ナリタブライアンが高松宮杯の出走を発表した時って、どんな感じだったの?
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当時はネットとか普及してなかったから、どんな感じと聞かれてもわからないかもしれないが。
現代で例えると、キタサンブラックやディープインパクトが高松宮記念に出る感じ? >>140
大川って大川慶次郎か
大川慶次郎は好き放題言って貶しまくるのが常だぞ
特に関西馬は嘲笑の対象だったのに 山路オーナーの本業がヤバい説はタイシン旧4歳の宮杯の頃から噂になってたような 大久保なら仕方ないって見解は結構多かった
俺は一銭も買わなかった >>196
テレビ中継でうろ覚えだけど
こういう国民的なアイドルホースをこういう使い方しちゃだめだって言ってたよ
馬の批判でなく陣営への批判だった
テレビがタケシバオーとの比較を結構やってたのも覚えている 大久保ってまだ生きてんの?
癌手術で腹切ったのを記者に見せびらかしてたよね 天皇賞春で負けたヤケクソにしか見えなかった。
でも、今の中京だったら面白かったかもね。 >>176 >>184
ナリタブライアンが出走した1996年高松宮杯は
その前の年まで2000mのGU戦だったからね。
私も2000mの高松宮杯と勘違いしたんじゃないかと思った。 >>199
そこではなく大川慶次郎は決して温厚でなく、
言いたい放題だということ >>204
大久保が勘違いしたとしても周りの人間全員が勘違いすることはあり得ないからそれはない 95年の阪神大賞典の時には直前の調教も控え目で調子が良くないと言われていたが、当日は直前の中山記念を一番人気で負けたサクラチトセオーのようにはならず、
ナリタブライアンらしい4角ほぼ先頭から軽く気合いをつけただけで10馬身近く差が開いたな、直線の途中で南井が流しに入ったから最終的な着差は7馬身だったけど調子落ちでこれかよ、と思った。
でも調子落ちの中でのあれ、上がり33秒台ほぼ馬なりであろうがなんであろうが馬にとっては負担になったのかもね。
その後調教中に股関節炎になってしまった。
結果論から言えば95阪神こそ出走を控えるべきだったのかもしれないな。
ただ当時はマックイーン、テイオー 、ブルボン、ビワハヤヒデと世代最強馬が引退にまで追い込まれるような故障する時代でもあったな(テイオーはちと違うけどね ナリタブライアンのスピード性能を種牡馬にするに辺り 見せつけたかったのが狙い >>20
そんな特集組んだスポーツ紙なんてねえよ。ミスターシービー程度の馬とブライアンが比較になるわけねえだろ。 >>210
高松宮記念とか言ってる時点でニワカ丸出しなのが分かるだろ >>116
その噂は知らなかったけど、パンテージ巻いているし怪しい所あるよな
武も去年テレビで状態が良ければ勝ってたんじゃないですか、良く無かったですねーと言ってたな
ハヤヒデも屈腱炎になりかけの状態で天皇賞に出走した可能性あるよな
天皇賞の3週間前に左前足に血管が浮き上がる異常が発生して、大事に至らなかった
と言ってたけど、レース後左前足に屈腱炎が発生している >>207
まあここにあるように故障が連発した時代だし、武も呪われたようにダンスインザダークやサイレンススズカと繰り返される 杉本は生粋のブライアンファンだったからな
春天でローレルに差された時は実況中なのに一瞬絶句してたしなぁ 調教師が変な人だったな、みんなローテーションに文句言ってた 調教師が馬主よりも威張ってた時代だからな
大久保は自分の馬のつもりでいたんだろ >>215
またそういう嘘を息するように言うやつだな
実況してて後ろからくるローレルと勢いが全然違ったから
変わるのはすぐわかったて言ってるのに 歴代三冠馬の中では、もっともスピードがなかった
完全なスタミナ寄りのステイヤーだった
ゆえに、種牡馬として失敗することは100%確定していた
ラムタラやオペラオーみたいなもんだ 実況がナリタブライアン寄りで最後の方は勝った馬よりナリタブライアンを貶してた気がするw いくつもレコードで駆けてんのにスピードがないって頭沸いてんのかな? 宝塚まで間隔がありすぎ斤量が軽い適レースが無かったので叩き台としての意味合いが大きかった。
怪我して引退とは・・・ 2000と間違えて登録して知っててや!って顔真っ赤にして意固地になって出走させたと思ってるんだけど >>32
宮杯を1200のしょーもないG1にされて
昇格なのにかなり批判的な意見も多かったし間違えるなんてない >>219
マイルG1勝っている三冠馬に最もという言葉がハマるわけないだろ
他の三冠馬がマイルを使えない理由があっただけ
勝った時点でスピードはブライアンが一番ということ
あとは絵空事 >>217
大久保調教師が山路オーナーに購入を打診した位だからなー
山路オーナーも大久保調教師にまかせっきりだったんじゃないかな
引退の時も皆で大久保調教師を説得してやっとできたって位だからな >>219
どこでそんな話題があがってました?あればソースを
どこかの生産者さんですか? >>224
ラムタラも10ヶ月休み明けの英ダービーでレコード勝ち >>230
>どこでそんな話題が
もちろん、一年目の産駒の成績が出揃った後
俺の「脳内」でだよ
そう判断したのは俺だけじゃないと思うけど >>224
>>231
中距離以上のレコードなど、サラブレッドの遺伝学的に見る「スピード」の
証明には全くならない
ましてや重くて遅い欧州の芝のレコードなどな
中・長距離におけるスピードは遺伝しにくい
そしてナリタブライアンの血統表からも、目だった
スピード遺伝子の継承は認められない
バクシンオーやサウスヴィグラスみたいなスプリントのスピードは
基本的に親の劣化コビーである子供に遺伝する
ブライアンもビワハもそういう血の資質はなかった L'Arc〜en〜Cielがビジュアル系って言われてキレたって聞いた時と同じ感じ 大久保的には、ブライアンが最後の直線で遠慮するようになったから短距離で思い切り走らせてみると言ってたな。
まぁ馬主から言われての後付けかもしれんがね 天皇賞春での直線の失速は、道中掛かったこととか、3〜4コーナーの下り坂での行き足が良すぎてしまったとかもあるかもしれないが、
一番は前走の800メートルに渡る激走の反動だと思うなぁ。 歴代獲得賞金1位になるために
なりふり構わず賞金狙いに来たという感じ。 >>20
いいからさっさとディープの仔に生まれ変われよ 函館2歳知ってたらとても買える馬じゃなかった
オグリと一緒で盲目的なファンだけが買ってた印象 わいおっさんのリアルタイムの記憶
週刊gallopの一週前登録で「ナリタブライアン参戦、宮杯→安田→宝塚」を知り、こんな使い方あんのかよと疑問と興奮の困惑状態。空気的には勝ったらすごいけど無理だろうなという感じだった。
レース後、スーパー競馬で大川さんがブチ切れてやっぱこういうのあかんのやなって思った。
ただ、当時はハンデ戦の権利取りとかショック療法的に短距離使うのはありがちだった
スワンS→アルゼンチン共和国杯、JCみたいな。
それを三冠馬にやっちゃったからみんな怒ってたんだろう。
大久保調教師が「使った理由は墓場まで持っていく」てことを引退の時言ってたのが印象的。 怪我劣化後でもう無理だよって言われてた
でもやっぱりスーパースターホースで
中京はブライアンファンで膨れ上がっていた
実力と人気を兼ね備えた唯一の最強馬 サンエイサンキューとかもそうだが、この頃の馬主はブチ切れてたわ
ノーザンの使い分けのほうがまだマシに思えるほど使い方がおかしかった むしろブライアン、ビワ兄弟は、戦績みてももっとも距離適性が広い馬って評価だよな
高松宮には、それが現れたレースだしな
くそ出走ではあったが、ある意味ブライアンっていう馬を評価する上では、貴重なデータになっていると思うけどな まあ1600から3000までのG1勝利してるからね
宮杯は武豊がレース回顧でスタートがいつも通り
良かったけど少し手綱を引っ張って下げた
あれは余計だった、あのまま馬の行く気に任せて
前目で勝負したらひょっとしたかもって
語ってた >>96
あれは凄かった。思い出させてくれてありがとう。また聞きたくなったよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています