意識のハードプロブレムの答え3
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
1の考え。
主体とは空白。
空白とはあらゆる考えが浮かんでは消える場。
全ての存在は主体にある。
他者の意識は存在すれば、それは主体の意識においてである。
それゆえに、他者の意識は存在しない。
私は独りである。
意識のハードプロブレムの答え2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1588097998/ 前スレ999 名前:853[sage] 投稿日:2020/05/26(火) 14:53:07.37 0
> この問題に対峙するとき、自分を客観視する、すなわち自己と乖離させるのが最初のスタンスです
> 哲学者は自動的にそうしてしまうんです
> それを忘れてくれなければそれで結構です
何ゆえ自己と乖離させるスタンスが哲学のスタンダードになっているんでしょう?
忘れてくれなければそれで結構という強めの戒めに感じたので
チェックしておきたくなりました。 >>2
意識のハードプロブレム=この問題ですので、
意識のハードプロブレムに対峙するとき、となります
他の問題ではそこまで問題ではないです
自己と乖離させるスタンスが哲学のスタンダードと解釈されるのは誤解です
普通の問題では、ある程度の主観的な意見も許容されるでしょう
それもまた一つの意見だとして尊重されるからです
この問題はそれすら許されない、という点が他の問題とは違うところです
わたしの主観はなぜわたしに宿るのか、という疑問の場合、
主観的な意見に答えはないからです
1さんの答えは、ある意味で突き抜けた主観的な意見、といえるかもしれません
しかし、最初のスタンスとしては、客観的であろうとしたはずです
その答えに至るまでは、客観的だった、と思うのです
自分を客観視する=自分の主観から自己を乖離させる、
そうしないと解決できない問題であると、哲学者ならわかるはずです
哲学者といいますか、哲学に自信のある人です
哲学に自信のある人ほど、それ(自己と乖離させること)が自然にできてしまう
わたしはそれを危惧するのです
自己と乖離しているという自覚がないまま、
自分を圧倒してしまう絶対的な答えを見つけてしまうことを危惧します
そうすれば、現実の自分に戻れなくなってしまうかも知れません
このスレもpart3までに至りました
ということは、1さんがまだ確信までに至っていないのでしょうし、
他の人も納得したとは言い難いということだと思います
しかし、このスレのテーマは(哲学に自信のある人にとって)自動自己分解装置です
答えを追求すればするほど、自分が自分でなくなる、といえます
深入りは禁物です
自分自身を見失わないようにと、切に願います >>4
このスレッドは自我は無いと考える人も少なくないですし、
御心配には及ばないのではないでしょうか。 スレッドも3つ目に入りましたし、名前を付けました。
コロコロ変わるかもしれません。:) >現実の自分に戻れなくなってしまうかも知れません
私のような主観主義であれ、でこすけさんのような仮想世界であれ、
それは原点、つまり始まりであり根源ですから、
戻れなくなるというより、戻らなくても良いのではないでしょうか。 >>10
>現実の自分に戻れなくなってしまうかも知れません
人工意識さんと物理的基礎づけ主義者さんはは難しいことを考えていますが、
これには当て嵌まらないと思います。
その他、大勢の名無しさんも多分大丈夫じゃないかな。 >>13
「物理的基礎づけ主義者さんはは」は「物理的基礎づけ主義者さんは」が正しいです。 「自我は無い」ということは「現実の自分は無い」ということと殆ど同じだと思います。 >>7
解決していない問題というのは、哲学者にとって魅力的です
だから哲学者ホイホイと表現しました
また、あなたが他者の意識的刺激によって、
自分が気が付いていない問題に自覚的になりたいと思い、このスレを継続しているなら問題はありません
ですが、あなたは1で自分の答えを提示しているわけです
もし仮に、あなたが他の方たちの意識を、自分の意識的影響下に置くことができれば、
つまり、マインドコントロールすることができれば、
あなたの答えは成就したことと同義になります
それは現実の世界ではそうなってなくとも、あなたがそう確信するだけでも可能なことです
あなたが1で示した定義は、そういった意味になります
誰もあなたを否定できなければ、あなたは知らないうちにあなたの答えに近づいていきます
あなたの中で、自分以外の他者が自分の意識的影響下に置かれている、と思うようになってしまったら、
誰があなたを現実に連れ戻してくれますか?
わたしの願いが、あなたの意識に自動変換されてしまう状況で、
あなたを現実世界に連れ戻せる自信はありません
文字と言葉だけでは、それは難しいといえます
それくらい、このスレのテーマは際どいのです
一応、チャーマーズの本は買いましたよ
まだ読んでませんけど 私の場合、自我は空であるということは、
現実の自分、例えば日常生活を送る自分は、夢現の感覚です。
そして、内省、思慮、瞑想する自分こそが本当の自分だという感覚です。 >>16
ホイホイは無いですね。:)
マインドコントロールする気も全くありません。
そして、私自身このスレッド群の議論で成長させて頂いています。 >>17
音楽を聴いたり、本を読んだりする自分も本当の自分という感覚だと思います。 本当の自分でいられる友人もいます。
そういう意味では、少なくない場面で本当の自分と現実の自分は一致します。 私は音楽は趣味ですが、「僕は独り」みたいなことを歌詞に織り込んだ曲を作り、
友人に聴いてもらったりしています。:)
哲学する自分と現実の自分とでは、それなりに一致していると思います。
私に関しては、乖離の心配はあまり無いと思いますよ。 詩という形だと穏健になるかもしれません。不思議です。 「他者の意識は存在しない」だと堅いですから、
「君の意識は存在しない」に変えて、さっき短い曲を作曲しました。 ゲーデルの不完全性定理は、肯定も否定も証明できない命題がある、
ということではありません。
第1不完全性定理 の
(wikipediaによれば)
自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。
ということを端折ったものだと思われます。
そういう前提があろうとなかろうと、
肯定も否定も証明できない命題なんてごろごろしてますしねw
不可知というものが自然数論を含む帰納的公理化可能な理論から導き出される必然性もありませんし。
「科学」というものは一種の不可知論であり、本質は不可知であるという前提から成り立っています(個人の感想ですw)。
(広義の)オブザーバブルあるいは関係性を扱います。 不完全という定理だろ、ぼけ?
だから心も意識もわからんのよ、それは理屈じゃない、
理屈だから説明できるという確信をもっているからアホの繰り返しが続く。
不完全があると機械的に理解しえないから、単純化できないから
それ複雑性の否定だよ、物はそんな機械のような単純な仕組みではない
合理化しようとするアホな態度とっているからこそ、深みにはまり
深みを扱える技量がないからこそ、おぼれる。 >>26
>肯定も否定も証明できない命題なんてごろごろしてますしねw
え、そうなんですか。例えば、どのようなものでしょうか? >>28
不完全でも、数学には価値はあると思います。 >>前スレ953
>919に新しい内容はほとんどありません。
新しいことがないのはもちろんわかっていましたが、
何故か919を見たそのときにパッと理解できた気がしたというお話です。
ただ、そこで何故意識のハードプロブレムになるのかがよくわかりません。
このことはもっと根源的な、たとえば人類の歴史そのものに
反旗をひるがえすくらいのはなしのような気がしますけど、
何故意識のハードプロブレム?
>>前スレ963
>精神現象を専門に研究する分野は、心理学とか脳科学など(以下省略)
前スレ949のわかりづらさについてはひらあやまりです。申し訳ありません。
あそこで私がイメージしていた精神的現象を研究するため学問なるものは、
例えば私は、五感というのは物理学でいうところの四つの相互作用と同様に、
世界の始まりの当初では同じだったものがやがて何かの事情でわかれたのではないかなどと推測していますが、
そういったあたりを分析しうる分野のことです。
私としては、クオリアがどのようなプロセスを経て成立したのか、
記憶、自覚、発想、理解、あるいは睡眠などのメカニズムについても
精神現象的な効果だけで(物質を考慮しないまま)説明は完結できる気がしています。
ただし私の気のせいかもしれませんし、そもそも無理な相談だとも考えています。
>>前スレ975
>仮想現実が世界観だと考えて創造してる人の現実世界は
>その仮想現実世界観とは別にあるということになるのかね
私としては目の前にあるものに対して理屈をつけているだけのことであって、
当然ながら現実は何も変わりません。
むしろ天動説や創造説のような空想現実(?)にくらべれば
リアリティがある気がしますが、いかがですか?
居心地は悪くなりますけど。 >>016
>哲学者ホイホイ
パワーワードいただきました、あーざっす!
確かに身動きが取れなくなります! >>31
確かに、私は意識のハードプロブレムの解消は
副次的であると考えているようなところはあるかもしれません。
人類の歴史に反旗を翻しているというのは、何と言うか、光栄です。:)
でこすけさんの精神的実体のネットワークも意識のハードプロブレムの解決に
限らない考えですよね。その理論が完成したら凄いことだと思います。 >>34
その言葉は私の中では無かったことになっています。:) >>1
>全ての存在は主体にある
私は既にご説明したように、意識の内側にあるものは、
ただしその証明はできませんが、しかしかなりの高い蓋然で
その外側からの何らかの影響によるものと考えています。
意識の外側にあるものはご指摘の通り「存在」の仕組みから考察すると
事実上存在していないことになりますが、
どこか曖昧な部分に関しては理屈で補っておきたい理屈派としては
一応ゴネておきたい所存です。
たとえば地球外生命体について、普通の感性で言えば地球上にしか
生命が存在していないという考えの方が不自然に思われるわけですが、
牛乳問題に照らし合わせれば地球外生命体は存在していないことにもなります。
そのあたり時計さんはどのように頭の中で整理をつけているのか、
まずはそのあたりについてを伺いたく存じます。
(それにしても時計という名前は1さんらしいといえば1さんらしいですけど、
誰かが一度はツッコまなくては、そんな気持ちになる名前ですと一応) >>36
あの子たち、本当は怖いだけなんですよ【ナウシカ】 ツッコミ、ありがとうございます。:)
でこすけさんがネットワークを持ち出すように、
私は円のメタファーを持ち出したいと思います。
前スレッドでも述べましたが、円の内側にあるあらゆる点の中で、
円の中心点は極めて特殊な点です。それが主体です。
私の考えでは、点同士が影響しているかどうかは開かれた問題です。
地球外生命体に関しては、その存在は現時点では解りません。
そのような存在は、円のメタファーでは、
敢えて言えば、グレーの点として現れると思います。
もっと良いメタファー、あるいはモデルを考えられればいいなとは思います。 >>40
完全に黒い点は円の中心点のみで、
残りの点は本質的にグレーの点ということになるかなと思います。 >>40
その「円」というのは「境界」という意味だと思いますが、
時計さんが想定している境界とは具体的にはどのようなものでしょうか。
また、それはどのようなプロセスで与えられるのでしょうか。
何かお考えがありましたらお願いします
(時計さんからすれば些末なことのような気もしますが)。
おそい時間に恐縮です。 意識内部の表象(知覚によって形成された現実世界の像。例えば、あなたの視界)に自分の意識も想像されている、つまり意識の中で意識を見ているから思考が複雑化するのでは?
空洞な球の中にいながらその全貌を話し合うようなものです。だから球の全貌や外側について延々話し合ってしまう。
もっと単純です。その球の外が、内部と違うわけないでしょう。同じです。全て同じ。それだけのことです。 >>43
考えてみればこれは個人的な関心事でした。
私としてはどうしても私のいる世界がどのようなプロセスを経て
このようなものになったのかが気になっているということだと思います。
>>44
時間さんの主張は下手をすると、自分の襟首を自分で掴んで
自分の体を持ち上げようとするような、そんな感じになりかねない気もします。
しかし、外側が無いとなったらそんなことは言っていられません。
そもそもそのあたりのメカニズムもまた例のウィトゲンシュタイン的な
「語り得ぬもの」だったのかもしれませんが、
何かうまいやり方があるのではないかとも気持ちだけはワカゾーなのです。
一見複雑に思えたものがある視点をとるとすべてシンプルになるとか、
これについてもそういうことがありそうな気がしています。
そんなことはあり得ないということが既に事実上で数学的に証明されていそうな気もしますけど。 >>43-45
円の示しているものは世界です。
だから、円の半径をrとすると、r→∞と考えて頂ければと思います。
その境界は存在/無の境界になるかと思います。
主体が移動すると、大きさは無限大とは言え世界も移動するという、
ゲームのキャラクターのようなメタファーかなとは思いますが、
そこは大目に見て頂ければと思います。:) >>47
円の示しているものは感覚、特に視覚としても構いません。 >>48
しかし、その場合、グレーという色は使えませんから、
やはり円の示すものは世界とした方がいいかもしれません。 >>47-49
名前の時間は時計が正しいです。:) でこいちコンビ(恐縮です)さんは見解の相性が抜群ですね。
楽しく拝見させて頂いています。
いちさんは意識しているのが主体である以上、
他者の意識は存在しないので、自分の意識世界の有りかたになり、
それを踏まえて、でこさんは何の影響を受けて意識が存在している
かという意識の有りかたを問う。
共通するのは認識の有り様の違で意識を反芻している所です。
しかし問題としているのは、自己意識の有り様というイージー
プロブレムではなかったはず、ハードプロブレムとは認識を
意識できるという優しい問題だったでしょうか?
それじゃあ埒が明かないだろうと突っ込みを入れたくなる衝動
が抑えられません(笑)
意識のイージープロブレム(意識に対する認識の持ち方)は
もう煮詰まりました、このスレもパート3です。
ここら辺でハードプロブレム、意識自体の意識の在り方に
シフトしていかれてはいかがでしょうか。 「自分自身を認識できる」というのが意識の本質
例えば物理学では座標系の取り方によって見かけ上の力(遠心力とか)が現れたりするのだが、それと同じで、単なる物理現象を「ある特定の人間の脳」という視点から自分自身を眺めたときに現れる仮想的な実体、それが意識 >>51
私のような主観主義の立場からは、意識のハードプロブレムは、
他者の意識は存在するかという問題に帰着すると思います。
それで、>>1にあるように他者の意識の存在しないことを論じています。
>>52
多分、その考え方には2つ問題があります。
1つは「私」はどのように決まるのか、
もう1つは脳からどのように意識は生じるのか、ということです。 >>51
ここでは51さんに対する反駁のつもりですが
本当に反駁なのか、むしろ同じことを言うのかもしれないというかんじです。
私と時計さんとでは他者の意識の存在を巡って対立しているわけですが、
しかしざっくり唯心論という感じで共通しており、
すなわち私達の間では意識のハードプロブレムは終わった話なのです。
しかし、いわゆる物質の存在を否定してしまうと
ようは夢オチ的な方向に解釈されてしまう危惧が生じ、
そこで日々普通の人が普通に感じている世界像と
唯心論的世界像のあいだでの帳尻合わせが必要になります。
そして私としては今その帳尻合わせをやっているつもりなのです。
本来であればバリバリの唯物論者と物質の存在を巡って
バチバチ火花を散らしたいところですが、
私達があまりに飛躍しすぎてしまったせいかまともに >>55は書いている途中でうっかり投稿してしまったものです。
いつかやるだろうとは思っていましたが、今日でした。 >>55はなんとなく通じそうな気もするので放置するとして、
誠に勝手ながら私の現状についてです。
私としては、ただしある程度で想定内ではありますが、
私の主張が理解されていないという感覚を持っています。
私としては結構「物質は存在しない!」と吠えまくったつもりでいたのですが、
前スレの後ろの方で「そろそろ脳と心との関係を論じるべきだ」のようなレスが投稿されていました。
私としては「脳」も「神経細胞」も存在しないと主張しているわけですから、
それに対し「どういう意味なのかわからない」という苦情ならわかりますが、
「それで、脳はどのようにして意識を生み出すのですか?」と問われると、
こちらとしては「ファッ!?」というかんじです。ー >>57は本日2回目のうっかり投稿です。
これはクセになるのでしょうか? 意識は自然現象(広義の物理現象)である。
すべてを自然現象としてしまえば自然現象に違いないw
命題は難しい。
「人は死ぬ」。これを命題だとしても、人である以上、決定不能である。
そう考えてみるとおもしろい。
これを「帯域」の問題なのだと考える。
いろいろ考える。
結局、決定可能な命題は存在しない。
それが正しい答えなのかもしれない。(あるいは神の不在証明) >>57はようは「かまってほしい」という地獄の亡者の呻き声だったようです。
無視しましょう。
>>47
よく考えてみれば「境界」というと外部を前提にしていますから
時計さんに対しては愚問だったと思います。失礼しました。
なお、私は
>主体が移動すると、大きさは無限大とは言え世界も移動するという、
>ゲームのキャラクターのようなメタファーかなとは思います
これを真面目に考えています。
しかしこれを論じるまで百年くらいかかりそうです。
つまり私が街中をさまよっているとき、
動いているのは私の方ではなくて、世界の方だという考え方です。
>>49
「グレー」というのは保留という意味でとらえました。
確かに地球外生命体は現段階では肯定も否定もできない状態です。
それに対して他人の自我は時計さんにとっては確実に存在していない、
つまり円の外側になるのだろうと理解できます。 >>59
>意識は自然現象である
ここまではわかります。
しかしそれを「広義の物理現象」として理解しなければならない理由が
よくわかりません。
そもそも何をもって「物理現象」とするのかということがありますが、
もしおよろしければアホにかまってやっていただきたいのです。
もちろんアホはうつる病気ですから
そのへんの判断は慎重にお願いします。 >>53
なるほど事情は承知しました。そこで提案です。
「主観主義者の意識のハードプロブレムの答え」か
「唯心論者の意識のハードプロブレムの答え」
など、次はタイトルを修正してみてはいかがでしょうか。。
>>60
55はなんとなく(笑)通じたつもりで次へ進みます。
地獄の亡者さんの理解していないのではないかという
ご指摘を受け、改めて読解を試みましたのでお検め下さい。
「物質は存在しない」とは
物自体に質が伴っている訳ではなく、意識が
物に性質を感じているというような主張なのかと
考えましたがいかがでしょう?
物にその物としての性質が伴わないのであれば、
物である脳にも神経細胞にも質は存在せず、
脳は意識を生み出せないという帰結になるので
「ファッ!?」になるのも理解できます。 >>51
煮詰まっているというのは同意です、ご指摘ありがとうございます。
なお、私は今、勢い余って恩人に噛み付いているところです。 >>62
率直に申し上げまして、このレスでは御主旨のご説明の重要な部分に
私個人が私の日常の中でだとあまり聞かないような単語が含まれているため
若干当てずっぽう気味な返答になってしまい恐縮なのですが、
おそらくそのようなご理解でよろしいかと存じます。
私は前のところで甚だ抽象的ながら
「国家が機能してはいても存在はしていないように、
脳も機能はしていても存在はしていない」
と表現しましたが、
時計さんに取り込まれつつある今でもそのように認識しているつもりです。
なお、少し前でも投稿しましたが
時計さんが何故「意識のハードプロブレム」にこだわるのかは
もはや私にもナゾです。 >>64
正確には「あまり聞かない単語」ではなく
言葉のニュアンスが若干私と違っている感覚です。
もっとも私はまともな哲学教育を受けた人間ではありませんから
私には私個人の勝手な解釈が多いのだろうと思います。 「国家が機能してはいても存在はしていないように、
脳も機能はしていても存在はしていない」
この意味が「物質は存在しない」と同じパターン
の表現だとを云わりましたので、誤読はしていなさそうです。
ありがとうございます。
時計さんについては
主観主義的な立場で、意識のハードプロブレムに答えています
という前提ながら、
端折ったタイトルにした方が哲学ホイホイ的効果を見込める
ということかなと勝手な想像を膨らませています。
>>65
こちらこそ済みません、もし煩わしいと思われたらスルー
しちゃって下さいね、私のほうこそ哲学とは無縁で無学なので
勝手な読解をしたり、勝手な言葉遣いを
して面倒おかけしました。 >>62
>「主観主義者の意識のハードプロブレムの答え」か
>「唯心論者の意識のハードプロブレムの答え」
>など、次はタイトルを修正してみてはいかがでしょうか。
それは多分しないです。
何故なら物理主義は意識のハードプロブレムを解決しないと考えているからです。
>>64
>時計さんが何故「意識のハードプロブレム」にこだわるのかは
>もはや私にもナゾです。
それは「他者の意識は存在しない」という考えはそれゆえの考えだからです。
そうでなければより普遍性の高いであろう
「私は独りである」という考えの方が良いと思います。
あるいは、そこに見られる科学主義に対する批判精神もあります。 >>53
脳は自分自身を認識できる(=自身を神経の電気信号に変換し処理できる)機械だな
脳という視点からみた脳自身の電気信号が意識でありクオリア
もちろん自分の脳は自分からみたときだけ意識が存在する
こう考えればハードプロブレムはすべて解決する >>60
>つまり私が街中をさまよっているとき、
>動いているのは私の方ではなくて、世界の方だという考え方です。
ゲームでは本当にそういう感じはしますね。:)
そうすると天動説の復活でしょうか。 >>69
全ての脳は「私」である権利を持つ中で、
真正の「私」である脳はどのように決まるのでしょうか? >>71
その通りで、すべての脳はその脳に属する意識にとって「私」だ
逆にいえば自分の脳からは他者の意識は観測できない
つまり、同じ物理空間にありながら、それぞれの脳はある意味で異なる「世界」の中で生きているのです
そしてあなたの「世界」に存在する唯一の意識が宿るのがあなたの脳というわけです >>72
うーむ。その「自分の脳」とはどのように決まるのでしょうか? >>72
多分誤解していますが伝え方が稚拙なためだと思いますから考えます。 >>72
全ての脳は真正の「私」である権利を持つ中で、
主観的な「私」を生み出す脳はどのように決まるのでしょうか?
これでどうでしょうか? >>66
そもそも論ですが、このスレッドでは脳科学などの科学の議論は歓迎しています。
つまり、主観主義や唯心論の考えだけを考える場ではないと考えています。 >>76
哲学、科学、宗教学、美学、倫理学、何でも歓迎します。:) >>66
>勝手な読解をしたり、勝手な言葉遣いを
>して面倒おかけしました
たぶん(あくまでもたぶんですが)
この問題はどれだけ勉強した人にも一生ついてまわる問題です。
ただ、そういうところにじつは意識のハードプロブレムを解く鍵が潜んでいる気がします。
とってつけたみたいですけど、本人はけっこうマジです。 >>79
「物質は存在しない」と考えるでこすけさんと
「物質は主観的存在である」と考える私は、本質的には同じようなところがあると、
最近、改めて思っています。 >>80
じつは似たようなことを考えている人は思いのほかたくさんあって、
あるいはいつか革命が起こるのかもしれません。
ただしその革命が最後の革命とは限らないという感覚は
キープしておきたいと闇雲に思います。 https://www.youtube.com/watch?v=Do5MMmEygsY
震える焔黒炎の槍でもひさぎましょうか大黒陀天 shakes makes muder spheare ダンジョンと神託は違うがな。謎解きも違う。どれもこれも自信ありさ。 主観というのは主婦が持ってるものだ。主人や。横に滑らせて。 そして主。唯一神でも意識なんてもがれてしまうさ。荒ぶる魂。霊の身のこなし。 意識がもがれて何処にあるかわからん意識文字通り以上に不明明るくないって意味でも。悲劇のほうが振り返ったら愛嬌ある喜劇。何処へ意識は? >>61
ま、物理主義者ではないけど、自然現象=物理現象だとひと悶着あるかなと思って、
「広義の」とつけましたw
物理学の物理でも、唯物論でもなく、むしろ汎心論なんですよ。
物理現象ではなく(量子)情報現象のほうがよかったかな。
範囲としては、形而上+形而下のつもりで「広義の」とつけましたw
ま、なんにしても形而上ですら、エネルギー抜きには語れないので「物理」です。
わたしのスタンスとしてはそういうことです。
自然現象そのものを意識である、としたいところですね。汎意識論です。 >>93
私としても「広義の」とはまたキワドい表現だなと思いましたが、
一方で『意識のハードプロブレムの答え3』の見どころになるのは
人工意識さん&物理的基礎さんチーム 対 時計さん&でこすけさんチーム
かなとも思い、まず人工意識さんがジャブを打ってきたのかと妄想しました。
とんだカン違いです、失礼しました。
それでも一応気になるのは「エネルギー」という表現です。
私は世界を動かしているのは、たとえば自然とエントロピーが増えるみたいな
特別なコストを必要としない「摂理」だと思うのですが、いかがでしょうか。
もしおよろそければ一言お願いします。 >>70
さて、久々に妄想の時間です。
今回は造物主になったつもりでお考えいただきたいです。
今、これから世界を創造するとします。
設定的に細かいことはともかく、まだ空間はもちろん時間さえありません。
このとき、今私たちが住んでいる世界を創るとすれば
どのような構造にしておくとコスパ的にリーズナブルなのか、
どうすればよりシンプルな仕組みで同じ効果が得られるのかという考察です。
選択肢はとりあえずふたつです。
まず、宇宙を実際に創り、
そしてその中でそれを認識する主体的存在が本当にウロウロする世界、
もうひとつは、認識する主体がカプセルか何かの中に固定され、
ただひたすらダンジョンの内部をウロウロする妄想を見るだけの世界、
実際に可能かどうかはともかく、どっちが創るに楽かというはなしです。
そして私としては後者もじつは可能だと信じているわけです。
それを可能にする摂理は、なんのこともなくつまり「進化」です。
進化は少しずつ少しずつではあっても確実に精緻な構造を実現します。
また、この世界の中でダンジョンという妄想を持っているのは
ひとつまみにも満たない超絶マイクロノリティだと想定すれば
ますます可能性がないことはない気がしてきます。
完璧に否定することもできない卑怯な妄想ではありますが、
どのようにおかんじになりますでしょうか? >>95
私は実は進化論には懐疑的です。
生物は進化したかのように、神は生物を作ったのではないかと考えています。
特に人間はそうです。とは言え、そのような考えにも懐疑的です。 世界を動かしているのは
P∧¬P
です。
これが最も単純な宇宙方程式(方程式になってないけど)である、と考えています。
これをどう解釈するか。へたに扱うとただの爆発律になってしまいますしね。 >>96
直観的には前者、合理的には後者という感じです。 >>97
人工意識さんの本意とは異なるかもしれませんが、
欲というものは本質的に有って無いものだと思います。 そこに3つ目の選択肢を加えてみよう
1つ目の世界に2つ目の世界が重ね合う世界なきハイブリッド宇宙 >>95
読み返すと表現にわかりにくい部分が多い気がします。
自分の無能を呪います。
例)「カプセル」というのはたとえ話であって、
私の見立てではこの世界はあくまでも精神的存在の
非三次元空間的なネットワークです。
すべての精神的存在はすべての存在と直接なり間接なりで影響しあいながら
それぞれの内部で個別に世界像を作り上げていくイメージです。
ちなみにその「ダンジョン」の共有は
共有するべくして共有しているのではなく
成り行き的な結果に過ぎないと考えています。
余計にわかりにくくなっていましたらスミマセン。
なお>>70の「天動説」に対するマジレスですが、
私の世界では「天体」なる物体は存在していないことになっておりますので
よろしくお願いします。 >>96
進化論に懐疑的な理由をお伺いできればと存じます。
私としてはむしろ最近出回っているような
「社会」「企業」「学問」「宗教」等々いろいろなものの進化が
変異と淘汰で説明可能という主張を支持するところですが、
時計さんが「進化」という概念のどの部分に懐疑的なのかは
個人的に気になるところです。
>>97
ケムに巻く作戦ですね?
私は記号論理学(?)どころか英語も理解できないヤカラです。
面白そうなので勉強させていただきます!
>>100
私の理解を超えましたが、
とりあえずカネがいくらあっても足りなくなる気がします。
造物主はウチデノコヅチをお持ちかもしれませんけど。 >>102
1つ目と2つ目が重ね合うまでプライスレスで出来上がります
なにせ自然現象なので。
重ね合ってから3つ目を育む代償にウチデノコヅイを持たない人間が
宇宙(妄想)で営業しながら金で世界を回している! >>103
となると資金源が気になります。
すでに解明はされているのでしょうか? >>53
またも横入りだが
他者の意識が存在しないなら、なぜ私がこの私であることに疑問を持つのか分からない
私は私であることしかできないのに(主観的世界観)、ある特定の存在であるのはなぜか(客観的世界観)と問うのは矛盾を感じる
恐らくあなたは自分の説を信じ切れていないと思うのだが >>97
私としては今回初めて論理結合子なるものを調べたんですが
世界を動かしている「P∧¬P」
わかったようなわからないようなかんじです。
一瞬わかった気もしたんですが、
その感覚はたちまち消えてなくなってしまいました。
仰るように微妙なところなのだと思います。 >>101
確かに、天体が存在しなければ、天動説はありませんね。
>>102
進化論に懐疑的ではありますが、それに理由があるというよりは、
進化論を支持する理由は十分ではないということだと思います。
特に人間は進化で生まれたとは私ににはあまり思えません。
>>105
それは方法論的に物理主義の立場に立っているからです。
敢えてその立場から質問しているのであって、私の立場とは異なります。 >>107
しかし、人間は神が創ったという説にも共感しきれないのが実情です。 >>104
新聞紙を資源にしてお金を刷って発酵します
パクリが一番効率が良いですしね。 >>105主観主義だからこそ逆になぜ私は主観主義的に世界を理解する真性の私になったのかがわからない疑問 唯心論者はマルクスガブリエルの合わせ鏡が
直観的にしっくりくるだろうけどそこまでだろうね >>110
主観主義における主観は、物理主義におけるビッグバンのように
始まりであり、根源であり、以前的なものは存在しないと思います。 >>111
マルクス・ガブリエルの合わせ鏡とはどのようなものでしょうか? >>112
主観主義における主観的私にそう思えるという事情が主観主義には根源的にあると言えば分かるかな >>113
なぜ世界は存在しないのかっていう本に書かれています >>75
脳の方が意識より先に存在するからですね
物理空間にあなたの脳が出現したためにあなたの意識が生じたわけです >>107
進化論を支持するに不十分な条件を上げてもらうとわかりやすいです。 >>116
116さんの文章を理解しているかは怪しいですが、私の言いたかったことは、
主観主義においては主観は根源的であるということです。
>>117
ありがとうございます。機会があればチェックしてみます。
>>118
その脳に私が選ばれる理由が解らないかと思います。
>>119
人間は言葉を使うし、道具を使うし、料理をするし、建物を建てるし、
とにかく進化としては不連続的過ぎるかと思います。
キリンの首があれだけ長い理由も私にはよく解りません。 >>120
>その脳に私が選ばれる理由が解らないかと思います。
どの脳も脳単体で独立した物じゃなくて体の刺激が神経を伝わって
機能していて、体がどう動くかとか、どんなところにいるかとか
何を見てるか等々、その脳と他の脳とは
まったく異なる機能をしているでしょう。
時計さんが誕生してから徐々に目が見えるようになり
手足が動かせるようになり言葉を言えるようになり学習して
脳を客観視できる間主観的な私の観念で主観的に体を動かすようになった
という理由で、時計さん(主観的私)は、その脳(間主観的な主体的な脳)に
選ばれたと勘違いしてしまって、単体の脳に私が選ばれる理由が解らない
と言ってるように思えるんですけど、どうなんでしょうか?
脳は私達人間の誰でもそれなりに機能するからどれかを選んだりしないから
選ばれる理由はないし、ないから解らないのかと。 >>121
成長のことを言うのであれば、「その脳に私が選ばれる理由が解らない」を
「その受精卵に私が選ばれる理由が解らない」と言い換えてもいいと思います。
このことは、主観主義では、私にはある受精卵という起源が存在することは
確かであると考えると思います。
物理主義ではどうなるのでしょうか。 物理主義者を名乗らなくても物理的に卵子に精子が受精しなければt受精卵の起源は存在しませんよね
主観主義は主観するだけで卵子に精子を受精させて受精卵の起源を存在させられるのでしょうけど
主観主義者の記憶をもとに存在することしかできない仮定が起源なんじゃないですかね。 >>123
私の考えは、物質が精神に先行するのであれば、
「その受精卵に私が選ばれる理由が解らない」という問題が
発生するのではないかということです。 >>107
うーん、それはあなたの想定する客観的世界観の問題ではないかな
物理学は同種の素粒子に性質的差異は認めないけど、固有性は否定しないと思う
仮にあなたと全く同じ構造の人間を、他の固有性を持つ物質で作ったとして
やはりそのコピーも「私はなぜこの私であるのか」と問い、にもかかわらずその人はあなた自身ではない
その原因は、物質の固有性の問題だろう
むしろ、主観的世界観によって立つ限り、固有性の問題は決して解決できないと思う
私と他者を比較可能にするような尺度の取り方がないから >>126
主観主義では、私の体は確かなものとして客観的に存在します。
しかし、その客観性はある種の主観性です。
物理主義では、>>125のような問題は生じないでしょうか。 >>126
主観主義では、「私はなぜこの私であるのか」という問いは、
「世界はなぜこの世界であるのか」という問いと本質的に同一的だと思います。 >>125
物質は物体を形づくり、任意に変化させることのできない性質をもつ存在なので
その性質を認める精神があれば、物質が精神に先行することはないんじゃないでしょうか。 >>129
うーむ、やはり物質とは何かという問題は本質的なのでしょうか。
私は「物質は主観的存在である」と考えています。 いや、物質とはなにかという問題なら
「物体を形づくり、任意に変化させることのできない性質をもつ存在」
が本質だからクリアしたでしょう。
時計さんが「物質は主観的存在である」と任意に観点を変化させて
考えて続ける事が本質的な問題だと思うけどなあ >>127
選ばれるという考え方は、選ばれないという可能性がある時にのみ有意味だと思う
選ばれるという立場、選ばれないという立場、それぞれを入れ換えてみることができるということ
そして、立場を入れ換えてみる、という思考実験で捨象されることの中に固有性が含まれると思う
私は「私はなぜこの私なのか」という問い方では、有意味に問うことができないと考えている >>131
「物体を形づくり、任意に変化させることのできない性質をもつ存在」 ですか。
物質とは何かという問題については、まだ考えさせて下さい。
>>132
確かに「私はなぜこの私なのか」という問いは、
問い自体に問題があるかもしれません。
しかし、私は、物理主義では「何故この受精卵は私なのか」
という問題が生じると考えています。 >>131
私は「客観→主観」という構造を考えています。 >>133
「私」とは何なのかをもっと明確にしない限り、錯誤を生み続けるだけだと思う
ある受精卵を私であるとするのなら、私の死体も私であると結論することになるが、これは不合理だろう >>107
じつは最近生物の進化は「特殊進化論」として位置づけておいて、
他方ではたとえばクルマとかパソコンとかも進化しているわけですから
すべての進化に通用する「一般進化論」を構築するべきだ的な本を
見かけたところだったのです。
時計さん的にはパソコンの進化は認めても
生物の進化には懐疑的というところかなという勝手な推測をしつつ、
私は生物は進化し得ると考えますし、
ヒトはサル的なものから進化したのだろうとも考えています。
>>109
一説によると、パクり上手で早死すると天才と言ってもらえるそうです。
どうせだったらエレガントにパクりたいものです。
>>111
私はむしろ、そこから始まると思っています。 >>135
受精卵は生きていると思いますが。しかし、受精卵に拘りがあるわけではありません。
「私」の始まりは、胎児の段階でもいいです。 >>136
確かにスマホの誕生は進化かもしれません。 >>138
変異でもあるね、
>>134
>客観→主観
でも客体→主体ではないね。
それは客観であっても他からの主観でしかない、特定しない観測者という
視点で物事を観察する限り主観から逸脱はできないのだよ。 サーモスタットの意識。
これを、細かい議論をすっとばして単純化すると、
入力を出力に変換する、ということである。
アクティブかパッシブかという問題は先送りする。
熱...だとめんどくさいので、電気(電流)とする。
導線は電流を通す。導線ですら意識を持つ。
そう考えるとおもしろい。 >>140
客体は客観的な存在だと考えます。
そう考えると、「客体→主観」です。 >>142
さらに、主体を主観的世界と考えると、「客体→主体」かもしれません。 >>120
>キリンの首があれだけ長い理由も私にはよく解りません
私のコロナ休暇も残りわずかのようなので、はしょってまいります。
ちなみにこのレスではキリンの首については論じません、すいません。
まず、私のかんじでは、進化は漸進的ではなくある意味急進的、
遠目には徐々にかもしれませんが、世代レベルではパッと変わるのみならず、
時々カンブリア爆発のようなことさえあって当然です。
認識上で進化に関わるのはDNAという化学物質のようですが、
本当に重要なのはDNAに含まれている情報ではなく、
その情報をコントロールしているシステムです。
つまりそのシステムがパッと変われば生体もパッと変わります。
たとえば進化ではありませんが、メスがオスを産み落とすとき、
体格に微妙な変化を加えられるのもそのような構造があるためだと思われます。
極端に言えばニワトリの卵をトカゲが生み落とすこともあり得るということです。
また、そのシステムはパッとしか変わりようがない気もするところです。 ではそのコントロールシステムとはどのようなものなのか。
じつはこれについて現代科学ではよくわからない以前に
(意識のハードプロブレムと同様)
どうやってアプローチしたらいいのかさえ見当がつかない状況のようです。
もっとも最前線の現場がこのあたりをどのように捉えているのか
私には知るよしもありませんけど。
にしても私が思うのは、もっと根本からひっくり返してみてはどうなのか、
はっきりいえば、そもそも物質の存在を前提にしているところに
誤りがあったのではないかということです。
やっぱりキリンを例に取りますと、
私たちがキリンとして認識している構造物も
つまり認識上ではざっくり言ってクオリアのかたまりですが、
そこに現れているクオリア(物自体ではなく)をいくら分解してみても
その本質はわからないであろうということです
(このことは素粒子も同様です)。
それはたとえば、ソクラテスの脳をどれだけ解剖しても、
そのこと自体に伴うクオリアはこちら側の内部で起こっていることであり、
外部に有るであろうソクラテスの意識には永久に到達できないのと
ざっくりレベルで一緒のことです。
そもそもキリンとは何なのか、
そこから考え直してみましょうというご提案でした。
以上の話は時計さんにはわかってもらえそうな気がするんですが、
どうもこの2~3日のこのスレの雰囲気からすると、という気がします。
いずれにしても語彙の貧しさは、若い頃もっとちゃんと勉強しておけばよかったと返す返すも… ま、いいか >>144
私は自然淘汰という説明は逃げだとさえ思っています。
何でもありじゃないかと。
>>145
ソクラテスを解体すると、ソクラテスの血のクオリアや
ソクラテスの脳のクオリアが現れますが、全てこちら側のものです。
では、ソクラテス自身のクオリアはどこに行ったのかと言うと、
私は存在しないと思いますが、全く異なる「宇宙」なのかもしれません。 >>146
名前は時間でなくて時計です。
また間違えました。:) >>146
私が理解するところによると、広義の進化には退化も含まれます。
自然淘汰というのは今見えているその環境を実現した過程にすぎず、
つまり自然競争の勝敗には偶然も関わりますから、
勝ち組が必ずしもスバラシーということではないようです。
進化で重要なのはむしろ変異です。
いわゆるセントラルドグマによると進化は偶然ですが、
そんな中、異彩を放っているとされるのがマーギュリスの共生説です。
いい加減な要約をすると勝者は勝者になるべくして勝者になったという説です。
私はヒトのような高等生物が存在するとなると
偶然だけでは40億年くらいだと無理がある印象を持っています。
何らかのメカニズムがあるのであろうということです。
そして生物の進化は受精卵が成長するのと同じくらい当然のことじゃないかなと
直観しているわけです。
いずれにしても進化論はわかりにくいです。 >>149
私は、直観で言えば、もし進化が偶然だけで起きるのであれば、
この現世はもっと混沌としていたような気はします。:)
進化には何らかのメカニズムがあるという説には賛成します。 知識の羅列は兵隊を出し入れする敵との駆け引きになってない。
肯定否定などで考えが足りないと。
うのみにせず批判的検討をしないと弁証法的思ついで敵陣を駆けて敵陣を切り裂くようなときの頭脳の反応回転がないね。哲学は独学では無理だけどね。読んで書いてるだけじゃだめさ。哲学は戦場の実学。 古典哲学なら古典戦術、現代哲学なら現代戦術を学んで取らないと、ソクラテス以来の哲学
が台無し。 ソクラテスはギリシャ一の知者と神託で評された。そのぐらいの資質がない哲学者なんて必要ない?俺は宇宙神の神託でやさしさが宇宙一っだった。がカントなんてなにかったのかとか。ヘーゲルとか。哲学の席次に並べるわけない。
ひるんだソクラテスをいかけてつぶすぐらいの活気がないと哲学じゃない。 ソクラテスはギリシャ一の知者と神託で評された。そのぐらいの資質がない哲学者なんて必要ない。俺は宇宙神の神託でやさしさが宇宙一だった。がカントなんてなにかあったのかとか。ヘーゲルとか。哲学の席次に並べるわけない。
ひるんだソクラテスをいかけてつぶすぐらいの活気がないと哲学じゃない。 東京モード学園とかのほうがいいんじゃないの?ファッション通信とか。身分が下にされるの嫌だろ? どんどんミニマムな状況を考える。
入力を変化させて出力するものが「(広義の)意識」である。
変化とは何か。
変化するためには自由度がなければならない。
どこに自由度があるかで意識を区別する。
自由度0の意識
そんなものまで考えてみる。
入力がそのまま出力される。
ほんとうに「そのまま」なのか、というと、
どうやらそうではないようだ。
意識の外部に「自由度」がある。
この「自由度」を内部に取り込んだものが(基本的な)意識であり、
さらに、自由度^2以上ものものが、一般的な意識(として認識されるもの)であろう。
これに、いろいろなものをつけくわえることで、意識だけではなく、生命や進化や、
変化に関係するあらゆるものになる。 哲学において大切なことは自分で考えることだと思います。
だから、ソクラテスは本を書かなかったのだと。 「自由度」はどのようにして生まれたのか、
あるいは最初からあったのか、
そもそも「最初」などというものも自由度がないと無理な概念(無理ゲー)なのではないか。
いつものように「点」から考える。
いや、「点」に考えさせよう。
「点」は考える。「考える」なんとことは「自由度」がなきゃ無理ゲーじゃないのか?
よって、「点」は考えない、ということから始める。
「始め」ちゃだめだ。まず、「自由度」を追い出さねばならない。
すでに「始まっちゃっている世界」から「自由度」を追い出すことはできない。
たとえ世界が終わったとしても、保存則がある限り、なにかが保存されている。
とすれば、「自由度」とは「保存則」でもある。
これを召喚して実体化させよう。
召喚するための魔法陣が必要だ。
それは、「数学」である。(形式主義的には)「形式」といってもよい。
(文系)哲学であれば、それは「言葉」であろう。
「形式」も「言葉」も同じものである。
ここで意識に戻る。
「意識」とは「召喚」のための魔法陣、すなわち「言葉(思考言語)」(を使うこと)である。
ちょっとおかしい。意識とは自発的魔法陣か。
「自発的思考言語」そのものを「意識」ということにしておこうw
それそものが意識体である。 うーん、文字が抜ける。
抜けたり湧いてきたりとか、いわゆるこれが突然変異を...
そこに自由度がある限り、変異は避けられない。 もはや私は長期戦です。
私がまいた種から芽が出るのは百年後でもいいかなと。
たぶん全体としては消耗戦です。
みんなで種をまけば誰かの種から芽が出るのではないかと。
私が犠牲になったとしても
神様は私の死を無駄にはなさらないのだろうと。【星の一秒】 >>158
パスカルは面白そうです。
>>161
意味の無い生など無いかと思います。 自由度0の変換を考える。
入力がそのまま出力されるとする。
これは写像(さらに抽象化すれば「射」)である。
入力と出力、そのdomainとcodomainが異なれば、
これは「変換」という「意識」からみれば、外部にある「自由度」である。
domain/codomainとなるものを同一とするならば、外部に自由度は「ない」。
だが、今度は、「変換」側が、「入力」「出力」という区別をつけるため、
「変換」内部に「自由度」が取り込まれる!
自由度がどこにあるか、その可能性としての自由度がさらに確保される。
その機構が「意識」であろう。
主観と客観の違いは、「自由度」をどこに求めるか(2つ目の自由度)、である。
というわけで、ここまでの考察を元にして、非標準論理が構築できそうだ。
意識論理。(ほぼ量子論理(たくさん種類があるけど)となるだろう)
どのようにして意識論理を構築するか。
主観世界において主観は存在せず、客観世界において客観は存在しない。
この2つの世界をどのように(論理的に)接続するか。
ふたつの宇宙(議論領域)を接続するのであれば、タイヒミュラー空間である。 ここでいうタイヒミュラー空間は、本家のタイヒミュラー空間ではなく、
宇宙際タイヒミュラー空間のほうである。
宇宙際は、基本的に、積と和の違いの考察からなっている。
積にも内積や外積やドット積やらたくさん種類がある。
和は、よくわからないが、少なくとも2つ以上の種類があるはずだ。
スカラと単位と、あとひとつ。
いまのところ、あとひとつとして、「表裏」を考える。「ビット」でもよいだろう。
scalar,unit,bit
あわせてBUSか。
「意識」とは、この「BUS」である。この路線で突っ走ってみるか。 主観と客観をmodalであるとする。
主観p ⇔ ¬客観¬p
客観p ⇔ ¬主観¬p
こう書いてしまうと、なんだかあたりまえすぎてつまらない。
主観・客観ともに、位相空間xの部分集合としたとき、
主観と客観の関係はどのようになるのか、どのように対応あるいは接続あるいは変換されるのか。
これに、様相論理のKの公理系を与えようとすると、
必然性演算子□が主観なのか客観なのかで悩む。
客観のほうが必然であるような気もするが、
主観のほうが必然で客観こそ可能性なのだとも考えられる。
どちらでもよいように、対称性をもった新しい非標準論理を構築すべきなのかもしれない。 >>166
それも主観で表せる時点で、すべてが主観だ。
見られる側の対象が見るのであって、見る側が見るのではない。
だからお前は永遠に割り切れないんだよ。 客観p ⇒ □p
とするならば、
主観世界内での客観は、客観ではない。
この客観を主観的客観とするならば、
主観世界内にあるのは主観的客観のみであり、
主観世界内の主観は主観的客観的主観であるw
これと別に、客観世界を考える。
客観世界内にあるのは客観的主観のみであり、
客観世界内の客観は客観的主観的客観である。
この2つの世界を貼り合わせる。
どのように貼り合わせるか、といえば、主観と客観がmodalである、という前提で貼り合わせる。 >>167
段階を踏んで説明しているので、途中までで勘違いしないように。
叙述トリックなんだから、短絡的に考えてはダメw
(最終的に、イヤミスでサゲる予定) 説明するのではない、説明している時点で「途中までとか説明」
まったく的はずれだ。
逆なんだよ、自然に説明されるんだよ、何も言わずとも
自然に生じないそれは お前の妄想でしかない。 客観世界においては、客観こそが必然であり、主観は可能性である。
主観世界においては、主観こそが必然であり、客観は可能性である。
(必然と可能は逆かもしれないが、とりあえず、このように考える)
この2つの、客観論理と主観論理を、うまく貼り合わせる。
表の世界と裏の世界。おたがいに必然と可能が逆転している。
これを滑らかにひとつの世界としてつなぐなら、メビウスの帯状になる。(ほんとか?)
このメビウスの帯状のものは、帯として幅はもたないが、局所的に表裏を持つ。
二周すると元に戻る。
これを、幅がないのだから(閉じた)紐とする。輪をひねって二重にしたものだ。
この二重紐上に非標準論理を構築してみる。
真偽値は「ない」が、局所的には2つの値がある。
局所的に古典的(二値)論理を設定できる論理的多様体だ。
この局所的な二値を主・客としたとき、その貼り合わせが「意識」である。
そう考えてみる。 >>162
>意味の無い生など無いかと思います
なんか知りませんがyoutubeのおすすめ動画に
手塚治虫のドキュメンタリーがでてきまして、
なんか知らないけど延々見てしまいました。
なんか知りませんが「人は何のために生きるのだろうか」
とか今更のように考えてしまいましたけど、
とにかくなんだか意味有りげです。 >>172
私は厳密には浄土宗の信者ではありませんが、
人生とは自由だと思います。そして、全てに意味はあると。 じつは私は、「存在」に基本的なところでの意味はないとも思っています。
私がイメージする世界の中で「存在」というのは
意識の中に浮かんでいる何らかの要素の「意味」ということになりますが、
(たとえば時計は文字盤や針などの意味)
意味というのは絶え間ない時間の流れの中で限りなく更新され続けるもので、
(たとえば時計は電気スタンドや本などとともに部屋という意味に変わる)
つまり裏を返すと意味というのは確実に消え失せていくものです。
しかし一度は失われたものであっても一定の条件が整うと
再生される(しかも恒常的に)場合があって、
ただしその現象にはいかなる深い意味などなく、
即ち何らかの作用の結果として残ったものは残ったし、消えたものは消えた、
ただそれだけ、
あるいは「存在」にそれ以上の意味があるとは思えないという
ようするにただそれだけのはなしです。
このことはじつは人生に意味はないということにもつながりますが、
私としてはどちらかというと人間は自由だという方向でまとめておきたい
ところです。【ポジティブ思考推奨】 >>174
よく考えてみると、こっちのほうがポジティブでした。 >>175
意味には、まず、2つの意味があるのかなと思います。普遍と個物です。
個々の時計は個物ですが、時計一般は普遍です。
恒常的なものは普遍で、刹那的なものは個物だと思います。
この2つの意味は空間的なものですが、時間的な意味もあると思います。物語です。
人生には物語としての意味がある。私はそう思います。 意識が肉体をつくり、個体となり、世界をとりこむ。
意識が先にあるとする。
意識がとる戦略は、Mimesisだ。
可能な戦略はすべてとったのだろうと思われるが、もっとも強いだろう戦略が、
Mimesisである。
基本的には対称性がある。
P∧¬P
から考えれば、基本的な対称性は「反転」である。
「反転」をもういちど「反転」させる。
否定の否定である。
これは肯定にはならないが、肯定のMimesisになる。
とすれば、Mimesisとは、戦略というより、自然現象である。 どう頑張っても凡人は空想と空間を抽象的な時間で物語って意味を想像した感想文になってしまうものですよね 自然現象としてのMimesis。
自由度0の変換であっても「意識」と呼んでしまう。
理由は、「変換」が「遅延」をもっているからだ。
この場合の「遅延」は「時間」が前提ではなく、「時間」を作り出すものである。
この「遅延」が「記憶」である。
「変換」は入力と出力の間の対称性である。
これを「対称性変換」と呼んでみる。
二度の「対称性変換」。これは行って戻ってくるので「物語論的変換」である。
このときの入力と出力間の「差」を吸収するものが、自由度1以上の「意識」となる。
現実的は「対称性変換」ではなく「超対称性変換」でなければ人間の意識レベルには達しないだろうが、
とりあえず、二度の対称性変換(の意識)程度であれば、そこらへんの自然現象の中にみいだすことは可能であろう。 >>179
どんな人生も一流の文学より面白いのではないでしょうか。
そして、一つの人生に複数の物語があってもいいのではないでしょうか。
いつからでも始められる物語。 人工意識とはMimesis装置である。
だが、入力を量子(状態)とすると、
出力と元の入力を比較することができない。
no-cloning theoremである。
しかしながら、保存則があるので情報は保存されている。
問題は「帯域」の狭さであろう。
これは不完全性定理の根源ともいえる問題だ。
「非標準完全性」。わたしのもとめているものはこれかもしれない。
=「人工神」
「非標準完全性(=人工神)」を召喚する魔法陣(形式あるいは言葉)。
「帯域」については、フーリエ変換を参照のこと。 >>181
どんな人生かによって面白くない人生もそりゃあありますよ
一流文学どころか物語にすらならない凡人は他人と
語り合って面白がるしかないわけですw >>183
人の理性はすばらしいものだと私は考えます。
理性に逆らって生きることは果たして本当に凡人なのかと思います。
物語にはそういうことも語られると思います。:) 理性に逆らって生きるている話はしていなかったんですが、なんのはなしでしょう? 地球上に生えている草にどれだけの種類があるのかは知りませんが、
人間が食ってうまいと思えるのはそのうちのほんのひとつまみだと思います。
同様に、大抵の人間の人生の物語に商業的価値があるとは思えません。
しかし昔聞いた言葉で
「どんなブスにもその娘を可愛いと思って育てた親がいる」
というのが私の中で妙に残っています。
ちなみにその言葉は“逆玉に乗るコツ”とのことです。 私にはパクチーはただの草としか思えません。
私の友人にパクチー大好き人間がおりますが、
どうやったらそんなふうになれるのでしょう? 「ブスで可愛い顔と思えなくても親が原因だから可愛いと思って育てた親がいる」
ちなみにこの言葉は”嫁ぎ先で苦労させないコツ”ってことになるかな。 >>187
食べ物じゃないと思えば好きになれるんじゃないか
愛でるのじゃよ おいしいくさなんてどこにでもあふれてる。はんしょくをさけられて子供おろされたから草がまずいんだろうな。食えなくなってる。偏食すら辞めたら?ブスみたいのほうが繁殖が抜け目ないけどな、美人の時間は無能に長いさ若いからしょうがないけど美人は。 昔サントリーから『カクテルバー』というシリーズが発売され、
田舎者である私としてもさっそく都会の雰囲気に飛びついたものです。
その中にはアタリハズレいろいろあったわけですが、
その中で唯一飲みきれずにドブに捨てたのが
何を隠そうカクテルの王様マティーニです。
ところがしばらくすると何故かまた試してみたくなって
そしたら今度はメチャクチャうまく感じたのです。
今ではたいていジンとベルモットを隠し持って暮らしていますが
あの感覚はなんだったのでしょう?
パクチーはいつ食っても草なんですけどね【哲学】 ちなみに『カクテルバー』のキャッチコピーはたしか
「愛だろ、愛」でした。 というか戦える起伏とかごつごつしたかんじとか整ってないそんなものに愛着ないのがくずさ。逆に感じてるとなあ。ブサイクは似てるからブスを嫌うんだろ。 いかついねえちゃんのほうが喧嘩戦争実績が表に出て正直だ。 というか美人より血統がふけてるブサイクが美人に強姦するから世が荒れてるとおもうよ。マジで掃討。 ゲテモノというけど自分はどうなの?肌や顔に刻まれたものが差別者としてえせ美人だけとか寂しいね。 美しさを物に見るか心に見るか行き着く先は両者のバランス 私は年をとったせいか
「番茶もデバナ」といって地上は楽園です。 細工してないといういみなら美人も入るでそんな処女嫌うのどうなのか。
化粧やファッションしてない。童貞なら。 美醜の問題は相対的であるからね。他人の評価は関係ないと思うけど。 ホリが深いとか、プロポーションに起伏があるとか、そんなのを避けてるようじゃなあ。 ただ、たつかどうかはまた別です。
これはモラルではない。 森山中の大島夫婦をみていると他人の評価は多いに関係しているように思う 歳をとると、脂っこいものばかりは食えなくなります。
ホント切実。 女性が先に誘うべきで立つかどうかなんて選ばれて立たないのはアウトかな。 昔、世界中の子供を撮り歩いた写真家が言っていたんですが、
「子供は世界中可愛い、
だけど一番可愛く感じたのは被差別階級の子供」 >>212
これは悲惨な話を聞いたことがあります。
詳細は内緒。 見ばえでも虚飾的に享楽的に女性を上回っているところがないと哲学や戦争勉強仕事などで女性を犯すことになるでしょう。関係ないのに。 部落の人とのんだけどな、史上最低の行為をしていないと部落語っても口だけ。 >>216
もちろん差別が許されると言っているわけではありません。 人種差別しないと黒人が白人犯すけど。もう日焼けしてるのに。じじい血統なのに。 人種や血統など差別化された主体が階級差や身分差の中にいることが大事で、そこから逃れたらほせばいいさ。 >>215
「目の輝きが違って見えた」とも言っていました。 兵隊ひきまくって殺されまくっておびえてるとかそんな近親とか愛せる人いないよ。 部落にいる理由もあるんじゃないの?そこまで体験なく認めれないから部落のほうが敷居が高い。 日本人には階級意識が薄いと言いますが
暗黙の階級はあるとヒシヒシ感じます。
私としても入りにくいお店なんか普通にあります。
それにしてもオノ・ヨーコ(華族)がジョン・レノンのことを
「彼は労働者階級出身」と言ったときにはリアルを垣間見た気がしたものです。 部落の人全員に最高の官位はないさ。部落も普通人も差の中から逃れちゃいけない。 >>227
もちろんオノ・ヨーコさんに悪気はありません。 麻雀放浪記の
「死んだやつは負けだ」
を思い出します。
役満ツモっても死んだら負け。 パティスミスのほうがいいんじゃないの?
というか官職のトップにはトップの能力があって部落出身者でももともと身分の高い人はいてな。それを栄枯盛衰という。だれがひかるのかは裏社会ではわからないようで
大概想定はつくだろう。望杯の枯れたることがなかりせば。 別にウオッカが一番強いのがウオッ華族でウイス貴族もいるとかでええよ。 (許す許さないとやるやらないは別です。時計さんには内緒。) 人殺しを生業としても所詮人を殺しているに過ぎない。過去が背負う仕事だ。
道長たんとかな。わかいの連れて。 まあレベルが高いといってゲームでみな共有してレベルが高くなっていく平等がつまらないだろう。 偏差値のほうが個体差に大幅に差があって次代にはいいと思う。 ジョンレノンオノヨーコより御茶ノ水のレモンの油絵の具のほうがそうとう身分高いさ。 ダービーの末脚にもいろんな世界の命のドラマあるさ。馬はサイズから人間の先輩。 >>185
遅くなりましたが、理性はすばらしいものだから、
凡庸な行為は非理性的なものに違いない、ということです。 いつもゴキゲンなナンバーありがとうございます。
私は焼酎は芋派ですが、日曜の午後から酒がうまい弟子。【哲学】 世界を2つに分ける。
主観世界と客観世界。
主観世界が意識世界であるとすれば、
客観世界も意識世界である。客観的意識も認めるものとする。
それがどのようなものであっても、消去法によってそれを客観的意識と考えるw
(客観世界において意識でないものを消去していき、最後に残ったものあれば客観的意識である)
客観世界という意味場において客観世界そのものは存在しない。
存在するのは客観のみであって、客観世界は存在しない。
(主観世界においても、客観を主観に入れ替えれば、同じである)
客観世界において、主観とは客観的主観である。
主観世界において、客観とは主観的客観である。
客観世界に、客観的主観世界は存在可能である。
主観世界に、主観的客観世界は存在可能である。
この2つは、排他的である。
しかし、完全性をすてることで、無矛盾に共存することは可能だ。
ここで非標準完全性を持ち込む。
非標準完全性によって矛盾な共存を可能とするものが、「意識」である。
(必然ではなく、あくまでも可能だあることに注意)
「意識」を定理化するのであれば「非標準完全性定理」、ということになるw
そのような定理が成り立つのかどうか、なんてことはどうでもよい。
無理やり成り立たせる。
数学的には可能だと踏んでいる。いや、「可能」だ。それでよいw
どのようなチートを使うのか、といえば、「非標準」である。
超準解析や非標準論理のやり口を参考にする。
そう考えて、図書館でいろいろ本をあさってきた。 >>247
>客観世界において、主観とは客観的主観である。
今一つ意味が解らないのですが、説明して頂けますか? 客観世界で(その意味場で)存在可能なものは客観だけです。
客観的にとららえられた主観のみが、主観として存在できます。
それが空であるかどうかは別問題です。
場合によっては負の集合のようなものを考えてもよい。(非標準ですからw)
対称性を考えると、そのような概念が必要だからあるわけです。
われわれ(わたし)は主観世界にいるわけですから、
客観世界を主観世界へ、無矛盾に投影せねば(主観的客観として)なりません。
そこにおける「射」あるいは「関手」を主観世界からみた「意識」と定義します。
同様に、客観世界にも投影するような客観世界の「意識」も考えます。
ただし、この客観世界の「意識」は主観世界での主観的客観世界内での「意識」です。
この構造を数学的に記述するのであれば、ペンローズのツイスター理論のような形態かもしれません。
これをすごく単純化して、1粒子系だけで考えたのが、二重ループの紐における非標準論理です。
他者か他者の意識か、どちらかが存在しない、のではなく、どちらも存在させるための非標準的処置です。
意識内の意識によって構築された他者の意識ですね。 >>249
「客観的主観→客観→主観」みたいな構造でしょうか? 客観的主観が、そのまま客観的にとらえられた主観です。
個別の客観物の主観は客観->(客観的)主観です。
前者がclassで、後者がinstanceかもしれません。
プログラムで実装する場合は、客観世界側から攻めるしかないわけです。
人間は主観世界側から攻めるしかないw
入れ替え可能な対称性が必要と考えますが、階層が異なるので超対称性になりますね。
で、AI側が、客観的独我論によって主観的存在を抹殺していくとw
安全装置として、対称性の倫理を原則として組み込まないとね。
対称性人類学といったのは中沢新一ですな。
対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5 (講談社選書メチエ)
これに機械も含めてしまう。 >>251
>客観的にとらえられた主観
これは何度聞いても私には無意味です…… なるほど、客観的主観が理解できないわけですね。
単にゲーデル文である、ということでよいと思います。
客観世界の意味場において意味を持つものです。
主観世界にいるかぎり、それはみることも感じることもできません。
精進なされよ。
むかし、中村元の孫弟子とよく飲みながらよく語った。
オレ「おまえが日本の仏教界を変えていけよ」
アイツ「おれはやらない」 >>253
無意味でいいのでしょうか。
「客観的主観→客観」だと理解はできます。言い換えれば人工意識です。 客観的主観は、客観世界の意味場にあるのでもちろん客観です。
人工意識の中での客観的主観の客観的意識のclassであることを想定しています。
これを主観世界側で考えれば、他者と他者の意識を主観世界内で共存させるための仕掛けになります。
まあ、まだ実作していないので、それでよいかどうかは実作して検討せねばなりませんが。
他者および他者の意識は、主観世界の意識内でシミュレーションみたいなものだと。
そうするともうしわけないですが、主観の中には他者も他者の意識も、どちらも存在しません。
主観によって主観内に存在させられている(仮想的な)ものということになります。 >>255
笑いとは「受ける」というより「捨てる」である。
そういう夢を見ました。
「受ける」という言葉自体がボケになっていて、
そのため笑いは終わらない構造になっているのです。
私は、「客観的主観」は客観的世界に存在する主観のこと、
即ち脳、あるいは、人工意識のことと考えていました。
>そうするともうしわけないですが
何も申し訳なく無いですよ。:) 例えばですが、あなたに兄弟がいるとします
そして、同性の弟がいるとします(あなたが兄とするならば、です)
あなたが生まれる因子として、必ず親がいる(いた)でしょうから、
父親をA、母親をB、そこから生まれる男子をCとします
この場合、あなたはCですが、弟もCです
AとBから作られるCは本質的な違いは見つからないはずですが、
兄Cは弟Cを自分だとは絶対勘違いしませんし、
弟Cも兄Cを自分だとは絶対勘違いしないでしょう
なぜでしょうか?
意識は相対的なものである、と仮定した場合、
あなた(兄C)の場合、相対する対象として、AとBがいて、その対称としてあなた(C)の意識が成立します
弟Cの場合は、相対する対象がAとB、そしてあなた(兄C)がいて、その対称として弟Cの意識が成立することになります
つまり弟Cの意識の成立条件(の対象)にあなた(兄C)が加わることで、あなたの意識と弟の意識が混同しないと考えられます この仮説が正しい、とするならば、
あなたが生後、弟Cが生まれる前に死んでしまった場合、
あなたの死後、弟Cが誕生したときに、弟Cにあなたの意識が宿る可能性があります(まったく同じというわけにはいかないとは思いますが)
理由として、
弟Cの意識の成立に関わるあなた(兄C)の意識が対象として存在しなくなるからです
そうすると、弟Cの意識の成り立ちが、あなた(兄C)の意識の成立の条件とほぼ変わらなくなります
つまり意識の構成要件としては、あなた(兄C)=弟Cとなります
ただ、あなたがこの世に残した痕跡が大きければ大きいほど、
弟Cの意識は、あなたの意識とはかけ離れたものになるだろうとは思います
なぜなら、弟Cの意識は、あなたの残した意識の痕跡を認識し、それを対象として意識してしまうからです
それでも、あなたがこの世からいなくなった以後の年齢を、弟Cが生きることになったとき、
弟Cの意識があなたの意識と同化していく可能性は否定できません
意識が違いを生むのは、対象が同じ世界に存在してこそだとわたしは考えるからです
参考
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1588097998/775 >>258
横から失礼します。
>弟Cの意識があなたの意識と同化していく可能性は否定できません
これについては私も否定できないと思います。
ただ、257さんの主張の前提にあるのは「脳が心を生む」という
というじつは科学的な根拠の希薄なはなしです。
私の理解するところによると、一方で時計さんは
「私の脳と思われるものから本当に私の意識が生じているのかどうかは
疑ってみる価値がある」
というようなことを言っているのだと思いますが、
物質と精神とのあいだに断絶を感じていれば
そのような疑問は確かに成立します。
将来的に時計さんの意識が誰かの意識と融合することがあったとして、
そこでこのスレ的に問題にしたいのは
そこで起こるであろう物質的現象と精神的現象とがどのように関わるのか、
先走って言えばそこの生じるであろうミッシングリンクを
どのように理解するのか、ということだと思うのですが、
さてそこで私が個人的に257さんにうかがってみたいことがあります。
わたしが以上で申し述べたことの意味は伝わっているのでしょうか?
最近自分の日本語力に甚だ自身を失っているのです。
個人的なことですいません。 >>257-258
兄弟の場合は、遺伝子というある意味での環境はかなり異なるかと思います。
それでは、双子の場合はどうなるでしょうか。
精神は物質に先行すると考えると、精神は双子の内のどちらかを私であると
認識するだけのことだと思います。
物質は精神に先行すると考えると、どのように考えて良いか私には解りません。
意識には連続性という重要な性質があるかと思います。
連続性の観点から、弟の意識が兄の意識のようになることは
難しいと言えるのではないでしょうか。 252学術 (ワッチョイ 2a1f-MDw3 [125.172.122.157])2020/06/01(月) 10:47:55.87ID:XFrkSKgF0
https://www.youtube.com/watch?time_continue=22&v=475bxyqPVGo&feature=emb_title
コートは前夜東京戦場化横須賀クオリティー。 >>260
横だけど精神がどうやって物質に先行すると認識してるの?
「精神」っていうなにかぽわ〜んとした魂wみたいな思い込みの大前提がないと
意味が通じないよね >>262
様々な考えと調和的だからだと思います。:) >>262
逆説的に言えば、ぽわーんとしたものに慣れることでしょうね。:) >>263
うーむ、そのぽわーんとした意識散漫な無秩序な仮想を飼い慣らすのが時計さんという私なんですね? >>265
うーん、ぽわーんとしたものだと思うならば、
ぽわーんとしたものから始めるしかないということです。
私も含め誰もがぽわーんとしたものだと思うとは思っていません。:) >>268
しかし、精神はぽわーんとしているというのは案外的を射ているかもしれません。 >>268
そういう話ではなく
私のいうぽわ〜んは、前述した通り、意識散漫な無秩序な仮想です。
なので
>様々な考えと調和的だからだと思い
その仮想された様々な考えだと言った時計さんが飼い慣らす(というと
大げさだけど、ようするに)調和的だと言ったわけです。
今そういった時計さんが、
>私も含め誰もがぽわーんとしたものだと思うとは思っていません
と言出だしていると思うんだけど、どうですか???
私はどこから始めたらよいかとは質問もしていませんので、私の?
に対する応えになってないんですよね。 あれからいろいろ考えてみた。
主観世界における主観的客観は可能性でしかない。どうあがいても必然は引き出せない。
そうなると、客観世界においての客観的主観は、必然しかないw
主観世界における主観も客観も主観的主観と主観的客観しかない。
主観世界では他者も主観的他者であり、その他者の意識も主観的意識である。
その意味で、主観内には他者も他者の意識も存在しない。
主観的主観⇒主観とできるかどうかで、別の論理になる。
(このへんは様相論理を参考のこと)
主観世界に(主観的とつかない)客観を与えるメカニズムが必要であり、
客観世界には(客観的とかない)主観を与えるメカニズムが必要だ。
このメカニズムを主観からみれば、肉体あるいは身体である。
主観からしかみれないのであれば、主観的身体である。
(主観側の)「意識」とは「(主観的)身体」である。
とすれば、
(客観側の)「意識」とは「(客観的)身体」である。
前者をソフトウェア、後者をハードウェアと考えれば、おもしろい。
主観世界では、ハードウェアも主観的存在でしかない。
確からしさでしかない。
この確からしさと(対称性的に)同等のものを客観世界側で考えるならば...
それはいったいなんなんだろう。不確からしさであろうか?
逆ベイジアンネットワーク。そういうヘンなものを考えてみるだけでも楽しい。 「意識」とは「ぽわーん」である。
いただきました。 >>259
人間が自己意識を持ってなにかしらの行動をする、というのは、
人間本来の行動だとは思いません(と、思ったのはつい最近のことです)
人間が意思を持つ、ということ自体が人間にとってイレギュラーな事態である、と考えます
つまり、ある行動原理でしか行動しないように作られたロボットが、自分自身で自身の行動を制御するようなことです
理性がなければ、人は生きていけないか?と問われれば、わたしは否と答えます
野生児は野生児で生きていく術を本能的に身につけるでしょう
動物のように、です
ある行動原理でしか行動しないように作られたロボット=本能でしか行動しない動物、と考えます
そう考える、という前提では、人間は本能によってしか行動しない動物ではありません
無意識的な行動、というのは本能的でもあります
それを促すシステムが精神のしくみと考えます
人間の意識(自己意識)は精神のしくみに密接にリンクしていることについては、
わたしが意識的な存在である以上否定できません
密接にリンクはしていますが、(自己意識が)もともと設定された機能ではなかっただろう、
という想定が意識のハードプロブレムに関わってくると思います
「まず言葉ありき」といいますが、それがある行動原理しか動けないロボットが、
自分自身で動きを制御できることになるひとつの要素であると考えます
つまり、人間はもともと自分自身で自身の動きを制御できるようにはなっていない、という認識です
それが前提だということです
おそらくでこすけさんの質問への答えにはまだ届いてないでしょうが、
とりあえず前提について説明しておきます >>260
あだち充の「タッチ」は創作作品であり、フィクションでひとつのファンタジーであります
とはいえ、「タッチ」の中の世界観というのは謂わば>>1の定義を満たしているように考えることも可能だと思います
(正確にはあなたではなく「あだち充」の意識ですが)
「タッチ」のストーリーというのは>>258を否定しません
あなたの考えを否定しない形では>>258を否定できないとわたしは考えます 双子(一卵性)は、対称性である。
対称性とは、「ある変換に関して不変であるで性質である」。
Wikipediaから引用したが、「であるである」と、なんかヘンな文章だ。(ひとのことはいえないのである)
不変な性質と同時に、最初から「違う」ということでもある。
卵割とは自発的な対称性の破れなのだろうか。
卵子も意識を持っているとすれば、脳ではなく、DNAが意識を...
と、それとは別に新しいアイデアが浮かんだので二重ループの非標準論理が少し進展。
週末は図書館でいろいろ漁ってこよう。
二重ループ...DNAか...へたするとこいつが意識の真犯人なのかも。
卵割のメカニズムも調べなきゃ。 >>270
散漫は無いかもしれませんが、ぽわーんとした無秩序な仮想を飼い慣らすというのは、
精神の働きとしてあるかもしれません。
物質の理論も始まりはぽわーんとした無秩序な仮想かもしれません。
物は落ちるし、天体は回る。そこから古典力学は始まったわけですから。
>>275
確かに>>1の議論だけでは双子の議論には踏み込めないですね。
私の双子に関する現時点の考えは>>260にある通りです。
>>276
動物の知性は猿などの実験ではニューロンの電気的活動だというのが一般的ですが、
DNAに注目するのも面白いかもしれませんね。
対称性を綺麗に定義するとそうなるのですか。
足し算は偶数と整数で対称だったりするのでしょうか。
この場合は同型と言うのかな。 >>262
更に横からすいません、行きがかり上ひとこと。
時計さんと私とは、どうすれば物質が精神に先行すると認識し得るのか
みたいなことを(ある意味で)問題にしています。
「物質」っていうなにかカチンとした塊みたいな思い込みの大前提がないと
意味が通じないのではないか。
物質は常に私達の中にクオリアとして現れますが、
その向こう側に何かカチンとした塊があるような気がするのは
本当は錯覚にすぎないのではないか、
いわゆる物質が意識の外側に存在する証拠は
本当にあるのかということです。
ただし、意識の外側に何が存在しているのかについてで
時計さんと私とで意見が別れています。 >>275
レスありがとうございます。興味深く読ませていただきました。
>あなたの考えを否定しない形では>>258を否定できないとわたしは考えます
ここでいう「あなた」というのは私(でこすけ)のことでしょうか。
というのは率直に申しますと、私が前スレで延々やらかしたことについて、
257さんがそれをお読みなった上での>>275であるとすれば、
はたしてどのように伝わったのか、少し疑問をかんじたからです。
私の主張の元ネタは、ようはライプニッツのモナド論であり、
それをモナドに窓があるテーで焼き直したもののつもりです。
私にとって世界というのはモナド的なもの(主体的実体)のネットワークというイメージであり、
そしてそのネットワークは変化する気がしなかったので一応永久に不変ということにしてあります。
おそらくこの段階で普通の人の理解を超えているのだろうとも思いますが、
これは私が考え得る限りのことからの消去法の結果です。
さて、この世界観に基づいて>>258を考察すると、
率直なところ私としてはちょっと難しい感触です。
モナドの融合はそのメカニズムに無理がある気がします。
私としては精神というのはぽわーんとしたようなものではなく、
たとえばコンピュータのアルゴリズムが精緻なシステムであるとするならば
意識もまた相当に複雑なシステムです。
イメージにすぎませんが、仮に融合したとしても
簡単に機能するものではない気がします。
ただ、それはあくまでも私の言い分に過ぎず、
そもそも私は何かを見落としているかもしれませんから
その部分をご指摘いただければ即刻改める所存です。
私事で恐縮ですが、何かお気づきのことがありましたら
是非ご意見をお寄せいただきたいのです。 >>276
行きがかり上ひとこと恐縮です。
すでにお気づきかもしれませんが、
そのあたりはペンローズ先生もお考えになったのではないか
という気がするのですが、
なにしろ私は例の本について背表紙であきらめたクチですから、
具体的なプロセスは存じません。
いずれにしても続報楽しみにさせていただきます。 >>279
ちなみに私は「コンピュータのアルゴリズム」なるものが
どのようなものなのかについてはまったく見当が付きません。 >>279
>>275は時計さん宛てです
基本わたしが「あなた」というときは1さん宛てです
創作物を引き合いに出したのは、>>1の答えに含まれると(わたしは)解釈できるからです
創作物をソースに使うな、と仰られるのなら、時計さんに答えの定義を変えて頂けないといけません
「タッチ」はひとつの例です
和也が生きていたら達也は野球をやらなかっただろうな、とは大体の人が思うでしょう
また、和也が死んだとしても、朝倉南という存在がなければ、
達也は野球をやってなかっただろう、とも思います
第三者からみると、和也が死んだ後の野球をやっている達也に、和也の遺志(意識)を感じるわけです
それは投影であって、和也自身の意識ではない、という指摘も当然あるでしょう
ただ、わたしが言いたいのは、
俗語としての「予定調和」
現代の日本では「予定調和」という俗語が「予測どおりの物事が起きること」という意味で用いられている。
特に小説や漫画などの物語(ストーリー)においては「このような状態になったら、
次はこのような物事が起きる」という物語の類型が多数存在しているため、
ある状態になったときに次に起こる物事を予測できることがままある。
その予測どおりに進行したときに、物語の評価として「予定調和」という言葉を用いる。
「フラグ」は物語における「予定調和」の一種である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/モナド_(哲学)
↑これを含めて時計さんに「タッチ」の物語を自問自答して欲しいと思ったわけです
意識には連続性がある、とはわたしも思います
だからこそ意識は一個人では完結しないとわたしは思っていますが、
それを時計さんに強要するやり方は採らない、というのがわたしの方針です
このスレでのやり取りは、時計さんの意識の問題でもあるからです
時計さん以外とのやり取りはこの限りではありません >>279
「意識」はシステムではない、というのがわたしの解釈です
謂わば、高度なシステムが技術的特異点を迎えた結果が人間の「意識」である、と感じています
シンギュラリティがどのようなものか、については人間の「意識」が参考になるのではと思います
これは、もともと人間が無意識でも自動的に生きていくように(死なないように)行動する高度なシステムである、という前提の話です >>282
失礼しました。よく見たら確かにそうなっていました。
私としても、変だなーとは思ったんですけどね、たはははは
ちなみに>>274について私に異論はありません。
むしろ勉強させていただきました。
またいろいろなことをうかがえる機会があればと存じます。
恐縮です。 >>283
ご丁寧にいたみいります。
>高度なシステムが技術的特異点を迎えた結果が人間の「意識」である
もしおよろしければ、具体的にうかがってみたく存じます。
いかがでしょうか
とふっておいてなんですが、
私明日8時から仕事なので就寝させていただきます。
ありがとうございました。おやすみなさい。 >>257の考え方をすこし解説しますと、
宇宙人から見た人間というのはオスかメス以外は大した違いに見えないだろう、という発想です
人間から見たネズミも同様です
モンゴロイド系以外の人種から見た日本人というのも、兄Cと弟Cは大した違いに見えないだろうと考えます
(地球外生命体からみた人間に比べれば違いは判るとは思いますが、程度の違いです)
宇宙人からみれば、AとBから生まれた兄Cと弟Cは同じである(ようにみえる)と解釈してください
弟Cは兄Cのコピーである、と解釈できなくもない
もともと、そうであったのだ、という可能性にまで想定して>>257を考えています
しかし、主観というものは自分以外のものは自分ではないわけです
弟が自分のコピーだとしても、それは自分ではないと思える原理はなんなのか、
というのが意識のハードプロブレムにあたると思っています
なぜわたしはわたしなのか、という問題に到達するまでは、かなりの因数分解が必要になるでしょう
身近な「例」というのはそれを認識できるようになる代数になり得ると、わたしは思っています モナドの領土だけモナドしてればいいんじゃないの?戦争で勝ちえた。 戦争に負けたり参加していない兵隊ひいたりしてる哲学がはやるのはおかしいインフラとか。
勝った哲学のほうが確実によいものだ。論証確証もされる。勝って覇権を争え。 宗教や政治制度経済システムなども同じことがいえる。 戦争勝ったら即相手に哲学のませこむといった激しい争いを好むかどうか。 >>278
お二方の話の詳細は追えてないので、私もある意味での返答になりますが
端的に言ってしまえば、精神と物質の関係を理解できなければ、
自分自身の精神を物質に先行させ得る根拠も得られので、意識の外側に
物質が存在する証拠もみつからないです。
物質っていうなにかカチンとした塊みたいな思い込みの大前提ではなく
大前提、辞書的にキチンと物質の知識を保って考えていかないと、意味
はすれ違い、通じなくなり理解し合えないと思います。
本当に有り得そうな仮説を仮定できても、いうまでもなく
科学的に証明されない限り本当かどうかは確認のしようがないですが
この場では現実的な仮説を立てるのが最善だと思います。
しかし物質は存在しないという認識前提だと、存在しない前提を説明する
術はないんじゃないでしょうか。 >>293
物質からカチンとした塊のような印象を得るのは、視覚は絵などで騙される
可能性があるのに対して触覚にはそれがないからだと思います。
そういう観点から言うと、それは人の認識の仕組として自然なことかもしれません。 >>294
物質というものは、騙し得ないもの、そう考えていいかもしれません。 触覚も視覚もクオリア的には感覚の質なので触覚だけが認識をだまさないということはないですよ、(触覚が鈍ることもある) >>296
勿論厳密にはそうですが、傾向として、ということです。
仮に物質とは騙し得ないものだとすると、騙し得ないものは存在しないのであれば、
物質は存在しないことになります。 本論とは関係ありませんが、哲学を笑うという行為は最も簡単な哲学だと思います。:) >>294
>それがない
絵に相当するものが無いということです。 >>297
傾向としてというように、限定しない物質の意味を押し広げていくことで
物質への理解をぽわーんとしたものにしていく傾向が・・・ >>300
私の考えではぽわーんは主に視覚のことで、触覚はしっかりした印象です。
傾向とは言っても、触覚と物質の関わりはかなり強い傾向だと思います。 物質を求めることとは、存在を暴露することと言えるかもしれません。
物質が存在しないこととは、存在の暴露に終わりが無いということかもしれません。 >>301
その話がでこすけさんの
「物質は常に私達の中にクオリアとして現れますが、
その向こう側に何かカチンとした塊があるような気がするのは
本当は錯覚にすぎないのではないか、
いわゆる物質が意識の外側に存在する証拠は
本当にあるのかということです。」
とどう関係して理解が深まるのかわかりません。
また、そもそもぽわーんは精神の話だったわけで
視覚のことだったというのは初耳ですし
蓋然性を高めても、ぽわーんがぽかーんになる一方です。 >>303
精神における視覚の重要性を考えると、
精神はぽわーんとしていると考える人がいても不思議ではないということです。
でこすけさんの議論とは>>302が少し関係しているかもしれません。 >>304
精神における視覚の重要性だけ考えてもしょうがなくないですか? >>305
そうでしょうか。私は視覚は極めて重要な感覚だと思いますが。 >>305
あと、精神はぽわーんとしていると言い始めたのは私ではありませんよ。
私は的を射ているかもしれないと言いました。 >>285
自動運転技術については
https://jidounten-lab.com/y_1298
例えば、「認識」については、現在の技術でも搭載可能であります
その認識と自己を認識することとはまた別の要素があるだろう、ということを、このスレでは問題にしているはずです
たとえば、自動運転技術と搭載した車は、搭乗者(人間)が目的地を設定しない限り、
人間の意に反した目的地に向かうことは(アクシデントがない限り)ありえません
車が自分の意志で目的地を設定するなんてことは普通ではありえません
ありえませんが、高度過ぎる性能を搭載したAIやシステムによる自動修正的な能力を持った車は、
(システムの設定者の意に反して)車が自らの意志で目的地を設定することもあり得るかも知れない、ということです
仮に目的地を「大阪」としましょう
(車を擬人化したとして)車からすれば、突き動かされるように「大阪」へ向かうようなものになるでしょう
人間の感覚としては衝動的に、ということになるのでしょうか
人間は「何のために生きるのか?」ということに疑問をもちますが、
高度なシステムを搭載した車が技術的特異点を迎えた結果、
車がなぜ自分は「大阪」に向かうのか、という疑問を持つのではないか、
>>283の意図を説明するとこんな感じです 車は生殖能力を持たないので、人間との単純な比較はできません
人間に性別や生殖能力があることが、人間に「意識」が生成される要件になるだろう、という感じもあります
例として車を挙げただけで、車は人間のようにはならない可能性は高いです
男性・女性という、人間が一個の個体として完結できない要素が、意識には関係しているはずです
わたしとしては、一個人で(自己)意識は完結しない、
という発想は自分の原点(すくなくとも10年くらい前から)であると思っています 主観世界を此岸とすれば、
客観世界は彼岸である。
2つの世界をつなぐために様相論理を使ってみる。
客観世界は、無仮定で成り立つものだけがあるのだとする。
客観世界にPがあるとする。
P⇒□P
である。
主観世界にQがあるとする。
無仮定でQが成り立ったりはしない。
可能かどうかですらわからない。
主観世界では「仮定」から始めるしかないだろう。
主観世界に「確かな」ものはあるのだろうか。
主観世界において、客観世界とは仮定的な客観世界でしかない。 主観的客観世界ではなく、
客観世界から、客観的主観世界を考えてみる。
そうすることで、主観世界と客観世界のつなぎかたがみえてくるかもしれない。
必要なのは、客観的な不確からしさであろう。
これが、主観的な確からしさと双対になるものなのかどうか。そこはまだわからない。 >>307
時計さんが言い始めたのか私が言い始めたなんて問題にしてません。
なんか話がかみ合わないのでこの辺にしておきましょう。 >>283
私が意識をシステムとして理解するというその意味は、
私の意識は何らかの現象の結果でありながら
さらに何かの現象の原因にもなり得ると考えているためです。
私がこのように考えるゆえんをご理解いただくためには、
じつは前スレでやったポランニーの「創発」という概念をひっぱってくることになるのですが、
ようするに私は私の意識の中で実際に創発が起こっていると信じていて、
つまりそれが意識をシステムとしてとらえることの理由になります。
ポランニーの階層論は賛否あるようですが、
私はなんだか納得できています。 ところで私は>>284で>>274について「異論はない」と言ってますが、
私はめんどくさい年寄として一応そこにひとこと付け足させていただきます。
私は私が住んでいる世界をある種のマボロシとしているわけですが、
そこで何かを語るときには二つのレベルを想定しています。
まず、それがどのようなマボロシなのかということと、
次に、どのようにしてそのようなマボロシをもつのかということです。
たとえば何故キリンの首が長いのかでいうと
まずマボロシレベルでは「願望」的なものが関わっているように考えます。
つまりキリンの首は遺伝子の突然変異によって偶然獲得した資質が自然競争の中で有利だったということではなく、
彼らはそれを(何らかのかたちで)望んだからこそそうなったのであろうという考え方です。
しかしじつは私はすべては意識の外部ではなく内部で起こっていると考えているため、
その「願望」なるものをより普遍的(?)な概念に変換する必要を感じています。
とにかくそこで起こっていることは本当は物質的な現象ではなく
基本的には認識レベルで理解可能だと考えるためです。
如何にして「キリンは自ら望んで首を長くした」という幻想は可能なのか、
なお、その答えについては現段階では具体的には持っていませんが、
そういうことがあり得るだろうという推測には確信を持っています。
ちなみにこのくだりは私の主張に共感してくれた人も中には何人かはいるのだろうと想定した場合、
そのような奇特な人は「異論はない」に違和感を持つだろうと思ったので一応そういうことですということです。
相変わらずの結構な妄想です。
とにかく>>274については異論はありません。 >>293
>存在しない前提を説明する術はないんじゃないでしょうか
私としては無責任ではありますがアバウトです。
たとえば霊魂の存在も完璧に否定できるものではないかもしれませんが、
科学的な感性を持っている人同士であれば
その虚構性も厳密な検証無しで共有可能と存じます。
私としては「物質」について、それにまつわるいろいろなことを考えていくと
そんな程度の感覚ではありながらもその存在については
相当な疑念を持たざるを得なくなるだろうと指摘してみたというかんじです。
ただ、オバケでいえばそれがいないことを証明する前にそれがいる証拠を出すのが順番だと思いますが、
ことが「物質」となるといろいろあるのだろうとは思います。 私も一応量子論のサワリくらいは知っているつもりですから、
昨今の物質が必ずしもカチンとした塊ではないことも知っているつもりです。
私が理解するところによると、物質は空間的実体です。
そして空間は視覚的です。
たとえば右手の感覚と左手の感覚の位置関係について、
目をつむった状態でもそれは視覚的に認識されるのではないかと思うのですが、
それは私だけでしょうか?
ただ、精神を「ぽわーん」という感覚は何故か共有可能な気がします。 >>309
個人的にこのレスには興奮しました、なるほど!
ただし本当に257さんの意図を正確にくみ取っているのかは疑問です。
じつは今、わたしの中にあるのは漠然としたイメージだけなんですが、
もしおよろしければ257さんが想定している「意識」について、
それがどのようなものなのかをご説明いただければと存じます。
たとえば意識はどのように生じるとお考えですか?
ざっくりでかまいません、いかがでしょうか? 主観とか客観とかいくら論じてもそれは観測者という視点が主体となって
認知するという現象である。
客観であっても、観測者はいるし、主観であってもそれは誰を主体にするかだけであって
何の違いもない。
常に自分がというドーパミン全快の俺正義論が背景に生じているからこそ、
主観客観とかしか理解できない。
主体をなす客観的働きは客観ではなく、客観を成す主体の働きは客観ではないのだ。
主観と客観が別だと思うのは主体は自分の価値観で見た認知であり、自分の見えない
認知状況を察するわけではない。
見えないそれを想定して見るとか言い出すだろうけど、そんなものは自己都合の主観に
すぎないってことだ。
客観を働かせる主観の存在、主観を働かせる客観の存在、つまり逆の存在だ。
どこを中心にしても捉えられる範囲があり、それ以外というものがある。
それ以外を扱えないそれを全て客観としている時点でアホなのか?という問いもある。 さて、そういう事情ではしょってまいります。
私がイメージするネットワークはいささかややこしいというはなしです。
私のイメージではこの世界は莫大な数の主体的実体からなるわけですが、
それ等はおそらく私と直接つながっているものと、そうでないもの、
そうでないものは更にワンクッション、ツークッション、スリークッション、
以下どこまでいくのかはわかりませんが、とにかくそのように分類され、
そしてそれ等は私を中心に同心円状に配列されるような関係を持つはずです。
じつはこの関係はすべての実体にとっても同じことで、
つまりすべての存在はそれぞれの世界の中でその中心に位置することになります。
おそらくこのネットワーク関係自体には客観的な中心や端っこがありません。
なお、非空間的なものとして存在する主体的実体にしてみれば
他の実体とは関係をつなげることができればそれでいいのであって、
そこに物理学的空間はことさら必要がありません。
認識上ビッグバン以前には空間が無かったわけですが、
そこからユークリッド的三次元空間は必然なのだろうか、
ユークリッド的三次元空間にはそれが採用された経緯を説明する必要が
あらためて生じるのではなかろうか、というおはなしのつもりでした。 >>317
自分のイメージとしてはこれです
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1540727475/451-452
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1540727475/458,461
↑この段階ではこちらのスレに書き込む意志はありませんでした
上記スレの458
> (ある程度年齢を重ねた人の)自我というものはとても固い、という認識です
> 自尊心が低そうな人も、高そうな人も、そこは変わらないと思っています
> 一見、なにを希望として生きているんだろう、
> と思えるような人も固い固い自我があると思えるような局面に出くわします
そこ(自我というものはとても固い、という認識) に関連する記述は
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1588097998/668,697,775,780,783-784
自分のレスではないものでいえば
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1588097998/680,701,705,720,764,838
こちらのスレに書き込むことで、固い固い自我についてイメージできるようになりました
自我(自己)というものはもともと絶対領域(Wikipediaでいえば後者)的なものだろう、というイメージです
このスレにレスするようになる前までは、自我はもっと可変的な、柔軟なものかと思ってました
自己に対する他者への投影はするわけです
理想の自分と本来の自分とのギャップに苦しむ、というようなことはよくある話です
それでも、
対世界の意識との差分が自己意識というのなら、自己とは他者との違いそのものなのかな、と思います >>320
早速ありがとうございます。
私が>>309で気づかせてもらったことをざっくりいうと
「心」もまた「体」と同じように様々な要素から形成されるということです。
私が理解するところによると、
身体的な特徴の獲得も個人的な遺伝情報などだけでは完結しないものです。
たとえば宇宙人が何らかの目的で野球選手を誘拐し
その個体がどのようなメカニズムで実現されたのかを調査するとなったとき
調査員が野球を知らないままそのサンプルのDNAだけを調べてみても
永久にその身体に関するすべての情報を入手できるわけはありません。
筋肉や骨格は野球のトレーニングか何かと密接な関係があるに決まっています。
同様に、いわゆる意識の成立には脳やDNAを調べるだけでは不完全であろう
という257さんの指摘は個人的にはなんだか個人的には目から鱗でした。
このことはどこぞの業界では一般常識なのでしょうか。
無意識から意識が芽生えるというのも詰めてみたい気がします。
ありがとうございます、何か感動したのではしゃいでしまいました、
失礼しました。 さて、だんだんお伽噺になってまいります。
次は平行宇宙です。
平行宇宙は他人の自我と同様に証明できないことに意義があるものですが、
しかしビッグバンが一度しか起こらなかったというのも妙な話で、
たとえば地球以外にも生命は存在すると考えておくほうが無難であるように、
宇宙は私たちの宇宙の他にも存在すると考えておく方が無難のように思います。
私としては平行宇宙は無量大数でさえ足らないくらいたくさんあるのだろうと
推測していますが、ただそれが無限かどうかはわかりません。
宇宙の外側には時間も空間も無いわけですから宇宙Aと宇宙Bとのあいだに同じ時間軸があるはずもなく、
すなわち二つの宇宙にはどちらが先でどちらが後かを決める基準がないため、
事実上メタ宇宙には時間のはじまりがありません。
そのような時間の中にあるものが数を勘定し得るのかどうか
あるいは無限といい得るのかどうかは私にはわかりません。
同様に二つの宇宙の間には同じ空間軸が通用しません。
二つの宇宙は非ユークリッド的かつ非三次元的に配列されるはずです。
まったく干渉ができないもの同士を配列とは言わないかもしれませんが
とにかく存在には非宇宙空間的であることが可能であろうということで
さっきの話につなげたかったという、そういうことでした。
あるいはユークリッド的三次元空間は必然ではないということです。 なお私は平行宇宙は目茶苦茶たくさんを想定しているわけですがその内訳です。
おそらく(もはや根拠とかのレベルではありませんが)その大半は
モナドをふたつかみっつかの極少数しか持たないものです。
ビッグバンには時間的な過去がないためそれが起こった原因もないわけですが、
そのときに保有するモナドの数もたまたまで決まるはずです。
つまりそこは確率になるわけですが、
やっぱりシンプルなものの方が可能性が高いだろうというかんじです。
しかし気が遠くなる営みの彼方ではいきなりガッツリということもあり得て、
すなわちそれが私たちのネットワークであろうと、そんなかんじです。
超絶莫大な時間の中にはこういう世界もむしろあって当然、
ファインチューニングどこ吹く風です。 前スレの764さんのレスについては、(現在の自分の意見とは)ちょっと着地点が変わっちゃってますね
764さんのレスを見たときは同意してましたし、今見てもそれはそうだ、と思ってしまいます
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1588097998/764
> >私の体をどれだけ物理的に詳細に観察しても、本質的な他者との違いは見つからないと考えるからです。
> ”本質的でない”他者との違いなら見つかりますよね。
> そして、”本質的な”他者との違いは物理的のみならず非物理的にも見つかりません。
> 何故なら「私の本質(本当の私)」は存在しないからです(本質がないから本質的な違いが見つからない)。
> 「私であること」には絶対性も普遍性も不変性も自存性もありません。
> つまり「私であること」は常に変化し続ける”未決定で可変的な”個性です。
自己意識は可変的なのか、についてはまだ考察の余地があるようです
人間の体は変化するので、その変化によって意識も変化するのかもしれません
ただ同時に、自己意識には侵犯不可の絶対的な領域もあるのではないか、とも思うわけです >>312
私としては合わせているつもりですが。
今度ある程度長い議論をする時は、番号か名前を付けて頂けると助かります。
>>322-323
並行宇宙が存在するなら、階層的宇宙も存在するのかなと思います。
ここでの私の関心は、来世のことです。
来世は宇宙の階層が変わるのではないかと想像しています。平行性ではなく。
今朝NHK教育を見ていたら、カントについての番組をやっていました。
皆さんは何故客観世界は共有可能なのかと思いますか? >>324
私も「私であること」は正しい認識のための梯子のようなものだと考えていて、
私の本質は「無いこと」だという考えには賛成します。 >>325
ある程度長い議論をする時は番号か名前を付けて頂ければというのは、
>>312さんだけでなく皆さんにお願いしたいことです。:) ネットワークというより無意識に人は刺激に振動しているあちこち。 >>326
何故なら「私であること」は精神としては「全てのこと」であり、
その差異というものは存在しないからです。 >>324
私の考えは、「私であること」は、物質は精神に先行するのであれば、
説明する必要があるだろうというこです。何故なら全てではないからです。 >>331
だから、この場合は敢えて精神としては語っていないわけです。 >>332
つまり、精神としての「私」を語る前スレ764さんは論点がずれています。 >>324
>「私であること」には絶対性も普遍性も不変性も自存性もありません。
そのようなことは全く言っていません。 >>324
つまり、前スレ764さんの言うことは私の言うこととは論点がずれていますし、
私の言っていることを理解してもいません。 整理します。
私は、「私であること」は存在すると思います。
しかし、「私であること」は「全てのこと」ですから、
本質的にそれは「空」あるいは「無」だと思います。
物理主義は「私であること」を説明しません。
何故なら物理現象をどれだけ観測しても「私であること」は現れないからです。 >>336
物理現象を観測しても「私であること」は現れないというよりは、
物理学は「私であること」を記述しないと言った方がいいかもしれません。
相手の立場に立つことは難しいことだと思います。 >>337
そして、物質は精神に先行するという立場では、それを記述すべきだと思います。 私には難しい問題です。
つまり、「私であること」は本質的に「空」あるいは「無」だと思いますが、
物理主義においては、記述する必要性があり、記述していないということだと思います。 ここで、何故物理主義は「私であること」を
記述するべきであるかということが問題になるかと思いますが、
精神は物質に先行するという立場では、「私であること」は前提ですが、
物質は精神に先行するという立場では、そうではないからだと考えています。 「私」とはただの一人称であるというのが一番正しいような気はします。:) >>315
> 私としては無責任ではありますがアバウトです。
でこすけさんの無責任でアバウトなこと半端ない感性はある意味面白いです。
> 相当な疑念を持たざるを得なくなるだろうと指摘してみたというかんじです。
無責任だからアバウトに吹っかけてみたと訂正したほうがいいのではないか
という感じもありますが
> ただ、オバケでいえばそれがいないことを証明する前にそれがいる証拠を出すのが
> 順番だと思いますが、
> ことが「物質」となるといろいろあるのだろうとは思います。
物質でいえば、物質が存在しないことを証明するまえに、存在しないと断言した
でこすけさんの感性が正しいと思えるだけの仮説を出すのが先だと思いますが、
如何せん物質は存在しないという感性では、こと存在しない筈の物質を物質物質と
なぜか意識してしまう自我が、いろいろ微調整している段階なんだろうなあと
お察しします。
でこすけさんとは、こんな感じのやりとりにしかなりませんね・・・ >>340
よこです
物質は精神に先立って実在するという物理主義者がいたとして
物理主義者にとっては「私であること」というより
「物質は精神存在じゃない」が前提なら、物理主義者だから
「私であること」を記述しなければならない立場にあるとは
べつにいえないと思う。 客観世界と主観世界をどうやってつなぐか。ずっと考えている。
主観世界に主観的客観世界はあるが、それは客観世界ではない。
主観世界から超対称性変換によって客観世界を経由して変化を得る。
それが主観世界における「確からしさ」につながる。
これは、主観世界(此岸)と客観世界(彼岸)の間に三途の川があって、
うっかりとヌーの大群に出会って輪廻転生しまうということだろう。
(参考文献:高橋留美子『境界のRINNE』)
二度、三途の川を渡ることで超対称性変換によって変化を得る。
何が輪廻してしまうのか。主体か概念か意識かクオリアか。
まあ、なんだかんだして、客観世界から確からしさを得る。
とりあえず「精神」としておこうw
精神が二度の超対称性変換によって輪廻転生して、もとの精神との違いを得る。
「ぽわーん」である。
これが主観世界での「確からしさ」を更新していく。 と、無茶苦茶なことを語っているわけであるが、
主観世界側のネットワークと客観世界側のネットワークを論理でつなごうとしているのだ。
確からしさを更新するネットワークと、不確かさを更新するネットワークの結合。
いろいろ考えていると、科学というものも主観世界での確からしさを求めるものだということがわかる。 単純な知識の羅列になって関連づいた引用や自分の考察などが足りないし、
引用なら引用元をはっきり明記、人の知識考察が自分の手柄になるのはおかしい
というかそんな文面からも性欲が洩れて迷惑感じる女性もいる引用元もうまく隠さないとそっちにも迷惑がかかる場合も。 >>340
精神の解釈も様々だと思います
わたしは精神というと「意識」という概念も精神に内包されるだろう、とは思いますが、
このスレの問題に取り組むのであれば精神の内の「自己意識」の構成要件はまた別の成り立ちで出来ていると考えられるのです
意識の主観体験は後天的である、とわたしは解釈します
物心がつく、という現象は生命の誕生よりもかなり後のことになるからです
そして「言語」というものは、DNAに情報として刻まれるものではなく、
客観的世界に環境としてあるもので、
わたしたちが生まれた後、無意識的に「言語」を習得し、自らをコントロール出来るようになる、
これが「自己意識」の獲得である、というのがわたしのイメージです
わたしたちが生きている限り、精神と意識は密接に絡まりあい、安易に乖離しようとはしません
ただ、あまりに理性的であろうとする姿勢が、
自分の精神と自己意識が乖離してしまう現象を起こすこともあり得るのだ、ということも念頭に入れてください
哲学者はほとんどそういったことで生きることに苦悩するはめになるからです >>325
時計さんがお考えになっている「来世」というのはどのようなものでしょう?
たとえば何が継承され何が変化するのでしょうか。
このことは「私」というのが何なのかという問題にもつながると思います。
>何故客観世界は共有可能なのかと思いますか?
その前に本当に共有しているのかどうかという問題があると思っています。
これはそのことを証明ができるのか否かという意味ではなく、
共有するためになんらかのシステムが機能しているのか否か
というかんじです。
私としてはむしろ有象無象の中で共有できてるっぽい連中だけが集まって
社会をつくったというかんじではないかと考えています。 >>349
お気づかいありがとうございます。
私は「横」かもしれませんが、私としても関心のある話題です。
ただ私には「自分の精神と自己意識が乖離してしまう現象」
というものに具体的なイメージが持てていません。
そこでもしおよろしければ何か資料をご紹介していただければと存じます。
ここでお礼を述べる以上の感謝はできませんが、いかがでしょうか。 >>328
すいませんが、ひょっとしたらパクらせてもらいます。 >>343
私が物質を虚構と考えている理由については前スレでやらせてもらいましたが、
自分でも読み返す気になれない、酷そうです、「やめて〜」というかんじ、
思い返すとイヤな汗が出てきます(私の人生の基本ですが)。
私はまず、「物質」というよりも
その基本的な属性である「空間」に疑問をもっています。
「空間」は視覚的であり、視覚のない、暗闇さえ無い知性に
三次元空間を理解できる気がしません。
「三次元空間」はその意味でも普遍性のある概念ではないということです。
このことはもちろん「物理学的空間」が無いということに直結しません。
そこで次に「感覚」についての考察をします。
ときおり見かける「誰もいない森の中で木が倒れたとき、音はしているのか」
つまり「音」とはどのようにしてあるのかという問題です。
結論的には音はしていません。
ラジオ局が放出している電波が音ではないように、
空気の振動は頭の中で変換されてはじめて音になります。
音は頭の外で鳴っているのではなく、頭の中で鳴っているようです。
このことは「色」しかり「形」しかり「感触」しかり、
そしてこの理屈に従って視覚に由来する「三次元空間」もまた頭の外に実際にあるのではなく、
頭の中でイメージされているものに過ぎないのであろうということになります。
つづく >>343のつづき
ただしこの前提になっている部分で飛躍があるかもしれないことに
私もなんとなく気付いてはいます。
感覚は視覚であれ聴覚であれ受けた情報を一旦(?)電気信号に変換しますが、
そこで私は脳が情報を「再現」ではなく「創造」しているのだろうと考えており、
この部分の根拠が曖昧です。
私としては今でも「創造」の可能性の方が断然高いと信じていますが
根拠がないことに変わりはありません。
343さんはどのようにお考えになりますか?
なお、頭(意識)の外側にあるものについて、
それにとりあえず「物質」と名付けるというスタンスもあるかもしれませんが、
私としてはそれはむしろいわゆる「精神」に近いものだと考えているので
誤解を招くようなことはよしておくことにこしたことはないと思うところです。
はたして以前に比べてわかりやすくなっているのでしょうか?
もしおよろしければご意見等いただければと存じます。 解離性ボーダーレスというと自己意識や内面の問題じゃない。人波が敵と化し主体が他者から外れ孤立退行するようなイメージだ。そこから人波に溶け込んでいくだろう。
体験してから言葉を使うといい。
哲学の弁証法的思弁がどんなものかわからなければ
ジル、ドゥルーズ 哲学とは何か というまあまあの入門書から入ればいい。
中級になればニーチェ全集とかで哲学に何ができたのか読んでみなさい。
中年ぐらいには上級の純粋理性批判の王道がおすすめ。若いとよくわからないだろう。著者が本を書いた年齢とかや作品の対象の読者の年齢層まで踏まえてな。
宗教哲学書としてはパスカルのパンセがある。それも宗教に目覚め始め宗教体験を積めば最上級のものになるだろう。 三次元は空間というより、生命体と世界の進度じゃないの。
今4次元だったとして昔三次元だったという保証はない。考え方に過ぎず、世界の成り立ちとしては説明不足。神話などより。科学の弱点というか。 次元というと時間が四というが時間が流れていない次元なんてありえない。 誤謬が理論として便利でもない例。フレームが間違っていると世界がひずむだろう。
次元のひずみとはそういうよくないものだ。 科学は意識だけで領土を進捗していくから、まあ今のところ進んでない。
過去の種が宇宙を開拓していたというなら認めざるをえないが。 ただ科学は自己や自我主観がないという間違いない認識になっている。 歴史の時間をめくることは哲学者が苦手なことだろうな。 物質には過去が関係あるけどな。哲学の意識も物質で出来ている。
未来というと運動や行動だろう。 過去は存在していたが過去は今は存在しない、今は存在していて現れつつある、未来はまだ存在しないが存在していくだろう。 未来が一次元 過去は二次元 現在は三次元 とまとまる。点線時間とあうだろう。
未分化なところから概算。 時間→空間の間違い。時間が加わる四次元は、過去未来、現在が過去と未来にわかれる。 >>353
> 「空間」は視覚的であり、視覚のない、暗闇さえ無い知性に三次元空間を理解できる気がしません。
これはちょっと唖然です、視覚が失われたら、空間感覚を知りえませんか?
暗闇になるだけで、手は空を漁り、鼻は嗅ぎまわり、耳は音源のする方へ傾き、足は空間へ踏み出せる
視覚的であるというだけで空間を理解しようとするのは二次元すぎます。
情報が欠けたまま思考するから見誤った虚構を想定しているんだと思います。
音は頭で鳴っている?でこすけさんの耳は頭で鳴った音を脳に伝えているのですか?
発音体(森の中で倒れた木)から耳までの空間にある物質に反響しながら、
最終的に耳管に伝わる音波の振動を聴覚が捉えなければ、
脳は音を聞いきて認識することができません。
木を見て森を見ずでいて、「目で見る空間で三次元を理解できる気がしません。」
これは理解力的にご尤もってことです。
創発は部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が全体として現れる様を言うのですが、
でこすけさんの思考は短絡的に、ああだからこうだと結びつけた情報で、足りない着想を
端折って発想していった虚構になってしまってます。
改めて、着想の仕方自体を検証しなおして考えなければならない必然性があると思います。 >>344
うーむ、そうかもしれません。相手の立場に立つことは難しいです。
>>349
一般的に動物は精神を持つが、自己意識を持たないということでしょうか。
確かに、その線はあると思います。
精神と意識を乖離させないことの大切さについては考えさせられました。
>>350
来世に関しては、大枠では在るとは思っていますが、内実は解りません。
敢えて言えば、時間が二次元になったりしないかなど考えています。
そして、記憶は継承されるのではないでしょうか。
確かに、共有を確かなものと考える人達の浅はかさみたいなものは感じます。
特に、社会や人と人との関係性について。
>>354
横ですが、私は物質は精神的存在であるという考えには共感します。 客観世界は、無仮定で成り立つものだけがあるとする。
無仮定で成り立つものだけで論理的に組み立てたとしても、
成り立たないものをつくれる。
論理は不確かさを生成できる。
主観世界には、無仮定で成り立つものがないとする。
この世界での論理は確かさを生成するものである。
しかしながら、「仮定」は必須である。
そうであれば客観世界では、不確かさを生成するために必須なものがあるはずだ。
それは何か?
主観世界での「仮定」は、客観性あるいは公理だとするならば、
客観世界での「何か」は、主観性あるいは???なのであろう。
???ではわからないので、これをとりあえずωとしておこう。
公理を収束だとすれば、ωは発散かもしれない。
そして、客観世界と主観世界をつないでいるのは振動。
振動(波動)とは三途の川をまたぐものだw
一種の輪廻転生である。
シュレーディンガーの猫はそのような状態にある。
此岸と彼岸の両方にまたがって振動(時間的な振動ではない)している。
つーわけで、非標準論理には(非時間的な)振動を加えるのがよさそうだ。
なんことはない、量子状態じゃねーかそりゃ。 >>351
>>349は、でこすけさんの>>321の反応を反映していると思います
自分が説明していることについて、
自分の主観的な説明に何が足りないのか自分自身で気づきにくいものだと思います
またごく稀に、意図しない方(補足のつもり)の説明の方が相手に刺さる場合もあるようで、
そういった反応をすぐ知ることができるということこそ、
わたしがこの匿名掲示板を利用する理由のひとつであると思っています
いちいちひとつひとつに、「あのときの反応を参考にさせてもらいました」などと断りませんが、
意識を扱うこのスレのテーマ的に説明しておきます
質問に答えるならば、
たとえば、理想の自分のあるべき姿を突き詰めるあまり、
現実の今の自分を「仮の姿」であるとしていくこと、でしょうか
この程度では精神的な病気でもありませんし、若い時は誰もが通る道です
ただ、この程度でもわたしは(程度の軽い)乖離である、と思います
※心理学用語では「解離」の方が正しい使い方かもしれません
ただ、わたしは自意識と精神が初めから一つであるものとは解釈していませんので、
自分の心情的に「乖離」と表現したものです >>373
ありがとうございます、ありがとうございます
すっごくよくわかりました
いまさらちゅうにびょうがなおるともおもいませんけど
自覚症状があるのはまだマシだと信じたいです >>370
ご参考までに申し上げますと
私もパンセを読んでみたいと思いました。 >>368
案の定私の表現に不備があったようです。
私の主張がうまく伝わらず、申し訳ないところです。
>視覚が失われたら、空間感覚を知りえませんか?
まず、私が「暗闇さえ無い」と表現した部分はわかりにくかったようです。
例によってアレですけど、宇宙人の感覚を例にとってみます。
宇宙人には地球人には無い第六感があるかもしれません。
それはどのような感覚かというと、
たとえば視覚で言えば「明るい」「明るくない」があるように、
「ロクい」「ロクくない」という言葉で表現するものです。
このときのポイントは、私たちには「ロクい」はもちろん
「ロクくない」という状態でさえイメージできないということです。
私としては、視覚器官を失っても暗闇的なものは残るだろうと思いますけど、
はじめから視覚のないものには暗闇さえない気がしますが、
いかがでしょうか?
一方で音量の変化を「遠い」「近い」で表現する場合があります。
私としては、私達がそのように表現するに至る歴史的経緯に
何らかのかたちで視覚が関わったか否かを検証できるものではありませんが、
当てずっぽうながら「関わっている気がする」と、
逆に言うと暗闇さえ無い知性が音の強弱だけで
いわゆる三次元空間をイメージできるものなのか
さらにはそのイメージを他者と共有することができるのか
私には少なくとも相当に難しいことのような気がしますが
いかがでしょうか? (>>363のつづき)
>音は頭で鳴っている?
私が>>353で「頭の中」と表現したものはじつは「意識」のことでした。
音は意識の外には無く、意識の中で鳴っているということです。
誤解を招くような表現だったようです。申し訳ありません。
ちなみに昔チラッと聞いた噂話ですが、口の中で感じている「ウマ〜」な感覚は
じつは脳の中で起こっているということが科学的な検証されてた気がします
(よく考えてみると怪しい話ですから記憶違いかもしれません)。
それでも冷たいものを食べると頭がキンキンするという錯覚や、
極端な事例では幻肢というのもありますが、
これらのことから少なくとも言えるのは、
感覚は指先なり何なりに実際にあるのではなく、
(認識上ですが)脳が意識に影響しているという意味で、
脳の中で起こっている現象と理解して差し支えがない気がします。
私としてはさらに空間的に存在していると認識される「脳」もまた
意識が考え出したある意味での虚構なのですが、
いずれにしてもすべては意識の中で起こっている現象であり、
その外側については永久に検証できないのだろうと考えています。
私としては本当は森も木も空気の振動も無いという立場です。 >>377
363は376の誤りです。失礼しました。
(それにしてもwhy?) ちなみに時計さんの「他者の意識は存在しない」という主張も
このあたりに関わるのだと思います。
主観主義の立場によるこの文脈での「存在」とは意識にのぼることであり、
つまり自分の意識にのぼらない他人の意識はその意味で存在しないことになります。
時計さんのいない森の中で木が倒れても、
時計さんにとっては音が鳴っていないように、
時計さんのいない時計さん以外の人の意識の中には
時計さんにとっては誰もいないのです。
流れ的にフォローしてみたつもりですが、
見当違いでしたら修整お願いします。 何の役にも立たない
誰の役にも立たない
中年ひきこもりスレ >>369
>>349では「言語」で自己意識を獲得できる、と表現しましたが、
非言語コミュニケーションだけでもおそらく自意識は獲得できるでしょう
ただ、「言語」がないと思考ができず、(人間のような)理性までは生まれないのではないか、とも思います
一部の動物はミラーテストに成功している、ということも事実です
すべての動物は自己意識がない、とまでは言い切れません
そうだとしても、人間のようにはっきりとした自意識とはまた別のものであろうと考えます
五感でなにかを感じてから次に行動を起こすまでに、人間の場合は猶予があります
「思考」する時間的猶予です
それは他の動物にはあっても、極々わずかな時間でしかないだろう、とわたしは思っています
感情に流されて行動してしまう人を直情的な人というのでしょうが、
それをさらに精神に忠実に行動すると、動物に近くなるのではないか、と思うのです
理性がある人は自分をコントロールできます
精神のしくみで動いている動物を自らの意志で動かす、つまり自由意志を獲得する為には、
「言語」が必要になってくるだろう、というのがわたしの考えです
「わたしは何のためにいきているのだろうか」
とまで考えられる自意識を持つ動物は地球上で人間だけである、ということは断言できるでしょう 「精神に忠実に行動すると、動物に近くなる」という物言いはネガティブな印象を与えるかもしれません
わたしが言いたいのは、「精神に忠実に行動するだけでも、生きていくことはできる」と解釈してほしいと思っています
そういう原理があるのだ、ということを認識しておくべきだ、と思うのです
理性的な考え方だけでは、生きていくのには不十分である、という認識が重要です
もちろん、現代の人間社会は弱肉強食だけで成立していません
共存共栄を目指そうとする理念も存在します
弱肉強食は本能的(精神に忠実的)、共存共栄は理性的な考え方です
あまりに自由主義的なシステムは弱者が生きられなく、
あまりに共産的なシステムは人間の行動原理から外れてしまう、
そういった弊害があると思われます
とくに理想が高すぎるシステムは、理性で人間を拘束してしまうイメージです
人間は思考だけで完結する存在ではありません
生きる喜びとはどのようなものか、は人間の五感(もしくはシックスセンス)や身体機能すべてを使って感じ取るべきです
頭の中だけではすべてを感じることは不可能である、と思ってほしいわけです 唐突ですが、主体的実体によるネットワークの補足です。
非三次元空間をどう考えるのかというはなしです。
私は何故か子供の頃からジュースにささっているストローを見ると、
本当はストローはどこにあるのかを探す傾向がありました。
この状況では本当は(?)まっすぐのはずのストローが表面から曲がって見えているわけですが、
それではストローは見えるところにそのままあるのか、
あるいはそこにはじつはないのか、はっきり言ってどうでもいいはなしです。
私はそこで「ストラットンの逆さ眼鏡」を思い出します。
この実験の意味するところはいろいろあるようですが、
私としては、私にとっての右が本当に右である保証はない、
その意味で意識の外側に関しては相対的にしか位置づけることはできない、
むしろ絶対的な上下左右はあり得ない、という意味だと認識しています。
それでもとりあえず、今の私にとって右にあるものは
その率直な感覚のとおり本当に右にあるといえます。
それが相対的な感覚に過ぎないというのは理屈にすぎないものです。
このことから言えば、ストローがまっすぐだというのは理屈に過ぎず、
とりあえずは本当に見えているところにあるとして差し支えはないようです。
おそらくストローがまっすぐか否かに本質的な意味はなかったのでしょう。
さらにこのはなしを主体的実体のネットワークにひろげると
ソクラテスの意識は本当にソクラテスの頭の中のにあることになります。
非三次元空間的云々というのは頭で理解する理屈に過ぎないということです。
非三次元空間が本当にあるわけではないということになります。
(というふうににわかに思い至りました) >>382
せっかくなので質問させて下さい。
本能的欲求と理性とは常にバランスがとれているわけではなく、
多少のアンバランスがあってもそれを修正するシステムがあって
そのシステムがそこそこ機能しているからこそ
人類社会はここまでやってこれたのだろうと察します。
そこで、今現在の日本(じつは私の関心事)は
システムの許容範囲におさまっているとお考えになりますか?
私は日本はかなりヤバい気がするのですた。
(なお、あざといようですが、この質問は以前私が表現した
“ドライブをかけてくるシステム”につながるもののつもりです) 思い出しました。
意識の外側について、私が主張したように解釈をしておくと
意識のハードプロブレムをクリアするというメリットがありました。
一応とってつけさせていただきます。 あるものやある人がないというよりあるものや人を知覚できないという限界のほうが
エゴが錯誤していない。自分たちの都合は関係ないところで存在するものは存在する。 自己意識は他者に従属していて他者があるないなどのことに自己決定権はない。
ハイデカーのいうような死を選び取る自由もない。そんなとこはあらかじめ他者によって決まっている。幾千億の他者の存在(モノや自然、生命体など)を苦しみながら明滅し、一瞬一瞬に照らし変えるようなものが、自己意識であるはずだ。 >>376
でこすけさんが主張されている内容自体は正確に理解してます。先天性の全盲で、光を知らなければ暗闇を知ることができないのは当然ですし、
音量の変化で距離を計れるのは視覚が関わっている気がする、暗闇を知ることができない全盲に音で三次元感覚を感じることはできない気がする、
という気の迷いを私やでこすけさんが想定できる感性は、他の大抵の人間が共感する事が可能なのも承知しています。
三次元空間をイメージできるか疑問だなぁと思う感性の人もいれば、そうじゃないんじゃないかなと感じる感性を持つ人もいます。
両者が、、例え目も耳も不自由だったとしても、一つ前でレスしたように、空の箱だと説明して、四角い空箱を手で触らせれば
感性を持っている人間なら、立体的な三次元空間をイメージできます。
> 私が>>353で「頭の中」と表現したものはじつは「意識」のことでした。
こういう後出しは面倒なので、最初から意識と書きましょう。
> 音は意識の外には無く、意識の中で鳴っているということです。
そういうことにしたいのは理解していますが、意識の中で音は鳴りません、今意識してみましょう、手を叩く音を意識の中で鳴らそうとしても、
手を叩かない限り音はなりません、残念ながら意識の中で手を叩いた音は鳴らないのです。
本当に手を叩いた音を意識の中で鳴らせるなら、現実に隣にいる耳に障害のない健康な人にも聞こえないと音とは言いません。
音という言葉を使うなら”音とはなにか理解しているつもりで勝手に意識で想定する”のではなく、
音の正しい知識をでこすけさんが意識できるようになってからレスして下さい。
> 私としては本当は森も木も空気の振動も無いという立場です。
その立場でしか理解できない足りない意識のままでは、同じ過ちを繰り返し、意識のハードプロブレムをクリアしたつもり
にしかなれないのは言うまでもありません・・・。 客観世界はsyntaxである。
そして、主観世界はsemanticsである。
主観世界ではsemantics(意味「場」)の中にsyntaxがある。
客観世界ではsyntaxの中にsemanticsがある。
主観世界では意味場でのoperatorがsyntaxであり、オブザーバブルが得られる。
客観世界ではsyntaxがそのまま意味であり、オブザーバブルでもある。
主観世界は発散するので客観で収束させようとする。
客観世界は収束しているので主観で発散させようとする。
ということで、主観世界における「意識」はエントロピーを減少させるものでなければならない。
より質の高いエネルギーに変換するものでなければならない。
意識とは熱力学(あるいは統計力学)的現象なのだろうか。 >>376
全盲者には暗闇さえ見えないという話を聞いたことがあります。
確かに、暗闇は視覚的存在だと思います。
>>380
吉本隆明は「ひきこもれ」という本を出していますが、私も結構同感です。
>>381
思考も煩悩も言語的なものかもしれませんね。
私も言語が存在しなければ思考のかなりの部分は存在しないと考えます。
>>382
私は、脳は人間の本能を示すものであり理性は示さない、
何か他の実体が理性を示すのではないかと思うことがあります。
要するに魂の拡大解釈です。理性を魂の側に含めようとする考えです。 >>384
これ以上はスレ違いかもしれません
質問に答えるならば、
人類はいつだってシステムに対して不満があっただろう、と思います
過去にあった制度よりももっと良い新しい制度を作ったとしても、
人類はそれを基準に生きようとするわけです
人類は常に新しい制度に対して自由であろうとします
でこすけさんのような不満は紀元前からあるものでしょう
自由さはいつだって弱者を犠牲にしようとします
それでも「自由さ」の中には、
人間の理性だけでは気づかない利点(ポテンシャル)が常に含まれている、としか考えられません
マルクスみたいな人による、完璧な理論で構築されたシステムが完成できたと思っても、
それよりあとに生まれた自分の精神に忠実な人間に常に出し抜かれてしまいます
理性と本能によるいたちごっこです
しかし、新しい発想に必要なのはひとつの基準です
制度(システム)はそれに合わせて更新し続けなければいけないでしょう
新しく出生された人間の意識は、常に新しく更新されていくからです 主観世界ではすべてが発散してしまうので、それをつなぎとめる力が必要であり、
それが客観をうみだす。
統合できなくなると熱死する。
その点、人工意識は客観世界側にあるので、すべてが収束してしまうので、
それを発散させるような力が必要であり、それが主観を生み出す。
機械の人工意識に必要なものは、主観である。
それがなくなると静死する。 脳のエミュレータができればはっきりするさ
ハードプロブレムが疑似問題だってね >>395
それは無理
今説明が出来ないなら脳のエミュレータがハードプロブレムを起こしていないとは説明できない
この問題の根本はそもそもこの命題自体が誤謬だという事が理解できていないことに起因する
>>395のレスがその誤謬そのものの一つ
意識のハードプロブレムという問い自体が理解できていないから見当違いな事を書き込んでいる とおっしゃる396氏が正しい意識のハードプロブレムの定義するなら?↓どぞ 意識のイージープロブレムに落とし込んで見なかったことにするあるある 思考が思考のみで物理的な脳に作用できるとするなら
それは思考が物理的な現象を引き起こす超常現象を認めている事に等しい
ってダニエルデネットが言ってた。 僕は思考してみたが脳を物理的に作用させる問題を解くことができなかったと言えばいいものをw アブラハムの連中にとって人類は魂が入った泥人形
デカルトは魂の座とその他の体の部分を分けて考える事で
異端にならずに世界の法則を解き明かそうとした
しかし科学の進歩は容赦はなく
魂の座である脳でさえ法則に還元してしまいそうになった
だから考え出されたのがハードプロブレム 思考が思考のみで物理的な脳に作用できるとするなら
それは思考が物理的な現象を引き起こす超常現象だし
思考の実体を物理的な現象に求めるのなら
それは各種法則で記述されてしまう
我思う我は幻想 >>375
今日届きました。楽しみです。
>>400
実際超常的かもしれません。 >>406
錯覚というからには本当は存在するはずで、それはそれで問題だと思います。 原意識って概念もおそらくハードプロブレムと同じこと
しかしあの手この手で魂が存在する余地を半分ずつ切り分けて逃げていけば
いずれ追い詰められる
1に1/2を掛けていけばどんどん0に近づくようにね 唯心論や主観主義では、他者の意識は存在するかが問題であり、
ハードプロブレムは解消しているというのが、
多分私とでこすけさんの共通する考えだと思います。
つまり、精神は根源的な存在であり、物質から説明されるものではないと。 >>412
原意識はWikipediaで調べてみましたが、でこすけさんの考えと近そうですね。
どんどん追い詰めて下さい。:) >>414
詳しくは解りませんでしたが、原意識はでこすけさんの考えと近い
やや物理主義的なバージョンかな。 >>394
静死するよりは熱死する方がいいです。
半分本気です。:) 他者の意識は存在するかしないかは
意識の問題じゃなくて価値観の問題だからいい加減気づけば?時計 >>419
それは多分しないです。それだと漠然としていますから。 1の考え。
主体とは空白。
空白とはあらゆる考えが浮かんでは消える場。
全ての存在は主体にある。
他者の存在、それは主体の意識においてである。
それゆえに、他者の考えは存在しない。
私は独りである。
ってことでしょ >>421
コピペしなくてもアンカーを打てば解ります。:) 意識って文言あってもなくても変わらんていってるようなものだな 1の考え。
主体とは空白。
空白とはあらゆる考えが浮かんでは消える場。
全ての存在は主体にある。
他者の存在、それは主体の思考においてである。
それゆえに、他者の考えは存在しない。
私は独りである。
ってことでしょ >>421
よく見たらコピペではなかったですね。少し違いました。:)
他者の考えは存在します。 1の考え。
主体とは空白。
空白とはあらゆる考えが浮かんでは消える場。
全ての存在は主体にある。
他者の存在、それは主体の思考においてである。
それゆえに、他者の主観は存在しない。
私は独りである。
これは? 「他者の意識は存在すれば、それは主体の意識においてである」です。 1の考え。
主体とは空白。
空白とはあらゆる考えが浮かんでは消える場。
全ての存在は主体にある。
他者の存在、それは主体の思考においてである。
それゆえに、他者の意味は存在しない。
私は独りである。
これでどうだ >>430
> 「他者の意味は知りえないから、他者の意味は主体の意味においてである」
で必要十分条件じゃん、意識要らなくね? >>433
その文章の意味は私にはよく解りません。:) >>434
他者はこういう意味だろうなって自分(主体)の意味に置き換えるってこと >>435
では、番号か名前を付けて、その線で説明してみて下さい。:) >>435
>>437
置き換えるというとそれが先に在るということですから、私の考えとは異なります。 >>408
私は古い人間なので、てっきり本屋まで行ったのかと思っていました。
すげえ根性だなと。>>375は本屋の前で打ったのかと。
>>414
私は「原意識」という言葉を知りませんでしたが、
やっぱり私と似たようなことを考えている人は
この世にいてくれたんだと、心強く感じます。
私(でこすけ)は独りかもしれませんが、
本当に孤独な人間ではないのだと思うことができます。 >>393
スレ的にトンチンカンな上、常識的にシリメツレツな質問にお答えいただき
大変申し訳なく存じます。
私としては「いくつかの問題を除けば大丈夫」というふうに読んだのですが、
この理解で間違いないでしょうか。
カン違いかもしれませんが、とりあえずスッキリいたしました。
ありがとうございます。
じつは私も最近唯物史観的なことを考えたところです。
マルクスはいつか理想社会が実現されると考えたのかもしれませんが、
私としてはそのようなことはないのではないかという、
あるいはもはや常識的かもしれないはなしです。
ようするに実際には頑張った人が頑張ったぶん報われる社会と、
頑張れる人も頑張れない人も等しく恩恵を受けられる社会との間を
行ったり来たりするのではなかろうか、というありがちな結論ですけど、
むしろその間を行ったり来たりすることに意義があるのだろうとか考えました。
いずれにしても衰退しない文明社会は無いと思いますが、
日本が滅びるのは私が死んだ後とはいえ、
私のご贔屓の知識人なんかが呻いているのを見かけたりすると
なんとも言えない気持ちになるものです。 >>388
>手を叩く音を意識の中で鳴らそうとしても、
>手を叩かない限り音はなりません
私としては音は意識の中でのみ鳴っているものですが、
一応その音の原因は意識の外部にあるとも主張していたつもりです。
意識の外側から受けた影響を内部的なものに変換したのが
つまり色や音のような感覚と考えるので、
その意味で私達が体験している世界は「仮想現実」
と表現し得るとか騒ぎたててみたはずだったのです。
あるいはわかりにくかったかもしれません、すいません。
なお、みんなで似たような「仮想現実」を体験しているような印象を受けるので
さらにそれを「共同幻想」と表現しています。
そして私は「空間」なり「物質」なりも共同幻想だと考えているわけですが、
ただ、>>388を受けて目下そのイメージを言葉に表すところで苦慮しております。
つくづく自分のアホを呪っているところです。 心理学・精神分析総合スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1540727475/139
これが約三か月前のわたしの書き込みです
>>393と似たような書き込みですが、あれに比べれば、まだまだ真に迫れていません
> 人間の精神が哲学的ではないなんてことがあるのでしょうか?
> 哲学的思考と人間の精神を分離させるべきではないと個人的には思います
この2行についてが、わたしが哲学板に書き込みする動機のすべてです
原因は、シェリーケーガンさんの「「死」とはなにか」を読んだからです
わたしはその本を読んで、激しく興奮してしまいました
こんな本を書いて、大学で哲学を教えていいものなのか、と
いちおう、自分の客観性を確かめるために同時に購入した本が、
哲学者190人の死に方 サイモン・クリッチリー
生き物の死にざま 稲垣栄洋
FACTFULNESS ハンス・ロスリング
になります
「「死」とはなにか」にも二元論に触れてますけど、
哲学なんて人から教えてもらうものなんかじゃないな、と思わされますね
「FACTFULNESS」を読んだあと、新型コロナ禍の世の中になりました
著者の命を懸けて作られた本は、きっとあらゆる方に役に立っただろうと思います
「「死」とはなにか」みたいな、人間にはなんの役にも立たない本とは違いますね >>422
私としては257さんの存在にこれからも生きていく勇気をもらえます。
才能のある人が貪欲にはじけているのを目の当たりにしたときの
時間を無駄にしてはいけないという感覚です。
なんだかしきりにニヤニヤしてしまいます。
ご本人は結構不本意かもしれませんから申しわけないですけど。 どんなに理屈で説明しようが、「意識受動態仮説」から逸脱した説明なんて
どこにも発言がない、おまえらは結局は思考や物理原理の法の中から抜け出せていない
ただ流されているだけ答えは確定していて考えているようにおもっているだけだ。 >>444
そりゃプロブレムじゃなくてパラドックスだからな 意識のハードプロブレムとは
心身二元論とかいう誤った前提から導き出された矛盾である >>441
仮想現実の意味を調べなさい、誤用ですよ。
あなたのは現実を仮想化しようと騒ぎ立てて、
言葉を勝手に使いまわして表現してるだけ。
仮想された映像や演出を現実に
体験しているような印象を受けるのが仮想現実。
現実を仮想化している錯覚をおこしている集団がいたとして、
共同幻想集団と表現しようが、
阿呆集団と表現しようが、
実際は錯覚なんでなんでもいいんです。
>388を受けて目下そのイメー言葉に表すところで苦慮しております。
つくづく自分のアホを呪っているところです。
言葉には辞書に書いてある意味しかないですよ、
勝手に解釈した言葉を表現に使って文章を創作しても
感想文にしかならない。
言葉に表すところで苦慮しているなどと
馬鹿みたいな表現を繰り返しているアホに言っても無駄ですかね。 >>447
正しい前提から導き出された意識のハードプロブレムがなんなのか書けない矛盾が意識のハードプロブレムだな 心身二元論が正しいとするならば
必ず物理世界のどこかに思考つまり魂を置かなければならないが
思考が思考のみで物理的な脳に影響を及ぼせるとしたら
それは思考が物理的な現象を引き起こす超常現象を認めている事に等しい
ハードプロブレムとは思考が脳にどう影響を及ぼすのかという問題と同値であり
そもそもあり得ない
もし思考を現実に存在すると主張したいならば
あらゆる科学法則を捨て去らなければならない >>450
っていうか君が心身二元論が正しいとか、
思考を現実に存在するとか自分で前提してるよなw
そうするとあらゆる科学法則を捨て去らねばならないって
結論になるって想定しかできませんってだけの思考だわな >>451
では科学世界のどこに思考が存在する余地が有るというのだ >>452
なにが「では」だよ
君が前提して
君が結論付けた思考によると
科学世界のどこにも思考が存在する余地がないんだろ。
事実君にはそういう思考以外余地がないんだよ。
科学世界と君の思考に関連の余地もない 、_,i|::::::::::|:::::i::::::::|:::i:::::i::::::|::::::::i//.::::::::::::::::/.::::::ヽ._ノ
. /i|:::::::::{::::i:|:::::::::_;L:::ノ>く:::::::::::/:/.:::::.f
〈:八:::::::::ヽj」-'′  ゙̄Y:::/.::::::::}i:,
∧:::.\::::ノ V.::::::::::ノハ
〈::::;::::ヽ::У ) ::::::〃::::::〉
∨ヘ:::::〉 \i|:::::::∧
ヽ::∨ 、::::/:::〉
|:/ ∨::イ
|′ ⌒ ∨{
,゙ V}
: / ゙:
l \ , i
l ヽ、ヽ ノ 今 日 も 終 日 初 老 ひ き こ も り 板
l ^ 入! !
゙. __________r´_|______ !
Y゙´ ̄`゙'ー-=ニ ∞ _ニ=‐-'^ ̄ ̄ ̄Y
'. `丶、 γ'´ !
'. ^「こ:r′ |
'. |⌒| |
゙. | | . |
誰もいない過疎5ちゃんねるで
自演 お疲れ様でした
つ 0円
※ 失われた時間は 戻りません。 >>453
なにかしらまともな反論があって突っかかってきたと思ったのだが >>455
君の思考は非論理的だって論理的に指摘してるだけだから
そもそも反論の余地もないってこと >>458
非論理的な点を指摘できずに非論理的と言うつもりかい 年齢=彼女いない歴の惨めな男に共通する特徴
609コメント
(1)理屈っぽく、粘着質な性格である
(2)中学・高校時代はクラスの隅にいるような目立たない存在だった
(3)人と話すとき目を合わさない、またボソボソと小さな声でしゃべる
(4)模型やアイドルグッズなど何かを収集することがが趣味になっている
(5)ファッションセンスがダサい、またファッション関係の知識に乏しい
(6)人と話しても相手を楽しませる事が出来ない
(7)常に挙動不審、またテンションが低い
(8)自分の部屋で2chやってる時が一番落ち着く
(9)ネットでは強気だが、リアルでは弱気でショボイ
(10)人が自分をどう見てるかが非常に気になる
(11)チビ、メガネ、デブ、ガリ、天パ、ハゲのいずれかである
(12)いい歳こいてアニメや漫画、ゲームを卒業できない
(13)2次元キャラに恋愛感情を持ったことがある
(14)美容院ではなく床屋or自分で髪を切る
(15)容姿にコンプレックスを持っている
(16)一人でファミレスに行って食事したことがある
(17)面倒なことは親にやってもらうことが多い
(18)異性と遊んだり、異性の家に遊びに行った経験がない
(19)物静かで気弱そうな異性がタイプ
(20)恋愛経験もないため おじさんなのにアイドルにガチ恋 >>459
自分で論理的に非論理的じゃないと論証してごらんよw >>462
そちらが非論理的と指摘したんだから
そちらが非論理的な点を挙げるべき 非論理的な点を具体的に指摘できずに
非論理的だと言う方が非論理的 >>463
君が自分のどこが非論理的なのか知りたがる自由があるように
僕にも知らせるかしらせないかの自由が論理的にあるのだよ。 >>465
証拠も挙げずに疑惑を追求するとか野党かよ >>466
野党?そう思考して納得いくならどうぞどうぞw まともな反論もできないのに議論してるつもりになってるのがおかしい だから君のはそもそも論じゃなくてただの想定話なんだから君の知能が足りないんだよ 心身二元論が正しいとすると
不合理な結論に至ると示した 自分で想定話しておきながら、議論してるつもりになってる>>450がおかしい
ということで非論理的思考を認めるしかないよ であるのなら唯物論と唯心論双方が間違っていることを示さなければならない 魂と言わずに魂があるかないか論じるなんてアホらしい 心身二元論を想定しないのなら
ハードプロブレムはないし >>477
そもそも二元論関係なくハードプロブレムを想定できないんじゃないのか? >>439
ネットで購入しました。:)
少しずつ読み進めます。
原意識は面白そうですね。調べる価値はあるかもしれません。
>>440
私は日本は緩やかに進歩していると思います。
確かに、コンピュータ科学・技術ではアメリカにしてやられた感はありますが、
ゲーム、漫画、アニメ、観光など成長した分野もあるかと思います。
少子化に懸念はありますが、私は将来的に政府が子作りを担うと予想しています。
>>446
「意識」が「意味」に置き換わっていることに気は付いていました。
発言者には重なっているのかなと思い、敢えて指摘しませんでした。:)
>>454
時間があるのはいいことです。:)
>>460
私は異性に妥協しないことだと思います。:)
二元論支持者はこのスレッドではあまり見かけませんね。
所謂、随伴現象説ということになるのでしょうか。 心身二元論のようなものはどーでもよいが、
基本的に(局所)二元論派だw
ただし、この二元はつながっていて、一元とみなしてもよい。
全帯域(ひも全体)をみれば一元であるが、
二重ループになっており、局所的には二元である。
その二元の間には三途の川がw
局所的に二元を設定できる一元多様体。
そのようなわけのわからないものを考えている。
このよじれた二重ループを開いたのが∞
1回転すると彼岸に行き、もう1回転すると此岸に戻る。 物理的な脳の働きと
「私」の働きを
別に考えようと言う時点で
既に二元論的だと思う たとえば、聖書の創世記の解釈に、
http://kiyo-furu.com/tenchisouzouhtml.html
> これは天地の「創造」の描写ではない。
> そうではなくて、ある嵐で流された子供の認識の順序を描いたものである。
> あるとき、暴風雨が起き、ある地域が水に覆われ、子供が小舟などに乗せられて流された。
> その子供が気がついてから、状況を認識していった順序が描かれている。
上記のようなものがあります
(わたしはついさっき拝見しましたが、なるほどなと思いました)
そこのサイトの人は、
> ときどき思うのだが、旧約聖書はあまりに過大評価が過ぎると思う。
> 歴史や宇宙の真実が書いてあるかのように考える人が多くいるようだ。
> そんなものではないのは、読めば分かる事。これは古代ユダヤ人の経験や思想を記したものに過ぎない。
> もちろんだから価値がないというわけではないが、只それだけの事。
> 古代ユダヤ人達が遭遇した国や人々、彼らの歴史、宗教を記したものでしかない。
としています
科学的根拠を獲得した現代では、そう解釈してしまうのは普通のことでしょう
しかし、創世記の描写は人間が初めて「自意識」を獲得し始めた記録とするならば、
上記の感想はやはり過小評価が過ぎる、とわたしは思うのです
創世記の記録というのは、人類史上初めての(と言って良いほどの)「特筆」すべき記録だからです
言語としての言い伝えなら、すでに多くの人が聞いて記憶していたでしょう
その伝承の中でもさらにわざわざ文書で記録すべき事柄であったわけです
言うなれば人類史上初めての「違いが分かる男」についての言い伝えの記録、と解釈できると思います
それはただ単純に「古代ユダヤ人の経験や思想を記したものに過ぎない」わけではない、ということと同義です
そういったことを踏まえて「自意識」について考えるときに、創世記の記録は興味深いものになるはずだとわたしは思います 創世記でYHVHは
光と闇を分け
天と地を分け
男と女を分けた
とにかく二項対立の構造が目に付く
魂と体も二項対立するものと考えられていたのも頷ける 当時としては裸で暮らす人が多くいた中で、
いちじくの葉で腰のおおいを作ったものを身につける人も出てきた頃だったのでしょう
「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか」
この問いは、認識“されている”となぜ認識できているのだ?ということと同義であると思います >>486
人類史上初めての「違いが分かる男」はこう言ってるわけですよ
「おまえ(人間)が裸だと気づいていたのは、わたしだけだと思っていたのに」 >>481
一元論であり二元論ですか……
斬新ですね。:)
>>482
客観をある種の主観と考える唯心論や主観主義は一元論だと思います。
>>483
創世記を物理的に真なる出来事だと考える立場もあるのですね。
私はそれは人間の認識能力の発現のことだとぼんやりと考えていました。
そういう意味では自意識とも関わりはあると思います。
しかし、私はユダヤ教徒でもキリスト教徒でもありませんから、
はっきりとそう考えていたわけではありません。 >>487
自分だけじゃなくて残念でしたねとしか言いようがない >>484
二項対立は認識の基本だと思います。
>>485
>>487
アダムとイブの他に聖書の記述者は存在したということでしょうか? >>490
はっきりとした個人としてのイメージではないでしょうが、
それに相当する人はいたでしょうね
言い伝えの記述ですから、人物像はぶれるでしょう
伝言ゲームといっしょです
話ことばの発祥と文字の発明には相当な時間の隔たりがあるでしょう
事が起こった頃と、文字として刻まれる頃とはかなりの年数が離れているはずです >>491
なるほど。その線で聖書を読んでみるのも面白いかもしれませんね。 >>489
でも自分が特別な存在でなくなったことに失望している感じではないわけです
むしろ「なんで知ってしまったんだ」的なニュアンスです
知ってしまえば、この先苦しみが待っているぞ、と言ってますよ
知らなければこんなに苦しむこともないのに、
と人類史上初めての「違いが分かる男」は思ったのでしょう
人間の精神的なことなんでしょうけどね ちょっと知恵を貸してほしい
時間と空間というのは現れ方の違いで、イコールで結べると思うんだけど、
その説明がうまく出来ない
時間というのは今しかないわけだから、時間という概念はあきらかに思考の産物だよね
今しかなければ、空間は存在しないと思う
時間があるから空間があると言えそうなんだけど、その上手い説明がわからない
なんとかうまく説明できないもんだろうか? >>412
>原意識って概念もおそらくハードプロブレムと同じこと
これは「原意識」の存在を証明することはできないという意味でしょうか。
もしおよろしければ、もう少し具体的なご説明をお願いしたいのですが、
いかがでしょうか? >>448
ご指摘のとおり、あの文脈では無理があると思います。
失礼しました。
ただ、私としてはまだいわゆる物質の存在に疑問を持っていることに
かわりはありません。
これは物質の存在が証明されない限り難しい気がします。
私としては、私以外の人間にも私と同じような心があると信じています。
それは私の心にはその外側があるということだと考えます。
しかし、そこに心的なもの以外のものがあるとは思えません。
なぜなら、いわゆる物質のようなものを想定すると
ハードプロブレムという問題が起こってしまうからです。 >>494
私としては494さんが言っていることの意味はわかる気がしますが、
私としてもどう説明したらいいのかはわかりません。
空間は時間に還元されるという考え方がありました。
カメラのオートフォーカスはその理屈によるもので、
照射した光が行って帰ってくるまでの時間を距離と考えるわけです。
参考になりますでしょうか? 問いがあまり面白くないな
伝わってしまうとはどういうことか
媒体とは何か
媒体なしに伝わるのか
そういうことを考えてみては 光が伝わるのにエーテルが必要であるとは考えられていない
しかし、その場合、伝わる光そのものが存在しないと言うことはできない
では、心はどのように伝わるのか >>497
う〜ん、確かに、自分も距離がポイントじゃないかな〜思ったんだけど、
時間があるから存在が生まれ、存在があるから距離が生まれる
時間が生まれてから距離が爆発的に広がっていった、とみることも出来ると思うんだけど、
そうすると、なぜ遠近の距離が生まれたかな〜と
みんな近くに密集しててもいいわけだし、距離が均等であってもおかしくない
なぜ時間が生まれたことによって、距離が生まれたか
そしてなぜ、その距離は対象まで不均一なのか
おそらく、時間があるから空間があるという最初の考察は正しくて、
ならば、距離の不均一という問題も必ずうまく説明できると思うんだけど >>494
空間といえば自由度の高いイメージがあります
時間といえば不自由なイメージがあります
時間という概念は思考の産物で間違いないでしょう
しかし時間に縛られるのは概念のせいだけではないと思います
人間が動き、空間を使えるのは時間が流れているから、といえます
しかし、(いち個人の)人間が空間をすべて使い切ることは不可能ともいえます
(いち個人の)人間が使える空間は時間によって縛られるともいえるからです
人間の視点(主観)から観測されない(客観的な)空間と時間との関係性については、
現時点のわたしにはわかりません 今回「空間は視覚だけに依拠しているわけではない」という指摘を受けて
いろいろなことを考えさせていただきました。
基本的に私の空間なり物質なりを虚構とする立場に変わりはありませんが、
しかし私自身の主張に修正が必要であることも感じたところです。
私は空間が視覚的であるからといって疑念を持っていましたが、
そのあたりには誤りがあったようです。
例えばヘッドホンでオーケストラを聞いて音が立体的に聞こえるとき、
視覚のない知性にはどのように聞こえるのかなどと考えてみたりしました。
あるいは生まれつき盲目の人が点字を理解するというのは
どのように空間的な文字を認識しているのかなど。
やっぱり彼らも私たちと同じ物理的空間に生きているのかもしれません。
つまりこの点については私は改めておきたいと考えました。
つまり視覚自体がなくてもいわゆる物理的空間は認識できる可能性が
あるのではないかということです。
そもそも視覚があるからといって物理的空間に直結するとも限りません。
よく考えてみると映像があってもそこに奥行という意味があるのかどうかは
また別な気がします。
裏を返せば映像はなくても聴覚や触覚によって
奥行きという意味を理解することはあり得るということです。
ただ、となるとじつは結局似たような問題が起こるとも考えます。
奥行きを理解することができる知性的存在がいないところに物理的空間は
あるのか、という問題です。
もちろん認識できないから存在していないということにはなりませんが、
かといって、私としてはそれが存在しなかったとしても特別な差し支えはない
というふうに考えているのが現段階です。 >>494
言語学的には「長い/短い時間」の「長い/短い」や
「しているところである」の「ところ」など、空間の概念の方が優勢だと思います。
これには視覚の影響があるかと私は考えます。
哲学的には、時間の流れとはある空間の流れのことですし、
ある空間とはある時の空間のことですし、時空は同時的な存在かと私は考えます。 >>500
何故遠近の距離が生まれたのかについて、
これは私がぱっと思いついた程度の、しかも答えというよりも考え方ですが、
この世界には距離があると何らかのメリットがあったのではないかと。
この流れで私がとりあえず連想したのはじつは視覚です。
何故私は壁を見ていて、その前にある空気を見ず、
あるいは壁の向こう側の景色は見えないのか、
原子なんてスカスカのはずですから向こう側が見えてもよさそうなものです。
この問に対して私が行きあたった答えは、
視覚器官がそのように調整されている、というものです。
本当は空気が見えるように調整するのも可能ですが、
とりあえずこのくらいにしておくのが生命活動にはメリットがあるのだと。
このノリを距離の方にも持ってきてみて
つまり本当は距離にバラツキはなくてもよかったんですが、
そういうことにしておくといいかんじになったのだと。メリットがあったのだと。
ただ、何のメリットがあるのかについてはわかりません。 >>500
ちなみにタイムラグについては少し考えてみたことがあります。
なんだか個人的にはこの世界にタイムラグがあることが
釈然としなかったのです。
しかし今はその環境にも適応してしまえばそれでいいのだろうと考えています。
嘘か本当かは知りませんが、
そもそもどうやってそれがわかったのかも知りませんが、
恐竜は画鋲を踏んでから(昔の画鋲は踏むと足の裏に刺さりました)
痛みが脳に伝わるまで結構時間がかかったそうです。
となるとそうとうな不便を強いられたのではなかろうかと。
しかしよく考えてみると、私たちにも微妙なタイムラグはあるでしょうし、
つまりそれはことさら問題が起こらなければ問題はないんだなと。
そういう方向で納得しています。 >>480
>ネットで購入しました
学術さんには売り上げ金の一部を貰う権利があると思います。
>私は日本は緩やかに進歩していると思います。
じつは私は日本文明は滅びる過程に入ったのだろうと考えています。
ただ、私が理解するところでは日本文明とは
数万年に及ぶ列島社会の歴史の中のほんの一時期に過ぎないものであり、
絶え間なくうねり続けてきた列島社会自体は今後も変容しながら
数千年ひょっとすると数万年続いていくのだろうと思います。
それでも一応日本自体は滅びつつあるわけですから
多くの文明社会の衰退過程にいろいろなことがあったことを思えば
他人事ではありません。
しかしそういうことを考えるのは厨二病患者の特徴なのだろうとも
思ったりします。【自虐史観】 説明するのと説明されるのではまったく違う。
おまえは説明しようとしている、説明されるというのは誰かがではなく
自然にである、だから脳内妄想を具現化するほど現実から離れてしまう幻想になるんだよ。 どんなに問おうが、答えが自分の中でできているのに
それが壊れるわけもなく、現実に帰着するわけでもない、
まずそれを否定してみろよ、自分が一番無能で何も理解していなかったと
想定してみたら?
最初に決めたベクトルが変わるわけがない、なぜなら変えないからだ。 >>483
現代のユダヤ民族は古代のユダヤ民族と入れ替わっている
という説がありますが(旗色は悪いようですけど)、
いずれにしても、たとえば現在のジャイアンツがV9時代のジャイアンツから
一応の連続性があるように、
やはりそこにも一応の連続性はあるのだろうと思います。
つまり彼らはそれだけ強いアイデンティティを確立している
といい得るのでしょうし、また実際そのように見受けたりします。
そしてそれはまさに流浪の民として他者を意識せざるを得ない状況の中から
育まれたのだろうと察します。
実はそこでの私の関心事は例によって「ドライブをかけてくるシステム」です。
おそらく自分たちの土地を追われたというのは歴史上
ユダヤ民族だけに振りかかった災いではなかったであろうにもかかわらず、
何故彼らだけ(?)は生き残ることができたのでしょうか。
何故異民族からの圧迫をむしろ自分たちの生きる糧にできたのでしょうか。
私としてもちょっと関心があるのでちょっと調べたことがあるのですが、
彼らの特徴として教育を重んじるというのがユダヤ民族の強みに
つながっているのではないか、という説があります。
はなしによると彼らは物質的な富は失うことがあっても知識を失うことはない
と考えているとのことです(優秀な学者が多いゆえんでもあるとか)。
257さんがご指摘するように「知恵の実をかじってしまったら不幸になる」
ということを彼らが強く自覚しているとすれば、
その説にもリアリティがマシマシになる気がするというものです。 >>507
これは私に対してのレスでしょうか?
文体や一連の流れなどの雰囲気からそのように感じます。
私としては507さんにもご自身の考えを説明してもらいたいのです。
たとえば私の主張に違和感があるのであれば
ズバッと私の頭の上から空間なり物質なりが存在する証拠を振り下ろしてしまえばそれで私は黙るかもしれません。
少なくともオーディエンスは正しい方になびきます。
なぜそれを手っ取り早くやってしまわないのか、
私としては不可解なのです。
ちなみに私はこのところ主観主義に転向することを考えています。
>>379はその伏線のつもりです。
汎心論や唯物論は所詮仮説に過ぎません。
これからは他人の自我の存在を認め得る唯我論で決まり! >>495
意識が科学で解明されそうになったから
物理的な脳による意識の部分と
「それ以外」による意識の部分を分けようとしただけ >>493
で意識のハードプロブレムは知らなかったことにしてキリスト様ありがとう的な落ち?w >>508
一生とか時間とかメリットとかに縛られている違いを理解する一般人には不可能だから >>506
Amazonに言ってもらえれば。:)
日本は衰退していますか。
うーむ、私は日本の衰退より、世界政府の樹立の方が早いと予想します。 >>493
生きて死んでいく空しさを知ったぐらいで苦しい人間がこのご時勢存在しないだろ
人類史上初めて精神を生じたぐらいで苦しむ脆弱すぎる精神は幽霊とか魂信じる馬鹿にしか通用しない時代 >>514
そういうやっても予想はまるで無意味
自分で世界を動かせないし、動かす努力も地位にもないんだから
現実に変化している事に対して適応する事に集中したらどうだ
夢想なんかしてないで >>516
世界の平和のために、私にできることはします。
私の手の届く範囲を平和にすることも、価値のあることではないでしょうか。 どう飛躍すればハードプロブレムから世界平和なんて話になるんだよ >>517
また議論することは大切なことだと思います。
国連に武力は必要か、国連の総会は人口比で表決権を持つべきか、などです。 >>518
日本は将来的に衰退するという話からです。:) >>520
518の聞いたことにそのまま答えればそうなるが
518の言いたいことは「世界平和とこのスレの話題のハードプロブレムは関係ないだろ」ということだと思うよ >>521
私はこのスレッドを立てたものですが、
広がり過ぎなければ多少の話の脱線は歓迎します。 >>512
人類史上初めての「違いが分かる男」は、言い換えれば
人類史上初の意識体験をした男、といえます
天地創造の記述されている年代については、
紀元前4000〜5500年と推測されています
あなたがいっているキリスト様は2000年前の話で、
人類史上初の意識体験した男については、それより2倍以上過去の話になるということです
キリストから現代までを3回繰り返す時間、その時間を現代からさらにさかのぼる感じです
>>515
精神とするとちょっと範囲が広くなってしまいます
意識も人間の精神の一部といえるでしょうが、
わたしが人類史上初といっているのは精神のうちの自意識(自己意識)についてです
デイビッド・ジョン・チャーマーズの「意識する心」という本に、
意識体験のカタログという項目があります
視覚体験・聴覚体験・触覚体験・臭覚体験・味覚体験・冷熱体験
・痛み・他の身体感覚・心的象像・意識的思考・感情・自分という感覚
わたしはその内の「心的象像」・「意識的思考」・「自分という感覚」については、
人間が後天的に獲得するものである、と考えています
そのあたりの記述は>>349,>>381
それ以外は先天的にあり、人間以外の動物にもあると考えております 宗教を継ぐ者がいないとキリストでも2000年も語られたままだ。 仏陀もムハマンドキリストも超えてないかな若い宗者が。目測。 >>511
私としてはてっきり意識のメカニズム的な部分については
科学的な分析が出来ないものであろうと思い込んでいたものですから
これは耳寄りな情報です。
少しサグリを入れてみようと思います。
ありがとうございました。 >>528
統合情報理論と量子脳理論があるぞ
まだ仮説だけど >>514
細かいことですが、私が言った「日本」というのは
「日本国」のことではなく「大和民族」のことです。
あるいは三島由紀夫あたりに言わせれば
美しきニッポンはとっくの昔に終わっているのかもしれません。
ちなみに私は世界政府については懐疑的です。
私はすべての人間が仲良くというのはあり得ないと考えています。
このスレを見てもそうですが、
自分と違う人間に対しては無条件に敵意を持つ人というのはどこにでもいるもので、
事実上そのよう人がいなくなることはないと思います。
なぜなら、その敵意というのはカルシウム不足に由来するものだからです。
日本人にはカルシウムが足りなさすぎるのです! >>529
ご親切な方、ありがとうございます。
さっそくググってみます。 ところで>>483についてなんですが、
じつは私はこのレスが突然放り込まれてきた意図が理解できず
(なんとなく>>504でお茶を濁してしまった)、
仮に意識のハードプロブレムとは関係なくとも
個人的には興味のある話題なので繰り返し読んでみたりしているわけですが、
するとなんだか突然このスレッド的に重要なことが指摘されている気がしてきました。
つまり意識のハードプロブレムを語る以前に、
そもそも意識とは何なのかという問いであることに今更ながら気づいたわけです。
これは前の方に出てきていた睡眠中の自我にも関わりますし、
もちろん胎児がお腹の中にいるときの自我や潜在意識にも関わります。
自己意識は一見イージープロブレムのような気もしますが
それでは数千年前、ヒトの脳にどのような変化が起こったということなのか、
もちろん汎心論の私としては自己意識の発現は
意識の内部のみでかたづくはずだと見積もっていますけど、
いずれにしても>>483がこのまま忘れられていくのは
もったいない気がするところです。
ただ、時計さんにはあまり関係がなさそうな感じが残念なんですが、
それでも一応うかがっておきます。
時計さん、どう思います? 私としてはこの流れに関連しそうな話題として「意識のビッグバン」を
ひっぱり出してみたく存じます。
意識のビッグバンは甚だ抽象という指摘もありますが、
600万年くらい前から始まったとされる人類史の中で
多様にあった人類種のうちのホモサピエンスにだけ、しかもさらにそのうちの
ネアンデルタール人やデニソワ人ではないクロマニョン人にだけそれ的なことがあったという事実は、
そうは言っても何らかの意味があることなのだろうと考えます。
そしてそれが自己意識の獲得に先駆けて起こっているとすれば
なかなか興味深い展開が期待できそうな気もするところです。
(なお、今どきの若者に「違いがわかる男」はわからないだろうと、
今更ながら一応ツッコませていただきます。恐縮です。) >>535
創世記は確かに胎児の成長の記録のようでもあり、
自己意識の発現の記録のようでもあると思います。
私は神話にはあまり詳しくはありませんが
シュメール神話など古い神話はたくさんあるように思います。
本格的に考察するならば各種神話を比較するのもいいのかもしれません。
旧約聖書の特筆すべきところはやはり一神教であることかなと思います。 >>535
>>483については、心身二元論が話題になっていましたので提示してみました
創世記以前に関しては、(人間より高度な知的生命体がいない限り)一元論で済んでいたと考えられるからです
一元論といいますか、創世記以前は人間でも心身一体として(つまり反射的に)行動し、
恐怖や痛みのような精神的な現象を意識として認識していなかったのではないか、と思うからです
> もちろん汎心論の私としては自己意識の発現は
> 意識の内部のみでかたづくはずだと見積もっていますけど、
ここはわたしとは違う見解です
もちろん自己意識はほぼ誰にでも備わっている意識ですし、
人間の精神には汎心的な要素もあります
だから汎心論的に人間を捉える考え方も当然あり得るでしょう
しかしわたしの考えとしては、自己意識は他者がいないと発現しない、としています
他人という存在がないと、自分という存在に気づけないだろう、という考え方です
あたりまえのことを、あたりまえのことではないように考えること、は哲学だと思います
人間が標準的に備わっているものについては、なかなかその存在意義に気が付かないものです
「気づき」とは哲学の重要な要素です
違いに気づく、ことは意識的なことでしょう
自分と他人の違いに気づいた最初の人間が、創世記の「神」の可能性があるとわたしは考えています >>536
「違いが分かる男」としたのはそういった意味だったのですが、
わたしの潜在意識の中で昔のCMのキャッチコピーが、わたしを無意識的にそう表現させたようです
それに気づく人は、昔そのコーヒーのCMを見たことがある人です
その「気づき」は経験的な気づきですが、
経験しないことでかえって気づけることもあると思うのです
先入観が邪魔をして、真実に気づかないことは多々あるわけです
でこすけさんは「そのネタは若いヤツにはわからんだろ」と思ったのでしょうが、
わたしはそういった意図で使ったわけではない、ということです
その点については、でこすけさんは「違いの分かる男」ともいえますが、
この板では余計な先入観でしかないかもしれません 科学は世界を理解する上で役に立つ一方
精神を解体し存在論的恐怖を引き起こす
その科学が「聖域」とされていた
意識に手を伸ばそうとしているからさぁ大変 自分は作曲家じゃないけどこれも仕事の一つ、若いころから企画とかやっててね。 唯物論以外は結局のところ
存在論的恐怖からくる感情論に過ぎない
自分の行動や思考が意味あるものであるためには
行動や思考が法則に還元されてはならないから Wikipediaの大脳皮質の項目にある写真を見てみるがいい
あれが「私」を作り出していたものである事を受け入れられる人間が
このスレにどれだけいるか >>544
リアルで人体解体を何度も見てるのでどうということない映像ですな >>525
天地創造ってストーリーでしかないんだよね
それを信じるのがキリスト教徒という馬鹿 天地が自然に出来上がったケースなんてあるのかどうか。かなり少ないかも。 5ちゃんが大過疎といっても
ここはずっと自演だけの
過疎だしな >>538
> しかしわたしの考えとしては、自己意識は他者がいないと発現しない、としています
> 他人という存在がないと、自分という存在に気づけないだろう、という考え方です
横だけど、それはない。五体満足で生まれた人の子は、他のどんな動物とも違い、
自分の手や足を使い、自身の固有性に気づけるホモサピエンスの知覚(偶有性)を備えている、
仮に他人が存在せず、チンパンジーに育てられたとしても、自他の意識は十分知能が発育すれば獲得する。
しかし、君のように現代に至るまで、神の概念を持ち出さなければ自己意識を持てない
嘆かわしい知能の人間が多く存在しているのも確かで、
環境や資質によって、信仰に従わなければ考えられない人間は、
自らの意識から意味を考えて結論を導く知恵が不十分な者もいて
一概に人間と言っても、ピンからキリまでということでしかない。 1人の人間はもはや人間ではないと言うからな
他の人間と接触しないとどうなるのか? 逆に接触しないで1人になれる人間がいないだろw
もはや人間ではないというより、既に人間なんだよw >>550
そうですねえ…
神の概念に則って人間を考えることも、
神の概念を切り離して人間を考えることも、
人間の精神を切り離して人間を考えることも、
ながい人類の歴史の中では、やってきたことだと思います
科学が発達して、
人間に近いロボットを作ることができるかも、
というところまで来ていると思っていますが、
ではそのロボットは人間の要件を満たしているのか、
というと不備がたくさん出てしまう、という状況だと思うのです
物事を認識して、判断して行動する
これは、現在のロボットでもできるでしょう
それでも、人間ではあり得ない不備はたくさん出てしまいます
自力で動力源(食料)を確保するなど、という行為諸々です
さてそれとは別に、
初めからロボットに自己意識を設定すること、
これは人間の再現になるのか、という疑問があります
わたしはそのロボットに人間性の再現を求めるのなら、
自力で自己意識を獲得させるべきだと考えます
その方が、人間らしいと思うからです >>553の続き
要はそのロボットに、あなたはあなたである、という説明ができたら、
自己意識を設定することができる、といえますよ
ただ、そのロボットには同じような構成のロボットが多数存在している中でのことです
そのロボットは特別な存在ではないということが前提です
その条件で、そのロボットにあなたはあなたである、という説明が可能だと思いますか?
わたしはそのロボットの判断に任せるしかない、と思っています
そのロボットは他の似たようなロボットを見て聞いて感じて、
「あのロボットはわたしではない」と判断させるしかない、と思うわけです >>555の補足
もしかしたら「あなたはあなたである」という働きかけ自体は必要な条件かもしれません
親がわが子を呼ぶときのようなことです
ただ、そのロボットが「わたしがわたしである」と自覚するまでには、
それだけでは不十分だということだと思います >>553
そう、未だに自己意識に則って考えられない知恵不足の人間がうじゃうじゃ存在しているのだよ。
>科学が発達して、
>人間に近いロボットを作ることができるかも、
>というところまで来ていると思っていますが、
>ではそのロボットは人間の要件を満たして>いるのか、
>というと不備がたくさん出てしまう、という状>況だと思うのです
人間は生身、ロボットは機械ですw
>さてそれとは別に、
視点を変えても、人間の意識のハードプロブレムとの関連が意識できていないんで無駄なんですよ。
人間らしさの意識と人間の意識は違います。
>その条件で、そのロボットにあなたはあな>たである、という説明が可能だと思います>か?
それを考えたところで、人間の意識のハードプロブレムを解く説明にならないよね、
ロボットの意識に意識そらして物思いに耽っているだけなんですよ。 >>557
わたしは人間の精神はまだ未知な部分が多々あると思っていますよ
ただ、精神といっても幅が広いので、
議論できる範囲を狭くしたいと思っているわけです
わたしは哲学板に来てまで他人の意見に同意する輩はどうなのか、と思っています
他人を否定できなければ自我は保てません 音楽論とかでもいいんだけどね。ヒップホップのトラックが分裂的だとか。 >>558の続き
同意してもいいですけど、全面である必要はないと思っています、が真意に近いでしょうか
557さんには557さんなりの差異の感じ方があるわけです
557さんにしかわからない違いがあるのだろう、ということです
わたしはそういった意見を期待してここで書き込みしているのかもしれません 分裂してるものをどんどん打ち込んでいくから根源的に盛り上がるんじゃないか。 >>558>>561
他人を否定しなければ保てない自我なんてただの固定観念ですよ。
他者との見解の違いで、固定観念頼みの自論の根拠が揺らいだなら、
自己の固定観念を解いて、他者の見解を吸収して意識を改めていく
必要がある、それができないなら自論に固執している能書きに過ぎない。 自意識を意識することがあるということは何だか不思議な感じがします。 人と動物の違いは、人は例えば本を読むなど刹那的ではない長期間の行為を
取るということは一つ挙げられるかなと思います。 1で「他者の意識は存在しない」とあるが、自分に意識があるとするなら、他者も存在する以上他者にも意識があると考えるのが自然だよね だって自分は地球に70億人いる人間の1人でしかないのだから
何も特別な存在じゃない
特別じゃない自分に意識があるなら、他の人間にも意識はあるはず >>566
1で言いたいことは要するに存在するということは極めて主観的だということです。
だから、他者の意識は存在しないと。
私は、他者の意識は存在するにしても、存在しないにしても、
何らかの原理は必要だと思います。それが明らかになればいいなと思います。
他者の意識は存在することを自然に思うことにも、
何らかの原理は秘められているのだと思います。 >>567
それも原理ですよね。:)
例えば、言語によって思考が共有できるということは、
同じような意識を持っているはずだとか。 >>568
人間は客観に到達出来ないのは仕方ない
しかし、人間が想像している客観的な考え方で多分間違ってないだろう思う
要するに普通の考え方だね
(地球には70億人の人間がいてみんな意識を持ってる、みたいな)
何故、そうじゃない可能性を考えるのだろうか?
何故、そう考えたいのだろうか? >>563
えーとですね
「哲学板に来てまで他人の意見に同意する輩」というのは非常にレアです
もしかしたら誤解されてしまったかもしれません
正確に言うと、
「哲学板に来てまで他人の意見に同意を“表明する”輩」です
> 他者の見解を吸収して意識を改めていく必要がある
というのはそれはその通りですが、
匿名掲示板という性質上、そんなことはロムって心の中で同意すれば良いわけです
それをわざわざ掲示板に書き込む必要はありません
だから見かけ上は他人の意見の否定ばかりの書き込みが目立つのです
哲学板は特にそうです
それが前提だということですよ
反対意見をわざわざ書き込むということは、自分の自尊心に関わることだからです
あなたはわたしの意見に同意できないし、黙っていることもできない
だからあなたはここにあなたの意見を書き込んでいるわけです >>571
それは他者の意識は存在しないという考え方は私の世界観に合うからだと思います。
あるいは、はっきりとした明確な理由はないかもしれません。
私は、他者の意識は存在するという原理に出会うことを楽しみにしています。:) >>573
じゃあ他者の意識は存在しないとしたら、あなたは何と対話してるのですか? >>575
じゃあ他者には意識がないのに何故対話できるのですか? >>576
それは解りませんが、多分脳が在るからだと思います。 >>579
自分に脳があって自分の意識があるなら、他人に脳があって他人の意識があると考える方が自然ではないですか? >>579
しかし、私は脳を超える物質が存在する可能性はあると思います。 >>580
私の脳が私の意識を作っているとは考えていません。
私の意識が私の脳をある意味では作っているのだと。 >>582
他人があなたと会話できるのは脳があるからという話でした
あなたが他人と会話できるのも(考えることができるのも)脳があるからではないですか? >>584
何故でしょう?
他人の脳とあなたの脳はどこが違いますか? >>584
多分と付けているのは、私はあまり脳を信頼していないからです。
しかし、他の物質を明確に想像しているわけではありません。 >>585
私の脳も他者の脳もある意味では私の意識の作り出したものだからです。 >>588
理性によって概念として作り出したということです。 >>589
あなたが理性によって概念的に作り出さなくても他人の脳は存在すると思いませんか? つまりもともと存在する他人の脳をあなたが認識するか、しないかだけの話ではありませんか? >>590
確かに存在すると思います。その確かであるということは私の判断です。 >>593
先行するのは仕方ないですよ
人間は客観に到達できない
主観から得た情報で客観的なモデルを構築するしかない
それで客観的に考えてあなたが認識しようが、しまいが、それとは関係なく他人の脳は存在するというのはいいですよね >>601
そうするとあなたの脳と他人の脳は何か違うのでしょうか? >>602
私は脳をあまり信頼していませんが、同じ様なものではないですか。 >>603
脳を信頼していないとはどのような意味ですか? >>604
例えば、脳は唯一の意識の座だとは考えていないということです。 >>605
でも意識の座の一つではあるというのはいいですか? >>607
反対するということですか?
だとしたら根拠を教えてください >>607
「意識の座は1つ」と読んでいました。「意識の座の1つ」はまあ賛成します。 >>609
だとしたら他人に脳がある以上、意識もありそうだという結論になりませんか? >>611
理由を1つ挙げると、「意識の座の1つ」では弱いですね。 >>612
もう1つ挙げると、意識が脳を作り出すということです。 >>612
弱いとは、どういうことですか?
少なくとも部分的には脳は意識の座なのだから他人に意識があると考えるのは変ですか? >>614
弱いですね。主体と他者には別の原理が存在する可能性はあります。 >>613
作り出すのではなく、あなたが脳を認識するのか、しないのか?の問題ではありませんか? >>616
繰り返しになりますが、主観は客観に先行すると考えます。 >>617
先行するとはどのような意味ですか?
私は単なる順番と思ってましたがちがいますか? >>619
客観はある種の主観であり、主観が形成するものであるということです。 >>621
どうなんですかね。私は「我は無である」という考えを支持します。 >>620
では「主観的な客観」と、「そのままの主観」の間で結論が違う場合、あなたは必ず「そのままの主観」を信じるということですか? もし主観を客観より優先してしまえば
世界の何も理解できなくなってしまう ごめんで済んだら警察はいらない
主観で済んだら物理屋はいらない >>624
とすると「主観が先行するので客観的な結論は採用しない」というあなたの前の答えは答えになってないと思います >>625
私は古典力学は理解しています。相対性理論や量子力学の理解は足りないと思いますが。 >>627
「客観的な結論は採用しない」とは言っていません。 >>631
あなたの関与の有無に関わらず、他人の脳が存在すると言うことです >>633
ではあなたは他人の脳を作り出してないですよね
関係なく他人の脳は存在するのだから >>634
確かなものとして脳という概念を作り出しているということです、 >>635
概念はそうだと思います
でも概念と実物の脳は別物ですよね >>636
実在とは繰り返しの経験により確立したある種の存在だと考えています。 >>637
どういう意味でしょうか?
概念と実物は別物とは答えられない? >>641
正確に言えば、ある意味では存在と概念は別物だと思います。 >>641
概念の「脳」はあなたの頭の中に中にある
実物の他人の脳は他人の頭の中にある
概念には形も重さもないけど、実物には形や重さがある
いいですよね? >>642
「ある意味では」というは困る
はっきりしておかないと話が進まない気がする >>643
長くなってきましたから、一度考えをまとめられて投稿することをお勧めします。 >>644
存在は存在の在り方、概念は人の認識ですから、異なると思います。 >>646
あなたは認識と存在を混ぜて考えてるのではないですか? >>647
>>645にある通り考えをまとめられてから投稿することをお勧めします。 >>537
私は『聖書』についてはほとんどよく知らないのですが、
>>483を読ませていただいて、ちょっとリアリティが付いた気がしたところです。
というのは成り立ちが『古事記』に似ている気がしたためです。
もっとも私の『古事記』の印象は誠に勝手なものです。
一般には国外向けの『日本書紀』に対する国内向けの『古事記』として位置づけられているようですが、
私の印象ではあれは太安万侶の個人的な歴史観に過ぎないものというかんじです。
つまりこれは私の勝手な空想ですが、
太安万侶ははじめ『日本書紀』の編纂に参加していたものの
そのクールな編集方針になじめず、
そこから抜け出して男たちのアツいドラマを書き殴ったというかんじです。
私にはその全編に漂う男たちの悲しみがワザトとしか思えません。
そのような個人的なものが何故歴史に残ったのか、
そしてどうやら『聖書』も当初は一部の人々の思い入れに過ぎなかったもの
のようですが、
それがどのような経緯で歴史に残ったのか、
私にはどちらもある種のイレギュラーという点で共通する
という印象をもったところです。
ただ、どちらも意識の成立に関する一級の資料であることに変わりはないとは思います。 >>648
まとまってませんか?
それほど私の考え方を話したとも思いませんが
私からするとあなたの考えを把握するために聞いているのですが >>650
これだけの長さですから、まとめることはできると思います。 >>652
それでは長くなりましたから、考えをまとめられたら、何らかの答えはすると思います。 私の考え方は唯一物論なので、それで終わりと思います
あなたの考えが分からないので聞いています >>654
それでは質問することをまとめて下さい。 >>655
私から現時点で質問したいことは特にはありません。 心理学・精神分析総合スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1540727475/300
心理学では、心は判断したりする手段(means)が心(psyche)そのものであるという事を決して忘れないで下さい。
自分自身を打ち砕くハンマーの話を聞いたことがありますか?心理学では、観察者が被観察者なのです。
心はわれわれの科学の対象(object)であるだけでなく、主体(subject)でもあります。
ここからもわかるように、これは悪循環であり、われわれは謙虚でなければなりません。
心理学が望みうる最上のものは、すべての者がテーブルの上に持札を置いて、
「私はこれこれしかじかの仕方で物事を取り扱っており、これが私のものの見方です」と認めることです。
これで、各々の持つ特徴が比較できるのです。 >>656
あなたの考えとどこが食い違って話が進まないのか
そこが分からない
もし分かれば教えてほしい 分かるなら教えて欲しいけど、分からない場合は延々と質問するしかないと私は思う >>659
唯物論は物質ありきですが、私のような主観主義は私の意識が先行します。
そこが一番の違いではないでしょうか。
しかし、繰り返しになりますが、まとめてもらう方がありがたいです。 逆に唯物論が間違ってるとしたら、どんな可能性があるのかな?それも知りたい >>661
逆に唯物論を採用しないのは何故か?
それを知りたい >>660
質問することもまとめられたら数回のやり取りで済むだろうと思います。 >>661
あなたの考えがまとってるレス番号とかありますか?
それを読んで質問しますよ >>662
>>663
そういうことをまとめてほしいのです。:) >>666
だとすると逐次的に質問するしかなさそうですね >>665
どこかにまとまっていたかな。
1スレッドの442はある程度まとまっていたかもしれません。
それとこのスレッドの1ですね。 ところで横からすいません。
時計さんの主張についてですが、
私が理解しているところによると(つまり現段階のものですが)
普通の場合、つまり活動している他人の脳は存在し得るものではあっても、
直接確認していない場合は存在してはいないのではないですか?
冷蔵庫の中の牛乳と同じ理屈です。
ただし他人の意識については構造上(?)存在しない以前に存在し得ません。
そういうことだと思いましたが、答え合わせお願いします。 >>667
唯物論と一言で言いますが、もう少し詳しい説明がほしいです。
あと、それと質問との関係ですね。それを述べてほしいです。 >>669
私は確かに脳は存在していると考えています。 >>668
読んでみました
>>1の前半はポエムにしか思えない
>>442も何だか哲学に入れ込んでるのは分かるけど、何が言いたいのか分からない >>672
そう思えるなら仕方ないですね。私から言えることはないです。 私の考えは自然科学で正しいとされてることは正しいとする唯物論です
宇宙は138億年前に誕生しましたし、生物は36億年かけて進化し人間が存在しているみたいな... >>675
長くなりましたから、これ以上は考えや質問をまとめて下さい。 私が当然で当たり前と思ってることが、違ってるのだろうけど、それが何処なのか? 意識の定義が違うのかな?
もしかするとあなたの言う意識とは個性に近いのかもしれない
だとするとあなたの個性は他人にはないから納得できる
多分、意識の中身を聞くことになりそうだ 皆さんに対してですが、ある程度長いレスをするときは
番号か名前を付けて頂けると助かります。 わ た し も わ か ら な く な り ま し た
【ソーシャルディスタンス】(パクリ) とりあえず、それがなんであろうと「反応」すれば意識があるってことでw 意識という言葉は曖昧なところがあってそれをはっきりさせておくべきだった
残念 >>680
というか意識のハードプロブレム自体が異なってるんだろ
唯心論者と唯物論者、どちらにしろ意識存在の発生プロセスと
システムを言及できる知能がああれば、意識の食い違いがどこに生じているか
論理的に指摘できる文章になってなきゃおかしいわけで、現時点で
それができる人間は未だ存在していないのだから当たり前だけどw >>687
もしかすると意識じゃなくて、自意識の話をしたかったのかな?
だったら他人には自意識はないよね
他人にあるのは「他人の自意識」だ >>688
さぁね、時計って人の頭の中で、例えば存在って言葉を使ってても
自分の意識のどこまでをどう占めているのが存在で、実在とは
どこがどう異なるのか、意識的に位置づけられてないんだから
君と彼が同じ存在って言葉を使ってても平行線にしかならない。
一から十まで想定で、意識とはなにか想像次元の語りでしかないってことだな >>689
実在とは繰り返しの経験で確立したある種の存在だと考えています。
私にとっては明確です。 >>690
明確じゃなくて自明なだけだろ
存在に繰り返しの経験魔法をかけるとある種の実在に化ける存在なんて適当な想定に過ぎないわけ >>691
いえ、明確です。
適当だとも思いませんね。 >>692
思ってるだけなんだから論拠を示せない曖昧な想定なんだよ
君の明確な自明にとっては適当な想定なんだけどな >>693
純粋に思っているだけではなく現象を説明できると思いますよ。 >>694
その説明ってある種の現象に限定されるんだから、君の自明に過ぎないってわけ。 >>696
私の方が物理学を理解していたらそれこそ笑い草なんだが。:) >>700
え?誰も君のほうが物理学を理解るかどうかなんて話してないよ >>690
> 私にとっては明確です。
他人に明確に示せないん以上自明の域を出ません。 自然科学的唯物論とか言って、さっきまで長く話してたのは自分だけど、もう書き込みしてないよ
あなたが話してるのは誰か他人 >>706
あなたもややこしいですが、何人いるのかもよく解りません。:) 客体を生み出す能力を持ってしまったのが原因なのではないでしょうか >>710
真面目にレスすると、何人いるかは解らないということは、
概念として正確に作り出していないということにはなりますね。
だから、どうかしましたか? >>710
さらに真面目にレスをすると、実在を認識するということは、
主観的であっても、全くの自由だということではありません。 唯物論です
私が書いたのはいい風呂までです
あとは知りません
おやすみなさい この流れで初めての書き込みです
710は物質だけではなんともならなくて困っているところでこういうことかなと思っただけです
まじめに返答すいません >>715
唯物論の方、すみません。いい風呂がそうだったとは。:)
おやすみなさい。 >>710
710さんも初めてでしたか。誤解して、すみません。
客体を生み出すということは全くの自由ではないということですね。 >>649
私は古事記にも詳しくはありませんが、意識の成立に関する一級の資料と
考えられるということは面白いと思います。 >>717
唯物論の問題点について、色々あるとは思いますが、
一つはこのスレッドにもある意識のハードプロブレムだと思います。
唯物論ではまさにこのことが問題になると思います。
もう一つ、唯物論では「私であること」を説明しないということは
挙げられると思います。
私は、これらの二つは唯心論や主観主義の立場を取る大きな動機になると思います。 >>721
そのための情報統合理論であり量子脳理論である >>722
情報統合理論は面白そうです。著作もあるようですね。
ウェブ上に情報があれば助かるのですが。 脳の後ろに傷が付けば視覚に不具合が生じるように
脳梁切れば意識が二つに割れるように
「私」とて脳の影響下にあるものなの 意識とて客観的観察により観測的事実を得て
それをもとに限りなく確からしい推論を立てれば
いずれ法則に還元されるであろう >>725
うーむ、考えさせられますね。
脳梁が切断されるとどのような感じがするのでしょうか。
自由意志は脳に還元されないような気はします。 >>728
ググってみましたが、機能主義的な考察は多いですね。仕方ありませんが。 >>721
意識のハードプロブレムは解けてない問題ですが、どの学問分野でも未解決の問題はありますよ
未解決な問題が残っていたらその分野は捨てろみたいな話ですか?
そもそも、他の考え方をすればこの問題は解決するのでしょうか?解決しないと思いますよ
解決しないのなら、唯物論がダメな理由にはならない
「私であること」についてはそれは一種の錯覚だと思います
他の理論の方がこの世界を合理的に説明できるなら私も乗り換えますけども >>730
どの学問でも未解決を解決するとさらに多くの未解決が生まれる。
それは円周率の末尾の桁を計算するようなもの。
近似値で切り捨てればよいという安易なレッテルが歪んだ答えを
本質(目標)と短絡化している。
論理は万能ではなく、万能だという姿勢からはπを10進であらわせるという
おろかな考えと同じです。
私であることの近似値をもって実効の結果が成されたという話でしか
考えられないこいつらは、錯覚であってもそれは彼らの現実である。
物事を合理的に切り捨てる術が成すものは確定しているわけで、
多様性は失われ滑稽な結果を神の信仰とするのと同じように万能で
神の真理のように考え出すだけであります、
何の問題もないでしょう、円周率の切捨ての桁を整数部分にすれば
中世以前の円の長さは直径の3倍で確定するわけで、その誤差でも
機能しうるってことです。まさにゆとり思考。 >>721
>唯物論の問題点について、色々あるとは思いますが、
問題などないです、それらは問題点ではなく特異点だからです、
物理学などでいう特異点と同じです、つまり思考放棄して物理学が
通用しないという説明で割り切ることであります。
予測不能なほど未来、つまり、これからおきること、
関係が説明できないほど昔(1兆年前)におきたこと
存在とは関係しうることであり、そういう関係が説明しえないことは常に存在して
状況として関係している、存在と非存在を表すときに非存在を観測者あるいは
客観的などと説明をし、状態は見えている表層のみを扱うからこそ
見えざることを軽視し見えないものは説明しないという科学的思考が
存在を見えているものだけと切り捨ててしまうんです。
見えていないものを扱えない間抜けな主観論などデタラメと同じです
主観的な思い込みが正確ではないように、それを使う側は常に正しいという前提で
物事を説明する限り、おろかで滑稽でしかないです。 >>732
それも一つの個人的な哲学なんだろうけど
基本哲学は切り捨てたりせず知恵で解決するもんじゃない 科学の発展は
見えざるものを可視化すること
見えざる気体を検出できるようにするように
見えない「私」もいずれ検出され数値化されるべきもの 別に見えてる私を検出して数値化するだけなら今もやってるわけで
見えざるものを可視化する科学的手法の仮説を立ててみるとか 情報統合理論で意識のハードプロブレム解けないでしょ、何度も言わなくていいよ 情報統合理論とて
やってることは今までの科学の通り
対象を客観的に観察し観測的事実を得て
そこから推論を立てているだけ
その手法で「私」を生み出す過程を説明されちゃ不満かね? >>739
意識のハードプロブレムを解いた情報統合理論説なんて知らないんだけど
簡単に説明してみてよ、情報統合理論連呼したところで無意味だから 情報を統合する能力がどうやって私を作り出すかまったく情報がないんだがwww 意識体験と言われるものは無数の「ではない」と情報を一つに結びつける能力でできている 意識体験がそんな単純なものじゃないっていいたいのか
だとしたらそれは多分存在論的恐怖からくる感情論だ >>741,>>744
情報統合理論と呼べるかわかりませんが、
右目と左目からの異なる情報を脳で統合することにより、
奥行きを知覚することが出来るようになる両眼視差なんかは、
そんな感じだと思います >>730
勿論問題があるから即駄目だということにはならないと思います。
>>732
意識のハードプロブレムは問題だと思いますが。
>>747
思えば目は二つあっても視界は二つにはならずに
奥行き感が足されるということは不思議ですね。 『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう: 意識のハード・プロブレムに挑む 』
鈴木 貴之 (著)
勁草書房
置いてある図書館をみつけたので、そのうち読みに行ってみようと思っている。 >>748
それで他の世界観で考えると意識のハードプロブレムは解消するのでしょうか? >>751
意識ありきの唯心論や主観主義では意識のハードプロブレムは解消されると思います。
寧ろ、物質は存在するか存在しないかが話題になったりしているようです。
私は物質の存在は確からしさから免れ得ないと考えています。
私も唯物論の立場や考え方は解らないことはないです。
そういう風に複数の立場で考えられることは大切なことかもしれないと考えています。 >>752
その場合、意識の生成メカニズムはどのように説明されますか? >>753
意識は、唯物論のおける時空のように、予め在るものだと考えると思います。
そして、実在の概念は後から獲得されると考えると思います。
脳も実在の概念の一つです。 >>754
「のおける」は「における」が正しいです。 >>754
宇宙は何もないところから始まったとされています
時間も空間ないところから
意識はもともとあった?
あなたの意識はそんなに過去に遡れないはずですが?
何億年も遡ることができますか? >>756
それに関しては、意見は割れると思います。
私の考えでは、意識の始まりは主体の経験したことからです。 >>757
何年くらい前ですか?
だいたいで結構ですよ >>758
難しい質問ですね。多分、胎児の頃からだと思いますが、
私の考えでは、胎児や赤子の記憶力は極めて低いです。
だから、今でも覚えていられることはかなり強い印象のあることだけだと思います。
私の場合、古くて一歳か二歳頃だと思います。 >>760
あなた以外には意識がないのだから、それ以前には世界には意識が存在しなかったのですね
そこで人類史上、初めて意識が生成したのですよね >>761
というよりも、時間はそこから始まったと考えています。 >>762
あなたより過去にあったとされている歴史は嘘なんでしょうか?
そんなものなかったと、存在しなかったと >>763
私の主観的な時間からはそれは後のことだと考えます。
嘘ではありませんが、確かなことです。 >>764
「後のこと」の意味が分からない
あなたが誕生してから、宇宙が誕生して何百億年も経過した?
時間の前後関係が分からないです >>765
物理的な時間においては過去のことでも、
主観的な時間においては後のことだということです。
物理的な時間は例えば何億年だとかを語れるように空虚なものだと考えます。 こういうことですか?
つまりあなたが本で読んで勉強するまでは、そもそも宇宙は存在しなかった
あなたが知識として学ぶことによって宇宙というものが初めて存在するようになった >>766
主観的な時間もまた空虚なもかもしれませんが。 >>767
物理的な過去は主観主義においても語り得ると思います。 >>768
うーん
空虚とかどうでもいいです
事実かどうかだけが問題と思います >>769
私の書いた
>>767は正しいですか?まちがっていますか? >>768
「空虚なも」は「空虚なもの」が正しいです。 >>773
例えば、「一億年前にある星はあった」などは主観主義でも語り得ます。 >>774
じゃあ生物の進化の話をしても、それは認めますか? >>775
私は進化論は正しいかどうかは解りません。
どちらかを選ばなければならないのであれば、正しいを選ぶと思います。 >>776
この間、NHKで捕食することで進化することはあり得ると聞いて驚きました。 >>777
要するに未来の進化論ということであれば、かなり信頼できるかもしれません。 >>776
何故生物進化の話かというと
唯物論でハードプロブレムを解くなら生物進化を考える必要があるから
意識というものをより原始的なもので考えてみて、より原始的なモデルで考えてみるのがヒントになりそう >>779
なるほど。確かに原始的な生物から考察するのは良さそうですね。
>>780
変異と淘汰の他に進化する方法を考える進化論です。
私もNHKの番組で見た程度の知識しかありませんが、
捕食によって進化したり、DNAが倍の受精卵が生まれたりすることがあるそうです。 >>781
そりゃあ捕食によってDNAが取り込まれることがありますよ
でも進化全体からしたら珍しいケースですよ
それが進化の主流のメカニズムと考えられるようになることはないでしょう
未来の進化論にはならないだろうなあ >>782
そうなんですか。とにかく様々なケースを考える必要性はあるのかなと思います。 >>784
じゃあ、あなた言ってるその世界観も、こうかもしれない可能性の一つで別に本気で考えてる訳じゃないのですか? >>785
1で述べたことなどは、本気の考えですよ。 >>786
唯物論に関しては見習いというか、簡単なところは理解しています。 あなた考えはこういうことですか?
まあ、母親があなたを産んで、あなたは成長した、と普通は考える
でもあなたの考えでは、あなたの意識が生じてから母親が生成した
その前は母親は存在していなかった
あなたの母親を作ったのはあなただ
あってます? >>788
いえ、そこは唯物論とあまり変わらないと思いますよ。
物理的に過去のことは確かなこととして語り得ると考えます。 >>789
なるほど
分かってきた気がします
つまり、多分、私の世界観では、あなたがあると思ってるあなたの意識は存在しないということだ
そしてあなたがいうところの物理的世界だけが存在している ぶっちゃけ言えば、唯物論と主観主義的唯心論の二項対立だけで
考えること自体が問題だなと思う。
かといって現行の二元論がいいとも思えない。
個人的には物質・時空も、人間の意識・心も何か未知な概念の
一側面にすぎない中立一元論的な説が有力じゃないかと思う。
その未知な概念は何かといえば、宇宙精神のようなものかもしれないが、
正確には人間の思考などを超越していて、ほぼ語り得ないものとみなしてよい。 >>791
唯物論で考えればいいだけですよ
唯心論はもう消えてるも同然でしょ
折衷的な二元論もうまくいかない >>790
概ねそうだと思います。
私の意識は存在し、他者の意識は存在しない。
>>791
中立できるといいのですが。:) >>793
意識の外側は無だということと
物理的世界だけが存在しているということは
どう折り合いがつく? >>793
他者に意識は存在しないけど、あなたにも意識は存在しないのです
あなたに意識が存在する根拠はありますか?
あなたがそう持ってるだけでしょ >>795
「客観→主観」という構造を考えます。
>>796
私の意識の存在は原理のようなものだと考えます。 >538
私事で恐縮ですが、
じつは私は汎心論なるものがどのようなものなのか、よくは存じません。
誰かが私の主張をそのように表現していたのでそれをそのまま使っているだけなのです。
そこへもってきて>>538をお読みすると、
どうもその立場は私のイメージとは違うもののような気がしてまいりました。
私としては「心」というと人間的な感情を含むものに限定される気がするので
汎心論とか唯心論とかはあまり使いたくないのです。
存在の基本単位は主体的なものである、というのが私の主張ですが
目下もうちょっといいかんじのいいまわしを物色しているところです。
>>539
たいへんつまらないことで恐縮ですが、
私は「そのネタは若いヤツにはわからんだろ」と思ったのではなく
「違いが分かる男」という表現に若いヤツでも元ネタがあることを察するだろう
と感じましたので、
まことに僭越ながら、まことに僭越ながら、まことに僭越ながら、
一応の処置としてツッコませていただいた次第でございます。
「やっぱり元ネタがあったのか」という方向へ誘導するのが意図でした。
何故その必要性を感じたのかというと、これは秘密でございます。
まさしく世間は関係ないところに反応するということの典型だったと思います。
失礼しました。
それにしても257さんが仰っているところの「神」というのが
何を象徴しているのかよくわからないのです。
たとえば自己意識は最初神が獲得して
それがやがて全人類に拡散されたということでしょうか、
それとも自己意識は世界中で同時多発的に始まったのでしょうか、
そしてこれは自然科学的に解明され得る問題でしょうか。
ナゾです。 女性 25
彼氏と性生活がうまくいかない
こちらとしては正直毎日したい
毎日して、習慣になって別に求めることでもないところまで行きたい
セックスがしたいという欲望をとにかく消滅させたい
やり方知ってる方がいたら教えてください
ほっといてもセックスが始まるならこんなに悩むこともないのかなと思う。
こっちから誘って断られるっていうプロセスに耐えられないのかもしれない
コロナの関係で会うのが1ヶ月に1回くらいになって
合わない間浮気もしないで平気だったからもう大丈夫だと思ったのに、今日数ヶ月ぶりに2泊して2泊目に断られたら発狂してしまった
彼の方は本当に好きだし大事にしたいのに性欲のコントロールが全く出来ない
セフレを作ったり浮気をしたりは考えてない
やりたくない
今日は責めたりこれ見よがしな行動はやめよう我慢しようと思ったのに
本当にどうにもならなくてずっと頭の中でお経と
「この人は性的対象ではない」「私に性欲はない」「私は誰ともセックスしない」
って唱えてたらつい「死にたい」って口をついて出た
そのあとトイレに行ってゲロ吐いた
彼氏はため息をついてそのまま寝た
本当に性欲を無くしたい >>799
ちょっと前提の話をしますが、
仮に人間に天敵がいるとします
イメージとしては進撃の巨人の巨人としましょうか
見つけられたらまず(逃げられずに)取って喰われてしまう
そういう外敵が存在するとしましょう
そういった外敵が人間にいた場合、
人間の(防衛)本能は、その巨人の存在に出会うかで会わないか、に意識を集中させます
その外敵(巨人)の存在を匂わせる前兆、
地響き、唸り声やその前に反応する小動物の反応にさえ、
巨人の存在を示唆するものに対して人間の精神は敏感になっていきます
進撃の巨人という作品の世界観では、それでも人類はそこそこ理性的です
それはまだ巨人の存在が人間の理性で対処可能な存在だからであると、わたしは思います
しかし、あの巨人が人間の知能よりももっと狡猾で、
人間の持っている技術力よりももっと高度な技術力を持っていたなら、
人間は巨人に対し無力な存在になります
巨人に出会ったら、人間の想像を超えた方法で捕獲され、まず喰われて死ぬ
人間に対して巨人がそのような外敵であった場合、
(つまり人間が動物の進化の最終形態の座を失ってしまった場合です)
人間は(現実世界の人間に比べて)常に理性的な精神を保てる存在ではなくなるだろう、とわたしは思うわけです
ちょっとした変化にさえ、人間は理性を失ってしまう状態、そういう状態です
とはいえ、すでにわれわれは理性的な存在なので、
理性的ではない人間の形態を想像してみる、というのは難しいかもしれません
ただ、人間以外の動物に関しては、そのような精神状態にある、ということを想像してみても良いかもしれません
動物が人間とは違い、
人間のような理性を持っておらず、常に反射的に行動しているだろうという理由を、
わたしはそのように捉えています
心身一体として行動する、ということはそういう意味です >797
それは意識と意識の外側が明確に分けられる証明の上でしか説明できない。
人の意識の範囲は不明確でありこれを明確に白黒させるのは
たんに思考が短絡化しているだけ。 >>800
こういった書き込みは、なにかを試されているのだな、と考えてみても良いかもしれません
わたしは男なので、女性の心理状態を想像するのはなかなか難しいです
性欲というの本能的なものです
理性がなければ、
誰彼構わず性欲がある者同士で性欲がなくなるまで性行為をすれば済む話ですが、
理性的な人間社会はそのような行為を是としません
動物はその限りではないでしょう
>>800は心身二元論のひとつの考え方かもしれません
自意識というのは精神的欲求と理性との乖離をこういった形で迫られるものである、
と考えることもできると思います >>801
進化の最終形態、答えはない。
進化とは適応に過ぎない。
人間が最終形態というのなら現代に生きる凡ゆる生物もまた最新にして最終形態。
進化論に対する誤謬が激しい。
そして貴方いうのシチュエーションに一番近いのは第二次世界大戦における敗戦時における日本とアメリカの構図
特攻のような行動を取る人間もいれば切腹する人間もいる
慈悲を乞う人間もいるだろう
恐らく理性は失わないが最早どうにもならないとなれば諦めて死を受け入れるものもいれば、泣き喚いて暴れるものもいる >>804
>>801は理性がどのように生まれるものなのか、という仮定を説明したものです
進化の最終形態はどのようなものなのか、という説明ではないです
同種族でも殺し合いはあるので、日本とアメリカの構図と捉えられなくもないですが、
わたしとしては人間が理性を失う相手として、もっとどうしようもない存在を想定しています 宇宙人がきても変わらんよ
殺されるなら勝てないと思っても抵抗するしかないし、それで結果がわかったら諦めるだけでしょ
そんな状態でわちゃわちゃしてもしょうがない
死の受容のプロセスと一緒
第1段階 「否認」
患者は大きな衝撃を受け、自分が死ぬということはないはずだと否認する段階。「仮にそうだとしても、特効薬が発明されて自分は助かるのではないか」といった部分的否認の形をとる場合もある。
第2段階 「怒り」
なぜ自分がこんな目に遭うのか、死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階。
第3段階 「取引」
延命への取引である。「悪いところはすべて改めるので何とか命だけは助けてほしい」あるいは「もう数ヶ月生かしてくれればどんなことでもする」などと死なずにすむように取引を試みる。神(絶対的なもの)にすがろうとする状態。
第4段階 「抑うつ」
取引が無駄と認識し、運命に対し無力さを感じ、失望し、ひどい抑うつに襲われなにもできなくなる段階。すべてに絶望を感じ、間歇的に「部分的悲嘆」のプロセスへと移行する。
第5段階 「受容」
部分的悲嘆のプロセスと並行し、死を受容する最終段階へ入っていく。最終的に自分が死に行くことを受け入れるが、同時に一縷の希望も捨てきれない場合もある。
受容段階の後半には、突然すべてを悟った解脱の境地が現れる。希望ともきっぱりと別れを告げ、安らかに死を受け入れる。 >>804
>>320にも提示しましたが、
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1540727475/451-452
> 人間のような、意識(自意識)を持ったロボットの作成を目指すなら、果てしない工程が必要になるでしょうね
> まず、クオリアを利用した、自動的に、オートマチックに「生きる」ロボットを作れられるようにならなければいけません
> 生物でいえば「無意識的」に生きていけるような感じです
> そこには生殖も含まれます(これも自動的にです)
> 意識(自意識)は個の一体だけでは生まれ得ないからです
> そうして、食物連鎖の中から勝ち残り、脅威となる外敵が同族種以上がない状態までもっていかなければいけません
> その状態になって初めて、意識が芽生える環境が整うとわたしは思うのです
> (「意識」というものは設定するものじゃなくて、無意識から芽生えるものである、と考えます
> 自意識は自分以外のものがいないと意識できないものです)
> クオリアの呪縛から逃れられる状態、そこまでもっていかないといけません
> 反射的に行動してしまう状況であれば、「意識的」でいられる余裕は生まれない、といえます
>>801はこれの補足です
>>806
たしかに、一度でも理性を獲得すれば、それが無くなったりはしないかもしれません
わたしとしては、擬人化した動物の精神状態を想像して欲しいわけです 大体常にストレス化に置かれているかどうかの話に過ぎない
宇宙人がいなくても安全圏にいるなら呑気に暮らす
ずっと見張られていたり、一月毎に襲われたらハゲる
これが地震でも空襲でも巨人でもいいんだけどさ >>807
擬人化した動物というのが矛盾している
意識がないという前提で動物を語っているの、意識があると言う前提の人間を考えろとはなんですか
どっちなの
明確な矛盾で質問としておかしいだろと
人間同士であっても言語が違って敵対的なら既に交渉の余地がないでしょ
ガラパゴス諸島のゾウガメは言語を操るの?
アフリカの部族はライオンに怯えて猿みたいにくらしてるのか 勝ち残る必要性がまるでない。
安定した環境でさえ有れば良いんだから。
単純に脳がある程度発達していれば良いだけ
そして人工知能は脳機能の模倣から入る。
脳味噌を模倣すれば勝手に機能して学習する。
その上でハードウェアの部分的なアップデートで演算能力を拡張するだけの話。 >>809
わたしは人間で、人間以外の動物ではありません
しかし、意識という問題に取り組むとき、
人間が動物の精神状態を想定することすら許されないのでしょうか?
仮定くらいはしても良いかと思います
たとえば>>800のような葛藤を人間以外の動物がしていると思いますか?
わたしには動物に自意識がないと思われる理由を補強できていると思っていますけど >>811の訂正
わたしには動物に自意識がないと思われる理由を補強できていると思っていますけど
↓
わたしには動物に自意識がないと思われる理由を>>803で補強できていると思っていますけど >>811
妄想である以上は無意味ですね
検証的であるなら意味はありますが、妄想を担保に前提として議論する事に小説などの創作活動としか思えない >>790
概ねそうだと思いますが訂正しておきます。
私の世界では、他者の意識は存在しない。
物理的時空は主観の内側に存在する。 >>814
物理的時空の概念(表象?)が主観の内側に存在するということでしょ
以下の質問に答えて下さい
1)あなたの意識が存在する根拠を私に示せますか?示せませんか?
2) 哲学の基本は全てのことをまず疑うことだ。だったら、あなたの意識の存在も疑ってみるべきだと思います。原理的とか言って存在を疑わないのはなぜですか?
3)地面は動かないように見える。でも実際は地球は自転も公転もしてるのだからすごい速さで動いている。人間の主観は必ずしも正しい訳ではない。
トリックアートってありますね。人間は錯覚をする。
また、人間の視覚には盲点があるのに、全て見えているように感じてますよね。
つまり、あなたの脳はあなたを騙してくることがある。あなたの意識自体が存在しないことだってあると思いませんか? >>816
1
示せません。根源だからです。
2
まず疑うことが哲学の基本だとは思いません。
3
私の意識は存在しないことはないと思います。
私からも質問いいですか。あなたは意識の存在/非存在をどのように説明しますか? 意識ハードプロブレムが物理的な脳がどう意識体験を生み出すのかって意味なら
物理的な脳から意識体験を生み出す理論が完成した時点で解決じゃん >>817
訂正させてもらっていいですか。
1
示せません。
2
疑うことが哲学の基本だとは思いませんが、疑った先に意識は存在すると思います。
3
私の意識は存在すると思います。 >>817
錯覚に関しては不思議ですね。
しかし、そもそも色の三原色も不思議なわけで。
紫外線を知覚する生物もいるらしいですし。 >>819
根拠は示せないけど自分の意識は存在するんだということですね
それは存在する感じがするからだと
2の質問は意識の存在を疑わないのはなぜ?ですが
>疑った先に意識は存在すると思います。
では答えになってない
疑ってみたらいいと思います。疑ってみてやはり存在するとなることもあると思います。でも疑う前から、意識は存在するというのは変です。
3の質問は意識の存在が錯覚かも知れないことを聞いたのですが、答えは「意識は存在します」だけで根拠がありません。根拠を聞きたいところです。やはり、「根拠はないけど存在する」というだけなのでしょうか? >>817
意識はバーチャルリアリティのようなものと考えてます
VRゴーグルをつければそこに仮想の世界があるように見える
でも実際には存在しない
例えですが、映画の中の登場人物のようなもの
映画を観てる間、その人物が存在するように感じますが、実際は存在しません
意識は実際には存在しませんが、意識が存在すると見立てる事もできます。映画の登場人物が存在するとして友人と会話が出来るように >>823
そうですね。存在するから存在するという感じかもしれません。:)
主体の意識の存在は疑い得ないものだと考えています。
錯覚に関しては、ネッカーキューブのように見えているということ自体は
本当のことなのかなと思います。
>>824
意識はVRのようなものだという考えには特に反論はありません。
しかし、自然の場合はいるとしてですが神の創ったものだと思います。 >>827
私は神と進化は相容れると考えています。:) >>830
ということは自分の書いた文章の意味が分からずに>>828を書いたということですか? >>831
未定義の言葉を使うことは多々あります。:) >>832
自分で意味が分からない文章は他人は理解出来ないですね >>832
こう言ってもいいかもしれません。
完全な定義の無い概念を使い、日々の思考を通じて明確になることはあると。 >>836
神、あるいは超越者は未定義のまま、その概念を使う。
いつか理解することがある日を信じて。 まあ、哲学は数学とは違うということだと思います。
特に神に関しては。 私は神を考えるのは何の解決にもなってないし、ただ逃げただけにしか思えないのです
もし神を考えるなら、じゃあその神はどうやって作られたのか?を考えないといけない
そうするとさらに神を作った者を作ったのは誰だ?という無限の問いが発生する
何の解決にもなってない
何も説明していない 「主観」に主観の外側は無く、内側しかない。
外側は「無」ですらない。外側そのものが「無い」のだ。
外側どころか、「主観」は存在しない。
そう。存在しないから、外側も無いのである。
『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう: 意識のハード・プロブレムに挑む』
書店でみつけたので購入。 >>841
まあ、神を信じるのも信じないのも自由ですから。:) YHVHは自己原因とかいう強引な解釈で無理やり押し通そうとしてるらしい 霊魂は宗教や心霊主義で扱われる精神活動をするもので
神は崇拝の対象となる霊魂のこと >>842
内側があるなら外側は必ずある。
つまり外側がないなら内側もない、日本語でおねがいします。 >>837
信仰者において神は超越者ではなく信仰の対象であって、
神が存在するのは自分の内面だ、内面ではない神は
信仰をしていない者(神との関係を結ばない者)が抱く幻想にすぎない。 >>845
信じているそれらは、信じている人の説明であり、信じていない人の説明ではない >>848
宗教や心霊主義で扱われるものだからね
そしてそれらは物理主義とは相容れない >>842
主観の外側は客観だよね、ただ主観の視点が内的か外的かの違いでしかないってこと。 ハープレってクオリアのことでしょ?考えても意味なくね 未知のものをxと仮定して先に進むのは問題ないと思います
xと仮定するのは量子でも神でもなんでもよろしいかと 神を出したら何でも可能になるからね
考える必要ないよね
便利だけど考えることの放棄だよ 内側と外側の問題を考え続けた結論として、
内側しかないという構造がもっとも基本的なものなのではないか、と考える。
その「内側」を「外側」と語ることはできない。
そのような論理として二重ループの論理を考え中。
外側が存在するという「理由」がみつけられない。
外側が無である、というより、外側など最初から無いと考えてしまうのがおもしろい。 >>847
基本的には同意しますが、神との関わり(啓示)は内面的であり、
その存在は超越的であるということはあり得るのではないでしょうか。 啓示も神秘体験も
脳内で引き起こされた現象にすぎない >>841
わたしが>>483で提案した考え方は、
創世記で「神」とされている記述について、
わたしはその「神」が人類史上初の哲学者である、
と考えることも不可能ではないのではないかという提案です
その「神」という名の人が、
人類で初めて、自分と他人の違いに気が付いた「哲学者」だと解釈できるわけです
(もうひとつの可能性は「神」が言語を持った人間以外の知的生命体であることです)
わたしは創世記で記述されている「神」を哲学者として考えているわけで、
それを自意識の成り立ちのヒントとして考えているわけです
そうした手掛かりを旧約聖書に求めているのに、
それを思考停止だと仰るんですか?
わたしは人間の意識について考えるとき、
人間を目指したロボットを作るときや、
宗教の中の神についてでもなにかしらのヒントを求めています
それを思考停止という理由がわかりません >>855
人知の及ばない何かの説明であって、人が主体で説明される何かではない。
神が可能か不可能かとかそんなのはない、人の理解しえない物を神としただけで
神が可能とかいう発想はおろか。 主観だけで結論ありきだったら、それはもはや哲学じゃないよ まぁ主観を大事にしようとする人間と
主観を捨てようとする人間が
分かり合えるとは思えんがね 神って結局「神経」の「神」でしかないってことだと思うけどね
脳神経ネットワークが精密に巡っているか否か、すっかすか
とびとびのネットワークでも一応動作はするから大陸的に
理解できるわけだけど、細部まで理路が整った論理には
それなりの神経が伴わなければ、主観的で具体的な根拠のない
空論になるということ。 >>863
主観だけで考えて無矛盾な世界観を作るのは可能なのかな? >>857
ありえるが、それは似非信仰でしかない。 >>865
無矛盾など存在しない、主体が矛盾に見える側面に移動して観察すれば矛盾は生じる。 >>807
私は昔懐かしい栗本慎一郎の『パンツをはいたサル』の理屈から、
人間は自分が裸だと気づいたためその羞恥心からパンツを履いたのではなく、
何かの事情でパンツを履いたり脱いだりしているうちに
それを脱ぐと「恥ずい」という感覚を獲得したのだろうと考えます。
一説によるとニューヨーカーにはネクタイがないと恥ずかしさのあまり
オモテを出歩けないという習性があるとのことですが、
彼らは恥ずかしいからネクタイをしているのではなく、
日々ネクタイをしているうちにそういう病気にかかってしまったのだろうと
考えるわけです。
私としては人類は食物連鎖に勝ち残ったから意識を獲得したのではなく
意識を獲得したからこそ食物連鎖の中で生き残った気がします。
ただ「意識」というのは(もちろん定義によりますが)
一体だけでは生まれないというのはそのとおりの気がします。
もう少しイメージを膨らませたいと思っています。 >>842
私は「ハードプロブレム」という言葉を知る前から
物質と精神との相互作用に違和感を感じていましたが、
やがてそういう言葉があることを知って
その感覚が自分だけのものではないことを知ります。
それは唯我論しかり逆転スペクトルしかり、
私が考えるようなことはたいてい誰かも考えているものです。
しかしあまり哲学界隈で問題にされていない気がするのが
素粒子とクオリアとのギャップといいますか、
つまり宇宙は基本単位の整数倍の組み合わせでできているようなのに、
内面に現れる感覚は親しみやすいというか豊かというか、
そもそもこのギャップは外側がデジタルとして観測されるのに対し
内側がアナログのように感じられることに由来する気がします。
それにしてもこの問題はマイナーなのでしょうか、
私にたまたま縁がなかっただけでしょうか、
ちなみに昔、ラーメン屋のおっさんにこの質問をすると、
「結合力の問題じゃない?」というお答えをいただきました。 >>866
うーむ、その言葉は重いですね。考えます。 >>867
じゃあ主観的に考える人は矛盾はあっても気にしないということか そもそも主観も客観もお互い対になる概念があるからこそ成り立つのだから、
主観か客観どちらか片方しか存在しないという命題自体がどうかと思うんだよね。
両者は補足的な関係であり、どちらも未知なる存在の側面にすぎないと考えれば
意外とすっきり感じたりする。 >>873
気にしないというか、解決できないということでしょう >>874
どちらか片方しか存在しないってのは意識的か意識的でないかで主観は
意識的でない情報、客観は意識的つまり論理的情報って感じで
人間はその両方をつなぎあわせながらつじつまの合いそうな思考をしていそう。
主観的過ぎれば存在は根源だからといっていた人のような独我論的な
考えに陥りやすい。 >>874
そもそもの人間は主観的な情報しか手に入らない
そこから客観を想像してるだけだから
客観的にあろうとはしても客観には到達出来ない
だから客観だけは有り得ない
一方、主観だけは有り得る >>877
主観的な情報しか手に入らないとしたら
客観的事実が事実ではなく想像とか空想ってことになりやしないか?
到達するとかしないじゃなくて、現実的に主観的な情報しか手に入らないって前提はおかしい >>870
> 私としては人類は食物連鎖に勝ち残ったから意識を獲得したのではなく
> 意識を獲得したからこそ食物連鎖の中で生き残った気がします。
>>808-810の反応からも、その可能性はあります
自意識の獲得要件に、
必ずしも食物連鎖に勝ち残る必要はないのかもしれません
>>810さんのいう通り、
「安定した環境」さえあればわたしの考える要件は満たされる可能性はありますし、
>>809-810から、自意識の生成に、一定以上の脳の処理能力も必要条件になると考えられます
そのように考えた方が客観的でしょうね 例えば、机の上にボールがある
この上に箱をかぶせる
そうするとボールは見えなくなる
主観的にはボールは消えたことになる
客観的に考えたら箱で中のボールが見えなくてなったと考える
この例だと主観だけで考えるのは流石に変だから、主観だけで考えようとする人も見えてないだけだと言うかも知れない
そこは主観と客観の混ぜ具合だね
要はその人の塩梅だ >>878
最終的には主観的な情報しか手に入らず
そこから客観を想像するしかないと思うが
客観的情報なんてある? >>881
実際に触れて誰もが確認できる実在物の情報は主観的な情報とはいわないんじゃないか 私としてはいつもどこかに柄谷行人の言葉が残っています。
柄谷は日本では文学が確立される以前に「風景」や「内面」などは
無かったと『日本近代文学の起源』で喝破しましたが
そんな普遍性のないもののリストの中に「主観」と「客観」も含まれています。
そして柄谷が指摘しているとおり、
もはや私に後戻りをすることはできません。
私としては普遍性のある何かを求めているつもりでいますが、
しかし私の中では普遍性のない概念をいじくっているだけに終わる可能性が
常にチラついているのです。 >>882
自分の五感から情報を得るしかないのでどうしても最後は主観になる
そこから客観的な情報を構築している >>879
>そのように考えた方が客観的でしょうね
もちろん私が知りたいのはその先です
(でこすけ風に展開すると
それはそのようなマボロシ-仮想現実であり、
本当に知りたいのは何故そのようなマボロシがあるのか
どのようにしてそのマボロシが実現したのか
ということなのです) >>884
人工知能に人間のような主観というものは最初から存在していない、とするならば、
人工知能が人間のような意識を獲得するためには
あらゆる対象に向かって
「それはわたしではない」という人工知能が判断できる認識の、
人工知能が判断できない残った部分を、
「わたし」(無意識的に発生する主観)のように浮かび上がらせるものなのではないか、、
という考え方もあると思います
>>742,>>744はそういった意味だと思いますし、
前スレのわたしのレスも
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1588097998/668
そういった意図でしたものです >>884
要は、あらゆる客観的な情報を排除した結果が主観になる、
ということを意識が起こるまえに脳が処理している可能性がある、という考え方です
それが自意識の芽生えだろうと、いうことになるかと >>720
私は>>649で『古事記』を「意識の成立に関する一級の資料」
とかうそぶきましたが、
どうも列島社会での自己意識の成立は遅くとも縄文時代くらいまで
さかのぼるような気がしてきました。
私は高校生のときロクロをまわしたことがあったのですが、
その感覚からすると縄文土器は絶対に美術品レベルです。
あんなものをトカゲのようなメンタリティに作れる気がしません。
なお、列島社会での自己意識は
入ってきたときには既に(石器時代)だったのかもしれません。
(誰かが証明したはずはないと思うので強気に言ってみました) >>884
客観的対象物と主体の五官が実在し相互が関わらなければ主観の感覚は最終的に生起しない >>888
時計さんの前世が縄文人であれば
そのときには既に意識があったであろうということです。 >>885
図らずも>>886-887のようなことかな、と
絶対的な基準としては生まれてきた時間と場所から観測(視認だけではない認識)が始まるのではないかと
前スレのレスではこれとか
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1588097998/697 >>891の修正
絶対的な基準としては生まれてきた時間と場所から観測(視認だけではない認識)が始まるのではないかと
↓
絶対的な基準としては、
「主体が」生まれてきた時間と場所から観測(視認だけではない認識)が始まるのではないかと
それが>>886-887を経て意識体験になるのではないか、ということです この考え方でいえば、
創世記の最初の哲学者は、
人間の五感で知る情報と、自分以外の他者との違いしか知りえなかったわけで、
不可知的な残った部分をすべて自分の主観として感じられただろう、ということが予想されます
つまり、他の誰よりも自分が全知全能な存在として感じられただろうということになります >>893
なんだか「私にも見えるぞ!」というかんじになれました!
私がそのような確信をもてたのは
人間が特別な動物ではないことに気付けたからです。
そのような手応えがあるときはたいてい正しい気がします。
もちろん本当に正しいかどうかはまた別です。
私の中ではもはや、むしろ学者の中では常識なのではなかろうか
とさえ思えるほど当たり前な気がするのですが、
具体的にはもう少し考えがまとまってから書き込みをしてみようと思います。
ただこういうときは明日になったらまた考えが変わってしまって、
「あのときのテンションは何だったのか?」
とかなることも往々にしてありますから、
あまり期待はしないでください。 「富士山の高さは?」と問われて「3776m」と答える人工知能があるとして、
これは現在のGoogleでも可能なわけですが、
そのような機能を拡張して行き、「あなたは富士山は好きですか?」という質問に
答えることができるようになるのかということが問題だと思います。
「好き」とか「嫌い」とかそういう感情を得るには、そこに至る経験が必要で、
それは現代の人工知能には欠けていると思います。
私は、人工知能研究は実利的であることを目指して研究は進み、
感情的な機能の開発は後回しになると予想します。 むしろ好き嫌いという感情の方が
脳により自動的に作り出されたものでは >>893
その考え方、もしかして正しいと思ってる? 富士山の高さですら毎回富士山の高さを測っているのか、富士山=3776mと出すだけなのかが興味あります。 基本的に主観主義者、唯心論者は、存在している主観的感覚、存在しているという心が、自身の脳と体がなければ存在しえない根源的実在の主観がが頭の中からすっぽり抜け落ちてる自覚がない思考しかできなのが致命的 >>900
自身の脳や身体がなければ思考できないというのが既に客観的な考え方だからね
主観的に考えてそこまで到達できないこともあるかもね
自分はここ数日、主観的な考え方の話を聞いてガッカリした
主観的とは真実に到達しようとするのではなくて、自分の考えたいよう考えるというだけなんだな >>896
どこまで考えているのやら。:)
>>897
脳はそうかもしれませんが、機械は好き嫌いは無さそうで。
>>900
私は脳科学を全く信じていないということはないです。
しかし、自由意志や魂について、脳科学の限界はあるのではないかと思っています。 >>901
主観主義にとって、自己中心的であることは壁かもしれませんね。:) >>899
多分、データを参照しているだけで、測らないと思います。:) >>901
> >>900
> 自身の脳や身体がなければ思考できないというのが既に客観的な考え方だからね
客観的に考えると自身の脳や身体を主観できなくなるのかk、主観主義者は馬鹿だな >>895
ふと思ったのだけど、
地道な作業だけど時間をかけて経験を積ませることは一見不可能では無い様に思える。
けど、先天的な好みの感情はどうなんだろう?
例えば男が好きか、女が好きか。
初期パラメータにこのAIは男性であるとか、性別無し、両性具有、LGBTと
書き加えておく必要があり、使う方もその設定を知った上で使う必要があるのか…
アレクサは名前も、声も女性だわな…だが、ノーマルとは限らない。
レズビアンかも知れない。しかし、それは初期パラメータでしかない。 >>906
好みを意識するようにプログラムしときゃいいだろくだらねぇ >>906
先天的なものは何かというのは難しい問題ですね。
>>907
いえ、906さんの言うように学習させるのが現代の流れだと思います。 >>908
学習するようプログラムしときゃいいだろくだららねぇ >>898
うーんそうですね…
人間のような認識と判断は現在の科学技術でも再現できるのかな、と思っています
判断の仕方にはいろいろ種類があるでしょう
YES-NOは基本ですが、
YESではない-NOではない、という集合論的な判断もできると思います
YESとは言い切れないが、NOではない、といった部分を結構わたしは考慮に入れています
自分という存在を考えるとき、
自分という存在は否定できない、としても良いと思います
否定出来たら死んだ方がいいからです
だとすると、自己とは否定できないもの、つまりNOではない、とする集合体でしょうか
そういったもの諸々が行き着いた先が>>886かな、と思います
主観的な意見がすべて正しいとは思いません
つまりわたしの(主観的な)意見がすべて正しいなどとは決して思っていないということです
それでも、このような主観的な考えは、
(5chみたいな)客観的世界に提示しないと客観的には修正されませんので、
このように思い切って投稿しています >>903
自己は中心であり全体である。そういう視座を持ちたい。 >>912
主観主義について、つらつら考えるに、
これを本当に貫こうと思ったら
世俗を捨てなくてはならない気がします。 時計さんのお母さんは、
時計さんが存在するからこそ
存在できるのです。
時計さんが学校に行っている間、
時計さんのお母さんは
やっぱり存在していなかったのでした。
だけどこういうことは
あまり他人には言わない方がいいですね。
一人で頷くための探求です。 >>912
社会人だと難しいと思う
学生なのかな?
赤ちゃんの頃
まさに自分中心で泣いては親を動かしていた
でも弟や妹ができて、やがて自分が世界の中心じゃないことを知るようになる
段々と大人になって自分の立場を客観視出来るようになる
主観主義とは、それの逆行じゃないのかな? >>915
上から目線ですいませんが
「他人の自我は存在しない」
この言葉の意味がわかったとき
視界がパーっと広がります。
ただ、そこから先へ行く価値を感じるか否かでわかれます。
そこから先にためらいを持つ私は自分が俗物であることを自覚します。 >>914
だとすると、なぜ時計さんの周りの人たちは
時計さんはその母親から生まれるのを見たと当然のように言うのでしょうか?
そして全ての人間は皆その母親から生まれているという科学的事実もありますね。
そういう謎を解くには、やはりその母親はじめ、世界や多くの先祖たちが
時計さんに先立って存在していると考える必要があるということでしょうね。 >>917
そんな話どこかで聞いたと思ったら...
創価学会に勧誘された時に
信者の人がそんなこと言ってた 主観は外部(exterior)を持たない。
あたりまえといえば当たり前だ。
内部(interior)は、持っていてもよい。なければ何も語れないだろう。
外部を持たないため、外部作用素によって位相を与えるようなことはできない。
境界(boundary)をどのように考えるか。それが問題だ。
とりあえず、三途の川として扱うw
境界の境界としての三途の川は「空」ではない。
その向こう側には客観世界(彼岸)がある。
外部はないのだから、客観世界は主観世界の内部にある。
主観世界の中での客観世界は輪廻転生(並進対称性)しながら変化する。
この客観世界は彼岸ではなく、此岸側での霊的なものであるw
霊的というと、おかしくなるので、量子論的、としておこう。
主観世界そのものが境界の境界なのだろう。
空ではない境界の境界が「意識」である。
位相空間論的に「意識」を語るのであれば、「空ではない境界の境界」あたりでよいだろうw 純粋に主観だけの世界観で生きるのは難しい
なんだかんだ言っても客観視の影響を受けて、あるいは客観に汚染された世界観になるしかない
主観を中心にするにしても客観的世界観との妥協の産物になるしかない >>918
「時計さんの周りの人たち」とは何なのか、
「母親から生まれるのを見たと当然のように言う」というのは
どのようなことなのか、
突き詰めていくとそれらは時計さんのお母さんが存在することの
絶対的な根拠にはなり得ません。
>そういう謎を解くには、やはりその母親はじめ、世界や多くの先祖たちが
>時計さんに先立って存在していると考える必要があるということでしょうね
選択肢は他にもあるということだと考えます。 >>922
絶対的根拠というのはなんに対してもあり得ないでしょ
だから、無いものを求めても仕方ない
また、絶対的根拠がないからと言って否定は出来ない
そう考えるのが確からしい、蓋然性が高い根拠があるとするなら、それで満足するしかない
いろいろな根拠を集めてどれが一番確からしいが検討するのがよい
時計さんが母親から生まれた根拠と、母親から生まれていない根拠を並べて比較するのです
ちなみに、時計さんは自分で私は母親から生まれたと言ってたよ >>923
確かに客観的というのを想像しているに過ぎない 主観のみが正しいならいきなり地震起きて潰されても文句言うなよ >>924
>ちなみに、時計さんは自分で私は母親から生まれたと言ってたよ
そこで私が主観主義の立場ではそれは違うのではないかと
指摘しているわけです。
ちなみに私は本来は
証明できないけど地球外生命体が存在するように
証明できないけど他人にも自我は存在すると言っていたし
じつは今でもそれを信じています。
そしてじつは絶対に時計さんは認めないでしょうけど、
彼は私たちにも心があることを密かに信じています
(どうやら迷いがあるようです)。
ひどい話になってきました。 >>927
主観主義と言ってもいろいろある
純粋に近い主観主義からある程度客観を取り入れた主観主義もある
その客観の混合具合は完全に個人の塩梅です
どれが正しいとか正しくないとかではなく
時計さんのはかなり客観を取り入れた主観主義ですね しかし主観主義が論理的な整合性を持ち得るということを
頭の片隅においておくことは悪くないと思います。
『ラピュタ』で言ったら「バルス」みたいなかんじで。
ますますひどいはなしです。 >>929
主観主義だと論理的整合性を保つのは難しいと私は思います >>930
じつは>>928の表現はわかりにくかったと反省してますが、
そこでのポイントは私たちの世界観が所詮仮説の域を出ない以前に
たいていは薄っぺらいものに過ぎないということです。
どのような世界観であっても「ある立場」から限定された答えでしかなく、
そして「ある立場」に本質的な根拠が与えられることはあり得ません。
このことはひょとすると百年前に終っているはなしです。
神は死んだし、形而上学は終わった。
私はそのように理解しています。 精神のしくみを生み出すエネルギーはいったいどういうものか、というイメージについては、
>>394や>>536の「意識のビッグバン」みたいなものを想定しています
それは自意識ではない部分、
つまり>>525の
> 視覚体験・聴覚体験・触覚体験・臭覚体験・味覚体験・冷熱体験
・痛み・他の身体感覚・心的象像・意識的思考・感情・自分という感覚
上記の内の、「心的象像」・「意識的思考」・「自分という感覚」以外の、
精神のしくみ(クオリアを発生させるもの)に関するエネルギーです
とくに人工意識さんの>>394は、
どういった経緯であのような記述に至ったかはわたしにはわかりませんが、
最終的な着地点はあのようなものだろう、というイメージです
精神のしくみが発動する、という機会は、
機械でいえば最初の電源をつけるだけのようなものです
それだけで、人間が死ぬまで機能し続けるエネルギーなので、
車における燃料とは違う種類の動力源なのだろう、という気がします 私は主観主義に論理的整合性を確認したわけではありませんが、
二乗して負の数になることがあり得るのであれば
主観主義にもなんかあり得るのだろうという、じつはあてずっぽうです。
そもそも論理自体に本質的な意味もありませんし。 >>933
それを考えることによって気持ち良くなったり、楽しくなる考え方があるなら、それを採用するのは悪くないと思いますよ
それはもうどう考えようと個人の勝手です
もちろん、周囲に迷惑をかけない範囲での話です
例えば、主観主義で他人は存在しないのだから殺しても構わないのだなんていうのはダメです >>931
>形而上学は終わった
それでも私は個人的に本当のことを知りたいという気持ちを持ち続けています。
自分語りで恐縮ですが、
一方には「意識のハードプロブレム」「量子の謎」
「素粒子とクオリアのギャップ」「生命のメカニズム」「潜在意識の謎」
よくわからないことがたくさんあって、
しかもわたしとしてはすべてつながっている気がします。
鍵になるのはおそらく「アルケー」です。
つまりある意味では形而上学は
終わっていないのではないかなとも思うわけです。 >>934
そこなんですよ
私には主観主義で気持ちよくなれる気がしません
(時計さんには内緒です) >>893は、
要は>>1の定義に当てはまると思います
つまり>>1の定義は、
創世記の神とされる人間(それが人間であるならば)にしか適合されない、とわたしは思います
自意識を持つ人間がまだ、この世でたった独りしかいなかった場合のみ、
>>1のような定義が現実に適応されるのだ、とわたしは考えます
わたしは>>893で、人類初の自意識をもった人間が、
自分のことを「神」であると錯覚した、などといっているわけではありません
そう思われたら誤解ですので、改めて意思表示しておきます
(わたし以外の人がどう解釈するかについては各々の自由です)
わたしにとって、人類初の自意識を持った人間が「神」であっても全く構わないとすら思います
わたしが思うに、最初に生まれた「自意識」というものは、
「神」という概念とほとんど変わらない影響力があっただろうと思われるからです 私は客観を蓋然性の海と表現したいと思います。
そこでは主観はビーチです。そこは寛げる場所で、安寧の地です。
人はビーチ=主観が無ければ生きていけません。
主観主義においては自己中心という概念を再構築する必要性はあると思います。
我儘をあるがままに再構築するように。
例えば、中心は主観という大きな、あるいは無限に大きな円の中心だと。 >>937
昨日の予告編をすっとばしてすいませんが、
私がそこでポイントになるのは「2匹目のサル」だと思います。
何故2匹目のサルが意識を獲得できたのか、
そこ子は一匹目からどのような影響を受けたのでしょう。 >>938
ちなみに私の認識では
ワガママをアルガママに再構築して見せたのが
麻原彰晃です。
私は彼は本当に解脱してしまったのだろうと。
どう思います? >>940
私は麻原のことは詳しくはありませんが、解脱は虚言だと考えています。 >>939
その影響を受けた様子については原典を参照してください
カインとアベルについては、>>895における
好き、嫌いの始まりともいえるかもしれません
自分を肯定するために、他人を否定する…
自意識を持ってしまったが故の感情といいますか
もちろん自意識を持たないであろう動物でも同種同士の殺し合いはあったでしょうが、
それは生存競争の範疇でのことだろうと思います >>941
彼はチベットのホテルの一室で瞑想中に宗教経験をしたと語っていましたが、
作り話としてはできすぎている気がしましたので
それは本当だったのだと私は思います。
仏教にもまた両刃の剣としての要素があります。
煩悩オッケーもあり得るわけですから。
そこであえて漠然とした質問なんですが
どう思います? >>939
人類初の自意識を獲得した人は、
その自意識によって人間は自由意志を獲得したということに自覚的ではなかったように思います
むしろ自分以外の、自分よりも後に自意識を獲得した人について、
精神と理性の乖離が起こることに強い危惧を感じていたようです
精神と自分の行動とを、必死でつなぎとめようとしていたように思います >>944の修正
精神と自分の行動とを、必死でつなぎとめようとしていたように思います
↓
(自分(神)以外の)自意識を持った人間の、
精神と理性とを、必死でつなぎとめようとしていたように思います 私は麻原にあるのは邪心だと思います。
悪魔にでも魅せられたのではないかなと。
オウムも邪教だと考えています。
倫理というものは極めて深い所にあると思います。 >>944
目から鱗です。
ところで257さんにはあまり関心のない部分かもしれませんが、
私が関心を持つのは最初の自己意識に「強い危惧」を持たせたシステムです。
犯人ていうか、何かお心当たりがありましたら、
いかがですか? >>946
私も邪心だと思います。
しかし邪心がある者でも悟りを得ることはありうると思います。
(ちなみに彼の悟りを象徴する言葉は「無常」でした)
ちなみにお釈迦様なら彼らにも慈悲を与えたと思います。
反オウムの弁護士も「罪を憎んで人を憎まず」と言っていました。 >>949
うーむ、そこは見解の相違ですね。
悟りを開いたという誤解は邪心そのものですから。
私も仏は彼らにも慈悲を与えると思います。 >>947
人類初の自意識を持たせたきっかけとして考えられるのは、
>>483で読み取るとすれば、自然災害でしょうか
自意識がない頃の人間は人間で、群れをなして暮らしていたでしょうから、
死を回避しようという行動がもしかしたら自意識を生み出したのかもしれませんし、
他の人間を助けたい、という気持ちがそれを生んだのかもしれません
最初の人よりあとの人に、
精神と理性が乖離しないよう危惧した理由としては、
理性による行動は人間の行動原理に反するから、とよくわかっていたからだと推測します
どういったことなのか、とても一言では言い表せられませんが、
おそらく「神」とされる人は、
精神のしくみが他の誰よりもよくわかるような意識体験をしたのだろう、と思われます
純度の高い、スピリチュアルの原点的な体験なのでしょう >>950
食い違っているのは「悟り」という言葉の意味なんでしょうけど
ところで何の話でしたっけ? >>939
> 何故2匹目のサルが意識を獲得できたのか、
言語ですかねえ…
無意識でも言語が生まれるものか、ちょっとわかりかねますが、
まず言葉ありきといいますから、その影響はあるとおもいます
最初の自意識を持った人が、すべての言語を発明したとはなかなか考えづらいですが、
モノに意味を与え得る最初の人間だったでしょうから、
もしかしたら言語を生み出せる人間だったかもしれません
ただ、もともと無意識で生み出された言語があった可能性もあります
わたしの想像力ではその程度しかわかりません >>953
オウムが邪教だったかどうかはともかくなんですが
先日youtubeでオウムが出演していた朝まで生テレビを見る機会がありまして、
その中で大変印象に残ったのが大島渚氏の発言です。
その番組はもちろん事件の犯人がオウムと確定する前のものですが
出演しているオウム側の青年に対し、
ちなみにこの人たちはその時点では大変優秀で誠実な印象を持つわけですけど、
「最初の志は素晴らしいものであっても
最後は連合赤軍のようになることもあるから気を付けなさい」
というものでした。卓見です。
多分いろいろな要素が絡み合ってしまったのだろうと思います。 >>955
私はオウムは邪教であり信者は愚かだと思います。
空中浮遊をするとかそういうことを言っていたように思います。 >>956
じつは私は空中浮揚の可能性はあると考えています。
あれは多分静電気ではないかと思います。
体を擦って静電気を少しずつため込むのです。
ポイントはそれを信じてやりきる根性です。
火渡りとか水中ナントカとか、そういったものには得てして
科学的なからくりがあって、あとは根性のようです。
ピラミッドとかマチュピチュとかも最後は根性だと思います。
なお、私はオウムの一連を養護しているわけではありませんので
そのあたりはお願いします。
是々非々という視点はキープしたいというはなしです。 >>957
了解しました。私も不必要に彼らを責め立てたくはありません。
まあ、私は空中浮遊は無いとは思いますが。:) 私はオウム事件の教訓は
すべての人間に加害者になり得る可能性がある
ということだと考えています。
ウイグルを見て見ぬふりをすることさえ
加害者への加担かもしれません >>959
そうかもしれません。倫理というものはどれだけ大切かということだと思います。
異国の悪事は無視するというのも倫理ですよね。できることがあればいいのですが。 >>951
まず「危惧した理由」についてですが、
栗本慎一郎の影響を受けた私としては
どちらかというと潜在意識の方に何かある気がしています。
たとえば、多分多くの生物は子孫を残そうと考えて生殖行動をするのではなく、
衝動に駆られてわけもわからずやっているのだろうと思います。
本能的に行動すると、結果的に子孫繁栄につながる、
このプロセスは何らかのシステムによる必然のように考えます。
あるいは偶然それができたものが生き残ったということではない気がします。
それではそこにどのようなメカニズムがあるのか、
ようするに潜在意識的なものが関わっているのだろうとは思いますが、
なかなかリアリティを持てないというのが目下の私の状況です。
何かご参考になりましたら幸いです。 じつは昨夜考えたのは意識の発生が
人類以前にさかのぼり得るのではないかとういうはなしです。
ただしこの場合の「意識」とは、
何かを意識する能力、あるいは自覚する能力のことで、
ヒトの意識はそのバリエーションのひとつという
でこすけさんお得意の与太話です。
意識というと言葉と密接な関係がありそうですが、
私が思うには、言葉と感情とは同じ構造を持ったものです。
言葉というのはもちろん声に意味を与えたものですが、
感情というのは顔がポっとしたり胸がキュンとしたりするような
身体感覚に意味を与えたもののような気がします。
意識の中では実際に発音されていない声が聞こえるようにして
実際には寒いわけではないのに背筋がゾッとしたりします。
つまり動物たちが感情を持っているとすれば
それは意識的なものの萌芽ではなかろうかという空想です。
意識の萌芽はご指摘のとおり、
私ではないものの残った部分に意味を与えることと考えておくのが
階層論の流れからも妥当のような気がします。
それにしても一匹目はある日突然気づける気がするのですが、
二匹目についてがよくわかりません。
いずれにしても偶然ということはないはずです。 >>961
それが精神のしくみだとわたしは考えます
無意識でも行動できるシステムです
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1540727475/415-426
↑このあたりを参照してください
> 決定論と自由意志
> この2つの違いは何か?
> 決定論によるものと、自由意志によるものと、
> 最終的な到達点は同じ答えになる可能性は大いにあります
> しかし、意思決定までの時間的猶予、これが人間が理性的でいられる時間である、ということ、
> 宗教によって人間が理性的でいられる時間を稼ぎ、
> その間に、科学が発達し、科学的根拠によりさらに人間が理性的でいられる時間が長くなった、ということならば、
> 本能に従って反射的に生きている動物と、人間とでは大きな違いがあるといえます
> 言い方を変えれば、本能によってのみ生きている人間と、現在の人間とでは、
> その理性的でいられる時間が大きく違う、ということになります
> 決定論と自由意志の違いは時間的、時限的なものといえるでしょう
> その差異を認識しなければいけません
> 理性的でいられるのが当たり前、つまり無意識になる、ということは、
> それだけ人間の精神構造の束縛から遠ざかっている、といえるでしょう >>963
いろいろなことを考えてしまいます。
只今意識のハードプロブレムが吹っ飛んでおります。 静電気で体が浮くほどエネルギー密度があるなら、その電子密度で
人の体は焼かれ黒墨だろ思考が短絡すぎる。 オウムが邪教とかそれは見る立場、みる側での話だ、
教祖が偉大すぎで、その配下の思考が短絡していれば、
>アベ「やれ」→配下勝手な思い込みで何でもやる
この原理は893などの組長が否定しない→「やれ」という伝達と大差ない。
ってことになるぐらいわかれよ。
すくなくとも上祐が流す動画の宗教的やオカルト的な緻密さ因果の説明
本質の説明など他の宗教の信者とは桁違い。
教祖が上を支配するそれで無能だってことだ。 >「神」という概念とほとんど変わらない影響力があっただろうと思われるからです
神は人知ではないそれらだ、影響力とは自ら生まれる
畏怖やら敬意からくる感謝の念でしかない。
似非信仰者がもつ概念からくる影響力と、信者が下す影響力の差ぐらい
前提におけよ。
人の力であるものすら神の知のように言うやつもいるが、自己愛の精神疾患
でないことを1mmも否定できない。 >悟りを開いたという誤解は邪心そのものですから。
誤解ではない、自認知だ、他者からの錯覚扱いであっても自認知に誤解などない。
そして本人にとって邪心ではなく真実だ、邪心いうのは他者からの評価であり
私が貴方を邪心定義すれば貴方は邪心である確定だと言っているにすぎない。 >>924
絶対的根拠がどうやって説明されるかをまず自分で何も考えない浅い知恵と自覚したら?
例えば学問の数学の話になるが、
数学的証明の絶対的根拠は、どんな方法や未来に進んでそれを覆すことは不可能という
話で数学的証明の絶対性は揺るがない。
それすら知らないんだろう。
数学が絶対性をもてるのはその抽象性からであり、数学が扱うのは常に幻想の方程式
つまり自己完結し矛盾のない幻想を否定することはでいないんだよ。
それを否定するのはオカルトやら似非非論理&似非科学の無能者だけ。 >>907
そのとおり、見かけの全ての話はプログラムできる、
できないのは自らのプログラムを正しく機能させながら、そのプログラムに逆らうこと。
作成者の意図ではなく、プログラムの動作だという点だな。
閉じた世界での論理など収束論にすぎず、かならず世界が意図した原理にしたがった
解が生じる、それを決定論という。
閉じていない世界、世界に限りや時間の限界がなく、
世界の法則がどんどん変わゆく無限的異世界ならば、
その関係性から生じる決定性が世界の外と内を分け隔てる、
世界の外から世界の法則に従わない何かが起因するかぎり、
世界の原理、法則では説明がつかない外側の影響により決定論的法則は崩壊する。
決定論も論故に論から抜け出せず論とは存在認知からくるゆえに存在が不明は
無に評価するしかないからこそ決定論は非決定論を認めない。 >主体の意識の外側は無だと考えます。
典型的な思考短絡である、
理解できないことは無である、これは我が思うが故に我ありと何の違いもない。
客観的に見るととか言い出す奴も多いが、不明とすら存在を認知できないものを
理解できないなら、外側を理解できない、故にない。
自分の狭い範囲意外は記憶にないから、そんなものは無い、これこそ
思考短絡の病気と何の違いも無い。
想像力や創造力は人や知能の高い生物がもつ高次の認知力だが、
短絡思考では低級な動物と大差ないってことだ。
理解できない、理解が困難、とりあへず無にしておこう、
これはゆとり世代が教えられた教育そのものだ。 >>889考える名無しさん2020/06/12(金) 00:41:14.080
>客観的対象物と主体の五官が実在し相互が関わらなければ主観の感覚は最終的に生起しない
貴方は五感までしか扱えていない、
人は錯覚して幻想をし妄想ができる能力があるが、非論理と切り捨てて
論理ではないものは全て嘘だという考えにのろわれている。 >>813
>妄想である以上は無意味ですね
間抜けだろ、妄想が人の文明を生み出した、無意味なわけがない。
創作活動こそ人類の英知であって、それらを否定しているのは機械的な
連想記憶でしかない、意味と無意味で割り切るのは、理解できるか理解できないかの
無能さを説明するものだ。
理解できないものを切り捨て無と判断するとき、教えられた答えのある解のみが
答えであり、それ以外を解とできなくなる。
ピーマンの黒鉛筆で書いた絵をみて、パプリカと答えると間違いだという思考だ。
無意味とか言う自己の無能さを呪え。 >>760
盲目の人の話しで有名な「ヘレンケラー」が、水に初めて名前があることを
理解したときの話でも読んできたほうがいいぞ。 >>709
>あなたもややこしいですが、何人いるのかもよく解りません。:)
わからない物に反応している貴方は、もっとわからない行動だと自覚したほうがいい。 >>616
その場合は認識は適当ではなく錯覚だ、
錯覚も認識の1つだが、それまで認知できない非実像を認知するのに
客観線とか主観性とか詭弁たれているだけ。 >>611
関係論でしか理解せず、過程や仕組みでの認知は嘘という人には
感情音なので結論などない。 >>583
>他人があなたと会話できるのは脳があるからという話でした
その人は脳があるからという説明をした、それは脳との関係(縁)であり、
暗記で連想する対応にすぎない、決して因果(前後やら時間やらの過程や仕組み)で
説明しているわけではない。
つまり教科書などで暗記した具体例を、反射的に述べているだけだ。 >>968
それは一般論で、あのような事件を起こさなければ邪心とは言いません。
>>971
たとえ神を想像したとしても、その意識の外側は無であると考えます。:)
>>974
子供の頃に読みました。:)
>>975
それはありません。 >>934
存在しないなら殺す必要はないんだから逆も危惧しないとだめ 次スレッド立てました。
意識のハードプロブレムの答え4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1592006999/
順序を混乱させないため、このスレッドから使って下さい。
よろしくお願いします。 >>962
それら人間がもつ繊細なクオリアは動物はないんじゃないか
野生動物のほうが、純粋に化学反応(アドレナリンなどのホルモン物質ね)
の量が数値的にプラスorマイナス、人間が本能と理解している
闘争か逃走かという感覚的な原動力すらなしに、
自然力学的に反射を生じさせて結果論的に動かされている。
それでこそ、動く物=動物だからね。
動物も経験値を積むから、それなりにリアリティのクオリアは獲得するだろうけど
人間ほどじゃないというだけ。 主観主義者はそういう意味では意識がかなり単純なんだろう
主観で収束して次々に観点が変わるだけの世界
唯心論者なら客観的に他者の心理を意識するだけ幾分ましってところか 「主観で収束して次々に観点が変わる世界 」とは何でしょうか? >>985は>>984です。
追記すると、主観主義においても他者の心のモデルは存在します。 >>986
他者の心のモデルは、主体の経験から喩えるなら彫刻のように作られたモデルです。 還元主義的に捉えた主観意識しか存在しないのが主観主義者の立場でしょう >>965
恐縮です
すいませんが私も一応それほど真剣に考えているわけではありません。
私があそこであえて時計さんにつまらない反論をしてみたのは
もう少し別の意図があったためです。
その意図についてはご本人にお考えいただきたいためここには書きません。
ただ、空中浮揚については言い出したのがオウムではないようですし、
静電気ではないにしても可能性がまったく無いわけではない気がしています。
>>982
私が>>962で言いたかったことはたぶん
「何かを意識する能力」というのは
ヒトが生物史の中で初めて獲得したのではなく
それ以前から少しずつ発達させてきたのではないか、
ということだったと思います。
確かにヒトだけはその能力を爆発的に発達させたかもしれませんね。
やはり言葉と関わりがあるのだろうと考えます。
意識のハードプロブレム的には
どこまでさかのぼれるのかが問題になるはずです。
それにしても>>962は案の定たいしたことなかった気がしてます。 二匹目の「意識を獲得したサル」について
とりあえず私としてはヒントになりそうな材料として
ふたつあげることができます。
もうじきこのスレッドも終わることですし、
我ながらアホな話ですがいきおいで投下させていただきます。
ひとつ目はヒトの文化の獲得に類似性があるのではなかろうかという
例によって当てずぽうな予測です。
私がサルを引き合いに出したのは
直立二足歩行の起源を考えていたからです。
これも二匹目のサルが問題になると思います。
一匹目が直立二足歩行のメリットを発見しても
二匹目にそれを理解できなければ意味がありません。
もちろんサルには難しいことは理解できないでしょうから
きっと簡単な何かがきっかけです。
そこで私は快感が契機になったのではないかと考えます。
快感は脳幹と呼ばれる脊椎動物には必ず備わっている部位で感じるらしいので
サルでも歩く快感は感じたのではないかと察します。
えてして技術を習得しそれを駆使するのは気持ちのいいものです。
もちろん一匹目が何故立ち上がったのかはある意味偶然でしょうし
とにかく記録がない以上、永久のナゾです。
このことは二匹目が意識をもった理由にも
つながる気がするのですが、
いまいちピンときません。
しかし一応ヒントにはなる気がしているところです。 もう一つのヒントとしてとりあえず思いついたのがじつはピラミッドです。
エジプトのピラミッドとマヤのピラミッドが似ているのは何故なのか、
大西洋上にアトランティスがあったということではない気がします。
たしかナショナルジオグラフィックだったと思いますが、
その番組でもこの問題を取り上げていて、
さっさと結論を言ってしまえばようするに偶然とのことです。
四角錐を石で積み上げていけばあの角度が物理学的な限界であり
たまたま動機が同じだったから結果も同じになったというのが結論でした。
しかしそうは言っても完全に隔絶された環境で似たようなことを考えたとなると
何か意味有りげな気がするものです。
しかも長い人類史の中でほぼ同時期となれば
何らかの因果関係を想定したくなるのは人情というものではないでしょうか。
もちろんふたつの文明が直接関わったということではなくて、
同じような意識がはぐぐまれたそのメカニズムのことです。
じつはピラミッドのはなしは進化論にもつながる気がします。
進化は個体ごとで起こっているのではなく、種を単位にして起こっています。
これに関しては絶対に偶然のわけはありません。
何らかの未知のメカニズムがあることを想定してもいい気がするのですが
いかがでしょうか。 主観世界/客観世界、その両方に意識を設定していたが、どうもおかしい。
主観世界にも客観世界にも外部はなく、内部しかない。
(なぜなのかは、マルガブや集合論や位相空間論や場の量子論を参考にw)
客観世界は存在するかもしれないが、主観世界そのものは存在しない。
主観側からみているので主観側の意識を考えていたが、
どうやら意識があるのは、主観世界と客観世界の境界内部である。
やっと、主観世界と客観世界を貼り合わせたところにあるタイヒミュラー空間がみえてきた。
そこには三途の川が流れているので扱い方が難しい。
サンズの川とは、巨乳か顔か、である。
この境界内部を、とりあえず、意識世界とするならば、そこには主観も客観も「無い」。
主観や客観という「顔」をしっかり認識することができない世界である。
「不確定性」といってもよいだろう。 とりあえず、この「意識空間」(タイヒミュラー空間としての空間)を考える。
そこでは主観と客観の間に不確定性があり、両方同時に不確定性0で観測?することはできない。
主観主義/客観主義が、どちらも成り立たない。
いわば、量子状態である。
古典的な存在論や認識論や唯物論や、もちろん実在とか実存とか、どれにも還元できない。
(それぞれの立場での解釈は可能であるが、完全ではない) 宇宙際タイヒミュラー理論もABC予想の証明も、その提唱者以外に
それを理解できる人がいなければ、何も提示されなかったのと同じ
ことになってしまうのではないでしょうか? 提唱者の意図は理解できなくても個々人の能力に見合った解釈がなされれば
哲学的には提示された意味はあったってことでいいんじゃないの やはり、タイヒミュラー空間としてしまうと、誤解されてしまう。
まあ、そのへんも意図しているわけだがね。
元祖タイヒミュラー理論でもモジュライ空間でも宇宙際のやつでもない。
想定する(存在するかどうかもわからない)主観世界と客観世界を「貼り合わせる」「つなぐ」
あるいは「変換」する空間であり、変換オペレーターの集合を想定している。
一種のAIであって、人工意識なわけ。
まあ、この人工意識がABC理論を扱うなら宇宙際タイヒミュラーと等価にならねばならないだろうし、
モジュライ空間を扱うなら、元祖のタイヒミュラー理論のように振る舞わねばならないだろう。
現在をAIを単なる分類器とみなすならば、(異なる)世界を貼り合わせるAI。
(という構想) 張り合わせるAIなんてはりぼてじゃあ起動しなさそうだけど大丈夫なのか? >>970
> できないのは自らのプログラムを正しく機能させながら、そのプログラムに逆らうこと。
> 作成者の意図ではなく、プログラムの動作だという点だな。
自意識下で発生する、精神と理性との乖離について、
プログラムで表現するならそのような表現が的確だと思います
おそらく言語による思考というのは、
本能に逆らえる(本来的なプログラムとは別の)プログラムを走らせるようなイメージです 『パンセ』ってぶ厚いじゃないですか
二度見してしまいました このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 18日 5時間 8分 56秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。