ちなみに「大日本編年史」の史料探索は明治20年鹿児島でも行われた
この時の重野の手紙が残されている

このなかで、重野は、旧主である島津家に対し、当時鹿児島で保存されていた
島津家文書の閲覧を許可するよう求めたが、島津家がこれに難色を示している
という顛末を記している

結局、この調査は途中で断念されたという

戦国島津や薩摩藩に関して、島津家発のあり得ないようなミラクル戦記が、否定されず
なんとなく信じられているのも、この時の不完全な調査が原因かもしれない・・