デジタルトランスフォーメーション5
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Recursivityが生じるのはDigital Objectsのみ
それに対して、Contingencyはアナログを指し示すことになるわけだが Recursivity and Contingencyは邦訳「再帰性と偶然性」がそのままのタイトルで出ているが
5000円もするな 認識という行為が乱暴に事象を切り取る行為だからな
絶対的な断絶が生じるってこと
そこに起因する絶対性が、たとえば記号AはAであるなんていう絶対性がなければ
成り立たない言説を可能にするんだよ
その言説を否定すれば、最終的には認識という行為はその根本から解体される
断絶があればそこに絶対性がある
その絶対性を避けたいなら、完全に滑らかなグラデーションであることを示さないと行けないが
しかし、認識という行為そのものに潜む断絶性がそれを許さない 現実には、同じ物は存在しない
そこにある椅子は次の瞬間には同じ椅子ではない
ある瞬間にその椅子のスナップショットを記録し、それを一定期間維持することでのみ、同じという概念が可能になる
記号AはAであるというときも同じ
それを否定すれば、その認識の仕組みそのものを否定することになり、認識という行為、あるいは認識者そのものが
解体される
要するに、同じという概念が存在することを認めるなら、AはAであるという言説はいかなるバリエーションをとっても
本質的にはそれが可能になる
この言説を本質的に否定するなら、同じという概念そのものの存在を否定することになり、それは
スナップショットを一定期間記録するという行為そのものを行っていないということになる
すなわち、認識という行為そのものの存在が否定されることになる 要するに、認識者にとっては、同じという概念が常に必ず存在するということ
そしてこれこそが認識者にとっての絶対性ということになるね >>364
つまり、「再帰性と偶然性」にこそ、その絶対性が潜むわけだね
この著者はそれに気づいているかな 認識者にとって、同じという概念が絶対に存在するという言説こそ、
限りない相対主義をついに断念させるものになるね 同じという概念が成り立つことで、ループ、再帰が可能になる
再帰が可能になれば、そこに絶対性が生まれる 結局、アナログは認識できないという当たり前の事実がしっかり認識されたことがエポックメイキングになったな
これによって、すべての根本概念が変わろうとしている
元はカントが指摘していたことなのに、その咀嚼に300年もかかるとはな 要するに、この世界には認識できないものと認識できるものを隔てる、脱構築不可能な絶対的な構造が存在するってこと
この絶対的な構造から、認識者を規定する絶対性が導出される、あるいは導出されているということになるね 認識出来ないものは果たして存在しているといえるのか 認識できるものはデジタルなわけだけど、それではデジタルでないものはこの世界にあり得るのかってことだね
結局、デジタル自体に絶対的な構造が付随してしまうから、それを解消するには、その背後にあるアナログ(ないかもしれないが)
と合わせた脱構築が求められる
しかし、そのアナログを認識できない、あるいはないので、そうした脱構築ができないってところか そもそも、「ない」という概念自体が絶対的な構造だから、それを認めてしまうと
絶対的な構造がそこで発生してしまう
二元論の境界に伴う絶対性か、「ない」ことを認めることで生じる絶対性の二択だな 数学の絶対性なんかも、この構造の絶対性から生じてるってことだね さらに言えば、もしデジタルの背後にアナログが「ない」のであれば、それは認識者にとってだけでなく
宇宙の真理として絶対的な構造が存在するということになる
この場合は、絶対性が宇宙の真理になってしまうってことだな 要するに、「ない」という概念は、あくまでデジタルしか認識できない認識者の概念であって
それが本当に「ない」のであれば、この宇宙全体が1つの認識者ということになってしまう
もちろん、「ない」という概念によって生じる絶対性が、この宇宙全体に適用されることになる こういう思考方法がメイヤスーの言う「思弁的」ってことだろうな
「思弁的」に思考することで初めて、哲学は可能になる 認識の粒度の問題だな
人間の認識は全ての情報を拾える訳じゃないが、だからといって「ない」事にはならないみたいな 技術の進歩は凄まじいな
このスレは最も基本的な話なので、いくら技術が進歩しても有効だとは思う
こういう基本的な話を抑えておけば、技術の進歩がいくら凄まじくても恐れることはない AIによって固有性を喪失させられるという事が既にクリエイティヴ関連で起こり始めている
AIを操作する主体に責任を帰属させる他ない訳だが、それがかえって著作物自体に帰属する固有性の有無を反証してしまうだろうと思う 固有性、芸術性、エンターテインメントは人に喜びを与えると同時に、苦をもその表裏一体として与える
最終的に人類は、前者を享受するよりも、後者を排除することを選ぶだろうと思う 固有性も結局はパターンによって表象されるが、人間の認知のメカニズムがそれを覆い隠してしまっている
芸術も突詰めればアナロジーであって、高度に抽象化されたパターンに過ぎない いずれにしても、人間自体が複製可能な方向性に技術が進んでいくから、真に固有性の喪失に至るだろう
これは、人間が本能的に固有性こそが苦の原因であることを見抜いているので、したがって技術はそのような方向に進むんだろうと思う AIが汎用化されたとしても脊髄反射的に固有性を反復し続けるだけで、それは人口培養やゲノム編集の様な有機的な機序に従った模倣の場合においても変わらないと思う
もっと言えば、固有性は認知のフォーマットそのものにあるから固有性を排除していくには感覚器官の拡張等では駄目で寧ろ身体性を徹底的に排除していく事になる 認知の問題はあまり重要視してないかな
本質的に固有性がなくなれば、認知もそれに従うだろうと思う
好きなときに複製できる、あるいは好きなときに個性を交換できるという状況になれば
いくら認知に問題があってもそこに固有性を見出すことはもはや不可能でしょう 固有性は文化や伝統といったコードと結び付いているから、固有性が喪失すればそういった人間社会を維持する為の価値規範も失われる事になる
テクノロジーの進歩や個人主義による共同体の脆弱化があっても尚生殖能力が強力なコードとして機能しているのは、各々が身体を拡張した現実に意味を見出しているからでありそれこそが固有性の源泉に他ならない 人間が身体に固執する限り、コードに従って生産性のない自然界の営みを反復し続ける事に甚大なリソースを裂き続ける事になる
こういった滑稽な事態を終息させるにはコードを単純に書き換えるだけでは駄目で、人間による文明社会を可能な限りシュリンクさせAIに運命を委ねるという選択肢も必要だろう 220 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2022/11/02(水) 11:40:51.87 0
デジタル化は、もう人間いらないよ、という世界を構築するための方法なのに、そこを履き違えてるのが多いので笑える デジタル = 1か0か = イチかバチか(オール・オア・ナッシング) >>395
結局、0の存在だね
これがあるなら、デジタルであり、論理系であり、複製可能であり、認識者ってことになるな
つまり、もともと認識者は複製可能であり、したがってそこに固有性は存在しないということになる
そして生殖の問題だが、例えばAIなんかだと無限に美人画像を生成できるわけだが、さらに
無限に美女ロボットを生成できるようになるとどうなるだろう
あるいは、そういう認識を可能にするインターフェースができればどうだろう
そもそも、そこに意味が生じるのは、脳内物質による興奮があるからで、その仕組み自体が意味を失ってもそぎ落とされる可能性もある
生殖自体、人口的なものに置き換えられ、さらに認識者がIT化されれば、ほとんどゼロコストで複製可能になるので、生殖自体が
意味を失う 美人には固有性があるけどね。モンゴルでの美人と日本での美人は全然違う
蓼食う虫も好き好きだから、美人の定義も自明ではない 時代によって、地域によって、美人の定義や判断は異なる。それを普遍化できない。
美だけでなく、あらゆることがそうした普遍化を免れてしまう。
LGBTQとか、安楽死などの倫理においても同じことだ。要するに、そう簡単には
一意収束しないと考えられる つまり、この世界は多様性によって保険をかけて、なんとか系としてシステム
全体を維持するように作動している。いわゆるベクトルが多方向に揺らぐのが
この世界であり、それを仏教では無常と呼ぶ 最終的には固有性が苦の原因だからね
生物としては、多様性・固有性に保険を掛けるのは正解だろうけど、認識者としての苦はそれを排除する
選択をするだろうと思うってことだな
生物は無作為性を利用として切り捨てを行い、それによって進化するわけだけど、認識者としてはその方法は許容できない
無作為に頼らず、エミュレーションを使って、最初から進化の方法を切り捨てなく模索するだろう そして、ヒューマニズムだとこの生物性がすべてになってしまう
だからポストヒューマニズムの時代ということになるな デジタルの役割は人間を環境から切り離す事で徹底的に無価値化し、環境とAIを橋渡しする没個性的なインタフェースとして存続させる事にある
人間なき後の世界においては、如何なる偶発的な不幸も生じ得ない永遠の安寧のみが訪れるだろう 私利私欲を追求する庶民はアナーキー(無政府状態)になりがちであるために、かつては思想統制によってそれを規制したが、近年では環境管理のAIが思想統制に取って代わった[1]。結果として中国ではAIによる人民の管理が進み、ますますデジタル技術が拡大している[1]。 欲望もなくなっていくからね
アップロードされた後の精神が何かの欲望を持っているというのもなかなか考えにくい
徐々に観察するだけの存在になっていくだろう このあたりの話題がすでに哲学の主流でなければおかしい
生まれ変わりの可能性も含めて ライドシェアが話題になってるが、デジタルの本質というのは、無作為に紛れ込ませる
ことなく、それぞれを追跡、識別可能にするってことだから、ライドシェアの
場合も、そのサービスに参加する個人を直接識別して、その身元を明らかにする
ことで、可能になる効率化ということなんだろうな
こういうデジタルの本質を理解していれば、それを応用したサービスの可能性というのは、いろいろ考えられると思う 乗る方も乗せる方も身元が確実に把握されるから犯罪なんて起きないだろう
フリーターみたいな人でもやれば良いんじゃないの?
デジタルの威力を社会に周知する良い機会になる
これで社会全体の風通しが良くなって社会がかなり変わる可能性すらある デジタルによって間違いなく社会全体の利便性は向上するだろうけど、人間の思考には透明性がないからね
少なくとも為政者が思考を管理させる事は考えにくい 「米国の後追いをしてほしくない」メディア理論家のラシュコフへのインタビュー 日本にむけたメッセージも(Book Bang)
https://news.yahoo.co.jp/articles/2efd7b3042512f428ee232dba8ce3c288fabdc2c
『デジタル生存競争』の原著タイトルは『Survival of the Richest』。直訳すると、「超富裕層のサバイバル」だ。シリコンバレー特有の「マインドセット(思考パターン)」を舌鋒鋭く批判。世界の終末に備えるテック・ビリオネア(億万長者)たちの地球脱出志向や火星移住計画を「バカバカしい」と一蹴する。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています