山本権兵衛について語ろう
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虎ノ門以降表舞台から去ったが何か日記とか書き残してないのかな
ロンドン海軍軍縮会議の見送りの映像の際、権兵衛さんの姿があるが >>1
実戦経験というが戊辰戦争ぐらいじゃん
政治力?原敬の犬だったのに?
伏見宮を野放しにした罪も大きいな。
井上良馨を再評価したほうがいい >>43
こいつも官僚軍人さ。
井上や川村の方が海軍軍人としては上 あともうひとつ。陸主海従が良いバランスだったのにぶっ壊したのが山本な。
大東亜戦争の敗因の原因の一つ 良馨もそんなに変わらん。あとは同意するが
この人親独派なんだよな。ドイツに留学したとき
残って戦ってくれと言われたぐらいだから実戦のプロだった
こともわかるだろ 1914年に予備役だから、伏見宮の事は責任無いだろ。 というかあの年で戊辰戦争に参加するぐらいで十分だろw
薩英戦争の時は子供だから砲弾運びが仕事だったが 伏見宮がGF長官になりたがってたのを、女婿の財部彪海軍大臣が拒否してるらしいから、彼らは宮様を責任ある地位に就かせる気は無かったと思う。 権兵衛を汚職マンとかほざくゴミがなんJにいてワロタ 大東亜戦争の敗北の原因からわかることは
こいつも東郷と同等以上の害悪だということ
統合幕僚を喪失した罪は大きい >>53
統合幕僚など始めから無かった
それとも東条幕府的な奴のこと? 制度的な欠陥よりも、運用する側の能力、識見に問題があったんじゃないのか? 重要な指摘だな。
両方じゃないだろうか?
結局、制度、運用のどちらもおちんぽだったと思う。 第2次原内閣のもとで、山本が現役復帰し海相に、陸軍は田中義一陸相のもと、国務、統帥、軍政、軍令問題に決着をつけてくれていたら...
。原のあとには山本・田中両名に大命降下
原、山本、田中が一人元老の西園寺をささえることができる最高人材たったと惜しむ。 >>55
欠陥だったから東條は参謀総長になったんじゃん。
東條幕府とかくだらん用語使うなよ
>>58
ゴミクズ西園寺が妨害工作したからな。
山縣以上に害悪だよこいつは >>59
東条幕府は歴史的用語ですが?
それから総長を兼任しても欠陥は解消されなかったわけで 東條はただ3つの役割を個別にこなしただけだから結果的には失敗。
山本に関しては八代人事がゴミだったな 娘の教育に失敗
実は超親独派
第一次大戦時に総理だったなら日本はドイツ側で参戦確実と言われていた >>62
アメリカとの関係にかなり気を遣っていたし、この人、基本的に国際協調路線でしょ。
親独かどうかは知らないけど、ドイツ側に付くような愚かな選択は無いよ。
参戦確実と言われてたって、何か資料有るの?
長女は我侭だったらしいけど、次女は良妻賢母の立派な人だったと思う。 そもそも日英同盟があるのに、イギリスと敵対する訳無い。 弟子の友三郎、斉藤実も国際協調路線。
権兵衛がもう少し表舞台にいたら条約派だったろうに。
そうなると東郷と衝突してたかもな 準元老だからな
もっと長生きしていれば色々調整が聞いたろうに 若い頃の西園寺は立派だが日露以降の西園寺はカスだろ。 >>61
大隈、加藤高明、尾崎行雄、浜口雄幸など、人柄はよく、大衆人気はあるが、日本政治の素人が内閣を握るとロクなことをしない。まあ山本も総理としてはずぶの素人だったけど。 山本は元帥になれるだけの功績があったはずなのに。陸主海従の伝統をぶちこわし、陸海対等を実現した薩摩の山本は、陸軍の大御所長州の山県、薩摩の大山によほど嫌われてたんだろうな。 >>69
大山が嫌ってたなんて聞いた事ない。
具体的に教えて。 権兵衛も欧米人の下僕だったということ
あの時代欧米人に逆らったら暗殺だからなw
児玉や桂がそう。海軍はいないというwwwwwww >>59
いやいやこんなやつが元老になったら
薩摩閥復活じゃん。
だから西園寺が阻止したんだろ。
こいつなんだかんだいいながら
軍縮会議の見送りに参加したり
口出しする気分満々。
井上良馨みたいにすぱっと隠居しろよ 昭和の選択で犬養毅やってたが
犬養の葬式に権兵衛さん映ってたな。
東郷さんもいた 東北の一庶民から山本宛の五・一五事件の減刑嘆願書が残っているそうだけど、彼は海軍将校が起こしたこの事件をどう思っていたんだろうか。 東郷は晩年まで海軍内で影響力があったが
権兵衛も隠居してからもあったんだろうか? 秋山好古のようにスッパリ身を引ける進退引き際が見事な人間はなかなかいない
大抵なんのかんの関わっている 国賊・山本五十六の暴走
日中戦争も対米戦争も、こいつが起こした戦争である
そしてこいつこそが日本を大敗させた真のA級戦犯である
@岡田首相(海軍大将)とともに予備交渉を破綻させ
日本を海軍軍縮条約から脱退させた
Aアメリカを仮想敵国に見立てて予算を要求し、対米兵力を拡大させ
アメリカから経済制裁を受ける原因を作った。(マル3計画・マル4計画)
B自作自演の大山事件を図り日中交渉を妨害
都市無差別爆撃を強行して日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
海軍は無差別爆撃によって、意図的に戦争を泥沼化させた
このの都市無差別爆撃が原因で、日本は世界を敵に回す結果を招く
C三国同盟を認める代わりに、陸軍に南進を要求(豊田海軍次官)
D日米交渉を妨害するため南部仏印進駐を強行(豊田外相)
E真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、野村大使と結託し
偽りの外交を実施。
真珠湾奇襲をやりたい海軍と外務省は結託し、ハルノートを最後通牒だと虚偽の報告
海軍と外務省は、アメリカだけでなく日本政府と陸軍をもあざむく。
図上演習で真珠湾奇襲は無通告でなければ失敗することが明らかになり
海軍は当初から無通告で攻撃する気だった 明治40年帝国国防方針で海軍はアメリカ海軍を仮想敵と定めた
これ以降日本海軍は常に米海軍と戦うに必要な戦備を国内でも国際的にも要求し続けた
いざ実際に対米開戦をするしないの判断を迫られた時40年に渡り仮想敵を米海軍と言い続けてきた海軍にやれませんとハッキリ言えるものは、少なくとも責任ある立場の人間ではいなかった
この時海軍の仮想敵を陸軍同様ロシアと定めていれば、世界3位などと言う過剰な戦力は必要でなく、アメリカに挑戦しようなどと言う蛮勇も生まれなかった
この帝国国防方針の海軍の構想は誰が主体で決めたのかいまいち不明だが当時軍令部長の東郷は賛成していたのは間違いないだろう
山本権兵衛もまだ海軍に影響力を持っていたが、反対していたと言う話も聞かない 陸軍と同様に予算が獲得できる米の仮想敵国化に海軍一同賛成したと言うのが実際のところだろう
その安直な考えが対米参戦の遠因となった ■国際法を無視し、捕虜を大量処刑、皆殺しにしていた日本海軍の戦争犯罪
連合艦隊は捕虜を全て殺して海に捨てていた!
ウェーク島では100人の捕虜を
海軍陸戦隊が全員銃殺処刑しました。
パラワン島では150人近くの捕虜を全員防空壕に閉じ込めて
上からガソリンかけて火を放ち、全員を生きたまま焼き殺すという
信じられない残虐行為をやっています。
重巡洋艦利根は商戦を拿捕し、その民間乗組員65名を
全員殺害しました。
駆逐艦秋風では移送中の女子供を含む外国民間人60名を
全員殺害しました。
ナウルではハンセン病患者39名を船に載せ沖に浮かべて
それを砲撃して皆殺しにしました。
これらは日本の海軍では異例なことではなく、ごく日常の当然の行為として
海軍は捕まえた捕虜も民間人も尋問した後、基本的にすべて殺して
海に投棄していました 関東大震災時の朝鮮人等の虐殺については関係していたのだろうか 薩摩の野間口兼雄大将が長官の横須賀鎮守府は、デマに惑わされず、朝鮮人保護に動いた。 >>81
明治40年から対米開戦までに相当な期間がある
その間の責務者の問題 明治40年、海軍兵学校に入学した学生たちはアメリカを敵として教育され、卒業してからはアメリカ海軍にに勝つための戦術訓練に明け暮れた
海兵38期以降の世代は海軍人生の初めからアメリカを敵としていたのであり、その考え方精神性に大きく影響しただろう
そして開戦前、少将以下は全てアメリカは敵世代となった 山本権兵衛の大河ドラマ見てえな。
言っても今の時代だったら無理な題材かね? ドラマにするには見せ場がないんじゃないかな
戊辰戦争はくっついて回ってただけ
西南戦争は外地で日清日露も内地 最後は畳の上で死にましたと伝記で読む分にはいいけど映像には向いてないような
同世代の高橋是清は奴隷に売られるとか英国での戦時国債の丁々発止を経て最後はテロで倒れるとか、軍人の山本より文官の高橋の方がだいぶドラマチック >>88 坂の上のような映像は銭もかかるし、ある意味政治的で明治帝や伊藤との駆け引き、違った意味での明治記でいいんじゃない? ドキュメンタリーに挿入される寸劇みたいになりそうだ 海は甦えるはTBSで日露戦争の第2部までドラマ化されているけど、第3部以降が見たい。 TBSはエドの舞踏会もドラマ化してるけど、山本権兵衛ファンでも居たのかな? 関東大震災は加藤友三郎総理の死亡不在時に起き、
その事後処理のために、急遽第二次山本権兵衛内閣が成立した、内相には後藤新平が就任した この人年齢的なものもあるけど実戦経験そんなにないじゃん
東郷や同い年の児玉と比べて。
寺内にすら劣るだろ 近代の軍は野戦海戦の指揮官だけではなく軍官僚機構が巨大化しているから戦争してる国でも実戦経験の少ない将軍が出てくる
本人がどうというよりそういう位置にハマるケースはある
ドイツのカイテルは第二次世界大戦での実戦経験が皆無のまま元帥になりこれが本人にはだいぶコンプレックスで前線に出してくれと願ったがヒトラーに却下された
日本海軍だと保科善四郎とか高木惣吉、陸軍では東條英機なんかがそうだろう
軍人であるからには前線で戦った方がエライという意識は根強いが軍政も重要である むしろ軍人には前線指揮官に向いた人材はいくらでもいるが官僚に向いたのはそれほど多くないのでそういうタイプは重宝されて赤煉瓦中心に配置されるとも考えられる
児玉は珍しく両方器用にこなせたが東郷なんか軍官僚に全く向いてない あれを軍令部長にしたのは日本海軍の痛恨時だろう 東郷も日清戦争の後は中央勤務希望だったらしいが
ならなくて正解だったな あと、昨今東郷の老害ぶりがわかったせいか山本の評価が上がってるが
こいつも海軍のことしか考えてなかっただけだ。昭和期の東條とかわらん。
結局山縣に負けたしな。シーメンス事件だって自業自得だわ 実戦っつっても砲弾運びと観てただけ。
海軍大臣になれたのも西郷従道のコネ。
シーメンスは格上の山縣に喧嘩売った結果の自業自得。
第二次のときだなまともなの。
昭和期の官僚軍人と同じ。 伊藤正徳の著書や海軍反省会などを見ても、昔から山本の評価は非常に高かったと思うが。
加藤友三郎に比べると海軍偏重なのは否めないけど、立ち位置的に仕様がない部分もある。 >>100
伊藤や海軍反省会では、海軍内だけでの評価か。
政治家でも若槻礼次郎なんかは「あれだけの勇気を持って政治をやる人はそうたくさんはない」と書いている。 陸主海従をぶっ壊したのも権兵衛
おかげで海軍のことしか考えなくて何もかも陸軍が悪いという
実戦経験皆無口だけ達者な井上や高木みたいな
ゴミ軍人が出来上がりましたとさ 井上良馨は座りの余程良い人だったのか?
人柄がが衆に優れていたのか? 別にシーメンスの時も虎ノ門の時も辞める必要なかったんじゃね? 第一次の時は、貴族院で予算否決、原敬政友会にも見放され、どうにもならない状態。 というか若い頃の実戦経験とドイツ留学の経験(そこでも現地の実戦に誘われたが
断った)があったからこその権兵衛だろ。
東クの代わりは権兵衛ができたが逆は無理だったな
もっとも東クも日清戦争後中央勤務を希望していたらしいが 八代人事に秋山弟、鈴木貫太郎が関わっていたのは本当なの? 若い頃に戊辰戦争で各地を回りドイツに留学したときに現地に残って
戦ってくれといわれたというのが凄い。
その経験が海軍大臣の頃の姿勢に現れたんだろうな 2度目の首相の時に昭和天皇から辞めないでくれと言われたけど
辞めたってことは政治の世界に嫌気がさしたんだろ。
西園寺が色々画策してたからな 軍令部を作って陸海軍の統帥権を分裂させた
その結果が山本五十六の暴走を生み出し
日本の大敗へとつながった 山本権兵衛が軍令部を作ったのは大失敗
統帥部が二つになったら、まともな統帥なんかできるわけがない
こんなこと、推測できたはずだな。
その結果が日中戦争、対米戦争の泥沼化で、
収拾すら出来ない。
こうなった責任は山本権兵衛にある。 陸海軍は、政府の意志に基いて、局部の必要に応ずるものであるに過ぎぬので、
平和克服後に於ては、其行動が戦時と異るもののあるは論ずる迄も無い。
要するに陸海軍の活動すべき必要範囲は、国家を代表する政府が之を定めねばならぬ。
(山本権兵衛海軍大将1906年)※平塚篤編『伊藤博文秘録』原書房
ツイッターで拾ったけど、ググったら、
日露戦争後の満州での日本陸軍の行動が色々問題になっていた中、
明治39年5月22日、満州問題に関する協議会での発言らしい。 >>119
しかし実際に暴走したのは海軍だろ
満洲では共産党勢力の影響で色々あっても、陸軍がどこまでも暴走して
重大な国際問題に発展するには至ってない
陸軍はすべて収束させている
しかし第二次上海事変以降の海軍は暴走しまくりで
まったく統制が効いてないし、世界中から猛批判
しまいには政府も知らないところでハワイを独断で攻撃なんかしている。
こうなったのは軍令部を参謀本部と対等にした
山本権兵衛の責任だろ 財部彪日記 〈海軍大臣時代〉、ちょっと興味あるけど、気軽に買える値段じゃないな。 軍事組織が分野で別れるのはいいが、統率できなくなったのは致命的だな
統帥権やら現役武官制やらが加わって悪化
省益しか考えなくなった
ボカーン 東郷が財部嫌ってたのって山本が原因?
晩年は東郷と山本は不仲だったみたいだし
反山本は秋山真之、鈴木貫太郎が有名だな。
鈴木は山本の身内贔屓には反感を持っていたが山本自身には尊敬していたという複雑な気持ち 八代六郎も反山本だと思う。
鈴木貫太郎の自伝には、山本に対する複雑な想いが読み取れる。
財部と東郷が拗れたのは、軍縮が原因じゃないのかな?
それまでは財部の有力な支援者だった筈。 財部には条約派も艦隊派も、皆、冷淡な気がするけど、山本の寵愛を独占した事に対する嫉妬かな?とか思ってる。 虎ノ門事件以降隠居したことになっているが
犬養内閣崩壊後西園寺は山本にも誰を次の首相にすべきか相談に行ってるんだよな。
それなりに発言力はあったのだろうか?
東郷との仲というか日露戦争後は付き合い無いんじゃないの?
権兵衛自身のことなら予備役になるまえに元帥になるべきだった。
年齢的なこともあるけど東郷や井上と同時期になるべきだったな 東郷が海軍大臣、山本が連合艦隊司令長官だったらどうなってたか 犬養暗殺後、次の首相を決めようとしていた西園寺は東郷に誰を首相にするべきか
聞いた(西園寺は山本にも聞いた)
東郷は若槻か斎藤実が相応しいといい山本権兵衛だけはやめたほうがいいと
西園寺に言った。
このことから原因はわからないが東郷は山本を嫌っていたことがわかる。
再び山本が表舞台に立つとなると都合の悪いことでもあったのかどうか。
ただし東郷は八代人事の際に山本の予備役入りに反対したから
その後両者に何かあったと考えた方がいい。 もしかしたらすんなり予備役になった権兵衛に対して
面子を潰されたと東郷は思ったのかもしれない 東郷は財部の有力な後ろ盾だったらしいけど、ロンドンの時には、夫人(権兵衛長女)を伴って行った事を猛批判してるね。
これ、確かジュネーブ軍縮会議の全権だった斎藤実の助言を受けての同伴だったよね。 日露戦争後の東郷は調子こいた感じになったから
再び権兵衛が台頭すると邪魔な存在に思えたんだろう。
国際協調路線の権兵衛とは考え方も違うし
仮に予備役にならなかったとしても衝突はしていたと思う ネルソンのように東郷も三笠艦上で壮烈な戦死を遂げていれば晩節を汚すことなく非の打ちどころのない文字通りの軍神になっていただろう ただ、権兵衛さんも東郷さん以上にズバズバ言う人だから
周りもウザく感じたんじゃないの?w
身内贔屓もあったから余計に。 日露戦争後、大山はでしゃばらず、児玉は早逝し、乃木は生仏
陸軍は山縣が仕切っていた陸軍と海軍は対照的だな あと山本に実戦経験が殆どないとか言ってるやつにワロタ。
あの年代なら十分だろw
西南戦争で死ぬ可能性だってあったんだからな 児玉が早死したことが悔やまれる。ただ、山縣と衝突していただろうな。
奥保鞏や海軍だと井上良馨辺りは政治には興味なかったし 東郷の評価が下がったから今度は山本上げかw
海軍善玉論はまだ滅びてませんなぁw
シーメンスの時だってこいつは直接関係なかったにしろ
議会で追及されたときに斎藤実と傍観してただけだから所詮そんなもん。
原敬の傀儡だからなw 薩英戦争(砲弾運びがメイン)
川村純義隊(鳥羽伏見、北越、奥羽、箱館)
十分だな。陸軍の川上操六と同じ経歴
シーメンス〜再び首相への期間中、準元老扱いだったことは
牧野伸顕日記からも窺い知れる。
そのため虎ノ門による政界引退後も牧野は山本を枢密院議長や
元老確立運動を行ったが西園寺に妨害された。
西園寺は再び薩摩閥が復活するのを恐れたというがそんなの方便で
自分が元老に居座りたかっただけの話。
で、犬養暗殺後の後任の首相に再び山本になる可能性があったが
東郷が反対した。
これは山本が条約派に近い考えを持っていたからだろう。
東郷は艦隊派の画策により発言力が増したがこれと同じ事を
山本にやられては困るということだ。 で、東郷の思惑とは別に条約派穏健派の斎藤実が首相になったと。
まぁ山本は山本で身内贔屓が酷かったり年上だろうと構わずに喧嘩腰に言う性格だったから
反山本派がいたのも事実。
首相としても短期間で辞めたからよかったもののあのまま長期でいたらどうなっていたか。
海軍大臣としては文句なしだが政治家としての資質はそんなに・・・。 身内贔屓って財部彪以外あったのかな?
山路一善や山本英輔は目立って優遇されたイメージはないけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています