X



古代天皇はなぜ100歳を超えるのか  ★ 3 ★
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 05:19:22.79
出雲や北部九州から相次いで硯(すずり)の破片が発見され、
弥生時代にはすでに文字があった可能性が高まってきました。
文字があったのなら王統の伝達は可能なわけで、
7世紀の朝廷はそれまでの王のおおよその実年を把握しており、
後漢書東夷伝のAD107年の倭国王師升(Shuai sheng )がスサノオだと分っていたでしょう。

白村江の敗戦ショックが癒えない時代、
かつてヤマト民族の始祖たるスサノオまでが生口160人を捧げて朝貢し、
後漢・安帝に謁見したいと土下座した事実は、
白村江敗戦という傷に塩を塗られるように惨めであり自尊心がズタズタであったでしょう。

だから、7世紀の朝廷は記紀編纂に際し、古代日本が中華の属国だったというぶざまな歴史を、
時代を大きくずらしごまかしました。

また記紀編纂者たちはスサノオから5世代後の神武が卑弥呼の時代になることも分ってたでしょう。
だから記紀において神武東征をやたらクローズアップし、まるで男王国であったかのような脚色をして、
卑弥呼(Bei mei hu)、比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ(蹈鞴五十鈴)后の記述を最小限にとどめました。

そして神武天皇即位をBC660年という遠い遠い過去に葬り去りました。
神武以降の天皇もそれに合わせました。

これが古代の天皇が100歳を超える日本の歴史の真相でしょう。

前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1576883426/
0002日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 05:21:05.16
卑弥呼の墓はここ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓が高天原にあった。

高天原最有力地・奈良県御所市高天の日本最古の神社・高天彦神社の境内に、
径百余歩(約150m)の塚があり、魏志倭人伝の記述通り奴婢が埋葬されている。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。
(画像)

卑弥呼(Bei mei hu)とは比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、つまりヒメ后である。

I崇神(310年頃 318年没)
H開化
     G孝元
          F孝霊   
トヨ津媛          E孝安 D孝昭
トヨ津媛      (250年頃) C懿徳 
ヒメ(踏鞴五十鈴)后        B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后       A綏
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) @神武 

ヒメ(踏鞴五十鈴)后もトヨ津媛も鴨族。
鴨の語源はカミ。
鴨族の聖地が高天原。

ヒメ(踏鞴五十鈴)后もトヨ津媛も高天原の神々であった。
https://cdn.rara.jp/dynamic/e1/7d/92e90d1244328b68bc4c84949075e17dw999_1005072273.jpg
0003日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 05:23:17.89
金関先生の発見した国宝・中平銘鉄刀(東大寺山古墳出土)。
その鉄刀の主、和邇氏とヒミコは繋がるのか。
繋がります。和邇氏はトヨから始まります。

    事代主
     ┣━━━━━━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)媛━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
    建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃           ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津媛━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主            孝昭
     ┃             ┃
    阿田賀田須       天足彦国押人命
                  ┃
                和邇日子押人命
                 ┣━━━━━━━┓
               彦国姥津命    姥津媛(開化天皇妃)
   ┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
 伊富都久命          彦国葺命   小篠命    乙国葺命
  ┏━━━━━━┳━━━━━━━┫   【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
 彦忍人命   建耶須禰命    大口納命        【飯高氏祖】
(武社国造)    ┃       ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
       八千宿禰命  難波根子武振熊命   彦汝命     真侶古命
      (吉備穴国造)  【和邇氏祖】  【葦占氏祖】  (額田国造)

邪馬台国の都はヒメ踏鞴やトヨ津が住んだ葛城、奈良県御所市。
魏志倭人伝の女王国とは葛城王朝でした。
神武東征紀とは、実際には女王国であった史実を隠ぺいするための大袈裟な記述であった事が分かります。
0004日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 07:52:29.11
>>2
そうやって息を吐くように嘘をつくから畿内説(笑)は敗れ去ったんだぞw
0005日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 07:57:23.57
中華文明が紀元前からあるのに対抗したって昔聞いた気がする
当時の中国は春秋時代以前は伝説の扱いだっけ?
0006日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 09:52:50.09
>>4
息を吐くように嘘をついているのは箸墓古墳や祇園山古墳や平原遺跡などの支持者。
それらの古墳に奴婢埋葬の痕跡などどこにもない。
0007太国
垢版 |
2021/04/28(水) 16:07:48.71
隠蔽するなら、神功39年の卑弥呼の女王を紀に載せるアホな編者は
いねええさ。うははは・・・
むしろ公開してるでねえか。ppp
0008日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 16:28:07.36
一世代目 神武
二世代目 綏靖  安寧
三世代目 懿徳
四世代目 孝昭 孝安
五世代目 孝霊 孝元 開化
六世代目 崇神

でおそらく間違いない
0009日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 16:56:21.55
>>3
開化は孝昭の玄孫ではなく次の世代。
崇神は懿徳と天豊津媛命の間の六世孫でなく曾孫。
天豊津媛命は懿徳の姪でもある。

また 彦国葺命は崇神・垂仁朝の廷臣、
大口納命は垂仁・景行・成務朝の人物、
難波根子武振熊命は神功・応神・仁徳朝の人物(結構長生き?)、

難波根子武振熊命の曾孫、都努郎女と弟比売は反正天皇の夫人、妃
難波根子武振熊命の玄孫、童女君は雄略天皇の妃で武烈天皇の祖母、
欽明天皇の曾祖母。
難波根子武振熊命の五世孫、糠君娘は仁賢天皇の妃、荑媛は継体天皇の妃
(継体は仁賢の一世代下だが、年齢的には仁賢の皇子、皇女たちよりも
仁賢のほうに近い)

これらのことを考慮すると、天足彦国押人命、和邇日子押人命は
その系図から削除したほうが自然。敢えて実在しなくても困る人物でも
ない。彦国姥津命と姥津媛(開化天皇妃)は阿田賀田須と同時代の人物だし。
0010太国
垢版 |
2021/04/28(水) 17:42:47.11
架空なら、孝安の陵墓をあくせく万の人数で造る間抜け達はいねえよ。p
0011日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 17:54:40.83
>>9
>これらのことを考慮すると、天足彦国押人命、和邇日子押人命は
その系図から削除したほうが自然

自分もこの二人は謎というか、押人命が父子で続いているのは不自然な気がする。
アメリカ人に多い○○ジュニアじゃあるまいし。
0012日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 18:26:27.52
>>9
崇神の時代に出雲振根の元に遣わされた武諸隅が、先代旧事本紀では、孝昭天皇時代に大臣を務めたとある。
ならば孝昭から崇神まで実質2世代あたりかもしれない。

自分は孝元、開化、崇神、垂仁が同世代だと思っている。
0013太国
垢版 |
2021/04/28(水) 19:11:35.77
父子継承は履中まで続いてるのさ。盲象は君の論がどこかおかしいから
記紀のどこかを変えなきゃあわないからそうなる。しっかり研究されよ。
0014日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 19:34:16.60
>>13
邪魔するな。
お前は来るな。
0015日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 19:34:16.60
>>13
邪魔するな。
お前は来るな。
0016日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 20:00:18.52
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。

明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。

鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。

稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)

つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。

邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐

終わり
0017日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 20:34:14.88
>>10
孝安を架空とは言ってはいない。
>>8みたいに
兄弟間継承を挟んでいるということだ。

>>13
>父子継承は履中まで続いてるのさ。
それはどうだろう。他の氏族の系図に対して天皇家の系図のほうが
世代数が多い。履中までの天皇は兄弟間継承をかなり含んでいたが、
神武天皇即位を紀元前660年に設定したため、兄弟間継承を無理やり
父子継承に改変した可能性を排除できないからだ。そうでないと
いうなら他の氏族の系図のほうを修正しないといけない。
0018日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 20:47:47.90
>>13
死んだとき既に正妻に子供を4人も産ませている
日本武尊を32歳でなく16歳で死んだと言って譲らず、
孝昭は安寧の曾孫だから、安寧・懿徳が倍年暦を使う
ことはありえないと問われて、答えに詰まったくせに
よく言うわ。暦が合ってるかでなく生物学的にありうるか
で考えろ、ド阿呆
0019日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 21:14:39.92
古代の長寿の天皇を直接調べてない時点で話にならんでしょ
タイムマシンで過去を直接観測しろよ
ガチで↓だから

大麻を食べていたから寿命が今よりも長かっただけ
大麻を食べる儀式を外に出してから天皇の寿命は今と変わらない長さになった
外に出した大麻を食べる儀式は老いを嫌う皇族の女が担当した
若いままか確認するための鏡を添えて
だから伊勢の隣の伊賀で大麻育てていた伊賀忍者と神宮大麻
0020日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 21:20:08.93
古代史初心者なのですが、記紀に対して、先代旧事本紀ってのはどの程度信憑性性があるのでしょうか。まるっきりの偽書ではないと思うのですが。
0021太国
垢版 |
2021/04/28(水) 22:03:42.30
>>38
アホはオマエだろ。いいか日本武尊を日本童男(オグナ)っていう
のだよ。
童男が32歳のわけがなかろう。
なにが詰まっているんだ?
いいか、安寧は7月即位だろうが。だから当時7月が正月として安寧は
暦を編んでたのさ。だから7月〜12月で半年でないか。
1年が当時6カ月でやってたのさ。

皇統は不詰めの棋譜だと言ってるんだよ。たわけ者、よく読め。

>>17
どうだろって、記紀のいずれも履中からって書いてあるよ。読め。
0022太国
垢版 |
2021/04/28(水) 22:05:14.17
ああ>18だな。視力が悪いのでな。
0023日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 22:15:25.90
すげー犬国が復活してるのか
この板も久しぶりに覗いたが
死んだと思ってたがwwwww
0024日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 22:45:18.52
>>20
>まるっきりの偽書ではないと思うのですが。

その通りです。
むしろ最新考古学と相性が良いのは記紀より先代旧事本紀だと言えると思います。

たとえば10代崇神から初代神武までを先代旧事本紀では6世代としています。
崇神は4世紀初頭から前半が有力なので、一世代20年で6世代遡ると2世紀末です。
纏向遺跡の開始時期が最新考古学でおおよそ2世紀末ですので、先代旧事本紀の記述と合うことになります。
そして2世紀末は卑弥呼共立の時代でもあり、そして神武の時代でもあります。
0025日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/28(水) 22:55:38.96
>>21
>どうだろって、記紀のいずれも履中からって書いてあるよ。読め。

いや、書いてあるけど生物学的に無理だろという話なのだが。
お前のレスは>>17氏への反論になってない。

いい加減、うっとおしいので消えてくれ頼む。
0026日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 02:52:13.08
>>6
またそうやって息を吐くように嘘をつくw
本当に畿内説ってのは朝鮮人なんだな
0027日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 03:20:52.13
記紀を真に受けてるとかレベルの低いスレだな
0028日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 03:51:20.79
記紀を真に受けるのが最高レベルやで(笑)
令和時代に記紀が合ってたことが明らかになるからね(笑)
0029日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 05:35:09.61
ないわー
0030日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 05:45:27.27
記紀はねぇ、歪んでるんだよ、とても
編纂当時の大和朝廷に都合の悪い事実を隠したい、都合のいいことを強調したいという意志、恐らくは編纂を命じた権力側の意志と、
歴史の事実を何とか抹殺せずに後世に伝えたいという意志、恐らくは実際に編纂にあたった学者たちの意志のせめぎあいの結果、
とても歪んだ代物になっている
権力側の意思の方が強いから、学者たちの思いは読む人が読めば分かる、といった程度に留まっているので
うまく読み解けば有用だけど、素直に読むと落とし穴にはまるようになってる
0031日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 07:54:23.18
そも、なぜ古事記と日本書紀という2書が、同時期に内容を微妙に違えて書かれたのか。そこに重大なカギがあるかと。
0032日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 07:56:51.95
>編纂当時の大和朝廷に都合の悪い事実を隠したい、都合のいいことを強調したいという意志

考えが浅い。

「祖先から受け継がれた歴史は未来に伝えなくてはいけない、しかしそのまま伝えれない」

これが記紀の本質。
だから時代を大きく変えた。

その結果、古代天皇が100歳を超えることになる。
0033太国
垢版 |
2021/04/29(木) 08:09:21.68
無理は不可能とはいささか違うぜ。
昭和天皇は戦争責任とかいわれて死刑にならない。
明治のころ小国が大国ロシアに勝ってるし、日清戦争日中戦争でも
この大国に勝っている。

無理がなぜ皇統が2000年ばかり続くのかよ。この国は他国と違いただ
の国でないんだよ。それ故こんなに永く皇統があるのに履中から兄弟継承
も無理だといっても通ってしまうすごい国がこの神国日本だ。
だからこそ神国日本は無理が通る萬邦無比の國體を誇るのだ。

こちらも盲象のオマエが消えるのを祈る。
0034日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 20:28:58.52
単に仙人扱いしただけだよ、前方後円墳族とは違う種族
0035日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 20:37:08.31
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。

明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。

鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。

稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)

つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。

邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐

終わり
0036日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 21:08:14.64
>前方後円墳族とは違う種族

神武が前方後円墳ではないという意味なら賛成。

天皇で前方後円墳に埋葬されるのは10代崇神以降。
崇神のお母さんは物部。
その物部の墓制である前方後円墳に崇神は埋葬された。
0037太国
垢版 |
2021/04/29(木) 22:33:39.67
卑弥呼≠神功皇后
0038日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 23:24:19.38
徳川、綱吉、家重は池沼だった。
池沼の息子を建てて、生母が権力を握っていたのではないか。
同様のことが古代にもあって、卑弥呼は池沼神武のママ玉依姫では。
0039日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/29(木) 23:37:28.89
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。

明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。

鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。

稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)

つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。

邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐

終わり
0040日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 03:21:41.77
ひたすらデマコピペしか出来ることのなくなった哀れな敗残畿内w
0041日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 07:05:48.45
>>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★

邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html

伊都国(福岡県糸島市)

↓百里

奴国(福岡県博多湾付近)

↓百里

不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)

↓水行二十日

投馬国(不明、戦前は鞆の浦が有力だった?)

↓水行十日、陸行一月

邪馬台国

まともな地図を作れなかった古代では方角や距離を正しく測れなかった可能性が高いが、
水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい
ということは、この時点で不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が真っ先に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている
(北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい大人がいつまでもみっともないよ
もういい加減あきらめろ
0042太国
垢版 |
2021/04/30(金) 07:22:12.03
卑弥呼≠神功皇后

畿内に卑弥呼がいれば天皇とこの女王の付き合いがあって然りだ。
双方の戦争とか交易があってもおかしくない。その記述がまるでなく
日本の女が日本の畿内の原書になく日本の女の記述がよそ者の
大陸の書の記述にはある。これは皮肉に近い。このことは畿内の
遠方に女王国があったことえを意味している。
女王を隠匿したというのは大ウソであり、記紀にその女王の
隠匿でない公開記述の伝の借り物記事がある。だから隠匿ではない。

つまり畿内説は成立しない。九州の遣使の通行路から外れた地域に
女王国があったのだ。通行路に近いなら遣使が女王国の所在を
朝廷に話すに決まっているからだ。
0043日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 07:45:32.91
>畿内に卑弥呼がいれば天皇とこの女王の付き合いがあって然りだ。

夫婦だったんだよ。

「年すでに長大で夫はいない」
魏志倭人伝に書かれた卑弥呼のこの姿は、夫である神武に先立たれた時期の様相。



「唯有男子一人、給飲食、傳辭出入」

この男子一人とは、神武の連れ子であり、彼女の義理の息子であるタギシミミ。
0044太国
垢版 |
2021/04/30(金) 08:11:17.51
卑弥呼は生涯独身だろ。夫婦なわけないよ。
女王と皇后を同一視するから失敗するのだ。別ものだよ。
0045日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 08:17:35.33
>卑弥呼は生涯独身だろ

アホ。
年すでに長大なのに夫はいないという逆説譲歩の文体ではない。
「なのに」とか「にもかかわらず」という接続詞がない。

よって、

「年すでに長大である。夫はいない」と訳す。

だいたい日本の歴代女性君主で生涯独身など一人もいない。
世界的に見てもエリザベス1世だけ。
0046日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 08:17:47.98
倭の五王もだけど、何でもかんでも記紀に当てはめるのやめないのかな
0047太国
垢版 |
2021/04/30(金) 08:43:35.55
五王は畿内の天皇でなく九州の王だから、記紀に記述ないのは当たり前。

>>45
あんたの主張は亡くなられたフィリップ殿下が神武で女王がその皇后
だとぬかしてるえわけになる。

畿内は逆じゃないか。w 殿下は国王じゃねえよ。皇后は女王でないね。
記紀で全然皇后は活動的でなくまるっきり消極的であって、伝の記述
のような派手に前面に出ている女ではない。鬼道の卑弥呼はこの皇后
と雰囲気も全然合わない。つまりこの皇后は卑弥呼ではない。

だいいち年代もあってない。八幡愚童訓が

 黄龍2年=230年=開化48年

だと、明確に年代を表示している。これでもう君の言い分はまちがい。

この等号は 崇神没年=258年 説と合致し、しかも千葉考古班の
箸墓年代240年〜260年の景即と矛盾は無い。卑弥呼は崇神の時代
だったのさ。当時百襲媛は畿内、卑弥呼は九州の女性で、ほぼ両者
が合年代の女性だったのさ。
0048太国
垢版 |
2021/04/30(金) 08:44:54.40
×合年代
〇同年代
0049日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 09:25:40.27
記紀が書かれた頃、三国志のような中華史書は伝わっていたの?
記紀書いた連中は魏志倭人伝の内容を知った上で書いたの?
0050日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 09:47:35.10
神功皇后のとこに卑弥呼に関する記述サラッと入れたんじゃなかった?
0051太国
垢版 |
2021/04/30(金) 13:44:05.67
長崎では遣唐使船で聖火ランナーを運ぶらしい。

神功紀に記事があるんだじから伝わってたということだな。

皇后を女王に昇格するんだから、いかに盲象が治らないということが
解る。神武即位直前の紀の記述にも皇后がお転婆で夫の天皇をさし
おいて活発に活動していたという状況はない。
ということは、この皇后が卑弥呼でないことははっきり解る。

論がおかしいから隠したとか昇格させたり夫がいた可能性を増幅して
強引な論を捨てないでいる。w

盲象に支配されると、正常な脳内が麻痺してしまうのだ。pp
0052日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 17:10:32.27
>>47
>あんたの主張は亡くなられたフィリップ殿下が神武で女王がその皇后
だとぬかしてるえわけになる。

例えとして言ったがその通りだよ。
神武の義理兄は鴨王(かものおおきみ)こと天日方奇日方。
その父親、つまり神武の義理父は今も「えべっさん」として信仰されている事代主。
このスサノオ直系の家柄こそ王族。
神武のようなカッペなど下の下。

それが証拠に神武には后はいても妃が一人もいないだろ。

中国の皇帝が美女3千人を後宮に配したのと大違い。
神武が王ではなかった証拠だ。
0053太国
垢版 |
2021/04/30(金) 17:57:46.01
日本では神武が王の始めだ。

やはりオマエは大陸人のようだな。ww
皇統はそんなに助平ではねえ。そんなハーレムを造ってた皇帝はもはや
もう中国にはいない。ww オマエの国にラスト・エンペラーが
出ても、神国日本は皇統が途切れない。

皇帝より天皇のほうが格上だ。天皇は萬世一系なのである。
神国日本の辞書にラスト・エンペラーの項目はないんだよ。
皇統は地球終末まで1000代も8000代も千代に八千代に継続し、
まだ終わりがない。だからこそ神国日本は萬邦無比を誇るのだ。

神武が初代天皇なのだ。そして全世界は大元帥陛下の統治域である。

中国のやすっぽい五惑星の旗より神国日本の太陽(旭日旗)の旗の
方が格上なのだ。李鵬が「20年後経てば日本が中国の属国になると
ほざいていたが、分支分派の支邦たる中国のほうがご本家の日本
にぬかずくことになるのさ。w 泣け!

https://www.youtube.com/watch?v=lD42cb6XJ0U
0054日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 19:12:15.45
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。

明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。

鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。

稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)

つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。

邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐

終わり
0055太国
垢版 |
2021/04/30(金) 19:47:54.06
>>52
紀には神武が九州にたとき、立太子したと記述があるんだよ。
立太子っていうのは王、女王、皇帝、天皇らが即位する次善の行事だ。
さらに紀に橿原での即位の文がある。

ここの即位っていうのは王、女王、皇帝天皇になる行事さ。オマエのいう
王になってないというイカサマは通用しねえんだぜ。泣け!

卑弥呼≠神功皇后
0056日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 19:54:18.23
神武以前の三大はなぜ 天皇・すめらみこと じゃなかったの?
0057日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 20:09:34.00
>>52
卑弥呼≠神功皇后であることぐらい相手も
相手も分かってるよ
それを言うなら、
卑弥呼≠媛蹈鞴五十鈴命
0058日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 20:10:41.81
間違った
>>52>>55へのレス
0059日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 20:27:52.82
>>33
お前さんの倍歴仮説が崩れたんだ
いい加減諦めろ
オカルトくさい話もどうでもいい

日本書紀の編纂者たちは、倍歴や干支で実際の年代を
読み解こうとする者が出てくるだろうことは分かっていたろう。
二倍歴や三倍歴で楽に古代天皇が生きていた時代や寿命を
読み解くことができない工夫がしてある。それが、
孝昭が単純に安寧に男系の孫でなく、女系一世代も加えて
曾孫でもあること、日本武尊が両道入姫皇女の間に4人も
子どもがいることなどだ。

倍歴説支持者の中には、神武天皇は東征を決意したとき22〜23歳で
在位38年で亡くなったと力説する奴もいるけど、息子のタギシミミの
ことを忘れていそうな見解だよな
0060日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 20:33:45.25
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。

明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。

鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。

稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)

つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。

邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐

終わり
0061日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 20:38:07.17
>>50
日本書紀では、神功皇后と卑弥呼が同時代人になるだけでなく、
初めて朝鮮半島について記述が出てくる崇神天皇と垂仁天皇の
時代が、新羅の伝承上での建国年代である紀元前57年と重なる
よう記述されている。垂仁紀では新羅王子アメノヒボコが
来日したのは紀元前27年のこととされている。これらの年代は
もちろん史実ではない。
0062太国
垢版 |
2021/04/30(金) 21:30:47.59
>>59
崩れてねえよ。これ ↓ はどうなんだよ。説明してみい。

【紀の欠史八代間の立太子、即位、崩御、立后等の日数統計表】

1日 4  15日 0  29日 0
2日 2  16日 0  30日 0
3日 3  17日 0
4日 3  18日 0
5日 6  19日 0
6日 3  20日 0
7日 2  21日 0
8日 3  22日 0
9日 3  23日 0
10日 1   24日 0
11日 4   25日 0
12日 3   26日 0
13日 3   27日 0
14日 7   28日 0


ことごとく月前半の2週間に収まっているぜ。
これは当時2倍暦をしてたのさ。
古代マヤの月暦の2倍暦だし、古代でけっこうやってのさ。
0063日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 21:45:27.02
バカ同士の罵り合いを匿名で読むと、どっちがどっちだかわからなくなるな。
0064日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 22:19:22.27
>>62
だからお前、百回言っても分からないのか?
お前の倍歴仮説では、記紀の物語がかえって不自然な
内容になってしまうところがはっきり存在するの。
つまり、お前が自説を撤回するか、記紀の内容を
修正するしかない。どちらも正しいと出来なくなったの。
暦なんて後で適当にでっちあげられる。

お前の倍歴仮説を安寧・懿徳に成立させたい、
安寧と孝昭の年齢差を35歳程度に収めたいなら、
少くとも孝昭の母が、安寧の孫娘の天豊津姫命ではないと
考えられる理由を導出する必要がある。
それか、世界中のいろんな系図を調べて、祖父とひ孫との
年齢差が35歳になる場合があると力説してみればいいの。

日本武尊についても同様。数え年15歳でも女性一人に4人
子供を産ませることができるとか、4人全員が日本武尊と
両道入姫命の間に生れたわけではないのだろうとか、
少しは暦以外のことにコメントを入れろ。
0065太国
垢版 |
2021/04/30(金) 22:48:58.22
でっち上げの証拠を出せよ。他国だって2倍暦を行使してるんだ。
日本も同様やってたんだよ。
古代マヤの月暦は現今の半年が1年だ。
 月は C₁ C₂ C₃ C₄ C₅ C₆ の表記で行われる。実際はマヤの絵文字だ。
これで6カ月が当時の1年だ。事例はいくらでもある。外国だって
やってるんだから、日本もやってておかしくない。
いいか、現今でも2/30 はないんだよ。同様に>>62の月後半もないん
だよ。うははは・・・

それにオメエは大陸に消えたほうがいい。
オカルトとか言ってるが、他教の神々と日本神道とは同格に論じて
るオマエがまともの脳内がいかれてしまっている。
他教とは格が違うんだからな。日本の神が本ものなのだ。蛮族の神と
日本の神と同じに考えてるオマエのオツムは真性かもしれんぞ。
本ものだから日本の国号に「本」の字がつくのだ。
他教の神は大事だが仮のものだ。

それでこそ神国日本は萬邦無比の國體を誇る黄金の国なのだ。泣け!

https://www.youtube.com/watch?v=ZklYy2zPSRc
0066日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 22:50:18.49
天智天皇(626年生)ー持統天皇(645年生)―草壁皇子(662年生)ー元正天皇(680年生)

藤原師実(1042年生)ー師通(1062年生)ー忠実(1078年生)ー泰子(1095年生)

亀山天皇(1249年生)ー後宇多天皇(1267年生)ー後二条天皇(1285年生)ー邦良親王(1300年生)

松平広忠(1526年生)ー徳川家康(1542年生)ー信康(1559年生)―登久姫(1576年)

島津斉宣(1773年生)ー斉興(1791年生)ー斉彬(1809年生)ー菊三郎(1829年生)

以上の例から、どんなに早くペースで子供を作ってもひ孫との年齢差は50歳を超える
ものだ。だから、安寧と孝昭の年齢差は日本書紀のように71歳もなくても、51〜55歳は
あっただろう。
0067日本@名無史さん
垢版 |
2021/04/30(金) 23:03:27.02
このスレの趣旨にそうように
神武とヒミコの間に綏靖と安寧が生まれるのが、西暦190年頃から
200年にかけてとして、安寧の孫娘のトヨが生まれたのが西暦235年頃。
トヨが女王に擁立されるのが曾祖母のヒミコが死ぬ西暦247年頃。
トヨが懿徳(叔父?)と結婚して孝昭が生まれたのが西暦251年頃とか
で全く問題ないな。たまたま神武とヒミコが同時代人そうだから
そういう仮定ができるだけかも知れないけそ。
0068日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 01:37:37.54
訂正
>>66
どんなに早くペースで子供を作っても

どんなに早いペースで子供を作っても

>>67
知れないけそ → 知れないけど

タイプミス多いな
0069日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 01:51:03.91
そもそも太国がいう神武天皇紀元元年即位説は
どんな根拠によるんだ?考古学的な裏付けがあるの?

前スレでは、神武即位と倭国大乱が鎮まる時期が同調している
という指摘があったが?
0070太国
垢版 |
2021/05/01(土) 07:33:38.66
倭国大乱は孝霊天皇の御代あたりだよ。
だから孝霊は吉備行幸をしたのさ。大乱の様子を見に行ったのだろう。
これは八幡愚童訓の

 黄龍2年=230年=開化48年

と合う。
孝霊のこの話は日野郡誌に載っている。

神武即位は西暦元年の辛酉だったのさ。倍暦で660年ばかり実年代が
後代に来てるのだ。これば当時倍暦を行使してたからだ。
朝廷は2倍暦と3倍暦とを交互に使って暦を編んでたのだ。
これは当時このスレにもいる神を甘くみてるやつと違い、当時は迷信的
で、多く神の怒りを恐れていた。とりわけ黄泉国の岐美二神の仲違いの
千人絞殺と千五百の産室の言い合い呪いをえらくこわがっていて、
この比が  1000:1500 が 2:3 の割合にて恐れ、偏らないよう
双方に肩を持つため一定年代経過すると暦を変えてたのさ。
2倍暦の1000人に肩を持ったら岐神の怒りを回避するため今度は
3倍暦の1500人のほうに取り換えで岐神の言い分を尊重し、また
換えて美神に肩を持って双方の怒りを回避してた。それを
信じないとかいう昨日の書きこみを見たが、二神の怒りを買うぞ。
0071太国
垢版 |
2021/05/01(土) 07:56:19.28
信じないとか頑張ってたやつがこのスレにいたが、本ものの神だからその怒りを
買うと大きな不幸が来るぞ。信じないという日本の神への無礼はあるときとんだ
災難がきてもおかしくない。いいか〜
スーパーマンだが、あの胸のマークが極めてまずい。あのマークは美神の怒りを
買う代物なのだ。美神はナミつまり波動の神であり、あのSのマークがダイヤモンド
のブリリアン・カット側面の外枠に囲まれている。ダイヤは最も堅い石であって、
Sのマークが超堅いから出られないマークの牢屋に閉じ込められている形なのだ。
これで美神の怒りにやられたのがスーパーマン役のクリストファー・リーブだ。
乗馬で転倒して一生車椅子の全身付随的重傷を負ってしまった。もっと前、2代目
のスーパーマン役のジョージ・リーブスも短銃自殺だ。何でもロイス役の女に
ふられたことからの自殺だという。ファラオの呪いも怖いが美神の呪いもきわめて
恐ろしいぞ。信じないなどととんでもねえよ。なんならこれから初詣以下神社
に行くのをそいつはやめるんだな。祭神に無礼だ。
0072日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 09:13:44.63
半島とどちらの起源が古いか争いしてたんよ

半島 衛氏朝鮮(紀元前2世紀) 燕(中国春秋)の残党が進入

倭国 神世七代(不明)、イザナギ(不明)、神武(紀元前660年)

半島 檀君朝鮮(紀元前2370年) 13世紀に初めて出てくる
0073日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 09:41:00.12
倍暦ってつまり、月齢の上弦、下弦をそれぞれで1月としてたってこと?
0074太国
垢版 |
2021/05/01(土) 09:45:53.81
ヒフミヨ・・・・と数読みで解るように、ヒは数字の1を示す。
日の本の国っていうのは、1番目の世界のご本家の国だ。元のヒ1たる
ご本家のほうが古いんだよ。ただ国でも国家的政治形態の状況は日本
より半島のほうが先に感じはする。政治形態の薄い古代、神国日本の
ほうが古いのさ。
五輪のマークで解るように超古代に5大陸に分れたわけだが、
これは5大陸が割り算分割での答えの5であって、神国日本は割り算の
余りだったのさ。記紀は前年のNHKの日本の誕生の番組を放送して
地質学者の主張を解説していたが、記紀はそれにたがわず一致しており、
誰かさんが神話は非科学的だと勝手に決め込んでた不敬野郎がいたが、
日本神話は非科学的ではない。日本列島の成立が地質学者の主張と
合致している。日本は割り算の解の5大陸から別かれた割り算の余り
であって、あたかもザルに入れた瓦礫土砂の余りの砂金が底に残って
黄金が抽出されるように、この日本はマルコポーロの言ってた黄金の国
ジパングであって、再びいうが、神国日本は大陸大プレートから
別れて日本海の間ができ、つまり分別分離して成ったんだよ。

超古代に大陸の岩盤プレートが別れて、その余りが神国日本なのだ。
だからこそ神武天皇を神日本磐余彦尊と申し上げるのだ。
それ故日本の起源が半島だとか日猶同祖論は成立しない。
半島にもっとも近い日本四島のうちの九州は半島と別だから、その
九州四面に全部『別』の字をつけて半島と同祖でない別ものだと
この字が教えている。
0075日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 12:24:47.95
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。

明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。

鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。

稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)

つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。

邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐

終わり
0076太国
垢版 |
2021/05/01(土) 12:29:52.12
卑弥呼≠神功皇后

倭国大乱は韓国大乱ではな〜い。
0077日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 13:05:22.21
>>53
>皇帝より天皇のほうが格上だ。天皇は萬世一系なのである。

じゃ太国に聞こう。

その偉い偉い神武の宮はどこ?
さぞかし立派な宮があったのだろうね。

先に言っておくが橿原神宮ではないぞ、あれは明治になって、
ここらあたりではないかという推測でできた神社。

偉い偉い神武の立派な宮を答えろ、ジジイ。
0078日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 13:11:45.62
>>75
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw
0079日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 13:24:08.14
>>71
人が神や自然を敬う気持ちまで否定しないが
神話そのものはフィクションさ
古代人は科学を知らないし、支配者は君みたいに
神を信じる者を欺いて権力に従順にさせるために
自分たちに都合がいいことを神に語らせることなど朝飯前だ
俺は黄泉の国の話は酷いと思う。国土や神々を次々と生み出した
イザナミに対してあの扱いはいただけない。イザナミはイザナギ
よりずっと偉大だ。女神は生殖の道具か?そもそもイザナミや
ウケモチのように神は死んだり殺されたりするだろうか?
神を殺して平気な人間がそういう神話を仕立てたように思える。
まあ、今どき男神と女神のセックスで日本列島が生まれたとか
天皇のご先祖は天にお住まいだったとか
セックスしなくても禊や誓約で子供を産み出せたとか
素戔嗚尊が頭が8つもある大蛇を退治した等
の非科学的デタラメな神話をマジで信じている奴がいたら
そいつは精神病の疑いがある
0080日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 13:33:55.50
神武と卑弥呼が夫婦で神武から崇神まで6世代(>>8)、
台与がアマトヨツヒメだとして
懿徳と姪の台与の子が孝昭であることはギリギリ許容できても
孝安と姪の押姫の子が孝霊であることは許容できない
女系も加えると神武から崇神まで8世代になってしまう
0081太国
垢版 |
2021/05/01(土) 14:06:31.03
神話は全てイカサマではない。日本神話は科学的に耐えられるすごい
ものだよ。日本の神をオマエのように舐めると、あとで天の怒りを
買うぞ。日本の神は他国の神と違い本ものなのだ。国号に『本』の
字が付くのは日本の神が本ものだからだ。他国の神話は仮のもので、
日本神話と格が違う。

地質学者の日本列島成立の説と日本神話に矛盾はない。日本は大陸
の岩盤プレートから分離別れて大陸の余りからできたのだ。
それゆえ神武天皇を磐余彦尊と申し上げるのだ。
九州には大陸から別れたから九州四面に全部『別』の字をつけて
大陸とは別であり、神国日本が全世界の別格の国だとはっきり
させている。それだからこそ神国日本は萬邦無比の國體を誇るのだ。

 筑紫國 謂白日別
 豐國謂 豐日別
 肥國謂 建日向日豐久士比泥別
 熊曾國 建日別

このように全部『別』字がついてて大陸人半島人とは同じで
ないぞと、日本人は全世界の別格の民族なのだと暗示している。

記紀を天動説とかいう不勉強野郎がいたようだが、記は地球の
ことを自転島と形容して、おのずから転がる島たるオノゴロ島と記述
している。これは地動説だという事を示唆してるのだ。
一見非科学的に見える記紀に科学と矛盾がないことが解る。

それはそうだ、日本の神がほんものだからだ。それで国号に『本』
の字があるのだ。そして全世界の統帥権は大元帥陛下にある。

https://www.youtube.com/watch?v=mH_-tDabOqE
0082太国
垢版 |
2021/05/01(土) 14:14:27.81
じゃあオマエ、卑弥呼の宮はどこにあるんだよ。

オマエの祖先の最初の人物の家はどこだい?

そうか、オマエは大陸人だろう。

崩そうとするなら、ほかのことでも考えろ。
0083太国
垢版 |
2021/05/01(土) 14:26:28.39
>>77
オマエが天皇制を廃止できると自信があるのか? 
不合理だおかしいといっても皇統はこちらの言い分どおり途切れねえぞ。
いまだかつて天皇制を廃止できたやつはいない。
オマエは日共か? トッキュウ支持か? あいつらがいくらほざいても
萬年経とうと皇統は倒せない。天皇制は不詰めの将棋なのさ。
絶対詰まないことになっているのさ。昭和天皇も敗戦して死刑にしろとか
当時その論が多出したろうが死刑にならねえよ。フセイン大統領は米軍に
逮捕されて死刑台に行った。ところが皇居に当時ジープが天皇逮捕に行って
ねえんだよ。米軍の軍法会議か、天皇処刑の論が出たが、これも立ち消えだ。
また難波大助に狙撃されても一瞬の差で危機が回避されてるし、日本赤軍も
お召し列車爆破を考えたか、邪魔者が入ってこれも失敗した。

オマエが崩そうとしても時間の無駄だ。天皇は萬世一系なのである。
0084日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 14:58:45.37
一世代だいたい20歳で長男を作れるわけだが、
綏靖は異母兄のタギシミミと親子ぐらいの年齢差があるし
懿徳、孝安はそれぞれ自分の姪に次世代の天皇を産ませた
とすると一世代の間隔は伸びる。

神武ー綏靖は40歳差(神武が即位して数年で誕生)、
綏靖ー安寧は20歳差(実際は17〜18歳差だったかも?)
安寧ー息石耳命ー天豊津姫命ー孝昭だから
安寧誕生から孝昭誕生まで60年
孝昭ー天足彦国押人命ー押媛ー孝霊
孝昭誕生から孝霊誕生まで60年
孝霊ー孝元ー開化ー崇神ー垂仁
孝霊誕生から垂仁誕生まで80年

垂仁ー景行
景行は垂仁が即位して後、日葉酢媛命との間に生れた
皇子だから、敢えて35歳ぐらいの年齢差をつけておく。
0085日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 15:00:30.13
景行ー日本武尊ー仲哀
景行と仲哀は40歳差

仲哀ー応神
応神と同母兄のかご坂皇子、忍熊皇子と15差ぐらいの
年齢差があるかもしれないから仲哀と応神とは35歳差と
しておく

応神ー仁徳ー履中
応神と履中は40歳差

以上より神武から履中まで父子継承がほぼ順調だったとすると
神武天皇と履中天皇には40+20+60+60+80+35+40+35+40
=410歳の年齢差が想定され、履中天皇は神武天皇の即位後370年後
の誕生ということになる。履中天皇は西暦400〜425年のどこかで
生まれただろう。そこから逆算すると神武天皇室即位は西暦30〜55年
あたり。微妙なズレを考慮すると西暦61年もありうる。
0086日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 18:26:17.13
>>82
>じゃあオマエ、卑弥呼の宮はどこにあるんだよ

あのなぁ、こっちが先に質問してるのに、質問返しで逃げるな。

神武の宮がどこなのか、答えられないという事でいいね。

中国の皇帝より格上の神武の宮がどこなのか分からないなんて情けないにもほどがある。
0087日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 19:19:17.96
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。

明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。

鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。

稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)

つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。

邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐

終わり
0088太国
垢版 |
2021/05/01(土) 19:23:04.17
先なら、
なぜ橿原でねえ資料、証拠を書き揉まないんだ。。

橿原即位って記述があるんだから、それを崩す証拠を先ならハッキリ
出して説明しろい。

橿原じゃなければ紀はその場所を書いて然りだ。
こんなのウソをつく動機なんぞ出てこねえよ。
所詮オマエの勝手な決めつけだろ。つまりオマエの書いた私本書紀
の盲象そのものだ。ププ・・・・・
0089日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 19:27:31.16
古代天皇の年齢を誤魔化すぐらい大したことじゃないだろ
公文署偽造はジャップ国の伝統であって
つい最近始まったことではない
0090日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 19:31:02.84
安本美典氏の平均在位論が正しいかどうか検証してみる。

安本氏は5世紀から8世紀の延べ20人の天皇の平均在位が10.88年、
古くなれば在位が短くなることから10年として、それを実在確かな用明天皇以前に当てはめ、
神武を3世紀後半とし、3世紀初頭の卑弥呼をアマテラスとする。

まずこの前提自体がおかしい。
5世紀の天皇とは、どうやら478年の倭王武の上表分を雄略天皇として計算しておられるようだ。
倭王武が雄略であることは有力なので異論はないが、ならば478年を基点にして一代10年で計算すればいいのに、
何故か6世紀後半の用明天皇以前にその10年を当てはめている。
つまり雄略と用明という二つの基点があるわけで、恣意的な手法である。

また10.88年から古くなれば在位が短くなるという理由で0.88年を削り10年にしているのも恣意的。
平均というのは長くもなり短くもなるから平均なのであり、
古くなれば在位が短くなるという事であれば、10.88年で出てきた数字に例えば「+30年-10年」あたりにすれば神武の時代も分かりそうなのに、
安本氏はそうはしていない。

そういうわけで正確に計算し直してみる。

(続く)
0091日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 19:31:44.23
まず31代用明天皇を基点に20人の平均在位を計算してみるが、20人というのは平均を採るには少し少ないような気がするので、
念のために30人の平均在位も計算してみる。
重祚もあるのでややこしいが頑張って計算してみる。

⓵ 31代用明天皇即位は585年、用明を含めて20人後は52代嵯峨天皇で823年まで在位。
823-585=238  238を20人で割ると11.9年。
A 用明を含めて30人後は62代村上天皇で967年まで在位。
967-585=382  382を30人で割ると12.7333・・・。

⓵の平均在位11.9年で用明天皇から神功皇后を含めて31人前の神武の即位年を計算してみる。
11.9×31=368.9  四捨五入で369年として31代用明即位=30代敏達崩御の585年から引いてみる。
585-369=216年。

神武即位はおおよそ216年。

Aの12.73で用明天皇から神功皇后を含めて31人前の神武の即位年を計算してみる。
12.73×31=394.63
395として585-396=189年。

実在確かな用明天皇から神功皇后を含めて神武まで計算すると、216年から+30年-10年で計算しても、
また189年から+30年-10年で計算しても、神武は卑弥呼の時代である。

魏志倭人伝に書かれた卑弥呼(Bei mei hu)とは比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后、
夫である神武に先立たれたヒメ(蹈鞴五十鈴)后の姿である。
0092太国
垢版 |
2021/05/01(土) 19:32:08.16
歴史を偽造するのは半島の得意わざ。ww
こちらにすりかえるな。チョンよ。
0093日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 19:35:43.27
>>88
>先なら、
なぜ橿原でねえ資料、証拠を書き揉まないんだ。。
橿原即位って記述があるんだから、それを崩す証拠を先ならハッキリ
出して説明しろい。

カシハラでいいだろう、しかし明治に出来た橿原神宮ではない。
ならばどこなのだ。
中国の皇帝をも超える神武天皇の宮だからさぞかし立派なんだろうな?
どこか答えろ。
0094太国
垢版 |
2021/05/01(土) 19:38:50.29
皇后は女王でねえよ。これだけで神武の后が卑弥呼にするのは盲象。

八幡愚童訓に

 黄龍2年=230年=開化48年

に、君のは全然あってない。

千葉考古班の年台機器計測結果は、箸墓年代240〜260年だ。
これは訓の年代と矛盾がない。

英国でもエリザベス女王は王后ではなく女王だし、故殿下は国王ではない。
君のはこれも真逆で出鱈目だ。
0095日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 19:39:55.83
>>91を訂正

× 395として585-396=189年。

〇 395として585-395=190年。

どっちみち卑弥呼と神武が同時代なのは変わらないが。
0096日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 19:42:31.30
>>94
>皇后は女王でねえよ

卑弥呼の時代に天皇や皇后という称号はない。
何を言ってるんだバカ。
邪魔なので消えてくれ。
0097太国
垢版 |
2021/05/01(土) 19:51:59.08
身分ははきっりしてるじゃないか。
日本語が英語でないとか言ってるようなもので、説得力はない。
なるほどという説明をするべきだろ。

これも君の苦しいいいわけよ。w
はやく半島に帰れよ。日本国體を毒す主張は必要ない。
0098日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 19:55:56.79
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。

明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。

鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。

稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)

つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。

邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐

終わり
0099日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 19:58:51.95
>>97
逃げるな糞ジジイ。

中華皇帝をも超える立派な立派な神武天皇が即位したカシハラ宮がどこなのか答えろ。
0100太国
垢版 |
2021/05/01(土) 19:59:05.38
卑弥呼が神功じゃあ八幡愚童訓の年代に全然あわない。所詮間違い。
0101太国
垢版 |
2021/05/01(土) 20:02:41.43
オマエは先だといったじゃないか。
早く証拠を出せよ。オマエの私本書紀じゃあ権威はイカ様の最低二万哩だ。pp
https://www.youtube.com/watch?v=P96TAjThoEs
0102日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 20:12:07.47
>八幡愚童訓
まず、この書物がイデオロギーとかを抜きにして
どこまで信用できるかが問題だよな
開化天皇の時代の出来事を記紀が収録出来なかった
理由が分からない
0103日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 20:14:36.51
>>101
何を言ってるんだ、最初に神武の宮の場所を聞いたのは俺だ。

お前は答えないで逃げまわっている。

答えろ。
神武のカシハラ宮はどこだ?
0104太国
垢版 |
2021/05/01(土) 20:31:52.31
何を言ってるんだ、最初に神武の宮の場所を違うといったのはオメエだ。

お前は証拠を出さねえで答えないで逃げまわっている。

答えろ。
神武のカシハラ宮でない証拠はなんだ?
0105日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 20:44:51.59
ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信
皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国
北条時宗を中心とするわれら日本軍武士団が元寇に勇敢に戦い祖国を守った
2019年08月22日 | 北条時宗を中心とするわれら日本軍武士団が元寇に勇敢に戦い祖国を守った
より引用

ぷぷっw 右翼ですら八幡愚童訓を否定。

>モンゴル軍(以下、元軍)は、都合2度にわたって攻め寄せ、斬新な戦法で
>日本軍を大いに苦戦させる。
>だが、いずれも「神風」(暴風雨)によって撤退。日本が奇跡的な形で国土を
>守り抜くことができた、と信じている方も多いだろう。

>「元軍は集団戦を挑んできたので、日本軍の一騎討ち戦法は通用せず、大いに
>苦戦した」というものがある。

>だが、こうした戦闘描写は、蒙古襲来から30年後に成立した宗教書『八幡愚童訓』
>(はちまんぐどうくん)によるもの。
>「元軍を撃退できたのは神の加護のおかげ」という結論に結び付けるための文献が、
>いつの間にか「定説」となってしまっているのだ。
>だが、高麗や中国に伝わる歴史書を紐解くと、実際の戦況はかなり違ったようだ。
0106太国
垢版 |
2021/05/01(土) 20:50:17.77
橿原宮とちゃんと紀にあるのにオマエの私本書紀の成立
する証拠を出してからモノをいえ、チャンコロよ。

オマエの母国の中国はいずれ行きづまって、オマエの上層部らは泣くときが
くるのさ。チャイナとは泣いちゃうという言霊だ。
オマエら中国人はこの世が力の世界だと把握してるから、世界中に武力もそうだが
大船多数で押しかけてやれば力の関係で屈服できると見込んで各国に力で
もって強引に勢力を見せるわけだ。

だが天帝直轄の地たる神国日本は力でもそう簡単には倒せない。せいぜい
漁師を脅かすだでだ。ははは・・・
オマエ達は左党の取りすぎで中国は虫国に成り下がってるのだ。
左党をなめるのはいいが、過剰にとると648(ムシバ)たるロシヤ(648)
になってしまうのさ.。つまり危険歯層で餌舐める質がしてやられハイタに
なってるのがオマエの国だ。だから歯痛土臭い(排他独裁)の最低国家に
成り下がって反省のまるでない思想脳労に悩んで世界中に迷惑をかけているのだ。
尖閣は先端にダイヤの錐ある歯医者の治療ドリルだ。WW

左党はほどよくで丁度いいがあまり多く歯科医主義となるとほっぺが腫れるぞ。
尖閣は他国のようにはいかねえんだよ。
たわけ者よ。
0107太国
垢版 |
2021/05/01(土) 20:56:10.37
>>105
コチラの倍暦計算で黄龍2年=開化48年で1年も狂ってないんだよ。
ピタリだ。
君がほざいても千葉考古班の機器測定たる240〜260年は訓の主張を
支持していて矛盾はない。神武即位は西暦元年の辛酉だったのさ。
倍暦で真の年代は後代に660年分ずれこむんだよ。
0108日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 21:44:49.20
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。

明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。

鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。

稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)

つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。

邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐

終わり
0109太国
垢版 |
2021/05/01(土) 22:06:39.81
>>108
等号は殆ど間違い。
0110日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 22:22:07.50
>>104
>何を言ってるんだ、最初に神武の宮の場所を違うといったのはオメエだ。

ごまかすな、神武の宮は明治になって建てられた橿原神宮ではないと言っただけだ。

お前が思うカシハラ宮がどこか言え、このクズ。
0111日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 22:24:00.49
>>106
>橿原宮とちゃんと紀にあるのにオマエの私本書紀の成立
する証拠を出してからモノをいえ、チャンコロよ。

だからその橿原宮がどこにあるのか言えないのか、この朝鮮右翼。
0112日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 22:27:30.82
>千葉考古班の機器測定たる

アホ丸出しwww
正確には歴博による放射性炭素測定で240〜260年ねw
しかしその数値は箸墓が卑弥呼墓であって欲しいというくだらない願望から出たもの。
普通、放射性炭素測定で20年幅なんて出ない。
歴博が如何にいい加減な集団かが分かる。
0113日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 22:33:17.47
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。

明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。

鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。

稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)

つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。

邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐

終わり
0114日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 22:38:06.43
太国殿は、橿原宮が実在した物証を挙げる他にも
安寧ー息石耳命ー天豊津姫命ー孝昭
の系図について
安寧誕生から孝昭誕生まで35年、
つまり一世代11歳ぐらいの間隔で子供を作る
ことが欠史八代以外でも特に不自然なことでは
ないことを、何でもいいから家系図を引っ張り出して
示してくれ

日本武尊についても同様で、15〜16歳で死んだ男が
死ぬ前に一人の女性に子供を4人産ませていた例を挙げて欲しい

そうしてくれたら、貴殿の倍歴説は説得力を持つ
0115日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 23:03:18.49
一世代がおよそ20歳だから
懿徳が姪の天豊津媛命に孝昭を産ませたとなると、
神武と媛蹈鞴五十鈴命の夫婦から崇神まで
男系で6世代だが、女系1世代を含めて7世代になる
20年×6世代=120年だから、媛蹈鞴五十鈴命と崇神とは
120歳差があり、これはこのスレ的に違和感はない
しかし、孝安が姪の押媛に孝霊を産ませたとなると
もう20年を足して140歳差になる
これはこのスレ的に不自然だから、孝安は自分の姪を
妻にして孝霊をもうけたわけではない証拠を持ってくる
必要がありそうだ
0116日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 23:33:08.20
孝安が孝昭と同世代ではなく、一つ上の世代で
あれば姪との間に孝霊をもうけても問題ないと
思える
0117日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/01(土) 23:46:14.82
まさか天豊津媛命=押媛命=台与??
台与の息子が孝昭と孝霊(異父兄弟?)?
0118日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/02(日) 06:41:44.53
280年ごろ D孝昭    F孝霊
       |      |
300年ごろ  E孝安    G孝元 H開化 I崇神 

こんな感じを今、頭に思い描いています。

孝昭、孝安は葛城。
孝霊以降は非葛城。
0119日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/02(日) 10:04:28.20
いわゆる「自称某」の荒唐無稽な能書きである
0120日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/02(日) 22:42:16.80
饒速日「・・・どうも、親分・・・。」
神武「何が親分だこの野郎。」
饒速日「ちょっと聞いてください!出雲ではいろいろありまして‥決して天孫一族を裏切ったわけではないんす!」
   「何でもしますぅぅ‥長髄彦はすぐぶっ殺しますし、大和の豊かな土地みんな差し出しますんで・・・」
   「言う通りにしますんで、許してもらえませんかあああああ!!」
神武「何でもすんのか?」
饒速日「はいィィィィ」
神武「建国しよっか」
0121日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 03:04:44.20
3世紀頃にあった超東南海地震で壊滅的な被害があったから神武東征つう震災避難が元になってるって説のホームページがあったけど、URLわかる人いる?
0122日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 08:05:16.52
>3世紀頃にあった超東南海地震

ソースは?
初めて聞いた。
0124日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 10:37:41.80
近年の歴史学では神武や初期8代など古代天皇をはじめ、ニギハヤヒ、大物主、スサノオ、ことごとくその実在が否定されている。
しかし本当にそれでいいのだろうか。

新井白石や本居宣長の時代には「考古学」という学問すらない。
それに比べ今は膨大な考古学資料がある。

例えていうなら今の学者の筒には3千本の矢が入っている。
3千本もあるのだから、いずれ的に当たるだろうと彼らは己惚れている。

しかし何本矢を放とうが的に当たらない。

とうとう矢を放つことさえやめたような学者もいる。
それは卑弥呼が誰なのか言えない学者である。

考古学資料から崇神天皇がおおよそ4世紀前半に決まりつつある。
ならばその数十年前のトヨを探せばいいのに誰も探そうともしない。

卑弥呼もトヨも記紀に登場しないという固定観念があるからだろう。

一方、新井白石や本居宣長の時代には筒に矢が1本しかない。
しかし彼らはその1本の矢で見事に的を撃ちぬいた。

その矢とは「倭国王帥升(Shuai sheng )はスサノオではないのか」というたった一本の矢=仮説である。
そして彼らはスサノオの5世代100年後にいる卑弥呼を簡単に見抜いた。

しかしそれは自分の生まれ育ったこの日本の歴史が中国への土下座から始まるという耐えられない屈辱でもあった。。

だからこそ彼らは心にもない九州説を唱えることで「邪馬台国論争を創った」のである。
0125日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 14:14:03.85
饒速日「後から来て天孫を名乗るお前は何者だ。我こそ天孫ぞ」
神武「(饒速日の弟の)邇邇芸の末裔です。これ(天羽羽矢)が証拠です」
饒速日「おお、それはわしのものと同じだな!確かに同郷の者らしいな」
長髄彦「我々の軍勢にも被害が出ていますし、まさか和解するなんてことはないでしょうね」
饒速日「天神の子は人間(の論理)とは違うのだ」
長髄彦「納得いかないので戦闘を継続します!」
饒速日「そんなことは許さん!命令を聞かないなら手打ちにしてくれる!」
神武「ありがとうございます。筑紫は(倭国大乱で)荒れていて暮らせないので、こいおにいさせてください」
饒速日「うむ、大叔父としてお前を迎え入れよう」
神武「ありがたい」

饒速日の末裔が物部氏や尾張氏であり、畿内や東海の覇権を掌握した。
物部氏は、「ヤマト王権」において軍事と祭祀(つまりマツリゴトの全て)を司っていたとされる。
そして畿内を中心に分布する前方後円墳も物部氏の墓制だと考えられている。
0126日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 14:16:01.97
纏向古墳群とは誰の墓なのか。
私は崇神の母系の物部ではないかと思ってます。
当時は母親の実家で子供を育てたわけですから、崇神の住んだ纏向は母親のイカガノシコメが住んでいた所でしょう。
つまり物部の土地である。

また大阪交野(かたの)に箸墓の縮小サイズである雷塚古墳(森古墳群)があります。
この雷塚古墳は箸墓と同時期か少し後と言われています。
箸墓は260〜280年くらいでしょう。
つまり雷塚古墳は崇神時代より少し前です。

ところでこの森古墳群、前期古墳にしては珍しく被葬者をほぼ特定できます。
交野の語源になった肩野物部集団です。
被葬者として推定できるのは彼らしかいません、一択です。

つまり崇神の前に【物部が前方後円墳を造っていた】という事になります。
しかも彼らは箸墓とも強い関りがあることになります。

というわけで纏向古墳群は瀬戸内海洋集団・物部の墓である。
ここに卑弥呼はいないという事です。

アホの>>1
アホの>>1
0127日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 14:25:37.60
>>121
神武が出発した筑紫の日向は、その祖であるイザナギが禊をした筑紫の日向と同じだ。
つまり神武が出発したのは住吉神社がある福岡だ。
もし地震が原因だったとすれば、南海ではなく玄界灘の地震だったはずである。
0128日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 14:28:43.72
饒速日は西からやって来て交野に降臨したという。
神武らは、饒速日が東の国で王国を打ち立てて成功したと聞きつけ、饒速日に頼るために東へ向けて筑紫を出た。
0129日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 14:29:30.31
【八咫鏡】

平原遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。
径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。

内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
伊都にある王墓の代表である三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、内行花文鏡が太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は内行花文鏡を王権の象徴として漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことになる。
八咫鏡はニニギら日向王家の象徴であるが、それが日向峠のある高祖山周辺にあったことで、伊都が記紀に伝えられる倭国の旧都、筑紫の日向であったことがわかる。

石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
伊勢が大和の東の出口、日前は西の出口にあり、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
筑前国風土記では、宗像大社辺津宮の神宝も八咫鏡と記録されている。
これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、辺津宮、伊都に5枚で、最低でも10枚は存在していたことになる。
この他に日本書紀では筑紫の帥である神夏磯姫が所有していたことが記録されているが、顛末は記録されていない(上記のいずれかと重複している可能性がある)。
0130日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 14:30:03.28
【筑紫の日向】
筑紫の日向は、しばしば宮崎県のことだと誤解されるが、福岡県のことである。
筑紫の日向の小戸の阿波木原はイザナギが禊をしたところとされており、福岡市西区小戸に比定されている。
この禊で生まれたのが博多に祭られる住吉三神や志賀島に祭られる綿津見三神である。
これらの神を祭る神社の元宮は現人神社(福岡県那珂川市仲)であるとの説があり、弥生時代の倭王であったイザナギの王宮であったとも考えられる。

古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とある。
福岡県の高祖山の南側は、別名をクシフル山とも言う。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の高祖山なら、福岡平野と糸島平野の間にあり朝鮮半島に向かう博多湾に面している。

「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部)

考古学的にも、三種の神器を伴う弥生王墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城が作られ、その中に高祖神社がある。その原型が記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の日向にあった伊都国が倭国の王都であり、高祖山の高千穂宮が倭王である天孫の降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国女王卑弥呼の王城である。

ttp://wi12000.starfree.jp/map/afumi_sawara_map_25.gif
0131日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 18:14:42.78
>>126
それ、何年か前の俺の書き込みだw
0132日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 18:18:15.56
>筑紫の日向は、しばしば宮崎県のことだと誤解されるが、福岡県のことである

筑紫の日向は、しばしば福岡県のことだと誤解されるが、宮崎県のことである
0133日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 20:27:32.33
筑紫(九州)の日向(南側)
0134日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 22:00:36.36
海の向こうに異民族が住む、そんな場所(福岡)に都などないの。

子どもが考えても分かる。

福岡は太古から防人の土地。
0135日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/03(月) 23:05:17.44
>>1卑弥呼の時代には漢字を使えていたのは一部の外交官のみで、卑弥呼や重臣クラスでも漢字を使えなかった

だから「邪」「卑」とかの漢字を倭国の固有名詞に勝手にあてたんだろう
0136日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/04(火) 00:54:56.10
まあ、中国は帥升や卑弥呼を知ってるわけで
その上で彼らより古い歴史を持つとされる
歴代天皇の記録も受け入れざるを得なくなる
帥升の国も邪馬台国も九州にあってくれたほうが
大和政権としては当然ありがたい
それでも神功皇后は卑弥呼かもしれないと解釈される
余地を残して、2世紀末〜3世紀半の邪馬台国について
うまいこと言い逃れしようとしている感じはする
0137日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/04(火) 04:19:53.10
>>127
そのURLだと、玄海日向説にも言及してたんだけどね
>>123
いや、そこじゃなかったんですよ。
結構、長文で、超東南海地震前震の豊後水道辺りの地震で日向内陸奥まで津波がとか書いてあったです

たしか、神武東征時の大坂界隈のトラブルで、南下して熊野超えして、出雲系からとって代わったと書いてありました。
0138日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/05(水) 06:55:45.10
記と紀で干支が一致するのは確か6世紀後半の用明天皇あたりからだったか。

なぜ6世紀からなのか。
5世紀以前をごまかすためだ。
なぜ5世紀以前をごまかすのか。
倭の五王が中国側に記録されてたからだ。
特に倭王武の上表文、これは倭王武みずから中国皇帝の臣下になりたがるという、
7世紀の朝廷にとっては屈辱極まりない記述だ。

だから誰なのか分らなくするために時代をごまかしたのだろう。
まぁ倭王武は雄略なのだろうけど。
0139日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/05(水) 19:18:20.60
5世紀〜6世紀初めの大王たちは正確な年代を特定しない
といけないな。日本書紀も古事記もそのまま信用出来ない。
神功皇后を邪馬台国の時代に設定して
日本書紀と百済の史料とで対応する記事の内容を敢えて120年前に
ずらしているわけで、仁徳天皇や允恭天皇の在位年数を水増し
(本当は雄略天皇は父である允恭天皇が即位する前に生れていたが、
敢えて父の即位後に生れた設定にした)して年代を補正せざる
を得ないわけだが。
0140日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/06(木) 10:09:27.01
>>139
妄想の根拠は?
0141日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/07(金) 00:14:06.52
まだやってるのか
これはもう解明された

英国が薩長水戸を支援して明治維新を起こし
仏教の天皇を殺して、ユダヤ教の明治天皇をデザインした

江戸城の横に英国の軍隊が駐留して天皇と伊藤を操縦した
日本人に国家の概念を持たせて中露と戦わせる

江戸時代に神社の宮司のような存在だった天皇を神にし
更にダビデの末裔ということにした
古代イスラエルからユダヤ人が逃げ出し、日本に向かったことにし
その時点で天皇が始まったことにすると
天皇はもう千年前から始まっている必要があり
千年分のでっち上げ天皇の墓は適当に古墳に割り振った

その当時は年代測定の技術なんかないので、適当に割り振っているので
古墳の年代を測定されるとバレるから古墳の調査は禁止している

そして天皇はツングースから来た人食い馬賊なのに、
ユダヤ人だと思わせるために色々な捏造が行われた
例えば、エルサレムにあるヘロデ門の太陽のマークから菊の御紋を作るとか
英国の入れ知恵で全て明治に作った
アークを真似た神社の神輿とか
剣山に三種の神器があると思わせるお遍路さんとか
みんな嘘
調子に乗って大正からは宮中祭祀も始めた
0142日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/07(金) 06:18:20.27
>>140
現在伝わる天皇の系図を正しいと考え、
推古天皇の生没年が554年〜628年、
在位期間が593年〜628年、彼女の叔父
の蘇我馬子の生没年も扶桑略記では
551年〜626年だが、彼らの生没年を基準に
して4〜6世紀の天皇の寿命や在位期間を
特定するとかなり不自然に思われるから。
0143日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/07(金) 06:53:45.07
4〜6世紀の天皇について
古事記の没年干支は日本書紀よりはかなり現実味があるが、
それでも崩御時の年齢はそのまま信用出来ない
推古天皇より8世代前の仲哀天皇が311年生まれで
362年崩御(推古天皇と243年差)は決してあり得なくないが、
この後生れたはずの応神天皇が父仲哀天皇の死後32年後に
130歳で亡くなることはあり得ない。仁徳天皇が5世紀(427年)まで
生きていたと主張する点では古事記は4世紀末(399年)に亡くなった
とする日本書紀より正しいが、崩御時の年齢83歳説に従うと
祖父仲哀天皇が生きていた345年に生れたことになり物語的に合わなく
なる。また異母弟の玄孫である継体天皇が生まれたのが古事記では
485年だから、いろいろ辻褄を合わせていくなら、応神天皇の崩御年も
5世紀初めまで引き伸ばすべきであり(応神が死んだとき仁徳は20歳には
達していただろう)、仁徳天皇が生まれた年代も380年代〜400年代までに
収めるべきである。
0144日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/07(金) 07:09:51.41
古事記の崩御年干支は、崇神、成務、仲哀は正しいだろう。
古事記には垂仁や景行の干支が書かれていない。
書かれていないという事は、書かれてある崇神、成務、仲哀の没年干支が現実味を増す。
したがって崇神318年、成務355年、仲哀362年であろう。
おおよそそれぞれの墳墓の時代が考古学とも符合する。

そうすると応神没年は394年になるがこれはどうであろうか。
応神領外堤のの須恵器の編年が5世紀前後なので合うには合うが。

応神元年は日本書紀の干支から390年で間違いなかろうと思われるので、
在位は4年になる。

自分は記紀で真と偽が交互にちりばめられているのではないかと思うようになってきた。
記紀は二つで一つみたいな。
たとえばA天皇の即位年は紀が正しく没年は記が正しいというような。
0145日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/07(金) 07:23:02.02
× 応神領外堤のの須恵器

〇 応神陵墓外堤の須恵器
0146日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/07(金) 07:34:07.90
古事記では履中天皇は368年生まれ(日本書紀では319年、329年、336年?)、
反正天皇は378年生まれ、允恭天皇は(日本書紀では376年)生まれで
父仁徳天皇との年齢差に特に不自然さはないが、仁徳天皇が生まれた年が
実際にはもっと後になるなら、彼らが生まれた年もその分先へ進めるべきだろう。

彼らの5世孫の推古天皇は554年生まれ、6世孫の聖徳太子は574年生まれ、
8世孫の天智天皇は626年生まれ、9世孫の持統天皇は645年、元明天皇は
661年生まれ、10世孫の元正天皇が680年、文武天皇が683年、淳仁天皇が
733年、光仁天皇が709年生まれ、11世孫の聖武天皇が701年、桓武天皇が
737年生まれ、12世孫の孝嫌(称徳)天皇が718年、平城天皇が774年、
嵯峨天皇と淳和天皇が786年生まれ…という具合に子孫を追跡していくと、
傍系の淳仁・光仁・桓武・平城・嵯峨・淳和を除外しても、
彼らの先祖があまりに昔の人過ぎるのはおかしいと感じられる。

後代の皇室系図を調べると、5世代が100年に相当する部分が多い。
9世代だと200年、13世代だと300年という具合だ。11世代で230年
〜300年、15世代で400年というところもある。皇室以外でも同様の
ことが言えるはずだ。
0147日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/07(金) 07:39:41.53
古代の皇室では、叔父の子供を姪が産むような女系も含めて一世代20歳程度で
子供を作っていた人が多かったと考えられる。孝嫌から見て男系で12世代前の
先祖である履中・反正・允恭三天皇はおよそ300年前の人物であり、
彼らが生まれた年代も孝嫌の300年前と考えてよいはずである。一世代20歳の
規則を当てはめるなら、履中・反正・允恭は420〜430年、仁徳は400年、
応神は380年生まれである。仁徳は応神の第四子だが皇后の第二子だから
父が21歳のときの皇子でもおかしくない。干支は60年で元に戻る。西暦
380年は日本書紀が応神天皇が生まれたと主張する西暦200年に60年×3=180年を
足した年である。
0148日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/07(金) 07:55:52.59
貞成親王(1372年生まれ)は14世孫の後桃園天皇(1758年生まれ)と386歳差だ
が、同じ14世孫の仁孝天皇(1800年生まれ)とは428歳も離れているケースもある
わけで、

応神天皇が362年生まれだとして、14世孫の孝謙天皇(718年生まれ)とは356歳差
ある一方で、同じ14世孫の嵯峨天皇(786年生まれ)と424歳離れていることも
決してあり得なくはない。
0149日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/07(金) 08:23:02.30
>一世代20歳程度で子供を作っていた人が多かった
実際には長子が女子も含めた第一子とは限らないし、長子継承の
連続にはならないから、実際にはある人が誕生して玄孫(五世代目)が
生まれるまで80歳前後に収まり、それが連続するということは珍しく、
どうしても最終的に皇位を継承している玄孫世代との年齢の開きが100歳、
またはそれ以上あることが多い。
0150日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/07(金) 09:03:23.03
応神から孝謙まで男系の父子関係だけに着目すれば15世代だが、
叔父と姪の婚姻関係の分を3世代追加すれば18世代になる
一世代あたり20歳で子供を作れば、応神天皇が生まれて20×17=340年後
に孝謙天皇や彼女の兄弟が生まれる計算になる。確かにそうなっている
応神天皇が380年に生れたというのはかなりギリギリこれより後にできない
年代設定だ
0151日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/07(金) 11:03:06.77
古事記が記す仲哀・仁徳・履中・反正・允恭・安康の
崩御時の年齢は一見するとありえそうだけど
やっぱり妙に長生きかな
実際には、仲哀天皇は52歳から20歳を引いて32歳とか
仁徳天皇も83歳から30歳を引いて53歳、
履中・反正は30代後半、允恭は78歳から30歳を引いて48歳、
安康天皇も56歳から30歳を引いて26歳か、56歳を2で割って
28歳あたりだろう
4〜5世紀の大王たちの寿命が伸びるのは、応神即位を390年
から270年へずらしたことと無関係ではない
血統が途切れては困るから在位年数と寿命を伸ばす
0152日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/08(土) 19:30:01.42
https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000143.png

卑弥呼(Bei mei hu)とは比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、つまりヒメ后=ヒメ(蹈鞴五十鈴)后。
3世代後にトヨ津媛もいる。
さらにそのトヨ津媛の1世代前に建甕尻がいる。
この建甕尻は先代旧事本紀では別名がタケミカヅチである。
つまり卑弥呼の死後に立ち、千人余りが死ぬ大きな戦争とは、[タケミカヅチ VS タケミナカタ]のことであった。

ヒメ(蹈鞴五十鈴)后やトヨ津媛の住んだ場所は葛城。
その葛城の古代から高天原と呼ばれた場所に、径百余歩で隣に奴婢=土蜘蛛が大量に埋葬されている「冢」がある。
https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111.jpg
https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111_2M.jpg
0153きまん
垢版 |
2021/05/08(土) 19:51:56.39
なるほど
0154日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/08(土) 22:48:17.91
その時代の奈良県はそもそも大陸と国交がなかったよ。
0155日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/09(日) 00:58:09.87
     ___
    /     \     ________
   /   ∧ ∧ \  /
  |     ・ ・   | < こんにちは天国党です
  |     )●(  |  \________
  \     ー   ノ
    \____/

天皇から国民を守ろう!
  天皇家をぶっ潰せ!
天皇のもろチョン顔にスクランブルをかけろ!
天皇に虐殺され続けた縄文人1300年の恨みを晴らそう!
よろしくお願いしたいと思います
0156日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/09(日) 01:38:44.26
天皇家より藤原氏なんかのほうが
ぶっ潰すべき連中だと思いますよ
0157日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/09(日) 06:29:41.35
>その時代の奈良県はそもそも大陸と国交がなかったよ。

あるよ。
3世紀後半から4世紀初頭の古墳に出る小札革綴冑。

https://readyfor.jp/s3/readyfor-img/ckeditor_assets/pictures/379907/content_3a62d4567b77336415a9a8b5f578ea81f09c1b5c.jpg

日本ではこんな精巧な物が作れないから中国からの舶載品だと言われてる。
日本で十数点発見されてるが九州では1点のみ、残りは全て畿内。

記録にはないが台与の朝貢時期以外に考えられないので、
台与は畿内にいた、つまり邪馬台国は畿内であるという証拠になる。
0158きまん
垢版 |
2021/05/09(日) 06:46:44.29
そおいう考えを持つのが思い上がりなの
0159日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/09(日) 06:51:34.95
4世紀はすでに邪馬台国の時代ではない。
0160日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/09(日) 09:10:41.16
畿内説と九州説のどちらが正しいかわからないけど
台与が266年に西晋に朝貢して以来、413年まで
邪馬台国や倭についての記録が欠けているから
邪馬台国は300年代初頭までは辛うじて続いたかもしれない
天皇家は卑弥呼の時代には日陰の存在だったが
台与が女王になって以降じわじわ勢力を伸ばしてきた
ようなイメージ
0161日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/09(日) 18:17:09.69
倭の五王だって、学者が無理やりヤマト王権に当てはめようとしてもがいているだけで、畿内政権とは関係ないかもしれないよ。
少なくとも2世紀の倭奴国は福岡なのに、2世紀末に即位したと思われる卑弥呼が畿内だというのは無理がある。
倭の五王が畿内だとしたら倭はどこかで東遷したことになるが、少なくとも中国の史書にそのような記述はない。
0162日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/09(日) 18:35:45.59
何でいちいち記紀に当てはめようとするのかな
帥升って王もいたよね確か
0163日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/09(日) 19:50:21.39
畿内勢力が倭とは別勢力だとしたら、当てはめる合理的理由は何もないことになる。
魏志倭人伝では倭の東に海があり、その向こうにも倭人がいると書かれている。
つまり中国から見た倭や倭王は、あくまでも九州の勢力だということ。
もちろん、倭王である帥升、卑弥呼、壹與、武などはみな九州だろう。

ただし問題となるのは、記紀でも神代の巻は筑紫と出雲が主な舞台となっていることだ。
記紀では畿内の天皇家は筑紫を出て大和に入った一族の末裔であるとしている。
少なくとも筑紫に関しては、中国の歴史書と日本の歴史書が同じ時と場所について述べている部分があるはずだ。
0164日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/09(日) 23:04:48.29
>少なくとも2世紀の倭奴国は福岡なのに

行程論で出てくる奴国は福岡であろうけど、金印の倭奴国は福岡とは限らない。
金印は捏造の可能性が高い。

なんで志賀島が倭国の極南界になるの?
0165日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/09(日) 23:08:23.08
>もちろん、倭王である帥升、卑弥呼、壹與、武などはみな九州だろう。

化石ともいうべき九州王朝説者?

帥升、卑弥呼、壹與、武は全部日本書紀に出てくるし考古学的にも説明がつく。
0166日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/09(日) 23:38:16.45
神武東征のような大きな出来事があった、とすればその時期はおおよそ分かる。

神武東征のような大きな出来事があれば考古学的に大きな変化が起きているだろうからである。

大和盆地において、それまで続いていた環濠集落が終わり、土師器の生産が始まり全国に派生し、そして古墳時代が始まるという大変革の時代は2世紀末の庄内0期である。
そしてそれは卑弥呼擁立の時代でもある。

神武を倭国王帥升の時代である2世紀初頭とか、
卑弥呼をアマテラスに見立てその5世代後の3世紀末を神武の時代にはできないのである。
2世紀初頭や3世紀末に大和盆地で大変革は見られないからである。

すなわち神武と卑弥呼は同じ時代、2世紀末から3世紀初頭なのである。

卑弥呼(Bei mei hu)とは、
比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、
つまりヒメ后=ヒメ(踏鞴五十鈴)媛である。
0167日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/10(月) 00:02:59.43
>>166
>大和盆地において、それまで続いていた環濠集落が終わり、土師器の生産が始まり全国に派生し、そして古墳時代が始まるという大変革の時代は2世紀末の庄内0期である。
>そしてそれは卑弥呼擁立の時代でもある。

神武と卑弥呼は同時期の人物だろうが、神武は大和、卑弥呼は筑紫倭国の人物だろう。
0168日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/10(月) 01:03:56.41
>>197
>神武と卑弥呼は同時期の人物だろうが、神武は大和、卑弥呼は筑紫倭国の人物だろう。

卑弥呼(Bei mei hu)とは比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、
つまりヒメ后=ヒメ(踏鞴五十鈴)后以外にいない。

5世代前に帥升=スサノオがいる。
3世代後に臺與(台与、とよ)ことトヨ津媛がいる。

このことに気づいていた新井白石が、心にもない九州説を唱えて邪馬台国論争を創創った。
つまり九州説自体が虚構である。
0169日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/10(月) 20:10:30.18
日本書紀の15代応神天皇元年「庚寅(かのえとら)」が390年であることは、百済武寧王陵墓出土の買地券(=金石文)から
武寧王462年 - 523年(在位:502年 - 523年)が決定し、日本書紀の応神3年条に出てくる百済アケ王擁立が『東国通鑑』『三国史記・百済本紀』では392年、
また日本書紀応神8年条文註に百済国の王子直支の来日 があり、
『東国通鑑』『百済本紀』は、直支王(405-420)を人質として遣わした年代を397年と記してある事、
また、日本書紀応神16年条に「是歳百済阿花王薨」とあるが、『百済本紀』の伝えるアケ王の崩年は405年である事、
などから逆算して求められる 応神元年は390年である事、
また誉田御廟山古墳外堤の須恵器の編年が5世紀前後であることなどから、もはや疑うべきでもないと思われる。

時代を古く引き伸ばす意図で書かれた日本書紀では「庚寅」は270年になるが、
これはお母さんの神功皇后を卑弥呼に宛がうために干支を2運120年ずらしたのであろう。
そして日本書紀の神功皇后紀に魏志の卑弥呼の記事を挿入し、卑弥呼=神功皇后であることを印象付けている。

7世紀後半の朝廷は本当の卑弥呼が誰なのかを知っていたのであろう。
では応神天皇元年390年で20人後、30人後の平均在位を採ってみる。

@ 15代応神390年即位、20人後は34代舒明天皇で641年まで在位
641-390=251  251÷20=12.55
応神以降20人の平均在位は12.55年。

A 15代応神390年即位、30人後は45代聖武天皇で749年まで在位
749-390=359 359÷30=11.966
応神以降30人の平均在位は11.966年。

@の12.55年で神功皇后を含み15人遡り「+20 -5」あたりに収まるであろう神武の即位年を計算する。
12.55×15=188.25 四捨五入で182  応神元年390-182=208年
208年を基点に「+20 -5」あたりが神武の即位年と思われる。

Aの11.966年で神功皇后を含み15人遡り「+20 -5」あたりに収まるであろう神武の即位年を計算する。
11.966×15=179.49 四捨五入で179  応神元年390-179=211年
211年を基点に「+20 -5」あたりが神武の即位年と思われる。

やはり神武と卑弥呼は同時代である。
0170日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/10(月) 20:33:05.32
訂正
× 12.55×15=188.25 四捨五入で182  応神元年390-182=208年
208年を基点に「+20 -5」あたりが神武の即位年と思われる。

〇 12.55×15=188.25 四捨五入で188  応神元年390-188=202年
202年を基点に「+20 -5」あたりが神武の即位年と思われる。
0171日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/11(火) 00:43:37.02
神武には既に長男にタギシミミが生まれていて
タギシミミが父とともに東征にやってこれる年齢だった
とすると、ヒメタタライスズヒメからすると神武はかなり
年上の男性で、彼女の年齢は神武よりタギシミミに近かった
かもしれない
日本書紀ではヒメタタライスズヒメと結婚したとき
神武は51歳になるが、実際には35〜40歳ぐらいかな?
東征に6年もかかったとは思えない
神武が死んだ時点ではヒメタタライスズヒメはタギシミミと
再婚が可能な年齢だったらしい
再婚が可能となると遅くても30代だろう。神武と結婚したとき
15〜20歳だったとすれば、神武の在位期間も15〜20年に収まる
タギシミミが実際に異母弟のカムヤイミミとカムヌナカワミミに殺されたか
は不明だが、カムヌナカワミミが皇太子に立てられたとき14歳になることと
この記事から、タギシミミが暗殺される事件が起きたとき、異母弟たちは10
代だったと考えられる。20歳には達していないはずだ
0172日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/11(火) 00:56:48.61
神武天皇の在位年数は76年から60年を引くと16年。
ただしこの後3年空位期間があるから、これを足すと19年。
76年を4で割っても19年。

仁徳天皇の場合、87年から60年を引くと27年。
即位前の2年の空位期間を足すと29年。
87年を3で割っても29年。
0173日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/11(火) 02:12:57.77
日本神道の預言書「日月神示」で新型コロナが預言されていた
https://hifumi.tomosu.link/all.html

五葉之巻第十五帖
今に大き呼吸もできんことになると知らせてあろうが、その時来たぞ
https://img.onmanorama.com/content/dam/mm/en/news/india/images/2021/4/15/delhi-hops.jpg.transform/onm-articleimage/image.jpg
https://ichef.bbci.co.uk/news/976/cpsprodpb/3B6B/production/_118111251_whatsappimage2021-04-15at10.01.45pm.jpg
https://ichef.bbci.co.uk/news/976/cpsprodpb/BB61/production/_118296974_gettyimages-1315674286.jpg
https://static.dw.com/image/57247054_403.jpg

他の当たった節

五葉之巻第十四帖
流行病は邪霊集団の仕業、今にわからん病、世界中の病はげしくなるぞ。
黄金の巻第五十四帖
世界に何とも言われんことが、病もわからん病がはげしくなるぞ。

インドの火葬場。24時間燃え続けている
https://ichef.bbci.co.uk/news/976/cpsprodpb/148F3/production/_118111248_whatsappimage2021-04-17at9.37.33am.jpg
特に被害が深刻なデリーの火葬場
https://cdn.cnn.com/cnnnext/dam/assets/210423034806-07-india-covid-modi-government-intl-hnk-dst-exlarge-169.jpg
https://img-mm.manoramaonline.com/content/dam/mm/mo/news/just-in/images/2021/4/23/delhi-creamation-covid.jpg.image.845.440.jpg
https://img-mm.manoramaonline.com/content/dam/mm/mo/news/just-in/images/2021/4/23/2021-04-22T184147Z_354536718_RC231N9XNDSB_RTRMADP_3_HEALTH-CORONAVIRUS-INDIA-CREMATION.jpg.image.845.440.jpg
ウクライナの墓穴
https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/8/e/1000x/img_8e77af5d2cdd1eb06f0d6f408e315b6a254159.jpg
ブラジルの墓場
https://assets.bwbx.io/images/users/iqjWHBFdfxIU/iI7Tjp_lzrIg/v0/1000x-1.jpg
0174日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/11(火) 02:13:10.63
https://ichef.bbci.co.uk/news/976/cpsprodpb/563F/production/_118297022_india_cases_deaths_2may-nc.png
これからさらに酷くなると預言されている

上つ巻第二十五帖
一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざ
上つ巻第三十四帖
一日に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことざから、気を大きく持ちてゐて呉れよ。

その他の実現した預言

日月神示下つ巻第三十帖
冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。
日月神示日月の巻第二十六帖
冬の先 春とばかりは限らんと申してあること忘れるなよ。用意せよ、冬に桜咲くぞ。

西暦812年の統計開始以来、日本の桜の開花が最も早いピークを記録
https://www.bbc.com/news/world-asia-56574142
https://ichef.bbci.co.uk/news/976/cpsprodpb/16729/production/_117754919_cherry_v2-nc.png
過去1200年の計測上最速で日本の桜が開花
https://edition.cnn.com/2021/04/05/asia/japan-cherry-blossoms-climate-change-intl-hnk-scn/index.html
0175日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/11(火) 02:13:22.83
オリンピックは悪魔バアル崇拝

ブリタニカ国際大百科事典
https://www.britannica.com/topic/Baal-ancient-deity
Baal=バアル → バビロニア語Bel=ベル → ギリシャ語Belos=Zeus → 日本語ゼウス

末日聖徒イエスキリスト教会 聖句ガイド
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/gs/baal?lang=jpn
バアルはバビロンのベルやギリシャのゼウスと同じとも考えられる

バール(バアル)について記載された文献あれこれ
http://www5.cncm.ne.jp/~ryuji-t/kenkyu/baal.htm
町の両区域ともその中央に囲いがあり、一方は壮大堅固な壁をめぐらした王宮であり、他方は「ゼウス・ベロス」の青銅の門構えの神殿である。
「ベロス」はバールのギリシア的転訛で、ゼウスと同一視して、「ゼウス・ベロス」となっている。

オリンピックの起源 // 悪魔バアルを祀る人類最大の宗教儀式
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/48895b3900d2803866456995e3be643d
悪魔バアルを祀る宗教儀式 | mariaのブログ
https://ameblo.jp/the-snark2/entry-12412725822.html
古代オリンピック 生きた人間の心臓をつかみ出す
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/7a/09fd10fe20481f1c4331a6727eca5da5.png

悪魔バアルとは誰?
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-who-baal.html
バアル礼拝は官能主義に根ざし、神殿での儀式的な売春行為を含んでいました。
0176日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/11(火) 02:13:37.31
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sportsx/285358
米の女子サッカー代表だったホープ・ソロ選手(当時31)が、2012年ロンドン五輪の時にこう証言している。
「選手村って、世界中から人が集まるでしょ。異種競技の選手なら二度と会うこともない。だから開放的になって、欲望が抑えられなくなっちゃうのよ。
芝生の上とか、建物の陰とかでやっている選手もいるわ。オリンピックって世界一ふしだらな祭典よ」

過去に何人かが「ふしだらな祭典」に加わった結果

旧約聖書 モーセ五書 民数記 25章1−9節要約
https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E6%B0%91%E6%95%B0%E8%A8%98%2025&;version=JLB
青年たちの何人かが、土地の娘とふしだらな関係を持ち始め、モアブ人の信じる神々にいけにえをささげる儀式に加わり
宴会に連なるばかりか、ほんとうの神でない偶像を拝むようになり、進んでモアブの神バアルを拝むほどになった
神罰が止んだ時には、二万四千人が死んでいた

ヨハネの黙示録9章20節で示唆されているのは、神の国でやろうとしている運動会
https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%209&;version=JLB

>これらの災害に会っても生き残った人々は、それでも神を礼拝しようとはしないで、悪霊や、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも、聞くことも、歩くこともできない偶像を拝み続けました。
https://www.news24.jp/images/photo/2020/09/06/20200906_233031181u.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20200707/01/yohoho29/33/b2/j/o1300125314785309204.jpg

金、銀、銅、石、木で造られた偶像
https://tk.ismcdn.jp/mwimgs/5/7/1140/img_578c6939e7b9a4ea0447d91318d10145495195.jpg
https://2.bp.blogspot.com/-I2syR5NC770/WdrotdaOepI/AAAAAAAAaHw/2gO-v19HqyQMeU7Pdv1ZHn8_Bh6zhBxQgCLcBGAs/s640/Winter%2BOlympics%2B5%2BMedals%2B2018%2BPyeong%2BChang%2BKorea.jpg

悪魔崇拝に協力した者は呪われる。死ぬのは一度限りではない。地獄で永遠に体を引き裂かれ続ける
0177日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/11(火) 02:13:50.65
神が現れる時、様々な「しるし」「兆し」が示される。その実現例

http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/contemporary/1561503978/

このスレに日月神示を調べ続けていた者が色々書きこんでいる

日月神示やアセンションとか
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1606283054/

当人いわく「神様と対面した」「聖書の預言通り、盗人が来るような時間=午前2時に家に来て罰せられた」らしい
そいつは去年の夏頃から、オカルト板やツイッターで延々
「日本の神様の正体は旧約聖書の創造主だ」「五輪とはゼウス崇拝であり、偶像崇拝の神罰が下されている」と警告し続けていた

そいつが立てた別スレ

日月神示を考えるスレッド
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1610162866/

警告通り、神罰が加速している

バアルの祭典まで猶予は少ない
本文を読んだ方々は、バアル崇拝を阻止して、救世に動かねばならない
0178日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/12(水) 18:36:25.12
本居宣長の九州の熊襲の女酋長による偽僭説、これもかなり変テコです。

本居宣長が考えて、考えて、考え抜いた末にこのような説を提唱したとはとても思えない。
彼も何か大きな、決して口外できない真実に気づいていたとしか思えない。
それはやはり「倭国王帥升=スサノオ」、日本の歴史が中華皇帝への土下座から始まるという史実でしょう。

ちなみに卑弥呼=ヒメ踏鞴五十鈴媛説は、私が子供の頃、説としてあったと記憶してるのですが、
先日、図書館のレファレンスで徹底的に調べてもらいましたが、ありませんでした。
ならば素人ながら提唱させていただこうというわけです。


この九州の熊襲の女酋長による偽僭説、鶴峯戊申に引き継がれるようです。
鶴峯戊申は、邪馬台国から「倭の五王」までを九州に比定する論者ですが、
スサノオ=帥升の渡海しての土下座、そして5世紀の倭王武の上表文という、
自ら中華皇帝の臣下になりたがる、当時の日本人のプライドとして耐えられない時代までを「九州によるもの」としたい彼の心中が察せられます。

彼も邪馬台国が九州にあったとは全く思っていない九州説者でしょう。

そしてこの変テコな偽僭説、那珂通世に引き継がれ、スッと終わります。

何故か。
それは、那珂通世の生存中に日本が日清戦争に勝ったからでしょう。
もともとが白村江の敗戦が引き金となった記紀編纂、卑弥呼の時代を神武東征紀という武勇伝で男王国として上書きし、
その神武即位をBC660年というとんでもない時代にずらし、卑弥呼より100年前の倭国王帥升=スサノオの土下座を隠した、
つまり耐え難い劣等感の中から生まれた記紀編纂、そして江戸時代の国学者による偽僭説、
これらが記紀編纂から1200年後、10分の一の兵力で中国に勝利するという圧倒的優越感によって、消え去ったのでしょう。

私はそう思っております。
0179日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/13(木) 00:27:31.54
勝手に思ってろ。
本居宣長の結論は真実に近い。
中国から見た倭とは九州北部のみだった。
ただし間違っているのは、九州北部にいたのは真実倭王であり、畿内にいたのが小さな部族長だったのだ。
0180日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/13(木) 07:10:10.21
>>179
ただの主張。
卑弥呼は誰なのか、どこに住んだのか、その根拠を出してくれ。

まぁ九州説者に出せるわけないんだけど。
0181日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/13(木) 07:35:49.04
倭国は筑紫を中心に、肥国、豊国、海を渡り出雲、越などから構成される連合国家である。
古くは出雲がその盟主であったが、国譲り以降は筑紫が盟主となった。
また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していたことが、三雲南小路遺跡や平原遺跡などの豪華な出土品から考古学的に明白である。
博多湾沿岸に稲作が上陸し、初期の倭国王権が成立した。
イザナギが矛(武力)で獲得したはじめの領土は能古島(おのころ島)であり、イザナミと別れてから禊をしたのが、筑紫の日向の小戸(現在の小戸公園)とされている。

筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神(アマツカミ)として九州や本州の王族である国津神と区別された。
博多湾以外で海人族の勢力の中心にあったのが、宗像氏族が聖地としていた沖ノ島であり、その磐座信仰がおそらくは高天原(タカアマハラ=祖なる海の城)の天照(アマテラス=海を支配する王)に対する祭だろう。
宗像氏族が支援したのが高天原から筑紫への天孫降臨であり、降臨先が筑紫の日向(博多湾沿岸)とされている。
降臨した天孫ニニギが大山積から娶った姫が木花咲耶姫(細石神社)であり、天孫の息子である彦火々出見(山幸彦)を祭る宮が高祖宮である。
しかし記紀によると天孫族による筑紫の支配は三代で終わったとされている。
四代目の彦火々出見は筑紫の日向の高千穂宮を出て大和へ移り、後に神武と呼ばれた。

卑弥呼は肥国の山門の出身で、それまでの伊都国王統を継承するために都である伊都に行き、倭国全体を統治したのだろう。
特に敵対的だった伊都より北の国々(狭義の倭国=天津国)には一人の大率を任命して監視した。
しかしそれは卑弥呼が筑紫の王のようになってしまうこととなり、肥後狗奴国の王と肥国の家督争いを招いたのかもしれない。
後に山門は有明海に向かって拡大する筑紫に飲み込まれて筑後となる。
これにより肥国は肥前と肥後に分裂する。
卑弥呼は死後に都の平原遺跡に葬られた。
0182きまん
垢版 |
2021/05/13(木) 09:56:46.77
もしかして肥の国創世記?
0183きまん
垢版 |
2021/05/13(木) 09:57:37.22
肥の巫女のことか?
0184きまん
垢版 |
2021/05/13(木) 09:59:29.80
あ〜確かに海を隔てて別れてるな

肥の国
0185日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/13(木) 12:33:22.12
>倭国は筑紫を中心に、肥国、豊国、海を渡り出雲、越などから構成される連合国家である。
古くは出雲がその盟主であったが、国譲り以降は筑紫が盟主となった。

筑紫など盟主でも何でもない
崇神の時代、出雲で、あるいは大和で二人の神が殺されている。
一人はスサノオ8世孫・阿田賀田須、
おそらくモモソ姫の夫でるこの神は三輪山で殺された。
この神の怨霊を封じ鎮魂の目的で建てられたのが大神神社。

もう一人は、これは日本書紀にも明確に書かれているが山陰・出雲の主である出雲振根。
この神から崇神は神宝を奪った。
崇神の末裔である現皇室は今もそのお宝を受け継いでいる。
それが皇室に伝わる三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉」だ。

そして振根の怨霊が祟らぬように、呪わぬようにと祀る目的で建てられたのが出雲大社だ。
だから歴代天皇は出雲大社に参拝していない。

国譲りというのは、実際には血を流した革命であるにもかかわらず、前王権に国を譲ってもらったなどという、古代中国を真似た方便。
>また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していたことが、三雲南小路遺跡や平原遺跡などの豪華な出土品から考古学的に明白である
誰でもそうだが、来客は玄関で対応する。
しかし玄関で食事をとり、玄関で寝る人はいない。
つまり福岡というのは単に日本の玄関であるだけで、王が住む地域ではない。
筑紫のような海の向こうに異民族がいる、そんな危険な地域に王権などない。
子供が考えてもわかる。
0186日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/13(木) 12:36:01.89
>倭国は筑紫を中心に、肥国、豊国、海を渡り出雲、越などから構成される連合国家である。
古くは出雲がその盟主であったが、国譲り以降は筑紫が盟主となった。

筑紫など盟主でも何でもない
崇神の時代、出雲で、あるいは大和で二人の神が殺されている。
一人はスサノオ8世孫・阿田賀田須、
おそらくモモソ姫の夫でるこの神は三輪山で殺された。
この神の怨霊を封じ鎮魂の目的で建てられたのが大神神社。

もう一人は、これは日本書紀にも明確に書かれているが山陰・出雲の主である出雲振根。
この神から崇神は神宝を奪った。
崇神の末裔である現皇室は今もそのお宝を受け継いでいる。
それが皇室に伝わる三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉」だ。

そして振根の怨霊が祟らぬように、呪わぬようにと祀る目的で建てられたのが出雲大社だ。
だから歴代天皇は出雲大社に参拝していない。

国譲りというのは、実際には血を流した革命であるにもかかわらず、前王権に国を譲ってもらったなどという、古代中国を真似た方便。


>また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していたことが、三雲南小路遺跡や平原遺跡などの豪華な出土品から考古学的に明白である


誰でもそうだが、来客は玄関で対応する。
しかし玄関で食事をとり、玄関で寝る人はいない。
つまり福岡というのは単に日本の玄関であるだけで、王が住む地域ではない。
筑紫のような海の向こうに異民族がいる、そんな危険な地域に王権などない。
子供が考えてもわかる。
0187日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/13(木) 23:27:01.80
>>185
>筑紫のような海の向こうに異民族がいる、そんな危険な地域に王権などない。

海の向こうは狗邪韓国といって倭人がおる地域で、おそらくは伊都から北を治めていたという大率の管轄なので心配はない。
そもそも対馬海峡を渡海する技術は博多の海神族の倭王しか保有していなかった。
それゆえに博多は交易を独占し、安全かつ攻めに出ることが容易な王都として列島を代表する覇権を掌握できた。
0188きまん
垢版 |
2021/05/14(金) 01:17:42.46
交易禁止
0189日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/14(金) 06:37:06.85
>>187
女王国にまで至る日数を考えればそんな小さな地域の話ではない。
0190日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/15(土) 21:01:15.80
陸行一月は日本列島の地形からはありえない。
西域の砂漠じゃあるまいし。
帯方郡から水行10日陸行1日なら、九州北岸までで水行を使い果たしているから、福岡県内だぞ。

対馬海峡三千里は夜間航行なしの水行3日だろうから、水行1日が千里というのが魏志倭人伝の前提なんだよ。
帯方郡から狗邪韓国までの七千里が水行7日分。
0191日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/16(日) 07:49:02.03
6世紀に中国から暦が伝わった時に 1200年ごとに聖なる王が生まれ統治するという話も一緒に伝わった。
その時今の王様は偉大な聖王で、でも初代もそうに違いないから、この間を1200年無理に開けようとして欠史8代とか異常な長命とか捏造した。
0192日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/16(日) 10:23:01.03
結果として2600年が一人歩きしてる感がある
twitterとかでギャーギャー言ってる連中の頭の中にはそのへん入ってないんだろうな
0193日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/16(日) 22:26:12.72
>福岡県内だぞ。

王権の謂れも王墓もない。

邪馬台国九州説なんてむなしいだろ。
0194日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/17(月) 00:38:19.87
【筑紫の日向】
筑紫の日向は、しばしば宮崎県のことだと誤解されるが、福岡県のことである。
筑紫の日向の小戸の阿波木原はイザナギが禊をしたところとされており、福岡市西区小戸に比定されている。
この禊で生まれたのが博多に祭られる住吉三神や志賀島に祭られる綿津見三神である。
これらの神を祭る神社の元宮は現人神社(福岡県那珂川市仲)であるとの説があり、弥生時代の倭王であったイザナギの王宮であったとも考えられる。

古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とある。
福岡県の高祖山の南側は、別名をクシフル山とも言う。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の高祖山なら、福岡平野と糸島平野の間にあり朝鮮半島に向かう博多湾に面している。

「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部)

考古学的にも、三種の神器を伴う弥生王墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城が作られ、その中に高祖神社がある。その原型が記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の日向にあった伊都国が倭国の王都であり、高祖山の高千穂宮が倭王である天孫の降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国女王卑弥呼の王城である。

ttp://wi12000.starfree.jp/map/afumi_sawara_map_25.gif
0195きまん
垢版 |
2021/05/17(月) 06:03:24.81
半島から天孫降臨しただのってやつらがそもそも売国奴

それなら日本書紀なんかにも半島が本国って書くはずなんだよ
0196日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/17(月) 07:47:42.26
半島からって言っているのはお前だろ。
売国奴
0197きまん
垢版 |
2021/05/17(月) 08:13:11.08
いつ言った?

その理論を取れば漢族が天孫族としかならないんだよアホ
0198日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/17(月) 08:32:55.95
そもそも日本て新羅のことだし
シラヒース
それは日いずる国

そもそも日本列島の住民が、その地を「日いずる国」だという認識は持たない
0199日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/17(月) 10:16:46.42
>筑紫の日向は、しばしば宮崎県のことだと誤解されるが、福岡県のことである。

筑紫の日向は、しばしば福岡県のことだと誤解されるが、宮崎県のことである。

福岡には神武の先妻・アヒラツ媛の痕跡がないが、宮崎には日南市にある。
0200日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/17(月) 10:24:39.79
>>198

新羅を建国したのは倭人。
神功皇后が屈服した新羅王の門に住之江大神を祀ると古事記にあるが、
それを示すように新羅2代目王が南解次次雄=ナカツツノオ。
そして南解次次雄が娘婿にしたのがのちの4代目王・昔脱解=ソクタレ=ソコタレ=底ツツノオ。

つまり新羅というのは中筒男から底筒男へという住吉さんの華麗なリレーから始まる。
0201日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/17(月) 10:37:47.81
>考古学的にも、三種の神器を伴う弥生王墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。

三種の神器を王権の象徴とする集団が4世紀初頭に大王を産む。
それがハツクニシラススメラノミコトこと崇神だ。
その「三種の神器を王権の象徴とする集団」とは崇神の母系である物部。
福岡にある三種の神器を伴う弥生王墓とは筑紫物部であろう。
崇神が大王になるためには、どうしても倒さなければいけない地域があった。
それが出雲だ。
そして崇神は出雲の主・振根から神宝を奪い殺害する。
その神宝とは今も皇室に伝わる三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉」であろう。

その出雲振根の怨霊が祟らぬように呪わぬようにと魂を沈め慰霊するために建てられたのが出雲大社だ。
出雲大社の祭神は大国主、つまり振根だ。

だから歴代天皇は一度も出雲大社に参拝していない。
0202日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/17(月) 11:18:45.78
住吉三神は女性器の快感を司る神

ウワツツノオ ➡ クリトリス

ナカツツノオ ➡ Gスポット

ソコツツノオ ➡ ポルチオ
0203日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/17(月) 11:46:23.91
フニャチン仲哀は諜殺され、武内宿禰が巨根と超絶テクで神功皇后を絶頂快楽に導いた。神懸かったとはエクスタシーのこと。
0204日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/17(月) 11:50:19.74
魏志倭人伝にあるからな

日本の人々は長寿で、百年、あるいは八、九十年を生きると。
0205きまん
垢版 |
2021/05/17(月) 15:15:16.94
198
成りすまし好きなの?
0206日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/17(月) 16:35:50.56
三種の神器は、アマテラスが天孫ニニギを降臨させる神話には
不可欠なものとされたが、タカミムスヒが天孫を降臨させる神話に
おいては無視されている。

日本書紀に、仲哀天皇が九州を平定しに行ったときに三種の神器
そっくりのものを献上されて喜んだ記録がある。景行天皇も同様の
ものを献上されたことがある。
これはもともと三種の神器が天皇家固有のものではなく、これ
を献上することが大王への臣従の証しということじゃないか?
0207日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/17(月) 19:53:14.38
21代雄略天皇が上表文の478年即位かどうかは置いといて(おそらく違うと思われる)、
31代用明天皇585年即位、15代応神天皇390年即位を基点に20人後と30人後の平均在位を計算し、
そこからさかのぼって神武の時代を考察してきたが、
もう一人、基点となるべき人物がいる。

それは11代垂仁天皇である。

古事記の没年干支から10代崇神天皇318年没の信憑性が非常に高く、
また考古学的にも行灯山古墳が布留1式=4世紀初頭の建造開始であるから、
次代の垂仁を崇神の没後すぐに即位、つまり318年即位と考えて良いのではないかと思われる。

そして神武まで遡ることわずか10人であるから、+30年-10年や+20年-5年と言った平均値の幅も必要なく、
出てきた数字とほとんど等しいのではないかと考えられる。

@ 垂仁即位318年として、神功皇后を含め20人後は29代欽明天皇で在位は571年まで。
571-318=253  253÷20=12.65
平均在位12.65で神武まで10人遡ると126.5.
318-126.5=191.5

神武即位は191年。

A 垂仁即位318年として、神功皇后を含め30人後は、40代天武天皇で686年まで在位。
686-318=368  368÷30=12.266...
平均在位12.266で神武まで10人遡ると122.6
318-122.6=195.4

神武即位は195年。

やはり神武は卑弥呼の時代である。
0208日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 01:05:19.90
『旧唐書』倭国・日本国伝

日本國者、倭國之別種也。
以其國在日邊、故以日本為名。
或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。
或云:日本舊小國、併倭國之地。
其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限、山外即毛人之國。

日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。


『新唐書』日本伝

其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城

王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至るおよそ三十二世、
皆が「尊」を号として、筑紫城に居住した。
※「筑紫」=北九州


(まとめ)
日本と倭国は別種。
日本は東側の小国だったが倭国を併合した。(旧唐書)

日本の王が自ら言うに、日本の最初の王は筑紫にいた。(新唐書)
0209日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 01:06:26.35
大足彦忍代別(景行天皇)が海路で九州に入るとき、筑紫の魁帥である神夏磯媛の出迎えを受け、かわりに朝敵である土蜘蛛を討伐することを求められた。
このとき、神夏磯媛は榊に八握剣、八咫鏡、八尺瓊を掛けて神威を示している。
これは倭国の皇位を象徴する三種の神器そのものである。
日本書紀は神夏磯媛と大足彦のどちらの立場が上であったかぼかしてあるのであるが、
神夏磯媛が筑紫を支配して三種の神器を保有していたのであるから、神夏磯媛こそが当時の筑紫倭国の女王であり、アマテラスやニニギ、卑弥呼の後継者であったと考えられる。
その尊号には筑紫の支配者を意味する帥(そち)の字が使われている。
神夏磯媛は朝廷にまつろわぬ者として、
菟狭(うさ、豊前国宇佐郡、大分県宇佐市)の川上の鼻垂(はなたり)、
御木(みけ、豊前国三毛郡、大分県中津市)の川上の耳垂(みみたり)、
高羽(たかは、豊前国田河郡、福岡県田川市)の川上の麻剥(あさはぎ)、
緑野(みどりの、福岡県北九州市紫川)の川上の土折猪折(つちおりいおり)
を挙げて討伐するように求めるが、いずれも卑弥呼時代の倭国連合の範囲の辺縁部である。
耳垂の名は、魏志倭人伝において投馬国の官と副官である彌彌(みみ)と彌彌那利(みみたり)とも同じである。
大足彦より前とされる神武東征の折にはすでに菟狭の川上には後の宇佐国造家の祖である菟狭津彦と菟狭津媛がいたことになっている。
すなわちこの戦いは異国や異民族との戦いではなく、倭国内部の権力闘争であり、筑紫の女王である神夏磯媛にしてみれば分家(ワケ)である大足彦忍代別の兵力を借りて国内にいる政敵を倒したことになり、
神夏磯媛が言う朝廷は大足彦ではなく、筑紫に都した自らの倭国王権を指していたことになる。
0210日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 05:13:12.36
>>208
>日本國者、倭國之別種也。
>以其國在日邊、故以日本為名。

「日本国は倭国の別種なり」とは「高麗は出自、扶余の別種なり」「百済国の本も亦た、扶余の
別種」と同様に、日本国と倭国を構成する民族は同じだがいちおう違う国であるということだろう。
日本の国名の由来も特に問題はない。

しかし
「或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。」と「或云:日本舊小國、併倭國之地。」は
そのまま信用できるだろうか。

>或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。
だと「倭国=日本国」で、ただ国号を変えただけだから「倭国≠日本国」と矛盾する。
いや、ここは「或云:日本舊小國、併倭國之地。」も含めて信用できない話で
後ろの「其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
(其の人の入朝するは、多く自ら矜大。実を以て対(こた)えず。故に中国焉(これ)を疑う。
云わく…」以降のほうが重要ではないか。
0211日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 05:21:49.03
日本国の使者はどう見ても倭人だが、彼が自分の国について話している内容はどうも倭国のそれ
とは違う。中国がイメージする倭国はおそらく小国だが日本国は「其の国界、東西南北各数千里…。」
と大きいらしい。おそらく「其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。」の正しい日本語訳は
「日本の国の人が入朝したことがあったが、自分の国がいかに大きいかを誇ることが多く、本当のことを
語っていないから中国はこれを疑った」ではないか?

不以實對「実を以って対(こた)えず」は「不実な対応だった」ではなく「(自国について)本当の
ことを答えなかった」(だから中国はこれを「疑った」)が正しいだろう。多自矜大の書き下し文も
「多く自ら矜大」ではなく「自ら大きなりを矜(ほこ)ること多し」あたりが正しいのではないか。
漢文では、「多」には後続する目的語が量的に多いことを表す用法(〜が多い)があるし、
「矜」のような他動詞が「大」のような形容詞を目的語にとることもできるからだ。
0212日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 05:27:44.57
>凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城
「筑紫」という地名については、筑紫国ととるか筑紫洲ととるかで意味が変わってくる。
記紀は天皇家がニニギ以降神武まで九州北部でなく九州南部を治めていて隼人と同族で
あるとはっきり述べている。宋史日本伝では天御中主から彦瀲まで23世代だから、
三十二世は二十三世の誤りだろう。また、宋史日本伝は天御中主から彦瀲まで23世代
筑紫城に住んでいたというが、国常立尊から伊弉諾尊までは日本書紀の異伝の一書
にある系図で、伊弉諾尊より後はどう見ても記紀が完成してからの付け足し系図だろうし
素戔嗚尊も含む23世代の神々が代々筑紫城に住んでいたというなら、九州が古代国家
の中心で、出雲や大和が地方(出向先?)のような神話の構成がされていても良さそうというか、
そもそも広大な領土を含む国産み神話も出雲神話も思いっきり虚構ということでいいのか?
0213日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 05:44:37.48
新唐書には
「或云日本乃小國、為倭所幷、故冒其號。」
というように、旧唐書と逆に
日本が倭国をでなく、倭国が小国の日本を併合して、
しかも国号までも盗ってしまったと書かれてある。
為A所B…AにBされる。

皇室は倭国(九州)の支配者で、もともと東側(近畿地方)にあった
日本国へ(神武天皇が)東征して、そこをもともと支配していた者を
滅ぼすとか追放するとかして自分がそこの支配者になったという、
記紀に合うような記述かもしれない。
0214日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 07:17:58.52
統合されていない九州倭国出身の天皇家が
本州にあった日本という小さい国の支配者に収まり
(しかし本州の広域は出雲系氏族が支配していた)
それから今度は出身地を含む倭国のほか、蝦夷の国との
境界線あたりまで広い広域を支配する国を作ったという
史実があるわけだが、中国側に理解されなかったという
だけでは?
0215日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 07:43:47.86
>>213
全体の流れはいいのだが、少し修正すべき点がある。
神武は饒速日を追放などしていないし、かなりの期間において饒速日の末裔の物部氏はヤマト王権の祭祀と軍事(つまり「まつりごと」のほび全て)を司っていた。
神武らの天皇家は大和盆地の中においてすら実権を掌握していなかった。
天皇家に匹敵する権力を持つ三輪山(物部氏のいたところ)の神というのが何度も登場する。
0216日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 07:45:18.18
>>214
>境界線あたりまで広い広域を支配する国を作ったという
>史実があるわけだが、中国側に理解されなかったという

史実であるという根拠はない。
政権交代後の奈良時代に完成した記紀の一方的な主張に過ぎない。
筑紫倭国側の文書はほとんど残っていない。
0217日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 07:49:05.66
>>212
>素戔嗚尊も含む23世代の神々が代々筑紫城に住んでいたというなら、九州が古代国家
>の中心で、出雲や大和が地方(出向先?)のような神話の構成がされていても良さそうというか、

実際、記紀の神代はそうなっている。
イザナギがいたのもニニギがいたのも筑紫の日向と明記してある。
三種の神器も金印も出土している。
一時的に出雲の大国主が君臨したが、天照が王権を返せと迫り、孫のニニギが豊葦原中国の王となるために筑紫に降臨したというストーリー。
0218日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 08:34:41.91
>>215
>神武は饒速日を追放などしていないし
饒速日より前に長髄彦が住んでいましたよ
饒速日を受け入れて妹を差し出したわけですが
次に神武がやって来ると戦い、最終的に負けて
殺されたのは彼ですよ。長髄彦が神武に勝手に
私闘を仕掛けたように見えますが、実際には
饒速日の部下の将軍として神武と戦ったけれども
主君の気が変わって殺されたというところでは?
0219日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 09:12:28.09
>>217
>筑紫の日向
筑紫国の日向ではなく筑紫洲の日向では?
高千穂の峰に降臨したと言ってるわけですし。高千穂って宮崎でしょ
伊弉諾尊が生まれる前に天御中主以降の神々が既に筑紫城
(筑紫国であれ筑紫洲であれ九州がなければ筑紫城は存在しえない)
に住んでいたとすれば、伊弉諾尊が筑紫洲を産む必要はないはず
ですし、高天原から九州に降臨した神は瓊瓊杵尊でなく
天御中主尊と書くべきところですし、天照大神や天忍穂耳尊も
天(空)ではなく筑紫を治めていないといけません。
天御中主から18世代目の素戔嗚尊にしても出雲国の神様扱いで
筑紫との接点がよく分かりません。新羅から渡来した説が正しいなら
九州北部に上陸していたとは考えられますが。
神武の東征があって初めて日向国と出雲国の神の血が混じったようなもので
素戔嗚尊は伊弉諾尊の子で天照大神と姉弟だは無理やりな神話の設定ではない
でしょうか
0220きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 09:26:15.95
そかそか

中国のやつらに対して天御中主の末裔である!って宣告しとるわけな( ゚д゚)
0221日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 20:41:31.26
高天原というのは金剛山のふもと、今の奈良県御所市高天しかない。
平安・鎌倉の文献でもこの場所と断言されている。
高天原は天上である、あるいは九州であるなどと言うのは江戸時代以降に唱えられた新説であり、それは間違いである。

その高天原に魏志倭人伝に書かれたとおり、径百余歩の塚と奴婢=土蜘蛛が埋葬されている塚(あるいは窟)がある。

その窟を封印している神社が大和盆地最上座の高天彦神社である。
その高天彦神社に九州人が祀られている。
大和盆地最上座に九州人が祀られているのである。
それは宗像三女神の一人・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)である。

これはアマテラスが九州産まれであることとも関連しているのであろう。
0222日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 20:44:33.20
>>217
いや、歴史的な事実はともかく
記紀の神代では九州は国の端っこに過ぎないだろう
天照大神は天の支配者ではあるが、天下の支配者ではないから
大国主に対して王権を「返せ」と主張するのはおかしい
しかし出雲の神スサノオは性質が良くなかった上に
天照大神にさんざん嫌がらせをした結果神々から追い払われたりと
天下の支配者として不適格だという物語を負わされているから
ここに皇祖神がスサノオの血を引く神たちから天下を取り上げていい
という理由づけがされていると考えられる
いわゆる国譲り神話は、皇室が永久に日本列島を支配できる根拠として
不可欠な神話であって、天照がやったことは王権と領土の奪回どころか
奪取と侵略でなければ意味をなさない
また、九州が古代国家の中心であるなら天照から王位と国を授けられたニニギが
初代天皇でなければならないが、初代天皇は大和で即位した神武からだ
これは記紀が大和を国の中心と、九州を国の端っこの田舎とみなしているからだ
天皇家は権威もへったくれもない田舎の豪族から都市へ出て成功した一族なのだ
ニニギは祖母から王位と国の支配権を授けられたにも関わらず、現実には
国の端っこの田舎に住む土地を得たにすぎなかった。どこからともなく九州の田舎
に住み着いたなら、ニニギは帰化人なんじゃないか?と疑う人がいるのも当然だ
何にせよ国譲り神話と天孫降臨神話の間にはとてつもない落差が存在している

まあ、記紀が正しいとは限らず歴史上の事実と合わないよう、筆者が意図的に
改竄している可能性はありうるから、無理に自説の都合に合わせて神話を曲げて読む
必要もなかろう
0223日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 20:55:29.26
三流中央無能が書き込むほど真理から脱線するとう事実」
0224日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 20:58:00.50
>或云:日本舊小國、併倭國之地。

これはおそらく、4世紀初頭の崇神の時代にあった易姓革命=クーデターの事であろう。
崇神は大和三輪山でモモソヒメの夫である大物主・阿田賀田須命を殺している。
阿田賀田須命はスサノオ8世孫である。
その阿田賀田須命の怨霊を鎮め、崇(あが)めるために建てられたのが大神神社である。
大神神社の祭神・大物主とは阿田賀田須命の事である。

もう一人、山陰出雲で出雲振根を殺し神宝を奪っている。
その出雲振根の怨霊を鎮め、崇(あが)めるために建てられたのが出雲大社である。
崇神が奪った出雲の神宝とは、今も皇室に伝わる三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉」である。
出雲大社の祭神・大国主大神とは出雲振根のことである。

だから歴代天皇は一度も出雲大社を参拝していない。
怨霊が怖いからである。
0225日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 20:58:26.68
うちの近所に、ヤマトタケルが弟橘媛の櫛を埋めて陵としたという、由緒ある某神社がある。そこで妹の子が宮参りと祈祷をしたのだが、宮司が「当社は創建1900年の歴史を持ち…」と大真面目に抜かしたので思わず神酒吹いてしまった。
0226日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:00:56.80
出雲大社w(笑)
0227きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:22:44.26
出雲に怨霊がおるなんて話は初めて聞いたぞ( ゚д゚)

天武天皇のときに真っ先に降伏して御神宝を差し出したの出雲じゃねえか

そらよりは銅鐸が発見されたときこれなんなんだ?ってんで調べ回ってるんだぞ
0228きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:25:37.17
それから出雲にあったのは物部氏の屯倉だ( ゚д゚)

つまり兵站基地みたいのがあそこにあったの

出雲と筑紫なんて天皇家直轄の兵站基地じゃねえかよ

むしろ吉備なんかの方が渡来人らの住み着いた地に近いから勢力的には弱いんだぞ
0229日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:28:15.60
>>225
神道も宗教だから仕方がない。宗教家はロクに経典を読まず
その内容も究めない傾向にある。宗教の経典は、神など信じない
ような理数系の人間あたりが精読したり批判的に理屈っぽく読解
したりしてみたほうが意外な発見が多いかもしれない。
宮司が私の見立てでは実際にはヤマトタケルは1670年ぐらい
昔の人で1900年は誤りだと思いますとか言うほうがすごい。
0230日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:35:25.70
>>218
その通りですよ。
結局は筑紫から来た勢力が大和を征服するわけですが、神武が首領だという部分に記紀の嘘がまずあるのでしょう。
長髄彦を倒したのは神武ではなく、饒速日なのですよ。
そして神武を親戚として大和に受け入れたのも饒速日です。
饒速日=物部氏がヤマト王権の実権を持っていたわけです。
0231日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:39:26.11
>>227
>出雲に怨霊がおるなんて話は初めて聞いたぞ( ゚д゚)

振根から神宝を奪い、殺したことは日本書紀に書かれている。
また垂仁の子が生まれつき聾唖であったのは出雲大神の祟りであるから、
出雲大社を立てて祀ると話せるようになったと書かれてる事でも、
垂仁の前王・崇神が振根を殺害したことは疑うべくもない。

>天武天皇のときに真っ先に降伏して御神宝を差し出したの出雲じゃねえか

繰り返すが神宝を差し出したのは振根の弟・飯入根。
それを兄の振根に咎められ、殺される。
その振根も崇神の使者・吉備津彦により殺される。

おもしろいのは出雲神話で悪い兄神に殺される善神・大国主は飯入根、
悪い兄神は振根だと思われる。
0232日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:39:48.62
日本書紀か古事記かのどっちかしか読んいない人どうしが
議論すると話が噛み合わない
0233日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:43:16.60
>>219
>神武の東征があって初めて日向国と出雲国の神の血が混じったようなもので

宋史の記事が記紀と食い違うのはともかくとして、記紀でも素戔嗚は筑紫の生まれですよ。
筑紫の日向の小戸(博多湾の西側)。
日向国じゃありません。
博多住吉の由緒と同じです。
0234日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:44:00.04
>>221
>高天原というのは金剛山のふもと、今の奈良県御所市高天しかない。
>平安・鎌倉の文献でもこの場所と断言されている。

平安鎌倉時代の新説でしょう。
0235日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:46:49.82
考古学的にも山陰出雲で四隅突出墳墓は3世紀まで造られている。
ところが4世紀になると四隅突出墳墓は造られなくなり、代わりに鏡が現れる(神原神社古墳)。
そして4世紀後半には前方後円墳が登場する。

これは4世紀初頭あたりに、出雲に大きな変化があった証拠だ。
そして出雲大社が建てられるわけだ。
0236日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:48:27.78
>>221
>大和盆地最上座に九州人が祀られているのである。
>それは宗像三女神の一人・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)である。

おお、あなたもついに九州説の仲間入りか。
市杵島姫の出自である宗像大社の沖ノ島こそ高天原ですぞ。
三大弁天(神仏習合後の市杵島姫)は厳島神社、竹生島神社、江島神社だから、御所市はそれより格下ですね。
0237きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:48:30.17
頭大丈夫か?

おまえらが勝手に決めていい話じゃねえぞ

歴史を動かして書き換えたらそれは捏造やからな
0238日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:48:45.11
>>234
>平安鎌倉時代の新説でしょう。

平安鎌倉までごく普通に高天原は葛城であると認識されていた証拠。
高天原が九州にあるなんて微塵もない。
0239きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:51:05.74
それから常世の国ってどこを刺すか分かるか?

自分らの祖先らが住んでいた土地を常世の国って呼ぶんだよ
0240きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:51:56.18
中国から来た連中らなら中国がその連中らに取っての常世の国なの
0241日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:52:05.51
>>236
>おお、あなたもついに九州説の仲間入りか。

いや、葛城説ですが。
宗像はおそらく高天原の神々の外戚。
高天原のふもと、名柄遺跡から多鋳細文鏡と銅鐸が出る。
長柄神社の祭神。シタテルヒメの両親である出雲系大国主と宗像三女神のタギリヒメを象徴する遺物だ。
0242日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:54:43.82
>>222
>まあ、記紀が正しいとは限らず歴史上の事実と合わないよう、筆者が意図的に
>改竄している可能性はありうるから、無理に自説の都合に合わせて神話を曲げて読む
>必要もなかろう

ブーメランですよ。
記紀は筑紫の日向を繰り返し王権の座として位置付けています。
考古学的事実とも一致します。
高天原と出雲が例外的に覇権を持っていた時期があると言っても良い。
しかしその間も大山祇・海神一族が博多湾にはい続けていたので、これが中国から見た倭国王家でしょう。
海神とか安曇とか呼ぶ人もいるようですが。
記紀は傍系であった天皇家の祖先の視点でいろいろ歪めているようですが、まるっきり嘘を書いているわけでもなさそうです。
嘘八百を並べるのなら、日本書紀のように異説を長々と紹介するはずがない。
0243きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 21:59:53.46
中国から来た連中らが自分の祖国とも言うべき地に渡るときは

常世渡りって呼ばれるんだよ
0244日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 22:00:46.28
>>233
>記紀でも素戔嗚は筑紫の生まれですよ。
>筑紫の日向の小戸(博多湾の西側)。

伊弉諾尊が黄泉の国から帰ってきて
筑紫の日向の小戸の橘の檍原で禊をして
アマテラスとツクヨミ、スサノオを生み出した
という話は仰る通りですが、私は筑紫洲の日向国の…
でもおかしくないだろうと思うわけです
古事記では「此地は韓国に向ひ…」があるゆえに
あなたのような解釈が出るのでしょうが、日本書紀には
これは書かれていません。
また伊弉諾尊が禊で単性生殖で彼らを産む伝承は
日本書紀では異伝に過ぎませんし、
そもそもアマテラスとスサノオが姉弟だという
記紀の設定じたいが意図的だと言ってるんですよ
0245きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 22:06:56.89
根の堅洲国ってのは日本のことで間違いないと思うよ

つまりこ〜いう認識でなければおかしいの



中国(常世の国)←→日本(根の堅洲国)
0246きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 22:08:41.91
中国から天孫族降臨なんて間違っても書かない
0247日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 22:24:42.45
>そもそもアマテラスとスサノオが姉弟だという
記紀の設定じたいが意図的

自分もそう思います。
これは明らかに魏志倭人伝の卑弥呼の記述をモチーフにした創作。
アマテラスには弟がいて独身。
そして別名が大日孁(おおひるめ)。
これは卑弥呼とアマテラスを同一視して欲しいがための創作。

同じようにモモソヒメの墓を箸墓古墳にして、昼は人が造り、夜は神が造ったなどと、
何やら神秘的な記述。
これもモモソヒメと卑弥呼を同一視して欲しいがための創作。

つまりアマテラスもモモソヒメも卑弥呼ではない。
本当の卑弥呼は神武天皇の陰に隠した。
0248日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 22:38:01.79
>>245

常世の国にある海の向こうの海神の宮...
博多湾を渡ったところにある志賀島ですね。
古代神話って、ほとんどが福岡県内で完結するのです。

黄泉の国など、黄泉比良坂を越えたところにありますが、ヒラは上り坂、サカは下り坂の古語なので、筑紫の日向から峠を越えただけのところです。
近くて宗像や筑紫野、遠くて遠賀川あたりでしょうか。
いずれにしても福岡県内。

市杵島姫は高天原から筑紫の日向に天孫を守護して権威が与えられましたが、沖ノ島と宗像大社の配置から考えると、降臨先の日向は宮崎県になりようがない。
高天原は半島とも大陸とも書かれておらず、海の邑(アマのバル)と解せることからは島であったはず。
それは沖ノ島こそ高天原だと言っているようなもの。
古代最規模の沖ノ島の国家的祭祀は、筑紫や大和など各地の王族の祖であった天照を祭るものであったからこそでしょう。

市杵島姫(弁天)は島に祭るのが習わしです。
海なし県の奈良県の弁天などオマケ。
0249日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 22:38:42.78
>>246
>中国から天孫族降臨なんて間違っても書かない

そんなこと言っているのはあなただけ
0250きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 22:44:49.78
249
中国神話として書くならそお書くよ

日本神話として書く場合は常世の国と必ず表記することになる

おまえば中国神話と勘違いしてるのか?
0251きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 22:45:47.85
その場合は日本の神話として成り立たなくなっちゃうんだよ( ゚д゚)
0252日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 22:46:04.26
日向国は景行天皇が命名したもの。

あと、九州南部の隼人は海幸彦の末裔とされています。
海幸彦は筑紫の日向を追い出された身です。
九州南部が筑紫の日向では矛盾します。
せいぜい副都です。

魏志倭人伝では、帯方郡から邪馬台国まで水行10日(うち7日は朝鮮半島沿岸の七千里)、投馬国(日向国の国府があった都萬?)までは水行20日と併記してあります。
倭王卑弥呼の王都邪馬台国が福岡で、副都投馬国が宮崎ならちょうど計算が合う。
福岡にあったのが筑紫の日向の倭国の宗家。
0253日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 22:46:47.27
>>251

だから、そもそもそんなことを言っているのはあなただけ。
0254日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 22:52:08.51
日本書紀では箸墓古墳という一つの古墳に異例のスペースを割き、
昼は人が造り、夜は神が造ったなどと記述。
読み手はここに何やら神秘性を感じ、卑弥呼=モモソヒメであり、卑弥呼墓は箸墓古墳だと思ってしまう。
さらに垂仁紀に埴輪生誕の説話を載せ、垂仁以前には惨い殉葬があった、
つまり箸墓古墳の時代には殉葬があったと暗に匂わす。

これらすべて意図的。
邪馬台国畿内説スレのスレ立て人のアホの奥山などもすっかり騙されてるわけだ。
0256日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 23:03:56.58
>>248
>市杵島姫は高天原から筑紫の日向に天孫を守護して権威が与えられましたが、
>沖ノ島と宗像大社の配置から考えると、降臨先の日向は宮崎県になりようがない。

なぜ最終的に定住する所までの途中の経路をすっ飛ばしていることを考えないの?
例えば日本書紀の異説ですがスサノオだって新羅から出雲までの足取りをいちいち
残していませんよ?
沖ノ島に住んでいた人が最終的に日向国の吾田まで何世代もかけて移動する
ことは絶対にありえないことでしょうか?渡来人の骨でさえ普通に出るんじゃ
ないですか。
0257日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/18(火) 23:39:54.43
天孫ニニギが高い山に降臨するまでの話は華々しいけど
そこから急に寂れてくるからね
天孫が一人でとぼとぼ膂宍の胸副国(背中の骨のまわりに肉がない
ような痩せた不毛の国)を丘続きに歩きまわって住む国を献上される
とかどう考えても人口密度が低い田舎で出来事だとしか考えられない。
九州北部の人口密度が高い地域に降臨していたら即時に王様扱いですよ
0258きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 23:42:21.71
255
だからその話は日本最初の国造家の話じゃねえの?

古代には自称国家みたいのはあったが律令制で認められた国家は存在せんかった
0259きまん
垢版 |
2021/05/18(火) 23:43:13.21
天武天皇以降に次々と国造家を創始始めてるからね
0260日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 00:14:50.88
>>248
>古代神話って、ほとんどが福岡県内で完結するのです

本州や四国の地名まで出した日本創世神話を
どう読み替えたらそんな解釈が出てくるんだい
日本神話は様々の系統の神話のカット&ペーストだろ
0261日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 01:00:45.24
今福岡土民は穢便器土民系だけどな
0262日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 01:11:11.97
天皇の平均在位年数から推定した結果
神武天皇が卑弥呼と同時代ではありえようし
事績を書き残せていない、后妃や子供たちの数も少ない
欠史八代期間の天皇家が当時大和の男王と言えるだけの
権力さえ持ち得ていたかはきわめて怪しい
神武天皇が死んでずっと後で、子孫が偉大な創業者の
ストーリーをこさえてもらってそれに便乗した疑いが濃厚だ

邪馬台国畿内説であれ九州説であれ、果たして
邪馬台国と初期の天皇が近い関係にありえたかどうか
近い関係にあったから、あえてアマテラスとスサノオを
卑弥呼と弟王になぞらえたり、神功皇后を卑弥呼と台与
を合体させたような設定にしたのか?
倭奴国王や帥升、倭の五王については見事にスルーしている
から彼らとは無関係と言いたい?
0263福岡県民
垢版 |
2021/05/19(水) 03:50:42.95
>>261
エベンキを穢便器と表記する
お前みたいな差別主義者が日本を滅ぼすことに気づけw
そういうこと言うから、日本に生まれてるのに
愛国心が冷めて日本死ねと言う者が量産されるんだよw
0264日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 06:13:55.82
>>262
>天皇の平均在位年数から推定した結果
>神武天皇が卑弥呼と同時代ではありえようし

すまんがそこのところの計算を詳しく書いてくれ。

用明天皇585年を基点にした20人後30人後の平均在位からも、
応神天皇390年を基点にした20人後30人後の平均在位からも
垂仁天皇318年を基点にした20人後30人後の平均在位からも

遡って出てくる神武の時代は卑弥呼の時代だ。

卑弥呼(Bei mei hu)とは夫である神武に先立たれた、
比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、つまりヒメ后ことヒメ蹈鞴五十鈴后の姿だ。
0265日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 06:15:33.14
あぁ「ありえようし」と言ったのか、早とちりだったすいません。
0266日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 07:54:12.52
筑紫から瀬戸内に進出した海人族
「おお、ここに珍しい形の島があるぞ。まるで能古島のようだ」
「我らの故郷の能古島に擬えて能古島(淤能碁呂島)と呼ぼう」
0267日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 08:09:13.42
>>256
>沖ノ島に住んでいた人が最終的に日向国の吾田まで何世代もかけて移動する

記紀の記事からは、何世代もかかったとは読めない。
日向国では他の部分との整合性が取れない。
筑紫の日向は福岡でないと矛盾する。

>>257
>九州北部の人口密度が高い地域に降臨していたら即時に王様扱いですよ

王様扱いですよ。
だからすぐに地元の有力者の大山祇の娘と婚姻しています。
「痩せた不毛の土地」というのは後世の解釈に過ぎない。
おそらく記紀の編者らも、口伝の意味をすでに理解できていなかったでしょう。
記紀では、下々の人間は無視されているのですよ。
天孫は一人で旅なんてしません。
高天原からの家来や途中で合流した猿田彦が、後の段でも登場するので道中一緒だったはず。
おそらくは彼らは輿で移動しており、担ぎ手や荷物運びも多数いたでしょう。
魏志倭人伝からは、当時の倭国における身分格差について述べています。
従者はいても登場人物としては描かれなかったのです。
0268日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 08:15:24.06
>>260
>日本神話は様々の系統の神話のカット&ペーストだろ

これこそ根拠がない一説に過ぎません。
むしろ筑紫の神話を西日本全体にコピペしたイメージですね。
しかも畿内のほとんどの神社がその由来に筑紫が関わります。
スレ主でさえ、宗像の姫を持ち出さざるを得ないくらいに。
玄界灘の海人族が西日本や東日本にまで進出したのは明らかです。
関東や関西の土着の神は実にわずかで、キツネの類しかいない。
0269きまん
垢版 |
2021/05/19(水) 11:18:38.44
バカかおまえ( ゚д゚)
0270きまん
垢版 |
2021/05/19(水) 11:19:45.39
魏志倭人伝の話がなんで天孫降臨の話になるんだよ( ゚д゚)

それがありえないって言ってるんだよ
0271きまん
垢版 |
2021/05/19(水) 11:20:58.71
おめえみたいなこと主張しているんがいたら普通にとっ捕まえて嬲り殺すぞ( ゚д゚)

マジで死んだ方がいいんじゃねえのか( ゚д゚)
0272日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 17:14:16.70
>>267
>記紀の記事からは、何世代もかかったとは読めない。

少し気になるのですか
あなたはまさかイザナギやアマテラス、スサノオ、ニニギを
実在した一人の人物として捉えていませんか?
神が移動すると行っても実際に移動するのは神を祀る人々の集団ですよ。
市杵島姫は神武が東征する際についた来たから大和に祀られて当然でしょう。

神の世代数はさして重要でしょうか
例えばスサノオは八岐大蛇を退治して得た草薙剣を天津神に奉るために
自分の五世孫を遣わしています。事代主神は父が天孫ニニギに国を譲って
ずっと後ニニギの曾孫である神武天皇と神武の子綏靖天皇の岳父になって
います。オオクニヌシはスサノオの六世孫でありながらスサノオの娘の
スセリヒメと結婚しています。神話は史実ではない、神々の世界の出来事
だからこんなことは当たり前です。

神話とは彼らが祀っていた神々を使って実在する人間の天皇が登場する
舞台を準備するために体裁よく「作られた」話として読むものです。
そこには魏志倭人伝の邪馬台国は登場しません。他の史料をかってに付加
して読むことには慎重になるべきです。
0273日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 17:21:44.63
だからスレ主がいうように、大和政権が実在した倭国王の帥升を
スサノオという神話上の神に仕立ててしまったのだとしたら
それはとんでもない大事件です
0274日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 18:19:56.66
日本神話の特徴は個人名と役職名が混在している事。
たとえばスサノオ(個人名)の子は大国主(役職名)みたいな。

これは例えていえば「ヒロヒトの子は天皇」と同じ。
ヒロヒトこと昭和天皇はもちろん、お父さんもお爺さんも天皇。

スサノオの役職名も大きな国の主だから大国主。

逆に三輪山に祀られている大物主や出雲大社に祀られている大国主にも個人名がある。
三輪山に祀られている大物主とはスサノオ8世孫アタガタス。
出雲大社に祀られている大国主とは出雲振根。

共に崇神により殺された神である。
0275日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 18:33:20.50
>>274
>三輪山に祀られている大物主とはスサノオ8世孫アタガタス。

途中までいいことを書いているのに、突然論理が飛躍して台無しだな。
0276日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 18:36:53.18
>>272
>神話とは彼らが祀っていた神々を使って実在する人間の天皇が登場する
>舞台を準備するために体裁よく「作られた」話として読むものです。

それはあなたの勝手定義です。
正直なところ、ニニギの話も神武の話も、細かいところをよく読むとまったく体裁が良くない話がいくつもある。
そんなものを作る理由がない。
作られた部分もあるかもしれないけれど、矛盾の多くは不完全な記録や記憶違いによるものでしょう。
神話のかなりの部分は、史実をその時代の人々がどのように理解したのかというフィルターがかかっているだけだと思います。
0277日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 18:49:38.29
>>268
>スレ主でさえ、宗像の姫を持ち出さざるを得ないくらいに。
>玄界灘の海人族が西日本や東日本にまで進出したのは明らかです。

それはそうなんだが、魏志に書かれている2世紀前半にはいた「其国の男王」は畿内にいた出雲系。
大和朝廷の発祥地・葛城の高天原にいた九州族は宗像三女神、つまり女性である。
0278日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 18:56:38.90
>>275
>突然論理が飛躍して台無しだな。

アタガタスの次が崇神が大阪須恵村から呼んできたオオタタネコ。
大物主を祀る神官である。
これはアタガタスの代でスサノオの直系が途切れたことを意味する。
また先代旧事本紀・巻第四「地祇本紀」ではアタガタスの妻の名だけが書かれていない。
まるで触れてはいけないかのようにスッとスルーしている。
この時代、大物主と結婚したのは倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)だ。
アタガタスに直接手を下したのは妻であったモモソヒメであろう。
0279日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 20:10:11.88
>>276
そういうものじゃない

神話の神々の世代数が合わないのは、
神が想像上の存在であり実在した人間じゃないからだよ。
要はマンガと同じ
実在した人の先祖が国土を産みますか?空から山の上に降りて
これますか。海神の宮の中で生活できますか。出来ないよね。
おとぎ話はまずはおとぎ話として
実際の天皇家(人代以降)の経歴と区別して読もう
何で日本書紀で天孫降臨という神話上の出来事から
ひ孫であるという神武天皇が東征を決意するまで
「179万2470余年」も経過しているか考えてみよう

神武が東征して大和で即位したことは史実として語られているが、
ニニギがアマテラスから国を授けられたという話はフィクション
>>217のように
>一時的に出雲の大国主が君臨したが、天照が王権を返せと迫り、
>孫のニニギが豊葦原中国の王となるために筑紫に降臨したという…
みたいに歴史上の事実として読んでしまってはいけない。
オオクニヌシに同情するあまり朝鮮半島からの侵略者のニニギが
日本を征服したかのように読む人もいるが、これも深読みしすぎだ。

神武の父母や媛蹈鞴五十鈴命の父母は実在した人物だが
それが本当に神話上の神々だったなどというのはありえない話。
0280きまん
垢版 |
2021/05/19(水) 21:06:35.79
だからな( ゚д゚)

そんなんだったならやつら殺しに行くぞって言ってるんだよ

深読みだのなんだのそんな問題ではないの

そおいうセリフが出てくるってことはおまえはそおあって欲しいって言ってるのと同じだよな

はっきり言っておまえみたいな危険物野放しにしてる方が危ねえんだよ
0281きまん
垢版 |
2021/05/19(水) 21:09:00.91
日本に対する尊敬の念も今までは見られなかったな( ゚д゚)

自分が日本人だからだの訳わからないこと言ってのさばるバカもいたぞ

正体さらしてんのと同じだろがよ( ゚д゚)
0282日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 21:35:43.01
>>277
>それはそうなんだが、魏志に書かれている2世紀前半にはいた「其国の男王」は畿内にいた出雲系。

根拠ないですよ。
その直前の後漢末まで、倭国=筑紫なんですから。
0283日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 21:41:21.60
>>279
>実在した人の先祖が国土を産みますか?空から山の上に降りて
>これますか。海神の宮の中で生活できますか。出来ないよね。

国産みは征服したということ。
降臨は空から降りてくるのではなく、都から「降って」来たということ。
海神の宮は志賀島にあるのはご存知でしょうか?海の中といっても、海面下ではなく周りが海という意味です。

>>279
>神武が東征して大和で即位したことは史実として語られているが、
>ニニギがアマテラスから国を授けられたという話はフィクション

ダブルスタンダードですね。

>>279
>神武の父母や媛蹈鞴五十鈴命の父母は実在した人物だが
>それが本当に神話上の神々だったなどというのはありえない話。

つまり、記紀神話の神々は古代の王族のことです。
それは記紀の神代の巻せも同じこと。
ニニギもアマテラスも、筑紫にいた倭王の名前でいいわけです。
0284日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 21:49:00.84
畿内でまとめられた記紀において、筑紫における神代の神話は古すぎるのと、現地の地理感覚がないため、ぼんやりと抽象的になってしまったのでしょう。
記紀の編者らは志賀島も能古島も高祖山も見たことがなかったはず。
だからそれらを美辞麗句で飾り立てるしかなかった。
小戸の橘が、まさか鼻のように突き出た岬のことだとは知らなかったように。
高天原の原が集落を意味するバルだとは知らずに、ハラと読み仮名を振ってしまった。
天が海神族のアマのことだと知らなかったのか知っていたけれども隠したのか?
0285日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/19(水) 23:08:56.61
>>255
残念ですが、仁徳天皇の御製に檳榔の島が出てくる時点で瀬戸内海は脱落です
檳榔の北限は福岡県で瀬戸内海には生えていません
淤能碁呂島は能古島です
0286日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 01:03:57.72
天神は筑紫の日向の倭王のこと。
高天原の天照も出雲の素戔嗚も、生まれは筑紫の日向の小戸。
神武「我々は天神の子なので日の出に向かって戦ってはいけない」
すなわち天神は王都の東側の神奈備に日の出を背にして鎮座するという考え方があったことになる。
伊都なら高祖神社、京都なら八坂神社、奈良なら大神神社(三輪神社)が同じ位置関係にある。
京都を代表する祭祀である祇園祭を行う八坂神社の祭神は筑紫生まれの素戔嗚である。
畿内は筑紫の祖先崇拝の祭祀様式を丸ごと継承している。
全国のほとんどの神社は鏡が神宝で、八坂神社は例外的に矛。
いずれも筑紫を中心として広まった青銅器である。
特に鏡は天照が八咫鏡を自分のかわりに奉斎せよと神勅を下しており、大半の神社は天皇家の祖先神として筑紫で生まれた神を祭っていることになる。
神道の祝詞の中でも最も重要な大祓の祝詞は、筑紫の日向の小戸におけるイザナギの禊について述べている。
そして筑紫の倭王の権威を継承することで天皇家の正統性を主張しているのが正史として定められた日本書紀なのである。
0287日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 01:46:14.36
>>283
>国産みは征服したということ。…
よくある深読みですね。国産みでは戦闘すら起きていない。
国譲り神話より前にもう征服ですか??
イザナギ・イザナミが天津神に生まれてすらいない国があるが
それを治めて来いと言われて国産みに取り掛かる異伝が確かに
日本書紀にはあるが、本文では採用していない。
論理的におかしい出来が悪い伝承だから採用しなかったのだろう。

>降臨は空から降りてくるのではなく、都から「降って」来たということ。
ただの曲解です。文章を素直に読みましょう。

>ダブルスタンダードですね。
なぜニニギが初代天皇でないか理由を考えよう
肉体すら持っているか怪しい神がどうして国の支配者になれる
だろうか

>>279
>記紀神話の神々は古代の王族のことです。
実在した王として何をやったか具体的な業績が書かれていない。

あなたは現代人ですから、現代人の固定観念や常識に
合うように、文章を無意識に読みかえてしまっているのでしょう
思いっきり未開人になったつもりで文章を読みましょう。
0288日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 01:48:15.68
>>280
>深読みだのなんだのそんな問題ではないの
>そおいうセリフが出てくるってことはおまえはそおあって欲しい
>って言ってるのと同じだよな

いいがかりはやめていただきたい
0289きまん
垢版 |
2021/05/20(木) 01:49:56.65
深読みだのなんだのよりこいつらのやってること自分らの願望をそのまんま述べてるだけじゃん

深読みとは言わないのそれ
0290きまん
垢版 |
2021/05/20(木) 02:48:22.30
会社経営だのそんなんに例えて考えていたバカもいたしな

なんでゴミクズ会社と同列に語るんだろ〜か?
0291日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 06:15:57.81
>>282
>>それはそうなんだが、魏志に書かれている2世紀前半にはいた「其国の男王」は畿内にいた出雲系。

>根拠ないですよ。

用明天皇即位585年、応神天皇即位390年、垂仁天皇318年からの20人後・30人後の平均在位から、神武が2世紀末から3世紀初頭の卑弥呼の時代と判明する。
神武が住んだ葛城にはそれ以前の王権があった。
神武はその王権の神の娘と結婚している。
その神とは今も関西を中心に信仰を集めるえべっさんこと事代主。

魏志に書かれている2世紀前半にはいた「其国の男王」とは、
その事代主からスサノオまで遡る系譜以外にない。

その場所に高天原がある。
0292日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 06:29:29.69
>>285
>檳榔の北限は福岡県で瀬戸内海には生えていません

かつてはサンゴの北限は大阪湾の堺あたりであった。
今はすっかり様変わりしたが、大浜海水浴場あたりにもサンゴが確認されていた。
当然、檳榔も自生していたであろう。
むしろ福岡というのは日本海側で冬はけっこう寒い。
0293日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 07:15:58.89
>>287
>国譲り神話より前にもう征服ですか??

征服した土地を譲るわけだから、順序としてはそれでいいでしょう。
そもそもイザナギは天の沼鉾を用いて国土を産んだとあるので、武力征服を暗喩しています。

>>287
>ただの曲解です。文章を素直に読みましょう。

日本語では、都を離れることを「くだる」と呼びます。
新幹線の上り下りも同じです。

>>287
>肉体すら持っているか怪しい神がどうして国の支配者になれるだろうか

神武は実在なのにニニギが非実在だと考える根拠がないです。
ただし畿内にいた記紀の編者らにとって、遠い昔に遠い筑紫にいた王であったニニギは非実在に近い印象であったので、文章のニュアンスに影響したかもしれません。
それでも、陵墓の記載などの体裁は後の天皇についての記事と同じです。
記紀は架空の人物だというのは本文を無視した現代の意見です。
当時の人たちの気分で読みましょう。
0294日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 07:18:26.41
>>292
>当然、檳榔も自生していたであろう。

根拠のないただの願望
0295日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 08:01:55.04
日本書紀本文では神武から数代の皇后は事代主神の血筋だけど
日本書紀一書と古事記では違っている
スレ主は本文支持で孝霊以前は妃がいなかったで間違いない
ようだが、どうして皇后の出自の記録が違っているのか、
みなさんの意見を聞きたい
0296日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 08:24:03.95
そもそも妃だなんだという制度そのものが弥生時代あったという根拠がない。
古事記の方が原典に近いと思われるが、神武とイスケヨリヒメの話には大らかさは感じるものの、当時の婚姻制度が非常に未発達であったことが窺える。
同じことはニニギとコノハナサクヤヒメについても同様だ。
思えば日本では平安時代でさえ緩やかな妻問婚だったわけで、弥生時代にきちんとした制度などなかったであろう。
それこそ後世の記紀の歪曲だ(人物に間違いはないが、弥生時代の記述に奈良時代の制度を持ち込んでいる)。
0297日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 08:28:38.78
ここで神話はほとんど九州内部で完結する
とか言ってる人ってもしや九州王朝説支持者?
0298日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 09:41:44.63
>当時の婚姻制度が非常に未発達であったこと
なるほど確かにそうかもしれません

しかし、外戚が事代主神系(日本書紀本文)か師木県主系(古事記)かでは
話が変わってきます。事代主神系から天皇の母を出すことは、神話上では
国譲りだの言っておいて、実は神武から懿徳あたりまでは関係が良かったのではないか?
という話になります、婿入りの可能性も出てきますが、臣下の師木県主系から天皇の母を
出す古事記ではそうなりません。日本書紀では事代主神と大物主神を区別していますが、
古事記はヒメタタライスズヒメの母を事代主神でなく大物主神だと言っていますから、
おそらくこれはただの伝承の混乱ではなく、古事記に天皇の外戚に事代主神を避ける意図が
あると見ていいと思います。
0299日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 10:57:37.32
天皇の生母

     日本書紀本文                   古事記
綏靖天皇:媛蹈鞴五十鈴命(事代主神の娘)          比売多多良伊須気余理比売(大物主神の娘)
安寧天皇:五十鈴依媛命 (事代主神の娘)          河俣毘売(師木県主の女性)
懿徳天皇:渟名底仲媛命  (事代主神の孫娘。鴨王の娘)    阿久斗比売(師木県主波延の娘。河俣毘売の姪?)
孝昭天皇:天豊津媛命 (懿徳天皇の姪。事代主神の玄孫でもある) 賦登麻和訶比売命(師木県主の女性)
↑ここまで違う。日本書紀と古事記のどちらかが間違いを言っている。wikipediaでは
同一ではないかみたいなことを言っているが女性の名前も生家の表記も明らかに違う以上
信用できない

↓ここから全く同じ
孝安天皇:世襲足媛(尾張連の祖、瀛津世襲の妹)     余曾多本毘売命 (尾張連の祖・奥津余曾の妹)
孝霊天皇 : 押媛(孝安天皇の姪)              忍鹿比売命(孝安天皇の姪)
孝元天皇:細媛命(磯城県主の大目の娘)          細比売命(十市県主の祖の大目の娘)
開化天皇:欝色謎命(穂積臣の祖、欝色雄命の妹)      内色許売命
0300日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 11:31:27.74
>>299 訂正
孝昭天皇より前でも
媛蹈鞴五十鈴命と比売多多良伊須気余理比売だけは似ています
あと、孝安天皇以降では孝霊天皇の生家が違っていました
0301日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 11:33:05.52
また間違えた
孝霊天皇の生家 → 孝元天皇の母の生家
0302日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 11:44:41.56
>>294
>根拠のないただの願望

国生み神話でイザナギとイザナミが交わって最初に生れたのは淡路島。
つまり国生み神話は東瀬戸内が舞台。

また考古学的にも、前方後円墳の発祥が東瀬戸内であることが最近になって判明してきた。
円形に突出部が付いた前方後円墳の祖形のようなものが東瀬戸内で多く発見される。

また上の画像にもあるように、その前方後円墳と沼島(=オノコロ島)の遠景が酷似。

このような圧倒的な証拠に対して福岡の出る幕はない。
0303日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 12:31:08.14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1576883426/227

これは納得。日本書紀を前提とするか古事記を前提とするか
で話が平行線になるしくみ。このスレの趣旨に沿って
卑弥呼や台与を帥升の血筋の女性と見なすならば
日本書紀のほうでは帥升の存在を神話化して消し去ろうとし
古事記で皇室と帥升との血縁関係をも消し去りたかったというのが見えて
きそうだね?安寧天皇の子息石耳命の娘である天豊津媛命(台与?)と、
磯城県主の太真稚彦の娘とされる賦登麻和訶比売命を同一扱いすることは
どうあがいても不可能。

いやいや、そこは深入りし過ぎで、あくまでも古事記の目的は
先に大和を支配していたスサノオ王家をいかに敗者として小さく貶め、
神武は初代から大王だったんだということを印象づけたかった程度のことだろう。
0304日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 13:11:29.27
>>302

能古島がありますよ。
倭王帥升らが博多湾岸の王であったのなら、記紀神話が福岡を舞台とするのは当然のこと。
後に地名を西日本全体にコピペしたのでしょう。
0305日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 13:15:50.21
>>303
>神武は初代から大王だったんだということを印象づけたかった程度のことだろう。

そもそも神武は天皇家の祖先ではあるけれど、実力者ではなかったのでしょう。
奈良盆地の中でさえ、三輪山の神やら磯城県主やら饒速日やらがいる(彼らの相関は明記されていない)。
特に県主は実質的には天皇家から独立した豪族に読めます。
これは大和でも筑紫でも同じ。
0306日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 13:18:56.80
>>297
景行天皇紀を読むと、天皇は九州の状況をほとんど把握していないただの暴れものですね。
まあ、中世でも木曾義仲など同じ雰囲気なので、しょうがない。
少なくとも、確実な全国統一政権が確認できるのは、律令制以降です。
6世紀までは筑紫は畿内に対してかなり独立していた。
0307日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 15:21:45.58
>>304
>能古島がありますよ。
倭王帥升らが博多湾岸の王であったのなら、記紀神話が福岡を舞台とするのは当然のこと。


例の志賀島発見の金印から倭王帥升あたりが博多湾岸の王ではないかという説があるが、
金印の志賀島は倭国の極南界ではないし、巨石が見つからないので、あの発見自体が捏造であろう。
倭国王帥升はスサノオであり、神武の義理父・事代主の数世代前の人物であり、大和の高天原にいた。
0308日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 15:24:27.48
>>303
>先に大和を支配していたスサノオ王家をいかに敗者として小さく貶め、
神武は初代から大王だったんだということを印象づけたかった程度のことだろう。

まったく賛成です。
0309日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 15:25:28.33
>>307
>金印の志賀島は倭国の極南界ではないし、巨石が見つからないので、あの発見自体が捏造であろう。

実際には糸島市の細石神社にあった。
0310日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 18:25:08.93
>>309

ということは志賀島での発見自体が捏造という事だね。
つまりあの金印に何の価値もなし。
もちろん金なので溶かしたらそれなりの価値はあるが。
0312日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 20:57:34.70
何はともあれ神武天皇は実在した人物であることはほぼ確定した
事実なんだね。

神武+欠史八代がちょうど邪馬台国の女王時代と重なっている
可能性が高いというわけか。

建国年代をひどく誇張している上、最初は実力者ではなかったということや、
被差別部落との関り疑惑まで浮上しているし、神代はどこまでの史実を含むか
神武天皇より前の先祖が九州においてどの程度の権力を持っていたか、
九州北部と南部のどちらが神武の故郷だったか、など解明すべき問題はまだある
わけだけど、天皇家が継体天皇以来1500年どころか1800年の経歴を持っている
ことは世界に誇っていい。右翼が大喜び?
0313日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 21:02:46.48
日向三代を祭神とする神社は神代、上代の創建伝承を持つものがあるが、神武を祭神とする古い神社ってある?
橿原神宮は明治の創建だし。
0314日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 21:22:01.63
明治は全国統一で伊勢神宮までものにした
江戸時代は幕府管理だったらしい(伊勢神宮)

よく知らんけど。聞いた話
0315日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 22:53:48.75
>>302
そうやって空想だけで話を進めるから畿内説は敗北したんだよ
檳榔が瀬戸内海に生えていたという根拠は何一つ無い

一方福岡の小呂島には海流によって種子が運ばれたとは思えない断崖の上に檳榔が生えていて
祭祀目的で人為的に植えられたと考えられている
仁徳天皇御製にある檳榔の島は小呂島であり、淤能碁呂島は能古島
0316日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 23:01:59.04
>>313
>神武を祭神とする古い神社ってある?

それがほとんどないのだ。
大和には数社あるが、さほど古くはない神社ばかり。
だから唯一、古くからあると思われるのが>>311で示した御所市柏原の神武天皇社。
この神社が延喜式神名帳にあるかどうかは分からない。
ただし当時存在した神社が全部延喜式神名帳に記載されているとも思えないからね。

どちらにしても橿原神宮などは明治になって建てられたのだから論外。
0317日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 23:04:38.64
>>315
福岡よりはるかに暖かいのだから普通にあったでしょ。

どちらにしても国生み神話で最初に生まれるのが淡路島である事実は変わらない。
また前方後円墳の発祥が東瀬戸内である事実は変わらない。
福岡の出る幕はない。
0318日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 23:45:45.99
>>317
>どちらにしても国生み神話で最初に生まれるのが淡路島である事実は変わらない。

後世の創作。
筑紫からのコピペ。
0319日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 23:46:56.55
>>317

前方後円墳は饒速日の墓制
0320日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 23:49:21.70
神武が政権を担っていなくてただの奈良盆地のかた隅にいた弱小氏族の長だったのなら、その妻も皇后などではない。
当然、倭王卑弥呼も関係ない。
0321日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 23:49:26.40
天津国

記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾にある能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭は博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。
天津神(天皇家の祖先)が治める天津国すなわち倭国は対馬海峡にあり、王都は後漢書では倭奴国、記紀では筑紫の日向、すなわち博多湾沿岸とされている。
倭国女王であった卑弥呼の王城も筑紫に求める他ない。
0322日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 23:51:41.30
筑紫の倭王が倭国大乱でその地位を失い、大叔父のいた大和に落ち延びて細々と暮らしていたというのが真相。
次に倭王を名乗ったのは、筑紫の戦乱を治めるために共立されて卑弥呼。
0323日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 23:53:52.59
高天原の天津神が国津神を下して筑紫に天孫族の政権が誕生したというのが出雲国譲りから天孫降臨までの記紀のストーリー。
後期渡来系の海洋民族が、先住渡来系の農耕民族を支配下に置いたということだ。
先住と言っても、水稲を行なっているから弥生人であり、江南など南方の農耕民族である。
つまりは南方の海洋民族と農耕民族が、時差を持って筑紫に上陸したのだ。
考古学的にも、博多湾沿岸には多くの文化が流入し、複数の氏族が同居していて、ここからさらに西日本や東日本に播種していったことがわかる。
その主役が、海運を担った博多湾沿岸の海人族だった。
彼らの所在地の一つが高天原であり、原が九州では集落を意味する語であることを考慮すると、高天原は海人(あま)の都という意味になる。
長年にわたり国家的規模の祭祀が行われた沖ノ島は高天原の候補となるだろう。
高天原から筑紫に降臨する天孫を守護したのが宗像だったのも、高天原を沖ノ島、降臨した筑紫の日向を福岡市西部と考えると地理的な整合性も高い。
高天原から筑紫に降臨した天孫族は、代々にわたり志賀島の海神と婚姻関係を深めていく。
高天原は綿津見の竜宮城とも意味が通じている(同じものだというわけではない)。
おそらく、博多湾沿岸には何波にもわたり渡来人が入植したのだろう。
海人による倭国の建国こそ、玄界灘沿岸を起源とする弥生文化成立の本質であり、記紀伝承の主旨である。
0324日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/20(木) 23:58:06.72
弥生初期
九州 イザナギにより能古島で倭国建国、稲作拡大
本州 スサノオが日本海から全国へ農業を広める

弥生中期
九州 大山祇らによる倭奴国の最盛期、前漢に朝貢し内行花文鏡をもらう
本州 大山祇の子である三島溝杭耳らにより瀬戸内から近畿の稲作が拡大、出雲に大山祇の曽孫の大国主が日本海を支配

弥生後期
九州 伊都に遷都した天孫ニニギらが後漢に朝貢し金印と内行花文鏡をもらう
本州 出雲の国譲りで大国主が失脚、三島溝杭耳の末裔である鴨一族と天孫ニギハヤヒの王権

弥生末期
九州 倭国は乱れ天孫族が九州を脱出、収拾のため伊都で共立された卑弥呼が、滅亡した漢王朝のかわりに国産の内行花文鏡である平原遺跡の八咫鏡を製作
本州 ニギハヤヒの物部王朝に神武が合流して大和王権の基礎となる

古墳時代初期
九州 再びの乱を収拾するため壹與共立へ、続いて八咫鏡を継承した神夏磯姫が景行と共闘、沖ノ島の合同祭祀の規模拡大へ
本州 崇神により大和王権は拡大征服路線へ、八咫鏡を宮から追放し伊勢へ

古墳時代前期
九州 仲哀が筑紫に迎えられるが崩御、神功皇后が神夏磯姫の末裔の田油津姫を倒し筑紫を統一へ
本州 神功皇后の子で筑紫倭王であった応神による統一王朝へ
0325日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 04:27:13.67
>筑紫の倭王が倭国大乱でその地位を失い、大叔父のいた大和に落ち延びて
>細々と暮らしていたというのが真相。

神武の「大叔父」が天火明命=饒速日命てことかな
そこは単に同じ天つ神系であったと捉えればいい話だろう。
神話の神々の世代数を実在した人物の世代数と安易にみなす
ことは危険だ。神と人は別者で神話と歴史も別物だから。

形式上神武天皇は伊弉諾尊から7世代目で、天照大神と素戔嗚尊が
姉弟関係にあったりするが、そういうのは所詮は神話上で構築された
父子関係や兄弟関係にすぎないだろう。

日本書紀では神武天皇は東征を決意したとき(いくらか水増しされ
ているかも知れないが)45歳だったとされる。神武は四人兄弟のうち一番下で
ある上に、手研耳命という成人していると考えられる息子がいる。
 天火明命は神武天皇の曽祖父である瓊瓊杵尊の息子あるいは兄ともされる。
そんな人物が神武が東征したときまで生きていたはずがない。100歳を超えて
しまう。

あるいは神武が東征した時には饒速日命は既に死んでいて、生きていたのは
息子の可美真手命だったのかな。
可美真手命から14世代目が武烈天皇から宣化天皇朝までの大連である物部麁鹿火だ。
神武天皇から継体・武烈天皇までもおそらく20世代でなく14世代ぐらいかもしれない。
このスレの趣旨にも合う。
0326日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 04:34:59.22
(補足)
>神話の神々の世代数を実在した人物の世代数とみなすことはできない
>そういうのは所詮は神話上で構築された父子関係や兄弟関係にすぎないだろう。

日本書紀では媛蹈鞴五十鈴命の父を事代主神だとしているが
事代主神が生身の人間だとして父大己貴命が天孫瓊瓊杵尊に国を譲り
自分も海中に退去した後、瓊瓊杵尊のひ孫である神武の妻となる女性が
生れるまで生きていたわけがない。だがそれがまかり通る。素戔嗚尊が
何世代も後の子孫と共に行動をする話もある。
 また塩土老翁は伊弉諾尊の子であるとも言われているのに、本当に
瓊瓊杵尊と初対面である書き方だ。
 日本書紀が言っているように、皇祖が高皇産霊尊で瓊瓊杵尊がその孫で、
高天原に生れた高皇産霊尊と、天地開闢後に国常立尊から自然発生した、
あるいはその子孫である伊弉諾尊とが別系統であれば塩土老翁と瓊瓊杵尊が
初対面で何もおかしくない。

なお宋史日本伝に高皇産霊尊の名は記載されていない。宋史では歴代の神々はずっと
筑紫城にいたわけだから、皇祖たる高皇産霊尊は外から渡来した神ではないだろうか。

天と高天原はよく読むと違うようだ。国常立尊が国土を支えているのに対し、
天は特に司っていた神がいない(からっぽ?)か天常立尊が司っていた、空とか
宇宙空間とでも言っていい。一方、高天原は天御中主尊・高皇産霊尊・神皇産霊尊が
生まれたところだ。天照大神が天と高天原のどちらの職掌を持つかは伝承によって変わる。

実は高皇産霊尊こそが天孫を守護させるべく市杵島姫らを遣わした神ではないか。
高皇産霊尊は高天原の最高神であるから、伊弉諾尊から命令を受けたり、素戔嗚尊と
誓約をしたり素戔嗚尊からいじめられたりするわけにいかず、その役目を天照大神が
担わされたのではないだろうか。
0327日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 05:03:50.14
宋史日本伝では、国常立尊から伊弉諾尊までの5世代の男神の系図は日本書紀の異伝と
一致するが、記紀で神世七代と似た名前の男神たち(女神はいない?)の順序が断片的に
国常立尊より前にデタラメに羅列されている。しかも伊弉諾尊の子素戔嗚尊が天照大神
の父であるというトンデモない話だ。
 神世七代は無機質な国土が水分に潤されて生命が湧きだし自然と人が形作られるような
神名のイメージから考えて後から作った話だろう。もともと系図が男神だけだと自然発生的に
女神を登場させる必要が出てくる。男の神は伊弉諾尊みたいに禊で子供を産み出せるが、
ヒトである天皇は交接する相手の女性がいなければ子供を作れないから、中国の陰陽二元論
を借りて神々の順序を作り替えたり女神を作りだして生身の天皇と繋げるわけだろう。
日本書紀は伊弉冉尊をきちんと三貴神を産んだ母に位置づけている。ところが夫と共に
素戔嗚尊に根国行きを命じると急に消えていなくなるか、異伝で黄泉の国へ行ってしまう。

伊弉諾尊は九州か瀬戸内かどちらか迷うが
(伊弉諾尊は国産みを終えると淡路島にかくれた。履中天皇が淡路島で狩りをした
ときの記事に登場するし、今もその地の神宮で祀られている)、
天照大神と月読尊は九州生まれ、素戔嗚尊が新羅から出雲に渡来、その孫とされる
事代主神が神武より先に大和まで行ったように、神話はもとの形があるのかもしれない
が、結局は複数の系統のものをまとめたものと読み取って間違いないだろう。
0328日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 05:34:56.66
>伊弉諾尊は国産みを終えると淡路島にかくれた。
もともと淡路島周辺で信仰された神だったからだろう。
記紀筆者は伊弉諾尊を国土や神々を産む神話に利用した後は
もといた場所に戻した。伊弉諾尊と伊弉諾尊の間に生れた島々は
記紀成立当時、朝廷が自国の領土の範囲を確定するために
最低限押さえておきたかったところだろう。

葦原中国平定神話で素戔嗚尊と天照大神との誓約で生まれた
天穂日命が天から大己貴命のところへ遣わされたのに
ロクに任務を遂行せず、大己貴命に仕えてしまったのも
もともと出雲の神だったから、天照大神が誓約で素戔嗚尊から
取り上げていたのをもとの場所に戻したというだけだろう。
0329328
垢版 |
2021/05/21(金) 05:56:00.26
訂正
伊弉諾尊と伊弉諾尊の間に生れた島々は

伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生れた島々は
0330日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 06:40:48.55
>>319
>前方後円墳は饒速日の墓制

そうかもしれないが、ニギハヤヒが居たのは吉備であろう。
先代旧事本紀ではニギハヤヒに随伴する筑紫物部も播磨物部も讃岐物部も三人称複数形で出てくる。
「彼ら筑紫の物部は・・・」「彼ら播磨の物部は・・・」という感じで。

では主役、一人称はどこかと言えば、それらに囲まれた有力地域は吉備しかない。

学者はいまだに認めないけど、箸墓古墳のある纏向遺跡は物部の遺跡だ。
ニギハヤヒやウマシマジの時代から始まり、纏向で崇神が産まれるが母親は物部。
更に物部守屋の領地でもあった。
考古学的にも吉備の強い影響を受けているのが纏向であり、桜井市吉備という地名まである。
0331日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 07:32:00.92
【天孫】というのは高天原(=葛城金剛山)にいた神々の末裔。
いわゆる「天(アマ・アメ)姓」が天孫。
ニギハヤヒには腹違いの2人の子・ウマシマジと天香久山命がいたが、
天香久山命は天孫、お母さんが天道日女命であり、尾張氏の源郷・高尾張邑にいた。
高尾張邑とは径百余歩でとなりに土蜘蛛塚がある高天原にある。

ヒメ(蹈鞴五十鈴)后の兄・天日方奇日方も「天姓」であるゆえ天孫である。
トヨこと天トヨ津媛ももちろん。
魏志倭人伝に出てくる「宗女」の宗とは天姓のことであろう。

さらに葛城を出自とする蘇我も天孫であったのだろう。
が蘇我が倒された乙巳の変(いっしのへん)以降、物部が天孫の地位を乗っ取った。
そしてヒメ(蹈鞴五十鈴)后や天日方奇日方の父・事代主までも地祇に堕とされた。
0332日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 07:40:46.59
>>324
すみません。できればそれぞれの出来事に推定年代を
割り振ってもらえませんか。
0333日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 07:41:45.48
系譜の混乱をいくら指摘しても、非実在性を証明したことにはならない。
0334日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 07:43:31.82
>>328
>記紀成立当時、朝廷が自国の領土の範囲を確定するために
>最低限押さえておきたかったところだろう。

つまりは後世の思想が反映されている。
本来は弥生文化発祥の地である博多湾の能古島の話だった。
0335日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 07:44:13.28
天津国

記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾にある能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭は博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。
天津神(天皇家の祖先)が治める天津国すなわち倭国は対馬海峡にあり、王都は後漢書では倭奴国、記紀では筑紫の日向、すなわち博多湾沿岸とされている。
倭国女王であった卑弥呼の王城も筑紫に求める他ない。
0336日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 08:16:56.82
>>332
古くなるほど年代は100年単位であやふやになるから難しい。
ただし前漢鏡しか出ない遺跡は紀元前だろうし、後漢鏡が出る遺跡は紀元後だろうかなという程度。
明確に国産鏡に切り替わった平原遺跡は、後漢が滅亡した後の三国時代、つまり卑弥呼の時代なのだろうなあとあう程度。
記紀の年代は当てにならず、神功皇后は120年繰り上がっているらしい。
それらをすべて正確に補正するのは難しい。
0337日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 08:18:15.60
【平原遺跡の年代について】

・平原の管玉と同類のものは、日本からは出土せず、
韓国の江原道東海市松亭洞一号住居跡や慶尚南道金海郡良洞里三四号木椰墓から多量に出土していて、
時期は、共伴している土器や鉄器から三世紀前半から四世紀と考えられている

・耳璫も晋代(265 – 316年)前後に特徴的な特殊な形状のもので、
漢末から六朝初期に造られたと推測される浙江省杭州老和山搏室墓から出土したものと同型である。
金層ガラスを用いて作られているが、国内のその他の金層ガラスは4世紀以降の出土例しかない。

結論
平原遺跡は倭国大乱より後の3世紀中頃、卑弥呼の没年の前後に作られた王墓であろ。
副葬品に武具がほとんどなく宝飾品が大量にあったことから被葬者は女性であったと考えられる。
副葬品は宝飾品に五尺刀を一振りだけ加えて三種の神器の様式を整えてあったことから倭王であったと考えられ、年代も合わせて考えると倭王卑弥呼の墓である可能性が高い。
0338日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 08:18:46.46
>>333
>系譜の混乱をいくら指摘しても、非実在性を証明したことにはならない。

私が神を実在した人物と違うと言ってることかな。仕方がない。
>イザナギにより能古島で倭国建国、稲作拡大
>スサノオが日本海から全国へ農業を広める
>大山祇らによる倭奴国の最盛期、前漢に朝貢し内行花文鏡をもらう

これが史実であれば日本書紀がそれを記載している。
曖昧な表現で記したり意味を伏せて書く必要はない。そもそも
神武天皇以前の先祖も実在した王様であればその史実だけを書けばいい

人間の王が実際にしたことは書き残せるが、神がやったとされるものは、
例えば素戔嗚尊が大八洲国を青い木々で満たしたというようなド派手な行為で
史実性を欠く。
0339日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 08:28:32.38
>>338(続き)
それとも古代天皇の系譜の混乱について仰ってるなら
その通りで、非実在性の根拠にはならないと思う。
というか、そこまで無茶苦茶でもないというか
ある程度復元はできるんじゃないかな
0340日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 08:47:51.50
>>334
>つまりは後世の思想が反映されている。
それは間違いない。初めは矛で海をかき回したら
国ができた程度の単純なものだった。
ただオノコロジマ?はどこだったみたいな話になると
難しい。
0341日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 08:49:31.85
瓊瓊杵尊のころは580歳くらいが寿命だった
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメ(オオヤマツミ)の誓約の件で寿命は縮んだ

大国主は180人子供がいるというので、当時の寿命はそのくらい
0342日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 10:55:09.08
>>263
おやおやw 穢便器如きのゴミが威勢がええねwww
0343日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 13:18:53.33
>>338
>例えば素戔嗚尊が大八洲国を青い木々で満たしたというようなド派手な行為で

単純に、苗木を運んで植林をしたということを派手に書いただけでしょう。

>>341
>大国主は180人子供がいるというので、当時の寿命はそのくらい

男性なら一年に何人も子供は作れる。
ある程度は誇張された数字かもしれないが。
景行天皇は80人だったか?
0344日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 13:19:47.95
筑紫から瀬戸内に進出した海人族
「おお、ここに珍しい形の島があるぞ。まるで能古島のようだ」
「我らの故郷の能古島に擬えて能古島(淤能碁呂島)と呼ぼう」
0345日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 16:32:46.83
>>337
>年代も合わせて考えると倭王卑弥呼の墓である可能性が高い。

時代は卑弥呼の少し前だし、大きさも違う、また殉葬奴婢百余人を説明できない。
また2世紀前半の其国の男王から続く首長墓を説明できない。

平原曽根遺跡群の曽根は物部に関わる名称。
おそらく筑紫物部の墳墓であろう。
0346日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 16:54:09.57
卑弥呼の墓の殉葬奴婢百余人について、
日本には王の死に際して奴婢を強制的に伴死させるような惨たらしい習慣はない。
では魏志倭人伝の殉葬奴婢百余人の記述は何なのか。

その前に、崇神天皇を4世紀前半として、それ以前に奴婢あるいは奴婢になったであろう集団を、大量殺戮した記述はないのか。
もう一度よく探して見ればいい。

あるだろ。
それは神武東征紀に書かれた大和での土蜘蛛誅殺だ。

神武軍による土蜘蛛誅殺の場所は計4か所だが、
今も土蜘蛛が眠っていると伝わる場所は一地域の2箇所。

その場所は葛城の一言主神社参道、そして高天彦神社参道だ。
その古来から高天原と呼ばれた高天彦神社参道に径百余歩の「冢」がある。

卑弥呼の墓は大和朝廷発祥地であり日本神話の原点「高天原」にあった。
https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111.jpg
https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111_2M.jpg

単純明快な結論だ。
0347日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 19:52:58.35
>>345
>時代は卑弥呼の少し前だし、大きさも違う、また殉葬奴婢百余人を説明できない。
>また2世紀前半の其国の男王から続く首長墓を説明できない。

三雲南小路遺跡など、平原遺跡級の王墓が周囲にあるので、先代の男王たちの墓も揃っている。
それらはいずれも三種の神器を副葬された倭王の王墓だ。
3世紀の大和にはそのような王墓はない。
平原遺跡の周囲には殉葬の痕跡もあると言われている(甕棺の中にない骨は消えてしまう)。
時代についても、後漢滅亡後(倭国大乱後)の最初の女王墓であり、まさに一致する。
0348日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 19:53:31.45
>>345
>おそらく筑紫物部の墳墓であろう。

物部氏の墓制は前方後円墳。
0349日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 20:49:24.26
平原が大王級など、到底認められない。小さすぎる。
だいたい卑弥呼が誰なのか言えていない時点で九州ではありえない。
0350日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 21:01:44.42
大王だなどと誰も言ってない。
倭王だ。
そして倭とは狗邪韓国から倭奴国までの広がりしかない、対馬海峡の国だ(後漢書)。
0351日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 21:07:51.65
平原と言う小さな方形周溝墓は地域の首長墓程度。
倭王などとはおこがましい。
0352日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 21:17:10.26
倭国とは青銅器文化圏。
弥生時代からすでに西日本全般がその範囲。
卑弥呼を生んだ王権はその青銅器文化圏の頂点にいた。
銅鐸という祭器が弥生中期から畿内に移動してることから、
その王権は畿内にあった。
唐古鍵遺跡などはその一端。
0353日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 21:22:46.70
タブレットなので打ちにくいから明日またゆっくり説明する。
王権の話なので、王統が伝承されていない地域=九州に卑弥呼はいない。
0354日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/21(金) 22:53:59.94
>>352
>卑弥呼を生んだ王権はその青銅器文化圏の頂点にいた。

博多湾沿岸ですね。

>>353
>王権の話なので、王統が伝承されていない地域=九州に卑弥呼はいない。

神代の王都、筑紫の日向。
天孫邇邇芸から始まる日向三代や、その祖父の代にあたるイザナギイザナミは博多湾に伝承がある皇祖です。
筑紫の日向の小戸でイザナギが禊をし、そこから住吉三神や天照らが生まれました。
大和よりはるかに古い王権の所在地です。
0355日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 07:57:21.74
なぜイザナギは出雲からいきなり日向へ行ったのか。
0356日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 08:13:59.95
>>348
>物部氏の墓制は前方後円墳。

それはそうなんだが、平原もやがてワレ塚古墳など前方後円墳になるということは、
弥生後期の前方後円墳勢力、この場合は東瀬戸内だが、その前方後円墳勢力の主力ではなく一端であっただけという事。
つまり筑紫物部の本拠であろう。

あと小さな方形周溝墓が卑弥呼の墓などとは勘違いにも程がある。
0358日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 08:23:17.01
>>王権の話なので、王統が伝承されていない地域=九州に卑弥呼はいない。

>神代の王都、筑紫の日向。
天孫邇邇芸から始まる日向三代や、その祖父の代にあたるイザナギイザナミは博多湾に伝承がある皇祖です。
筑紫の日向の小戸でイザナギが禊をし、そこから住吉三神や天照らが生まれました。
大和よりはるかに古い王権の所在地です。

まず卑弥呼が誰なのか答えられてない時点で粗論。
応神即位390年、崇神没318年、ほらあともう少しでトヨだ。
その3世代前に卑弥呼がいるはず。
邪馬台国九州説では全く答えられないだろ。
0359日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 09:01:57.11
>>341
まあ、神はあくまで想像上の存在だからね。
>>343は分かってなさそうだけど。
史実では彼らのモデルとなった人物がいて、彼(彼女)が
何らかの業績を残した王様だったとしても
神話はそういった過去を綺麗にぬぐい去ってしまう。

(本当に帥升=スサノオかは分からないけど)
帥升がスサノオへ神話化された途端に「生口160人を捧げて朝貢し、
後漢・安帝に謁見したいと土下座した」という王としての事績は
消えてしまう。神は自然現象で以って応える以外に人間界に対して
できることはない。
0360日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 09:02:43.34
古代人ならまだしも、現代人が初代天皇の曾祖父は
580歳ぐらい生きていたけど、コノハナサクヤヒメと
イワナガヒメの誓約の件で寿命は縮んだとか本気で
信じていたらマジでヤバいよ。それこそ日向三代の墓を
掘り返して彼らの寿命を調べてみないと。

もともと神々は人間如きは足元にさえ及ばない長寿者であって
到底死ぬことなどありえない存在だという前提があって、
その誓約は、先祖が神々でありながら天皇はなぜ死ぬのかを説明するために
拵えられたものだよ。天皇は人間であって神ではないから当然さ。
0361日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 09:47:28.68
日本書紀によると「天孫降臨から179万2470余年が経っている」
と神武天皇が東征を決意した時に言っている。
あらあら天孫降臨は弥生時代の出来事じゃないの?

偽書とされる神道五部書の二つ『倭姫命世紀』、『神祇譜伝図記』によると
ニニギ 31万8543年
ホオリ 63万7892年
ウガヤフキアエズ 83万6042年

実際にここに込められた意味なるものを一生懸命に読解しようという人たちがいる。
これは史実ではないなあ。日本列島には誰一人住む人はいなかった。
ニニギは新人ではなく原人だったのか。
0362日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 10:05:07.49
>>359-361
神代を後付けのおとぎ話だと断言し
日本の神々を信じないキリスト教徒か
無神論者の書き込み
0363日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 11:16:53.96
神の概念の問題。

日本ではキリスト教のような創造主ではなく、地域の主さんが神、神様。

もし古代日本が白村江に勝っていたら、神武127歳などと時代を引き延ばす事はならなかったであろう。
倭国帥升がスサノオであることも普通に書かれていたと考える。
それは中国に対して精神的優越感があったからだ。
「はい107年、日本はスサノオが土下座朝貢しました、
でもね、今はあの唐に戦争で勝ったのですよ。
凄いよね日本は。」となってたであろう。

ところが白村江で敗れた。
その様な劣等感の中でかつての土下座朝貢を未来に書き残せるわけはない。
自尊心がズタズタだった。
そのような対中劣等感は江戸時代まで続き、明治になって日清戦争に勝つことでやっとこさ拭えた。

現代人で中国に対して精神的劣等感を持っている奴なんて一人もいない。
0364日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 11:17:58.70
× 神武127歳などと時代を引き延ばす事はならなかったであろう。

〇 神武127歳などと時代を引き延ばす事はなかったであろう。
0365日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 13:35:04.86
そんなわけで、日本における神は非実在の超人的存在ではなく、古代首長の称号に過ぎない。
その前提で古代の王たちの在位年代を現実的に再構成すると、神武は卑弥呼の少し前で、後漢から金印をもらったのは伊都国(筑紫の日向)の倭王(倭奴国)なんだよ。
つまり倭の王都は伊都国。
0366日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 13:51:49.68
>神の概念の問題。
>日本ではキリスト教のような創造主ではなく、地域の主さんが神、神様。

ところが共通点がある。キリスト教が言っている「創造主」は
あくまでも一神教の神が持っている「属性」の一つに過ぎない
と考えてみよう。

@神はあくまで想像上の存在
神が人間だったら国土を産めないし、禊や誓約で子供を作ることは
できない。空から高い山に降りたら確実に死ぬ。空だろうが海神の宮
だろうがそんな場所で生活できるわけがない。聖書と同様、そんな摩訶
不思議な能力を持っていることが、あるものが神とされる理由。
だから日本神話は、神とは地域主さんであること以外は思いっきり
フィクションととらえるぐらいでいい。魏志倭人伝等を参照しながら、
そこに何かの史実が隠されているように読むと物語の本質を見失ってしまう。
0367日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 13:53:32.79
A人間如きは足元にさえ及ばない長寿者であって
到底死ぬことなどありえない存在(>>361

イザナミやウケモチのような特殊な場合を除いて
「神は死なない」。日本神話の神々は神代から人代を
またいで長生きしてる。短命な人間とは違うことは聖書
の神と似ている。

B神は自然現象で以って応える以外に人間界に対してできることはない。

スサノオが大八洲国を青い木々で満たしたというのは、そういう働きを
もった神だからだ。
人間の王は具体的に内政、外政、戦争など、具体的に後代記録に残る
事業を行うが、神はそれらをできない。王を背後で助けることはできる。
聖書の神もそんな存在だ。
よく「祀る人が祀られる神になった」、「卑弥呼(神を祀る巫女)がアマ
テラス(女神)になった」という人がいるが、神を畏れた古代人がそんな
タブーを犯すはずがない。
0368日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 14:12:27.46
>神は自然現象で以って応える以外に人間界に対してできることはない。

そう、「神風が吹いて元軍が壊滅した」がそうじゃないか。
神武天皇が長髄彦と戦って苦戦していた時も、天が金鵄を遣わして
長髄彦の軍の眼を眩ませて戦えなくした。雷でも落ちたのか、
後から脚色を加えたかだな
これらは出エジプト記で「ヤハウェが海を割ってイスラエル人を救出し
エジプト人を壊滅させた」と発想が似てる。
0369日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 14:32:12.55
>>366(訂正)
>神とは地域主さんであること以外は思いっきり
>フィクションととらえるぐらいでいい。

いや正直神の正体が分かりにくい。あくまでその地域の
人々が畏れて祀っていた霊的な存在のようにも思える。
本当に実在した人間をモデルにしているか不明。
0370日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 14:55:43.56
それ以前に古代は豊作や旱魃、水害が神によってもたらされるもの
と考えられていた。いくら豪族の長でも自然の神の手柄をパクるとか
図々しいわ。
0371日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 17:08:03.11
>>370
>それ以前に古代は豊作や旱魃、水害が神によってもたらされるものと考えられていた。

根拠なし。
自論に結びつけたいがための勝手解釈。
0372日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 17:19:18.14
アマテラスについては、誰それを派遣したとか、割と具体的な事績が多く記録されている。
さらに代を下ると、ニニギの夫婦喧嘩やヒコホホデミの兄弟喧嘩など、多くの具体的な話が残る。
古い人物ほど事績の記録が少なかっただけだ。
記紀神話の神々は、実に人間味あふれている。

ニニギもアマテラスも、割と人格的には酷い人物であったらしい。
ニニギ「一晩しか寝てないのに子供ができるはずがない。誰か他の国津神の子だろう」
コノハナサクヤヒメ「そんな酷い!誓で身の証を立てます!」

この説話があったからこそ、神武天皇がイスケヨリヒメに再開した時の話が活きてくる。

神武「あの時、川のほとりの粗末な小屋に藁を引いて一緒に寝ましたね(あの時の子供なのですね)」

なんとも人間らしい会話ではないか。
あと、神武とイスケヨリヒメの会話からは、どこぞの阿呆が主張するような、イスケヨリヒメが皇后となってヒメが云々などという主張も、記紀を無視した戯言だとわかる。
イスケヨリヒメは神武と同居していなかったし、したがって皇后として君臨もしていなかった。
神武の亡き後は、義理の息子のタギシ耳がイスケヨリヒメを寝とってしまう。

記紀神話は具体的ではない?
どこを読んでいるのだ。
0373日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 17:27:33.23
とどのつまり、弥生時代の王族たちは親戚同士の勢力争いや、色恋沙汰にだけ興味があったので、記紀神話もそういう話が多い。
源氏物語とたいして変わりない。
あと、神武がイスケヨリヒメと同居していなかったのは、当時も妻問婚に近かったからだと思われるが、逢瀬の場所が粗末な小屋だったというから、妻問婚の形式すら整っていなかったと思われる。
かなりおおらかな時代だった。
もちろん、皇后などという地位は確立されていない。
また、抽象的な神でもない。
あえて神武に神の字が使われているのは、畿内における初代であるから、始祖神つまりはご先祖を神として呼称していたということだ。
0374日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 18:42:51.52
>>365
>古代の王たちの在位年代を現実的に再構成すると、神武は卑弥呼の少し前で

根拠は?
俺は神武と卑弥呼が同世代。
というか夫婦であって、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の姿は、
神武に先立たれたヒメ(蹈鞴五十鈴)后の姿だと思っている。
宮に出入りできるただ一人の男子とはタギシミミであったり。

根拠は用明天皇元年、応神天皇元年、垂仁天皇元年から20人、30人後の平均在位から計算した神武の即位年は卑弥呼の時代である事。
また国宝中平銘鉄刀の和邇氏の祖・孝昭天皇の母がトヨ津媛であり、その3世代前にヒメ(蹈鞴五十鈴)后がいること、など。

ぜひ「神武は卑弥呼の少し前」という君の根拠を聞かせてくれ。
0375日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 18:50:28.47
>>372
>神武とイスケヨリヒメの会話からは、どこぞの阿呆が主張するような、イスケヨリヒメが皇后となってヒメが云々などという主張も、記紀を無視した戯言だとわかる。

ヒメ(蹈鞴五十鈴)后は父親が今もえべっさんととして信仰されているスサノオ直系の事代主。
そして兄が鴨王(かものおおきみ)こと天日方奇日方。
文句ない王族=神々だと思う。

むしろ神武という男は宮崎の片田舎からやってきたどこの馬の骨か分からない男。
彼は王配(=女王の婿)であった。
だから神武には后はいても妃が一人もいない。
神武を大王と見なすには実に不自然。
0376日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 19:23:25.65
>>375
>神武という男は宮崎の片田舎からやってきたどこの馬の骨か分からない男。

うむ、日本書紀を読む限りではそうだとしか考えられない。吾田は宮崎でなく
鹿児島ではないかとも思うが、とにかく日向神話の舞台は倭奴国王や邪馬台国
とは関係がない南九州の田舎だ。隼人と同祖だと言ってるわけだし。

地理的にも海の向こうに壮大な日の出、日の入りを見ることができ、太陽の神を
拝む人々が住む場所にピッタリだ。
0377日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 20:21:41.46
そりゃ隼人も神武も、天孫ニニギの末裔だからな。
しかし海幸彦は筑紫の日向を追い出されたんだぞ。
そして神武は追い出した方の山幸彦の末裔だ。
山幸彦は海神の宮すなわち志賀島で知恵を授けられた。
その孫の神武も筑紫の日向の生まれだ。
日向神話の舞台は、宮崎や鹿児島ではなく、倭国の王都であった福岡だ。
だからこそ、神武は王位継承権があるとみなされたのだろう。
神武が南九州では、海幸彦と同居していたことになり、海幸山幸伝説の結末がつかなかったことになってしまう。
0378日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 20:22:30.96
【筑紫の日向】
筑紫の日向は、しばしば宮崎県のことだと誤解されるが、福岡県のことである。
筑紫の日向の小戸の阿波木原はイザナギが禊をしたところとされており、福岡市西区小戸に比定されている。
この禊で生まれたのが博多に祭られる住吉三神や志賀島に祭られる綿津見三神である。
これらの神を祭る神社の元宮は現人神社(福岡県那珂川市仲)であるとの説があり、弥生時代の倭王であったイザナギの王宮であったとも考えられる。

古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とある。
福岡県の高祖山の南側は、別名をクシフル山とも言う。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の高祖山なら、福岡平野と糸島平野の間にあり朝鮮半島に向かう博多湾に面している。

「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部)

考古学的にも、三種の神器を伴う弥生王墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城が作られ、その中に高祖神社がある。その原型が記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の日向にあった伊都国が倭国の王都であり、高祖山の高千穂宮が倭王である天孫の降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国女王卑弥呼の王城である。

ttp://wi12000.starfree.jp/map/afumi_sawara_map_25.gif
0379日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 22:37:39.33
福岡の話はもういい、他所でやってくれ。

弥生時代から防人がいて、大陸の先進文化を受け入れる玄関口であったことは認めるが、
それ以外に何もない。
0380日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/22(土) 22:51:55.20
銅鏡文化、銅矛文化、稲作文化の中心地、海神族(天津神)の故郷、それが筑紫。
その王は倭王と呼称され、漢や魏から金印を以って正式に王として認められた。
その証の一つが三種の神器の一つである銅鏡ということになる。
漢鏡が最も多く出土するのはもちろん福岡だ。
皇帝に認められし倭王の王都は筑紫しかない。
0381日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 00:12:30.82
>>377
>海幸彦は筑紫の日向を追い出されたんだぞ。
海幸彦は弟山幸彦に屈服させられて子孫代々お仕えすることを
約束したとは書いてあるけど、追い出されたという記述は見覚
えないような…
0382日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 00:58:51.77
日南市北郷町の潮嶽神社はホスセリノミコト(海幸彦)を主祭神に祀る全国でも唯一の神社。
ヤマサチに敗れたウミサチは、磐船に乗ってたどり着いた越潮山(こしおやま)を潮嶽(うしおだけ)と称するようになったという。
この地方では「ウミサチ・ヤマサチ」神話にちなみ、縫い針を他人に貸さない習俗があるという。
0383日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 01:05:19.41
南九州の隼人が天皇家に仕えるのは、隼人が海幸彦の末裔であり、天皇家が山幸彦の末裔だからだ。
その一方で、8世紀に隼人が畿内政権に反乱を起こしたのは、畿内政権が筑紫の倭国王権の正統ではないと認識していたからかもしれない。
彼らが忠誠を誓ったのは、筑紫の日向の倭王彦火火出見(山幸彦、伊都の高祖神社の祭神)だからだ。
0384日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 01:17:09.31
魏志倭人伝において、伊都国の官は爾支という。
筑紫の日向に降臨した邇邇芸や、神道における官である禰宜との関連を考えないわけにはいかない。
伊都国こそ日向三代の倭王の王都であり、三代は卑弥呼の前の男王70〜80年とちょうどピッタリな長さになる。
日向三代の初代邇邇芸は高天原から三種の神器とともに降臨したとされるが、糸島市の弥生王墓は三種の神器が副葬品として様式化されていることが特徴である。
0385日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 06:37:22.83
>>377
>神武が南九州では、海幸彦と同居していたことになり、
>海幸山幸伝説の結末がつかなかったことになってしまう。

実際には対立せず同居していたということだろう。隼人は神武の
東征に随伴していた人々だったとさえ考えられる。

日本神話は、現世で起きている事柄を説明するために
過去にありもしなかった神々の世界での出来事を理由に挙げる
という文学的手法が見られる。

神武の子孫は畿内を統一し各地の平定に乗り出すと
故郷だった九州を荒らし回った。隼人との関係が悪くなると
神話でその理由を説明することにしたのではないか。
0386日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 07:33:45.93
>>385
>過去にありもしなかった神々の世界での出来事を理由に挙げる

妄想はやめたら?
筑紫での話だよ。
0387日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 09:50:10.95
中国の史書なんてのも全部明治期に日本で書かれたもの
三国志なんてのも駿河で起きたお家騒動を舞台を中国にして書かれたファンタジー
0389日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 14:39:52.84
>>386
神話の読み方は>>79が普通
おかしい読み方をすると>>81みたいなとんでもない
解釈が出てくる
0390日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 14:56:58.56
文部省「新教育指針」戦後日本教育史料集成編集委員会編
『戦後日本教育史料集成』第一巻所収、三一書房、一九八二年、
134〜135ページより

 日本国民は合理的精神にとぼしく科学的水準が低い。ひはん的精神に
欠け、権威にもう従しやすい国民にあっては、物事を道理に合わせて考
える力、すなわち合理的精神がとぼしく、したがって科学的なはたらき
が弱い。(略)例えばこれまでの国史の教科書には、神が国土や山川草
木を生んだとか、おろちの尾から剣が出たとか、神風が吹いて敵軍を滅
ぼしたとかの神話や伝説が、あたかも歴史的事実であるかのように記さ
れていたのに、生徒はそれを疑うことなく、その真相やその意味をきわ
めようともしなかった。このようにして教育せられた国民は、竹やりを
もって近代兵器に立ち向かおうとしたり、門の柱にばくだんよけの護り
札をはったり、神風による最後の勝利を信じたりしたのである。(略)
 軍国主義や極端な国家主義は日本国民のこうした弱点につけこんで行
われたものであり、「民主主義のてっ底」や「平和的文化国家の建設」
は合理的精神を伸ばすことによってはじめて成しとげられる。
0391日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 15:06:24.05
神話上の事実が科学や歴史上の事実と一致するかはまた別問題だからね。
0392日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 15:11:09.78
行き過ぎた史書の否定は、歴史を闇に葬ってしまう。
古代であっても、そこにいた人たちに名前があったはずなのに、史書を否定するあまり、名無しの権兵衛だらけの歴史になってしまている。
古代人の理解や視点というフィルターがかかっているから非科学的になるのは仕方ないが、それは思考停止して歴史そのものを黒塗りにしていい根拠にはならない。
0393日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/23(日) 22:13:04.25
史書が全て嘘かと言えばそうではない
三国志の創作の元となった駿河のお家騒動は事実あった
昔のことが知りたきゃ当人呼び出して聞けばいい
神武のことが知りたきゃ神武を直接的呼んで聞けばいい
そんな能力誰にでもある
ないなら黙ってろ
妄想でグダグダ言うな
0394日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 00:25:02.62
日本の場合は実際にあった話を神話化している場合が多い。
2世紀初頭のスサノオ=帥升をごまかさなければならなかったので、
基点になる神武の時代(=卑弥呼の時代)をBC660年などととんでもない時代に設定したゆえ、スサノオも神話化せねばならなかった。

だから魏志倭人伝に書かれた殉葬奴婢百余人の径百余歩の卑弥呼の墓も、神話の中にある。
それが高天原であった。
https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111.jpg
さらに卑弥呼の死後に立ち、千人余りが死ぬ大戦争をした男王も神話化した。
それがタケミカヅチこと事代主の曾孫・建甕尻、関東の守護神・鹿島神である。
敗れたタケミナカタは諏訪の大神となる。
二人の神が戦って血が隈なく流れた血隈川、また血が一面に流れた血野が、
元明天皇の好字令で血隈川→千曲川に、血野→茅野に変わったのであろう。
0395日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 00:27:24.98
鹿島の神は志賀島(鹿の島)の神が勧請されたもの。
つまりは志賀島に座す筑紫倭王である海神族を祭っているだけだ。
0396日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 00:50:31.82
国宝・中平銘鉄刀の和邇氏かわ判明する卑弥呼の系図。

https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000143.png

卑弥呼(Bei mei hu)こと比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、
つまりヒメ后=ヒメ(踏鞴五十鈴)后も、
その死後に立った男王・建甕尻ことタケミカヅチも、
そしてトヨ津媛もいる。
0397日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 12:28:22.40
神話とされる出来事の多くに史実が反映されているとする。
神代から人代へ、それらが時系列通りに羅列されているか
時系列通りでなくでたらめになっているか判断が難しい。
ここで神武天皇の先祖が筑紫の王族だと主張する人は前者、
日向の田舎の豪族だと主張するスレ主は後者ということになろう。

俺はとりあえず神代と人代の間には断絶があり、神と人間は
別物だと考える。実際の歴史は人代から始まるのだ。そうなると
やはり神武は日向の田舎の豪族だったが、自分より遥かに有力な
大和の王家へ婿として迎え入れられた。しばらく妻の実家に下がら
なかったはずである。
0398日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 12:42:25.93
(細かいところ間違ってたらごめん)
2代目綏靖天皇の宮は御所市の葛城だが、神武から懿徳まで
奈良県橿原市の畝傍山の麓に彼らの陵墓が集中している。
宮の位置も大きく飛躍してはいないようだ。
それが5代目孝昭天皇から宮や陵墓が畝傍山から離れ、御所市へ
勢力を拡大。尾張氏の女性を皇后に迎えている。
ここから古事記と日本書紀とで皇后の名前と出自がほぼ一致する。
6代目孝安天皇も孝昭と近接したところに宮と陵墓を残している。
7代目孝霊天皇は皇后の他、妃二人を迎えたから、ここに天皇家の
主が大和のある王族の婿から自立した男王へ成長していった形跡が
残ってるわけで、崇神天皇より前の天皇もやはり実在した人物だった
と考えられる。

後代の天皇の平均在位年数を考慮するならば
年代的に天皇家が幾内で勢力を拡大する時期と邪馬台国の記録が途絶える
(=衰退していく?)時期が同調していると見ていい。
0399日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 12:46:40.83
とはいえ気になることもある。第9代開化天皇の宮と陵墓がそれまでとは
えらくそれまでとは飛躍しているが、それを単純に天皇家の勢力が拡大する
過程と見なしていいか?というのも王朝交替、あるいは別系統の王朝が
並立していた疑惑が浮上するからだ。開化の弟が崇神天皇に、孫が垂仁天皇に
対して反乱を起こしたことを単なる身内どうしの内紛と片づけていいか?

また、崇神天皇が即位する前に倭大国魂神(を祀る人々)と天照大神(を
祀る人々)との対立が激しくなっていて、崇神天皇が地元の神である大物
主神の祭祀を復興して幾内の内紛を収拾する必要が起きていた。結果として
天照大神は追い出されることになり大物主神のほうが大事にされたという。
0400日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 12:51:32.82
>>397
訂正
しばらく妻の実家に下がらなかったはずである。

しばらく妻の実家に頭が下がらなかったはずである。
0401400
垢版 |
2021/05/24(月) 12:53:43.48
また、間違った。
頭が下がらなくてどうするんだ。逆だわ。
しばらく妻の実家に下がらなかったはずである。

しばらく妻の実家に頭が上がらなかったはずである。
0402日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 17:17:42.23
>>396
本スレに合うように世代数を揃えようとすると
開化天皇の妃姥津媛はトヨ津媛の玄孫ではなく孫娘、
彦国葺命はトヨ津媛の五世孫ではなく曾孫が最適だろうから
天足彦国押人命と和邇日子押人命は和邇氏の系図から削除するのが自然。

そうなると彦国姥津命と姥津媛こそが孝昭天皇の実の子供で
彦国葺命は孝昭天皇の直系の孫だということになる。
しかしそれほど血統的に尊そうな彦国葺命が崇神天皇と垂仁天皇に
仕えるとはどういうことだろう?どうして崇神天皇はそこまで偉いのか?
また、天足彦国押人命を系図から消すと、孝安天皇の皇后で孝霊天皇を
産んだとされるオシヒメも父親が消えた以上どんな女性なのかあやふや
になる。
0403日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 17:23:52.17
天皇家をスサノオ王家や和邇氏と世代数を揃えると
おそらくこうなる。

一世代目 神武 天日方奇日方 媛踏鞴五十鈴媛命
二世代目 綏靖 安寧 建飯勝 渟名底仲媛命
三世代目 懿徳 天豊津媛命 建甕尻
四世代目 孝昭 孝安 豊御気主
五世代目 孝霊 孝元 開化 彦国姥津命 姥津媛 大御気主
六世代目 崇神 モモソヒメ 彦国葺命 垂仁  阿田賀田須
七世代目 景行 播磨稲日大郎姫(古事記では景行の皇后は孝霊の孫)大口納命
八世代目 成務 仲哀(垂仁の外孫) 神功皇后 難波根子建振熊命
九世代目 応神 米餅搗大使主命
0404日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 17:50:07.13
天武天皇の年齢研究 孝安天皇の年齢
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage606.htm
このサイトが本稿として挙げる天皇の生没年、在位期間をそのまま
受けれいる必要はないと思うが、そこで主張されているように
孝昭天皇と孝安天皇は親子関係を切って赤の他人だと考えたほうが自然。

孝昭天皇が尾張地方から妻を迎えるほどの権力を持っていたとは考えられず、
孝安天皇が尾張出身の母や兄と共に大和へのり込んでから、孝昭天皇と諍いを
起こし何とか死ぬ直前ぐらいで王位を獲得できたということらしい。
日本書紀が孝安天皇は即位して38年目も経って孝昭天皇を葬ったと記している
のは実はそういうことらしい。孝昭天皇が世襲足媛を妻にしていたわけではない
とすると、他の異伝に残っている女性が実際に妻にしていた女性だったかもしれない。
孝安の皇后とされる押媛命の出自はやはり不明。
日本書紀は懿徳や孝安を自分の姪と結婚して跡継ぎをもうけたと書くことによって
天皇の在位年数や年齢を少しでも延長し遅く後継者ができたことにしたいようだ。
0405日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 18:28:54.56
何もかもがくだらない。
0406日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 18:48:12.26
>>405
反論一つ書き込む気がない奴は黙ってろ
0407日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 19:50:25.84
>>403
素晴らしいと思います、私もおおよそ賛成です。
神武から崇神まで、遡ること9世代なはずがない。
6世代あたりが妥当だと思います。
0408日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 19:56:20.17
>>398
神武の宮は、かつて本居宣長や鳥越憲三郎さんが指摘したように、
今の御所市柏原で間違いなかろうと思います。
日本書紀には畝傍山の東南とありますが、実際には西南になります。
古代から「かしはら」という地名がそこにしかないわけです。

日本書紀がカシハラを畝傍山の東南としたのは本当に間違えたのか、
あるいはすでに奴婢郷であった柏原を神武の宮と書くのをためらったか、
のどちらかだと思われます。
0409日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 20:44:59.94
>>407
ありがとうございます。
これだと武内宿祢が孝元天皇の曾孫であることとも矛盾しません。
和邇氏の系図から天足彦国押人命を消去したことで
孝安天皇が孝昭天皇の孫娘を妻としたとする記紀の記述は
決して信用できるものではないことまで見えてきました。

とはいえ、これはあくまで仮説です。
記紀では開化天皇から神功皇后まで5、6世代になる
ところを4世代にしています。
垂仁天皇は開化天皇の孫やひ孫にあたる女性を皇后に
迎えたとされています。また、景行天皇は従姉妹で
崇神天皇の孫娘とされる八坂入媛との間に成務天皇を
もうけたことなど、それらとの矛盾を解決する必要があります。
仲哀天皇が実際には景行天皇の次の世代であるというなら
仲哀天皇の父とされる日本武尊とはいったい何者なのだって
話にもなります。
0410日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 21:48:35.77
>>408
王朝の開祖である人物が、実は奴婢を束ねる奴婢長だったとか
恥ずかしくて隠したいということですか。

結局のところ、欠史八代が生じてしまうのはこういう理由でしょう。

朝廷の正史は神武天皇の時代から天皇家が日本列島広域の支配者であるという
記述をしなければならない。実際には同じ大和国内を別の王権が支配していた。
それが出雲に由来を持つスサノオの血を引く王権だ。女王卑弥呼が九州を支配して、
神武天皇が大和を支配していたなら、邪馬台国のことなど自国と無関係だから
無視すればよい。欠史八代は生じなかった。そうならなかったのは実際に邪馬
台国が畿内大和にあり卑弥呼と神武天皇が同じ場所に住んでいたからだ。

つまりスサノオ王家は畿内の邪馬台国とイコールであり、大和政権は邪馬台国を、
卑弥呼を第14代仲哀天皇の皇后である神功と自信なさげに錯覚させるやり方で
自国の歴史の中に取り込んだ。
0411日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 21:56:31.71
しかし、卑弥呼と神功皇后は180〜200年ぐらい差がある別の人物だから、神功皇后
から三代の在位年数がそれぞれ異常に長いのが目立ってしまう。ご親切にも日本書紀は
百済記を引用し、応神天皇の即位元年を120年過去へずらしたと教えている。そして
神功皇后より前の天皇も在位年数を水増しして、神武天皇が実際に生きていた年代を
分からなくするしかなかった。まあ、この誤魔化しが長いこと世界における日本国の価値を
上げるのにプラスに作用したに違いないが、神話を到底信じきれない、実際の国家の成り立ち
を知りたい人にとっては落胆ものだろう。
0412日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/24(月) 22:02:38.63
>神功皇后から三代の在位年数

訂正。神功皇后と仁徳天皇は長くしすぎるが、応神天皇は
どうか分からない。正しいかもしれない。允恭天皇は確実に長くしてある。
0413日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/25(火) 00:37:56.13
>>410
大事なことを書き忘れていた
邪馬台国の業績を取り上げて、初期の皇室の業績として記すような
下劣な行為をできなかった点で記紀を書き残した人たちは偉大だ。
0414日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/25(火) 07:33:28.10
>>410
全くその通りだと思います。

>実際には同じ大和国内を別の王権が支配していた。

それがスサノオ直系のいわゆる「大物主」
大物主というのは役職名で個人名でいえば阿田賀田須命。
モモソヒメと結婚した大物主とは彼でしょう。
そして崇神の時代に倒されます。
倒した場所は今の桜井市茅原近辺。おそらく大神神社の摂社で大物主の荒魂を祀る狭井神社でしょう。
血原という地名が元明天皇の時代に好字令で茅原になったのでしょう。

欠史八代に事蹟がないのは、事蹟を書くと魏志倭人伝と符合してしまうので、
そうなれば時代を大きく引き伸ばし卑弥呼を分からなくした意味もなくなる。
こういうことだと思われます。
0415日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/25(火) 08:28:11.25
大物主は、大国主や事代主とは無関係だとする書もある。
三島の神(鴨一族)の権威は、丹矢伝説を参照すれば、大物主由来するのではなく、三島溝杭耳の父である大山祇に由来するのだろう。
大山祇は海神と並ぶ志賀島の海神であり、倭王の称号の一つだからだ。

では大和の伝記に出てくる大物主とは何者か。
三輪山の神と同一ならば、それは石上に本拠地を持つ物部氏そのものではないか。
しかし物部氏も祖である饒速日が筑紫の王族の末裔であることを考えると、結局のところは大和にいたのは筑紫の倭王の末裔に過ぎない。

ヤマト王権とやらは、物部氏を中心とする複数の氏族による勢力だったと考えることができよう。
0416日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/25(火) 09:12:40.52
別の王権が有った痕跡(ニギハヤヒ、ナガスネヒコ)を隠さなかったのは何故?
0417日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/25(火) 18:33:58.71
>大和の伝記に出てくる大物主とは何者か。
三輪山の神と同一ならば、それは石上に本拠地を持つ物部氏そのものではないか。

違う、物部は大物主ではない、むしろ大物主を倒した側、だから崇神の母親が物部のイガガノシコメ。

>別の王権が有った痕跡(ニギハヤヒ、ナガスネヒコ)を隠さなかったのは何故?

ニギハヤヒも神武と同じく王族の妻を持っただけ。
ニゴハヤヒは天道日女命との間に尾張氏の祖・天香山命をもうける。
「天」がつく人物は高天原(金剛山)にいた神々とみて良い。
事実、高尾張邑は御所市高天にある。
ニギハヤヒはミカシキヤヒメとの間にウマシマジを生むが、こちらは「天」がつかない、つまり高天原の神々ではない。
0418日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/25(火) 18:58:57.10
【倭国】

弥生時代前期末に玄界灘沿岸に倭が成立して前漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王が冊封された。後漢書では、倭は朝鮮半島南岸の狗邪韓国から九州北岸の倭奴国までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭の形成の原動力であったと考えることができる。

記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾の能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭が博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。

連合国家である倭の盟主は海神の故郷である筑紫であり、他に九州北部には豊国、肥国があった。本州の出雲、越などは倭の別種と書かれている。
博多湾岸を中心として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭の姿である。
その中で、大陸や半島との交易は博多湾沿岸勢力が独占していて、その支配機構が大率(大宰の帥)であった。

卑弥呼の時代には倭は九州内陸へ拡大していく。
九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
この地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の倭の範囲を示している。
これに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の倭地が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ湿地帯であり、畿内の交通の大動脈は肥国女王の與止日女命の名を受けた淀川であった。
奈良は交易路からはずれた辺境の沼地。

2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された八咫の鏡などの三種の神器は、筑紫伊都が倭国の王都であったことを示している。
0419日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/25(火) 19:02:31.92
饒速日「後から来て天孫を名乗るお前は何者だ。我こそ天孫ぞ」
神武「(饒速日の弟の)邇邇芸の末裔です。これ(天羽羽矢)が証拠です」
饒速日「おお、それはわしのものと同じだな!確かに同郷の者らしいな」
長髄彦「我々の軍勢にも被害が出ていますし、まさか和解するなんてことはないでしょうね」
饒速日「天神の子は人間(の論理)とは違うのだ」
長髄彦「納得いかないので戦闘を継続します!」
饒速日「そんなことは許さん!命令を聞かないなら手打ちにしてくれる!」
神武「ありがとうございます。筑紫は(倭国大乱で)荒れていて暮らせないので、ここにいさせてください」
饒速日「うむ、大叔父としてお前を迎え入れよう」
神武「ありがたい」

饒速日の末裔が物部氏や尾張氏であり、畿内や東海の覇権を掌握した。
物部氏は、「ヤマト王権」において軍事と祭祀(つまりマツリゴトの全て)を司っていたとされる。
そして畿内を中心に分布する前方後円墳も物部氏の墓制だと考えられている。
神武から始まる数代の天皇は事績も乏しく、実権がなかったことがうかがえる。
まして神武の妃の1人にすぎないイスケヨリヒメは倭王卑弥呼と関係などない。
0420日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/25(火) 19:43:52.87
崇神が大物主を倒して大王になった。
倒された大物主とはスサノオ直系アタガタスだ。
その怨霊が怖くて慰霊の意味を込めて大神神社を建てる(摂社・狭井神社が荒魂を祀る)
また崇神は出雲で大国主を倒す。
倒された大国主とは出雲振根だ。
その怨霊が怖くて慰霊の意味を込めて垂仁時代に出雲大社を建てる。

アタガタスを倒して奪ったのはスサノオ直経の刀。
出雲振根を倒して奪ったのは出雲の神宝・勾玉。

共に現皇室に伝わる三種の神器「天叢雲剣(草薙剣)」「八尺瓊勾玉」となっている。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f5/%22Inheritance_Ceremony_of_Kenji_and_others.jpg/450px-%22Inheritance_Ceremony_of_Kenji_and_others.jpg
もう一つ、八咫鏡は崇神が手元から放逐した物部の鏡だ。
だから平原墳墓の鏡と共通する。
その鏡は今、伊勢神宮にある。
その鏡は今も行き場がなく、20年に一度「式年遷宮」という形で伊勢神宮境内をさまよい続ける。

そういうことだ。
0421日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/25(火) 19:56:31.49
>>420
>神武から始まる数代の天皇は事績も乏しく、実権がなかったことがうかがえる。
まして神武の妃の1人にすぎないイスケヨリヒメは倭王卑弥呼と関係などない。

神武には妃はいない、后が一人いるだけ。
中国の皇帝が後宮に選りすぐりの美女3千人を配したのとは大違い。
つまり神武は大王ではなかった。
彼は女王の婿(=王配)である。

崇神が4世紀初頭から前半である以上、数十年前にいるはずのトヨはトヨ津媛しかいない。
そしてその3世代前に卑弥呼(Bei mei hu)=比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、
つまりヒメ后、ヒメ(蹈鞴五十鈴)后がいる。
お父さんは事代主神、文句ない王族=神々の家系だ。
そしてその住処、葛城に径百余歩で奴婢が埋葬されている塚(窟)がある。
その場所は大和朝廷の発祥地で日本神話の原点「高天原(御所市高天)」だ。

邪馬台国論争は終了、残念ながら筑紫は関係はない、悔しいだろうが諦めるがよい。
0422日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/25(火) 19:57:21.01
アンカーミス
>>419ね。
0423日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/25(火) 22:29:51.31
神田明神(大貴己神 少毘古名神) 
氷川神社(スサノオ)
寒川神社 寒川彦、寒川比売=スサノオ、奇稲田媛

出雲一族は関東に逃げた  蝦夷=出雲残党?
0424日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/26(水) 03:14:28.73
なるほど
0425日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/26(水) 05:39:16.23
皇室が三種の神器を所有することは要はもともと日本列島を
支配していた権力者(王族?)が天皇家以外の者たちであり、
彼らから宝物を奪って所持したから自分たちが日本列島を支
配できることを意味するわけか?

ところで八咫鏡は天照大神の御神体とされている。それが
物部氏の鏡であり、崇神天皇がそれを放逐できる(所持したくない)
ということは、天皇家は実は天照大神の血を引いておらず(?)、
物部氏こそが天照大神と縁が深い氏族だということか?
伊勢神宮とは皇室にとって厄介なところなのか?
平原墳墓の鏡と共通するということは伊都国があったとされる
福岡県糸島市が天照大神の故郷?
0426日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/26(水) 05:49:10.48
ここは日本最大のタブースレだな
世間一般に信じられている邪馬台国や皇室についての
常識みたいなものがガラガラと崩壊していく
0428日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/26(水) 07:22:10.78
>ところで八咫鏡は天照大神の御神体とされている

もともと>>420にあるように、崇神が前王権を倒し、その怨霊に怯え、手元から放逐した鏡。
アマテラスというのは前王権の象徴的な姫様。
葛城にいた高姫(=下照媛)を原像に天照大御神を創作したと私は考えている。

スサノオとアマテラスがウケイで子供作ったなどは勿論創作。
実際のアマテラス=高姫には天若彦という夫がいた。
そして弟ではなく兄に高彦=アジスキタカヒコネがおり、この神はスサノオの別命であろう。

アマテラスが独身で弟がいたというのは、魏志倭人伝の卑弥呼の様相をベースにした創作であろう。
0429日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/26(水) 07:36:14.78
>>425
>物部氏こそが天照大神と縁が深い氏族だということか?

物部氏の祖は天孫(アマテラスの孫)でうる饒速日なので、物部氏も天皇家と並ぶアマテラスの直系ですね。
神武と饒速日の会談では、ともに天神の子と称して氏族が同じことを確かめ合っています。

>平原墳墓の鏡と共通するということは伊都国があったとされる
>福岡県糸島市が天照大神の故郷?

アマテラスが生まれたのは筑紫の日向の小戸なので、高祖山の北側です。
伊都国の奴国の境界領域で、現代の区分では福岡市西区になります。
0430日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 08:23:05.97
宮、陵墓の所在地 崇神からは伝承と実際の遺跡・古墳の年代が矛盾しない。

開化までの王朝は日本列島内になかったんではないか。
崇神 ミマキイリヒコ 任那=半島 来入り彦
0431日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 11:32:22.33
>>429
>物部氏の祖は天孫(アマテラスの孫)でうる饒速日なので、物部氏も天皇家と並ぶアマテラスの直系ですね

物部氏も天皇家もアマテラスの直系ではない。

直系はいわゆる鴨氏、スサノオや事代主から続き崇神時代の阿田賀田須命でその流れを断たれた。
その後は崇神が大阪須恵村から呼んできたオオタタネコに変わる。
オオタタネコはスサノオや事代主の直系ではなく傍系であろう。

天皇家はアマテラスやスサノオのいた高天原の王権を断った。
だから「ごめんなさい、祟らないでください、呪わないでください」と
式年遷宮で謝り続けてるわけだ。
https://i.ytimg.com/vi/_ttXjy_IZ6w/maxresdefault.jpg
0433日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 17:37:02.73
世界が日本皇室の真実を知ったら噴飯ものだなw
日本の歴史がひっくり返るぞ
・邪馬台国九州説は嘘。畿内説が正しい。卑弥呼はアマテラスではない。
・スサノオの子孫は山陰地方の豪族どころか大和を含む西日本の広域を
 支配した王族だった!?
・神武天皇が登場する前に国譲りなんて実際にはなかった。大和政権が
 出雲国を屈服させた後で天孫降臨神話の先に上乗せした話。
・初代天皇は女王卑弥呼の夫(王配)だった!!
・神武も欠史八代も実在した人物。歴史学者たちが架空の人物だった
 などと間違ったことを言っている。
・初代天皇から数代はとても日本国の王家といえるものではなかった。
 後世いわゆる天皇のイメージとは似ても似つかぬ被差別部落の先祖の
 人たちの頭だった疑いがある。
・伊勢神宮は皇室が自分のご先祖を祀る神社ではなく、自分が倒した王朝の
 祟りを封じる目的で作ったもの。アマテラスが皇室の先祖で神々の中の最
 高神だなどというのは大嘘!
0434日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 17:50:36.56
>>433
もう一つあった
・神武天皇の妻卑弥呼の五世代前がスサノオで、後漢の
安帝に生口160人を捧げて朝貢し謁見したいと土下座した
倭国王帥升と同一人物。

うわあ…
0435日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 19:12:13.35
>>432

事代主はアマテラスの直系ではない。
スサノオの家督は娘婿が継いで大国主となり、その息子が事代主。
男系の直系は天皇家と物部氏。
0436日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 19:51:11.71
>>433
>>434

おおよそまとめていただいてありがとう。

>・初代天皇から数代はとても日本国の王家といえるものではなかった。
 後世いわゆる天皇のイメージとは似ても似つかぬ被差別部落の先祖の
 人たちの頭だった疑いがある

神武の宮カシハラは今の御所市柏原以外にないし、20世紀になって水平社宣言が為された部落解放運動の原点の地。
これは今まで誰かが語らねばならなかった事実であるのに誰もその事を語らなかった。

神武が被差別集団の長というよりも、奴婢を束ねてた奴婢長ではないかと推測してます。
神武軍は、葛城の語源である「葛(かずら)で編んだ網」で土蜘蛛を捉え(日本書紀)、そして奴婢にしていたのではないかと思われます。
0437日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 19:55:09.28
>>435
根拠を言わず適当に脳内小説を語るのは止めてくれ。

崇神が殺し、その怨霊を封じられている阿田賀田須命はスサノオ8世孫。
とりあえず物部の出る幕はない。
物部は纏向遺跡の主。
だから6世紀末の物部守屋の死とともに前方後円墳の造営が終了してるだろ。
0438日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 22:40:24.05
>>430
渡来人じたいは大和政権が成立するよりずっと昔から
ゆるゆる日本列島に移住していただろう。
天皇家の先祖が海洋民系渡来人だと>>323で指摘されて
いてその可能性はあるかもしれないが、
いくらなんでも、崇神天皇が日本列島侵略から、東征から
畿内統一、四道将軍派遣、出雲国併合まで全部やりこなせた
はずがない。
昔子ども向け日本史の漫画本で、崇神天皇が武装して馬に乗って
軍を率いて「日の神の子孫である私に勝てる者があろうか」
みたいに言ってる場面を見た(綏靖〜開化まで架空の人物という
説があるという指摘つき)けど、あれは大間違いだ。
0439日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 22:52:08.13
宋史日本伝では素戔嗚尊より前へ17代、古事記では12代
遡れば、初代の天御中主尊(天之御中主神)まで行き着くけど、
倭国が実在した「天之御中主神」に相当する人物から始まり、
彼が帥升から遡ること12世代前だったとすると、あの有名な
徐福が渡来したとされる秦の時代にほぼ符号する。安帝の
12世代前も前漢の高祖(劉邦)だしな。
0440日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 22:54:35.52
「天孫」という称号はあいまいだ。

私なりに天孫を規定すると、高天原の神々の末裔である。
先代旧事本紀で自らを天孫などと称しても瀬戸内海洋集団の物部は天孫でもないし、
宮崎を出自とする皇室も天孫ではない。

むしろ葛城出自を自称する蘇我が天孫であっただろう。
0441日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 22:55:11.75
徐福が渡来したとされる秦の時代にほぼ
(誤) 符号する→(正) 符合する
0442日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 23:02:10.54
>>439
>倭国が実在した「天之御中主神」に相当する人物から始まり、
彼が帥升から遡ること12世代前だったとすると、あの有名な
徐福が渡来したとされる秦の時代にほぼ符号する。安帝の
12世代前も前漢の高祖(劉邦)だしな。

それは大変面白い。
https://pbs.twimg.com/media/Cvrt_epVMAAvfKz?format=jpg&;name=900x900
近年発見された淡路の松帆銅鐸をはじめ、加茂岩倉や荒神谷との兄弟銅鐸が近畿中部に拡散されたのがBC3世紀前後。
丁度徐福の時代である。
出雲から逃げるように人間が畿内に拡散したのであろう。
BC3世紀、海の向こうに「秦」というとんでもない超大国ができた、その恐怖心が拡散の理由だと思う。
0443日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 02:09:51.53
おもしろいおもしろいってただ海外の有名人と結びつき付けてるだけじゃん
0444日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 07:06:57.64
>>440
あなたの勝手な解釈になんの意味がある?
0445日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 07:09:21.37
神武が卑弥呼の時代なら、天孫降臨も100年頃、スサノオは紀元前後くらい。
徐福には遠く及ばない。
0446日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 07:25:42.99
>>444
>あなたの勝手な解釈になんの意味がある?

勝手な解釈ではない。
蘇我が高天原のある葛城出自を自称して、馬子が推古天皇に葛城の領有を主張したが、
推古天皇から「私は今まで何でも叔父の言うことを聞いてきましたが、それだけはできません」と断られる。
ところが蝦夷の時代になって、勝ち誇ったように葛城で「「八佾舞(やつらのまい)」を舞う。
高天原のある葛城をゲットしたわけだ。

その絶頂の時に息子の入鹿が乙巳の変(いっしのへん)で倒され、蝦夷も自殺する。
蘇我のこれらの行動は、やはり彼らの出自が葛城(高天原)であった証拠だ。

物部はいくら先代旧事本紀で天孫を名乗ろうが、それはあくまで自称。
0447日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 07:35:37.53
>>445
人の言うことを理解できてないだろ。
神武が卑弥呼の時代なら、その5世代前がAD107年の帥升ことスサノオだと言ってるわけ。

そして「天之御中主神」に相当する人物が、
その帥升=スサノオから遡ること12世代前だったとすると、ちょうど徐福の時代になるという意味。
俺は徐福が来たとは思ってないので、秦の建国にビビった王が出雲から畿内=高天原に逃げたと思ってる。
0448日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 09:56:29.90
オマエラ、日高見のことに言及しないし、受け売りだけのマヌケ妄言ばっかやん
恥ずかしい睾丸無知ってやーねーwww
0449日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 10:00:31.39
秦の始皇帝ってのはそれまでバラバラだった中国国内の文字を漢字で統一する政策を始めてるんだわな

次の漢の時代が本格的な国軍の創設を開始して各地に軍勢を派遣し始めてるわけ
0450日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 10:02:58.36
448
古代にあったみたいに言われてる国やろ

確証なし
0452日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 11:35:58.43
朝鮮人らにはそもそも漢字文化ねえだろ
0454日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 15:59:11.07
>>437
>根拠を言わず適当に脳内小説を語るのは止めてくれ。

ブーメラン乙
事代主がアマテラスの直系ではないことは、記紀をよく読めばわかるだろう。
0455日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 16:05:27.86
>>453
つまり筑紫にあった倭国とは別ということですね。
卑弥呼は倭王なので九州王。
0456日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 16:15:04.79
>>454
>事代主がアマテラスの直系ではないことは、記紀をよく読めばわかるだろう

なるほど、アマテラスとスサノオがウケイで性行為もなしに子供を合計8人作ったのか。
記紀をよく読めばそう書いてるな。
0457日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 16:25:16.93
スサノオは出雲の祖神で、アマテラスら高天原族とは違う神であり、出雲制圧後ヤマト側の神話に取り入れられた。
0458日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 16:47:53.32
456
神々が子供つくれるかアホ
0459日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 17:01:34.07
>スサノオは出雲の祖神で、アマテラスら高天原族とは違う神であり、出雲制圧後ヤマト側の神話に取り入れられた。

スサノオは出雲系、アマテラスや高天原族も出雲系。
BC3世紀頃、出雲から畿内へ神々の移住があった。
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSsUFJWP008jq-HVSkd0u5Djoxwh0iEu2QOhQ&;usqp=CAU

卑弥呼(Bei mei hu)とは簡単。
比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后、
ヒメ(踏鞴五十鈴)后のことである。

「踏鞴五十鈴」は後世、おそらく記紀編纂の際に付け加えられた。
彼女が出雲系であるからこそ出雲の象徴である「蹈鞴(たたら)」をつけられた。

>>458
日本においては神々とは普通に地域の首長「偉い人」であり、子供をたくさん作ってるが?
キリスト教の神である宇宙の創造主や何かと一緒にしないように。
0460日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 17:03:52.78
>>457
根拠のない妄想はいらない。
0462日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 17:21:55.05
国譲り という言い方にして伝承されているところが何を意味するのか。

倒した敵への畏敬(祟りへの怖れ)からか?

元々同族だったからか?
0463日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 17:36:27.19
459
そんな常識ねえぞ
0464日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 19:12:47.56
出雲の大国主は、国譲りの結果として社に永久にお隠れになった。
お隠れになるという表現の意味するところは、まあ、そういうことだ。
0466日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 21:16:29.28
卑弥呼の発音は地域的にもピン音に近いだろうから、卑弥呼をピン音で解けるならそれでいい。
解かずに分からないと言ってても仕方ないだろ。
0467日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 21:26:49.16
本当は現代中国語のピン音でなく当時の中国漢字音(上古音や
中古音を、推定でだが、大漢和辞典で調べることができる)で
表記すべきだろうが、
後漢の時代では、漢字の発音は呉音とほぼ変わらなかったとすれば
卑弥呼はヒメ后だという仮定は成り立つだろう。
0468日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 21:57:18.28
神に唯一絶対の創造者だったり(実際に聖書を読むと
ヤハウェ以外にも他に神と呼ばれる霊的なものが存在する
ことを許容する記述が多く見られ、創造主はあくまで
ユダヤ人が信じている神の特性にすぎないと思われる)、
一方では「日の神」「月の神」「国土の神」「雲の神」「嵐の神」…
のように、それぞれの神に職掌が割り振られていたり、
地域の首長「偉い人」が神格化されるというのは、
神話が成立した文化の違いによるもの。

むしろ神と呼ばれるものには共通した特徴があると考えられる。
一般に神とは人から畏れられ拝まれる存在である。神は人の目
には見えないが、人の姿をしていて不死身の存在であり(神武を
127歳と表記しても全く神格化にならない。神は天皇より桁違い
に長寿で天孫降臨から神武天皇が生まれるまで179万2430年とか
いうべらぼうな年月が流れたとされる。)、聖書でも記紀でも
神は人から祀られる存在であり、神を祀るのは人民を支配する王が
する行為である。自然現象、神託、夢を介して人間世界に働きかける
ことはできても、王と違って具体的な事績を残せないという点で似ている。
従って「神が〇〇するわけがない」という指摘も「神が持つ共通した特徴」
から逸れるならありだと言える。
0469日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 22:10:13.82
神を祀るのは人民を支配する王がする行為である。

神を祀るのは人民を支配する王あるいは神官がする行為である。
0470日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 22:22:31.24
>>458>>459
聖書でも洪水前の世界で人が増え始めた頃
「神の子ら」が人間の娘たちを見てその美しさに惚れ込んで
彼女たちに子供を産ませた話が書かれているぞ
0471日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/28(金) 22:36:29.31
大己貴命が少彦名命と出会ったとき、とても小さい彼の姿を
不思議に思って天つ神に尋ねたところ、高皇産霊尊が
「私の子供は1500ほどいるが、私の教えに従わない子がいて
少彦名がその一人だろう。大切にしてあげてくれ」みたいに
答えた話が残ってるが、これを実話として読めというのは無理。

神が子供を作れようが作れまいが正直どうでもいい。
ただ神話中の神々が夫婦どうしセックスして子供をつくり
それが現世の天皇と繫ることに意味がある。
0472日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 00:06:40.83
>>468(追記)
何より人間離れした科学法則を超える奇跡を起こせることが
神話の神に共通して見られる重要な要素だ。

普通の生物はセックスしても同じ種しか産み出せないのに
イザナギとイザナミは国土やら太陽やら月や山川草木やらを
産み出しているし、どうかしたらイザナギ一人でも禊で子供を
産み出したり、イザナミが嘔吐した物や排泄した物から神々が生
まれたりしている。スサノオとアマテラスもセックスでなく
誓約で、人間の歯ではとても嚙み砕けない物から子供を口から
吹き出して産み出した。ニニギは空の上から高い山の峰に降り
立ってもぺしゃんこにならなかったし、ホオリは海神の宮で
何年か生活していた。トヨタメヒメは出産する時に大きな鮫の姿
になった…。これらの話は、聖書でヤハウェがモーセの前で海を
割ったとかキリストが水をワインに変えたり僅かなパンと魚を増
やして五千人に配った話といったいどの程度違うのだろうか。
0473日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 02:51:11.21
まあ、天皇の出自が半島でも良いわな
重要なのは、穢便器朝鮮人では無い「弥生朝鮮人」つうだけやろ
0474日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 07:23:16.76
>>469
日本では祀られる神は祖先のことだし、祭るのは首長の役目。
つまり神とは主に天皇家の祖先である倭王のこと。
マツリゴト
0475日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 07:25:57.47
ヤハウェとか言ってる時点で話にならねえ
0476日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 09:37:18.10
新井白石は「神とは人なり」と言っているが、
こういう解釈を出さなければならないということは
神を実在した人でなく(アマテラスでさえも!)
想像上の存在だと捉えていた人が相当な数いたということだろう。

彼はキリスト教の宣教師を取り調べた経験から、神話が神話として
読まれることを危険に思い(神話を文字通り信じるキリスト教をバ
カにできない?)、神話を歴史上の出来事として読ませる必要に迫
られたのではないか。
0477日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 11:50:35.77
>>474
弥生時代から古墳時代にかけてのまつりごとがどういうものだったか
再現しないことにはね。実際にイザナギやアマテラスが天皇の先祖で
あり、実在した人物だったとしても、彼らが具体的に倭国の王として
何をしたかは一つも再現しようがない。戦争や外交、王宮の造営、土地
の開拓、治水事業…など、王だったら具体的に書き残せることがある。
実在した王に何で超自然的な能力や寿命が与えられているのか?
神話として語られた時点で彼らが人々が信じた想像上の存在でしかなくな
るのだ。一方、神々の子孫と設定される神武以降歴代の天皇は、年齢や在位
年数が誇張されているだけで実在した人物として捉えて何ら問題ない。

当然のことだが、天皇家が日本列島で最初の王家であることは歴史学上否定
されている。神話上に歴史上の事実が書き残されているということは、天皇
家が自分より前に日本列島を支配した王たちの記録を「歴史ではない神話」
として抹消しようとしたということだ。やはり最も邪魔になるのは、このスレ
が指摘している実在した可能性が高いスサノオの血筋の王たちだろう。
0478日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 13:12:38.96
>>474
天皇家はハプログループ「D]系の縄文系説が有力。
0479日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 13:15:05.87
アンカーミス
>>473ね。
0480日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 13:47:32.76
史実が伝承によって荒唐無稽な物に変質したと言う事だろ
0481日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 13:47:45.39
>>478
どう見ても弥生系を代表する「平たい顔」だよ。
0482日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 14:11:38.34
生きているときに同時に神であったことなんかねえけどな
0483日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 14:11:46.08
>>481
人間はお父さんとお母さんの両方の遺伝子を受け継ぐわけで、
天皇が「平たい顔」というのならば千年外戚・藤原の影響だろう。
藤原が半島系というのではない、弥生系。
0484日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 14:12:29.22
神とは人なり

別に間違ってはいない
0485日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 14:21:24.00
>>483
根拠なし
0486日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 14:22:28.24
>>482
そりゃそうだ。
死後に天皇家が祖先として祀るから神(祖先神)になる。
その神の末裔だからという支配の正当化とセットでね。
0487日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 14:27:06.24
>>485
根拠は分子生物学の分野で、おおよそ二つのグループが突出して反映してるのは、歴史を逆算すれば長年一夫多妻で会った天皇家や藤原であり、そして例えば東山天皇の末裔のDNAが縄文系であったりすること。
0488日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 14:28:01.04
× 突出して反映
〇 突出して繁栄
0489日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 14:32:05.21
>>487
それは、一夫多妻の影響だろ。
自分で書いていて矛盾に気付けよ。
それ以前から平たい顔であった可能性を否定できない。
東山天皇云々は知らないけど、それは途中でいらいろ混雑したからだろ。
現実問題として、天皇家は典型的な平たい顔、弥生人の顔だよ。
0491日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 16:51:39.51
489
だから一夫多妻の影響だと言ってるわけだが何いってるんだ?
0492日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 18:18:16.55
平たい顔だから弥生系なんて何を言ってるんだか。
明治天皇はどう見ても縄文系の顔立ち。

話を元に戻すと、神武東征紀に書かれた土蜘蛛制圧の場所が高尾張邑。
日本で唯一、大量の奴婢=土蜘蛛が埋葬されている場所だ。
魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓の場所はここだ。
そしてその時代にヒメ后がいる、神武の后だが。

つまり神武東征は本当にあったし、神武は宮崎から来たのであろう。
神武は宮崎の山人の血を引く、その事は天皇家が縄文系のY-DNAであることとも符合する。
0493日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 19:28:22.22
水原紫織の「もう一人の明治天皇 箕作奎吾」は読んだのかね?
0494日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 20:00:11.76
神武の故郷は筑紫の日向、福岡県。
そこは弥生文化到来の地でもある。
天皇家は筑紫から播種して列島に弥生文化を広めた弥生人の末裔に他ならない。
0495日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 20:40:58.42
>>493
読むわけない、くだらん。

>>494
残念、福岡にアヒラツ媛の痕跡がない。
従って神武は福岡にはいなかった。
アヒラツ媛の痕跡があるのは宮崎県日南市あたり。
アヒラツ媛を祀る乙姫神社があり、鰹の水揚げで有名なアブラツ漁港の語源がアヒラツ。
またタギシミミを祀る神社もある。
共に7世紀や8世紀の創建だからかなり古い。
0496日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 20:54:21.64
アヒラツ媛は夫と息子タギシミミを追いかけ御所市柏原に侘び住まいしたと伝えられる。
https://barakan1.exblog.jp/4245650/

葛城市〜御所市探訪C(06.09.04)Bほほ間神社(ホンダワラ社)・・・
■ほほ間神社    奈良県御所市柏原
ご祭神 吾平津媛命(あひらつひめのみこと) ※神武天皇の前后
別称 ホンダワラ社、ホンガラの宮
通称 ほんぐらさん、ほんがらさん
本社は、ホングラさん又、ホンガラさんと呼ばれ、大昔、曽我川の氾濫で流れて来られたのをすくい上げて、
ここに祀ったものであるといわれる。
またここは、吾平津媛命が、わび住まいしたもうた所とも伝えられる。

神武天皇がヒメタタライスズ姫を入れて正妃とされたので、
前后吾平津媛命は、柏原の宮でわび住まいされたといい伝えられている。
そのために昔、嫁入の行列はこの前を通らず、祠に幕を張った。
南側にある、よめいり道を通ったそうである。
霊験があらたかで「サワリの神」ともいわれる。
0497日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 21:00:20.36
>神武天皇がヒメタタライスズ姫を入れて正妃とされた

これが今までの古代史では常識であった。
ところがこれは主人公をわざと変えたもの。
例えていえば「サザエさん」を「マスオさん」に変えたようなもの。

実際は神武が女王・ヒメ(蹈鞴五十鈴)后に婿入りしたのだ。
だいたい当時は通い婚の時代だから嫁に行くなんて習慣はない。
0498日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 21:36:15.32
やっぱり天皇家の先祖が筑紫の王族だったら具体的な業績を書き残すわ。
記紀以外に神を王としての業績を残した人物として描いた書物が普通に
あれば、日本では大昔から、神は人であることが常識だったと納得せざる
を得ないが、結局、イザナギ、アマテラス、スサノオのいずれも九州に住んで
いた天皇家の先祖とは無関係であり、天皇家より前に畿内の日本国を支配した
王権と密接に関わる人たちだったからこそ、彼らを日本列島を作った神々に
作り変えて王としての業績を消し去っても問題なかったと考えたほうが納得がいく。
0499日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 21:42:46.61
イザナギもアマテラスも天皇家の祖神でなく、伊勢神宮が
祟り封じで建てられたものだとすると、皇室が実際にどういう神を
祀っているかは怪しくなる。タカミムスヒだとも言われてはいるけど。
0500日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 22:26:33.04
秦が中国を統一した頃の天之御中主神を初代とすると
崇神天皇に滅ぼされた阿田賀田須命まで倭国の王朝は
23世代父子継承で500年以上続いたことになるな。
宋史日本伝でも初代天御中主尊から彦瀲尊まで23世代だ。
これは偶然の一致だろうか?
別天神五柱+神世七代+地神五代+神武天皇で18世代
宋史では天御中主尊から神武天皇まで24世代で6世代の開きがある。
0501日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/29(土) 23:05:32.59
神武天皇は九州に上陸した徐福の後裔かもしれん。
0502日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 00:17:40.14
筑紫城に住んだ宋史の「天御中主尊」と、中国大陸に秦という統一国家が出来た
ために出雲から大和へ逃げたらしい初代倭国王?「天之御中主神」とは別人ではない
かな?系図が全く違う。高天原の候補地が大和と九州とにあるということはつまり
そういうことでは?天御中主尊は天之御中主神より五世代ほど前の人物だろうか?
宋史では素戔嗚尊と天照大神尊が姉弟ではなく親子とされている。つまり伊弉諾尊
以降は記紀より一世代多い。23世代と世代数がきっかり合うということは、九州に
ルーツを持つ天皇家が出雲にルーツがある大和の王たちの系譜に世代数を揃えた疑い
が浮上する。その逆は考えずらい。
0503日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 07:26:59.08
高天原が大和にあるなどというのは、この板に住み着いた老人の妄言に過ぎないけど。
0504日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 07:37:05.93
>>498
>やっぱり天皇家の先祖が筑紫の王族だったら具体的な業績を書き残すわ。

そうだろうか?
畿内政権にとっては、同じ土地にすんでいた神武は、昔先祖の誰それがそれそこに住んでいて、みたいにわかるけれど、
はるか遠い筑紫の話となると、志賀島も住吉の海岸も見たことがないし、何百年も前のことになるので、話の具体性など書き残す本人たちも感じられなくなってしまう。
とは言え、先祖の話を省略すれば正統性が証明できないから、何とか名前くらいは載せることとなる。
それを後世から、あれは「神話」で史実ではないなどと批判するものが出る。
場所も博多湾をだったはずなのに、筑紫って九州のことだよねなどと混同され、九州のどこか他の場所に移動されてしまう。
0505日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 13:32:14.39
天御中主尊=天之御中主神とすると、宋史が神武天皇まで
古事記の別天神五柱+神世七代+地神五代+神武天皇
より6世代分多いことは何を意味しているか?

初期の天皇は晩期の畿内倭国王とおよそ120年ほど併存していて
神武天皇から崇神天皇まで6世代という見解がある。
一方で宋史日本伝は倭国が畿内ではなく九州にあり、
初期の天皇が晩期の畿内倭国王と共存していた史実を認めず
九州倭国王の後を引き継いで神武天皇が即位したと言いたい
のではないか?倭国王の後を引き継いだからといって決して
崇神天皇=神武天皇ではない。一見すると神武天皇の五世代前
が天照大神であり、これを卑弥呼と混同しそうではあるが。

ところで神武天皇は18世代目の倭国王の時代の人物であり、
神武の5世代後の崇神天皇が23世代目の倭国王を殺害した
とするならば、崇神天皇は最後の倭国王と同じ、天之御中主神から
23世代目であって24世代目ではない。

また、宋史が九州を治めていた天皇の先祖を意図的に23世代に揃えた
とするなら、神武天皇は九州の天御中主尊から24世代目ではなく
5世代前の19世代目と考えられる。神武天皇は東征のとき手研耳命と
いう成人した息子を伴っていたから、媛蹈鞴五十鈴媛命からすると
父親ぐらいの年齢だったはずだ。従って大和の天之御中主神からみて
17世代目に当たる。そこで九州の天御中主尊は大和の天之御中主神より
2世代ほど年上の人物ではないかと考えてみた。
0506日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 15:31:48.15
イザナギが瀬戸内と九州のどちらに縁が深い神だったかとい難問も、
高天原が二つあることから発生するんじゃないかな。
大和由来のイザナギが淡路島に幽宮を作り代々そこで祀られるのは
距離的に違和感がない。
しかしこの神が九州の日向あたりまで行ってアマテラス・スサノオ・
ツクヨミの親になるのには遠すぎて無理がありすぎる。しかし、
九州(宋史)由来のイザナギは筑紫城に住んでいたからそれが可能である。
0507日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 16:01:26.80
日本書紀では、神武天皇が即位して31年目に国見をして
大和に秋津洲の呼称ができたとされた補足で、昔、伊弉諾尊、
大己貴大神、そして饒速日命が日本国の素晴らしさを讃えた
ことが書かれている。神武天皇がやって来る前に彼らが大和
の支配者だったことは明白である。特に事代主神の父とされる
大己貴大神が大和を支配していたという事実は押さえておかな
ければならない。

伊弉諾尊は無理やり天皇が統治する大八洲国を産み出した神として
また天皇家の先祖として位置づけられ、九州の天照大神と出雲の
素戔嗚尊を産み出した神として描かれる必要があったのではなかろうか?
0508日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 16:04:55.42
全ての地名は筑紫から関西圏広域にコピーされました。
0509日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 16:15:08.31
考古学的に銅鏡文化銅矛文化稲作文化などなどが九州北部から畿内に伝えられ、しかも鉄や絹などの中核技術は大和に入らずほぼ九州北部が独占していた。
これでどうして大和から九州への流れを想定しなければいけないのか?
天皇家の権威づけのために、無理やり事代主やイザナミを畿内に結び受けようとしているだけだろう。
そもそも古事記の神代では、最後の神武の時代になるまでは大和など出てこない。
0510日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 16:17:52.65
>>507
>また天皇家の先祖として位置づけられ、九州の天照大神と出雲の
>素戔嗚尊を産み出した神として描かれる必要があったのではなかろうか?

それは少なくとも大和に先行する王権が筑紫や出雲にあったという立場から書かれていることになる。
そして神武が卑弥呼と同時代なら、後漢代の倭王とは筑紫の王になる。
事実、金印は志賀島から出土した。
そして魏志倭人伝には遷都の記事はなく、卑弥呼も倭王と称されている。
0511日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 17:08:21.91
>>509
もちろん北九州は渡来人の上陸地点で、そこから
彼らが日本各地へ分散していく過程で、九州にも出雲にも
王権ができた可能性はある。そして出雲の王権は大和をも
支配したということだ。

>大和から九州への流れを想定しなければいけないのか?
そうではない。九州出身の天皇家が大和を征服した後、大和先住の
王権の神話を改変したということだ。宋史と記紀とで、神々の世代数も
名前も噛み合っていないから、九州の神話をそのままコピーできている
とは到底言えない。
0512日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 17:09:47.42
>古事記の神代では、最後の神武の時代になるまでは大和など出てこない。
あれ、古事記にないか?
日本書紀では神話に大和がきちんと登場する。葦原中国を平らげて回った
大己貴命が出雲国に着いて言揚げしたとき、自分の幸魂、奇魂が海を照ら
してやってくるのを見て、そのおかげで自分が大きな国を作ることができた
ことを知り、それを大和国の三諸山に祀ったと書いてある。つまり、大己貴
命は大和の土地を踏んだということだ。それが大三輪の神の起源であり、
彼から賀茂君、大三輪の君、媛蹈鞴五十鈴命が生まれたとされる。

日本書紀は神武天皇を日向国という九州の田舎の豪族として描いており、
彼の血筋が大和先住の王家である事代主神(遡ると大己貴大神、素戔嗚尊へ
と繫がる)の血を引く女性と結婚したことを示している。王家の婿に迎え入
れられるほどだから実際にはそれなりの血筋、家柄を持っていたはずだ。

欠史八代という歴史の空白が存在するのは、邪馬台国が畿内にあり、初期の
天皇が邪馬台国と同居していたことを隠した結果である。邪馬台国が九州に
あれば欠史八代の事績が残せたはずである。古事記はわずかに孝霊天皇の代に
吉備国平定の記事を残している(それはそれで重要だ)が、日本書紀はそれす
ら綺麗に抹消した。崇神天皇が即位した頃までまだ邪馬台国が生き残っていた
からだろう。
0513日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 17:17:36.58
>>511
>王権の神話を改変したということだ。宋史と記紀とで、神々の世代数も

そんなものを改変する必要はない。
ちゃんと記紀神話は筑紫の王家が大和に入ったと書いている。
0514日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 17:21:20.55
>>512
>ことを知り、それを大和国の三諸山に祀ったと書いてある。

書いてないよ。
日本書紀の創作だよ。

>>512
>日本書紀は神武天皇を日向国という九州の田舎の豪族として描いており、

筑紫の日向の倭王として書いてある。
つまり博多湾沿岸(伊都国と奴国と志賀島)の弥生文化の当事者がそのまま西日本にも播種し、その一系統が天皇家だということ。
鴨や物部がその他の系統。
0515日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 17:23:03.15
出雲のスサノオがそもそも筑紫の日向の生まれとされている。
記紀の編者らは畿内の人間だったから、地元贔屓の偏向記事が時々混じるけど、基本は筑紫が神代の倭国の王都。
0516日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 17:31:14.88
宮崎県を日向国と呼ぶのは景行天皇から。
それ以前の筑紫の日向は福岡県西部。
筑紫の日向の小戸で生まれたのが天照やスサノオ。
孫の世代で高天原から戻ってきた邇邇芸らがいた筑紫の日向の高千穂は高祖山。
高祖山の南の峰がクシフル峰。
高祖神社の祭神が彦火火出見(邇邇芸の息子である山幸彦、そして神武の又の名でもある)。
0517日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 18:00:37.57
>>514
>筑紫の日向の倭王として書いてある。
一言も書いていない。嘘を言わないこと。
>>495も言ってるが、神武の最初の奥さん吾平津媛の痕跡は
福岡になく宮崎にある。手研耳命を祀る神社もそこにあるんだとさ。
筑紫国は神武が東征のはじめ豊予海峡を通って椎根津彦の案内で
初めて立ち寄り、宇佐津彦・宇佐津姫にもてなされたところであって
彼の生まれ故郷ではない。

>出雲のスサノオがそもそも筑紫の日向の生まれとされている。
宋史ではスサノオはアマテラスの弟ではなく父だぞ。
皇室の先祖であるスサノオを貶める神話を作る理由は何だろうな。
アマテラスとスサノオが姉弟でありながら(誓約でだが)子供を作る
理由は何だろうか?近親相姦になるではないか。この話はいったい
神武天皇が生まれる前のどんな歴史的な事実を反映しているんだろうね?
記紀が描くアマテラスとスサノオが姉弟ではなくもともと赤の他人であれば
納得できる。
0518日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 19:21:12.10
>>508
>全ての地名は筑紫から関西圏広域にコピーされました。

逆。

大和の久米→福岡の久留米
大和の国栖→大分の玖珠

これで分るように大宰府設置に伴う地名の移転。
0519日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 19:33:05.77
安本氏が言われるように、実在確かな31代用明天皇を基点に以後20人の平均在位を計算してみるが、
20人というのは平均を採るには少し少ないような気がするので、
念のために30人の平均在位も計算してみる。
重祚もあるのでややこしいが頑張って計算してみる。

@ 31代用明天皇即位は585年、用明を含めて20人後は52代嵯峨天皇で823年まで在位。
823-585=238  238を20人で割ると11.9年。

A 用明天皇を含めて30人後は62代村上天皇で967年まで在位。
967-585=382  382を30人で割ると12.7333・・・。

@の平均在位11.9年で用明天皇から神功皇后を含めて31人前の神武の即位年を計算してみる。
11.9×31=368.9  四捨五入で369年として31代用明即位=30代敏達崩御の585年から引いてみる。
585-369=216年。

神武即位はおおよそ216年。

Aの12.73で用明天皇から神功皇后を含めて31人前の神武の即位年を計算してみる。
12.73×31=394.63
395として585-395=190年。

神武即位はおおよそ190年。

実在確かな用明天皇から神功皇后を含めて神武まで計算すると、
神武は卑弥呼の時代である。
0520日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 20:17:37.01
>>517
>宋史ではスサノオはアマテラスの弟ではなく父だぞ。

宋史では王位の継承順を述べているだけで、親子か兄弟かは書いてない。
当時は兄弟相続もあったし、皇統譜にも兄弟相続はある。

>理由は何だろうか?近親相姦になるではないか。この話はいったい

イザナギとイザナミは兄妹だ。
その前の神々も兄妹が多い。
ただし宋史は男王だけ書いてあるように見えるので、天照も男王の扱いだろう。
0521日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 20:23:12.72
>>519
>実在確かな用明天皇から神功皇后を含めて神武まで計算すると、
>神武は卑弥呼の時代である。

それはいい。
しかし、卑弥呼は金印をもらった倭王であり、それは卑弥呼が筑紫の博多湾沿岸にいたということだ。
大和は中国と交流していた形跡がない。
神武が卑弥呼と同時代なら、神武は邪馬台国の卑弥呼とは関係ない別の王権だということだ。
0522日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 20:38:42.60
んー?
本来日本の神々の大多数がそのルーツを日向ではなく出雲に持ち、
高天原の神々とは出雲にルーツをもつ大和の神々だったとすれば、
記紀は高天原を葦原中国(日本列島上のごく限られた地域ではなく
大八洲国とほぼ同義)に対して侵略・支配を図る空上世界という
位置づけへと書き換えて、神々を天つ神と国つ神とに二分・対立
させたことにならないか?

もともと大和の神だった高皇産霊尊(高御産巣日神)を天つ神
の最高神で神武天皇の先祖神みたいに仕立てたり、下照姫を天照大神に
作り替えて、夫である天稚彦(天若日子)を返し矢で殺させたりとか
無茶苦茶すぎるだろ。
0523日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 20:39:58.41
>>521
>しかし、卑弥呼は金印をもらった倭王であり、それは卑弥呼が筑紫の博多湾沿岸にいたということだ。

何を言ってるんだ。
志賀島の金印を仮に本物だとしても(間違いなく偽物だがw)、
それはAD57年であり、卑弥呼の時代ではないだろ。
卑弥呼の親魏倭王の印も金印かどうかは分からないし。
0524日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 20:49:57.10
>>522

いやいや、出雲の神も、元々は筑紫の分家だというのが記紀の立場だよ。
そしてニニギは豊葦原中国の王となるために筑紫に降臨した。
ただしそれは侵略ではなく、天照もまた筑紫の分家なので、出戻りに過ぎない。
記紀は天照を正統としているが、天照時代に倭王だったのはおそらく博多湾志賀島の大山祇や綿津見だったのだろう。
侵略ではなく、筑紫王家と豊国王家が姻戚関係を結ぶことで平和的に共同統治したというのが記紀の立場だ。
0525日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 20:59:22.71
>下照姫を天照大神に作り替えて、夫である天稚彦(天若日子)を返し矢で殺させたりとか
無茶苦茶すぎるだろ。

無茶苦茶すぎない。
これはアマテラスと卑弥呼を同一人物としてもらうことが目的。

もう一つ、日本書紀ではモモソ媛の箸墓古墳の記述にスペースを割いて、
昼は人が造り、夜は神が造ったなどと書いている。
読み手はこれに何やら神秘性を感じ、モモソ媛が卑弥呼ではないかと思うだろ。
これもモモソ媛を卑弥呼と間違えてもらうことが目的。

そして神功皇后を強引に卑弥呼の時代に当てはめている。
これも神功皇后を卑弥呼と間違えてもらうことが目的。

日本書記では計3人の卑弥呼候補を用意した。
しかし3人とも卑弥呼ではない。

本当の卑弥呼は神武東征紀の中に隠した。
0526日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 21:01:49.36
>>523

卑弥呼の親魏倭王印は金印だよ。
魏志倭人伝くらい読んでくれ。
倭王帥升が107年、卑弥呼即位が推定190年頃。
倭国は筑紫の王権として認識されていた。
神武は都落ちしたが、倭の王都が遷都したなどという記録は中国の史書にはない。
倭国大乱で天孫族が筑紫を出た後に、混乱を収めるために卑弥呼が筑紫の倭王として共立されたと考える他ない。
少なくとも、中国から見た「倭」とは、筑紫のことであり、卑弥呼はその女王とされている。
帯方郡から邪馬台国まで一万二千里だが、そのうち一万里で九州北岸に達している。
残り二千里は、対馬海峡三千里より短い距離しかない。
0527日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 21:40:47.46
>倭王帥升が107年、卑弥呼即位が推定190年頃。
倭国は筑紫の王権として認識されていた。

だからなんで筑紫なんだ、根拠がないではないか。
君は麻原を師とあおぐアレフと変わらない。
0528日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 21:45:51.95
失礼、「親魏倭王」は金印だった、俺の勘違い。

だからと言って九州である根拠は何もない。
0529日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 22:02:35.17
>>520
>イザナギとイザナミは兄妹だ。
>その前の神々も兄妹が多い。

古事記の「妹」伊邪那美命を伊邪那岐命に対して
妹という意味で解釈しているのかな?
神世七代のうち四、五世代も兄妹結婚を続けることは
現実には不可能だろう。そして日本書紀をよく読むと、
イザナギとイザナミこそが初めての夫婦なんだよ。
因問陰神曰。汝身有何成耶。對曰。吾身有一雌元之處。
陽神曰。吾身亦有雄元之處。思欲以吾身元處合汝身之元處。
於是陰陽始遘合爲夫婦。
「於是陰陽始遘合為夫婦」(ここで陰と陽が初めて交合して夫婦となる)
ってね。それまでの男神と女神は、男性と女性の特徴を部分的に持っている
ような神で人として完成した肉体を持っていないから夫婦になれないのだろう。

イザナギとイザナミは兄妹だという根拠になる伝承は
一書曰、「此二神、橿城根尊之子也」という日本書紀の異伝だけだな。
たぶん生物の雄と雌は最初は同じ親から生まれただろうから最初は近親婚
にならざるを得ないと言いたいだけだろう。

>宋史は男王だけ書いてあるように見えるので、天照も男王の扱いだろう。
そうかもね。イザナギは書かれてもイザナミは書かれていないしイザナミ
以外の女神もどうも見当たらない。
0530日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 22:20:56.32
>宋史では王位の継承順を述べているだけで、親子か兄弟かは書いてない。
>当時は兄弟相続もあったし、皇統譜にも兄弟相続はある。

それがだよ、日本書紀の異伝が宋史の13代から17代と重なっている
「…は〜を生んだ」という表現は父子関係にあるとしか読めない。

一書曰『國常立尊生天鏡尊、天鏡尊生天萬尊、天萬尊生沫蕩尊、
沫蕩尊生伊弉諾尊。沫蕩、此云阿和那伎。』
0531日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 22:22:03.27
王家の血筋を守るために近親婚はよくあること。
弥生時代にあっては、兄妹でも問題視されなかったということだろう。
ただし記紀編纂時においてはすでにタブーであたっため、表現がぼかされたまたは省略された。

天照は平安時代くらいまでは男王の扱いだったとどこかで読んだな。
0532日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 22:28:01.52
>>525
>これはアマテラスと卑弥呼を同一人物としてもらうことが目的。

詳しい解説、お願いします。
0533日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/30(日) 23:48:28.90
ああ、不思議な術まで使って戦闘を指揮する女王のイメージが
ちょうど卑弥呼と重なるということですか?
0534日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 04:18:25.68
>>532

7世紀の朝廷が最も隠したかったこと、それが倭国王帥升=スサノオのご下座朝貢。
だから干支2運120年ずらし、神功皇后を卑弥呼の時代にあて、
わざわざ神功皇后紀に魏志倭人伝の卑弥呼の記事を挿入、
神功皇后こそ卑弥呼であるとアピール、
これが第一。

そしてモモソ媛の箸墓古墳(円墳部だけ径百余歩)伝承の記事に「昼は人が造り、夜は神が造った」などと、
読み手に卑弥呼を想起させる記事を挿入、
そして垂仁紀に埴輪生誕に際して、まるで日本に殉葬があったかのような記事を書き、
つまり箸墓古墳の時代まで殉葬があったけど、垂仁の時代に止めましたと間接的に認め、モモソ媛が卑弥呼であった印象作り、
これが第二。

葛城にいた高姫をモデルに天照大御神を創作、卑弥呼を思わせる別名「大日女尊・大日孁(おおひるめ)」にし、夫がおらず、「弟」がいるとの設定に変えた。
実際の高姫にはアジスキタカヒコネという兄がおり、アメノワカヒコという夫もいた。
これが第三。

この三人の卑弥呼候補に現在でも古代史家、古代史好きがみんな騙されている。

そして本当の卑弥呼(Bei mei hu)=比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、つまりヒメ后ことヒメ(踏鞴五十鈴)后を神武東征紀に隠す。
また新称号「天皇・皇后」を採用することで、女王と王配(=女王の婿)の関係をごまかした。

すべて、日本の歴史がスサノオの後漢安帝への謁見要請=土下座から始まる史実を隠したかったから。
0535日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 04:21:15.53
× ご下座朝貢。

〇 土下座朝貢。
0536日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 04:40:58.41
英国の 2021年4月9日、エジンバラ公フィリップ殿下がお亡くなりになられました。

今の英国のエリザベス女王は【年已長大 無夫壻】です。
今から1800年前、日本にも夫であった神武に先立たれた【年已長大 無夫壻】の女王がいたわけです。

女王の墓は高天原にあります。
魏志倭人伝の通り、隣に奴婢(=土蜘蛛)が眠ってます。
https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111.jpg
0537日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 04:42:03.76
× 英国の 2021年4月9日、エジンバラ公フィリップ殿下

〇 2021年4月9日、英国の エジンバラ公フィリップ殿下
0538日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 07:02:55.57
相変わらず土下座とか言うてる低脳来てんね
0539日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 07:36:59.74
日本神話って古事記日本書紀編纂の際に一から作られた話?
それともそれ以前から伝わってた伝説をまとめたものなの?
0540日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 07:53:30.07
>>538
倭国王帥升は楽浪にまで来て「おい、皇帝に会いに来たぞ、会わせろ!」と突っ立ってたのか?
0541日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 08:26:02.14
一から作ったらあんなややこしくて天皇中心扱いとしても整合性が取れない話にならない
0542太国
垢版 |
2021/05/31(月) 12:59:19.38
土下座は中国のほうさ。w
0543日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 13:12:43.63
チャイナっていうのはチャイロ名の露国字を除いたアンテイーク茶色語名で
あって、要するに中国っていうのはロ(露)でないチャイルド(茶色土)の
大きなお子さま国家なわけだよ。相撲でこの子供が白鵬に勝たせてもらって
テメエのほうが土下座させた上位だとか、土俵で白鵬に勝たせてもらってて本気
に思って喜んでるのがその自慢の中国なわけ。ww

土下座っていってた野郎はいかれたオツムの中国人だろ?pp

規制中でコチラという天敵がいないので、奴はホッとしてたみたいだ。pp
0544太国
垢版 |
2021/05/31(月) 13:13:48.07
>>543はコチラの書きこみ。
0545日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 14:00:40.34
せっかく良い感じでスレが進行してたのに、こいつが来たら台無しだ。
0546日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 14:19:05.64
推古 593〜628
崇峻 587〜592
用明 585〜587
敏達 572〜585
欽明 539〜571
宣化 536〜539
安閑 531〜535
継体 507〜531
0547日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 14:19:45.95
武烈 500頃
仁賢   〜500 
顕宗 
清寧 470〜
雄略 450〜470
安康   〜450
允恭
反正
履中 430〜
仁徳 410〜430
応神 390〜410
神功 370〜390
仲哀   〜370
成務 350頃
景行   〜350
垂仁 
崇神 300〜
開化   〜300 
孝元 
孝霊 250〜
孝安   〜250
孝昭
懿徳 200〜
安寧    〜200
綏靖
神武 ?170〜
0548日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 14:27:18.56
>>546
>>547

その年代観におおよそ賛成です。
0549日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 14:33:07.26
古代中国から暦が伝わるまで日本には後の一年と言う単位の時間の尺度がないための誤謬のようだな。長生き捏造なら成長のスピードまで遅くする必要はない。
0550日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 14:59:39.92
>>539
一から作られたものではないが、先に完成した神話があって
その後に神武天皇から始まる天皇の歴史があると思ってはいけない。
これは権力者による権力者の為の神話だから、素朴な民間伝承など
とは性質が異なることに注意して読む必要がある。

歴史上の事実が散見されるのも事実かもしれないが、原則と
してまず完成した歴史があって、神話は天皇家が日本列島を
支配できる理由を後から説明する性格が強い。例えば、神武天皇が
出雲に由来する大和の豪族へ婿として迎え入れられたという歴史解釈は
国譲り神話が後で作られた物語であり、実際に神武が生まれる前に起きた
ことではなかったことを前提としている。

イザナギ、スサノオ、アマテラスなど神話中の神々や彼らに
まつわる伝承はちゃんと日本列島上に存在した。
それを単に一つにまとめたわけではなく、神の役割をいろいろ
変えたり(例えば下照姫→天照大神、味耜高彦根神→素戔嗚尊とか)、
それぞれの伝承を繫ぎ合わせるために加筆したりしてまるでひと続きの
物語のように仕上げたのが日本神話。
0551日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 15:18:30.99
ちっともひと続きじゃなく後の人が考えらむとか言って投げてるのが日本書紀
0552日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 15:22:09.67
>>550
>出雲に由来する大和の豪族へ婿として迎え入れられたという歴史解釈は

そんな解釈はデタラメだし、一部のスレで阿呆が主張しているだけ。
古事記では三輪山の神の娘としている。

>国譲り神話が後で作られた物語であり、実際に神武が生まれる前に起きた

意味不明。
生前と言いたいのか?
どちらにしても根拠がない妄想だが。
0553日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 15:23:17.80
古事記と日本書紀は明らかに別の出典があるが、内容は似ている。
これはさらに古くから伝わる話があった証拠。
0554日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 15:43:35.54
>>551
>ちっともひと続きじゃなく…
君はよっぽど頑固なんだな。神話の意味すら分かっていないのでは?

天地開闢と神々の誕生、男神と女神の誕生、彼らが日本を構成する島々や
神々を産む話、本来根国へ直行しなければならないスサノオがわざわざ天へ昇り、
アマテラスと誓約し天孫の父となる男神を産み出し、天で暴れて追い出されると
出雲に上陸してオオナムチを産む話、オオナムチが大和を含む葦原中国の支配者
になる話、タカミムスヒもしくはアマテラスがニニギを葦原中国の君主にするため、
タケミカヅチらを遣わしてお前の国を寄越せとオオナムチを恫喝する話、
ニニギが日向に降臨し三代に及んでその地の女性と血縁を深めて
神武天皇と隼人の先祖になる話というように、日本神話はちゃんと日本創世から
王朝の開祖の誕生までひと続きの物語になっているぞ?
理論が分かる官僚の作文だよ。
0557日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 17:57:36.96
>>554
横からですまないが、ひと続きではないね。
アマテラスやスサノオはおそらく傍系で、本来は大山祇が博多の倭奴国の王。
だからこそ筑紫に降臨した天孫が大山祇の娘を娶ったり、スサノオが大山祇の末裔の娘を娶ったりしていたのだろう。
イザナギからの男系の血統だけでは、弥生時代においては王として不十分だと考えられたのかもしれない。
ただし記紀編纂時には、その重要性は薄れてさまい、記紀は男系のアマテラスらだけを詳しく述べることになったと思われる。
0558日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 17:59:39.56
天照=海を照らす(支配する)王
海神族の首長という意味。

高天原=高貴な海の向こうの城(バルは九州では集落や城柵=環濠集落の意)
0559日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 18:02:59.20
>>552
>意味不明。
>生前と言いたいのか?
>どちらにしても根拠がない妄想だが。

国譲り、いわゆる葦原中国の平定は神武天皇より5世代前
のアマテラスかタカミムスヒが自分の孫のニニギを葦原中
国の君主にするために起こしたことだから、神武天皇は当
時まだ生まれていない。

神話をそのままうのみにするなら、葦原中国の平定は、
神武天皇が生まれる前に起きたことだが、神話を神話にすぎない、
神を祀る人たちがいる場所だけが重要だとすると
>神武天皇が出雲に由来する大和の豪族へ婿として迎え入れられた
と言う解釈が出てくる。
そしてずっと後、彼の子孫である崇神天皇が逆に大和と出雲
を押さえてから天孫降臨神話より前に国譲り神話を上乗せした。
0561日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 18:32:24.22
>>552
>>出雲に由来する大和の豪族へ婿として迎え入れられたという歴史解釈は

>そんな解釈はデタラメだし、一部のスレで阿呆が主張しているだけ。

そういう歴史解釈はないかもしれないが、考古学的には崇神天皇が4世紀前半、
ならばその数十年前にトヨがいることになるが、トヨ津媛ではないかという仮説が成り立つ。
卑弥呼とトヨの世代間がおおよそ3世代なので、そのトヨ津姫の3世代前に卑弥呼がいることになるが、
ヒメ(蹈鞴五十鈴)媛・后がいる。
また卑弥呼の五尺刀といわれる国宝中平銘鉄刀の和邇氏の系譜に卑弥呼がいるのではないかという仮説が成り立つが、
和邇氏の祖は孝昭天皇であり、その母親がトヨ津媛である。
ならば卑弥呼もトヨも住処は葛城であり、その最上座にある古来から高天原と呼ばれた場所に径百余歩の塚、そして隣に土蜘蛛塚がある。
邪馬台国論争はあっさり決着し、神武は女王の婿(=王配)であったことが分かる。
0562日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 18:45:53.79
>>559
時系列を無視した議論はナンセンス
0563日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 18:47:04.28
>>561
結論先にありきの強引な話だ。
仮設でもなんでもない。
根拠のない思い込みを妄想という。
0564太国
垢版 |
2021/05/31(月) 19:58:47.99
考古学的に崇神没年は258年説が正解だ。
10年前の千葉考古班の測定でもこれで矛盾はないし、
八幡愚童訓に

 黄龍2年=230年=開化48年

だが、これにも矛盾の不合理はない。

だから崇神の代ころは畿内がこの天皇で男王国、九州は女王国で卑弥呼
がいたのさ。百襲媛は卑弥呼とほぼ同年代だったとなる。

神武の后が卑弥呼なら畿内は当時男王国でなく女王国があったはず
だが、神武のほうが実権もってたんじゃあ女王国は畿内に当時無い。
神武の后が卑弥呼だと千葉考古班の測定にも八幡愚童訓の年代にも
全く合わない。卑弥呼が神武の后でないことはこれではっきりしてる。

紀が卑弥呼を隠匿してないのは、神功39年の紀録での卑弥呼公開で
まったく隠匿とはいえない。神武の后が卑弥呼というのは完全な出鱈目
なのである。
0565日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 20:40:46.71
>>563
>結論先にありきの強引な話だ。

どうしてかな。
崇神天皇陵墓=行灯山古墳は土器編年でも4世紀初頭。
また古事記の没年干支が正しいとするなら崇神は318年没が妥当。
応神が390年元年で間違いないので平均在位からも崇神は318年没が妥当。

そこから数十年前に魏志倭人伝に書かれたトヨがいるはず。
そして「いる」という話だ。
これは仮説でもなんでもない。
この事実に対する根拠のない反論を妄想という。
0566太国
垢版 |
2021/05/31(月) 20:50:12.46
応神が390年というのは間違い。

それだと千葉考古班の測定と八幡愚童訓のいう年代と合わなくなる。
だが258年説だといずれにも矛盾がない。つまり応神元年が390年
でないことを物語っている。

 仁徳即位元年=391年

これが真なのさ.
0567日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 20:51:33.56
応神が390年元年で間違いないので、そこから20人後、30人後の平均在位は約12年。

その12年で神功皇后、仲哀、成務、景行、垂仁、崇神と遡れば72年間だから、
崇神即位は390-72=318
崇神没有力年と同じ数字が出るが、これはあくまで平均なので、やはり崇神は4世紀前半の人物。

決して258年没にはなるわけがない。
0568太国
垢版 |
2021/05/31(月) 20:56:59.56
応神390年で間違いなければ、千葉考古班の年代測定と合うはずだ。
ところが合わないだろ。おまけに八幡愚童訓の開化と黄龍年代とも
合わないよ。258年だとおかしくない。応神390年説は間違い。
0569日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 21:04:54.87
応神390年は誉田御廟山外堤の須恵器の最新編年とも合う。
また百済のアケ王擁立年が392年、それは日本書紀応神3年の事なので、
遡って出てくる応神元年は390年。
文献史的にも間違いはない。
0570太国
垢版 |
2021/05/31(月) 21:16:47.52
仁徳3年ころに超新星爆発があり、その光輝が届いてる記述が仁徳紀の
そこに星辰の光輝が壁穴から漏れ見えるとの記述があり、コチラの主張
とピタリ合う。応神の時にそんな光輝のもれの記述はない。
大成経の編者も倍暦を知らないようで、応神4年に超新星爆発光輝を
記載してたが、これも間違い。仁徳は天文台たる高台に登って
空気が良い状態を見分している。空気が悪く住民の竈の煙で星が観え
ないことを遠回しに言ってたのさ。だから仁徳元年は391年だよ
0571日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/31(月) 23:39:05.91
>>565
>そこから数十年前に魏志倭人伝に書かれたトヨがいるはず。

年代はそれでいい。
応神が4世紀末というのはこちらも同じ。
その上で、そもそも畿内は邪馬台国と関係がないのだから、神武もイスケヨリヒメも卑弥呼とは関係ない。
0572日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 06:23:40.07
>>571
崇神天皇=4世紀前半でいいのなら。その数十年前にいた最高位のトヨという女性をさがせばいいだけ。
見つけられないのに「畿内は邪馬台国と関係がない」と繰り返されても困るわけだ。
0573日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 06:48:41.99
記紀に載っているという根拠がない。
0574日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 08:09:50.85
成務天皇
・武内宿禰と同日生まれ
・武内宿禰を大臣に登用
・国造の設置はほとんど成務朝(先旧紀)
・在位中は太平であった
・在位干支丁度一周の60年で崩御

 成務天皇=武内宿禰 ➡ 末裔の蘇我氏が隠蔽、理想化して記述。

  って説ありじゃね?
0575太国
垢版 |
2021/06/01(火) 08:27:02.53
成務元年 成務天皇即位
成務5年 金神社(岐阜市)賀夫良命に国造を賜う
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 姉崎神社(上総国)諸神を合祀
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 熊野神社(千葉県)同年に創建
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務28年 伊曾神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人 観音を刻す
成務48年 油山(佐賀県)清賀上人 椿油を採る
0576日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 12:40:05.58
ワシの家系は大国主の子で国譲りに反発して負けた神の子孫らしいけど
何故か日本書紀には登場して来ない
0577日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 13:08:55.93
>>560>>562
ソースを貼っておこう。これは全然妄想ではない。

オオナムチは大八洲国を支配していた偉大な神。
葦原中国は,出雲一国を指し示す文言ではなく天の下全体を指して
いる。
http://www3.point.ne.jp/~ama/w52.html
・そもそも神武天皇がオオナムチに絡んで天皇の系譜につながる
・神武天皇以下の血筋は出雲との血縁を述べている
・出雲国を武力で服属させたというのは幻想
>このように,神武天皇以下懿徳天皇までは,すべて事代主神の血をひいた女を皇后にして
>いるのだ。
>出雲国を現実に武力侵略し,支配したのであれば,こんなことをする必要性はない。
>オオナムチは,すでにヤマトの三輪山にいた。その周辺には,オオナムチをいつき祭る
>人々がいた。神武天皇は,「東征」によってやって来た,新参者にすぎない。
>だからこそ,その地元の人々と血縁関係を深めることによって,支配者たり得たのだ。
http://www3.point.ne.jp/~ama/w53.html
0578日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 13:45:03.49
日本書紀の異伝にこそ出雲神話が残っている
>オオナムチは,出雲国の支配者にすぎないかのようでもある。
>しかし,日本書紀は,出雲神話を語るために編纂されたのではない。
>時の権力者が,律令国家の成り立ちを語るために用意した神話なのだ。
>本文で出雲神話を語るはずがない。
>しかも,日本神話は,出雲の神を神話の表舞台から退場させるために構成されている。
>出雲神話は,本文の材料とされた,異伝としての一書に残っている。
>日本書紀編纂者は,出雲神話を,本文と一書に,巧妙に振り分けている。
0580日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 13:49:39.33
第8段第6の一書はオオナムチが天の下全体を平定したと伝えている
>まず,第8段第6の一書の,前記@の部分は,オオナムチが,「天下を経営る(つくる)」
>としている。天の下とは,葦原中国のことだ。
>出雲だけでなく,広く葦原中国全体を「経営」ったのだ。それは,大八洲国全体というこ
>とである。
>そして,単に平定しただけでなく,人民と家畜の病気を治す方法を定め,また鳥や獣や害
>虫による天災を除去する法を定めたとある。
>こうして「百姓(おおみたから)」は,現在に至るまでその恩恵をこうむった。
>もはや,出雲という一地方に限定していない内容だ。
0581日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 13:53:23.32
オオナムチが「遂に出雲国に到りて(いたりて)」の解釈
>スクナヒコナが常世郷(とこよのくに)に去ったあと,オオナムチは,
>「国の中に未だ成らざる所」を巡って,国作りを完成させる。
>そして,「遂に出雲国に到りて(いたりて)」,言あげ(ことあげ)をする。
・・・
>「国」という文言を「出雲国」ととらえれば,出雲国を完成させた話にすぎない。
>しかしここでは,「国」を巡った末に「遂に出雲国に到りて(いたりて)」言あげしたと叙
>述されているのだ。
>その平定した対象は「葦原中国」だと,はっきり書いてある。
・・・
>出雲の建国者は,スサノヲだった。その子孫のオオナムチが,出雲のみならず,
>広く天の下を作ったのだ。
・・・
>これは,出雲国風土記にある「天の下造らしし大神大穴持神」という尊称を裏付けている。
>両者に矛盾はない
・・・
>草薙の剣は,スサノヲが,出雲の八岐大蛇の体内から取り出した剣だった。
>古事記によれば,高志の八俣の大蛇だ。
>すなわちそれは,出雲のみならず越の国の統治権をも象徴する剣だったのだ。
0582日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 13:56:11.28
国譲りという名の侵略と草薙剣の献上
>アマノフキネとオオクニヌシとが同一神であるかどうか問題だが,とにかく
>オオクニヌシは,国譲りという名の侵略に登場し,統治権を献上してしまった。
>草薙剣は,国譲りという名の侵略に際して高天原の神に献上されたのではない
>だろうか。
>自分が持っている物ではないと言って,さっさと天上に献上してしまうスサノヲ
>の言動(日本書紀第8段本文)は,いかにも根拠がなく唐突で,理解しがたいのだ。
>草薙剣は,国譲りという名の侵略に際して,統治権の献上とともに譲渡されたと
>考えるのが自然だろう。
0583日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 13:58:53.77
葦原中国は天の下全体を指し示す
>もちろん,葦原中国が,天の下全体を指すのか否かも問題だ。
>しかし第6段第3の一書は,いわゆる宗像三神を天降らせた場所として,
>「葦原中国の宇佐嶋(うさのしま)」とし,それが「今(日本書紀編纂当時をいう),
>海の北の道」の中にあるといいる。
>すなわち,筑紫地方も葦原中国なのだ。決して,出雲地方だけではない。
>また神武天皇は,河内,ヤマトに侵入するが,長髄彦の抵抗にあって苦戦する。
>兄である稲飯命も三毛入野命も戦死し,軍は気力を失った。
>そこでアマテラスは,高倉下(たかくらじ)の夢に出て,「夫れ葦原中国は猶(なお)聞
>喧擾之響焉(さやげりなり)」と述べて,タケミカヅチを派遣しようとする。
>すなわち,河内,大和地方も葦原中国なのだ。
>葦原中国は,出雲一国を指し示す文言ではない。天の下全体を指していると言ってよいだ
>ろう。
0584日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 14:00:28.82
古事記は「始めて国を作りたまひき」と述べている
>この点古事記ライターは,日本書紀編纂者よりも正直だった。
>重複になる部分があるが,ここですべてまとめておこう。
>前述したとおり,古事記は,オオクニヌシ(オオナムチ)の王朝物語を展開している。
>稲羽の素兎から始まるお伽噺がちゃらんぽらんであることは,すでに検討したとおりだ。
>しかし,心優しき若き日の英雄が通過儀礼を乗り越えて真の英雄となり,「始めて国を作
>りたまひき」となった経緯を描いている。
>「ハツクニシラススメラミコト」以前に,「ハツクニシラスカミ」がいたという主張だ。
>その後の夜這いの話,后の嫉妬の話,歌物語等,古事記におけるオオクニヌシの物語は,
>1つの完結した王朝物語となっている。
>これは,決して,出雲国一国の建国物語ではない。
>「始めて国を作りたまひき」というのだから,それ以前に国はなかったのだ。
>ここにいう「国」とは,国生みの「国」ではない。自然的存在としての国土ではなく,
>人間社会としての国のことだ。
0586日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 14:04:55.40
スサノヲが人間社会を初めて作りオオクニヌシが国を作った
>古事記によれば,天つ神による「修理固成」の命令により,国生みと神生みが行われ,
>さらにアマテラス等3神も生まれたが,宇都志国(うつしくに),すなわち現世における
>人間社会は生まれなかった。
>イザナキとイザナミは,そうした意味での社会を生むことはなかった。
>「国生み」は,国土としての国でしかなく,人間社会としての国ではない。

>人間社会を初めて作ったのは,スサノヲだ。
>スサノヲによる須賀の宮作りと「宮の首(おびと)」の任命こそが,日本書紀,古事記を
>通じて,最初の人間社会だ。これにより,国家としての体制がまがりなりにも整った。
>それを大きく発展させ,「始めて国を作りたまひき」と言われたのがオオクニヌシなのだ。
0588日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 21:13:19.77
y卑弥呼=神功皇后で、子の応神との間に省略、抹消された系譜があるのでは。
0589日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 21:34:23.53
>>573
記紀から卑弥呼もトヨも探せばいい。
探さないのは「記紀に卑弥呼もトヨも登場しない」という固定観念があるからだろ。
0590日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/01(火) 21:45:14.02
.邪馬台国論争というのは、
江戸時代に、もしかして倭国王帥升というのは名前の似たスサノオではないのか、
という仮説を立てて見たら、
その5世代百年後にいるはずの卑弥呼を見つけてしまい、
さらにその3世代後にトヨを見つけてしまい、
やはり倭国王帥升というのはスサノオであったか!と理解し、
ならば日本の歴史は後漢・安帝への謁見要請という土下座から始まっているではないか!と悲嘆にくれ、
これは世間に公にはできぬ、よし邪馬台国は九州にあったことにしよう、高天原は常陸だ、と、
窮余の一策を講じた新井白石が作り上げた論争。
0591太国
垢版 |
2021/06/01(火) 22:00:03.72
土下座すんのはチャイナのほう。あそこはチャイルド(茶色土)。
土俵の茶色の土くれがくっつく国だよ。白鵬に勝ったと思ってるお子様国家だよ。w

記紀にあるだろ。中国は天皇が統治するのさ。李鵬が日本はいずれ中国の属国
になると吠えてたそうだが、それは逆。未来、神国日本が中国を従えるのだ。

 アジア(葦原)の中国は吾が皇孫の統治する国

これが啓示だ。本ものの神啓だから日本の国号に『本』の字がつくのだ。
それゆえ神国日本は萬邦無比の國體を誇るのだよ。
0592日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 00:44:43.45
「邪馬台国と大和政権」(管理人:長須根富彦 著者:S.Mizuno)
この人はスレ主と似たことを主張している。もちろんかなり違うところもある。
古代史についての様々な人の類似・共通した見解を集めることは大事だ。

類似点・共通点
@ 天皇家は初代から大王と言えるだけの権力を持っていなかった。ただし、
  彼らは確かに大和国(奈良県)に実在した人物である。欠史八代とはまだ国を統治して
  いなかった初期の天皇の時代である。もちろん神武天皇と崇神天皇は別人である。
A 弥生時代の渡来人が、生活の中で漢字や干支を使っていた可能性は高い。その渡来人と
  関係の深い天皇であれば、崩御年の干支は語り継がれたと考えてもよい。
B 倭国王帥升=素戔嗚尊(!)であり、大和で神武天皇は素戔嗚尊の血を引く人物に服従していた
(ただし、素戔嗚尊の子大歳を饒速日命だと考え、饒速日命の子宇摩志麻治命に神武天皇
は服従したとする)。神武天皇が生きていた当時、誰も彼を天神の御子だとは思っていなかった。
C 神武天皇と卑弥呼は生きた時代が重複している(!)。だからこそ記紀では卑弥呼を抹消する
  必要が生じる(さすがにご本人はスレ主のように二人を夫婦とまでは思っていないようだ)。
D 邪馬台国は畿内説(奈良にあった)が正しい。大和政権は神功皇后を卑弥呼に見立てて
  邪馬台国の女王の記録を抹消せざるを得なかった。九州説なら邪馬台国の女王などを放って
  おいて初期の天皇家の歴史を書けたはずだ(神武〜開化の時代=女王卑弥呼と台与の時代。
卑弥呼と同様に台与も70歳ほど生きたと主張)。
0593日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 00:50:53.70
E 神武東征はかなり改竄、脚色されてはいるが(宇陀の戦い、八十梟師との戦いなど)史実を基にした出来事をも含んでいる
 (スレ主は名草姫殺害をあげる)。神武軍は大阪を撤退し、和歌山、熊野を通って奈良に入ったことは事実と考えてよいそうだ。
F 日本古来の神の中心地は出雲である(いわゆる神在月が理由)。一方、日向には、神のルーツを示す痕跡は何もない。
いわゆる日本神話は天皇家固有のものではなく他人の神話を盗んで自己都合で改変したものである。
G 天照大神は邪馬台国が祀っていた神である(ただし天照大神のモデルを2世紀の伊都国の女王だと考えており、スレ主の下照姫説
とも違うようだ)。八咫鏡を宮殿から追い出したことは、崇神天皇が天照大神の血筋ではないことを意味している(日本人はこの
  事実にもっと注目するべきだ)。崇神天皇は自分が滅ぼした前政権のことで大物主神の祟りを畏れた。
H 神武天皇(198年頃崩御)を1世代目とすると、孝霊天皇は5世代目、崇神天皇は6世代目(318年頃崩御か?)、応神天皇は9世
代目、仁徳天皇は10世代目である。やはり初代から17代目まで兄弟間継承を含み決して順調に父子継承ができていたわけではない。
0594日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 01:05:06.33
593(補足)
宇陀の戦いは史実、八十梟師との戦いは最初から騙し討ちで、
磯城(師木)の戦いと長髄彦(登美毘古)との戦いは創作らしい
0595日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 01:54:14.72
今の皇室の方々は混血しまくっておられるから
お顔を見ただけで父系先祖は弥生人だと判断するのは
難しい。しかし、>>577のリンク先を見ると
天照大神は、稲作や機織りのような弥生文化を産み出した
神として描かれている。そして彼女は天孫降臨に先だって
宗像の三女神を遣わした。
一方、素戔嗚尊は弥生文化を冒涜し追い払われ日本列島に
青い木々と人間社会を産み出した神として描かれている。
天照大神(実は高皇産霊尊)=九州に弥生文化を持ち込んだ神
素戔嗚尊=葦原中国を支配した縄文文化を体現する神
という見方が十分可能である。

しかも高皇産霊尊は壱岐・対馬では(天照大神や月読尊とは異なる)
日の神、月の神の親であり、天地を熔造した神だとされる。つまり
高天原は壱岐・対馬辺りの九州北部の海上にあり、神武天皇が中国か
朝鮮半島から弥生文化を携えてきた渡来人(ニニギ)の子孫ではないか
という疑う人たちが現れてもおかしくないわけだ。実際に調べてみると
東山天皇の子孫は縄文系だそうだで合っていないようだが。
0596日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 01:55:42.40
おそらく高天原はもともと大和にあり出雲にルーツを持つ日本(葦原中国)
の神々はここに故郷があるとされていたが、後代記紀が編集されるまでに
本来は仲が良いはずの神々どうしを対立させ、高天原にいる天つ神たちを
天皇家に繫げ、高天原を国つ神たちが住む葦原中国を侵略する、天上世界とも
海上世界とも解釈できそうな世界に作り変えた神話が形成されたのではない
だろうか。大和の神々を無理に九州に繫げたい意図を感じる。
天照大御神あるいは高皇産霊尊が皇祖とされるのはあくまで神話の設定に過ぎず、
実際には皇室がどんな神を信じているかは不詳なのかもしれない。
0597日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 02:53:18.74
騎馬民族征服王朝説も、神武天皇と崇神天皇は同一人物で
綏靖〜開化まで非実在だという学説も、邪馬台国九州説も
邪馬台国東遷説も、九州王朝説も、卑弥呼は一生独身だったも、
天照大神が皇室の先祖神であるも、みんな誤った学説、誤った常識?
左翼までもが皇室の古代史を否定する形で実は新しい皇国史観を作って
擁護していたのか?何なのこの国?
0599太国
垢版 |
2021/06/02(水) 06:28:27.14
津田の盲象をそのまま脳内に入れるのを許した不用心の野郎らが多いから、
こんなにインチキ説が蔓延したわけ。

非実在で陵だけ出そろって在るわけがないし、数十年かかって架空の陵造り
に人民を集める馬鹿は古代にいねえよ。w
0600日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 07:38:46.69
>>592
>は服従したとする)。神武天皇が生きていた当時、誰も彼を天神の御子だとは思っていなかった。

いちおう、畿内の首長であった饒速日と直接対談して、持ち物から同族と認められた。
なので、天神の子である饒速日と同族くらいには認識されていたのではないか。

>>593
>F 日本古来の神の中心地は出雲である(いわゆる神在月が理由)。一方、日向には、神のルーツを示す痕跡は何もない。

日向を宮崎県とするからおかしい。
筑紫の日向は福岡県西部だとすると、そこには王権があった考古学的証拠が多数ある。
それこそ奈良県とは桁違いに多い。
出雲も古代王権の地だが、そこから王権を取り上げたのが筑紫だと記紀は伝えている。

>>593
>G 天照大神は邪馬台国が祀っていた神である(ただし天照大神のモデルを2世紀の伊都国の女王だと考えており、

そしてその伊都国あった女王墓が平原遺跡。
八咫の鏡5面が発掘されている。
その被葬者が誰であったか、もうわかるというもの。
天照のモデルとなった倭国女王だろう。
0601日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 07:43:54.65
>>595
>素戔嗚尊=葦原中国を支配した縄文文化を体現する神

無理です。
全国の首長が出雲に集まったのは神奈月(神無月は後世の誤用)。
それは、稲の刈り取りが終わった秋の収穫の祭り事だったことを示している。
つまり出雲の神々も弥生文化の担い手であった。
年代的にも、神武が繰り上がるならスサノオも繰り上がるし、考古学的にも出雲の繁栄は弥生中期以降。
古いものはなんでも縄文と思い込むのは間違い。
弥生時代も結構長いのだ。
0602日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 07:45:55.44
津田はあくまで記紀は真実書いてある前提で後世の加筆と推定出来る部分を排除しただけ
0603日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 07:50:09.77
>>595
>しかも高皇産霊尊は壱岐・対馬では(天照大神や月読尊とは異なる)

月読は筑紫の日向の小戸で生まれて、海の向こうに去った。
そして月読神社は壱岐対馬を中心に分布する。
つまり、記紀の神代の巻で海の向こうというのは壱岐対馬のこと。
記紀のスケール感はそれくらいのものだということ。
「天照大神や月読尊とは異なる」というのは後世の誤りであり、同じものでよい。

>>596
>実際には皇室がどんな神を信じているかは不詳なのかもしれない。

どうしたそのような結論になるのか意味がわからない。
博多湾や出雲に王権がありました、天皇家は博多湾の分家であった高天原の一族が博多湾に戻って代表となりました、後に親戚を頼って大和に移動しました、でいいではないか。
無理に繋げたことにする必要すらない。
0604日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 07:53:10.87
>>602
ほとんどの人は津田をそうは認識していない。
彼は日本史を黒塗りにして闇に葬ったように思える。
誤解なのか?
盗まれた神話は、真逆の立場の九州説の代表である古田の代表的な著作なのだが。
0605太国
垢版 |
2021/06/02(水) 07:56:16.92
>>602
大甘だな。早く脳内を点検したほうがいい。
0607日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 08:00:00.17
思うに、イザナギ以前の高天原と、アマテラス以降の高天原は別なのではないか。
「海の(中の)集落」という意味なら、島嶼の一般名とも取れる。
前者は壱岐対馬のことで、後者は沖ノ島のこと。
0608太国
垢版 |
2021/06/02(水) 08:03:03.60
別だよ。そのとおり。
0609日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 08:03:28.63
島のことを表現するのに「海の中」と言うと、海中では息ができないと言う輩がいる。
都から下ると同じ用法で「天降る」と言うと、人間が天から降りてくるわけがないと言う輩がいる。
日本語が読めないバカの代表が津田。
0611日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 08:05:04.58
>>608
やはりそうだったか。
それなら記紀はほぼそのまま弥生文化の伝播の様子を後世の天皇家の視点から記録していたということになる。
0612太国
垢版 |
2021/06/02(水) 08:08:03.69
天地初発の高天原と日神誕生後の高天原とは別もの。
タカマガハラでなくタカアマハラと読む。
0614太国
垢版 |
2021/06/02(水) 08:17:04.68
昨今UFOの真偽が問われてるが、数十年前ならデンパ的扱いだったろう。
深夜NHKでアメリカのUFOの問題を解説していたが、月火星金星の人工衛星の
頻繁の映像から、本ものがあったらしいと考えておかしくない。
百七十九万年前、九州に遠い天体からの宇宙船が着陸したのが天孫民族の起源と
想うほかはない。紀はその情報を入れておいたとなる。
0615太国
垢版 |
2021/06/02(水) 08:19:54.07
>>613
タカマガハラなどと読んでては、死ぬまで日本神話の真実は把握できないぜ。
0616日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 08:22:34.30
高天原が記載されてるのは朝廷の正式史書である日本書紀本文以外だと言う事
0617太国
垢版 |
2021/06/02(水) 08:27:12.71
>>616
それが古事記だろ。
注釈にタカアマハラと読めとの記述があり、そこは重要だから註となって誤読み
を防いでるわけさ。
0618日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 08:27:36.81
古事記は日本書紀よりわずかに古く、原典により近い。
そこでは高天原と筑紫もしくは出雲としばしば行き来があったことが記されている。
そこからは高天原が玄界灘の島のいずれかであると考えられる。
原は筑紫の言葉では集落や城柵を意味する。
(弥生時代にあっては基本は環濠集落なので、集落と城柵に区別はない)
高天原は高貴な海上の集落の意味となる。
特に天照(海上を照らす=支配する海神族の首長)の磐座は、沖ノ島の祭祀を想起させる。
そして、高天原から筑紫の日向の高千穂クシフル峰(高祖山の南端)への降臨を守護したのが宗像氏族であったというのも、高天原=沖ノ島という考え方を支持する。
海上祭祀で知られるみあれ祭は天孫降臨を再現した祭りということになる。
0619日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 08:34:25.35
古事記が実際にオオノヤスマロが絡んで記述されたとしても日本書紀では不採用だったと言う事。
0620日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 11:41:25.04
>>592
>>593

これは驚いた、ほぼ私に近い説を持っておられる方のようだ。
ご紹介有難うございます。
0621日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 11:50:19.43
>>618
>古事記は日本書紀よりわずかに古く、原典により近い。
>そこでは高天原と筑紫もしくは出雲としばしば行き来があったことが記されている。

その通りの様相が高天原(金剛山)にある。
長柄神社に父が出雲系大国主、母が九州宗像族であるシタテルヒメが祀られ、
銅鐸(出雲の象徴)と多厨細文鏡(宗像の象徴)が同時に出て「国宝」になっている。

また径百余歩の塚、そしてとなりに奴婢=土蜘蛛が眠っている窟がある、
高天彦神社にも高皇産霊神と並んで宗像族の市杵島姫命が祀られている。
ここは尾張氏の源郷「高尾貼邑」でもある。
0623日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 12:00:40.38
>>600
>筑紫の日向は福岡県西部だとすると、そこには王権があった考古学的証拠が多数ある。

その王が誰なのか伝承されてない時点でダメ。
九州には今や大量の硯が出てるわけで、文字が有った。
有ったのに伝えられていないというのは致命的。
ウガヤフキアエズを含め神武以前3代を福岡などと言うなよ、あれは明確に宮崎だ。
0624日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 12:17:03.82
>>621
>その通りの様相が高天原(金剛山)にある。

高天原は島なので、大和とは行き来できない。

>ここは尾張氏の源郷「高尾貼邑」でもある。

尾張氏の祖は饒速日だが、その本拠地は交野や石上。
0625日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 12:17:41.52
>>623
>その王が誰なのか伝承されてない時点でダメ。

邇邇芸や彦火火出見だよ。
0626日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 12:19:22.22
>>623
>ウガヤフキアエズを含め神武以前3代を福岡などと言うなよ、あれは明確に宮崎だ。

根拠なく言い張るなよ。
宮崎に王権の痕跡がなく、福岡に王権の痕跡があるのだから、日向三代は福岡。
糸島(伊都国)市の高祖神社こそ、かつての高千穂宮。
0628日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 12:30:30.02
>>622
律令体制に移行しつつあった畿内王権にとって、先代王朝である筑紫倭国の実像は邪魔なだけ。
その権威さえ継承できればよかった。
0630日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 12:37:40.37
>>576
タケミナカタ?
0631日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 12:51:33.81
>>629

倭国は白村江で負けて滅亡してしまったので。
敗戦処理をしたのが中大兄(天智)。
天武からは国号が日本国。
倭国と日本は別の政権。
0632太国
垢版 |
2021/06/02(水) 13:03:50.62
当時の日本の政局は畿内と九州との二本だったのさ。
大陸は諸葛亮のいう鼎の三分の国家だったが、日本はおおむね二本立て国家
だっわけ。畿内が男王国、九州が女王国だった。だから神武の后が卑弥呼のわけ
がない。それは畿内が推古の世になるまでは悉く男王ばかりで、女王なんか
いたわけがない。だから男王神武の后が卑弥呼のわけがなく、この説はデタラメ
なのである。
0634太国
垢版 |
2021/06/02(水) 13:20:04.36
当時は畿内一国じゃねえぜ。現に金印も出てるし、九州にも王権があったのさ。
あるとき女王卑弥呼の邪馬1国が九州でおおむね上に立ち、畿内が男王国
九州が女王国の二本立てだったんだよ。一国だけだと脳内がいかれてる盲象の
脳内を治療するんだな。
0635日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 13:58:52.16
金印は亀井南冥の偽造
0636日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 14:25:49.47
朝廷の公式見解は九州はロクな地じゃないから畿内へ引っ越し
0637日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 16:00:05.48
>>636
問題は、その具体的な内容が書かれていないこと。
しかし、神武が卑弥呼と同世代なのであれば、卑弥呼共立前の倭国大乱が神武らが筑紫を出た原因とわかる。
戦乱から逃げるために落ち延びたのか、神武らが遁走したから戦乱になったのかはわからない。
0638日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 16:04:46.30
>>634
どちらかと言うと、博多湾における建国の頃から博多湾だけが倭の代表だったかもしれない。
畿内はナンバーツーどこらか、出雲や高天原などの勢力より格下で、トップスリーにも入らなかったろう。
内陸の大和は瀬戸内や日本海を通らなければ外国へはアクセスできず、出雲や吉備に従属するしかない。
考古学的には、大和は東海の傘下であったというから、5位にも入らないかもしれない。
0639日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 16:11:28.26
西日本各地の王権はいずれも筑紫の分家だったろう。
吉備だけが記紀に由来がないが、瀬戸内で発生した前方後円墳が筑紫生まれの饒速日の墓制であったのなら、やはり瀬戸内も筑紫の末裔だ。
東海は饒速日の末裔である尾張氏の勢力範囲であった。
神武を大和に受け入れたのも饒速日だ。
出雲の大己貴は、筑紫生まれの素戔嗚の娘を娶ることでその権威を継承している。

東日本については、最大級の遺跡であった静岡県の登呂遺跡が首長層の痕跡がない遺跡であることから、完全な植民地であったと推察される。
0640日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 16:45:24.00
九州がまともな地なら皇室の故地として末代まで崇敬されてただろう。しかし日本書紀はそう書いてない、つまりそう言う事だ。
0641日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 16:51:51.50
宇佐神宮は皇室の崇敬厚く、皇位継承にも影響した。
0643日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 19:57:31.14
>>626
>>ウガヤフキアエズを含め神武以前3代を福岡などと言うなよ、あれは明確に宮崎だ。

>根拠なく言い張るなよ。
>宮崎に王権の痕跡がなく、福岡に王権の痕跡があるのだから、日向三代は福岡。

繰り返すが、神武の先妻アヒラツ媛の痕跡が宮崎県日南市にしかない。
アブラツ港の語源にもなり、アヒラツヒメやタギシミミを祀る古い神社もある。
そして神武が幼い故に残してきたキスミミもいたと推定される。

福岡にはそのようなものは皆無。
0644日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 20:00:38.03
あと平原に卑弥呼の王権があったと言ってる奴は、
平原の5世紀代の小さな前方後円墳をどう説明するのだ?

仮に卑弥呼がいたとして、その王権の末裔があんな小さな古墳しか作れていない。
全然説得力がないだろ。
0645日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 20:06:58.53
>>624
>高天原は島なので、大和とは行き来できない。

高天原は「高い天の原」で奈良県御所市高天しかない。
平安鎌倉時代にはこことしか認識されていない。
高天原が九州にあったなんてヨタ説は近年に出てきた単なる田舎者の主張。

>尾張氏の祖は饒速日だが、その本拠地は交野や石上。

尾張の語源は高尾張邑。
交野はイカガノシコオの子・タベノスクネを祖とする肩野物部の本拠、
石上は物部宗家。
嘘ばかり言うなボケ。
0646日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 20:43:30.36
>>644

古代は王宮があちこちに散らばっていて、代ごとにそれぞれの宮を営んでいた。
筑紫には多数の宮がある(現代では神社として扱われている)。
それは畿内を除けば筑紫だけの特殊な状況であり、筑紫が王都であった証拠だ。
後に大宰府が建設されると、そこに集約されたのだろう。
なお、筑紫の君磐井の前方後円墳は135メートルある。
0647日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 21:01:29.31
>>645
尾張氏の祖は日本書紀では天火明命とされている。
天火明命は邇邇芸の兄とされ、天火明命の末裔もまた天孫族である。
ただし先代旧事本紀では天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊の名で饒速日と同一視されている。
新撰姓氏録や海部氏系図でも、尾張氏は天火明命の末裔であり、天孫族と分類されている。
海部氏系図を伝える籠神社の神鏡は、饒速日の十種の神宝の鏡だと伝えられている。
天火明命と饒速日の異同には議論もあるが、活動場所が重なっていることは確かだ。
饒速日の傘下の長髄彦の軍と神武らは日下で戦っており、大和(おそらく石上)で会談した饒速日が畿内を広域に支配していたことは確実で、交野と石上が別の氏族だといっても、それはもっと後世において枝分かれしてからの話だ。
石上に近い纒向が尾張の傘下であったことも考古学的にわかっているので、尾張も大和も摂津も丹波も、饒速日(または天火明命)の支配下にあったと考えるしかない。
0648日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 21:06:42.78
大宰府を囲む大宰府羅城は全長50キロ以上あり、列島で最大の城郭都市であった。
戦闘民族倭(ヤマト)の王都にふさわしい。
白村江で敗戦国となってから建設された平城京には、羅城がない。
0649日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 21:12:37.53
>>645
交野は畿内において饒速日が降臨した(最初に拠点を築いた)土地とされている。
日下と石上を支配した饒速日が、交野を支配していなかったということは考えられない。
そもそもイカガノシコオは崇神天皇の代ではないか。
今話をしているのは、もっと古い、神武の時代の話だ。
0650日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 23:17:52.14
>>644
卑弥呼に次の壹與は肥前河上の與止日女様だろう。
卑弥呼時代の倭国が福岡県佐賀県長崎県にまたがる周旋五千里の国なら、糸島平野の卑弥呼の次の代の宮が佐賀平野であったとしてもおかしくはない。
與止日女神社は畿内に勧請され、淀川の名前の由来となっている。
戦国時代の淀姫も同じである。
そして與止日女神社(河上神社)の所在地は弥生時代を代表する吉野ヶ里遺跡や、熊襲タケル(川上タケル)の終焉の宮(大願寺廃寺跡)にも近い(約2km)。
本居宣長は邪馬台国が九州にあり、熊襲の王であったと考えたが、それは正しかったのだろう。
熊襲とは筑紫を支配した倭王の王統の一つだったのである。
これで卑弥呼が記紀に明記されない理由も判ろうというもの。
天皇家以外の倭王が列島を代表して中国と国交を結んでいたという事実は、記録したくなかったのである。
0651日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 23:33:43.92
つまり本居宣長の説のとおりだと。
卑弥呼=熊襲女酋長
0652日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 23:46:17.67
そもそも熊とは、地上で最強の存在を表すトーテムであり、肥国の熊襲王家が倭王の王統であることを示すもの。
志賀島奴国の海神族豊国王家のトーテムが海で最強の存在である鰐であるのと同じ。
0653日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 23:46:49.73
神武〜欠史八代は「国譲り」前の系譜

卑弥呼の倭国は筑紫を中心とする非大和勢力

崇神がこの勢力を制圧して大和政権を確立した 
崇神ハツクニシラスミマキイリヒコメラミコト

出雲は筑紫勢力を最終的にを追い込んで葬った地
0654日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 23:53:51.32
【壹與と與止日女】

肥前国一宮である與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町川上)があり、かつては河上神社と呼ばれていた。
その祭神は與止日女命(ヨドヒメ)といい、豊比刀iトヨヒメ)、世田姫(ヨタヒメ)、淀姫(ヨドヒメ)とも呼ばれる。
與止日女神社を流れる佐嘉川は江戸時代の治水工事までは佐賀平野において筑後川に流入していた。
魏志に記された末盧国に比定される松浦にも淀姫神社(長崎県松浦市志佐町)があり、そこから松浦川を上った上流にも河上大明神こと淀姫神社という神社がある(佐賀県伊万里市大川)。
與止日女神社の末社は福岡県から熊本県、長崎県、対馬まで分布している。
後に淀姫神社は畿内にも勧請され、豊臣時代の淀川や淀姫の名前の由来でもある。
かつて豊前国一宮は今の宇佐八幡宮(大分県宇佐市)ではなく香春三山の香春宮(香春神社、福岡県田川郡)であったとされており、三の岳の祭神が豊比当スといい、同一人物の可能性がある。
この領域は邪馬壹国連合の一部であり、その主である豊比唐ヘ卑弥呼の権威を受け継いだ壹與そのものだろう。
熊襲の由来が卑弥呼の敵であった肥後の狗奴国であれば、卑弥呼のいた筑後でも伊都国のあった筑前でも狗奴国のあった肥後でもなく、肥前から壹與が共立されることでバランスを取り、狗奴国が和解して倭国が統一されたと考えることができる。
壹與は卑弥呼の宗女とも書かれているので、卑弥呼本人も肥国の女王だったのかもしれない。
それを裏付けるのが、魏志倭人伝にある卑弥呼と狗奴国の卑弥弓呼はもとより不仲(つまりは初めから知り合い)という一文だろう。
邪馬台国と狗奴国の対立は、肥国の王座をめぐるお家騒動だったのである。
卑弥呼の時代、伊都の天孫族は卑弥呼の下で伊都国の官「爾支」としてその名前が残されている。
爾支の名は、神道における禰宜や天孫邇邇芸に通じる名前だろう。
0655日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 23:56:29.53
【邪馬台国の終焉】

八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神夏磯姫は、外部勢力である忍代別大足彦(景行天皇)とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清した。
大足彦の孫の足仲彦(仲哀天皇)が息長帯姫(神功皇后)とともに筑紫香椎宮に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮の王(五十迹手、熊鰐)が出迎えたが、足仲彦は筑紫香椎宮で急死してしまう。
大足彦は神夏磯姫と共闘していたが、足仲彦の妃の息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神夏磯姫の末裔とされる田油津姫を倒し、朝鮮半島に出兵した。
大足彦に倒された耳垂や息長帯姫に倒された田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、筑紫は勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。

田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫は八咫の鏡を保有していた神夏磯姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国の内紛に他ならない。
その中でも、肥前・筑後・筑豊に拠点を持つ邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神夏磯姫、田油津姫までで終わりとなる。

足仲彦の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は足仲彦に続いて、その后(大中津姫、足仲彦と同じく大足彦の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人を倒し、足仲彦の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である誉田別(応神)を天皇にした。
足仲彦の死から応神の誕生まで十月十日以上かかる理由について、日本書紀は言い訳に腐心している。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは各王朝の祖先神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め(宇佐神託事件など)、八幡神社は全国で最多の神社となった。
0656日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/02(水) 23:57:05.03
>>653
年代がぐちゃぐちゃすぎる。
やり直し。
0657日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 00:11:56.19
神武~欠史八代までは大和王朝と九州王朝が併存していた。
崇神による統一後、九州王朝を制圧して出雲に追い込んで葬った事績が神聖・神格化され
いつの間にか初代神武の功績として取り違えられ、伝承された。 
0658日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 00:17:28.38
神武じゃねえなw 神武以前の日向神代の神話に入れたのさ。

武甕槌とか経津主は崇神の四道将軍のことだろう。
0659日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 00:18:36.55
熊鰐や羽白熊鷲など、いずれも「我こそは倭王である」と名乗っているような名前だ。
熊鰐がいたのは北九州市八幡西区岡田町の岡田神社(岡田宮)。
羽白熊鷲がいたのは甘木市大字野鳥。
0660日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 00:20:24.49
そもそも神武に功績などない。
筑紫から夜逃げして親類である饒速日のところに転がり込んだだけだ。
出雲とも関係ない。
0661日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 00:25:50.44
>>657
白村江の戦いで捕虜となった筑紫の君サチヤマのことを思えば、7世紀まで九州倭国王朝が存在していたのではないか。
畿内を凌駕する大宰府羅城はその王城として建設されたのではないか。
0662日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 00:41:31.19
鰐 和邇 ワニ ワヌ 倭奴 ・・・
0663日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 00:45:23.62
雲クモ 煙ケム

出雲 イヅクモ イヅケム 煙が上がった地=敵を葬った地
0665日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 07:33:20.83
豊前一宮だった香春宮の豊姫が壹與なら、志賀島の豊玉姫と縁があったのかもしれない。
古来から、ゆかりのある故人の名前をもらったりすることがあったろうから。
卑弥呼が肥国女王、壹與が豊国女王ということもありうるのか?
筑紫倭国の王座をめぐる椅子取りゲーム
0666日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 07:57:05.44
>>649
>日下と石上を支配した饒速日が、交野を支配していなかったということは考えられない。
そもそもイカガノシコオは崇神天皇の代ではないか。

交野で前方後円墳は3世紀末頃の雷塚古墳が最古。
被葬者はタベノスクネであろう。
もちろん当地がニギハヤヒの領地であっただろうが、
そういう考古学的事実は変えられない。
0667日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 07:58:42.28
チクシチクシチクシチクシとツクツクボウシのようにうるさいわ。
いい加減にしてくれ。
0669日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 08:30:32.48
ニニギ 31万8543年
ホオリ 63万7892年
ウガヤフキアエズ 83万6042年

彼らは人類が生まれる前から生きていました。
いや、原人でしょうか?原人でも一世代あたり
こんなに長生きしません。

神武が紀元前711年に生れてから桁違いに短命になります。
神武 127歳
綏靖 84歳
安寧 67歳
懿徳 77歳
孝昭 114歳
・・・
推古 75歳
・・・
天智 46歳
0670日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 08:37:25.44
だから中国から暦が導入されるまで後の一年という時間の尺度はない
0671日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 08:45:31.94
しょせん畿内は饒速日らが開拓した筑紫倭国の植民地
0673日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 09:00:10.48
ちなみに天上で最強の存在である鷲をトーテムとしていたのは、出雲の氏族。
神代に関東まで足を伸ばして築いたのが、関東最古の大社である鷲宮神社。
諏訪湖経由で陸路から進出したため、出雲氏族の関東における痕跡は埼玉県に多い。
その代表が大宮。

それに対して海路から進出した海神族の関東における本拠地が、香取海の入り口を守る鹿島香取両神宮となる。
鹿島は志賀島から転化した。
香取海に対する鹿島の位置は、博多湾に対する志賀島のそれと同じである。
奈良県を代表する春日大社は、鹿島神社がさらに畿内に勧請されたものである。
鹿島香取を祭る藤原氏は、天児屋根命を祖としている。
天児屋根命は天岩戸で活躍し、筑紫への天孫降臨にも随伴した(つまり筑紫における重臣)。
0674日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 09:02:18.89
景行天皇は、八咫の鏡を持つ筑紫の女王であった神夏磯姫に言われるがままに姫の政敵を倒す尖兵として功績を挙げた。
0675日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 09:03:23.67
>>670
そういう人間の常識や外部資料を
挟んだりする余計な解釈がいけない。
国語の先生がよく言ってることだろ。
文意をそのまま受け入れろって。
0676日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 09:08:57.67
誰が読んでも外国語に訳しても同じ意味に取れる
文章を書けない奴は四流以下。そんな書物に公文書
としての価値はない。日本書紀は漢文で書かれている
から当然中国人にも読まれるだろう。
「天孫は天から日向の高千穂の峰に降りた」は
その通りの意味に解釈するしかない。日本人が「下る」
を上下方向ではなく水平方向で使うことがあってもだ。
古代人は神々を真面目に信じていた。
神話の神に人間の常識は通じなくていいのだ。
0677日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 09:14:28.25
後の人が考えらむ 古代人も矛盾は矛盾で気付いていたが反証出来ないものは放置した
0678日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 10:28:27.26
神代は神武天皇が建国する遥か遠い時代のお話として書かれるから
神話らしくなる。実際にニニギが彼の3世代前、イザナギ・イザナミ
が6世代前の先祖だったとして、天孫降臨は神武天皇が45歳で東征を
決意する179万2470年前でなく110年前だとか、国産み・神産みは
180年前だとか言ってしまっては興ざめだ。また現代人は科学的な知識で
以って弥生時代の人が140歳も生きたわけがないとはっきり断言できるから、
古代天皇の実際の寿命や生きた時代を復元しようと努力するのだ。
0680日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 11:01:25.24
>>671
>しょせん畿内は饒速日らが開拓した筑紫倭国の植民地

全く逆。
大和盆地最奥にして最上座の高天原に九州の宗像三女神が祀られている。
これは筑紫国が「貢女」でその地位を高めようとしてた証拠。
実際、タケミナカタ=健る宗像はタケミカヅチに敗れ諏訪の地に追いやられる。
無様な北部九州人のなれの果てだ。
0681日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 11:09:46.16
>>673
>天児屋根命は天岩戸で活躍し、筑紫への天孫降臨にも随伴した(つまり筑紫における重臣)。

筑紫は全然関係ありません、高天原は大和にしかない。
天岩戸の話は、いまもグーグルマップで確認できるけど、
高天原に洞窟があり、神武軍がそこに岩を置いて土蜘蛛が出られないようにした、
つまり魏志倭人伝の卑弥呼墓の殉葬奴婢百余人の場所。
https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000111.jpg
7世紀の朝廷はもちろんそのことを知っており、そこからアマテラスの天岩戸の官製神話を創作した。
0682日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 11:16:15.04
>>673
>ちなみに天上で最強の存在である鷲をトーテムとしていたのは、出雲の氏族。
神代に関東まで足を伸ばして築いたのが、関東最古の大社である鷲宮神社。
諏訪湖経由で陸路から進出したため、出雲氏族の関東における痕跡は埼玉県に多い。
その代表が大宮

この部分は大変面白い、参考になる。
0683日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 11:19:33.17
最年少の神武が東征した時は40代で応神は60年間母神功の摂政下にあった。つまり長命なだけでなく成長が遅い。これは後年の一年という単位で時間がカウントされてる訳ではないと考えれば全く不合理はない。
0684日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 11:21:21.94
事代主の曾孫のタケミカジリ(別名タケミカヅチ)はもちろん出雲系。
それが狗奴国(=静岡)でタケミナカタと戦い、
諏訪まで追いやり、そして関東に進出したのであろう。
それが卑弥呼の後に男王が立ち、千人余りが死ぬ大戦争の話だ。

血が隈なく流れた血隈川が元明天皇の好字令で千曲川に、
大量の血が流れた血野が同じく茅野に変わったのであろう。
0685!ninja
垢版 |
2021/06/03(木) 11:44:27.61
>>683
形は違えど暦があったのは事実では?
月の満ち欠けや星の動き、季節の変化で農作業の時期も決めてただろうし、そのサイクルを1年としていただろうから、その説はちょっと説得力ないな
一体どうカウントすれば60年とかになるの
むしろ、本来あったはずの事を意図的に消したと言われた方が納得出来る
0688日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 14:42:53.70
でもさ、そんな卑弥呼の事を当時の支那魏は書き記してあるのに紀記にはなーんも書かれてないのに悪意を感じるのは17才のワタシだけかな?
紳士限定でレス オネガイ♡
0689日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 14:44:27.40
>>682
>この部分は大変面白い、参考になる。

ありがとう。
数年前に鷲宮神社は大変流行ったんだよ。
それで調べた。
0690日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 14:46:46.37
>>684
なんかもう、ダメダメだな。
鴨のションベン男は狂ってしまった。
0691日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 14:48:54.46
日本書紀には卑弥呼は神功皇后ではないかと比定してる。それに写本が日本書紀の方が古い物が残ってて魏志倭人伝中の邪馬壱国は邪馬臺国の誤記だと推定されている。
0692日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 14:49:58.56
建御名方が諏訪に逃げたのは、諏訪を通じてすでに関東まで出雲の影響下だったから。
見知らぬ土地に逃げたわけではない。
弥生時代の土器などの流通からは、長野県は新潟と通じて日本海交流の一部だった。
逆に、静岡との交流は少なく、静岡は東海の一部であった。

だからスレ主の主張は間違いだらけ。
0693日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 14:50:44.16
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。

筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓         近江→尾張→伊勢→纏向

宇佐→安芸・伊予→阿波・吉備→淡路島→摂津・河内

【筑紫の海神族・天孫族による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入

1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入

2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→3世紀初に畿内から庄内式土器が博多湾へ流入

3世紀末に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入

支配は西から東へ拡大し、土器などの産物は王都である筑紫へ
0694日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 22:00:10.78
>>688
>卑弥呼の事を当時の支那魏は書き記してあるのに紀記にはなーんも書かれてない

いや、記紀に書いてあるよ。気が付かないだけ。
わざと気が付かないようにされているというか。

年すでに長大で夫がおらず、宮に出入りできる唯一の男子がいて、
お父さんは今も信仰されている事代主神。

ほら卑弥呼はここにいる。

I崇神(310年頃 318年没)
H開化
     G孝元
          F孝霊   
トヨ津          E孝安 D孝昭
トヨ津       (250年頃) C懿徳 
ヒメ(踏鞴五十鈴)后        B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后       A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) @神武 
0695日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 22:34:28.99
>>692
>逆に、静岡との交流は少なく、静岡は東海の一部であった。
>だからスレ主の主張は間違いだらけ。

何を言ってるのか、天竜川沿いの長野から銅鐸も出ていて、
唐古鍵遺跡に土器が搬入されている。
静岡はもちろん銅鐸王国、交流がないなどあるわけない。
0696日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 22:37:24.86
建御名方が諏訪に逃げたのは天竜川沿いを敗走したのだ。
途中の大鹿村、豊丘村に建御名方の伝承が強く残る。

タケミカヅチと戦ったのは狗奴国こと久努国、静岡だ。
0697日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 22:39:25.57
鷲宮神社が流行ったのはアニメか?w
0698日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/03(木) 22:53:24.23
諏訪大神ことタケミナカタはやはり宗像ではないだろうか。
タケル宗像
だから同じく九州系の安曇族も信州に入る。
そして安曇野が彼らの入植地になる。
あと6世紀後半に蘇我に敗れた物部も信州に入る。
諏訪にある守屋山はその痕跡であろう。
0699日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 02:40:57.50
>>688
このスレタイの>>1で語られてることは概ね正しいよ。
>>410‐411、>>592あたりを読んでほしい。
邪馬台国は畿内説が正しく、その邪馬台国こそが素戔嗚尊
の血統の王朝。倭国王帥升はスサノオ、神武天皇は卑弥呼
と同じ時代に同じ場所に住んでおり、初期の天皇は邪馬台国
に服属していた(この時期が欠史八代)。
0700日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 02:53:42.17
>>688
日本史がひっくり返る古代天皇史の真実
をまとめたもの(>>433-434、436)あたり
にも書かれている。17歳のあなたには古代の天皇がたが
生きていた年代やおおよその寿命などを復元してみてほしい。
0702日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 07:04:51.42
【年已長大 無夫壻】
これを

年すでに長大にも関わらず夫がいない
年すでに長大なるも夫がいない
ええ歳こいて結婚しとらん

みたいに訳してる人が多かったが、
原文に「にも関わらず」「なるも」といった逆説譲歩の接続詞が見当たらない。

逆説譲歩とは、
「東大生のくせに簿記3級の試験に落ちた」
「4月も後半なのに大阪で雪が降った」
など前文と後文が通常ありえない状況になってることをいう。
「年すでに長大にも関わらず夫がいない」は逆説譲歩だから「関わらず」の接続詞が必要、
それがないと文体として成り立たない。
「〜にも関わらず」は現代中国語で「尽管 Jǐnguǎn」
それがないということは、

「年すでに長大である  夫はいない」
以外に訳せない。

これは夫であったエジンバラ公に先立たれた今現在のエリザベス女王がその状況である。

1800年前の日本にも同じ状況の女王がいた。
邪馬台国とは葛城、今の奈良県御所市である。
0703日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 07:56:23.39
後半がなんの繋がりもない。
根拠となっていない。
0705日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 15:46:36.45
中華の諸王朝の年号年と西暦の対応が間違ってるって事はないの?
0706日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 16:56:58.45
エジプト史をヨーロッパが熱心にやるのは古王朝の発祥が旧約聖書の天地創造より前にあった事になるから
0707日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 17:11:32.88
「天皇の始祖は仏陀よりも古い」ってことにしたかったんだろう
0708日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 17:23:02.33
そして古王朝の伝記のない王たちを実在しない捏造された王と言いだした
0710日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 18:01:34.00
>>703
夫がいたから「卑弥呼ではない」という事にならないということ。

日本の歴代女性君主に生涯独身が一人もいないことから、
卑弥呼も結婚して子供がいた可能性が極めて高い。

その子とは綏靖天皇。
宮に出入りするただ一人の男子とはタギシミミ。

卑弥呼ことヒメ后が住んだのは息子の綏靖天皇の宮・御所市森脇のほど近く、
御所市名柄・長柄神社(=別名・姫の宮)であろう。
0711日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 18:02:51.90
>>709
長大とは「いい歳」で40歳くらいか。
熟女みたいな意味。
0712日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 19:10:39.75
>>710
>宮に出入りするただ一人の男子とはタギシミミ。

しばらくして倒されてしまったから、魏と交流した晩年まで添い遂げてはいない。
そもそも魏志倭人伝では弟と記載しており、息子や夫ではない。
(神武亡き後はタギシミミは夫の扱い)
0713日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 19:13:47.98
>>711
卑弥呼は190年頃に即位して、247年に亡くなった。
即位の時の長大が40歳くらいだと、亡くなったのが90歳以上。
まああり得なくはないが、弥生時代としては厳しい。
卑弥呼の長大は、次の壹與が13歳で即位したことを意識しての記述だろう。
卑弥呼の時はちゃんと成人していましたよ、くらいの意味かと。
0714日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 19:59:39.86
>>704
日本書紀は春秋二倍暦なんぞで容易に解けるように書かれていない。
神武天皇が東征を決意した年齢(成人した子供がいる)や
日本武尊が武功を立てた年齢や死んだ年齢(奥さんが4人も子供を
産んでいた)はまさにそのままの年齢で読者に受け取って欲しいことが
分かる。2〜4代の天皇の寿命は100歳を超えていないから2倍暦を
適用できない。武内宿祢の長寿は3倍暦でも使わないと解けない。
0715日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 20:05:39.11
>>706
昔のヨーロッパのキリスト教徒には、世界中のあらゆる歴史を
ノアの洪水以降の出来事として語らないと気が済まない人たちが
いたとは聞くね
しかし、今のヨーロッパ人もそうだろうか?19世紀以降、聖書は
複数の資料を編集したもので、旧約聖書は古代イスラエル人の神話と
歴史であって全世界を対象とした物語として読むべきではない、
みたいに批判的に読まれるようになったはず。
流石に彼らはエジプトの歴史や神話を聖書と区別して読んでいるだろう。
0716日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 20:33:12.20
卑弥呼=媛蹈鞴五十鈴命だとすると
神武天皇には手研耳命という成人した男子がいるから
卑弥呼は神武天皇から見て娘ぐらいの年齢の若い女性だったはず。

日本書紀によると神武は媛蹈鞴五十鈴命と結婚したとき51歳で、
綏靖天皇が皇太子に指名された年齢が14歳だから、神武は推定で
127歳-60=67歳で死んだことになる。在位年数は76-60=16年。
あるいは綏靖天皇が即位するまでの空位3年を加えて79年として
79-60=19年だろうか。在位年数の76年を4で割っても19年になるから
在位年数を4倍したとも考えられる。しかし本当に67歳も生きたんだろうか?
即位したとされる頃40歳で57歳亡くなったぐらいでもあり得えそうだが。

イスケヨリヒメ(=卑弥呼?)が神武天皇と結婚したとき16〜19歳だとして
結婚して17年そこらで未亡人になった(二男の綏靖天皇が14歳?)とするなら
タギシミミとの再婚は決して有り得なくない話だと思う。
0717日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/04(金) 23:21:42.49
再婚したなら、卑弥呼には夫がいたと書かれただろう。
しかし魏志倭人伝からはそうは読めない。
つまり卑弥呼はイスケヨリヒメとは関係ない。
0718日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 07:27:40.85
>>712
>>宮に出入りするただ一人の男子とはタギシミミ。

>しばらくして倒されてしまったから、魏と交流した晩年まで添い遂げてはいない。

だから何なんだ。
中国側の卑弥呼の描写は一時期のもの。
その一時期に、すでに年長大で夫はおらず
そして宮に出入りする恋人的人物がいたという事。
その後二人がどうなったかなど長期にわたる描写ではない。


>そもそも魏志倭人伝では弟と記載しており、息子や夫ではない。
(神武亡き後はタギシミミは夫の扱い)

どこを読んでるんだ、
【唯有男子一人 給飲食 傳辭出入】の男子と【有男弟佐治國】の男弟は別人。
しかも弟ではなく「男弟」と書かれてるだろ。
中国語には「女弟」という奇妙な熟語もあるので、この場合の弟とは徒弟の弟、
つまり臣下、部下とかいう意味であろう。
おそらく日本書紀で鴨王(かものおおきみ)と書かれ、
先代旧事本記では 申食国政大夫(おすくにのまつりごともうすまえつきみ)とされる、
ヒメ(踏鞴五十鈴)后の兄、天日方奇日方であろう。
エベッさんの息子さんだ。

実際は、卑弥呼と男弟の関係は、事代主の子供二人による「ヒメヒコ」制であったのだろう。
0719日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 07:40:10.13
>>713
>卑弥呼は190年頃に即位して、247年に亡くなった。
>即位の時の長大が40歳くらいだと、亡くなったのが90歳以上。

即位の時が歳すでに長大でなく、即位した190年ごろに仮に18歳として、
AD200年には28歳。
247年あるいは248年没として、75歳か76歳。
それでも当時としては異例の長寿だろう。
上にも書いたが中国側の卑弥呼の描写は一時期、つまり歳すでに長大で夫がおらず、
宮に出入りする恋人的人物があった時のもの。

卑弥呼の死亡年齢を75歳とすると、卑弥呼死亡の後男王が立ち、国が服さず、13歳のトヨが立つわけだが、
卑弥呼とトヨの世代差はおおよそ3世代、曾孫世代となる。
ヒメ(踏鞴五十鈴)后とトヨ津媛の世代差はちょうど3世代。
ぴたり符合する。
しかもトヨの前に立ち、千人を超える死者を出す戦争をした男王がタケミカヅチ=鹿島神だと分る。
0720日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 07:47:41.92
>>717
>再婚したなら、卑弥呼には夫がいたと書かれただろう。
>しかし魏志倭人伝からはそうは読めない。
>つまり卑弥呼はイスケヨリヒメとは関係ない。


繰り返すが、中国側の卑弥呼の描写は一時期、つまり歳すでに長大で夫がおらず、
宮に出入りする恋人的人物があった時のもの。

実際、魏志倭人伝には卑弥呼の両親の事も書かれていないし、
13歳で即位したトヨがその後結婚したのか、子供がいたのかも書かれていないから、
「再婚したなら、卑弥呼には夫がいたと書かれていただろう」は反論として成り立たない。
0721日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 08:41:03.13
>>718
>その後二人がどうなったかなど長期にわたる描写ではない。

アホ
魏志倭人伝の卑弥呼の描写は、魏と交流があった晩年のもの。
70代から90代だろう。
0722日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 08:42:29.22
>>719
>しかもトヨの前に立ち、千人を超える死者を出す戦争をした男王がタケミカヅチ=鹿島神だと分る。

これが本当かどうかはわからないが、鹿島の神=志賀島の海神=奴国王になってしまう。
0723日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 10:05:40.75
721
君が言う最晩年の90歳に「弟」も生きていたのか?
今の老人ホームの話か((笑))

これは卑弥呼が40歳くらいの時期の話だろう。
0724日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 10:07:37.29
722
福岡など何も関係ない、しゃしゃり出てくるなカッペ
0725日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 10:56:05.53
諏訪大祝家が絶えてしまったのは実に惜しい。
なんか皇室や出雲の千家より神秘性を感じる。
0726日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 12:38:41.32
・諏訪氏(すわし/すわうじ)は、日本の氏族の一つ。諏訪大社上社の大祝(おおほうり)、または信濃国諏訪郡の領主を司った家柄である。神氏(みわし/じんし)とも。
・家伝では諏訪大社の祭神・建御名方神(諏訪明神)あるいはその神に選定された童男に始まるという。

やはり銅鐸の鴨・三輪系氏族。
高天原のある奈良県御所市にそのルーツがある。
根拠は下鴨社=鴨都波神社
「積羽八重事代主命と下照姫命を主祭神とし、建御名方命を配祀する」

ほらね。

建御名方と戦ったタケミカヅチも高天原のある御所市にそのルーツがある。
御所市高木神社 https://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001429.html
祭神 武甕槌命 軽津主命 天児屋根命 比売大神

つまり魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の死後にたって千人余りが死ぬ戦いをした男王とは
建御名方と戦った武甕槌こと鹿島神。

これは信州の川上村に伝わる「高天原の神々の戦いで血が隈なく流れたので血隈川と呼ばれた」という千曲川の語源の伝承が正しいことを意味する。
そして下鴨社=鴨都波神社の近くに茅原(ちはら)という地名がある。
ここは役 小角(えん の おづぬ )の出世地であるが元の名称は血原であろう。
大和にいるころからタケミカヅチとタケミナカタは争い血を流していたと思われる。
0727日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 13:36:15.92
諏訪はミシャグジとか独特な信仰があって古代の香りがプンプンする
詳しい本とかあれば良いんだが…
それにしても諏訪大社は御柱祭やるんだろうか?
確か今年だったはず
0728日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 22:17:13.87
>>726
ちょっと気になることだが、卑弥呼の死後に起きた男王の争いは
記紀でいえば天豊津媛命の夫懿徳天皇が即位する直前ごろの出来事でしょ?
天皇の外戚が争乱を起こしたという形で書き残しても良かったと思うが。
0729日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/05(土) 22:54:45.08
卑弥呼はアマテラスかもしれないモモソヒメかもしれない
神功皇后かもしれない…、そして武甕槌命と建御名方命の戦いも
神武天皇が生まれたさえいない、神話の中で起こった出来事にしよう
と来たか。
大和政権はどれだけ邪馬台国を自国史の中に封印したいんだろうね。
0730日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/06(日) 00:01:57.88
邪馬台国が九州なら、そもそも記紀に関係ない。
0731日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/06(日) 07:01:22.48
>>728
>天皇の外戚が争乱を起こしたという形で書き残しても良かったと思うが。

そんなことをすると魏志倭人伝に書かれた台与が誰なのか分かり、
その3世代前の卑弥呼も誰なのか分かり、5世代前の帥升も分かる。
だから初期8代の事蹟をことごとく消し、トヨや卑弥呼が誰なのか分からなくした。
0732日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/06(日) 07:11:18.17
    事代主
     ┣━━━━━━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)后━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
    建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃               ┃
    建甕尻(タケミカヅチ)    息石耳    ※ヒメ后(248年没)
     ┃               ┃
    豊御気主         トヨ津媛━━ 懿徳
     ┃               ┃
   大御気主            孝昭
     ┃             ┃
    阿田賀田須       天足彦国押人命

左側が王権、いわゆる大物主。
当時天皇なんていない。
最後の大物主である阿田賀田須(=モモソヒメの夫)を倒し、崇神が大王になった。
そして自分の男系祖先の神武を祖とする新王朝をたてたというわけさ。
0733日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/06(日) 07:36:44.28
白村江の戦で負けたことによってわが国が背負い込んだ
負の遺産があまりに大きすぎる。現代日本人なら、神武
から以降全ての古代天皇がまともな在位年数で知られた実在した
人物だったことに加えて、崇神より前にも畿内に数百年も続いた
王朝存在したことや、弥生時代に文字が使われていたことなどが
分かっているほうが嬉しい。
スサノオの土下座外交ぐらい隠さないでくれたほうが良かった。
0735日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/06(日) 20:31:49.15
>>733

日清戦争で日本が大勝するまで、文化、軍事で劣る日本はずっと対中国劣等感にさいなまれていた。
日清戦争の勝利、日中戦争の勝利、戦後の経済的優位、
これらから、今の我々日本人で中国に劣等感を持つものなど一人もいない。
完全に見下すことに成功している。

が、白村江敗戦後の7世紀後半の日本人は全然違った。
海の向こうの超大国・中国には劣等感しかなかった。
そういう無様な精神状況の中で、スサノオの土下座はさすがに書けなかった。
だから時代を大きくずらしてごまかすしかなかった。
0736日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/06(日) 23:46:40.87
>>735
甘いよ。王室や皇室が真に敬意を受けるには
王朝の起源、正確な建国年代が分かった上で、それ以来の王朝の長さが重要だ。
わが日本国の皇室が、この国には自分より前にも王朝が存在し、
自分がそれを凌駕する形で取って代わって支配者になったことを
知りうる限り正確な年代で書き、自分が邪馬台国とは違う王家であること
をはっきり告白し、欠史八代を空白にしたりせず、歴代天皇を知りうる限り
正確な在位年数や崩御年を記録してくれていたら後世の学者も苦労しなかったろう。

神武以降、9代までは非常識な長寿で経歴も不詳だから
きっと架空の人物だろうとか、騎馬民族の頭が初代天皇だの、九州の
邪馬台国が発展して大和政権になった(卑弥呼=アマテラス)とか
畿内の邪馬台国は大和政権の一時期(卑弥呼=モモソヒメ)とか言われて
今の天皇、皇族は嬉しいのかな?
そんな的外れな学説がはびこって皇室の評価が下がったのは、皇室が自ら
蒔いた種ではないか。それとも国民が古代天皇は100歳以上生きたことを
前提とする皇紀を本気で信じてくれるとか思っていらっしゃるのだろうか?
国民がそこまで迷信深くなったら日本もおしまいだ。
0737日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/06(日) 23:49:47.57
初代 クニタコタチ
二代 クニサツチ
三代 トヨクンヌ
四代 ウビチニ
五代 オオトノチ
六代 オモタル
七代 イサナギ
八代 アマテル
九代 オシホミミ
十代 ニニキネ
十一 ウツキネ
十二 ウガヤフキアワセズ
十三 神武
0738古代人の糞馬鹿野郎
垢版 |
2021/06/07(月) 00:08:42.41
右田裕規『天皇制と進化論』より

一九二〇年代から四〇年代に思想警察・検事が作成した不敬事件の
記録からいくつか引く。

〔一九四一年:引用者注〕九月七日(略)浅草区浅草公園六区映画館
常設館二階客席より一階客席に向つて藁半紙(略)に謄写にて 将来
ニ禍根ヲ残ス非科学的デタラメナ我国ノ歴史ヲ改メル必要アリトアナ
タハ思ヒマセンカ と印刷せる印刷物を百枚位撒布せる者あり。

〔一九四二年:引用者注〕十二月五日(略)〔被疑者は焼き鳥屋で他の客に
向かい:引用者注〕天皇陛下やて俺らやて同じ人間や細胞や血液に於いても
同じである(略)と不敬の言辞を弄す。

〔一九四二年:引用者注〕被疑者は(略)高等女学校教諭として(略)生物学
の授業中「生物の進化に就て」と題し(略)我が国は万世一系天壌無窮の皇室
を戴いて居ると言ふが天皇も一ヶの人間である(略)として天皇の尊厳を冒涜
し(略)。
0739日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 00:37:30.12
>>735
白村江の後こそ、戦勝国である唐に対して土下座外交をするためにせっせと遣唐使を送ったはず。
言っていることがおかしい。
白村江の前の筑紫倭国は、東夷世界で最大の太宰府羅城を構えて、日出る国の天子を名乗っていたのに、その歴史を記紀はバッサリと切り捨てた。
0740日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 06:43:55.09
>>739
>白村江の後こそ、戦勝国である唐に対して土下座外交をするためにせっせと遣唐使を送ったはず。
言っていることがおかしい。<

何を言ってるんだ、遣唐使や使者が中国の皇帝に謁見し跪(ひざまずく)ことと、
帥升のように王自ら渡海し跪くことでは意味合いが全然違う。

>白村江の前の筑紫倭国は

ツクツクボウシの話はもういいから。
0741日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 06:51:26.83
>>736
昭和天皇が騎馬民族説に興味を持ち、江上教授から直接話を聞いて大いに感心されたという話がある。
また三笠宮だったか、日ユ同祖論に興味をもたれたのか、ヘブライ語が驚くほど堪能だったそうだ。

これは皇室が自らの出自を完全に忘れていた証拠だと思う。
もちろん騎馬民族説も日ユ同祖論も成り立つわけがない。

実際は臣下が主を倒す「易姓革命」があったということ。
0742日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 07:32:56.29
近年の歴史学では神武や初期8代など古代天皇をはじめ、ニギハヤヒ、大物主、スサノオ、ことごとくその実在が否定されている。
しかし本当にそれでいいのだろうか。

新井白石や本居宣長の時代には「考古学」という学問すらない。
それに比べ今は膨大な考古学資料がある。

例えていうなら今の学者の筒には3千本の矢が入っている。
3千本もあるのだから、いずれ的に当たるだろうと彼らは己惚れている。

しかし何本矢を放とうが的に当たらない。

とうとう矢を放つことさえやめたような学者もいる。
それは卑弥呼が誰なのか言えない学者である。

考古学資料から崇神天皇がおおよそ4世紀前半に決まりつつある。
ならばその数十年前のトヨを探せばいいのに誰も探そうともしない。

卑弥呼もトヨも記紀に登場しないという固定観念があるからだろう。

一方、新井白石や本居宣長の時代には筒に矢が1本しかない。
しかし彼らはその1本の矢で見事に的を撃ちぬいた。

その矢とは「倭国王帥升(Shuai sheng )はスサノオではないのか」というたった一本の矢=仮説である。
そして彼らはスサノオの5世代100年後にいる卑弥呼を簡単に見抜いた。

しかしそれは自分の生まれ育ったこの日本の歴史が中国への土下座から始まるという耐えられない屈辱でもあった。。

だからこそ彼らは心にもない九州説を唱えることで「邪馬台国論争を創った」のである。
0744日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 08:14:15.46
>>743

ピン音でヒミコを説明できるか否か、
卑弥呼(Bei mei hu)、比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、
つまりヒメ(蹈鞴五十鈴)后の住んだ葛城に、
日本で唯一、魏志に書かれた通り大量の奴婢(=土蜘蛛)が眠っている窟とその隣りの経百余歩の塚があり、
その地は日本の歴史神話の原点「高天原(=御所市高天)」であり、
そのヒメ后の3世代後にトヨがおり、
国宝中平銘鉄刀の和邇氏の祖・孝昭天皇の母君になるから、
卑弥呼がもらった五尺刀ともいわれる中平銘鉄刀の東大寺山古墳への流れも説明でき、
そのトヨの一世代前にタケミカヅチがおり、
卑弥呼の死後に立ち千人余りが死ぬ戦争を起こした男王を説明できる。

よって、ピン音でヒミコを説明できるというわけだ。
0745日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 08:26:34.25
暦が現在のような太陽暦じゃなかったからだろ
当時でさえ伝承のもの
それを太陰暦に換算するのに無理があった
何かで読んだけど作物の収穫が暦の一周て数えていた時間間隔だったらしい
この一周を一年てやると2倍3倍の年齢になるとか
0746日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 08:41:17.10
ピン音は女真族の発音訛が入っているからそれで古代を考察するのはただの駄洒落に過ぎない
0747日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 09:24:04.24
スサノオ=帥升(西暦107年)だとして
・12世代前のアメノミナカヌシのとき、中国大陸で秦が
 統一国家を作った(紀元前221年)ことを聞いて
 出雲から大和へ遷ったこと。
・5世代後の女性が神武天皇と同じ時代を生きたこと(西暦200年頃)。
 その女性がヒメタタライスズヒメ、つまりヒミコ(西暦248年没)。
・更に3世代後の女性が懿徳天皇の皇后とされる天豊津媛命、
 つまりヒミコの次代の女王トヨ(西暦247年頃13歳)。
・神武天皇から5世孫の崇神天皇が、卑弥呼の兄弟の5世孫のアタカタス
 を滅ぼした(不確定だが西暦310年〜318年頃?)。

家系図と歴史上の出来事がピッタリ合うことを新井白石も本居宣長も
気づいてしまったということか。
0748日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 09:24:33.23
更に二つ問題が
・和珥氏の祖はアタカタスと天足彦国押彦命のどちら?天足彦国押彦命と
 和邇日子押人命を消去すれば世代数の矛盾は解消できる。
・アメノミナカヌシからスサノオの父イザナギまでの神々が、
 神武天皇が大和にやってくる以前に先に住んでいた王族だったとすれば
 アメノミナカヌシの次代のタカミムスヒが皇祖でなくなる。そして
 アマテラスのモデルもシタテルヒメときた。神武天皇はいったいどんな
 神を先祖として祀っていたんだ?
0749日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 09:39:34.96
中古漢語なら、卑弥呼は「ピィミィホォ」、帥升は「シュイション」に近く
発音されたのは間違いない。これらはたまたま呉音読みにも現代中国語にも
似ているだけ。本来ならピンではなく国際音声記号を使うべきだろう。
0750日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 10:17:08.31
>>745
もうその説に無理があることに気づこうよ。
当時は今の1年を2年、3年、4年として数えたんじゃなくて
意図的に1年を2倍、3倍、4倍したんだよ。

日本書紀を読むと
孝昭天皇は32歳で即位して(前475年)その後29年目に世襲足媛を
皇后に迎え(前447年)更に20年も経って80歳で二男の孝安天皇を
もうけた(前427年)とされ、
孝安天皇も36歳で即位して(前392年)、その後26年目に押媛を皇后に
迎え(前367年)、更に25年も経って86歳で唯一の男子である孝霊天皇を
もうけた(前342年)とされ、
孝霊天皇も52歳で即位して(前290年)、2年目に細媛を皇后に迎え
(前289年)、更に16年も経って70歳で孝元天皇をもうけた(前273年)
とされる。

つまり、日本書紀を記述する人は建国年代を出来るだけ昔のこと
として書きたいと同時に、男は高齢でも子供を作れるが女は出産できる
年齢に限りがあることを理解しているから、70〜86歳の男王と彼より
推定40〜50歳ぐらい年下の皇后という組み合わせにしている。倍年暦
が当たり前なら、女性が60代、70代でも子供を産める設定で良かったはずだ。
0752日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 11:45:48.63
>>751
神功皇后が応神天皇を産んだのは31歳(仲哀天皇9年12月14日)だよ。
応神天皇を産んだ後69年摂政して亡くなった時の年齢が100歳(日本書紀)。
仲哀天皇の父日本武尊とは88歳、仲哀の叔父成務天皇とは86歳の年齢差
があったことになる。そんなことはありえないよね。
0754日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 13:31:22.83
>>753
古事記では神功皇后は応神天皇を産む前に誉屋別皇子を産んだ
と書いているからそこをカバーしているかもしれない。しかし、
実際に身分が高い女性で初産年齢が遅いケースがないわけではない。

30歳を超えて初出産した女性であれば、聖武天皇の皇女で白壁王
(後の光仁天皇)と結婚した井上内親王、白河天皇の女御藤原道子、
晩年の亀山法皇に寵愛された西園寺瑛子とか探せば出てくる。
 
女性が31歳で子供を初産で産むことじたいは生物学的にも
全く不可能ではないと分かっているから、日本書紀は神功皇后が
31歳で初めて応神天皇を産んだと書いている。

 井上内親王は38歳で酒人内親王を初出産したというから、
日本書紀で、例えば世襲足媛は15歳のとき、孝昭天皇の後宮に入ったと
仮定して、20代で天足彦国押彦命を産み、35歳で孝安天皇を産んだとしても
全く問題ないし、押媛については13歳で孝安天皇の後宮に入って38歳で孝霊
天皇を産んだとか、細媛についても17歳で孝霊天皇の後宮に入って33歳で孝元
天皇を産んだでも十分通用する。天皇が老齢だから、皇后が子供を産んだとき
何もピチピチのギャルでなくてもいいのだろう。
0755日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 13:37:23.72
女性は二倍歴が使われてないと言う>750の前提が破綻している可能性がある
0756日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 13:38:10.12
>>753
もしや神功皇后が15〜16歳で出産したと思ってる?
0757日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 13:39:59.93
>>755
根拠を示しなさい。
あなたは一行レスだけで何の説明もできていない。
0758日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 13:45:42.63
>>756古代なら初産は初潮の後すぐだったろうし高齢初産は産婦人科のない当時は母子共に危険
0759日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 13:46:16.48
記紀の信憑性はともかく、正史として扱うなら年の数え方が変わっていることを書いておかなければならないんじゃないの?
そこだけ二倍暦だの春秋暦だので、だから辻褄が合うなんてのは都合がよすぎる
0761日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 14:47:31.65
>>760
建国年代を引き伸ばした説には根拠というか動機は十分あるよ。
このスレが言っているように、神功皇后を
百数十年前の卑弥呼と同一視させ、応神天皇が生まれた年を
160年〜180年前の西暦200年のことだとした結果、干支三つ分
ほどの実年代とのズレが増えるから、160年〜180年分のズレを
神功皇后と後続する何人かの天皇の在位年数の中へ分散して補正しない
といけなくなった。日本書紀は百済記を引用することで応神
天皇の時代を120年前の出来事として書いていることを教えているし、
古事記は仁徳天皇の没年齢が日本書紀での仁徳天皇の在位年数より短く
記されている。

しかし、神功皇后以降の天皇の在位年数だけが不自然では邪馬台国を隠す
工作がバレバレだから、神功皇后より前の天皇についても在位年数を水増し
して誤魔化す必要が生じた。兄弟間継承を父子継承に変えることさえした。
その結果が神武天皇即位の年が前660年になるというものだ。

男性は高齢でも生殖能力を保有しているが、女性は40歳を超えて産むことがきつい。
女性は10代で結婚したら20数年は子供を何とか産むことができることを考慮して、
立太子したときでなく即位後に迎えた若い皇后が年老いた天皇の為に供を産むことを
代々繰り返すパターンをとりながら在位年数を引き伸ばしている。2倍暦、3倍暦、
どうかしたら4倍暦を使っても、当時としては長命な傾向があるのに存命中嫡孫すら
生まれていない天皇が多いことは本当に謎だよ。

、、
0762日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 14:56:43.06
謎ではなく後の一年で年齢を計上してないとすれば簡単に説明はつく
0763日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 15:11:58.85
>>751
神功皇后が100歳で応神天皇を産んだのか?

>>758
君はなんで物語当時の常識ではこうだからと文意をいちいち曲げて
解釈するんだろうな?筑紫くんもそうだが。まず倍年暦ありきという
考えを捨ててみよう。われわれは科学や歴史について色々な情報を
保持してはいるが、まずは記紀が成立した時代の貴族になってみよう。
0764日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 15:15:27.44
>>762
説明にも反論にもなっていないからダメ。
記紀を使って具体的に説明してみろ。
0765日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 15:17:38.64
むしろ引き伸ばしありきの発想を止めた方が良い。辛酉革命説に則ったにしても紀元は東周の途中にするより夏の成立と同時ぐらいにした方が中華秩序的にはインパクトがあっただろう。でもそうしてない。
0766日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 18:29:12.81
>>746
自分はヒメ后の3世代後のトヨ、そのトヨの一世代前のタケミカヅチ、径百余歩の卑弥呼の墓、和邇氏系図、
あと書かなかったが、用明、応神、垂仁の即位年からの平均在位など、
多数の証拠を出して卑弥呼(Bei mei hu)=比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、つまりヒメ后であり、ピンインで解けると言ってるわけで、
君が卑弥呼を誰なのか対案を出せない以上、君の反論は単なるイチャモン。
0767日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 18:48:06.77
たしか仲哀の死亡前日から十月十日で応神が産まれたことになっているはず。
これは後世の人間に、応神は本当に仲哀の子なのかという余計な詮索をさせないがための記述であろう。
つまり、7世紀の朝廷は、古代天皇を100歳超える年齢にし、
神武127歳などと子どもにも笑われるほど大きく引き延ばしたという【自覚】があった証拠だ。

つまり倍歴などとはとんでもない。
倍歴なんて言ってる奴は馬鹿集団古田史学の連中だろ。
0768日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 19:13:15.67
違うな住吉大社関係で神功皇后に関する不穏な伝承がある
0769日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 19:16:58.91
>>747
>家系図と歴史上の出来事がピッタリ合うことを新井白石も本居宣長も
気づいてしまったということか。

その通りだと思います。
もっと言えば、この三百年論争自体が、
邪馬台国が畿内だとわかっていた新井白石が、
古代天皇の朝貢という切実な問題に直面し、
邪馬台国を畿内と言えないがために、
心にもない九州だと言い始めたのが発端の、
いわば茶番というかヤラセというか、
のちに卑弥呼は熊襲の女酋長だと言った本居宣長も同じく、
邪馬台国が畿内だとわかっていたがゆえに、わざと変な熊襲の女酋長説を唱えたものと思われます。
0770日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 19:18:40.86
>>768
住吉大社神代記だね。
だから何?
0771日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/07(月) 23:48:28.83
神功皇后から数え方が変わった可能性はある。
歴史的に大きな節目だったのだろう。
0772日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 01:18:00.26
蘇我氏主家滅亡時に焼かれた帝紀の祖述が
上宮聖徳法王帝説

上宮聖徳法王帝説はアメクニオシハルキヒロニワ=通称欽明から始まる

つまり欽明より「前」の大王は
記紀が書かれたときに足されたものなんだよ
0773日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 02:46:17.49
ワカタケル大王の文字が彫られた剣が遺跡で出てきているので
欽明天皇よりずっと前の雄略天皇の実在は確定しています。
0774日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 04:00:31.49
オオハツセ=通称雄略は日本列島に以前から暮らしていた
各氏族共通の口承伝承に伝説の大王として登場していた

だがオオハツセの子孫がいったいどの氏族なのか
いったいどれくらい時代を遡る人間なのかだれもわかrない

「われこそはオオハツセの子孫!」と主張する有力氏族は多かったから
それらの有力氏族の口承伝承中の英雄は
皆オオハツセ以降の大王ということにされた

違う氏族の伝承を適当にくっつけただけだから当然
本来血族関係など存在のしようがない
0775日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 05:13:44.13
以上、史実と妄想の判別がつかなくなった患者の症例でした
0776日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 06:21:25.63
>>765
伝承に記録されている天皇の人数が限られている以上
天皇一人あたりべらぼうな、例えば280歳のような
長寿者に書くのは誇張が酷すぎて笑われる。100歳代の
寿命は本当にギリギリの許容範囲だったのだろう。
0777日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 06:27:19.02
>>774
そうだったら、雄略天皇を祖とする大勢の皇別氏族がいても
いいだろう。記紀が書かれるせいぜい二百数十年前の先祖で
おかしくないし子供も皇子3人と皇女2人しかいない。
0778日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 07:01:30.66
>>772
>つまり欽明より「前」の大王は
記紀が書かれたときに足されたものなんだよ

創作して付け足したというわけか?
ならば100歳を超える天皇がいる事がおかしいね。
創作するなら普通に50歳くらいで死ぬ方がリアリティがある。
中国に負けないくらい古く見せるのが目的であったなら50歳で死ぬ天皇を数十人創作して、
紀元前660年あたりに持ってくればいい。

ところがそうはしていない。
これは「祖先からの王統は未来に伝えなければならない、しかしそのまま伝えることはできない」
という強い制約があったから。
だから記紀は100歳超える天皇が連発する奇形の書になった。
その根本原因は何かという話だ。
0780日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 08:19:57.60
中国でも短命王朝は多々あったし、ひとつの王朝を一人の天皇に擬制した可能性はない?
0781日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 08:22:53.00
その場合でも中国人から見て辛酉革命には合致はしてもどうでもいい年を紀元にした理由にはならない
0782日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 10:21:29.85
半年で1歳としを取るという数え方をしていたからだとYOUTUBERが言ってたよ
0783日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 10:29:37.23
つまり日本書紀編纂以前の原史料(ないし口伝)の時点で100を超える天皇ばかりだったと考えるのが自然
0784日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 13:32:46.99
「邪馬台国と大和政権」(管理人:長須根富彦 著者:S.Mizuno)
>2.1 記紀の天皇崩御年
>2020.06.19 2020.06.18
>古事記から求めた10〜33代の天皇の崩御年と、日本書紀から求めた1〜33代の天皇の崩
>御年をグラフにすると、図2のようになる。なお、34代までの天皇は、退位年と崩御年は
>同じである。
>古事記のデータを直線近似すると、天皇の平均在位(最小二乗で求めた直線の係数)は
>12.56年になる。相関係数は良好であり、作為は認められない。データを改竄しても分散
>の範囲内ではないか。代と年代は一義的には比例関係にあり、高次の成分があっても直線
>の相関性は維持されるが、データを恣意的に改竄すると相関係数が低下し、データ上は不
>自然になる。
0785日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 13:33:23.13
>一方、日本書紀のデータは、1本の直線で表すと、相関性云々以前に近似にならない。故
>に、1〜16代と16〜33代の2本の直線で近似せざるを得ない。16〜33代において、19
>代以降のデータは古事記とはほぼ一致し、16〜18代は一定のオフセットがある。平均在
>位は12.72年であり、近似直線の傾きは古事記と良く合っている。これに対して、1〜16.
>代は明らかに作為が認められ、改竄されていることが分かる。この部分だけ切り出すと、
>平均在位は66.6年になり長すぎることは明らかであるが、相関係数(R2乗)は0.9928
>となり、かなり良好である。直線性をグラフで確認できない時代に、在位年数を適当に延
>ばして、これだけの相関性を得るのは難しい。この間のデータは、直線からの乖離が相対
>的に大きく(乖離が拡大して)、相関性が良いことから、実際の在位年数を何らかの法則に
>従って延ばしたのではないかと考えられる。
0786日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 13:35:51.00
>日本書紀には初代天皇から崩御年が記載されているが、グラフ上だけではなく、考古学的
>にも間違っており、このデータをそのまま使うことはできない。これに対して、古事記に
>は1〜9代の天皇の崩御年が記載されておらず、古代天皇がいつ頃の人なのか分からない。
>そこで、まず古事記のデータから年代を遡って、初代天皇の崩御年を求める。次に、この
>値と記紀の差分から改竄方法を推定して、日本書紀のデータを復元し、古代天皇の崩御年
>を明らかにする。そのためには、古事記のデータが正しくなければならない。直線の相関
>係数とともに、古事記に記載された年代は正しいのか、矛盾はないのかを確認する必要が
>ある。そこで、宋書に年代が記されている倭の五王と、古事記に記された最も古い崩御年
>の崇神天皇の年代から推定する。崇神天皇については、記紀以外に年代を記した資料がな
>いので、古墳の築造年代と、稲荷山古墳の鉄剣銘文から判断する。

実際にエクセル等でグラフを書いてみよう。
図2 古事記と日本書紀の天皇崩御年
天皇の代数をx軸、天皇の崩御年(西暦)をy軸に取ると
日本書紀: y=66.647x −694.44(Rの2乗=0.9928)
古事記:y=12.557x +205.02 (Rの2乗=0.982)
0787日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 13:39:59.24
邪馬台国畿内説を支持し、神武と卑弥呼を同時代人だと突き止めた著者は
(要約だが)こうも言っている。
書記が編纂された8世紀初頭には、日本に魏志倭人伝が伝わっており、その整合を図る
ため、神功皇后を卑弥呼に見立て、201年から269年まで皇后が統治したとしている。
卑弥呼ほどの人物であれは旧辞や口伝によって伝承されていたはずであり、中国の歴史書
にも登場するため無視するわけにいかず、皇室の女性を卑弥呼に置き換える必要があった。
さて大きな権力を持った最も古い皇室の女性は、神功皇后である。他の歴代天皇と同様に
巻頭に名を記され、歴代天皇と同列に扱っていることから、天皇に相当する権力を持って
いたと考えられ、卑弥呼と置き換えるには都合のよい皇后だった。しかし、神功皇后の後
には、台与に相当する女性を見いだすことができないからか、神功紀では、神功皇后が
卑弥呼だけでなく台与も兼ねた構成になっており、魏志倭人伝との整合を図ることができ
なかったため不自然さが残った。
0788日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 13:51:43.30
何故、欠史八代が生じたか ■神功皇后との関係
で述べているこのことが正直よく分かりづらいが
>4)この改竄を行うため、書記は神功皇后の年代をずらした。当然、神功皇后だけ
>をずらすわけにはいかず、その前後から初代まで連続的に延長した結果、図2に
>示すような年代のずれが生じた。この年代のずれは、16代から遡って行われてお
>り、15代から同世代と考えられる天皇を除いて1世代を3世代に拡大している。
>14代の仲哀、神功の代では2世代が6世代相当に延ばされ、そのまま同様に初代
>まで延長されている。この操作は、魏志倭人伝に記載された卑弥呼の活躍年代を
>カバーしているが、没年は合わせていない。神功皇后の没年を247年前後にする
>には、さらに1世代ずらす必要がり、それが困難だったのか、あるいは、前記台
>与を兼ねたことにしたためだろうと考えられる。正確には、卑弥呼の年代に合っ
>ていないが、少なくとも活躍年代だけは合わすことが出来た。
>1〜16代の天皇の在位期間が異常に長く、神武天皇が紀元前7世紀まで遡ること
>になったのは、この操作を行ったためである。

日本書紀がこのように天皇の在位期間を改竄してまで、神功皇后を卑弥呼に仕立てた
のは、大和に天皇以外の「王」である卑弥呼が存在していたことをどうしても隠さな
ければならなかったからだと著者は言う。一方古事記は、卑弥呼と神功皇后の整合を
図っておらず、年代の改竄は行われていないが、魏志倭人伝と矛盾が生じたため、
崇神天皇以前の天皇の在位を記載しなかったようである。
0789日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 14:00:19.25
>>786(補足)
日本書紀: y=66.647x −694.44(Rの2乗=0.9928)←これは神武〜仁徳
古事記:y=12.557x +205.02 (Rの2乗=0.982)←これは崇神〜推古

古事記のほうのグラフを更に9世代以前にも延長すると神武天皇が生きていた時代を
推定できるはずだ。x=1を古事記のグラフに代入すれば、神武天皇は217〜218年に崩御し
たことになりそうだが、本人は神武の崩御年を西暦198年だと見ている。
0790日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 14:09:11.67
ここで私の見解を書く。
神武から仁徳まで16代(神功を加えると17代)の天皇について、実際の世代数は
10世代で、途中6人が同世代間で王位継承をしていたことになる(スレ主もその著
者も同じ)。平安時代から江戸時代初期あたりの天皇を見ていると、およそ1世代25年
で次世代の天皇をもうけたようだ。1世代の在位年数の合計も概ねそれと等しいと見ていい。
長命な天皇もいたが3世代で50年、5世代で100年、9世代で200年、13世代で300年だ。
そこで古事記に仁徳天皇の崩御年(427年)をもとに10世代遡ると、
神武天皇は10世代×25年=250年前に即位したことになる。西暦178年頃だ。

さて、前660年と後178年とは837年の開きがある。在位年数が異様に長いのは
第16代仁徳天皇までで、それまで成務から仲哀が叔父から甥であることを除き、
父子継承がほぼ16世代順調に続いたことになっている。そこで、神功皇后も在位
年数が長いので一世代としてカウントすると、837年÷17世代=49.24年となり、
49年はほぼ50年と等しいから、一世代を三世代に拡大したと考えることができる。
0791日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 14:17:36.79
紀元前660年が辛酉革命以外に意味があるのか?
ニニギ以下3代等を年数に入れず何故人皇のみ年齢の拡張と言う無理を行ったのか?
0792日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 14:35:58.06
>平安時代から江戸時代初期あたりの天皇を見ていると
天智天皇以降、奈良時代の天皇も結構早い年齢で子供を作っている。
だが祖父と孫でも天智天皇は草壁皇子と36歳差、淡海三船の祖父葛野王
とは43歳差だが、光仁天皇とは83歳も差がある。
後水尾天皇と東山天皇まで3世代だが79歳も差がある。
80歳も差があるところは3世代でも実質4世代や5世代と等しかったりする。
0793日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 14:47:39.61
>ニニギ以下3代等
天孫降臨から神武東征まで179万2470余年もあれば、
誰も神武を日向三代の神々の子孫だとは思わない。
ただ単に神武が彼らが住んでいたとされる地に出自を
持っているという程度のことで、日本書紀は神代と人代を
明確に分断したいのだろう。あるいはこのスレの趣旨に沿う
なら、スサノオとアマテラスが同世代であり、神武天皇が
スサノオの5世孫と夫婦であることに合わせて先祖の神々の
数を揃えた結果が日向三代だったのかもしれない。
0794日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 14:58:29.11
179万と言う数字は原史料由来なのか日本書紀編纂者が捏造したものなのか?
捏造だとしたらその年数の意味は?
0795日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 15:11:35.40
欠史八代の系譜矛盾
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage600c.htm

神武天皇から崇神天皇までが10世代ではなく6世代であることは
固まりつつある。しかしその途中の欠史八代の天皇を系図上にどう
配置したら良いかは研究者で食い違う。確実に言えることは、
神武の息子が綏靖であり、3世代に懿徳、4世代目に孝安が来るとか、
4世代目か5世代目が孝霊で
5世代目か6世代目の孝元と開化がおそらく兄弟であるという程度のことだ。
0797日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 15:26:18.59
三輪 氏   安曇氏  物部氏    三上氏   忌部氏    紀国造家   久米氏  大伴氏 中臣氏  皇室  

櫛御 方   穂己都久 宇摩志麻治 彦伊賀都   天富        天道根   大久米     道臣 天種子  1神武
健飯 勝   摩幣区利 彦湯支    天夷沙比止 彌麻爾支     伊麻枳利 布理祢     味日 宇佐津臣2綏靖3安寧
健甕 尻   意伎布根 意冨祢    川枯彦     和謌富奴     比古麻   味耳       稚日 御食津臣4懿徳
豊御 食主  小栲梨   出石心大臣 . 坂戸毘古   佐久耳       知名曽   五十真手   大日 伊賀津臣5孝昭6孝安
健飯 賀田巣麻曽杵   大綜麻杵   . 国忍富     阿加佐古   .久志多麻 久米大人  角日 梨津臣  7孝霊8孝元9開化
大 田々根子大栲成吹 伊香色男.  .大加賀美   玉久志古    大名草彦 押志岐毘古 豊日 神耳勝  10崇神
大御 食持  百足足尼 十市根    鳥鳴海    多良斯富   .宇遅比古 七拳脛    武日 大鹿島  11垂仁12景行
大友 主   勝海足尼 胆咋       八倉田    麻豆奴美足尼 等与美々 祢久良支   武以 臣狭山  13成務14仲哀
志多 留   大浜    .五十琴    室毘古    佐岐大人足尼 豊布流   伊与足尼  佐彦 雷大臣  15応神
石床      浜子    .伊呂弗    比賀多    多比古足尼   塩籠    加志古     山前 大小橋  16仁徳
0798日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 15:42:06.65
>>796
固まりつつあるは言い過ぎたが、複数のソースが揃ってる
>>593、795、797)。
このスレでは卑弥呼の王配が神武であり、
卑弥呼の兄弟天日方奇日方から阿田賀田須まで6世代だから
神武から崇神(318頃崩御)までも6世代と考えるのが自然。
0799日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 15:43:07.91
>>796
じゃあ、君は何世代だと思う?
そこまで書き込もう。
0800日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 15:46:58.82
学会で誰かが何らかの論文を提示し別の誰かの賛同を得ているのと思っただけ。ここで私見を言う意味はない。
0801日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 15:54:59.89
>>794
そんなことはどちらでもいい。
http://www3.point.ne.jp/~ama/w03.html
「神武東征」はなぜ天孫降臨の179万2470年後に行われるのか
>「叙述と文言」という方法論を知るために,たとえば,まずこの点を考えてみたい。
>従来あまり指摘されていないが,日本書紀によれば,「神武東征」は「天孫降臨」の
>「179万2470年」後に行われる(神武即位前紀)。
>これをどう考えるか。
>日本神話を読もうとする人,特に古事記を読もうとする人は,まずこれを考えるべきだ。

>「179万2470年」など,要するに,「神武東征」と「天孫降臨」とは,因果関係が
>まったくなかったということである。
>風が吹けば桶屋が儲かるという意味での,因果関係さえない。「天孫降臨」を覚えている人が
>いないくらい,はるか後の時代になったときのお話,という語り口である。
0802日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 15:55:41.68
 クールだった日本書紀編纂者
>優秀で頭の切れる文化人であった日本書紀編纂者は,神話をまとめてはみたけれど,
>神武天皇以下が「天孫降臨」後の子孫だなんて,これっぱかしも信じちゃいない。
>現実社会の政争を,身をもって経験してきた優秀な律令官僚たちは,天皇が神だなんて,鼻っから信じていなかった。

>天皇は神であるというおべっかを遣ったのは,柿本人麻呂をはじめとした,その時代の
>歌人である。そのおべっかの切れ端が,万葉集に残っている。
>「なびけこの山」の絶唱。
>人麻呂は偉大である。それはわかる。しかし,天皇を神と讃えたのは,立場上のアヤである。

>逆に言えば,神代とそれ以後を別に章立てて,明確に区別する日本書紀では,神武天皇以下は
>神ではなく実在の人間,あるいは伝承上実在したと信じられていた人間として描いているとい
>うことになる。
>神武天皇は,あとで勝手に「造作」した天皇ではない。
>ところが古事記には,「179万2470年」という文言はない。大真面目に,天孫降臨と
>その後の神武天皇を論じている。
>日本書紀編纂者が,いかにクールだったか。
0803日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 15:58:47.23
つまり原史料をクールな編纂者とやらは弄ってないと言う事だな
0804日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 17:02:06.11
>半年で1歳としを取るという数え方をしていた

そうすると古代は性行為から五月五日で子供が生まれると考えていたのか。
0806日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 18:36:23.93
仲哀天皇9年2月6日没

応神天皇(仲哀天皇9年12月14日生まれ)

仲哀天皇は没日の二日前に神功皇后に子種を仕込んだ。

倍歴でも何でもありません、はい解散。
0807日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 22:16:56.43
>>1
崇高な天皇が長生きするのはあたりまえ。
こんなあたりまえのことを話題にすること自体ナンセンスですよ。
正しい歴史・史実を尊重できない者に歴史を語る資格はないのである。
0808日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 22:37:20.73
日向が全ての始まり
出雲を平定 
➡出雲の祖神スサノオと子孫の王オオナムジ が神話に取り込まれる。

その後、南九州の火山が大噴火、気候が悪化
➡東征
➡大和の平定 元大和の祖神であったニギハヤヒを神話に取り込む 

倒した敵の祖神を自分らの祖神の傍系と言うことにして取り込んだ。
0809日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 22:50:46.48
>>807
何も考えないし探求しようとしない、そんな世界に生きているあなたは、
ある意味、羨ましい。
私とは住む世界が違うのだから、せいぜいそちらで頑張ってください。
0810日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 23:21:59.28
日本書紀の年数がおかしいことは誰もが気づくことだと思う。
神功皇后は確かにそれまでの天皇と違い若い年齢で応神天皇を産んだし
懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、垂仁に関しても、老齢の天皇と若い皇后の
組み合わせで子供を作っていたんだで通じただろうが、全てがそうというわけ
でもない。

綏靖天皇は神武天皇が在位76年で亡くなったとき48歳で、即位後56歳で自分の叔母の
五十鈴依媛命との間に安寧天皇をもうけたとされ、このこと自体はかなり無理がある。
自分よりずーっと若い叔母さんてなかなかいないだろう。徳川家康のように、35歳で
初孫が生まれているが、本人は66歳まで子供を作り続けた人物の例もあるが、何たって
媛蹈鞴五十鈴命と五十鈴依媛命の父親は神様だし…。神武天皇が媛蹈鞴五十鈴命と結婚した
当時既に五十鈴依媛が生れていても、神武天皇の在位年数を20年未満に収めて、綏靖天皇
の誕生を即位数年後のことだとすれば問題は解決する。
安寧天皇と渟名底仲媛命は年齢差が大きくない夫婦で問題ないだろう。

崇神天皇や景行天皇は老齢で自分の従姉妹に当たる女性に次の天皇を産ませたという。
80歳の崇神天皇や90代の景行天皇にそんなに無茶苦茶年が離れた従妹がいただろうか?
(ただし天智天皇、天武天皇や徳川家康の孫たちのように、いとこ同士でもピンからキリ
まで50歳や60歳の年齢差が生じる場合もある。)

仁徳天皇も在位38年も経って異母妹の八田皇女を皇后に迎え、更に2年後には彼女の同母妹の
雌鳥皇女を妃に迎えようとしたら、異母弟の隼別皇子に奪われてしまったという。
若い男女間の出来事であれば納得できるし、実際には仁徳天皇が若い時の出来事なんだろうが
在位年数だけを信じたら八田皇女や雌鳥皇女は老女でないとおかしい。どこかの老人ホームで
起きた痴情話でも聞かされている気分だ。
0811日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 23:57:36.74
モモソヒメは孝霊天皇の時代の晩年に生れたとしても
孝元天皇57年、開化天皇60年をまたいで崇神天皇の時代
まで生きていたら120歳を超える枯れ木のような老女に
なってしまう。いくら大物主神が物好きでもあまりに不自然。

それから伊香色謎命が孝元天皇7年に天皇の妃となったのだ
とすると、皇后がちょうど生んだばかりの開化天皇との間に
60年後崇神天皇を産むというのもどう考えても不可能。
それとも孝元天皇の妃になったのは天皇の晩年のことだろうか?

女性が異様な高齢出産をしていそうな場合は何か理由があるの
かもしれない。実は夫と生れた子どもの関係が親子ではなく兄弟だとか。
0813日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 06:36:25.58
武内宿禰も驚異的な寿命
0814日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 06:55:21.49
つまり古代天皇のみが長寿と言うなら普通の寿命の廷臣は入れ替わりがなければならないが逆に古代天皇より長寿の者が居ると言う事
0815日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 07:21:01.44
武内宿禰は特別だな。
応神天皇の実父なら、実質的な皇祖だし、多くの氏族の祖とされている。
0816日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 07:35:05.72
崇神時代の人物であるタケモロズミが、先代旧事本記では5代孝昭天皇の大臣であったと記される。
そうすると10代崇神と5代孝昭は一世代差あたりか。
先代旧事本記の物部や鴨(スサノオ直系)の系図でも崇神時代から神武時代まで6世代。

考古学では崇神の墓で間違いなかろう行灯山古墳(4世紀初頭から前半)と、
纏向古墳群最古の纏向石塚(177+18)の年代差が約120年。
一世代20年として6世代。

先代旧事本記は正しいのであろう。

正しいからこそ本居宣長が偽書だと否定したのではないか。
真実がばれてしまうではないかという意味で。
0818日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 07:59:43.38
また冒頭部分は後世の後付けだとしても先代旧事本紀本文には古語拾遺からの引用があり成立はそれより後
0819日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 08:20:25.12
>>818
だから何なんだr。
物部が物部の伝承をしてきたわけで、それがなんで偽書になるのかな。
0820日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 08:31:18.26
冒頭部分に余計な文章を付加したせいで江戸時代後期に偽書と断定されたと言う事。現在では物部と蘇我を対立的に書いてないなど内容面で考察する価値がある文書に復活している。
0821日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 10:22:24.22
「余計な文章を付加したせい」って先代旧事本記には「天皇」なんて出てくるわけだから、
9世紀頃の朝廷におもねて忖度し書かれたというだけ。
だからと言って、そういう部分を取り除いたその内容が正しいかを吟味しないのは馬鹿。
上田正昭さんや森浩一さ先代旧事本記の重要性および復権を言われていたが、それは正しい。

考古学的にも崇神墓(行灯山)から纏向石塚まで6世代120年。
先代旧事本記の時系列と合致する。
また巻第三・天神本紀にはニギハヤヒが複数の瀬戸内集団を伴い畿内入りすることが書かれているが、
寺澤薫氏が2013纏向学で纏向遺跡の主要要素を「筑紫、吉備、讃岐、播磨」と述べられていることとも合致する。

先代旧事本記は驚くべき史書である。
0822日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 10:23:59.70
× 上田正昭さんや森浩一さ先代旧事本記の重要性

〇 上田正昭さんや森浩一さんが先代旧事本記の重要性
0823日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 10:37:29.84
本居や太田などがバカなら古事記を評価したのも見直しが必要だな
0824日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 10:56:43.74
>>823
本居は先代旧事本記の時系列が正しいから真実が暴かれ大変困るので「偽書」とした。
偽書とされたからと言って先代旧事本記の内容を吟味しない君を馬鹿と言ってるのだ。
0825日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 11:00:51.21
バカはお前。江戸時代後期の時点の考証では偽書と判断されても仕方がないしこちらは先代旧事本紀の史料的価値は認めている。
0826日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 11:20:01.77
>>825
ならば最初からイチャモンつけるな。
0828日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 11:36:19.09
偽書って言ったら全て偽書って話になりかねませんからね
0830日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 13:05:31.21
>>827
絡んできたのは倍歴説の古田史学のお前だ。
0832日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 13:34:20.82
記紀は明らかに時代を引き延ばしてるわけだが、
「そうではない」という君が恥をかき続けてるわけだ。
0833日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 13:39:45.63
明らかじゃないからこんなスレがたってるのにバカはいつまでたってもバカ
0834日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 14:50:59.79
引き延ばしたのは「明らか」だが。
応神が仲哀死亡日の前々日から十月十日で生まれてるだろ。
倍歴なら説明できないだろ。
0835日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 14:58:23.56
年と言う単位が違うのでは?に対し日数を指摘するのは発達障害
0836日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 16:22:20.80
同じ年ですが?
0838日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 18:44:07.23
仲哀天皇9年2月6日に没
応神天応は同じ年である仲哀天皇9年12月14日生まれ。

「年と言う単位が違う」って何の話かな?

7世紀の朝廷には時代を大きく引き延ばしたという自覚があった、
だからお腹に石を置いて産み月をずらすなどという苦労をしてるわけだ。
0839日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 19:14:58.27
応神天皇からは倍暦ではなく実年。
それどころか、応神天皇については産月を修正しないといけなくなった(実は応神天皇は武内宿禰の子というのが当時は周知の事実だった)。
0840日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 22:00:06.70
>応神天皇からは倍暦ではなく実年。

109歳が実年だと?
ヤケクソかw

年齢を思いっきり間延びさせたからこそ、応神は本当に仲哀の子なのかという疑問が出て、
やれ武内宿禰の子であるとか、住吉大神の子であるとか噂が出た。
君の言ってることは本末転倒。
0842日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 22:39:10.04
武内宿祢は孝元天皇の曾孫で成務天皇と同い年で
景行天皇の治世の初め頃誕生で、孫娘の磐之媛は
仁徳天皇の皇后だから、孝元天皇から仁徳天皇は
六世代と見ても特に問題ないだろ。むしろ孝元から
仁徳まで九世代続いていると記紀が言っているほうが
異常なだけでさ。

倍年暦は、父子継承が順調に続いてるなら使いようがあるが
実際に兄弟間継承が多かったとすると
0843日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 22:45:08.02
>>842訂正
武内宿祢は孝元天皇の曾孫で成務天皇と同い年で
景行天皇の治世の初め頃誕生で、孫娘の磐之媛は
仁徳天皇の皇后だから、孝元天皇から仁徳天皇は
六世代と見ても特に問題ないだろ。むしろ孝元から
仁徳まで九世代続いていると記紀が言っているほうが
異常なだけでさ。

倍年暦は、父子継承が順調に続いてるなら使える説かも
しれないが、実際に兄弟間継承を含んでいるなら、そこ
に限って二倍歴から四倍歴に変えたとかしないと、一世代
あたりの年数が狂ってこないか?
0844日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 22:58:09.28
>>840
古事記では応神天皇は130歳まで生きたよな?
日本書紀による仁徳天皇の在位87年も実年なのか?
応神天皇は継体天皇の5世代前だから
応神天皇の即位元年を270年から390年に変えて
仁徳の在位87年を27年に変えると丁度いいようだから
おそらく60年で一巡する干支を利用しているよ。
0845日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 23:03:52.29
孝元天皇から仁徳天皇は六世代であるという根拠は>>797
0846日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/09(水) 23:18:54.32
倍年暦説は無理があります。
神武天皇から履中天皇まで17代=17世代ではなく
11世代あたりだということが指摘されているわけで
大和政権が11世代を17世代に直し、彼らの在位年数や
寿命を水増ししていったことは見え見えなのですよ。
それは国威発揚が目的というわけでもなく、ただ邪馬台国
の存在を隠したいがためですよ。
0847日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 07:35:41.70
というか、そこだけ倍年歴だから矛盾してませんとか言われてもね
0848日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 08:11:07.27
邪馬台国を隠したいなら卑弥呼を神功皇后に比定した文を日本書紀に載せる訳がない
0849日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 08:33:45.16
>>848
言い方が正しくなかった。邪馬台国を大和政権の一時期と見せかけたい
からだね。
0851日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 09:04:57.39
>>847
それじゃきちんとした反論にならないよ。
一行レスばかり書き込むなら出て行ってくれないか。
到底学者としての態度がなっていないよ。
このスレに関わることで何か自分なりの見解とその理由を
それなりの行数を使って書き込めよ。
倍年暦が正しいと思うならそれで古代天皇の在位年数を復元して、
記紀に書かれていることと矛盾しないとか歴史上の事実をうまく説明できる
とか言って欲しいんだよね。
0852日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 09:07:31.34
例えばだが、
「神武天皇の在位年数は76年だから、2か4で割れるが3や5では割れない。
よって3倍歴や5倍暦は不適で、2倍暦か4倍暦のどちらかがありえる。
2倍暦なら在位38年。4倍暦なら19年で、神武天皇が即位後行ったとされることが
きわめて少いし、大和で皇后に迎えたイスケヨリヒメとの間の子供が成人するあたり
まで生きれたらいいだろうということで、在位19年のほうが自然だ。東征の時点で
先妻のアヒラツヒメの子が既に成人していると考えられるから、即位した時の年齢に
倍歴を適用しないほうが自然だろう。その場合、52歳で即位し71歳で亡くなったと
考えられる。2倍歴では89歳で長生きしすぎだ」
とか、こういう説明をするべきなの。
0853日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 09:25:07.97
バカ?春秋暦とかは魏志倭人伝に「其俗不知正歳四節但計春耕秋収為年紀」とあるからの仮説。もちろん正解と確定してる訳でもない。
0854日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 09:40:27.97
16代までの天皇の在位年数は確かに2か3、4で割れるから、
そこだけを見れば確かに倍年暦はありえそうだ。

神武天皇について、在位年数は4倍暦だと言えるかもしれないが、
具体的な事績が書かれているのは、1年、4年、31年、42年、76年だ。
なお現在の1年を4年と数えるなら、即位したのは正月1月1日だとされる
からその年の春だ。即位4年目はその年の冬だ。日本書紀によると4年の
春2月23日に神々を祀る場所を鳥見山に設けた。そして皇祖の神を祀った。
冬と春という時点で食い違っている。
31=4×7+3だから、即位31年目は実際には即位8年目の秋だ。日本書紀に
よると31年の夏4月1日に腋上の丘に登り国のかたちを見た。ここでも秋と夏で
食い違う。これはどういうことか考えてみよう。
0855日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 09:43:25.61
だから魏志倭人伝に倭人は暦なんか知らねーって書かれてるんだよ。春秋暦じゃないなら違う時間の数え方があったと推定されるだけだ。
0856日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 09:44:19.78
>>853
その通りだ。で、お前は人の書き込みにケチをつけるだけで
何か建設的な意見はないのか。ないのならさっさと出ていけ。
目障りだ。
0857日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 09:56:14.85
古代天皇が100歳越えてるのは後の暦法で当たり前の数字だったのを日本書紀の編纂者が政治的意図で引き伸ばした。この前提がおかしいのでは?と指摘済。
0858日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 09:58:47.87
>>850
同じ日本列島に存在しても関りがない王権だったら無視すればいいだけの話。
漢倭奴国王も倭の五王も書かれていない。
皇室系図がその通り正しいとすると、第17代履中天皇は5世紀の大王だから
その16世代の神武は四百年前の西暦1世紀の人物になる。
もし、邪馬台国が大和政権の一時期だったらモモソヒメの時代の出来事
として書いたほうがまだ系図と年代上で整合性がとれるし、邪馬台国が発展
して大和政権になったとすれば、神武〜履中まで17代≠17世代だとしても、
在位年数が短くなりすぎるから、神武と欠史八代はむしろ存在していないほうが
自然。

>>855
>其俗不知正歳四節但計春耕秋収為年紀
春耕して秋収穫しておおよその一年の目安をつけているというだけだろ。
0859日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 10:03:15.87
>>858下記部分はそういう仮説も成り立つ。いずれにせよ時間の概念はあっても魏人の常識とは異なる物だから特記された。
0860日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 10:12:00.97
平均寿命が長い現代でさえ、140歳も生きた人間は一人もいないし、
何世代も家の主が老齢で生まれた子供に偏って跡を継がせている家は
一つもない。ところが、日本書紀はそれを当然のこととして神功皇后
を卑弥呼の時代に置いて、その前後の天皇が子供を作った年齢や寿命を
無理に伸ばしているし、垂仁天皇が新羅の王子アメノヒホコが渡来した頃
からその玄孫の田道間守が生まれるときまで99年間生きたと真顔で記している。
日本書紀が記す一年はとりあえずそんなことはありえないのだが文字通り一年
と読むしかない。
0861日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 10:23:52.81
99歳を老齢と認識してない。つまり後の一年と言う単位ではないと考えられる。
0862日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 11:53:22.77
倍歴一行レス君は一度、どこから以前が倍歴なのか、ちゃんとした年表を提示してくれ。
それをせずにただ引き伸ばし説に文句ばかり言われても困るんだ。

おっと、そういえば応神は実年だと言ってたね?w
そうすると応神元年は270年で良いのかな?
もう、考古学と根本的に齟齬があるわけだがw

まぁ古代史界のわかば学級と言われる古田史学の会らしい見解だw
0864日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 12:11:55.31
>>857
天皇が日本列島の広域を支配者たり得るのは、神話の国譲り(葦原中国の平定)
という架空の物語に根拠があるからだ。これは決して筑紫さん(仮称)が言うような
アマテラスがオオクニヌシから領土を取り返す程度の局地的な戦争があったことを
書き残したい程度の話ではないし、コリアンコンクエストなどでもない。
国の支配者としての正当性を神話に求めているということ。
先祖の神さまが私たちの先祖のニニギにこの豊葦原瑞穂国の支配権を、スサノオの子
オオナムチ(オオクニヌシ)から取り上げて授けて下さったということだ。
今の天皇陛下が日本国の君主たる理由もこれ以外にありえない。

更に遡ると天皇の先祖とされるイザナギ・イザナミ(果たして実際に彼らの血を
引いているかどうか)が国土を産み、更にその島々を指定することで、記紀成立
当時の朝廷が支配し得た領土を確定しておく必要があったと考えられる。

それから、日本書紀や古事記が書かれた背景には、白村江の戦の敗戦でまさに国家
の自尊心を喪失しかねない状況だったことと、天武天皇が壬申の乱という正当性に
欠けるやり方で天皇の位に就いたことなども当然考慮する必要がある。
0865日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 12:14:05.52
(続く)
文明や国家の起源は、日本より中国のほうが古い。
しかし中国の歴代の王朝は短命だった。
そこで日本国が中国と差をつけて誇れるものは何かというと
易姓革命を否定した、血統の断絶なしの王朝の永続性を確立することである。
幸い中国や朝鮮でも国家の歴史を、遠い先祖から書き起こすスタイルを取っている。
統一国家ができる以前の王朝の開祖の物語も大事だった。

だが現実は違った。神話どおりにはいかない。神武が大和にやってきたとき、
既に出雲に出自を持つ王族がそこを支配していた。彼らを滅亡させるまで9世代は
かかった。神話で出雲の神スサノオがアマテラスより劣った弟として貶められる
理由はまさにここにある。日本神話を仕立てた人々が神々を自分たちの道具として
利用していることに気付かないなら大マヌケである。

神武から履中まで17世代も王位継承が順調に続いた王朝の例はあまりないのではないか。
それでこの17世代も、18代以降と同様に兄弟間継承を多く挟んだものと考えた。

そうしていると、神武が大和にやってきた時期はちょうど邪馬台国の時代と重なる
という仮説にたどり着いた。初めは私も邪馬台国九州説を支持した。大和の天皇家
と九州の邪馬台国が並立していたのであれば何も問題ないだろうと大国さんと同様に
考えた。大国さんや筑紫さんもスレ主さんも、天皇家は初代からそれほどの権力や
支配領域を持ち得ていなかっただろうという見解はほぼ一致しているだろう。
0866日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 12:15:40.48
しかし、このスレは更に先を行った。邪馬台国こそが実はスサノオ(帥升)の血を王朝であり、
だったのではないか、しかも神武天皇が女王卑弥呼の王配だったという大胆な説である。

九州説が正しいなら、邪馬台国など九州の女酋長と見立てて無視すれば良い。そういかないで、
卑弥呼が、アマテラス、モモソヒメ、神功皇后のどれと迷う仕組みが施されているということは
それだけ邪馬台国を大和政権の歴史の中へ隠蔽したい意図が感じ取れる。
国家の中心が大和であり、神武と欠史八代の大和の支配者が邪馬台国であった事実をうまく
隠して、初代の神武の時代ヵら、神話の神の子孫である彼が日本国の支配者だったと印象
づけたい。だからどうしても神功皇后を160〜180年ほど昔の卑弥呼と同一視させるため
年代を操作し、その前後の天皇の在位年数も水増ししてそこがバレないようにしなければ
ならない。神武〜仁徳まで、神功を含めて17代を17世代と見なして一世代あたり三世代に
拡大した結果が、神武即位元年が紀元前660年になる原因だと私は考える。もちろん神武は
即位などしていない。

しかし彼らの業績を堂々と泥棒して後でバレたら国が大恥をかくどころの話ではない。
神功皇后を卑弥呼に見せかけるが(もちろん正常な寿命で考えたらそんなことはありえないし、
神功皇后一人で卑弥呼と台与の二役をしていて不自然である)、実際に邪馬台国と同時代の
天皇の業績は(設定上は紀元前のこととされているが)敢えて空白にしておくことで、
後世古代史を熟考する者が、邪馬台国と大和政権が同じ場所にあった別の王権だったことに
気づくよう配慮したのだと私は考えた。そして新井白石も本居宣長も気づいてしまったという
ことだろう。
0867日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 12:27:54.33
>>861
垂仁天皇が崩御した時の年齢が99歳ではなくて
日本書紀による在位期間が99年だと言ってるんだよ。
垂仁天皇の崩御時の年齢は、日本書紀で140歳、
古事記で153歳な。ちゃんと本を読め。
0868日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 12:32:13.69
紀元前660年と言う中途半端な年を紀元に設定した理由になってない
0869日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 13:08:16.72
中途半端さの基準が不明確だし
中途半端だからいけないとかマジで笑えるわw
0870日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 13:26:21.29
しょせんは老人の妄言
0871日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 13:42:34.61
中国の紀元より遥か後の紀元前660年にした事に明確な意図がなければ引き伸ばした説そのものが根拠基弱
0872日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 14:46:47.36
紀元前660年にした事は那珂通世の辛酉革命説でいいんじゃないの。

問題はなぜそうしたのかという理由。
そうしなければならない切実な理由があったという事。

『翰苑』「蕃夷部」「倭国」の条

後漢書曰 安帝永初元年 有倭面上國王帥升至
(後漢書に言われていることには、 安帝の永初元年、倭面上國王帥升が来た)

倭国王みずから渡海して来ての謁見要請、つまり頭を地につける土下座をしたと中国側に認識されていたこと。
この屈辱的な謁見要請をした倭国王の時代を大きくずらした。
7世紀の朝廷が辛酉革命説を採用した「切実な理由」とはこれだ。
0873日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 14:59:45.24
国史とはプライドだ。
倭国王帥升ことスサノオの渡海しての土下座なんて、
これを国史に書き残そうものなら、
未来永劫、日本人に生れてくる子供のヒタイに「中華属国民」という焼ゴテを入れるようなものだ。

だから時代を大きくずらしごまかすしかなかったのだ。
0874日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 15:51:24.64
辛酉革命説に合致しようと東周の最中の紀元前660年程度じゃ日本書紀を見た唐人が何とも思わずスルーだろ。白村江後の危機を踏まえ年齢を拡張してまでの結果がこれかよw
0875日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 18:11:25.26
>紀元前660年程度じゃ日本書紀を見た唐人が何とも思わずスルーだろ。

だから何なのかな、意味不明。
0876日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 18:30:24.69
邪馬台国論争は卑弥呼(Bei mei hu)=比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、
つまりヒメ后=あっさりヒメ(蹈鞴五十鈴)后の住んだ葛城、奈良県御所市であniっっさり決着する。

3世代後に中平銘鉄刀の保持者和邇氏の祖・孝昭天皇の母君であるトヨ津媛がいるし、
何よりも、この日本で唯一、大量の奴婢埋葬痕跡のある「高天原(奈良県御所市高天」がある。
この高天原に径百余歩の塚がある。
ここは大和朝廷の発祥地であるからさもありなんということで、3百年論争は決着だ。
邪馬台国筑紫説の人、纏向説の人、敗残兵としてこれからの人生を歩んで行ってくれ。

ところで倭国王帥升ことスサノオ=アジスキタカヒコネの墓は面白い所にある。
スサノオは高天原を追放された。
そのスサノオの墓は高天原から直線距離1.3キロ、西南に下った場所にある。

107年、安帝への謁見要請が失敗し、泣きながら新羅のソシモリから帰ったスサノオ、
泣き神、鳴き神、鳴神、つまり御所市鳴神の高鴨神社ご神体「神山」こそがスサノオの墓であろう。

写真撮影は禁止なので画像は貼れない。
0877日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 18:43:28.53
全国の鴨神社の総本社・高鴨神社の祭神は阿遅志貴高日子根命。
古事記では「迦毛之大御神」
古事記で「大御神」とつくのはアマテラスとイザナギとこの迦毛之大御神だけであること、
また気が短く、高天原で剣をもって暴れてる事から、
勘の良い人にはスサノオの原像である事が分かるであろう。

この剣は神度剣という。
この剣は8世孫の阿田賀田須命まで受け継がれ、そして崇神により奪われる。
今現在でも皇室の三種の神器「天叢雲剣(草薙剣)」として存在する。
そしてヤマタノオロチ(八岐大蛇)の尾から出てきた剣などとの嘘=官製解釈で粉飾されている。
0878日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/10(木) 18:57:59.90
訂正、勘違いだ。
鳴神ではなく鴨神だった。
せっかく面白く話がつながってたのに…

とはいえ高鴨神社がスサノオの墓であることは間違いなかろう。
0880日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/11(金) 09:52:39.60
>>874
そんなことはない。重要なのはどっちが早く国家を誕生させたか
ではなく王朝の長さのほうだ。

中国の王朝は古代から交替を繰り返し数々の国が滅亡した。
周が西周と東周を合わせて800年ぐらい。秦が15年(ただし周の平王によって
初めて諸侯に列せられた襄公から年数を数えるなら春秋・戦国時代を通して
565年続いたことになる)。
ここまでの王族たちには建国以前の遠い先祖の言い伝えを持っているが、それ
こそ神話的なものと言えるだろう。

秦が滅亡して後中国を再統一した漢より以降は、どこの馬の骨か分からない
農民だったり盗賊の首領だったり、前王朝の将軍とかになる。つまり王朝
簒奪者が歴史を作ることになる。いや、短命な王朝であっても国家のトップに
君臨できることじたい中国人は天性の才能を持っているとも言える。

漢が前漢と後漢を合わせて420年程度。三国時代の魏が45年、呉が59年。蜀が42年。
西晋が中国を統一して以降は300年間、数十年程度、あるいはまれに100年を超えて
も200年はいかないような王朝が連続する。その後中国を統一した隋が29年(北周の
静帝から禅譲された年から数えるなら37年)。唐が289年。宋が北宋と南宋を合わせて
319年。元が89年。明が276年。清が296年。

日本は東周時代から日本書紀が書かれる720年まで1380年も続く、男系続きの
唯一の王朝を戴いている国家というだけで中国人があっさりスルーするはずがない。
0881日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/11(金) 09:55:52.59
歴代中国王朝が日本書紀の記載を基に日本を評価していたと言う事例はない
0882日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/11(金) 10:06:24.75
>>881
君が知らないだけだよ。Wikipediaの「万世一系」によると
>王朝が非常に古いという主張は、自国民だけでなく、国家としては日本より古いが、歴代
>王朝は日本より短命とされた中国に対して威信を示すためでもあった。中国側がこの主
>張に感銘を受けた例も記録されている。

>『新唐書』には日本の歴史も略述され、「神の代」に属す日本の支配者33人と[注 1]、
>『日本書紀』などが掲げる「人の代」に属す歴代天皇58代(神武天皇から光孝天皇まで)も
>列挙されている[8]。 楊億(ようおく)は『新唐書』の編纂に参加し、日本の学僧である
>「然が当時の中国皇帝にもたらした以下の情報について記録を残している。「王家はひと
>つだけで、64代引き続いておさめてきた(国王一姓相伝六四世)。行政・軍事の官職はす
>べて世襲である。[9][10]」当時の天皇は円融天皇で、皇統譜によれば64代目にあたる。
0883日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/11(金) 10:07:34.37
>『宋史』「日本伝」では、北宋の皇帝・太宗の反応を以下のように記述している[11]。
>北宋の太宗
>(太宗は)この国王は一つの姓で継承され、臣下もみな官職を世襲にしていることを聞き、
>嘆息して宰相にいうには「これは島夷(とうい。島に住む異民族のこと)にすぎない。
>それなのに世祚(代々の位)は遐久(かきゅう、はるかにひさしい)であり、その臣もまた
>継襲して絶えない。これは思うに、古(いにしえ)の道である。」
0886日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/11(金) 10:27:30.45
「それなのに」以降を無視するアホ
0888日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/11(金) 10:45:37.88
評価だろ。もとの漢文を見るべきかもしれないが
「それなのに」は逆接を表す接続語だから
それ以降は肯定的な意味にとるのが当たり前だ。
0890日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/11(金) 13:41:39.14
革命で失った者からすれば劉氏永続と九品官人法がそっくり生きてる日本は古代の王朝アルね
0891日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/11(金) 16:09:01.32
日本は時の権力者が自分の傀儡として
王を立てるという奥ゆかしい風習が
1300年以上継続している希有な存在
0892日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/11(金) 17:40:16.15
倍歴筑紫君は早く倍歴で年表書いてみろ。

書けないくせに人の揚げ足ばかり取るな、しかも一行で。
0893日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/11(金) 17:50:17.06
冬には氷が張り、春には山桜が咲き、夏には蝉が鳴き、秋には紅葉というこの日本で、
一年の数え方を知らないなんてありえないね。
倍歴説者ってほぼ知恵遅れだw
0894日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 06:25:42.42
【其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼】

この相攻伐を二つの勢力、A王権とB勢力と仮定すれば、

A王権は奈良盆地西南部の「葛城(かつらぎ)」
B勢力は奈良盆地東南部の「磯城(しき)」

とみています。

A王権である葛城には古来から「高天山」と呼ばれる金剛山があり、
その中腹および裾野に日本最古の式内・名神大社が複数存在してます。
「其國本亦以男子爲王住七八十年」とはまさにここであり、卑弥呼もトヨもここにいたと思います。
そして金剛山中腹にある(人間が住める)最上座「高天原」に、魏志倭人伝の記述通り大量の奴婢埋葬痕跡、径百余歩の「冢」があります。
またふもとの名柄遺跡では卑弥呼の時代より古い鏡と銅鐸が同時に出ており、国宝になっています。



磯城(しき)にあるB勢力は2世紀末頃から前方後円墳を建造し、
鏡を祭器とする集団であり、
瀬戸内との強い関りから、
複数の瀬戸内集団を伴い畿内入りしたニギハヤヒを祖とする物部であろうとみています。
4世紀初頭あたりに物部の女性イカガノシコメが生んだミマキイリヒコが大王となり、
以降、大王墓の形式が前方後円墳になります。

2世紀後半の倭国大乱とはこのA王権の鴨族とB勢力の物部の争いであったとみています。
日向から来た神武はB勢力の物部を屈服させ、A王権の鴨族に婿入りした。
その結婚相手こそ卑弥呼=ヒメ(蹈鞴五十鈴)媛であり、
魏志倭人伝の卑弥呼の様相は、夫である神武亡きあとのヒメ(蹈鞴五十鈴)媛の様相に一致します。

このA王権の鴨族とB勢力の物部の争いですが、後々まで尾を引き、葛城出自を自称する蘇我と物部の争いになったとみています。
0895日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 06:32:37.45
>>894
ウソばーっかり
0896日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 09:22:24.23
四季がはっきりしているからこそ、春と秋でそれぞれ歳を数えたのかもしれないぞ。
倍暦の根拠は魏略でいいんだっけ?
0897日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 09:29:16.40
>>894
>であったとみています。

見るのは勝手だが、根拠はない。
0898日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 11:02:55.27
蘇我氏の祖は九州生まれの応神天皇。
0899日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 14:24:45.58
>>891
自ら積極的に親政を行った、桓武天皇や後三条天皇、白河天皇を
ただの権力者が立てた傀儡だったと見るのは、彼らに対してあまり
に失礼だろう。藤原氏みたいな君側の奸が政治の実権を掌握し
財政までも悪化させたことを奥ゆかしい風習だと言えるかどうか?
0900日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 15:33:35.94
薩長閥も日本をボロボロに破壊した君側の奸だな
麻生太郎も高祖父の大久保利通というドライな独裁者
の嫌な性格を受け継いだクソ野郎だろ
0902日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 16:47:09.69
そも「松之って何者?
何で先人の書いたものに偉そうに注釈入れてんの?
0903日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 17:27:19.18
>>894
いいセンスしている
0904日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 18:48:11.04
>>897
根拠を述べているが?
0905日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 18:55:41.65
>>898
>蘇我氏の祖は九州生まれの応神天皇。

蘇我は葛城出自を自称し、馬子が葛城の領有を推古天皇に懇願したが、
それだけはできませんと断られた。
ところが次代の蝦夷は「「八佾舞(やつらのまい)」」を舞う。
葛城を手に入れたからだ。

その蝦夷と入鹿の双墓(ならびはか)はどこにあるか。
俺は分かるけどお前ごときには教えない。

言い忘れたが応神と蘇我は何も関係ない。
0906日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/14(月) 05:00:11.72
継体天皇の生年は450年と485年のどちらに近いか?

日本書紀を基準にするとところどころ天皇と皇后の年齢差が大きいところが現れる。
高齢の天皇と若い皇后という組み合わせが出来やすいのは、日本書紀がやはり古代
天皇の在位年数や年齢を引き伸ばす傾向があり、継体以降もその影響を受けている
ということだろう。一世代あたりの年齢の間隔もやや広くなる。ここでは武烈天皇は
506年に18歳で亡くなったとする。

継体天皇(450年生まれ)ー手白香皇女(483年頃生まれ)33歳差

安閑天皇(466年頃生まれ)ー春日山田皇女(不詳)20歳以上の年齢差が想定される
宣化天皇(467年生まれ)ー橘仲皇女(487年頃生まれ)20歳差
安閑・宣化両兄弟とも結婚したとき40歳を過ぎていて遅い。西暦490〜500年あたりで
既に即位前の継体に孫がいてもおかしくないのだが記録がない。

欽明天皇(509年頃生まれ)ー石姫皇女(510年代生まれ?)0〜2歳差?
欽明と石姫は叔父と姪の関係だが、母が姉妹どうしだからいとこでもあり
年齢に大差はないだろう。欽明天皇が生まれた年が不確定だから、意外と
姪である皇后のほうが年上だということもありうる。

敏達天皇(538年頃生まれ)ー推古天皇(554年生まれ)16歳差 
推古は敏達の母の従妹であるが16歳年下。
0907日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/14(月) 05:02:08.40
用明天皇(548年頃生まれ)ー穴穂部間人皇女(555年頃生まれ)7歳差
聖徳太子が生れたときの母親の年齢を20歳だと仮定。夫婦が従兄妹どうし
であり不自然さはない。

欽明天皇が509年頃に生れたとすると、
用明・推古の母蘇我堅塩媛は欽明より20歳ほど年下だと推測される。
彼女の妹の小姉君は更に数歳年下だろう。

舒明天皇(593年頃生まれ)ー皇極(斉明)天皇(594年頃生まれ、601年生まれ
という説もある)1歳または8歳差 叔父と姪なのに1歳しか違わない。しかも皇極天皇が
天智天皇を産んだ年齢が33歳と遅すぎる。26歳はありえそうではある。皇極天皇と祖父の
押坂彦人大兄皇子との年齢差は34歳ぐらいあるだろうから、舒明天皇自身も押坂彦人大兄
皇子が34歳頃の子だということになる。

孝徳天皇(596年頃生まれ、605年生まれという説もある)ー間人皇女(629年頃生まれ?)
24歳差または33歳差。叔父と姪。間人皇女としては33歳も年上の男とは結婚したくないだろう。
ところで孝徳天皇は舒明天皇の義弟ほどのご身分であるのに45歳または36歳でようやく有間皇子
一人を授かったあたり子供ができにくい体質だったのだろうか?
0908日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/14(月) 05:05:27.53
古事記を基準にし、一世代あたり18〜25歳で子供を作れたとしたほうが自然ではないか。
先妻が長男を産んだとき20歳、後妻が産んだ子へ皇位が継承されるなら33〜42歳だとして
継体から先祖へ遡っていけば、古代天皇の時代を特定できるかもしれない
武烈天皇は525年に18歳で亡くなり、その後継体天皇が大王位に迎え入れられたと設定する。
継体天皇は古事記の527年ではなく、日本書紀による531年か534年に亡くなったとしてみる。

継体天皇(485年生まれ)ー手白香皇女(502年頃生まれ)17歳差
安閑天皇(505年頃生まれ)ー春日山田皇女(不詳)
安閑天皇は老齢だったにも関わらず子宝に恵まれなかったわけでもないようだ。
老齢どころか30代初めの若死に。

宣化天皇(506年頃生まれ)ー橘仲皇女(506年頃生まれ)0歳差
欽明天皇(527年頃生まれ)ー石姫皇女(527年頃生まれ)0歳差?

敏達天皇(547年頃生まれ)ー推古天皇(554年生まれ)7歳差?
敏達と推古の夫婦としての年齢が釣り合う。父欽明が皇子、皇女を
作った年齢が若くなる。また、用明や推古の母蘇我堅塩媛も父欽明と
それほど年が離れていない妃だということになる。

用明天皇(548年頃生まれ)ー穴穂部間人皇女(555年頃生まれ)7歳差
0909日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/14(月) 05:09:50.81
舒明天皇(593年頃生まれ)ー皇極(斉明)天皇(604年頃生まれ)11歳差?
皇極天皇が23歳で天智天皇を産んだことになり自然。天智を産んで後10年以上
先に大海人皇子(天武天皇)を産むことも可能だが、天武が葛野王の祖父である
ことを考慮して天智と天武の年齢差は最大で10歳だろう。

孝徳天皇(613年頃生まれ)ー間人皇女(629年頃生まれ)16歳差
舒明天皇の先妻の長男である古人大兄皇子(舒明が20歳頃に誕生)より
後妻の弟が年下であることが絶対にありえないわけではない。
軽皇子(孝徳)は姉の皇極が退位するとき、古人大兄皇子を舒明天皇の
皇子であり、かつ(皇位継承者の男子として)年長者だという二つの理由で
推挙した。阿倍内麻呂の娘、小足媛が産んだ有間皇子は孝徳が45歳やか36歳
の時ではなく28歳頃に生まれたとしたほうが、当時の皇族男性として自然だろう。
孝徳の甥の天智も小足媛の妹橘娘を妃に迎えたから、義兄弟間での年齢差は
30歳ではなく13歳ぐらいかもしれない。
0912日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/17(木) 18:32:20.12
>>911
大和では2世紀前半には銅鐸文明しかない。
其国の男王は銅鐸文明の王。
一方、奈良盆地南東部の纏向遺跡は鏡祭器と前方後円墳の文化。
2世紀末頃から始まる。
両者ははっきりと文化的に分かれる。

倭国大乱というのはこの両者の対立であろう。
0913日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/17(木) 19:52:18.08
三国志の記述によれば3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ

ところが記紀の記述によれば入れ墨族は
大王族やらにひたすら殺戮されていく蛮族
0914日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/18(金) 22:00:58.89
너희들 바보 모임 이겠지. 웃기는
0915日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/19(土) 08:13:03.07
雄略天皇を478年の倭王武と断定していた為、ついつい478年からの平均在位を計算してしまったが、
百済・武寧王の生年462年が雄略5年になるので、遡って判明する雄略元年はAD458年である。
日本書紀では安康天皇元年が甲午、清寧天皇元年が庚申であり、これを基に計算すると457年になるが、
1年違いなので平均値には影響がないと思われる。

ゆえ雄略元年458年で計算してみる。



@ 雄略458年即位とし、20人後は重祚一人も計算すると41代持統天皇で697年まで在位。
697-458=239  239÷20=11.95
雄略から20人後の平均在位は11.95年。

11.95で神功皇后を含めて21人遡り、神武のおおよその即位年を推測する。
11.95×21=250.95、四捨五入で251 雄略即位458-251=207

神武即位は207年。

A 雄略458年即位とし、重祚が二人いるので30人後は52代嵯峨天皇で823年まで在位。
823-458=365  365÷30=12.1666
雄略から30人後の平均在位は四捨五入して12.167年。

12.167で神功皇后を含めて21人遡り、神武のおおよその即位年を推測する。
12.167×21=255.507、小数点を切り捨て255.5として、
 458-255.5=202.5

神武即位は202年。


雄略天皇元年458年から20人後、30人後の平均在位から計算しても神武は卑弥呼の時代である。
0918日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/19(土) 19:48:29.30
>>916
>三世紀後半に実在した人物と見る

安本さんの主張と同じだね。
安本さんの計算は、5世紀から8世紀ののべ20人の天皇の平均在位を10.88年とし、
(まず誰から誰までの計算なのか、安本さんはソースを開示していない)
それを古くなると在位期間が短くなるという事で10年にし、
(0.88年もけずる恣意的な手法)
それを6世紀後半の用明天皇以前に当てはめるというトリックに近い手法で、
強引にアマテラスを卑弥呼時代の当てはめている。

自分の計算は、用明、雄略、応神、垂仁の4人の天皇から20人後、30人後の平均在位を計算、
その結果、神武と卑弥呼を同時代とするもので、
安本説よりはるかに統計学的に「真」に近い。
0919日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/19(土) 19:54:38.00
>>917
用明天皇は確定、あと金石文の出た百済の武寧王の年代から雄略元年、応神元年が判明するので、
そこから20人後、30人後の平均在位を計算すると、君の言う10年などにはならない。
古事記の没年干支を信用し崇神没=垂仁即位=318年として計算しても10年などにはならない。

安本氏や君は間違えている。
0920日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/19(土) 20:13:17.75
・585年即位・用明天皇
用明天皇以後20人の平均在位から割り出した神武即位は216年
用明天皇以後30人の平均在位から割り出した神武即位は190年

・458年即位・雄略天皇
雄略天皇以後20人の平均在位から割り出した神武即位は207年
雄略天皇以後30人の平均在位から割り出した神武即位は202年

・390年即位・応神天皇
応神天皇以降20人の平均在位から割り出した神武即位は202年
応神天皇以降30人の平均在位から割り出した神武即位は211年

・318年即位・垂仁天皇
垂仁天皇以降20人の平均在位から割り出した神武即位は191年
垂仁天皇以降30人の平均在位から割り出した神武即位は195年


神武と卑弥呼が同時代であったことがお分かりいただけると思う。
しかもことごとく卑弥呼の若い頃に一致する。
なぜだか分かるかい?

二人は夫婦だったからさ。
もはや卑弥呼は一人しかいない。
0921日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/19(土) 20:48:08.45
生活の面倒を見ていた婢以外一切顔出ししなかった卑弥呼と遠征続きの神武が夫婦と言う事はあり得ない
0922日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/19(土) 21:23:55.69
>>921

魏志倭人伝の卑弥呼は神武死後の様子だ。
0924日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/19(土) 22:54:00.91
>>923
卑弥呼が生涯独身という描写が魏志倭人伝にはない。
年長大「なるも」「にもかかわらず」などの逆説譲歩の接続詞が見当たらない。
したがって「年すでに長大 夫はいない」としか訳せない。
また日本の歴代女性君主に生涯独身が一人もいない事から、
卑弥呼にもトヨにも夫があったと考えられる。
0925日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/19(土) 22:57:28.41
逆接だすまん。
0926日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/19(土) 23:49:30.98
夫が居た場合女王と婚姻出来るだけの身分の者だから記述が無視出来ないし間に子が居たかも重要。だが魏志倭人伝では一切の記述がなく後継は一族中の豐丗
0927日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/19(土) 23:57:27.84
神代 って くましろ とも読むのか

神カム・カミ 熊クマ 雲クモ 

熊襲 出雲 なんかあるかも
0928日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 06:20:25.64
>>926
魏志倭人伝の卑弥呼の描写は夫がおらず、宮に出入りするただ一人の男子が居り、
男弟がいた一時期の様子。
卑弥呼に子がいないとはっきり書かれているならともかく、
書かれてないのに「いるはずだ」はなり立たない。
だいたい其国は男王で続いてきて、卑弥呼もトヨも暫時的な女王。
卑弥呼やトヨに子がいても、その子が王であったとは限らない。
其国の本来の男王は同じ宗族で続いてきた。

それを「大物主」という。
0929日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 06:26:04.87
>>927
鴨やクマもカミ、あるいはクモ・蜘蛛もカミかもしれません。
熊野は神の野。熊襲は神の祖。
土蜘蛛も土神か。

王(きみ)大王(おおきみ)もカミが語源か。
クナ国もそうかも。
0930日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 07:51:37.31
熊は地上で最強の生き物だから神のことだとは思うけど、蜘蛛も神のことというのは初めて聞く考えだ。
しかし面白いかもしれない。
0931日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 07:56:12.81
石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
クマが神のことなら、日前宮は日神宮と同義語になる。
0932日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 10:50:44.62
>>928君主なら後継が居るかどうかは大問題。実子じゃないトヨが女王となったと記載されてる以上、卑弥呼に実子が居なかったと解釈するのが当然。
0933日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 11:53:11.54
この時期の日本は
「部族の女の腹から生まれた子どもはその部族に属する」
という母系血統主義集団なんだよ

ただし現存するニューギニア島東部の母系血統主義部族と同様
部族長は通常男が担う

母系血統主義では男に一番近い子どもはその男の姉妹の子ども
男の種は近親の判断とは関係がない
0934日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 11:58:08.40
以上、古代天皇が男系で記載されてる事と全く整合性が取れてない個人の妄想でした。
0935日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 12:38:36.58
922
卑弥呼は暫定的な王。
本来の男王の系譜は続いている。
崇神の時代まで大物主命が生きていただろ。
そして卑弥呼が産んだ子も続いている。
なぜならその子こそ綏靖天皇だからだ。
0936日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 12:39:34.70
アメクニオシハル=通称欽明の種の兄妹である
ヌナクラ=通称敏達とトヨミケカシキ=通称推古が
堂々と結婚していただの言われて
日本書紀を執筆していた中華帝国人もさぞかしびっくらこいたろうさ

男系血統主義しか想像ができない漢族からみれば
「こいつらやっぱりただのケダモノ」
0937日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 13:04:38.08
中華相手の偽装史書説採るなら兄妹婚は記述から抹消されてなきゃおかしい
0938日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 17:09:17.48
>>933

女系相続を拡大解釈しすぎ。
当時の日本は妻問婚だったから、母親はわかるが父親はわからない。
子供は母親のもとで育った。
よって母親が誰であったかは重要。
卑弥呼に子供がいればその子が相続したはず。
しかし実際には親戚の娘?が相続した。

神武の妃のイスケヨリヒメには二人の息子がいたが、もしイスケヨリヒメが卑弥呼であったのなら、その息子が即位したはず。
実際、記紀ではそうなっているため、魏志倭人伝とは齟齬がある。
イスケヨリヒメは卑弥呼ではない。
0939日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 17:09:50.93
何かといえば南洋の文化がどうとか言い出す馬鹿がいる。
0940日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 18:46:19.18
>>938
>卑弥呼に子供がいればその子が相続したはず。
しかし実際には親戚の娘?が相続した。

相続って何を?
何という役職の話かな?
当時、天皇という役職はない。
あるのは大王(おおきみ)

>神武の妃のイスケヨリヒメには二人の息子がいたが、もしイスケヨリヒメが卑弥呼であったのなら、その息子が即位したはず。

だから何に即位するの?

大王=大物主ならヒメ(踏鞴五十鈴)后と神武の子ではなく、
ヒメ(踏鞴五十鈴)后の義理兄の子・建飯勝が継いでるが。

https://userimg.teacup.com/userimg/9218.teacup.com/easiatoron/img/bbs/0000143.png
0942日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 19:06:55.77
>>941
ごまかしてるのは君。
こっちは4人の天皇のちゃんとした平均在位から卑弥呼を割り出している。

君は神武が3世紀後半になるという根拠を明示できていないではないか。
0943日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 19:11:58.49
神武と卑弥呼は同世代だと思う。
だからこそ、記紀における大和の状況と全く違う魏志倭人伝の邪馬台国は別の地域だと思う。
0946日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 20:01:24.37
邪馬台国はヤマト国

何も難しいことはない。
0948日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 20:58:17.95
筑後の山門なんて地名は大宰府設置以降だよ。

残念だったね、カッペ君www
0949日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 23:15:24.16
それ以前からないという根拠は?
0951日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 05:36:45.40
>>949
それ以前からあるという根拠がないからだ。
0953日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 07:13:01.26
>>943
>記紀における大和の状況と全く違う魏志倭人伝の邪馬台国は別の地域だと思う。

倭国大乱→女王卑弥呼共立だね。
神武VSニギハヤヒの戦いと停戦、
そして大和には事代主神の娘・ヒメ(踏鞴五十鈴)媛がいた。

2世紀後半の瀬田遺跡(前方後円形周溝墓)や2世紀末の纏向石塚(前方後円墳)の大和での登場時期と、
倭国大乱の時期が合う。
0955日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 09:04:17.95
>>954
だからそれを平均在位その他で証明してみろ。
安本さんは5世紀から8世紀の天皇20人の平均在位が10.88年というのだが、
何天皇から何天皇までが10.88年なのか、そのソースを明示していない。

偉い先生の言う事だから間違いないなんて安堵せず、
一度自分で計算してみろ。
0959日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 13:59:00.69
神武は倭国の中央から都落ちした。
饒速日との戦いは、地方での小競り合い。
それとは別に中央(福岡)でも戦いがあり、それを治めるために卑弥呼が共立された。
0962日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 14:07:54.46
>>960

だからそのソース間違い。
10.88年なんて何天皇から何天皇なのか、一切明かしていない。
偉い先生の言う事だからとそのまま鵜呑みにしてるお前がバカ。
0963日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 14:11:08.41
>>956
4人の天皇の20人後、30人後という計8個の座点からはじき出された数字がほぼ同一時期なら、
統計学的にも真である。
統計数字の操作をしてるのはアマテラスに合わせようとしてる安本さん。
0964日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 14:19:30.06
>21代雄略天皇から50代桓武天皇までは約10年でほぼ一定
https://ironna.jp/file/w480/h480/cover/9acf111959dd4a0085f1d48c22dd6b8f.jpg
そこから計算すると神武天皇は280〜290年ころの人

雄略天皇が倭王武でAD500年って何言ってるのか。
雄略は百済武寧王墓誌の金石文からAD458年即位。
いい加減な説を流布させないでくれ。
0965日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 14:26:44.38
統計学的に真だろうと裏付ける史書か発掘成果がないと無効なのが史学界
0966日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 14:35:06.39
雄略以後20人は重祚一人も計算すると41代持統天皇で697年まで在位。
雄略458年即位とし、
697-458=239  239÷20=11.95
雄略から20人後の平均在位は11.95年。

11.95で神功皇后を含めて21人遡り、神武のおおよその即位年を推測する。
11.95×21=250.95、四捨五入で251 雄略即位458-251=207

神武即位は207年。
卑弥呼の時代だ。

安本説なんてグダグダ。
0967日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 14:38:10.99
>>965
おまえ百済の武寧王の買地券=金石文の発掘を知らないのか?
その金石文のおかげで応神元年390年、雄略元年458年が分る。
そこから平均在位を計算し、神武の時代が判明する。
それは卑弥呼の時代だ。
0970日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 18:43:11.04
>>968
金石文は史実=事実なのだよ。
安本さんは雄略元年を何年にしてるのかな?w
ちょっと計算してみるわ、多分間違えておられるはずだ。
0971日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/21(月) 19:20:52.30
https://ironna.jp/file/w480/h480/cover/b5088bb621886ce3234badcc2fe432fd.jpg

21代雄略天皇から30代敏達天皇までが9代で10.44年とはっきり書いてあるね。

雄略元年458年から敏達没585年まで10代なんだが。
そして127年間だから1代12.7年ね。

次代の清寧天皇を500年即位にしたら85÷9=9.444…
ただし雄略の在位期間が42年間なんてありえないのでこれも無理。

いったい何をどうしたら10.44年なんて数字になるのか、安本支持者は答えろよ。
0974日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/22(火) 06:32:00.11
>>972
電卓で出てきた数字にまでウワゴトなどと、
君の病状はかなり深刻だ。
0975日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/22(火) 15:48:03.88
>>917
皇統を古く見せるためにインチキが
施されてるから
その説が有力だと想われる
0976日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/22(火) 15:53:03.71
古く見せる事自体に意味は感じないが神武は3世紀後半頃の人物と考えると以後の考古学的証拠と整合性が取れる
0977日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/22(火) 16:53:05.30
>>975

自演乙。
スレの流れ読んでる?
安本説なんて論外。

>>976

神武は3世紀後半頃の人物と考えると考古学的証拠と整合性は取れない。
大和盆地で弥生時代から古墳時代への大変革があったのは2世紀末。
それは卑弥呼の時代でもあり神武の時代でもある。
0978日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/22(火) 16:55:09.54
つまり卑弥呼と神武は別の地域の人間。
0979日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/22(火) 18:03:34.95
>>971
妄想を断言するのが畿内説の特徴

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%81%AE%E4%BA%94%E7%8E%8B
> 『宋書』列伝
> 夷蛮伝 倭国の条(宋書倭国伝)では、父の済の死後に世子の興は宋に遣使貢献をしたとする[2][3]。
> また大明6年(462年)には、孝武帝は興を「安東将軍 倭国王」に任じるよう詔した。その後、興が死んで弟の武が王に立ったとする[2][3]。
> 『宋書』本紀
> 孝武帝紀 大明4年(460年)12月丁未条では、倭国が遣使して方物を献上したとする(済または興の遣使か)[2]。
> また孝武帝紀 大明6年(462年)3月壬寅条では、倭国王の世子の興を「安東将軍」となしたとする。
> さらに順帝紀 昇明元年(477年)11月己酉条では、倭国が遣使して方物(地方名産物)を献上したとする(興または武の遣使か)。

中国の記録では460年に倭の遣使が記録されており462年には興を安東大将軍に任じているが
この時点で興はまだ世子で王位についていないともある
その次の477年の遣使は倭王武のものと考えられていてこれが雄略天皇というのが有力である

当時の記録精度は中国のほうが圧倒的に上で、数百年後に書かれた記紀や三国史記など足元にも及ばない
ここから見ると雄略即位が458年はあり得ない
君の説は根底から間違っている
0980日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/23(水) 05:36:15.44
>>979
記紀や三国史記ではなく買地券=金石文という考古資料。
0982日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/23(水) 05:56:55.08
>>979

稲荷山鉄剣銘文の辛亥年は471年=雄略の年。
また上記の百濟・武寧王陵墓からの買地券=金石文で、
たとえ後世に編纂された三国史記であろうが、
武寧王の年代は正しいことが証明される。
そして雄略の即位年が日本書記とは一年違いだが決定される。

478年に上表分を送った倭王武が雄略であって何も齟齬はないが、
興を基点にあれこれ考えるのは間違い。
0983日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/23(水) 06:04:33.00
>>981
根本的な間違いは安本説。
21代雄略から30代敏達まで10代であることは、
両手の指を使ったら小学校低学年でも分かるのに、
9代で計算してるというお粗末さ。
0986日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/23(水) 09:14:42.67
うめ
0987日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/23(水) 09:14:56.82
うんメー
0988日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/23(水) 09:15:31.06
10011001
垢版 |
Over 1000Thread
このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 56日 7時間 6分 10秒
10021002
垢版 |
Over 1000Thread
5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。


───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────

会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。

▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/

▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。

ニューススポーツなんでも実況