【戦前】 旧制の学制について2 【教育】
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↓↓↓ぼくのかんがえたりそうのきょういくせいど↓↓↓ 2年制の大学予科つくって学部を3年制にすればよい
そんで、旧制中学卒業にあたる高校2年修了時点で大学予科を受けれるようにするとか >>4
理系については学部と修士過程が一体になっているみたいなものだから
それは実現していると思う。予科をキチンと2年は東大だけだが。 イマドキ教養学部なんてものが
ちゃんと残ってるのは東大くらいのもんだからな。 進振りは東大生どうしの争いだから、そこそこで入った学生は入学してからも努力が必要になる、なかなかいいシステムだと思うよ >>8
それは単に理科大生より東大生のほうが頭が良いからでは? 旧制高校や旧制大学の進学率は昭和の初めでも1%以下で
一般庶民には高嶺の花だった。
高等教育が一般化した現代に旧制高校のようなものは
全く時代錯誤だろう やはり、一高出身者が幅聞かせてたのかね。東大(当時は帝大)は。 出身高校よりも東大入ってからの学部じゃないかな、問題なのは
一高出身でも文学部だったら幅なんてきかせられないでしょ
当時の東京帝大は法学部の独壇場でしょう 法学部が幅利かせてたのは蓑田胸喜が法学部叩きしていたことでもわかる
まあ蓑田も入学当初は法学部だったんだけど >>10
1%というと今なら東大3000人と、国立大医学部6000人、
地方宮廷上位層3000人をあわせたくらいだな。
今もエリート層はいるけど昔のように特権がないんだな。
地頭とリーダーシップ至上主義で頭でっかちは馬鹿にされる
風潮すらあるから。 >>11
府立東京高校に数では抜かれていたようだ。
一高生は今の大学院入試と一緒でガリ勉はしないが、
東京高校は一種のロンダとして受験勉強をさせた。 >>4
変則コースだけど、高専から旧帝大3年編入 修士まで行く人が多いので
ある意味、実現している。企業で一種に仕事をした感じでは博士まで
とっていてもそのタイプの人、なんかが欠けているような気がした。
高専の普通科をつくればいいのかな? >>15
府立高等学校と官立東京高等学校ってこと? >14
戦前の中等以上の学校は学費が高かったので
高学歴者は裕福な家庭の子弟が圧倒的に多かったというのもある
今は経済的障壁がずっと下がった分、高等教育が一般化して
エリート意識は薄くなったのだろう >>18
そう、現代 東大や医学部にいっている脳みそスペックで丁稚奉公や工員になった子も沢山居た。 旧制高校的なものを復活させるとしたら若年層ではなく30前後で大企業や
官庁から出向の形で学べる場を作ったほうが良いと思う。 >>19
だからこそ、軍の下士官クラスが優秀だったんだね。 >20
旧制高校的なものは10代であってこそ
大きな意味があるのではないかな >>22
長寿命化とともに人間の成長が遅れている。 >23
それは最近の若者は的な勝手な思い込みだよ
昔とそれほど変わっていない 両者の知能レベルが違いすぎる
馬鹿なことをしていても知性が垣間見れる点で全く違う 旧制中学や旧制高校には
難しい古典文学や古典哲学を読む文化があったからな
戦後1960年代以降高等教育の一般化とともに
高学歴層のそういう文化は急激に廃れたらしい 進学校の文化祭とか行けばわかるんじゃないかな
馬鹿騒ぎしている一方で真面目なことやっていたり 旧制高校なるものを復活しても教養主義が復活するとは限らない
結局教養を重んじる考え方ってのは社会全体で醸成するしかない 旧制高校の進学率は非常に低かったから
旧制高校の文化が社会全体の文化では決してなかった
個人的にはかつての教養主義的なものを
社会全体で醸成するのは現実的ではないし、不要だとおもう。
むしろ多くの人が今より職業実務能力につながる教育を受ける教育制度に
変えたほうがいいように思う。 戦前はまだ江戸時代の名残があり、旧家では学校教育とは別に
漢文の素読とかの家庭教育が行われていた。そのバックグラウンドが
あってこその戦前の教養主義が成立していた。 >>19
さすがにそのレベルなら小学校尋常科の頃から神童として有名になるから、
最悪でも師範学校には行けていたと思う。 >>27
おそらく理工系ブームをきっかけに旧制専門学校に相当するコースの方が本線になって、
教養どうこうが女子教育の世界に追いやられたんだと思う。 1960年代以降大衆エンタメ文化の隆盛とともに
大学のなかにあったエリート主義的教養文化は急速に衰退したみたい
大学進学が一般化したことと、経済的に世の中全体が豊かになったこと
が大きく影響しているようだ いつの世の中でも教養は大切だと思うんだよなー
世の中が豊かになったからと言って、人の中まで豊かになるわけではないしな テレビの普及とともに
読書文化が衰退したのも大きいようだ 戦前は貧富の差が大きくて、階級意識が高かったので、
戦前の教養には、上流階級のたしなみ的な意味合いがあったようだ
戦後の階級意識の希薄化も、教養の没落につながったようだ 私達が旧制や戦前の話をしている感覚で、昭和初期くらいまで
旧幕時代の話ができた。江戸時代生まれが生存してた。
祖母からまた聴きだけど幕末の斬り合いの話をきいたことがある。 旧帝大は学部をやめて大学院大学にすれば実質旧制にもどるとおもう。
教授は大学院所属だから問題はない。 上総掘りを考案し、またそれを改良してきた職人たちって
今なら理工系の大学に進んで技術者になってるんだろうな 戦前は職人は子供は職人だったからな
経済的に職人の子供が大学や旧制専門学校まで進学するのは
ほとんど不可能だった >>43 職人からインテリのエンジニアへの移行はヨーロッパでは
シームレスにすすんだ、。一流工科大学ももとはといえば職人学校の
流れを汲んでいる。日本の場合、その断絶がおおきい。 >>44
でも職人とエンジニアを一番厳格に区別するのもまたヨーロッパなんだよな。
日本は言うに及ばず、アメリカだってあんなに厳密じゃない。 >>45
あんたからすれば黒人なんて人間じゃないんだろうな >>44
フランスのエコールポリテクニク等のグランゼコールも
職人学校の流れを汲んでるの? >45
日本も戦前はヨーロッパ型でホワイトカラー職とブルーカラー職
の区別が厳格だった。ホワイトカラー職のなかでも
大学専門学校卒者と中学実業学校卒者の間にもはっきりとした区別があった。
戦後アメリカ主導の学制改革や雇用制度改革で区別が曖昧になった。
また戦時中に軍部主導で行われた雇用制度改革の影響も大きいようだ。
肩書きも大学専門学校卒者は社員あるいは職員、中等学校卒者は雇員、
高等小学校卒以下は職工とよばれていた。
一律に社員あるいは従業員とよばれるようになったのは戦後になってかららしい。 会田雄次は英軍の捕虜になったさい士官ではなく兵隊だったので
英軍士官に学歴詐称と決め付けられたけどな 先進国で後期中等教育を義務化する動きがこれから出てくるのだろうか。 後期中等教育は先進国では
義務ではなくても受けてて当たり前になっているからな 後期中等教育を義務化するということは、高校受験生の自由競争を否定することになる。
高校受験に失敗した生徒を通信制の普通高校に強制的に入学させることは出来るが、
それでは今の状況と何も変わらない。 これから教育制度が大規模に変わることはないのかね。 質問なんですが、
戦前の学制は何故勅令で制定されたんでしょうか。
戦前の法令の考え方では、国民の生活に密接に結びつくものは
法律で制定されるものと何かで読んだことがあるんですが・・・。 赤崎勇君旧制高校ノーベル賞受賞おめでとーーーー
\\ 北辰斜にさすところ 大瀛の水洋々乎 //
♪ \\ 春花薫る神州の 正気は罩る白鶴城 // ♪
♪ \\ 芳英永久に朽せねば 歴史も古りぬ四百年 .// ♪
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♪ U U U U U U U 世代交代が進むにつれて日本の社会システムが新制高校卒業を前提にしてきているような気がする。
20年前までは尋常小学校しか出ていない高齢者が珍しくなかったのに。 50代以下は新制高校卒が前提になっているだろ
60代以上だと中卒で就職した人は多いが >>59
文化にしても最低でも中学数学・中学英語を理解していることを前提にしてきているような気がする。
国民のリテラシーの最低レベルが(初等)中等教育になったことはかなりでかい >60
昭和の初め頃だと地域によって差が大きかったとはいえ
全体の8割の最終学歴が高等小学校卒以下で
初級クラスの英語もわからない人が多数派だったからな 政治家も2,30年ぐらい前だと与党も野党も高等小学校卒の政治家が結構いた。
戦後の焼け野原から裸一貫で実業界でのし上がった保守系の政治家や
農地解放や労働運動で頭角を現した革新系の政治家など今の世襲政治家よりも
良くも悪くも個性的で魅力があった。 脱学校論は教員養成系大学では一応講じられれいるようだが、
それ以外では殆ど触れられもしないのが面白い。
戦前だったら禁書扱いか。 むしろ戦前のほうが職人階級の子弟は学校いくより
できるだけ早く働くことが一般的だったのでは
戦前は階級によって全く違う価値観で生きていたのだろう うちの出身中学も高度成長期ぐらいまで農繁期は大量欠席があたりまえ。
そもそも普段から学校に来ない奴も市内一多かったらしい 広島電鉄家政女学校
入学対象者は国民学校高等科を卒業した女子に限られた。「運転を手伝えばミシンやタイプライターも教える」が
募集の際の謳い文句で、女学校の卒業資格と運転業務による賃金がもらえ、全寮制のため衣食住が約束されていることから、
生徒のほとんどは県北や島根県・鳥取県の農山村部出身となった
http://homepage3.nifty.com/sasurai/Genbaku.html >>66
戦時学制で認められた3年制中等学校か。もう新制高校と変わらんな。 戦前の学校制度の功罪についてはもっと研究が進んでほしいね。 6・3・3制って、GHQの押しつけみたいに言われているけど、
こうしてみるとなるべくしてなった感じもするな。 >>69 国家社会主義の官僚たちがGHQのニューディール政策の信奉者の
力を借りてやりたかったことを実現させたという面があります。
母親が昭和16年に女学校入学ですが、筆記試験がなく内申書と面接だけだったそうです。「民主的」な改革は戦前から始まっています。 >70
学制改革にかんしては
戦後にGHQの圧力で公立学校の学費が下げられて
大学等へ進学する経済的ハードルが大きく下がったのが
大きかったようだけどな
お金の都合さえつけば、帝大等への進学自体はそれほど難しくなかったようだ
むしろ今のほうが上位大学への、学力的な難易度は高いといえるだろう 貧乏家庭でも進学できるように民主化すると
受験競争が熾烈になるということだな
逆に戦前は一部例外を除いて、高学歴者が裕福な家庭の子に限られていたので
受験競争は緩かったということだろうな >>71,72
戦前は、貧乏家庭の子供が帝大に行ける確率は非常に少なかったようだけど、
陸士・海兵のような軍人になるルートや師範学校→高等師範学校→文理大のような
貧乏人でも出世できる救済ルートがあったみたいだね。 戦時中を過ごした左翼の人の本を読んでると
「親が左翼(無産主義者)だったから、帝大の面接で落とされて私大に入学した」とかの体験談が多く書かれていて
その、帝大を落とされた息子が「教育改革で東京大学の入試に面接が導入されると、元皇族華族のボンボンが裏口入学してくるから、それはやめろ」って言ってんだけど
どうなんだろうね・・・ 過去スレ読んだんだけど、旧制学制での面接については誰も触れてないであえて聞きたいんだけど
旧制での面接って、点数化されてたのかな? それとも、危ない学生を落とすための試験だったのかな? 戦前は学習院高等科の出身者は、学部の選り好みさえしなければ東京帝大に入れた。
白樺派の作家連中も、昭和天皇の侍従長だった入江相政も東大出。ただし、法学部ではない。 >74
その体験談の息子の家庭も、平均より裕福な家庭の子供なのは間違いないだろうな
ただ皇族華族は、その家庭よりはるかに金持ちだから、そういう表現になるのだろう 陸士・海兵は貧乏人救済ルートにはなってないだろ
貧乏人の子じゃ陸士・海兵の入り口に辿りつけない >>76
だから、戦前の帝大出ってのは、現在の難関大の出身者に比べて、とくに優秀とは言い難い。
もともと競争する分母が少ない上、旧制高校や学習院高等科の出身者は無条件で入学できるから。
戦後の方がガチの受験競争で高いハードルを乗り越えてきているといえる。 人種が違いますんでね。人種が。
日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人 旧帝大という教訓があるのに、東大に面接導入とかふざけてんのかな? 基準に満たないやつバリバリ落として定員割れも厭わないなら、試験項目が増えて悪いことは何もないんじゃねえの?
しかも試案だとセンターは受けるんだし、面接も何時間もある口頭試問みたいなもんだし
ただ面接する側に用意がないのは問題かもな 入試とかもう関係ないから、ぶっちゃけどうでもいい。
まして東大なんて、もともと無縁だし。 >>83
起立性調節障害で高校を中退した女子学生が面接0点で秋田大学医学部を落とされた事件があったから
今のままで面接導入したら大変な事になると散々言われてる >>85
だから、それは面接の採点基準の問題だろう
それに直接臨床で命預かる医学生の選抜なら、健康状態の善し悪しも考慮してしかるべしかと じゃあ生理痛がある女性は採用ゼロじゃないのはなんでだ?
わかってて言ってるのか?
だから危険なんだよ
主観で0点になる 明治大学女子部設立趣意書
我国に於ける女子教育は良妻賢母を造るは勿論なりと雖も、漸次時代の変遷に伴い
女子も亦家庭のみに在ることを許さず。或は官公吏となり、或は会社員となり、
其他諸般の事業に従事することとなり、又従事せざるべからざる事となれり。
而して其家庭のみに在る女子の為めには旧来の教育にて足れるも、家庭外広く
諸般の事業に従事する女子の為には良妻賢母を造る教育以外其職業に必要なる
基礎智識、特に法律、政治経済の学識を授くるは実に時代の要求なりと謂はざるべからず。
然るに現時各種の職業に従事する女子は其基礎智識を欠くが為め、
向上発展することを得ず。其前途を思ふときは転々同情に堪へざるもの
あるのみならず、社会問題としても亦之が対策を講ずるの必要ありとす。
加之近く女子にも弁護士資格を与ふるの域に進み、現に文官高等試験も
亦之を受くることを許され、女子の地方議会議員及び衆議院議員の選挙資格及び
被選挙資格を与へられることも亦決して遠きに非ずと信ず。然るに之が為に
何等の準備なきは女子の不幸は勿論国家発展上真に遺憾なりとせざるを得ず。
茲に於て我明治大学は率先して女子部を新設し、大に女子の向上発展を図り、
国家社会に貢献せんとす。是れ女子部設立の挙ある所以なり。
女子法曹界の先駆者・女子部
, - ―― - 、
, ´::::::::::::::::::::::::::::::::::::` 明治大学短期大学は、昭和4年4月16日明治大学記念館において
/ ::::::::::::::::::::\::::::::::::::::::::::\. . 専門部「女子部」として開校入学式が行われた。女子部の設立趣意書の
. /::::::::::/i:{:::::\::::::::ヽ:::::::::::::::::::::::: なかにも見られるように「女子教育は良妻賢母を造るは勿論、
/:::::/::/ i|\⌒\::::::::::::::::::::|:::::::::| 新時代の変遷に伴い・・・広く諸般の事業に従事する女子の為には・・・
:::::⌒メ | \: __ヽ:|:::::::i:::::|:::::::::| 職業に必要なる基礎智識、特に法律、政治経済の学識を授くる」とある。
|::::: i::八_ l ィr'心}|::|:: |::: |:::::::::| 時代を先取りした女子専門教育の誕生である。しかし必ずしも
|:i:: 从f´心 弋iソ レ‐: |::: ト::::::::| 順調な発展とはいえなかった。“婦徳”を尊重する当時の風潮は
|八::::ハ. Vソ 、、 |:::::l:::::|ノ:::::::. 女子の専門教育とはなじまなかった。特に戦争末期にはなおさらであった。
| Y:::、、 ' _ │/j:::::|::::::::::::.、. 一時は廃止論まで出たほどで、まさに女子部の歴史は試練の連続であった。
. リ::∧ マ:::ノ リ'::/::: ハ:::::::::::::\ (『図録明治大学百年』 明治大学、1980年)
/:/:::介ト:.. イ/:::::::::∧::丶:::::::::::::\
. /:::::::/::八::::`T:::::∨::/::::/ >''^⌒\::::::丶、
/:::::::/::/ \_:ヾ::/:::/::::/ _」 \:::::::::::::::::ー::::::―::::::─- _
. /:::::::/::/ /:/::::/ | / }::::::::::::::::::... ̄  ̄ ̄ ̄ミ
/:::::::::/ /::イ/:::::/ < 人::::::::::::::::::::::::::..... \
. /:::: / :::/ ∨::::/ / }::::::::::::::::::::::::::::::::::...、
秋山澪 (けいおん!) >76
文学部は無試験で入れたとうしな
旧制高校も学校によってもは入るのは難しくなかったようだ
ただ中等以上の学校への進学は、経済的なハードルが高かった。 何故、樺太の豊原に樺太帝国大学を設置しなかったのか >>92
戦前の樺太は人口40万人で県の規模にも達していなかった。 師範学校と医専とその他の専門学校(商・工・農)は、
戦後の国立大学(駅弁大学)の前身になってるな。 人種が違いますんでね。人種が。
日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人 >>79
でも陸士や海兵の生徒の多くは貧しい家庭に生まれていたら進学は無理だっただろうな
多少頭が良くても生活のために活動時間の多くを労働に費やさなければならないのだから >>57
第七高等学校?
>>98
しかし将官へ進級したものに貧家出身は珍しくない。
軍学校、教員養成学校が貧家でも立身できるコースだったのは、
間違いないでしょう。
>>75
面接の話は聞いてないが、
どうやら身体検査は適当だったらしい。
うちの爺さんが京都帝大の医学部受験の際に、
滅茶苦茶寒い中での試験だったので、
「この寒い中、試験を受け抜いた者は頑強に相違なく、
身体検査の必要はない」と試験官が宣言し、
爺さんが受験した際は、身体検査はしなかったと言っていた。 >>99
>しかし将官へ進級したものに貧家出身は珍しくない。
どういうソースを基に言ってるの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています