李氏朝鮮VS琉球王国
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>>107
お前の言っている意味が分からない
少なくとも歴史的用語の琉球はうちなーと完全に同じだぞ?
使い分けは一切されていない。
外国かぶれは琉球と呼ぶが、
地元のパンピーはうちなーと呼ぶってだけ。
海東諸国紀に琉球=現地語ではうちなーですとはっきり書かれているからな。
要するにどっちも現代で言う沖縄本島のこと。
>>108
台湾の事。澎湖諸島の向かいにあると書かれているからな。 >>109
「るーちゅー」「どぅーちゅー」が「うちなー」と同じ?
琉球の用例が宮古や八重山では当てはまらない例ってどんなんじゃ? 火㷁について朝鮮王朝実録を調べてたんだが、
恐らくこれは「火筒」と全く同じだと思う。
火筒という語も朝鮮王朝実録で使われているが
発音が同じ。火㷁は朝鮮独自の漢字表記に過ぎないと思われる。
火㷁碗口についてはこれは、二種類の武器を併記したのではなく
いわゆる「碗口銃」を当時の朝鮮では
単純にそう呼んでいた、というだけである可能性がある。
確かに、火㷁が火砲などと併記されている記載もあるが
それと同時に、火㷁箭という表記もあり、
火器専従部隊が「火㷁軍」と称されていた事実もあり
15世紀半ばには火器の総称として「火㷁=火筒」が
使われていたという主張には一定の妥当性がある。 琉球=うちなー(漢字の当て字)と書かれている記述をどこかで見たが
海東諸国記ではなかったな。こりゃ失礼。 >>110
全く意味が分からないな。
琉球の用例が宮古八重山では当てはまらないって
何が言いたいの?
少なくとも宮古八重山では琉球なんて言葉は使わないよ?
例:仲宗根豊見親のあやぐ
空広が、とよみやぬ、あやごどそ
おきな(沖縄)から、みおまいから、みおこい
さらに琉球は沖縄本島しか指さない言葉だよ?
海東諸国記:琉球国紀より
「国在南海中南北長而東西短」
これはどの史料でもそうなっている。
朝鮮王朝実録でも明史でも。
現代で「琉球王国」と表現される領域は
沖縄本島=琉球国は、他の島も治めています
という表現であらわされている。
沖縄本島以外は「琉球」じゃないんだよ。
同時代人は全員そう認識している。 53マンセー名無しさん2018/06/24(日) 10:05:54.60ID:8yW7/weD
支那人は漢語の「琉球」に対応する土語は「おきなわ」だと思っていた。
網羅的に調べたわけではないが以下の例がある。
陳侃、高澄の『使琉球録』「夷語附」(1535)は漢語「琉球」に「倭急拿」を対応付ける。
『琉球館訳語』(16世紀後半?)には「琉球」を含む複合語が何度も出てくるが一貫して「倭及那」と訳している。
潘相『琉球入学見聞録』(1764)も「琉球地」を「屋其惹」とする。 火㷁=火筒は同じで(発音は確実に同じ)
単に漢字表記が違うだけ。これは確実と思われる。
基本的には管形火器と解釈してよい。
中国の管形火器は、宋代のごく初期の「火槍」に始まり
(これは槍に紙で包んだ火薬をくくりつけたもので
敵の前に突き出して爆竹で驚かせて
その後は普通の槍として用いるもの。
火槍は後代、これから発展した管形火器の呼称としても用いられる)
宋代後期の竹でできた管形火器「突火槍」「突火筒」に発展する
(これは竹の筒にグリップをつけたもので
見た目はもののけ姫の手銃に近くなる。
しかし中身は前代の火槍の拡大版で
噴出する火気で敵を驚かせたり火傷を負わせたりするのがメインで
火気が吹き出し終わった後に弾丸が飛び出したという。宋史にそう説明されている)
元代にはこれが金属でできた管形火器に発展する。
この頃から銃と言う言葉も出てくる。
銃と言うのは本来金属に穴をあけた物品を指す。
朝鮮王朝実録に出てくる火筒、銃筒はどういうものだったか。
銃筒に関しては
実は朝鮮王朝実録に図がある。
もののけ姫式の手銃だが
銃身が長い。なぜかというとメインの発射物は矢だったから。
矢には推進剤はついていない
銃筒には種類があって
複数本を打てるものもある(銃身は一つ)
火筒はその前身で、ほぼ同じと考えてよい。
ただし材質は金属に限らなかった。
朝鮮王朝実録にも竹の火筒という表現が出てくる。 >>88
あなたのいう弾丸が無かったというのは
火筒・銃筒と形容される
個人携行火器に限る。
それは確かに弾丸では無く矢を使っていた。
恐らく火薬の威力不足の中で
軌道を安定させて少しでも飛距離を稼ぐためだろう。
17世紀になって、性能不足のために
「明の鉄丸銃筒に比べるとウンコ。子供のおもちゃ」
と形容されたのも確か。
ただし碗口は間違いなくあった。
碗口は大型の弾丸を発射する。
図示もされているから間違いないところだ。
だから弾丸がないというのは語弊がある。 火器の発展史を概観すると
形云々よりも火薬の調合・精度が大きなハードルになっている。 >>108
白鵬が、モンゴル皇子が居住していたことを知って沖縄に親近感を持ちました
とか言ってたんだっけか 15世紀半ばに編纂された「國朝五禮序例」 兵器圖說 には、
「銃筒碗口」として
碗口銃の図説が載せられているから、
「火㷁碗口」は一語であって
要するに碗口銃というのがFA。
朝鮮では単純に慣用的に
「火筒碗口」と表現していたのだろう。
金属性火器の普及によって
用語が火筒⇒銃筒に変わって
兵器圖說では「銃筒碗口」と呼ばれているってだけ。 首里城公園 展示会資料集 王家の秘宝
http://oki-park.jp/shurijo/event/3499/3814
同じ形式の拵えが随分と好きだったみたいだねえ
解説文からすると琉球製であることを疑ってないようだけど >>78
青貝巴紋散合口拵 製作年代:16世紀
ttp://oki-park.jp/userfiles/images/shurijo/event/kikakuten/2018/1806_oukehihou_26.jpg
青貝微塵塗印籠刻鞘合口拵 製作年代:16世紀〜17世紀前半
ttp://oki-park.jp/userfiles/images/shurijo/event/kikakuten/2018/1806_oukehihou_29.jpg もし琉球諸語が島から島へとゆっくり広がったのであれば
(奄美 (沖縄 (宮古 八重山)))
のような系統関係になっていそうなものだけど、現在得られている手がかりを見るかぎり
((奄美 沖縄) (宮古 八重山))
のように大きく南北で分かれる。
トマ・ペラールは、これを日本語系の話者が短期間に一気に広がったことの傍証とする。 どういう理屈でそうなるの?
あと実際の地元民からは
八重山と本島の方言は
似てるって良く言われるんだが
学者のセンセイ方としては
あくまで別ということ?
逆になんで実際の話者は
そういう印象をもつんだろう 今の本島と先島の方言はどちらも同じ程度内地の言葉が入ってるからそりゃ似てるだろ 日本語分からない人?
宮古と本島の方言は似ても似つかないが
八重山の方言は意外と通じる
という印象を持つ人が多いという話しなんだけど。
ただの印象だろうというなら
それはそれでいいんだけどね。
宮古の方言が意味わからんのは
県民の総意。
ていうかお前みたいなアホの意見とか
聞いてないから。チラ裏でよろ。 新着レスがあったと思ったら
ただのアホだったわwww
先島と言っても宮古八重山じゃ
文化が全く異なるからなwww
仲も悪いし。
何が論点になるのか全く理解してない >>124
現代の言葉が全体的に似ているかを適当に測ると
宮古だけ離れて孤立しているようではあるんだけど、
系統関係は全体的な近さではなくて、親子関係によって分類する。
五十嵐氏などはこれを「分岐学的手法」と言っている。
文化的に見ても宮古よりも八重山の方が沖縄からの影響を強く受けていみたいだけど
系統関係を考える時にはそういう借用の影響は取り除いてしまうので関係ない。
なんたって南九州と琉球が兄弟関係だととなえるくらいだからね
それに、宮古の言葉が通じない印象を受けるのは、音の体系の違いも大きいんじゃないかな http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/exhibit/held
首里・那覇のお菓子たち
会期:2018-08-03(金) 〜 2018-09-24(月)
琉球王国時代、中国からの冊封使や薩摩藩の在番奉行をもてなすのに出されたのが、
料理であり、菓子でした。王家の祝儀や法事でも特別な料理やお菓子がだされました。
当時、料理やお菓子を作る人を包丁人といいますが、包丁人が作る料理やお菓子は
接待用であり、儀礼用で、庶民の口には入りませんでした。
1879年の琉球処分(沖縄県設置)以降、中国や薩摩藩への接待はなくなり、包丁人は
活躍の場を求めて、首里・那覇に下りていきました。首里・那覇では、自由に商売が
始められ、本土から菓子職人や製造技術も入り、お菓子専門店も開店しました。
庶民が求めやすいお菓子も作られましたが、通常は行事ごとのお菓子を作るのが普通でした。
今回の企画展では、接待用のお菓子から庶民が口にするものまで、首里・那覇を中心に
作られたお菓子の数々を写真パネル等で紹介します。 >>96
古事記に六国史どころか日本外史まであるじゃん・・
中国人すげえw 言語的には奄美群島は鹿児島経由か伊豆諸島経由の可能性が高いと思います
本島と奄美群島よりもたぶん伊豆諸島のほうが結びつきつよい 現代中国人が何でもネットにアップしていてすごいのはそうなんだけど
それはそうとして、漢文だけ見ていたら認識が歪むよなあとは思う。
琉球が倭寇の受け皿として成立したのかは定かではないけど
ともかく支那との関係において本土との関係を隠蔽するという点では一貫している >>123でさらっと「沖縄」、「奄美」と書いたけど
与論以北の島々が単なる行政区分としてだけでなく
言語系統の上でもまとまるという説は
実は最近になってペラールが言い出した。
今のところ特に反論も出ずに業界で受け入れられている模様
https://hal.archives-ouvertes.fr/tel-00444150
https://hal.archives-ouvertes.fr/hal-01289257 >>129
ええなあ面白い
初めて見たわ
サーターアンダギーみたいな揚げ菓子は昔からあったんやろか? 分岐学的手法で「奄美」が浮かび上がるということは
奄美祖語という理論上仮定される言葉を話す集団がいて
それが島々に広がって枝分かれしていったということ。
これがもし本当だとすると、意外な発見だ。
文化的には与論と山原との間にそんなに明確な断絶はなさそうだし
奄美は薩摩が恣意的に切り取ったものだと一般には思われている。
実際、弓削政己のような奄美の研究者も
どうして薩摩は与論までで境界を引いたのかと不思議に思っていたようだ。
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2011/10/post-e368.html
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2013/10/post-f7f2.html ちなみに三線は徳之島より北側が奄美三線、
沖永良部島より南側がな琉球三線になる。 うちの爺さん世代もそうだったけど、話を聞くと沖永良部島でも奄美の島唄は歌われるし、徳之島でも琉球民謡は歌われてた
線引きすると思考が楽になるだろうけど、あまりにも断定口調だと現地から見ると知ったかぶりの書生さんに見えてしまうな 琉球と奄美では同じ歌を歌ってても音階が違うんでなかったか? 例外がいろいろあるにしても、全体として徳之島と沖永良部島の間に
音楽上の比較的はっきりした境界線が引けるのは確かだ
音楽に関しては不案内で最近の説がどうなっているかわからないが
手元にあった小島美子の1977年(!)の論文にあたってみた
https://ci.nii.ac.jp/naid/40001981610
結論だけ見ると小島説は以下の通り
・沖縄音階は首里を中心に、かなり新しい時代に発生した
・律音階主体の奄美に対して、沖縄音階は次第に北上してきた
・徳之島と沖永良部島との間の境界線は歴史的にそう深いものではない
与論島と沖縄本島の間に古い境界があるとは一言も言っていないけれど
奄美を系統上のまとまりと見る説とは少なくとも矛盾はしない。
それにしても「書生さん」か。なかなか2ちゃんでは見かけない物言いだ 首里を中心とした思考性に凝り固まり硬直してしまった首里原理主義脳さんかな
与論島クオリアを担ぎ出してくるあたりも「書生さん」なんだよねw 実際に徳之島出身者などに三線を弾く知り合いとかがいるから、
そのあたりに聞いてた話なんだけどね。
書生呼ばわりされるとはw 書生さんでなくとも自称研究者とか言う岸政彦のようなナイチャーがイデオロギーまみれの思い込みで、自分に都合のよいサンプルだけを切り取って南西諸島について断定してる悪質な事例が散見するからな
俺としては優しく指摘したあげたんだが 岸政彦の悪質さは自分の都合の良い沖縄像に合わせるためにサンプル選びやヒアリングまで奄美を完全に抹殺してるところだな
まあ、奴らのようなナイチャーにとってパラダイスな沖縄を本土から分断したいんだろうからそりゃ沖縄と内地の間に線引きしたくて堪らないだろうし、奄美は邪魔でしょうがないだろうよw まあ、そういう連中は研究者やジャーナリストと言いつつ沖縄を政治利用したい気持ちと、そもそも南西諸島について知らないだろうと思うが
最近は自分たちでもそれを気づき始めてるのか文学者なやうなアーティスト気取りで沖縄を語ったりしてるのが笑いが止まらなくてな 歴史や文化などの島の物を売名に使い、売り物にする屑商売人は許せんなー 一度でまとめて書けることを
分割して連投するのはメンヘラーのしるし まあそういうスレでそういうひとが集ってるから
数えるほどの住人もいないだろうけどね と、数えるほどの住人が書きこんでくれていますww
枯れ木も山の賑わい、
漢文読めない文盲もスレの賑わいwww 個人的感覚や経験も大事なんだけど
今、一般的なものであるのが
当然のものでも
実は意外と新しかったりするから
その辺注意は必要。
先日八重山方言の話しをしたが
首里に近いというのは
単なる思い込みという話しだった。 なんだやっぱりブログ主かw
あんたの基地外っぷりはみんな知ってるから心配しなくとも大丈夫だよ
大事なのは書き込みの中身だし、それはちゃんと評価されてるから 本来は言語学板に書くべき内容だがハングル板に熱心に興味を持つ利用者がいるのであえて書き込もうとしよう
思うのだが琉球語諸方言の分岐の順番を音韻構造の共通点から割り出すことはできないのだろうか?
奄美語の七母音は上代日本語の八母音と無関係なのだろうか?
有気音や放出音の存在する国頭語は非常に特殊な変化を遂げている様に見える
宮古語の子音のみで単語が成立しうる音韻体系は更に途轍もない変化の様だ 特に沖縄は教育水準が低い反映か、
知識人階級が非常にバカなので、
何でもかんでも過去に遡らせて
大げさに言いたてる。
空手の起源はてぃーだとか
沖縄そばは冊封使接待が起源だとかww
実際には空手ははっかくけんなどの
ナンパ少林拳のあからさまなパクリで
遡ってもせいぜい18世紀後半。
ナンパ少林拳自体がそんなもんだからな。
ぶっちゃけ近代中国武術自体が
歴史が浅くて明代に遡れるのは
八極拳だけ。
沖縄そばも明治時代に中華そばが入ってきてから。
本土のラーメンと起源は同じ。 上代日本語の名残か、、
13世紀にいきなり大人数の人間集団が南下して
南西諸島を文化的のみならず
遺伝的にも一色に塗り替えたというのには
やはり違和感がある。
そこまで一時に移動すると
記録に残らないのはやはりおかしい。
そもそも黒潮に遮られて現実的でないと思う。
10世紀以前に南西諸島人が
朝貢したり対馬を襲撃したり
活発に活動していた事実があり
先住民がいたのは確かなのだから、
それら先住民の多数の集団が
13世紀の劇的な変化の受け皿になったと
考えた方が自然では?
その集団も変な言語を喋っていたと
考える必要はない。
隼人族やヤク人の一種と考えれば
九州人と文化的にも遺伝的にも
大差ないのは全くおかしくない
上代日本語のバリエーションを話していても
おかしくない
その意味でも
例の琉球語二系統説には大いに興味をそそられる というか城久遺跡の集団も時期毎に単一だったのかね? いくら名無しさんで発言を追いにくいとはいえ
俺が首里原理主義に見えるのは相当なもんだ。
というか岸政彦って一体どこのどいつで、どういう文脈で出てきたんだよw
この噛み合わなさは、なんか徳之島出身の知り合いを思い出すなあ 平家の落人か
それに近い九州の負け組サムライはほぼ確実に
南西諸島に来ていたと思う。
鎌倉方の何かの記録にも
喜界島に平家が逃げたのて追っ手を送ったと
記述があるからね。
この喜界島が今の喜界島かどうかは
議論の余地があるが
最初は遠くて危ないから見逃そうという
話しになってたのを
頼朝が覆したらしいから
それなりに危ないところとなると
やはり今の喜界島とみなしていいと思う。
その意味では
やはり平家没落由来記はなかなか軽視できないし、
喜界島にも平家にゆかりのある城跡がある。
ただ城久遺跡とどこまで関係あるかと言うと微妙だ。
喜界島で平家ゆかりの遺跡は山城だ。
平家の子孫を名乗るウフジャラの家譜にも
先祖は山に住んでいたが
後代になって平地に降りてきたとある。
それに対して城久遺跡は平家の遺跡と離れており
平地にある。
若干の距離感を感じる 北奄美の7母音体系は最近は音韻的には5母音と解釈する(母音ではなく子音の違いと見る)説が優勢になっている。
いずれにしても二次的な変化であって琉球祖語にさかのぼるものではないと思う。
上代語の母音と琉球諸語の母音との間には簡単には対応しない事例があって悩ましい。
それをどうやって説明するかは服部四郎の時代からずーっと議論していて
もはや素人の出る幕はないよ。
https://hal.archives-ouvertes.fr/hal-00373303/document
この論文のTable 2が説明の一例。人によって細かい違いはあるけれど、だいたいこんな感じ。
表のPJは日本祖語、WOJが上代語、PRが琉球祖語。
この表にあるように、基本的には、日本祖語にあった区別が
上代語と琉球祖語で別々に失われた(主には二重母音が融合)から、
対応が複雑になったのだという説明になる。 南西諸島の人口が歴史的にどう推移したかを誰か真面目に推定してないんですかね。
一般には食糧生産のモードが狩猟採集から農耕に移ると養える人口が桁違いに増える。
ヨーロッパの場合、狩猟採集民がいたところに中東から農耕民がやってきたんだけど
前者の遺伝的な痕跡がほとんど検出できないくらい完全な人口の置き換えが起きたことが
最近の古代DNAの分析でわかっている。
現代から見ると笑ってしまうくらい効率の悪い農耕でもそんな風になる。 『北から生まれた中世日本』(2012)という、南島だけ追っていたら見落としそうな本があるんだが、
奄美博物館の高梨修が「鎌倉幕府成立期前後における南海島嶼海域の様子ー南海島嶼海域をめぐる政治的動態の考察」という論考をよせている。
城久遺跡群は
I期(8世紀後半〜11世紀前半)
II期(11世紀後半〜12世紀)
III期(13世紀後半〜15世紀)
と区分され、II期が最盛期だが、III期との間の13世紀前半に空白期間がある。
ここで高梨が注目するのは源頼朝による1188年のキカイガシマ討伐で、
これによって城久遺跡群の交易拠点機能が失われたと推測する。
鎌倉幕府は平氏政権とうってかわって日宋貿易に不熱心だったが、
この鎌倉幕府が奄美を支配下に組み込んだ(十二島地頭職に関して「此外五島」への言及がある)結果として、
沖縄が奄美に代わる貿易拠点として台頭したと考える。
前段階の平氏政権がII期の城久遺跡群を日宋貿易の拠点にした可能性もあるが直接的な証拠は乏しい。 >>165
宮古・八重山に台湾原住民の遺伝的影響が見られないという結論はあっているが
その図を出すのはおかしい。
系統樹は混合がないという仮定のもとで作るものだから。
本当の根拠は、図がなくて地味だが、Table 2のD Statisticsだ。
https://academic.oup.com/mbe/article/31/11/2929/2925651
この尺度で、混合の影響で理想的な系統樹からどの程度逸脱しているかを測る。
D(W, X; Y, Z)のW、X、Y、Zはそれぞれ集団で、
Wには明らかに外れ値とわかっている集団を指定しておく。
(W (X (Y Z)))
という系統樹が完全に成り立つならDは0だが、そうでなければ0から離れる。
Xから見てZとの関係が深いと正の値、反対にYと近ければ負の値になる。
結果を論文からコピって右に解釈を追加した。本当はZ Scoreというのも見る必要があるんだが省略する。
CHBは北方漢人、CEUは北ヨーロッパ系、AMは台湾のアミ族、ATは台湾のタイヤル属、MJは本土、KRは韓国、
OKは沖縄、MYは宮古、YEは八重山。
D (CHB, OK; MY, YE) -0.0002 沖縄は宮古・八重山と等距離
D (CEU, AM; MY, OK) 0.0021 アミ族は宮古・沖縄と等距離
D (CEU, AT; MY, OK) 0.0016 タイヤル族は宮古・沖縄と等距離
D (CEU, OK; CHB, MJ) 0.0171 沖縄は北方漢人よりも本土に近い
D (CEU, OK; CHB, KR) 0.0092 沖縄は北方漢人よりも韓国に近い(Dの値は小さいがZの値から誤差ではないとわかる) >>158
よくわかんないな
空手の起源は「手(てぃ)」だけど16世紀より前に沖縄にあったって主張してるの見たことない
公相君(クーサンクー)からして中国から渡ってきたってことをはっきり明示してるし、
本部御殿流だって14世紀より前には流派成立があり得ない ちょうど宮古が独自だという話題が出ているが、遺伝学的にもこれが確認できる。
下の図の(a)のように、遺伝的な距離をもとにネットワークを作ると、宮古(MY)だけ長い枝がのびて孤立する。
https://academic.oup.com/view-large/figure/74388546/msu230f4p.jpeg
上のD値からわかるように、宮古が台湾原住民と混交したからそうなったわけではない。
Table 1の対角線にD_Xという、集団内部の多様性を測る尺度が載っているが
これによると多様性は 宮古 < 八重山 < 沖縄 < 本土 となっている。
宮古で過去に人口が極端に少なかった時期があり、遺伝的なドリフトが起きたと解釈できる。
同じことが程度の差こそあれ琉球全体に言えるだろう。 本部御殿手自体がウソ。妄想設定。
上原が本部なんちゃらから空手を
教わったのは事実だろうが
本部御殿長子相伝の秘技とか
たわ言もいいとこ。
大体上原自身、そんな事いいだしたのは
高齢になってから。
そもそも空手には流派なんてないから。
本部もいろんな先生から教わって自分なりの
コツをつかんでたから
自分が先輩からしてもらったことを
後輩の上原にしてやった。ただそれだけの事。
それ以外はただの脳内設定だよ。 上原が人格的にいい奴なのは確か。
自己中心的で幼稚なクソ野郎ばかりの
沖縄空手界隈で
珍しい円満温厚な奴で人望もあった。
これは事実。
同時にあいつが年とってから
言い出したうどんとか秘伝とかいうのは
ただのウソ。これまた事実。
まあ別に上地流だってウソつきだし、
要するに沖縄では
戦後になってもこの手の
天狗に教わった式の
誇大広告がユーザーからも
求められるような
周回遅れの社会だったんだろうなってだけ。 大体上原が教える空手自体が、
うどんがどうのとか言い出した頃と
最晩年とでは違うからね。
彼は晩年には琉舞にはまってたから
空手もダンス風になってた。
まあ要するに、うどんの秘伝とかいうのはウソで、
彼は単なる上原空手を
教えてただけなんだよね。
全然悪いことじゃないよ。
それは普通のこと。 ポリティカリーインコレクトな推測を書いてみる。
ユタとかカンカカリャーは何らかの遺伝子疾患と関係する可能性はないかな。
該当者とそうでない人のDNAを集めて相関分析にかけてみたい。
何か出てきたら面白いんだけど 基地外や変態、犯罪者にも役割を持たせるのは現代より進んでいた原始社会の福祉と言う定説 病身舞とかインドのあれとか日本でも福の神として崇めるらしいな
完璧じゃない物を特別視する発想は多い 幻視幻聴なんて珍しいもんじゃないよ。
一週間寝なかったら
誰でも体験するよ >>176-177
福助とかな
韓英一や篠沢一男も火神として崇められる時がいつか来るだろう ペラールが挙げる奄美・沖縄の分類根拠を見てみる
アスタリスクは理論上の再構形を、BとCはアクセント型をあらわす。
https://hal.archives-ouvertes.fr/hal-01289257
奄美を特徴付ける共有改新
・琉球祖語の *kakozu C(あご)の第2音節が *u>a と不規則変化
・ホコリが ɸuɸuŋ のような形に不規則変化
沖縄を特徴付ける共有改新
・琉球祖語の *kame B(亀)の第1節が長音化(首里:kaːmiː)
・琉球祖語の *pato B(鳩)の第1音節が *a>o: と不規則変化(首里:ho:tu)
・琉球祖語の *pago B(憎い・きらいだ)の意味が「汚い」に変化 日本人起源 ゲノム歴史学で解明へ 離島など500人解析
https://mainichi.jp/articles/20180911/k00/00e/040/178000c
日本列島に住む人類の起源を、ゲノム(遺伝情報)解析や言語学などの共同
研究で解明を目指す新たなプロジェクトを、情報・システム研究機構などの8
団体合同の研究チームが始める。考古学など文理融合による「ゲノム歴史学」
という新手法で取り組む異例のプロジェクト。日本人がどこから来たのかとい
う謎に迫れるかが期待される。
報道発表があったプロジェクトはこれだな
http://yaponesian.org/ ヤポネシア(日本列島)には約4万年前に最初のヒトが渡来し、その後も何度か渡来の波がありました。この枠組みの中で、
ヤポネシア人(日本列島人)はどのような集団にその起源をもつのか、ヤポネシアにおける成立・発展の過程はどうで
あったのかを、多地域から選別した現代人500個体と旧石器時代〜歴史時代の古代人100名のゲノム配列を決定し
比較解析することで、ヤポネシア人ゲノム史の解明をめざします。ヒトとともにヤポネシアに移ってきた動植物についても、
それらのゲノム配列の比較から歴史を解明します。過去の人口増減の詳細な歴史を、ゲノム配列から推定する既存の方法や
新規に開発する方法を用いて、再構築します。ヤポネシア人の歴史を多方向から検討するために、これらゲノム研究と、
年代測定を取り入れた考古学研究や、日本語・琉球語の方言解析を含む言語学の研究グループとの共同研究を行ないます。
これらから、文理融合のあらたな研究領域を確立します。
http://yaponesian.org/
もう琉球語って言いきっちゃってるグループなのか
で、言語担当がこっちの面子と
言語学研究グループの紹介
<計画研究B02> 日本語と関連言語の比較解析によるヤポネシア人の歴史の解明
研究代表者
遠藤 光暁(青山学院大学・経済学部 教授) → WebSite
研究分担者
木部 暢子 (国立国語研究所 副所長/教授) → WebSite
狩俣 繁久 (琉球大学・島嶼地域科学研究所 教授) → WebSite
中川 裕 (千葉大学・文学部 教授) → WebSite
風間 伸次郎 (東京外国語大学・総合国際学研究院 教授) → WebSite その5人それぞれの専門がこうか
中国語
日本語方言
沖縄方言
アイヌ語
ツングース語 まあ琉球語って言い切っちゃう人と、日本国内でも韓半島って書いちゃう人は重なりがちだよね
考古学分野でも韓半島と書くのはわりといるような 福井玲などは「中世韓国語」という違和感しかない用語を平気で使う
「韓国で発表したものを毎回日本での呼び方に移し変えるのが不便だから」と言っている >>184,
琉球語のなにがおかしい
日本語族
日本語派(Japanese language(s))は、日本本土(本州・四国・九州・北海道とその付属島嶼)で話される言葉。
八丈語(八丈方言)
日本語(本土日本語、本土方言)
東日本方言
西日本方言
九州方言
琉球語派(琉球諸語、Ryukyuan language(s))は、琉球諸島(奄美群島・沖縄諸島・先島諸島)で話される言葉。
北琉球語群
奄美語
北奄美大島方言(北奄美語)
南奄美大島方言(南奄美語)
喜界方言(喜界語)
徳之島方言(徳之島語)
国頭語
沖永良部方言(沖永良部語)
与論方言(与論語)
沖縄北部方言(国頭語)
沖縄語(中央沖縄語)
南琉球語群
宮古語
八重山語
与那国語 >>186
北海道をアイヌモシリと呼ぶことが良心的だと思っているような方々は
なぜか樺太をサハリンとしか呼ばないんだよなあ
樺太こそがアイヌ語由来の名称なんだろ? ある一面頭良くても、偽善に酔っちゃう頭弱い人たちって多いからね >>189
アイヌモシリは島名とちゃうわ
北海道をアイヌモシリなんて呼ぶ人は見たことない
実は「北海道」かて島名やのうて道名なんやけどな
島名はほんまは「渡島」ちうんや
そやけど渡島ちう島名が忘れられてそのかわりあの島を北海道ちう道名で呼ぶようになってもたんや アイヌモシリが明確な境界をもった地理的概念だったとは到底思えないけど
少なくとも和人地を含まないであろうから、アイヌモシリ=北海道とはならない >>188
分岐学的手法によってその分類はもはや無効になってるというのが>>136-139、>>180の議論だよ。
さらに>>84で引いた五十嵐説に従うなら、琉球は南九州の兄弟であり、
琉球を除外した日本語派は分岐学的に無効なので、日本語族は本土・琉球の総称とするほかない。 DNAでも沖縄県民は南九州民と兄弟なのは確定してるのに、感情的に沖縄先住民論や大陸渡来説を喚く人たち マジレスすると全ゲノム分析で本土を細分化したデータはこれくらいしかないぞ。
https://www.cell.com/ajhg/fulltext/S0002-9297(08)00487-4?code=ajhg-site
北海道、東北、関東甲信越、東海北陸、近畿、九州、沖縄という大雑把な区分で、
しかも九州は奄美を含んでいる。 ここ10年ほどで古代DNAの研究が海外で凄まじく進んでいて
ネアンデルタール人のように無茶苦茶古いDNAも解読できるし
東南アジアのように保存状態が悪い環境にでも適用できるようになっている。
ヤポネシアゲノムのプロジェクトはできるかできないかじゃなくて
輸入学問をやるかやらないかの問題にすぎないんだけど
メンツを見るとあまり期待できないんだよなあ。
城久遺跡群から出てきた骨なんかを片っ端から解読してほしいところだけど
狩俣とか、沖縄の内在的発展論に傾倒している連中が障害になりそう。 だいたい狩俣氏は自分の巨大プロジェクトを持っていて、テーマも似通っているのに、
いまさら何をするつもりなんだろう
https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-17H06115/
こっちは1億以上もお金を取っておきながらウェブサイトすらない時点でお察し。
研究概要を見てもお金のかかる要素が見当たらないんだけど、
どこに消えていってるのかな >>196
保存状態が悪くても解読できるなら縄文時代後期の西日本の人骨調べてほしいね
日韓に共通して分布していて状況証拠的には縄文時代の日本列島に発祥して朝鮮半島から満州へ広がった遺伝子があるのだが
その裏付けが欲しい >>199
韓国や中国がそんな都合の悪い遺伝情報出すわけないだろ いやいや、今はそれどころか、
中韓に手柄取られる心配をしなきゃいけない。
日本の歴史学関係は人材がゴミだからな。
未だに縄文弥生二重構造とか平気で言ってるし。
考えてみたら戦前は、稲村賢敷みたいな
田舎の秀才が、地頭はいいけど
受験テクニックが分からず
医学部法学部には受からなくて
文学部みたいなクソ学部に流れてた。
それが戦後になると
沖縄の離島からでも内地のマリストとか行って
そのままエリート学部に入るようになった。
文学部などのクソ学部にはまさにカスしか
入らないようになった。
その点、中国や欧米は分母が大きいから
クソ学部にも頭良い変わり者が流れてる 日本史学、東洋史学と、
西洋史学とでは、
明らかに西洋史学の方がレベルが高い。
人間も謙虚だしな。
高良庫吉みたいに
アホのくせにでかい口叩く奴はなかなか見当たらない
質的にはそんなに変わらないはずなんだよ。
やはり欧米に手本があるかないかが
差になってるんじゃないかな。
レベルの高い見本があるだけじゃなく
英語なりなんなり読めないと商売に
ならないから必死に努力する。
それに引き換え日本史学は
古文漢文すらまともに読めない。
大半が医学部進学するような
エリート進学校であれば
古文文法もしっかり仕込まれるんだが
そういうところの出は
文学部には行かないんだよな。 >>203
Y染色体ハプログループO1b2a1は日韓に共通してみられるが
それが発生したとされる時期に朝鮮半島には人が住んでいなかった
(済州島からは1万年前の土器が発見されてはいるらしい)
韓国から出土する新石器時代の人骨は縄文人の形質的特徴を備え
また縄文土器に類似した形状の土器を使用していた
ならば朝鮮半島に最初に現れた現在までつながる最初の人と文化は日本列島からやって来たと考えるのが自然 縄文人の広がりはともかく、氷河期終わった時期に朝鮮半島だけ人類いないってのもどうなんかね
遺物の発見がないのはなんともしようがないけどさ 少し話はズレますが
昔の日本は女系社会で知識や文化の伝達も女系でやっていたはず(縄文とかもそうなのかな?)なのでY染色体ハプログループより母型のハプログループの方が重要なのでは? ブログ主、今度は戦国板に殴り込んでるのか
あのいつもの言動見てると、職業倫理とは何ぞや、と思えるね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています