古文漢文板の質問スレ4 [転載禁止]©2ch.net
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みなさん、ありがとうございます。
だいたい理解できました! あ〜、理解できたと思ったのですが、問題がありました。
まず、私の理解ですが、月の数値の前に壬がついたら、
・その年のその月に閏があるかどうか
・その月の十干が壬であるかどうか
で、判断すればいいと思ったのですが、
たまたまなのか、私が調べているものがこの2つの条件を両方満たしてしまいました。
文禄2年の壬9月14日です。
文禄2年の9月は閏もあり、この年の十干は癸なので、1月が甲スタートですと、9月は壬に当たります。
最終的に、西暦に変換したいのですが、
通常変換だと1953年10月8日で
閏変換だと1593年11月6日でした。
これはもう判別不能なのでしょうか?
何度も後出しでスミマセン。 >>685
江戸時代の古文書しか知らないのですが、月の呼び方というのは例えば9月なら長月以外にも玄月、菊月、晩秋、太衝、無射とかいっぱいあるので、わざわざ月に干支を付けて雅やかにしなくても別名を使えば良いと思います。
古文書の種類、内容、関連文書も見る必要があると思いますが、
素直に「閏」で良いのでは? >>686
なるほど、そのように解釈します。
ありがとうございました。 >685
揚げ足取りになるけれど
文禄2年は1593年で1953年ではありません。
1953年ならば、昭和28年 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
従二位家隆
ですが、この句を詠んだ時の家隆の気持ちはプラスですか?マイナスですか?
その理由もお願いします。 草の雨 祭りの車 過ぎてのち
蕪村
ですが、この句を詠んだ時の蕪村の気持ちは
プラスですか?マイナスですか?
その理由もお願いします。 >>690、>>693
「気持ち」を明確にしなければプラスかマイナスかは決められないですね。
蹴球の某国代表のように、後ろ向き(消極的)な行動をするけど、良い結果が出るはずなので明るいとか。 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の告発
色川高志「文句があったらいつでも俺にサリンをかけに来やがれっ!! そんな野郎は俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 おらくるぼーん
ね
んー
む
情けないなぁ。この手のスレ下げ、スレ埋め活動。
毎夜毎夜一人でこういうことしてる自分がみじめにならないのかしら、フンドシさんは。 何でもフンドシ連呼して滿足するのか。バカAKIは。 【皇室】秋篠宮妃“紀子さま”と“美智子さま”の『異常性』〔心理学悪用編:小室眞子さま〕★2
ICU大学時代、山守さんも小室さんも同じスキー部員だったとの話。
そのスキー部に眞子様もいた事実。
少ない人数のスキー部内で男を、とっかえひっかえの眞子様。
しかも小室さんに乗り換えた後、山守さんも居るスキー部で活動継続。
小室さんに騙されたとかいう風潮は、あまりにもおかしい。
2012年の留学中に英国で知り合ったアジア人や日本人とも関係を持って・・・(以下略)
詳細は、以下のスレッドでどうぞ!!
〔2chのスレッド〕:https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532735877/
〔記事元〕:http://www.laf.im/yahoo_co_jp-news-20180703 誰彼かまわずAKI呼ばわりしてるのはフンドシ爺さんでは? 誰彼かまはずフンドシ連呼して滿足するのか。バカAKIは。 AKIって呼ばれたことはあるがフンドシって呼ばれたことはないね。
フンドシって呼ばれてるのは旧字コンプのコピペ君だけでは? どうやらAKIババアは言はれたことが理解できなかつたらしい 古文で答えを見ても納得いかない問題があるので、アドバイスお願いします。
下の画像の文中(写真一枚目)の傍線部Cの内容を答えろという問題(写真二枚目が問題です)で、Cの内容というのは自分がシャーペンで波線を引いた部分に当たります。その波線部の口語訳は三枚目の写真の黄色いマーカーをひいた部分です。
この問題の正解は4なのですが何故ですか?口語訳にも女御は歌も詞も間違えなかったと書いてあるからテストに成功したと書いてある1番もいいんじゃないでしょうか?アドバイスお願いします。
解説によると重要なのは波線部に加えてCより後ろの文もだそうです。
解説にはなぜ「かかること」が結果を含まず暗唱したことしかさしてないと言い切れるのかの説明がないです泣
https://i.imgur.com/6GIXzmp.jpg
https://i.imgur.com/0ReZ4V3.jpg
https://i.imgur.com/eDNbQqo.jpg 飛び入りで失礼します。
>>707
「<かかること>なむと、父大臣は聞き給ひて、御装束して、手洗ひなどして、ところどころに誦経などし、念じいりてぞおはしける。」
意味は
「<こういうこと>だとお父様はお聞きになり、御正装なさって手洗いなどもし、所々で読経なども行って、ひたすらにご祈祷なさっていらっしゃった。」
つまり、何をお聞きになったから、身だしなみを整えて手洗いをして読経してひたすらにご祈祷をなさったのか、です。
ふつう、この手の問題は「ききたまひて」のように「て」ではなく、「に」「を」「ば」を使うことが多いのですが、結果としては同じことです。
「このことをお聞きになったので」「ひたすらにご祈祷をなさった」
1.成功するときいたら、わざわざ大げさにお祈りする必要はない。
2.失敗すると聞いても同じ。
3.解釈ではなく、「いひたがえる」ことがなかったわけだから暗誦。
5.前段に「成否が父にかかわる」ということは触れていない。 古文でも現代文でも、修飾語や主語がかかる<述語>に着目することを忘れてはいけません。 >>707
もし正解が1だとしたら、何のために大臣は、御装束、手洗い、読経などして「念じたま」うたのさ?
娘の暗誦テストに成功することを「念じ」たんでしょ?
だから「きき給」うた段階では、テストの成功をまだ知らないと解釈するのが理の当然。 「む」っていうのは推量の助動詞で訳は「〜だろう」だから 花咲かむ の訳は「花が咲くだろう」
「め」というのは「む」の已然形
ここで疑問
花こそ咲かめ←訳は花が咲くだろうって書いてたけど已然形はすでに起きたことだから花が咲いただろうじゃないの?(日本語としておかしいのはわかるけど已然形だから。) >>712
已然形そのものは完了の意味をもちません。
已然形は今では仮定形と言われます。
完了の意味を表す語は「つ」「ぬ」「たり」「り」 過去の意味を表すのは「き」「けり」
たとえば、「つ」「ぬ」「たり」「り」の未然形ももちろん完了を表しますし、
「けり」「き」の未然形も過去を表します。
日本語の活用形は、時制を表すものではありません。 >>713
返信ありがとうございます
でも仮定形と已然形って別物ですよね?
仮定形はなんか不確定の条件で、已然形は確定の条件で已然形はすでに起きたことを表すんだから
推量の助動詞で已然形があって「咲くだろう」ってすでに起きたことではない訳になるのが矛盾してると思うんです。
一応予想なんですが已然形になってるだけで文の中では已然形の意味になってないってことですか? >>715
あなたが言ってるのは「仮定形」ではなくて、「仮定条件」のことですね?
已然形は仮定形ですよ。
おそらくあなたは活用形と、助詞・助動詞とをごっちゃにしてしまってるようです。
たとえば未然形は「未だ然らぬ形」と書きますが、実際にはすでに行われた行為でも、過去の助動詞でも、未然形になります。
已然形は「已に然る形」と書かれていますが、別にすでに行われた行為という意味ではなく、これから行われることにも使われます。
この活用形につけられた「已然形」「未然形」という用語は、少し複雑な理由からついた言葉です。
確定条件の「ば」に接続するから「已然形」と名付けられ、
「む」や「ず」に接続するから「未然形」と名づけられた。
確定条件の「ば」や完了の「り」に、すでに行われていると想定する意味があるのであって、已然形そのものに已に行われた行為という意味はありません。
仮定条件の「ば」や「む」「ず」にまだ行われていないという意味があるのであって、未然形にはまだ行われていないという意味はありません。 >>716
返信ありがとうございます
主に下に続くフレーズに条件がついてて已然形そのものに条件はついてないってことかあ。
活用形に意味を見出すんじゃなくて助動詞の方に意味を見出さなきゃいけないんですね、わかりました。 すいません、以前このスレで「朝鮮」の振り仮名は『てうせん』だと教わったのですが、
最近戦前の小学生の作文(当時は綴方ですか)の生原稿を見る機会があり、そこには
『ちやうせん人』とありました。これはつまり、昔の小学生が間違えてるんでしょうか。 >>718
「歴史的かなづかい」の「正解」を定めるって、案外複雑なのよ。
日本語の音韻はどんどん変化しているし、それをどう表記するかっていうルールも様々だから。
特にややこしいのが、いわゆる「字音仮名遣い」…「漢字の音読みを、歴史的仮名遣いでどう表記するか」のルール。
音読みってのは、中国語という「外国語」の発音に基づく読みであることはご存じだよね。
それを「日本語の音システム」で拾い上げて、かな表記する。もうこの段階でカオスが生じるのは容易に想像できる。
例えば、waterを「ウォーター」と表記するか、「ワラー」と表記するか。どっちが正しいって決められる? という話
さらに中国は広いし、歴史も長い。ひとつの漢字について、多種多様の発音(時代の違い&方言の違い)があり得る。
かてて加えて、日本語もずいぶん歴史が長い言語。
「朝」の読みを、大昔の人ががんばって「てう」と表現しても、何百年後の日本人の耳にそう聞こえなければ「ちがうだろ、『ちやう』だろ」ってなり得る。
という事情から、字音仮名遣いはなかなか定めがたいの。現在でも、辞書によって同じ字のかなづかいが違ったりするから。
で、ご質問の「朝鮮」だけど、江戸時代〜明治時代のテキストには「ちやうせん」表記をしばしば見かける。
間違いなのかもしれない。けど、「ありがちな間違い」であったろうことは間違いない。
となると問題は、「それが社会的に容認されていたかどうか」になる。学問的どうか、ではなくてね。
仮名遣いってのは、あくまでも「社会のルール」だから。
社会的に認められていたかどうかは、私にはわからない。図書館に行けば、戦前の尋常小学校の教科書とか普通にあるから
それで確認してみることをお勧めする。 「〜せむ」の発音が〜センとなってきたとき、昔は「ん」の字がなかったから、「せう」と当て字していた
やがて表記通りにセウと発音する人が出てきて、やがてセウ→ショーの発音に変わってきた
だが、実際の発音はショーなのに表記は保守的に「せう」と書いたのである
そうすると、ショーは「せう」と書くものだと丸暗記して、醤油を「せうゆ」、泥鰌を「どぜう」と書くのが一般的になってきた
しかし、これは誤った類推であって「正しい」歴史的仮名遣いではないのである
元々は、醤はシャウ、鰌はムズカシイのだがどうもヂャウのようである ※ この漢字音の「しゃう」とか「ぢゃう」などというのもシャンやヂャンへの当て字なんだろうけど 思うに朝鮮を「てうせん」と書いてしまうのは「せうゆ」からの類推だろう >>724
「し」(現代語なら「い」)で終わる助動詞って意味でしょ
あまり難しく考える必要はありません。単純なもんです。 294 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/06/28 12:25:50
2018年現在、失笑の誤用は複雑な様相を見せている
それでは順を追って説明しよう
・2011年、文化庁が「呆れて笑ってしまう意味で使われる事も多い失笑という言葉が、笑いも出ない位呆れてしまうという意味だと誤解されている」とする意識調査の結果を発表
・この発表を受け、各ニュースサイトやブログは次々と失笑の誤用をネタにした記事を作成するも、なぜかこうした記事群の中で「失笑を呆れて笑う意味で用いるのは誤用」という誤った情報が発生・拡散
・誤情報を信じた人達の間で、「失笑の本当の意味は絶対我慢するのが無理な面白さによって笑う事」とする珍解釈が発生
・さらに、既に失笑を呆れたり馬鹿にして笑う意味で用いている「失笑を買う」「失笑を禁じ得ない」等の表現に関して、「その組み合わせでのみ呆れたり馬鹿にする意味が生じる」とする珍解釈が発生
169 iOS 2018/06/28 16:19:12 ID:uLtGj8Ht
>失笑の本当の意味は絶対我慢するのが無理な面白さによって笑う事
正確には語源の中国語レベルだと「これもあり」だったかもしれないんだが
戦後日本の一般表現レベルだと死に絶えてるみたいで「失笑するほど楽しい」とか書いてて違和感しかないな… 「失笑する程楽しい」といった場合、
滑稽、おかしい、愉快、と同じように、間抜けなものをみて「楽しい」という風潮があるのかと受け止めるのが普通かな。
間抜けなものを見たときに失笑するのがふつうだから。 >辞書を読んでも内容を理解できない奴がいる
↑
バカAKIババアのこと。
かういふことを言ふやうでは文盲、低能と言はれてもしかたないよね。
↓
>"以"に他動詞の意味はありませんよ。前置詞と副詞の意味です。(新字バカAKIのマヌケ發言その5) 望月って人の本で推量の助動詞むのおさらいってかいてるところの意味のまとめに推量 意志 勧誘 仮定 婉曲
ってあるんですけど結局推量になるばあいって3人称のときだけですよね?(そして未来を表す) >>729
もしかして5つとも推量あらわすのかなあとかおもったりしちゃってます >>727
普通あんまり肯定的な笑いは指さないよな 主語が「3人称のときだけ」とは限らないよ。
言葉に100%ではないのです。
状況を考えて、推量になりやすいのは三人称主語の時。
勧誘の場合は主語が書かれないのが基本(英語の命令文とおなじです)。
意志の時も主語は書かれないことが多い。
あえて一人称や二人称の主語を書いた場合、推量になることがあります(和歌や独り言のなかで) >>730
意志(勧誘、命令)と、推量(適当、仮定)はまったく違います。
大きく二つに分けるのがいいでしょうね。 >>731
漢文で「笑」が「愚かだと思った」の意を表すことが時々ありますが、その意味もあるでしょうね。
失礼ながら(そんな風に思うのは間違っているだろうけど)、笑ってしまった(つい馬鹿だと思っちゃった)。
そんなニュアンスでしょうか。 関係ないこともないが基本最近の日本語の話みたいだな 形それぞれに意味を求めたらちょっとだめかもしれないと思い始めた
質問です
人知れずうち泣かれぬ
訳:人知れず泣かずにはいられなかった
この泣かれぬのぬってなんなんですか?打消しですか?どっかにかかってるんですか?完了ですか? 質問です
名詞・連体形+なり
ってあるんですけどこのときのなりって体言となりうるんですか?
連体形+なりだから 1春ならましかば、花も咲かまし。
1は反実仮想
→Aませ(ましか、せ)ば、Bまし。
ませか、ましかか、せをいれられるっぽいんですけどきの未然形の「せ」って
反実仮想じゃないんですけどいいんですかね?ませとましかは反実仮想表すと活用のところにのってたのにこのなかで
せだけないんできになりました。 https://www.hello-school.net/haroajapa010012.htm
このサイトの順接の仮定条件ってのに「雲にものらむ」
ってのがあってらむという現在推量の助動詞が入ってるけど推量の助動詞「む」と「けむ」はらむの場所に入りますか?
教えてください! >>739
連体形+断定の「なり」は、
連体形と「なり」の間に名詞が省略されていると考えるといいでしょうね。
「愛するなり」は「愛するすること(愛する人、愛するもの、愛するの)である」という意味。
「なる」と連体形にすれば、準体法で体言扱いできます。
「なり」のままでは無理です。
たとえば「愛す」は体言にはなりませんが「愛する」は準体法で体言と扱えます。
つまり、下に「もの」「こと」「ひと」など何らかの名詞が省略されてると考えることができます >>744
「乗る」の未然形「乗ら」に「む」がついただけで、
「らむ」は全然関係ないですよ。
「乗る」に「らむ」を付けたら「乗るらむ」です。
「らむ」は終止形の下につくんです。 >>743
日本の古語(文語)は、中古(仮名文字が発明された前後)の文法に従う言葉です。
「まし」の活用は、古語(文語)においては
ましか ○ まし まし ましか ○
「ませ」は日本の文字がなかった上代に使われていたものなので、文語文法では扱われませんし仮名文字で表記されることもなかったものです。 現代文では重要だなあと思うところに線を引きながら読んでいくのですが、
古文・漢文では線を引きながら読むことができません。内容一致問題が
出たときはどういう風にしたらよいのでしょうか? 受験生なのですが、現代語訳の無い問題を解いてしまい、調べても出てこず行き詰ってます。楊雄論というやつからなのですが訳わかる方いらっしゃったらお願いします。
言を以って人を取るは、偽の従い出づる所なり。昔者(中略)孔子少正卯を(于)魯に誅す。
聖賢刑罰大権を彰(あき)らかにする所以の者は、豈に好んで為すに已に甚だしからんや(哉)。他に無し。
深く其の言の不実にして、(而)偽学の以って世を欺くに足るをや(也)。楊雄の書、孔子を誦法す。
周秦自り以降、聖人を折衷し、(而)(于)道徳を純にするは、焉に過ぐる者有る莫し(也)。抑も其の尽く(于)偽を出だすを知るや(哉)。
王莽将に漢を簒(うば)はんとし、恭倹もて以って士に下る。雄の澹泊にして自ら守る。栄利其の中を動かすこと無きが若し。
其の初蓋し莽の心を悦ばせんと欲するも、久く及んで未だ用いられず。躁(さわ)げども禁ずる能はず。
乃ち奏を劇し新を美(ほ)むるの文を為して以って媚を献ず。(中略)其の独り柄用を得ざる者なり。
莽嘗て雄と同じく郎為り。莽の偽、雄之を知れり。雄の偽、莽もまた習ひて之を知るなり。(中略)相ひ率ゐて(而)偽を為す焉爾(のみ)(矣)。
已に当世の笑ふ所と為れり。
後の君子顧て或いは(于)雄を取ること有るは、徒に其言の(于)聖人を詭(いつ)はるをや(也)。夫れ安居して(而)周孔を誦習す。
事に迨(およ)んで変じ、猝(にはか)に難に臨んで(而)其の正を失はざるに至る者希(まれ)なり。
(中略)噫、吾能く必ず其の言の(于)偽に出でざらんなりや(邪)。 >>749
問題を載せてね
ちなみに、置き字はすでに送り仮名で表記されてるから書き写す必要はないよ。 書き下し文ではなく、原文と問題を載せなきゃ教えようがないよ。 なかなか難解だな
雄の淡泊にして自ら守る→莽の心を悦ばせんと欲する〜媚を献ず
このあたりは歴史を知らない限り解釈は無理っぽい
設問は内容理解ではなく、書き下しや語法が中心なのかな? 「偽の従い出づる所」じゃなくて「偽の従りて出づる所(それによって偽が出てくるという元凶、原因)」
「昔者」じゃなくて「昔は」
「偽を出だす」じゃなくて「偽に出づる(偽から出てきたもの)」
無他,深惡其言之不實,而偽學之足以欺世也。
「他に無し。 深く其の言の不実にして、(而)偽学の以って世を欺くに足るをや(也)。」ではなくて、
「他無し、其の言の不実にして、偽学の足りて以て世を欺くを深く憎めばなり。(ほかでもなく=まさしく言葉が空虚で世の中を欺くほどに偽学が進むのを深く憎むからである)」
「抑も其の尽く(于)偽を出だすを知るや(哉)。」ではなく
「抑も其の尽く偽に出づるを知るや。(偽から出たものであることを知っているか)」
その他もろもろ間違いが目立つ気がします。 「偽の従い出づる所」じゃなくて「偽の従りて出づる所(それによって偽が出てくるという元凶、原因)」
「昔者」じゃなくて「昔は」
「偽を出だす」じゃなくて「偽に出づる(偽から出てきたもの)」
無他,深惡其言之不實,而偽學之足以欺世也。
「他に無し。 深く其の言の不実にして、(而)偽学の以って世を欺くに足るをや(也)。」ではなくて、
「他無し、其の言の不実にして、偽学の足りて以て世を欺くを深く憎めばなり。(ほかでもなく=まさしく言葉が空虚で世の中を欺くほどに偽学が進むのを深く憎むからである)」
「抑も其の尽く(于)偽を出だすを知るや(哉)。」ではなく
「抑も其の尽く偽に出づるを知るや。(偽から出たものであることを知っているか)」
その他もろもろ間違いが目立つ気がします。 漢字の字形の成立に、象形・指事・会意・形声とあるけれど、
「串」の字は、象形と指事のどっち 古文の接続助詞「を、に、が」について。文法的意味は「逆接」「順接」「単純接続」とあるが、これは「が、に、を」の前と後を読んで文の関係から考えるしかないのだろうか。
逆にいうと一読で判別する考え方というか思考の方法はないのだろうか。昔の人は「が、に、を」で文が繋がれたときどのような思考をして理解していたのか知りたい。
もう少し言えば「が、に、を」の前の文を理解して、「が、に、を」が出たらそこで思考をストップさせ、後の文を聞いてから「あぁ、逆接なのね」なんていうまどろっこしい思考方法をしていたのだろうか。 高千穂交易 イスラエルのスーパースマート社の新世代チェックアウトシステム「Supersmart」の取り扱いを開始 >>758
それは「に、を」でしょう?
「が」は現代語と同じく<逆接>と<単純接続>
今の人がいちいち<逆接>なのか<単純接続>なのかをわざわざ区別したり判断することなく「が」を使うのと同じように、昔の人も思考のストップなどなく、自然な思考の中で区別をつけずに使っていたのでしょう。
「私はほぼ毎日散歩をしているが、その際は必ずスニーカーを履くことにしている。」(単純接続)
「私はほぼ毎日散歩をしているが、彼は全く散歩をしない。」(逆接)
日本語を母語とする者は、どっちが単純接続なのか、逆接なのか、あえて判別をつけずに自然にその意味を理解する。 男のフリをするネカマの日記『土佐日記』はどうして紀貫之ってバレたの?
ネカマバレて恥ずかしくなかったのかな? 楚辞の一節なのですが
夜光所コ死則又育?
厥利維何而顧菟在腹?
この文の2段目は「兎は何の得があって月にいるのか」と「月は何の得があって兎を月に置いているのか」のどちらに解釈すべきでしょうか >>762
菟は兎なのか?
訳本にはどう解釈してある? 日本語訳を載せてるサイトだとサイトによって訳が前者だったり後者だったりまちまちです 質問失礼します(スレチでしたらすみません)
徒然草第25段「飛鳥川の淵瀬」の「御堂殿の作りみがかせ給ひて、庄園多く寄せられ」の部分の助動詞「られ」を尊敬ととる理由がわかりません。
受身ととって「荘園も多く(道長に)寄進されて」という意味だと考えてしまいました。解説書や全集をいろいろ見ましたが「寄進なさり」と訳されていて納得がいきません。ご教示願います。 道長が自分の荘園の一部を寺に寄進したんでしょ
道長に荘園を寄進したするというのは、国語よりも社会通念として変
寄進は寺や神社にするものだと思う >>767
ありがとうございます。しかし有力貴族や摂関家に寄進することもあるのではないでしょうか?むしろ史実的に道長が寄進した、というのは若干もやもやするところがあります。自分が作った寺に移譲したというようなことなのでしょうか。 >>768
文脈上、京極殿や法成寺の話をしているわけだから、>>767の解釈が正解。
この一節のみ道長への寄進の話をするのはおかしい。
加えて、「る・らる」は一般的に、無生物主語の場合は受身文を作らない(けっこう例外はあるけど)
受身だと「荘園『が』多く寄進され」と、無生物の荘園が主語になるので、いささか不自然。 >>769
ご指摘ありがとうございます。
なるほど!とても腑に落ちました。丁寧なご説明をありがとうございます。感謝いたします。 >>761
あんたバカ?
ネカマじゃなくて、
たんにそういう構成にしただけ。 >>766
直前が接続助詞「て」で繋がれているから一般的には主語の転換無しに「道長が荘園を多く寄進なさって」となるかな。 英語の本を読んだのですが
「江戸時代、日本人はオランダ語や英語にレ点をつけたりして、漢文のように読み下し文を作って読んでいた」
と書いてるんですが、事実ですか? それがどのくらい一般的だったかは知らないけど
オランダ語に訓点つけた『訓点和蘭文典』っていうのがあるよ 係助詞ぞ、なむ、や、か、こそなんですが、係り結びある一文の時は、
英語でいう強調構文として考えちゃってよいのでしょうか? ベツスレで、青文字はすべて自分だと名乗ってるやつがいるけど… >>776
☆的を「得る」とか「役不足」を誤用する馬鹿 24☆
26名無氏物語2018/10/15(月) 08:54:16.68ID:wQ1lzbHi
この絲、私以外は全員ageで書き込んでをるが、一人のマヌケの自演なのか?
27名無氏物語2018/10/16(火) 07:51:47.90ID:ue3ppPVJ
いや、あんたそんなたくさん自演してたの?
↑
こんなマヌケな返事して恥ずかしくないの? 余計なお世話かもだけど…
sage投稿が全部自分(自演)で、それ以外の書き込みは他の一人の自演ではないかと言い出す人のほうがマヌケな気がする いや、↓こういうことを言う奴がマヌケだねえ
★新字バカAKIのマヌケ發言その1
>白川静…漢文学者、中国史家
>つまり中華思想の持主。日本を中国の属国にしたくてそう言ってるんでしょ。
>結局、繁体字大好きなのは、中華思想にとりつかれて、日本を見下している連中。
★新字バカAKIのマヌケ發言その2
>世界中の傲慢な華人(漢民族)や、香港等でも使われている「中国国語」の文字が繁体字。
★新字バカAKIのマヌケ發言その3
>繁体字というのはシナ文字のこと。
>朝鮮でも日本でも、繁体字はあくまで「古代文字」に過ぎない。
★新字バカAKIのマヌケ發言その4
>語法や文法を効率よく説明するためには、既存の文章を探してくるのではなく、ピンポイントで説明できる文を自分で作ってあげるのが一般的です。
★新字バカAKIのマヌケ發言その5
>"以"に他動詞の意味はありませんよ。前置詞と副詞の意味です。
★新字バカAKIのマヌケ發言その6
>支那国語表記における正しい書体が、日本国語表記における正しい書体とは言えないことは>両国言語の構造の差異を解するものであればまず否定しえぬ事実ではないか。
大漢和辭典
【正字】セイジ→字畫のただしい文字。もとの字。本字。俗字・譌字・省文即ち略字などの對。
【正體】セイタイ→ただしい形の書。正しい書體。
★新字バカAKIのマヌケ發言その7
>大漢和辞典ということは、それらは日本語ではなく漢語だということか。 ★新字バカAKIのマヌケ發言その8
>現在の国語教育の乱れは、漢字の増加によるものかもしれない。
「北海松贇,性剛烈,重名義,為石門府隊正。大業末,有賊楊厚擁徒作亂,來攻北海縣,贇從郡兵討之。」
★新字バカAKIのマヌケ發言その9
>北海の松(河)に贇は住んでいた。
>大業年間の末(615年頃)に謀反が起こり、楊(おそらく煬帝)にとても寵愛を受けていた人物が協力して乱を起こした。
★新字バカAKIのマヌケ發言その10
>台湾繁体字は平均的な日本人でもわかるような過去になかった
新字バカAKIのマヌケ發言その11
>台湾繁体字台湾繁体字とわめいているが
>それを見ている我々に使用フォントを代えろと一度たりとも言ったことがない
>フォントを切り換えると日本の漢字と台湾繁体字とは違う字がどっさりあるんだが
★新字バカAKIのマヌケ發言その12
>支那人って漢族の事なんだけど?
★新字バカAKIのマヌケ發言その13
>鮮卑も匈奴も蒙古、満州の民族な。
>繁体字は蒙古(満州)が建てた清王朝の時代に整備されたモノ。
★新字バカAKIのマヌケ發言その14
>褌とは、現代では常用する人間が少ない、一般的には常用が受け入れられないものの象徴。
↑
こういうことを言う奴がマヌケだねえw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています