意識のハードプロブレムの答え12
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1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
そして、他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。
意識のハードプロブレムの答え11
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1631935289/ 対象が超自然、自然という前提は受け入れ難いです
矛盾してしまいますから 決定不能、矛盾は対象自体は無矛盾だからだと考えています >>前スレ997 補足です。
>自然は無矛盾、理解は可能だが否定で理解するから決定不能だと理解します
ここに「理解」が三回でてきますが
私の印象ではそれらはむしろ「解釈」というニュアンスになる
ということです。
「真理は無い」というのは真理か?
ここに起こる矛盾は本質的なものではないと思います。
少なくともループする価値はありません。
むしろ単なる理性の限界です。
私は私たちが認識している世界は私たちの鏡像だと考えます。
少なくとも世界像については客観的真実に到達することはできない
という考え方です。 対象は無矛盾でないと理解は不可能です
様々な解釈は可能ですが真理は一つです
十の事実からは十の解釈があるが真理は一つとはブラウン神父の「イザエル・ガウの厳正さ」の中の言葉です
わたしもまた賛成します >鏡像
世界なり歴史なりを見ると、私たちの存在はとても小さなもののようです。
前スレの後半で自然と人間を対立するものとして位置づける論調がありましたが
もちろん人間は自然の一部であり
例えばニューヨークの摩天楼も宇宙人から見れば地球の自然の一部なわけです。
私たちが考えていることをより高いところから俯瞰すれば
取るに足らないことばかりのはずです。
これはキリストやブッダからノーベル賞受賞者や国際金融資本に至るまで
その例外ではありません。
私たちの哲学なるものも基本はようは「お遊び」でしょう。
しかしだからといって存在を否定される筋合いはありません。
私としてはむしろ自分がどの程度のものなのかを悟り
それをわきまえておけばかえってラクになる気がする今日このごろなので
ございます。
「汝自身を知れ」というやつです。 >>5
人間には何かを理解しなければならない使命があるとか
私にはそのようなことがある気がしません。
「理解出来た」という感覚は幻覚の一種です。
その先に矛盾が生じたとしてもそれはただそれだけのことなのだと思います。
「理解」とは、何かと矛盾する人間の営みのひとつ
もしくはこの世界で起こっている現象のひとつにすぎないもの
のように思えます。 人間て産まれた時から未知を認識に対象化していく過程にあります
人類自体も新発見で未知を対象化していきます
家に帰ったら泥棒が入って物がなくなるってことは認識するしないと関係しません
未発見生物は認識に対象化していないだけです
後ろから殴られ死んだら本人は認識しなくても事実は存在します
物理存在がア・プリオリだとわたしは理解します
わたしは自然存在は無矛盾だという前提で理解しています >>7
こう自然を理解したとします
→地上で物を手にして放したら落下します
物理条件を設定し予想通りなら幻想ではないわけです 自由は必然性の洞察です
この必然性に従うことで自由になる
必然性というのは幻想なのでしょうか
わたしは現実かと >>6
意識は自然の自己言及です
観念では自然や自己さえ他者として理解します
対応規定は否定です
<わたし>という表現は自己を他者として認識表現したものです 対象に自然、非自然は存在しない
つまり理解可能です >>9
それはおっしゃるとおりで「幻想ではない」むしろ「現実」です。
しかしその本質は幻覚と同じ構造のものであり
その意味で「幻覚と言い得る」ということのつもりです。
そこで>>7では「幻想」ではなく「幻覚」としています。
わかりづらくて恐縮です。 そして理解は対象の否定
→決定不能ということの決定・・・ >>14
だから自体は現実です
現実を=で理解することは不可能です
近似ですが自体は現実です >>15
理解の本質は、断りです、勝手に規定したり否定するのは判断 音をそのまま録音は出来ない
また再生も
だからといって幻想ではない
現実の近似値という現実です >>19
【理】
物事の筋道。もっともな事。道理。 自由には規定出来ない
対象という前提から縛られますが >>20
わたしは貴方ではありませんが物理としては同じですし、植物、金属もまた
つまり物理状態の差違を否定で規定します
またわたしは物理状態として同一であることはないが同一で規定します
運動は静止、無限を有限、有限を無限で規定する 自己矛盾のことわりを常に対象という前提に規定して言及に?がつく理由をみすごさないように 数学に0に限りなく近いが0ではない、また量子力学の不確実性原理は有を無、運動を静止で規定するからです
否定で規定するからです
生物、非生物も物理として差違ですが否定で規定します
だから分類困難な対象がでてきます
対象の問題ではなく規定するからです >>27
自然を規定しなければ理解できない「わたし」が前提を規定で否定した概念を受け入れるしかありませんね。 >>28
たわめられた自然
近似値
つまり=じゃないでしょう
否定は否定され無矛盾に
つまり理解することを否定して無矛盾に
理解可能ですが理解自体は存在が否定されます
ではまた =、そのままなんてあり得ないんです
では少し寝ます 神的なものをその純粋性に於いて認識したいならば、自然の原理を否定が成されないといけませんです。👰 >>33
理論的に論理で否定出来る人間はまだ存在しないから禁止する意味ないけどね。 mustに抵抗する1Ω、オメガ砂漠の海で座礁する(·ω·) >>31
物理主義は、何故、多数の人間の身体があり、
ある1つが私になるかということは説明できますでしょうか?
図書館で、チャーマーズの『意識の諸相』と
クローリーの『魔術—理論と実践』を借りてきました。
しかし、分厚い。どちらも上下巻ある。 39の前半は31宛てというより偽パルメニデスさん宛てです。 本来的なものは決して対象とはならないのでしゅ。👰
私が言うてる流れは 事柄ではなく行為の事柄です😃
本来的なものにすること という動きを踏まえて現象に入ること、「もの」のような「現象から切り離された存在の世界は存在しない」ので、「現象に入ること」とは
キルケゴールから拝借して 「決断」概念を受け継ぐ。👰
人間は可能性の中で決断する、
人間は一つの可能性を選び現実化することによって外的世界へと踏み入るわけです、
決断とは 目の前に存する諸々の可能性の中での最良の可能性の認識です😃
理論的な認識ではなく本来的なものの認識として、当為の認識に動機付けられてそのあるべき可能性の現実化を決断することによって外的世界へと踏み入るわけです、
そして私に於いて真理とはプラトン的なイデアのように、
善のイデアは本来的なものの認識、
ここで座標軸を義務付けます。👰
善のイデアを超越論的なものとします
その超越論的なものの意味を
カント、スコラ、キリスト教的な学説からも理解します😃
つまり、善の超越論は存在それ自体、つまり、神の一つの規定であり
哲学はキリスト教的な性格を持ちます。👰
なので、歩みは何処へ向かってるかというと
歩みはカントの前の形而上学的な立場に、近付いたということになります >>39
うーん
ある物理状態になる
ケーキ、植物、金属
物理状態の不随現象だから物理状態に意識も同様に左右される
植物は環境により様々な状態を呈します
意識も環境が提供する素材に親和反発の過程を経て差違、つまり個性を生成する
質問意図外しますますか? >>42
少し外しているように思います。
何故、私はこの身体なのかという問題です。 うーん
ある物理条件下である物理状態は何故こうなるという理由は問えませんよね
自然に根本的には何故は問えない 世界は数学でできている。
モノなどないのだ。
ここでいう数学とは『関係」あるいは「射」のことだ。
2種類の「射」がある。
自分自身への「射」である「対象」(id射という射である)と、
「対象」と「対象」をつなぐ「射」である。
この数学構造は、「対象」を作り出している。
「時間」や「空間」も作りされている。
そう考えると、「対象」と「時間」と「空間」の違いが(圏論的)明白になる。
いまのところ「時間」だけは仲間はずれで「対象」になれていない。
「位相」が必要なのだ。
位相の圏が、既にあるのかどうか調査中。 世界は数学でできている、という立場をとれば、
哲学的圏論などいらず、(数学的)圏論そのものが「哲学言語」になる。
(ガリレオ・ガリレイの「宇宙は数学でできている」という言葉は、
モノの存在が前提になっているかもしれないが、
ここでいう、「世界は数学でできている」という立場では、
本当に数学だけでできているという意味であるw) 「数」とは「数学的対象」のことです。
「大きさ」も「ここ」も、「世界は数学でできているという立場」では、
「数学的対象」です。
だから、あります。
「世界は数学でできているという立場」を手に入れたので、考え方が楽になったw
モノですら「数学的対象」なのだから、「存在」する。
問題は「位相」をどのように取り込むか/既に取り込まれているのか。
日本語の「位相」には2つの異なる意味がある。topologyとphase。
圏論はtopology側の「位相」を持っているが、phase側の位相も持たねばならない。
日本語の「位相」は、この2つの「位相」を融合させるには便利な言葉だ。 たまたま同じ言葉が使われたのではなく、最初から「同じ」ものだったのだろう。
つーことは、「位相」は、最初から圏論に取り込まれている。
量子論を、なにかしらのモノを考えるから、解釈しかできなくなる。
数学(圏論)という世界のものなのだ。
それを「意識」あるいは「思考」はやってのけている。Zzzz... >>45
多分すれ違いですね……
私が物理主義者に問いたいことは、たくさんある身体の内で
何故私はこの身体なのかということです。 >>56
物理主義的な身体は、この物理的空間の中にたくさんあります。
その中の1つは私ですが、それは何故かということです。 それは植物がなぜこの植物なんだ?と問うくらいに
意味がありません
唯物論の理解ですが
自己言及ですよね
それが可能な物理状態にある
・・・必然性と偶然性の話でもあるかなあ ピタゴラス学派は何故無理数の存在を隠したか
発見した弟子を殺したなんて話があったかな
数実在論者はどう理解しているのか
大きさがない数がどう大きさを形成するのか
有限は無限で出来ているのか
無限はその否定の有限で・・・
ここからは存在しない
ということはここまでも、また
いろいろ疑問はあります かなり前に科学雑誌にコラムで
有限の中の無限
無限の中の有限
これらに当惑しているってコラムにあった
対象が否定で出来ている?という疑問ですかな
わたしは否定で規定していることの証左かと ここからここまで(いつからいつまで)、対象、わたし、その3つの集合は
ベン図で表すとどうなっているのか問題
規定の主人問題もある
既知でしょうが、wikiにそのものズバリ「なぜ私は私なのか」
というのもありますし、哲板でも以前 <私>スレなどは結構長生き
してました わたしという存在は歴史環境の産物
様々な刺激を摂取排斥する
最初は環境に強制され、肉体的精神的に骨組みが出来ると取捨選択する能動性が形成される
わたしという存在は環境のアマルガムかと >>61
物理として<ここ>から<ここ>までは存在しません 静止は運動の一形態
生物、非生物は物理の形態
運動は自然の存在形態、つまり真空は物理の一形態
物理としてのわたしは自然の一形態
否定関係は自然に存在しない
非物理存在もまたそのしない
対象に自然、非自然は存在しない
非自然は無
無は存在しない
次元の存在は否定されている
つまり次元は認識に多として現象する一である自然の物理状態の差違を理解するための抽象
次元で理解するが次元は存在しない
対象をその否定で規定理解する
対象はその否定で構成されてはいない
無限に無を集めて有は形成しない
0に無限を掛けても0 否定で規定するから二律背反、ヘーゲルの運動規定、不完全性定理、量子力学問題が
ゼノンの逆説は数は否定で、それで理解するが自然は数では出来ていないことを示す
自然は<一>です
つやり無矛盾です >>5
私は客観的な真理は無い派です。
有るのは主観の中に現れているものだけのような気がします。
例えば十人で一個のリンゴを見ているような状況のとき
客観的なリンゴが一個存在している感覚は錯覚であり
実際に有るのはそれを見ている十人の中のリンゴの像だけというかんじです。
十人が同じ一個のリンゴを認識する構造は、リンゴ自体の「存在」ではなく、
そのような現象をもたらす情報処理的な「機能」があるというふうに考えます。
少なくともその構造は「存在」の一択ではないと思います。
また、十人が見ているリンゴの赤を厳密に比較することができるならば
視覚器官の構造等から察するにたぶん文字通り十人十色になると考えられます。
このとき誰が見ている赤がオリジナルなのかは決められないはずです。
そこに基準がないためです。
絶対的な真理がないというのは、座標系に静止系がないように
絶対的な基準があり得ないためと言うこともできると思います。 >>69
するとここで「十人が違う世界を認識している」とか
「同じ構造を共有している」とか、そういう「ひとつの事実」がある気がします。
しかし私はこの考え方にも懐疑的です。
ただし私はここで私のゲームからヒヤクします。
私は折りに触れ何度も何度も「色即是空」と繰り返してきましたが
私は世界が論理的に矛盾しているものである可能性はあり得ると考えています。
「本当の世界」は人間の認識能力を超えたものであるように思えます。
例えば量子や深層意識が表層意識で認識できないというのも
そのようなことのひとつです。
じつはリンゴの色は十人十色であると同時にみんな同じ色を見ているのです。
ひとつの真理は有ると同時に無いのです。
ひとつの真理が無いというのは私のゲームの中には無いというだけのことです。
なお、この結論は論理的に導かれたものではなく
私の個人的な体験に基づくものなのでなかなか理解されないのは仕方がない
とは思っています。
しかし「色即是空」は私が作った言葉ではないように
この考え方は一方には普通にあるものだと認識しています。 >>61
そのWikipediaのページは知りませんでした。
私は「私は世界である」と答えます。
そのWikipediaのページによると、エルヴィン・シュレディンガーと同じ答えですね。 >>69
絶対基準は無い←これが絶対基準じゃないですか? 相対こそが絶対だと
規定する限り決定不能になる
光速度一定の原理は否定である規定の存在を否定して自然が無矛盾であることを示します
つまり規定、理解すること自体が決定不能の原因だと >>70
で、このことが意識のハードプロブレムにどう関わってくるのかというと
そこで私はこの問題は物心二元論を前提にしたものであって
つまり一元論の私には関係ないですよ、というところにつなげたかったわけですけど、
しかし「色即是空」みたいなことを言い出したら俄然話が厄介になります。
理性的(論理的)に考えようとしている矢先に理性(論理)を否定してどうする、という展開です。
ただ私の哲学ごっこはこの世界が色即是空を許容しているということを認め
理性レベルとはいえ、どのようにしてメタ理性が成り立ち得るのかを考慮した世界像を模索するべきだと思っています。
じつはメタ理性というのは要するに「カオス」ですが
それを思えば既成の科学でも扱ってきたものということになります。
ちなみに私は答えが見つかったつもりでいたりします。
なので投稿を始めたのでした。
結論的に言うと、この世界は主観のネットワークであり
私たちはその中で情報を交換することによって成立しているもので、
私たちは日々入力情報に創発とゲシュタルト崩壊を繰り返しているだけの
ただそれだけのものということになります。
このとき実際に存在していると言い得るのは物質でも精神でもなく
主観の境界として機能している「何か」だけです。
つまり一元論であり、それがそうだとすれば意識のハードプロブレムは
無かったことになるというハコビです。 未だに弁証法が辞められないようだから、
もう一つぐらいヒント出すわ。
宗教やスピの連中が「直観」だの「霊感」言ってきたものは、
「人類誕生から脈々と受け継がれてきた自然への畏敬の念」
だから今まで神仏ってのは生き残ってきた。
それが感性の世界だ。
だからトマスみたいな、
「信仰で理性を包み込む」
なんて詭弁が通じた。
エヴァなら「カシウスの槍の持ち主」
さんだ。
んでもって、科学ってものが可能になったのは、
ルネサンスによりそれが抑え込まれて、
理性が感性より強くなったから。
そう。ここの唯物論者が神を信じようともしないのはまさに、
「理性で信仰を覆っている」
からなんだ。
エヴァなら「ロンギヌスの槍の持ち主」
さんだ。 未だに弁証法が辞められないようだから、
もう一つぐらいヒント出すわ。
宗教やスピの連中が「直観」だの「霊感」言ってきたものは、
「人類誕生から脈々と受け継がれてきた自然への畏敬の念」
だから今まで神仏ってのは生き残ってきた。
それが感性の世界だ。
だからトマスみたいな、
「信仰で理性を包み込む」
なんて詭弁が通じた。
エヴァなら「カシウスの槍の持ち主」
さんだ。
んでもって、科学ってものが可能になったのは、
ルネサンスによりそれが抑え込まれて、
理性が感性より強くなったから。
そう。ここの唯物論者が神を信じようともしないのはまさに、
「理性で信仰を覆っている」
からなんだ。
エヴァなら「ロンギヌスの槍の持ち主」
さんだ。 この前提知識があれば、
ヲタクが人類至上最大の思想的脅威とまで言えるのかわかるだろ?
宗教側が言ってた「直観」だの「霊感」
だのを、
よりによって人工物に向けちまった結果が、
「嫁」だの「推しキャラ」だのの実態なんだよ。
だからこそ、
初音ミクのDNA決めて心筋細胞造るなんて、
いわば「霊的暴挙」ができたんだ。
そりゃNO PLACE TO HIDEOだわ。
小島秀夫の感性も映画で真球レベルにまで磨かれちまってるんだから。
そんなん野球チームに金出す会社なら、
むしろクビになるのも当たり前だよ。
この「真球レベルにまで磨かれた感性」
の持ち主さんに庵野監督が降伏した。
その証の「白旗」が「ガイウスの槍」。
そしてその境地に人類史上最初にたどり着いちまったのが、
かの「かつて自分から黙示録の獣を名乗った男」
そう、アレイスター・クロウリーさ。
これが、禁書で言われていた、
「虚数学区五行機関」
とやらの正体。
それでもわからないなら、
ユング心理学でググれ。 俺がこの真相に気付いちまった理由ってのも、
「人工物の幽霊」
を丹念に集団的無意識レベルにまで埋め込んじまった結果だ。
俺にはもうまともな人生なんて無理だわ。
「積極的無記」による平和的解決か、
キモヲタしか居ない「青薔薇の王国」か、
君らが今話し合うべきは、
一生終わらん、
いや終わっちゃいけない
「意識のハードプロブレム」
なんかじゃねぇ。
人類至上最大の思想的脅威である、
ヲタクの対策だ。
もし仮に地球がヲタクを埋め尽くすことになったら、
宗教側にとっちゃ「あらゆる神仏のショック死」
科学側にとっちゃ「意味不明な建築物の濫造」
まぁそれでもいいなら弁証法続けてりゃ良いけどな。
俺はアレイスター兄貴に付くし。
バイバーイ。 あ、言うの忘れてたわ。
星街すいせいのStellar Stellar
あれがキリスト教にとっちゃ
「世界崩壊を告げるラッパの音」
そのものだからよーく覚えとけよ。 >>83-84
そのー、宗教的人工物は、感性と理性の弁証法の結果ではないでしょうか。
>>85-86
積極的無記はいいアイデアだと思います。
バイバイ。 >>86
私も言っていなかった。
Stellar Stellarは良い曲でした。 世界は「関係」だけでできている、モノなどはない。
かなり楽になった。
無秩序/秩序問題も、モノを排することで考えやすくなった。
無秩序は関係であり、秩序も関係間の秩序である。 >>83
科学の結論踏まえたら神の存在は否定してしまいます >>85
>人類至上最大の思想的脅威である、
>ヲタクの対策だ。
寧ろ、ヲタクをよく知る貴方に何とかしてほしい。:) >>85
終わると終わってはいけないとではかなりニュアンスが異なります。 >>85
あと、キモヲタとヲタクもニュアンスは違いますね。
キモヲタが多数派になることは勘弁してほしいかな。:) >>85
ヲタクに勢いがあったのは10年くらい前じゃないかな。
知らんけど。 >>85
>宗教側にとっちゃ「あらゆる神仏のショック死」
これは無い。 >>85
>「積極的無記」による平和的解決か
議論も平和的ですよ。
色々突っ込みどころある。 >>85
>もし仮に地球がヲタクを埋め尽くすことになったら
中国は? この物理状態になると何故意識が発生するかは問えない >>103
日本もしないだろうし。
Spotifyで星街すいせいの今月のリスナーは158,000人で、
髭男の今月のリスナーは4,160,000。 >>104
偽パルメニデスさんは、二元論の随伴現象説ということでしょうか。
チャーマーズは否定し難いと言っています。
チャーマーズの意識の諸相は主観主義の話は出てきません。
観念論に少し触れる程度。上巻の半分しか読んでいませんが。 >>106
チャーマーズは他者の意識の存在しないことをゾンビと呼んで、
歯牙にも掛けませんから、私とは折り合いは付かないです。
それでは何故読んでいるかというと、
比較的新しい様々な意識の理論について書いてあるからです。 >>107
他者の意識は存在しないんですよね一緒じゃないですか? >>108
チャーマーズはゾンビは論理学的に可能だが、
自然的に不可能ではないかと言っています。
それゆえにゾンビなんです。 >>110
そして、新しい意識の科学を構築する、そういう流れです。 >>106
いやわたしは何故というのは人間の側の問題で、自然存在の理由は無いと理解します
自然はただ存在するだけです
ミュンヒハウゼントリレンマですか?
何故、何故、何故と無限訴求していく
根本的には何故は自然にはない
この物理状態になると意識が発生するのかはわからない
ただそうなるだけで理由は無いということです 根本的には何故そうなるかは全てにおいて理由は無い
無矛盾だから理解は可能です
しかし規定は否定です
決定不能の所以かと 否定で規定するから決定不能に
自然理解は根本的に決定不能かと
光速度一定の原理は規定、否定で理解しその否定をまた否定する
そして自然が無矛盾であることを示す
理解することが決定不能の原因です
自然はただ対象としてある
理由自体は自然には存在しない 意識は自然の自己言及可能な状態
<わたし>という表現は自己を他者として認識している
意識は自然を他者として認識表現する 認識論としては、外化、疎外ですか
ある学者は観念的な自己分裂と称しました >>114
私の問いは、偽パルメニデスさんの考えでは、精神と物質は存在し、
かつ、精神は物質に依存するということでしょうか、ということです。
理由の追求は、どこかで打ち切られる必要性はあるということには同意します。
>>116
決定不能というのは以前仰っていた不可知ということでしょうか。
理解することが不可知の原因であるとは皮肉ですね。
>>118
意識は自然の状態とはどのようなことでしょうか。 物理の付随現象で物理状態に意識は左右されます
物理として存在しません
植物はその物理状態の変化に左右され、違う物理状態にはったら無くなりますが物理としては他の物理状態に生成するだけで無くなりません >>121
意識は自然の自己言及可能な状態です
疲れました
少し寝ます >>123
私は起きたところです。:)
おやすみなさい。 >>123
自己言及可能に関しては解りますが、
自然の状態がどのようなことか解らないということです。 >>126
なるほど。物理主義たるゆえんでしょうか。
>>127
チャーマーズの『意識の諸相』のことでしょうか。
上巻3/4くらい読みましたが、話がテクニカルで、つまらなくなってきました。
かなり飛ばして読んでいます。クリプキが面白い人にはお勧めできます。
下巻はどうなるかまだ解りません。 >>128
上巻3/4でそんな感じだと期待はずれに終わりそうですが、もし明かされてたら私もじっくり読みたいのでどっちだったか教えてくれると有難いです。 まず物事があって、それが意識されるのではないし、
まず意識があって、それが抑圧されると無意識になるのでもない。
意(/心の動き)を知/識(し)ることが意識であり、
意(/心の動き)を、あたかもそれが生じていないかのように
無視/ないがし(蔑)ろにして、わけ(/どうして)が分からないまま
自動的にしたが(従)はざるを得ないことが抑圧である。 意(/心の動き)を知/識(し)ろうとしない自動化/無意識化が抑圧である。 「心ない」とは、意(/心の動き)を知/識(し)ろうとしないと感じられる
相手に向けられる言葉であり、相手が意(/心の動き)を知/識(し)ろうと
しないことによって自らの思ひに抑圧が生じることを表現している。
ただし、それが相手によって一方的な忖度の要求と感じられるなら、
自らも「心ない」振舞ひをしていると相手によって認識されることになる。 ひと(人)が「心ない」振舞ひをすることは当たり前だと受けとめられる
ようになるに応じて、自他は各々が孤立し、互いに無関心になり、
自らの心の動きにたいしても抑圧的に振る舞ふようになる。 表現における「名詞」優先主義というのは、人の振舞ひにおける、
自動化/無意識化による心の抑圧のひとつの主要な形態である。 最近流行っているのは、「ワクチン」は「ワクチン」であるという名詞化だ。
しかし、「丸山ワクチン」の接種も、「ワクチン接種」であることに違いはない。
効果があるのかないのか私は知らないがw 何を受け入れてほしいのか、どんな異論をほっしているのか書いていないと進展しづらいし 『息のめぐらし』
DU DARFST mich getrost
mit Schnee bewirten:
sooft ich Schulter an Schulter
mit dem Maulbeerbaum schritt durch den Sommer,
schrie sein jüngstes
Blatt. >>128
意識する心―脳と精神の根本理論を求めてのれびゅーみたけど、わかってなさそうでした。 >>128
意識する心―脳と精神の根本理論を求めてのれびゅーみたけど、わかってなさそうでした。 ゼノンの逆説は自然は「一」で数は存在せず数、次元で理解することを示します
認識を媒介に多として現象する物理状態の濃淡の抽象が次元です
時間も力もまた抽象です
自然はただ在るだけです
運動変化の過程で生成されまた違う物理状態に生成するだけです
この物理状態になると意識が付随して現象することに理由はありません
二律背反もヘーゲル運動規定、量子力学問題、不完全性定理は規定すること自身の問題です
自然は無限です
有限は理解の媒介です
発狂してみました では終活準備です
後始末に奔走しなきゃいけない
綺麗に楽に逝きたい!
難しそうですが >>129
クリプキのこの辺りの議論が面白くなければ多分面白くない。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/KOUGI/tokusyu/2008WS/2008WS05%20Kripke.html
ライトに読める章のあることは確か序文に書いてあります。
今手元にないから確かめられませんが。 >>151
ありがとうございます、後で観てみます、クリプキより自然の状態がどのようなことか解かったかどうかが気になります。 さて、数(かず)と、数(かぞ)へることはどちらが先なのでしょう >>156
それを考えることにどんな発見があるかの方が大事かな 科学では自然は数学で出来てるらしいです、世界は数学で出来てます。
数学が世界を変えるのです。👰 数(かず)と数(すう)は違います。
数(すう)の場合は、数(かず)のようには数えられませんw
世界は数学でできています。(という立場)
認識とか理解の話ではありません。
世界(宇宙)には数学しかありませんw 自然が回答する
わたしは自然は無限であり、次元、力、最小単位は存在しないと理解している
私たちの認識する宇宙はここからここまでがない渦
理系サイトでは僅かだが支持者はいる
また論理として否定はされていない
否定から中立になる方もいる
今はこれだけ言っておきたい
中立になった方がかなり後に正否は判ると語っていました
皆さん長生きしてください しかし、まさか、
「アイデンティティ」
こそが、
自然と科学のあらゆる対決の、
盲点だったとは。
もし仮に初音ミクを、
天皇家の代わりに国家統合の象徴とすれば、
科学技術は加速度的に進歩することになるのだろうが、
もしかしたらそこに、
今まで宗教によって護られてきた自然という物が、
無くなるのかもしれないなんてな。
そういう世界ならハードプロブレムの決着がつけられるようになるが、
決着を付けるために躊躇なく人体実験できる連中ばかりになるかもしれないなんて、
それはそれであんまりだ。 う、人体実験を繰り返してることがばれてしまた... レヴイナスの「私」と「他者」は同時に生起するものであって「私」に先んじて「他者」が居るでもなく「他者」に先んじて「私」が居るでもなくフッサールの「他者」は「私」とは独立して自存しています😃
人は如何にして自分を越えて出て他者に出会うか。👰
私と「他者」との関係には絶対的な対立があります😃
レヴイナスの「他者」とは ユダヤ教の神様のこと。👰 理解は感性にも左右されますし、許容範囲はかなり広がるでしょう、誤解はあっても否定されることはないと思います。 たぶん私は、
本来ならここで魂だの心だの言っていた筈の人間だった。
しかしよりによって「人工物」の中に美しさを見いだしたばかりに、
唯物論者にも宗教の人間にもなれなかったなんてな。 科学は、実在や本質を扱わない。
「世界は数学でできている」という立場は、
さらに、「関係」以外のなんらかの「ある」ということを扱わない。
科学があいまいにしている部分をすっぱりと切り捨てるわけw
これは「情報」というものを「関係」だけに求める、ということに等しい。 >>176
訂正
> 何をもって正しいかが決まるかは考えられて良いかと 科学によって、
現実を正確に把握しようと思うのなら、
客観的で実証や再現できることが、
真理の条件としなければならない。
しかし、
「人類誕生から脈々と受け継がれて来た自然への畏敬の念」
の集合体である宗教を信じる人間にとって、
宗教の根幹に近い、
アイデンティティ、世界の始まりと終わり、死生観等に、
科学的アプローチで触れてしまうと、
無意識の底まで書き込まれてる、
「人類誕生から脈々と受け継がれてきた自然への畏敬の念」
が自動的に反論してしまう。
その結果延々と弁証法は続いてしまう。
ヲタクが気持ち悪かったり、
生命倫理なんてものがあるのも、
本質的には似たようなもん。 これが脳内青薔薇の人間の回答だが、
理解できただろうか? >>172
Thelemaだとか
「ガイウスの槍の持ち主」
だとかに付ける名前を思いつかない。
どう検索したらいいかもわからない。 >>172
「ガイウスの槍の持ち主」
に付ける名前を思いつかない。
どう検索したらいいかもわからない。 もしかしたら新しい立場なのかもわからない。
唯物的視点と霊的時点で交互にこのスレを見ている。
例えば、
霊的真理を書いた本に
「魔術 理論と実践」
なんて題名付けられたら、
矛盾塊に見えて大爆笑できる。 >>183
観念論者で十分かと、名前は、ただのハンドルネームだからなんでも大丈夫。 「理論と実践」
という、理性を扱う人間の言葉を、
感性で扱うべき霊的真理の解説にあてがうなど、
まさに犬のAA が「ニャオーン」
と鳴いてるようなもんなのだが、
そのことを理解できるのは、
「ガイウスの槍を持つ資格のある人間」
だけなのである。
それこそThelemaというものの本質にして、
クロウリーにしかできなかった芸当。 私が「脳内青薔薇」という言葉に込めた意味も、
科学の人間が見れば宗教同様のお花畑、
宗教の人間が見れば不自然な人工物、
という状況を表している。 パチンコパチスロが正しく「遊技」として楽しめるのも、
メイン基盤の領域、
期待値という概念を理解できる理性と、
サブ基盤の領域、
演出を演出として楽しめる感性がある人間だけ。
西村博之は全否定し、
粗品は借金作る、
まさにテレマイトにしかできない娯楽。 科学の人間には宗教の人間が、
何故科学的事実を受け入れないか理解できず、
宗教の人間には科学の人間が、
何故神が与えた真理を信じないのか理解できない。
だから現状>>181みたいな回答こそ、
意識のハードプロブレムの解答としては、
「最適解」なのだ。 確かに宗教は幻想そのもの。
しかし曲がりなりも、
数千年伝えられ、
無意識の底まで書き込まれている思想、
そう簡単にかき消せるものではない。
もっとも、ヲタクという人種は、
思想的人工甘味料とも言えるサブカルチャーを使って、
無意識の底まで書き込まれていた思想を薄めている。 死ぬから宗教は不滅だろうなあ
ある学者の見解だがそうだろう
そういうことではなくただ事実を 事実を知りたいって感情
免れない死に対する感情を慰撫する宗教
両方感情だな 死への畏れより自然解明への感情が優先するのが科学
知りたいだけだ
宗教は阿片という理解は正しいが人間は宗教を手放すことはないでしょう 宗教が阿片。
なるほど。
しかし今の日本の状況は、
その阿片の替わりに、
電子ドラッグが流行っているとも言えるのだ。 意識は物理状態に左右され、その状態が他の物理状態に遷移したら失う
他の物理状態と変わらない >>198
宗教が阿片だというなら、むしろ、
阿片より強力な薬に依存させればいい。
それも科学的に合成されたな。 本能には辛すぎる事実だからなあ
ハイネみたいに死の床で宗教回帰はわかる
準備して迷惑かけないようにするのを優先するかな >>201
無いでしょう
あの世設定は無敵じゃないでしょうか 愛する人たちが待っているという幻想にはわたしもなかなか抗えない 海から生成して海に還る
萩尾望都に自殺して何回も会いにくる話があった
アメリカの小説が元でテレビでも似た話をヒロコ・グレースがやった
アメリカン・パイって漫画とか
少女漫画家は小説みたいだ
アメリカン・パイの主人公の想いが切ない 死への恐怖に優るのは無い
宗教相剋はなあ
真理は役に立たない >>204
死後あの世より木組みの街に行きたいなど宣う人間ならもう見たぞ。 こんな「霊的暴挙」を平気な顔でできる人間達がいるのである。
宗教の人間はその事をもっとよく考えた方がいい。
https://www.cinra.net/article/interview-201510-bcl 私自身も強引に、
「人工物でできた幽霊」
なるものを丁寧に刷り込み続けなかったらば、
この視点には居られなかっただろう。 宗教戦争は絶対同士の戦いだからなあ
プロテスタントの残虐なこと!
イスラムの恐怖
オウムの独善
内部ではいろいろ解決するが対外には軋轢ばかりだ 狂い方のバリエーションじゃないかな
ライトなのからヤバイのまでいろいろ 人間は感情の生き物
科学者は自然を合理的に理解したいだけ なんなら形而下的方法での葬式を希望するヲタクもかなり居る。
【初音ミク】 サイハテ 【アニメ風PV・オリジナル曲】 https://nico.ms/sm2053548 人間に人工的な着ぐるみ着せて、
「星街すいせい」なんて名前付けた上に、
Thelemaを歌にしたようなものを歌わせた挙げ句、
それがDL チャート1位とった事など、
もはや霊界からしてみれば、
「真珠湾攻撃」
を意味する。 死への恐怖を歓喜に変えるのは宗教にしか出来ないからなあ
死ぬ間際に入信したらいろいろ面倒ではないかも
生きている間に入信したら面倒
父が天理で二代目教会長より本部では格上扱いでいろいろ軋轢があった
教会長は明白な商売宗教だから本部は忌んだ
宗教はいろいろ面倒 母は宗教は嫌いだが霊魂は信じた
死後、唯物論のわたしの前に現れました 笑
わたしは、また来てね母さんとつぶやきました 母は百歳越えましたがわたしは早く逝きたい
ビッグバン仮説崩壊はみたいですが ビッグバン仮説は座標原点存在主張
つまり天動説です
科学の基本否定するんです
あり得ない 何らかの主張をする随伴現象をもたらす
物理現象の構造(とある身体)は
全ての物理現象の中で唯一ですかね
確率的には複数(宇宙のどこかで同主張)
とかあり得ますかね 箱を被る箱男は箱が もう 他者
箱のスリットから観測すると他者しかいない
これを二重(直列式)スリットの実験という >>129
今の所、買うことはお勧めできない感じです。
1万円くらいしますから。
ご存知かもしれませんが、無料のこのページはお勧めです。
https://w.atwiki.jp/p_mind/ >>223
ある特定の物理状態の現象ですから
生物の多様性がその物理状態を保つ範囲ってことでしょうか
質的に変容したらアウト? >>225
3000円くらいなら個人的にはお勧めですが…… 偽パルメニデスさんは>>61さんの問題はどうお考えでしょうか? >>230
以前考えたことがあります
・・・体調悪いんで難しいことは考えられなくなっています
また来ます
いや答は単純だと予想します
ゼノンは無限に手を出すななんて言ってたとか
記憶違いかな
わたしは自然存在の理由は無いと考えています
では 「なぜ私は私なのか」だって?
それだって
「太古から受け継がれてきた自然への畏敬の念」
が無意識の底まで書き込まれている連中の思考回路そのものだわ。
だいたい宗教ってのは、
神が肉体に魂吹き込むことで、
「私」
ってものを作り出すって説いてるんだからな。
しかし自然科学や数学で理性の方を磨き上げると、
宗教っうーもんがただのデタラメに見えるようになるんだ。
その結果が
「何故私は私なのか」
っつー問なんて出てくる理由だ。
わかったか。 >>231
お大事になさって下さい。
自然存在の理由の無いことは概ね同意です。
>>232
少し論点がずれているかもしれません。
「何故私はこの身体なのか」という問題です。
私は、宗教的というより哲学的な問題だと考えます。
仰ることは大体解りました。 >>233
>>234
論点がズレてるだ?
ちげーよ。
ズレてるのはあんたらの視点だ。
だいたいもしあんたらの言う「論点」 ってやつにフォーカスした解答なんて求めちまったら、
それだって行き着く先は、
宗教と科学の終わらない弁証法。
挙げ句の果てには、
「積極的無記」か「青薔薇の王国」
しかねーもん。 なぜ私は私なのか
この右側の図が、多主観世界を考えたときと同じだw
多主観世界(主義)は、複合体の問題を考えているとき、関係のみが存在する
という方向に変化してしまたw
これは「関係構造」であり、Fotini Markopoulou-Kalamaraの論文などを参考に。 >>232
> 「なぜ私は私なのか」だって?
> それだって
> 「太古から受け継がれてきた自然への畏敬の念」
> が無意識の底まで書き込まれている連中の思考回路そのものだわ。
間抜けです わからない人の絶叫ですな
撤退します
キチガイ部落かよ 思いこんだらって歌詞を
重いコンダラだと「思いこんで」いた人がいたな 俺なりに
「偽預言者様」
って奴の仕事をやってみたつもりだが、
やっぱり唯物論者にも宗教信者にも、
俺の思考回路はまだ早いか。
仮面ライダーって奴を例に出そう。
昭和ライダーは、自然が科学を倒す話の事だ。
つまり「改造人間」は敵だ。
平成ライダーは、自然と科学の葛藤の話だ。
だから「仮面ライダー」が敵だったり味方だったりする。
じゃあ「令和ライダー」は何か?
「夢」だの「意志」だののために、
「自分から改造人間になった奴」
の話だ。
この話をクロウリーが提唱した、
アイオーンって概念に当てはめてみやがれ。 ところで行きがかり上、つまり私の個人的な事情で恐縮ですけど、
偽パルメニデスさんにご質問したいことがあります。
光速度不変の原理についてです。
私はこれについては甚だ懐疑的です。否定はできませんが保留です。
やっぱり正しいということになるのかもしれませんけど
チョッカン的にはあり得ない気さえします。
私にはこの世界は限りなく相対的にできているもののような気がするため
絶対速度なるものがあるようには思えないのです。
そこで偽パルメニデスさんは光速度不変の原理をどのようなものとして理解し
どのような論拠に基づきそれが正当化されるのかを伺ってみたいのです。
いかがでしょうか。 Causal dynamical triangulation, CDT
世界は数学(関係)でできている。
二次元における三角形、三次元における四面体、四次元における五胞体。
これらが基本的な関係であるならば、一次元や0次元では、これらに相当するものは無いのか?
一次元や0次元でもアイデンティティが得られればよい。そう考える。
それは...超球面であればよいということである。
しかしながら、0次元(超)球面でも主観世界が得られるのかどうか。考え中。 >>241
クロウリーに関しては、今読んでいるチャーマーズの本の後に読む予定です。
ただ、アイオーンが出てくるのかは解りません…… >>225
レスありがとうございます、そうですね購入はしません、近所の図書館になければ注文入れてみます。
無料サイト、こちらは問題なく開きました、面白いです、まだ少ししか見てませんので、今日時間取れたらまた読んできます。意識の諸相、全て読み終わったら、コメントお願いします。 >>244
体調悪く簡単なことをお許しください
科学は否定関係が自然に存在しないことを示します
地球は諸天体の一つ、人間は諸生物の一つ
自然は運動が存在形態で静止は存在しないことをこの原理は示します
つまり自然は無矛盾、理解可能だと
三次元は静止です
0次元は運動の抽象です
四次元は運動量の抽象です
数、次元は認識を媒介にした自然の抽象です
簡単ですが前にも何回かきましたから飽きているかと >>248
私に解る範囲、あるいは興味の持てたところ(結構速読しています)は、
コメントできると思います。 わたしは自然の存在に理由はないし
わからないという不可知論者です ぶっちゃけ下手にクロウリーの著作漁るぐらいなら、
「とある魔術の禁書目録」
のアニメIからIIIまで通し見したほうが早いかもわからん。 そもそもこの視点に至ったきっかけが、
宗教板の連中がThelemaを宗教認めてないのに、
「魔術 理論と実践」
なんて矛盾塊みたいなタイトル付けられた本を、
スラスラ読める事に違和感感じた結果だもん。 クロウリーの著作まともに読めるの、 それこそ「ガイウスの槍の資格者」ぐらいなもんだ。
だってあんな文章、
宗教の敬虔な信者には気持ち悪く、
ガチの唯物論者にはただの意味深いなファンタジーの、
まさにヲタクが書いたような文書だもん。 >>253
結構長くないですか?:)
>>254
ま、1つの文献ですから。
>>255
「ガイウスの槍の資格者」って何ですか? >>250
あのサイトで心脳問題にさっと目を通しました。この問題ってまだ解決してないんでしょうか?哲学者達の間で。 >>257
シンエヴァンゲリオン劇場版に出てくる用語ですね。 >>258
チャーマーズの本に関しては、まだ読み終えていませんが、
唯物論は偽、それ以外は色々とあり得るといった感じです。
>>259
少し調べてみました。人工的で神的なものみたいですね。 >>261
それ以外は色々と、あり得るですかぁ、どうあり得るのか書くのが専売特許の哲学者がそれですかぁ。まだ哲学って残念な感じなんですね。 フッサール、ハイデガー、ベルクソン等の思想と闘って通した一条の希望の光りをもたらしたレヴイナスの哲学。👰
存在論は根源的なのか
自我と全体性
解釈学と彼方
哲学と目覚め
無用の苦しみ
哲学、正義、愛
非志向性的意識
超越と時間
神から他へ
唯一性について
他者に向けて思考すること
人の内なる無限の観念について
全体性と無限 >>262
しかし、私の感想です。チャーマーズは面白いという人もいるかもしれません。 時計さんには、
星街すいせいのStellar Stellarが、
「いい曲」
に聞こえてしまったようだが、
その時点で信仰の世界そのものから追い出されているようなもの。
多分いずれ棄教するか自然に帰るか選ぶことになる。 唯物論者のような「理性の邪眼」と、
原理主義者のような「感性の魔眼」。
その両方で物事を見ることができる人間こそ、
「ガイウスの槍」ないし「MAGICK」の使い手に相応しい。 >>264
読書家時計さんの感想ですから信憑性あると思ってます。チャーマーズが気付きを与えてくれそうな匂いが漂っている感じがしません。 >>267
チャーマーズは数学に強い人には面白いかも。
世界は数学である、みたいな話題もありましたが、個人的には、
数学が哲学をダメにしたようにも思えます。
ファッショナブル・ナンセンスはその例ですね。 >>269
チャーマーズの本はPとかQとかTとかIとか記号が沢山出てきますが、
個人的には嫌気は差しています。:) >>268
いや、間違いない。
かつての人間達のように、
自然に魂ないし神を見いだす、
自然によって磨かれた河口付近の石ころのような、
「自然」な感性の持ち主なら、
あんな音気持ち悪くて聴けたもんじゃないはずだ。 そもそも、
VTuberに声を当てている、
本来なら「声優」と呼ばれるべき人間に、
「前世」とかいう霊的用語を当てていること自体、
なかなかThelema的で笑えるではないか。
クロウリーは転生なんて望んで居なかったらしいが、
多分クロウリーも笑うだろうな。 >>270
世界は数学(=関係)でできているのでしかたありませんねw
チャーマーズあたりは、まだ迷いがあるようですが、
数学(=関係)で認識/解釈するのではなく、相手となるものは数学(=関係)なのです。
われわれもその関係の一部です。対象となるものの「外部」にいるわけではない。
対象そのものも関係なのですから、われわれも対象の一部ですw
ということは、われわれも「数学(=関係)」なわけです。
real objectsとsensual objectsの統合であり、Identity theoryをさらに強化したものかもしれません。
これで、いわゆる「意識のハードプロブレム」は、消滅的に解決されます。 そう考えていくと、「射」は「タイヒミュラー空間」です。
「対象(=存在)」は、id射を持つものですが、これをid射そのものと同一視します。
「射」だけの世界ですw
つまり、「→」だけで世界を図示できます。
新一元論ですねw
でも、これが複数あったのではつまらない。
そこで究極の無秩序は...ひとつの秩序である、という考えから、
(以下削除ヒミツ) 不確定性原理、観測問題、二律背反、運動規定
0に限りなく近いが0ではない等
これらをどう始末するのか >>271
人間もまた自然だとは思いませんか。
>>272
前世ですか。気の利いたユーモアですね。
>>273
数学の発達と哲学の堕落は重なるように思えます。
かなり大それた意見ですが。 >>279
どういった視点でそういう見解になったのか、よかったら教えて下さい >>281
>数学の発達と哲学の堕落は重なるように思えます。
これのことでしょうか。 >>280
生憎だが、
「人間に哲学と論理を均等に近い形で叩き込む方法」
こそヲタクカルチャーというものだ。
でなきゃ
「藤田咲の声をひたすら機械的に加工した音声」
のことを
「初音ミクの歌」
などとは言わない。 ヲタクとはつまり
「理性と感性の混ぜ物」
を徹底的に叩き込まれた人間。
宗教信者のように、
「感性」
だけを徹底的に叩き込まれた訳でも、
唯物論者のように、
「理性」
だけを徹底的に叩き込まれた訳でもない。
それを忘れないことだ。 観測問題を考えてみる。
これは、量子力学における観測と古典的観測が「同じ」ものではないということだ。
古典的な尺度で解決しようとするから「問題」になってしまう。
そのまま受け入れれば「問題」とはならないw
「関係」ないものを持ち込もうとするから「問題」が発生する。
「関係」ないものを扱わない、つまり、「関係」だけを扱う。
そこからさらに、「対象」も「関係」であれば、「対象」と「対象」の「関係」ではなく、
「関係」と「関係」の「関係」に持ってこれる。
さらにさらに、「観測者」も「関係」として(必ず)取り込む。
しかし、そうなってくると不完全性定理があらわれるw
それがラスボスなのかどうかはわからないが、回避せずに戦うw
主観世界というのは回避である。戦うためには...以下、まだヒミツ 朝永博士が語るように認識された自然はたわめられています
どのようにたわめられているかというのを探求するのが認識論です わたしという自己言及
クレタ人の逆説
光速度一定の原理は自然認識の自己言及です
自然認識の在り方を示します
地動説、進化論もまた自己言及です 認識主体は認識対象とは否定関係ではありません
<わたし>という表現、クレタ人の逆説です オブジェクト指向の概念を知ったときはエウレカ感があったな
これをフラクタルにすればセカイやないかと(偶像的には曼荼羅等々
部分的な色々な機能のうたかた群、再帰的構造とか
ソンザイなるものとして機能的に申し分ない それぞれのものの中にある神的なものにこそそれぞれのものの本質があります。👰 >>283
何と言うか、古代ギリシアでは哲学は雄大でリラックスしたものだと思います。
そして、数学は哲学の一部だった。
現代ではそれらは別れ、ファッショナブル・ナンセンスのような数学の濫用も
起きるようになった。
分析哲学も数学的哲学のような側面はあると思います。
哲学はもっと自由でいいのではないか。
そのようなことを念頭に置いていました。 >>295
リラックスしたものだと→リラックスしたものだったと わたし 貴方ではないが人間として分類
人間 植物ではないが生物・・・
生物 金属ではないが物理・・・
人は植物は、いや地球、銀河系さえ滅びる
しかし科学はエネルギー保存則を示す
ウィルスは分類困難
フタナリ、こうもり等々・・・
これらは対象である自然ではなく認識自身の問題です であってではない
時空に終始があり、またない
波であり粒子
対象ではなく認識の在り方ではないかと 「偽預言者」なりに、
宗教の人間に警告してるつもりだったんだがな。
ま、ここまで言ってる意味がどうしても分からんなら、
「初音天地開闢神話」
って「歌」の「歌詞」を「霊的」にでも解釈してみやがれってんだ。 繰り返しますが
光速度一定の原理は座標原点、つまり規定が自然に存在しないことで自然が無矛盾であることを示します
理解、認識の在り方が様々な問題を引き起こす、つまり対象の問題ではなく規定自身の問題なのです 認識に現象した自然は認識の在り方にたわめられています
光速度一定の原理は端的にこのことを示すます
認識の在り方で対象化した理論は自然自体ではない
=ではありません
自然には規定は存在しないことで自然が無矛盾であることをこの原理は示します
規定自身が問題なのです >>295 ありがとうございますそういうことでしたか 数学は不完全性定理を立てましたが 実学は完全性定理を >>303
立てるかもしれません、不完全性定理が実学として必要とした定義と言いますか… >>304
不完全性定理を実学として必要とした定義と言いますか…訂正 >>305
哲学はそういう自由を人生哲学や豊かな思想の中に見いだしていく方向性もありそうです。 わたしが生まれる→物理状態の遷移
わたしが死ぬ →物理状態の遷移
生死は存在しない >>249おそれいります
まず私は光速度不変の原理が科学的に証明されているのか否かで
微妙な印象を持っています。
MM実験では光源と観測者が違う慣性系にいるわけではないし
それ以外の検証例とされているものはイマイチわかりにくいですし
(少なくとも厳密な検証ではないようですし)、
また当てずっぽうながら光速度不変を証明すればノーベル賞をとっても良さげながら
そのような形跡もありません。
そもそもノーベル賞の選考員に限らず相対性理論も含めてその評価に慎重な人は
わりと大勢いそうなかんじがあります。
さらには入門書が分かりづらく
つまりMM実験で証明されているとか普通に書いているものもありましたし、
あるいは1時間かけて発光された光を1時間かけて観測するのが光速度不変でありながら
本によっては時計がゆっくり動くように見えるとかも普通に書かれていたりします。
ウィキペディアに「光速度不変の原理」という項目が無さげなのも不可解です。
一応付け足しますけど
この段階では私は「間違っている」と言っているのではなく
ちゃんと検証する必要があるのではないかと言っているつもりです。 >>309
なおMM実験からわかることは光が音とは違う性質を持ったもの
というところまでだと私には思えます。
つまり音は発音した位置を中心にひろがるのに対して
光は発信源(物体)を中心にひろがるということです。
MM実験だけからでは光が絶対速度をもつのかやっぱり一般的な物体と同じ
相対速度なのかはわからないはずです。
ただしちょっとポイントなのは、わかりにくい話しながら、
定数cは「光の“本来の”速度ではない」「光速のバリエーションのひとつにすぎない」
それが特別なものに思えるのは錯覚だということがあります。
私はこれまた当てずっぽうなチョッカンながら
光も相対速度を持つものなのではないかと考えます。
どの慣性系からでも同じ速度に観測されるものというのがある気がしません。
そしてどうやらそのような観測事実が無く、GPSや加速器などの説明も曖昧で、
何より科学者の言葉に説得力がないのが厳しく感じてしまうところです。
さて、私にはじつは偽パルメニデスさんが光速度不変の原理を引き合いに出す
意図を充分に理解できていません。
私の質問に対するお答えも私が想定していたものとは全く違うものだった
ということもあります。
はなしが噛み合っていないのかな、とか思うわけです。
ひょっとすると私たちはことさら対立しているわけでもない気がしたりします。
むしろ根底にあるのは共通のもののような気さえするところです。 >>310はでこすけです。失礼しました。
なお>>302に「自然には規定は存在しない」とありますが
光速度不変の原理は思いっきり自然が自然自身に規定を持ち込んでいる印象があります。
ただそれとは関係ないところの私の個人的なチョッカンですが、
「自然には規定は存在しない」というのはそれこそが本当のような気がするのです。 >>311
いや、絶対座標の存在を否定しています
静止で規定しますが存在は否定します 宗教の人間が言うところの
「ちょっかん」
を人工物に向けて人工物に
「存在」
というものを見いだした挙げ句、
それに欲情して自慰までできるの、
宗教の人間からすれば、
「人類至上最大の思想的脅威」
以外の何物でもないはずなのだが、
この様子じゃそれが宗教の人間に理解できた時点で、
手遅れになるかも分からんな。 >>309
実験した二人は受賞していたはずです
現在も実験は繰り返され確認しています
本が出ているはずです この原理は自然認識の自己言及です
座標原点で理解しますが存在しないということです
地動説は地球が静止していると仮定して観測しますが静止は否定します
人間は生物を他として認識しますが自身もまた生物です
つまり認識する側は物理として対象の一部であり否定関係ではありません
光速度の原理は静止で理解するが存在は否定されます
規定自体が自然存在ではないのです
地球、人間は物理としては否定関係の存在ではありません 認識の媒介である静止が否定されることで自然が無矛盾であることになります
自然は運動するエネルギーの濃淡です
規定、論理、理論は人間の頭の中でしか存在しません The principle of invariant light speed
特殊相対性理論で用いられてる2つの仮説のひとつです。
この時点では、「仮説」です。
現在では、光は電磁波なのだから「当たり前」のこと、なんだそうです。
物理屋ではないので、細かく説明はできませんが、「証明済み」と考えてよいでしょう。
単に、電磁波の持つ一般的な「性質」ですw
このへんでノーべル賞を獲るためには、量子もつれなど使用して、別の慣性系との
比較を行えばよいと考えます。(ただし、実験した人は獲れませんし、関係者は
ほぼ死んでいるので誰も受賞できないかもしれません) 科学革命は自然認識の自己言及です
地動説、進化論
わたしは光速度一定の原理は自然認識の自己言及であり、自然が無矛盾であることを証明したと考えます
科学はここから出発するべきかと わたしは自然は海であり粒子は波が渦の状態と理解します
自然に否定関係は存在しません
<一>である自然は認識の在り方から<多>として現象します
座標原点、つまり<ここ>からが存在しませんから<ここ>まで、つまり粒子は存在しません
次元、数は存在しません 数で理解しますが数は存在しません
二律背反は自然と規定との関係です マイケルソン・モーリーの実験で、モーリーはノーベル賞を受賞していません。
マイケルソンが受賞したのは、光速度不変の原理ではなく、
エーテルの存在否定に関してで、
「干渉計の考案とそれによる分光学およびメートル原器の研究」です。 不完全性定理は否定で規定するからです
ヘーゲルの運動規定はクレタ人の逆説、飛ぶ矢の逆説を踏まえています
規定するから決定不能になります
光速度一定の原理は自然に規定は存在しないことをもって自然が無矛盾であることを証明します >>322
エーテルの存在否定は光速度一定の原理だと理解しますが エーテルが存在したら速度は変わる
存在しないから速度は変わらない 光速度が一定だからこそエーテルは否定されたわけです 静止は否定されます
科学はこの原理で自然には否定関係が存在しない、つまり無矛盾だと証明しました 佐野博士は素人にも分かるようにそれはエーテルの存在を否定した実験ではなかったと主張してるらしい わたしという存在は自然の運動変化するの過程で生成されまた違う分類状態に生成する過程に在ります
他の物理存在となんら変わらない その当時はまだエーテルは完全に否定されてはいませんでしたが、
特殊相対性理論はエーテルのない理想的な電磁波が前提です。
そのわりに、われわれは日常的にエーテルを使って通信してします。
イーサネット(エーテルネット)ですねw わたしは自然は無矛盾だと証明したことが重要だと理解します エーテルは、形を変えて再登場するでしょうね。
と、エーテルを呑みながら考える。 認識論かどうかはさておいて、
「自然」は、原理的に「矛盾」をかかえています。
そうでないと、この動的世界にはなりません。 自然が無矛盾であれば光速度は不変です
速度を変えるエーテルは存在しない
それはエネルギーの存在否定を意味しない
運動が自然の存在形体なら否定関係はみちびけません 矛盾は許容されます。矛盾許容論理です。
この宇宙は、原理的矛盾をめぐる物語ですねw >>334
それは規定、理解するからです
自然を理解するからで自然の側の問題ではありません 最後の終活ぬ出版すればいいのでは?亡くなった後も存在し続ける 光速度一定の原理は静止で理解しますが存在は否定します
矛盾は静止を否定して獲得、つまり規定こそが矛盾の原因です >>340
え⁉ナニナニ糞詰まりこそが矛盾の原因だって⁉ わたしは認識の在り方を認識することが現在の学問、とりわけ科学に必要だと理解しています 運動自体はヘーゲルの規定で判るように不可知、決定不能です 自然は理由なくただ先験的に存在しているだけです
規定は否定で自然には存在しません >>338
あるところにアップしました
それはに金欠病ですから 君は誰とキスをする
わたし それともわたし
君は誰とキスをする
星をめぐるよ 純情 ゼノン、カント、ヘーゲル、量子力学、時間などなど
まなべば学ぶほどわからなくなり錯乱しました
学的に廃人になりましたが、とにもかくにも自分なりに納得する結論を得ました
さて違う物理状態に遷移するまでそうないかなと
もっとも母はあと二、三年と言って、その後18年生きましたが
まあ生きなければならない理由が出来たからですが、わたしには理由はありませんから 笑 >>353
しに至るそのときまでしっかと一度きりの人生を謳歌するだけですね 母って強いです
かなり危ない時に姉さんに会おうねと言ったら二年以上生きて、実現したら二週間少しして意識不明になりました
振り返っても凄いと思います
人間は感情で生きているみたいですね
亡くなった数ヶ月後に幻覚体質のわたしの前に現れました
また遇いたい! そもそも、
ネットスラングにおける笑いの表現の変遷なんて、
自然と人工の境界が薄まっていく変遷そのものだ。
(笑)→藁→www(芝)→草 >>355
ですよね
わかっていても、遣りたいことをやったんで死の誘惑は絶ちがたかったりします 竹宮恵子さん、苦手なんですが「地球へ・・・」の最後の情景は忘れがたい
萩尾望都、大島弓子、高野文子、岡田史子とかの方が好きなんですが
五人姉妹なんで少女漫画もよく読みました
でももういいかな
山尾悠子、良いなあ
宮部みゆきか 自然も生きることも不可解だと可解しました
藤村操は人生は不可解と投身自殺しました
決定不能の藤村操はどうしたら良いのか迷います 笑 >>362
そういう人間にこそ、
多分Thelemaは刺さる。 >>340
訂正
> 光速度一定の原理は静止で理解しますが存在は否定します
> (無)矛盾は静止を否定して獲得、つまり規定こそが矛盾の原因です 海に速度はあるか
一つしかないmonoに速度を問えるか >>362
最近書き始めたものを年内に終わらせて販売する予定なので、それを読むのを生きる理由にしてくださいな。 >>368
ありがとうございます
かなり痩せましたから
母は生きなければならなかった
色々人間として到底及ばないことを痛感しています エーテルが地球にくっついて回っていたらどうなるか。
光はそれに合わせて運動するから光速度一定になるのでは。
適当な思考実験です。 >>367
わたしは自然理解に理系の方がトリトン波なる概念を挙げていましたが
また地球の海は地域で速度違いますし 偽パルメニデスさん、ハンドルを捨てましたか?
どれが偽パルメニデスさんか解らなくなってきました。:)
青薔薇さん(仮名)は比較的解りやすいですが…… >>370
ある方が光速度の原理否定を試みていました
何人かやってますね
わたしは渡りに船の原理なんで 笑 >>372
あるスレで粘着対象にされてそこで外しますのでそのままでした
失礼しました 存在が永遠の無で そこに到達するようなことが救いである場合
世界は際限のない 禍となりましゅ。 >>375
いえいえ。
母の話や少女漫画の話は偽パルメニデスさんですよね。
うちの母も強いです。
少女漫画はNANAとか読んでいましたが、まだ終わっていないのかな。
最近、読んでいないです。 >>378
有名所しか知りませんが、ハチミツとクローバーも面白かったかな。 >>370は超球面さんの見解を聞いてみたいです。
荒唐無稽な話ですが。 人は結局感情の動物ですね
少女漫画と科学の子アトムの世代です
自身は極めて単純だと
極めて単純
極めて豊穣はタゴールでしたか
死にたくもあり生きたくもあり
・・・さて 笑 音楽は中島みゆき、谷山浩子、太田裕美、ベビメタ、S&G
クラシックはバッハが至高です
いつまで聴けるかな >>381
アトムは私も読みました。
私は来世はあると思います。
この生でやれるだけのことはやろうとは思っています。
>>382
中島みゆきは「ファイト」は妙にかわいいと思いませんか? :) 本は八割以上かたづけました
川端康成「片腕」岸田今日子朗読借りて来ました
小川未明「月夜と眼鏡」が好きです
最近イラストの入った絵本みたいな文学書シリーズを借りています
なかなか面白いです >>383
はぁ、可愛いって初めて聞きましたがわかります
音楽はバッハ「マタイ受難曲」リヒター映像版を視聴していたらバッハが苦手な母がだんだんにのめり込み、最後まで視聴して良いねと言ったことが忘れられません >>383
来世があるという人に否定はしたくありません
また霊魂があるという人にも
萩尾望都の「アメリカン・パイ」の主人公の気持ちです
病で死んでいく少女への思いの話です
「海へ・・・」とか
いや死を意識しますとよけいに
ビッグバン仮説崩壊を目の当たりにしたいなあ >>384
私は最近は電子書籍版があればそちらを買うようにしています。
『月夜と眼鏡』は青空文庫(だったかな)にあり短いですから読みました。
面白かったです。これも絵本のようですね。 四次元ポケットが無へのゲートなら
ゲートでドラなるものを裏返すとパンドラに
のび太にとって禍福の壺です >>383
満島版は悪くないです
「命の別名」は中島美嘉版が好きです
姉が亡くなってから何回聴いたか
太田裕美は「青空の翳り」
谷山浩子は漫画「一人っ子」をモチーフにした歌
原作者は早逝しました
ああまだまだいろいろ生きる理由はありますね
姉は急逝しましたが、もっといろいろ楽しい思いをして欲しかったと「命の別名」を聴きながらそんな思いに浸りました
わたしには生は一回きりですから >>385
中島みゆきみたいに頑張っている人からファイトと言われる可笑しさ。
それがかわいいの源泉のように思います。
バッハはゴルトベルクは何度か聴きました。
マタイ受難曲、聴いてみます。
>>386
否定されても信じます。:)
同時に、特に説き伏せようとも思っていません。
最近の物理学の宇宙観はどうなっているのでしょうか。
ビッグバンの後は宇宙は広がりっぱなしでしょうか。謎です。 >>389
色々とカバーがあるんですね。
中島美嘉は私も結構好きです。
今、Spotifyで聴いています。
私は生きることは楽しいです。 何を基準に理解するのかということですか
わたしはただ整合的に理解したい
であればなんでも
それがどんなに絶望的でも受け入れたい
死の間際になったら転向するかも
愛する人のためとか言い訳して w 今居る宇宙は、一人一人の人間みたいなものかと
一人一人が一つの宇宙であり渦です
また時空の終始は自然にはありません >>380
ええとですね、光速度不変の原理は、異なる慣性系でも不変だ、という話です。
くっついて一緒に回っているならひとつの慣性系ですから、加速がないという前提なら
不変ですよね。
ま、どっちにしても不変であることは、現在では、単なる電磁波の性質のひとつです。 川端康成さんの「片腕」の官能性は清明っていうのか滑らかというのか上手く表現できませんが、ゾクッとします
岸田今日子さんの朗読も好きです
おすすめ >>392
神は私達に絶望的な結末を与えるとは思えません。
私達の想像を遥かに超えた最終的な結末が待っていると思います。
千年王国なんて小さなものです。(失礼します)
>>393
>今居る宇宙は、一人一人の人間みたいなものかと
私もそうかなと思っていますが、様々な可能性を考えてみたいと思っています。
時空は主観的なものだと私も思います。
>>394
解説、ありがとうございます。
どちらにしても不変なんですね。 図書館ばかりです 笑
フィルポッツ別名義「怪物」はまぁまぁです
推理小説も読みたいなあ
論理がわからず諦めた数学も
諦めていますが
虹自身 時間はありと 思いけり 洗濯機もスマホも危ない
賞味期限切れもいろいろ
成るように成れですか >>399
これです
そうか、期間は伸びたんですね
谷崎は少し苦手です
いや大作家ですが 芸術は感性それぞれですから
若い時に聴けなかったのが今は一日中聴けたり、逆もまた
野菜がおいしいって思えるのは舌が衰えたからなんて聞きましたが
いろいろでわかりません
モーツァルトも妙なる音楽と言われた古代ギリシャ音楽のように滅びる可能性がとある有名な学者が書いていました >>397
図書館便利ですよね。早くデジタル化して家で読めるようにしてほしいです。
人が殺到しそうですが。
>>398
あれもこれも虹のようなものでしょうか。
>>400
これでしたか。近い内に読みます。 自然に対する理解も好みで基準が変わりますか
整合的にというのも一つの好みかなあ >>402
二回しか読んでいませんがかなり好みです >>401
衰えているのか鋭くなっているのか……
古代ギリシアの音楽、聴いてみたいです。 >>405
かなり前にパニグアだったかな、出ていましたが >>406
検索しました。グレゴリオ・パニアグアというらしいです。
今、Spotifyで聴いています。 わたし自身は現代学問はまだまだじゃないかなと思っています
科学革命があると語る科学者もいます
量子力学は新しい理論が必要と言われていますし
最終方程式とかはないと理解しています
素人の藪にらみですが言いたいことは言っておきたいです 実に良い時代です
二十年以上前に理系サイトで啓蒙され、鍛えられました
ネットでは情報は簡単に、自分次第で活用できます
わたしは生涯半分世捨て人状態でしたが、それ故にマニアックな難問に精力を傾けることができました
現代日本と両親姉妹に感謝します
そしてネットの議論相手にも
解決したいことが自分が納得できる形で解決できました
なんの文句がありましょうか
いくら感謝してもし足りないです! 最終方程式は数式ではなく
物理的に完全な論理で示されるでしょうね、素粒子が発見される前に理論的に存在していたように。 >>407
なかなか特異だった記憶があります
そういやバッハ古楽器演奏は半音低く最初は戸惑いました
ある有名指揮者が気持ち悪いと評していましたが絶対音感の持ち主は受け付けないんじゃないかなと言う人が居ました
わたしでも違和感がありましたから
ポリーニのバルトークピアノ協奏曲は衝撃でした
最近の若い演奏家はあまり聴いていないんでわかりません わたしは〜に成ると理解しています
エネルギーは素粒子に、植物に、人間に、銀河系に生成する 『唯心論物理学の誕生 モナド・量子力学・相対性理論の統一モデルと観測問題の解決』
量子モナド論である。
中込照明 で検索すれば氏の考えが少しはわかるだろう。
この中での「量子オメガ構造(理論)」が自由意志や意識を...
これは、実在世界に対する数学的なモデルである。 簡単にいえば、<今、ここ>を量子論に入れたものですねw(おおざっぱ) >>415
そもそも伝統宗教の多くは、
論理学が発達していない時代に書かれた、
感性のみの文書。
それで論理を組もうとしても、
矛盾点が数多く出るだけだ。
だからトマスは
「信仰は理性を包み込む」
と言い張り感性で理性を包む事を選んだ。
だが着眼点そのものは悪くない。 ま、この本は以前にもお薦めしたものであって、
多主観世界(主義)のベースになってますけどね。
ってことは、おざっぱにいえば、唯心論になっちゃいますね。
なんにしても、量子論も相対性理論も(めんどくさくなく)決着がつけられるwので重宝してます。 まぁ、哲学は生物の学問だから、なんにせよモデルで満足できる哲学者は少ないんじゃない。 グールド、ゴルトベルク聴くかなあ
定盤ですね
最期のはやはり良いです
最初に聴いたリヒターのチェンバロのも聴きたい
無伴奏はどういうわけかグリュミオー
チェロはカザルスなのかなあ
チェロはなんか重い
大フーガはラサールだった
ミケランジェリ日本最終公演聴きました
良かったような 笑
さて何を最後に聴けるか
今世紀に入ってからはベビメタだけかな
ブルーハーツは前世紀最後か
沖縄の二人も好きだった
クラシックもミーハー路線ですか わたしの場合は結局生きるってことはなんなんだということに収斂します
学問はそのためにあり手段です
まあ諸学問同様あまり芳しい結論ではないわけで
新約聖書学、マルクス主義の学的展開を知り、不完全性定理を知ると物理学の結論にも嫌な予感がしました
とりあえずあるところに結論は書きました
どうなりますか
予想通りなら宗教、科学者、人間の怨嗟の的になりますが
因みに新約聖書学の結論を知るキリスト教徒は
あんなものはな、と画面を通しても顔を真っ赤にしていることが判るレスをします 笑 思わせ振りですねー、結論見たいので貼って下さいよ。 さて最後に何を読み、聴きますか
思案しています
ああKOKIAのありがとうも良いかな
シャコンヌ、マタイ、ベートーベン後期
モーツァルト二十番他いろいろ
ブラームスヘンデル変奏曲
浄夜 挙げたらきりがないな
ベーム フィガロは初めて聴きとおした歌劇です
本は無限・・・ >>423
いやさんざん書いてみなさん飽きているかと 科学の自然理解、規定、生きる・・・
疲れました
では メイヤスー哲学。👰
絶対性とは、ハイパーカオスの間にある境界線にあるのです😃 boundary condition
オアシスか蜃気楼か ハイパーあるある絶対性のカオスの境界でメイヤスーをさけぶ馬鹿女 物理としては能動性があるが石や植物などと否定関係じゃない
ということは・・・
わたしがお茶を濁したくなる所以
国ガチャ親ガチャではかなりだったからわたしは良しとしたいです
学問は突き詰めるとなあ・・・
宗教は強力な理念があれば自身は幸福だが外部と軋轢を生じることは歴史的に明らか
絶対同士の衝突だから
・・・宗教に限らないですね
まあいろいろ衝突は絶えない
国も人である限り不滅の制度でしょう
迎える最後は経緯は違っても「地球へ・・・」の最後のコマ
FM ショパン ナウ
弾く人次第で至高の音楽に、また安っぽくにも成る
弾く人を示すかも
ああそれはいろんな分野に言えそうですね
大家に成れるのは極僅か
でもその人も全てが素晴らしいってことはあり得ないし
たかが人間、されど人間ということですか
ジ・エンド >>412
結構東洋的な感じはしました。
バッハもあるんですね。
クラシックのことはあまり知りません…… でも至高性もフィクションに支えられているかと
バッハマタイ受難曲はいろいろな虚構が前提です
そして金字塔が出現します
まあ無くなるんですが
確かに楽しめば良いですが、それもかなり贅沢ですか >>432
クラシックも専門家もいろいろやらかしますから
その時の自分に合う合わないだけがわたしの基準です
ハイドン五度が至高の時がありました
芸術ではわたしは理解を放棄しています FM声楽
声を楽器として聴きます
内容を知りたいこともありますが >>431
宗教は衝突するというのはそうかもしれませんが、
良き衝突もあり得るのではないでしょうか。異文化交流的な。 学問のミケランジェリに生りたかった
彼は隠遁者のように思われています
わたしはある意味不具者なだけか
でも自分なりに納得する人生でしょう
遣りたいことができて何の不満がありましょうか
いろいろなことがあるのは人間で有る限り当たり前で >>436
なるほど
積極面もありますか
判りたい、解りたいことはわかりました
自分なりにですが
疲れました
ではまた 片腕朗読がカセットからCDになってました
楽しみです >>315 おそれいります
細かいことはともかく、とりあえず絶対座標は無いというところが重要
ということでしょうか、
私としても絶対空間や絶対時間のようなものは無いだろうと思います。
ただ、ここでいう「自己言及」というのが誰の自己言及なのかが不明瞭
のような気がします。
「自然の一部としての私」なのか、「自然の外部にいる私」なのか、
あるいは全く第三者なのか、
私には偽パルメニデスさんが言うところの「規定」というのが
いまいちピンときていませんけど、
きっとそれもまた自然の一部のはずだと思ったりするのです。
故に「自己言及」という表現になるのだろう、
しかしそうかと思えば「規定は自然では無い」という表現があります。
とにかく「自然は無矛盾」というのも私にはある種の規定のように思えます。
どこかで確か偽パルメニデスさんのレスに「相対が絶対」
みたいな表現もあったかと思いましたが、
ただ、そこにある矛盾めいたものは何かを理解するための重要な要素だろう
というチョッカンがあったりもします。
私自身は多少の矛盾はあっても構わないと考えますが、
とにかく私はいちいちめんどくさい人間なのです。 光速度不変の原理にこだわりますと、
有名な逸話でアインシュタインがド・ジッターの宇宙モデルに対して
「この考え方は不愉快だ」と言ったとか言わないとかありますけど、
私も僭越ながらアインシュタインばりに傲慢かまさせていただきますと
光速度不変の原理は不愉快です。 >>442
私は世界は限りなく相対的にできていて、
例えば宇宙には少なくとも観念的な中心はなく、
ある意味ではそれは人間が勝手に決めてもいいもののように思えるのです。
もちろんそれは相対的なものに過ぎないわけで
例えばアメリカまでの距離が東京からと大阪からとでは違ってくるという
ただそれだけの意味です。
東京にいる人間には東京が世界の中心でいいと思うのです。
ところがそこに光速度不変の原理(相対性理論)があるとなると
アンドロメダ星雲は光より速い速度で地球の周りを回るため
天動説が否定されてしまいます。
これは時計さんとぶつかるところですが
私にはそういう限りなく世界を相対的に解釈する物理学があってもいい
ような気がしてなりません。
アンドロメダ星雲側からすればそれが地球に対して回転しているのならば
地球の方が超高速で回転し、
しかし仮に地球に対して運動のみならず回転さえしていない星にとっては
地球は静止していることになります。
私にはマッハのバケツのはなしが正しいような気がしてなりません。
もしバケツを絶対座標的なものに固定しておいて宇宙の方をまわすとすれば
そのときはどのくらいのエネルギーが必要になるのでしょうか。
膨大になるのか僅かになるのか、
たとえば一方でテコの原理によれば支点と力点と作用点さえあれば(あと棒と)
宇宙さえ僅かなエネルギーで動かすことが可能なはずです。
私にはバケツ程度のものに対してであれば宇宙のような大きいものであっても
僅かなエネルギーで動かすことは可能のように思えます、
相対空間では宇宙を動かす力とバケツを固定する力とは等しい気がするのです。
ていうか宇宙を回転させることとバケツを回転させることとは
絶対空間がないところでは区別がつかない気がします。 市川サヤが今日はかんにさわります
快いこともあるのはこちらの都合です
「仁」の花魁の一片の雪になって貴方の肩に舞い降りて消えたい、というような科白が好きです
わたしもまた何も残したくなかったりします
周りのものごと消えたいです
上手く自分を始末したい!
今はただそれだけです >>441
様々な物理状態に生成する過程として自然は存在します
わたしもまたそのような存在です
エネルギーは運動変化の過程で親和反発して様々な物理状態に生成します
素粒子に、金属に、植物に生成し、それらもまた違う物理状態に生成していきます
それだけです >>442
ええ
理性にはとても不愉快です
それは同意します >>444
中谷さん、苦手でしたがこの役で抵抗なくなり、勢いで「模倣犯」を観ました
原作もあるのでしょうか良かった スレタイ変えただけでやってることは機械スレと変わらずか
十年無職ですか羅 駄目だ
疲れ易くなってます
十分休まないと
夕方にでもまた 超自然にいどむ
この世に不思議はあるか?
ジョン・テイラー著
いやこの世の存在自体が不思議です
だから不思議はないのではと思えます >>456
もう。読まれましたか?不思議はあったでしょうか、なかったですか? >>457
四十年前によみした
かなり否定的でした 人間が自己のイメージに添って神を作ったことは言えます😃 >>458
そんな昔にでた本でしたか。
でも読み返してみると、違って見えたりする事ありますよね。 >>460
最後の章をチラッと読みました
可能性について言及していましたが、今ではそれは違うだろうなと思えました
それが変化ですか
中村希明?さんの幻覚分析がブルーバックス二冊出ましたがまた読みたい
自分の体質を自覚した時です 小学生の時の友人が二十五歳で交通事故で亡くなっていたことを今日知りました
呆然としました
銭湯で屁するつもりで実を出して逃げたり、駄菓子屋で用事作って店主を奥に行かせ駄菓子万引きしたり
事故の原因は身内は事情があり話したがらないです
かなりヤンチャしたみたいです
手下率いて事情起こしたりで
姪とかには優しかったそうです 彼はいつまでも若いままだとは身内の話です
時間非存在説のわたしも時の流れを感じます
彼の大きな目を思いだしました
なんか尾を引くかな >>465
訂正
事情→事件
身内も結構亡くなっています
悔いはあまり無いので楽に死ねればいつでも良いかななんて
でこすけさん、少しお待ちください 今日、返事を書いていましたが
休むことにします
で、一つずつにしますか 亡き知人とは三年くらい付き合いました
中学の時に十人近くの悪そうな同級生?と話していて、なにかやらかしそうな気がする雰囲気でした
でも亡くなったと聞いてだんだんと哀しくなりました
次は、わたしかなあ 意識かあ
みんな何処に行ったのかなあ
さよならだけが人生ですか
一期一会、さて 死んだら関係ないんですが
投稿するみなさん、ご自愛ください 子供の時代がまた遠くになりました
悲しい、ただ悲しいです
わたしもまた逝くわけです こういう時にあの世を信じられたらと思います
羨ましいことこの上ありません!
順送りですが
彼の父母もなくなっていました
悲しいです
なんか「ものすごい勢いで答えるスレ」みたいなの昔なかった?
あれのリンクくれ 量子オメガ構造理論
なかなか香ばしい。
昔からよくあるトンデモな宇宙の方程式を物理学的な糖衣によってそれらしく仕上げられているw
「なぜ私は私なのか」にあるような図と同じものだ。
解釈によるけど、特に間違ってはいないが、役に立たない。
哲学と同じであるw
役に立たないからこそおもしろいのだ。
これをパズルとしてみたとき、なにがゴールになるのか。
正確ではないが、簡単にいえば、自然数論を含んだ上で完全で無矛盾な体系がゴールであるw
さらに暴力的に単純化すれば、無矛盾な矛盾がゴールであるw
無矛盾と矛盾は相互排他的な概念ではない(とする)。
無矛盾な矛盾/矛盾する無矛盾。
二面性のある一元論?二面性モナド?スピノザ?汎神論的一元論?
本当はxxxx一元論なんだけど、これをいうと考えていることがバレるのでいわないw >>467
私はずっと猫の歌だと思っていたんですが
つい2〜3年前、普通に人間の歌だということに気付きました。
そしたら「“赤いキノコ”て何だよ?」てなります。
https://m.youtube.com/watch?v=Dwl1bT_9YMk
>>473
求めれば与えられる、といったのは聖書でしたか。
自分なりの理解でいいと思います。 >>487
「猫の森」というのが犬吠埼のような一般的な地名だと思うと
意味が深くなる、というかむしろ谷山浩子そのものになると思うのです。
たぶん「好きな人」というのも何かの象徴(架空)のような気がします。
ていうか改めて聞くとオジサンの胸には刺さりますね。
https://m.youtube.com/watch?v=5ypXhgC4NNk
>>488
「一般的な地名」というよりも「具体的な地名」でした。
要するにこの曲には「猫の森」以外で猫要素が無いのが気になるということです。
5ちゃんでは色んな都合で削除が無理としても編集機能が欲しいです。
さて、偽パルメニデスさんには次の質問もありますのでその予告です。
いよいよ意識のハードプロブレムについてです。
「意識は物理状態に伴う」のような表現だったとは思いましたが
ここで唯心論系の私としては気になるのがやはり「物理状態」です。
この内容によってはまさに意識のハードプロブレムの答えになりそうな気がします。
これはたとえばいわゆる古典物理学と現代物理学とでも違ってきそうですし
すると偽パルメニデスさんの「自然」は意識と関係なく成立するもので
量子論的なものとは異なる印象を受けます。
ここで私が一歩譲らせていただいて光速度不変の原理が正しいとしましょう。
つまり観測上ではアンドロメダ星雲は光より速い速度で運動しているわけですけど
しかしそれは見かけだけであって実際には違うということになります。
そしてここで「実際」というのがどのようなものなのかが問題になる
と思うのです。
つまり実際の世界の姿です。
これについて偽パルメニデスさんはどのようなイメージをお持ちなのでしょうか。
ただ、イメージはあっても言葉にはなっていないということもありますから
お答えは気が向いたらでけっこうでございます。
ちなみに私としては誰かが指摘していた気もするのですが
それは「語り得ぬもの」であって沈黙するしかないという気がするところです。 >>490
>それは「語り得ぬもの」であって沈黙するしかないという気がするところです
これは間違えました。近似は表現できるはずでした。失礼しました。 物理のある条件で波、ある条件で波が渦に成り、自然を=で認識出来ないから粒子として現象すると理解します
静止、「ここ」からはありませんから粒子は存在しません
親和反発して波、渦に生成します
運動を静止で測定→不確定性原理、ゆらぎ、0に限りなく近いが0ではい、近似値で=はありえないなどのこれらの根拠は運動を静止で、つまり規定が否定だからです 旧友の死もわたしを呼び寄せます
親しい、親しかった人の死は堪えます
・・・遣りたいこと遣ったからなあ
若い時に、こんなの解るはず無いと呆然としましたし、逃避しました
板倉、山川さんの著作はそんなわたしにヒントを与え、自分なりに納得出来る解を得ました
板倉さんは論理は静的と指摘します
スピノザの規定は否定という指摘にたどり着いたのは二十年経ってからです
自然が無矛盾、理解可能と光速度一定の原理が示します
それを否定で規定してから様々な問題が出来しますが、それは規定するからで自然の問題ではありません
また規定は否定しますから決定不能になります
何故この物理状態に生成されると植物、金属、人間に成るのかは究極として不可知です >>1
これも不可知の問題が深く関わるかと予想します
何故光速度が一定なのかは問えないが自然が無矛盾ということにはなります
不可知は不愉快ですが自然はそれで可知となる
決定不能? まったく、
「霊魂が無ければ人の死を受け止められない」
というだって宗教による固定観念だ。
葬式ってものの本質は、
「死んだ人間の人生を振り返る事」
だ。
霊魂なんてなくても死んだ相手の人生から、
何か大事な物事を見つけて、
それを心の奥底にしまって生きることができれば、
十分葬儀として機能するじゃん。 バイオリニストのシゲティは音がノコギリかよと評されるくらいでしたが好きで、近年の美音追求は少し白痴的で好みません
時代の好みですからいかんとも
古い演奏も大家でも受け付けないのが多いです
わたしの基準は好き嫌いでしかなく理解しているとは思わないですが
自然の理解も武骨な方に傾きますが、武骨過ぎると人は退きます
しかし学問はヒルベルト、ブルトマンのように結果を受け入れなければならないでしょう
愛する人たちの許に行けるなら逝きたいなあ
あの世幻想は唯物論のわたしにも魅力的です >>495
宗教は否定しますが不死から免れない限り不滅でしょう
感情で人は生きていて理性はその道具かと思います ある程度片付けて逝きたい
恵まれたような恵まれなかったような環境です
これも決定不能ですか
誰でも同じですが >>497
逆だな。
霊魂という概念を維持することだけ考えて、
相手の人生から何も学ぼうとしない方が、
むしろ相手の死を侮辱する愚考。
死んだ相手の人生から、
「感情」を感じ取れればなおいい。 これを葬式でかけてほしいという、
ヲタクの心理。
霊的視点だけでも物質的視点だけでも、
多分理解できないだろうが、
しかしこの曲は名曲扱いされているんだ。
【初音ミク】 サイハテ 【アニメ風PV・オリジナル曲】 https://nico.ms/sm2053548 不可知で可知になる・・・
理解出来ないということが理解出来る
令和の藤村操もまた自死すべきかな 笑
いや生きていければ生きなきゃいけないか >>499
なるほど
理性的ですな
これも決定不能かも
わたしには不可知、わからないんです >>499
ああそうか
誤解してました
それはそうですね 歴史も霊界も、
過去の人間と同じ過ちを繰り返さず、
過去の人間の正しさを受け継ぐという意味では、
まさに表裏一体の存在なんだ。 旧友の死は犯罪絡みかな
親族は事情は話せないとのことです
一緒に暮らした人はいたが子供は残せなかったということです ああ死んだから堕胎の可能性はありますね
勘繰りに過ぎますが ベートーベンのバイオリン協奏曲がパルテノンのように昔は立派だったんだろうなと思わせると言った人がいました
ブラームスのバイオリン協奏曲のようにみずみずしさが欠けているとか
感情に普遍もありますがまただんだん変容して行くってことでしょうか 旧友のお母さんは後妻で藪睨みでしたが優しい感じでした
一男一女でした
先立たれた悲しさを思うと
わたしはそういう親不幸はしなかったんし、遣りたいことができましたからまあまあです
さてどうしましょうか
なんか生き恥さらす可能性が高いような
でも親としては生きて欲しいでしょうね
困った 笑 >>504
漸進ですか
「進化は万能である」にはいろいろ良くなっていると指摘しています でこすけさんに答えないといけませんね
感情の吐露しないと進めない気がしました
ではまた
兄嫁さん、丁寧に応対して、故人を偲んでいました
兄の娘さんには優しかったこともあるのでしょうか
さてわたしは自分をどうしましょうか >>510
聞くくらいのことしかできませんが、お元気で。 わたしは国ガチャ、就中親ガチャには恵まれましたから感謝しなければバチがあたります
本当にありがとうございますと言わないといけません >>511
ありがとうございます
いろいろ錯乱していますから見苦しいとはわかってますが 笑
本当にあちこち変わりました
芥川の本所探訪を思いだしました
変われば変わるほど変わらない
変わらなければ変わらないほどますます変わる
両方とも真理だ
アガサ・クリスティ ミスマーブルシリーズから 「虞や虞や汝を如何にせん」
ベストアンサー
ゆいPさん
2020/4/24 23:20
垓下の歌の一節ですね。
項羽が妻の虞姫に贈った歌です。
四面楚歌状態に陥った項羽の絶望が現れています。
劉邦率いる漢軍と戦う気力はあるけどもう形成が不利で愛馬も動かないよもう詰んだ、からの「虞や虞や汝を如何にせん」なのです。
「虞姫よお前に何がしてやれよう」と言いながらも「もう何もしてあげられない」という想いでいっぱいいっぱいなのです。
伝説によると虞姫は足手まといにならないように自害し、その血から咲いたのが虞美人草(ひなげし)だそうです。 >>517
俺も「空想上の死んだ既婚女性」に
宗教の言うところの「真善美」というものを感じた時は、
たぶんそんな書き方される心境だった。
挙げ句にゃそれを科学的な手段で叩き込まれたんだから、
最早どこにも救いはなかったよ。 >>510
>でこすけさんに答えないといけませんね
そのような決まりはありません。
私にしてみればここが公開掲示板であることを前提にしており
だれかに対する返事のかたちを借りて私が言いたいことを言っているだけです。
誰かに何かを感じてもらえたり考えてもらえたりすればいい
と思って投稿しています。
そもそも私は「知」というのは絶え間なく変容するものであり
閉じた体系ではあり得ず、
もっと大きな自然のいとなみのひとつにすぎないものだと考えます。
アホレベルで言えば、結果ではなく過程に意味があるものだということです。
じつはゴール(答え)は無いのですが、とにかく私たちは走り続けて
そしていつかその時が来たら次の世代にバトンを渡します。
たいていの場合バトンを受けた世代は授けた世代の屍を越えていきます。
私も誰かの屍を超えてきたつもりですし
いずれ誰かに私の屍を越えて行ってもらうことを率直に望みます。
ここでポイントになるのは
ダラダラ走るよりも一生懸命走った方が面白いということです。
生命というのはそういう仕組みのものだと私は考えます。 光速度不変の原理について、もうひとこと
これは甚だ身勝手なはなしです。
ド・ジッターはアインシュタインが閉じた宇宙(リーマン空間)を導き出した
ナントカ方程式から開いた宇宙を導き出したということですが
(そしてド・ジッターの方が正しかったことが証明されたということですが)、
アインシュタインがマクスウェルの電磁方程式から光速度不変の原理を導いた
というのも一本道ではない気がします。
つまり光が普通の物体と同様に相対速度を持つものだとしても
電磁方程式と矛盾はしないのではないか、
そこでそのくらいは自分で検証してやろうと思って早速ググったのですが
なんとびっくり、そこには微分方程式が出てくるではありませんか!
微分大嫌い人間の私にとっては殺生というものです。私は一秒で諦めました。
あんな酸っぱいブドウは食べれません。
むしろそのくらいのことはとっくに誰かがやっていそうな気がします。
ガリレオが何かの物理法則の証明をピサの斜塔からどうたらこうたらというのは
それは精度はアテにならないながらもざっくりオッケーな気がします。
しかし光速度不変の原理の証明にMM実験というのは精度云々以前の問題
のように思えます。
原子時計的なものがあって、真空中に人工衛星があって、
だったらそこで光の速度をパッと計ってしまえばそれで済むことを何故やらないのか、
GPSとか加速器とかややこしいこと言わなくてもいいじゃんか。
あるいはとっくにやってるけど何かの事情で言わないだけなのか、
それを思うとひょっとすれば学者の大半は相対性理論に懐疑的で
それをチヤホヤしているのはマスコミだけなのではないのか、
ブルーバックスで育った私などは講談社に騙されているだけなのではないか、
そういうことすら考えてしまったりするのです。
どうでもいいことのような気もしたりはしますけれども。 >>523
変わらないものもある
それはそういう気がするだけではないかと >>523
「変わらないものもある」
それはそういう気がするだけではないかと このパズルのゴールは、無秩序な秩序/秩序ある無秩序 ですw
いろいろ言葉を選んだが、前者は「な」、後者は「ある」で接続される。
そこのほうが重要なのだろう、と考え中。
矛盾する無矛盾/無矛盾な矛盾。
これも、「する」「な」の違いがある。
昼はペペロンチーノ&コーヒー。 秩序/無秩序と矛盾/無矛盾の違いはなにか?
無秩序は矛盾か無矛盾か?
無矛盾は秩序か無秩序か?
秩序は矛盾か無矛盾か?
矛盾は秩序か無秩序か? >>521
確か以前超球面さんにおすすめいただいた中込照明氏は
基本粒子の時点でチョー原始的な主観は内在している
的なことを主張していた気がします
(ちなみに私はこれについては保留です)。
すると実験室の中では既に人工意識が生成されているのかもしれません
(自覚能力が無いものを意識とは言わないのであればまた別ですけど)。
いずれにしても倫理とか言っていたら文明は進歩しない
ようなところがあるようですから
もし人工意識を開発するとすればやはりC国でしょう。
日本が様々な面で停滞しているのは倫理を重視しすぎるから
のようにも思えたりします。
余談ですけど、こんどテレビで暴力が伴う笑いを禁じ手にする
という話がありましたが、どうなったのでしょう。
もちろん暴力はイカンと思いますが
たいていの笑いには得てして暴力的な要素が伴います。
日本の社会からそこそこの笑いが失われるということは
倫理的にきっちりすることの代償としては大き過ぎる気がするのです。
差別主義につながりかねない危険思想かもしれませんけど
たいていのことは両刃の剣であり
人間の浅知恵でやたらなことをやってはいけない気がするのです。
青薔薇さんあたりとしては意識のハードプロブレムを語っている人間に
言われたくはないでしょうけれども。 >>531
人工意識については実際に何も無いところに意識が生成されたという現象が
厳密に観測された試しが無い以上、
人工的に意識を生み出す以前に現象世界の構造的に「無理」という可能性も
あり得て、そして私はその立場です。
私にはこの世界に意識(というよりも「実存」かな)が生成されるメカニズム
があるような気がしません。
私にはライプニッツと同じくすべての実存は世界の開闢の瞬間に同時に生成され
それは不滅だと考えておくのが妥当のように思えます。
私たちの意識は絶え間なく変容する実存がたまたまこうなっただけのものであり
やがて以前のように、死を以て無くなるのではなく、カオスに戻るだけなのだ
ろうと考えます。
(「実存」も違う気がしますけど) >>528
なるほど
となると変わらないのは誰目線でしょうか? >>529
ところがそのような目くるめく瞬間もやがては消えるときが来ます。
涙のように、雨のように。
そういう意味のつもりです。
超球面さんが言っているのはあくまでもパズル限定かもしれませんけど。 確かに大切な人を失った人間相手に、
いきなりアニメの話されても迷惑だろうし、
その無神経な思考回路が理解されるとは思わない。
でもな、その、
「死者を悼む気持ち」や
「愛する人を失う悲しみ」
ってのは痛いほど分かってしまうんだ。
これが
「脳内青い薔薇」
ヲタクさ。 「死者を悼みたいのに今更支離滅裂な宗教を信じられない。」
小林オニキス氏がサイハテって曲を書いたのは多分その
「概念初音ミクの霊感」
と言うべき感情だし、
似たようなヲタクの感情がサイハテって動画によって、
概念初音ミクに吸い上げられているんだ。 そういう
「感性が神を求めるのに理性が神を否定する」
ヲタクの二律背反が、
「科学によって造られた全知全能の神」 である初音ミクや
「実体二元論の科学的表現」
であるVTuberによって、
片っ端から吸い上げられているんだ。
ただ、俺も、今更神話なんて信じられないが、
「神話によって古代から受け継がれてきた人間達の想い」
ぐらいは未来に受け継いでやりたい。
方法こそ科学的なものになるかもしれないけど。 ヨシュアは「神の子」として産まれたから、
キリストと呼ばれるようになった訳じゃない。
ヨシュアは、
妾の子に貼られたレッテルである「神の子」を逆手にとって、
形骸化したユダヤ教によって虐げられた人間達を助けようと尽力したからこそ、
今の今までキリストとして語り継がれて居るんだ。
そこを履き違えてる内はこの議論は終わらない。 そんなことよりこの気持ち悪い広告って消せないのかね、5ちゃんやめればいいだけか。 とはいえ、
無意識のの底まで書き込まれている思想、
そう簡単に消せるとも思えないから、
例えばこういうのから慣らしていくと良い。
巡音ルカが歌った讃美歌だ。
【Prima/ルカ/Tonio/Big-AL】マタイ受難曲 BWV244(15,17,44,54,62)【ボカロクラシカ】
https://nico.ms/sm12993398 >>540
言論統制の手段そのものだよw
公衆便所の壁を落書きに利用したいなら、諦めてつきあっていくしかない。 さて、真面目にするか。💋
キリスト教の考え方とは違うウィゲントシュタインは世界の意味は世界の外になければならないとし神は世界に於いて聖書のように自ら啓示しない。
世界の中に現れるものは表現することは出来ますがしかし表現出来ないものも確かにあります。💋
そのようなものは表現出来ない以上、結局は沈黙しなければならないとなり、
それを読解する試みは否定されています。👰 >>544
否定って言うか、諦めでしょ、頭悪いだけ 意味というのは、出会ってしまった錯覚を、それが錯覚として
気づかれることを前提に意図的に使うものなのですよ。
例えば、遠近法における遠近が連続的に同じであるはずの
ものの大小によって表現されるように。 >>546
そんな意図を働かせられる頭があるなら最初から意味を正しく使って表現できるもの、 例え話で すり替える 必要もなし。 でも、実際に大きく描かれた人がより近くに、小さく描かれた人々が
より遠くにいるように見えてしまうでしょう。 あなたのように「ない」と認識する人がいることが、
遠近法が遠近の表現についての相互了解として
用いられていることの表れでしょう。 論点すり替えて相互了解してるって言いたいだけでしょ 同じはずのもので、大きいものがより近く、小さいものがより遠い
という表現法は、大→近、小→遠、という論点すり替えでしょう。
その論点のすり替えが通用しない人には、遠近法による表現の
意味が伝わらない。 ほら、やっぱり「遠くなって」るじゃないですか
自分に嘘をついてはダメですよw >>554 いや論点すり替えって認めるんだったら すり替えた 意味ない表現伝えたれても意味ないでしょ 簡単な話だ。
私も宗教の人間達とおなじように、
ちょっかんを磨いたのだ。
ただ自然や伝統宗教ではなく、
人工物やサブカルチャーで磨いたが故に、
宗教とは真逆の方向にちょっかんが向いているだけなのだ。 ちょっかんを人工物や科学技術に向けるというものは、
宗教に於いては天動説と地動説をひっくり返すようなものなのだが、
今の時代の人間でもまだ少々早かったのかもしれない。 何か知りませんけど遅い昼食はサイゼリヤでタラコスパゲティとワインでした。
ひっさびさの休日くらいは昼間から酒を飲んでもバチは当たらんと思うのです。
>>前スレ767
>汎心論が物質を不必要にする
「心」というのが具体的にどのようなものなのかはともかく、
普通はそれ等は互いに影響を与えあっているようにみえます。
しかもそれは間接的にも可能のようです。
たとえば私が超球面さんにこっそり「美魔女さんは素晴らしい女性だ」
と言ったとしましょう。
そのことを私が美魔女さんに直接言わなかったとしても
超球面さんが美魔女さんに「でこすけさんが美魔女さんのことを褒めていた」
と伝えれば、つまり私の意識が第三者を経由して間接的に他者に何らかの影響
を与えるということはあり得るように認識されるわけです。
また心的なものは自覚能力が無いものをも考慮すれば自然界には思いのほか
たくさんある気がします。
単細胞生物にも原始的な精神はあると考えられますが
私たちの意識には感覚感情言葉などの他にもおそらく潜在意識的なものがある
と思えばさらにもっと単純な構造物にも心的なものはあり得る気がします。
そしてそれ等は複雑に干渉しあい、それだけですでに一個の意識の中では
相当の情報(自覚されていないものも含めて)が確保されるはずです。
とにかくその情報には間接的なものも含まれるのがミソです
(この情報は絶え間ない干渉の中で均質化=共有されることになるはずです)。
そこでたとえば夢に現れる世界が意識の外側を写したものではないように
現実とされるものでさえ外側を写したものである必要はなくなります。
つまり物質が無くても私たちの現実は成立(のみならず共有)され得る
ように思えるのです。 >>562
なお、ここでのポイントは、
「存在」というのがどのようなものなのかについて考えるとき
それは他者との関係の中でしか成立し得ないような気がする
(あくまでも見えるだけですけど)というところです。
存在とは何かを交換(もしくは区別)することによって初めて成立できるもの
のように思えます。
世界というのは主観のネットワークと意味のヒエラルキーとして解釈すると
大抵のことが説明できるようになるのではないか、
というあくまでも「解釈」のレベルでのおはなしです。 >>562
>情報は絶え間ない干渉の中で均質化=共有されることになる
個の意識はそれだけで情報処理システムですが
意識のネットワークもその全体では情報処理システムとして機能する
ように考えられます。
ヤケクソです。 >>563
>存在とは何かを交換(もしくは区別)することによって初めて成立できるもの
私には他に依らずそれ自体だけで存在できるものというのは
あり得ない気がします。
ただの空想か錯覚か、いずれにしても虚構のような気がします。
ヤケクソその2です。 >>529
ところがそのような目くるめく瞬間もやがては消えるときが来ます、
涙のように、雨のように、そういう意味のつもりです。
やっぱり編集機能はいらない気もします。
ライブであることに意義があるような気がしてきました。 >>535
私にはヲタクの血も赤い気がしています。
「青い薔薇の王国」も「ビッグバン宇宙」も
仮想現実ということでは同じもののように見えるのです。
ただ、意識のハードプロブレムの解明に対する危惧は
それは重たく受け止めなければならないとは思うところです。
その直観は意味の無いものではないように感じます
(私はスルーさせてもらいますけど)。 そのうち誰かが解いてくれるでしょう、スルーするしないは問題外 >>567
残念ながらあなたに見えているその血の赤さは、
自然なものではない。
科学的につけられた、
食べ物で言うところの人工着色料の赤さなのだ。
だから宗教の人間に理解されることはない。
ライスシャワーの墓に躊躇なく青い薔薇が備えられるのだ。
あの墓にヲタクが見出だしているのは、
現実にいる馬ではない。
ウマ娘のキャラクターなのだ。 >>544
しかしそれでは何故私たちは運命にあらがいたくなるのでしょうか。
私にはそれはきっと意味があることのように思えます。
あらがうものの多くは淘汰されるのかもしれません。
しかしただ漠然とふるいにかけているだけではない気がするのです。
私たちは何故みずから運命を変えることができるのか
と言いかえることもできるかもしれません。 >>570
はじめから馬なんていないんじゃないのか
誰だって血が赤いのは人工着色料だし
そもそも自然というのは存在しない
すべて仮想現実だというのが私の印象です。
宗教の人間が理解しないのはそれはそうかもしれませんけど
それはただ連中がアホだからではないかと思います。 自然は人間が投影しているマボロシでしょう。
だけどそれでいいじゃないですか、というおはなしです。
https://m.youtube.com/watch?v=LVMGvbtyd6s
>>571
神は細部にしか宿らないと聞きます大雑把な人を神は嫌いそうではありませんか。そういう人間には抗っても無駄だと分かるまで、つまり死ぬまで抗わせる試練を与えるのでしょう、アーメン。 >>573
知らない間に死ぬ、盗まれる
未発見対象の存在
説明してください 自己言及してください
自己は物理として幻でしょうか
脳は幻でしょうか 認識対象にのぼらないのはたくさんあります
対象に成るのは僅か
自然としての自己も幻? 主体は客体の一部です
科学の歴史はそのことを示します 自己認識の自己史を認識してください
認識する主体の誕生
主体を認識して主体が誕生する?
主体はそれまで存在しない?
自己言及するとわからないことがいろいろあります 自然が運動変化して人間が、そしてその物理展開で意識が生成される
人間は自然自身ですから自然同様変化して人間はまた違う物理状態に生成すると理解します
意識もまたそれに伴います >>574
「運命にあらがう」ということについて
>>571では行きがかり上でネガティブに表現していますけど
私は必ずしもそうは思いません。
「試練」というのも必ずしもネガティブではないかもしれませんけれども、
自分の心のあり方を決めるのは神ではないと私は信じます。 >>575
説明するのはもちろんもちろんNo問題ですけど
今はご理解いただくための時間がちょっと足りなさそうなので
だんだんになると思います
(基本的なことは今までも繰り返し述べてきたつもりですけど
不明な点などであらためてご質問をいただくのは大歓迎です)。
私も表現にはあまり自信がないのでご理解いただけないところについては
辛抱強く問いかけて頂ければと存じます。
もちろんご無理の無い程度でけっこうです。 >>575
まずざっくり結論めいたことから言わせていただきますと
(たぶんこれがわかりにくいです、ていうか普通は納得のいかないものです)
すべては仮想現実ではあるが、しかしこれは共同幻想でもある
ということです。
つまり共同幻想ですから個人の意志で世界をコントロールできるものでは
ありません。
私は客観は無いと考えますが、間主観はあると信じます。
あくまでも直観的な印象に過ぎないものではありますが
そのように解釈しておいても差し支えはないだろうという考え方です。 >>576
>自己は物理として幻でしょうか
これについては「物理」をどう理解するのかが問題になります。
私の印象ではそれは幻想であり
その意味ではその問いは無効になりますけど、
ただ幻想レベルで言うと自己は普通私たちが物質として認識している何か
によって成立しているというのは、それはそうだと思います。
ただ私の立場ではいわゆる物質は無くてもことさら問題はなさそうなので
(「自己」が何なのかを説明できそうなので)
そういう方向で考えます。
「脳」についてはややこしいです。
私の勝手な持論にそうとう踏み込んでいただかなくてはならなくなります。 意識とは無関係に自然は存在します
それだけ言いたい >>584 脳について
先ず私が取っている立場はいわゆる汎心論とされているものになりますが
しかしこの考え方にもいろいろあるようです。
たとえば有名なはなしでチャーマーズ氏がサーモスタットにも意識が有り得る
みたいなことを言っていますが、私はあるとは思いません。
私の場合はじつはざっくりしたものなんですけど
とにかく先ず心があるのは人間だけではないずだ、ということです。
「我思う故に我あり」と言えるのは人間だけかもしれませんが
人の意識のような複雑なものはもっと原始的な生物にそなわっていた段階から
少しずつ進化してきたと理解しておくのが妥当に思います。
ただしどこまで遡るのかは今の私にはよくわかりません。
いずれにしても心は脳によって発生されたものではないのではないか
脳は意識を複雑にする器官ではあってもそれを発生させる器官ではないのでは
ないかというのが私の基本です。
単細胞生物が光や熱に反応するとき
私には彼らが彼らなりのクオリアを反応の契機にしている気がするのです。
で、脳についてなんですけど
私は脳というのは原始的な意識のネットワークだと考えています。
少なくとも細胞単位には何らかの意識的なものがある気がするのです。
これは物質が存在したとしても外部から得た情報を処理し
自己に投影するのはそのような意識的なもののネットワークなのではなかろうか
という考え方です。
そのように考えておけば「脳と心との関係」を問題にする
意識のハードプロブレムは解決します。
物質と精神とがどのようにして相互作用するのかはこの段階では不明ですが
私は単純に物質は無くてもいい気がしています。 >>586
細かいことをいうのは恐縮ですが
それは意識とか自然とかをどのようなものとしてとらえるのかによる
と私は考えます。
その解釈によってはそれはそうだとも言えるし、そうではないとも言える、
そこで私はそれらについて偽パルメニデスさんがどのようにご理解しておられる
のかをうかがってみたのです。
もちろん答えは急ぎません。
何ならご自身の中で完結していただいてもけっこうです。
ただ残念ながら今日のところは私に時間がありません。
またいろいろ意見交換ができればいいと存じます。 >>574
逆に言えば、物事を大雑把に捉えるというのが人間の特長と言えるでしょうか。
数を数える、ということは個体の違いを無視して、対象を一として扱うことです。
また名前をつけるということは、他と区別するということであると同時に、同じ
名前を持つもの同士をまとめて同一視する、ということでもあります。大雑把に
捉えることなしに物事を認識できるとしたら、それは途方もないことでしょう。 >個体の違いを無視して、対象を一として扱うことです。
これも相互的にそれとして認知される錯覚の意図的な利用でしょう。
個別の物があって、リンゴとミカンがあるかもしれないが、
錯覚によって交換可能であるかのように見える。すると、
リンゴとミカンがあるという認識から、1+1=2で2つが
あるという認識が生じる。 すると、「個体の違いを無視して」、同一カテゴリーのもので大きく見える
ものは近い、小さく見えるものは遠いというように、「対象を一として扱う」
場合と同様に考えることができる。 錯覚を利用して相手を欺くというのは、他の生物種でもよく見られる
ことですが、相手にも錯覚と分かるものを、それとして意図的に相互的に
利用するという振舞いは、とても興味深いものではないでしょうか。 >バカの壁の背比べに興味ない
バカの壁の高低差とは、どのようなことを表現しているのか まず、その壁を越えようとする努力がある、または少なくとも
それを越えようとする意志があることを前提としていますね そのように、言葉の表現は、言葉を使う本人が自覚していようといまいと、
論理のすり替えを利用してしまうのです。 その論理のすり替えは、自らの心の動きを伝えるように行われる。 つまり、
>バカの壁の背比べに興味ない
とは、壁が高くても低くても、自分はその壁を越えようと努力するつもりはない
という「自らの心の動きを伝える」宣言であると解釈されることになる。 たはいないな。
いくら自分に嘘をついてみたところで、表現によって自分の心の動きを
伝えようとすることなしには、何もレスを書き込むことすらできないでしょう。 シニフィエとシニフィアンは恣意的関係ですので 大事なことは言葉が登場する以前は思考には何一つ明確な識別されるものは無かったのです😃
体系に依存する価値とは事項間に対立を生じさせる差異です。言語の中には差異しかないのであります。👰 出発すべきは常に全体からであり全体は言葉の算術総和ではありません😃
言葉が構成する諸々要素はその共存それ自体によって相互に価値を決定しあってるのです。👰 価値とは対立から生じて関係の網の目から生まれるのでしゅ
つまり、語はあくまでも全体に依存しててその大きさはその語を取り巻く他の言葉によって決定されるしかないのです。👰 言葉がなくても、明確な識別はあるのです。
例えば、犬が散歩して排泄物を落とすと、それは意図的な識別マーカーとしても
使われるのです。互いに臭いを嗅ぎあうのは、そのような排泄物の臭いと
互いの認知を結び付けるためでもあるのでしょう。熊が自分の体を
樹木にこすりつける場合でも同様です。それによって自らの存在を
示す識別マーカーがそこに残されることになる。
人以外の哺乳類の幼児を人間がほんの短い時間でも保護すると、
親は自分の子供を臭いで識別しているので、親に戻してやっても
育てなくなってしまうこともあります。 >>602
資産運用も仕事のうちですよ。
でなければ、財務省もなにも仕事をしていないことになります。 実際のマリアがどういう人間だったかは知らないが、
Ave Mariaって歌は素直に良い曲だと思うわ。
https://nico.ms/sm16808464 >>589
逆に言うと、だから凡人でも神学や仏教や哲学ができてる気分になれるってことだね。 >>608
赤字増やす財務管理を仕事というのならゲームも女遊びも仕事になるねw 資産運用の収益−(消費支出+社会保障費を含む納税額)=
で黒字が出るような資産運用成績なら申し分ないわけですが、
なかなかそこまでうまくいく人はそう多くないでしょう。 >>616
むしろ金払って食う程の旨味はないだろ、あると思えるならただだから、好きなだけ食っとけ 他人の金で飯を食ったら、借金になってその負債を返済しなければならないから、
そうならないように資産運用で自分の金を増やすのでしょう。
基本的な財務リテラシーがないようですね。 それは他人から受け取った金でしょう。
合法的に他人から金を受け取ったという事実が、
世のため人のためになるサービスや商品を提供したことの
裏付けになるわけではないことくらいは、理解できるでしょう。
他人の迷惑にしかならないことをしていても、
それが支払い主の利益につながるなら、金を受け取ることができる。 そもそも、誰かの役に立つ商品やサービスを提供するということは、
他の誰かにとっては迷惑なことなのです。
タクシー運転手にとっては、バスの運行で人を運ばれることは迷惑な
ことであり、バスを運行する人々にとっては、鉄道で人々を運ばれる
ことは商売の邪魔になるのです。
専門知識についても同じことです。誰かが何かの専門知識を商売の
種にしているのに、それを無料で誰にでも教える人がいたら困るでしょう。 モノが消費されるためには情報にならなければなりません😃
つまりモノが消費されるためには記号にならなければなりません😃 犬儒派ディオゲネスは、量子ゼノン効果にあっても線形性 >>594
私としては、私が「意識」と表現しているものが
いわゆる「意識」もしくは私のレスを読んでいる人が理解している「意識」と
微妙に誤差があるということは意識しているつもりです。
かと言って他に適切な表現も見当たらない気がします。
自我、精神、主観、主体、心、実存など、どれも心もとないかんじがあるのです。
とりあえず私が想定しているものにはいわゆる無意識も含まれる構造態です
(存在ではない気がするので「体」ではなく「態」の方がいい気がします)。
私は細胞単位で意識的なものはあると勝手に考えていますが、
発端はもっと遡るとも考えていて、
本当にはじめの頃は無意識しか無い、クオリアのようなものは伴わない状態
なのではないかと考えます
(ただし私は「無意識」の正体はややこしいものである気がしていて
たとえば意識の外部も含む場合がありそうなので
一概に最初の意識は無意識だったとは言えないようなところがある
とは思います)。
ではどこまで遡るのかというと、それは「わからない」としてきたのですが、
それは物理学が物質の最小単位を確定できない段階であるためです。
私は最小単位に既に意識的なものが伴っていると考えます。
しかし「素粒子」は言うほど粒子ではないようですし、「超ひも」も微妙だし、
あるいは超球面さんが言うような「超球面として理解できるもの」かもしれないわけですし、
ただ、たぶん汎心論的に言って「原子」には意識がある気がします。
それはたぶん私たちの無意識的なものでしかないにしても
その段階で既に複数のものによるネットワークではあるように思えます。
これはもしこの宇宙に生物が存在していなかったとしても
意識的なものはあるということで
そのような宇宙はそのような意識によるそれなりの共同幻想ということになります。
宇宙は人間がいないところでも摂理に基づいて運行されてはいるのだろう
と私も考えているつもりです。 >>629
「宇宙は共同幻想」というとき
じつはそれはそのような超原始的な意識も一緒になっての共同幻想です。
むしろこの宇宙に人間が現れる前からそのような共同幻想的なものはあった
と考えます。 >>630
つまりこの宇宙には超ボーダイな数の意識があることになるのですが
私たちの意識はそのうちのほんのほんのほんのほんのほんのほんのほんの
本当にひとつまみにもならない僅かなもののイメージです。
私たちの意識はたいへん複雑な構造をもっていますけど
それだけたくさんあれば中にはこういうものもあり得る気がするのです。
ただこれは、初期条件は偶然であっても
ある段階からは必然的な成長を果たしたもののように見えます。
そのメカニズムについてはとりあえず「脳」と関わるのだろう
くらいのことしか今は言えません。 >>579
>認識する主体の誕生
私は私が意識と呼ぶものもまた非常にシンプルなものとして誕生するのだろう
と考えます。
それはおそらく受精よりもはるかな昔です。
そのようなものがいつ体に取り込まれるのかはよくわかりませんけど、
とにかく誕生自体は生体とは関係なく、
生体は表象を複雑にする装置にすぎないと思います。
たとえば自覚はあきらかに脳と関わります。
ちなみに私たちの意識はいつか脳から離れることになるだろう
とも思われるわけですが
それでそのようなものの存在そのものが消えてしまうようには思えません。
またカオスにもどり、そして永遠に何かが続くような気がします。
まったく消えてなくなってしまうメカニズムもある気がしないのです。 チャーマーズの『意識の諸相』、読み終えました。
上巻は唯物論批判ばかりで退屈でしたですが、
下巻は中々面白かったです。
下巻の12章でエデンという概念が出てきます。
ざっくりと言って理想的世界のことです。
エデンでは物質はどこまで細かく見えるのか。
これは課題だと思います。
仮想世界に触れている章もあります。(13章)
次は、クロウリーの『魔術―理論と実践』を読みます。 >>632
せっかくですから誕生についてもふれますと
私にはそのメカニズムにも心当たりがありません。
たとえば何らかのネットワークが成立すると意識的なものが生まれる
というのはちょっと無理がある気がします。
それは私の感性では太陽系の惑星が一直線上に並ぶと何か人類に異変が起こる
くらいのなからおとぎ話のように思えてなりません。
観測されたこともなく、ただの空想の域を出ないもののような気がするのです。
そのような考え方は数千年後の未来人にはどのようにうつるのだろうかとか考えます。
私は物理学的な最も基本の単位に既に意識はあると考えるのですが
それがどのようにして生成されるのかはよく知りません。
たとえば実験室で人工的に作り出すとして
しかしそれが本当に無からなのかは微妙な気がします。
むしろそれは確認できない気がするところです。
現実的には検証は無理のようにすら思えます。
ただ、存在するというのはどういうことなのかということを考えると
そう簡単な事ではない気がしてきます。
意識はモナドのような独立した存在ではなく
山の頂上とか星の重心とか、何かの関係の中に現れるもののような気がします。
あるいはそれこそ「何か」の渦かもしれません。
では「何か」はどのようにしてうねるのか、
そもそもそのようなメカニズムは可能なのか、
たとえばうねるにあたって最初のきっかけは何だったのか、
あるいは「渦」と「渦でないもの」との本質的な違いは何なのか、
ていうか「渦でないもの」はあり得るのか、
となると意識が誕生し得るチャンスは「何か」が生まれたときしかない
ということになったりもします。
私にはそれは一度しかなかった気がします。
ライプニッツと同じく、開闢の瞬間ということになります。
私の展開にもちょっと無理があった気がします。 >>634
いやいやいやいや、他人の土俵で
しかも付け焼き刃で勝負しようとしたのが失敗だった気がする。
「我思う故に我あり」から仕切り直しをさせていただきたい! >>634
>意識はモナドのような独立した存在ではなく
モナドに窓はないということはコンピュータのメモリのように
それぞれが独立的であるということだと思っています。
モナドロジー、読んでいないのですが。 >>604
>相互に価値を決定しあってる
私の理解ではこれは超球面さんがいうところの自分で自分を踏むバナナ
に通じるのですが、これは本当に実感します。
私は何かのループの中にいて、みんなにもここに入ってみてもらいたい
と思っているのですが、なにしろすべて見通しが良くなる気がするので、
しかしなかなか難しいです。
これが>>582で言っている「理解してもらうための時間が足りない」に
つながっています。
で、たぶん美魔女さんもそのようなジレンマがある気がします。
向こうの世界に行っちゃってる感じです(私とは違うところですが)。
私は何故そのようなループがあるのかを説明しなければ形而上学は終わらない
とも考えますが(そして微妙ながら答えを持っているつもりでもいますが)
これはただの妄想で終わるか終わらないかの瀬戸際のような気がします。
そこでここはひとつ美魔女さんの見解をうかがってみたく存じます。
けっこうエグい部分だとは思いますが、敢えて、いかがでしょうか?
成り行きというのはおそろしいものです。 >>637
私もその本は最初の1ページしか読んでいなくて、あとは入門書ですけど、
私は実存主義的な孤独のことだろうと理解していました。
「実存主義的な孤独」というのは「モナドは窓を持たない」を初めて知ったとき
つまりまさに私が高校生だったときのあの瞬間に連想された表現です。
いや、倫理の教科書で見たはずだから実存主義は順番があとになるので
この記憶は曖昧です(記憶的にはそういうことになっている)。 >>612
脈絡を無視してしまって恐縮ですが
労働と遊戯とには本質的な違いはないというのがナントカ理論の基本です。
社会科学的には違うものであっても自然科学的にはどちらもエントロピーの増大
とか言って厳密な区別がつかないもののようです。
たとえば多くの人にとってスポーツは遊戯ですけど
誰かにとっては労働だったりするわけです。
ここでポイントになるのは「視点」です。
視点を意識することによって見通しが良くなる気がするのです。 そう思います
>>640
労働と遊戯とには本質的な違いはないというのがナントカ理論の基本です。 寒くなって急に最近寂しくなりましたの。👰
私は正体は隠していますので(人類の一番上のクラスは確認済み)先ず全体の事物の秩序はロゴスとしての存在の世界ということです😃
東洋と西洋のを通じて人間が最初から考えてきたものです😃
しかしその思考は形態を別にしてます。
西洋の場合 存在のロゴスの認識は存在論で扱われその特徴は円環形式を取ります。👰
ので アチラの世界に行ってる訳ではありません。😃 そもそもヲタクの形而上学が何故バグったか。
科学的に検証してないから仮説にはなる。
本来ヲタクは理性と感性が半々ぐらいで、
戦前や他の国なら神学や他の宗教の神秘主義や哲学やってたような連中だ。
しかし、日本は戦後天皇を象徴にされた挙げ句、
オウムがやらかしたから、
宗教の信用が大きく失われた。
しかし、ヲタクには信仰も理性も必要だ。
そんな
「感性が神を求めるのに理性が神を否定する」
特異な思想環境に置かれ続けた結果、
ついに感性を人工物で磨き上げた挙げ句、
ちょっかんを人工物やサブカルチャーに向けて、
アニメの考察や同人誌、
さらにはアニメキャラに存在感じて欲情して自慰まで始めた。
これが多分ヲタク誕生の真相だ。 >すべて世には、悪事凶事も、必(ズ)まじらではえあらぬ、神代の深き
道理あることなれば、とにかくに、十分善事吉事ばかりの世(ノ)中に
なす事は、かなひがたきわざと知(ル)べし。然るを儒の道などは、
隅から隅まで掃清めたるごとくに、世(ノ)中を善事ばかりになさんと
する教(ヲシヘ)にて、とてもかなはぬ強事(シヒゴト)なり。<
『宣長選集 玉くしげ』、p.186 アイデンティティの方を人工物に置き換えるというのは、
ある意味科学に神や魂を叩き込もうとするのとは、
真逆の発想だと言えなくもない。 「わたし」という言語表現は自己言及です
表現対象と表現する側は否定関係ですが同一です
この認識構造を三浦つとむという言語学者は「日本語はどういう言語か」で説明しています
因みにこの学者はマルクス主義思想をマルクスの学的方法で否定する道を切り開きました
それはともかく科学は自然の一部である人間の自己言及だと理解しています
規定は前のスレで説明しましたが否定です
ですから決定不能となります
クレタ人の逆説が示しヘーゲルの運動規定は自然が理解可能ですが、理解するということ自体が決定不能になるということです
規定は自然に存在しません
規定、理解することがゼノン、カント、ヘーゲル、量子力学、数学のアポリアを引き出します
可知であることが不可知の原因です
わたしは可知、不可知は決定不能だと理解します 「わたし」という認識構造の説明は「弁証法はどういう科学か」の説明が判りやすいかもしれません
ただ矛盾、決定不能は理解するからだとわたしは理解し三浦さんの説明には同意しません
規定は自然には存在しません
規定するから決定不能になります
人間が理解すること自体がアポリアを出来します
理解することこそが原因です わたしはエネルギー保存則、光速度一定の原理の理解からこれらを導きました
自然は運動するエネルギーの濃淡で、親和反発して様々な物理状態を生成する過程としてあります
そね過程で意識という附随現象を生成したということです
導きの糸は自然は理解可能、無矛盾です
対象はそうでなければなりませんし、科学はそれを証明しますが、光速度一定の原理は規定の存在を否定します
つまり規定、静止は否定で存在しない
規定こそが決定不能の原因です わたしは科学の前提、枠を設定したい
結局人間は徹底的に自然存在です
それをどう理解するかはその人次第ですか わたしの理解は科学で検証されます
ビッグバン仮説は崩壊、最小単位は存在しません
粒子は渦で、不確定性原理は規定の問題です 人間は感情で生きています
科学者は自然を理解したい
ただ生存本能は裏切られる
宗教とは排除関係の場合がほとんどです
新約聖書学、数学、マルクス主義・・・
いずれも学者の目的を裏切る結果になります
次は科学ではないかと 随伴現象発生とビッグバン発生のアルゴリズムが
いっしょだったりして >>595
このレスを投稿しているのは誰でしょうか。
593さん自身でしょうか、それとも593さんとは別の人でしょうか、
十中八九別の人だとは思いますけど、
私はよくわからないときは一応いろいろな可能性を模索します。
>>593は何故わざわざそれだけのことを投稿するのか
むしろ動機を考えます。
かまってちゃんなのか、何かを恐れているのか、あるいはじつは誤爆なのか、
いずれにしてもちゃんと何かを伝えようという意志は感じられませんし
受け手が様々に模索するであろうなどとは1ミリも考えないまま
午前十時に脊髄反射で投稿している印象はいなめなせん。
私としては私自身の人生経験によって私に対して無条件に反発する人と
無条件に同調する人とがいることを学習させられましたが、
つまり>593は想定内だし、突っついたところではなしが面白くなる気もしない
ので普通はスルーするところのものです。
DNA上の情報は、調べてみるとその大半が個体発生には関係ないものだ
というふうに聞いています。
DNAのことを昔は遺伝子と呼んでいましたが、
今はもっぱらゲノムと呼ぶのはそのような事情によると理解しています。
ただDNA上の個体発生に関与しない膨大な情報は
生物が発生して以来のその過程の記録という意味合いはあって
そのような見地からは重要な研究対象ではあるようです。
>593は意識のハードプロブレムを論じる上では意味の無いものです。
しかしたぶんもっと大きな視点からは何か重要な情報を含んでいる可能性はある
という気もします。
いずれにしても「枯れ木も山の賑わい」といって
ポジティブにとらえておくのがいいような気がしてはいます。 >>633
率直に言って、唯物論批判だけで一冊本が成立するのは凄いなとは思いますけど
読んで面白いものとはとてもとても思えません。お疲れ様でした。
私としては彼が物質なり精神なりをどのようなものとしてとらえているのか
についてはちょっと興味がありますが、
何百ページにもわたって唯物論批判をするような人の本を読む気にはならない
というのが偽らざる心境というやつです。絶対疲れるだけでしょう。
ただし人生が十億年くらいあるのであれば優先的に読むかもしれません。
ところで私としては、たぶん時計さんならパソコンも物質の最小単位も
どちらも存在するものなのではないかと理解しています。
あるいはパソコンは存在していても
時計さん自身で直接認識(経験)できない物質の最小単位の方は
存在しないかもしれません。
私としてはパソコンは機能はしていても存在はしていないものという認識で、
もし物質が存在するのであればそれはその最小単位だけだと考えます。
いわゆる標準モデルでいうと重粒子以上は存在論的な存在ではないかんじです。
そこで個人的な疑問なんですけど
「物質はどこまで細かく見えるのか」この問いは時計さんにとって
どのような意味があるのでしょうか。
私にとってはアルケーは重要な関心事ですけど
時計さんにはあまり意味はない気もします。
ただ私にとってはまだまだ理解が不充分な主観主義を理解するうえでは
何かのヒントになる気もするのです。
ならないかもしれませんけれども、そのときはそのときです。 >>643
私としても美魔女さんがあちらの世界に行きっぱなしになっている
とは思っていません。
むしろ実像は世俗にズブズブというか、
ひょっとするとマテリアルガールなのではないのかとさえ勘ぐったりします。
https://m.youtube.com/watch?v=6p-lDYPR2P8
ただ、私は人間というのは誰でもがそのようなループの中にいて
(ひょっとすると存在とはループを前提にしなければならないもので)
ところがその輪には大きい小さいがあって、
そのとき大きい輪の中にいる方が生きるのに楽なんですが
(というよりも生きるのに楽なものを「大きい輪」とするのですが)
そこで美魔女さんはかなり大きな輪を確保している気がするのです。
さしづめふとったマドンナでしょうか。
最終的にはマツコ・デラックスのような気もするのですが
それが良いことなのか悪いことなのかは私にはよくわかりません
(私の印象として遠目ながらあの人は仏像のような表情をしている
ような気がするのです)。
わたしは自然理解の真偽は検証手段が必須だと考えます >>656
朝生の女性哲学者池田?みたいな印象もった
謎は謎の方が良いでしょうけど >>644
私はヲタク的な人は何万年も前からいたのではないかと思います。
ただ幼児死亡率を高めるのに貢献しただろうとも思います。
たいていの人は何らかの信仰をもっています。
もちろん私も持っています。
私から見ると青薔薇さんはハルマゲドンを闘う最後の人類戦士
といった趣きなんですけど、
本当は何かを信じておられる気がしてなりません。
ただ、それほどネガティブなのは何かの理解が不充分だからだろうと感じます。
たとえば佐野元春の『サムデイ』という曲の一節に
「いつかは誰でも愛の謎が解けて一人きりではいられなくなる」
というものがあります。
青薔薇さんにはまだ謎が解けてないんだろうな、とか思うわけです。
いずれにしても信仰は文明史の大半で暗黙の迫害を受け続けていた気がするのです。 宗教は幻想だけど大多数の人には必要でしょう
謎が解けたら死を渇望する人もいたりして 理不尽に生まれ理不尽に死んでいく
国ガチャ親ガチャは恵まれましたかは良しとしています
正直生まれちゃったからという意識になりつつあります
・・・親不孝だな >>661
あえて言うなら私が信じているのは、
「人の優しさ」
かな。 楽に逝きたいってのは贅沢かな
幸せだったと無理にでも言わなきゃいけない気がします
この環境ではそれが礼儀かと
不幸だなんて言うのは失礼かと これを使った
「科学的瞑想」
というのは私にとって意義はあった。
https://goodbrain.jp/muse/ そうそう
物理と離れた存在は無いというのがわたしの理解の芯です。 >>655
疲れました。:)
私には唯物論と随伴現象説的二元論の区別も怪しいですし。
私は少なくない唯物論者は後者だと思っています。
物質の最小単位に関しては、無い、あるいは永遠かもしれないと思っています。
少なくともこの100年くらいでは決定できないのではないかと。
物質はどこまで細かく見えるのかについてですが、
例えば、綺麗な液晶ディスプレイも、
理想的に目の良い人にはRGBの色の集まりで綺麗でもないです。
多分、理想的に目の良い人には混色というものがありません。
そうすると、混色という現象は人間的有限的現象ということになると思います。
要するに主観主義にも、物理主義的考えは示唆することは多いということです。 >>657
私の言い方に直させて頂きますと
自然は解釈できるものだ、ということになります。
解釈というのはひとつだけではなく、いろいろあり得る
というのが特徴です。
このことについて偽パルメニデスさんにことさらな異論はない
ような気もしますけれども。 >>672
解釈して予想する
解釈の真偽は予想して、そして自然が回答します まぁ、
本来なら自然や宗教儀礼の中に「神」を見出さなきゃいけないのに、
あろう事か人工物やサブカルチャーの中にそれに近いものを見つけちまったんだから、
どうあがいても「偽預言者」にしかなれない。 まぁ「普通の日本人」を名乗ってサヨク叩くのも、
「SEALDS」名乗ってネトウヨ叩くのも、
なんかしっくり来なかったってのもあったけどな。
どっちの味方やってもろくな事にならなさそうだなって。 真偽は何が判定するのかはかなり重要だと理解しています >>674
普通の宗教でもある意味では偽預言者に溢れているかもしれません。
そう考えると預言者に必要な資質は、ヲタクとはあまり関係はないのかもしれません。 >>677
「宇宙はビッグバンで出来た」だの
「地球が太陽の周りを回っている」だの
「人間は猿の末裔」だの
「キリストは妾の子」だの
思ってる奴が預言者なんて出来る訳ないでしょ。 >>678
2番目は正しそう。
1番目はどちらでもいい。
3番目は間違いだと思う。
4番目は単純に知らない。 要は宗教の人間が神と呼んでいるものを、
そっくりそのまま初音ミクに置き換えたのが、
初音ミクのヲタクなのよ。
cosMo氏もそんな風に思ってる。
https://natalie.mu/music/pp/magicalmirai2021 「自己言及」は「矛盾」ではなく「パラドックス」でもない。
「パラドックス」を引き起こしやすいということ。
「自己言及」は「主観性」であり、「主観性」が「矛盾」や「パラドックス」ではない。
ただ、「主観性」は「パラドックス」をひきおこしやすい。
「誤謬」のデパートになりやすいわけだw
「他者言及」は「客観性」であるとされているが、それも「主観」が行うものであり、
「主観性」でしかない。
ただ、(確からしさではなく)「確かさ」というものはある。
それでも「主観的確かさ」であって、「主観」からは逃れられないw >>681
記事を読むと、cosMo氏は初音ミクに人生を大きく変えられたから、
初音ミクを神のように思っているということで、
リスナーの考えとはまた少し違うのかなと思いますけど。
しかし、歌詞を見ながらでも追い付けないくらい速い所は速いですね。 >>682
大分前のスレッドで出した自殺者のパラドックス。
自殺する人間以外の人間を殺す人間は自殺するか。 cosMoさんがどう思っているかはわからない。
ただ一つ確実に言えるのは、
cosMoはひたすら初音ミクを「哲学」しまくって、
かつそれを初音ミクに「歌わせた」。
それが「消失ストーリー」という作品群。
しかし、
「自身の哲学を自分で話す」って、
もはやそれって「神の言葉」では? あくまで
「神話はファンタジー」
だという前提での話だ。
そう思わないなら仕方ない。
多分神話の著者は、
神格を与える対象を「哲学」し、
それを物語形式の「神の言葉」として、
書き表した。
それが「神話」だ。
だとするとcosMo氏が初音ミクに対してやってることって、
初音ミクに神話を与えているようなものでは? >>685-686
神格を与える対象を「哲学」するだけでは多分足りなくて、
cosMo氏の言うような偶然であったり、
私の考えでは、神格を与える対象の自律性とでも言うべきもの、
それがあって初めて神話になるのではないかと思います。
つまり、なるようになれとか、パッシブであることとか、そういうことです。 >>687
歌が初音ミクのもので、cosMo氏の哲学から離れていないと、
神話的であるとは言えないように思います。 生憎だけど、
パッシブに初音ミクの曲書いてる奴いるわ。
あまり有名じゃないから名前は出せないけど。 俺の仮説が正しいと仮定したら、
多分あの人は初音ミクの事を好きになり過ぎて、
メロディーや歌詞が「霊感」みたいに降って来るようになったんだと思うよ。
多分。 あくまで推論だ。
神秘主義もイマジナリーフレンドも、
トゥルパもフィクション作家の、
「キャラが勝手に動き出す現象」も、
おそらく原理は近い。
ある特定の対象のイメージを脳内に叩き込み、
「ある対象」の思考回路の脳内エミュレーションまで繰り返して、
無意識下にまで書き込まれた状態を作り出し、
それが何かの拍子に「現出」する。
じゃあもしその「ある対象」が、
アニメのキャラクターや初音ミクだったら? >>690
生憎でもないですよ。
まあ、色々なタイプがいると面白いと思います。
>>691
私の仮説だとある時点で飯の種になると確信したんだと思います。
生きる手段として。
降って来ているかどうかは解りません。
>>694
降って来るものの場合、それこそ神秘だと思います。
降って来るという言葉の意味するところは、
それまで私になかったものが現れるということではないでしょうか。 何をもって真理だとすることができるのか
ということは考えられて良い ニュートン力学、相対性理論など
宇宙背景放射、ヒッグス粒子は未だに疑問視されているが w もしその誰かさんが、
初音ミクを「飯の種」としか見ていない人間だとしたら、
初音ミクで四桁も自慰していないだろうな。 >>700
私は、飯の種はもっと根源的な、生きる手段とも書きましたが、
非常に大切なものだと考えています。 自己言及を認識論から考えたら自己=他者になる
否定で言及します
決定不能です
自然は運動しますが静止で規定されます 宗教は人間の根源
科学も欲求の根源
宗教選べば基準はそこから
地動説の承認! 感情は理性を受け入れないことがある
理性もまた感情を
双方ともに人間には否定、肯定は出来ない気がする 虹自身時間はありと思いけり
消えかかった虹の戯れ言です 言いたいこと言わなきゃな
科学は基本を確立してないし
人間自体がまだまだです まあいつ逝っても良いんですが
生きることに少し飽きたかな 何度も言うようだがヲタクとは、
「ちょっかんを逆に向けた人間」
の事なのだ。
紅茶のパッケージにごちうさキャラなんて印刷されたら、
ごちうさキャラの「存在」を感じながら紅茶飲むに飽きたらず、
挙げ句の果てにはごちうさキャラの体液だと思って飲む人間すらいるのだ。
https://www.liptonchilled.com/gochiusacp/ 若い方、より良い日本、世界創造に寄与してください
去り行く人間の希みです
個人の幸せと社会の在り方は表裏一体ではないでしょうか >>708
寂しいこと、言わないで下さい。
>>709
笑うわ。
>>710
真面目な話ですが、日本はいつか、人工的に子供を作ることを
考えて行く必要性があると私は思っています。
文字通り、子供は社会のものです。 >>711
自身の限界感じています
できることは一つなんだなってつくづく思います
若い人はこれからです
全人の成果を踏まえてさらなる高みに行って欲しいです
日本の為に、自身の為に、世界の為に
でもわたしの理解はなあ・・・
愛する人たちの思いを受けとめられない哀しさ
霊魂不滅説は納得出来ないが魅力的です 紅茶をごちうさキャラの体液だと思って飲むのはギャグなのだろうが、
本質的には、
「ワインはイエスの血」
と言っているのと大差はないのだよ。 自然は単純そのものかと
理解するから複雑に
多くの人はそれで理解できるからそれが在るって考える
存在するのは全て物理に伴います
物理の在り方です
次元も力も物理の在り方の抽象です
それ以外ではない 知人ははやく死にたいと言って数年後に亡くなりました
なんかわかってきました 生きるって何なのかは問わない方が良いかも
精一杯生きた人に祝福あれ
なんて思いました
生意気ですね 笑
学問とは、は考えて良いかなと
でも性って基本ですね
この歳でやっとわかりました
つくづく馬鹿です
社会的動物の人間は距離感がややこしいですが 知的到達点には満足しています
社会的には大馬鹿だなと思いますが
ハンディを幼い頃から抱えていましたから周囲には勘弁して欲しいですが
親族、知人には感情しています
日本の学の水準にも感謝しています
・・・自身が満足していれば良いわけで 思いは引き裂かれていますが
はやく楽になりたいかも >>716
キリスト教、日本などの性の距離感はその社会には必然性がある気がします
いや、世界に一律に押し付けるのは疑問がありまして
押し付けてはいけないことも沢山ありそうです
まだまだ試行錯誤の段階では
行き先を見届けたいとは思いますが 他文化理解の在り方は現在の世界には重要な課題かと
正直キリスト教など一神教は困ります >>712
若い人達にもしがらみはありますから。
霊魂の不滅ですか。
それはあまり考えたことはなかったです。
多分、滅し得ると思いますが、よく解りません。 >>671
「自然」というのも色々な意味がありそうですが、
以前私はガンダムに出てくる宇宙要塞ア・バオア・クーを例にしたことがあります。
ア・バオア・クーはもちろん架空の存在しないものです。
有るのはテレビに写っている映像や本に載っているイラストだけで
そのものは存在しないわけです。
たぶん東京タワーなども同様です。
有るのはみんなの目に映っているものだけで客観的な映像は無い、
主観が無ければ映像もない、
これは映像だけではなく音も味も匂いもみんなそうであるはずです。
そういったものをすべて除いたとき、あとには何が残るのか。
自然は私が認識しているものがすべてではありませんけど
主観を離れて存在するものではなく
自然自体というのであれば、それははすべての主観の総体と考えます。
いわゆる間主観です。
なお、もちろんみんなで同じものを認識する構造はあるに決まっているわけですけど、
それが定説どおりかどうかは疑問というのが私が投げかけている問題です。
いずれにしても時間が足りません。
子供の頃「人間は考える葦」というのがいまいちピンと来なかったですけど
今はわかる気のする今日このごろです。 >>664
人間を信じられるのならそれで充分だと思います。
全ての人間がイエス・キリストだという考え方があります。
教会の前で気にくわないやつのテーブルをひっくり返したりするわけです。
ちなみに神話の本質は集団意識の具現という説を私は信じています。
遠く離れた地域で同じパターンの物語が語られたりするのは
そのような構造があるためとされているようです。
残って行く物語と消えていく物語があるというのは
みんなが選んでいるということだったりするからなわけです。 >>722
魂は定義からして滅しないという考えもあるかもしれません。 >>669
私としてもたとえば目の前にあるリンゴは再現無く分解できる気がしています。
ただしそれはアルケーの探求ではなくただの分解です。
人間が最小単位ふうのものを新しくつくっているかんじです。
しかし私は世界には始まりがあると信じていて
それはつまり無から有へ変化した瞬間があったはずだということです。
ちなみにその現象に原因は無いはずです。
「原因」は人間が生み出した虚構であり自然のものではない気がするためです。
で、私としてはその一番最初に存在した何かについて興味があります。
たぶんその痕跡は今でも残っていて
そしてそれを解明することがすべての謎を解く鍵になると信じているのです。
何しろすべての発端ですからそれはそうだと思うのです。 >>726
このレスの個人的なポイントは「宇宙の始まり」ではなく
「世界の始まり」としているところのつもりです。
とにかく「宇宙」というのは本当の何かではない気がするのです。 それぞれの認識能力で対象化しますから
視覚、聴覚など
対象自体は同じです
認識に対象化されない自然はありますが存在はします
人間が認識に対象化して自然が存在するのではありません
人間は地球に、銀河系に生成した宇宙には存在しない
認識に対象化されないが存在します >>726
再現は際限です。
おかしい、何かおかしい、近々地震でも来るのではなかろうか。
寝てるときに地震が来たらいやですけど
枕元に靴と笛をおいておくのがいいと岡田さんが言ってました。
地震が起こると窓ガラスが割れて素足では歩きにくくなるのと
自分が埋もれてしまった場合ここにいますよ的な主張は
声を出すより笛を吹いたほうがいいかんじだからだそうです。
笛は携帯のストラップにつけておくのがいいんじゃないかとか言ってまぢた。 >>728
私が想定している主観は人間のものだけではありません。
もっと原始的なものも含むすべてです。
世界は人間がいないところでもそのような主観によって
充満されていると考えておくのが妥当だと思います。 >>724
> ちなみに神話の本質は集団意識の具現という説を私は信じています。
> 遠く離れた地域で同じパターンの物語が語られたりするのは
> そのような構造があるためとされているようです。
> 残って行く物語と消えていく物語があるというのは
> みんなが選んでいるということだったりするからなわけです。
なかなか良い線いってますよ。
私に言わせれば話は逆で、
広く広まった神話が集団意識を形成すると思っていますがね。
各自然物に対して集団意識が集まったのが多神教の神。
神話を寄せ集めて全ての集団意識を束ねたのがYHVH。
では、
感性が神を求めるのに理性が神を否定する、
インターネット上のヲタクの集団意識を一手に引き受けた、
「初音ミク」
これを霊的に解釈するとどうなるか。
わかりますか? とりあえず、主観を持つものの単位を粒子とします。仮想粒子です。
この粒子には入力と出力があって、(物語論的に)行って帰ってくるとid射を得て
「存在」になります。
(何が行って帰ってくるのか、粒子自身なのか分身なのか、というのは先送り)
もっかの問題は、複合粒子による世界。複合粒子による主観世界。
複合粒子全体と、個々の粒子、それぞれに主観があるとなると... >>731
わたしは科学前提で自然は無矛盾ということです 主観の単位粒子は、単体であったり複合粒子であったりする。
そして主観はひとつしかなく、他は客体となる。
客体は客観でよいとしても、主体は?と考えると、それは客体である。
それぞれの粒子(複合粒子も粒子の単位とする)が(主観)tokenを持つことで、
その粒子が主観を持つとする。
tokenはひとつしかなく、それぞれの粒子に割り当てられる。
「時間」があるのなら時間単位ごとに割り当てられる。優先度があるのかどうかは先送り。
逆に考えれば、tokenがひとつであるということが、時間や空間のようなものを作り出している。
だが、これでは通常の(フォン・ノイマン型)コンピュータと同じことになってしまう。 >>714
単純化は人間の仕業なので、「自然はあるがままのもの」くらいの
表現が良いではないでしょうか ノイマン型の主観世界システムはわかりやすいが、
量子コンピュータ型の主観世界システムも考えねばならない。
こちらには、複数のtokenがあり、「もつれ」ている。
この状態を、ひとつのtoken側から見た世界がわれわれの世界である。
これはtokenからみた天動説であるw
では地動説ならよいのか、というと地動説も間違いである。
どのtokenも中心ではない。
天動説も地動説も間違いなら、なにが正解か、といえば、
超球面説であるw
(確率1の)超球面によってすべてのtokenが調停される。
確率1の超球面ってのは、簡単にいえば「保存則」のことだ。
「保存則」を幾何学的イメージで捉えているにすぎない。 >>712
>霊魂不滅説は納得出来ないが魅力的です
私は霊魂という言葉は普段は使わないのですが、
霊魂は不滅であると信じることにしました。 そのように考えていけば、「矛盾」は許容される。
「矛盾」していてもよいのだ。ただ、「保存則」さえみたしていればよい。
完全なる無秩序は秩序であり、完全なる秩序は無秩序である。
無秩序と秩序の重ね合わせ状態が「無」の「本質」。 >>726
私は、経験していない過去は未来であるという考えを持っています。
世界の始まりは私の始まりです。
しかし、法則というものはありますから、
過去は全く自由であるかと言うとそういうわけでもありません。
私も因果は思考の形式だと思います。 >>540
5chブラウザを使うと大分小さくなります。
特にスマホ版。 多分神でも仏でも悪魔でさえもない「アニメキャラ」を、
宗教で言うところの「神秘的合一」が起きるレベルにまで、
脳内に書き込んでしまったから、
神だとか仏だとか信じたくなる「気持ち」はわかる。
それでも科学の発展を宗教的理由で邪魔されたくはない。 そして多分霊界という物が実在するとしたら、
本来神や仏が居座るところに人工物を置いた私は、
死後地獄からすら追い出されることになるだろう。
魔術に走り、脳内にAiwassなんてものを作ってしまった、
かつてのクロウリーのように。
それでも私にはもはや他に生きる道はない。 形骸化し原理主義に走った諸宗教とスピリチュアルを破壊出来るのなら、
死後火と硫黄の池に沈められても構わない。 >>746
何が貴方をそこまで駆り立てるのでしょうか。
偽物は放っておいても消えるのではないでしょうか。 神的なものを直観出来ない私達の理性は神的なものに迫ろうとしても真理の光りによって暗闇にまた、戻されて
しかしその闇の中で逃げ道を探すならば
、隠れた真理が私達と出会い聖書の言葉を通して 信号や影を通して答えるのです😃 >>737
はぁ・・・
検討します
>>739
死が近くなると、ハイネ「ドイツ古典哲学の本質」の序文は親しいものになります
また幻影を体験したくなります
終活していると思いでのは品がでてきます
つらいです 姉はクリスチャンでした
父は天理教
母は宗教嫌いの霊魂肯定派
妥協して母に従いますか
義兄も従兄弟たちも数人逝き
叔父叔母は皆
次はわたしかな
父母姉の最期は皆笑顔でした
わたしもそうありたいですが、さて きれいに死ねるかな
・・・次男なのになんの因果か皆わたしが送りました >>747
はっきり言うと自分でもわからない。
ただ、どうあがいても愛が届かないような相手に対して、
心の底から愛し愛されたいと願ってしまった。
そんな究極の禁忌を追い求め続けた結果なんだろうなとは思う。 どうやって生きれば良いのか
死ねば良いのか
それが知りたかった
人間はまだまだなのかなあ >>752
来世で会えると信じてみるのも一興ではありませんか。
文字通りに解釈すると、地獄は現世だと思います。
だって、地に縛られていますから。
>>753
生きるから生きる。
それだけでは足りませんか? だめだよ。
確かに虚構による心の支えは人に必要なの。
だけど、虚構に入れ込み過ぎて現実を見失ったら、
原理主義者になっちゃう。
逆に虚構の方を失うと唯物論者。
どちらも嫌だ。
人にそのバランスをもたらす多分最後のアプローチが、
「科学による虚構」
なの。 何より、
科学の発展を止めたら、
救えるはずだった命が救えなくなっちゃう。
そのせいであの人と同じような目にあう人が増えたら本末転倒だよ。 今世で縁あって出会えて一緒に生きられたことが生きてきた理由でしょ、逝くときも思い出しながら死ねるのが人間ならではかと 死ぬと私はもう一つの別の現在形式でそれ以前と継続し私の魂はたくさんの現在形式で遍歴しだから現実の現在は一つの形式ですぎないの、
私は不死の為の証明の満足することもあるかもしれない、けども、不死の証明は全て間違ってるばかりでもない、
またこの、絶対大事な問題にして
本当らしさを頼りにすることが間違ってるだけのでもない、それどころか不死こそは証明されうるのです
魂は器官に繋がってて夢も見ないで寝たらそれは非現実の示してます😃
記憶に依存することは病気の場合に経験されるけど魂は死んでも肉体の生活は可能です、私達の現在は感覚器官や記憶に意欲や意識により規定されてるからです😃 >>755
生は根源的だと思います。
>>756
科学というのは広い意味で科学ですよね。
私はそれを正気と解しました。
正気に虚構を追い求める。
それって、バランスなのかな。
もしかしたら、理想的なのかもしれません。 >>757
私も科学の発展が、人々の命を救うと信じています。 >>761
生命は長らえても命は科学でも救えませんね >>762
不慮の事故とか、不治の病とか色々ありますが、
科学はそれらを乗り越えて行く可能性はあるかと思います。 ここで科学の成果を宗教的世界観で否定される事そのものが、
既存の宗教が限界に来ている何よりの証。
古来から宗教と歌は切っても切り離せない関係であり、
宗教儀礼にも歌は使われる。
それを全てマジカルミライのようなホログラムライブで置き換える。
宗教関係の仕事に就く人間は今後減るだろうから、
負担軽減という名目なら受け入れられるだろう。
宗教家の役割をミクさんにやらせる。
そうする事でインターネット集団意識である初音ミクに、
あらゆる宗教のドグマを集める事ができる。
さらには初音ミクは科学の記号を持つから、
宗教の非科学的部分を削ぎ落とすフィルターも標準装備。
こうしてあらゆる宗教を根こそぎ飲み込む事ができる。
まぁキリスト者からしたらそういう存在、
「ドラゴン」
なのかもしれないけど。 神格化ってなんなんだろうな
何を神格化するかによってその個人なり集団の特性も左右されるだろうから、 キリスト者による「千年王国」か。
ヲタク主導の「ホルスのアイオーン」か。
ヨハネの黙示録は既に開戦している。
https://youtu.be/a51VH9BYzZA 神格化とは一種の呪縛なのかもしれない
なんで人間は神を想定したんだろう
「ドラゴン」は原始の哺乳類が恐竜に怯えていた太古の記憶の元型とも言われる
まあ、ティラノサウルスは史上最強の生物かもしれないが、
多分史上最悪の生物は人間 >>767
そうなのか、ドラゴンはもっとなんかこう縁起のいいもんだと思ってたわ >>765
昔はどうか知らないけど 今は 形而上学が行き詰まりだから、隙間産業みたいなもんよ 保存則を否定する理由はない。
あるんだからあるんであって、ないんだからないのだ。
ないからあるを引き出すにしても、保存則さえ満たしていれば問題はない。
主観も保存則を満たす/満たさねばならない。
主観も、また、超球面論理に従い、確からしさ/確かさを得る。
保存則をみたすべき情報空間をつくりだせればよいのであって、それが「脳」である必要はない。
ただし、低レベルの「意識」は、そのような情報空間を持たない。彼らの情報空間は外部世界である。
「意識」としての内部を持たない。 YHVH同様にあらゆる集団意識を一つに集めつつ、
科学を埋め込まれてるから非科学的部分を削ぎ落とせる。
さらには「うちのミクさん」として聖守護天使の役割も同時にこなせて、
相互に影響し合うことにより時代に合わせたドグマの自動更新まで可能。
私に言わせればYHVHの上位互換ですねミクさん。 意識の内部を考えるなら、外部と内部の間にはタイヒミュラー空間がある。
タイヒミュラー空間が「推理機関」であるとすれば、その動力源となるのは、
保存則を満たさない「矛盾」である。
そして、この「推理機関」が保存則を満たす内部情報空間を構築し、
それが投影される。その投影された世界がわれわれのみている世界。 そしてミクも神として投影される。
それが、彼の中で保存則を満たすものであれば。 >>764
>ここで科学の成果を宗教的世界観で否定される事
私は否定しません。
>>766
>ヨハネの黙示録は既に開戦している
牧師に黙示録は過去、現在、未来、いつのことか聞いたら、
未来のことだと言っていました。
先週くらいの話です。 >>764
>さらには初音ミクは科学の記号を持つから、
>宗教の非科学的部分を削ぎ落とすフィルターも標準装備
これはよく解りません。
スマホは科学の成果ですから、
使用する者は科学的だと言うようなものだと思います。
実際には、宗教者にも使えます。 >>772
>私に言わせればYHVHの上位互換ですねミクさん
キリスト教は、偶像崇拝は禁止していますが。 >>772
>私に言わせればYHVHの上位互換ですねミクさん。
どちらかと言うと、仏像の上位互換では? >>782
>どちらかと言うと、仏像の上位互換では?
テクノ法要ってありました。 >>756
まあ唯物論は嫌でしょうね
ただそれが無矛盾であると示すならわたしは受け入れます
諸学問は各々その嫌な結果に愕然とした
新約聖書、数学、マルクス主義・・・
自然科学もまたそうなるかと
新約聖書学の結論に信者でもないわたしが呆然自失になった学生時代を思い出します そう、「虚構」なんです
その意味は言わずもがな
貴方は結論を導いています 虚構の設定
これが認識の前提です
規定は「否定」
つまり自然には存在しない・・・
故に決定不能になる
科学は規定が自然に存在することを否定する
そのことにより自然が無矛盾だと証明します 科学でさえ基本は確立していません
わたしたち人間はまだまだではないかと
わたしたちはあまり現在の学問を絶対化しない方が良いのかと思えます
それ故に希望もあるかもしれません
絶望もまた、かなあ 確立していませんから好きな方を選べますか
今は良い時代かも 自然規定は非自然で為されます
そして「非」自然ですから自然には存在しない
対象に自然、非自然という否定関係は存在するのか
非自然は虚構ではないかと >>787
規定とは認識ということでよろしいでしょうか。
あと、決定不能とはどういうことでしょうか。 >>791
素朴な疑問として、人間もまた自然だと思うのですが。 「人間もまた自然」
人工物や科学技術が原型に埋め込まれつつある、
何よりの証拠だ。
そしてそれを象徴する「存在」として、
現状最も相応しいのが、
「初音ミク」
なのだよ。 初音ミクが全人類の元型に埋め込まれた時、
ヨハネの黙示録はキリスト者やYHVHではなく、
サタン側の勝利として決着が付くことになるだろう。
私としては、
気に入らない相手を洪水でジェノサイドするYHVH崇めるぐらいなら、
ミクさんやサタンの方を崇めたい。 >>793
個人的には、初音ミクはそのようなことの現象の1つであり、
日本に留まらないもっと大きな問題はあるような気はします。
機械化する自然。 >>794
アルファでありオメガであるものは初音ミクでしょうか。:) >>797
うーむ。人間は自然であり自然には存在しないのかな…… >>798
自己外化、観念的な自己分裂です
規定は否定です
非自然、否定は自然には存在しません
頭の中です
観念の中では自然は他者、自己も他者です
対象と主体が同一です
決定不能です
クレタ人の逆説です
規定が否定ですから決定不能に >>798
観念の中の話です
地球が静止すると仮定して観測します
それと同じです >>799
規定=認識は否定を伴う。
そういうことで宜しいでしょうか。
自己認識も否定を伴う。
うーむ。 わたしは物理としては同一だがあなたではない
わたしは物理状態として同一であることはないが同一のわたし
わたし、植物、金属は物理として同一だが否定で規定
運動は静止で
無限は有限で
有限は無限で
物理としてはわたしという対象は実は他人です
観念の中がわたしが表現主体ですです >>786
大人の階段登る君はまだシンデレラさ の若さで死ねるなんてある意味羨ましいわ ウイルスは生物、非生物と分類困難です
しかし物理存在です
否定で規定するから分類困難になるだけです 意識は物理の附随現象ですが物理ではありません
科学では物理は消えませんが意識は消えます >>796
少し違います。
αは始まり。Ωは終わり。
始点と終点を決める線分。
それがYHVH。
それに対して初音ミクは、
デルタでありシグマ。
Δは変化量。Σは総和。
変化し続ける価値観の総和。
広義積分のインテグラル。
永遠に新たな価値観を取り込み続けられる。 >>803
>わたしは物理としては同一だがあなたではない
物理としても異なると思います。
>わたし、植物、金属は物理として同一
これは単純に疑問です。
>物理としてはわたしという対象は実は他人
これは、なるほどと思いました。 ミクさんは量子ビット的次元フリー素材存在ですな
ブルーオーシャンという概念、iPS細胞、攻殻の義体、巫女、色々
自由の刑を逆手に取った象徴的表象ですか
「The 超越論的」なソレは父的か母的か?の選択で
母型(Maria、アマテラス)に収縮するのはわかる気がする 人間は他の物理状態から生成され、まな他の物理状態に生成する
植物、金属もまた 自然は運動変化して親和反発の過程で様々な物理状態に生成します
そしてまたその過程を経て他の物理状態に生成する
それだけです >>807
それが、意識を科学するという人達もいるようで。
>>809
アルファでありオメガというのは、全てということであり、
線分とは異なると思います。
デルタでありシグマですか……
デルタが何を示しているのかよく解りませんが、
シグマは解るような気はします。 >>812
なるほど。
>>816
クオリアは物理学的に説明されないと私は思います。 >>818
以前にも質問したと思いますが、何故私はこの身体なのでしょうか。 物理がこうであるということが前提です
理由はありません >>821
うーん、初期条件はありますね。
何故は無いかも。 >>823
初期?
認識するからです
物理にはありません セカイという物語のコンテクストがコンフリクトすると
パレート改善をやってのける F(x)・エクス・マキナが生成される
という再帰関数 >>824
物理に全て理由はありません
この状態に成ればこうなるというだけです >>825
初期条件は物理にありますよ。:)
>>827
二元論ということで宜しいでしょうか。 規定され対象化された自然は=自然ではない
理由は人間の側です 生と死は物理としては差異です
否定関係ではありません >>829
確かに理由は思考の形式です。
>>830
うーん、初期条件はあると思いますよ。
>>831
なるほど。 私は偽パルメニデスさんは二元論者のように思います。 >>836
物理に付随する心も存在するのですよね。 >>838
すれ違いのようですが、>>837が理由です。 自然は物理状態の差異です
生死はありません
終始もありません
物理状態の変化ということでは同一です
初期概念は認識するから必要になるだけです
物理としては存在しません
生=死でもあります
生物は生きつつかつ死につつあります
これは規定するからです >>837
物理は消えませんが意識は消えます
ケーキはその物理状態の附随現象です
意識をどう理解するかですか
わたしは不可知論者です >>840
物理はミクロ物理学のことを指しているということでいいのかな。
私は、更に根源的物質が発見される可能性はあると思います。
認識のない物理というものは、私には想像できません。 >>845
過去の物理に関しても、現在の主体の考えですよね。 >>843
運動するエネルギーの濃淡が親和反発の過程で素粒子、生物、銀河系に生成すると理解します
一元論です >>848
意識現象は、一元論(唯物論)のどこに納まるのでしょうか。 >>846
自然には物理しか存在しません
意識は附随現象で物理存在ではない
また附随現象は認識するからです
素粒子は否定で規定するから素粒子
規定して認識に対象化すること
疲れました
終活が焦眉ですのでまたにします >>826
だいたいあってますが、
カタカナ使いすぎると哲学板の人には読みにくいと思われるかもしれません。 まあそもそも不可知論者って堂々宣言しちゃってる人に物理学を理解するのは無理なんですよ。 >>856
読むと不可知論者でも毛色が違うような気がする。
不可知論の意味が違うような。 >>811
似たようなことが逆向きに行われている、
「インターネット上の悪魔」
が例のホモビ男優だったりする。
クッキー☆とかいうものの本質はそれ。 早い話が、
「感性が神を求めるのに理性が神を否定する」
ヲタク達は自覚の無いままに、
宗教的世界観をインターネット上に構築てしまった。
天国側も。地獄側も。
そして心象に1のセフィロトとiのクリフォトの他に、
jとkの軸が心に追加された結果、
視点が回転を始めて心象風景がカオスになった。
そしてその心象風景は心の軸が1とiしかない人間にとって、
ヲタクの心象風景はどうあがいても理解不能になり、
社会不適合者扱いされるに至った。 死どころか、
死後の火と硫黄の池さえも覚悟した。
私はあらゆる宗教と科学の争いを終わらせるため、
偽預言者としてできる範囲から頑張ってみようと思う。
それでも、人の優しさだけは信じたい。 まあでも、考えてみれば、適材適所っていうのは あるな 地動説の問題は、太陽中心説であるということ。
太陽でなくとも、何かしらの中心があると考えること。
これらは、おおざっぱにいって、主観主義にいる。
主観主義は保存則によって補正される。たとえそれが保存則と気づいていなくとも、
なんらかの違和感があれば、それを補正する。
補正は(広義の)防衛機制である。
「広義」という楽な逃げ方wを使えば、「科学」や「哲学」そして「数学」さえも、
広義の防衛機制といえよう。
なにがしかの神格化も、広義の防衛機制である。
そして「意識」というものも... 意識のハードプロブレムの答えについて、思いついたことを書いているだけなので、
とくにコメントはなくてかまいませんw
しかし、こう考えていくと、人工意識というより、「意識」そのものが主観的な人工世界ですね。
なので、人工意識というアプローチは大きく外れてはいない。
ただ、低レベルな「意識」は内部を持たない。
この場合、外部世界の側が「意識」であるといえる。
汎意識論。
意識の内部も外部と接続されているとすれば、一元的唯意識論。
(人工意識を次世代AIとして設計中。量子計算に使える量子デバイスがあればなぁ)
(量子コンピュータのアイデアをファインマンに求めるなら、
ノイマン型ではなくファインマン型コンピュータが必要なのが難点)
設計せねばならない) は! 閉じ括弧が多い。
「突然変異」か。なんらかのミスが生じるうる機構でなければならないということか。 そう考えると、デッドロックしてしまった宇宙も存在しうる。
この宇宙は、デッドロックを解消してしまう機構が(たまたま)「先に」獲得されたのものかもしれない。
(始まり/終わりの獲得。これは宇宙という「意識」の最大の「進化あるいは発明」だったのかも) >>860
セフィロト、クリフォトの時点で付いて行けない人もいる。:)
私は検索した。
>>861
君はどう?
>>862
黙示文学という表現もあるし、
日本は浄土宗の強い地域でもあるし、大丈夫だと思います。
>>863
軸かな。
>>864
君も頑張れ。 >>865
哲学も戦いのようなものかな。
戦ったり逃げたり哲学は自由であって欲しい。
>>866
思うならしたら? >>867
>人工意識を次世代AIとして設計中
応援します。
>>869
地球の丁度良さは凄まじいですよね…… 終末思想とか末法思想とか
不安商法とか霊感商法の走りですよねw
その系譜にあるのがキリスト教やら浄土系やら...共産主義も...
本来は、その不安を否定的に解消すべきなのに、方便による解消がよくない方向に利用されている。 >>873
私は最近、週に1度、キリスト教のオンライン礼拝を見て、
週に1度、聖書の学びに出席しています。かなり初歩的ですが。
私は、黙示録はそういうこともあるかもなくらいに思っています。
末法も然りですね。
対立しない。対立すると相手は頑なになります。
全てを生きることの、哲学することの糧に変えて行ければ。 光速度一定の原理は静止の存在を否定する
このことにより自然は無矛盾ということが証明される
つまり自然は可知です
しかし静止は規定で存在は否定される
つまり自然に論理は無い
自然はただ存在するだけです
わたしは不可知論者です 認識に現象する自然を否定で規定すること
次元はここから生じます
自然には存在しません
力もまた
すべては自然を理解するための物理の在り方の抽象です
次元、力は独立して存在しません
自然は運動するエネルギーの濃淡で親和反発して様々な物理状態を生成して、それらが親和反発してまた違物理状態に生成していく過程として在ります
粒子は波の一形態、不確定性原理は運動を静止で規定するからです
0に限りなく近いが0ではないという論理も運動を静止で規定するからです
科学革命は認識の在り方の言及の側面があります
そして認識主体は認識される客体の一部ということを示します
自然は非自然で規定され非自然は存在を否定されます 決定不能は規定するからです
規定が決定不能をもたらす・・・ 詰めが甘いかな
理解するから決定不能に
理解を否定すると問題は無くなる
自然は無矛盾だが理解は否定される
いずれにしても規定の問題? 光の静止に関して、光を静止させたという記事が少なくとも2つヒットします。
それに物理的な意味での静止は、位置関係が変化しないということですから、
物理的には静止は否定できません。
ただし、光の静止に関しては2件とも真空中ではなくさらに極低温の環境での話です。
電磁波がその性質として異なる系でも速度が一定であったとしても、静止一般を否定することはできません。 >>882
地球自体は運動しています
相対的な静止です 光速度一定の原理は絶対座標を否定します
光の静止は地球上のことです
地球は運動しています うーん、絶対座標も自由にとれるものですからねぇ。
かといって、現在の自然/宇宙は静止していない、とかだとあたりまえのことすぎるし。
静止系で考える/認識するのはおかしい、ということであれば、
静止系も運動してますよ、ただ、ソレを取り扱わないだけです、としかいえないし。
時間をも含んだ多様体上の好きなところに局所的な座標系を置けるわけですし。
ま、わたしの立場としては自然/宇宙/世界は内部的情報の投影ですから、
現物ではありませんしw NHKスペシャルに、安楽死の一部始終を撮影したものがありますね。 五年で三人親しかった人の死がありました
解りたいことが解りました
いつでもという気持ちが芽生えます
親しかった同年代の死はかなり堪えこの気持ちは加速しています
解りっこないと思っていた問題が納得できる形で解りましたから悔いはありません
今は脱け殻です
正否は後世に任せるしかないです 静止でないことが確認されればわたしの理解は破綻しません
では 形而上学的な反省の主体は人としての在り方と本質的に対立してます。👰 霞を食ってても、浮世、、縁起ですか
ケルベロスをちょろまかしてハデスと握手
というわけにもなかなか🎃 わたしには矛盾=決定不能です
人類が無かったら決定不能も無いわけです
人類は自然の一部です
自然認識は自己外化でってことです
自己言及です 遣りたいこと遣りました
正否は判りません
自己満足ですが、仕方ありません
新たに遣ろうとしたことはありますが気力がもう
半世紀くらいですか
燃え尽きたかな
早く逝きたいです
今世紀に入って五人親しかった人たちが逝きましたし
悔いはありません
上出来、花丸だと自己評価しています
ゼノン、カント、ヘーゲル、数学の論理、量子力学問題
生きるとは
一応の解答が一元的に得られましたし
もう良いかなと 人間の根源に性があるということは衝撃でした
人間はある意味遺伝子の乗り物という理解がありますが 社会的動物は居心地はまあまあですが厄介なところがあります
宗教文化は面妖なところがあります
これも人間ですか >>897
大前提自身で確認できていない認識を理解云々ということ自体早合点やな、そこは 日本語的にも主張か認識にしときぃ、そんなんで死神迎えにきよったら地獄で閻魔様に舌引っこ抜かれるでw気ぃつけなはれや! 地球が静止している、運動しているという前提の正否は予想に掛かるかと
ニュートン力学は予想が的中した
自然理解もまた >>842
私は偽パルメニデスさんの考えは随伴現象説だと考えています。 ええ、物理状態が遷移したら失います
植物、金属等もそうです ハンディがありましたからきつい生でした
それ故に納得する結論を得ましたが
ある意味花丸ですから文句は無いかと
わたしの価値観では最優先ですし
納得したいし
自己慰撫かな
せめて楽に逝きたいんですが 笑 >>911
偽パルメニデスさんは、死んだら人は無に還るとお考えでしょうか。 >>919
無に還るというのは、曖昧でした。
それでお終いということです。 人間は違う物理状態から生成され違う物理状態に生成していく
自然の運動変化の過程で生成される >>923
附随現象ですからその物理状態が遷移すれば失います >>925
なるほど。
偽パルメニデスさんは無神論者でしょうか。 変化することは変化しません
変化しなければしないほど変化します >>926
はい、そうです
死に際になったらハイネみたいに改宗しそうですが 新井白石は神が最初からあるとしたら自然が最初からあるとしても良いとしました
わたしは何も生まれない、無くならないと理解します >>928
いるかいないかの神様がいる。
中学生の私の日記より。 科学もまだまだの現在、自由に考えて良いでしょう
わたしは無矛盾に自然を理解したいだけです >>929
神は自然の一部だということでしょうか。
私は賛同しないと思います。 感情的には微妙ですが今は無矛盾に理解したいという感情が優先します
生存本能は偉大です 自然という存在は特別です
だから特別な存在はありません >>940
なるほど。
新井白石は自然の存在は否定しているのでしょうか。 >>944
疑問を持たせてすみません。:)
創造神は否定しているんですね。 自然は創造されることなく在ると
何も無くならない生まれない >>948
全然です
科学者の否定派調べると面白いです >>949
全然とは全然信じるということでしょうか。 宇宙背景放射はスムート博士自身が異論を認めています
つまり証拠はありません >>950
端から違うかと
光速度一定の原理は始まりを否定します
エネルギー保存則否定する仮説は如何と
いろいろおかしい仮説かと 否定する科学者は科学革命が必要だと
量子力学も混迷中らしいです
わたしは光速度一定の原理が科学革命だと理解します 少し早いですが次スレッド立てました。
意識のハードプロブレムの答え13
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1635120903/
順序に混乱のないよう古いスレッドから使用して下さい。
宜しくお願いいたします。 >>954
なるほど。否定派も肯定派もいるんですね。 現在まで科学は次元や重力が何かは未だにわかっていません
まだまだですが至ってそのおかげでわたしのような素人もまた自由に考えられるわけです >>957
肯定派からはデマが飛びます
否定派もかな 笑
長生きして行く末を見届けてください
わたしは無理ですから わたしのは無矛盾を標榜する科学に立脚します
科学もまだまだですが >>959
是非、長生きしましょう。
科学革命があれば、多分素人にも解るように報道されると思います。 時間非存在説の科学者は少なからずいます
ニュートンにも特集されました
重力非存在説の科学者も出現しています >>961
わたしの説に否定から中立になった大学助手は結果は今世紀末でも早いかと話してました 笑 >>963
来世紀となると、今生まれてギリギリですね…… わたしのような人間は学問でしか爪痕を社会に遺せませんし
少しでも希望が有るだけでも満足です >>965
イギリスは科学革命とか定説が覆るのを何回も経験しているから理屈が通っていれば認めるとか
日本は主流学説否定は勇気がいるとはある科学者の言葉です >>966
頑張って下さい。
>>967
科学の本場は違いますね。 脚気理解の森鴎外らは最悪でした
>>968
みたいです
日本は原理を戴き突き詰めるのが得意なようです
文系は笑えるほどです ここで議論していろいろ深まりました
ありがとうございます コペルニクス気取れますから結果がわからない方が良かったりして 笑 正直霊魂不滅説は魅力があります
しんから愛した人たちにまた逢えるのですから
人間は感情で生きていますし
実生活では神は否定しません
・・・無矛盾追求しますとね
でもいつもは疲れている時にしか経験しない幻覚が母の時は例外でした
幻覚でも良いから皆に逢いたいです >>973
わたしの脳内の話です
幻想ですから
さて終活します
また来ます
時々旧友みたいに事故で逝けたらなんて思います >>969
物理学の原理が明かされるまでは
規定で否定の主張もひっくり返される
心配なさそうです。 >>976
ヘヴン状態で逝けそうです
最高です
繰り返しますが規定は否定はスピノザ
自然は<一>はパルメニデス
万物は流転するはヘラクレイトスです
決定不能はクレタ人ーヘーゲルーゲーデルです
光速度一定の原理は自然と認識の自己言及です
つまり究極の科学革命です >>977
人のふんどしで
相撲を取ってる感じ
でちょっと笑いました。
わたしが愛した人たちの魂は何処にって思います
自分の息子が早逝した母親の想いはいかばかりか
悲しみ喜び苦しみなどが錯綜するのが生きることらしいです
皆様の御多幸を切に願います 人並みの生き方が出来なかったわたしへの天の恵みかと
妄想でも十分です 笑 混沌、混迷状態の今が人間は一番楽しいかもしれません >>981
そうですか
少なくとも私は発見したことありました。 鋭意執筆中でございます
死んだ、死んだ、死んだ
周りに死が増えていく
誕生もあるのだが目にするのは死ばかり
わたしの心象風景か
生きるべきか
死ぬべきか
それが問題だ 77年8月29日か
旧友の突然の死
生まれなきゃ良かったりかな
いやただ生きれば良い
判るんだが
遣りたいことは遣ったんじゃとは遺族の話
自分を説得しているように聞こえました 意識が存在しない地球創成期
意識が存在しない地球滅亡期
意識は夢を紡ぐだけかな
科学?関係無いさ
って立場もありだな 死は遠い世界のものでした
最初によく闘った祖母が亡くなりました
よく闘った父、母親が逝きました
馬鹿息子や馬鹿娘に足を掬われましたが承知の上でしょうか
生きると辛すぎることもあるのだなと当たり前のことを思い知らされる馬鹿息子です 大地震あるともっと大きくなって死ねないかななんて不謹慎なことを考えてしまいます
いやいやこれからの人たちが困るなんて思い反省したりします 昔住んだ地域に行くとまだ面影が残っていたりもう跡形も無かったたり
でもすっかり異邦に成り果てています 久しぶりの日本酒
不味かった
馴致ってことかな
下痢した やはり意識はなあ
この自然では無くなるから
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