松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう15
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骨董品好き、植木好き、世話好き殿好き恩師好き。
そんな木戸について引き続き語っちゃげて。
前スレ
松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう14
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1342871083/
・sage推奨。荒らし、コピペ、脱糞君、age君は華麗にスルー。
・幕末明治に関する小説、TVやドラマの話題もOK。
・木戸周辺の人たちの話題も歓迎。
・ここ見て木戸が気になった人は松菊木戸公傳・木戸孝允日記・木戸孝允文書・木戸孝允遺文集・木戸孝允関係文書などを読んでみよう。
大きな図書館には大抵あるよ!
・木戸に関する論文や小説は>>2以降参照 時山直八の写真を見たことあるけど、武市半平太よりもこっちのほうがアギーな見た目。
弁が立つインテリっぽい 久坂が維新後も生きていたら、木戸も助けられることが多かったはず。 渋沢大河は出ないんじゃね
西郷大久保岩倉三条孝明天皇家茂久光まで発表されたのに 現代の医学だったら木戸さんを助けられたの?教えてお医者さん! 胃がん、肝臓がん、落馬による脳挫傷、歯痛が後年の病気の正体と考えられている 頭打ってで頭痛が続くようになった説って「翔ぶが如く」でも取り上げられたよな
(確か)村松剛が日記を読んで「そのあと出歩いてるからそんな影響なかった」としてたけど 確か伊藤博文の談話の中に、公は落馬してから頭痛が酷かったというような話があった気がする。
あと、お医者さんが書いた「小説 木戸孝允 愛と憂国の生涯」でも、取り上げられていたよ。 一時期片脚が麻痺してたっていうのも頭打った影響だったっけ?
ドラマの田原坂では杖ついて大変そうにしてたな まだこのスレあったんだなあさすが歴史好きは根強い
最近渡辺惣樹氏の著作を読み漁ってたのだが「朝鮮開国と日清戦争」という本で
思いがけず木戸さんの英明さに改めて感じ入るくだりがあったので未読の方はぜひ NHK Eテレ アクティブ10 レキデリ「明治政府はどんな国を目指した?」
木戸の言及がちょっとあった 禁門の変の時に、小五郎の子供を産んだ女が小五郎に会いに京都に来たけど、会えなかった。
後にその子供は秋月悌次郎の養子になったというエピソードをどこかで観たけど、史実ですか?
ソースがあれば教えて下さい。 醒めた炎では当時の史料から否定してる
史実だったと肯定出来る要素の方が少ない 木戸のWikipediaが知名度の割にとんでもなく充実してるのいつ見ても笑う
アンサイクロペディアの方もすごいし >>237
>知名度の割に
桂小五郎・木戸孝允を知らない人はめったにいないだろ。 >>218
木戸孝允館のオリオンさんの本ですよね。
木戸孝允館は更新がなくなって久しいけど、いつの間にか小説のコーナーも閉鎖されてしまったようで寂しい。
出版の計画があるのかな。「明治六年秋」で小野組転籍事件を知ったよ。 wikiではちょくちょく追記・改訂されているね。
自分はそれが結構楽しみ。よく調べているな、と感心する。 山本栄一郎って人のブログが薩長同盟等について色々考証してるんだけど
「出石から帰ってきて政庁のトップに就任したものの、その立場は盤石じゃなかった」
という主張されてて確かになと思った
「武器と船の購入に成功してとりあえず面目を保てた」と。新しい視点だと思った 大村益次郎研究家の方だよね。その人が編集した大村の本、持ってる。
ただ、薩長同盟に関する考察は一部同意できないところがある。
龍馬が裏書したというあの薩長同盟の書は、藩に提出するためのレポートであって、
木戸が都合の良いように中身を編集したもので、薩摩にとって有利な事項は省かれている
と考えているらしい。
この人、山口在住だそうだけど概ね長州に批判的で、特に木戸には辛辣な印象だ。
「武器と船の購入に成功してとりあえず面目を保てた」という指摘は間違ってはないと思うけど、
「武器と船の購入に成功して、さらにリーダーとしての立場を固めた」という意味でも通じると思う。 大村に関しては、奥様の琴の考察は好き。
離縁するよう言われたけど、宇和島や江戸まで追いかけて一緒に暮らしたというヤツ。
大村とおイネのロマンスは、司馬の創作だろうし。
スレ違い、失礼した。 薩長同盟の顛末については、木戸がいったん京都を離れて、伏見で龍馬と会ったという説は、
割と納得のいくものだった。 >>242
確かに木戸に冷たいけどよく調べているだけあって無視はできんっていうとこが難しいw
「大久保は広沢真臣のほうが気が合ってたけど死んでしまったので木戸に乗り換えた」
とかもその通りだなと思う
広沢真臣のこともっと知らないといかんなと思った
「木戸の同僚」ぐらいで影が薄すぎる >>245
仰る通りです!
広沢については、自分ももっと知りたいと思う。
察するに、大久保にとってはとても優秀な官僚といことは、てきぱきと仕事をこなして優秀すぎて、
かえって何したかわからない、そんな印象。 木戸が健康であと10年長生きしていたら日本はどうなっていただろうか。 しかし薩長同盟の際に木戸が一旦伏見まで帰ってたんなら
坂本龍馬の評価やっぱ上がるよな 木戸にとって龍馬は、薩摩藩の代理人、かつ信頼できる薩摩藩外のフリーの外交官。
伏見まで戻ったけど、龍馬に説得されたのだ。
木戸が裏書を求めるだけのことはあるよ。 江戸川乱歩の明智小五郎は明智光秀と桂小五郎から採ったという説が有力だが
木戸は明智光秀について何か語ったことはあるの? 外交官や一種の指導者として有能だったのはよく分かるが
官吏として、実務家としてはどうだったんだろう?
政務座についてたときの具体的な活躍は?
まあ、大久保利通ですら「自分は細かい事務は不得意だ」って言ってるぐらいで
政治における「実務とは?」って話になりそうだけども 実務家としては、伊藤・井上馨・井上勝らが有能だった。
木戸は、彼らをまとめていればよかった。
大久保が木戸をあれほど必要としていたのは、彼ら長州閥を束ねていたのが木戸だから。 とある歴史系YouTuberが高杉と桂が長州でクーデター起こしましたみたいなこと言っていたんだが、桂って直接的にクーデターに参加してたっけ? 高杉のクーデターと言えば、元治の内乱だけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9F%E5%B1%B1%E5%AF%BA%E6%8C%99%E5%85%B5
決起した時点では木戸は出石に隠れていた。
高杉がクーデターに成功して俗論派は藩政から手を引いたけど、
その後高杉・伊藤・井上馨が下関を開港しようとしたことで
尊攘派が3人の命を執拗に狙って、3人は一旦藩内外に逃げ隠れた。
(高杉は四国、井上は別府、伊藤は下関)
そういう状況で木戸が帰藩して藩内を収め、高杉らを呼び戻して
木戸政権がスタートした、という状況なので、
木戸は直接クーデターに参加したわけではないが、最期の〆は木戸の帰藩なので
正確ではないが間違ってもない、というところ。 山本栄一郎って人のブログ、今は世良修蔵について書かれているね。
幕末ものの中でも長州の悪人とされる人だけど、再評価が進んでいるのかな? >>254
やっぱり微妙なところか。
なんていうか歴史系YouTuberを見ているとみんな絶賛しているコメントをしていて、あまりそこら辺を考えないのかなと思ったりして。
なんていうかどうしても細かいところに目がいってしまう。 >>255
ちょくちょく見てるけど世良修蔵のくだりの煽るような書きかたが好きじゃないな
いま中世日本史研究者が立て続きに炎上してるけど
歴史家ってのは知識得れば得るほど傲慢になって攻撃的になってしまうのかと疑う >>188
幕末長州をまともに大河ドラマにできない理由は
うすうす分かっていたが
今年の大河のキャスティングで完全に理解した
幕末は中世ではなく近代
現代と地続きだ
主権国家同士が交渉して結んだ条約を一方的に破棄しろ
こんな許されない主張を国を挙げて実現させる寸前までやらかしたのは完全にアウト
これを寸前で阻止した男が文久二年九月にどんな発言をしたか
これは渋沢栄一が後世に残した史実だから今年の大河で再現させると思う
はっきり発言させると思う
そのためのチョナンカンだ >>251
実務家として優秀な人は、かえって何をしたのか記録に残ってないことが多い。
広沢実臣は、その顕著な例だ。
広沢日記を読んではいるけど、ほんとこの人は歴史上何したの?って感じ。
春嶽には、大久保西郷木戸広沢が維新四傑だって言われているくらいなんだけど。 広沢は幕府側の記録にはそれなりに出てくるんだよ。
下関条約の報告とか長州戦争停戦とかで
まあ、因縁を脇に置いて実務的な処理を淡々とできる点では
広沢とか吉田稔麿みたいなタイプが適任だったんだろうな >>251
一言で言ってプランナーだな。
政策の推進エンジンになってることは多い。
もちろん長州藩の代表というバックボーンがあるから
他藩が無視できないという面は大きいんだが。
オルガナイザーとしては微妙だが、
それは木戸の資質というか、
参議という地位だけでは省庁トップが動かないのも事実だからな >>255
40年くらい前から指摘されてるけど、
世良は大総督府の当初方針に忠実に行動したにすぎない。
そもそも当初から奥羽諸藩の協力を得て追討の方針だった。
恭順を正式に大総督府が呈示したのは開戦の数日前。
世良は勝手に交渉始めたら越権行為なんだよ。
だから、長州と親しかった米沢藩みたいに、
在京諸藩に奥羽情勢を伝えて私的に周旋を依頼してたところもある。
しいて言えば、奥羽情勢を見て妥協する柔軟性はあってもよかったかもしれないが、
世良はそういう方針で選ばれた人物じゃないからな。
だから世良が真面目な人物だったというのも、
奥羽側が世良に手を焼いたというのもともに間違いではない。 木戸はややマイナーなのにいつの時代もコアなファンついてるのが面白い
維新三傑でマイナーといったら怒られそうだが
木戸日記は難しいし創作物もそんなにないのにみんなどこから来るんだろう >>263
同意。
世良は単なる使者だからな。使者が勝手に動かれても困るわけで。
会津が降伏する以外は、世良はハネつけるしかなかった。
使者を殺して開戦の狼煙とするのも、古来からの作法?だし。 しかし世良一人を斬るだけならまだしも、仙台藩はチョーシこいてやり過ぎたんじゃないか
後ろから斬ったり金品分けたりむごたらしいわ
仙台の城下も焼き尽くすべきだったな 伊達政宗から歴史好きになったから仙台藩好きだし仙台にも旅行した
綺麗な街だったよ
でも戊辰戦争の時に仙台藩がやったことを知って少し見方が変わってしまった
残念だけど 大河出るかなどうかな
渋沢とはあまり関わりないしゲスト出演かね
つくづく花燃ゆの出来が惜しまれる
というか三傑の中で木戸だけ大河ないの悲しすぎるだろう
大久保も主役は無いと言えばないけど翔ぶが如くがあるし >>269
生まれる前の大河だからなあ
見たかったなぁ 花神見てた世代とまだ生まれてなかった世代がいるのかこのスレw 噂には聞いてたけど青木周蔵の木戸宛の手紙下品過ぎて草ですわね
チ⚪コの形状の説明して今度会ったらお風呂場で俺のチ○コ見せてあげますねって気が狂っていますわ
上司にこの手紙送りつけたの勇者すぎますわ 「大久保利通は金には潔白だった」ってよく言われるが
木戸はどうだったんだろ 木戸は、維新志士の中では珍しくお金持ちの家の生まれだったので、
お金に無頓着だったというエピソードはあるね。
財布が見つからないときに、「ネズミが持っていったんだろ」と気にしなかったとか。
明治時代になってからは、時計を集めたとか、別邸を買ったり松子に指輪を買ったりとか、
後輩たちをもてなしたりして、かなりお金を使っていたという話もある。
木戸が私腹を肥やしたとか、何らかの見返りに金を要求したという話は聞かない。 小野組転籍事件の木戸の評価が別れてるよな
小野組→槇村→木戸と金が流れていたと言ってる奴もいるし >>274
「木戸の家には常に10人ぐらい書生がいた」って談話があるね
政府の給金で賄えていたのか、多少くすねた金を国家のためにそうやって使っていたのか?w 政府の給金のほかに、賞典禄を毎年1800石もらっていたからね(秩禄処分で廃止されるまで)。
ちなみに長州藩士では、広沢1800石・大村1500石が別格で、山県有朋、前原一誠、山田顕義が600石もらっていたなどだけど、
伊藤博文や井上馨は賞典禄の対象にはなっていない。 藩士では西郷の2000石が最高、次いで木戸、大久保、広沢の1800石だね 豆知識
武士の100石取り:100石を取れる領地から納められる年貢が年収
時代や藩によって税率は異なるがおおよそ4割くらいだから、その武士の年収は40石=400斗となる。
一方、米俵1俵分の米はおよそ4斗なので、100石取りの武士の年収は大雑把に言って100俵分と同じ。
下っ端の藩士や旗本は領地を持たないので、給料として直接米をもらう。
30俵・2人扶持などと表記されるが、1人扶持=5俵なので、30俵・2人扶持は40俵に相当し、
武士としての年収は、40石取りの武士と同程度となる。
で、それはどれくらいの貨幣価値かと言えば、これまた大雑把に言って幕末〜明治では
1俵=1両=1円というのが目安。現在に換算すると数万円くらい。
ちなみに賞典禄の1石は領地1石とは異なり、1石=2斗5升であったので、およそ0.6俵分、つまり0.6両分くらい。
なので木戸の1800石は、1100両くらいになるので、現在の円に換算すると数千万円分くらいあったということになる。 例えば90石の桂家なら、
90石×数万円=現在に換算すると年収数百万円って事になるの? 100石取りぐらいで領地与えられるの?
それぐらいなら領地なし手取りで100石だと思ってた
領地貰えるのはもう少し大身じゃないの?
それだと手取りが40%になるかもだけど >>280
その通り。
でも小五郎の場合は、実家の和田家が藩医だったので、藩からの収入(石取り)+医者としての収入があった。
>>281
そうです。
例えば、吉田松陰先生の場合は武士として認められていた時は26石取り=年収26両だったww
これで両親含め弟姉妹を養っていたわけ。めちゃ貧乏。
で、脱藩した時以降は、武士としての位を剥奪されたので、この収入がパァ…
なので、松下村塾時代は実質農家だったんですよww
あとは、弟子たちからの寄付で生きていたんですww
付け加えて言うなら薩摩藩の志士たちも、同じくらい貧乏だったんですよ
薩摩藩は全国的に見ても、藩全体の石高の割には藩士数が多いので、ホントめちゃ貧乏。
名を残した志士の中で高収入だったのは、家老の小松帯刀くらい 実際、名を残した志士の中で高収入だったのは
薩摩では小松帯刀
長州では桂小五郎と高杉晋作
と思っているけど、他に異論があればお聞かせ願いたいです... おお、そうでしたね。ありがとん。
確かに井上家はかなり位の高い家柄でした。
敬親公の小姓を務めていたんでしたね。通称の聞多は敬親公から賜ったとか。 小姓勤めてた人と足軽の子がツーカーで一緒にイギリス留学行くって
長州藩は不思議なとこだ 木戸が18の時に父親から遺産として継いだ銀百貫と貸屋二十棟って現代だったらどのくらい
詳しい人いたら教えて 銀100貫=10万匁。
銀と金の交換は変動相場だけど、およそ金1両=銀50~60匁
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-14.html
1両=50匁で計算とすると、2000両。現代の価値にすると5千万円〜1億円くらい。
貸家の家賃収入は現代に比べるとはるかに安かったようだけど、詳しくは知らん。
https://realestate.yahoo.co.jp/magazine/ryoito/20150224-00000001 おおありがとう
他の家族とも分けてこの額だろうから和田家は本当にお金持ちですね笑 >>286
>>289
ほんと、そうだと思います。
長州藩は、関ヶ原の敗戦で萩に追いやられたときに、多くの家臣をクビにしなくては
いけなくなり、それが郷士とか農民になったという歴史があって、農民らの教育水準は
高いし、身分差もあまり大きな問題にならなかったという背景がありますね。
何より、敬親公は財政改革に力を入れたし、自らは質素な暮らしをしていたということで
上士・下士はもちろん、商人・農民からも敬愛されていたということも大きいと思います。
藩内の見回りをした時に、お供の人が農作業中の農民に頭を下げよと命じたら、農民の作業を
妨げるなら余は悪領主である、と言ってそのお供を咎めたというエピソードがあります。
江戸の世になって、武士はお金に関わらないのが美徳とされるようになりましたが、
薩長らの雄藩は、世の中の経済感覚を常に持ち続けていたというのも大きいと思います。
薩摩の大久保は貧乏武家の出身なのでお金の件で誤解されて暗殺されましたが、
木戸はお金の使い方を心得ていたが故に、お金に関する悪い噂が流れなかったと
想像してます。
井上馨の件は・・・・まあ、アレですねww
会津派の人たちが、木戸が井上をかばったということにしたいようですけど、
それを裏付ける事実は見当たらないですね。
井上馨は、高杉同様「藩のカネは俺のカネ」という感覚の持ち主ですww
(高杉に比べれば、馨なんて小物ですよ)
だからこそ、長州ファイブの山尾・野村(井上勝)は留学費用をなんとかするため
井上馨をメンバーに引き入れたんです。
馨の場合は、明治になっても「商人のカネは俺のカネ」としてしまったのが失敗ですね。。。
なので、今回の大河で井上馨がどう描かれるか、とても楽しみです。 広沢真臣も100石なので長州藩の中では上流ですね
なので井上と同じく松下村塾には入門していません
上流出身で松下村塾に入った高杉が異例なんですな 「又木戸準一郎(孝允)さんも時々見へました。此れは又俊坊々々とお呼捨でありましたが、伊藤さんはハイハイと云つて居られました。伊藤さんは其時三十一歳。私は廿一歳でございました」
鉄道−明治創業回顧談より 「俊坊」つってたのか可愛いな!呼んでる方も呼ばれてる方もふたりとも可愛い 伊藤が31歳というと、明治5〜6年の頃か。
これを語っているのは誰? このまま電子の海に消えるにはあまりに伝説なので
木戸日記のやつ
http://web.archive.org/web/20131119194438/http://www.eonet.ne.jp:80/~piccadilly/gass/siryou.htm >>292
これ春畝の聞き間違いなんじゃないか?と疑っているw >>296
ああ、これ観たことあったけど、消えちゃったんか。残念です。
でも保存してくれた人、ありがと〜!
木戸孝允館が消えないこと、祈ってます〜! >>292
むしろ、木戸が俊坊と呼んでいたので、春畝を号にした説を推すww この木戸から近衛を片手で締めあげてそうなあの世にも恐ろしい孫(大甥)が産まれるの人類の神秘を感じる >>287
手元にある「醒めた炎」によると、和田家の遺産が
動産:銀73貫900(端数の単位は不明)
不動産:長屋3組と1軒
で、
小五郎が相続したのが、銀10貫(=当時のレートで金170両)だそうです。
>>288は大過ぎで、現代の価値で言えばせいぜい1000万円前後でしょう。 ユーチューブで年末時代劇「奇兵隊」を見たが、木戸夫人の顔が意外と大きかった。 よく新政府樹立って言うけど、「樹立」っていうほど立派なもんじゃないだろうと思う。 デキちゃったって言うわけにもいかないからしょうがねえだろ 慶喜公伝は一級の幕末資料であれまで叩くのは歴史が嫌いな人だろう
膨大な伝記や自伝というけど栄一本人は聞かれて語っただけで本人は出版する気もなくという感じだな
岩波の雨夜譚も昭和59年だからな需要が合って供給されたといったとこ論語と算盤は伝記というよりビジネス書
栄一の伝記書いてるのは弟子や孫だったり商業作家だったり栄一の膨大な資料は孫の敬三が残して近代史の資料になってる
敬三は民俗学やってて日銀総裁の時には田中啓文の古銭コレクションを預かってそれは貨幣博物館にある
幕府が欧米列強のカモじゃなかったとか現実無視もいいとこだな
お前が個人的に嫌うのは自由だが栄一の慶喜公伝が一級の歴史資料なのは事実だからしょうがないね
あれで幕末描いてる作品どれだけあるだろうかというほどだよ
Web上でも見れる栄一の伝記資料は孫の敬三が栄一の伝記を作ろうと思ってたが
これは全部そのまま残すべきものだ彼が判断して残したもので膨大な量なのでそのまま資料館になったとか 某スレで出てたけど @kidoshogiku ってツイッターアカウントが
1日1回木戸孝允日記の現代語訳ツイートしてるのですごくよい 木戸孝允日記現代訳ツイッターが廃藩置県のくだりにさしかかってめちゃくちゃ熱い
ずっと廃藩置県を望んでいたことそれに際していかに主体的に動いたかがよく分かる 大河に姿形は見当たらないが名前だけチラチラ出ていて面白いw 出てこないの残念だが木戸がいない世界線に迷い込んだみたいでそういった意味では面白い >>314
NHKのSFドラマ「幕末高校生」は
桂小五郎が暗殺された世界線だった。 >>316
高校生たちがタイムスリップして
「桂小五郎さんは明治10年まで生き残る人だから、この人のそばにいれば安全だろう」
と考えていたら、桂が暗殺されてしまった。
改元はされたが元号は明治ではなく光文。 実際の渋沢は木村太郎似のブサだけど、
吉沢渋沢に「あのイケメンの木戸さん?」って
言われるのはどのぐらいイケメンになるんだ? 桂・渡辺は越後以来の毛利譜代家臣(上士)
井上・山縣は吉田郡山入部以降の安芸の土豪(中士)
伊藤(林)は農民から下士に養子入り ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています