大日本帝国は民主国家だったのか?A [無断転載禁止]©2ch.net
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よく大日本帝国は民主国家だ、いや、独裁国だという議論がありますがどうだったのでしょうか?
民主国家の定義、当時の法解釈、運営実態、さまざまな解釈があると思いますが、イデオロギー論じゃなくて社会科学的な見解を知りたいです。
皆さんの意見を聞かせてください。
前スレ
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history2/1463184118/ その意味でいえば君主主権であろうが独裁制であろうがAIに全てをゆだねる無政府主義であろうが
本質的には関係ないんだよ。 黒人や幼児の参政権が制限されていたら非民主主義国家だと言いたいのか? 民主という概念自体に欠陥があるんだよ。人間主権とか言ってるのと
なにもかわらん。言葉として観念論的には想定できても具体化できない
法概念だというお話し。これが「成人国民主権」なら明確になる。
民主つって住民でありながら外国人に主権をみとめないのなら民主主義
とはいえない、みたいなすり替えはいくらでもできる概念をこね回しても
本質的な議論などできないというお話し。 >>46
違わねえだろ
外国人参政権について俺はうんともすんとも言ってないぞ >>49
何言ってんだ?
全ての行動をなんらかの形で規定しようとしたら
必ず抽象的な言葉で言い表されるに決まってんだろうが
「具体性がないからダメだ」っていうのは言い訳にもならんぞ
なぜならそう考えられるようになった背景があって、
その背景があったからこその今の制度なのだから、
「意味がわからない」っていうのはただ単に
お前の勉強不足を他人のせいにしてるだけってことだぞ そりゃ相対的なのは当然だけど語の立て付けが悪すぎるんだよ。
デモクラシーの本義にもどるなら衆議政治くらいになるけど、これだって
けっきょく範囲においてあいまいすぎるんだし。資産家と有力者のみ
参議できるという実態をほりおこせば共和制となにもかわんないんだよ。
けっきょく〇〇は民主主義か、という問いの建て方自体が良くないんだ。
戦前の日本は自由主義だったか、という問いならはっきりいえる。臣民の
義務に反しない限り自由は保護されてた。 日本政府がいくら「尖閣諸島は日本固有の領土」「竹島は日本固有の領土」「北方領土は日本固有の領土」と主張したところで、国際社会はそれを認めない。
同盟国のアメリカでさえ尖閣諸島を日本固有の領土と認めたことはただの一度もない。
「固有の領土」という言葉は1970年頃に日本政府が使い始めた言葉で、国際法上の用語でもなければ国際社会共通の定義もない。
だから日本政府がいくら「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張しても国際社会にはまったく通用しない。 デモクラシーを日本語に訳するときに「民主」ってしてしまったから、なおさら
混乱に拍車がかかったんだろう。民主といえば対義語の君主がすぐ連想され
君主主義でなければ民主主義なんだろうという話しになってしまうわけだが、
じっさいにはデモクラシーってのは大衆政治・群衆政治・民衆政治のことで
あって、だれが主人であるかだの、だれに主権があるだのと言った概念を
想定した術語なわけじゃないんだ。 デモクラシーを民衆政治とする考えは古代ギリシャ時代のそれであって、今日的な近代デモクラシーとは違う。 >>52
民主主義は金がかかる体制だから…まあ多少はね?
資本主義と並列して語られるのはそういうことなんだよね
でも、海外って選挙に立候補するのにお金必要ないんだぞ?
日本は少なくとも100万円を持ってなきゃ出来ないからな
益々金持ちの遊び場になっていく >>54
連想ってのが意味わからん
それは思い込み、誤解って奴だな
語の意味は一対一ではない
2元論的ではない >>55 そうにしても「民主」って語の立て付けの悪さは変わんないよ。
そもそも日本は民主主義などではなく天皇を中心とした神の国だと
信じてるやつにとっちゃ、GHQに圧しつけられたこんな思想には
とても共鳴できないし、そういうヤツを多数派の専制で圧殺すること
じたいがデモクラシーの否定なわけだしな。けっきょく概念の底に
孔があいてんのさ。 >>58
へー、英国流の立憲君主制を「全体主義だ」と
思い込んでいるバカが存在するんだなw 独裁君は
政党政治、政党内閣が存在した歴史的事実は無視して、
非民主的な面ばかり作為的に取り上げてるだけなんだよな。
まあ、時代的にもまだ未熟な政党政治ではあったけどね。 >>54
誰がそんな風に訳したって?
何の資料の裏付けもない思い付きとか思い込みでばかりいないで
ちゃんと裏とってから語ろうぜ。 >>60
許容された政党政治だからなぁ
軍がその気になれば何時でも内閣府一致で政府潰せるし 大日本国憲法で、軍を「行政の一部局で内閣総理大臣の命令に従う」と
改正しなかったのが悪い。明治時代の政府トップは陸軍中将とか海軍少将を
兼任していたから何も問題なかったが、昭和になると政治家と軍人が分離して
軍が政治家の言うことを聞かなくなった。
日本人って、今もそうだけど憲法を時代に即して変える事が出来ない民族なんだよね
国家国民のために憲法が存在するのに、なんで憲法を変えてはいけないのか
理解に苦しむよ。
今も帝国陸軍皇道派の青年将校みたいに
「マッカーサー憲法は不磨の大典だ!変えるのは許せない!」と
とワメいている民度の低いバカが大勢いる。
戦争に陥った原因が「憲法を時代に即して改正しなかった事」だという事も
分からない、72年前の反省がまったくないアホ連中w それは筆頭で言われることだね。内閣総理大臣なんて今でいうところの
無任所大臣みたいなもので、人事権なく名望だけで指導しろ態勢なんだもの。 津田真道先生はデモクラシーを「平民政治または民主の国」と邦訳されたとおもうんだが。
それに対しておれは平民政治が原義を得ており「民主」は当たってないと主張してるだけだよ。 >>63 許容されたというか「臣民政治」なんだよね。天皇を中心とした
有機的国体に忠誠を誓う限り帝国臣民の自由と権利を保護する体制。
じっさい18世紀から19世紀の国家論はこれが一般的で、国家に反逆
すること自体が重大な犯罪として通常に司法運用されてたわけで。
こういう一見すると些細で看過されるような点に本質的に重要な論点が
あるんだとおもうよ。政党政治も「臣民」による政党なら大いにやりたまえ
しかし非国民による政党は国家の敵なのだから戦争の法理により排除
するという思想が通底していたのが有機的国家論の下での「自由主義」 もし戊辰戦争で明治政府側が旧江戸幕府陣営占領地域の独立と賠償金を要求するだけに留まっていた場合
江戸幕府を中心とした陣営はどのような国になっただろうか? いやーそれは無いんじゃない?薩長同盟の討幕の裏の目的は廃藩置県だよ。
徳川体制みたいに、各藩各寺社ごとに法令が施行されてて人民の移動が
制限されてるようなシステムはとても薩長の許容できるところじゃなかったろ。
とくに条約改正には文明国としての民法・刑法の法典が要求されてたんだし。
なまじ徳川体制のこしてたらエジプトやトルコみたいにそれ自体が障害に
なりつづけたと思われ。 当時の日本人のインテリ層(武士階級以上)の圧倒的大多数が大名が割拠するという
幕藩体制そのものが対内外政策の根本的なネックになってると直感で感じてたんじゃ
ないのか。そうじゃなきゃあれほど雪崩をうって薩長に転ぶことも考えられないし、あれほど
抵抗をおそれてた廃藩置県があっけないほど短期間で成功したのも解釈できない。
みな本当は気が付いてたんだよ。徳川が将軍であること云々じゃなくて、幕府体制その
ものがネックになってたんだ。 廃藩置県については、借金抱えてる藩が多かったせいもあるだろな まだ無知蒙昧独裁チンカス野郎が暴れてんのか
こいつほんと懲りねえバカだなあ
死ねよカス このスレまだやってたのか?
独裁否定派なんか、「独裁の定義は?」って訊けば尻尾を巻いて出て行くのに ↑
こいつスゲー馬鹿
定義定義いってんのお前だけしかいねーし
その定義とやらが同時の日本にあてはまってると思い込んででひたすら痛い
指摘されてまともな反論できずに尻尾まいてにげてんのは独裁キチガイのお前ww そりゃ形而上概念に当てはまるかどうかの議論なんだから
定義を共有しなきゃ話しが始まらんだろ 独裁否定派は独裁者の定義を示せよ
その上で否定しろよ
誰にでも当てはまらないような極端な独裁者の定義で、無理やり昭和天皇を独裁者じゃなくしてるだけじゃん
独裁者じゃないとわめいてるのは一部の日本人ぐらいで、世界的にはエンペラー・ヒロヒト
ヒトラーやムッソリーニと変わらない独裁者だよ 日本のばあいはその独裁者の意思がことごとく否定されて
執行部の決定の追認だけさせられてたわけだながww
独裁者の定義はよw 天皇独裁派の独裁者の定義→民主的な定期的な信任を受けていないのに、法制度上の国家意志最高決定権を掌握している個人(まさに昭和天皇そのもの。実態論は意味がありません。それはいくらでも黒幕論や陰謀論を捏造できるので、社会科学的に確認、測定、チェックできないからです。)
独裁否定派の独裁者の定義→過去に一度も部下の進言を受け入れたことがなく、政策も法案も全部自分ひとりで考え、国民的人気や支持がないのに巨大な権力を保持していられる個人(こんな人は歴史上一人もいません)
確かに独裁否定派の定義なら昭和天皇は独裁者ではないでしょう
しかし、それならヒトラーもスターリンもフセインもみんな独裁者じゃなくなりますね
天皇は独裁者じゃないと主張するのは勝手ですが、そんな主張は社会科学的には無意味なのです 大日本帝国は天皇に独裁的権限を持たせて、軍部や一部の権力者らがその権限を行使するという
間接独裁制とも言うべき特殊な独裁制だったんだよ。民主国家だったなんてとんでもない。
大正デモクラシーはその間接独裁制との戦いだったが、基本構造を変えることなく現象として
民主化(吉野作造によれば「民本主義」)を目指したため頓挫した。
昭和天皇自身は間接独裁制を温存する側だったため基本構造を変えない民本主義や一木・美濃部の
天皇機関説を支持した。結局のところ、基本構造に問題があった為に自滅すべく自滅した。 現代日本も天皇の署名がなければ法律は一本も通らないから独裁国だしな ダメだこのスレ
チンカスなみの無知のアホしかいない >>84
日本国憲法では、「国会が国権の最高機関」と明文化されておりまするが、何か? ところが47年憲法はGHQ占領の終了とともにその法源を失って失効しとるんだな
これが 間接統治が終了した後も、国民の支持を基底として
日本国憲法は継続されたというのが歴史的事実。 そんな虚構いいつのってもしょうがないでしょ。
すでに失効してんだから。いまは慣習法で統治されてんの。
げんに9条なんか完全にあらたな立法で書き換えられたじゃん。
あと前文もか。 >>87
ついに独裁否定派はそんな屁理屈まで言い出したかよw
日本国憲法は失効してるとか、だったら今やってる憲法改正論議はなんなんだよw
もう完全にデンパの域に入ってるなw
そんなことはいいから、独裁否定派の独裁の定義をさっさと出せよw
出せない時点で負けてるだろ
自分はただレッテル貼りしてるだけですと白状してるようなものなんだから 改正という名の創憲だよ。本当の名前は忌避される。
忌み名の風習だ。
>独裁の定義
最高司令官がひとりであること。よって日本は昔も今も独裁国。
ローマみたいに執政官が2人とかではなかったので。 >>90
わかりやすい共産工作員だなおまえ
死ねよキチガイ どうみてもキティなのは独裁否定派のほうでしょw
もう無理だよw 独裁だが無責任。アホはこの事実が認められない。
だから発狂する。 昭和天皇は独裁者なんだよ! これは社会科学的な事実なんだよ! 独裁者だが無責任。よって無罪。べつに強弁するまでもなくその通りだよ。 工作員必死の独裁者だ主張に草
バカと無知、無学がファンタジー語ってアホ丸出し
こういうゴミいつになったら日本から駆逐されんだろうな
コミンテルンのファンタジー活動は 昭和天皇という個人が独裁者なのではなく、
大日本帝国憲法という国家の基本法が天皇独裁を前提にしていた。 そう表現したら異論はさみたくなるな。形式的には天皇専制で記述してあるけれども
実質的には憲法のどこにも明記されていない「維新の元勲」による僭主政を想定して
天皇すら都合よく操作できるように設計してあるというのが通説でしょ。 憲法なんて運用次第
旧社会主義国家の憲法なんかめちゃくちゃ民主的なのに、実際はとんでもない独裁国家
明治憲法も運用次第で民主国家にすることが出来た
美濃部達吉もその考えだっただろ
実際、衆議院は憲法に記載のない内閣不信任の権力を持っていたし
桂や浜口の憲法違反にたいする護憲運動もすごかった
軍部さえ抑えられれば旧憲法のまま民主国家として発展しただろう
軍がすべてを、大日本帝国を、天皇制を潰してしまったのである 運用次第だって? 都合のいい言い訳をするんじゃない
天皇親政解釈が、正規の解釈だと国体明徴声明で認められたんだ
それを知らない、スレ住人でもあるまい
大日本帝国は天皇独裁体制であり、昭和天皇はまちがいなく独裁者なんだよ
大日本国憲法の条文をあげつらって、詭弁を弄するのはやめてもらおう 天皇の周辺の数人が執筆した文字列に従ってるだけなんだから運用次第でいいんだよ。
「憲法」というものの実態そのものがそういうものなんだ。だから「憲法をまもれ」という主張の
ほうこそ実は剣呑なんだよ。そういう権威主義が危険なの。 慣習法の場合は判例の蓄積や実際の商慣習、契約慣習、社会的慣習から「解説される」
不文法で、状況によりいくらでも読み方を替えることができる柔軟性を内在してる。それを
明文化するということは、それ自体がそもそも剣呑な行為なんだ。帝国憲法の場合は
ロエスレルというドイツ人が草案を執筆してるという意味では、そもそも日本人の手による
憲法でもなんでもなく天皇の名による「押し付け憲法」であった点もほんらい重要な論点
なんだ。 だからそれを屁理屈というんだ
だいたい君らは、天皇を弁護するというイデオロギー、バイアスが最初からあるじゃないか
君らがもし、外国の研究者なら、なんの躊躇もなく昭和天皇は独裁者だと断ずるはずだ
第三者の客観的な見方をすれば、まちがいなく独裁者なんだ 独裁者じゃないよ。なにも命令してないんだから。
司法にも行政にも議会にも介入しない君主が独裁者だと
よぶなら、独裁者という語の定義のほうを変えるべきだね >>104
憲法は運用次第だよ
大日本帝国憲法よりもよっぽど開明的なワイマール憲法であっても
ヒトラーという独裁者を生み出してんじゃん >>107
ホントお前ずっとこのスレに住んでるけど
それでもその程度の理解と解釈しかできないんだからもう死んだほうがいいぞ 偉そうにいうけど、独裁者の社会科学的な定義が出せない独裁否定論者 少数者に権力が集中し,大衆の政治的自由が抑圧されている統治状態。専制とは異なり,被支配者である大衆の
政治参加と積極的支持に基づく点が特色である。大衆操作とマス・コミュニケーションを前提とするきわめて現代的な
統治形態である。起源は,古代ローマ共和政のもとで重大な危機に際して,一定期間絶体的な権限を付与されて
設置されたディクタトル (独裁官) に由来する。独裁は重大な社会危機に出現し,事態の進展を促進し,あるいは
その進展を阻止または抑圧する。一般にはきわめて個人的な政治体制をいうが,軍や単独政党を基礎として
制度的独裁ともなりうる。 C.シュミットは独裁を委任独裁と主権独裁とに区分しており,またマルクス主義においては
プロレタリアート独裁の観念がある。 (出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
>独裁は重大な社会危機に出現し,事態の進展を促進し,あるいはその進展を阻止または抑圧する。
>軍や単独政党を基礎として制度的独裁ともなりうる。
これを徴するかぎり「天皇」は独裁者ではないな。制度としては憲法に明記されてない「かの方」による
独裁態勢というのが正しいわけで、歴史学の通説どおり。 >>112
アホか
反証可能性を持った社会科学的な定義をもってこい
そんな辞書や辞書の定義なんて、漠然としてなんの反証可能性もない
解釈によって、誰でも非独裁者にできるわ
恣意的に解釈変動できないような、明確な基準やラインをもってこいよ >>112
あと、それは普通に昭和天皇も当てはまるだろ
独裁否定になってないわ
独裁否定派は何でもイメージ論でしか語れない お前が無能だということは分かった。べつにおまえはスレに必要ないから
もう書き込むなよ。 >>112
>軍や単独政党を基礎として
>制度的独裁ともなりうる。
正に大日本帝国の制度を指しているではないか。
なのに何故
>「天皇」は独裁者ではないな。制度としては憲法に明記されてない「かの方」による
>独裁態勢
となるのだろう。
大日本帝国は「天皇」を独裁者として(大日本帝国憲法に明記)、
制度的に軍部による独裁体制を許した。
国体明徴宣言は天皇の親政を宣言しそれを許さないとして、
当時の国家指導者らが大正デモクラシー時代の民本主義(民主ではない)の理念を破壊し、
国家の運営の中心を軍に集約した。 ボアソナードというドイツ人の手による「帝国憲法」を伊藤博文らの手により
議会の審査もなく、天皇の名により一方的に「おしつけられたもの」
それが大日本帝国憲法だよ。そもそもあんなもの本当の意味で日本の国体を
明徴したものでもなんでもない。外国人が執筆したんだぞ? ロエスレルだな(´・ω・`)歴史のテストなら0点だ >>113
反証は前から運用によって実証されとるとゆうとるのにアホなの?死ぬの?
死んでいよお前マジで 1931年には柳条湖事件、満州事変を関東軍が引き起こした。
以後、昭和天皇は満州事変の戦域拡大、第一次上海事変、熱河作戦など「中国大陸での陸軍の行動に神経質なまでに
反応し、軍事行動の抑制を求める意見を側近や軍首脳に伝達していた」。
しかし、軍は朝鮮軍独断越境事件に続き張鼓峰事件でも、天皇の許可を得ずに独断で
戦闘行為を行っており、この当時の陸軍の行動はまさに統帥権干犯そのものであるといえよう。
また熱河作戦の作戦中止を求める昭和天皇の要求は奈良侍従武官長により事実上却下された。
統帥権は機能しておらず、その権限は軍が自分たちに都合よく利用していただけなのである。
昭和天皇の陸軍への不信感はますます高められていた。 歴史修正主義者がなんと言おうと、昭和天皇は独裁者なんだよ! 明治維新で天下をとった山口県の朝鮮部落民が民主国家を作るわけがない
朝鮮人の伊藤は孝明天皇を暗サツして、近所の子を明治天皇にし、独裁国家にしたかったはず
英国は50ヶ国ほどの政府を転覆させ通貨発行権を握った
現地人に銃を向けて支配する型の植民地支配から進化したのだ
お札を刷って最初に使う者が丸儲けなのだ
というわけで、英国は薩長に銃器を渡して政府を転覆させたが、
独裁国家にしてもらっては銀行支配ができないので困る
そこで見かけ上は民主国家だが、議会も司法も偽装の国家になった >>121
学がないならこんなとこに首つっこんでくんなクソカスコミンテルンのまわしもんがよぉwwww 通貨発行益ってぜんぜん大したことないよ。日銀ですら好調なときでも年間5000億円くらい。
高度経済成長してるさいの中国で2兆円とかそんなレベル。 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
3UTK6 長いので分割します。
スレタイに答えるならば、民主国家であった時期もあったしそうでない時期もあったと言うのが正確であろう。
ただし、誰かしらによる独裁国家であったというのはあまり正しくないだろう。
なぜなら大日本帝国憲法自体が独裁者の出現を抑制するしくみになっているからだ。
名目上は天皇を主権者としているが、その天皇の権限は国家の各機関に分散されていて、その各機関はそれぞれが独立して権限を行使するというのが帝国憲法の内容だ。
しかし当然、各機関が勝手な行動を取っていては国家の安定した運営はできない。
権限を持つ諸機関をまとめて統制するべく、憲法黎明期に生まれたのが藩閥という方法であったし、大正期には衆議院の支持を背景とする政党内閣であったし、そして昭和期は軍部主導の戦時体制であったのだ。 当然、大正期の日本は民主的な国家であったと言えるだろう。
特に原敬内閣の時期は衆議院の支持を背景とした政党内閣が国政の主導権を握っていて、本格的な立憲政治が実現していた。
原以降も政党は当面の間、政治の中心であり続けた。
逆に、明治期の藩閥や昭和期の戦時体制は民主的でないと言える。
どちらも民意を背景としているわけではない勢力が政治を主権していたからだ。
だが、改めて述べておきたいのは、近代日本において独裁国家であった時期はないということだ。キーワードは「主導」である。
大日本帝国憲法が権限を持つ諸機関を並列させているということは前述した。
従ってこれらの機関を主導する何かしらの存在や勢力が必要になった訳であるが、注意しておきたいのはあくまでも「主導」なのである。
つまり、常に主導する側とされる側には協議や妥協の余地が生まれるので、近代日本において独裁というにふさわしい体制は、大日本帝国末期のほんの僅かな期間しか発生しなかったのだ。
そこの数年間を取り出して独裁だと言うのならば反論の余地は確かにあまりないが、明治憲法治世下約半世紀のそこだけを取り上げて議論をする意味はあるのだろうか。甚だ疑問だ。 やっとこのスレに当時の価値観をちゃんと理解して話のできる人が来てくれた >>131
>>132
もっともらしくいってるけどさ、「主導」って結局あなたの感想だよね?
その主導を社会科学的に定義できるのかな?
できないよね?
やっぱり社会科学的には、大日本帝国は天皇独裁体制なんだよね 概念をあとからつくって本来のものをその概念に入れるために史実を矯めるような
ことは素人にありがち。明治は最初期から議政体だよ。太政官だって3職31名で開始
されたんだし、そこでの合議に明治天皇の意向が反映されたものなど数えるほどしかない
そもそも国家が発令しなきゃならない法令がどれほど膨大な数があるとおもってるのか
んなもの逐一天皇が独裁でやってるわけがないだろう。 国家や法というのは基本的に受動的で修復的なもんなんだよ。先に現場でトラブルがおきる。
大半は民がおこすトラブルで、のこりが行政上の解釈のトラブルだ。それに対して「下から」
対処法の伺(うかがい)が上げられて、それに対してイエスノーをきめたり、統一法典の作成を
下に命令したりするのが政権中枢の役割になる。台湾征討であれ江華島事件であれ、あくまで
事態は下から起きてきて、それに判断をもとめる伺いがあげられて指令を下す、これが国家と
いうものだ。独裁や専制というものの理解がそもそもなってない。 責任内閣制を導入したことを考えると
民主国家と言ってさしつかえない >>135
また、天皇独裁否定論者が性懲りもなく現れたねw
過去スレをまったく読んでないようだけどねw
それでは、あなたにお聞きいたします
あなたはたったこの一文で、尻尾を巻いて逃げ帰るでしょう
以前のたくさんいた天皇独裁否定論者がそうだったように
「独裁否定派の『独裁』を社会科学的に反証可能性が生じるレベルで定義してください」
反証可能性のない定義は社会科学的に無効です。 独裁肯定派の『独裁』を社会科学的に反証可能性が生じるレベルで定義してください いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
5JT 江戸時代には村役人や町役人を入れ札、つまり選挙で選ぶ地域も多かった。投じられた入れ札が残っている例もあり、
たとえば寛文年間に行われた甲府のある町の長人(としより)(名主(なぬし))選びは無記名投票だった▲「三右衛門より
外に長人ハ無御座(ござなく)候(そうろう)、何事も三右衛門殿御(ご)尤(もっとも)ニ候」は三右衛門という人を
熱心に推す入れ札だが、むろん名前だけの札と効力は同じだ。札の用紙もまちまちで、複数の候補を記した札や輪番制を
提案したものもあった▲暮らしにかかわる身近な役人選びで、投票者がそれぞれ自由に意見を記しているのがおもしろい。
「地方自治は民主主義の学校」は戦後広まった言葉だが、江戸時代のご先祖は誰に習うこともなく「自治」の作法を身に
つけたようだ
https://mainichi.jp/articles/20190321/ddm/001/070/165000c 昭和の教訓、生かす時代に 新たな研究成果に学ぶ
本社コメンテーター 秋田浩之
ttps://www.nikkei.com/article/DGXMZO44529100Y9A500C1TCT000/
https://ceron.jp/url/www.nikkei.com/article/DGXMZO44529100Y9A500C1TCT000/
https://twitter.com/nsetz/status/1126391653827145728
では、近年、どのような新説が登場し、定着しつつあるのだろうか。近現代史の研究者らに具体例をたずねると、
次の答えが返ってきた。
井上寿一・学習院大学長 日本は1930年代、地方の農村が困窮し、この危機を克服するため、経済権益を求めて
中国に侵攻したという学説が戦後、流布されてきた。だが、日中が全面戦争に入った37年ごろは日本の経済は
絶好調であり、38年も好況に沸いていた。日本の貧しさが日中戦争の原因ではないというのが近年、ほぼ共有され
ている学説だ。
筒井清忠・帝京大教授 戦争に国民が抵抗しなかったのは、軍部に強制されたからだという見方が長年あった。
確かにそういう面もあるが、米国や中国への敵がい心からメディアや国民が戦争を積極的に支持するとともに、
戦時体制下で進められた健康保険制度の創設や小作農保護などの平等政策が、国民に歓迎されていた面が
あったことも、近年の研究ではっきりしてきた。
庄司潤一郎・防衛研究所研究幹事 日中戦争は陸軍の主導により全面戦争に入っていったという見方が長年主流
だったが、対ソ戦へのそなえを優先したい陸軍中枢は当初、拡大に慎重だった。むしろ、華中や華南に権益を持つ
海軍が積極的に動いたことに近年、焦点が当てられつつある。「蒋介石日記」の公開に伴い、蒋介石も当初から
上海で攻勢に出るつもりだったことが分かってきた。
むろん、これらはほんの一部にすぎない。近現代史の研究は1970年以降、大きく進みはじめた。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>142
戦後になって「反省」されても・・・
https://www.j-cast.com/bookwatch/2019/05/14009031.html
書名
なぜ必敗の戦争を始めたのか
サブタイトル
陸軍エリート将校反省会議
監修・編集・著者名
半藤一利 編
出版社名
文藝春秋
出版年月日
2019年2月20日 今北産業。 このスレの最初からざざっと目を通したが、>>102と>>131->>132で
まあ、概ねその通りだと思う。前スレを読んでいないのでスレの流れがよくわからんのだが、
102や131の結論が出てクマで1100レスも費やしているのが不思議である。
暇なときに前スレも読んでみるが、そもそもスレ主の言う「大日本帝国」時代が
どの時期を指しているのかさっぱりわからん。明治初期の藩閥政治期、帝国議会開設後から昭和初期、
軍部が政治に容喙した2・26以降と、大日本帝国はその都度マイナーチェンジを行っている。
時代区分を指定せず、「社会科学的に教えろください」と言うのがマヌケ度数が高過ぎる。
それと、「独裁」がどうたら言ってる人は多分一人でがんばってるようだが、見ていて辛いものがある。
他人に独裁の定義を質問して、その答えに突っ込む形で「独裁体制である」と反証したいんだろうが、
まずは自分から独裁の定義を述べてみてはどうか?(前スレでやってるのかもしれんが)
明治〜昭和の3人の天皇が独裁者である事例を具体的に出して欲しい。
スレ主がお断りをしているが、独裁君はイデオロギー論で天皇制を批判しているだけで、
スレの主旨に合っていないレスが多く見られる。
今日 初めてスレを読んだ感想はこんなとこかな。 訂正。
出てクマで→ 出てくるまで
マヌケ度数高杉w 恥ずかしいのでちょっと逝ってきますw 社会科学的には、大日本帝国は天皇独裁国家なんだよね
天皇独裁を否定しているほうが、イデオロギー的だろう
中立公正に見て、天皇は立派な独裁者だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています