>>254

【例2】

十二月二十三日

(田中:芙蓉版)
「此日南京占領後の我方の態度方針を説明する為め外国記者団と会見す。最初南京占領と其国際的影響を
知るため紐育タイムズのアベンド、倫敦タイムズのフレーザーを招致し、然る後上海の各国通信員と会見す。
質問は主として、首都陥落後の日本の方針及パネー号に対する前後処置なり。」

(日記原本)
日記原本になし。


(板倉解説)
 これも悪質な書き加えである。田中氏は「支那事変日記抜萃」(七三ページ)にある記者会見の記述を
もとにしてこの部分を作ったのであろう。しかし、そもそも日記原本に無い「抜萃」などというのもおかしいが、
書き加えた上に、「南京占領から十日を経た外人記者団との会見において、松井大将が『南京虐殺』に関する
質問を受けたという様子が全く見られない点、注目すべきである。」という編者注まで付けているのはどういうことか。
 初めに述べたように、当然書かれてよいことが日記に無いのは何か訳がある。十一月十一日、三十日の
記者会見は自分のしゃべった内容まで書いているのに、この日の記者会見が日記原本にないのは不愉快なことが
あったのだろうと推察される。
 同盟通信上海支局英文部長の堀口瑞典氏は、その名の通り外交官の父君の赴任先スエーデンで生まれ、
英、仏、独、スペイン語を自在に駆使して報道部の発表や高官の記者会見に活躍した人である。この会見で
通訳に当たった堀口氏の記憶では、外人記者たちから南京事件の質問が続出し、松井大将は「現在調査中」と
苦しい答弁をしていた、という。
 厭な質問があったからこそ日記に書かなかったのである。「抜萃」の方は東京裁判に備えて自己に有利な記録、
記憶(これは当然の権利である)を整理したものであろう。こうした事実関係を後世の人が正しく判断するためにも、
原史料の改竄は許されないのである。
 米艦隊長官訪問、米長官来訪、仏艦隊長官の招待など外交行事が重なった。このあとに「松井大将は米・
英・仏の高官と会合を重ねているが、『南京事件』の話題など誰からも聞いていない。」との余計な編者注が
つけてある。