山本権兵衛について語ろう
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
二度総理になったものの本人には関係のないことで辞任したのは気の毒 が、伏見宮、老害東郷を野放しにした責任は大きい
権兵衛は虎ノ門事件の責任を取って辞任したあと
薩摩閥の牧野のぶあきから軍事参議官のポストを提言されたが断った。
本人は政治の世界に嫌気がさしたのだろう 西園寺の元老妨害工作や無能八代、過大評価虚弱体質秋山弟の粛清人事も
あったしな 第一次は事実上の政友会政権だったし、
第二次の方は関東大震災の事後処理内閣という趣きだった 本人の性格上もっと表舞台にいたら東郷以上の老害ぶりを
発揮したかもしれない。まぁ西園寺と同じ90近く生きてれば
井上や嶋田みたいな実戦素人なポンコツ官僚軍人を一掃しただろうしな 顔に似合わず、酒も女遊びもせず、愛妻家な処も好き。 千早正隆さんの海軍経営者山本権兵衛の後書きにあった、加藤寛治大将の話が良かったな。 この人で大河ドラマ作ったら面白いと思う
愛妻家だったし今の時代にマッチするだろう 江藤淳の海は甦えるを原作に使えるね。
TBSのドラマは第2部までだったから、第3部以降を映像で観たい。 第一次政権で陸海軍大臣現役武官制を改正できたのは、山本の胆力によるところが大。山本内閣の白眉。 山本以外には成し得なかっただろうけど、その事で山縣有朋の怒りを買ってしまった。 ごんべえと言われたりごんのひょうえと言われたり
黒田かんべえと言われたり黒田かんひょうえと言われたり 榎本武揚にクビにされそうになった一件を詳しく知りたいが、オススメの伝記を教えて。 伯爵山本権兵衛伝
読んだ事ないけど、この手の物としては出色の出来らしい。 >>17
ありがとう。国会図書館デジタルコレクションにある本と同じかな。とりあえず読んでみる。 小説で良いのなら、江藤淳の海は甦えるの第1部に、非職になった経緯とかあった気がする。 権兵衛がもっと長生きしてたら226で暗殺対象だっただろうか 八代六郎はゴミくずだな
予備役にならなきゃ権兵衛は確実に元帥になれたのに 現役で残っていれば、艦隊派をある程度抑えられただろうし、伏見宮が要職に付く事も無かった。 八代海軍大臣となってから、山縣有朋が海軍省を訪れたというのは、やはり山本の処遇に関してか。 山縣からすれば年下でズバズバ言ってくる権兵衛は
面白くないだろうしなぁ 弁が立つせいか、無用な敵を作るところもあったと思う。 ググってみたら、山本が書翰送ってたり、第二次の時には渋沢が帝都復興審議会の委員になってた。 軍備増強、軍艦の国産化などで財界とも色々接点があったのかな。 ■西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693』
「つまり連合艦隊司令長官は、この時既にハワイ真珠湾攻撃を決意していたのだ。
このことは海軍軍令部総長も知らない。
もちろん、首相である近衛も十月に首相になった東条も知らない。」 略
腹案は、よくできている。そして、現実には、第一段階(南方作戦)は一挙に達成され、第二段階(西亜作戦)の途中まで達成された。
しかし、この「戦争終末促進に関する腹案」の基本方針に反することを、最初から実施し、しかも順調に進んでいた第二段階を自ら放棄して、
結局、腹案全体の戦略と戦術、我が国家の基本戦略を崩壊せしめた人物がいた。
我が国から統合幕僚本部を喪失させた山本権兵衛に続く、海軍のもう一人の山本。山本五十六連合艦隊司令長官である。 よくできてねーよ。ドイツにおんぶにだっこの糞復案じゃねーか。 西村みたいな海軍善玉論に対抗して陸軍善玉論を展開するガイジ最近多いからな。
どっちも間違いだよ馬鹿 【映画シン・ウルトラマン】庵野秀明氏の「現場出禁」報道、制作会社3社が否定「悪意の憶測」
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1616991834/-100
1和三盆 ★2021/03/29(月) 13:23:54.88ID:BWjKT2CY9
378名無しさん@恐縮です2021/03/29(月) 12:15:23.24ID:llzUAU+N0
庵野秀明氏 「現場出禁」報道、制作会社が否定 「悪意の憶測による記事が出ることは遺憾」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0b5e3f15f7485d18543c7d78964f6b99b51b8a40
批判が的を得てないんだよな。
まず業務で高校数学が応用として使える時点で、世の中の上側1%以上なのよ。
アク界隈はお受験からのエリート教育で育ってるから、世の平均以下がちゃんと認識できていない。
残念ながら需要が存在してしまうわけですわ。高校数学の範囲だろうが何だろうが知らんがな。
あと、純粋な高等な数学になればなるほど、応用が狭まっていく。平たく言うと役に立たない。
なんでそんなものと比較するのか意味が分からない。好きなら勝手に博士課程でも行ってろ。
そして、哀れにもアク候補生として入社して、想像以上に日本社会の企業文化に揉まれ疲弊し、
自分は東京一工のエリートなのにこんな試験にも受からないクヤシイ!!みたいな人が、
5chで見えない敵をたたいて必死にもがいているんだな。憎むべきはその選択の損切りができない自分自身なのに。
だから、嫌ならやめろよと。クソ試験と思うなら今すぐやめて転職なりしろ。何事も中途半端が一番良くない。 虎ノ門以降表舞台から去ったが何か日記とか書き残してないのかな
ロンドン海軍軍縮会議の見送りの映像の際、権兵衛さんの姿があるが >>1
実戦経験というが戊辰戦争ぐらいじゃん
政治力?原敬の犬だったのに?
伏見宮を野放しにした罪も大きいな。
井上良馨を再評価したほうがいい >>43
こいつも官僚軍人さ。
井上や川村の方が海軍軍人としては上 あともうひとつ。陸主海従が良いバランスだったのにぶっ壊したのが山本な。
大東亜戦争の敗因の原因の一つ 良馨もそんなに変わらん。あとは同意するが
この人親独派なんだよな。ドイツに留学したとき
残って戦ってくれと言われたぐらいだから実戦のプロだった
こともわかるだろ 1914年に予備役だから、伏見宮の事は責任無いだろ。 というかあの年で戊辰戦争に参加するぐらいで十分だろw
薩英戦争の時は子供だから砲弾運びが仕事だったが 伏見宮がGF長官になりたがってたのを、女婿の財部彪海軍大臣が拒否してるらしいから、彼らは宮様を責任ある地位に就かせる気は無かったと思う。 権兵衛を汚職マンとかほざくゴミがなんJにいてワロタ 大東亜戦争の敗北の原因からわかることは
こいつも東郷と同等以上の害悪だということ
統合幕僚を喪失した罪は大きい >>53
統合幕僚など始めから無かった
それとも東条幕府的な奴のこと? 制度的な欠陥よりも、運用する側の能力、識見に問題があったんじゃないのか? 重要な指摘だな。
両方じゃないだろうか?
結局、制度、運用のどちらもおちんぽだったと思う。 第2次原内閣のもとで、山本が現役復帰し海相に、陸軍は田中義一陸相のもと、国務、統帥、軍政、軍令問題に決着をつけてくれていたら...
。原のあとには山本・田中両名に大命降下
原、山本、田中が一人元老の西園寺をささえることができる最高人材たったと惜しむ。 >>55
欠陥だったから東條は参謀総長になったんじゃん。
東條幕府とかくだらん用語使うなよ
>>58
ゴミクズ西園寺が妨害工作したからな。
山縣以上に害悪だよこいつは >>59
東条幕府は歴史的用語ですが?
それから総長を兼任しても欠陥は解消されなかったわけで 東條はただ3つの役割を個別にこなしただけだから結果的には失敗。
山本に関しては八代人事がゴミだったな 娘の教育に失敗
実は超親独派
第一次大戦時に総理だったなら日本はドイツ側で参戦確実と言われていた >>62
アメリカとの関係にかなり気を遣っていたし、この人、基本的に国際協調路線でしょ。
親独かどうかは知らないけど、ドイツ側に付くような愚かな選択は無いよ。
参戦確実と言われてたって、何か資料有るの?
長女は我侭だったらしいけど、次女は良妻賢母の立派な人だったと思う。 そもそも日英同盟があるのに、イギリスと敵対する訳無い。 弟子の友三郎、斉藤実も国際協調路線。
権兵衛がもう少し表舞台にいたら条約派だったろうに。
そうなると東郷と衝突してたかもな 準元老だからな
もっと長生きしていれば色々調整が聞いたろうに 若い頃の西園寺は立派だが日露以降の西園寺はカスだろ。 >>61
大隈、加藤高明、尾崎行雄、浜口雄幸など、人柄はよく、大衆人気はあるが、日本政治の素人が内閣を握るとロクなことをしない。まあ山本も総理としてはずぶの素人だったけど。 山本は元帥になれるだけの功績があったはずなのに。陸主海従の伝統をぶちこわし、陸海対等を実現した薩摩の山本は、陸軍の大御所長州の山県、薩摩の大山によほど嫌われてたんだろうな。 >>69
大山が嫌ってたなんて聞いた事ない。
具体的に教えて。 権兵衛も欧米人の下僕だったということ
あの時代欧米人に逆らったら暗殺だからなw
児玉や桂がそう。海軍はいないというwwwwwww >>59
いやいやこんなやつが元老になったら
薩摩閥復活じゃん。
だから西園寺が阻止したんだろ。
こいつなんだかんだいいながら
軍縮会議の見送りに参加したり
口出しする気分満々。
井上良馨みたいにすぱっと隠居しろよ 昭和の選択で犬養毅やってたが
犬養の葬式に権兵衛さん映ってたな。
東郷さんもいた 東北の一庶民から山本宛の五・一五事件の減刑嘆願書が残っているそうだけど、彼は海軍将校が起こしたこの事件をどう思っていたんだろうか。 東郷は晩年まで海軍内で影響力があったが
権兵衛も隠居してからもあったんだろうか? 秋山好古のようにスッパリ身を引ける進退引き際が見事な人間はなかなかいない
大抵なんのかんの関わっている 国賊・山本五十六の暴走
日中戦争も対米戦争も、こいつが起こした戦争である
そしてこいつこそが日本を大敗させた真のA級戦犯である
@岡田首相(海軍大将)とともに予備交渉を破綻させ
日本を海軍軍縮条約から脱退させた
Aアメリカを仮想敵国に見立てて予算を要求し、対米兵力を拡大させ
アメリカから経済制裁を受ける原因を作った。(マル3計画・マル4計画)
B自作自演の大山事件を図り日中交渉を妨害
都市無差別爆撃を強行して日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
海軍は無差別爆撃によって、意図的に戦争を泥沼化させた
このの都市無差別爆撃が原因で、日本は世界を敵に回す結果を招く
C三国同盟を認める代わりに、陸軍に南進を要求(豊田海軍次官)
D日米交渉を妨害するため南部仏印進駐を強行(豊田外相)
E真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、野村大使と結託し
偽りの外交を実施。
真珠湾奇襲をやりたい海軍と外務省は結託し、ハルノートを最後通牒だと虚偽の報告
海軍と外務省は、アメリカだけでなく日本政府と陸軍をもあざむく。
図上演習で真珠湾奇襲は無通告でなければ失敗することが明らかになり
海軍は当初から無通告で攻撃する気だった 明治40年帝国国防方針で海軍はアメリカ海軍を仮想敵と定めた
これ以降日本海軍は常に米海軍と戦うに必要な戦備を国内でも国際的にも要求し続けた
いざ実際に対米開戦をするしないの判断を迫られた時40年に渡り仮想敵を米海軍と言い続けてきた海軍にやれませんとハッキリ言えるものは、少なくとも責任ある立場の人間ではいなかった
この時海軍の仮想敵を陸軍同様ロシアと定めていれば、世界3位などと言う過剰な戦力は必要でなく、アメリカに挑戦しようなどと言う蛮勇も生まれなかった
この帝国国防方針の海軍の構想は誰が主体で決めたのかいまいち不明だが当時軍令部長の東郷は賛成していたのは間違いないだろう
山本権兵衛もまだ海軍に影響力を持っていたが、反対していたと言う話も聞かない 陸軍と同様に予算が獲得できる米の仮想敵国化に海軍一同賛成したと言うのが実際のところだろう
その安直な考えが対米参戦の遠因となった ■国際法を無視し、捕虜を大量処刑、皆殺しにしていた日本海軍の戦争犯罪
連合艦隊は捕虜を全て殺して海に捨てていた!
ウェーク島では100人の捕虜を
海軍陸戦隊が全員銃殺処刑しました。
パラワン島では150人近くの捕虜を全員防空壕に閉じ込めて
上からガソリンかけて火を放ち、全員を生きたまま焼き殺すという
信じられない残虐行為をやっています。
重巡洋艦利根は商戦を拿捕し、その民間乗組員65名を
全員殺害しました。
駆逐艦秋風では移送中の女子供を含む外国民間人60名を
全員殺害しました。
ナウルではハンセン病患者39名を船に載せ沖に浮かべて
それを砲撃して皆殺しにしました。
これらは日本の海軍では異例なことではなく、ごく日常の当然の行為として
海軍は捕まえた捕虜も民間人も尋問した後、基本的にすべて殺して
海に投棄していました 関東大震災時の朝鮮人等の虐殺については関係していたのだろうか 薩摩の野間口兼雄大将が長官の横須賀鎮守府は、デマに惑わされず、朝鮮人保護に動いた。 >>81
明治40年から対米開戦までに相当な期間がある
その間の責務者の問題 明治40年、海軍兵学校に入学した学生たちはアメリカを敵として教育され、卒業してからはアメリカ海軍にに勝つための戦術訓練に明け暮れた
海兵38期以降の世代は海軍人生の初めからアメリカを敵としていたのであり、その考え方精神性に大きく影響しただろう
そして開戦前、少将以下は全てアメリカは敵世代となった 山本権兵衛の大河ドラマ見てえな。
言っても今の時代だったら無理な題材かね? ドラマにするには見せ場がないんじゃないかな
戊辰戦争はくっついて回ってただけ
西南戦争は外地で日清日露も内地 最後は畳の上で死にましたと伝記で読む分にはいいけど映像には向いてないような
同世代の高橋是清は奴隷に売られるとか英国での戦時国債の丁々発止を経て最後はテロで倒れるとか、軍人の山本より文官の高橋の方がだいぶドラマチック >>88 坂の上のような映像は銭もかかるし、ある意味政治的で明治帝や伊藤との駆け引き、違った意味での明治記でいいんじゃない? ドキュメンタリーに挿入される寸劇みたいになりそうだ 海は甦えるはTBSで日露戦争の第2部までドラマ化されているけど、第3部以降が見たい。 TBSはエドの舞踏会もドラマ化してるけど、山本権兵衛ファンでも居たのかな? 関東大震災は加藤友三郎総理の死亡不在時に起き、
その事後処理のために、急遽第二次山本権兵衛内閣が成立した、内相には後藤新平が就任した この人年齢的なものもあるけど実戦経験そんなにないじゃん
東郷や同い年の児玉と比べて。
寺内にすら劣るだろ 近代の軍は野戦海戦の指揮官だけではなく軍官僚機構が巨大化しているから戦争してる国でも実戦経験の少ない将軍が出てくる
本人がどうというよりそういう位置にハマるケースはある
ドイツのカイテルは第二次世界大戦での実戦経験が皆無のまま元帥になりこれが本人にはだいぶコンプレックスで前線に出してくれと願ったがヒトラーに却下された
日本海軍だと保科善四郎とか高木惣吉、陸軍では東條英機なんかがそうだろう
軍人であるからには前線で戦った方がエライという意識は根強いが軍政も重要である むしろ軍人には前線指揮官に向いた人材はいくらでもいるが官僚に向いたのはそれほど多くないのでそういうタイプは重宝されて赤煉瓦中心に配置されるとも考えられる
児玉は珍しく両方器用にこなせたが東郷なんか軍官僚に全く向いてない あれを軍令部長にしたのは日本海軍の痛恨時だろう 東郷も日清戦争の後は中央勤務希望だったらしいが
ならなくて正解だったな あと、昨今東郷の老害ぶりがわかったせいか山本の評価が上がってるが
こいつも海軍のことしか考えてなかっただけだ。昭和期の東條とかわらん。
結局山縣に負けたしな。シーメンス事件だって自業自得だわ 実戦っつっても砲弾運びと観てただけ。
海軍大臣になれたのも西郷従道のコネ。
シーメンスは格上の山縣に喧嘩売った結果の自業自得。
第二次のときだなまともなの。
昭和期の官僚軍人と同じ。 伊藤正徳の著書や海軍反省会などを見ても、昔から山本の評価は非常に高かったと思うが。
加藤友三郎に比べると海軍偏重なのは否めないけど、立ち位置的に仕様がない部分もある。 >>100
伊藤や海軍反省会では、海軍内だけでの評価か。
政治家でも若槻礼次郎なんかは「あれだけの勇気を持って政治をやる人はそうたくさんはない」と書いている。 陸主海従をぶっ壊したのも権兵衛
おかげで海軍のことしか考えなくて何もかも陸軍が悪いという
実戦経験皆無口だけ達者な井上や高木みたいな
ゴミ軍人が出来上がりましたとさ 井上良馨は座りの余程良い人だったのか?
人柄がが衆に優れていたのか? 別にシーメンスの時も虎ノ門の時も辞める必要なかったんじゃね? 第一次の時は、貴族院で予算否決、原敬政友会にも見放され、どうにもならない状態。 というか若い頃の実戦経験とドイツ留学の経験(そこでも現地の実戦に誘われたが
断った)があったからこその権兵衛だろ。
東クの代わりは権兵衛ができたが逆は無理だったな
もっとも東クも日清戦争後中央勤務を希望していたらしいが 八代人事に秋山弟、鈴木貫太郎が関わっていたのは本当なの? 若い頃に戊辰戦争で各地を回りドイツに留学したときに現地に残って
戦ってくれといわれたというのが凄い。
その経験が海軍大臣の頃の姿勢に現れたんだろうな 2度目の首相の時に昭和天皇から辞めないでくれと言われたけど
辞めたってことは政治の世界に嫌気がさしたんだろ。
西園寺が色々画策してたからな 軍令部を作って陸海軍の統帥権を分裂させた
その結果が山本五十六の暴走を生み出し
日本の大敗へとつながった 山本権兵衛が軍令部を作ったのは大失敗
統帥部が二つになったら、まともな統帥なんかできるわけがない
こんなこと、推測できたはずだな。
その結果が日中戦争、対米戦争の泥沼化で、
収拾すら出来ない。
こうなった責任は山本権兵衛にある。 陸海軍は、政府の意志に基いて、局部の必要に応ずるものであるに過ぎぬので、
平和克服後に於ては、其行動が戦時と異るもののあるは論ずる迄も無い。
要するに陸海軍の活動すべき必要範囲は、国家を代表する政府が之を定めねばならぬ。
(山本権兵衛海軍大将1906年)※平塚篤編『伊藤博文秘録』原書房
ツイッターで拾ったけど、ググったら、
日露戦争後の満州での日本陸軍の行動が色々問題になっていた中、
明治39年5月22日、満州問題に関する協議会での発言らしい。 >>119
しかし実際に暴走したのは海軍だろ
満洲では共産党勢力の影響で色々あっても、陸軍がどこまでも暴走して
重大な国際問題に発展するには至ってない
陸軍はすべて収束させている
しかし第二次上海事変以降の海軍は暴走しまくりで
まったく統制が効いてないし、世界中から猛批判
しまいには政府も知らないところでハワイを独断で攻撃なんかしている。
こうなったのは軍令部を参謀本部と対等にした
山本権兵衛の責任だろ 財部彪日記 〈海軍大臣時代〉、ちょっと興味あるけど、気軽に買える値段じゃないな。 軍事組織が分野で別れるのはいいが、統率できなくなったのは致命的だな
統帥権やら現役武官制やらが加わって悪化
省益しか考えなくなった
ボカーン 東郷が財部嫌ってたのって山本が原因?
晩年は東郷と山本は不仲だったみたいだし
反山本は秋山真之、鈴木貫太郎が有名だな。
鈴木は山本の身内贔屓には反感を持っていたが山本自身には尊敬していたという複雑な気持ち 八代六郎も反山本だと思う。
鈴木貫太郎の自伝には、山本に対する複雑な想いが読み取れる。
財部と東郷が拗れたのは、軍縮が原因じゃないのかな?
それまでは財部の有力な支援者だった筈。 財部には条約派も艦隊派も、皆、冷淡な気がするけど、山本の寵愛を独占した事に対する嫉妬かな?とか思ってる。 虎ノ門事件以降隠居したことになっているが
犬養内閣崩壊後西園寺は山本にも誰を次の首相にすべきか相談に行ってるんだよな。
それなりに発言力はあったのだろうか?
東郷との仲というか日露戦争後は付き合い無いんじゃないの?
権兵衛自身のことなら予備役になるまえに元帥になるべきだった。
年齢的なこともあるけど東郷や井上と同時期になるべきだったな 東郷が海軍大臣、山本が連合艦隊司令長官だったらどうなってたか 犬養暗殺後、次の首相を決めようとしていた西園寺は東郷に誰を首相にするべきか
聞いた(西園寺は山本にも聞いた)
東郷は若槻か斎藤実が相応しいといい山本権兵衛だけはやめたほうがいいと
西園寺に言った。
このことから原因はわからないが東郷は山本を嫌っていたことがわかる。
再び山本が表舞台に立つとなると都合の悪いことでもあったのかどうか。
ただし東郷は八代人事の際に山本の予備役入りに反対したから
その後両者に何かあったと考えた方がいい。 もしかしたらすんなり予備役になった権兵衛に対して
面子を潰されたと東郷は思ったのかもしれない 東郷は財部の有力な後ろ盾だったらしいけど、ロンドンの時には、夫人(権兵衛長女)を伴って行った事を猛批判してるね。
これ、確かジュネーブ軍縮会議の全権だった斎藤実の助言を受けての同伴だったよね。 日露戦争後の東郷は調子こいた感じになったから
再び権兵衛が台頭すると邪魔な存在に思えたんだろう。
国際協調路線の権兵衛とは考え方も違うし
仮に予備役にならなかったとしても衝突はしていたと思う ネルソンのように東郷も三笠艦上で壮烈な戦死を遂げていれば晩節を汚すことなく非の打ちどころのない文字通りの軍神になっていただろう ただ、権兵衛さんも東郷さん以上にズバズバ言う人だから
周りもウザく感じたんじゃないの?w
身内贔屓もあったから余計に。 日露戦争後、大山はでしゃばらず、児玉は早逝し、乃木は生仏
陸軍は山縣が仕切っていた陸軍と海軍は対照的だな あと山本に実戦経験が殆どないとか言ってるやつにワロタ。
あの年代なら十分だろw
西南戦争で死ぬ可能性だってあったんだからな 児玉が早死したことが悔やまれる。ただ、山縣と衝突していただろうな。
奥保鞏や海軍だと井上良馨辺りは政治には興味なかったし 東郷の評価が下がったから今度は山本上げかw
海軍善玉論はまだ滅びてませんなぁw
シーメンスの時だってこいつは直接関係なかったにしろ
議会で追及されたときに斎藤実と傍観してただけだから所詮そんなもん。
原敬の傀儡だからなw 薩英戦争(砲弾運びがメイン)
川村純義隊(鳥羽伏見、北越、奥羽、箱館)
十分だな。陸軍の川上操六と同じ経歴
シーメンス〜再び首相への期間中、準元老扱いだったことは
牧野伸顕日記からも窺い知れる。
そのため虎ノ門による政界引退後も牧野は山本を枢密院議長や
元老確立運動を行ったが西園寺に妨害された。
西園寺は再び薩摩閥が復活するのを恐れたというがそんなの方便で
自分が元老に居座りたかっただけの話。
で、犬養暗殺後の後任の首相に再び山本になる可能性があったが
東郷が反対した。
これは山本が条約派に近い考えを持っていたからだろう。
東郷は艦隊派の画策により発言力が増したがこれと同じ事を
山本にやられては困るということだ。 で、東郷の思惑とは別に条約派穏健派の斎藤実が首相になったと。
まぁ山本は山本で身内贔屓が酷かったり年上だろうと構わずに喧嘩腰に言う性格だったから
反山本派がいたのも事実。
首相としても短期間で辞めたからよかったもののあのまま長期でいたらどうなっていたか。
海軍大臣としては文句なしだが政治家としての資質はそんなに・・・。 身内贔屓って財部彪以外あったのかな?
山路一善や山本英輔は目立って優遇されたイメージはないけど。 >>88
>>99
山本のこと大して知らないだろこいつら >>139
箱館戦争に行ったのは5月ですぐに
戦争は終わったから多分戦闘はしてないんじゃないかな。
川村純義の率いてた部隊は最前線にいたから
ついて回っていただけってのはないな(笑)
どんどん行けやと言われてさすがの山本も少し躊躇したほど。 ただ、児玉や東郷もそうだけどあの年代は大山や山縣や川村と比べても
実戦には参加したけどポスト的にはって感じだし。寺内もだけど。
山本ももちろんだが軍政家としての評価をすべきだと思う 実際犬養の後の首相に山本がなれる可能性はあった。
ここで山本が首相になったら艦隊派を一掃(もちろん老害東郷も)することが
できたと思う。
風見鶏の斎藤実じゃあ無理だし実際無理だった。
あんなのを後継者にした山本の見る目もどうかと思うが。 伏見宮を道連れにやめてくれていたら、日本は太平洋戦争を回避できたかもしれない 東郷平八郎のほうが山本よりも年上だが、海軍では山本のほうが上司だったのだろうか 立場上はそう。二人個人のわだかまりは晩年もなかったと思う。
というかそもそも山本が条約派と言われるのがわからん。
帝国国防方針の際対米戦を視野に入れたのだからどちらとも言えないとしか言えない。
何かと加藤友三郎とセットで語られることが多いけど加藤とも違う。 財部は条約派、英輔は艦隊派
生きていたら又は表舞台に居たら権兵衛は艦隊派 山本権兵衛は、少なくともロンドンの時は条約支持だよ。
薩摩出身では、他に野間口兼雄、竹下勇が財部支持。 ググったら、小池聖一氏のワシントン海軍軍縮会議前後の海軍部内状況に、「山本、斎藤、財部らの薩派首脳にとっても軍縮の必要性は認識されており」とある。 整理しよう
条約派
加藤友三郎(生きていたら)、山本権兵衛(表舞台に居たら)、斎藤実、財部
山本英輔、岡田、鈴木貫太郎、山梨、秋山(生きていたら)
こんな感じ?
五十六は条約派というわけでもなかったしな 東郷も大して実戦経験ないだろw
川村純義とか大山巌とかの世代ならまだわかるけど いやだから年齢的に仕方ないだろ。
そんなこと言ったら同世代の長州閥の軍人の方がということになるが この人がリストラした人たちって実戦経験が豊富な軍人たちだったから
山本自身は実戦経験がそれほどあったわけじゃなかったから
嫉妬もあったんじゃないの?
戊辰戦争での軍功もあったわけでもないし西南戦争には参加していないし >>157
東郷は薩英戦争の際に海軍を志して
戊辰戦争で既に海軍軍人として実戦を経験している
海軍軍人の実戦経験として見た場合
山本は東郷はおろか加藤友三郎にすら劣る
山本の評価はあくまで軍政家としてだ >>152
支持もなにも発言権が無かったんだから
隠居してたんだぞ? >>145
なったらじゃねぇよ。80近い爺さんだぞ?
案の定次の年に亡くなったし >>129
その頃の東郷は誰にも止められないから無理。
死ぬのを待つしか無かった >>132
東郷にそんな考えはない
そもそも山本のお陰で東郷が連合艦隊司令官
になれたという通説もおかしい。
山本じゃ無くても東郷が選ばれた
それは東郷の経歴を見れば誰だって選ぶわな 海軍軍令部を陸軍の参謀総長と対等にするようにと働きかけたのが山本権兵衛。
これが陸海並立状況を生み、結果として日本を破壊する行政的根拠になってしまった。
よって海軍の老害度は
山本>>>>>>東郷>>伏見宮 老害は関係ないけど崩壊に繋がった。
児玉源太郎は日露後陸主海従に戻そうとしたけど
山本は結局は海軍のことしか考えてなかったんだなとしか。 まぁその通りなんだけど児玉も早死したから評価が高いんだと思う
近年の乃木の再評価と共に児玉も再評価されているから
普通ならどっちかを上げてどっちかを下げるから 伊藤や山本が反対した児玉の厦門出兵とか、今は肯定的な評価なの? そもそも山本は首相向きじゃない。海軍の軍政に徹した方が良かった 伊藤博文は山本を高く評価して、自らの後継者の一人と目していた。
第一次内閣も、シーメンス事件までは、尾崎行雄も攻めあぐねていたくらい上手く行っていた。 あと山本と斎藤が目を付けられてたのは
艦隊勤務の年数が少なかったことにも原因がある
加藤寛治、伏見宮、東郷平八郎は同じ釜の飯を食った仲間みたいなもん
晩年は有害以外の何者でもなかったけど
東郷だって担ぎ上げられた部分はあるけど担ぎ上げられた方にも問題はある まぁ現場経験、軍政面のトータルで一番なのは加藤友三郎だろうな。
欠点は体が弱かったこと 山本と東郷は大正以降は個人的な付き合いは無かったと思われる。
昭和の東郷は老害そのもので第3次山本内閣妨害に関与している。
かつての恩人なのに。
まぁほとんど軍政畑の山本と現場勤務の東郷じゃいずれ衝突していたと思うけど。 >>165
山本じゃ無きゃ日高かな。
かといって東郷は引退間近だったという通説は
間違ってるけど 3回目はどうやっても無かったでしょう。
犬養の後、若槻も山本推しだったみたいだけど、肝心の元老西園寺が山本の復権にずっと否定的だったし、本人もやる気ないと思う。 西園寺は艦隊派と結託して組閣妨害したんだよ
わざわざ東郷に聞きに行ってるし
無責任男の公家がよくやるやり方 その時も東郷は山本だけは反対して若槻か斎藤実を推薦したとされてるが
理由は描かれていない。 というか山本と東郷が軍縮を巡って対立したというソースが見当たらないのだが
そもそも晩年は付き合い無かっただろ ロンドン軍縮から帰国した財部、若槻を東京駅で迎えてる写真がある
浜口、山本、東郷の3人 東郷と山本の関係ならシーメンス事件の山本の対応で東郷が失望したとされている。
東郷が説得したけど山本が予備を受け入れた。
東郷からすれば頭が上がらない恩人だったのにこんなことで海軍から引退するとは
呆れたという心境だろう。 あと、犬養後の後継内閣の際に山本だけは困ると言ったのは牧野伸顕日記から見ても
事実だろうがシーメンスの件も知っていた東郷からすれば山本にやる気が無いのは
わかっていただろうし晩年を汚されるのを阻止したというのが実情だろう。
半分呆れ半分擁護という感じ 海軍反省会なんて形だけで無責任な軍人が集まってあれこれ言ってる時点で
当事者意識ないんだろう。
で、既に亡くなっていた山本権兵衛だの東郷だのに責任を押しつける
井上成美もその1人 東郷は財部にカカアを連れていくなボケと激怒したが
同じ事を斎藤実がやったら東郷は何も言わなかった。
財部なんて所詮その程度。こんなのが東郷を説得できるわけがない。
もちろん東郷にも軍拡に対する道義的責任はある。
そして財部に縁故人事を行った山本にも責任ある 山本と加藤友三郎は英米の傀儡
特に山本と松方の関係を見ればすぐにわかる 山本と加藤とじゃ立ち位置違うだろ。
88艦隊計画増進して対アメリカ戦意識した山本が
協調路線とか意味不明。 神兵隊事件でも暗殺の対象になってて草。
影響力あったんじゃねぇか晩年も 医者に止められててもウイスキーのロックがぶ飲みじゃ
そりゃ死ぬわ加藤さん。それだけストレスがものすごかったんだろうけど シーメンスの時も虎ノ門の時も辞める必要全くなかった件。
実際元老と天皇(虎ノ門の時は摂政宮)に引き留められてるし 第一次の時は予算案否決されたし、原敬政友会にも見限られた。 大量リストラツケが後のシーメンス事件に繋がった
反山本派は実戦経験豊富な連中ばかりだったから
でもお前実戦経験ないじゃんで権兵衛何も言えずみたいな だからぁ実戦経験豊富な世代って西郷弟とか川村純義の世代だっての
あとは下っ端だからどっこいどっこい。もちろん山本も戊辰戦争の時は下っ端。
だからといってついてまわって行っただけとか言ってる奴には賛同は全くしないけど。
いくら戊辰戦争で活躍したとしても近代戦での武器の使い方が素人だと役に立たないの。
だから山本はリストラしたわけ。
東郷は国際法も熟知して上からの命令にも従順だから(ここは軍人として一番大事)
山本は評価しただけの話。 下っ端だったかもしれないけど戊辰戦争の時やドイツ留学(対ニカラグアとの戦争の
際に従軍する予定だったエピソードなど)、艦隊勤務時代、
大量リストラの経緯をもっと知りたい あ、長南さんが山本について描いた本があるらしいがAmazonや楽天では
ないみたいだ リストラされた将官に関しては、ツィッターで取り上げている方がいますね。 知ってるけどあの人山本は実戦経験ないとか言っててはぁ?と思ったので
信用してない。ホントに元自衛官だったのかってぐらい稚拙。悪いけど 本人は清廉潔白で人格者で軍人としても政治家としても(運が無かったけど)
有能だったけど息子は馬鹿、娘婿と甥は無能、娘の教育は失敗という 次女は気立てが良くて、料理好きの理想の母的なイメージだけど。 山本権兵衛は職を賭して意見を通すという、癖というかテクがあった 自分を辞めさせられないという状況を逆手に取った技で凡白がやるとあっさり辞表を受け取ってお疲れ様となる高等テクニック
これを学んだのが直弟子筋の斎藤実
そしてさらに山本五十六へと受け継がれていく 下らない伝統だな。晩年の東郷とどっこいどっこいだぜ 山本と斉藤の欠点は艦隊勤務や実戦経験が乏しかった
東郷の欠点は実戦経験や艦隊勤務経験は申し分なかったが中央勤務経験が
乏しくその素質はゼロどころかマイナス
結局両方兼ね備えてた加藤友三郎が文句なしと言うことになる 秋山弟は八代についたから山本のことは嫌ってたんだな >>1
政治力あったか?最終的には原にも見捨てられてたし
桂を恫喝したせいで西園寺には徹底して嫌われたし
山縣には及ばなかったし
海軍大臣としては文句なしだけど
首相には向いてなかったな >>202
海軍軍人としては実戦経験はないということ。
だから大量リストラの際にもの凄い反発があったし
後に響いた。 西園寺は山本権兵衛の元老の可能性を握りつぶした屑
元老の立場からでも東郷や伏見宮の暴走を阻止することは可能だった 大体山本の扱いがショボいな。死後元帥にするべきだったし
なんなら特例で首相時に元帥にするべきだった。
あの大量リストラがあったからこそ日露戦を戦うことが出来た。
陸戦ならともかく戊辰や西南で軍功がいくらあったとしても海戦なら素人ばかり 東郷については今まで指摘されているけど
あれだけ軍人は政治に関与すべきではないをモットーとしていた軍神が
無能ゴキブリ共に担ぎ上げられた時点で老害になった
が、東郷本人の軍拡の考え自体は別に間違ってはいない。
現場上がりの軍人なら仕方の無いことだろう。
元帥という立場で政治に関与したことが大問題だったのだ。 あとは小笠原とかいう無能の小判鮫が居たこともマイナス
小笠原という男は226の黒幕。これでどんな人間かわかるだろう >>212
西園寺が個人的に嫌っていたから山本を元老にしなかったのではなく
牧野との権力争いがあったため。
牧野は山本を元老にしようとしていた。
山本は権力争いに巻き込まれるのはわかっていたから
枢密院就任も断った。
木戸もそうだけど西園寺や牧野みたいな天皇を
操れる地位にいる連中はこんなもん。
こいつらが敗戦に至るレールを作った 憲政の常道を終わらせたのも西園寺だしな
しかもテロに屈する形で そもそも条約派艦隊派自体それほど違いは無いしもっと言うと
個々の軍人で判断していく必要があるな。
それらは単なるポジショントークでしかない。
戦後に新名あたりが井上成美にインタビューして大袈裟にさせた。
井上なんて教育者としては立派かもしれんが責任逃れしたともとれる 井上や石原みたいなのを防衛大で神格化してること自体
あぁ今の日本なんだなと。こりゃ自分の国を守れないと 陸主海従から陸海を対等にさせて日露後に元に戻さなかった弊害がその後の
大東亜戦争敗戦の一つの原因に繋がった。そのことについて山本権兵衛の
責任を指摘する言論人はいない。
元に戻す考えは児玉にはあったようだが 統合参謀本部を消滅させた権兵衛さん
海軍のことだけしか考えてこなかったツケだね こいつもそうだけど責任逃れする海軍軍人多すぎ
東郷も晩年は馬鹿だけど責任逃れすることは無かったしな
東郷と加藤友三郎ぐらいだろ。責任感あるの 東郷はその責任感が晩年悪い意味で作用したけどね。
井上元帥みたいにというわけにはいかなかったのが悔やまれる
伊牟田伸一という陸軍研究の人が言うには山本が晩年政治の世界からすんなり引退したのは
陸主海従対等の件で責任を感じていたかららしいな >>223
山本のどこが責任逃れなんだ?
軍縮会議の際も自分はその立場に無いと
言ったのだから潔いだろ
当然立場上財部も支持してないし
むしろ東郷が強力な支持者だった 加藤友三郎もどうしても対米戦を避けるというわけではなくて
今そのときじゃないという考え方 某財部信者のブログ見苦しいな
あんなのが条約派信者とはね >>228
財部が無能だったと言うことを
再認識してくれる良いブログじゃないかw
要するに東郷どうこうじゃなく財部の根回しが
下手糞だからあんな結果になったんだろ
当初は東郷は(伏見宮もだが)政府が決めたことだから
口出しする権限はないととどめたのだからな
加藤友三郎の時は井上も東郷も異論出ずだった 大体井上成美もそうだけど戦後になってやれ東郷がー、伏見宮がーじゃねぇんだよ。
責任逃れなんだよこいつら。新名あたりとつるんで言いたいこと言うだけ
山梨みたいにフラットに判断するやつじゃないな井上は 東郷の問題は元帥の立場を超えて直接陛下に奏上するなどという行為を
やろうとしたのが問題である。財部がゴミだったのを考慮しても。 ワシントンにしてもロンドンにしても6割ではダメ7割ないと国防に責任が持てぬとか実際のところそんなわけはない 国内向けのアピールにすぎない
ワシントンで7割だったとしたら土佐と摂津が残る だったらこれで勝てるのか この2艦がなきゃ負けるのか ロンドンなど重巡7割なんてたかが2隻分のトン数 こんなギリギリで勝負が決まるとか海軍の対米戦の考えがいかに日本海海戦から一歩も出ていない机上ゲームだったかが伺える
自分達でもそれを信じているわけではない 足らぬ足らぬは工夫が足らぬ 艦隊派は勝てる知恵を出すべきところをただただ政争の具としているから国防そっちのけで統帥権がどうだの国体明徴がどうのとか政治ごっこにふけるのである くだらないメンツのためのコップの中の嵐 山本も役人と変わらんよ。その弟子の斉藤も。陸軍憎しの予算の取り合い。
条約派艦隊派どうこうじゃない。どちらも予算が欲しいだけの茶番劇。
ロンドン軍縮とかそう。
あと東郷のせいで艦隊決戦に固執したなんて言われるが東郷自身は航空戦の時代
と認識していたし航空機に興味津々だった。秋山真之もそう。 >>229
あのブログは人間関係がメインだから
如何にも女が好きそうな感じの
だから戦略上どうとか実戦がどうとかは小学生レベル。
なので山梨がそのままなら歴史は変わっていたなんて
トンデモ内容だからな まぁそれはいいとして山梨勝之進の回想録で山本権兵衛が諸事情で海軍次官にしたが
斎藤実を連合艦隊司令長官にしたがってた話は初めて知った。 そもそもそんなにロンドン軍縮会議って重要か?
艦隊派を悪く言う口実を作り上げてるに過ぎないだろ 会議の決定事項より派生した統帥権干犯問題の方がはるかに重要だろう 実質的な戦力としては大した譲ったわけでもない
政友会が政府打倒の政争の具にしたのが最悪で犬養は自分で自分の首を絞めた
犬養や鳩山はもっと糾弾されてもいい 艦隊派は何がしたいのかよくわからない
対英米比7割無ければ国防が保てない だから条約から脱退だ
じゃあ脱退して無条約になれば当然建艦競争が始まる
日本の国家財政は現状の海軍力でさえギリギリで経済力で遥かに上のアメリカが対抗すればあっという間に水が開けられる そうなったらどうするのか という事に全く答えていない
現実に無条約化した後敗戦まで日本はせっせと建艦したがそれはアメリカが建造した艦の半分にも満たなかった 本当。権兵衛は子育てに失敗したな。怒らない教育だったから悪い方に作用した 山梨勝之進が東郷について語ったのが全て。
現役、晩年問わず つーか東郷と山本が不仲になったソースは?
見当たらないんだが 山本が現役でいたら条約派艦隊派の対立は防げたとか対米戦は回避できたとか言ってる奴は
山本の性格がわかってない。というか大して山本のことわかってない。 シーメンスは本人は関与してないにしろ起こってもあぁ山本だからなぁとしか。
八代人事にしてもそう。いくら伊藤が自分の後継候補と考えてたとしても首相の器ではない。
海軍の軍政だけ。それでも敵が多すぎた。 >>242
ある中学の教師と東郷は長年の知り合い。
その東郷の紹介で山本とも知り合った。
これは晩年の話。
これで山本と東郷が不仲だと言ってる知恵遅れは
救いようがない >>198
艦隊勤務経験もあまりないから突き上げ喰らった
面もあるんだぞガイジ。もっと勉強しろガイジ >>239
本当らしいね。
歴史探偵の半藤一利(文藝春秋の元専務取締役)が対談で言ってた。世間体もあるので何処かのしかるべき家の養女ということにしてから結婚したそうだ。
愛妻家で晩年まで奥さんを大事にしたとか。 この人は軍政家って感じ。だからこそ艦隊勤務畑の連中から目の敵にされたんだろうけど というか海戦隊は陸軍に比べて経験も浅いし殆どが素人だった。
だから維新後の海軍士官の方が何から何まで上だろう。
山本自身の問題と言うより軍政と軍令のバランスが逆になった1920年代後半から問題となった。 操艦や艦隊指揮と軍政は全然違う
どっちも優秀な人物なんてまずいないんだから佐官くらいでコースを分けないと 少佐時代に2度も山本権兵衛の副官を勤めた山梨勝之進は、早くから軍政家として期待されてたのかな。 今年は関東大震災から100年なんだし山本権兵衛を特集する番組があっても良いと思うんだが。 関東大震災なら山本よりも後藤新平の方がウェートがデカくなると思います BSでやってる英雄達の選択で取り上げられてもいいと思うが。山本は シーメンス事件が無かったら元帥、元老、侯爵は確実だったのにな。 >>258
いや元老に関しては当時から西園寺が妨害して実現してないからないな 首相になるべきではなかったな。最初から嵌めるつもりで西園寺や山縣から推薦されたのだろうか 首相としてどうだったか、元老の可能性とか色んな見解はあると思うけど
シーメンス事件が痛かったと思う。あれで予備役になって元帥になれなかったんだから。
東郷や井上に予備役になる必要は無いよと言われたのに本人が自ら予備役になったんだからな。
歴史にIFはないけど81まで生きたのだから加藤寛治や末次ぐらい押さえるのは簡単だっただろう。 味方も多かったけど同時に敵も多かった(海軍兵学寮の頃から)
海軍の改革とシーメンスは山本権兵衛だったからできた、起きたのかもしれない。
ロンドン海軍軍縮の際財部を全面にバックアップしていればその後の海軍の歴史も変わったのかもしれない。
伏見宮は山本権兵衛に憧れて海軍軍人になったと伏見宮の子孫の方が言ってたな 元々軍拡路線のレールを作ったのは山本(加藤友三郎も)だろうが。
引退した身なんだから軍縮言える立場じゃないだろう。
発言したならば東郷以上に批判喰らうが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています