松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう15
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骨董品好き、植木好き、世話好き殿好き恩師好き。
そんな木戸について引き続き語っちゃげて。
前スレ
松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう14
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1342871083/
・sage推奨。荒らし、コピペ、脱糞君、age君は華麗にスルー。
・幕末明治に関する小説、TVやドラマの話題もOK。
・木戸周辺の人たちの話題も歓迎。
・ここ見て木戸が気になった人は松菊木戸公傳・木戸孝允日記・木戸孝允文書・木戸孝允遺文集・木戸孝允関係文書などを読んでみよう。
大きな図書館には大抵あるよ!
・木戸に関する論文や小説は>>2以降参照 伊達政宗から歴史好きになったから仙台藩好きだし仙台にも旅行した
綺麗な街だったよ
でも戊辰戦争の時に仙台藩がやったことを知って少し見方が変わってしまった
残念だけど 大河出るかなどうかな
渋沢とはあまり関わりないしゲスト出演かね
つくづく花燃ゆの出来が惜しまれる
というか三傑の中で木戸だけ大河ないの悲しすぎるだろう
大久保も主役は無いと言えばないけど翔ぶが如くがあるし >>269
生まれる前の大河だからなあ
見たかったなぁ 花神見てた世代とまだ生まれてなかった世代がいるのかこのスレw 噂には聞いてたけど青木周蔵の木戸宛の手紙下品過ぎて草ですわね
チ⚪コの形状の説明して今度会ったらお風呂場で俺のチ○コ見せてあげますねって気が狂っていますわ
上司にこの手紙送りつけたの勇者すぎますわ 「大久保利通は金には潔白だった」ってよく言われるが
木戸はどうだったんだろ 木戸は、維新志士の中では珍しくお金持ちの家の生まれだったので、
お金に無頓着だったというエピソードはあるね。
財布が見つからないときに、「ネズミが持っていったんだろ」と気にしなかったとか。
明治時代になってからは、時計を集めたとか、別邸を買ったり松子に指輪を買ったりとか、
後輩たちをもてなしたりして、かなりお金を使っていたという話もある。
木戸が私腹を肥やしたとか、何らかの見返りに金を要求したという話は聞かない。 小野組転籍事件の木戸の評価が別れてるよな
小野組→槇村→木戸と金が流れていたと言ってる奴もいるし >>274
「木戸の家には常に10人ぐらい書生がいた」って談話があるね
政府の給金で賄えていたのか、多少くすねた金を国家のためにそうやって使っていたのか?w 政府の給金のほかに、賞典禄を毎年1800石もらっていたからね(秩禄処分で廃止されるまで)。
ちなみに長州藩士では、広沢1800石・大村1500石が別格で、山県有朋、前原一誠、山田顕義が600石もらっていたなどだけど、
伊藤博文や井上馨は賞典禄の対象にはなっていない。 藩士では西郷の2000石が最高、次いで木戸、大久保、広沢の1800石だね 豆知識
武士の100石取り:100石を取れる領地から納められる年貢が年収
時代や藩によって税率は異なるがおおよそ4割くらいだから、その武士の年収は40石=400斗となる。
一方、米俵1俵分の米はおよそ4斗なので、100石取りの武士の年収は大雑把に言って100俵分と同じ。
下っ端の藩士や旗本は領地を持たないので、給料として直接米をもらう。
30俵・2人扶持などと表記されるが、1人扶持=5俵なので、30俵・2人扶持は40俵に相当し、
武士としての年収は、40石取りの武士と同程度となる。
で、それはどれくらいの貨幣価値かと言えば、これまた大雑把に言って幕末〜明治では
1俵=1両=1円というのが目安。現在に換算すると数万円くらい。
ちなみに賞典禄の1石は領地1石とは異なり、1石=2斗5升であったので、およそ0.6俵分、つまり0.6両分くらい。
なので木戸の1800石は、1100両くらいになるので、現在の円に換算すると数千万円分くらいあったということになる。 例えば90石の桂家なら、
90石×数万円=現在に換算すると年収数百万円って事になるの? 100石取りぐらいで領地与えられるの?
それぐらいなら領地なし手取りで100石だと思ってた
領地貰えるのはもう少し大身じゃないの?
それだと手取りが40%になるかもだけど >>280
その通り。
でも小五郎の場合は、実家の和田家が藩医だったので、藩からの収入(石取り)+医者としての収入があった。
>>281
そうです。
例えば、吉田松陰先生の場合は武士として認められていた時は26石取り=年収26両だったww
これで両親含め弟姉妹を養っていたわけ。めちゃ貧乏。
で、脱藩した時以降は、武士としての位を剥奪されたので、この収入がパァ…
なので、松下村塾時代は実質農家だったんですよww
あとは、弟子たちからの寄付で生きていたんですww
付け加えて言うなら薩摩藩の志士たちも、同じくらい貧乏だったんですよ
薩摩藩は全国的に見ても、藩全体の石高の割には藩士数が多いので、ホントめちゃ貧乏。
名を残した志士の中で高収入だったのは、家老の小松帯刀くらい 実際、名を残した志士の中で高収入だったのは
薩摩では小松帯刀
長州では桂小五郎と高杉晋作
と思っているけど、他に異論があればお聞かせ願いたいです... おお、そうでしたね。ありがとん。
確かに井上家はかなり位の高い家柄でした。
敬親公の小姓を務めていたんでしたね。通称の聞多は敬親公から賜ったとか。 小姓勤めてた人と足軽の子がツーカーで一緒にイギリス留学行くって
長州藩は不思議なとこだ 木戸が18の時に父親から遺産として継いだ銀百貫と貸屋二十棟って現代だったらどのくらい
詳しい人いたら教えて 銀100貫=10万匁。
銀と金の交換は変動相場だけど、およそ金1両=銀50~60匁
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-14.html
1両=50匁で計算とすると、2000両。現代の価値にすると5千万円〜1億円くらい。
貸家の家賃収入は現代に比べるとはるかに安かったようだけど、詳しくは知らん。
https://realestate.yahoo.co.jp/magazine/ryoito/20150224-00000001 おおありがとう
他の家族とも分けてこの額だろうから和田家は本当にお金持ちですね笑 >>286
>>289
ほんと、そうだと思います。
長州藩は、関ヶ原の敗戦で萩に追いやられたときに、多くの家臣をクビにしなくては
いけなくなり、それが郷士とか農民になったという歴史があって、農民らの教育水準は
高いし、身分差もあまり大きな問題にならなかったという背景がありますね。
何より、敬親公は財政改革に力を入れたし、自らは質素な暮らしをしていたということで
上士・下士はもちろん、商人・農民からも敬愛されていたということも大きいと思います。
藩内の見回りをした時に、お供の人が農作業中の農民に頭を下げよと命じたら、農民の作業を
妨げるなら余は悪領主である、と言ってそのお供を咎めたというエピソードがあります。
江戸の世になって、武士はお金に関わらないのが美徳とされるようになりましたが、
薩長らの雄藩は、世の中の経済感覚を常に持ち続けていたというのも大きいと思います。
薩摩の大久保は貧乏武家の出身なのでお金の件で誤解されて暗殺されましたが、
木戸はお金の使い方を心得ていたが故に、お金に関する悪い噂が流れなかったと
想像してます。
井上馨の件は・・・・まあ、アレですねww
会津派の人たちが、木戸が井上をかばったということにしたいようですけど、
それを裏付ける事実は見当たらないですね。
井上馨は、高杉同様「藩のカネは俺のカネ」という感覚の持ち主ですww
(高杉に比べれば、馨なんて小物ですよ)
だからこそ、長州ファイブの山尾・野村(井上勝)は留学費用をなんとかするため
井上馨をメンバーに引き入れたんです。
馨の場合は、明治になっても「商人のカネは俺のカネ」としてしまったのが失敗ですね。。。
なので、今回の大河で井上馨がどう描かれるか、とても楽しみです。 広沢真臣も100石なので長州藩の中では上流ですね
なので井上と同じく松下村塾には入門していません
上流出身で松下村塾に入った高杉が異例なんですな 「又木戸準一郎(孝允)さんも時々見へました。此れは又俊坊々々とお呼捨でありましたが、伊藤さんはハイハイと云つて居られました。伊藤さんは其時三十一歳。私は廿一歳でございました」
鉄道−明治創業回顧談より 「俊坊」つってたのか可愛いな!呼んでる方も呼ばれてる方もふたりとも可愛い 伊藤が31歳というと、明治5〜6年の頃か。
これを語っているのは誰? このまま電子の海に消えるにはあまりに伝説なので
木戸日記のやつ
http://web.archive.org/web/20131119194438/http://www.eonet.ne.jp:80/~piccadilly/gass/siryou.htm >>292
これ春畝の聞き間違いなんじゃないか?と疑っているw >>296
ああ、これ観たことあったけど、消えちゃったんか。残念です。
でも保存してくれた人、ありがと〜!
木戸孝允館が消えないこと、祈ってます〜! >>292
むしろ、木戸が俊坊と呼んでいたので、春畝を号にした説を推すww この木戸から近衛を片手で締めあげてそうなあの世にも恐ろしい孫(大甥)が産まれるの人類の神秘を感じる >>287
手元にある「醒めた炎」によると、和田家の遺産が
動産:銀73貫900(端数の単位は不明)
不動産:長屋3組と1軒
で、
小五郎が相続したのが、銀10貫(=当時のレートで金170両)だそうです。
>>288は大過ぎで、現代の価値で言えばせいぜい1000万円前後でしょう。 ユーチューブで年末時代劇「奇兵隊」を見たが、木戸夫人の顔が意外と大きかった。 よく新政府樹立って言うけど、「樹立」っていうほど立派なもんじゃないだろうと思う。 デキちゃったって言うわけにもいかないからしょうがねえだろ 慶喜公伝は一級の幕末資料であれまで叩くのは歴史が嫌いな人だろう
膨大な伝記や自伝というけど栄一本人は聞かれて語っただけで本人は出版する気もなくという感じだな
岩波の雨夜譚も昭和59年だからな需要が合って供給されたといったとこ論語と算盤は伝記というよりビジネス書
栄一の伝記書いてるのは弟子や孫だったり商業作家だったり栄一の膨大な資料は孫の敬三が残して近代史の資料になってる
敬三は民俗学やってて日銀総裁の時には田中啓文の古銭コレクションを預かってそれは貨幣博物館にある
幕府が欧米列強のカモじゃなかったとか現実無視もいいとこだな
お前が個人的に嫌うのは自由だが栄一の慶喜公伝が一級の歴史資料なのは事実だからしょうがないね
あれで幕末描いてる作品どれだけあるだろうかというほどだよ
Web上でも見れる栄一の伝記資料は孫の敬三が栄一の伝記を作ろうと思ってたが
これは全部そのまま残すべきものだ彼が判断して残したもので膨大な量なのでそのまま資料館になったとか 某スレで出てたけど @kidoshogiku ってツイッターアカウントが
1日1回木戸孝允日記の現代語訳ツイートしてるのですごくよい 木戸孝允日記現代訳ツイッターが廃藩置県のくだりにさしかかってめちゃくちゃ熱い
ずっと廃藩置県を望んでいたことそれに際していかに主体的に動いたかがよく分かる 大河に姿形は見当たらないが名前だけチラチラ出ていて面白いw 出てこないの残念だが木戸がいない世界線に迷い込んだみたいでそういった意味では面白い >>314
NHKのSFドラマ「幕末高校生」は
桂小五郎が暗殺された世界線だった。 >>316
高校生たちがタイムスリップして
「桂小五郎さんは明治10年まで生き残る人だから、この人のそばにいれば安全だろう」
と考えていたら、桂が暗殺されてしまった。
改元はされたが元号は明治ではなく光文。 実際の渋沢は木村太郎似のブサだけど、
吉沢渋沢に「あのイケメンの木戸さん?」って
言われるのはどのぐらいイケメンになるんだ? 桂・渡辺は越後以来の毛利譜代家臣(上士)
井上・山縣は吉田郡山入部以降の安芸の土豪(中士)
伊藤(林)は農民から下士に養子入り ツイッターで桐野作人が「池田屋事件で桂小五郎はどこにいたのか?」て話をしてるな
・池田屋にいて屋根伝いに逃げた説
・向かいの老婆の家にいた説
「池田屋にいて逃げた」説は醒めた炎でも否定されてたし消えてるもんだと思ってたが史学界では残ってるらしい 池田屋って三方が道でもう一方が川だか用水路だかじゃなかったっけ
どうやって屋根伝いに逃げるんだろ >>320
> ・向かいの老婆の家にいた説
これは新説だな。盲点だ。 >>320
ほんとしょーもないことばっかだなアホは
渋沢だの勝だのが何したのと?「ただ時勢そのままに働いた幕吏」を持ち上げるのホントアホらしいわ
岩倉大久保木戸主役にした大河ドラマでもできないもんかなと思うけどね
大久保木戸は余裕でリンカーンだのワシントンだの超えるわ <岩倉大久保木戸主役にした大河ドラマでもできないもんかなと思うけどね>
↑
そう思うね。
幕末・維新の歴史を少しでも知っている人なら、功績において、
この三人がトップスリーだという点では意見が一致していると思うけどな。
この三人を主役とした本格的な大河を熱望する。 >>324
ショート黒江を主人公にした巨人軍9連覇ドラマができないのと同じ理由。 9連覇時代の万年Bクラスのチームのレギュラー坂本や本来なら悪役の新選組をヒーローにするというわけのわからんことを司馬がやったからな >>325
木戸高杉=王長島
坂本土方=名も知らん選手 >>325
岩倉の大久保・木戸に対する評価
「木戸は先見あるも、すねて不平を鳴らし、表面に議論をせず、陰に局外の者へ何かと不平
噺をなすは木戸の弊なり。大久保は才なし、史記なし、只確乎と動かぬが長所なり」 土方は倉田ではないね
選手(志士)ではない、選手(志士)を取り締まってた側だからね
審判かな >>324
個人的には嫌いではないが岩倉具視は黒すぎて画けないんだろ 木戸も相当は策謀家であったのではないかな。
なにせ、あの大動乱時代を生きぬいた男。
広沢の暗殺や、前原の処刑には当時、木戸の謀略とのうわさがあった。
根拠はなく、木戸も否定しているが、うわさがたったこと自体、木戸は
権謀術数を駆使する人間と思われていたのでは。 西郷吉之助隆盛「木戸どんはクリーンでごわす! おいどんが請け合いもす。のう、一蔵さあ」
大久保一蔵利通「うむ?‥‥む、むう‥‥」 伊藤・井上「西郷さん! 大久保さん! 心強い!」
山県(ポケー 山田「グスッ‥‥前原さん‥‥広沢さん‥‥大村さん‥‥僕はぁ‥‥僕はぁ‥‥」
品川「どうしたんじゃ市之丞?」 >>337
西郷「よかでごわすよかでごわす」
大久保「む‥‥うむ」 司馬史観は結局司馬の主観、好き嫌いだからな
歴史上の好きな人物は悪人でも善玉にして(土方など)、善人でも悪玉にする(木戸など)
一個人の「好き嫌い」に歴史学者も物書き、ライターもいいだくだくと従ってるのがこの国の数十年間に渡る実情よ 司馬が木戸を詳細に描いたのが花神だけならまだよかった
もっともメイン的に扱った話が逃げの小五郎ただ一作のみだったってのがね
実際には逃げの〜なんて呼ばれた事なかったのに
あのタイトル強烈すぎ 花神では、善玉だが、才のない凡人。
逃げ〜では、逃げまくって明治まで生き抜いたのが木戸の功績であり、
明治になってからは、さほどの仕事もしていないと言い切っている。
司馬にとっては維新三傑ではなく、まるで二傑のようだ。
司馬作品には悔しい思いをしているが、最近、進んでいる司馬史観の見直しに期待したい。
例えば、町田明広氏は「新設坂本龍馬」の中で司馬の作品には事実誤認が散見され、
時には作為的な匂いすら漂うと述べている。 司馬遼太郎が描き切れなかったと自認してる西郷南洲翁は超別格の存在だな
木戸孝允より群を抜いてる どんな大物でも功罪を論じなければ気が済まない司馬遼太郎が文句なしに持ち上げてる人物が薩摩の島津斉彬なんだよな。
その島津斉彬が見いだしたのが西郷南洲翁だから司馬遼太郎でも描き切れないのも当然かもしれない。 薩摩age、島津age、西郷ageはスレ違い
過疎ってる当該スレで独りでシコシコやってて
ここにシャシャリ出てこなくていいから
誰も興味ないよ 西郷、大久保、岩倉。
通説通りこの3人がいなければ維新は失敗してたが
木戸孝允はどれくらい貢献してるんだろうか?
まだ高杉のが貢献してるんじゃないかよと 司馬は長州藩では親分肌の存在を許さないと言ってたからな
木戸は兄貴分だから西郷、大久保みたいな大物感が薄い
木戸が薩摩藩士ならば大久保以上の宰相になってそうなのに >>350
長州が第二次征長で幕府軍を討ち破らなければその3人は歴史の重要な局面に登場すら出来ず出番はなかったよ
その3人は安全なところで様子見して風向きを見てたからね
長州の指揮を執ったのは木戸だ 一人必死な薩ヲタがいて大河板とこっちの板で長州さげ木戸さげ頑張ってるな >>323-324
ここでは大久保あげのために木戸あげするフリまでしてるしな
なんかもう必死でしょう by 松本 しかし木戸孝允の不幸は巨人、巨頭、巨魁の出現を許さない長州藩に生まれたことだ
薩摩藩士ならば大久保利通を超えてそうな500年の1人の大宰相になれる能力はあるのに >>352
それはどうにもでもいえるよ。
薩摩藩が参加してたら幕府の第二次長州征伐で完膚なきまで滅ぼされた。
全ては薩摩藩の手のひらで踊らされてただけとも言える まあ、薩摩は第二次長州征伐の時に200人でいいから長州方の援軍として出兵してれば面目が立ったんだがやってないからな
単独で幕府軍を倒した長州の勝ち馬に乗ったと誹られても仕方がない >>355
また白々しい木戸あげ
>>356
>薩摩藩が参加してたら幕府の第二次長州征伐で完膚なきまで滅ぼされた。
ん?
しどろもどろで意味不明になってるよ
薩摩藩は幕府方だったのか?
なら何も維新に貢献することなんかなかったじゃん
無意味な仮定 長州が幕府を倒しちゃったから薩摩は長州側に「付かざるを得なかった」んだよ
長州が “歴史の流れ” を決めちゃった
薩摩は追従しただけ
“キングメーカー” は長州だ 薩摩が第二次征長に参加しなかったから長州藩は幕府に勝利できたんだろうが。
実際に薩摩藩が参戦した禁門の変では死滅寸前まで追い込まれたが、
薩摩藩が長州藩の処分を軽くするように幕府にお膳立てしてくれたから生き残れたわけだ。 薩摩的には「これは遅れを取るわけにいきもはんど。長州のはらからどもに神州を牛耳られてしまいもす」みたいな感じで
あわてて参戦したわけ >>360
だから「薩摩が幕府方だったら」なんて世界線(笑)の話なんて無意味だよ
だったら長州が佐幕の藩だったらそもそも長州征伐なんて勃発しない
「たられば」の話なんてミジメだからやめれば? 司馬じゃないけどキングメーカーは西郷、大久保、岩倉なんですけど?
長州が倒幕したなんて本気で言ってるのお前だけだよw
薩摩が幕府側なら幕府が勝利して反幕側なら幕府は負ける
これだけの話w
だからこそ西郷、大久保、岩倉しか史学では取り上げられない 禁門の変で会津相手にはいい勝負できても薩摩相手に惨敗してた長州だが
西郷が将来の討幕の駒用に長州藩を軽い処分で終わらせてくださって生き残れたのが長州藩w 薩摩藩が幕府側→長州惨敗
薩摩藩が反幕府側→かろうして長州勝利
キングメーカー大久保利通がいる薩摩の手の平に全日本国が踊らされてただけ つまりID:nh8S8qQH0は「もし薩摩が幕府方だったら」と言ってるわけだから、そういう仮定が成り立つくらい薩摩は
風見鶏的立場だったということだ
それは薩摩ヲタですら認めるわけだな
対してずっと尊王攘夷をひた走ってる長州に関しては「もし佐幕派だったら」なんて仮定が成り立たないくらい立場が
守備一貫してるということだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています