NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」part20
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【放送】 2022年4月11日(月)~
【制作】 日本放送協会 東京放送局
【作】 羽原大介
【ヒロイン】 黒島結菜
【音楽】 岡部啓一/高田龍一/帆足圭吾
【主題歌】 三浦大知「燦燦」
【語り】 ジョン・カビラ
【副音声解説】 山崎健太郎
【制作統括】 小林大児/藤並英樹
【プロデューサー】 高橋優香子/松田恭典/川口俊介
【演出】 木村隆文/松園武大/中野亮平
【放送時間】
<毎週月曜~土曜>
●総合 午前8時~8時15分
●総合 午後0時45分~1時(再)
※土曜は一週間を振り返ります。
<毎週月曜~金曜>
●BSプレミアム・BS4K 午前7時30分~7時45分
<毎週土曜>
●BSプレミアム・BS4K 午前9時45分~11時(再)
※(月)~(金)を一挙放送
◆公式サイト
https://www.nhk.or.jp/chimudondon/
◆公式ツイッター
https://twitter.com/asadora_nhk
◆公式インスタグラム
https://www.instagram.com/nhk_chimudondon/
▼前スレ
NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」part18
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/tvd/1652327344/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」part19
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/tvd/1652440420/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 1週で死んだ父親と縁ありましたと言われても
はあそうですかとしか言いようが無いけどな 妻に先立たれたのに異様に豊かな善一さんはきっとCIAの工作員なんだろうな
全略された7年の間に母を亡くしておそらくは家の台所を任されても料理の嫌いな暢子みたいに文句一つ言わず、3年生になっても料理部部長を務めて、おまけに人知れず受験勉強も頑張っていた早苗こそ描いてほしい >>320
あのノブ子のレシピ本はどこから得た情報なんだろうな
デジタル万引きならぬアナログ万引きかな >>295
ザ・ガードマンやキイハンターだっけかな当時統治下の沖縄ロケ回を見てたら
日本の南国の地方都市みたいな街で、でも英語看板に右側通行や国産車らしき左ハンドル車とか出て来て
そんな感じだったかな >>265
ありがと。
初めて知った用語だわ。画像検索したら、ぽいね。
1950年代なら、母ちゃんのお下がりだったりしてw 早苗父子があまりにも比嘉家にとって都合がよすぎるので
善一は優子と再婚しそうだし
早苗はクズの賢秀とくっつけられそう >>326
再婚してくれてたらまだ話の筋的には納得できるんだけどな 暢子の東京弁は
だぜ!だけ
オーナーや高嶋や客にも
ナポリタンだぜ!言いそう >>289
上京してすぐに入った店がイタリアレストランだったのは、そんな高級な店に?を除けば、
ナポリタンで優勝したエピの延長線上にある
が、そのオーナーが沖縄出身で暢子を引き取ろうとした叔母さんだったというのは、
朝ドラの中でも相当偶然度において上位にあるのではないの
↓のように、お互い接点をもたずに別々の人生を歩んできたが、実はお互い出会う条件が形成されつつあった
ー両者がそのような関係にある事情は今のところ窺えない
(叔母さんのこれまでが明らかにされたら、単なる偶然では無くなる可能性がある)
ひなたと安子が映画村で出会ったのは、それしかないシチュエーション、タイミングにおいて、
両者のキャリア形成が齎したものであって、来日したらそこに孫がいたみたいな偶然ではない
ひなた編はいわばこの「必然」へ向けて仕込んできたようなものだ
ひなたー時代劇ヲタ、映画村へ就職、虚無蔵の弟子、外国人観光客案内へ向けて英語マスター、日米合作時代劇企画、
来日したハリウッド関係者の通訳
安子ーワシントン州立大学で英語と演劇を学ぶ、ハリウッドのキャスティングディレクター
→サムライベースボールに虚無蔵スカウト、密かに岡山のるい探し >>271
あそこからのバスは名護行きしか無いから、バスの行き先をもって名護から船に乗ったか確定しない
>>292も書いてるが当時は那覇から東京までの船があった
けど曜日に関してはどの交通機関だろうと銀座でホコ天やってる日が上京初日はおかしいと思う >>283
バミューダって、女のもあるんだ。
自分でもはいてたけど、短パンより長いけど、膝が出てるイメージだな。
後は知らん言葉だらけで一度には覚えられんがw
2か月で東京人になった早苗はミニじゃないのか、って思ってたら、
早苗のほうが流行に乗ってるとはw やっぱり金持ちのお嬢様か。
エキストラは中高年のおばさんを除き若い子はミニが多かったし、
mcシスターは、まだ隔月刊だから、流行を作るとこまではいってなかったのかもしれんな。
80年代、90年代は、月刊誌としてたくさん売れてたようだけど。
料理担当と違って、ファッション担当のスタッフは優秀かもしれんw 最終回
借金は返し終えたでしょうか?
返せませんでした 終 >>332
田舎から上京した人はみんなそうだよ
関西人は例外かも知れんけど >>328
レストランの同僚に東京弁を矯正されそうw 昭和47年でイタリアンレストランなんて見なかったな
デパートがそれなりに盛況で最上階に大食堂があった時代
お子様ランチを食べてからのソフトクリーム美味しかったな
現在は見ない金属製のソフトクリーム立てだった
街の洋食屋もかなりの数あったな 沖縄関係者、多し
人物紹介
レストランオーナー・大城房子(原田美枝子)
横浜生まれの沖縄移民2世で、
1970年代では、まだ少なかったイタリアンレストランのオーナー
戦前からのたたき上げの料理人。
実は暢子の家族とは、深い因縁も秘めている。 平良三郎(片岡鶴太郎)
沖縄から働きに来た親の元で、鶴見で生まれた「沖縄二世」。
暢子のことも常に見守り導き、働き口のレストランも世話をする。
実はその店のオーナー・房子との間に秘めた過去が…。 猪野寛大(中原丈雄)
養豚場の経営者。
養豚、そして豚への理解と愛情に満ち、
沖縄との意外な縁も秘めている。
やがて暢子の人生にも深く関わることに。 >>129
だよな
やんばるでバスに乗った時はTシャツとジーンズみたいなバミューダパンツだったのが
早苗と銀座で待ち合わせた時はブラウスとスカートだったから着替えてるな
>>151
有名な六本木の飯倉にあるキャンティは1960年開業だよ 島袋とか眞境名、屋良、喜納、我那覇、そして比嘉
ロクでもないのはみんなウチナンチュ 従業員、多し
「アッラ・フォンターナ」
オーナー 大城房子 - 原田美枝子
料理長 二ツ橋光二 - 高嶋政伸
料理人 矢作知洋 - 井之脇海
料理人 江川明 - 城戸健太
料理人 長山安二郎 - 渡辺類
料理人 桃木雄三 - 池田航
料理人 玉島雅弘 - 櫻井圭祐
ホールスタッフ 山辺貞雄 - 阿岐之将一
新入社員 比嘉暢子 - 黒島結菜 ←New 琉球海運(1956-68)
http://www.tt-museum.jp/cold_0185_rk1968.html
1967年(昭42)7月、同社は那覇-鹿児島線に加え、那覇-東京線を開設しました。
1968 東京航路 那覇発 午前11時
http://www.tt-museum.jp/rkk1968_21.jpg
2等運賃 $18.30 ¥6,590($1=¥360)
那覇―鹿児島
2等運賃 $9.70 ¥3,500 今日の最後に出た征矢はまた出てくるのだろうか
単なる通行人で終わりかな >>332
賢秀と血の繋がった兄弟姉妹である事を感じるシーンだなあ >>343
料理長とコック帽被った男が給仕してたけど
ホールスタッフおるんかい!めちゃくちゃやな >>336
昭和47年イタリアンレストランありました
リストランテじゃなくてピッツェリアだったけど
@岡山市表町商店街w >>263
イタリアンの麺の修行のヒントに島そばナポリタンの経験が生きるのか、
もっと話が進んで沖縄料理店を作るときに、イタリアンの経験と
絡めて出てくるのか。
公式にオープニング映像を作っている人のインタビューもあって、
各シーンが中盤くらいまでの話とつながるらしい。 靴を買わないと
東京の冬は沖縄と違うぞ
つか、ビーチサンダルが丈夫過ぎだろ 【アッラ・フォンターナ】
オーナー 大城房子 - 原田美枝子
シェフ 二ツ橋光二 - 高嶋政伸
コック1 矢作知洋 - 井之脇海
コック2 江川明 - 城戸健太
コック3 長山安二郎 - 渡辺類
コック4 桃木雄三 - 池田航
コック5 玉島雅弘 - 櫻井圭祐
ホール 山辺貞雄 - 阿岐之将一
見習い 比嘉暢子 - 黒島結菜 ←New! >>151
>72年にイタリア料理店?
>ボロネーゼ?
>時代考証大丈夫か?
村上信夫(第11代帝国ホテル総料理長)氏
総料理長就任の7年前の1962(昭和37)年3月、
「NHKきょうの料理」に出演
タイトル「洋風めん料理」
ニョッキやラヴィオリなどの作り方のほか、
乾燥パスタを使った「ナポリ風のスパゲッティ」、
「ボロネーズソース」、「マカロニサラダ」、
「マカロニグラタン」などを紹介
「NHKきょうの料理」番組テキスト(昭和37年3・4月号)の
「特集洋風めん料理」巻頭に、
スパゲッティにソースをかけている村上氏写真が掲載
口ひげもメガネもかけていない、
まだ40歳の若々しい村上氏 東京に驚く田舎者は当時はよくいたと思う。
一体どこの山奥から来たの
沖縄のやんばるです!
ヤンバルクイナで知名度あがるまで誰も知らない >>315
雑誌に載ってるのを見て暢子と行きたいと思ったから
前もって親戚に連れて行ってもらって下見しておいた でいいんじゃないの 「リストランテ文流」はイタリア料理のパイオニア
1973(昭和48)年7月に開業した「リストランテ文流」は、
日本初のイタリアンではない。
イタリアンがまだ珍しかった時代、すでに東京では、
「アントニオ」(港区南青山)や「キャンティ」(港区麻布台)や
「シシリア」(港区六本木)が人気をあつめていた。
では、なぜリストランテ文流が「イタリア料理のパイオニア」なのか。 井之脇はごちそうさんでも洋食屋のコックだったな
親父の原田泰造と一緒にスコッチエッグ作ってた キャンティは留学帰りのマダムのカリスマ性による有名人サロンな感じ。
60年代には三島由紀夫や加賀まりこ、大原麗子らが利用。
マダムの息子の最初の妻は吹雪ジュン。2番目の妻はバブルの申し子、
地揚げ屋愛人だった元女子大生アッコちゃん。 父の包丁を持って
飛行機に搭乗の以前に
ビーチサンダルで搭乗したのが凄いわ
どんだけ丈夫なサンダルなんだよ >>361
知る人ぞ知るような店を知っていた早苗は何者なのか… >>325
サブリナパンツはベルボトム全盛の子供時代はダサく感じた思い出。
数年経って、ベルボトムが流行遅れになったら細身パンツが復活してきた。 >>151
銀座イタリー亭 銀座一丁目で創業60年 >>365
沖縄出身のおじさんに入学祝に連れてきてもらった。
オーナーは暢子のおばで沖縄出身だから、おじさんは沖縄出身の縁で
お店を知っていたかと。 >>365
キャンティは六本木だから、銀座のあの店のモデルじゃないだろう。 >>320
歌子が前に洋裁のスタイルブックを見ていたから雑誌は買っていたかと思う
(それとも高校の図書室で借りた?)
暢子は料理部の早苗ちゃんから
読み終えわった料理雑誌や古い料理の本をもらっていたかもしれない 暢子が酔っぱらいに絡まれたり、オッさんに「大丈夫?」と声かけられるシーンがコメディっぽく描かれたのが不評らしい >>139
1度、みなおしたのにまたクズ確定したねw みなさんも言ってるけど予告動画や予告画像にある料理人時の暢子の髪型
束ねるなりして清潔感を出した方がいいよね
もう撮影も編集もだいぶ前に終わってるだろうからいまさら指摘しても無意味だろうけど >>356
日本のイタリアンの歴史
1881(明治14) 新潟 イタリア軒
1944(昭和19) 神戸 アントニオ →六本木→1985南青山
1946(昭和21) 宝塚 アモーレ・アベーラ
1952(昭和27) 神戸 ドンナロイヤ
1953(昭和28) 銀座 イタリー亭(※トラットリア)
1954(昭和54) 六本木 シシリア
1960(昭和60) 飯倉片町 キャンティ
1973(昭和48) 高田馬場 リストランテ文流
1976(昭和51) 荻窪 トラットリア ピエテモンテ
↓
80年代 ワンサカできる
1985年 イタメシブーム(バブル期は1986年〜1991年) >>377
【訂正】
1954(昭和29) 六本木 シシリア >>361
へ〜いろんな繋がりがあって面白い
アッコちゃんって、この前テレビで初めて知ったけど、そんなに有名人だったんだな >>377
【訂正】
1960(昭和35) 飯倉片町 キャンティ >>372
ちむどんどん視聴率の推移
・65歳以上の女性は、物語から離脱する一途となっている
・F1層(女性20-34歳)は、そこそこ増えている
・女子高生に至っては、初回より第5週にかけて1.8倍以上に増えている
つまり、アンチはババア >>349
偶々だろうけど(それを言ったらどの県でもそうなるが)
岡山、珍しく他県に先んじているな
へぇ〜 アババことアンチのババアの特徴
・登場人物が、自分の中の常識外のような行動をすると狂ったように叩く
・あくまでも自分の中のリアリティを追求する(事実は小説より奇なりという諺を知らない)
・ドラマに悪人が出ることをよしとしない
・ウザい、不快、うるさいのワードを多用して叩く
・頭が悪いので、自分勝手に妄想して叩く >>375
こういうのが典型的アババ
おまえが思うことくらい現場では気付いてるってことに気付けない
・頭が悪いので、自分勝手に妄想して叩く >>334
あれほぼ大阪府の人間だけでしょ
わざとそのまま大阪弁を直さないの
俺が知り合った限りでは近畿エリアのその他の府県からの人は
共通語を使うようにする人ばかりだった
もちろん所々イントネーションとか話しきれていない部分が時折覗くことはあっても
>>335
まあ業務中は滑らかに意思伝達が出来るように
その職場での話者が多い方の土地言葉にまとめた方が便利よな
奥地のズーズー弁とか沖縄弁とか現地の生の状態レヴェルので喋られたら
他地域の人間には発音を聴き取るのも困難だろうな >>386に追記
・沖縄に失礼とか、役者がかわいそうと心配するフリをして叩く
・わざわざ離脱宣言という不毛なレスをしつつ視聴を継続する 唯一の癒やし歌子かわいいな
豆腐屋と二人微笑ましい
この二人くっ付いてくれるといいな ちむどんどんのタイトルからストレートに
暢子がチンドン屋になるドラマでよかったのに
合ってるだろ 萌歌って顔が膨れすぎててどうしちゃったの?
まさにカピバラ 早苗に電話して男が出たとき彼氏と同棲してるのかと思ったわ >>367
そこ何回も行ったことあるわ。広島アンテナショップの隣りで年季入ってたお店。パスタランチとピザランチやってる。付いてくるサラダが美味い。
てか、みんなあの時代にイタリアンレストランが無かったと言ってるわけではなくて、西洋料理といえばフレンチが圧倒的だった時代にイタリアンとは珍しいねって言ってるだけなんだけどね。 具志堅登場でまたあの変な演歌みたいなBGM
なんなのあれ全然合ってないし >>383
そのデータから考えれば「65歳以上の女性はもう見てない」
「今見てる女性は若い世代中心」なんだからアンチも若い女になるだろ
Twitterの反省会ハッシュタグ使ってる層もそんな感じだけど
ロリコンだから若い女が自分と合わない現実に耐えられないのかな
実際このスレにいるのはロリコン擁護厨含めてジジイが中心だと思うけど 上京当日の宿泊先を決めてないってどういう神経なんだろ
少なくとも事前に早苗の所に泊まることくらい決めるだろ
なんで夜電話してんの
ちょっとあり得なさすぎて話が入ってこない 東京編になったら、チムドンドンするかと思ったけど、全然面白くならなそう… 黒島は不細工時じゃ無いけど、やっぱ痩せてるし、なんかあんまり美味しそうに食べるって役がハマり役とは思えないわ。他にいなかったか
美味しそう度で言えば先に上京してる不美人の方が似合ってるし。 しかし、具志堅さんの人生のリングでは簡単にダウンするな。って言葉はあんにもうボクシングの世界は賢秀にはダメで、他のリングで頑張れって言っているのか? 飯食ってるのをうまく見せないならデブだろう デブでヒロインできると言ったら富田望生ちゃん一択 食べるのが大好きな女の子=う○こ盛モリの女の子
ってことだからな黒島結菜 >>404
暢子も賢秀みたいなもんだからね
ってか早苗って寮じゃなくて一人暮らし? >>402
フィリーソウル風じゃなかった?
ソウルトレインのテーマとかの奴 >>401
そうそう
イタリアンはあったけど、カジュアルなお店で高級を売りにはしてなかったよね
ボロネーゼの歴史を貼ってくれてる人がいたけど、ボロネーゼを紹介してたのがあのフレンチの重鎮で驚いた
当時はイタリアンでさえフレンチシェフが紹介してんだね 色々と雑な登場人物と雑なストーリー展開が続くから、半ば呆れながらテレビだけ付けて流し見してる状態が続いてる >>407
賢秀はダウンしたんじゃなくて逃げたんでしょ?
そんな奴を見込んでリングに上げた節穴会長が何言ってんだろうね >>404
賢秀の所に泊まるつもりだったんだろ当初は
それ理解できてなかったの?
直前に連絡入れておかない方も悪いが電話は借り物だし考えが及ばなかったのかね 感動させる流れじゃなくて行き当たりばったり感があるな
そういう意味では脚本家、のぶこ、にーにーがリンクしている >>404
そんな状態で復帰直後の東京に娘をひとりで行かせる母親が有り得んでしょ。現代ならともかくあの時代怖くて行かせられないよ普通。
服装だって名護の洋服店にでも行ってブラウススカート靴くらいは揃えて着せていくでしょ。
だって仮ににーにーの部屋に転がり込むのなら大家さんに挨拶もするだろうし、レストランでの面接もあるんだし。 >>418
それは本土的な親心であって
沖縄では困ったら誰かが助けてくれる
そういう世界しか母は知らない
って擁護したい所なんだが
そんな風には沖縄は描かれとらんね
ハッハッハ >>334
沖縄じゃないが自分の出身も方言メチャクチャ凄いとこだが
もう何年も県外出てるが独特のイントネーションが取れなくて未だに
「ここ出身の人じゃないね。どこから来たの?」
なんて言われるしどうにかならないものか…。 >>415
肝心の賢秀にはいつから連絡してないの?
ジムの方にも電話できるよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています