最近安易に流行ってる「明治維新否定」って何なの?
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明治維新150年を期に、政府の思惑とは裏腹に明治維新をディスる
明治維新否定が流行っている模様。
先人が大変な苦労をして成し遂げた明治維新を否定して「江戸時代に戻せ」って
ホントにそれでいいの? 日本人がナチスドイツと似通った選民意識を持つようになったのは
明治維新以降。 日本人は西洋人を(南から来たから)南蛮人と(清の人とは違う意味で)言った。
西洋人は人種差別をしたし、清の人は上下差別をした。いずれも思想宗教的なもの。
でも日本では基本、差別をしなかった(例外は浸透力の強い耶蘇教で彼らは日本人を捕まえて奴隷として持ち帰ったと判明して秀吉は怒ったという)
江戸時代は士農工商と昔は習ったが、武士は軍人&警察みたいもんで訓練とか規律など大変で、人前で抜刀すると罰は切腹だから只事でない。
西洋白人は周辺国を侵略するし、有色人種を奴隷にするし、命令を聞かないと殺しまくる。チェスみたいもんだが日本の将棋は殺さずに生かす。しかし奴隷にはせず駒の格は同等とする。
戦国時代でも日本では幟を立てて「やあやあ我こそは〇〇・・・」とまるで芝居のようで、農民は手弁当?で見物したというからあきれる。敵に塩を送れば観客は拍手喝采だったろう。
例外は信長で「このまま内戦が続くと駆り出される民百姓が不憫」と、心を鬼にして鉄砲という卑怯な武器を量産して平定に乗り出した。
その意を汲んで秀吉は刀狩りをしたし、家康は江戸幕府を開き260年の平和を守らせた。
これが世界的にかなりの大平和だったが、小戦争を続けたい西欧との断絶を破られて「戦争ごっこ」のお友達になった。
それからというもの富国強兵をずっと続けて民の負担はなかなか大変で日本も消費税を増やすとか。
「い出よ現代の信長」ってな主張があるようだが、問題の根っこは差別であり、元は宗教なのだから、
チャンバラよりチャランケが宜しい訳で、双方の頭目が座を一つにして合意するまで語り明かす。
納得がゆくまで何日でも何か月でも語り合えばよい。それがアイヌ語のチャランケ。
何千万年も殺し合う恐竜より、何年でも語り合えるのが人間だ。 アメリカ映画「ラストサムライ」をもう一度見てみよう
というのは、この映画は日本の映画では決して見られないタブーが映っている
日本では、そういうタブーを映画化されないように映画監督は全て朝鮮人にしている
さて、タブーなのは、どのシーンだろうか? >でも日本では基本、差別をしなかった
なんだこの低能はよ
そこから先は読む気しなくなったわ
無知な低能はうせろ >>456
いや、ニワカはその辺でググった文久改革の文字面だけ見てるお前さん。
ちゃんと専門書読んで文久改革の実態の評価を知ってればそんな結論出てこない。
まず人事面で言えば政事総裁職・将軍後見職という新設職は
幕府諸役人の非協力に直面し、ほとんど意味を持たなかった。
慶喜・慶永らはあくまで在京して禁裏に伺候したことにより独自の権威付けを持つ。
また陸軍改革も文久以前の堀田政権の段階から構想されている。
安政の段階で歩騎砲の三兵による近代陸軍建設構想が既にあるし、
参勤交代制の緩和は幕府の改革とは全く関係ない(諸侯に対する措置であるため)
しかも島津久光らはそこまで要求したわけではない。あくまで人事面が中心。
その人事面でも、江戸においては幕府有司の抵抗に直面しあまり実効性がなかったのは前述の通り
たとえば再度鎖港の是非の議論においては、三役たる慶喜・慶永・容保らが配慮を示したのに対し、
小栗忠順ら実務系吏僚は激しく反発し争論に及び、事実上棚上げ状態になってしまっている
幕府側がそれを契機として諸改革を行っただけで、「薩摩藩の影響」などさして大きくない >田沼以降ほぼ公的に止められてた洋学研究、推進の再開もスルー
これに至っては「何のこと?」としか言いようがない。
おそらく蕃書調所の格上げや開成所設立のことを言ってるんだろうが、
べつにそれまで洋書研究が禁じられていたなどという噴飯ものの事実など存在していない
ネットしか見てないからそういうバカなこと考え付くんだよ… >>458
だから国家意識はあるって。
北は蝦夷から南は喜界島、西は対馬に至るまで
日本国の領域がほぼ確定して意識されたのが江戸時代。
もちろんその後の蝦夷・樺太・千島などの探検によってさらに北に拡大していくが。
もし領域国家の意識がなければ、ラクスマン来航「以前」の段階で
千島に南下してきたロシアに対してあれほど反応しないよ馬鹿か それとID:3nb35Xw00は久光率兵行動の影響を
なぜか「人事干渉後の江戸幕府の施策」に限定して論じているが
久光の行動の影響はまず国事御用書記設置などの朝廷改革に現れている。
朝廷改革があって初めて下流にあたる幕府人事が意味を持つのだから、
彼は久光の行動をむしろ矮小化してるとしか言いようがない。 改めてID:3iMEgxSQ0がどんだけアホで無知なのかがよくわかった 本気で改革するつもりなら、まず大奥潰すか縮小すべきでしょ 王政復古(大日本帝国、誕生)
↓
鳥羽・伏見
↓
江戸城、無血開場
↓
戊辰戦争
↓
函館戦争
↓
佐賀・萩の乱
↓
西南戦争
↓
日清戦争
↓
日露戦争
↓
大東亜戦争(大日本帝国、滅亡) 文系バカはヒトラーでもなんでも歴史上の人物は自分の意思で動いていたと考える
思考力が無いので本に書いてないことには考えが及ばない
同様に日本が行った数々の戦争も当事者の意思で行われたと考えてしまう
それが致命的だ
無駄に生きてるなと思ってしまう 文書に書かれていないことを思考力(笑)で埋めて立派な陰謀論者の出来上がりw >>471
↑の履歴書には例えば〜年〜学校入学・〜年卒業・・・・・の「間」には
無いも無いのかな?
www 陰謀論者は歴史の隙間を埋めると称しながら実際は単に勉強不足なだけ 参勤交代はそんなに悪いものじゃなかった。
武装した大名行列は出陣のリハーサルともいえる軍事訓練。
長く戦をしなかった江戸時代の日本の防衛力がしっかり
していたのは参勤交代の効果。
さらに街道の宿場町のインフラを整え経済を活性化させて
そこに住む人々の暮らしを潤した。
大名家の散財で経済活動が活性化といえばそれまでは
戦国時代方式の戦費ばかりだったから、人死が出ないように
うまくやっていたなぁ。 >>440
ちゃう。
明治から根付いたのは「日本国民」という概念な。
単なる「日本人」とは違う。 制度としての参勤交代は世界史上で類例はないんじゃないのか
知らないだけかもしれないけれども >>476
欧米だと社交シーズンの謁見が参勤交代に近いんじゃないの?
徳川幕府も、参勤交代がなかったら地方との繋がりを維持する方法は
なくなって戦国時代再びになっていた。幕藩体制が長期安定政権に
なることもできなかった。
幕末に地方分権方式をやめて「中央集権国家にしたい」って言うのは
「世界征服したい」っていうのと同義。
何ぶっ飛んだこと言ってんだ?
電信の普及していない時代の連絡網は基本文通。
非常用の最速便だと狼煙と伝言。より具体的な文書を送るときの
緊急だと早馬だった。
地方自治の要の文化を潰すがごとく既存の制度を全破壊して
廃仏毀釈もやらかして「明治維新の功績はスゴイ」とのことだが、
それ、当時のサイレントマジョリティーの視点からだと「凶行」に
見えたんじゃないかな。 議会制の地域だと会期(たいてい春から)に議席をもつ当主が議会に毎年
あつまることになるんだけれども、それはせいぜい当主と側近だけの話しで
大名行列のようなものではないものな。とはいえ、規模は違えども、制度と
して本拠地と中央を定期的に往復させていたという点ではあんがい普遍性が
あるのかもしれんね 大藩である長州・佐賀あたりは内々で分家らに参勤やらせていたからねwww
その分家らは普通に江戸まで参勤あるというのに >>468
大奥経費は安政で20万両だけど
幕府の歳入が激増した関係で支出としての比率は小さくなっている
大奥経費が幕府財政を圧迫してたというのは歳入規模が小さかった安政以前の話 >>456
薩摩藩の影響とか言い出したら、
そもそも斉彬が藩主になれたのは阿部正弘の後押しだし
ペリー来航情報とか琉球問題とかフリーバンキング黙認とか
色々ひっくるめて幕府から優遇されまくってたんだから
薩摩藩の改革こそ「幕府の影響」によるという話になるよね 明治維新否定にしても
明治維新よりもっと良くなった派と
江戸時代が良かった派に分かれるだろうな 明治維新という事象を否定する人間は誰もいない
それは起きたことだから良いも悪いもない
ただ「特定の政治勢力でなければ近代化できなかった」
というドグマが成立しないだけ 江戸時代は18世紀はいいと思うよ。楽しそうだし。
でもそのイメージで江戸幕府のほうがよかったとか言っても時代遅れだよ。
もう19世紀の世界に対応できてなかったから倒さなきゃって気運が
高まったんだし正しかったと思う >>488
幕府が19世紀の世界に対応できなかったのは
薩長が足引っ張ったからじゃね? んな事いえば徳川以前の鎌倉・室町等々にも言える話よね?と >>489
不平等条約結んだのと薩長に何の関係が? 幕藩体制の下では不平等条約はあんがい整合性あったんじゃないのか。幕府と英国との
紛争は幕府が責任をもって処理できても、薩摩と英国との紛争に幕府がひっぱりださ
れるなどまっぴらだという感覚では。 江戸幕府の幕末外交は19世紀の非欧州諸国としては相当優秀だったのは確か
薩長でなければ近代化できなかったなんてことは絶対にない
というか薩長が政権取ったのは通商条約と開港場にすべて勅許が下りた後、
面倒なことを全部やってくれた後に出てきただけ
もし1つでも勅許下りてなかったら相当大変なことになっただろうね >>488
倒幕機運が高まったのは「19世紀の世界に対応できなかったから」ではない
倒幕というより朝廷と一橋慶喜が結託して輿論を反映しない(と思われた)
体制に対して不満が高まっただけ(実際、大政奉還後にふたを開けてみるとそうでもなかった)
だから西郷吉之助も慶応3年8月に「弊藩にては討幕は仕らず…時宜により討将軍之綸旨」
というにとどまっている。何を根拠にそんな思い込みしてるんだろうね 最近は明治の産業発展の基礎は幕営軍需工業や藩営製糸場にあるとされてるからな。 >>494
>朝廷と一橋慶喜が結託して
何年の話をしてるの?そんなずっと前より倒幕気運は
高まっていたんですが。
>だから西郷吉之助も慶応3年8月
西郷の意見がすべてなの?アホかこいつ 幕末の争いは
政治は天下の公論で動かすべきという手続き政治体制の争いだったんだが
それぞれ考える公論の違いから倒幕廃藩置県になった
しかし薩長が天下を取ってから藩閥政治を初めて元の木阿弥に戻ってしまった
議会政治も大正の一時期機能しただけで、軍部が支配する体制に戻ってしまう >>496
「倒幕」を藩レベルで採用した所は1つもないし、
武力討幕も志士の妄想もしくは夢想にとどまり現実性のある計画なんて1個もない
ましてや圧倒的多数を占める穏健派中間派にとっては「朝幕協調」は課題でこそあれ
協調する一方当事者である幕府の打倒などとんでもないこと
少しはまともな本読んでごらん >>496
>西郷の意見がすべてなの?
あとにも先にも慶応3年6月以降に薩摩藩強硬派が計画した幕府制廃止政変以外に
「倒幕」と呼べる組織だった運動がないんだから、西郷吉之助の認識が唯一というほかないじゃん
その西郷吉之助の政変計画にしてからが無謀、杜撰と言う評価を浴びてるのに
何言ってんだこいつ?ID:aXkjreID0って言葉汚い割にくそみたいな知識しかないね >>498
>>499
こいつの認識通りなら、誰も倒幕なんて思ってなかったけど
慶応3年6月以降に西郷が計画したらできちゃったんだ。
すごいね西郷て >>500
こいつの認識通りというか、
藩レベルで討幕運動を展開した所はなく、
薩摩藩の対幕強硬派が慶応3年6月以降展開した政変計画は「征夷大将軍職廃止」が目的で
徳川家打倒のためのものではないというのはここ15年くらい完全に定着した説なんだが
お前いったい何の本読んでるの? >>492
生麦事件から薩英戦争までのことだね。
結果的に薩摩は英国と仲良くなって武器やらなんやらを輸入できることになったって
ことになっているけど、戦後処理で島津家は2万5000ポンドに相当する6万300両を
幕府から借用してイギリスに支払った。
しかしこれを幕府に返すことはなかった。酷い借りパク。
幕府の財政難の一端は薩摩だったのでは?
その後、薩摩はこっそり奄美の黒糖地獄でへそくりして稼いだ財で英国から
武器やら技術やら幕府を倒すためのアレコレを買い付けていたわけだ。
大河の西郷どんでは幕府を倒すイコール大義みたいなテンション。
サイコパスの掲げる大義は理解不能だわ。 駄菓子菓子慶喜のが「上手」だったというのが大政奉還を先に行ったという点か?w
相手が「何を目論んで」いたのかを察知?しての所作だろうか?
これで収まると思ったのだろうね かたや明治政府政府初年度の税収と幕末徳川の税収を比較する比較定義のなんたるかもわかってないアホと
かたや論破されて「心臓発作でいますぐ死ね 」とか言い出すアホが言い争ってて草
無知無学の馬鹿ニワカ同士でナニがやりたいんだコイツらw 「現実の明治政府以外でも近代化できたか?」みたいな話になってるけど
日本の植民地政策は財政的にも政治的にも巨大な無駄も良い所だったから
むしろ現実の明治政府以外なら何でもいい
ドイツみたいにほぼ本国に引きこもって自国に投資を集中させるほうが100倍くらい有益 バカチョンしかいないな、このスレ
薩長のチンピラが最新の銃器を買えるわけないだろ低能たち 実質、幕府と諸藩の連合体であった幕藩体制では近代化は無理
ですね >>359
そもそも
国家意識の希薄な諸侯諸藩が大陸までの遠征に付き合うと思っているのか? >>493
いやいや、権威急降下中の将軍様と台所が火の車だった江戸城の体制では
近代化は絶対に無理でしょうな。
せいぜいフランスの属国あたりになるのがオチ。 >>502
もとはと言えば、幕府が外圧に屈して結んだ不平等条約を諸藩にしっかりと説明して
いないから生麦事件が起きたわけですな。当時の日本の崇高な慣例、大名行列
を乱すようなことを異国人がしたのだから、現地民が怒るというのは
当たり前のことでしょう。
幕府はイギリスに賠償金を支払ったのに、そのうえなぜイギリスに薩摩を
襲来させたのか?この時点で国際的に幕府の統率能力のなさはあきらかに
されてしまっているわけでしょう。
幕府が薩摩の賠償金を肩代わりしたのはイギリスから事前にかなりの本気度
で関門海峡、大阪湾、江戸湾を攻撃して封鎖されることを通告されていた
からです。
つまり、本来はイギリスと対決すべきは一諸侯である薩摩ではなく、
日本国全体の統治者を自認していた徳川幕府であったわけですが、
幕府はこの義務から逃げた。いやできなかったと言っていい。
この時点で幕府による近代化、迫りくる欧米列強によるアジア植民地化
への対抗はむりであるとあきらかになっているわけです。
妄想を根拠に幕府でも近代化できたとか、明治政府でなくても近代戦を
行えたなどという妄論を書くのはやめていただきたいものですな。 >>511
19世紀のイギリス(対外投資偏重)とドイツ(自国に投資を集中)の関係がそうだよ
無駄な植民地持っておらず自国の産業構造を高度化させたドイツが急激に追い上げた >>510
>幕府が外圧に屈して結んだ不平等条約を諸藩にしっかりと説明していない
幕府は通商条約をつごう3回諸侯に諮問している。
そして水戸、尾張を除く20以上の大藩から賛成の答申を得ている。
そもそも安政条約について幕府や諸侯は不平等と認識していなかった。
>幕府はイギリスに賠償金を支払ったのに、そのうえなぜイギリスに薩摩を
>襲来させたのか
賠償金は薩英戦争後に薩摩藩が約束し、幕府が資金を融通した。時系列が完全に間違ってる。
>幕府が薩摩の賠償金を肩代わりしたのはイギリスから事前にかなりの本気度
>で関門海峡、大阪湾、江戸湾を攻撃して封鎖されることを通告されていた
聞いたことがない。イギリスはそんな余力ないけど。
下関攻撃の時もキューパーが萩攻撃に反対してるし、1864年の英陸軍省の作戦案でも
対日攻撃は沿岸部の大名程度にしか無理だとなっている。 幕府が最初から大政奉還して次に廃藩置県してれば済んだ話だよな
権力闘争に政略が絡むと碌なことが無い
それで駆け引きだの戦争だのでもめて労力を使った後に決着だから 人の振り見て我が振り直せ
薩長にはこの類の概念がないのでは?
幕府の粗さがしはこれでもかってくらい細かくやるくせに
自分らがやらかしす蛮行はスルーしたり正当化したり。
一体どういう神経をしてるんだか。 リメンバー明治維新
山口県の朝鮮人を吊るし上げろ
全ての神社を焼き払え
皇居のうじ虫天皇を駆除しよう
江戸城再建の邪魔になってゐる >>516
薩長とか幕府とかそういうカテゴリーでものみてるお前がそもそも人の振りみて我が振り直せだわなw
それが満点史観でしか事象を評価できんアホを生産してることをわかっちゃいねぇなw >>505 それはさすがに当時の明治の情勢に対して冷酷すぎるよ。
8割以上の民衆が農村にいて、わずかの農産物や軽工業品を取引
してるにすぎない時代なのだから、人口政策として真っ先に北海道
拓殖に着手するというのは正攻法だとおもうよ。台湾はまだしも
朝鮮の併合などずいぶん後の話しなんだし。 >>519
いや、その発想だと植民地あまり持ってないアメリカやドイツの急速な発展はどう説明するの?
という話にしかならないんだが。
植民地経営なんて戦費や投資がかさみ、とくに19世紀後半の世界分割以降に獲得した植民地はほとんどペイしてない。
ただでさえ貧乏国なのに、得ても利益の薄い海外領土に固執して投資を海外に分散させたのが戦前日本
そしていまだにそれが正しいと思い込んでる人が多い 韓国併合が後の話とか言ってる人間は、慶応4年4月に木戸孝允が早くも征韓論を出してるのを知ってるのだろうか
朝鮮での優越的地位は明治初年以来の日本の外交目標みたいになってるんだが プロイセンは18世紀から19世紀にかけてイギリスの技術を大量にパクって
急速に近代化した。ビスマルクの鉄血政策は要は日本の文明開化と戦後復興を
一挙にやったようなものだ。その際におこなったのは技術者のヘッドハンティングと
大量の特許侵害、そして安価な製品の大量の輸出攻勢。こういうことはあんがい
知られていない。どの国であっても近代化の過程は似たようなものだ。アメリカの
近代化もイギリスに対する大量の特許侵害によりなされたし、日本はむろん、
韓国や中国もそうだ。 「日本だけ例外的に上手くやっていない」と思い込むのも引っくり返した国粋主義思想なのよ
群衆の行動など東西たいして変わんない なおアメリカはフロンティアをどんどん「侵略」していって農民を植え付けていったわけなので
批判は見当違いですな。 >>521
韓国併合条約: 1910(M43)年8月調印
1968年の明治維新から42年後だ。
十分に ”後の話” だろう。
大日本帝国が韓国併合を本気で準備し始めたのは日露戦争に勝った1904年からだろう。 朝鮮併合については経済がそれを要求したというよりも、日本人の「国家意識」が
それを要求したというほうが近いんだろうね。明確なそろばん勘定が先にあったと
いうよりも朝鮮の独立、不可能であれば併合が先決要求としてあって、そのあと
始末として、損害がでないようにソロバンをはじいたというのが正しいのでは。
北海道があたりまえのように日本であるべきように、朝鮮もあたりまえのように
独立国であるべきで、それが情勢により不可能であるならば日本が保護するのが
あたりまえ、という意識が先にあったのだろう。 >>525の訂正
(誤)「1968年の明治維新」 ➜ (正)「1868年の明治維新」 >>527の修正
(誤)「1968年の明治維新」
(正)「1868年の明治維新」 >>523
「日本だけうまくやっていない」などとは誰も言っていない。
19世紀後半以降の世界分割的植民地経営はほとんどペイしておらず
日本もその間違った仲間に入ったと言ってるだけ。
なお、それ以前の植民地を大量に抱えていたイギリス、
植民地にさほど興味を持たなかったドイツ、アメリカは勝ち組
オランダ、スペイン、ポルトガルは負け組
で、戦前の日本も後者の仲間というだけの話 >>525
人のレスちゃんと読んでる?
朝鮮・満州獲得は安政期から特に志士系が目標とするようになり
慶応4年4月の木戸の建白以来長州系の専管事項となり国家目標になった
じっさい対朝鮮政策はほとんど伊藤井上山縣ら長州系の元老が決めてる
日本ほど朝鮮の内政に執拗に干渉して何度も失敗した国も珍しい
宗主国の清だってあんなに何度も政変を起こそうとはしていない
市場規模が小さく英露米もさほど興味持たなかった国なのに、
領有のために巨額の投資や経費をつぎ込むとははっきり言って阿呆の所業
金はかかるわ得るものはないわ、陸の国境があるから無用な摩擦は生むわ、
第一次大戦後に石橋湛山が放棄論を唱えたのも理の当然 >>522
そうではないよ
イギリスは豊富な資金を抱えながら海外領土への投資や短期投資を繰り返して
産業資本構造の高度化に対応する長期的投資が少なかった
科学技術に対する基礎投資も少ない
フランスもやはり国内投資が少なく成長が遅れていく
一方でドイツ・アメリカは鉄道網などのインフラや科学技術への投資が盛んで
かつ独占資本による投資で生産力の効率化がなされた
どう見ても投資の分散・短期化が原因です本当にありがとうございました >>514
>幕府はイギリスに賠償金を支払ったのに、そのうえなぜイギリスに薩摩を
>襲来させたのか
>賠償金は薩英戦争後に薩摩藩が約束し、幕府が資金を融通した。時系列が完全に間違ってる。
違います。肩代わりする前に幕府が幕府として賠償金を先に一度払ってます。
>幕府が薩摩の賠償金を肩代わりしたのはイギリスから事前にかなりの本気度
>で関門海峡、大阪湾、江戸湾を攻撃して封鎖されることを通告されていた
>聞いたことがない。イギリスはそんな余力ないけど。
>下関攻撃の時もキューパーが萩攻撃に反対してるし、1864年の英陸軍省の作戦案でも
>対日攻撃は沿岸部の大名程度にしか無理だとなっている。
勉強してください。1863年1月9日の英国枢密院会議で可決されてます。 幕府が自分の存在の大前提である士農工商の身分制を廃して
四民平等を実現はできません。
明治否定はただの江戸を美化した妄想ですよ。 >>513
その引き籠り政策をやめて不平等条約を結び
中途半端に開港したのは他ならぬ幕府ですよ 朝鮮を取ったのはロシアや清が朝鮮を取ると日本本土が危うくなると軍事的理由
それが満州までになって最後大東亜共栄圏にまでなった 今でも慶喜の大政奉還は評価されてるんだから
最初から幕藩体制では無理と大政奉還して、その後諸侯と強力して身分制撤廃と廃藩置県し、議会政治をしていれば幕府の名は不朽になったろうな >>530
>朝鮮・満州獲得は安政期から特に志士系が目標とするようになり
これのソースの提出よろしく 明治維新の偉業と伝えられている廃藩置県と地租改正が
本当に良いものなのかどうか引っかかるものを感じたから
調べてみたらなんというかポンコツ?
欠点の多い駄政策なんだが。 ぽんこつとおもうのは現代の視点だよ。重要なのは名誉の観点。
徳川の大政奉還により形式上は日本各地に割拠する状態となった
各封主国王が天皇の権威のもとで封主権を放棄して天皇の藩屏と
なることを誓約した、このことが重要なわけ。制度論の詳細など
のちにいかようにでも改正すれば宜しい。 >名誉の観点?
>制度論の詳細などのちにいかようにでも改正すれば宜しい。
うわぁ、なんか脳に影響する薬でもキメちゃってる?
そんなハリボテな大言壮語並べてドヤ顔で
行き当たりばったりの迷走始められたら
怪しい宗教にハマりやがって、
……と思わざるをえない。 >>536
飽くまでオカルトネタの範囲だが、それをあの「才谷屋」も推奨して故に「狙われた」という話だわなw >>537
ほんの一例だが
「朝鮮と満洲とは相連なりて神州の西北に在り、亦皆海を隔てて近きものなり。
而して朝鮮の如きは古時我れに臣属せしも、今は則ちやや倨る、
最も其の風教を詳かにして之れを復さざるべからざるなり」(『幽囚録』吉田松陰)
「魯・墨講和一定、決然として我より是を破り、信を夷狄に失うべからず。
ただし章呈を厳にして、真偽を厚うし、其の間を以って国力を養い、
取り易き朝鮮、満州、支那を切り随え、交易にて魯・墨に失うところは又土地に満鮮にて補うべし」
(『獄是帖』吉田松陰)
「征韓論…西郷先生の主張通りになっていよいよ海外に兵を出すということになれば
伊地知さんと私が文官として随行することと決められていた。
『お前は占領した地方地方のことを裁いていく役になるのぢや』と先生は言っていられた、
たぶん民政官みたいなものであったろう…(略)西郷先生は…常にこういうことを話された
『朝鮮朝鮮と皆やかましく言うちょるが、朝鮮はほんの通り道じゃ、満州を占領してここに初めて
我々の足場ができるのだ、この満州の足場を作っておいて、我々に手向かうものを片っ端から征服する、
もし手出しをせぬ時はわざとそれらを激動せしむる…こっちからちょいといたずらする、怒って来る、
それをすかさず占領するという方法でもって周囲に強固なる地歩を占め…しかる後シナに着手するのだ』」
(『維新史の片鱗』西郷隆盛についての回想 有馬純雄) >>532
>違います。肩代わりする前に幕府が幕府として賠償金を先に一度払ってます。
いや、イギリス側は幕府と薩摩藩それぞれを不法行為主体と見て賠償金を請求していて、
幕府に対しては大名の通行を居留地に通達しなかった過失、
薩摩に対しては犯人逮捕と遺族に対する賠償金を要求している
前者が10万ポンドで後者が2万5000ポンド
幕府は「幕府に要求された」賠償金10万ポンドを支払ったのであって、
薩摩に対して要求する分はもちろん払ってないよ。
当然じゃん、イギリスが各行為主体に対して別途請求しますと言ってるんだから
完全に生麦事件の賠償請求の経緯を混同してるね >>532
>幕府が薩摩の賠償金を肩代わりしたのはイギリスから事前にかなりの本気度
>で関門海峡、大阪湾、江戸湾を攻撃して封鎖されることを通告されていた
>1863年1月9日の英国枢密院会議で可決されてます。
幕府に要求された10万ポンドの分を指すなら、それはもともと「肩代わり」ではない。
なお幕英間の交渉では確かに軍事行動の可能性は示唆されているが、それは外交交渉上のテクニック
イギリス陸軍省・海軍省では封鎖を実施しても日本が屈服しない場合の戦争案を検討しているが、
結局、内陸部進撃は不可能であるとの結論に達し、陸兵増援を拒んでいる。これは長州藩との戦争でも基本的に同じ。
ちなみに幕英間の賠償交渉では生麦の過失以外に第二次東禅寺(英兵殺害)も入ってるので、
この意味でも薩英間との交渉とは異なる。 ID:rQtUIrA+0はどうやら「幕府が賠償金を払い損だった」と勘違いしてるようだが、
イギリス側は文久2年以降の攘夷事件の頻発に苛立ち、
幕府には条約で認められた国内遊歩権の保障と居留地保護を徹底させ、
攘夷藩にも直接制裁を課すという二刀流で臨んでるのだから、
いくら幕府が残り2.5万ポンドも払いますと言ったって実行犯の引き渡しを求めて鹿児島攻撃に向かうよ。
そこまで面倒を見ろというのはどうかしてる。まあ、幕府はそこも金の面倒だけは見たわけだけど。
子供が犯罪を犯した時に、親が金でもみ消すから刑務所は勘弁してくださいと頼んでも被害者が承知しないのと一緒。 >>534
何言ってんの?
無駄な海外投資するくらいなら自国の産業高度化やインフラに投資したほうがマシという経済効率の議論で、
なんで条約締結が出てくるの?何か色々むちゃくちゃだね。
というか、嘉永安政期の段階で誰が「不平等」とやらでない条約を結べたと思ってるんだろう?
条約の内容は大きく法権、税権、商権に分かれるけど、
日本の身分刑法と欧米の近代刑法はまったく異質なんだから自国法の適用なんてあり得ない。
税権は従価税の固定制、商権は大幅に制限してるのだから「不平等」というより棲み分けというほうが近い。
同時期のアジア諸国の結んだ条約と比較したら全然マシ。 >>542
そうかとおもってソース提示求めたが
やっぱ志士系って松陰のことかよw
都合のいいとこだけ切り取ってるけど
松陰がいってんのは日本、中国、朝鮮の3国にて連携して攘夷を実現実行し秩序を構築するといってんだぞこれ
とくにこの松陰のうけうりを後年国家安全保障構想にて影響されてたのが勝海舟だが 現代の視点から神にでもなったような意識高杉君がパヨチンになるんだな。
このスレ見てると本当によく分かる 当代に生きる者は自分たちが実際ほんとうは何をやってるかなんか
何一つ知らないんだよ。日本外史読んで学んだ連中が幕末の中枢に
いるような時代に「経済中心でやれ」だの「内国投資が重要」だの
どのくちが言ってんだか。そういうのはなろうで書け。 >>547
「取り易き朝鮮、満州、支那を切り随え、交易にて魯・墨に失うところは又土地に満鮮にて補うべし」
↑
これのどこが「連携」になるんだよ
無茶苦茶な解釈してるのお前だろ馬鹿
幽囚録ではさらに「今急に武備を修め、艦略ぼ具わり砲略ぼ足らば、則ち宜しく蝦夷を開墾して諸候を封建し、
間に乗じて加摸察加・隈都加を奪い、琉球に諭し、朝觀会同すること内諸侯比しからめし、
朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満洲の地を割き、南は台湾・呂宋の諸島を収め、
漸に進取の勢を示すべし」と言ってる。
これを三国協調などと言ってる専門書は1つもない さらに「再復玄瑞書」でも
「朝鮮を取り満州を拉き、支那を圧し印度に臨みて
神功の未だ遂げたまはざりし所を遂げ豊国の未だ果さざりし所を果す」と言っている
あと勝海舟も攘夷思想を持ってたとか町田明広あたりに影響されて言い出す人間がいるが、
シャーマン号事件のあった慶応年間の幕府外交は朝鮮と列強の間を取り持つという仲介外交だからね。
明治初年の木戸の征韓論に発展した志士系の主張とは全く異なる。
明治初年からの対朝鮮外交を長州系がリードしたのもその影響 >>550
都合のいいとこだけ切り取んなって
ちゃんと文献頭からケツまで読めアホ >>549
>日本外史読んで学んだ連中が幕末の中枢にいるような時代に
>「経済中心でやれ」だの「内国投資が重要」だの
日本の植民地政策はイギリスの猿真似じゃん。
日本外史読んでた口でもそれこそ勝海舟は日清戦争に終始批判的だった。
対日講和条約によって最恵国待遇が自動適用されるから権益争奪戦になり
列強間バランスが崩れて弱小な日本が割を食うのを懸念してる。
基礎教養とは何ら関係ない。 >>552
読んでるよ。全文を何度読んでも「朝鮮を切り取る」ことを主張してる。
しかも何度も。 >>552
だいたいさ、吉田松陰、久坂玄瑞、西郷隆盛、木戸孝允あたりの対外認識なんて
外交史の基礎の基礎、超有名で常識ジャン。
そんなことも知らないのに何で明治維新なんて論じてるのって感じだよ
ID:BlmnZ0Oa0もID:rQtUIrA+0も、たぶんネット記事くらいしか見てないだろ。
文献読んでたらあり得ないくらいの無知晒してる。 引用するまでもないと思うが勝海舟の日清韓連携論について
もちろん勝も朝鮮の主権を無視してる所はあるが、
「三国合従連衡して」から分かる通り制圧の対象としては見ていない
勝 海舟は徹底した日清戦争反対論者であった。その理由を説明する資料は勝 海舟
の『氷川清話』である。勝の非戦論の由来の一つは、幕末に於ける勝の、「日清韓三国
合縦論」にあったと考えられる。
これは『氷川清話』の中で語っている一節であるが、文久 2 年に軍艦奉行に登用さ
れた勝は、「宜しくその規模を大にし、海軍を拡張し、営所を兵庫・対馬に設け、その
一を朝鮮に置き、終に支那に及ぼし、三国合縦連衡して西洋諸国に抗すべし」と、
14 代将軍家茂に提言し、翌年の文久 3 年に採用され、神戸海軍操練所が開設された。
この勝の日清韓三国合縦論は、元治元年(1864 年)に、勝が軍艦奉行を罷免され、
さらに翌年に、神戸海軍操練所が廃止された事により挫折するが、維新後も勝の内面に
深く定着して、それが日清戦争に対する勝の態度決定に大きく影響したと考えられる。
なお清の対日外交は明治政府に対して比較的好意的だったが、
李鴻章なども日本との協力による西洋列強への抵抗を考えている 松陰は最初の投獄時から日記でも手紙でも繰り返し満鮮領有を主張してる
そんなことも知らないのは松陰読んだこともないニワカくらい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています