探検の歴史

1世界@名無史さん2010/09/11(土) 11:35:12O
世界地図の空白を埋めていった先人たちを語れ

774世界@名無史さん2018/07/31(火) 10:20:56.790
>>30
ネトサヨシナカスが事故

775ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/08/03(金) 07:59:38.020
南と北とは季節が逆転していることに
始めて気が付いた人は
やっぱりマゼラン船団の人だったのだろうか、、、

それともイスラム商人や中国人とかも知ってたのかなぁ
もしかして、さらに進んで島の土人でも気が付いたんだろうか

776ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/08/03(金) 08:11:57.320
エジプト人やフェニキア人とかの可能性もあるのか、、、
歴史記録上はフェニキア人が最初とみました

777世界@名無史さん2018/08/03(金) 18:12:36.100
フェニキア人まじ半端ない

778世界@名無史さん2018/09/16(日) 07:42:14.590
エジプトのファラオ・ネコ2世が
フェニキア人にアフリカ周航を行わせたのは
何が目的だったのだろう。
アフリカが案外小さかったら、
地中海とインド洋を行き来する航路が見つかる
かもしれん、と思ったのだろうか。

779ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/16(日) 12:22:20.120
確かあの時代はかなり複雑な情勢だったので
いろいろと考慮すべきことがあるかも知れないっすねぇ

780世界@名無史さん2018/09/16(日) 12:38:42.680
Xプライズ的な何か

781ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/16(日) 13:37:15.310
とりあえず記述が錯綜してるなぁ>>775>>776

https://jama103dajo.at.webry.info/200604/article_2.html
より


フェニキア人のアフリカ一周

 ヘロドトス(BC484〜425)の記述によると、エジプト第26王朝のファラオのネコU世(在位BC610〜595)は、
名高い海洋民族フェニキア人(カナーン人)の船団に、行きはエリトリア海(現在の航海)から出て行き、
帰途は「ヘラクレスの柱」(現在のジブラルタル海峡)から地中海を通って戻るよう命じてアフリカ沿岸を探検させたという。

 船団は途中、涼しくなると陸に上がって穀物の種をまき、その穀物が実って収穫すると船に乗り、
船を先へ進めるという方法で、3年がかりでアフリカを廻って地中海からエジプトに戻ったという。

 途中船乗りたちが、「太陽を右手に見た」と報告していることが、注意深いヘロドトスは記録している。
しかし、「太陽を右に見た」と報告されたことで、ヘロドトスはフェニキア人のアフリカ一周を疑っている。

 現在のわれわれの知識からすれば、北半球で見れば太陽は南に南中するが、
南半球での太陽は日中北に高く昇る。オーストラリアやニュージーランドを旅行した人は思い出してください。

 したがって赤道を越えれば、フェニキア人の船乗りが報告したことは、船が南半球おり、
アフリカの南端を廻る時には船の進行方向の右に太陽が高く昇ることは当然で、フェニキア人が紀元前7世紀にすでにアフリカ一周を
した可能性は強いといえるだろう。

782ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/16(日) 14:48:33.790
>>781

「エリュトゥラー」(?ρυθρ?) とはギリシア語で「赤」の意味。
すなわち、「エリュトゥラー海」とは「紅海」という意味である。

ネコさんとエジプトの方の情勢も複雑
そんでカナンはもっと複雑な気がします

783世界@名無史さん2018/09/17(月) 00:03:12.400
ネコ二世陛下は、いわゆるスエズ運河を最初に構想したお方です。
運河を掘るかアフリカを回るか、どちらが経済的か見積もりを出す、
そういう深謀遠慮から出た探検計画だったのではないでしょうか。

784世界@名無史さん2018/09/17(月) 00:35:10.670
猫がファラオだったのか
玉座で寝てる猫ちゃん可愛い

785世界@名無史さん2018/09/17(月) 01:23:05.070
古代エジプト語ではネカウでネコはギリシャ語訛りの言い方

786世界@名無史さん2018/09/17(月) 11:46:31.960
『ブッシュマン』のニカウさんのほうが読みとしては近いな

787ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/17(月) 15:34:32.810
>>781

スエズ湾とアカバ湾辺りまたはエジプト側の港から出航して3年ほど
時間軸的には何時頃に該当するんだろうなぁ

何処のフェニキアの都市が関与して、
船はどうやって用意したんだろうか

788世界@名無史さん2018/09/17(月) 17:26:11.830
フェニキア諸都市を競わせたら面白かったろうな。
一番先にアフリカ周航して帰ってきたチームの都市には
向こう3年間関税を免除して遣わすぞ。

789ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/17(月) 21:01:00.630
>>788
いわゆるフェニキア都市は基本的に地中海側にあるんですよね
競争するときは丸太持参なんでしょうかww

>>783
この説はけっこうおもしろいと思いますね

790ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/17(月) 22:48:10.800
>>783

おいらの記憶だと運河建設はラムセス二世かと思ってましたが
もっと前の可能性ありそうですね
けっこう妥当な気がします

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/70/Canal_des_Pharaons.svg/684px-Canal_des_Pharaons.svg.png

791ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/17(月) 23:05:12.890
>>790

パナマックスがパワーアップしたのはみかけてたけど
スエズもパワーアップしてたのかぁ、、、ふむぅ


https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/e/2/-/img_e220bdab199fd4d9a1587d825bf6825c204994.jpg
第2スエズ運河計画は、従来の運河の一部を拡張、あるいは従来の運河と並行して新たな運河を掘削することにより、
滞船なしの双方向同時運行を可能にする


「第2スエズ運河」開通!
エジプト経済再興の陰に“剛腕大統領”の存在
https://diamond.jp/articles/-/76169

工期5年の青写真を1年に短縮させたシーシ大統領の決断

?エジプトのシーシ大統領の肝いりで始まった第2スエズ運河の工事は順調に進み、
予定通りに2015年8月6日、盛大に開通式が挙行される。

792ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/18(火) 22:32:52.420
>>778
これが前々からの疑問なのですが
どうして地中海側から出発して
紅海側に行かなかったのだろう、、、

そこがむちゃくちゃひっかかりますね

793世界@名無史さん2018/09/19(水) 15:43:16.810
>>792
そうしてたら今度は
どうして紅海側から出発して地中海側に行かなかったのだろう?ってなるかも

794世界@名無史さん2018/09/19(水) 15:51:46.940
紅海先にたたず

795ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/19(水) 21:48:30.940
>>793
それは別に問題にならないのですよ

文字どおり解釈するなら地中海沿岸の都市民であるフェニキア人が
どうやって紅海側に船を仕立てたのかから
そもそも考える必要がある訳で

タルシシュへの航海とオフィルのときもそうなんすけど

https://wol.jw.org/ja/wol/pc/r7/lp-j/1200004775/3554/1
ここに同じような疑問が載ってますね

さてさて一番合理的な解釈はなんでしょう

796世界@名無史さん2018/09/20(木) 18:24:28.930
https://stat.ameba.jp/user_images/20170618/19/shimonose9m/64/63/j/o0480039813963606714.jpg
紅海側から南下すればプトレマイオスのテラ・インコグニタにとっととぶつかれば周航無理、って早めにわかるとか?

797世界@名無史さん2018/09/21(金) 13:22:42.090
しかし本当に古代にアフリカ周航が行われていたというのならプトレマイオス図でアフリカとアジアが南側で繋がっていることにはなっていなかった筈
なんか怪しいな

798世界@名無史さん2018/09/21(金) 15:32:42.470
プトレマイオス図 日本が無いやん
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2b/PD_PtolemysWorldMap.png

プトレマイオスは反日やったんか?

799世界@名無史さん2018/09/21(金) 18:51:00.520
>>797
大昔のことなんでプトレは知らなかった?

800世界@名無史さん2018/09/21(金) 18:51:41.410
>>798
日本はど田舎未開の地世界の最果てで知られてなかった?
マレー半島は燦然と輝いて存在し描かれているというのに

801ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/21(金) 19:36:18.150
>>798
反日ですね、日本海もないですし
プトレマイオス図ってオリジナル残ってるのかなぁ

802世界@名無史さん2018/09/21(金) 19:49:13.060
プトレマイオスは在日!

803ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/21(金) 19:56:54.840
>>778>>783

一番ありそうなのは
潜在的(というより直接的)脅威のクシュ王国に対して
南方にあるプレスタージョンを探しに行かせたんじゃないでしょうかね

804ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/22(土) 02:51:02.530
>>802
トレミさん日本に住んでたんですか、、、

>>757
ちなみにおいら調べによると
ブラジル島は世界で一番探検した島ですね

805ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/22(土) 13:06:08.610
エンコーは探検する動機としては十分
あとはいつどうやってしたか、、、

806世界@名無史さん2018/09/22(土) 17:36:21.730
援交

807ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/30(日) 05:15:33.180
>>783
おいら調べによると
運河開削の中止の後に
紀元前610〜594年のどこかフェニキア人航海が行われたらしい、、、

808ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/30(日) 06:05:36.900
>>799
トレミさんはアフリカ周航には否定的な見解だったらしいですね


>>792>>795
地中海側はギリシャに任せて
紅海側はフェニキアに任せるつもりだったのかもしれないなぁ

809世界@名無史さん2018/09/30(日) 15:54:19.270
>>808
>トレミさんはアフリカ周航には否定的な見解だったらしいですね

それはもしかしてプトレマイオス世界図でインド洋が塞がれてることだけが根拠なんですか?
それ以外になにか否定的な記録ってあるんでしょうか?

810ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/30(日) 18:18:58.510
>>809
トレミさんもストラボンさんも
原本なくなってるけど他の作者が引用してて
内容は部分的にわかるんじゃなかったかなぁ

地図の方は座標系から復元されてたはず

811ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/09/30(日) 18:40:31.140
>>810

ストラボンさんの
17巻の『地理学(ゲオグラフィカgeographica)』は
大部分が現存とのこと

812世界@名無史さん2018/09/30(日) 21:06:37.130
プトレマイオスはインド洋を陸封したか否かは議論されてるみたい。
彼の著書ではインド洋は陸地に囲まれてるとか書いてるだかだが
後世の人が書き足したみたいな説もあるみたいな話だっけ

813ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/10/01(月) 18:29:29.640
>>812
ざっくり推測で書くと
本から地図が失われた後に再現される過程で、
おおまかな系統として
イスラム系で作られたものと
東ローマ系で作られたものの二種類があって、
後者はギリシャの伝統にもとづいて海を別けたのではなかろうか、、、

814ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/10/04(木) 22:04:29.240
>>569
汪大渊さんはどのルートでモロッコまで行ったのかなぁ

815ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/10/07(日) 21:04:30.790
>>585>>587>>590
>>591>>594>>622

ふむぅ、、、

816ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/10/07(日) 21:10:08.350
>>815

アベル・タスマン
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/50/Tasmanroutes.PNG

赤:1642-43年の航路(反時計回り)
青:1644年の航路(時計回り)

1642-43年の航海
16世紀後半にはオランダによって現在のオーストラリアの西海岸が発見されており「New Holland(新オランダ)」と名付けられていたが、
そこが「テラ・アウストラリス(Terra Australis)」という大陸であるかという調査をオランダ東インド会社によって依頼された。

11月24日に現在のタスマニアの西海岸に到達し[3]、オランダ東インド会社総督の名前アントニオ・ヴァン・ディーメンにちなんで
「Anthoonij van Diemenslandt(ヴァン・ディーメンズ・ランド)」と命名した。
1856年には、イギリスにより発見者タスマンに因みタスマニア島と改名された。

817ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/10/07(日) 21:44:44.250
>>815

ウィレム・ヤンスさんの中の人は日本語ページなし、、、
http://seesaawiki.jp/w/emiliano/d/%A5%A6%A5%A3%A5%EC%A5%E0%A1%A6%A5%E4%A5%F3%A5%B9

1606年2月26日、オーストラリア大陸のクインズランド州のヨーク岬半島に上陸したと、英語版ウィキペディアに書かれてある。
32km もの海岸線を調査し、ニューギニア島と同じ島の続きと考えていた。
その土地の名前を Nieu Zelandt と名づける。意味は、「新しいゼラント」と意味である 

そこの土地の住民と敵対関係となり引き返し、1606年6月に、ジャワ島のキャンプに戻る。
その後も、インドネシアで、東インド会社社員そして、オランダ海軍提督として、名をはせる。
1619年には、イギリスの東インド会社の船を、オランダに敵対してインドネシアの民衆を援助しているとして、拿捕する。
1630年に、死亡する

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a7/Karte_Expedition_Willem_Jansz_1605-1606.png

818ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/10/07(日) 22:07:27.380
>>815

ルイス・バーエス・デ・トーレス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B9
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/ba/TorresStraitIslandsMap.png/450px-TorresStraitIslandsMap.png

ニューギニア南岸とトレス海峡

1606年6月26日に、「サン・ペドロ」号と「3人の王たち」号はトーレスの指揮の下、マニラへの針路を取った。
逆風のため、彼らはニューギニア北岸に沿う最短経路を取れなかった。
プラドの報告によると、彼らは1606年7月14日に陸地を見つけている。
それはおそらくニューギニアの南東に位置するルイジアード諸島のタグラ島であった。
航海は2か月以上も続けられ、幾度もの上陸により、スペイン領に行き着けるだけの水と食料が補充された。
スペイン人たちは、時には原住民と暴力的な接触をもった。
プラドとトーレスは妊婦を含む20人を捕虜にしたことを記録している。
プラドはパプア湾での停泊地の海図を多数スケッチしており、何枚かは現存している。

長年の間、トーレスはニューギニア寄りの航路でトレス海峡(150kmの幅がある)を通過したのだと考えられてきた。
しかし1980年にオーストラリアの歴史家ブレット・ヒルダーが論証したところでは、トレスの航路はもっとオーストラリア寄りであり、
彼が通ったのは現在エンデヴァー海峡(プリンス・オブ・ウェールズ島とオーストラリア本土の間)と呼ばれている海域だという[9]。
この探検航海によってニューギニアが大陸の一部ではないことが証明された。

10月27日、トレスはニューギニアの西端に達し、ハルマヘラ海へ向けて北上した。
1607年1月初旬にスペイン領のテルナテ島に到達した。3月1日にマニラに向けて出帆し、3月22日に到着。

819ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/10/07(日) 22:43:39.190
おいら自身はトーレスさんが最初かと思っていたが
この中の人が最初の発見者とする説があるらしい

>>587

ペドロ・フェルナンデス・デ・キロス

1563 - 1615年)は、ポルトガル出身の航海者、探検者。
スペインの太平洋航海:
1595 - 1596年アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラの航海、
1605 - 1606年のテラ・アウストラリス調査に参加。

1603年3月、ペルーへ帰還、南太平洋のテラ・アウストラリス調査への許可を受諾
1605年12月21日、カヤオを出航:航海士 160名、船 San Pedro y San Pablo(150トン)、San Pedro(120トン)、Los Tres Reyes[3]
1606年5月、ニューヘブリディーズ諸島(現バヌアツ)到達、南部の島(現エスピリトゥサント島)をオーストリア系のフィリップ3世を讃え、
La Austrialia [4] del Espiritu Santo (The Austrian Land of the Holy Spirit) と命名。植民地「ノヴァ・エルサルム」建設開始

1606年6月11日、沿岸調査に出航したキロスは悪天候により、エスピリトゥサント島帰港が不可能になりアカプルコ(メキシコ)を目指す
1606年11月、アカプルコ到着

キロスの副官を務めていたルイス・バーエス・デ・トーレスはエスピリトゥサント島でキロスを調査後、難破したと推定される。
1607年5月、マニラに到達。ニューギニア南岸の海峡(現トレス海峡)を通過し海図に記す。

820ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2018/10/08(月) 09:39:52.570
>>815
はたしてクックさんの中の人には
オーストラリアに取り分が残っているのだろうか、、、

821世界@名無史さん2018/10/09(火) 21:53:23.290
今年もコロンブス・デーが近づいてきました。
最近はワシントンもコロンブスも駄目とかなんかあるだっけ。今年は一体どうなることやら…!?

822世界@名無史さん2018/10/10(水) 21:02:37.210
ポリコレにホイホイと従ってたらなんでもかんでも難癖つけられてもうなんにも祝えないな
とりあえずクリスマス中止にしようぜ!

823世界@名無史さん2018/10/10(水) 21:25:15.710
>>812
「世界地図の誕生」って本に
「インド洋の陸封は後世の誤謬」説――それへの反論
てのが載ってる

824世界@名無史さん2018/10/13(土) 15:15:45.150
コロンブス・デーて第二月曜とかなんだな。今年はぜんぜんニュースにならなかった気が。
数年前ちょっと話題になってた気がするが。コロンブスは侵略者だから祝うまいみたいな

新着レスの表示
レスを投稿する