうよ。

奴国、不弥国、投馬国は、他書に記載があるのかい?
0446日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:38:16.85
>>444
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。  まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。    

まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。   @阿波 
0447日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:40:09.90
>>445
>奴国に行ったのなら、書くことが一杯あっただろうよ。

そう、思いたいだけだろう?  わははははは    @阿波
0448日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:41:24.68
>>447
奴国、不弥国、投馬国は、他書に記載があるのかい?
0449日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:42:20.24
>>448
それがなにか?   @阿波
0450日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:43:56.78
>>449
聞いてるの。有無をね。
0451日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:47:23.79
知らん。   @阿波
0452日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:51:13.25
>>451
勉強したら?
邪馬台国好きな人は、誰でもぶち当たる壁だぜ。
専門家は、ほとんどスルーしてるけどね。
0453日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:53:55.39
>>452
>邪馬台国好きな人は、誰でもぶち当たる壁だぜ。

ぜんぜん、ぶち当たる壁じゃないんだけどw そう、思いたいだけだろう?  わははははは    @阿波
0454日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:57:49.91
>>453
> わははははは    @阿波

笑う時は逃げなんだね。
もう少し踏み込んで学んだら?
またね!
0455日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 17:58:57.79
>>454
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。  まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。    

まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。   @阿波
0456日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:04:00.33
二万だろうが五万だろうが、奴国という字面からして三等国扱いさ。だから字数も少ない。
つまり、国の偉さ・重要さに応じて、割かれる字数(ページ数)にも多少があるのさ。
これ役人の常識。
0457日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:26:33.52
>>426
裸国や黒歯国なんてさらに船で一年だぞ
要するに万二千里が世界の果てなんて当の中国人は思ってなかったってこと

そもそもお前が頼りにしている淮南子にも
天文訓には影がなくなる太陽の真下まで南に二万里と明記されている

> 淮南子 天文訓
> 南二万里则无景,是直日下也。
0458日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:28:20.61
帯方郡→女王国(阿波)万二千里(直線距離 900km)1里=75m   @阿波
0459日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:34:33.81
自郡至女王國萬二千餘里
自女王國以北 其戸數道里可得略載

萬二千餘里は郡・女王國間の[道里]であり[距離]ではない
よって@のお説は敗退
0460日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:37:01.51
[道里]ってなに?   @阿波
0461日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:38:19.74
@は用語の使用が杜撰で不具合
連呼すれば良いというものではないから反省したら
0462日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:39:46.60
[道里]ってなに?   @阿波
0463日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:41:18.78
いまさら
[道里]ってなに?   @阿波
自分で模範解答とかしてみたら
0464日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:43:34.98
>>463
[道里]ってなに?   そんな表現、見たことも聞いたこともないんだがwww    @阿波
0465日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:47:49.09
ああ@は史料の取扱の基礎知識さえございませんと自白してしまったな
0466日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:52:16.95
>>465
そう、思いたいだけだろう?  わははははは    @阿波
0467日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 18:58:52.59
ここで@に[道里]の模範解答を要求してみたいところだが
やっぱ荷が重く無理なのだろうな
0468日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 19:10:06.11
>>467
>ここで@に[道里]の模範解答を要求してみたいところだが

模範解答してみたいが、[道里]なんて、見たことも聞いたこともないんだがwww    @阿波
0469日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 19:19:04.19
>>428
どこが理屈になり得てないのかな

>>457
日が沈む所までの距離は陸地が尽きた海の向こうという概念なんだろ
楽浪、帯方より南1万2千里は恐らくは後漢の時代に倭奴国があるという設定になった
倭の極南界を示す符丁的な数値
魏志倭人伝の行程は実際のものではなく
政治的祭事的な事情で邪馬台国をはるか遠くの倭の極南界にあるとして書かれたもの
0470日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 19:25:14.03
>>463
[道里]ってなに?   そんな表現、見たことも聞いたこともないんだがwww    @阿波
0471日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 20:13:42.01
帯方郡があったとこは燕国って連中らの勢力範囲になっているが?

もとはちっちゃい半島南部のゴミみたいな国々が伸びて新羅だの百済だの任那まで伸びたみたいよ
0472日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 20:15:48.92
紀元前500年ころから見え始めて200年ころまで使われていた国名やな(°▽°)

ゴミ(三韓とか呼ばれた)が伸びて朝鮮史の幕開け
0473日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 20:45:57.75
ゴミとディスるふりをしつつさりげなく高句麗以外をゴミ起源
0474日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 20:48:12.66
>>463
[道里]ってなに?   そんな表現、見たことも聞いたこともないんだがwww    @阿波
0475日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 22:09:16.32
BC200年から日本は青銅輸入してるし
黒曜石、翡翠は縄文海神だろ?

つまり、弥生渡来人ってのは、縄文人が人さらいだったんだろ?
帥升なんて、奴隷160人とかwww 船団で人さらいだよwww
0476日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 23:06:46.16
473
高句麗はゴミとはあまり関係ないニダ(°▽°)

どっちかっちゃシナあたりのやつらが異民族扱いしたやちらが起源やけ

ゴミはゴミニダ(°▽°)
0477日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 23:24:19.68
>>474
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないじゃん(大爆笑)
0479日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/27(金) 23:56:08.28
ゴミしかいないニダ〜(°▽°)
0480日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 07:05:46.83
>>463
[道里]ってなに?   そんな表現、見たことも聞いたこともないんだがwww    @阿波
0481日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 09:43:18.72
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬捌

魏志倭人伝には景初二年と書かれているのに、
景初三年と主張している連中は何が根拠なの?
0482日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 10:31:20.68
>>481
阿波教授に尋ねたら?
「倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。」って
豪語してるからね。
0483日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 11:27:15.78
>>480
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないじゃん(大爆笑)
0484日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 11:53:03.63
>>481
三角縁神獣鏡の景初4年鏡というのが有って
これを、卑弥呼の鏡であるとする説、が有ったんだけど
これを持ち帰った景初二年朝貢の難升米は景初三年には帰国している。

時の明帝は、景初三年急没なので、考古学畿内説で
これが卑弥呼の鏡であり得るための ご都合主義が根拠かと。

三角縁神獣鏡が国産で量産されているのが明白になったので、
もうこの景初三年説は文献通りに正しく読めば要らないんじゃないかな?
筑紫だしwww
0485日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 12:19:27.65
公孫氏が戦争中だったから遼東を通れないと思ったんだよ
0487日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 12:32:11.10
翰苑とか太平御覧も景初三年
景初三年の方が正しいのかな
0488日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 12:38:16.89
>>439
奴国、不彌國 に説明がない、行っていないからだろう。
というのは、読み方として正しい。

『到』伊都國 郡使 常所駐
で 張政の旅程は終了し、これ以降の奴国不彌國は紹介であって
方向も南じゃ無いし、女王国に近づいている方向なのかどうかも判らない。

南至 投馬國 水行二十日 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
は、帯方郡起点〜南至 の別の文。 

投馬國 は別記 所属24国5万戸の弁辰韓5万戸の初期(240年時)仮称。
邪馬壹國 は、次有で示す21国で7万戸 女王国の仮称です。

この所属国列記は、前章の馬韓辰韓伝 同様の陳寿の書式であり、
投馬國 邪馬壹國 は海を隔てた隣国という概念であって
地名同士をその間の里程で記した、狗邪韓國〜伊都までの行程と直列ではない。
0490日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 14:17:24.50
猿でもわかる景初二年。

「魏志倭人伝」
景初二年六月に倭使難升米が帯方郡へ。
景初二年十二月に難升米が洛陽へ。
魏の明帝から金印その他の授与を申し渡される。
景初三年一月明帝死去 ←←←

景初三年六月だと明帝に会えない。
△詐欺はタマネギみたいだなあ。
0491日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 15:02:22.87
畿内説の主張
景初三年はそのまま卑弥呼の遣使年代で、△が舶載銅鏡百枚。
青龍三年は後世に卑弥呼を称えたもので、方格規矩鏡は仿製鏡。

 普 通 に 考 え た ら 逆 だ ろ 

景初二年(238)六月に洛陽へ連絡がいって、
正始元年(240)には銅鏡百枚を卑弥呼に渡さなくちゃいけないんだから、
倉庫にあった、青龍三年(235)の方格規矩鏡を百枚渡したんだよ。

後世に卑弥呼を称えるのが金印の景初三年だろが。
景初四年やら呉の元号やらあるし
もう、畿内説はグダグダたな。
0493日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 15:43:33.42
又特賜汝 紺地句文錦三匹 細班華罽五張 白絹五十匹
金八兩 五尺刀二口 銅鏡百枚 真珠チ丹各五十斤 皆装封付難升米牛利

皆装封付難升米牛利 であって、これに記された銅鏡100枚は
景初三年239年、多分春以降? 難升米が持ち帰っている。

正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王
并齎詔賜 金帛錦罽刀鏡采物 倭王因使上表 答謝詔恩
梯儁の240年には、
奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王 并齎詔賜 金帛錦罽刀鏡采物
この奉詔書は、239年明帝没 曹芳8歳戴冠 の報が有ったはず。

鏡も持って来ているが100枚ではない。
曹家と倭王としての卑弥呼との交流はこれだけなので、
噂の日田鉄鏡な気がする。
0494日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 17:04:38.38
倭に鏡持ってきたのが正始なら
三角縁神獣鏡景初三年四年正始元年鏡が下賜品でもおかしくねえなあ
0495日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 17:12:13.60
景初四年で終了

呉の職人さんだね
仁徳天皇だったかみたくスカウトしてきたんだろう
0496日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 17:48:02.23
日本側に持ち込む都合じゃなくて

明帝の崩御が景初3年1月だから、
景初4年はもちろん景初3年年記鏡を皇帝は作れない。
って話だろ?

景初3年1月以降、公孫氏の報復戦で
呉が遼東に入ったので、呉の職人さんをさらって来る

みたいのは、倭人の縄文以来人さらい伝統説だな。
犯人は難升米で、ぴったしwww
0498日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 17:53:59.77
なに寝言言ってるんだ?

台与もしくはそれ以降の王が、
4世紀くらいに呉の職人さんをスカウトしてきたんだよ

呉が滅亡して商売あがったりだったろうからな
0499日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 17:54:45.39
それが最近の研究で景初四年は何ヶ月か魏で使われてたらしいぞ
0500日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 17:57:33.79
涙ぐましい詐欺師
0502日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 18:21:21.19
「唐の時代に編纂された『晋書』という歴史書があります。
この中の巻 12「天文志』に〈景初 4年〉という年号が出てくる。
天文志とは天体観測の記録などで日時に関してはかなり正確を期しているはず。
当時、〈景初 4 年〉が当たり前のように使われていた証拠。

同じように清時代に編纂された『侃文韻府』という書にも
〈景初 4 年〉という年号が出てきます
0503日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 18:21:29.94
皇帝の威信材として配る場合に
239年明帝没 曹芳8歳戴冠以降で、
なんで景初年紀である必要がある?

通貨とは違うから司馬氏が作っても良いが
皇帝没後に有力家臣が年号は使わないだろ。

曹家の鏡が日本に有るなら、240年曹芳8歳戴冠、卑弥呼印綬か
243年12歳元服の 其四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘 までだが、
243年は皇帝が、お土産を自慢してない。

同盟倭王に過大な期待は、印綬時の報告
邪馬壹國 可七萬餘戸 列記21国 此女王境界所盡
自郡至女王國 萬二千餘里
参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里
で、概ね終ってると思う。
0504日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 18:25:19.22
>>503
>邪馬壹國 可七萬餘戸 列記21国 此女王境界所盡
>自郡至女王國 萬二千餘里
>参問倭地 絶在海中洲?之上 或絶或連周旋可五千餘里

まさに倭国(阿波)だね。   @阿波
0505日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 18:38:12.31
>>502
唐や清の文献を持ち出して正気か?

学者だから正確なはず。といっても、
天文学者であれば天文学が専門で、当時はネットですぐ検索という時代でもない。
天文事象の記載に重点を置いた文章で、
景初一年
景初二年
景初三年
景初四年
と刻んでも全く不思議ではない。
0507日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 18:43:51.23
方角の件などもそうだが、
後世に間違えた例を持ち出しても何の証明にもならないのだが。
藁にもすがりたい気持ちは分かるが。

あ、いや、分からんが。
0508日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 18:45:06.27
景初四年と正始元年のどちらもある時点で矛盾してアウト

卑弥呼朝貢時に正始元年はわからなくて予知能力でもあったのかでアウト

赤烏元年どころか赤烏七年まであって猛烈にアウト

スリーアウトチェンジ、試合終了
0509日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 18:46:10.25
>>502
景初三年240年=正始元年(明帝没は1月 曹芳8歳戴冠、佐治曹爽・司馬懿)

曹芳の皇位継承に異論が有ったことは予測可能で
結果としては曹爽はクーデターで倒れ、曹芳は司馬氏に譲位する。

曹芳8歳戴冠 243年の元服迄
この歴史を認めない勢力の記録が残った可能性はある。
よく有ること、ニダw
0510日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 18:47:37.49
弥生の鑑真:呉から4世紀にやってきた陳さんが作った、で結論済み
0511日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 18:50:39.02
どうあがこうが景初二年六月じゃないと明帝の時代じゃなくなるから
景初三年と言ってる連中は全て嘘つきなの?
0512日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:14:59.33
>>511
まだ、言ってる場合は嘘つきというより
倭人が、百済新羅の建国を後援して
漢四郡の追討で高句麗と挟み撃ちにしたという
歴史を認めたくないだけの、歴史認識都合だと思う。

倭人伝が東夷伝里を使うとか
同盟国の倭や方可4千里の韓の大きさが、おかしいのは
九州筑紫を倭王にした魏の皇帝の間違いを隠すためだな。

日本はこの後、中華を出し抜き半島進出で高句麗牛馬の移入に成功する。
中国正史には、書けない蛮国なのである。

これで、嘘を言っても
中国には三国志統一は無かった事にはならないが
チベット、ウイグルも、香港、台湾も戦前の
清、中国じゃないだろ?

こういう真実の歴史は共有されない。
うその、教科書が必要ニダ、だってよ。
0514日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:16:16.24
仕方ねーなじゃあ景初四年鏡は偽物でいいわ
その代わりに景初三年と正始元年鏡は年号が実際あるから本物の魏鏡でいいな?
0515日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:18:47.41
>>512=513

>>512
内容の無い文章だな。

どうあがこうが景初二年六月じゃないと明帝の時代じゃなくなるから
魏志倭人伝に書かれた通り
卑弥呼の朝貢は景初二年六月からだ。

>>513
明帝の返事の文章があるだろうが。
タイムリミットは景初三年1月。

つーか、
なに議論してるふりしてるんだよこのクズが。
0516日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:21:07.34
>>514
詐欺師が取引を始めおったかw
三角は同范鏡だらけでほぼ全てが舶載鏡か国産鏡。

>景初四年鏡は偽物でいいわ
>その代わりに景初三年と正始元年鏡は年号が実際あるから本物の魏鏡

そう言い出した時点で
レッドカード100枚。

そろそろお前らはこの世界から旅立つ時が来てるぞ。
0518日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:23:47.73
九州の卑弥呼が貰ったのは銅鏡百枚

畿内のキナイコシが貰うのはレッドカード100枚
0521日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:27:26.82
キナイコシさん

レッドカード100枚もらったから、
【九州説】魏志倭人伝を正しく読むスレから
退場してもらえますか?






100年ほどwww
0524日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:31:21.82
景初二年に朝貢した方が畿内説にとっても都合いいんじゃないのか?
景初三年に朝貢したら、正始元年までに銅鏡百枚の新作は間に合わないだろう
0527日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:34:23.81
>>514
そのお手持ち品は、昭和鏡かと思います。

年記が景初四年であることは、鉛の年代測定では
逆に嘘と知らない3世紀の国内偽造の可能性は高い。

家宝として、大切に保存してくださいね。
ここまで、詐欺師だと(藁藁
0528日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:36:39.82
>>205

晋書天文志

「魏明帝太和五年十二月甲辰,月犯填星。
青龍二年十月乙丑,月又犯填星。占同上。 戊寅,月犯太白。占曰:「人君死,又為兵。」
  景初元年七月,公孫文懿叛。二年正月,遣宣帝討之。三年正月,天子崩。

四年三月己巳,太白與月?加景晝見,月犯太白。占同上。

景初元年十月丁未,月犯?惑。占曰:「貴人死。」二年四月,司徒韓?薨。」

これは訳すと、
「青龍二年十月乙丑に月が土星に接近し、また、戊寅には金星に接近した。これを占うと「人君が死に、戦と成る」ということであった。その占い通り、景初元年七月に公孫文懿が反乱を起こし、
  (景初)二年正月に宣帝がこれを征伐したが、(景初)三年正月には明帝が崩御した。
(青龍四年)三月己巳に金星が月と共に光を増して日中でも見え、月が金星に接近したので、また占った。
景初元年十月丁未に月が火星(?惑けいこく)に接近した。占ったところ「貴人が死ぬとあり」(景初)二年四月に司徒の韓?が死んだ。」

田舎の大学教授が青龍二年に行われた占いにある「四年三月己巳」を「景初四年」と勘違いしちゃったんだね
次に来る四年は景初じゃなくて青龍四年なんだな
青龍二年、青龍四年、景初元年の占いが時系列で記述されているということ

佩文韻府も同じ間違い
0529日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:39:48.99
キナイコシ、爆沈!
0530日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:42:26.01
魏志倭人伝に記されている通り、卑弥呼の朝貢は景初二年六月帯方郡からでした

めでたしめでたし
0531日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:44:05.27
>>528

納得!
0532日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:46:41.05
陳寿は正始元年の記録を殷歴である景初四年の記録のまま残していて
夏四月の黄権薨去の記載までは景初四年であろうから
正始改元は景初四年の四月以降であることが確定するそうだ
0533日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:48:33.72
>>532
で、三国志に景初四年の記録のままとやらは残っているのかな?
詐欺師キナイコシ君?
0534日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:54:08.32
呉から4世紀にやってきた陳さんが作った

なんでキナイコシが反応してるの?
0535日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:54:40.32
>>524
銅鏡100枚は新作じゃないな。
皆装封付難升米牛利 であって朝貢謁見の後
二度目の謁見などは無く、封印して持ち帰らせている。

12月なので、洛陽〜帯方は判らんが、
倭人船による半島西岸〜対馬渡海は難しいと思えるので、
帯方からは翌春早々帰るはずである。

たぶん、帯方に向かったとは思うが
景初三年一月の皇帝の死を知ってるかは、判らない。
0536日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 19:59:42.39
>>533
魏書
「正始元年春二月乙丑、加侍中中書監劉放、侍中中書令係資為〜」
0537日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:02:40.50
中国から習作なり鋳型なり見つかってるのか?

中国から「魏の年号」の入った銅鏡は見つかってるのか?

いくら特注といっても、
それなりのバックグラウンドがないと
全て机上の空論だぞい
0539日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:14:13.68
>>538
戦前に日本人が持ち込んだやつね。

反論したかったら発掘証明を持ってきてね。

ちなみに

>中国から習作なり鋳型なり見つかってるのか?

>中国から「魏の年号」の入った銅鏡は見つかってるのか?

への解答になってないけどさ。
0540日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:19:33.03
人の振り見て我が振り直せ

考えてみると、
銅鐸もそうだし
三悪もそう
同范技術というのは日本の誇る弥生青銅器作成技術だから、

青龍三年銘方格規矩鏡も、日本製かもね。

ただ、青龍三年なんてどうでもいい年号を複製してるんだから、
卑弥呼が貰った百枚の中に一枚くらいの年号鏡があって、
それを複製したのか。
0541日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:19:38.87
>>539
鋳型や習作が魏で見つかってなくて
中国で魏の年号の入った鏡が見つからなければ
三角縁神獣鏡は魏鏡判定されないのだろうか?
三角縁が魏鏡である証拠は他で沢山あるよ
0542日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:23:52.85
>>541
日本で出土しすぎた。
0543日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:24:29.07
そうそう正始五年鏡というのがあったな
中国 画文帯環状乳神獣鏡 五島美術館蔵
0544日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:26:22.62
>>542
倭はトヨの時代も合わせて4回ほど魏に使いを送っているからな
国内でコピーしたぼう製鏡もあるし
0545日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:30:24.71
九州説が20年以上前の説に凝り固まっているうちに
畿内説は新しい証拠を着々と積み上げているのだよ
0546日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:32:23.87
積み上げていないな。

卑弥呼の朝貢は魏志倭人伝の記載通り、「景初二年六月」以降であり、

△は国産鏡
0547日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:35:03.14
赤烏元年と赤烏七年の鏡があるからなあ。
景初四年があるからなあ。

呉からきた陳さんが作ったんだなあ。

と、みーーーーんなが思ってるぞwww
0548日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:37:43.66
じゃ景初三年鏡と正始元年鏡は実際ある年号なので本物の魏鏡
師出洛陽と銘も彫ってあるし
0549日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:38:14.73
既に何度も否定された>>502を持ち出す時点で
キナイコシは詐欺師

こんなクズは
レッドカード100枚で退場相当だと思うよ
0550日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:41:43.69
じゃあwww
0551日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:44:04.11
>>548
じゃ景初三年+正始元年+師出洛陽と銘も彫れば、本物の魏鏡になるんだね。

そう思って、
呉から来た陳さんも、景初三年+正始元年+師出洛陽と銘も彫ったんだね。

青銅原料は全部海外の時代に。
0552日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:44:22.05
>>538
>洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ

その洛陽近郊の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?

群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?   @阿波
0553日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:46:42.34
日本人が持っていったのを敗戦して日本へ引き揚げる時に現地に残していったんだろう

みーーーーんながそう思ってるよ
0554日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:48:03.86
>>538
>洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ

その洛陽近郊の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?

群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?   @阿波
0555日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:49:38.80
>>548
じゃ景初三年+正始元年+師出洛陽と銘も彫れば、本物の魏鏡になるんだね。

そう思って、
呉から来た陳さんも、景初三年+正始元年+師出洛陽と銘も彫ったんだね。

青銅原料は全部海外の時代に
0557日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:50:42.70
赤烏元年と赤烏七年は
呉から来た陳さんが滅亡した故国呉を想うせめてもの意地
0558日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:52:05.15
貴重な銅を卑弥呼に贈り、卑弥呼は貴重な銅から八咫鏡を作った
0559日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:57:47.89
>>553
同向式神獣鏡(伝楽浪大同江面)と萩原1号墳の画文帯神獣鏡が同笵鏡だってこと、知ってるかい? @阿波
0560日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 20:58:56.93
>>538
>洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ


その洛陽近郊の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?

また、群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」 と宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?   @阿波
0561日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 21:13:39.19
東四国(徳島・香川)では、初期の古墳に漢鏡(とくに後漢晩期のもの)が副葬される例が多い。

通常は単数副葬例が多いが、東四国(徳島・香川)では、2面副葬される例が複数ある。

例:天河別神社5号墳(上方作系浮彫式獣帯鏡・斜縁神獣鏡)   @阿波
0562日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 21:22:38.74
魏志倭人伝にはその国本は男王とあり他の巫女女王がない、次に男子1人いて辞を伝えるとある、これはさにわであり政事要略に出てる、明法博士は秦氏が主でありちょう然もまた秦氏の流れとされる。よって卑弥呼以前はヤマトとは関係ない世界である。どうなってたかは知らん。
0563日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 21:31:30.72
「宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とその時代」

制作年代としては、3面とも舶載第2段階で、かなり古い鏡である。

歴年代では、240年代の製作である可能性が高い。

副葬時期(古墳の時期)

・舶載第1・2段階の「三角縁神獣鏡」 は、古墳時代前期前半に築造された古墳から多数出土している。

・宮谷古墳も、古墳時代前期前半となる可能性が高い。

古墳時代前期前半に相当するとみられる古墳の数の多さは、東四国あるいは徳島を特徴づけるものと評価できる。   @阿波
0564日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 21:47:52.71
キナイコシは詐欺師!
ちい、覚えた!
0565日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 22:02:06.44
だから俺だって嫌なんだって、でも瓢箪墓は神霊の容器、鉄拐の神通力。黄巾の乱が起きて増えてくんじゃこの流れしかないだろ?道教の宗教集団だよ、銅鐸も改宗で減っていったんだろ。
0566日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 22:09:08.90
三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)でぼう製したものだろう。   @阿波
0567日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 23:01:57.16
>>551
陳さんの作った三角縁神獣鏡には
銅出徐州 師出洛陽(魏の領地で銅産出地の徐州の銅で鏡師は洛陽)
と彫っている
陳さんは魏の洛陽出身という事だろう

>>555
三角縁には師出洛陽と彫ってあるので陳さんは魏から来た
呉から来たなら師出長安と彫っただろう
そして青銅原料は海外だけれども
倭国内で銅製品を作る場合は複数の原料を混ぜて作るので
海外銅製品とは不純物の量が違って出る
0570日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 23:36:19.36
>>569
> “師出洛陽”の銘文は、明らかにでたらめである。
>鏡上に“師出洛陽”の銘文があろうと、決してそれらが洛陽の工匠によって作られたとは説明できないし、更にそれらが洛陽の製品だとは説明できない。
>中国で出土した各種銅鏡によれば、洛陽及びその付近から出土した銅鏡には、全くこの種の銘文がなく、これも中国銅鏡と日本の三角縁神獣鏡の間の
>明確な相違の一つになる。

ふむふむ、本物の洛陽の鏡には師出洛陽なんて銘文は無いと
0572日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 23:50:21.70
古代日本の誇る国産鏡

同じく国産の銅鐸と同じく、
海外産の銅を使って(当時の銅は全て輸入品だから当たり前)
同范がとても多い。

呉から来た陳さんが銅鐸職人を指導して
偉大なる卑弥呼女王を称える国産鏡を開発してくれたんだね。
感謝の心。
0573日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 23:53:38.59
>>571
頭悪いなあ

陳さんは呉出身だぞ。

呉の徐州の銅を自慢して「銅出徐州」(呉の徐州ね)と
彫ったんだよ。

赤烏元年・赤烏七年も陳さんの意地だ。

ちくしょう
こんな辺境の島国ですら魏を崇拝しやがって。。。
俺っちの故郷の呉もすごかったんだぞ、、、

かわいいね
陳さん
0574日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/28(土) 23:55:57.86
呉の陳さんはなぜ作った鏡に景初や正始の魏の年号を刻んで
銅出徐州 師出洛陽と彫ったのかな
0576日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:00:38.57
《漢書・地理志》と《続漢書・郡国志》によれば、彭城及びその付近は、漢時代には鉄鉱があり、鉄官が置かれたが、銅鉱はなかった。
《新唐書・地理志》《宋書・地理志》等も徐州は鉄を産すると書いているが、銅を産するとは説いていない。
明清時の関係書籍に初めて徐州付近に銅山があり、“旧曾産銅”とあるが、実際には根拠がない。
清の雍正帝の時代に徐州府に銅山県が置かれたが、所謂銅山は有名無実であった。
近代に到り実際に調査されたが、徐州の利国駅の主な鉱石は赤鉄鉱であり、そして銅山島の南端に鉄峰があり赤鉄鉱に黄銅鉱が含まれ、
風雨に浸食され緑色に変色している。銅山の名は多分これに由来しているのだろうが、決して採掘可能な銅鉱ではない。

要するに結論を言えば、三国時代、彭城及びその付近は絶対に銅を産することはなかった。
0577日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:01:27.07
>>575
徐州最南部の長江北岸一帯は呉の領土だよ
そして銅山があった魏徴とかもその一帯
0578日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:02:11.48
>>574
滅亡した呉から、「技術」を評価されて
4世紀にスカウトされてきたものの、
北部九州倭国=邪馬台国では、魏の年号が重宝されていたからだろ

それくらいもわからないのか?
0579日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:04:43.97
さんざん理屈を無視した喧伝ばかりしておいて
今さら議論してるフリしても
誰も心動かされないぞ

>キナイコシ
0580日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:07:25.24
銅が不足して
魏は鉄鏡へシフトしてるだろ。

金銀鉄鏡が話題になっただろ。

硯も全国各地の大型建物も鉄鏡も
20年前で凍りついた畿内説は無視してるけどさw
0581日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:10:01.24
>>577
三国時代の徐州の呉の領地は南のごくわずか
銅山のあった北部は魏の領地

>>578
三角縁神獣鏡は三世紀の古墳から見つかっているのだが
0582日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:11:31.67
>>581
>三角縁神獣鏡は三世紀の古墳から見つかっているのだが

へえ、どこ?
0583日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:12:11.65
<3世紀>
九州 銅鏡<大型化
魏  銅鏡×<<<金銀鉄鏡

呉  銅鏡<肉彫り神獣鏡

畿内 石器木器


<4世紀>
九州 金銀財宝
中国 金銀財宝

畿内 まだ銅鏡やってんの???w
0584日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:12:57.59
>>581
まだそんなウソをつく気か
銅山があったのは呉の領土

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku365.htm
> 王仲殊氏はいう。(傍線を、引いたのは、安本。)
> 『銅出徐州』の銘文にある徐州とは、どの地を指しているのであるか、研究しなければならない。思うに徐州とは漢の武帝が置いた十三の刺史部
> 〔州内の国政を視察・報告させるために中央から派遣した官の刺史が監督する地域〕の一つで、管轄地区はいまの江蘇省の長江以北および
> 山東省の東南部の地区であった。後漢時代の徐州の治所〔郡役所のおかれこころ〕は?(せん)(いまの山東省?)にあり、魏時代に彭城(ぼうじょう)
> (いまの江蘇省徐州)にうつした。しかし、指摘しなければならないことは、いまの徐州一帯では、古代より銅を産出しない。
> 『漢書』地理志、『続漢書』郡国志には、彭城およびその付近の地区には、漢代に鉄鉱があり、かつて鉄官〔鉄の産地で鋳造を担当した官〕がおかれたが、
> しかし銅鉱はない。『新唐書』地理志、『宋書』地理志などにも、徐州には鉄を産するといっているが、銅を産出するとはいっていない。
> ただ、明・清時代の関係ある書籍になってようやく徐州付近に銅山があり、『旧く、かつて銅を産す』といっているが、実は根拠のないことである。
> 清時代の雍正年間〔1723〜1735年〕に徐州府に銅山県がおかれたが、しかし銅山といっても有名無実である。
> 近代の実地踏査によれば、徐州利国駅〔山東省との境にある地〕でとれるおもな鉱石は赤鉄鉱であり、銅山島の南端にある鉄峰の赤鉄鉱の中に
> 黄銅鉱がまざっていて、風雨によって緑色になっている。銅山の名のおこりはこのことからおこったのであろうが、しかし、採鉱のできるような銅鉱山ではない。
> 要するに、上にのべたように、三国時代には、彭城およびその付近では決して銅を産することはなかった。
> しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、いまの揚州市付近の江都、
> 儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている
> 〔呉王劉?は漢高祖劉邦の兄の子で、呉地方に封建され、王国内の予章郡で銅山を開発して、銅銭を鋳造した。
0586日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:15:13.91
>>584
呉の領有した徐州南部とは広陵郡南端の極めて限られた地域で、
徐州の殆どは魏領。
漢書地理志広陵国・続漢書軍国志広陵郡とも鉄を産することを記すのみで
銅山があった記録がないことは彭城と同じ
0587日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:16:04.92
>三角縁神獣鏡は三世紀の古墳から見つかっているのだが

呉は280年滅亡
三世紀には呉の銅鏡職人は失職

そうでなくても
魏相手に劣勢な当時の時勢を見たら
はるばる日本に来て、魏の年号を使ったり、銅出徐州 師出洛陽と掘ったりする
情勢を機敏に読む賢い陳さんなら人生を考えただろう。
0588日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:16:30.37
>>586
> しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、いまの揚州市付近の江都、
> 儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている

字が読めないのか?
0589日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:17:35.04
やはり畿内説は自分に都合の悪いものは見えない頭の病気なんだな
0590日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:18:06.30
>>586
で、魏が作った銅鏡を教えてくれや。
日本で300枚もあるんなら、
そうだな・・・ネット上に魏の中国出土鏡がそれなりの枚数上がってるだろう。

どれだよ?
0592日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:20:12.65
>>587
陳さんは来てなくて
三角縁神獣鏡は卑弥呼への下賜鏡としたら
銅出徐州 師出洛陽という銘文や
景初、正始と卑弥呼が遣使し魏使が下賜品を携えて訪れたと魏志倭人伝に書いてある魏の年号が入っている事について
色々と辻褄が合うと思うなあ
0593日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:25:35.45
>>588
彭城銅山県(現・徐州市銅山区)は北宋の元豊年間に宝豊監が置かれ
鋳銭が行われていたとある
つまり徐州には銅山があってそして魏の時代徐州は魏の領地だった

>>590
魏の中国出土鏡ねえ
洛陽出土の三角縁神獣鏡と正始五年と魏年号の入った画文帯神獣鏡かな

>>591
徐州は銅が出ないとか銅は出るけど呉の領地とか
九州説の言っている事のどれを信じたらいいのか
0594日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:25:54.35
>>592
都合よくごまかすなよ。

××景初、正始と魏志倭人伝に書いてある魏の年号が入っている事について

【魏志倭人伝】
景初二年
景初二年
景初二年

vs

【現実】
景初三年
景初四年 正始元年
赤烏元年
赤烏七年
0595日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:28:11.14
徐州のうち

魏が領有していたのは銅が出ない地域

呉が領有していたのは銅が出る地域

以上。

何度も論破されてとぼけている見苦しい畿内説へ。
0596日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:28:40.62
銅山が呉領だったなんてのはもはや常識だけどね。
そして△が日本製なのも常識。

この常識をひっくり返すには、中国の3世紀の遺跡から
△がある程度の枚数、あるいは鋳型などが出土しなければ無理。

洛陽の畑から農民の手によって一枚出土して骨董市に売却したのが見つかったなんてのを
根拠として持ち出すこと自体がアレなんだけど
アレなことに気づかずに相変わらず主張しているアレな姿。
0597日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:30:53.50
>>594
卑弥呼の魏への遣使

梁書     景初三年
日本書紀  景初三年
翰苑     景初三年
太平御覧  景初三年


3世紀の原本が失われた後の12世紀に復刻され
邪馬臺→邪馬壹などそれまでの史書の魏志引用文との違いが多く
誤字の多いとされる魏志倭人伝

景気二年
0598日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:32:48.89
>>597
梁書と太平御覧は上で論破されていたよな?

それを持ち出すお前は完全な

詐 欺 師 だ


論破されても同じ主張を繰り返す時点で
お前の主張は全て嘘だと決定。
0599日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:33:46.80
>>597
おーい

反論になっとらんぞーw



都合よくごまかすなよ。

××景初、正始と魏志倭人伝に書いてある魏の年号が入っている事について

【魏志倭人伝】
景初二年
景初二年
景初二年

vs

【現実】
景初三年
景初四年 正始元年
赤烏元年
赤烏七年
0600日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:33:59.89
>>595
>>596
呉の領有した徐州南部とは広陵郡南端の極めて限られた地域で、
徐州の殆どは魏領。
漢書地理志広陵国・続漢書軍国志広陵郡とも鉄を産することを記すのみで
銅山があった記録がないことは彭城と同じ

三角縁神獣鏡の舶載鏡は魏鏡と同じ銅素材で作られている事が
蛍光X線分析機Spring-8による調査によって判明
0601日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:37:04.42
>>598
日本書紀や太平御覧は魏志曰くと魏志倭人伝を引用している事を明記して
卑弥呼の遣使を景初三年と記している
倭人伝に卑弥呼の遣使が景初二年と記されるのは12世紀以降のそれまでの倭人伝と齟齬が多いとされる
復刻版倭人伝から

>>599
卑弥呼の魏への遣使

梁書     景初三年
日本書紀  景初三年
翰苑     景初三年
太平御覧  景初三年


3世紀の原本が失われた後の12世紀に復刻され
邪馬臺→邪馬壹などそれまでの史書の魏志引用文との違いが多く
誤字の多いとされる魏志倭人伝

景気二年
0602日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:37:24.95
>>600
蛍光分析の基本すら押さえてないこと、
錫とアンモチンの含有比較の基本すら押さえてないこと、
比較対象となる仿製鏡舶載鏡の分類がはっきりしないこと、
で完全に論破されている。

それを持ち出すお前は完全な

詐 欺 師 だ


論破されても同じ主張を繰り返す時点で
お前の主張は全て嘘だと決定。
0603日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:42:12.34
>>602
嘘嘘と言ってればいい
周りがどう判断するかだし

蛍光X線分析機Spring-8による銅鏡の分析で
三角縁神獣鏡の舶載品に分類されていた銅鏡と魏晋鏡を分析したところ
両者に含まれる銀・アンチモン比は同じグループに属する事が判明
三角縁神獣鏡は魏鏡である可能性が高くなり
銅出徐州 師出洛陽などの銘文や景初三年などの魏年号
そして洛陽での1面発見はこれが魏から卑弥呼への下賜鏡である事を強く示唆するもの
0604日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:45:10.85
>>603
>嘘嘘と言ってればいい
>周りがどう判断するかだし

ははは。馬鹿じゃねーの畿内説

顕微鏡のぞいて木星の衛星を数えてるようなもんだぞ。
誰が信じるかいなそんなデータ。
お前自分がどんだけ恥ずかしい発言してるかすら理解できてないな。

日本人から理系の人間が全員いなくなれば騙せるかもしれんがなw
0605日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:45:44.36
>>601
はい、畿内説さんは、「議論放棄」ですね。
かわいそー

梁書と太平御覧は、追いつめられた畿内説の恥ずかしい誤読でした。
日本書紀と翰苑は、日本側の資料で正確性に疑問符。

魏志倭人伝には景初二年と書かれているのに、
反論する根拠もなく景初三年のみに固執。

景初三年
景初四年 正始元年
赤烏元年
赤烏七年

まだまだいっぱいあるよー
0606日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:46:38.47
九州説は三角縁神獣鏡を呉鏡とするから誰が見たって奇妙な言いわけばかりするハメになる
0607日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:48:27.48
泉屋論文の内容は、三角縁神獣鏡の原料組成の差について何の情報ももたらしていない。だから、三角縁神獣鏡がどこで造られたか議論するためにはまったく役立たないと結論できる。
http://yamatai.cside.com/katudou/arai.htm
0608日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:48:43.94
>>606
呉鏡なんて誰か言ったか??
どのレスだ?

仿製鏡だよ!
0609日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:50:39.98
>>604
別に信じなくたっていいけど

>>605
こちらは魏志を引用した梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧などの史書には
卑弥呼の魏への遣使は三角縁神獣鏡に記銘されてるのと同じく
景初三年と書いてあるという当たり前の事を言っているだけなんだけれど
そちらがどうしてそんな態度を取るのかわからないな
0611日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:53:05.74
>>609
だから信じる信じないの問題じゃないんだよ。
真実かどうかの問題。

1+1=2であって、
それをお前は1+1=5と言ってる。
お前はそう信じていて、親切な周囲がそれは違うよと指摘してくれてるのに
1+1=5とわめき散らして
別に信じなくたっていいけどと言ってる裸の畿内説。
0612日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:54:20.52
>>608
たぶん上の方で誰か言ってた
まあ呉鏡でもボウ製鏡と主張してもいいけどさ
正解は魏鏡だし
0614日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 00:55:56.72
>>609
じゃあさ。
梁書と太平御覧の原文を引用して、どこに景初四年と書いてあるか説明してみ?

日本書紀と翰苑は日本側に残された資料で、
しかも年代が8世紀だったり(△の景初三年を書いた集団と関連ある可能性があるだろ)
原本からの引用状況が不明だったりするから、
証拠として不十分。
0616日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:00:49.60
>>613
敗北を悟って議論放棄して逃げたくてウズウズしてるんだなw

蛍光分析ってのは
資料中の含有濃度と、それの蛍光数値との、対応グラフを作ってから、
比較検討しなくちゃいけないんだよ。

基本中のきだ。

それをやってないから、アレだ。
それを持ち出してるお前は、アレだ。

俺なら恥ずかしすぎて耐えられないくらいのことをお前はやっているw
0617日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:01:29.21
>>614
魏志曰くと魏志倭人伝の引用である事を明記している
梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧がそれぞれ景初三年と記しているよ

つまりこれら史書には共通した底本があってそれぞれが独自に引用し
そこには卑弥呼の遣使が景初三年と書かれていた事は明らかというだけの話
そんなに難しいかな
0618日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:02:07.19
>>615
畿内説のいつもの論点ずらしだな。

じゃあさ。
梁書と太平御覧の原文を引用して、どこに景初四年の根拠が書いてあるか説明してみ?

日本書紀と翰苑は日本側に残された資料で、
しかも年代が8世紀だったり(△の景初三年を書いた集団と関連ある可能性があるだろ)
原本からの引用状況が不明だったりするから、
証拠として不十分。
0619日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:02:53.10
>>616
ちゃんとした研究所でそんな手抜きをした理由は何かな
まさか学者が金を握らせたとか陰謀論とか持ち出さないだろうな
0620日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:06:42.57
お前が聞いてこい。

教えてくれる人もいなくて機械だけ使用予約が取れて
蛍光分析を始めてやったとかじゃないのか

マジで全理系の人間が口をあんぐり開けるレベルw

気の毒過ぎて周囲が引いてる感じだぞ
0621日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:08:17.97
>>618
いや景初四年の話は関係ないと思うけど
それを言うなら魏志倭人伝本体に書かれてないんだし
史書に景初四年の話が出てくる方が怪しいだろ

そして梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧と4つの史書がそれぞれ独自に
魏書曰くと魏志倭人伝を引用して倭人伝を書いた結果
卑弥呼の遣使が景初三年と記されている
つまりそれぞれの史書が引用した魏志倭人伝には
景初三年と書いてあったという事
倭人伝に景初二年と書かれるようになるのは12世紀以降
それ以前に卑弥呼の遣使が景初二年とした倭人伝は存在しない
0622日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:11:18.08
>>620
事情を聞いてくるならそっちだよ
実験がいいかげんと言い出したのはそっちだしな

そして事情がはっきりするまでは
Spring-8による分析は正しいものとしても問題ないし
三角縁神獣鏡の舶載鏡と魏晋鏡の銀アンチモン比は同グループに属するという結果は揺るがない
0623日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:12:22.99
>>621
わからん奴だな。

だからお前の意見などどうでもいいから、
「原文」を持ってこい。

そもそも並べ方がなっていない。

>梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧、じゃあお前が馬鹿なのがわかってしまう。

梁書、太平御覧、日本書紀、翰苑、の順に、
原文をまず書いて、
どの部分をもって、景初三年だと思うのか、
を説明しろ。

それで証明しきれば説得力が出るし、
証明も無しに文献の名前だけ並べても、
魏志倭人伝の景初二年はくつがえらない。
0624日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:17:40.23
>>623
姑息だなあ
持ってきても普通に魏書曰くと前置きがあって卑弥呼の遣使は
景初三年と書かれてる文が出てくるだけだから
嘘と思うなら確かめて見れば

そして梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧は年代順に並べれるのだけれども
0626日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:18:52.90
>>624
>持ってきても普通に魏書曰くと前置きがあって卑弥呼の遣使は
>景初三年と書かれてる文が出てくるだけだから

原文持ってこい
0627日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:20:31.44
ついに維持になり出したなww
別に嘘なんかついてないから確かめたいならご自分で
0628日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:22:17.93
>>627
確かめるも何も上で既に説明してある。
それをくつがえすものをお前が持ってこれないのなら、
お前の負けだ。
0629日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:25:32.85
わかったわかった終りにしよう
意地になってるだけの相手にこれ以上話し合ってもラチが開かないだろうしな
ほなまた来たるわ
0630日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:26:02.56
よく聞け。

普通に資料を砕いて、その中のアンモチンを取り出して、
秤で重さを測定したとする。

それなら、
アンモチン0.01gなら、0.01g
1gなら、1g
100gなら、100gだ。
Y=aXだな。この場合はわかりやすくa=1の直線だ。

だが、蛍光分析の場合は、直線ではない。

分かりやすく言うと、お前の部屋の明かりを調節するとする。
今より半分の明るさにすると、半分になったとわかる。

だが、今より100分の1の明るさにすると、お前にとってはほぼ真っ暗だ。
そこからさらに半分、つまり元から200分の1にしても、
お前にとっては真っ暗のまま。

逆に、今より100倍の明るさにすると、目を閉じても眩しいくらいの凄まじさで、
そこからさらに2倍、元から200倍にしても、
100倍と200倍の差はよくわからない。

つまり、蛍光分析の場合は、
直線で対応する部分が限られていて、
上下の明るすぎる部分と暗すぎる部分はほぼ使えないわけだ。
0631日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:28:48.24
例えばだ。

ある資料にある強度の光を当てて励起される蛍光が、
資料濃度Xgに対して蛍光強度Yだとして、

X Y
10000 100
1000 100
100  100
70  80
50  50
30  20
10  10
1   1
0.1  0.01
0.01 0.01
0.001 0.01

こんな感じで出てくる。

だから資料中のアンモチンの数値Xが10-70の間でなければ研究にならないわけで、
研究に耐えうる実験をしましたよ、という証明をするために、
資料中の濃度Xと、蛍光強度Yとの対応表を掲載しなければ
なんの議論もできないわけだ。
0632日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:30:34.59
これで意味がわからなければそれまで。
お前はなんで周囲が笑っているのか理解できないまま
踊り続けていろ。
0634日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:43:58.22
後世のものに景初三年があろうが、
原典の魏志倭人伝が景初二年で、他にも二年のものがある以上、
景初二年が正解だろう。
0635日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 01:44:52.58
景初二年ですら魏志倭人伝との勝負か。

景初三年
景初四年 正始元年
赤烏元年
赤烏七年

絶望的だなこりゃw
0636日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 06:49:30.87
「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。  

圧倒的な倭国(阿波)の考古資料とは、雲泥の差。   

三角縁神獣鏡は倭国(阿波)で作られた?製鏡で、全国へ配られている可能性が高い。

根拠:気延山古墳群の宮谷古墳から特異な異種3面もの「三角縁神獣鏡」が出土しているが、その異種3面の「三角縁神獣鏡」と同笵鏡が、

それぞれ大分(赤塚古墳)・岡山(鶴山丸山古墳)・京都(内里古墳・椿井大塚山古墳)・奈良(黒塚古墳)・群馬(前橋天神山古墳)・富山(富雄丸山古墳)で出土している。   @阿波
0637日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 06:51:05.95
「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。  

圧倒的な倭国(阿波)の考古資料とは、雲泥の差。   

三角縁神獣鏡は倭国(阿波)で作られたぼう製鏡で、全国へ配られている可能性が高い。

根拠:気延山古墳群の宮谷古墳から特異な異種3面もの「三角縁神獣鏡」が出土しているが、その異種3面の「三角縁神獣鏡」と同笵鏡が、

それぞれ大分(赤塚古墳)・岡山(鶴山丸山古墳)・京都(内里古墳・椿井大塚山古墳)・奈良(黒塚古墳)・群馬(前橋天神山古墳)・富山(富雄丸山古墳)で出土している。   @阿波
0638日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 06:51:41.74
蛍光X線は校正曲線、検量線のリニヤー部分が狭い!
マトリックスの影響を受けやすい!
0639日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 07:36:24.95
>>592
>銅出徐州 師出洛陽という銘文や

作った時は洛陽にいなかったということじゃん。
0640日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 07:56:05.82
その通り
銅の産地(買い付け地)は徐州で、師の出身は洛陽・・・、つまり(異国にあって)鏡師の出自を誇示したわけだ。
0641日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 07:56:18.88
梁書は「公孫淵誅後」という表現に引っ張られて、「景初三年」に意図的に改変した
また、倭国大乱も「漢靈帝光和中」と改変してるし、作者の作為が強く出てる史書
この後の史書もこの梁書の影響を少なからず受けている
0642日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 08:22:54.03
遼東城が包囲された時点で、公孫淵の敗北は決定的だった。
その時、すでに帯方郡は抑えられ、寝返っていたわけであるから、
いわば帯方郡の太守や役人たちは、関ヶ原の合戦を九州博多で模様眺めしていた状態だったわけだ。
卑弥呼の遣いもそこに顔を出し、今か今かと吉報を待っていたのではないか・・・
0643日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 08:30:42.16
>>642
「忌部はん」 は頻繁に朝鮮・中国華北へ行って交流しているから。   @阿波
0644日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 08:42:52.14
そもそも景初三年は明帝の喪中なので外交行事は行われない
0645日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 08:53:28.07
「卑弥呼」「邪馬台国」というのは当時朝鮮半島南部にあった
「卑弥国」「邪馬国」をネタに司馬仲達がでっち上げたフィクションなんだよ

公孫淵撃破後新しい支配者のご機嫌伺いに来る東夷の諸族の中に
顔中赤い入れ墨だらけのやつがいた

「なんだありゃ?華南蛮族にはあの手のがいるとは聞いたことがあるが」
「倭人と自称しております。この半島にはたいした数はいませんが
そのはるか南方の巨大な島はこの入れ墨族だらけだとか。」
「!」

公孫淵撃破の軍功をテコに魏朝内の圧倒的地位を盤石にするためにうった
一連の大芝居が「はるか南方の巨大な島国を統べるヤマタイコク」の使者の
曹叡への拝謁だ

お芝居は大成功
「邪馬台国」は司馬懿の生涯最大の軍功トロフィーとなる
0646日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 09:07:01.41
>>643
ですな。
鏡に記された年号のためだけに景初三年にこだわってしまったから、
後に引けなくなってる。

景初三年六月に洛陽に連絡が行って、十二月に倭使が洛陽到着。
帯方郡から洛陽までだけでも、片道半年かかってる。

正始元年には卑弥呼の手元に届くのだから、
最初を景初三年六月にしてしまうと、
8歳の曹芳の取り巻きが金印授与の決断をして、
完全新作かつ南方系の銅鏡百枚を新鋳して、
そして倭国まで届ける、
なんてのは日程的に無理スジ。

素直に景初二年にしておけば、時間的にも余裕が出来て、
鏡には卑弥呼の手に渡る年の年号を鋳込んだ、
で通じる話なのに。

嘘に嘘が積み重なってどうにもならなくなっている。
0647日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 10:24:48.05
残念だけれど景初三年が二年でも
邪馬台国は九州にならないんだな
0648日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 10:41:21.19
>>647
議論放棄して願望を連打するだけか
国産鏡の研究を続けてねそれはそれで重要だからw
0649日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 10:47:38.53
「宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とその時代」

制作年代としては、3面とも舶載第2段階で、かなり古い鏡である。

歴年代では、240年代の製作である可能性が高い。

副葬時期(古墳の時期)

・舶載第1・2段階の「三角縁神獣鏡」 は、古墳時代前期前半に築造された古墳から多数出土している。

・宮谷古墳も、古墳時代前期前半となる可能性が高い。

※古墳時代前期前半に相当するとみられる古墳の数の多さは、東四国あるいは徳島を特徴づけるものと評価できる。   @阿波
0650日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 10:52:20.40
東四国(徳島・香川)では、古墳時代前期でも古手の古墳に漢鏡(とくに後漢晩期のもの)が副葬される例が多い。

通常は単数副葬例が多いが、東四国(徳島・香川)では、2面副葬される例が複数ある。

例:天河別神社5号墳(上方作系浮彫式獣帯鏡・斜縁神獣鏡)   @阿波
0651日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 10:58:34.32
647 名前:日本@名無史さん 2019/09/29(日) 10:24:48.05
残念だけれど景初三年が二年でも
邪馬台国は九州にならないんだな

そりゃ残念の残念で、真逆だな
景初三年が二年でも 邪馬台国は九州になる。、
0652日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 11:01:12.15
景初三年だと洛陽往復がタイトになって九州しかありえなくなる。
景初二年でも九州であることに変わりはないがな。
0653日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 11:06:33.52
そもそも往復なんぞしてないんだからまったくどうでも良い話
0654日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 11:14:34.34
スレ違いの畿無説がどうでもいい話だから
0655日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 14:33:37.64
日本製ではあるが、景初正始年記の銅鏡は、九州で作られたはずで
銅鐸圏、本州に運ばれるのは247年以降のはずである。

青龍三年銘は、卑弥呼の鏡、もしくは日本海ルートの魏鏡でしょ?
239年に景初年記240年には正始改元を知っているのは筑紫。
元号を入れる必要が無いことを、知らなかったのだろうか?

これによって、吉備や摂津での神獣鏡他の生産が本格化し、同笵鏡拡散
瀬戸内海航路の安定、古墳時代、軍事化統一時代が始まったと考えられる。
0657日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 14:48:08.83
>洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ


その洛陽近郊の畑から発見された「三角縁神獣鏡」 と徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?

また、群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」 と同じく徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作だってこと、知ってるかい?   @阿波
0658日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 19:56:46.56
徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」というのは、
出来れば鋳型が出てほしいが、記年鏡じゃ無ければ280年辺りの制作として
これが、中国に持ち込まれたタイミングというのはとても興味がある。

魏が楽浪帯方占領の238年以降、中国の青銅は日本に入りにくかった。
290年位から、晋は乱れ楽浪帯方は維持できなかったはずで、
日本はこれを解消しつつ、牛馬の移入にも力を注いだ。
おそらく、弁韓の鉄を青銅の代用とする方針で製鉄も国内化する。

景初正始年記の銅鏡は、九州で作られたはず。 同は徐州、作は洛陽技師。
であって、これ以降、魏の鉄鏡代用同様、
鉄も国内生産が可能になっていったと考えられる。

313年の楽浪帯方撤退では、日本の百済新羅建国350年の 
富国強兵に間に合わなくないか?

卑弥呼没年247年迄、筑紫は独立していたと思いたいが、
景初正始年記の銅鏡が、この日本の富国強兵の契機であることは間違いない。

九州王朝東遷という間抜けすぎる話は無いとして、筑紫も本州勢力も、
対魏防衛で、日本海ルートや、瀬戸内海勢力と統合したいと思ったのではないのかな?
0659日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 20:53:25.43
>>657
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないじゃん(大爆笑)
0660日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/29(日) 23:09:09.74
>>658
>対魏防衛で、日本海ルートや、瀬戸内海勢力と統合したいと思ったのではないのかな?

魏志倭人伝を読む限り、卑弥呼は魏にベッタリで、軍事的緊張を避けるために友好関係を結んでいたことがわかる。
それよりすぐ南の狗奴国とのお家騒動が忙しくて、本州は3世紀の間は眼中になかったようだ。
0661日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/30(月) 00:39:30.84
無理矢理くさい話ばっかりやな
0662日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/30(月) 06:40:02.18
卑弥呼の魏への遣使

梁書     景初三年
日本書紀  景初三年
翰苑     景初三年
太平御覧  景初三年


3世紀の原本が失われた後の12世紀に復刻され
邪馬臺→邪馬壹などそれまでの史書の魏志引用文との違いが多く
誤字の多いとされる魏志倭人伝

景気二年



やっぱ卑弥呼が魏に使いを出したのって景初三年じゃね
0664日本@名無史さん
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2019/09/30(月) 07:12:42.21
>これが、中国に持ち込まれたタイミングというのはとても興味がある。

20世紀の日本人だろ
お前の会社がやったんじゃないのか?
先の大戦の反省がなってないんじゃないの?
0665日本@名無史さん
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2019/09/30(月) 07:15:25.10
21世紀かもしれん。   @阿波
0666日本@名無史さん
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2019/09/30(月) 08:31:03.31
>>665
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの戯言に一切の信憑性なんてないじゃん(大爆笑)
0667日本@名無史さん
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2019/09/30(月) 17:40:44.05
墓から出たんじゃないから、21世紀説ってのも まあ有りだなw

洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡 の研究を見たけど
250年〜266年の作の可能性が高いようだから、
266年の朝貢は壹與ではなく、阿波が行っている可能性は無くも無い。
阿波って瀬戸内海ルートで博多までって遠いな。
0668日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/30(月) 17:58:37.05
>>667
>阿波って瀬戸内海ルートで博多までって遠いな。

卑弥呼時代は、瀬戸内海ルートはまだ使い物にならなかった と、何度言えばw   

卑弥呼時代は、太平洋・豊後水道ルート だと、何度言えばw   @阿波
0669日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/30(月) 18:05:07.13
>>667
言っとくけど、洛陽の「三角縁神獣鏡」 が、阿波から持ち出されたなんて言ってないからね。 

倭国(阿波)で作った「三角縁神獣鏡」 は全国各地に散らばってるから、そのひとつだろう。   @阿波
0670日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/30(月) 21:14:05.32
239年から241年の△は九州製だろ。
250〜265年迄の△は瀬戸内海各地で生産可能。

卑弥呼の魏外交は、偶然魏による公孫氏追討の時から始まった。
ここから、日本の古墳時代は始まっている。

△の記年のような初期は、九州製
250年以降は、阿波でも吉備でも、銅鐸作るよりは簡単な仕事だ。

古墳には銅鏡が必要という文化は、
徴兵のような軍事国家形成で普及した。
0671日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 07:46:56.19
>>670
>△の記年のような初期は、九州製

碌な集落遺跡や資源の無い九州に、銅鏡など作れれ訳がない。  なにを考えているんだか。   @阿波
0672日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 07:47:29.45
>>670
>△の記年のような初期は、九州製

碌な集落遺跡や資源の無い九州に、銅鏡など作れる訳がない。  なにを考えているんだか。   @阿波
0673日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 08:01:45.98
九州スレにも妄想が伝染し、広がって来てるようだな。。。
0674日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 08:26:27.66
判断材料や裏付けのない感想文が多いね。
0675日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 15:09:42.71
日本の青銅器の特徴として
古墳時代以前の本州には銅鏡が少なく
九州は銅鏡銅矛、本州は銅鐸銅剣 というのが定説で

銅鐸は国産品なのに、銅鏡の国産というのはあまり検討されていないが
△の国産説で、初期国産品があるとすれば、瀬戸内海海上交通が安定する
250年辺りまでは九州産であろう。 吉備辺り以西もこの瀬戸内海開拓期に発展した。

ということだが、
国産銅鏡の景初正始年記という情報源が、
卑弥呼の筑紫であることが明らかになった。
↑これが、この倭人伝を正しく読むことの意味。
0676日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 15:26:33.58
卑弥呼の死後に九州北部が本州も支配したわけだ。
卑弥呼の時代の倭は銅鏡銅矛文化がある九州北部だけ。
0677日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 16:36:35.91
>>675
>瀬戸内海海上交通が安定する250年辺り

卑弥呼時代の瀬戸内海ルートは、まだまだ未開発。  雄略天皇時代まで待たねばなるまい。   @阿波
0678日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 16:38:24.51
>>676
>卑弥呼の時代の倭は銅鏡銅矛文化がある九州北部だけ。

碌な集落遺跡や資源の無い九州北部に、卑弥呼の時代の倭など在る訳がない。 なにを考えているんだか。   @阿波
0679日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 19:23:17.28
魏志倭人伝を読めば金印や銅鏡は
魏の年号で正始元年に中国の建中校尉、梯儁が倭に持ってきたと書いている
畿内で見つかる景初三年、四年、正始元年鏡は魏で製作する時間的余裕は十分にあった
0681日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 19:54:59.81
>>667
またか? 的に
アラシにレスで、真摯な諸先生に申し訳ないが・・・

阿波が大和朝廷構成の主要豪族であったのは間違いない。
瀬戸内海時代より、淡路島の阿波路は 古いのか? とも思う。

縄文青銅器はともかく、鉄器の歴史というのは、
中原とそんなにかけ離れてるか?

弁辰韓の鉄は楽浪にも供給した。
阿波の丹も交易材料だが、BC200年以降の、青銅素材との交換だろ?

これは、魏が238年公孫氏追討で消滅。
246年は、それ以前からの窓口、箕氏韓王朝滅亡だ。

半島進出しなければ、明日は無い。
歴史認識以前に歴史であって、当然だろ。
0682日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 19:56:33.09
鏡はいらない
0683日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 20:05:11.09
>>681
>阿波が大和朝廷構成の主要豪族であったのは間違いない。

主要豪族なんかじゃないよ。  まさに阿波が大和朝廷そのもの。  阿波以外にどこがあるというのか。  @阿波   
0684日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 20:07:57.67
△の日本製銅鏡と 倭人伝を正しく読む 関係は
来年の中学生の夏休みの研究発表的にも面白いと思うけどね?
知らんけど、先生と喧嘩するのは、ダメだよwww
0685日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 21:36:56.55
三角縁神獣鏡を根拠に邪馬台国の位置を考えることが適切なのかどうかを議論したほうがいい
0688日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 22:09:33.80
>>687
三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)で?製したものだろう。   @阿波
0689日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 22:09:37.66
>>687
オワコンをコトバンクで調べてきたら?
0690日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 22:11:30.41
>>687
三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)で?製したものだろう。   @阿波
0691日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 22:15:27.57
景初三年 陳是作銘 三角縁神獣鏡 コトバンク
0692日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 22:16:41.36
コトバンク 運営 スバラシイ
0693日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 22:17:30.40
三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)で仿製したものだろう。   @阿波
0694日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 23:11:53.60
266年の晋外交の可能性で、丹という交易資産が有った
△鏡も作れた、阿波は卑弥呼以降の初期楽浪後の、半島進出でも有力なんだよ。

でも、これ以降、△は国産で
日本外交は空白の富国強兵、古墳で高句麗馬移入、
筑紫も半島に進出してるだろうけど、中原外交はやめたよね。

次は、倭の五王で、400年黄海横断の南朝だよ。
もはや、歴史は、動かんよ。
0695日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/01(火) 23:58:19.39
三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡は別ものなんだけれども
そしてそれにも景初三年と彫られているという事はやはり邪馬台国は畿内・・・・
0696日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 00:06:43.91
少なくとも畿内の文化の中心は大阪であって、纒向のような田舎じゃない。
0698日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 07:23:00.27
景初三年だけなら特別の意味を考えなくてはならないけれど、
その他の年号も刻まれているのだから、三年号だけを特別視するのはどうかなあ。
0699日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 07:32:08.81
>>697
古墳文化の中心は大阪だよ。
海人ゆかりの古社も多い。
住吉、三島など、九州から渡来した痕跡だらけ。
そもそも海運が中心の弥生時代において、大阪が瀬戸内海ルートの要として、淀川への中継地として発展するのは道理だよ。
畿内説は大和信仰に毒されて現実を見ていない。
0700日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 07:46:29.60
>>699
>住吉、三島など、九州から渡来した痕跡だらけ。

碌な集落遺跡や資源の無い九州に、邪馬台国など在る訳がない。 なにを考えているんだか。   @阿波


>そもそも海運が中心の弥生時代において、大阪が瀬戸内海ルートの要として、淀川への中継地として発展するのは道理だよ。

そもそも弥生時代において、瀬戸内海ルートが使いものにならないのは道理だよ。   @阿波
0701日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 07:49:24.42
垂仁天皇(3世紀後半)の居城 纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)
景行天皇(4世紀前半)の居城 纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)

纒向は3世紀頃から天皇の居城があったと記紀に書かれているのだ
0703日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 07:52:51.57
>>701
単純すぎ!   @阿波
0705日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 07:55:45.64
>>703
纏向説は、筑紫説や出雲説、日向説と同レベル。   単純すぎ!   @阿波

   
0706日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 07:56:44.30
>>703
後付け地名に振り回され過ぎ!   @阿波
0707日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 07:58:46.00
>>698
正始元年も魏から派遣された建中校尉や梯儁が
倭に魏からの下賜品を持ってきたと魏志倭人伝に書いている
正始元年銘三角縁神獣鏡も畿内で見つかっている
0708日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 08:04:31.34
古来、人が死ぬと墓に葬ってきたのだけれども、
いわゆる古墳時代になって、中華大陸に由来する新興宗教的な思想思考が広まったのではないか。
つまり秦の始皇帝陵に代表されるように、(豪華な)地下宮殿を造営すれば(死後も)永遠の生活を営むことができるという、
一種の不老不死思想の具体的な形が前方後円墳だったのではないかと思う。
言ってみれば、前方後円墳は墓ではなく、死後も生きながらえることのできる豪華で威容を誇る隠居宮殿のような存在だったのであろう。
0709日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 09:00:40.28
>>708
>一種の不老不死思想の具体的な形が・・・

それは、水銀朱だね。   @阿波
0711日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 09:29:28.46
>>710
それは、取りも直さず、阿波と朝鮮半島との深い関係性を表すことに他ならない。   @阿波
0712日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 10:16:15.95
>>711
>それは、取りも直さず、阿波と朝鮮半島との深い関係性を表すことに他ならない。   @阿波

まことにその通り。
で、その阿波と朝鮮半島とのあいだに立ち、仲を取り持ったのが九州な・・。
0713日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 10:24:35.95
>>701
魏が楽浪帯方時代以降、南韓に進出したため
防衛上、瀬戸内海勢力の王が一時的に裏山纒向に籠った。
で、ぴったしだろ。 
313年以降で、また大阪に下ったんだよ。

この時、銅鏡銅矛文化だった、九州も合流して
瀬戸内海ルートの安定、古墳制と銅鏡の隆盛だろ。
筑紫に防人一大卒を置いたのが、245年辺りってことだ。
女王国は190年〜247年なんだから、瀬戸内海ルート安定前
筑紫に居ないと辻褄が合わんでしょうが?

景初三年、正始元年鏡は△初期で九州製、250年以降で移動拡散。
画文帯神獣鏡 ってのは漢〜後漢鏡のはずだが、
この国内化時に、呉系の鏡師連れて来たんで
とりあえず復刻したんじゃないのかな?
0714日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 10:29:49.99
黄巾の乱で追われた宗教集団が海神族の道案内で、道教は安住の場所を探していたんだろ。まほろばは奈良だろ。瓢箪墓は仙人の器だよ、それまでとは違う宗教が入り込んだ以外にどう説明できるのよ?
0715日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 10:53:08.99
>>712
>で、その阿波と朝鮮半島とのあいだに立ち、仲を取り持ったのが九州な・・。

いくら言い張っても、碌な集落遺跡や資源の無い九州に、邪馬台国など在る訳がない。 なにを考えているんだか。   @阿波
0716日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 12:14:14.79
>>713
何にぴったしなのか
景初や正始と卑弥呼が魏に遣使して使者が倭にやってきたと
魏志倭人伝に書いてある年号が入っている三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡こそ
卑弥呼が魏から貰った銅鏡にぴったしだろ
0717日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 12:15:49.86
>>715
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0718日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 16:11:44.92
>>714
海神族が道案内して降臨したのは誰だ?
天孫族だろ?
どこに降臨した?
筑紫だよ。
海神族の本拠地は志賀島。
0719日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 16:13:55.62
>>714
瓢箪だ?仙人だ?
それは饒速日だろ。
天磐船で交野に降臨したとある。
彼こそ、畿内の王、前方後円墳の主、纏向が所属する尾張の祖先でもある。
0720日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 17:53:31.94
纒向が貧しいままだから饒速日もぶち切れたんだね<倭国大乱
0722日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:18:52.13
阿波は朱がとれたからそこそこ遺物は出てる
そこそこだけどw
0723日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:19:38.67
>>721
>貧しい阿波でもせめて淡路ほどでも銅鐸が出たらね

恥さらし。

徳島県の銅鐸出土地
『日本古代遺跡37徳島』14ページより  後ろの数値は銅鐸の高さ(cm)
                       
1. 檜銅鐸           鳴門市大麻町檜字乾谷    90
2.神宅銅鐸         板野郡上板町神宅      41
3. 川島銅鐸          麻植郡川島町神後     45.6
4. 森藤銅鐸         麻植郡鴨島町森藤      21
5. 牛島銅鐸         麻植郡鴨島町上浦      34.7
6. 伝久勝銅鐸        阿波郡阿波町久勝   
7. 久千田銅鐸        阿波郡阿波町久勝      30
8. 伝榎瀬銅鐸        徳島市川内町榎瀬      44.5
9. 星河内美田1号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
10. 星河内美田2号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
11. 星河内美田3号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
12. 星河内美田4号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
13. 星河内美田5号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
14. 星河内美田6号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
15. 星河内美田7号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
16. 源田1号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
17. 源田2号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
18. 源田3号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   52.0
19. 安都真1号銅鐸     徳島市入田町安都真     29.5
20. 安都真2号銅鐸     徳島市入田町安都真     21.7
21. 安都真3号銅鐸     徳島市入田町安都真     24.6
22. 安都真4号銅鐸     徳島市入田町安都真     21
23. 名東銅鐸        徳島市名東1丁目       40
24. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     90.9
25. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     45.4
0724日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:20:21.91
26. 伝福万谷銅鐸      徳島市八万町福万谷     
27. 勢合銅鐸        小松島市立江町赤石     36
28. 畑田銅鐸        阿南市下大野町畑田     54.02
29. 八貫渡銅鐸       阿南市下大野町八貫渡    
30. 才見銅鐸        阿南市才見町
31. 長者原1号銅鐸     阿南市山口町長者原     64.25
32. 長者原2号銅鐸     阿南市山口町長者原     41
33. 田村谷銅鐸       阿南市山口町田村谷     62 
34. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          42.4
35. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          31
36. 伝長生銅鐸       那賀郡長生町
37. 榎名銅鐸        三好郡西祖谷山村榎名     推定55
38. 伝吉野川沿岸銅鐸   美馬郡脇町拝原        6.2
39. 伝脇町銅鐸
40. 伝阿波銅鐸
41. 江原小銅鐸

遺跡発掘後進県なのに、なぜ徳島で、このように非常に多くの場所から出土するのだろうか? 推して知るべし。   @阿波
0725日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:23:37.14
滅ぼされた銅鐸文化圏だったからだろ
0726日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:24:02.28
淡路の鍛冶遺跡は典型的な高地性集落だね
海の民の巣だから鍛冶するための素材の供給が可能なわけで
海の道でがっつし金海あたりと繋がっているわけだ
この海の民の活動中心拠点は響灘沿岸部であるのがごく自然。
0727日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:24:05.73
>>721
>貧しい阿波でもせめて淡路ほどでも銅鐸が出たらね

恥さらし。
0728日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:26:27.42
>>726
淡路島は、倭国(阿波)の数ある島のひとつにすぎない。  悪しからず。  わははははは   @阿波
0729日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:28:19.18
阿波の銅鐸は漢代の銅器を原料にしてしでかしたものがほとんどなんだろ
0733日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:41:33.74
淡路といい阿波といい大和といい
いつから淡路・阿波・大和と言ったのだろうか
基本的に確認できるのは8世紀が上限
0734日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:51:13.67
阿波は前漢鏡が出ないことが致命的
弥生小型仿製鏡さえ出ないのは
海の民の活動領域の果てるところだったから
0735日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:59:36.83
>>734
>阿波は前漢鏡が出ないことが致命的


またもや、恥の上塗り・恥さらし。

倭国(阿波)では、一般的な古墳の埋葬品などではなく、「弥生集落遺跡」から中国鏡が出土している、特殊なところ。

「庄・蔵本集落遺跡」から中国鏡「異体字銘帯鏡片」(前漢代 紀元前206年〜紀元後8年)が出土。

http://tokudaimaibun.jp/s_rist.html
0736日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 21:00:58.69
>特殊なところ。

価値がわからなかったのかな
それとも銅鐸の原料として朱と交換
0737日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 21:09:33.33
>>736
集落遺跡から出土するくらいだから、よほど中国と交流してザクザク有ったんだろうね。   @阿波
0738日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 21:10:20.16
ザクザクあったんだね、どこにかなあ
0739日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 21:12:04.96
>>736
集落遺跡から出土するくらいだから、よほど中国と交流してザクザク有ったんだろうね。   @阿波
0740日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 21:13:44.77
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。  まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。    

まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。   @阿波 
0742日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 21:18:24.84
それがなにか? わははははは   @阿波
0743日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 21:28:21.82
3世紀前半の集落の周辺部で懸垂鏡で破棄されたものですと
0744日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 21:29:38.16
>「庄・蔵本集落遺跡」から中国鏡「異体字銘帯鏡片」(前漢代 紀元前206年〜紀元後8年)が出土。

うわー。
この欠片のために@阿波はどんだけ朱を差し出したんだ?w

欠片ひとつを全財産で買い取って
村人総出で崇め奉って平伏繰り返したんだろうなw
0745日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 21:30:32.81
他所から持ち込まれて愛用された縁を研磨された穴あきペンダント
阿波ではろくな前漢鏡は出てこない
0746日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 21:44:32.42
>>744
>うわー。
>この欠片のために@阿波はどんだけ朱を差し出したんだ?w

欲しけりゃ、少し分けようか?  わははははは   @阿波
0747日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 21:50:05.36
大阪ってか?

キチガイの主張なんざ聞いてやる理由ないんだがさ〜
0748日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/03(木) 00:21:58.52
>>746
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0750日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/03(木) 16:50:58.58
知らんよそんな連中らの話なんざな

恥ずかしいから自分らが知ってるもんに結びつけるのやめたらどおだ?
0751日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/03(木) 17:32:22.18
邪馬台国大研究HPより
 安本教授は前掲の書、「邪馬台国と高天の原伝承」(勉誠出版平成16年3月10)で述べている。

>『魏志倭人伝には、「南、邪馬台国に至る。女王の都する所。」と述べられているだけではない。
>「女王国より以北は、その戸数・道里は略載するを得べし。」とも述べられている。
>戸数・道里を略載されているのは「対馬国」「一支国」「末廬国」「伊都国」「奴国」「不弥国」である。
>これらは女王国の以北にあったのである。

>すると女王国はこれらの 国、例えば「伊都国」の南にあったのである。
>「魏志倭人伝」はまた記す。「女王国より以北にはとくに一大率をおいて、諸国を検察させている。
>(一大率は)常に伊都国に(おいて)治めている。」ここでも伊都国は女王国の北だと記されている。

>つまり、女王国は、伊都国の「南」だというのである。「魏志倭人伝」に三度にわたって記されている。
>「伊都国」と「邪馬台国」の位置関係は三度とも誤りだというのだろうか。・・・略

ま、これら三度の南を大事にするのは大いに結構だが、
「末廬国」の東南500里にあったという伊都国だけは、なぜか北東の糸島だったというのはどうしたことか??
0752日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/03(木) 18:16:51.88
「東南陸行五百里、至伊都国」とあるだけで、
「末廬国」の東南500里にあった、とは書かれてない
0753日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/03(木) 18:23:27.03
>>752
見苦しい!   @阿波
0754日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/03(木) 18:26:12.20
>>752
それを云いだすと、渡海や上陸後全ての行程で同様な解釈になり、行程記述が用を成さなくなる。
それでいいのだな・・、確認。
0756日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/03(木) 19:03:47.99
>>755
行程記述ではないのか、では何かな??
0758日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/03(木) 19:29:54.50
ふんふん、地理の説明か。
相わかった、では今度から行程の代わりに地理と云うことにしよう。、
0759日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/03(木) 21:06:22.09
>>753
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張の方が見苦しいんぞマヌケ。
0760日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/04(金) 07:42:57.31
地理(ちり、英: Geography)
1.地球上の山・川・海・陸・気候・生物・人口・集落・産業・交通・政治などの状態。
2.土地の状態・様子や事情。
3.一定の地域内の地理は「地誌」ともいう。

なるほど倭人伝は、倭人の住む帯方東南の大海中の洲島に関する「地理と歴史」の書ということになるな。
特定の倭人地域に関するので「地誌」といっても良いかもしれぬが・・。
その中から、ことさらに方角・里数・日数だけを取り出して甲論乙駁するのは、全体像を見失う元凶なのかもしれぬ。
地図を眼前に置いて、良く観察吟味すべきだろう。
>>757 の云う通りだ。
0761日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/04(金) 08:18:35.27
>>760
>なるほど倭人伝は、倭人の住む帯方東南の大海中の洲島

なるほど、どう見ても四国だね。   @阿波
0762日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/04(金) 10:33:48.77
>>761
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0763日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/04(金) 23:29:03.83
761
規模的に言えば島と認識できるでかさじゃないよ
0764日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/04(金) 23:29:57.07
本州あたりだとしたらそれを島と認識できたんだ?

かなり凄いでな
0765日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/04(金) 23:35:23.29
四国ってのは四つの国があったから四国

九州は九つの国があったから九州

本州は一番多い、てより蝦夷地と呼ばれた東北あたりにしろ本格的に名前が出てさかたな平安時代
0766日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 06:44:37.60
>>760
>なるほど倭人伝は、倭人の住む帯方東南の大海中の洲島

なるほど、どう見ても四国だね。   @阿波
0767日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 07:44:19.33
魏志倭人伝なんて信じてんの?
ただの落書きだよ、さんな邑が
無数にあるらしいです、あとは適当に書いただけだ!
0768日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 07:47:54.27
それは、トンデモだからだよ。   @阿波
0769日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 08:40:03.88
朝もはよから、お疲れ様です。
倭人伝は、帯方東南大海の中にあった倭人の国の地理・歴史を記した中国の教科書です。地誌といっても良いかもしれません。
原語でかかれていますので、やや戸惑うかもしれませんが、ゆとりをもってお勉強しましょうね。
0770日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 08:55:10.54
>>769
なんで場所わからんのだね、
仮定でしかもの言ってない、
0771日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 09:38:15.97
>>770
主語、主人公を省略した文章は、いろいろな意味に解釈できてしまうんだよ。
まずは主語(主人公)が誰なのかを書いてから、次の文に取り掛かりましょうね、、。、
0772日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 10:18:58.55
>>768
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0773日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 11:11:31.93
>>769
倭人伝の帯方東南大海の中にあった倭人の国は、まさに倭国(阿波)だね。   @阿波
0774日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 13:30:37.91
卑弥国との関連性は無いの?
0775日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 15:21:50.82
>>773
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0776日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 16:34:46.95
>>771
倭って何処の事よ
0778日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 18:15:35.12
>>776
>倭って何処の事よ

「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。   大和国の 「大和」である。

「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。   阿波国なのに「倭」である。

これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。  

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波
0779日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 00:22:39.00
>>778
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0780日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 02:07:27.37
邪馬台国は宮崎だと古事記にしっかり書いてあるだろ?
何でみんな忘れたふりをするのか?なぜ否定できるのか?
0781日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 07:12:39.30
>>780
>邪馬台国は宮崎だと古事記にしっかり書いてあるだろ?

宮崎ってどこ?   @阿波  
0782日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 08:03:31.85
>>781
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0783日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 08:06:09.14
781 日本@名無史さん ▼ 2019/10/06(日) 07:12:39.30 [0回目]
>>780
>邪馬台国は宮崎だと古事記にしっかり書いてあるだろ?

宮崎ってどこ?   わははははは   @阿波
0784日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 08:08:04.02
帯方郡から一万二千里と明記してあり、九州上陸までで一万里なので、邪馬台国は九州北部のどこかですよ。
0785日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 08:18:28.35
短里なら韓伝や高句麗伝を検討すればいいのに
0786日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 08:29:58.02
>>784
>帯方郡から一万二千里と明記してあり

帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里(直線距離 900km)1里=75m

∴1里=70mは、概ね妥当。   @阿波   
0787日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 08:34:06.44
>>776日本@名無史さん2019/10/05(土) 16:34:46.95>>778
>>771
>倭って何処の事よ

>>769 の続きで、
・・・「なんで(倭の)場所わからんのだね」という意味だね。
で、「帯方東南大海の中にあった倭人の国」、「その東渡海千里復国あり」といえば、つまりは九州島のことでしょう。
ただ畿内方面には、その地理的記述を認めたくない人たちがたくさんいるようですけどね。
0788日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 08:39:07.26
>>787
>・・・「なんで(倭の)場所わからんのだね」という意味だね。


「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。   大和国の 「大和」である。

「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。   阿波国なのに「倭」である。

これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。  

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
0789日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 09:03:02.49
対馬が一致してるからそれ以降の表記内容は日本列島のことだというのは
まんまと日本書紀の作者にはめられている。

古事記では津島だったのに日本書紀では
対馬と漢字を一致させてきたことを怪しまないといけない。

これじゃタイウマ・ツイウマ・タイマ・ツイマとしか読めない。
なんでこれがツシマなんだよ?

対馬以降の表記内容を盗むための無理矢理の後付けだわな。

しかも対馬じゃなく対海という表記の系統の本もあり
どっちが正しいのかわからない。
日本に来た写本の表記がたまたま対馬なんだな。
今後対馬は紛れ込んだ誤記でホントは対海と確定出来たら
日本書紀のペテンはガラガラと崩れ落ちる。
0790日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 09:32:35.34
>>787
>・・・「なんで(倭の)場所わからんのだね」という意味だね。


「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。   大和国の 「大和」である。

「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。   阿波国なのに「倭」である。

これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。  

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
0791日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 09:36:12.06
ツイマ
ツシマ
九州弁では、ツシマはツヒイマのように聞こえる。だから九州人なら、ツイマでもツシマでも怪しまない。
0792日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 09:43:43.47
>>780
「宮崎」ではありません。
「筑紫」です。
0793日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 09:44:23.39
>>791
対の島でいいじゃん。
0794日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 10:12:52.38
>>792
>「筑紫」です。

「筑紫」ってどこ?   @阿波
0795日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 10:30:56.21
>>793
じゃあ馬は何だよ?
ますます当てる意味が分からないじゃん。

古代は基本音が先にあって漢字を当てる。
ツシマが先。
そして確かに津の島(古事記)。

島を馬に置き換えた例は他にあるの?
0796日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 10:45:17.88
>>795
優れた論だ。
馬は、邪馬国や斯馬国や邪馬台国の馬だろう。つまり馬族が押さえていた。
ついでに壱岐はもともと伊岐と書いた。伊都国や伊万里や伊佐早と同じく伊族が押さえていたからではないか、、。
0797日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 10:48:05.61
>>794
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0798日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 10:48:17.45
>>790
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0799日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 10:48:27.31
>>788
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0800日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 10:48:38.31
>>786
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0801日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 10:48:53.77
>>783
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0802日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 14:15:16.78
>>796
「丹」の採れるところが「女王国」だから、@阿波の言うことがすべて正解となるわけ。  わははははは   @阿波
0803日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 14:16:22.50
馬族とは大陸から朝鮮半島伝って来た
騎馬ミンジョクということ?
0804日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 14:30:30.94
>>802
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0805日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 14:56:08.86
>>803
「丹」の採れるところが「女王国」だから、@阿波の言うことがすべて正解となるわけ。  わははははは   @阿波
0806日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 15:48:28.89
>>805
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0807日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 16:19:42.38
>>803
>馬族とは大陸から朝鮮半島伝って来た
>騎馬ミンジョクということ?

倭人伝の書きぶりからの推測だが、
そもそもは漢族の流れ(キシ朝鮮族)で、のちに馬韓を名乗る種族だったのではないかと思っている。
0808日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 17:08:14.16
そもそもは日本の縄文人っしょ
0809日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 18:18:51.63
遼東朝鮮の箕氏が衛満に追われ、韓に渡って韓王を自称した。
つまり、先住民は希少または無力であり、完全な開拓植民地。

これを、楽浪に入った漢辺りから、韓の馬国として、馬韓と称した。
対馬は、渡海時の津の島、馬の字を当てるのは、馬韓との関係を意味する表意文字。

南至 投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸

官の 彌 馬 は、地名由来だろうが、
この、渡海地域は 箕氏、馬氏、
由来の中国語氏姓が 入っている可能性が高い。
0811日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 18:44:42.97
九州側が統一されてて中国国家に金印認定される女王がいるんだから
九州側が起源だよ。DNAで出戻り縄文人って言ってたでしょ。
伊族によって北や東へ押し出されたんだろうね。
馬族の末裔が百済かな。
0812日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 18:46:43.43
>>811
「丹」の採れるところが「女王国」だから、@阿波の言うことがすべて正解となるわけ。  わははははは   @阿波
0813日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 19:32:52.74
>>811
>九州側が統一されてて中国国家に金印認定される女王がいるんだから

これは単純な思い込みだろ。
親魏倭王の印は見つかってない。
「中国国家に金印認定される女王」はいたと考えていいが
それがどこにいたかはわかっていない。

見つかったとされてる委奴国王の印も本物かどうか怪しい。
0814日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 19:33:47.56
>>813
「丹」の採れるところが「女王国」だから、@阿波の言うことがすべて正解となるわけ。  わははははは   @阿波
0815日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 19:35:59.60
>>813
驚いた
つまりあんたは邪馬台国は朝鮮半島にあったと言いたいわけだな
0816日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 19:45:54.18
顔中真っ赤な入れ墨だらけの倭人の使者に対して
その赤い入れ墨が水銀丹で「うちは水銀丹が名産だ」と言ってるなら
水銀丹よりはるかに安物の鉛丹を下賜するはずがない

鉛丹を下賜した理由はその真っ赤な入れ墨が一番安い
鉄丹=酸化鉄だったから
0818日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 19:48:31.46
ホケノ箸墓 小枝・槨と馬具・葺石

三角縁神獣鏡 鉛同位体比

大型建物 各地で発見

土器土器 海外なし、むしろ九州へ大量献上


学術的に決着がついてる

キャリアを犠牲にしてまで畿内説を支持する学者はいるのだろうか?
0819日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 19:58:18.15
>>816
それを言うなら「うちは真珠が名産だ」と言ってるなら
真珠を贈るはずが無い。しかも五十斤なんて真珠を計る単位なら粒だろうし
真朱のことだろう。
鉛丹と銅鏡百枚は国産青銅器の原料として。
0820日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:01:53.08
魏志倭人伝に邪馬台国の位置は会稽東治の東つまり
沖縄か台湾と書かれているので魏志倭人伝に書いてある行程は邪馬台国までのものではない

一方畿内では卑弥呼が魏に遣使したと史書に記される魏の年号
景初三年や正始元年銘が入った三角縁神獣鏡に画文帯神獣鏡が出土
考古学的に邪馬台国は畿内で学会でも決着
0821日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:05:22.81
>>820
>考古学的に邪馬台国は畿内で学会でも決着

いくら言い張っても、碌な弥生集落遺跡や資源の無い畿内に、邪馬台国など在る訳がない。 なにを考えているんだか。   @阿波
0822日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:08:06.74
>景初三年や正始元年銘が入った三角縁神獣鏡に画文帯神獣鏡が出土

それ全部国産と結果が出てるだろ。
0823日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:13:26.30
>>821
畿内の弥生遺跡なら唐古鍵遺跡
そして卑弥呼および邪馬台国の時代は古墳時代
畿内には古墳時代の大きな遺跡が山ほど存在
0824日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:15:33.95
>>823
>畿内の弥生遺跡なら唐古鍵遺跡

だ・か・ら、いくら言い張っても、碌な弥生集落遺跡や資源の無い畿内や九州に、邪馬台国など在る訳がない。 なにを考えているんだか。   @阿波
0825日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:16:47.58
>>822
イヤSpring−8による科学的分析で含まれる銀・アンチモン比が魏晋鏡と同じグループと出ている
国産のコピーのものもあるけれど以前から舶載鏡とされてきた三角縁神獣鏡は魏鏡
0827日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:19:15.90
>>825
三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)で?製したものだろう。   @阿波
0829日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:20:34.43
>>823
唐古鍵では鏃は何製かな?

>>825
それが信頼できないことも報告されている。
0830日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:21:35.92
>>825
何度も論破されているのに繰り返すということは
キナイコシは嘘つき承知で結論を叫んでいるだけ、ということだな。
0831日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:26:39.71
>>825
三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)でぼう製したものだろう。   @阿波
0832日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:30:02.73
>>827
イヤ三角縁神獣鏡は師出洛陽と銘文が入っていて
使われている銅は魏のものなので洛陽で作られた

>>828
何を?
畿内で発見された三角縁神獣鏡おそび画文帯神獣鏡は
正始元年及び景初三年と魏の銘がある
この年号は梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧に卑弥呼の遣使があった年と記され
また使用されている銅は蛍光X線分析器Spring−8によって魏晋鏡と同一素材と判明
邪馬台国が畿内にあった事の有力な証拠という事を?

>>829
科学的測定を信用できないというなら九州説は科学的に信用できない説
0834日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:34:09.73
>>830
三角縁神獣鏡に景初三年および正始元年と魏の年号があって
銅出徐州と銘もあて魏の銅が使われていて
洛陽でも1面出土があり卑弥呼の貰った鏡の可能性が高いという事は論破されてなくて学会の定説

>>831
畿内で見つかった景初三年と銘がある画文帯神獣鏡は?
0836日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:35:50.03
>>833
畿内で見つかった魏年号のある三角縁神獣鏡および画文帯神獣鏡について
今現在判明してる事を書いているだけなんだけれど
0838日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:38:59.15
Spring−8もいわくつきだが、あのデータ読みもいかがなものか・・・?
0839日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:40:37.07
>>834
>畿内で見つかった景初三年と銘がある画文帯神獣鏡は?

三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「萩原古墳群」出土の「画文帯神獣鏡 」を倭国(阿波)でぼう製したものだろう。   わははははは   @阿波
0840日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:42:52.13
>>834
魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の画文帯神獣鏡

同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡

この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかだろうね 魏から下賜された鏡は。   @阿波
0841日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:44:10.53
>>834
わははははは

いくら言い張っても、碌な弥生集落遺跡や資源の無い九州や畿内に、邪馬台国など在る訳がない。 なにを考えているんだか。   @阿波
0842日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:44:25.28
三角縁神獣鏡
それは景初、正始など魏の年号が記銘され
銅出徐州 師出洛陽 徐州の銅で洛陽の鏡師が作ったとも銘があり
使われている銅は科学分析で魏の銅鏡に使われているものと一緒と判明
現代でも洛陽近くの畑から1面出土し魏鏡である事は確実

畿内で多く出土しこれは魏志倭人伝に記されている
卑弥呼の貰った銅鏡百枚に相当するものと考えられ
邪馬台国畿内説の有力な証拠と見られている
0844日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:46:58.22
>>834
>畿内で見つかった景初三年と銘がある画文帯神獣鏡は?

三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「萩原古墳群」出土の「画文帯神獣鏡 」を倭国(阿波)でぼう製したものだろう。   わははははは   @阿波
0845日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:48:15.00
畿内は3世紀から100m200m超のホケノ山や箸墓など
大きな前方後円墳が造られているからなあ
やはり邪馬台国は大和国
0846日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:49:43.35
中国には馬〜さんて一族もいるニダ(°▽°)

馬姓
回族(イスラム教徒出身の人々に多い漢姓)
0847日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:50:29.81
>>845
「前方後円墳」も「軽量薄型土器(庄内式土器)」も、阿波の専売特許。   @阿波
0848日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:51:01.58
>>842
だからそれ国産だから。
>>845
だからそれ4世紀後半だから。
0849日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:53:37.32
>>848
>だからそれ国産だから。

三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)でぼう製したものだろう。   @阿波

三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「萩原古墳群」出土の「画文帯神獣鏡 」を倭国(阿波)でぼう製したものだろう。   わははははは   @阿波
0850日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 20:56:14.23
いくら言い張っても、碌な弥生集落遺跡や資源の無い九州や畿内に、邪馬台国など在る訳がない。 なにを考えているんだか。   @阿波
0851日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:00:13.04
>>848
いくら泣きながら三角縁神獣鏡は国産と言い張っても
Spring−8の分析結果および師出洛陽との銘そして洛陽でも出土という証拠が
三角縁神獣鏡は魏鏡である事を強く示唆している

畿内のホケノ山古墳も埋葬されていた木棺の小片5つが炭素14c年代測定法によって
120−240年と判明
副葬品の年代観カラホケノ山古墳は遅くても3世紀中葉には造営されていたと判明
0852日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:03:15.42
>>851
いくら喚いても
鉛同位体比から国産だし
小枝から4世紀後半である。
0854日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:04:18.23
>>851
古墳の構造(葺石・竪穴式石室など)や副葬品(水銀朱・勾玉・鉄器など)を見れば、一目で「忌部はん」 のお墓と判るのに、いつまでもwww   @阿波
0855日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:05:57.38
>>852
鉛同位体比は因果関係が証明されてなくて分析方法として不適当
ホケノ山の小枝は副葬されたものとは考えにくく
後年天井の崩落があった時に棺内に紛れたコンタミであると考えられている
0856日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:06:02.18
>>853
議論放棄したね。

>九州説は、なぜ破綻してしまったのだろうか、、、

あれ?
九州説が正しいと認識していて、今ようやく破綻したかのような表現だねえ。
0857日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:10:27.25
>>855
>鉛同位体比は因果関係が証明されてなくて分析方法として不適当
因果関係とはどの部分かな?
Spring−8の数々の問題点を理解できない君には無理な質問かも試練が

>後年天井の崩落があった時に棺内に紛れたコンタミであると考えられている
古墳本体のしかも槨のそばの小枝なのだから、古墳築造時そのままの土中に埋まっていた小枝だ。
それが4世紀後半なら古墳も4世紀後半

>>851
>畿内のホケノ山古墳も埋葬されていた木棺の小片5つが炭素14c年代測定法によって
120−240年と判明

>>855
>ホケノ山の小枝は副葬されたものとは考えにくく
>後年天井の崩落があった時に棺内に紛れたコンタミであると考えられている

>>851は嘘だったということだな
>>855は小枝が4世紀のものであることを前提とした言い訳になっているから
0858日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:26:14.15
>>857
鉛同位体比は同じ素材で作られた事が判明している古代銅製品を試したところ
まったく違う数値が出る
わかるのは製造する時に同一ロットで作られたかどうかぐらい
鉛同位体比の前提として同じ鉱山から採られた銅は同じ鉛同位体というものだけれど
そうではなくて銅製品を製造する時に添加される鉛の量によって鉛同位体比は決まるものと考えられる
つまり鉛同位体比は同じ工房で一緒に作られたかそうじゃないかがわかるぐらいという事

ホケノ山の小枝が4世紀を示しても
棺内の鏡が画紋帯神獣鏡1面と\銅鏡片2個体分、内行花文鏡片と
239念に三角縁神獣鏡が倭に伝わる以前のもの
鏡副葬がありながら三角縁神獣鏡がないという事は
ホケノ山の被葬者は239年以前に埋葬されたものということ
よって木棺の炭素14c測定法と合わせてホケノ山は3世紀中葉
そして木片が玄室内にあった例は他に無く
通常で考えれば玄室内は埋葬時に綺麗にされるものが常識と考えるならば
ホケノ山の小枝は後年天井が崩落した時に入り込んだコンタミであると見ることが最も妥当
0860日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:34:39.86
>>855 >ホケノ山の小枝は副葬されたものとは考えにくく

考えにくくじゃなくて、棺を収めるときに、棺に手向けられた小枝そのものだったんじゃないの。
で、小枝のDNA鑑定はしたの、
ほんとは樹種鑑定したんだろ、梅か桜か桃か、あるいは紅葉か榊か・・、どれだったんだい??、
0861日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:35:00.28
>>859
阿波の台頭によって!   @阿波
0863日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:41:29.09
>>860
他に棺近くから埋葬された小枝が出た古墳なんてないんだよ
あったら教えてほしいものだ
天井が崩落していることから見てもホケノ山の小枝は後年の混入物
そしてホケノ山の木棺の年代測定は120−240年で
画文帯神獣鏡1面と\銅鏡片2個体分、内行花文鏡片という鏡の副葬状況は
三角縁神獣鏡が伝わる以前、被葬者は魏の年号で239年以前の埋葬となるわけだ
0864日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:43:44.13
小枝をC14 にかけたのに、DNA鑑定はしなかったというのはウソっぽいな。
いまどき掛けないわけがない・・。
0865日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:44:43.81
>>863
どのみち、阿波の豪族墓なんだから、どうでもよいこと!   @阿波
0868日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:51:26.75
九州説は三角縁を国産だ呉鏡だとやってるから
いつまで経っても古代史が理解できないのだよ
0869日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:53:20.83
>>868
三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「天河別神社古墳群」出土の「斜縁二神二獣鏡」を倭国(阿波)でぼう製したものだろう。   

三角縁神獣鏡 は、「魏の水銀朱」が使われた「萩原古墳群」出土の「画文帯神獣鏡 」を倭国(阿波)でぼう製したものだろう。   わははははは   @阿波
0871日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:54:35.58
天井が崩落したからといって、
大量の石や土砂を押しのけて、そう都合よく小枝が棺の傍まで転がり込むわけがない。
しかし棺に添えられた小枝なら、そのもずばりの三世紀の年代が出る、
こりゃシメシメと、C14 と樹種鑑定をしたら、意に反して四世紀と出たので、ばっくれてんじゃないの??
0873日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:58:23.95
>>867
そういうのを、「問うに落ちず語るに落ちる」というんだよ・・(笑
0874日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:59:14.93
>>858
>ホケノ山の小枝は後年天井が崩落した時に入り込んだコンタミであると見ることが最も妥当

こんな言い訳が通用したら、なんだってありになってしまう。
第二の「神の手」事件だね。
こうして歴史は捏造される。
0875日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 21:59:42.86
>>872
ごめん。 真実を言ってしまって。   @阿波
0876日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:00:32.64
>>870
残念だけれど三角縁神獣鏡は呉鏡でもなく後年国内でコピーされたものを除いて倭鏡でもなく魏鏡
少なくとも呉鏡というのは無理があり過ぎるから九州説は三角をせめて魏の鏡師が九州でつくったものとでもするべき

>>871
そうだとしても副葬品は?
ホケノ山の副葬品は鏡副葬はあれども数が少なく三角縁はない事から
三角縁が伝わる三世紀の239年以前のものと考えるのが妥当となってしまう
0877日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:01:19.62
キナイコシは鉛同位体比を理解できないから反論もできないのが実情w
0878日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:01:45.15
>>873
どこがどう落ちているのかな?それはギャグの一種?

>>874
ホケノ山の副葬品は?
ホケノ山の副葬品は鏡副葬はあれども数が少なく三角縁はない事から
三角縁が伝わる三世紀の239年以前のものと考えるのが妥当となってしまう
0879日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:03:37.15
>>876
理論になっていないな。
鉛同位体比から三角縁神獣鏡は倭鏡。
呉鏡すら倭鏡として複製されており手本は呉鏡だろう。

三角縁神獣鏡が三世紀と決めつけた上での
ホケノ山の議論をするという詐欺行為。
0880日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:04:25.32
>>877
そんじゃあ九州説は鉛同位体をどう理解しているの
まさか何かよくわからないけど測れば何でもわjかる不思議なスーパー測定法とでも思ってるのか
0881日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:04:57.73
小枝の年輪年代からホケノ山は四世紀後半であり、
そこの三角縁神獣鏡がないことから
三角縁神獣鏡は四世紀後半以降に畿内に伝わったことになる。
0882日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:06:39.14
>>876
鏡は少なかったといってるのだから、
239年以降なら三角縁も必ず埋葬されたなどとは全く保証できない。ま、語るに落ちた畿内の落日だな。
0883日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:07:05.52
>>879
それじゃどういう理論で鉛同位体測定で三角縁神獣鏡は倭鏡とされたの
Spring−8では舶載鏡とされてきた三角縁神獣鏡の銅に含まれる銀・アンチモン比は
魏晋鏡と同一グループに属するから同一のものと判明しているけれど
0884日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:08:49.09
>>880
各同位体比のグループ分類から製作場所を絞り込むことができる。
直接試料を分析するので客観的に正確なデータ。

鉛同位体比による解析は、基礎データとなる舶載鏡と仿製鏡の選択が厳密であり、
その結果、>>820は仿製鏡のグループと判明した。
0885日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:09:51.91
>>876
>少なくとも呉鏡というのは無理があり過ぎるから九州説は三角をせめて魏の鏡師が九州でつくったものとでもするべき

ほとんどの九州説は国産だと考えているだろう。
0886日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:10:30.88
>>883
・蛍光分析の解析手法そのものの誤り
・基礎データとなる舶載鏡・仿製鏡の選定基準が不明確
・銀・アンチモン比に意味が無いことが直接試料の測定によって明らかにされている

まったく意味のないデータを掲げて嬉しいかい?
0887日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:11:13.50
>>882
銅鏡は魏志倭人伝で100枚貰ったと出てくるし
畿内から500枚以上出土してるから卑弥呼の鏡じゃないと常日ごろから喧伝しているのは九州説ではなかったか
そして3世紀後半の古墳から三角縁は一度に数十枚まとまって見つかる事も珍しく無い
つまり魏志倭人伝によるなら三角縁が魏から大量にもたらされると同時に
古墳に豊富に埋葬されるようになると見て取れるわけだ
お前は語るに落ちたと言いたいだけじゃないの
0888日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:11:25.63
ホケノ箸墓 小枝・槨と馬具・葺石

三角縁神獣鏡 鉛同位体比

大型建物 各地で発見

土器土器 海外なし、むしろ九州へ大量献上


学術的に決着がついてる

キャリアを犠牲にしてまで畿内説を支持する学者はいるのだろうか?
0889日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:13:00.03
>>884
>各同位体比のグループ分類から製作場所を絞り込むことができる。

それは言い過ぎ。
同じ製作所でも、時期によって配合が違うかもしれない。
鋳直す場合もあるだろうしね。

>鉛同位体比による解析は、基礎データとなる舶載鏡と仿製鏡の選択が厳密であり、

そんな話は初めて聞いた。
前提となる分類があやふやだし、混ぜて鋳直したらもうわからない。
0890日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:13:52.80
>>887
全文が無意味だ。
鉛同位体比の解析から国産鏡。
0891日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:16:21.58
>>883
銀:アンチモン比が、どれだけの意味を持つものか全く理論的でなく、判別に有効であるという保証もない。
同比が有効であるなら、その他にもいくつかの含量レベルの差ないし比率の差が見つかるはず。
それにも関わらず之しかなかったというのは、その他数多くの金属含量レベルやその比には差がなかったということを意味する。同比は有効な知見ではない。
0892日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:17:00.52
>>884
残念だけれど肝心な所の鉛同位体比が同じだから同一素材という観測データがどこにもないんだな
鉛同位体比が同一なのは製作または精製される時に添加される鉛の量の違いというのが識者の共通見解

>>885
三角縁が国産品であることはSPring−8による蛍光X線分析によって否定
それ以前からも中国鏡の文様との比較で三角縁神獣鏡は舶載品と国際品に分類されてきた

>>886
それはそっくり鉛同位体比測定の方だな
九州説の嘘に騙されているのだよ
0893日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:19:34.71
>>890
鉛同位体鉛同位体と連呼しても
鉛同位体が同じ銅が同じ鉱山のものという研究結果が得られてないので無意味

>>891
判別に有効でなければ国から予算が降りて様々な解析に使われたりはしないだろ
もし本気で思っているなら税金泥棒として訴えなくてはいけない
0894日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:21:37.57
>>892
>>893
キナイコシ一人の世界観で太刀打ちできるものではない。
三角縁神獣鏡だけが青銅器ではなく、
全ての青銅器について鉛同位体比で研究が進んでいるのだが。

SPring−8での結果がおかしいという指摘に
全く反論できていないな。
0895日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:24:52.59
>>893
銅山?なんの話をしているのだ?

キナイコシはもうついていけてないわけだ。
古い研究結果だけコピペして言い張るだけ。

大量の反証データが出てきたから、
畿内説寄りの解析をする研究者がいなくなってしまい、
そうなるとキナイコシは自分では新しい理論形成ができないので、
SPring−8などに縋り付いて言い張ることしかできない。
0896日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:25:44.34
>>891
イヤSPring−8による三角縁の解析では普通に差分が見つかっているが
三角縁の舶載鏡とされてきたものは銀・アンチモン比が魏晋鏡と同一グループだし
国内コピーとされてきたものは銀・アンチモン比は広範囲に広がり
複数の銅製品を鋳溶かして製造されたらしいという結果が出ている

そもそも三角縁神獣鏡は舶載品と国産品があることがはっきりしているので
全て倭鏡と出る鉛同位体比分析はそれが測定されるにしても
根本的な理論のところが成り立ってないということ
0897日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:25:50.71
>>893
これまた語るに落ちるだな
うまいこと言って国から大金を得て実験したSpring8には、有効に見える何らかのデータを出してもらわなくてはならぬからな。
同じような研究職場にいたから、そこんとこの呼吸はわかっとるわい。
0898日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:27:42.21
銀・アンチモン比は同じ場所で作られた鏡でもバラつきが出るって
青銅器からの資料で分析した結論が出てる
比べること自体が無意味
0899日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:29:34.32
Spring8の実験は舶載鏡だと証明するのが目的じゃなくて
銅鏡を傷つけずに測定できることを確認するのが目的だったのだが、
よく理解もせずに文系学者が飛びついて話がでかくなってしまった
0900日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:30:11.35
ホケノ箸墓 小枝・槨と馬具・葺石

三角縁神獣鏡 鉛同位体比

大型建物 各地で発見

土器土器 海外なし、むしろ九州へ大量献上


学術的に決着がついてる
0901日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:33:05.61
>>894
そもそも三角縁神獣鏡は舶載品と国産品があることがはっきりしているので
全て倭鏡と出る鉛同位体比分析はそれが測定されるにしても
根本的な理論のところが成り立ってないということ

>>895
九州説は鉛同位体比測定といいながらそれがどんな物なのか理解してないのか?
そもそもの理論が同じ銅鉱山で採掘された銅鉱石は不純物として同じ鉛同位体比を持ち
それを測定すればどこの鉱山から採られた銅で作られた銅製品であるのかわかるという事
SPring−8でやるみたいに
しかし有意な結果は得られてないので銅製品の鉛同位体比は単に
銅製品が作られる時に添加される鉛の量によって決まるのではないかと
世界じゅうの学者から疑いの目を向けられている
そもそも蛍光X線分析は世界中で使われているのに鉛同位体比は日本のしかも九州説が騒いでいるだけという現状が
どうやら全ての答えであるかのような気配を感じる
0903日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:35:02.00
>>898
イヤそれは鉛同位体比分析のほう
九州説は明らかなウソをつくのはやめた方がいいんじゃないかなあ
0904日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:37:19.26
>>896
銀・アンチモン比が魏晋鏡と同一グループだから、三角縁鏡も皆魏晋鏡と同一グループだろう、
だがこれ以外の成分における差は大きい・・、
と白状しているじゃないか。
銀・アンチモン比など、微量金属のほんの脇役の混入比率がたまたま一緒だったという程度だな。しらじらしい。
0905日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:39:29.11
>>901
>>903
完全に詐欺行為を決め込むつもりなんだな。

青銅器の鉛同位体比分析に対して反論を述べている
学者あるいは論文を紹介してくれたまへ
0906日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:43:40.79
>>904
銀・アンチモンの測定に使われた魏鏡は全て同グループ
三角縁神獣鏡は同グループの物もあれば別グループのものもある
つまり以前から言われて来た通り三角縁は舶載品と国産コピー品があるということ
分類されていた通りの観測結果に測定を担当した研究員も驚いていたそうだ

>>905
そもそも鉛同位体比に関する論文自体がないだろ
エセ測定法だからな
0907日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:45:04.48
ホケノ山の小枝か

公表しないということは、神事といえばの榊とか?w
0908日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:46:55.44
>>906
・蛍光分析の解析手法そのものの誤り
・基礎データとなる舶載鏡・仿製鏡の選定基準が不明確
・銀・アンチモン比に意味が無いことが直接試料の測定によって明らかにされている
反論できないから言い張るだけか

「鉛同位体比」「三角縁神獣鏡」で出てくるだろ
0910日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:50:50.30
>>908
だからそれ全部鉛同位体についてだって
蛍光X線分析は世界中で使われているけれど
それとまったく違う測定結果が出る鉛同位体比分析は非科学的なものということ
SPring−8がインチキという論法は常識から見て通用しないよ
それよりも畿内説学者が測定結果を誤魔化したとする方がまだ説得力ある
0912日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:52:37.51
キナイコシは古いデータを並べて強弁するだけ
なぜなら学者が新しいデータを畿内説用に解説するのを止めたから
鉄器が溶けるドジョウ辺りで小枝が折れたのだろう
0913日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:53:58.30
ふうん新しいデータだと邪馬台国は九州になるの
どんなデータ?
0914日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:55:37.57
>>910
>だからそれ全部鉛同位体についてだって
だからその根拠となる論文を示せ

>蛍光X線分析は世界中で使われているけれど
正しい方法で使われているのは別の研究だな
キナイコシのSPring−8は解析方法、基準資料選定方法、解析項目、が間違っている

>SPring−8とまったく違う測定結果が出る鉛同位体比分析は非科学的なものということ
SPring−8を使ったキナイコシ実験の方が間違っているだけ
0916日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:57:12.76
>>913
>>915
鉛同位体比を崩すどころか理解もできないキナイコシ涙目w
0917日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:58:06.56
鉄より石が強いとか
鉛同位体比を全否定とか
なんで畿内説のために世界史全体をねじまげないといけないんだよw
0918日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 22:59:22.22
>>914
インチキ測定法にわざわざ論文書くようなヒマ人はいない
まあ今もあるのかわからんけれど鉛同位体比を分析して
有意な結果が得られず同じ鉱山から採られた鉱石から作られた銅製品でも
鉛同位体比は違うから製造工程によって鉛同位体比は決まるものと書いてあったウェブサイトはあったけど
0919日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:00:45.37
>>917
いやそれはこちらのセリフ
何で九州説に合わせて科学的な法則すら変えていかなくてはならないのか
0920日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:01:56.74
>>918
主流の鉛同位体比で三角縁神獣鏡は国産でしたと論文発表されてるのに

>インチキ測定法にわざわざ論文書くようなヒマ人はいない
これがキナイコシの実力

>ウェブサイトはあったけど
>ウェブサイトはあったけど
>ウェブサイトはあったけど
0922日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:02:47.12
>>919
お得意のウェブサイトで検索して、
鉛同位体比に対する反証論文は見つかったかな?
0923日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:03:32.95
ホケノ箸墓 小枝・槨と馬具・葺石

三角縁神獣鏡 鉛同位体比

大型建物 各地で発見

土器土器 海外なし、むしろ九州へ大量献上


学術的に決着がついてる
0925日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:04:27.67
「だからその根拠となる論文を示せ」


インチキ測定法にわざわざ論文書くようなヒマ人はいない
まあ今もあるのかわからんけれど鉛同位体比を分析して
有意な結果が得られず同じ鉱山から採られた鉱石から作られた銅製品でも
鉛同位体比は違うから製造工程によって鉛同位体比は決まるものと書いてあったウェブサイトはあったけど

インチキ測定法にわざわざ論文書くようなヒマ人はいない
まあ今もあるのかわからんけれど鉛同位体比を分析して
有意な結果が得られず同じ鉱山から採られた鉱石から作られた銅製品でも
鉛同位体比は違うから製造工程によって鉛同位体比は決まるものと書いてあったウェブサイトはあったけど
0926日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:06:53.34
言っとくけどそのウェブサイト書いてた人はちゃんと工学やってた人だからな
鉛同位体比測定して地域も年代も違う銅製品が同じ結果が出て面くらって
地下深くで鉱脈が繋がっていたんだろうかとトンデモ考察はしてたけど
0927日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:07:56.50
まあ少なくとも泉屋のspring8の結果は笑いものになってるのは事実
0929日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:13:13.25
>>923
ホケノ箸墓 炭素14cと棺内副葬品で3世紀中葉

三角縁神獣鏡 景初三年銘 師出洛陽 銀・アンチモン比

大型建物 巻向で規模の大きいものが見つかる

土器土器 各地の様式のものが畿内に流入
0932日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:19:08.27
>>929
ホケノ箸墓 小枝で4世紀後半、考古学では最も新しい遺物の時代を採用するのが基本

三角縁神獣鏡 鉛同位体比(今だ反論根拠なし)

大型建物 万行遺跡のものが最大

土器土器 各地の様式のものが出土する遺跡は多い、庄内式など大量に九州へ献上


学術的に決着がついてる
0933日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:19:42.42
>>901
>そもそも三角縁神獣鏡は舶載品と国産品があることがはっきりしているので

結論の先取り?
詐欺師の手法だね。
0934日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:21:14.74
「三角縁神獣鏡 鉛同位体比(今だ反論根拠なし)」


インチキ測定法にわざわざ論文書くようなヒマ人はいない
まあ今もあるのかわからんけれど鉛同位体比を分析して
有意な結果が得られず同じ鉱山から採られた鉱石から作られた銅製品でも
鉛同位体比は違うから製造工程によって鉛同位体比は決まるものと書いてあったウェブサイトはあったけど

インチキ測定法にわざわざ論文書くようなヒマ人はいない
まあ今もあるのかわからんけれど鉛同位体比を分析して
有意な結果が得られず同じ鉱山から採られた鉱石から作られた銅製品でも
鉛同位体比は違うから製造工程によって鉛同位体比は決まるものと書いてあったウェブサイトはあったけど
0935日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:23:11.74
>>913
鏡の成分をいくら調べても、邪馬台国の場所はわからないということだろう。
そもそも三角縁神獣鏡が邪馬台国と関係するという仮説そのものが証明されていない。
0937日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:24:10.47
>>932
ホケノ箸墓 炭素14cと棺内副葬品で3世紀中葉

三角縁神獣鏡 景初三年銘 師出洛陽 銀・アンチモン比

大型建物 巻向で規模の大きいものが見つかる

土器土器 各地の様式のものが畿内に流入


畿内説が定説
0939日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:26:40.78
>>918
>有意な結果が得られず同じ鉱山から採られた鉱石から作られた銅製品でも
>鉛同位体比は違うから製造工程によって鉛同位体比は決まるものと書いてあったウェブサイトはあったけど

これはどのサイトのことか知らないが、ある意味で当然のことだよ。
銅鏡といっても純銅ではなく青銅(製作時は金色)であり、そもそも複数の金属材料を混合しているのだから、同じ鉱山で同じ製作所でも、ロットの違いでいくらでも差ができる。
それがわからないキナイコシは理系を名乗っているけれども現場を知らない頭でっかちの空論妄想家に過ぎない。
東大を自称しているが、役立たずのクズ。
0940日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:28:08.55
>>924
>普段学説や定説はインチキとか言ってるのに急に権威主義的になる九州説

九州説は論理的に正しいかどうかで情報を取捨選択する。
畿内説は自説に都合がいいかどうかで情報を取捨選択する。
0941日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:40:05.69
>>935
魏志倭人伝に魏は卑弥呼に銅鑑を百枚贈ったと記述
梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧に卑弥呼の遣使は魏の景初三年と記載
三角縁神獣鏡にはその景初三年銘が魏の年号が入っている
SPring−8で三角縁神獣鏡は魏晋鏡と同じ素材である事が判明
中国の洛陽でも1面出土
邪馬台国の最有力地畿内で多数見つかる
もし三角縁神獣鏡が邪馬台国と関係がないというならその理由をこっちが聞きたいぐらいだ

>>939
イヤ鉛同位体比は鉛添加物の量で決まり
その銅製品が同ロットで作られたかもしれないという事がわかるだけで
年代や地域の測定には使えないということ
例えば中国で3世紀に作られた銅製品と倭で5世紀に作られた銅製品が
たまたま同じ量の鉛を添加されたなら同じ鉛同位体比が出る事になるし
そういう測定結果も出ているのを見た事がある
それに比べて銀・アンチモン比は鉱山によって違うので
それから作られた銅製品がどこの地域で作られたものなのかを判別する事が可能

>>940
そう見えるのは文献や考古資料が畿内を指しているからというだけ
逆に九州に邪馬台国はなかったのでありとあらゆる文献や考古物が邪馬台国は九州になかった事を指し示す
0942日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:46:23.04
どこの文献や考古学的資料が畿内を指しているって?
結論を先取りした三角縁神獣鏡などの詐欺みたいな話以外は聞いたことないのだけれど。
文献は軒並み九州だしね。
0943日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:51:56.66
>>942
魏志倭人伝には邪馬台国は沖縄かオーストラリアと書いてあるぞ?
そして卑弥呼が魏に遣使し魏の使者が下賜品を倭に持ってきたと魏志倭人伝にある
景初、正始の魏年号の入った魏鏡の三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡は畿内で出土
そして3世紀から畿内に存在する前方後円墳は邪馬台国が畿内にあった事を指し示す
0944日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 23:54:57.79
>>943
>魏志倭人伝には邪馬台国は沖縄かオーストラリアと書いてあるぞ?

畿内ではないみたいですね。
0946日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 00:01:46.71
>>944
九州でもないぞ?
そして機内には卑弥呼が魏に遣使し使者が下賜品を持って倭国に訪れたと魏志倭人伝に書いてある
景初や正始の年号が記銘され銅出徐州 師出洛陽、魏の領地である徐州の銅で
洛陽の鏡師が作ったと銘がありSPring−8による分析で魏晋鏡と同一成分と分析結果が出
洛陽でも1面出土している三角縁神獣鏡が多数出土し
魏志倭人伝に径百歩と記述されている卑弥呼の墓を思わせるような
直径100m超の前方後円墳が3世紀から存在していることから見ても
邪馬台国は畿内にあったという事は明白というか学問的には決着
0947日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 00:06:09.78
さあて今月か来月中にはこのスレの九州説を
草の根も生えないほどに根絶できるかなあ
0950日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 00:33:46.03
>>946
誰かが古臭いお題目を唱えているようだ。
0952日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:24:02.78
>>812
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0953日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:24:09.86
>>814
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0954日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:24:26.14
>>821
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0955日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:24:35.08
>>824
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0956日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:24:43.72
>>827
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0957日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:24:51.75
>>831
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0958日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:25:05.10
>>839
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0959日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:25:12.60
>>840
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0960日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:25:19.60
>>841
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0961日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:25:28.36
>>844
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0962日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:25:36.46
>>847
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0963日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:25:43.79
>>849
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0964日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:25:51.52
>>850
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0965日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:26:01.29
>>854
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0966日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:26:15.54
>>861
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0967日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:26:28.42
>>865
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0968日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:26:38.33
>>869
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0969日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 01:26:47.63
>>875
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0971日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 07:21:42.24
>>946
九州でもなければ、畿内でもない。  女王国は「其山有丹」の四国阿波。   @阿波
0972日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 07:54:05.90
>>946
北部九州でもなければ、畿内でもない。  女王国は「菊池臺城」の肥後熊本。   @佐賀川上
0973日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 08:05:05.00
>>972
いくら言い張っても、碌な弥生集落遺跡や資源の無い肥後熊本に、「女王国」など在る訳がない。 なにを考えているんだか。   @阿波   
0974日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 08:11:56.14
>>946
北部九州でもなければ、畿内でもない。まして阿波なぞ泡沫の見本。  女王国は「菊池臺城」の肥後熊本。   @佐賀川上
0975日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 08:16:04.28
>>974
いくら言い張っても、碌な弥生集落遺跡や資源の無い肥後熊本に、「女王国」など在る訳がない。 なにを考えているんだか。   @阿波   
0976日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 08:16:04.67
阿波踊りって卑弥呼を持て成す儀式出しな、地元じゃ小学生から習うんだ。
0977日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 08:18:01.66
>>974
肥後熊本の資源って、ベンガラと軽石ぐらいかね?  わははははは   @阿波
0978日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 08:19:04.71
>>972
女王国の南の狗奴国の官が菊池彦
0979日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 08:21:41.26
>>978
いくら言い張っても、無駄!  碌な弥生集落遺跡や資源の無い肥後熊本に、「狗奴国」など在る訳がない。 なにを考えているんだか。   @阿波   
0980日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 08:27:05.00
季節外れの阿波踊りが開演されたようです・・。
0981日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 09:35:12.00
>>971
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0982日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 09:35:21.46
>>973
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0983日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 09:35:32.79
>>977
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0984日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 09:35:41.83
>>979
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないんだと何回しつけてやれば自覚できるんだよ(大笑)
0986日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 10:17:53.35
魏朝を最初に訪れた顔中真っ赤な入れ墨だらけの倭人の使者は
まさにベンガラ=酸化鉄を塗りたくってたんだよ
0987日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 11:04:45.63
それだと海に潜った時に取れてしまう。
魏志倭人伝では身分も表したそうだから、生涯変わらない刺青も用いたはず。
0988日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 19:02:49.13
何説かしらないけどそこまでベンガラ主張しなくてもいいと思うよ
青玉翡翠や真珠なんてのもあるんだから産物に関しては邪馬台国論争とは無関係で日本列島全体のものだろう
0989日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 19:07:26.08
>>988
>邪馬台国論争とは無関係で日本列島全体のものだろう

「女王国」の産物だよ。   @阿波
0990日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 19:38:24.66
>>988
其の国 = 倭人の国の産物だよ。
0991日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 19:44:28.81
其の国 = 女王の国の産物だよ。   

いわゆる魏志倭人伝の「南至邪馬壹國女王之所都・・・」以降が「女王国」の説明。

よって、「其の国」は女王国。  以上。   @阿波
0992日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 19:45:36.05
倭人が倭種を支配しているのなら
倭種地域の産物も倭人のものと考えていいだろう?
0993日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 19:49:02.83
全ての産物が集まっていたのは博多しかないじゃないか。
倭とはつまり博多湾沿岸。
0994日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 19:49:04.39
>>992
「南至邪馬壹國女王之所都・・・」以降が「女王国」の説明。

よって、「其の国」は女王国。  以上。   @阿波
0995日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 19:50:09.76
>>993
「南至邪馬壹國女王之所都・・・」以降が「女王国」の説明。

よって、「其山有丹」は女王国。  以上。   @阿波
0996日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 19:51:36.07
其の国というフレーズはたびたび出てくる。
この其の国を言い換えれば、倭人の国となる。決して女王国ではない。
「其の国」 = 「倭人の国」
0997日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 19:52:59.56
>>996
「南至邪馬壹國女王之所都・・・」以降が「女王国」の説明。

よって、「其山有丹」は女王国。  以上。   @阿波
0998日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 20:06:56.17
倭人が倭種を支配しているのなら
倭種地域の産物も倭人のものと考えていいだろう?
0999日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 20:07:52.51
「其山有丹」

倭国の山には丹が有るだけで
採掘していたら失格

倭国で採掘していたら
「其山出丹」
1000日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/07(月) 20:08:25.24
全ての産物が集まっていたのは博多しかないじゃないか。
倭とはつまり博多湾沿岸。
10011001
垢版 |
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