意識のハードプロブレムの答え4
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1の考え。
主体とは空白。
空白とはあらゆる考えが浮かんでは消える場。
全ての存在は主体にある。
他者の意識は存在すれば、それは主体の意識においてである。
それゆえに、他者の意識は存在しない。
私は独りである。
意識のハードプロブレムの答え3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1590466858/ 主体の意識が存在すれば他者の意識も存在する。
私は独りではない。 >>2
詳しくお願いします。:)
私も他者の意識は存在するということを論証できないか考えています。 >>前スレ1000
パンセは分厚いです。文庫としては私の所有する中では一番分厚いと思います。 ま、わたしの場合は、単にスレに合わせて主観とか客観とかいっているだけで、
異なる議論領域(宇宙)をつなぐAIを人工意識としている。
この議論領域も、実在とかそういうものではなく、意識がつくりだすもの。
javaレベルでも自分で自分をつくりかえていくことができるので、
いろいろ実験中。
量子コンピュータ(エミュレータ)は自作済だが、量子状態を数値として扱うと誤差がでてくる。
この誤差をどのように解消あるいは分離するかを考え中。
そもそも>>1の見解がおもしろかったので、そこからの発展なのです。
ここのスレの議論を適当にとりいれてるんだけど、そこは気づかれないようにこっそりやっていますw
お薦め(図書館にあるといいね)
『脳の方程式 いち・たす・いち』
『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』
2冊とも中田力
『脳のなかの水分子―意識が創られるとき』
は読んでないが、読んでみたいな。どっかにあるかな。
中田力、すでに故人だったのですね。さっき気づきました。
「脳の渦理論」いいですねー。三部作だったのかな。 その前のページもなかなかですね
https://www.kinokuniya.co.jp/05f/d_01/back36/no35/tokushu35/tokushu06_35.html
「私は誰か」という永遠の問いに「記憶の集積である」という答えはもっともだ。
記憶を丸ごと入れ替えたら、中身はもうそのひとではなくなってしまうから。
しかし、いまだ解明されないという人間の脳の九割の方に収納されているのが、
まさにそれら過去世や意識下の記憶だとしたら、
「私は誰か」という問いに対する答えは、それも含めての記憶の集積と言うべきだろう。
しかもそういった意識下の記憶は、
深い場所に行けば行くほど自分以外の誰かとの共有物なのらしい。
してみると個人の脳というものは、たとえば共有図書館へのそれぞれの入り口のようなものか。
覚和歌子 「わたし」が「意識」を持っているのではなく、
「意識」が「わたし」や「他者」を持っている。
「意識」が「わたしの意識」や「他者の意識」を考えてもよい。
むろん、「他者の意識」などないと考えても良い。
そこに、「意識」はないのだから。
「わたしの意識」も、そこには「ない」。
しかし、そう考えている「意識」もマルガブ的には存在しないw
ここで語られた「意識」は、それぞれが異なるクラスである。
一番外側の「意識」を存在させるためには、さらに上位の意味場が必要である。
そのような意味場においては、他者の「意識」も存在可能であるが、
「わたし」を考えている「意識」の中の「他者」と、上位の意味場における「他者」は別物(者)である。
このへんまでは公理的集合論の枠組みで記述可能だ。
(クラスが異なる)2つの他者の意識をひとつにするためには、非標準的な手法が必要なのだが...はたして...
(そこで、異なるクラス間の貼り合わせ部分が意識である、という戦法をとっている)
クラスすらも、この意識によってつくりだされているとすれば、
ほぼ「唯意識論」であるw
意識が先なのでハードプロブレムもない。 意識は知らないうちに伝播していく、というイメージですね
自分の知らないところで誰かの意識を共有し、誰かに共有されていく
ただ、意図的に自意識を生成できた例(機械だけでなく、動物に対しても)を知りませんので、
そういったことは不可能に近いのだろうとも思います
あくまで自然発生的に生成されるものだと
>>10
もとを正せば一つの意識だった可能性はあるでしょう
でも世の中にはいろんな神がいるので、
世界で同時多発的に意識が生まれた可能性も否定できないと思います
たった一つだけの意識(自意識)が世界(の人間)に伝染していったか、
意識に地域性があったのか、
わたしとしては後者であってほしいと思います
女性が神になった地域があっても不思議ではない、と思うので >>11
サルをヒトの子と同じように育てても
途中で成長が止まるそうですね。
ヒトの子はあえて教えなくてもやがて自然に
立ち上がり、言葉を話しはじめ、とのことです。
おそらく自己意識も同様でしょう。
このことは脳の違いなのかDNAの違いなのか、
これについては研究がありそうですけど
私の直観では受精卵の時点で決まっている気がします。
そこで関わっているのはじつはDNAというよりも
DNAも含めたすべてをコントロールするシステムのような
気がしています。
>たった一つだけの意識(自意識)が世界(の人間)に伝染していったか、
>意識に地域性があったのか、
文字記録、熱による道具の加工、てこの原理を応用した土木技術、
水上交通、発酵食品などが一人の天才によって考案され、
それが世界中に広まったというのならむしろわかりやすい気がします。
しかし実際にはやはり同時多発でしょう。
しかも長く見積もってもこの二万年くらいに集中しているはずです。
もはや人類社会全体がステージをあげた感じです。
私もこれは気のせいではない気がしています。 あ、サルにも原始的な自己意識ならあるのではなかろうか、
というはなしは
時計さんの前世がサルであったとしても
それなりの自己意識はあったであろうということです。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1590466858/990
> 一匹目が直立二足歩行のメリットを発見しても
> 二匹目にそれを理解できなければ意味がありません。
> もちろんサルには難しいことは理解できないでしょうから
> きっと簡単な何かがきっかけです。
> そこで私は快感が契機になったのではないかと考えます。
これに関してはむしろ一匹目に当てはまるとわたしは思います
洪水で水中をもがいて水面に上がった瞬間の「プハァ!」で、
自意識に目覚めた可能性もあります
二匹目は、意識があるものに対して認識するとき、
判断基準における、ある・なしの差はかなり大きいのではないか、と思うのです
判断基準がなければ判断不可能ですが、
判断基準があれば判断可能です
意識がないものに対しては意識が生まれないものに対し、
意識があるものに対しは意識が生まれ得る
意識があるものを認識できるかどうか、
つまり、一匹目がいるかどうか、が重要だとわたしは考えます は!
フォン・ノイマン宇宙を考えると、
一匹目の猿は空集合である。
空集合は意識を持っている!
空集合が(意識の)真犯人っぽい。
空集合は外延性の公理からただひとつなので、アリバイは崩せる。
対称性と熱力学でネットワークを構築できるとして...
どうやって遺伝的集合となるのか、といえば、対称性の破れ。
空集合のキレイな破れ方か...同じであることと違うということの同居。
どんなふうに破れればそうなるのか...
そのほうがエネルギー的に安定するわけだから...
空集合真犯人説...はたして? 二匹目の人間以降は、精神のしくみ(クオリア)に縛られて生きるより、
自意識を獲得したことによる自由意志で生きる方を選んだ、いえます
自由意志で生きていた方が快感があったのでしょう
しかし、最初の一匹目は、自意識を持った二匹目に対し、
これから苦しみを背負って生きていかなければならないぞ、と危惧しています
エデンの園というガラパゴス島みたいな場所で、
外敵のいない場所で細々と暮らすことは出来なくなってしまった、
そう思ったらしいのです
実際、兄弟殺しがありました
嫉妬によるものです
嫉妬というのも自意識による新しい概念ですが、それは置いておきます
それ以前にも、同種間の殺し合いはあったでしょうが、
それは生存競争の末のことで、無意識的行為であったろうと思います
そんなことがあったとしても、記憶に残らなければわだかまりもありません
自意識を獲得する、ということは記憶される、ということでしょう
カインに対し、あなたはこの土地にのろわれている、と言ったのは、
自意識によって人間に「記憶」という機能が生まれたが故のことかもしれません
意識的に同種族を殺す、という行為は、
同じ土地に暮らす者にとって「記憶」に残る行為だったはずです
自意識さえなければ、この行為でさえも問題にならなかったとすれば、
自意識的に暮らすということは狭い空間で生きられなくなるということなのでしょう
記憶によって敵意を向けられる、ということは今までにないことだったからです >>12
そのすべてをコントロールするシステムってしつこく連呼して引っ張ってきてるけど
それをズバリ明かしてしまえば意識のハードプロブレムは終わるんじゃないかな
そろそろ出し惜しみせずに解説してくれませんかね。 いよいよ始める前に、あといくつか述べておく必要がある。
第一に、すでに説明したとおり、これは哲学の本だ。
つまり、基本的には、死に関して知りうることや理解しうることについて、
論理的思考力を使って非常に注意深く考えることに徹する。
本書では合理的見地から死について考えてみようとする。
だから、ある種類の証拠やある種類の論拠は本書では使わないことははっきりさせておく必要がある。
それはすなわち、宗教的な権威には訴えないということだ。
もちろん、皆さんはすでに死後の生を信じているかもしれない。
自分が死んでからも生き続けると信じているかもしれない。
不死を信じているかもしれない。
そして、所属する教会にそう教わっているから、
当然これらをすべて信じているのかもしれない。
それはそれで結構だ。
私はここで皆さんを説得して宗教的信念を捨てさせたり、
みなさんの信仰に異を唱えたりするつもりはないし、それは私の目的でもない。
だが本書を通じて、啓示であれ、聖書の権威であれ、その他何であれ、
そのような宗教的論拠に訴えることはないと明言しておきたい。
シェリーケーガン 「死」とは何か p29-30 魂など存在しない。
私たちは機械にすぎない。
もちろん、ただのありきたりの機械ではない。
私たちは驚くべき機械だ。
愛したり、夢を抱いたり、想像したりする能力があり、
計画を立ててそれを他者と共有できる機械だ。
私たちは“人格を持った人間”だ。だがそれでも機会にすぎない。
そして機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。
死は私たちには理解しえない大きな謎ではない。
つまるところ死は、電灯やコンピューターが壊れうるとか、
どの機械もいつかは動かなくなるといったことと比べて、
特別に不思議なわけではない。
略
そんなわけで、死について考えるとき、死を深遠な謎とみなし、
恐ろしくて面と向かえず、圧倒的でぞっとするものと捉えるのは適切ではない。
適切ではないどころか、死に対する比類もなく合理的な応答には程遠い。
思うに、“死を恐れるのは不適切な対応”だ。
シェリーケーガン 「死」とは何か p727-728 >>17-18
わたしは人間の精神について、>>20-21のような
人間が生きてきた証拠の「ある部分」を排除したことによって、
シェリーさんの哲学的考察によって出た答えが、
「死を恐れるのは不適切な対応だ」というクソでしかない理由について思い当たるわけです
わたしは、人間がもし機械だったとしたら、
人間という機械に(根本的に)植え付けられているプログラムは、
人間が死を回避させるプログラムになっているはずだと思っています
自意識がなければ、それでも死についてなにも思わないかもしれません
しかし自意識が生まれ、自意識による意識体験によって、
そのプログラムが発生させるクオリアを体感できるように人間はなったわけです
「不安」や「恐怖」はその類いのものです
その死を回避させるプログラムが発生させるクオリアに対して、
「死を恐れるのは不適切な対応だ」と彼としての結論を出すのは哲学者としてあるまじき行為です
結局シェリーさんは何もわかっていないのです
今はわからなくても、「死を恐れるのは不適切な対応だ」ということが、
とても不適切な対応だということを彼自身がいずれ理解するでしょう
もしかしたら今回のコロナ禍で理解したかもしれませんが 人間の心は全部、最も本質的な部分において同じ性質を持つと考えられる
それは「現に経験する」ということで、これは生きているということの本質である
このことに関する限り、自分と他者に差異はなく
「私である」「私でない」という区別は無意味になる
少なくとも、今の人類が発生した時から途切れることなく続いてきて
今の人類が死滅するか他の種に進化するまで続くだろう
「私」はあくまでも固有のものとしか感じられないかも知れないが
私と他者が絶対的に隔絶されていると誰が確かめられよう?
(否定する根拠は物質的客観世界にしか求められないであろう)
他者の意識が感じられるならば、それは他者ではあり得ないとしても
他者は事実、他者ではないことも可能ではないか?
(現に他者の考えることは理解できるし、他者が感じるということも理解できる) 他の板から誘導しようにも
他の板もいないからな・・ 空集合を「意識」と考えてみる。
内側には何もないが、外から見ればそこに空集合がある。
集合の概念ではなくなるのだが、そこには空集合という「境界」がある。
それはclassである。
{x:ψ(x)}をクラスとする。
これをオペレータと考えるなら、すべてのものを弾く/受け入れないのが空集合である。
すべての引数に対してfalseを返す帰属関数。
この関数またはclassそのものを∅としてしまおう。
∅は、いかにして意識として働くのか。
∅はあらゆる集合に部分集合として含まれる。
そして、その実体?はひとつである。
∅になんらかの接続/通信機能があるならば、あらゆる集合をつなぐことが
不可能ではないだろうw 集合を○のように記述するならば、この○という境界の内部/外部がある。
通常は、内部側だけを集合として外部をそれ以外とするのだろうが、
外部側も、この境界によってつくられたもうひとつの集合と考える。
一般的には補集合である。
○という境界を、内と外の2つの集合を貼り合わせたものと考える。
それが、単に集合/補集合の関係ではないとしたら...
inner sets theoryというものがあったのだが、未完である。
継承者がいない。 いよいよ始める前にが>>20で
22、23で終わりということ? >>23
人間の心は、最も実質的な部分において同じ性質を持つと考えられる
それは「現に体験する」ということで、これは生きているということの本質である
このことに関する限り、自分と他者に差異はなくても
「私である」「私でない」という区別に意味を持つ
少なくとも、今の人類が発生した時から途切れることなく続いてきて
今の人類が死滅するか他の種に進化するまで続くだろう
「私」はあくまでも意図的なものとしか感じられないかも知れないが
私と他者が絶対的に身体を分かつと誰でも確認できる
(肯定する根拠は物質的客観世界にしか求められないであろう)
これで正しい認識になる 2つの集合を貼り合わせたものを考える。
その境界が意識をつくりだす。
2つの集合間での型変換と考えるなら、共変か反変か不変か双変である。
対称性を考えると「双変」であることが好ましい。
あくまでも好ましいのであって、そう単純にはいかないであろうw
この部分に、神やらマルクス主義やらが入ってくると意識の健全の維持は難しい。
異なる2つの主体(主観)を∅によって接続して貼り合わせると、
2つの境界ができる。
それぞれの主体の意識である。
意識同士は(直接には)つながらない。
これを回路的に制作するとすれば、マルチバイブレータか。
単に発振回路ということでよいかもしれない。
波である。定常波成分を客観とする。
他者や他者の意識も、その波に含まれているかもしれないが、
強い主観主義ではノイズとして切り捨てられてしまうかもしれない。 >>22
人間がもしプログラムされた機械だったとしても、根本的にプログラムされたかのように確信して動くだけだし、
何をプログラムされているか機械が意識することは不可能ですよ。機械ならね。
人間が死を回避するようプログラムされていたら、当然自殺という概念を持たないプログラムのはずでしね。
あたなの意識がちゃらんぽらんすぎるんだと思う。
「死を恐れるのは不適切な対応だ」と言うことが哲学者としてあるまじき行為かどうかなんて、
個々人が判断することであって、言論の自由を精神論で糾弾する権利はだれにもないんですよ。 Date :2020/02/11 12:08:35
Subject:唯物論者なんだが、それ以外の立場の奴来い
URL :http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1578032422/
Name :
Mail :sage
人間が意識を獲得するまで数年かかる
それまでは他人の手によって生かされなければならない
自分自身を認識するときは他人が存在しなければならない
他人が存在しなければ自分が自分自身だと認識できないからだ
では認識とは何か
とりあえず人間が「死なないように、生きるために」ある能力である、といえるだろう
結果としてその能力を自死のために使う人間が存在することも承知している
だが人間が人間を再現したロボットを創造しようとするなら、
「認識」という能力をそのロボット自身が「壊れないように、生きていこうとするように」使用する設定にしないと、
人間のようなロボットで人間を再現することは不可能だ >>33
>>34が、わたしが哲学板での最初の書き込みです
動機は>>22です
わたしは前スレで言いたいことは言えたと思いましたので、
あのような(>>22)書き込みをしました
他人の意見を否定することなんて誰にでもできることだと思い、
今の今まで我慢していたように思います
繰り返しになりますが、>>22が、
わたしが哲学板に書き込む動機のひとつです
もうひとつは新型コロナの影響ですかね >>33
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1590466858/970
> >>907
> そのとおり、見かけの全ての話はプログラムできる、
> できないのは自らのプログラムを正しく機能させながら、そのプログラムに逆らうこと。
> 作成者の意図ではなく、プログラムの動作だという点だな。
この書き込みにヒントを得て、
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1590466858/999
>>970
> > できないのは自らのプログラムを正しく機能させながら、そのプログラムに逆らうこと。
> > 作成者の意図ではなく、プログラムの動作だという点だな。
> 自意識下で発生する、精神と理性との乖離について、
> プログラムで表現するならそのような表現が的確だと思います
> おそらく言語による思考というのは、
> 本能に逆らえる(本来的なプログラムとは別の)プログラムを走らせるようなイメージです
と書き込みしました >>17-18
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1590466858/808-810
↑を参考に自分の考えを修正し、
、たまたま>>8をバックページした>>9を参考にして創世記を考察したのが
>>16です
わたしとしてはすべてがわたしの主観で記述したつもりはありません
>>16をちょっと修正するなら、
> 自意識によって人間に「記憶」という機能が生まれたが故のことかもしれません
↑ここは、
もともと「記憶」という機能自体は自意識がなくても機能している、とした方が正確でした
「記憶」という行為は、無意識の状態でも脳が自動的に機能させているものでしょう
人間に自意識が生まれたとき、「記憶」を意識することができるようになった、と表現すべきでした
そのような行為は「思い出す」と表現できると思います
人間に自意識が生まれたら、思い出すことができる
だから「思い出す」という新機能によって(殺人行為をしたものは)敵意を向けられる、ということになります >>37の
「思い出す」はちょっと表現が適当ではないかもしれません
難しいですね…
ただ、「記憶」を認識できるようになった、でいいような気がします
スレ汚しで申し訳ないです 主体Aと主体Bを考える。
主体Aと主体Bが∅を介してつながっているとする。
以下、難しくなりすぎたので削除して考え直し中w
意識とは常温超電導である、という考えだったのだが。
クーパー対のようなものだとすれば、∅は重力のような引力を持つはずだ。 集合で考える。
それぞれの集合をフェルミとすれば、排他的である。
主体Aと主体Bをそれぞれの集合とすれば、排他的である。
交わらない。
これを凝縮させるとしたら、やはり∅しかない。
∅だけを交換していても、情報は伝達できない。
と考えていたが、
交換という事自体が情報を伝達できるのではないのか。
交換そのものが振動だとすれば∅はフォノンかもしれない。
まあ、主体同士の関係性が流動的であれば、そこに位相をみいだせるだろう。
フォノンの交換によって情報を得られるなら、それを主観内に転写?する機構が必要だ。
転写という言葉でよいのかどうかもわからないが、それっぽいw
得られるのは他者の情報だけではなく、自己の情報も含まれる。
どうやって混在した情報から自己をつくりあげるのか。
主観内の自己は自己だと確信しているのかもしれないが、他者の情報だったのかもしれない。
それが自己である保証はない。あるのは確信だけだ。
確信とはなにか、ま、そのほうがエネルギー的に安定するということだろう。 主観内で、もっとも安定したものが自己である。
と考えても良いが、それは天動説である。(または自分が神)
地動説的に考えれば、自己が中心である必要はない。
どうやって自己を特定するのか。
世界を把握するための安定性(自己)と、世界の安定性をわけるべきか。
世界の安定性とは調和のとれた美しさ、エレガント、などなど、そのような安定性かもしれない。
世界を把握するための安定性とは、情報量の多さ、解像度であろうか。
前者がcoolで後者がhotか?
意外とマクルーハンのほうが意識の核心に迫っていたのではないだろうか。 主観(意識)体験=主体の不可知的なもの−(主体が認識可能なもの+他者の意識)
主体自身の精神を司るクオリアを体験できるのは、他人の精神の内部を認識できないから、と考えられます
この逆説的な理解は、人間の機能(本能)が人間の理解を超えているから、という前提があると思います
それをただの錯覚である、とも解釈できますが、
わたしはそれが錯覚だとしても、
人間の脳のポテンシャルは人間の理性的な解釈を上回った機能性があるのだとしか思えません >>42
本能があなたの理解を超えているという前提で
なぜ主体自身の精神をクオリアが司っている事になるのでしょう?なんの根拠もない
他人の精神の内部を認識できないと、なぜ主体自身がクオリアを体験できることになるのかの論拠もない。
人間の脳のポテンシャルだけで人間の理性的な解釈を上回った機能性があると思えるに足る理解が何一つありません。
あなたが言ってることは、あなたがわからない事実を前提に消去法で意図的につなぎ合わせた想像に過ぎませんね。 >>43
意識のハードプロブレムの答え2
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1588097998/934
> 全ての物事が真か偽でしかあり得ないなら、そういう結論しかない
> しかし、排中律ってそんなに自明でも絶対的でもない
> テトラレンマの「あるでもなくないでもない」は「不可知」という形で理解可能だと思う
> 「分からない」は正当な状態の一つで、「知り得ない」はまた違う一つの状態
> 二値論理はあくまで単純化された、論理学の一方言
> 情報を失うような議論の単純化は、議論の意味を喪失する危険性がある
「不可知」という概念はこの方の影響を受けています
そういった意味では、わたしの理解を超えた発想かもしれませんね >>43
> なぜ主体自身の精神をクオリアが司っている事になるのでしょう?なんの根拠もない
それは「集合無意識」の概念に近いと思います
わたし的には「本能」で良いと思いますけど、ユングがそう言っているので >>43
> あなたがわからない事実を前提に消去法で意図的につなぎ合わせた想像に過ぎませんね。
前スレで情報統合理論を訴えていた方がいましたけど、
人間の脳は「わからない事実を前提に消去法で意図的につなぎ合わせた想像」を体験させてくれるかもしれませんよね
ジュリオ・トノーニさんは、そういう想像をしている人のひとりでしょう >>44
テトラレンマのもう一つの項
「あり、かつない」は「矛盾」にあたるのではと思う
古代インド哲学は矛盾許容論理にも手を伸ばしかけていたのではないか
全ての命題は「真」「偽」「矛盾」「不可知」のどれかに収まると考えたと
しかし釈迦はテトラレンマも否定したわけで、これは「言語表現不可能」だと思っているのだが
ウィトゲンシュタインの「語りえぬもの」に相当するのか、とか
二値論理は背理法が使えるから重要視されるが
全てが二値論理に収まるかというと、不完全性定理みたいなものがあったりして難しい >>10
そうですか、「唯意識論」ですか。
じつは私は>>34を読んで唯物論に鞍替えそうかと思ったところです。
私は今、主観主義と唯物論のあいだで揺れています、無茶苦茶です。
>>14
一匹目が何を考えたのかが気になるところです。
「プハァ!死ぬかと思った!」
いきなりそこまではない気がします。
>>16
じつは私は二匹目のサルも自分の将来に不安を感じていた気がしています。
そしてそれはみんな感じていて、
それ故に楽園追放という象徴的な物語が語り継がれた気がします。
兄弟殺しも象徴的な要素があるということを聞いたことがあります。
人類史上初の殺人事件では農耕民が加害者になっているというところが
何かを反映しているというのです。
実際列島社会でも戦争を始めたのは大規模な農耕が始まった
弥生時代以降とのことらしいです。
農耕は社会制度を発展させ、やがて階級制度や富という概念に結びつくと
さらに殺し合いにも発展し得るようです。
そうやって意識もより複雑なものへと進化したのでしょうが、
とにかく0から1への飛躍がよくわかりません。
>>19
なるほど、もったいぶっているとお考えになりましたか。
今更「知らん」とか「それがわかれば苦労しない」とか
そういうことは口が裂けても DNAをコントロールしているシステムについて、
私としてはすべてが見えているわけではありませんが、
この機会に目下のところまでだけでも、ただしあらためてになりますが、
とにかく近いうちにまとめさせていただこうと思います。
ちなみにDNAのくだりで遺伝情報自体ではなくて
それをコントロールするシステムに着目すべきだという発想は、
栗本慎一郎がずいぶん昔に発表した『意味と生命』だったか
『パンツを捨てるサル』だったか、そのあたりからパクったものです。
そのシステムについては栗本氏自身も『最終講義』に至ってもなお
明確にしていただけなかった印象でしたが、
察するにやはり彼の主張の中核である「暗黙知」と密接な関係があるものであろうと考えます。
しかしじつは私は暗黙知については懐疑的なので
少なくとも私にはその線でのそれ以上の考察はありません。
そもそも私にしてみれば物質としてのDNAはマボロシですから
それをコントロールするシステムもないわけですが、
そのようなマボロシが具現されるメカニズムについては
考察しておく必要があると考えています。 >>43
えーと
ひとついえるのは、
この考え方はスピリチュアル体験やオカルト体験を現実世界の中で切り捨てなくて良くなる、というメリットがあると思うのです
精神病的体験を許容できる、といいますか
もちろん>>1さんの円に関連する「意識」の影響力の力学について、
わたしも思うことがあったのですが、今はそれについて記述する時間がありません…
またのちほど… 神がかり的に戦争に勝っても、いずれ神は死に自分一人で歩むことになる。
主観しかないだの、客観思考になるだの、はそういうことに関係がある。 >> 50
そもそもそんなの自由意思だよ好きにすればいいんじゃないのかな
どっちにメリットがあるかなんて人それぞれだから。 空集合はなんらかの引力を持っている/ねばならない。
どのような集合であっても、部分集合の集合の中に空集合はしれっと入り込んでいる。
かといって、空は、集合の要素ではない。
自然現象として(自発的に)部分集合の集合をつくるようなものを探しているが、
なかなかいいものをみつけられていない。
これがあれば、かなりものが(自然現象として)説明可能になるだろう。
散逸構造や自己組織化や創発というようなものにも、そのような現象があるはずだ。
量子論的には、存在確率という解釈が、いまのところいちばんよい結果が得られる。(個人の感想です)
空集合は、外延性の公理からただひとつしかない。
場合の数として1しかとれない。
それでいて「空」なのだから確率的には0だ!
これが引力をうんでいるのだろうと考える。
確率的引力。 >>54
メリットという表現は適切ではなかったですね
この考え方を基にすれば、
もしかしたら説明可能になる事象が増えるのではないか、ということです
わたしがこのスレに書き込みする前は、心理学・精神分析総合スレでいろいろやってましたが、
いまだに「双極性障害」のしくみについて説明できないでいました
このスレは最初のスレから見ていましたが、
書き込みしたきっかけは、でこすけさんが「カウンターがほしい」という提案です
そこからズルズルとやってしまった感じです
書き込みしていてわかったことは、
意識のハードプロブレムを解決しないと、
「双極性障害」という病気について説明できないだろう、ということでした
わたしが考える自己意識(自我)は、
とりあえず誰にも否定できないものだ、ということが前提でした
自我は否定しようもないもの、と考えるなら、他人の自我も否定できません
だから、このスレの進行というものは難しいだろうな、と思いました
1(時計)さんは、
どんな意見に対しても(自分の解釈と異なる意識の定義に対して)否定し続けなければならないと思ったからです
だから、わたしは最初のスレに書き込みしていなかったのだと思います 空集合の引力によって、なにかを貼り合わせると、そこに(常温)超電導的な現象がみいだせるはずである。
(このへんはBCS理論を参照)
異なる多様体をなめらかに貼り合わせる。
もしくはそのようにして貼り合わせられた多様体。
なにやら蠢くもの。
しかしながら、それは高次元での(静的な)結晶体である。
これの、低次元への写像が蠢く。
突拍子もないイメージだが、はたして? >>56の続き
正直に言って、part3が立ったときは意外でした
随分とタフな精神力だな、と思いました
はっきりいって、わたしは時計さんの精神力に甘えてしまったのだと思います
わたしがここに書き込みするということは、時計さんに甘えているようなものです
そういう気持ちでいることを分かっていただきたいと思います
ただ、時計さんが「どこ」に納得していないか、という部分はいつも参考にしています
わたしは、そうやって自分なりの答えを導き出そうとしているわけです 数っていうのはもう増えてると思うよ暗算ですら何桁の実数だろう。現実の状態。
双竜とかのほうがなじみやすいんじゃないの?陰極と陽極。陰陽五行説とかのほうが
精神科より詳しいでしょうね。明らかに幻術に関係がある。
オ カルト 狂徒 じゃないけどオカルト版はまずはやってるよね。異界のような感じだよ。病誌的な言語だと雰囲気が出ないなあ。 統合失調も双極性も
P∧¬P
であると考える。
爆発または消失。
この論理式の外部に安定化機構があるのか、
はたまた、内部にうまい機構が宿るのか。
どちらも安定化機構とすれば、どこにそれがあって、
それが壊れているか育っていないか、どちらかである。
発散でも収束でも過敏な振動でもなく、
安定した円運動。
人工意識も、そのような機構を自発的に獲得しなければならないだろう。
でないと壊れる。
(心が)壊れないためのシステム、防衛機制、というものがヒントなんだろうな、とは思う。
生物/生命/生殖/進化/思考というシステムも同じであろう。
というか、特に区別しないで考えているので突拍子もないものが... >>58
タフかどうかは解りませんがリラックスはしています。:)
私は皆さんの論述から色々と学ばせてもらっていると思います。 Bという人に対し生殺与奪の力を持っている人をAとすると、
BはAの意識的影響下に置かれているといえます
Aの意識がBの意識を包むような感じです
つまり具体的にはAの意向にBは逆らえない、ということになりますが、
Bの無意識(本能)はその状態を危険であると判断します
その危険である、というシグナルの度合いは、
その状況のシチュエーションにもよるでしょう
たとえばBが銃を突きつけられているのなら、
恐怖(というシグナル・またはクオリア)で身体が震えさせると思います
これは一例です
つまり、他人の意識に浸食されていると精神が判断した場合、
身体になんらかのストレス反応がでる、ということになると思います
匿名掲示板のやりとりは、
肉体的な危険性は無い分、結果的に自尊心の傷つけあいになる傾向にあると思います
テーマが意識となると、ちょっと危険かな、と思ったわけです >>62
独立した精神は大切なものだと思います。
それと僅かな敬意、議論に必要なものはそれかなと思います。 自己意識が解放感を目指すのは、
他者の意識の影響力から逃れようとするものに近いと思います
完全な自由意志でいられる自分でありたい、と願うのは誰にでもあるものだと
真理を見つけたい、と願うのはそういう願望と重なる部分がある、と思うのです
真理を見出す、という生き方は、おそらく>>1のような定義を目指すようなものなのかな、と思うわけです >>64の続き
当然わたしは哲学している自分が好きでしたから、
若い時の自分もそういう感じでした
そして真理を見出した、という境地に達したとき、
わたしはスピリチュアルな体験も、オカルト的な体験もしました
そして他人の目から見た自分は、精神病患者だったわけです
今になって思えば、
見出したと思った真理は間違っていたのだ、と思います
しかし、間違っていたとしても、真理を見出したと確信さえすれば、
他者の意識的影響を受け付けなくなるのかもしれません
その場合、>>42の定義に照らし合わせてみると、
自身の意識体験に不可知な要素が現れ、
スピリチュアルな体験やオカルト的な体験をさせられる、と説明できるのかな、と思いました
生きられる方向性にスピリチュアル、
死の方向性にオカルト的(霊的なもの)が現れるのでしょう
意識が誤解すると、それにあわせて精神も反応する、そういった要素もあるはずです 自身の意識が、他者の意識の影響を排除しようとすると、
客観性を失い、見えざるものを見えてしまうのかもしれません
「科学的根拠」は強い客観性を帯びると思います
それはなかなか否定できるものではありませんので、
現代の人はなかなか古代の人のように「神」を名のれないのかもしれません >>67の解説
他者の意識の影響が弱まると、
脳が認識して処理できる情報が減り、不可知的な要素の割合が増えてしまう
つまり客観的な情報が減る
だから自身の意識体験に不可知な要素が現れる、という感じです >>64
確かに精神は解放を目指すものだと思います。
しかし、誰かの影響下にあることは徒弟みたいなもので、
それはそれで大切な期間なのかなとは思います。
>>67
私はスピリチュアルという言葉はあまり使いませんが、神の存在は信じています。
何故だろうと自問自答してみると、
そう仮定して生活する方が「楽しい」からだという答えになりました。 >>68
私は神は信じていますが、現人神はあまり信じていません。
あり得なくはないとは思いますが。
>>69
うーむ、他者の影響下にあることは良い面と悪い面があるということでしょうか。
そうかもしれません。 だからわたしは人間は孤独になるべきではない、と思います
自分の意識は他者の意識によって形づけられているのだから、と言いたいのです
もう言ってしまっているようなものですが、そんな感じです 根回しされて商売できないようにされて
泣く泣く根回し中傷精神病院入りさせたジジイに会いにいき
レイプされ
老人に片足つっこんだ汚い中年に
号泣しながら
膣ズタズタ血塗れセックスされて
気が触れてるところをメディアにキャッチされ
不倫女として引き回されボコボコにされる未来を
お前らネット工作員は見たくて見たくてたまらないんだろう
それが原発利権、抗癌剤利権をぶち壊した人間の末路にふさわしい >>70
> しかし、誰かの影響下にあることは徒弟みたいなもので、
> それはそれで大切な期間なのかなとは思います。
そのとおりで、自身の生命を維持するために他人の意識的影響下に入ることもあり得ます
子供の頃は親の世話になるのもそういったことだと思います マスコミに精神リンチされ
ズタボロになり受験できなくなり
fラン入ったところで
東浩紀が20万払って俺らの舎弟になれと言い
黒瀬陽平はラジオでセクハラ集団ストーカー
村上隆はしつこく中傷セクハラ
こんな奴らに会いたいと思うか?
お前ら馬鹿だから分かんねーか? >>74
お前頭腐ってんな
癌なくしたんだぞ
村上隆より東浩紀より全然すごいことやったんだぞ
それで根回しされて干されてるんだぞ
なんで自分より下の奴らの養分子分なんかやらなきゃいけねーんだよ馬鹿 宇多田ヒカルでさえ
大きな力に洗脳されて
泣き寝入り枕営業セックスを勧める歌を歌ってるからな
ほんとバカな女だよ
お前は枕営業やってたのかもしれないが
私は御免だよそんなきたねぇ成り上がり方 >>72
私は独りだとは思いますが、私も僅かばかりの友人は大切なものだと考えています。 >>78
工作員とは友達になりたくないね
話した内容が全部告げ口されるから
周りにいる人間も
どれが工作員なのか判断つかない
でも工作員が紛れてるのは確かw >>73
>>75-77
何の話でしょうか? :) >>82
癌で苦しんでいる人は未だにいますが、
その薬は国の認可が下りなかったのでしょうか? 全帯域あるいは全時間の情報を得られないときの確からしさをどのように確保するかですなぁ。
神的なもの(あるいはオカルト)を定義できない公理系。
それでいて味気なくないもの。確からしさを増すことでワクワクするもの。
なにをパンドラの匣に閉じ込めるべきか...「完全性」かな。これが「希望」か。 >>89
頭にチンカスが詰まっておいででしょうか? >>90
あなたが申請したのではないのですか?
それとも開発チームに参加していた一員だったとかですかね >>93
申し訳ないですが、わたしはあなたのことを知らない人間といえます
もしかしたら、このスレやどこかのスレでやりとりしたことがあるかもしれませんが、
わたしはあなたのことをよく知らないのです >>93
わたしが知りうる限り、あなたは癌を撲滅できる可能性を秘めた方だ、という情報しかわたしにはありません
あとは女性の方なのかな?とか、
音楽が好きなのかな?とか
哲学に造詣があるかただろう、という不確定なものしか知りえていないのです 全然別の話で申し訳ないのですが、
ブラン・ニュー・ヘヴィーズのYou Are The Universeは前スレで初めて聴きました
めちゃくちゃ良いです
こういうのは結構好きです
スレ違いな話題でごめんなさい P∧¬P は1bit
人工意識君に名前をつければいい >>47
自分の気持ちを相手に伝えることは、
必ずしも言葉にする必要はありません
もし、最初に自意識を獲得した人間がいたとしても、
もしかしたらその人は自分の気持ちを相手に伝えるとき、
その気持ちを伝える方法としての言葉は不要だったのかもしれませんね
わたしは「神」が最初の自意識を持った人間だ、と記述しましたが、
その前の段階(語りえぬもの)としての自意識を持った人間も当然存在したと思われます
ただ、その記述がなければわれわれは認識できません
だから、わたしは「記述が残っている人」を「最初の自意識を持った人」と誤解したのでしょう
現実の世界は、言葉だけのやりとりだけではありませんが、
自分の気持ちを伝える手段としても、
やはりそうであったのだ、と今思いました
この掲示板で「伝える」ことは前提として「言葉」にしなければならない、ということですが、
2次元より飛び出してしまえば、自分の気持ちを伝える方法はいくらでもある、ということになるでしょう 精神分析がすたれ、
認知行動療法になっていったのはそういうことなのかな、と思います 思考という行為は言葉を使用します
思考は自由意志(自分をコントロールする)のためものでもあるし、
自意識を維持するため、という機能もあるでしょう
ただ、脳という全体の機能からすると、それは限定的な機能です
わたしたちが理解可能な範囲でしかない機能といえます
人間の脳には、
その範囲を超える機能も当然ある、
つまり不可知的な機能も当然あると考えた方がいいのかな、と思います ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています