徳川慶喜を語ろう

1名無しさん@お腹いっぱい。2010/11/19(金) 02:50:09ID:6cYX6mCU0
まともに語れる場が欲しかったので立てました。
徳川と皇室ともにトップクラスの血を引き、強烈父上への世間の憧れ憎悪をそのまま引き継いでしまい、
思考過程を一切口に出さないままいきなり行動にでてしまう徳川最後の将軍について語りましょう。
周辺人物の話題もOK。
ヘタレ臆病者等々の罵詈雑言には適当にお相手を。

711名無しさん@お腹いっぱい。2015/02/06(金) 21:41:34.55ID:zrBd9pFJ0
徳川慶喜は徳川将軍の中で唯一、皇族直系の血縁者なんだよね。
新田の血を引く徳川家というのはフィクションらしいし。

712名無しさん@お腹いっぱい。2015/02/20(金) 03:40:03.77ID:sxwoqAjZ0
慶喜は凡庸にはとても理解され難いくらい開明すぎたのが分かった
これは負けると分かっていて戦わざるを得なかった日米戦争と対比して分かることで

負けると分かっていても、敵の要求がそもそも理不尽であるから強行派や世論を
黙らせて負けることは到底できない
ならば戦って誰の目にも勝てないことを知らしめなければならない
で、大阪城夜逃げである 将軍があれじゃあと誰もが思わせ綺麗に負けてみせた
慶喜の開明な評判と腰抜け振りのギャップがこれで理解できる

日米戦争では最後の最後まで負けを認めえなかった軍上層部は最悪だった
早めに負けて次の手を考える狡猾さが皆無で義を命より優先し誉れに酔う
幕末の白虎隊彰義隊をやってしまった 軍部が東北出身てのは巡り合わせかw
聖断を仰がれて敗戦受諾を決めた昭和天皇が英明であったのは言うまでもない

幕末に勝海舟や小栗上野介など能力重視での重用など極めて柔軟だったことを考えると
幕府ダメ伝説は新政府プロパガンダとしか思えない
薩英戦争下関戦争で攘夷なんか無理なのを最もよく知っている薩長が尊王攘夷を掲げての
進軍で維新政府樹立、一転しての開国富国強兵は
要するに慶喜幕府のやっていたことと方向性はまったく同じだったwww

713名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/04(月) 21:19:43.97ID:YRDsHd/70
>>712
幕府という組織では明治維新はむりだよ。あそこまで追い込まれたから日本は変われたから

714名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/12(火) 15:45:29.45ID:VcO5FwsrO
あげ

715名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/12(火) 17:23:54.96ID:m8DoZVRL0
家康や吉宗だったらあの局面でも対応できた。

716名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/12(火) 18:37:12.80ID:aaFfGzPD0
靖国宮司は慶喜公のひ孫

717名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/22(金) 05:36:08.05ID:CoFwdefQ0
西郷が安政期から胃腸病に苦しみ、大久保も明治期に入って体調壊してたり、
久光も慶応2年くらいでダウンし始めたのを考えたら
慶応年間に少量のアヘン処方くらいで済んで、晩年まで矍鑠としてた慶喜はまず健康面から最有力候補なんだよな

条約の勅許獲得と開港のつつがない履行までやったのは慶喜の信頼度と剛腕あってこそだから認めないわけにいかない
大政奉還と鳥羽伏見の損切りが注目されてるけど、条約の勅許と履行を予定通りやらなかったら日本はやばかった
ただし、正直、部下にはなりたくない…

718名無しさん@お腹いっぱい。2015/06/06(土) 23:44:49.66ID:KFC9fUdS0
慶喜が学んでいた水戸学というのが
明の遺臣を受け入れて発展した学問だというのが大きい
明がなぜ滅んだのかを徹底的に研究している

李自成の乱によって内戦になった隙を突かれて
結局異民族の後金に滅亡させられた明

李自成が薩長、後金が欧米列強

719名無しさん@お腹いっぱい。2015/07/17(金) 02:01:54.99ID:C2r2gbVL0
水曜日のダウンタウン

720名無しさん@お腹いっぱい。2016/02/14(日) 23:49:29.86ID:DQFh+TqrO
大河ドラマのオープニングと最終回みたらスルメ感有りまくりだったなぁ。

オープニングでトリビアで取り上げられたエジプトの写真があったのは驚いた。

721名無しさん@お腹いっぱい。2016/07/03(日) 23:00:47.79ID:Q49AQjGf0
慶喜って素直に薩摩と手を携えてやっていく選択肢はなかったのかな

722名無しさん@お腹いっぱい。2016/07/11(月) 22:45:59.69ID:RNV/upPtO
>>721
薩長が討幕オンリーだったから選択の余地なし

723名無しさん@お腹いっぱい。2016/07/13(水) 02:13:49.16ID:KhnV66XZO
>>722
会津も討薩オンリーだったから選択の余地なし

724名無しさん@お腹いっぱい。2016/12/03(土) 11:27:47.79ID:JQCTqjHk0
>>722
薩長が幕府方に付くIFは、慶喜が14代になっているか、
島津斉彬が死なないで東征に成功して井伊直弼を失脚させているか
どっちかの所まで遡らないと無理じゃないの

725名無しさん@お腹いっぱい。2016/12/04(日) 16:30:47.56ID:rmjWIjdH0
>>722
薩摩は倒幕オンリーじゃないだろ
むしろ慶喜が久光を罵倒したり露骨に敵意を示してんのに
なぜ離反されたのか理解してないのが不思議

726名無しさん@お腹いっぱい。2017/01/09(月) 01:13:02.32ID:pR5mOzwd0
実際には維新後も無事だったから問題なかったが、
もし本当にヤバくなっていたら、ナポレオン三世を頼ってフランスに亡命、パリのマドモワゼル(複数)に
沢山子供を産ませていた可能性も否定できない。
グラン・デューシュ・ヨッシー・ドゥ・トクガーヴァ なんちゃって・・・

727名無しさん@お腹いっぱい。2017/02/27(月) 21:13:04.48ID:6/lJ9wqO0
明治維新は慶喜と有栖川宮熾仁の共同作業という見方も出来る。
東北戦争は想定外であったが、鳥羽伏見戦〜江戸開城は最小限度の死傷者で済んだ「無血革命」だった。
これは稀有な出来事である。

728名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/12(金) 16:39:08.88ID:ZyByDeqM0
アヘン中毒だった徳川慶喜
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history2/1488335512/

このスレ的にこれはどうなの?

729名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/08(火) 17:33:33.64ID:J0Xq/xSR0
薩摩の実際は討幕に舵切ったのでなく討慶喜なんだよな

斉彬の志継いで慶喜推して国政運営することが日本のためと信じてたのに
いざ権力手にしたら薩摩や外様雄藩、仕舞には春嶽までをパージすることだけに必死になって政局ふりまわして停滞さした
それでも我慢して慶喜推し続けてきたが結局慶喜の意志が前時代的な幕権強化にあるがために見限る

このときほぼひとりで政局ふりまわしてその噂通りの有り余る才能と政治力を見せつけ辛酸なめさせられたことが
慶喜を排除しないともうダメだにつながり討幕へと転換させる

大政奉還〜小御所会議であれだけかたくなに徳川排除&権力の完全剥奪主張してそこからブレることなかったのはすべてこのときからのおもい

730名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/08(火) 22:23:24.00ID:dktwZBVY0
>>729
外様をパージというこの主張は別のスレでも見たような…
十三代将軍では早すぎるし、十四代では遅いとかそんな内容の…

>このときほぼひとりで政局ふりまわしてその噂通りの有り余る才能と政治力を見せつけ辛酸なめさせられた
慶喜に否定的な人は才能や政治力も否定的に見る傾向があるけど
この辺りについて詳しく語ってもらえると勉強になりそう

731名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/09(水) 20:05:02.86ID:tgccv71M0
>>730
ごくごく単純な話だよ
ひとりで政局ふりまわして外様雄藩には決して主導権握らせずコントロールしたのはその高い政治力によるところだ
ただそれによって政治停滞させたのは政治手腕という面で評価されてしまうだろう
つまり要約すると、高い政治力持ちながらそれをまっとうな使い方しなかった
何故なのか?
もともと慶喜は性格がイイ方ではない
ものすごい皮肉屋で、毒舌で素直さというものがまったくといっていいほど足りない
物事をまっすぐ捉えずいつも斜めから受け止めそれを見て判断しているような感じ
単純にいうなら性格がねじ曲がっていると言えよう
相当周りからはとっつきにくい人だと思われてたと思うよ
リアルでもこういう人いるじゃん
とっつきにくく、扱いにくく、ちょっと距離詰めたくない腫物的な存在の人
たぶん慶喜はそんな人だったんじゃないかと俺は慶喜を詰めて調べていくとそう思うのだ

昔はこういう人リアルでみると「しょーもない人」と一概に思っていたが
ただ最近思うのが、実はこういう人って天才肌なんじゃないか?って
他人に見えない独特で独自のヴィジョンがあり、そしてそれをうまく判りやすく伝える能力に乏しい人
後見職のときの慶喜のやり方はまさに薩摩のやり方でも朝廷のやり方でも、まして幕府のやり方でも当てはまらない独善的なものだったからこそあのようなやり口になったのではないかと
だから幕府の権力が京都と江戸で何故二分してしまったのかもこうすると合点もいく
薩摩にも朝廷にも幕府にも他の雄藩にもみえてない独自のヴィジョンが慶喜には見えていて
自分のヴィジョンに全体を包括していこうという過程がこれだったのではとは考えられないだろうか?と最近は考えるようになった
なのでそれを単に愚将として処理してしまうのはこの人の場合あまりにも早計ではないかなと個人的に思う

俺の理論でいくと慶喜は天才
もしくはアスペルガー
天才(アスペ)ゆえに孤独で理解者がいない
伝えても理解できるものがいない
慶喜は周りがきっとみんなアホにみえたに違いない
周囲全員が慶喜だったらきっと理想とするものを築きあげれたとおもうぞ

732名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/09(水) 23:29:51.82ID:gD/f3Quo0
>>731
早速返信してくれてありがとう
慶喜関連の書物を読んでもなかなか掴みがたいところがあったので
レスを読んでスッと腹に落ちるものがあった

とかく「敵前逃亡のヘタレ」みたいに単純化かつ無能に論じられる傾向の強い人物なだけに
こういう視点で語ってもらえるのは人物把握の参考になって助かるし、とても勉強になる

733名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/10(木) 01:24:02.53ID:jCqfcU040
>>732
慶喜の性格と水戸の出自を知れば絶対に天皇には逆らわないし逆らえないのだよ
だからあのような敵前逃亡からの謹慎となる
慶喜という人間性を加味してはじめてその行動原理が判ること

ただこれを客観的な目と一般的な見地で判断すればただのヘタレであるという評価にはなってしまうのが当たり前

734名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/10(木) 10:18:54.16ID:1SdhJa2X0
バックボーンを考慮せずに行動だけを見たら、言ってることが二転三転して
信用が置けない人物に写るものね

慶喜の性格を参預会議での暴論や第二次長州征伐の処理、鳥羽伏見後の東帰から想像すると
目的達成のためには他人からどう思われても構わないという考えなのかもしれんね

735名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/10(木) 21:18:38.78ID:moa/b6SW0
朝廷の命令無視して軍事行動起こせば戦争になるのは分かってたろうし
勝てる自信があったが負けたんで見切りしたんだろうね
まだ関東で戦えたと言っても最終的に敗北すると思ったんだろな
徳川宗家は滅亡だろうからな
結局徹底抗戦した会津や榎本艦隊も負けたからね

736名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/11(金) 17:42:34.99ID:Fy5yCH0x0
平時であれば優秀な人だったんだと思う。
しかし、戦になれば人がついてこないと指揮官としては戦えない。

自分を慕い頼ってきた水戸天狗党を、見殺しような形で切り捨てたのがすべてを象徴していると思います。
幕閣として治安を預かる立場にあったから仕方なかったのかもしれないが、
所詮は育ちのいい殿様、と部下からは見放されてしまうでしょう。
「この人は命を預けるに値しない」と。

737名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/11(金) 19:38:01.73ID:JJen28q10
天狗党の場合は自分たちで蒔いた種としか…

滅茶苦茶やってきた連中に情けをかけようものなら
情実の処分、身内に甘いと揶揄されるのが目に見えてる
いくら慶喜が心情的に助けてあげたくても、あなたが書いてる通り立場上無理でしょう
これをもって慶喜を恨むのは少々理不尽に思える

738名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/12(土) 21:32:06.89ID:phsMNlXz0
自分は天狗党の一件は慶喜のコミュニケーション下手が悪い方に転んだなと思う
個人のスキルというより慶喜の意を下々に伝えて制止できる側近チームを作れなかったから
慶喜が本気で攘夷をやりたがってると思い込んだ連中が暴走したんだろうなと
水戸や一橋だと参勤交代が無くて遠隔地との意思疎通ノウハウが蓄積されてないってのもある

739名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/12(土) 22:06:44.51ID:n7eFIDKY0
>慶喜が本気で攘夷をやりたがってると思い込んだ連中が暴走した
平岡円四郎の死もそういう面があるよね

740名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/13(日) 14:28:59.99ID:Ri9t1fIv0
側近が次々殺されちゃったのはつらいよな
まあちゃんと伝えてない以上、勝手に誤解したから自業自得だとも言えない悲劇だけど

慶喜が鳥羽伏見のちょっと前に、こっちには西郷や大久保がいないから勝てんと言い放った話は
それ言っちゃ終わりだろとは思うが、側近にカリスマと火消し役が欲しかった気持ちは分かる

741名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/13(日) 16:19:33.52ID:UR47oPjN0
側近を殺害したのが水戸藩士や幕臣なのも物悲しいね

父親が幕府首脳部や大奥から煙たがられ、
自身は一橋家当主という股肱の臣を持てない立場のスタートライン
色々と制限されながらの活動だったしね

742名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/22(火) 16:48:24.01ID:tuTfr/xP0
慶喜が好きな人はどこが好きなの?

身分が高いから?
大河ドラマでモックンが演ったから?
写真がそこそこイケてるから?
恋愛ゲームで人気だったから?
敗軍の将を好きと言うとインテリっぽく見えるから?
禁門の変で最前線で戦ったのが格好いいから?
頭よくてオタクだから?

743名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/26(火) 11:45:39.70ID:4k0BDGi40
慶喜公ご曾孫の慶朝公薨去。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170926-00000010-ibaraki-l08

744名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/27(水) 16:56:12.46ID:kK4d+M5z0
>>742
あがく所ではしっかりあがき、負ける所では綺麗さっぱり負けるところかな
現代でも自分の思い通りにならずに悩み苦しむ事もあろうかと思うけど
そんなときに想いを馳せる

>>743
静岡に生まれ、晩年に茨城在住なのは先祖を偲ばせます
合掌

745名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/29(金) 18:13:09.05ID:mX/ud6PZ0
ガキん頃のエピソードが全て

子供が寝ている両脇に刃物なんて於いてもこんなの「長続きしないよねw」という思考がね

746名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/30(土) 18:33:27.88ID:qyRj8nXk0
実際、兵隊からしてみれば、負けるとわかっても最後まで戦う指導者より、
勝ち目がないと判断したらサッサと降伏する方がいい指導者だもんね

747名無しさん@お腹いっぱい。2017/10/02(月) 00:18:50.46ID:av/AqTZs0
>>746
その意味では、慶喜が最後の将軍に就いていて恭順謹慎を貫いてくれたのは有難い

748名無しさん@お腹いっぱい。2018/01/31(水) 13:29:23.94ID:I/Y5AjPQ0
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

FH8IM

749名無しさん@お腹いっぱい。2018/02/12(月) 23:19:32.66ID:Q9SY/DOH0
慶喜=東帰の印象が強すぎるが、ここを敵前逃亡のヘタレと断じるか否か
まるでリトマス試験紙のように相手の価値観を測れる

750名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/05(月) 01:36:52.58ID:ifABiFvO0
天狗党の件は慶喜が横浜鎖港を言い出したから水戸の連中がそのまま本気にした面がある。

751名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/05(月) 02:14:58.75ID:g+6eISym0
気持ちはわからなくもないが、庶民に狼藉をはたらいていい訳じゃないしなあ

752名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/05(月) 07:00:48.33ID:ifABiFvO0
その判断を慶喜にしてもらおうということで上洛したわけだし。

753名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/05(月) 13:58:28.49ID:g+6eISym0
でも当の慶喜としてはあの判断が精一杯だろうな

754名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/05(月) 18:19:46.69ID:ifABiFvO0
慶喜自身、当時は幕府に天狗党の黒幕ではないか、と睨まれており、
助けたら幕府の睨み通りになり失脚は免れない。
天狗党を田沼に引き渡すことで見捨てた、という非難は受けても失脚は免れることができた。

755名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/06(火) 00:47:10.40ID:Jl3QIhPp0
「見捨てた」「豹変した」「逃げた」という当時および後世の評価を甘んじて受ける覚悟で動いてるイメージがある

756名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/06(火) 19:16:30.95ID:+NE/GGqE0
幕府からすれば天狗を慶喜が助ければ失脚させられるし、
見捨てれば慶喜の評判は落ちるし、どう転んでも幕府には好都合な案件だった。

757名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/06(火) 23:49:45.73ID:Jl3QIhPp0
斉昭からの流れで、幕閣にも大奥にも慶喜に否定的な流れのようなものを感じるが
その中でも15代将軍に推した時点で、幕府の末期感が凄まじいと思う

758名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/08(火) 20:35:16.55ID:xiVITF2j0
慶応4年、2月11日、将軍徳川慶喜の使者が輪王寺宮を訪ね、東征大総督熾仁(たるひと)親王に慶喜の助命嘆願を

してくれるよう依頼した。宮は国事に疎く、人との交渉の経験もないことから一度は断った。

しかし、翌日、慶喜は輪王寺宮を訪ね、正式に上洛を依頼した。輪王寺執当覚王院義観は宮に代わって次のように答えた

輪王寺宮の父禅楽親王(邦家親王)は今や年老いている。もし、いったん宮が上洛すれば、江戸へ帰ることは容易ではないかも

しれない。そうなれば江戸の人心は動揺する。やはり、名代を立てたほうがよろしかろう。と。

輪王寺宮が江戸に帰ってこなければ江戸の人心が「動揺」するとは、すなはち輪王寺宮の江戸での人気があったということ、

少なくともよく知られた存在であったことを示している。

759名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/08(火) 20:37:10.00ID:xiVITF2j0
慶喜はなおも13日に義観に輪王寺宮の上洛を繰り返し要請し、翌14日には同じ趣旨の書簡を宮に送った。

15日には山岡鉄舟他の幕閣たちも連署で義観に書簡を送った。

ここまで執拗に依頼するのは徳川幕府にとって輪王寺宮が最後の切り札だったということだろう。

いまや徳川慶喜が頼れるのは上野の宮様しかいなかったのである。

760名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 12:58:59.46ID:hbob5ov80
吉田松陰が斬首された悲惨なスレッド
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/dtm/1523675019/

761名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 15:25:19.46ID:ojt/S82V0
今三国志に夢中なんだけど、徳川家と三国志好きな人いない?
https://goo.gl/pDyo12

新着レスの表示
レスを投稿する