重野安繹という人は、「西郷のことを悪く言った」という形で、
必ず西郷とセットで語られる。
これが市来四郎の場合は、まず日本最初の写真技師、島津斉彬の肖像を撮った人物として名が挙げられる。必ずしも西郷とセットということはない。
重野の功績はなんだろう。
万国公法の翻訳も、開成所版の五年後のもので、いくつかある諸本の一つ。
日本最初の文学博士、東大教授というけれど、これは大久保閥によるものだ。
史学の分野でも法学の分野でも、後世に大きく影響を与えるような功績があるんだろうか。
「抹殺博士」というあだ名があった、ということぐらいしか残っていないのではないか。
重野は東大教授として高給を得た。それで大金を持って島女房を迎えに行った。
しかし、別の男と所帯を持っていた島女房に、金だけ置いて帰って行った。
重野は、精一杯の誠実さを表そうとしたように思える。
それに引き替え、愛加那から子供二人を取り上げた西郷はひどい奴だ、
と「横目で見た郷土史」(片岡吾庵堂著)にあって、スレ主がわが意を得たりとばかりにテンプレにあげている。
しかし実際は、重野も娘を自分のもとに引き取っている。片岡氏はそれは知らなかったらしい。
ほとんど忘れられていた重野が、再び取りざたされるようになったのは、
恐らく司馬遼太郎が「翔ぶが如く」の中で「西郷を悪く言った男」として取り上げたからだろう。
それのみで語られることを一番残念に思っているのは、泉下の重野自身じゃないんだろうか。