悟りに近づくために10

1Absalom ◆owNN8RDlXo 2017/11/27(月) 21:50:25.110
悟りに近づくために7
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1432118007/
悟りに近づくために8
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1459865938/
悟りに近づくために9
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1486187861/

お釈迦様の得たと言われる悟り。それに至るために、各人の経験と理論行使による
論理によって、新しい考えを積み重ねていきましょう。

187Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/18(金) 01:49:20.590
全ての芸術が、何を表しているか、どう表しているか、理解できる気がする。平面的にしか分からなかったものが、
立体的に、現れる。すると、ルーツは辿れる。人間に追尾可能な全ての因果関係において。
何もかも、そこには意味がある。意味を辿ることが出来る。直観と、努力によって。

188Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/18(金) 02:19:54.790
ねぇ、悟ったんだね。

189考える名無しさん2018/05/18(金) 03:46:23.940
噂の刑事トミーとマツが見たい

190DJgensei artchive gemmar2018/05/18(金) 09:24:12.370
死をもって終わるとするべきでもないし、才能の後天的面も考慮しなければ、精神はもちろん、肉体身体面ですら、
生得的なものしか子供に遺伝しないからいくら頑張ってもしょうがないと
いう無意味なことになってしまう。後天的形質的遺伝の方が大事なのです。
だから子供の信仰を集めるなどして、後天的な死とは割り切れない緩衝的部分に
ついて考えてみるとよいと思います。

191Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/20(日) 03:23:16.260
>>190
獲得形質が遺伝するかどうかということはモデルを説明できればいいのですが、むしろじぶんのDNAと同じものを
持っている子供が、同じ能力、人生をたどりやすいという風にも考えられます。
それでは進化がうまく説明できませんが。

192DJgensei artchive gemmar2018/05/20(日) 07:02:53.680
後天的な遺伝ではない情報が子供に伝わるということはあるのではないでしょうか。

193考える名無しさん2018/05/20(日) 11:29:58.330
>>191
遺伝子は環境と共にある、人間の形、臓器の形、家族の形、社会の形、
人類全体の形、人間の知的認知の形、
遺伝子だけでは形にならない、生み出す子宮がなければ卵は杯になって胎児になってゆく
ホルモンの影響をうけない。栄養だけじゃ駄目なのだよ。
外からの刺激も重要だ、音、振動、リズム、
環境なしで遺伝子が形を人の作るとしたら奇怪であり機械でしかない、喜界の出来事で笑え。
赤ん坊から人間に育てられた猿は自分は人間の仲間だと感じる、
猫だって人間の仲間だと錯覚しはじめる、人間社会の形を受け入れることも形だ、
猿に育てられた人は、人間的なエリート能力の猿でしかないのだよ。
環境とは地球も。太陽系も。銀河系も必須条件であることを悟れ

普通である常識であることを考えないからこそ、かならず人から人が生まれると考える、
たとえ脳がないカエルのような奇形児でも親が人として死ぬまでの間は、人なのである。
人であるからこそ魂があり、命がある、それは環境である親と子の関係が脳のない人間に
なれなかった肉の塊、人間もどきにすら人間の定義を与える。
我が思うゆえに我あり、高次の認知とはそういう類である。

194Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/20(日) 20:32:37.650
>>193
受精卵が環境の中で生まれなければならないということでしょうか。ホルモンの話は新鮮です。
嘘の気持ちなのか、本当に愛せるのか。本当の愛を可能にするのが、夫婦間の愛でしょう。

195Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/20(日) 20:50:22.820
理想と現実がある。理想は、自分の思いが現実にならなかったとしても、理想として持ち続けることが出来る。
全ての現実を思い通りにすること、誰かが都合よく自分の理想を体現していた、ということもある。
というのは、現実から恩恵を受けるということだ。そのためには、自分も同じことを返す、それは
普通の感覚であるだろうか。別の形、テクノロジーの発展に寄与することが、また一つのお返しとしての
形でもあるだろう。

現実の中にあるから、理想を持てる。理想を持つとは、人間であるということだ。どんなに突飛な考えであろうと、
少しづつの貢献であろうと、人間であるからには、仕事のみではなく、理想のことを考えるべきだ。
どんな人間も食っていかなければならない。それが、一番簡単に表された現実だ。

現実を動かせないなら、理想を保ち続けるのだ。完全なる社会などない。自分の考える良い社会、
それこそは、各個人の抱く、それぞれによって考えられた理想なのだ。

196Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/22(火) 10:43:46.710
子供の時、みんな仲良く、ということを言われた。それは、争うと統治が難しくなるからだ。そして、素晴らしい協力。
生まれたなら死ぬだけ、ということ、これも寿命をぬけば、平等だ。
だが、楽しみと苦しみの、程度が人によって違うから、これは不平等。そして、不平等は個性という面でみれる。
豊かさをもたらすのは何か。それは、力だ。力を尽くせば豊かになる。その命令者はいないというのもまた平等的である。
現実はどうあれ、心の中では理想に従って考えるべきだ。理想を考えられる自分が偉いから?そうじゃない。
生まれて死ぬまでに、自分の思い通りではない事の差(能力、裕福さ、自然)を、受け入れるためだ。
人間のために地球があるわけではない。地球の資源には、多様性の素晴らしさがある。

197Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/23(水) 00:55:52.920
この世の中で、自分の考え、五感などは、全て仮のものである。プログラムに従って、様々な値を返しているだけだ。
どんなに楽しく、どんなにやりがいがあって、どんなに充実感を身体に感じたとしても、それは単なる仮だ。
たまたま、この世に生まれ、最後まで進むための報酬や罰として、五感がある。
どのような業績も、どのような秀逸も、それに対する嬉しさも、全て仮なのである。。
それを捉えなおす。自分はいかにも価値があるかのように感じていたとしても、それは思い込み、レベルを上げて見たら、
悲惨なものでさえある。もう一度やってみたい、と思うのは、そう思い込んでいるだけである。
レベルを下げて、苦しみと死という逃れられないものが存在することをみよ、何を感じるか、何を得るかという自由感は、
自由なのではない。生きることを色々と順序を変えて、配置しているだけである。
「われ思うゆえにわれあり」この、「思う」ということが仮のものに他ならない。
修行というのは、この世で生命体として存在してみよ、という命令を下されたのである。
何故作り主がそのような余興を行っているかは謎である。
ただ一つ、真理は否定されない。

198Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/23(水) 01:01:16.860
人間にとってもっとも真理に近いのは、感情である。

199考える名無しさん2018/05/24(木) 09:09:40.610
感情は関係を生み、関係はつながりを作り、繋がりが高次の模様を作り出し
その模様の働きが知性となり知識という術に進歩したのちに理性という形へ成長する
すべては簡単で優しい心地よく暖かいものへ流れる性質をもっている、だがそれらが
相互にぶつかるとき理性と理性がぶつかり競争の原理が争いを生み
知のつながり、関係のつながりが普遍で一様ではなく距離と頻度の重みによって
優先度ができる原理によって無関心から転じて、強い繋がりは愛と憎悪に変貌してゆく。
なんでも見通せる力がないゆえに、なんでも知りうるちから、なんでも繋ぐちから、
それの限界の先に争いが生まれるのもその状況が生む集団の真理の1つ。
個の真理が生み出す模様にすぎない、1つ1つの偶然が重なり必然へとかわる、
平等という知恵が争いに反転する、それも真理、避けるのではなく操る心構えを
考えるべき、人が個という肉体や精神に固執するのは必然だが、これを否定し
狂気の知恵より神の視点を生み出し必然の色と形と模様をさらに上の次元へと
結ぶことが増えすぎた命に求められる選択の1つ、そうでなければ簡単な波のように
上げては下げを繰り返すだけ、そこから抜け出せない。
間違いしか選べない愚民であっても、愚民の創意は、愚民から生み出す命の証を残そうとする。
命の証が必要か、そして命の証とは何かを考えよ、
個に縛られ個の愚を極めるもよし、選ぶのは誰でもない何処にもない、もって生まれた本質に聞け。
何か見えるものを簡単に掴んだとき、見えない本質を否定し、見えている真理のようなものを得るだろう、
見えているそれは真理なのか、掴めばわかる、ちいさい真理を掴んできた積み重ねの経験を思い出せ、
後悔だけはしないように。

200Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/27(日) 05:54:57.290
>>199
命の証しは、僕にはいらない気がします。愛ゆえの拘泥、世代の継承、そんなことに遠いからかもしれません。
最近、身体と頭の調子が激変しているので、なにやら頭に不思議な感覚を受けてばかりです。
後悔の無いように、自分のほどを知って、やたらと誇張することのない人生を送りたいと思っています。

201考える名無しさん2018/05/27(日) 15:38:13.990
>後悔の無いように
これがあなたの命の証か、自分が自分であるという状態保存を心が求める類

202Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/30(水) 18:28:48.680
人間の想像力は、目で見えるもの以上の法則を作ってみることができるであろうか。サイクルの中で生きることの
不思議、これは自転公転のためだが、実践して生きた場合、そこに神を見るということもまた、自然で
うなずけることである。「完全」ということは、眺望次第で変わる。眺望とは、方法でしかないのに、上手くした
場合「完全」というものをその瞬間に作り上げた、身に訪れた、という感覚を得ることが出来るように思える。

203Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/31(木) 11:29:55.740
統合失調症がほぼ寛解して、頭の働き、戻ってきた。つまり、選択ができること、つまり当然であるが選択のメリットを
比較すること、それらの悩みを、きちんと自分の頭で行うことが出来るようになった。判断力というものだろうか。
こういう場面で、考えることに苦痛を感じて、自然な能力がなかった。つまり、能力的にはバカだった。

だが、発想は割とできた感じだし、世界と隔絶された自分において、世界を愛することが出来なかった。
愛することが出来ない世界は、なんとなく、憎むようになってしまう。

自分の脳内の場合分けや、現実での判断力、これらはあるととっても便利なスキルである。
逆に、ないと使い物にならず、働くことも難しい。

204Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/05/31(木) 11:40:05.060
例えば、(今日はたまたま月末で休みだが)、図書館に行こうと思ったとする。そこでは、最低で二時間くらいは
読書をしないと、来た意味がない。なじみの図書館で、特に借りたい本もないから。そこで、図書館を出て、
次は何をするか、と考える。何もしないでパソコンを使ってくつろぐか、といったことを選択する。
もちろん、車で本屋に行ってもいいし、洋服屋を物色してもいいい。だが、それらはもう以前にしたことだから、
とくに選択を外した方がいいという気持ちになる。
こうして判断についての考えが浮かび、気になると、カントの『判断力批判』を読みたくなる。現在は他に
二冊の本を読んでいる途中なので、三週間くらい経ってから読んでみようという予定を入れる。

205道仁  純2018/06/01(金) 11:14:47.010
この世は仮の世ではありますが、真実なる光が反映されているこの世の自然の光が
内在されています。

この世の中に真実なる光を観たものは、悟りを開いた人であります。

206Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/01(金) 12:01:10.950
>>205
>道仁 純さま

光だけは仮を超えているということでしょうか。光には真仮の区別がないと。それを見る方は仮なので、向こうに
合わせるようなことをするか、何らかの瞬間がうまくはまるといいのでしょうね。闇の暗さは、眠っているときは
光も共にあり、真の光を得たものは真の夢を見る、というような可能性もあるかもしれません。

207Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/02(土) 16:15:13.230
この世で闇はいまだ危険である。闇を休息の時間に充てるためには、安全なねぐらを確保しなければならない。
休息と癒しは、活力と交代する。活力を得て食事をする。運動も必要である。
成長の道のりで、真似からさらに上を向く時、自由意思の獲得が、得られる。自分自身が、他の世界から盗み見られない事、
自分自身だけで考えていることが出来るのだ、ということ、これが、人間のなかにあって、活力を得たものが、
することである。もし、サトラレのような状態に在るなら、それに至ってしまった傷をいやすために、活力ではなく
休息を必要とする。そして、穏やかな環境、穏やかな人間の中で、自由意思を育てる。

自由意思は、それ自体が善である。自由意思を使って、何をするかということを、考えねばならないだろうが、
自由意思を得た人間たちは、活力の助けがある。この世の闇を、思い煩うことなく、身近なところから、
やっていけばいいだろう。

208考える名無しさん2018/06/02(土) 19:08:06.530
自身の中にある心の闇にも注意をしたまえ

209考える名無しさん2018/06/03(日) 23:02:57.500
なんなんだよサトラレのような状態って、そんな状態あるのか

210考える名無しさん2018/06/04(月) 03:15:28.960
>>209
お前の中だけに

211考える名無しさん2018/06/04(月) 05:09:34.460
悟れば忘れる

212Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/04(月) 11:57:44.970
ハーモニーは快感だ。建築は周りに合わせた外観になる。人間意識はストレスを操らねばならない。つまり、自然を範として
外観はできる。

人間の自由意思には、好みのルールがあるだろう。ハーモニーは、音楽においては、記憶した音の重なりに
ハーモニーを感じるのである。人間の洗練された行動とは、ハーモニーを作り上げる行動だ。

ハーモニーに参加せよ。

213考える名無しさん2018/06/04(月) 13:15:27.280
病気かお前

214Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/05(火) 15:03:24.630
人の能力として、注意を向けるものを自由に選択できる、というものがある。手、足、頬、全てを選んで集中できる。
頭の中にイメージを作り、それを眺めまわすこともできる。時間ならば、現在のみではなく、未来、過去、全て
考えたいとおりに考え詰めることが出来る。

頭の中は、ほぼ暗闇である。暗闇の中を、注意を使い、眺めまわすことが出来る。
空には、太陽があり、上方は明るい。つまり、空と無との違いは、その光の存在のみなのである。
基本的な性質として、注意を向け、探索しまわすことが出来る空間である、ということは変わらないのだ。

すると、闇とは人間の本性であり、その外部にあるものが善なのであるということを考えられる。
そして、闇に慣れた人間は、光を望む程度と態度が違ってくる。光自体は余りにも尊く、人間がどうこう
いうことはできない。たとえそれをコントロールできようとも。

普遍的な、最上の生き方、それは存在しない。よりよくしていくということのみを、考えとするべきなのではないか。

215考える名無しさん2018/06/05(火) 15:20:16.780
>>213
なんで しつこいの?ねんちゃくするの?

劣等感でも抱えている?

216考える名無しさん2018/06/05(火) 18:41:25.520
お前がバカなことを一人で言ってるからだろ
往来を裸で歩いてる自分が悪いのにそれを笑った人に襲いかかってくるような変態

217DJgensei artchive gemmar2018/06/05(火) 18:56:04.810
ヌンチャク貴室。

218Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/05(火) 19:53:28.720
>>216
往来を歩くような気分で、論を立てたり考えたりするのかね?他人の目を気にするのは、独創性と意見に自信がないのかね?
ちょっとしたお遊びで、5ch哲板を、やっているんだね?「ユリーカ!」と叫んだ、精神を受け継ぐ気はないのかね?

団まりな『生物の複雑さを読む』には、書いてあるが、
原初にただ一度だけ出現した高分子化合物の集合、それがのちへ残されてきた末裔として、われわれは、
全ての生物が一つであるということを、知らねばならないのではないかね?

219Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/08(金) 20:24:54.860
頭の中の暗いイメージ空間を、瞑想により、消し去ることが出来た。暗いイメージ空間は、必要のないものだと思っていた。
イメージ空間と付き合っていく流儀はあるだろうか。それは、全ての悪を呼び起こす場所なのであるように思える。
いつの間にかできた空間は、心をずっと苛み続け、幸福と力という騙しを私に吹き込み続けていた。

220Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/10(日) 23:01:51.580
頭皮の全てに力を入れるようにすると、精神力が鍛えられるようである。

221Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/11(月) 21:50:04.430
ウィトゲンシュタインの『原因と結果:哲学』を読み始めたところである。
ウィトゲンシュタインの言っていた、あれをこっちへ持ってこい、という指示が言語の原型である、というならば、
言語の限界は、そのような指示行為の全てによって、決定されると言えるのではないか。
そういう限界によって、語りえぬことについては沈黙せねばならない、という限界を表す言葉を書いている。

そして、われわれが作った言語の側からの、やりかえしがある。言語は、何かを作る。絵が現実ではない、
ということを注意しよう。では、言語は無限か。言語の対象が人間であり、言語行動の原因が、人間である、
という当たり前の状態に在るうちは良いだろう。言語のために言語を作る、言語が言語に意味を見出し始め、
言語行動の原因が、人間以外ではなくなり、逸脱した原因として、結果を作るのに、価値判断をし始め、
価値をたくさん作りはじめるということは考えられる。結果とは、つまり何らかの価値があるし、
原因は、価値を作ったものである。現在では、作りはじめるのは、生物だけである(言語のみにおいて)。
価値の承認というゲームを言語が行なうならば、それは言語自体の人間からの反乱であろう。
つまり人間以外が言語を作りはじめるのだ。そのとき、宇宙存在の運動を言語行動として比喩的にでも、
語ることは可能であったし、コミュニケーションは、なぜか人間にとってのみ特別であった。
新しい言語と新しい価値は、変わった局面において生まれるのかもしれない。

222Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/15(金) 00:21:39.380
親が死ぬとき言ってやるんや。「あんたは生きたどー!あんたは生きたどー!」て。
まだ…悟ってないけど、まだ…悟ってないけど、悟りが熱いものであって何が悪い。
慈愛を注ぐことの、喜びの、またなんと大きいことよ。生の否定をするのが仏教ではない。
解脱の結果が、その前にもあったエネルギーの、発露であればいいと思うのだが。
エネルギーの形態の変化の一種、それが人間的な心の原理の理解、
今は、そう思う。

223Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/15(金) 00:58:50.330
身体中が灼熱の炎に包まれたような感覚である。
全身を思索、理解、発散、表現、到達のために、傾ける。

224考える名無しさん2018/06/16(土) 22:06:20.920
禅力を悟れ

225Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/18(月) 00:26:40.000
意志がなければ何もできないだろう。強く話すためには、意味を持って、言葉の記号と同時にしなければならない。
意志の使い方は、簡単ではないが、強く話すためのシミュレーションが、自分で本を読もうとすることだ。
あるいは、大切な物を大切に扱うために、知っておかなければならないだろう。

「心の泉で洗われた言葉は美しい」例えばこの言葉に、意味を載せつつ朗読することだ。すると、言葉は意味と調和して一緒になり
意味と言葉の両方は報われるだろう。意志は、意味の操作に成功しつつ、表現に発散されたことで、本来の意味の
とおりに、和解することが出来る。話す主体と話される意味、これはもちろん主体によってしか作り上げられてはいないが、
その範は圧倒的に事物におかれていて、印象を名前にするということをするのである。

何事にもコツというものがある。楽しみの多い事、楽に学習、仕事ができること、その鍵が、意志と意味と言葉にあるだろう。
愛に達するために、祈りや口づけの意味を……現実にできるだろうか。やり方は、上で書いた意志に他ならない。

真実に達するために、意味を自由に操れることが、重要だ。

今夜は神が降りてきそうな気配がする。それほどに、欠損を生めるような発見をしたからだ。

かつて現れしもの、忘れ去るまじ、思い出すということは、一つの宇宙の中で存在と逝去が、物事の二重性のために、
自分と言う小さな世界の中でさえ、目を覚ますことなのだということだ。

あなたは、宇宙という実体を、頭と心の中で描こうとしたことがあるか?それが最後の理解なんだ。
この世を知るこにおいて、最も力あるものだ。それを知り、思考は各事物へと帰っていくんだ。

226Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/18(月) 00:28:34.260
>>225
訂正 最終行
○この世を知ることにおいて
×この世を知るこにおいて

227Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/18(月) 05:23:03.610
日常的に暮らしていても、時には誰それが憎い、という、本当はそのように思いたくないことが思える時もある。
だからそれを避けるには、自分の憎いという思いか、それをのせている対象、そのどちらかを消せばよい。
思念とその対象は分離することが(考え直すことが)できるものであると思う。

対象とは、名前であったり、像であったり、思い出される過去の気持ちであったりするだろう。
対象を解かれた思念は、なくなってしまうが、それは仕方がない。
どう問題を解決するかについて、自分で責任をもたねばならない。
多くの問題をため込んできているはずだ。

思念と対象は、のせられるものとのせるものだが、幸福な結びつき方をする両者が訪れることを願うべきであろうか。

自分自身の核にあるものに触れられた経験を私はまだ持ったことがないが、こちらからよい思念のあるところへ
出かけて行って、眺めるようなことをしたことはある。こういう言い方をすると、核は自分の中にないような
感じを受けるかもしれないが、核に触れられるというのは、対象の性質、性格、存在的属性に大きく左右されるから、
特に幼少時を考えると、まず対象があり、そしてその存在のもとで自分の気持ちのような、思念を作りあげるという
やり方をしていたように思う。対象と思念の間には、ごく短い時間の違いしかなかったが(即反応)。

思念は価値を目的とするから生物にとっては余分である。だが生がたやすくなった現在では、価値をたくさん得る
ことを楽しみに生きられる。そこで、真の価値を得たいと思い、何が真の価値なのかという疑問も、持つようになるのだろう。

228考える名無しさん2018/06/18(月) 22:17:28.730
>意志がなければ何もできないだろう
意志で行うのではない、それが意志にさせるのだ、
それが見えてくれば、意志は必然として流され従う、
意志は理解に流される、心は感情に流される、論理は合理性に流される、

己の意志に命令して進む原理ほど脆弱で不確かなものはない、
己が進むべき道を決意し、呪いとなる約定を道に刻み、意志など無縁な
無意識の領域すら縛り、それが意志を誘導してくれる、
まちがえるではない、意志がではなく意志にさせるんだ。
それは意志が受動態である原理だからだ、完璧な意志など存在しえない、
だからこそ、それをもって意志を動かす覚悟とする。

229Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/18(月) 22:29:26.540
>>228
意志、心、論理という人間の方法が、自然的なものによって流される、ということですね。
決意と覚悟を持てば、自然に周囲のものを味方にできると。

230Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/18(月) 23:41:48.170
自然な今を思い感じることで、執着から逃れられた。なぜあんなに苦しんで精一杯だったのだろう。
軽い侮蔑がある。自らの心を持っている。人と自分の境遇も存在も、まったく違うということを、
強く感じる。

231Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/18(月) 23:45:45.970
人間存在の侮蔑されるべき本質を、否定できない。昔の時代に比べると、自分なんて大したこともない、
どうせ自分なんて、と言う風に考えている人は多いだろう。それが、真実へと近づいて行っている。
古いものに負けない。僕は今に従う。

232考える名無しさん2018/06/20(水) 02:24:15.300
試すのではない、絶対やる、それが決意と覚悟だ。
当然として超えられない壁にぶつかれば玉砕する。
超えられない壁は、越えられるまで、山が動かなければ山が動くまで諦めない、
それが決意と覚悟だ。
目指している希望が不可能でもやり抜く、試すのではない。
可能性ではない、100%勝てない相手に勝とうとするな、だが負けてはいけない
ということ、負けなければどんなに100%勝てない相手でも勝機は生まれる。

233考える名無しさん2018/06/20(水) 02:26:18.610
この世に不変などない、かならず変貌し、第三のチャンス、異界からの力
ありえない流れが時間の流れと共にやってくる、決して曲げない心、心が馬鹿に
なればどんなに小さい勝ちでも、それは勝ちという隙間が生じる、それの積み重ねだ。
どんなに小さいチャンスでも逃すな、高望みするな、その時に、それがやってくる。
自分で勝つのではない、それが勝利させてくれる。
自分でできることはバカになり負けないこと。

234Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/20(水) 02:57:59.330
>>232
勝負においては、トキの機運に気をつけないといけないですね。それを捉えるためには、常に勝負を心に秘めていること。
そもそも、入門の段階では、視野も狭くて、難しいと思います。天才は天才であるために、天才であるための
努力はしているはず。何事も、自分でやってみなければつまらない。
天才マジシャン、フーディーニの逸話として、パーティで、脇に二つビールの入ったジョッキを隠しておいて、
それでマジックをしたとか。

235Absalom ◆owNN8RDlXo 2018/06/20(水) 03:13:06.430
>>233
そもそも、勝負というのは、自分自身の望みである。自分が何かをできるようになりたいと思い、やろうと決める。
それに全力を傾けるのは、当然でもあり、見極めも重要になるでしょうね。

236考える名無しさん2018/06/20(水) 20:41:35.940
人生は勝負である、選択の繰り返し
そこでつかめる可能性のチャンスを掴み取ることができるかは決意の違いだ
試してみるという心構えでは、次がかならずあると考えてしまう、
わずかであっても2回目のチャンスを選ぶものは結果を出せない。
駄目に近いチャンスであっても、それを反転させるぐらいの気構えなくてどうする、
駄目なのは当たり前だ、不可能を可能に変えるのは才能ではなく、
チャンスを掴み勇気があるかどうかの1点でしかない。
いけるかも?その一瞬の心があれば、絶対に結果を出すという気持ちに変えられず
結果など出せるわけがない、どんなに余裕で可能性があり絶対なそれでも
1回目がつかめない奴には、また次だという落とし穴に流れてしまう。

237考える名無しさん2018/06/20(水) 22:14:53.740
人生と言うより
人間関係が勝負な。

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