【北魏・北斉】北朝総合スレッド2【北周・隋】
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夏王朝は発掘からかなり有力視されてる
少なくともトンデモ扱いできるようなものじゃない。
もっともこんな当然のことを言うと、俺は工作員か何かに認定されるんだろうw 中国の学会は実在寄り、日本の学会はやや静観だからね
仕方ないね 自分で墓穴掘るなよw
日本が静観ならトンデモとしてるお前はなんなのw
電波君になるんだけどw >>397
宮殿施設が見つかったから王権の存在はほぼ確実だが
甲骨のような文献が見つからないと難しいだろうな。長江流域や
四川の中国の歴史どころか神話からも比定できない都市国家
との整合性を考えると文献抜きで夏王朝への比定は苦しいだろうな。 司馬遷がもうちょっと頑張ってくれればな。
史記とか「まるで見てきたような」「その場にいなけりゃ分からない」事まで書いているから。
「虞や虞や汝を如何にせん、項王涙数行下る、皆涙悌し仰ぎ見る者なし」 >>404
宮崎市定の説か
場所によっては口語みたいな表現が使われてるからなあ
でも後の時代の正史にみたいに詔勅と上奏の寄せ集めも読んでて味気ないからなあ
史料として使うのだったらこちらのほうがいいけど 買ったままほっといた塚本史「煬帝」を読み始めた。
ttp://www.nikkeibook.com/book_detail/28009/
ttp://www.nikkeibook.com/book_detail/28010/
書評を探ると糞味噌だったので気が乗らなかったのだが、読み始めてみたら、なるほどw
まだ読み終わってないけど俺が気になったこと
登場人物の発言、同時代人が「北斉」「北周」などと言うものかよ!
誤字や日本語特有の当て字の多いことw 読み終えた。
数十作も書いてる人とは思えない文章の下手さに辟易した。 >詔勅と上奏の寄せ集めも読んでて味気ない
「宋史」のことかw 長安に都を置いた唐朝皇帝はもはや遊牧生活を送ることはなかったが、
都から外出することが多く、関中での食糧不足のさいには百官を引き連れて糧食の得やすい東都の洛陽まで行幸することも頻繁にあった。
皇帝が食糧を求めて移動するという発想は中国王朝の伝統にはなく、機動性に富む遊牧民の風習に由来する可能性が高い。
ここに北魏から唐にいたる「拓跋国家」の連続性を垣間みることができよう。 ★2ch勢いランキングサイトリスト★
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※ 要サイト名検索 三国志に当てはめると
北周→魏
北斉→蜀
陳→呉
隋→西晋
って感じか 中国皇帝の暗君連中で打順組んだ
1(中)蜀漢孝懐帝
2(二)後漢霊帝
3(三)北宋徽宗
4(一)西晋恵帝
5(遊)明万暦帝
6(左)南斉昭粛帝
7(右)陳後主
8(捕)北斉後主
9(投)北周宣帝 >>414
掛け値なしで白痴の朕を外すとは何事かッ >>409
西魏二十四軍、六柱国大将軍って、匈奴の二十四長の丸写しだと思う
北ケツ型の都城も、何事も中軍右翼左翼という配置方法をとる、遊牧民のやり方そのものだしさ
やっぱ一連の拓跋国家は遊牧民の面影が色濃いなと >>409、>>419
後漢時代には行政の主要機関となった尚書も、
魏晋南北朝時代に六部二十四曹に専門分化するが、
これも六柱国大将軍、二十四軍と対応するものなのかな? 次から次へと新部族が出てくるんだよねえ<漠北
鮮卑族が中原に移動した空白地に残った部族か、はたまた移動してきた部族か…… >>12
犬戎や厳(ケモノ編)允、葷粥は匈奴の前身だろう
もっとさかのぼれば鬼方、淳維なども 李世民も出自が鮮卑族の大野氏だからこそ、天可汗として遊牧民に推戴されたのだよ
これがただの漢族ではそうはいくまい
租庸調という人頭税システムなんかも、人や家畜などの動産の把握を重視する遊牧民の価値観の名残りといったところか ただ単に一番強かったからでは?
別に人種は関係無いのではないかな。
正直李世民が本当に遊牧民かも怪しいし。 六四天安門 二十六回忌
∧∧ ∧∧
(*゚ー゚) (´∀`)
| つ(⌒⌒)と |
〜(,_つ\/と_ ,,)〜 名君四天王 光武帝、李世民、趙匡胤、康熙帝
暗君四天王 西晋の恵帝、高緯、陳叔宝、万暦帝
暴君四天王 始皇帝、煬帝、朱元璋、毛沢東 さきほどうやっていたNHK・Eテレ高校講座・世界史「唐帝国と東アジア」で、
大運河の地図は明らかに明代に掘られたルートだった。
うそ教えちゃいかんよ。
隋唐時代は開封で積み替えるルートでんがな。 >>427
暗君に徽宗が入っていない。やりなおし。 ◆在日中国人
在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。
独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。 2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。 >>419
匈奴有力部族出身の独孤氏が、拓跋国家群の門閥となり歴代皇帝の外戚になってるからね
そういう可能性も十分考えられると思う >>419
>北ケツ型の都城も、何事も中軍右翼左翼という配置方法をとる、遊牧民のやり方そのものだしさ
北闕型の都城って後漢の鄴が最初だろ
遊牧民云々はこじつけだろ >>438
鄴は、北ケツというより「南北二分」じゃね?
都市の真ん中に、東西方向に基準街路をぶちぬいて、
南側を商業地区、北側を政治地区とする。王宮は当然北側に置かれる。
世界史的に一番よく似ているのは、島義勇による札幌の初期設計(もちろん直接の関係はないw)
これ、秦の咸陽がモデルという説があるよね。 俺の名前は字からすると特に諱にありそうな名前なのに日本、中国・台湾、朝鮮を問わず
非常に少ないのは漢化した鮮卑が樹立したとされている北斉のしかも完全な異民族末裔の
軍人にいた名前だからかもしれない
歴史など知らなかった俺の二親は適当に名づけたのだろう 補足
字って字(あざな)の意味じゃなくて普通に漢字の意味 凌煙閣二十四功臣の尉遅敬徳って鮮卑系だそうだが、ホータン王族の尉遅姓とはまったく無関係?
西魏とかにもいたよな尉遅 『魏書』太祖紀の天興六年に「朔方尉遲部」つってたり、
『魏書』官氏志が「西方尉遲氏」つってたり、
よくわからん。
姚薇元『北朝胡姓考』は、代郡尉遅氏(朔方尉遅氏)はホータンの尉遅氏(Vijaya)とは別物だって言ってる。
ホータンの尉遅氏は吐谷渾に所属した部落のひとつなんだと。 >>444
なるほど、ありがとう
音写がたまたまカブっただけでも当然納得できるんだが、微妙に繋がりそうでもありモヤモヤする
とくに鮮卑慕容部から出てる吐谷渾の名前が出てくると気になるね、血縁ないにしても同じ鮮卑語では?って感じで・・・
ホータン王名を調べてみたら1世紀の兪林から始まり2世紀の安国で一旦不詳になってしまった後(ここまで「尉遅」名なし)、
ようやく魏書・西域伝にて和平二年(461年)に尉遅秋仁が出てくる模様
これは太武帝に追われた吐谷渾の慕利延が、逃走先のホータンで王と数万人を殺して占拠した444年の十数年後のこと
8世紀のチベット仏教書では2世紀のホータン王をも「Vijaya」で記しているってことだが、再検討の余地は残ってないかなあ 隋書に卑示閉練というホータン王が出てくるのを知った、卑示は尉遅の表記違い
これだと「Vijaya」にだいぶ近いから、やはり尉遅の件はたまたま音写がカブっただけのようだ
ウヰッチという名の元鮮卑の簒奪王族が、後にカローシュティー調の現地名に変じたというのでもなければね 部分訳だけど隋書の日本語訳出版されたで
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