【北魏・北斉】北朝総合スレッド2【北周・隋】
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>>293
そもそも漢民族という概念が誤りだからな
明確に何族とか言えんけど北方系遊牧民の流れを受け継いでいるのは確か 以前発見された煬帝の「墓」。
やはり煬帝本人のものだったそうな。
唐王朝による墓誌があったらしいが、全文読んでみたい。
なんて書いてるんだろうな。 隋王朝の皇帝、煬帝と妃の墓と確認
中国考古学会は16日、江蘇省揚州市で会見し、同市でことし3月に見つかった2つの古い墓が
約1400年前の隋王朝の皇帝、煬帝と妃の墓であることが確認されたと発表した。
「重大な考古学上の成果」としている。中国の通信社、中国新聞社が伝えた。
2つのれんが製の墓は不動産開発の工事中に発見。1つは長さ約25メートルで墓誌のほかに
玉器、銅器などの副葬品が100点余りと、50歳前後とみられる男性の歯などが出土した。
墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴などから煬帝の墓と認定したという。
別の墓は長さ約13メートルで、副葬品は200点余り。56歳ごろとみられる女性の人骨があり、
煬帝の妃の墓と推定された。この墓でも、ほかではみられない精巧な工芸品などが見つかったという。
煬帝は、聖徳太子が送った「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」などとした国書が
無礼だとして激怒したと伝えられる。(共同)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20131116-OHT1T00157.htm 激怒ではなく、「書を致す」というのが外交上の表現としておかしいとあきれたともいわれてますね 魏・呉・蜀→晋が統一
北周・北斉・陳→隋が統一
宋・遼・西夏→元が統一
なぜなのか? 魏→晋
北周→隋
遼→元
一番強いところを受け継げば勝つ >>296
民族は血統と違って変えることができるんだよ
この板には血統主義者が大勢いてぜんぜん認めようとしないけどね >>303
宋は五代十国を収束させた統一国家じゃないんですか? 遼や西夏も皇帝を名乗ってるからね
皇帝が三人もいる時点で天下は統一されていない >>295
>有力な親のほうを継ぐ。
では、何故家格の高い独孤氏にならずに楊氏や李氏のままなんだ? >>295
言ってることがへんだぞ
武則天で王朝の姓が変わったのは双系だからじゃなくて父系にこだわったからじゃん 北周の武帝が長命ならそのまま陳を征服して中国統一してただろうが
隋や唐と違って鮮卑復古主義を掲げてたから面白い統一王朝ができただろうな >>312
次がアレだから結局隋と同じく2代であぼんじゃろ >>307
燕雲16州など一部欠けてるにせよ、従来の中国と呼ばれる領域は統一しただろが
帝位なんか実力があれば勝手に名乗れるし 新番組・中国時代劇『後宮の涙』
http://www.bsfuji.tv/top/pub/kokyunonamida.html
1月6日(月)スタート! 毎週月曜日〜金曜日 10:30〜11:30
南北朝時代の北斉(ほくせい)で時の皇帝・文宣帝(ぶんせんてい)が急逝。
後継者は亡き郁皇后(いくこうごう)の息子・高湛(こうたん)と思われていたが、婁皇后(ろうこうごう)は息子・高演(こうえん)を即位させようと密かに高湛の暗殺を謀る。
一方その頃、豪商・陸家(りくけ)では新しい皇帝に献上する磁器を作るが失敗、一家皆殺しの危機に直面していた。
だが、長女・陸貞(りくてい)の手柄で陸家は救われ…。
【番組概要】
放送開始するや否や、中国の主要放送局全32局で視聴率1位を獲得した、高視聴率ドラマ「後宮の涙」がBSフジに登場!!
皇帝をめぐる妃たちの闘い、権力争いに巻き込まれる宮廷の人々、嫉妬心と復讐心…
様々な欲望が渦巻く後宮の世界で、多くの涙を流しながらも、苦難を乗り越え、懸命な努力と類まれな才能で宰相にまでのぼりつめていった善良で聡明な女官(陸貞)の物語。
ヒロインの陸貞とロマンスを繰り広げるのは、「恕の人―孔子伝―」チェン・シャオと中国版「テニスの王子様」キミー・チャオの美男子たち。
美しく端正な顔立ちの2人とのロマンスの行方からも目が離せない!
そして、心を奪われるほどの美しく華やかな衣装たちにも注目!ヒロイン陸貞の衣装は30着以上の豪華な着物が用意され、本作の持つ美しい世界観をより一層華やかに彩っている。
(全45話・吹き替え) 中国時代劇『蘭陵王』
http://www.bsfuji.tv/top/pub/ranryouou.html
2月6日(木)スタート! 毎週月曜日〜金曜日 15:00〜16:00
魏晋南北朝末期・戦乱の中、深い霧の先にたたずむ桃源郷のような美しい白山(はくさん)村。
ここに住む巫女・林氏(りんし)は、天女の血を継ぐ孫の雪舞(せつぶ)と、斉(せい)の蘭隆王(らんりょうおう)との不吉な運命を予見してしまう。
10数年後、美しい娘に成長した雪舞は、祖母の言いつけを破って村から抜け出す。
そして湯気の立ちこめる美しい温泉で運命の男性・蘭隆王と巡り会い…。
【番組概要】
日本の雅楽でも知られる悲恋の物語「蘭陵王」をドラマ化!あまりの美貌のため、仮面をつけて戦ったなどの伝説があるほど美しすぎる悲劇の王・蘭陵王の切ない愛を描く。
そんな蘭陵王役を射止めたのは中国大陸No.1美男子の呼び声高いの「王の後宮」「美人心計」のウィリアム・フォン!悲恋のヒロインを演じるのは、
「イタズラなKiss〜惡作劇之吻〜」「イタズラな恋愛白書〜In Time With You〜」で日本でも人気の高いアリエル・リン。
そして、蘭陵王と対立する強情な周の王子を演じたのは、ウィリアム・フォンに負けない美貌を持ち、香港音楽界で20世紀末に超人気アイドルとして活躍したダニエル・チャン!
他にも、「ハヤテのごとく」のジョージ・フーなど、脇を固める俳優陣も見逃せない!
(全46話・吹き替え) >>316
郁皇后って人なんかいたっけ。
悲劇の少年皇帝・高殷はどこにいるの?
そもそも女性で宰相になるって・・・。
なんかめちゃくちゃだよ。日本の信長、秀吉、家康を扱ったドラマでも
めちゃくちゃなのはいくらでもあるが、どこの国でも同じなんだな。
正史通りに描写するだけで一大悲劇になるのに。 後宮の涙
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%AE%AE%E3%81%AE%E6%B6%99
『後宮の涙』(こうきゅうのなみだ、原題:陆贞传奇)は、中国のテレビドラマ。
北斉時代の実在した女侍中陸令萱をモデルにした張巍 の小説『女相』をテレビドラマ化。
2013年5月5日より放送開始。全45話(カット版全59話) >陸令萱
暗君中の暗君、後主が寵愛する連中にやりたい放題やらせる為に
任命した常軌を逸した「女侍中」じゃないか。
名前を見て思い出した。
『北斉書』ではぼろくそに書かれてる。
第一この女自身に「女性解放」なんて考えとか微塵もなかっただろうよ。
権力を異常な状態で手にして自分たちが欲望のまま生きるだけ。
事実後主の治世はそんな時代だった。 北斉は皇族たちが「親疎なく乱交」していた狂った王朝。 北斉はあれだけ軍事力が強かったのに全土統一にそれほど積極的でなかったのは何でだろ
北周は毎回侵攻しては撃退されてたけど突厥や陳と組んで統一に向けて色々仕掛けていたのに 蘭陵王 (テレビドラマ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%AD%E9%99%B5%E7%8E%8B_%28%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%29
『蘭陵王』(らんりょうおう、原題:兰陵王)は、2013年に制作された中国・台湾のテレビドラマ。
南北朝時代の北斉の英雄・高長恭(蘭陵王)を主人公とした時代劇・恋愛ドラマである。
中国本土にて2013年8月14日より、台湾では2013年8月23日より放送開始。全46話。
史実の蘭陵王は、573年に皇帝(後主高緯)から毒薬を賜り自殺しているが、このドラマでは蘭陵王は死なずに生存しているという設定である。 北斉王朝は、人間がどこまで堕落できるかの実験場とも言えるな。
男も女も欲望の限りを尽くした。
最後に幼子まで皇族がほぼ全員処刑されたのは確かに哀れだが
北斉の腐った統治で苦しんだ人間にとっては
「腐った血筋なんか断絶してしまえ」
って人も絶対いたと思う。 あれだけ悪逆非道を書き連ねられると
さすがに史家のネタ盛りじゃないかと疑わしくなるが
ありえなくもないかなあと思えてもしまう 逆に言うと、皮肉を裏に込めているんじゃないの<雌鳥が鳴くと国が傾く>制作陣の背景も 陳慶之はまず、迎撃に現れた北魏軍七万を一日で撃滅する。
次に二万の兵が籠城する城を、こちらも一日で陥落させる。
さらに十五万の北魏軍を二十日間の激闘の末に退ける。
ついでにノコノコと遅れて戦場に到着した敵の援軍二万四千を潰走させる。
陳慶之の総兵力は騎兵七千である。
リアル無双状態だなw中国史上最強クラスの名将じゃないか陳慶之は 最後ボロ負けしてますから
むしろ1千騎で中原の覇権国家後趙10万以上の軍を撃破した慕容恪の方が凄いな
慕容恪一代で遼東から山西、河北、河南、山東、安徽あたりまで領土広げているから >>324
北周でもそうだが北魏末期以来の胡漢紛争が亡国まで引きずったからな。
文宣帝高洋の狂主ぶりがクローズアップされがちだが官僚間のヘイトこそが
元凶だからな。この王朝の直系でなく実力による兄弟相続が政権の不安定さを招き
火に油を注ぐ結果になった。 >>328
石虎の宇文部、段部攻撃に乗れたのが成功の因であり、
中国東北部に避難していた漢人を吸収したのが成長をもたらし、
冉魏という反動国家のおかげで後の前秦後秦のチベット系
と戦わなくてよかったからな。 >>331
倭国の友好勢力である百済の手引きだろ。
梁の後景の乱時、廃墟になった健康に来た百済の使節が
号泣した記事がある。 しかし梁は脆すぎるな
たかが東魏の1人の武将にここまで壊滅に追い込まれるとは
結局この侯景の乱で最も利を得たのが西魏北周だな
四川獲得に後梁の傀儡化で遥かに劣っていた東魏北斉との勢力の差が解消された 鮮卑の埋葬品の服装とかが、日本の埴輪と似てる気がするんだよなぁ…
倭国と北朝とのやり取りの有無も気になる >>333
建康がいきなり制圧されたのが痛かった。しかも方面軍を指揮する皇族が援護しないとか
結局西晋の八王の乱以来、皇族の方面軍支配は有害でしかないことを証明しただけだった。 中国の有名な暗君
幽王-西周最期の君主。寵妃である褒姒を笑わせるために、諸侯の軍を参集させる烽火を乱用。
結果、本当に異民族の侵攻があったにも関わらず誰も助けに来なくなると言うイソップ童話を字で行く逸話を残す。
劉禅-蜀漢最後の君主。その幼名「阿斗」が中国ではどうしようもない人物を指す言葉になるほどの人気のなさ。
日本においては「在位40年は歴代皇帝トップクラス」「そもそも蜀は無理ゲー」と言う評価が強く、
彼の記事を見ても分かる様にその評価をどうするか考えることは三国志ファンが必ず通る道である。
恵帝-西晋の二代目。あの司馬懿の子孫で司馬炎の息子とは思えないほどの超絶暗君。
マリーアントワネットより千五百年前に「穀物がないのならば肉粥を食べればいいではないか」
と言う言葉を吐いたと言う。西晋が短命王朝で終わったことや、
異民族時代である五胡十六国時代の遠因となった人物。
蕭宝巻-南朝斉の第6代皇帝。内向的性格で、幼馴染の寵妃のために無茶苦茶な後宮工事を施す。
反乱のさなか、衛兵に殺害され首を蝋で固められて反乱勢力の手土産にされると言う屈辱的な最期を迎える。
死後、諸侯に落とされ「愚かな東の侯」という意味で東昏侯の号を与えられた。
後主(高緯)-北朝北斉の第5代皇帝。奸臣を近づけ忠臣を退けた典型的な暗君。
次々に国土を失う中にあっても「まだ一生遊ぶには十分な国土がある」と言う奸臣の甘言(?)に納得してしまい、
結果自分も含めた一族皆殺しの結果を招く。
後主(陳叔宝)-南朝陳の最期の皇帝。隋軍に宮廷を包囲された際も逃げ隠れするなどの醜態をさらす。
亡国を招いたことやその過程で妃が殺されたにも関わらず、何ら恥じる様子もなく連行先の長安で楊堅に仕えた。
あまりの情けなさに殺されることもなく天寿を全うすることができたと言う。 >>331
南朝っていうか「魏→西晋→東晋→宋」って流れで宋までしか国交ない
宋を魏の正統な継承政権とみなしてたんだろ。
百済の手引きというなら百済は南北両方に朝貢してたから
倭が北朝と国交ないのは説明できない >>336
後主(高緯)を上ゲて朕を上ゲんとはけしからん >>339
渤海や高麗のスレもあって、それなりに研究していた人がレスしてたな。 >>337
結構儒教的大義名分論が当時の大和朝廷には浸透してたんだろうか?
雄略天皇の時代に「曲水の宴」を催したって記事が日本書紀にあるけど
そこまで中国文化が入ってたなら席上みんなで漢詩を読みあったりしてたかもしれない。 >>341
儒教は応神天皇の時に王仁が皇太子の家庭教師になったから
それなりに上流階級にはしられた可能性高い
しかし、仮に儒教的な大義名分論はまったく知られてなかったとしても、
「政権の継承」って概念はそんなに理解不能な難しい話じゃないだろう
あっちの外交官が前政権との関係を説明する際に
ちゃんと権利を引き継いでるようにあれこれ理屈いうだろうし 劉禅何気にすごくね?
平時ならまだしも乱世において曲がりなりにも在位40年だぞ
万暦帝などとは訳が違う
むしろ劉禅から百年経たないのちの時代の南北朝のヒャッハーな皇帝や
明中期にかけての皇帝に較べたら、劉禅はかなりマシな部類
ヒャッハーは暴君だから劉禅とはベクトル違うかもしれないが、明の暗君オンパレードの歴史を見れば
「もしかしたら劉禅よりダメだコイツ…何とかしなくちゃ」な気分になる事請け合い そもそも五胡南北朝は暗君・暴君率がヤバい
開明君主の数が少なすぎて泣ける
その開明君主も寛容すぎて内乱誘発→自爆のコンボでヤバい >>632
ぶっちゃけ、南北戦争の推移をみるに、CSAが存続しても普通に奴隷解放すると思うぞー
合衆国に対抗→重工業化が必須→労働力確保!という流れになるしかない
(奴隷では、工業化は限界ある) 北朝歴代で最も残忍な君主は誰?
具体的にどんなことをしたの? 寵愛していたはずの側室を惨殺し
五体をばらばらにして抱きかかえて
琵琶に見立てて高吟「佳人は得難し」って
朗々と歌い、満座の貴人は恐怖戦慄したそうな>文宣帝
この皇帝、悪逆の所業を列挙していけばきりないよな。
大量虐殺から個々人への嗜虐行為まで。
「親疎なく乱交せしむ」なんか人を殺してないだけまだましかもしれん。
でも、北斉の皇族はみな近親相姦の経験者ってことになるんだよな・・・・。 文宣帝が狂気なら、後主は堕落の果て。
囚人を裸にしてさそりのうじゃうじゃいる桶に放り込んで
絶叫してのた打ち回るのを兄皇子と一緒に見物しておおはしゃぎ。
北周軍が大挙侵攻してきたときには
「14歳以上20歳未満」の婦女子に結婚を禁じて後宮にかき集めようとしていた。
親兄弟で少女を隠すものがいれば死刑と宣言して。
馬や鷹にまで王号を下賜して、「王」を名乗る者は千人以上だった。
この後主はそれなりに教養もあるし、幼少期は善良な子供だったというのが怖い。 このさそり、後主本人が徹夜で宮中の庭でかき集めたものらしい。
どうやってさそりなんか採ったかは知らないけど。 馬が交尾するのを見物するのも趣味だった>後主
自分が爛れた愛欲生活を送るだけじゃなく
セックス関連にはなんでも興味を示したようだ。 北周の宣帝は臣下の妻に酒を強要して泥酔したところを強姦、
皇后にした。ちなみにこの暴君、5人も皇后が同時期にいた。
その一人は後の隋の文帝の娘。
その臣下はたまりかねておそらく死を覚悟で絶望的な反乱を起こして
殺されている。 北斉ではわりとまともだった孝昭帝も甥に反乱を起こした時には
重臣の一人の片目を抉り取った後に甥の前に進み出ている。
おびえきった甥の廃帝高殷は「これ等のものの処分は叔父に任せる」と
さっきまで命懸けで反乱軍に抵抗していた忠義の臣を見棄ててしまう。 北周の武帝は皇太子の宣帝の躾に杖で激しく殴打するなどの体罰しばしば朝議にあがるほど厳しいものだったらしいが
その時点で別の皇子を皇太子に変えることは考えなかったのかね >>353
まともと言われているが、在位たった1年だったから、
まともでない事績が累積する前に氏んだだけな気がする。
その前任者もまた同じ。 北斉は高澄を高洋が、高洋を高演・高湛が、高演を高湛がひそかにぬっ殺したとしか思えない 北朝全体通して後漢に匹敵するぐらい
早死にした皇帝が多いよな。
40歳超えて生きたのって西魏の文帝ぐらい? >>357
北朝は野蛮な鮮卑の影響で
内紛や暗殺が絶えないからな。
隋の文帝も嫁に頭が上がらないし。 早死にの原因に、不老不死の薬の常用ってのが多かったような 南北朝時代は戦乱時代というだけでなく
もう色々とめちゃくちゃな時代だった
西洋で言えばキリスト教徒が宣伝する
ローマの退廃と相似する >>363
王羲之、顧ト之のような文化人を支えた時代だし、なにより仏教の隆盛による
社会の再編が進んだ時代だがな。 当時の仏教は、総合文化であり、城外に成立し始めた村(邨 そん)等に根を下ろしたとか言う話があったねえ >>364
北から次々民族が南下がようやく終わりなのが南北朝だろ
仏教もあるだろうけど。
北方系等と漢族との混交が進みつつあったのがようやくこのころだな。 時代が下れば下るほど、北魏のように部族制を解体し、
自分たちの血統を地方名士層に組み込もうとしているなど
漢族社会に溶け込んでいっているけどね。 >>367
上からの支配のためにねw
今の中国人は同化したんだっていうけどねw 中華の文化力は凄いな
モンゴル以外ほぼ漢化されちゃってるし
ローマですらゲルマンを吸収しきれなかったのに >>370
その中国文化とやらは時代によって変化してるんだが
その変化は異民族の文化の影響によって、な
…ということは、つまり…? 文化を取り込み、混血し、しかも漢人意識が変わらない
まあ日本も文化を取り込みつつ日本人意識が変わらんところはある >>372
天皇が自分を朝鮮由来というようなもんだ。
中国文化とやらの実態も知らずに変化などというネトウヨの
知ったかぶりは見苦しい。 >>374
一貫して被支配民の漢民族ってことですな
隋唐以後も北方から異民族が来てるからな 北周では鮮卑化の動きがあったけど
鮮卑化の動きはいつ収束したんだ?
気がついたら隋唐で、漢化とも鮮卑化とも言われなくなってる 支配階級を完全に同化させる漢族はすごいとしか思えない。
はるか後世でも清の宣統帝は満洲語は「立て」「座れ」しか言えなかった。 >>376
実質的には、「唐化じゃん、唐民族じゃん」という指摘もある
「漢」という言葉で表現し続けるから、一見すると漢族・漢文化が延々と続いている、と思うけど
もし前漢あたりの知識人が、唐代にタイムスリップしたら、「こんなの漢じゃね!」と憤慨すると思うw >>377
中国化するとへたれになって、さらに北から騎馬民族がw >>378
前漢と同時代の日本人が
唐と同時代の奈良時代にタイムスリップしても
同じ日本だとは思えないだろう 平安時代の公家が江戸時代にタイムスリップしたら卒倒するだろうな
色んな意味で驚くと思う 石勒「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、
日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、
孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」 >>384
>石勒
多少捜索も入っているだろうけど格好いい名文だよねえ >>360-361
このあたりはつまりASKA時代か >>380
そもそも前漢の時代には日本なんて成立してなかったじゃん
弥生時代と奈良時代なんて民族的にも文化的にも漢と唐ぐらいの断絶があるんじゃね? >>387
その頃とっくに日本はあったわい
日本の建国は西周時代に相当する
前漢時代なら日本では孝元天皇から垂仁天皇まで 北斉と北周の実質初代の高歓と宇文泰
前者が少し派手で後者が堅実な感じがしてタイプが違うが共に優秀でいいライバルだ
しかしどうして息子たちにこうも違いがでたのか >>390
夏王朝が実存していると思っている中国共産党の方ですかw 夏殷周春秋戦国秦漢三国晋五胡十六国南北朝隋唐五代十国宋元明清民国中共 >>392
どの息子もろくな死に方をしていない点は共通している ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています