【ユーゴスラヴィア・南スラヴ】 について
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
最近学び始めたんだが、奥が深い。もっと見聞を広めたい。
世界史板なら詳しい人もいるだろうと思って。
興味あるけどよく知らないって人には分かる範囲で俺が答える アルバニアってコソボを併合しようとするみたいな仲間意識はないの? ウスタシについて詳しい日本語の本って全くないんだよな
誰か訳してくれないもんかね ウスタシャに焦点を当てた本がないだけじゃなく、あのあたり全て邦訳された資料が少なすぎるんだよな
言語的にしょうがないのかもしれないけど ウスタシの残虐行為とかけっこうなもんなのに日本じゃ全然知られてないもんな プリンツィプの同志で冷戦崩壊後まで生存してた人がいたらしいね >>1
ユーゴスラビアって、現在の7つの国以上に分解する可能性はもうないの?
セルビアに意外と金髪が多いのに驚いた。
「世界の車窓から」より >>7
たぶんそれ以上はないと思う。たとえしても国際的な承認は得られないだろう
理由は土地や人口の規模が小さすぎるし、人種も入り混じりすぎてる
あとなによりも歴史上国家を持ったことがないってのがな
>>9
スラヴ系から混血が進んできれいな人が多くて最高。
欧州ではセルビアは美人が多いことで有名 >>6
その人がどんな人生をおくったのか、すごく気になる
もし知ってたら詳しく頼む ユーゴスラビアの分解についてもう少し具体的な疑問、セルビアとボスニア・
ヘルツェゴビナの、現在の状況や国民の意識なんかを教えてほしいです。
コソボ・メトヒヤ自治州(セルビア南部)が分離して、コソボができた。
で、同じように自治州のヴォイヴォディナ自治州(セルビア北部・州都ノヴィ
・サド)と中央セルビア(首都ベオグラード)の関係は”がっちり”してる?
ボスニア・ヘルツェゴビナの2つの構成体、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(
ボシュニャク人・クロアチア人が多数)とスルプスカ共和国(セルビア人が多
数)は、モンテネグロみたく国民投票とかで、分解する可能性はないのかな? >>13
ボスニア・ヘルツェゴビナは林業と鉱石、モンテネグロはサービス業、セルビ
アは鉱石など、加工したりする機械類とかは少ないと思われる。
貿易は、どこも輸出は少なく、輸入が大きい。
そして、失業率は2桁(10%以上〜コソボは50%ぐらい)でやっぱり高い。
戦争がまだ最近あったし、また海がない内陸国だからね。
旧ユーゴでもっとも発達してるのは、たぶんスロベニア。
理由は、旧ユーゴの玄関に当たり、ドイツやイタリアとかに近いから。 あとはクロアチアからダルマチアとスラボニアが独立すれば完璧だな。
実際、第二次大戦後にダルマチアやスラボニアをクロアチアから切り離して別共和国にする案もあったらしい。
仮にそうなってたらセルビアとモンテネグロのように今頃は別々の国になってただろうね。 >>12
実際に現地に行ったわけでもないから、国民意識なんかについては明確なことはいえないけど
ヴォイヴォディナはコソボよりはだいぶ安定してる。
コソボは独立前からアルバニア系住民が多数で、独立後はコソボを離れるセルビア人なども増えたため
今ではアルバニア系が圧倒的マジョリティ。
それと比較したらヴォイヴォディナは、セルビア人4割、他20もの民族(細かく見た場合?)がいて
各宗教・宗派の宗教施設もある。
ノヴィ・サドは地理的にもベオグラードと近くて陸路・水路ともに交通網がしっかりつながっている。
いい意味でバランスが取れてると思う。
スルプスカ共和国についてはよく知らないんだけど、
紛争から時間が経ってなくて、虐殺とか戦争犯罪イメージが強いから
分離・独立するとかセルビア主義的なことは国際社会の目が厳しいと思う。
>>15
クロアチアの場合は、紛争でセルビア人は国外に逃げて、現在は国内に5%し
か残ってない(クロアチア人は90%)ので、分離する理由は無いと思います。
で、その2次大戦後の時の独立案が民族自決が理由なら、負け側のドイツ人な
ど(1次大戦まではオーストリア・ハンガリー帝国なので多かった)が追い出
された後、残りのセルビア人とクロアチア人という区分の、紛争時のクライナ・
セルビア人共和国(スラボニア東、中央クロアチア南〜ダルマチア北)とクロ
アチア共和国(それ以外の地域)という区分に似た感じなのかな?と思います。 >>16
ありがとうございます。
ヴォイヴォディナは、セルビアが1次大戦でオーストリア・ハンガリー帝国か
ら割譲したとこなので、2次ではハンガリーに占領されたりしてる。
だから、ハンガリー系の人も多く、ハンガリーとの外交問題を抱える。
またヴォイヴォディナ西部は、歴史的にクロアチアのスラボニア地方の一部と
見なされることもあり、紛争時にいろいろ問題があったらしい。
というややこしい地域なので、現在はどんな感じなのかな?と思った訳です。
ボスニアはNATO軍がまだ駐留していて、いまだにややこしいのかな?と思った訳です。 ダルマチアの人達は自分達をクロアチア人ではなくダルマチア人と主張してる人も多いし、
クロアチアからの独立を画策する野心家の政治家が現れたら面白い。
あと100年くらい前まではスラヴォニアにいるセルボクロアチア語話者でカトリックの人々はソクチ人と呼ばれて、
クロアチア人とは別民族だった歴史がある。 アレクサンデル1世からペータルへ王位が移ったあたりの経緯がよく分からないのですが。 >>19
ダルマチアは、トリエステ(現在、スロベニア・クロアチア・イタリアで分割
)で、ユーゴスラビアとイタリア(米英冷戦の対立)がもめた話に通じる、イ
タリア関係のことかと思ったけど、また違う話なんだな。
>>20
1934/10、アレクサンダル1世は、外遊先のマルセイユで狙撃手に暗殺される。
よって、暗殺された国王の子供、ペータル2世、当時11歳が即位。 今はおとなしいけど、やっぱセルビアが怖いから、
わざわざ分裂するようなことはないと思うけどなぁ
NATOも賛成しなさそうだ。ひょっとしたらイタリアだけ賛成w >>21
すいません。私の書き方がいけなかったのですが、セルビア王アレクサンダル1世からペータル1世への
継承についてです。
全然違う家系ですよね。 >>23
1903、5月クーデタ(May Overthrow)
背景
・オブレノヴィッチ家(o家)の現国王アレクサンダル1世(a1)は、
オーストリア・ハンガリー帝国(AH)と同盟している。
・カラジョルジェヴィチ家(k家)のペータル1世(p1)は、
AHのライバルであるフランス・ロシアがスポンサー・後ろ盾。
経緯
k家のp1の父親も王だったけど、いろいろあって国外へ逃亡。
そんな父親の関係で、k家のp1は外国フランスで過ごしてた。
その一方で、o家のa1は独裁的で人気もなかったので、何者かの手引きで侵
入したテロ組織により、ベオグラードの宮殿で嫁と共に銃で暗殺された。
で、p1は急いでセルビアに行くことになった。
o家のa1には子供がなく、o家の後継候補がちょっと遠い親戚でもあった。
で、o家のライバルk家のp1が、この政争によって王になった。 >>19
セルビアのボイボジナにも、ブニェバツと呼ばれる似たような人々がいる。
最北端のハンガリー国境の町・スボティツァに多く住む。 世界一身長が高いらしい。ディナールアルプス人?なんと男が186cmで女でさえ174cmで日本人の成人男性より上!
オランダ人が世界一デカいってのは嘘。オランダ人は本来は同系統のドイツ人やチェコ人と同じで平均180cmだけど、ホルモン剤入った乳製品摂取してチートした。チートしても平均男183cm、女168cm
クロアチア人はホルヴァト族で、もともとポーランドのシレジア地方から出てきた
セルビア人はセルプ族で、東ドイツのソルブ族から分派して南下して落ち着いた
ポーランド人とソルブ人はもともと中世前期までは同じ集団だから、もとはクロもセルも全部同じ 多くの被災者が訴えていたことがある。
「NPOの人たちは本当によくやってくださる。だけど、役所の人たちはロクに動いてくれない。
例えば食料についても、役所の人たちは毎回、同じおにぎりと菓子パンばかり置いて帰る。
何日も同じおにぎりと甘い菓子パンばかり食べていたら嫌になる。
それを役所の人に言っても、カラ返事ばかり。しつこく言うと、しまいには聞こえないフリをする。許せない」
NPOの人たちは、自分が支援活動をしたくて被災地に来ている。
しかし、役人たちは安定した職を求めて公務員になっただけの者が大多数であるから、
仕事で仕方なく支援活動をしているにすぎない。
むしろ、どれだけ仕事をしても給料は変わらないから、
同じ給料ならなるべく仕事をしないほうが得であると考えている者が大多数である。
このモチベーションの差が、支援活動の差となって表れているのである。 BBCのユーゴスラビア紛争見てたら、クロアチアの狡猾さにワラタwwww
実にうまくやりやがったな〜 >>26
1840年のクロアチアとスラヴォニアに関する人口統計によると
クロアチア人…約77万7千人
セルビア人…約50万4千人
ソクチ人…約29万7千人
当時はソクチ人を名乗る人々がかなりいたようだ。
ついでに1840年のヴォイヴォディナに関する人口統計では
セルビア人…約45万8千人
ドイツ人…約16万4千人
ハンガリー人…約15万5千人
クロアチア人…約6万6千人
など
オーストリアハンガリー帝国領内のセルビア人の人口がクロアチア人の人口より多かったのは割と意外。
あと当時のヴォイヴォディナには結構ドイツ人がいたんだな。 >>32
あっちの方にまでドイツ人来てたんだな。
スロベニアはドイツ人がもともと発展させたイメージはあったけど。 ドイツ人は第二次大戦前までは結構、旧ユーゴ領域にいた。
ナチスの蛮行で追い出されたけど。まあそれは周辺東欧各国と同じだな。 ボスニアの元日本代表監督・オシム氏もドイツ系の血を引いている。 >>35
東欧革命後、ドイツ企業が再進出し、東欧は結局ドイツ経済圏になっているよ。
ユーロが崩壊したらさらにドイツの影響力が強まるばかり。 >>33
うお!レスが付くと思わなかった…携帯だから超はしょり、超簡単に。
ミロシェビッチ・ユーゴスラビア大統領「立て!セルビア民族!他の民族は、俺らのゆーことだけ聞け!」
スロベニア「付き合ってらんない。ユーゴスラビア抜ーけた!」
クロアチア「お前何言ってんの?馬鹿なの?死ぬの?うちも抜けよ!」
色々あった、国連無力。
ボスニア・ヘルツェゴビナ「もうやだセルビア人…ウザ過ぎ…助けてアメリカさーん!」
アメリカ「よし!任せとけ!ふるぼっこにしてやんよ!」
クロアチア「うは!アメリカサンキタ!!これで勝つる!!!ついでに、うちのクロアチアから、セルビア人追放ー!!!民族的純粋クロアチア誕生ぉぉぉ!!」
…大雑把過ぎた。反省してる。
詳しくはようつべで、「ユーゴスラビアの死」で。 スロヴェニア大統領選の候補者であり
思想家(でもないか)として知られるS.ジジェクによると
ユーゴ紛争はソビエト共産党の残党によって人為的に引き起こされたものだそうだ。
まあ、確かにルーマニアのチャウシェスク政権崩壊の際にも怪しげな動きがあったからなぁ…
そう考えると第二次大戦後の朝鮮動乱や冷戦崩壊後の湾岸戦争のように
“滞貨一掃”という側面があるのかもしれない。
クロアチアのドゥブラヴカ・ウグレシィチという人が書いた『バルカン・ブルース 』によると
知識人やメディアによるプロパガンダがかなり計画的に行われ、その結果紛争が激化したらしい。
ということは、かなり意図的に仕組まれた紛争でなのかも知れない。
ヨーロッパにとって中欧・東欧地域というのはイスラム圏に対する
紛争緩衝地帯という意味合いが強いので、発言力を持たないように適当に分断しつつ
イスラム教徒に対する憎しみを煽っておいた方が何かと都合がよいのかも知れない。 しかしまあ、クロアチアもボスニアもセルビアも喋り言葉は
通じるレベルだったのだろう?
人によっては関西弁と標準語ほども離れていないと言うレベル
だったのだろう?
宗教が違うと言うだけで、あそこまで殺し合いができたのだからな
昨日NHKの番組で、紛争を逃れて北欧へ移住したクロアチアのセルビア人をクローズアップしてた。
いろいろ苦労があったようだけど、なぜセルビアじゃなく北欧に移住したんだろう。 北欧とスイスに逃れた旧ユーゴ人は非常に多い。
セルビアに逃れたら逃れたで、コソボの煽りでNATOの空爆喰らいかねんしな。 今でもセルビアに職なんて無さそーだし、今ユーロ荒れているし、心情的には辛いだろうけど、賢明な選択だと思う。 >>40
そうだね、自己申告しないかぎり、見分けはつかないような人達らしいね。
そのため、変な事(事件に巻き込まれたりする)にならないように、自己申告
(アピール)などもしないし、どの民族かを人に聞いてはいけないらしいね。
とは言っても、これは3種類の民族(ボスニア人・クロアチア人・セルビア人)
が混じってるボスニア・ヘルツェゴビナだけの話かもしれないけど。 基督教徒の日本人と
仏教徒(浄土真宗)の日本人、
仏教徒(曹洞宗)の日本人、
程度の違いでしかないからね。
見分けつかんわな。 >>40,>>44-45
日本も昔通った道。法華一揆、一向一揆、比叡山とかの殺戮は凄かったぞ。
法華一揆は天文法華の乱で壊滅し、比叡山は信長に皆殺しにされ、一向
一揆は信長に降伏し非武装化された。 >>46
> 日本も昔通った道。法華一揆、一向一揆、比叡山とかの殺戮は凄かったぞ。
> 法華一揆は天文法華の乱で壊滅し、比叡山は信長に皆殺しにされ、一向
> 一揆は信長に降伏し非武装化された。
おまえ日本史知らないだろ。
天文法華の乱で法華一気壊滅!?比叡山が信長に皆殺し!?一向一揆が非武装化!?
なにその典型的な歴史を知らない人間のしったか俗論史観。
ヘソで笑われるぞw
>>39
> 知識人やメディアによるプロパガンダがかなり計画的に行われ、その結果紛争が激化したらしい。
> ということは、かなり意図的に仕組まれた紛争でなのかも知れない。
でたでた陰謀史観。
プロパガンダは紛争の過熱化と共に広がっていくんだよどんな戦争でも。
それを後から目線で「計画的に用意」www
戦争がそんな都合よく行くかよ、ゲームじゃないんだぞ。本当に陰謀論者らしい
低脳な書き込みだわw セルビアの治安は、こういう平和なページ見てると、あんまり悪くは感じない。
http://www.serbianwalker.com/
(日本語)
パルチザン柔道クラブ、忍者クラブ武神館、合気道・・・何だか日本かぶれ。
2011ミス・セルビア・・・こうゆうのがセルビアの美人(感覚)らしい。
セルビアで働く人・・・風刺漫画家の人の記事が面白かった。 治安は北部は普通。
コソボと接する南部が危険地帯。
また北部でも南部と同じ国内なので、町に武装警察か軍か、そういう人たちが
張り込んでいて物々しい雰囲気はある。 セルビアの公務員(先生とか)が、コソボ北部ミトロビツァ(セルビア人地域
)なんかで勤務すると、コソボ手当が付くぐらいだから、南部はまあそうだろ
うね。
南部以外は、そのserbiawalkerに書いてあったけど、フリーガン(サッカーの
)、ファシスト(同性愛者反対派)、スキンヘッズ(?)みたいな暴力的で過
激な人達がけっこういるみたいだから、そうなんだろうね。
こういうこと書くと、どこも何だかな?ということになってしまうが。 __,,/ _, ----`ヽ :.
:. / _ ___ 、\
/ / i \ \\ :.
:. ,'./ i ヽ:. ヽ:.:.. ヽ.ヽ
,'/ / .ハ ヽ ヽ:.:.:.:. ヽ::.. ヽヽ :.
:. |i .i i .i / ヽ ト 、 \、:.:.:. ',:.',:.:.lヽ}
|i .i l :N_, -弋 \弌弋ナ:}:.:}
:. |i∧ ', :{ ,ィjモト \ イjミトイイV :. な…
.| :メヽ.', `ozZ} izN。ハ::{ なんなんですか?
:. | :ヾ_! ゝ "゙゙ ' `゙ ハ.:', :. なんでユーゴスラビアの人たちは
| :.:_イ .:.ヽ. (二フ , イ :.:.:!:.ヽ 仲良くできないんですか?
:. / rィイ | :.:.ヽ: >r/`<ノ .:.::.}ヽ、\:. みんな南スラブ人なのに.....
/ ∧l;l ! :.:.:.://{二 ̄ .} ..:..::リ//ハ.:\
:. / .{. ',ヾ、ヽi .:.:.{ /(^` |.:.:.:.//: : :.}: . ヽ.:.
/ / ) ヽ ヾ、ヽ:.ハ ヤ{ ∧/.-‐'": : |:.:. i ',
./ .,イ .:..} : :\ヾレ'ハ ∧__ノノハヾ、 : : : l:.:.: .ハ ',
{ /| .:.:ハ : : :i Y {ヾ`Yヽニン'ノ}: : } : : : :/:.:.:/ }:.}
V | .:.:/:.:|_,ィ' ̄ ヽ三{ `ー-ノ : イ : : :/:.:i.:{ リ
ヽ:.:{、.:.V : : ヘ : : {: : :/:.::∧|
ヽ! )人 : : :人 : : : / \! :.
" ヽ : : : : :/イ{ :.ノ: : : :.\ :.
:. \__///: :\______/: : : : : : : ヽ
/ //: : :|;|: : : : : : i: : : __: : : : ',
:. / 、 {;{ |;| . : i/. : : : : : :|
/ `Y;{. . . .|;|. : : : /i: : : : : : : : :l 247 名前:何語で名無しますか?[] 投稿日:2011/09/08(木) 00:20:27.72
なぜセルビア・クロアチア語に興味を持って勉強してるのか?
共産主義いいよね派─┬─カリスマがいれば共産主義は成功するよ派(チトー派)
│
├─共和国別に書記長をたらいまわしにするよ派(ポスト・チトー派)
│
├─反帝国主義の闘争こそが革命なんだよ派(パルチザン派)
│
├─第三世界とか非同盟とか模索したいよね派(非同盟派)
│
└─共産主義は民族が共存するための必要悪だよ派(平和共存派)
文化等が好きだよ派─┬─ロシアやチェコも含めてスラブ文化が好きだよ派(スラブひいき派)
│
├─旧ユーゴのゴチャゴチャした文化が好きなんだ派(民族モザイク派)
│
├─ディナモザグレブとかオシムさんとかいるからね派(サッカー派)
│
├─アドリア海沿岸や鍾乳洞が綺麗でいいよね派(観光旅行派)
│
├─ヨーロッパの火薬庫だしソ連っぽい兵器があるし派(軍事オタク派)
│
└─SEX動画が流出したと聞いて飛んできますた!派(Severina派)
大学で勉強したよ派 ─┬─英語とロシア語以外にプラスアルファでやってるよ派(第三外国語派)
│
├─英語以外に何かマイナーな言語やろうと思ったので派(第二外国語派)
│
├─旧ユーゴ関係を専攻してたらユーゴが分裂しちゃったよ派(旧ユーゴ専攻派)
│
└─マイナー言語ができる俺カッコイイよなフフフ派(自己満足派) セルビア・クロアチア語 Svezak 4 [外国語板]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1294568745/406
406 名前:何語で名無しますか?[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 11:42:45.87
>共和国別に書記長をたらいまわしにするよ派(ポスト・チトー派)
ユーゴスラビア - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2#.E6.8C.87.E5.B0.8E.E8.80.85
§ユーゴスラビア共産主義者同盟の書記長
1. ヨシップ・ブロズ・ティトー(1939年3月-1980年5月4日)
2. ステヴァン・ドロニスキ(ヴォイヴォディナ出身、1980年5月4日 - 1980年10月20日)
3. ラザル・モイソフ(マケドニア出身、1980年10月20日-1981年10月20日)
4. ドゥシャン・ドラゴサヴァツ(クロアチア出身、1981年10月20日-1982年6月29日)
5. ミティア・リビチッチ(スロヴェニア出身、1982年6月29日-1983年6月30日)
6. ドラゴスラヴ・マルコヴィッチ(セルビア出身、1983年6月30日-1984年6月26日)
7. アリ・シュクリヤ(コソヴォ出身、1984年6月26日-1985年6月25日)
8. ヴィドイェ・ジャルコヴィチ(モンテネグロ出身、1985年6月25日-1986年6月26日)
9. ミランコ・レノヴィツァ(ボスニア・ヘルツェゴビナ出身、1986年6月26日-1987年6月30日)
10. ボシュコ・クルニッチ(ヴォイヴォディナ出身、1987年6月30日-1988年6月30日)
11. スティペ・シュヴァル(クロアチア出身、1988年6月30日-1989年6月30日)
12. ミラン・パンチェフスキ(マケドニア出身、1989年6月30日-1990年6月30日)
これはひどいw国のトップが毎年変わるなんて、まともな国じゃないな… >>57
これはわざと輪番制にしてたんだよ。
チトーというカリスマ亡き後は、そうしないと国が持たないから。
ちなみにこのやり方は今のボスニア政府に引き継がれてる。 ボスニア・ヘルツェゴヴィナは悪い意味でミニ・ユーゴそのものだよな・・・ それなら、ボスニア・ヘルツェゴヴィナも分割すればいいじゃない! 結構、連邦の時代は民族(少数民族も含め)の平等を守るためがんばってたら
しいよ。とはいっても、どこかで間違ってしまったんだろうけど。 >>60
それをやろうとして、あの凄惨な戦争になったわけよ。
>>61
87年、コソボでミロシェビッチが「もうセルビア人に涙を流させない」
と宣言したのが、きっかけとして大きかった。 >>31
むしろクロアチアは頭が悪いんじゃねーの。
ユーゴ連邦からの独立をめぐって、ボスニアまで巻きこんで殺し合いの末に20万人以上の死者出してんのはクロアチアだけだろ。
モンテネグロやマケドニアは一滴の血も流さず平和かつ友好的にセルビアと分離しているし、
スロベニアは独立に伴う犠牲が少ない事を見越した上で賢く立ち回って、大きな被害もなく短期間で独立達成。
>>63
モンテネグロやマケドニアはセルビアから見ても経済的にお荷物。こういう
国は割と独立しやすい。スロバキアが大した混乱もなくチェコから独立した
のも同様。
スロベニア、クロアチアは経済的にドル箱だったから、犠牲が伴った。 これはソ連でも同様。東欧やバルト諸国をなかなか手放さなかったのも
経済的にドル箱だったから。逆にお荷物だった中央アジアの5カ国、中東
の3カ国はさっさと惜しげもなく手放した。 ロシアはカザフスタンとアゼルバイジャンを手放したのを今は後悔してるのかな
特にカザフスタン >>64
そうとも言い切れない。
ボスニアは貧しかったが、一番犠牲が伴ったし。 たしかにそうだな。
スロベニアは旧ユーゴ諸国の中では経済水準がズバ抜けて高かったけど、
大きな犠牲を払う事なく短期間で独立してる。
それと旧ユーゴ時代、セルビア北部とクロアチアのダルマチア地方やスラヴォニア地方の経済水準は似たようなレベル。 ボスニアは場所が悪かったとしかいいようがない
逆にスロベニアはクロアチア防壁のおかげで楽に独立 スロベニアに関してはセルビアを中心とするユーゴ連邦も独立を阻止するポーズを見せただけで、
はじめから暗黙の了解で独立やむなしというスタンスに見える。
スロベニア独立時に進攻したユーゴ連邦軍の司令官がスロベニア人だったり、
独立を許すと言わんばかりにわずか10日間で連邦軍を引き揚げてる所を見ても。
スロベニア側も独立が大規模な紛争に発展する事がないと分かった上で行動を起こしている感じ。
無理な独立が泥沼の殺し合いになると予測したら、
独立という選択肢はとりあえず留保して賢く別の方法を模索した気がするね、スロベニアの場合。
蛇足だが一番難なく独立したのは
モンテネグロ。当時セルビアはコソボのことでそれどころじゃなく
独立するなら勝手にしろという感じ。今もそうだが。
次がマケドニア。武装解除が条件というミロシェビッチの脅迫はあったが、
武力衝突は起こらず。
そしてスロベニア。衝突はあったが小競り合い程度で終結。
クロアチアとボスニアは双方が連動し、かつ泥沼化。
特にボスニアは死者20万人と最悪の事態。
止めは、ユーゴ紛争の発端にして、今もなお最後まで燻るコソボ。死者は1万数千といわれるが、
全く打開の目処が立っていない点は、最も難しいと云える。
>>72
じゃあヴォイヴォディナが独立という話になったら住民が全滅するくらいの惨事になるかな? ボイボジナはユーゴ紛争当時、ミロシェビッチがハンガリー系を取り込んだため
クロアチアとの国境付近を除いて目立った紛争は起きなかった。
現在も北部でハンガリー系の自治を求める動きがあるが、独立運動にはなっていない。 ヴォイヴォディナ独立っていうけど、規模的にやっていけるの? >>75
事実上ハンガリーの保護国にならないと無理。 >>75
ボイボジナの人口や面積はスロベニア、マケドニア並み。
経済水準は、現在は落ち込んだが制裁前はクロアチア並み。
成りで規模的には問題ないが、民族構成が
セルビア系、ハンガリー系、クロアチア系、スロバキア系、ルーマニア系、
ウクライナ系、・・・とユーゴの縮図のような地域なので
その点でやっていけるかの方が疑問。
>>77
そう考えるとセルビアは未だ問題を抱え続けてるんですね・・・
コソボはもちろん北もややこしいとは。
近い将来、この地域でまた紛争が起こる可能性ってあるのでしょうか。 面倒だからセルビア国民は全員アラスカに強制移住、空いた土地はクロアチアとハンガリーとアルバニアで分けよう。 セルビア人を追い出しただけでは、ボスニアは解決できないんだよ。
南部では、クロアチア人対ボスニア人の激戦もあって悲惨だったんだよ。
ボスニアはなんでエンティティを3つに分けなかったの?ボスニア人とクロアチア人は同じエンティティだよな?
ボスニア人とクロアチア人はモスタルで抗争を起こしたが、
そのほかは基本的に協調路線だったため。
これは第二次大戦期のクロアチア独立国(ウスタシャ)にも云える。 オーストリアハンガリー帝国では
地位が、1、オーストリア人 2、ハンガリー人 3、クロアチア人 >>>>その他の順だったらしい >>81
ボスニアではなくセルビア本国から追い出す。 セルビア人からしてみりゃコソボに分けの分からんアルバニア人が住んでるのは苦々しく思ってんだろうな。
>>83の追伸だが、
ボスニア人とクロアチア人で組まないと、
軍事的にセルビア人に対抗できなかったということもある。 ずいぶん違うと思うぞ。
ボスニア人の領域はセルビア人やクロアチア人とかぶりまくりで、あっちからもこっちからも攻撃を受ける状況になったが、
クロアチア人の領域とセルビア人の領域はBiHではあまりかぶってなかった(ポサヴィナ・ポケットとかぐらい)ので、
BiHではセルビア人とクロアチア人が直接衝突する前線はあまり多くはなかった。
1993年にはモスタルだけじゃなく、BiH西部の幅広い地域で、クロアチア人によってボスニア人に対する民族浄化作戦が行われているし、
むしろセルビア人とクロアチア人のほうが協調路線だった。
1994年ごろのボスニア人の大攻勢でクロアチア人が敗退したあと、アメリカとかが仲介して無理やりボスニア人とクロアチア人をまとめさせた。 最初はセルビア勢力対クロアチア・ボスニア勢力だったが、
その後クロアチアとボスニア勢力が分裂し、
最後はまたまとめさせられた。
結局、ヘルツェグボスナ共和国(クロアチア勢力)は潰され、
スルプスカ共和国(セルビア)のみが残されるという、
クロアチア人にとっては不満の燻る結果となり、
今もこれがボスニア政局の大きな不安定要因になっている。 ボスニア人なんてイスラム信じてるバルカンのスラブ人ってだけだろ、
ムスリム人とか書かれてるのを見ると
プギャーって思うのはやっぱいろいろ毒されてるんですかね? 1974年以降のユーゴスラヴィアでは、自国を構成する主要民族のひとつとして「Musliman」という名前の民族が規定された。
当の本人たちは「その民族名はおかしい、俺達はボスニア人だ」と言っていたが、憲法とか国勢調査とかでもMuslimanが
ひとつの民族名として書かれてしまったんだから仕方ないだろ。「ムスリム」という名前の民族名が法律で定められちゃったんだから。。。
イスラム教徒でもアルバニア人などは、「大文字で始まるムスリム」と呼ばれるこの「ムスリム人」には含まれない。 ボスニア人だとボスニアの他の民族から苦情でも出たのかな? ボスニア人だと、構成三民族全てを指すこともあるから、
ボシュニャク人が、より正確な言い方。 ボスニア人は、行き場(後ろ盾)が無い人かな。
セルビア人は、セルビアと一緒になりたいと思っている立場。
クロアチア人は、クロアチアと一緒になりたいと思っている立場。
イスラム信仰の人は、どちらにも属せない(宗教が違う)立場。
だから、無理やりボスニア人を名乗って立場を表明した。
そういう立場なので、最も苦しくて悲惨だったと思われる。 そういや、オシムって3つのうちどれに属する人なんだっけ? オシムは一応クロアチア系と云うことにされているが、
あまり本人は意識していないみたいね。努めてそうしているのだろうけど。
あと親父さんが軽いムスリムだったと著書で述べている。 >>97
そうか・・・THX。
オシムにかぎらず、セルビアやクロアチアならともかくボスニアで民族意識をたぎらせても、
害多くして益少なしってのは、多数派になりつつあるんだろうなぁ。しこりは残るだろうが。 >>96
>>97
そもそも母が西スラブに属するポーランド系とチェコ系との混血だからなあ。
文字通りのスラブ人というべきか。 オシムの顔は、ボスニア紛争の虐殺事件容疑で逮捕されたカラジッチによく似てるよな。
オスマン帝国やハプスブルグ帝国が強引にバルカン人としてバルカン半島の民族を統合していればここまで揉めなかった気もする。
ギリシャもあそこまで舐めた国家運営しなかっただろう。 >>102
それこそスンナ派かカトリックに統一すればよかった気もするが。 >>101
今でも一部にはあるが、
それこそ連邦時代は「ユーゴスラビア人」という民族概念がわりと普及していた。 当時はセルビア人もクロアチア人も「ユーゴスラビア人」と認識してたってこと? もちろん当時からセルビア人、クロアチア人だったが、
一部の人、たとえばオシムとか、ノーベル賞作家のアンドリッチ、
そしてチトー元帥、などは「ユーゴスラビア人」という意識を持っていた(いる)。 あとは映画監督のエミール・クリストツァ、
そのほか複数民族の混血や少数民族出身者などもそうだな。 あとは発明王のニコラ・テスラ。
彼もセルビア系の家系と故郷のクロアチア、両方に誇りを持つと言って
「ユーゴスラビア人」に肯定的だった。 サッカーの代表レベルの選手とか、トップ大学に所属する知識層とか、いわゆるエリート階層。
そのへんはチトー時代にユーゴスラビア人という自意識を持っていそうだな。
難しいのは、山間の町とかで生活する一般人たちの意識を変えることだったろうな。 >>109
そういうど田舎の人の意識を変えるにはスターリンやマオのように「逆らえば死あるのみ」な政策が必要。 質問、”パルチザン”という言葉の感覚がよく解りません。
パルチザン≒ゲリラ≒卑怯であまり”印象の良くない言葉”と認識してたけど、
セルビアでは、パルチザン≒英雄≒かなり”印象の良い言葉”で良いのかな? セルビア人と言えば発明王ニコラ・テスラとテニス世界一のノバク・ジョコビッチの二人を真っ先に思い出す。
ボスニアの人は、姓でムスリムであることが分かる場合もあるよね。
ムラトビッチ(ムラト)、ムスリモビッチ(ムスリム)、フセイノビッチ(フセイン)等…
サッカー選手のイブラヒモビッチはボスニア移民のスウェーデン人だっけ。 >>113
イブラヒモビッチ→アブラハムの子→イサク
つまりズラたんはイサクだったんだよ! ムスリムはわかりやすいが、クロアチア人とセルビア人を名前で判別できるようになったら上級だ セルビアが○○ビッチで終わる人が多いのに対して、クロアチアはそうでもないね。
全くテイストの違う名前か、○○ッチで終わる人か多いかな。 スラブ系は名前が似たり寄ったりでどれがセルビア系なのかポーランド系なのかロシア系なのかチェコ系なのかようわからん サッカー・クロアチア代表 2012/02召集メンバー
20人中3名が「ヴィッチ(VIC)」つき苗字(※◎)
20人中8名が 「ッチ(IC)」つき苗字(※▲)
Stipe PLETIKOSA
Danijel SUBASIC ← ▲
Ivan KELAVA
Josip SIMUNIC ← ▲
Sime VRSALJKO
Domagoj VIDA
Gordon SCHILDENFELD
Vedran CORLUKA
Dario SRNA
Ognjen VUKOJEVIC ← ◎
Ivan PERISIC ← ▲
Danijel PRANJIC ← ▲
Ivan RAKITIC ← ▲
Tomislav DUJMOVIC ← ◎
Niko KRANJCAR
Luka MODRIC ← ▲
EDUARDO Da Silva
Ivica OLIC ← ▲
Mario MANDZUKIC ← ▲
Nikica JELAVIC ← ◎ サッカー・セルビア代表 2012/02召集メンバー
24人中10名が「ヴィッチ(VIC)」つき苗字(※◎)
24人中7名が 「ッチ(IC)」つき苗字(※▲)
Vladimir STOJKOVIC ← ◎
Damir KAHRIMAN
Dusko TOSIC ← ▲
Pavle NINKOV
Matija NASTASIC ← ▲
Dusan BASTA
Ivan OBRADOVIC ← ◎
Neven SUBOTIC ← ▲
Slobodan RAJKOVIC ← ◎
Aleksandar KOLAROV
Branislav IVANOVIC ← ◎
Zoran TOSIC ← ▲
Milos NINKOVIC ← ◎
Dusan TADIC ← ▲
Filip DURICIC ← ▲
Radosav PETROVIC ← ◎
Zdravko KUZMANOVIC ← ◎
Gojko KACAR
Aleksandar IGNJOVSKI
Bosko JANKOVIC ← ◎
Milan JOVANOVIC ← ◎
Miralem SULEJMANI
Dejan LEKIC ← ▲
Lazar MARKOVIC ← ◎ 語源は違うがここまでビッチが多いとサウスパークのカートマンの歌を思い出すw >>119
独断と偏見で選ぶクロアチア人らしいファーストネーム
Stipe、Ivan、Josip、Tomislav、Luka、Mario
>>120
独断と偏見で選ぶセルビア人らしいファーストネーム
Damir、Dusko、Pavle、Dusan、Slobodan、Aleksandar、Branislav、
Zoran、Milos、Dusan、Radosav、Zdravko、Aleksandar、Bosko、
Milan、Dejan、Lazar >>122
クロアチアのほうで Ivica は入らないのか。オシムさんのファーストネームだけど。 オシムさんの本名はイヴァン(Ivan/Иван)ね。
イビツァは愛称(正夫→まーくん)みたいなもの。 つまり、ボビーは元々ロバートの愛称だったけど、
ボビーを本名にする人が普通に出てくるようになったようなもんか。 IvicaはIvanの愛称から派生した名前で、Ivanはセルビア人にもいるけど、どちらかと言うとクロアチア人寄り。
同系統のJovanはセルビア人しかいない イメージ的な文化程度は
スロヴェニア>クロアチア>>>>>セルビア≒モンテネグロ≒ボスニア≒マケドニア>>>アルバニア 地域によってかなり違うから
そういう先入観での
共和国別の分類や格付けは
あまり意味無い 「ああ、どうでもいい。私はユーゴスラヴィア人であり、いつもそうであった」と
ペテル・ペトロヴィチは静かに考える。・・・・
いまではペテル・ペトロヴィチの耳の脇を弾丸がヒュンヒュン飛び交い、町や人間の
暮らしは滅茶苦茶に破壊された。違う。これは私ではない。これは私の国であるはずがない。
・・・こんなものが私の国の顔であって良いものか。私のアイデンティティであって良いものか。
・・・「その通りだとも」と偉大なるマニュビュレイターたちは言い、ペトロヴィチの背後に
既に立っている。それがきみのアイデンティティなのだ。・・・セルビア人ペテル・ペトロヴィチは、
クロアチア人ペテル・ペトロヴィチとは本質的に異なっているのだ。さあ決定したまえ、きみは誰なのだ。
そしてペテル・ペトロヴィチは・・・二つの時代、二つの真実、二つのユートピアの間の、過去と
未来の間の境界線に立って震えている。かれにははっきり分かっているのだ。自分のように
優柔不断に境界線上に立ち尽くしている人間は、やがて消え去る運命だと言うことを・・・
※「バルカン・ブルース」ドゥブラヴカ・ウグレシィチ著・岩崎稔訳
ウグレシィチ女史は当時ユーゴ内戦を批判し、母国クロアチアを追われた。
あまり日本では知られていないが、南スラヴ諸民族はもともとはポーランド西部にいた
旧東独ソルブ人のソルブとセルビア人のセルブは同じ
クロアチア人はホルヴァトというがホルヴァトの系統も一部ポーランド残った
これが中世前期にスデート・ベスキド・タトラ・ピェニン・カルパチアの山々を越えて南下して広がっていった
また、スロヴェニア人の先祖の国家であるカランタニア公国はオーストリアからスロヴェニアに広がっていて、
スラヴ人であるカランタニア人は現在の南部・東部オーストリア人とスロヴェニア人の基層になっている
パンノニアに移住したスラヴ人はハンガリー人(マジャール7部族とハザール3部族の遊牧部族連合)が侵入してきたためハンガリー社会同化されたが、
定住農民としてハンガリー人の家系の基層になっている チェコ人(チェヒ族)ももともとポーランド西南部にいたのが山越えてボヘミアに定住したもの
これらの諸部族はみなもとは古代西スラヴ人(プシェヴォルスク文化)
ヴァンダル族と深い関係がある
もしかしたらヴァンダル族そのものが西スラヴ人だったのかもしれない <わいせつ警官>女子大生に抱きついた25歳容疑者逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111121-00000064-mai-soci
女子大生に抱きついて胸を触ったなどとして、
兵庫県警灘署は21日、同県警美方署地域課巡査、
田中佑樹容疑者(25)=同県朝来市和田山町林垣
=を強制わいせつ容疑で現行犯逮捕した。容疑を認めているという。
容疑は、同日午前9時50分ごろ、神戸市灘区赤松町1の路上で、
同区の女子大生(21)に背後から近づき、胸などを触ったとされる。
2人に面識はないといい、灘署は動機や現場にいた理由などを追及している。
灘署によると、田中容疑者は女子大生が大声を出したため逃走。
近くでゴミ収集中だった神戸市職員2人が追跡し、
約240メートル南東のマンション外階段の下に隠れているのを見つけて取り押さえた。
美方署によると、田中容疑者は19日から3連休を取り、
「友人の結婚式で神戸に行く」と説明していたという。 語の中途のbで子音のみで終わるならpとして発音する
Serbならセルプ
Serbiaならbでセルビア セルビア語ならそういうものははじめからbではなくpで書くのでは? 南スラブ諸語では、
初めからPで書くのがセルビア・クロアチア語とマケドニア語。
Bで書いてPと発音するのがスロベニア語、ブルガリア語。 古代の西スラヴ(いまの南スラヴと西スラヴの部族的な先祖)はどうもヴァンダル族っぽいね
クロアチア人もセルビア人もスロヴェニア人もその他の南スラヴ部族もみんなポーランドから南下して来たようだ
クロアチア人とセルビア人はアヴァール牽制を目論む東ローマ皇帝にわざわざ呼ばれてポーランドから南下している
となるとなぜヴァンダル族がゲルマン語派の言語を話せたのかという疑問が出るが、
考えてみれば簡単で、ゲルマニア地方の社会の部族間の意思疎通にゲルマン語を覚えただけ
フランク族はラテン語を覚えたが、そうはといってもフランク族はラテン語派ではなくあくまでゲルマン語派の部族
民衆語がゲルマン語派だったから
となると、ヴァンダル族の民衆語はスラヴ語派の言語だったのだろう ヴァンダル族は故地のポーランドにいた時代は西隣も東隣も北隣もゲルマン語派の部族がいたから、
ゲルマン語派の言語が話せないとどうしても不便だから外国語として覚えたんだろ 最近200年のポーランド小史
http://www.din.or.jp/~a_ohno/Polen/Brief%20history%20of%20Poland.htm
橋下市長 「赤字なのに民間以上の給与は変」…年収739万円(数年前は800万超)の市営バス運転手、給与4割削減へ★7
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1330325748/
・大阪市交通局は、民間バス会社より高額と指摘されている市営バス運転手の年収
(平均739万円)について、来年度から4割程度削減する方針を固めた。
「民間並みに合わせる」との橋下徹市長の方針に基づき、在阪の大手私鉄系バス会社の
最低水準に引き下げる。交通局は週明けにも橋下市長の了承を
得て労働組合に削減案を提示するが、労組の反発は必至とみられる。
交通局によると、市営バス運転手は計約700人。平均年収(49.7歳)は、在阪大手5社
(阪急、南海、京阪、近鉄、阪神)の平均(44.5歳、544万円)より195万円高い。
しかし、バス事業は28年間、赤字決算が続いており、累積赤字は10年度で604億円に上っている。
運賃収入に見合った給与体系とするよう橋下市長から指示を受けた交通局は1月下旬、
民間の平均をやや上回る2割強の削減案を橋下市長に提案。「これまでにないすさまじい削減」
(交通局幹部)としたが、橋下市長は「民間は赤字を出さないよう必死なのに、赤字だらけの
交通局が民間平均なのはおかしい」と突き返した。
このため、交通局は削減案を練り直し、在阪大手5社のうち最低水準の近鉄(447万円)、
南海(441万円)程度まで引き下げる方針を決めた。
給与カットには条例改正が必要。市交通局側は労使交渉での妥結を経て、今月28日〜3月27日に
開かれる2月議会で可決させ、4月1日からの実施を目指したい考え。実現すれば20億円以上の
人件費削減となるという。
市役所全職員の給与は来年度から平均7.2%削減される。交通局の現業職員約5400人の給与は
更に引き下げることとしており、バス運転手の下げ幅が最大になる見通し。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120226-00000006-mai-soci
※関連スレ
・【社会】 大阪市バス運転手、職員食堂に勝手に自販機置いて収入得る…ちなみに市バス運転手の平均年収811万円
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1247192577/ ナレーター「消費税を増税する前に国の資産売却をーーー」
経済産業省 大臣官房付 古賀茂明「国はものすごく資産を持ってますよね、と。」
古賀「例えばJTの日本たばこの株をまだ持ってる、と。
ちょっと考えられないですよね、なんでたばこ会社の株を政府が持たなきゃいけないのか、と。
ま、天下りのためだろう、と。
あるいは都心の一等地にですね、立派な公務員宿舎がたくさんあって。しかもそこに若い人じゃなくて幹部が入ってる。
こんなのは全部売ればいい」
ナレーター「都心の超一等地にあるという豪華な公務員宿舎。まさかこんなお堀(皇居)の内側には・・・。ッ!?・・・あったぁ・・・」
ナレーター「北の丸公園にある代官町住宅。抜群の環境で、一坪推定5000万円。評価額は800億円近いという。
しかも家賃はタダ!
実はこちら、危機管理用無料宿舎として法律に基づいているのだ。
それにしても豪華すぎるのでは?」 ユーゴスラビア紛争関連資料読む。(ユーロがまだ荒れていなかった頃)
英仏独「お前ら!俺たちが何百?年前に始末つけた事柄で、今世紀で内紛とかしてんじゃねーよ!!!
今時民族自決とか、カトリックだのムスリムだの民族虐殺だの…
俺たちの古傷痛むだろ!!!」
とか見えた自分は駄目かもしれない。うん。 >>131
最初は、女なのに「〜ヴナ」じゃなくて「〜ヴィッチ」という苗字の人がいて戸惑ったなぁ・・・ ヘンダーソンHendersonといった苗字の女性がいるのと同じだと思えばいい >>148
スロヴェニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ、マケドニアは単独スレないのか・・・ やっぱチトー時代みたいにまとまってたほうがよかったなって人は
今各国にいるの? >>151
たぶん、少数民族はそうじゃないかと思うよ。
例えば、ユーゴスラビア時代のテレビ番組では、全てではないかもしれないけど
、20ヶ国語の字幕が流れていて、2・3%ぐらいしかいない少数民族のロマ人
(ジプシー)のための字幕まであった。
要は、今では考えられないぐらいの、異常ともいえるぐらいの民族平等を心がけ
、気を配っていたのが、その時代なんだよ。
だから、この種の平等は今は無いだろうから、たぶんそうじゃないかと思うよ。 ごめん、字幕ではなくて、少数民族用のテレビ番組だった。 >>150
何故ロシア?セルビア以外は政治的にはあまり縁がないけど。 普通にセルビアの選挙のこと言ってるんだろ。
でもEU加盟申請を既に出している以上それほど大きな外交政策の変化はないんじゃないか。 >>152
でもセルビアだと地方ではスロヴァキア語やルテニア語(?)みたいなマイナー少数民族語字幕
も希にあるとか聞いたことがあるけど、そう言った人達の場合もユーゴノスタルジーとかあるのかな。
全員セルビア語が出来るとはいえ、テレビ番組がなくなって字幕のみに格下げとなれば「経済以外は
チトーの方がマシ」となっててもおかしくないぞ。 いや、経済は遙かに今よりチトー時代の方が上。
セルビアはこの20年間、停滞どころかずっと右肩下がり。 >>160
たぶん、あると思うよ。
例えば、セルビアなら、北部ヴォイヴォディナ州のハンガリー系の政党は議席6人。
民主主義において、それっぽちではハンガリー人のために利益は誘導できないよ。
だから、少数民族全般において、民族平等のユーゴ時代の方が良さそうだと思える。
ブルガリア帝国は騎馬民族征服王朝といっていいのか? >>144
実際は文明(武力含)という概念で結び付いていた強大勢力に対して、
”民族”の均一化した一致団結で対抗した選民思想が民族自決だからな。
日本という国を解体したければ、関西弁と東京語とを別言語と定義して徹底分析すればよい。
おのずと何々宗派関西系・◯◯宗派は関東系とか政治制度が異なったとか、
歴史経緯的に別族との認識、とかいろんな解釈が生まれて来る。
そこに付け込んで支配する為の植民地目的の思想が本来の民族自決の目的ですよ。 争いを煽って支配しようとしたら制御できなくなりました。ベッタベタの展開です バルカンのモザイクはオスマン支配の解放の歴史だけど、
実際はプロテスタントの発生やスラブの各国正教自体が
オスマン出現に起因しているから、
もしかするとオスマン支配がなかったら、
キリスト教国も民族の概念自体も存在しなかったかもしれない。 まあブルガリアの正教はトルコが来る前から勝手に総主教立ててたけどな >>170
人口量の圧倒的な優位が大きいのでは、
あの辺はスラブ系の洪水をかぶっているでしょう。 ちがうね。
スラヴ語に幾何級数的な人口爆発が起きた理由は、スラヴ社会に多種多様な民族を呑みこんで同化する素地があったから。
まず一点、スラヴ社会は支配層が閉鎖的ではない。
第二に、スラヴ社会は先史時代から穀物生産が盛んで、古代から中世にかけて食料供給が安定していた。
第三に、スラヴ語派はその西と東の古い時代の言語的特徴を併存させていたため、
現代では難解なスラヴ語も、古い時代の人々にとっては習得が容易だった。 >>172
面白い、参考になる。
最後の一行は本当にそうなのかな。
口語レベルではそうかもしれない。
それと、スラブ系は上層部だけでなく庶民も閉鎖的でないように思う。
これは感覚的発言だが。 西欧では上層部にしか見られないR1aハプロタイプ(=高貴なアーリア遺伝子)も、スラブ社会と北欧ゲルマン社会では社会全体に広く見られる。
これはスラブ社会と北欧ゲルマン社会の社会が開かれた社会であったことを意味する セルビアではオスマントルコの統治下に入ってから、
有力者はイスラムに改宗したし、
近代ナショナリズムに目覚める頃には「セルビア人」はほとんど農民だった。
そもそもカラジョルジュからして血統はよく判っていない。 あと、オスマン統治下から衰退期にかけてのバルカンでのギリシャ人の存在は興味深い。
ワラキア等の太守はある時期からずっとギリシャ人だったし、
バルカン全域にギリシャ商人のネットワークがあった。
「フィリキ・エテリア」で調べてみると面白いよ。 ギリシャ人の商人ネットワークは面白そうだな
ユーゴ域内を侵食していたならスレチじゃないでしょ、
今のギリシャ人は古代の面影の片鱗も感じられないけど言葉だけは古代ギリシャ語の
直系子孫だからなあ、 クロアチア人はホルヴァト人といってポーランドの南部から。
セルビア人は白ソルブ人といって東ドイツのソルブ人と同じで、ポーランド西部から出た。
おそらくスロヴェニア人(オーストリアと合わせて中世カランタニア人)はポーランド南西部シレジアから出た。
これらはいわゆるスクラヴェン人(スラヴ人)の諸部族。
こんなところ?
ブルガリア人はアント人(東スラヴ人)がブルガール人を同化吸収した形。
マケドニア人はおそらくもっとアント人ぽい。
アント人はウクライナから来た ビザンツ史料では「バヴァリアの彼方」にいたという白クロアチア人についての記述で
Kloukas Lobelos Kosentzis Mouchlo Chrobatos Touga Bouga
といった人名が残されているが、これらはイラン系と考えられており
実際ドン河下流域にChoroathosというイラン系の地名が存在した。
黒海北岸のイラン系遊牧民が西に移住してスラヴと同化したのだろう。
マスウーディーの地理書にも白クロアチア人の首長は馬乳酒を飲むと記されており
支配層における遊牧民文化の残存か。
セルビア人についてもドン河流域にいた「セルボイ」やカフカスの「サルバン」
といった部族との関連が考えられている。 スクラヴェン(バルカンのスラヴ語派の諸部族、スラヴ)はどの部族も
ヴェンド(ヴァンダル=西スラヴ)とアント(東スラヴ)が多少なりとも混ざっているんだろう
クロアチア人もセルビア人も基層としてはヴェンドで、バルカンでアントと混交
アントに濃く混じっているイラン系遊牧民は間違いなくサルマタイ人 アント人はサルマタイ人と、その前は遊牧系スキタイ人を同化吸収している。
ウクライナにおける農耕民に遊牧民が次々と吸収されて成立したのがアント人(東スラヴ人)。 お前、よくそんなウソッパチを長々と書けるな。
ポーランドとクロアチアではY遺伝子ハプロは全然違うぞ。 >>183
ポーランドとバルカン西北部のY遺伝子ハプロはまったく同じといってもいいぐらいソックリ
いつものイリノイ州立大SCSのpdf見てみろ これいいかもしれないね
http://tr.im/zw2j
ソースはおいておく >>183
>>184は自己陶酔型だから相手にするな(笑) >>175
19世紀半ばのセルビア王国成立までの時代、
セルビア人の文化、経済、人口の中心はハプスブルク直轄領の軍政国境地帯(ヴォイヴォディナ・スラヴォニア・クライナ辺り)。
商工業をはじめ、軍人、学者などの職業につくセルビア人は多くいた。
カラジョルジェはモンテネグロの山岳地帯の部族出身。 ボスニア人は中欧的、セルビア人は南欧的。
髪や眼の色の話だけど。 >>188 カラジョルジェのカラってトルコ語の「黒」から来てるのかな 大戦中の強制改宗のこと知りたくなって調べ始めた。
情報ってこんなもんしかないのか?
「ステピナッツ」でググっても100件ぐらいしか出てこない。
それも何だか旅行記みたいのばっかり。 クロアチアにおける「ネイション化」の論理―「クロアチアの春」とユーゴスラヴィア解体過程における政治運動をめぐって―(山川卓・2013)
Logic of “Nationalization” in Croatia: Political Movements in “Croatian Spring” and Disintegration Process of Yugoslavia (YAMAKAWA, Takashi, 2013)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/Vol.26-1/07_yamakawa.pdf 昔のイリリア人を中心ににケルト人・ゲルマン人・スラブ人・トルコ人・ギリシャ人等の混合体。
混合の度合いは民族により異なる。 スクラヴェン(バルカンのスラヴ語派の諸部族、スラヴ)はどの部族も
ヴェンド(ヴァンダル=西スラヴ)とアント(東スラヴ)が多少なりとも混ざっているんだろう
クロアチア人もセルビア人も基層としてはヴェンドで、バルカンでアントと混交
アントに濃く混じっているイラン系遊牧民は間違いなくサルマタイ人 Nie.
ヴァンダルは後に西スラブに変遷することは確かだが当時はどうかは言い切れない。
考古遺物や中世初期の文献による傍証は有る為可能性は高いとだけ。 ただしヴェンドのうち南下したのがスクラヴェン。要するに南スラブの祖。 ヴァンダルという呼称は実は古代から中世中期まで途絶えた時期が無い。
途絶えた時期があるならそのどこかで住民が別の住民に入れ替わっていることも考えられるのだが、
それが無いため、考古遺物の連続性もあることから、古代のヴァンダルは中世の西スラヴ(と南スラヴ)に連続していると考えられる。 大戦中のバルカンの日本語資料少なすぎじゃね
高校の教材にも載ってないRSIより遥かにピンドス公国とかウジツェ共和国とかの方が知名度低いし
ウスタシャ、チェトニク、チトーパルチが何をやってたかすら分からんのだが >>191
おそらくカラジョルジェはユベントスのヴチニッチみたいな風貌だろうね。長身で黒髪。
あとカラジョルジェはあだ名で本名はジョルジェ・ペトロヴィッチ。 髪や目の色で言うと、ボスニアとセルビアの間には見えない線がある。
セルビア以南は濃色の髪・目の色が圧倒的となる。
これは古代の民族移動の結果ともいえるわけだが。 >>2
アルバニアはコソボを承認している、いるのだが、バルカン諸国の中ではセルビアと並ぶ出生率で他と比べて高い
大アルバニア主義は微妙に生き残っている、という気はする また内戦が勃発したらアメリカはもう動きそうにない
ヨーロッパのローテク虚弱軍団では対処できない
また火薬庫になってしまうのか 確かにモンテネグロ人は黒髪黒目ばかりだな
有名サッカー選手のサビチェビッチ、ミヤトビッチ、ヴチニッチ、ヨベティッチ、ラドンチッチなど全員黒髪黒目 wikipediaにミロヴァン・ジラスの項目できてるんだな
外国語記事を翻訳して載せたくさくてところどころ文章に違和感があるが スラブ人の国が多すぎる
ブルガリアはトラキアの方が良かった あとトルコ系の国も作って
国名はアヴァリアかブルガリアで
(東欧のハンガリーポジション) スラブってロシアが強大になるまでは概ねやられ役の歴史なわりに、
最後に言語と血統を残してくるとこがスゲーよな >>219
たまにはポーランド・リトアニア王国さんのことも思い出してあげてください。 近代以前のスラブの人達は、基本的に政治的に結集したり、権力握るのが下手
その分危険視されないで残る感じ Y-I2の割合が高い国が多いね。
クロマニヨン人の子孫が多いということか。 部長以上があれこれ入れ替わるものの、課長以下はずっとスラブ
そのうち経営ノウハウが下にまで下りてきて、低位職員一同でMBOしましたみたいな >>218
アヴァール、ブルガール人の国を作るなら、
トランシルバニアが最適だろうな
面積もハンガリーよりやや広いくらいらしいし
テュルク語+キリル文字+正教の国家 さすがに血統的にも文化的にもスラブ化したと信じたいがどうか
ヨーロッパから嫁迎えたりしてないだろうな Andrey Kharitonovich Tolstoy, "the Fat"
「デブ公」こと、アンドレイ・カリトノーヴィチ・トルストイ
先祖で嬉しいのか悲しいのか・・・・つーかこの人リトアニア貴族の出だね 少なくともリューリク朝三代目の妻まではゲルマン系から迎えてるな もしかしたらキエフ大公は
東スラブ人の血は一滴も入っていないかもしれない
最初は北ゲルマンから、
後はヨーロッパの君主から迎えるようになっている 東スラブはなんだかんだ大筋は想像つくんだが、本題にもどって南スラブだ
連中、ユスティニアヌス1世の治世後半あたりから急に沸いて出てきやがる
なんとなく南ポーランドあたりからパンノニア平原を越えてきたのは分かるんだが
終局では、アヴァールあるいはブルガールの雑用係として随伴してきたのか? >>232
アヴァールはバルカン半島南部まで侵入していないし、
ブルガールはスラブ族の移動のあとから侵入している。
政治的野心を持たない集合体だったのかな。 アヴァールはバルカン側からスラヴ引き連れてコンスタンティノープルに迫ってはいたな。
ベリサリウスに華麗に撃退されてたけど。 ユスティニアヌス1世の治世前半パンノニアとイリュリアは東ゴート領だった
東ローマ軍がイタリアに侵攻すると東ゴート軍はイタリアに集結したので
パンノニアとイリュリアは無防備となりスラブ人が侵入し始めた 足元が見えてないとこはバカと言われてもしょうがないかw
ただ東ゴートと比べてスラブの戦闘力はかなり落ちるんで、それで見誤ったのかもね
スラブ単体が相手なら、面では守りきれないにしても点では撃破できる感じだったようだし
・・・少なくとも当人の存命中においては、重要都市で陥落したところはそれほど多くない ユスティニアヌスは生まれ故郷の防衛を最優先にしなかった
ユスティニアヌスは故郷で思い出したくない体験とかがあったのかな
ユスティニアヌスは叔父が文盲なくらいの貧民の家系だったらしい
ユスティニアヌス朝でバルカン出身者の第二のローマが滅亡する
ユスティニアヌス朝に婿入りしたマウリキウスはカッパドキア出身
マウリキウスの仇討ちしたヘラクレイオスもカッパドキア出身
ヘラクレイオスはアルサケス朝の末裔とされる名家出身 侵略者としてではなく、移民として入ってきたから、
イマイチ敵として認識できなかったのだろう。 そんでも、旧・東ゴート支配地からビザンツ領にわらわら入ってきてる時点で対処すべきだった
ユスティニアヌスが生きてる間にテルモピレー周辺まで到達してんだぞ、なんで放っておけるんだ?
帝権に伏さない蛮人が首都から300-400kmのとこでウジャウジャいて生計たててるのは気味悪かろう ユスティニアヌスの治世にはペストの大流行が始まった
都市の住民や集団生活する軍隊は疫病で壊滅していった
都市に住む習慣がなく農村で自給自足のスラブ人は
疫病に感染しにくかった ユスティニアヌスは東西ヨーロッパの文明を数百年後退させた そういやギリシアってスクラヴィニアと呼ばれて、ほぼ全土がいったんスラブに征服されたよね
んでテッサロニキとアテネとモネンヴァシア(ペロポネソス半島東南端)だけがギリシア人の手に残った
この状態が7世紀前半から約200年間、ニケフォロス1世の再征服まで続くわけだけど・・・
彼はちゃんと民族浄化できたのかな?ギリシア人を故地に強制移住させたりはしてたようだが >>243
スラブ人はギリシャ人に比べて少数派だった可能性は ギリシャ本土へのスラブ人の侵入によりギリシャ人はアナトリアへ避難したが
アナトリアにトルコ人が侵入した時にギリシャ人はこんどはアナトリアから
ギリシャ本土へ避難したのでギリシャ本土は再ギリシャ化した 侵入したスラブ人に政治力があれば、今頃ギリシャは南スラブ後圏。
もったいないことをした。 バルカン全土がブルガリア領とかで完全にスラブ化していたのならば
東ローマはアナトリアを死守しただろうからトルコ人はアナトリアへ
移住出来ずイラン全土がアゼルバイジャンのようにトルコ化しただろう なんという希望的観測・・・東ローマスレの住人が聞いたら喜びそうだw アルメニア人がクルド人やトルコ人に追い出されて
アナトリアはアルメニア化したかもしれない
東ローマはアルメニア人が多数派になったかもしれない >>240
んなことよりもローマ復活の方が大事だった 軍人皇帝時代以来バルカン出身の将兵がローマ軍の主力だったから
バルカンが壊滅すると地中海帝国は再起不能となった
ユスティニアヌスとベリサリウスら自身もバルカン出身だった
アナトリア出身者の武力ではアナトリアを守るのが精一杯
無理してブルガリアを倒してバルカンを奪回すると
ほどなくしてアナトリアをトルコに奪われてしまった ユスティニアヌスより後の時代の東ローマを象徴する言葉が
「パンとサーカスの化石」 ティムールに激滅されたオスマン朝の復活を許す時点で東ローマの命運は尽きた。 >>253
トルコ人がキリスト教に改宗してたら東ローマはオスマン朝として存続してただろう
そしたらギリシャ人やスラブ人とトルコ人の区別は言語のみとなる 農耕民のスラブ人に比べて遊牧民のトルコ人は人口が少ないので
キリスト教化したらそのままギリシャ人に吸収されただろう
異教徒の言語であるギリシャ語をトルコ人は拒絶したようだ
イリュリアやトラキアは牧畜が盛んでローマ騎兵の供給源だから
スラブ人よりも元々人口が少ないのでスラブ化してしまったようだ しかし、キリスト教が中近東で定着しないのは何故かね?
現代ですら、シリア・イラクのキリスト教は風前のともしびだ。 一神教から一神教への改宗は難しいよ
それに、今のキリスト教はお膝元ですら信仰心弱まってるし
ピレンヌの著作の注に、7世紀後半にリビア〜チュニジアの取り合いしてた頃
ベルベル人は30回ぐらいキリスト教⇔イスラム教の改宗したとあって、面白かったけどw >>253
ホラズムがモンゴルに滅ぼされたのでパレオロゴス朝が存在した
モンゴルと戦争にならなければホラズムはそのまま西に勢力拡大して
アッバース朝だけでなくルーム・セルジューク朝やニカイア帝国も
征服しただろうからパレオロゴス朝がまったく存在しなくなったはず
ブルガリアがコンスタンティノープルとテッサロニキを支配する事になりそうだけど
ラテン語を話すイリュリア人らが滅んでギリシャ語を話すアルメニア人とかが
東ローマ帝になったようにスラブ人らは東ローマ帝になっただろうか? >>259
南スラブ人は現在もそうだけど、政治的リーダーシップに欠けるね。 そう考えると、本当にチトーってありえないほどのチート統治者だよな
あれだけ利害関係が錯綜してる状況で完全にコントロールできるのは神業に近い 政治的リーダーシップに欠けるというよりは
民族意識が強過ぎて小国に分裂してしまう
イリュリア人やトラキア人とかはローマ帝国から
独立せずに皇帝になった >>261
強権を振るう一方で
マイノリティへの気配りも欠かさなかった 年齢的に無理な話だが、なんとか冷戦崩壊から落ち着くとこまで生きてたらと想像しちまうな
ユーゴスラビアとしてEU加盟の目処がたったとこで死去なら、違う展開もあったかもしれない >>264
旧ユーゴの諸民族に求心力がないから、遅かれ早かれだろうね分裂は。 http://www.47news.jp/CN/201511/CN2015110401001906.html
セルビアの国営通信閉鎖へ 72年の歴史、買い手なく
2015/11/04 23:26 【共同通信】
【ウィーン共同】セルビアの国営通信社、タンユグ通信が民営化に乗り遅れ、
72年の歴史を閉じることがほぼ確実となった。セルビアのメディアなどが4日までに伝えた。
同国は新法でメディア民営化の期限を10月31日としていたが、タンユグは買い手がつかなかった。
報道によると、タンユグ幹部が政府から閉鎖を告げられた。
タンユグの従業員は約180人。政府が今後、広報部門に改変する計画もあるとされる。
タンユグは1943年設立。
非同盟諸国の中心だった旧ユーゴスラビアの通信社として世界的なネットワークを持ち、
国際的な評価が高く、70年代ごろに活動のピークを迎えた。 民族の違いもあるけど、歴史・文化の違いが
統一を長続きさせられなかった真因だな
スロベニア人・クロアチア人には屈辱の40年間だったに違いない ヴォイヴォディナ地方はセルビア人やクロアチア人に加えてハンガリー人やスロバキア人やルテニア人などがいても内乱など起こらず平和だけどね。
連邦制採用が紛争と分裂を招いた気がするなあ。
チトーの失策。 宗教も文字も違うのだから
もともとひとつの国家として成り立つ条件を欠いている 民族主義に蹂躙されながらも最後まで残った多民族国家ハンガリー王国の残滓
旧ユーゴ最後の良心
それがヴォイヴォディナ自治州 ソ連と共産圏が崩壊した時に、
ユーゴスラビアがブルガリアとルーマニアを抱きこんで
バルカン連邦として統一国家を建国するとか、
あるいはヨーロッパ連合のようにバルカン半島の地域統合が起こらなかったのかな? 冷戦時代のユーゴスラビアはソ連・イギリス・フランスに次いで
ヨーロッパで4番目に大きい軍事力があったらしいな。
しかも日本からロケットとその推進剤製造設備を買って軍事転用してるし。 ロシア人 - ウクライナ人
セルビア人 - クロアチア人
なイメージ
細かいことは知らないけど >>272
ルーマニア : ラテン人
全然違う異民族だろ EUが崩壊したとしてバルカン半島の地域統合は進展するんでしょうかね〜 ユーゴスラビアでは以外にもロボット工学が発達していたらしいな。
ミオミール・ブコブラトビッチが二足歩行ロボットの制御法を開発してる。 南スラブ人のユーゴスラビアとブルガリアが連邦を結成するのは何もおかしくはないんだよな 部分的に実現されていたと言えなくもない
マケドニア人って元々はブルガリア人のうちの西部地方住民にすぎないから >>272
バナト地方のセルビア人とルーマニア人なんかは宗教も同じオーソドックスで同一民族の意識強いね
ちょっと前にサッカーで合同リーグ作る話もあった >>267
>スロベニア人・クロアチア人には屈辱の40年間だったに違いない
1年近い後のレスだけど屈辱を押しつけたチトー自身が皮肉にも
スロベニアとクロアチアのハーフという・・・・ >>282
片やスラブ,片やラテンだけど宗教が共通してると
連帯感が生まれるんかな アンカー間違い
>>281さんに対してでした。>>282さんごめんなさいorz イヴォ・アンドリッチの「ドリナの橋」を読んでみると
オーストリアの支配下に入ったボスニアの田舎町に
オーストリア=ハンガリー領各地から人々が移り住む
場面が描かれてた。
ボスニア出身のオシム元監督の先祖もこの時代によそから
ボスニアへ移ったクチなんかねえ・・・ イヴィツァ・オシムは何故か日本ではドイツ系の人という事になっているが、オシムという姓はアシムやウシムといったようなイスラム風の名前
ゲルマン系の名前ではない それよく分からんのよ
Wikiに父方の祖父母がドイツ系と書いてあるが、俺の読んだ本だと父はムスリムの共産主義者だと言っていた
ということは、祖父母か父親の代で改宗して名字も変えたってことか?
母方は祖父がポーランド人、祖母はチェコ人でミュンヘンに住んでたともWikiに書いてあるがさて この書き込みは、 Ivica Osim氏のいかなる名誉を毀損するものではありません。
情報は、可能性であり、盲信しないでください。
1)Osim氏は、東欧のユダヤ人の集団に属するのではないか?
2)理由
Osimという名前は、Yusimに由来し、このYusim姓は、イスラエルに非常に
多い名前です。(Osimは、男性形の名詞です。)
この名前は、もともとYosemであり、東欧ユダヤ人(アシケナージ)の
名前としては、Yossem, Josem, Yosim, Yusem, Yusim, Jussimなどの
変形態として現れます。また、イスラエルにおけるヘブライ語では、Iatom
(ルーマニア語式のローマンアルファベット表記です),Yathom, Yatom
と表記されます。同様の由来の名前は、アラビア語にもあり、Yatim, Yattim
となります。Osimという名前は、クロアチアにもごく少数ながら存在し
(ユダヤ人関係の名前でしょうが)、Ivica Osim氏がクロアチア人ではないか?
という可能性もあります。
この単語(姓)は、上記のとおりヘブライ語でYosemですが、この意味は、「孤児」
です。同様に、イディッシュ語(東欧ユダヤ人が使用するドイツ語の影響を強く
受けた言語)でも同様です。この名前を使用するユダヤ人は、ハラハーを信仰する
正統派ユダヤ教徒です。ハラハーとは、ヘブライ語の聖書の法と法の解釈について
定義するタルムード文学です。
(つづく) >>289
つづき)
上記のイディッシュ語を使用するユダヤ人は、中欧、東欧に分布し、ベラルーシ、
ウクライナ、ポーランド、リトアニア、とくにドイツに多い名前です。
このイディッシュ語(Osim/Yosemの姓を持つ人々を含むことが多い)を話す人々
は、少数言語使用者として、イスラエルをはじめとして、ボスニア=ヘルツェゴビ
ナ、オランダ、ポーランド、ルーマニア、スウェーデン、ウクライナに認められ
ます。
整理しましょう。
Yosem (ヘブライ語・イディッシュ語)-->Yusim (イスラエル他での名前):「孤児」
の意味-->Osim(東欧のユダヤ人の姓)
推定(あくまで推定です:盲信厳禁!盲信厳禁!):
Osim氏は、東欧のユダヤ人の系統の可能性がある。先祖が、上記の地域
(ポーランドやドイツ)からボスニア・ヘルツェゴビナ地域へ移住してきた可能性
がある。また、もしかしたら、クロアチアやセルビア(両者の言葉はまったく同一)にいた東欧ユダヤ人かもしれない。
I. Osim氏の出自の詳細が語られないのは、このような事情があることも考えられる。あくまでも可能性です。盲信しないでください。
以上です。 ちなみに、旧ユーゴスラビア国民には、国民各個人が帰属する民族名
を記入する項目が戸籍にありましたが、民族主義を打破しようとする人々
(ユーゴスラビア国民)は、その項目をユーゴスラビア人としました。
セルビア人やクロアチア人などとしないで。しかし、そのような人々は、
ユーゴスラビアの解体によって、大きな苦渋を受けることとなります。
悲しいですね。 英語ウィキからたどると、父ミハイル・オシムはスロベニア人の父親とドイツ人の母親の間に生まれたようだ。
この祖父は現スロベニア領マリボル市(オーストリア・ハンガリー帝国時代はドイツ人が多数派)の近郊出身。
父ミハイルの生誕地はサラエボとのこと。
マリボル時代にムスリムなのは考えにくいから、サラエボで何か縁あって父か祖父が改宗したんだろうね。
オシムという姓もそのとき付けたんのかもしれないね、ムスリム・ネームでもあるんだろ? ボスニア語ウィキにはオシムがドイツ系なんて話は載ってないね
英語ウィキも一昨年くらいまではオシムがドイツ系だとかそんな話は書いてなくて日本語ウィキにだけ書いてあって不思議だった
おそらく英語ウィキを編集したのは日本人だろうね >>294
英語wikiの脚注にリンク先あるじゃん
クロアチア語サイトだけど、ボスニア語wiki読めたんなら翻訳方法くらい分かるよな?
そこにこまごま書いてあるよ 母国のボスニア語やクロアチア語のウィキではオシムの民族籍には一切触れてないのに、日本語ウィキにはドイツ系である事が詳細に語られてるのが面白いな。
普通は選手時代の得点数やプレースタイルとか監督としての手腕や実績が重要であって、オシムが何人なのかなんてどうでもいい事なんだが。
ひょっとしてオシムがドイツ系じゃなくてムスリム系のボシュニャク人だったら無能監督呼ばわりする日本人が激増すんのかね?
もしもボックスがあったら確かめたいよなあ・・・ >>294
>おそらく英語ウィキを編集したのは日本人だろうね
ウダウダ書くまえにWiki編集履歴の見方なんて簡単なんだから実際に見ろよ。
https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Ivica_Osim&diff=prev&oldid=685475052
ドイツ系って書いたやつはFkpCascaisというユーザーで詳細みるとセルビア人らしいことがわかる。 >>292
いや逆の考え方もあるな
オシム姓が中東系の名前という事を考えると、もともとのルーツはトルコあたりのムスリムで数世紀前に先祖がオーストリア方面に移住してカトリックに改宗しドイツ人になったのかもしれない
そういやスロベニアの元大統領のturk氏もルーツがトルコとかいろいろ言われてたね >>298
ユダヤ人という可能性はないの?
ユダヤ人も中東系だけど 最終的にはムスリムにならんといかんので・・・ユダヤからスタートだとコロコロ改宗しすぎやろ german jewish surnameやjewish surnameで結構調べたけどオシムは見つからなかった サッカーがらみの話題が続くが、スロベニア代表で浦和レッズ所属のズラタン・リュビヤンキッチってボスニア人なんだな
ひょっとしてムスリムなのかな? >>301
オシムはのちの表記であって、オリジナルの綴りなんかは
違っているんじゃない。イスラム系(アラブ系)としても同じように 検索したら、浦和レッズのズラタンはサッカーキングのインタビューで両親がボスニア人だとはっきり書いてあった。
旧ユーゴ時代に出稼ぎのような形でボスニアか
らスロベニアに渡ったんだろう。
今も親族がボスニアに多くいるとも書いてあったな。 >>305
ムスリムのボスニア人だね
紛争時には破壊された橋で有名なモスタルに住んでて、クロアチア系だかセルビア系だかに銃撃されて重傷を負った
名前の一部ホジッチは、たぶんホージャに“息子”を付け足した転化形だと思う >>306
モスタルは、地域的にボスニアというよりはヘルツェゴヴィナだね
大怪我をしたのは、内戦中に護身用として携帯していた拳銃が暴発したためってことらしいよ
「ハリル・ホジャの子孫」ってことで「ハリルホジッチ」さんなんだよね
だからメディアやファンがたびたび「ハリル」と略すのは、実は本人さんじゃなくてご先祖をさしてることになってしまうんだよな
本人さんを呼ぶなら、「ヴァヒド」さんのほうが正しかろうと思うんだけど、そういう呼び方が、なぜかなかなか定着しない ボスニアのカトリック教徒ってボスニアがオスマントルコから
オーストリアの支配下へ移行した後すかさず生活様式が西洋化
されていったん?それともオーストリア領となる以前のオスマン
トルコ領時代からとっくに西洋化してた? >>307
個人名じゃなくて名字から愛称をつくるのは
あちらでもよくあることだから
それほど目くじら立てなくても・・・ 「コソボ料理」の世界へようこそ。肉に始まり肉に終わる、バルカン半島の食生活とは
http://getnews.jp/archives/1544359
美味そうや(´・q・`) 1941年当時のユーゴスラビア陸軍の編成
ttp://www.vojska.net/eng/world-war-2/kingdom-of-yugoslavia/organization/1941/
を見て感じたこと。
・日本みたく中将が師団長を務めてる事
・少将(Major General)が見当たらないけどひょっとして准将(Brigadier)は2つ星で
少将扱いってオチだったりするんだろうか。
*准将が2つ星の少将扱いになってるのは昔のポルトガル陸軍
ttp://img.docstoccdn.com/thumb/orig/53025493.png
もそうだったっけ >>308
生活様式が西洋化....東西の境目だし難題だね
宗教的にはカトリックなんだし西洋だろうけど生活様式となるとどうなのか?
どうもボスニアにおけるカトリックのライフスタイルの歴史は俺の持ってる本
には載ってないし英語版wiki見てもよくわからんな...
そもそも日本的な「西洋化」って概念をボスニアに当てはめるのがむずいかもな
ボスニアでカトリックって中世からあるしなんだかんだ東西融合してるしね >>313
これはTheハンバーグだな
おれはチェバプチチ食べてみたい
http://i.imgur.com/o1tT5rt.jpg
バルカン好きフィルターの影響か美味しそうに見えてたまらん というよりケバブの囲いの中にある料理っぽいからケバブの子供的な存在なんじゃね
ヨーグルトとかたまねぎをかけてパンに挟んで食べるとかが少ない違いかな >>316
いや、ケバブというとこのくらいのサイズのやつが2〜5本くらい皿に載って出てくる
君が言ってるやつは巨大なケバブを削って野菜やタレと一緒にピタで挟んだやつのことだろ >>311
チェトニクのリーダー,ミハイロヴィッチは陸軍第2軍の
副参謀長だったのか。ちなみに准将が2つ星というとコロンビア
陸軍もそうだったような あと第3軍集団司令官はのちに傀儡政権首班となるネディッチが
務めてんのな。 農夫上がりのセルビアと主教出身のモンテネグロ
同じ王室でも当時の西洋諸国から見た場合前者より後者の
ほうが格上に見えたんでしょうか。 正教圏の南スラブ地域ってオスマントルコに支配されくても
西洋化(ロシアでピョートル大帝がやったようなヤツね)は
19C頃になってた?それよりもっと早かった? >>322
グレートブリテン=北アイルランド連合王国みたいな響きだw 大粛清の時にチトーもトロツキストだって密告されて危なかったらしいな
ディミトロフと懇意だったおかげで難を逃れたばかりかむしろ出世したようだが 今では意識の上ではユーゴスラヴィアと言う国があったとの痕跡すら
残っていないな 1980年代に国勢調査やったとき
10%以上の国民が「ユーゴスラビア人」と回答していた
混血もあるのだろうが
従来の民族を超えた新しい存在という意識を持とうと
していた人たちも少なからずいたようだ
悲しいかな10年後には
その理想は雲散霧消したけどな
今となっては1984年のサラエボ五輪が陳腐に見える サラエボ五輪の会場ってボスニア紛争の墓場になったんだっけ チトー自身混血で寄って立つものが「ユーゴスラビア」という括りしか無かったからあそこまで執着したのかなぁ ウクライナでは反ソゲリラが50年代までウクライナ国内で活動してたって
どっかの本で見た事があるけど,ウスタシャの皆さんは第二次大戦後も
ユーゴ国内でゲリラ活動とかやってたんやろか?
リーダーのパヴェリッチなんかは国外に逃れてるけど。 クロアチアの春に便乗して動き出そうとしたがチトーがそんな事もあろうかと数年前から
補助金漬けにしてたクロアチア正教会(クロアチア民族主義の温床だったとも言われる)に批判させて足並みを崩して何もさせなかった。
ココらへんは見事 でも紛争の後の大統領になった民族右派のトゥジマンの支持母体もこの教会だった
チトーも危険視しててWW2の後に潰しにかかってたが上手く行かなかったのでバチカンとの国交正常化を機に抱き込みに行ってた クロアチアとかボスニアの人らの書き込み見ると政治が腐敗してるっていってるけど
どれくらいなんですかね >>330-331
クロアチア"正教"会ですか・・・ クロアチアの春の時にはチトー自ら老体を押してザグレブに直接乗り込んで演説かましたらしいがクソ度胸だな、伊達に死線はくぐってないわ
それで暗殺されずに収まるんだからそれもまぁ凄いがね クロアチア正教会,調べてみたら第二次大戦期にウスタシャ政権の
御用正教会として実在したみたいですね。戦後,大主教はパルチザン
に捕えられて処刑されたそうですが。 アロイジエ・ステピナツが残った
下手に殺すと殉教者認定されて面倒そうだから死刑にはできなかった >>330
>クロアチア正教会(クロアチア民族主義の温床
その後のスレの流れを見るに・・・正しくはクロアチアのカトリック教会の事?
>>324
>ディミトロフと懇意だったおかげで難を逃れた
旧西ドイツのヘルベルト・ヴェーナーもでしたっけ 7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家 有名な言い回しだけどそれ王国時代の「1つの民族、1人の王、1つの国家」っていう了見の狭い国標語への戒めなんだよね 戒めだったのか
どこぞの外国が考えついたんじゃなく国内から生まれた言葉ってことかな 浦和レッズのズラタンのウィキペディアに両親はボスニア人と書き加えられてないのが謎だよなあ・・・
ソースもちゃんとあるのに
ズラタンがボスニア系と認知されだしたら急に叩き出す奴とか増えんのかマジで確かめたいわ 大多数の日本人ってボスニア系の人らに悪いイメージもってるのか?
そもそもどこにあるかも知らなそう どっちかといえばセルビア人のほうに悪印象をもつ者のほうがたぶん多いだろうな まあ一般人は知らんが、2ちゃん含めてネット上の海外スポーツがらみの発言を観察してるとセルビアやボスニアとかの選手に執拗なネガキャンやってる奴よく見るよな
ギリシャとかブルガリアやアルバニア辺りもよくターゲットにされて叩かれてる所見るから、そいつらの価値観が見えるわな オシム氏はその辺の事情察して、自分はドイツ系と主張する事でバカに理不尽に叩かれる事を未然に防いだわけか
やっぱりあの人賢いわ >>347
クロアチア人がセルビアやボスニアを叩くのはまだわかるけど
ギリシャやブルガリアに対してもか バルカン出身者は野蛮って風潮ありそうだな
つい最近に民族浄化なんてしちゃうから バルカン半島内のクロアチア人とボシュニャク人とセルビア人の差って
言語は日本の方言より少ないらしいけど風俗とか民族性(?)はどれくらい違うのかな
下手したら都民と大阪府民の差より小さそう そんなに違いが小さいなら別言語とはされてないだろ
東京と大阪で別言語とはされてなくて東京弁大阪弁でしかないんだから
それよりはずっと差は大きいはず 宗教の差が致命的だと思う、特にボシュニャク人は
ボスニア紛争の時にセルビアにもクロアチアにも両方にかなり手ひどくやられた >>351
そうではない
別言語とされている所以は標準とされる語彙の選び方にあって
クロアチア語ボスニア語セルビア語モンテネグロ語の標準語はそれぞれほとんど同じ方言に基づいている
朝鮮語でいうところの「韓国語(→大韓民国標準語)」と「朝鮮語(→文化語)」の違いの様なもの
もしくはヒンドゥスターニー語における「ヒンディー語」と「ウルドゥー語」
またはマレー語における「マレーシア語」と「インドネシア語」という例もある まずはこんな状況を思い浮かべて欲しい
まったく同じに聞こえる関西方言を喋る人間が2人いたとする。
うち1人は臨済宗を信じているので、そいつの言語はセルビア語の関西方言だとされる。
もう1人は真言宗を信じているので、そいつの言語はクロアチア語の関西方言だとされる。
最後に、関西をサライェヴォに、臨済宗を正教に、真言宗をカトリックに置き換えて考えればよろしい。 >>349
ロシアの残虐さはモンゴル譲りといわれるようだけど
バルカンの残虐さはオスマントルコ譲り?(トルコの方ごめんなさい) >>355
オスマンが特に残虐だったという話は聞かないが
ローマを滅ぼして接収したイスタンブールだって
ローマの支配体制に直接かかわるもの以外はローマ時代の建築や文化の多くはそのまま存続してるし
むしろオスマンと敵対した側に残虐なことで有名なヴラド公が居る >>354
そして、真言宗の信者がしゃべる関西弁と同じく真言宗の信者がしゃべる津軽弁は同じ言語とされる でも日本の宗教とは意味合いが大部違いそう
所属する国家や文化圏もちがうんだろ
例えるなら日本の半分がインド文化圏でブラーフミー文字とかつかってるようなもん 言語は近いのに文章に起こすとクロアチアはラテン文字でセルビアはキリル文字なんだよなぁ
これもまたややこしい >>360
ヒンディー語とウルドゥ語だってそんなものだし
日本で例えるなら
文字はディーバナーガリ使い、高級語彙がサンスクリットからの借用の日本語と
文字は漢字を使い、高級語彙が漢語の日本語
この二種類の日本語が併存してるようなものだろう >>361
ボスニア・ヘルツェゴヴィナではどちらも公に使ってるみたいだな
ラテン文字のほうはイスラム教の人たちやクロアチア系の人たちが使って、
キリル文字のほうはセルビア系の人たちが使うって傾向はあるけど
>>362
パンジャーブ語もそういう面があるな
インド側とパキスタン側とでパンジャーブ州が分割されてる状態で、
インド側のパンジャーブ州はシク教の人たちを中心にグルムキー文字(ブラーフミー系統)が使われてて、
パキスタン側のパンジャーブ州ではイスラム教の人たちを中心にシャームキー文字(アラビア文字系統)が使われてる >>363
イスラム教の人達は現在でこそラテン文字だけど,オーストリア領時代
はアラビア文字を使ってたんかな?それともこの頃にアラビア文字から
ラテン文字へ切り替えた?
>>356
>オスマンが特に残虐だった
キプロスを陥落させた際,ヴェネツィアの守備隊司令官に
対して行った行為を思い出した・・・・ オスマンがローマ時代の遺産壊しまくったら反乱でギリシャ側の領土維持できなくなるだろうからそもそも寛容に接せざるを得なかったというのが正しい
と言うか世界的に倒した民族に寛容に接するって言うのは大抵寛容に接しなかったら領土維持できない場合だしね >>364第1段落
WIKIPEDIAの「ボスニア語」の項目に、文字に関する歴史的推移がかいつまんで書いてあるよ >>355
ナチスドイツの方が遥かに残虐だろうに
単なるアジア嫌いの白人厨的意見で恥ずかしい >>359
文化圏だの国家だのって大げさだなぁ。
同じサライェヴォなりトゥズラなりに住んでいて、
同じボスニア・ヘルツェゴヴィナの国民で、
同じサライェヴォ方言なりトゥズラ方言なりを喋っているのに、
文化圏の違いも国家の違いもあるのかね。
同じサライェヴォ方言でも、
彼の宗教が正教なら彼の民族自認はセルビア人で、
それ故に彼の言語はセルビア語とされる。
そういう世界だと思うよ。 同じようにトゥズラのさびれたアパートメントに住んでいて、
ムスリムでもジュルジェヴダンを祝い、
正教徒でも12月25日を祝う。
文化圏もへったくれもないだろう。 514 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2013/04/18(木) 21:15:28.12 ID:hixiTum80
ウンコは食べれません。
ウンコは食べ物のカスだけだと思っている人が
いますが、ほとんどはばい菌雑菌です。食べてすぐに死亡することは
ありませんが、肝臓をやられてしまい、肝炎や肝硬変などの恐い病気に
なってしまう危険があります。
尿は肝臓で消毒していますので、飲むことが出来るのです。
動物が自分のウンコなどを食べることがありますが、その動物の体内で
ウンコを食べても大丈夫なメカニズムを持っているから平気な訳で、
人間はダメです。
スカトロジストの人達は、ウンコを食べた後で、抗生物質の薬を
飲む人達がいます。でも肝臓をやられてしまい、死亡する人もいます。
尿と便は違います。
尿は血液が腎臓で濾し取られたもので、基本的には無菌です
(尿道にも常在菌があるので、完全に無菌かと言うと、そう言い切れないかも知れません)。
但し、時間を置いて細菌が繁殖してしまったものや、泌尿器等が感染症に罹っている場合は
無菌ではありません。
便は、口から摂取した食物が様々な消化を受けた後の残りのものですが、
大腸菌などの細菌が沢山入っています。
自分の腸にいる細菌なら、もう一度口に戻しても大丈夫なのではないのか?
そう思うかも知れませんが、消化器を通る時、肝臓などに感染する恐れがあります
(便を食べなくとも何らかの原因で大腸菌が逆行し肝臓に膿がたまることもあります)。
なので、結論を言うと、「うんこ」は食べてはいけません。 今の旧ユーゴスラビア圏を回るのには何語を話せるようになったらいいの 公用語はセルビア・クロアチア語(一般にユーゴスラビア語)だったからそこらへんかな
ちなみにセルビア語クロアチア語ボスニア語は方言程度の違いしかないらしいぞ これマジ?東欧行くならドイツ語やっとけばおKとか俺に言いやがったやつぶっ殺してやろうかな セルビア・クロアチアの苗字って語尾が-vic/-icで終わる物が
多いようですが,-vac/-acで終わる物もありますね。 マケドニアは-vできっちり止めるブルガリア流が多い
まぁ当然だが ど田舎にでも行かない限り英語は通じるらしいぞ
英語のレベルが日本人レベルなのかそれ以上か以下かは知らないけど あとドイツ語に関して言ってる東欧ってバルカン半島は含めない狭義な方の東欧なんじゃね? スロベニアは英語ほぼ通じる
スロベニア語がニッチだからドイツ語とかも色々覚えるらしい 誰か旧ユーゴの第二言語に関して知ってる人はいないのか?
もし英語ならどれくらいのレベルなのか気になる マケドニアといえば大地震で被害を受けたスコピエの
再建に丹下健三が携わってたんだっけ。 じゃあユーゴスラビア人は最低でもセルビア語とマケドニア語をやる必要があったのか >>383
スロベニアは子供や年寄りでも英語話せる
ヨーロッパの中でもオランダ、北欧に次ぐレベルだと思う
クロアチアは普通の格好してる若者ならほぼ話せる
セルビアはクロアチアとだいたい同じ程度だが、やや少ない
ボスニアは日本なみに通じない
モンテネグロは観光業従事者のみ通じる
マケドニア、コソボは行ったことないからわからんが、たぶんボスニアなみに通じないと思う >>388
地理的・歴史的な西欧への距離感がモロに反映されてる感じだな >>389
それは間違いなくありますね
クロアチアで年配の人に話しかけると、
内陸部では「英語はわからんがドイツ語なら」
沿岸部だと「英語はわからんがイタリア語なら」
と返ってくること何度もありましたから ハプスブルク時代にクロアチアを領有していたからでしょうか
オーストリア人の中にはドイツしたクロアチア人の子孫も
いるようですけど(ロタール・レンドゥリック将軍など),
イタリア人の中にもイタリア化したクロアチア人の子孫
っていたりするんでしょうか。18C末までヴェネツィアは
ドヴロヴニク以外のダルマチアを領有してたんでそこから
クロアチア人がヴェネツィアに流れてきてってのもアリかな
って気がしたんですが・・ >>391
マカロニ・ウェスタンを代表する俳優ジャンニ・ガルコがそうみたい
ただダルマチアに殖民したイタリア系の子孫なのか、元々いたクロアチア系なのかは分からない
とりあえず生まれはザーラ クロアチアの中のスラヴォニア地方,18世紀後半までは
オスマントルコの支配下にあったってのをウィキを見て
知りました。
その頃のスラヴォニアのクロアチア人の文化・生活様式って
>151 : 世界@名無史さん[] 投稿日:03/04/02 05:59
>オスマン末期、サラエボのカトリックは辮髪をしていたというのを
>どこかの本で読んだことがある。
>カトリックもイスラムに支配された時代は
>今の姿では想像できないほど非西欧的だったようで
みたいな感じだったのかなぁ 「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ史―多民族国家の試練」と「戦争広告代理店」を読み終えたんですけどボスニアヘルツェゴビナ
の事が載ってるおすすめの本ないですか? 中世のセルビアやクロアチアについて詳しく書かれた本ってないの?
意外と歴史が長い国なのに日本の教科書じゃ完全スルーだもんな クロアチア人やボスニア人の多くは
クロマニヨン人の子孫だからね セルビア独立運動の闘士カラジョルジェのカラはカラヤンのカラ同様,
トルコ語で"黒い"を意味する言葉だったんですね。
前者は黒いジョルジェ,後者は黒いヤン(ヤンニス?)でしたっけ >>389
改めて考えてみたら、英語って「ヨーロッパの西の端っこの言語」なんだよな。
アイスランド語とゲール語の次に「極西」の言葉。
イベリア半島があるから、正確には「北西の端っこ」と言うべきだろうけど。
東へ行くほど(南東へ行くほど)通じなくなるのは、道理と言えば道理。 >>393
オスマン帝国支配時代のクロアチア人で有名な人物といえばリュステム・パシャがいる
大出世してオスマン帝国の宰相の地位まで登った人物
彼の伝記の英訳を読めば当時のクロアチア人の様子がつかめるんじゃないの クロアチアとかセルビアはやってくれるけど
ボスニアはなかなかないね
悲しいかな イギリス人とクロアチア人はやや顔立ちが違う
クロアチア人にクロマニヨン人の血が混じっているのがなんとなくわかる >>404
ダルマチアでオスマントルコが長期間支配した場所というと現ボスニア領
のネウム(ドゥブロヴニクがヴェネツィアとの緩衝地帯にするためオスマントルコ
に譲ったんでしたっけ)が思い浮かびますが,リュステム・パシャの出身地
スクラディンもそうだったんですね。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Skradin NHK BSプレミアム
2017年5月14日 6時45分
ヨーロッパ空撮紀行「クロアチア〜アドリア海沿岸」 ユーゴスラヴィア史なんて、誰も作らないだろうな。
そう平成の合併でつぶれてしまった市町村史みたいな感覚で バルカン史といえば柴宜弘先生
『ユーゴスラヴィアの実験――自主管理と民族問題と』
『ユーゴスラヴィアで何が起きているか』
『バルカンの民族主義』
『ユーゴスラヴィア現代史』
『図説バルカンの歴史』
というか柴先生以外に専門家を知らない ハリウッドではロシア人役にイギリス俳優をあてがう事が多いけど,
セルビア人役ではあてがわないような。 プロフェッショナル 仕事の流儀▽猫を知れば世界が変わる 動物写真家・岩合光昭
2017年5月29日(月) 午後7時30分(73分) NHK総合
命のエネルギーがあふれ出る写真はいかにして生まれるのか?「猫とイコールでありたい」と語る岩合光昭に長期密着。ボスニア・ヘルツェゴビナでは予期せぬハプニング
のなか、奇跡の瞬間がやってくる。40年に渡るキャリアを、ライオンやパンダなどの貴重な映像でひもとくほか、
10月からの朝ドラでヒロインとなる女優・葵わかなが
「猫好き」代表として、岩合に「猫を上手に撮るコツ」
を教わるコーナーも。猫たっぷりの73分! 往年の名脇役,カール・マルデン
この人がセルビア系だったことはずっと後になってから知りますた。 テニスのジョコビッチって父方がモンテネグロ系で母方がクロアチア系の人だったんだな
英語版のWikipediaにも載ってるね セルビアが嫌いという馬鹿な理由でジョコビッチ叩いてる奴ってかなり多い気がするけど間抜けすぎんだろ
まさかジョコがモンテネグロとクロアチアのハーフとはな 第一次大戦後のセルボ=クロアート=スロヴェーン(のちにユーゴスラビア)軍。
海軍はかつてハプスブルク海軍に所属してたクロアチア人やスロヴェニア人が
多そうなイメージだけど,海軍内の要職も彼らで占められたんかね? そういやウスタシャ政権下で国防相を務めたスラヴコ・クヴァテルニクは
オーストリア=ハンガリー軍の将校で,第一次大戦後はセルボ・クロアート・
スロヴェーン軍に勤務してたっけか。 クロアチアとボスニアの間に
文字・宗教・人種等超えられない壁があるからね >>423
>クロアチアとボスニア
そういえばウスタシャ政権下のクロアチアで外相を務めた人物にボスニアのイスラム教徒がいたなあ
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Mehmed_Alajbegovi%C4%87#cite_note-FOOTNOTEDizdarGr.C4.8Di.C4.87Ravli.C4.87Stupari.C4.8719975-3 そういやオスマン帝国の海軍将校にシナン-パシャっていうクロアチア人がいるな
リュステム-パシャの弟 外ドラ「24」で悪役のセルビア人親子(親父はデニス・ホッパーw)が出てきたけど,
上の息子を演じてるのはスロベニア系の人なのね。 うむ
2chMate 2.5.0/HUAWEI/HUAWEI CRR-L09/5.1.1 現代マケドニア人は古代マケドニア人と
どれくらい血統的なつながりがあるのかね 現代エジプト人は古代エジプト人と
どれくらい血統的なつながりがあるのかね 現段イタリア人は古代ローマ人と
どれくらい血統的なつながりがあるのかね >>432
?
>>433
現代エジプト人≒古代エジプト人+黒人
>>434
現代イタリア人≒古代ローマ人+ゲルマン人 古代エジプト人≒地中海系人種+黒人
古代ローマ人≒地中海系人種+中東系人種 名前ネタですが
フラニョ・トゥジュマンのフラニョがフランチェスコのクロアチア語読み
だった事を最近になって知りますた。
お隣スロヴェニアだとフラニョはフランツェとなるみたいですがその綴り
はフランスとおんなじw 第二次大戦のドイツ軍侵攻時におけるユーゴスラビア軍の陸軍の編成
ttp://www.vojska.net/eng/world-war-2/kingdom-of-yugoslavia/organization/1941/
チェトニクのリーダーとなるドラジャ・ミハイロヴィッチが第2軍の副参謀長、のちに傀儡政権
の首班となるミラン・ネディッチが第2軍集団の司令官としてそれぞれ名を連ねてたり、中将クラスの
軍人が師団長を務めてたりなどの情報がわかって興味深いけど,准将・中将・大将がいても少将は
いないのね。 セルビア国内でチェトニックやミハイロヴィッチ大佐が再評価されつつあるってのを
きいたことがあるけど,クロアチア国内でもウスタシャやパヴェリッチが再評価
されてんのかね? セルビアやモンテネグロもだけどクロアチアもアオスタ公家を王室に迎え直さねーかな >>441
マジ?こんなカスどもを再評価するぐらいならランコビッチでも再評価したほうがマシだろうに 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
QIAMU 近現代のギリシャは、バイエルンやデンマークから国王を迎えたが、ギリシャ人の血を
一滴も引かない人物が国王となることに抵抗はなかったのかね? ていうか、国王への親近感ゼロじゃないかな
だから容易に王政廃止に踏み切れる >>438
ローマは人口的に言うとケルティベリアやガリアなどのケルト系が最大派閥だろ
あと3世紀頃にはローマ軍のかなりがゲルマン系市民になってる 陰謀論でなければ内戦の本質は見えない
宗派や民族をマニアックに論じる事が趣味ならそれはそれで良いけど
内戦の本質はソ連共産党やユーゴ共産同の幹部がいくらで欧米資本家に
買収されたのかという事だ そういう単純な事が一番大事
しょせんT.ルーズベルトの時代からF.ルーズベルトの時代まで偽左翼として
偽の社会主義革命をやったつもりなら、労働者や農民の為に命を掛けられない偽左翼が
民族や国家に命を掛ける本物の右翼になれる訳もなく、破壊分子としてしか機能しないだろう
あんな破壊が本当に民族や宗派や部族に属する者の為になると思っていたとは思えない >>446
いや?オソン1世は東ローマ皇帝の血統だから遠くギリシア人の血を引いていると言える。
ギリシアの愛国者にしてみりゃアナトリアに手を伸ばす名分も手に入るのでオイシイ。 マケドニア共和国の改名問題だがやはりヴァンダルしかないのだろうか?
南ブルガリアとかどうなの? >>453
いや、ギリシャも圧力を加えられてるしここは多少マケドニアも強気に行くと思う
北マケドニアとかマケドニア=スコピエ共和国ぐらいが妥当では 今のギリシャ人も昔のマケドニア人ではないのに!
コイツら本当に粘着している
トルコ人と南スラブ人とそして少しだけ残った元からのギリシャ人の混合だろうに 少しでも残ったギリシャ人と混合したなら十分マケドニア人の末裔だろ
完全無関係なのにマケドニア名乗ってる連中とは違うでしょ ギリシャナショナリズムを形成するにおいて古代マケドニアはかなり重点を置いてるし観光でも「マケドニア」と名乗ってる国があるとギリシャのほうが偽物みたいになるから仕方あるまい
実際、古代マケドニアの重要な史跡はほとんどギリシャ側だしな 実際は現代トルコ人も圧倒的多数のギリシャ人に少数のアラブ人の混血で
トルコ要素なんて言語ぐらいしか残ってないけどな
ハプロ見ても中央アジア由来のN、Q、C合わせても7%ぐらい
まだガラテア人由来と見られるR1bのほうがデカい15% トルコ人は欧州・中東各民族の混合体だからね
何が一番多いのだろうか いわゆる僭称地名(国名)っていうやつだねマケドニア呼称問題 第二次世界大戦中、イタリア軍によってバルカン半島で行われた残虐行為がほとんど
知られていないのはなぜなんだろう。
ギリシアで行われたドメニコンの虐殺とか(ギリシャ占領当時、抵抗軍の攻撃を
口実にドメニコン村の全ての男性を一列に並べ約150人を虐殺)。 ウスタシャやドイツや日本と言った他の枢軸国と違って犠牲者の数が少なすぎるから
あと敵性集落の場合は非戦闘員でも男性の全員殺害は敵の兵力の増長を予防するため当時としてはよくあることで
日本軍に至っては方面軍単位で単位で組織ぐるみでやっていた
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/gallery2/sanko-4ibs-sentosyoho.jpg
>2 敵性ありと認むる住民中16歳以上60歳までの男子
あと儘滅戦といって女や幼児、家畜まで皆殺しにして「無人区」を作ることも行われていた
『裸女のいる隊列』別冊『文藝春秋』42号、1954年10月
老百姓(ラオパイシン)、ーー日本軍にとって、この言葉は、なんの人格的な意味もなかった。彼らは野良犬や、虫けらと、すこしもちがう存在ではなかった。
長い戦争の期間をとおして、日本軍に殺された住民の数は、恐らく日本軍と闘って死んだ中国軍の兵隊の数よりも多いのではないだろうかとさえ、私には思われる。
すくなくとも、中国の奥地では、戦場で見る敵兵の死体よりも、農民の数の方が、私たちの眼に多く映るのが、普通だったのだ。
ある時期においては、ときには、公然と、住民をみな殺しにしろという軍命令が出たこともある。燼滅作戦というのが、それだった。 平松鷹史「郷土部隊奮戦史1」(大分合同新聞社)
第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」という無茶苦茶な命令が届いた。
石井清太郎「いのちの戦記」
この兵は抗州湾に上陸して、上海戦線の腹背を衝いた柳川兵団の兵士であった。私はその兵士から、兵団長の命令なるものを聞いて暫らく信じられなかった。それは、生ある者は皆殺せ、家は悉く焼け、と言うのである。
朝香進一「初年兵日記」
南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、「十里四方の住民全部を殺せ」という軍命令が出された。兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、
住民を銃剣で突き殺した。婦女子は特にむごい殺し方をした、と彼等は酔がまわるほどに手ぶり、身ぶりで、その状況を実演して見せるのである。
その残酷さは目をおおわせるものがあった。
梶村止『観測小隊長の日記 大陸を戦う』
思ふに国民党の徹底抗日の教育充実し、ここ江南地区がもっとも抗日思想激しき処と聞く。この附近不審の土民は射殺すべしとの内命すらありゐたり。
太平洋戦争研究会「南京虐殺で対立する証言者たち」
―共産主義の暴虐を許さず、共匪の跳梁を粉砕するため、農夫、工夫はもとより、女子どもにいたるまで、全員殺戮すべし。 敵への通謀や加勢を恐れての非戦闘員の虐殺や養いきれなくなった捕虜の殺害は規模の大小はあれど
良く起こる事であるが、ウスタシャによる虐殺は殺しを楽しんでいたとしか思えず常軌を逸していた
犠牲者は判明しているだけでも、73万人に及びが、殺し方は陰険そのもので
幼い幼児を川に突き落として殺し、正教徒の祭司の体を刀でゆっくり削ぎ落して殺す、母親に幼い息子の喉を斬らせて、その血をボールに受けさせてから殺す
などなど、ノコギリやハンマーといった様々な拷問器具も使われ残忍に殺された
これすべて当時のウスタシャメンバーたちが当時のドイツ当てに自慢げに報告したこと
あまりにもひど過ぎるのでナチスの保安警察(SD)やアインザッツグルッペンですらみかねて止めに入るほどであった つうか、そんだけしか殺してないのって思う
我々の父祖とか大陸だけでも2000万を殺戮してるのに ウスタシャ出身者は戦後特に念入りになぶり殺しにされたらしいな チトーが後に禍根となるのを恐れて、ウスタシャの虐殺記録をわざわざ隠ぺいしたようだが
さっさと、こんな連中は始末しておいたほうが、わだかまりも晴れて、分裂後の両民族の惨劇は避けられて様な気がする。 イタリアは、2009年2月にイタリアの駐ギリシャ大使がドメニコンの虐殺の
慰霊式典に初めて参加し、公式に謝罪した。
旧ユーゴスラビアでの戦争犯罪の謝罪はまだである。 ユーゴ側も色々やってるからお互いに謝らないとダメだろうけどもうどこにも共産ユーゴの責任を謝るような政治団体がない 統一イタリアは長らくイッレデンティズモ(失地回復主義)を唱えていたが、
第一次世界大戦の結果、北東部国境地域(トリエステ、イストリア半島)はイタリアに
併合された。それはイタリアの失地回復主義の完成であったが、トリエステや
イストリア半島の領有権を主張するスロヴェニア人、クロアチア人の側からの
新たな失地回復主義の始まりでもあった。 イストリア半島やダルマチアからイタリア系住民をかなり放逐してるからなぁ 考えてみれば、チトーはやっぱりすごかったのだな。
こんなところを曲がりなりにも統治していたのだからな。 >>475
オスマン帝国の時代は人権も糞もなかったのだから、
露骨にアメと鞭の分断政策が使えたのだろうけど、
チトーの時代は曲がりなりにも人権の概念が入った20世紀の
話だからな。 48年の段階でもう軍警察組織は完全にチトーが掌握しててスターリンの工作を寄せ付けない体制が完成してるとアメリカ国務省が判断してるからそんじょそこらの活動家上がりとは訳が違う セルビアでは、コソヴォは中世セルビア王国の文化的中心であり、オスマン帝国の
支配下でセルビア人がこの地を去った後にアルバニア人が入植したとされている。
一方アルバニア人は、古代バルカンの先住イリリア人=アルバニア人が、7世紀以来の
スラヴ人の入植によって放逐・同化されたという主張する。 >>468
チェトニク出身者も同じ目にあったんかな? チェトニックはほとんど脱出出来なかったのでまとめて死刑判決食らってたはず
イギリスに亡命してた奴らも白手組と関連がある奴は欠席のまま死刑判決出した 例外的に脱出できたチェトニック
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Mom%C4%8Dilo_%C4%90uji%C4%87 チェトニックというとなぜか髭もじゃのイメージが・・・ 近年のセルビアのドラマではジャン・レノぽかった。でもって
チョビ髭時代は田代まさしぽかった>ミハイロビッチ
ttp://www.politika.rs/old/uploads/rubrike/277428/i/1/Nebojsa-Glogovac-kao-Draza-Mihajlovic.png
ttp://www.pogledi.rs/wp-content/uploads/2013/05/Draza-Mihailovich-as-a-civilian.jpg 現在、セルビア人ディアスポラが最も多く住んでいる国はドイツである
多くのセルビア人がドイツに移り住むことになったのは、1960年代末に、
当時の西ドイツが労働力不足を補うため、ユーゴスラヴィアから多くの労働者を
受け入れたことがきっかけである
西ドイツが社会主義ユーゴスラヴィアから労働者を受け入れたのは、
単に経済的な理由だけではなく、社会主義陣営との関係正常化を目指した
ブラントの東方外交の一環でもあった アメリカの映画・外ドラでは悪役扱いされる事の多いセルビアだけど,
ドイツではどうなんやろ >>486
正教圏に属する東欧のセルビアよりも
カトリック圏の西欧のクロアチアが善玉に見えるのはしかたない ユーゴはドイツ人捕虜の扱いが特別劣悪だったのをアデナウアーの時代に工作機械貰う代わりにようやく認めて送還したってエピソードがあるんで内心思う所はあったんじゃないかね
チトー政権はドイツ捕虜の虐殺があったことも一切認めてこなかったがユーゴ崩壊の時にクロアチアと組んで掘り返したし >>486
そのせいかどうかわからないが、近年、アメリカでは自らをセルビア系であると
申告する人々の数が減少しているらしい。
以前、セルビア系出ると申告していた人々の一部は、アメリカ人、ヨーロッパ系、
ユーゴスラヴィア系などと申告するようになったと言われている。
このことは、セルビア系としてのアイデンティティを保持すべきだと主張する
アメリカのセルビア系住民、あるいはセルビア本国のセルビア人の間で懸念されている。 ユーゴスラヴィア系と言うのは哀れだな
民族融和の意味でそういう回答を過去の調査でしていたのだろうが
1990年代の内戦で無残にも引きちぎられてしまったからな
今ではアイデンティティの拠り所にもならんわ いや、違う
両親が違う民族で答えようがない時に「ユーゴスラビア」と回答する クロアチア人やセルビア人という民族がもともとあるわけじゃないんだろ
宗教の違いだけだろ 90年代にクロアチアでは言語から西欧起源の語彙を次々とスラヴ風の語彙に置き換え、
逆にセルビアでは西欧からの外来語の摂取に熱心、という現象がみられた。
今はどうなっているのか知らないが。
もう「言語純化」なんて馬鹿なことはやめたんだろうか。 パットン大戦車軍団って映画でブラッドレー将軍やってた人,
セルビア系だったのね。 セルビアとクロアチアの比較
言語 同一
文字 セルビア・キリル クロアチア・ローマ
宗教 セルビア・正教 クロフチア・カトリック
人種 セルビア・黒髪 クロアチア・茶髪
文化 セルビア・バルカン クロアチア・中欧
文字以下がけっこう違うのに言語がほぼ同じと言うのが面白い トルドーJrがNORADやNATOから脱退・人員引き揚げを
おこなったとしてもどうせ次の右派政権時に復帰するんだろうな。 レス先間違えてしまいました(滝汗)
ごめんなさいorz 科学者のニコラ・テスラはセルビア人
テスラは、当時ハプスブルク帝国内にあったクロアチアで、
セルビア人聖職者の息子として生まれた
プラハやグラーツで教育を受けた後、アメリカに渡り、
エジソンのもとで働いたが、後に独立。
エジソンが信奉する直流電流システムではなく、
交流電流システムが優れていると主張し、
その優位性をナイアガラの滝を使った壮大な実験で証明してみせた
現在家庭で使われている交流システムが実用化されたのは
テスラの業績である 女優のミラ・ジョヴォヴィチ(セルビア語ではヨヴォヴィチ)もセルビア系
彼女の父はコソヴォ出身のセルビア人で、
ジョヴォヴィチ自信はウクライナで生まれ、アメリカに移住した >>496
酒は?クロアチアはワインだと予想できるけどセルビアがウォトカとか? >>503
セルビアでもワインが飲まれている
大小さまざまの業者によって、赤、白、ロゼ、合わせて700種類以上もの
ワインが製造されている セルビアもクロアチアもスリヴォヴィツァは欠かせないねぇ ポーランド人もワインは飲むんだろうけど蒸留酒好きだよね 何で酒かっていうとオーストリアがワインでカトリック、ドイツがビールとプロテスタントと無宗教だから
わかると思うけど バルカン半島では、ローマ時代からワインが作られていたらしい
19世紀になって、オーストリア=ハンガリーなどから取り入れた
技術を使って質の良いワインが量産されるようになった ミロシュ・オブレノヴィッチがオスマントルコから自治を取りつけた後の
セルビアだけど、官僚はハプスブルク領で生まれそこで教育を受けた人が
多かったんかな? https://www.thelocal.at/20180424/austria-says-it-cant-stop-far-right-event-commemorating-1945-massacre
オーストリアで、共産主義パルチザンによって1945年に殺害された、クロアチアの
ファシズム政党ウスタシャの支持者を弔う式典が開かれる。この式典はウスタシャや
極右の支持者が集まる場となってきたが、クルツ首相は式典の開催は禁止できないと
する。 クロアチア人って、ウスタシャがやったことについて、
ぜんぜん反省してないの? そういやチトーはクロアチアとスロヴェニアのハーフだったっけ トゥジュマンも戦時中はチトーのパルチザンにいた。
ウスタシャ側の内通者だったかは知らんけど。 ザグレブとかのクロアチアの都市には現在"アンテ・パヴェリッチ通り"
が存在するんかね? >>516
戦時中の心意気は本当だったと思うよ、こんなことは止めろと訴えてゲシュタポに投獄された経験もある
狂ったのは戦後に家族が謎の他殺体で見つかった後
捜査の打ちきりのあまりの早さで「超法規的措置のよる殺人」の許可が降りてたUDBAの仕業だと確信してから クロアチアやスロヴェニアは自国をバルカンの国と呼ばれたくないらしいね
「バルカン=暴力的、後進的」というイメージがあるから? クロアチアはともかくスロヴェニアって言うほど地理的にはバルカン半島じゃ無いと思う
ギリ付け根に位置してると言えなくもないけどそれならハンガリーもウクライナもバルカン国家になるし
文化圏的な意味でならあそこら辺のごちゃごちゃしてる所はとりあえず一纏めにしとけばいいと思うからバルカン扱いで 東欧諸国が、自国を東欧ではなく中欧と呼んでもらいたがっているようなものか 鉄のカーテン以前には東欧という概念がそもそもなかった
いくつもの共通の文化的要素によって中欧という概念が頻用されていた
黒パン、ビール、ソーセージの文化だろうか
ビールのスープというのも中欧文化 ユーゴを懐かしく思う?というアンケートで共和国中、断トツの最下位だったのがクロアチア
コソボはさらに下だがな クロアチアやスロヴェニアはユーゴスラビアの中で経済的先進地域だったから、
「自らの生み出した富が連邦を通して南部の後進地域に流れている」
という経済的な不平等感を持っていた >>524
なぜか対象外だった、次はやってほしいもんだね ユーゴスラビア人と言う民族を超え友愛に満ちたフリをした概念は続かんのよ(笑)
本当にやるのならブルガリア人を入れないとね そのプランはスターリンに潰されてしまった
赤化ギリシャとも組んでマケドニア共和国を創出してマケドニア問題にケリをつけるつもりだったらしい >>525
肝心のチトーがクロアチアとスロベニアのハーフだったのはどう思ってたんだろうね? >>527
その(笑)がヲタ臭くて気持ち悪い
いったい誰の目線でどこから他人様を笑いものにしているのやら 独立後のクロアチアでは「クロアチア独立国」が再評価される一方、
3000にもおよぶパルチザンの記念碑やファシズムの犠牲者の記念碑が撤去された
さらに、ブライブルクの犠牲者など、パルチザンの「蛮行」がことさら強調された あんな残忍さだけが取り柄のゴミにに評価に値する点はないと思うがね
沿岸部を軒並みイタリアに献上した腑抜けぶりに激怒した右派が一番強烈に反発してパルチザンに入った クロアチア人の起源に関しては、スラヴ起源説のほかに、イラン起源説、
ゴート起源説などがある
やっぱりセルビア人と同じスラヴ起源では嫌なのかね セルビアのキリル文字ってロシア語と共通かと思ってたんでђの文字を
見かけた時は面食らった。ローマ字だとdjになるらしいけどジャ行で
発音するのかはたまたディャ行で発音するのか ”チトー”の由来がティトゥスではなく”お前(Ti)があれ(To)をやれ”という
命令文にちなんでたのが意外だった。
両方かけ合わせてんのかな? ユーゴノスタルギヤを感じてる人のユーゴはみんな「チトーがいたユーゴ」なんだわ
「チトーがいない」ユーゴを懐かしむやつはいない
独裁者としては冥利に尽きるかもしれないがやっぱり人一人の存在に統一の全てを委ねきっていたのは良くなかったのだろう
「ユーゴスラビアとは」という共同体の行く末をみんなが見失った 一人当たりGDP
バルカン半島最下位はもちろんイスラム教のアルバニア まあアルバニアはね
中東が欧州に紛れ込んだようなものだから 最近コソボともどもイスラムマネーが投入されて急速に街が綺麗になってるらしいべ>アルバニア アルバニアといえばエンヴェル・ホッジャと冷戦後のネズミ講 イスラム教徒になれば得するってんでこぞって改宗しまくったんだっけ>アルバニア人 >>548
チトーの生地(クロアチア)に墓が建てられてたらホッジャのピラミッドと
同じ運命を辿ってたんだろうか >>549
人口300人もいない寒村だからねぇクムロヴェツ村は
チトーはクロアチア生まれだけどクロアチア人であるというアイデンティティに欠けてる、ほとんどスロベニア国境の地域だしな
すぐにウィーンに働きに出たし ユーゴ内戦の結果
欧米、カトリック↑
イスラム勢力↗か→
ロシア、正教(東方教会)↓ ボスニアのイスラム教徒は本来ボゴミール派の信者で、オスマントルコの
進出時にイスラムへ改宗したんだっけ チトー時代を懐かしみユーゴスラビア人を自称してた人達、
現在はドイツなど旧ユーゴ以外の地域に住んでる人が多いんかな。 民族の友愛を掲げユーゴスラビア人を自称した連中は
その後地獄を見ましたとさ
俺の知り合いのセルビア人が以前そう言っていたな・・・ ユーゴスラビア人=セルビア人と残り
多数派の奢りだし 第二次大戦前の”ユーゴスラビア”王国ってのがセルビア主導の国家だったっけ。 現在のトルコで白人っぽい風貌の人がいるのは、かつてバルカン半島が
オスマントルコの支配下に置かれた時に同地のスラブ人が流入してきたから?
イベリア半島では北アフリカから流入してきたアラブ人やベルベル人の血が
入ってそうだけど。 旧ユーゴ系のカナダ人といえば外ドラ「キャッスル」でベケット刑事の人もそうだったような。
作品内ではベケット刑事がロシア人のふりをしてたけど結構ハマってた。 それ言い出したら紀元前にケルト人(ガラテア人)がアナトリアに侵入してきてるんだが
トルコにはトゥルムっていうバグパイプも伝わってる 古代のアナトリア沿岸部(イオニア地方)にはギリシャ人が住んでいたしな モンテネグロのニコラ1世、民族衣装でしか見たことなかったけど洋服姿もあったのね。
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/c/cb/Prince_Vsevolod_Ivanovich_of_Russia_with_his_ister_and_their_great_grandfather.jpg 現在のモンテネグロ王室当主はフランスで建築家やってた人なのか 旧ユーゴでチーム組んだら
WCの決勝まではいっていたかも この国は欧米VSロシアVSイスラム教徒の世界大戦リハーサルの為に内戦が起こされた国だ
実際ユーゴ内戦が終わった後、911が起きた
ハルマゲドン成就に利用された国なんよ モンテネグロ、昔は主教が統治する地域で代々甥っ子が同地の
主教を引き継いでいったのね。 ドゥブロヴニク、1808年にナポレオン統治下のフランスに滅ぼされるまでは
小さいながらも独立した都市国家、ドゥブロヴニク共和国として名を馳せていた
この街の起源については7世紀前半、アヴァール人やスラヴ人の襲撃、掠奪を逃れて
ローマ都市エピダウルムからラウスまたはラウサと呼ばれる岩礁に移り住んだ人々の
居住地が、対岸のスルジ山麓に形成されたスラヴ人の集落と結合し、一つの都市として
発展していったと説明されることが多い セルビアはユーゴスラビアが解体したせいで内陸国になってしまったな 重要な港湾は殆どクロアチア側に帰属したからな。
ポーラ/プーラ、フィウメ/リエカ、ザーラ/ザダル、スパラート/スプリト。 クロアチア紛争でユーゴ勝利の暁にはモンテネグロがドゥブロヴニクを併合する予定だったのは黒歴史 モンテネグロだけど王室の現当主を”儀礼時における自国の代表“として
迎え入れてんのね。 モンテネグロの自国語表記Crna Gora だけどCrnaって
英語発音だとサーナになるんかな。 ボスニア出身の女性歌手ヤドランカ、おととしお亡くなりになってたとはorz >>577
セルビアとの違いを全面に出すのはそれが一番だからね
でも立憲君主国家にする気は全くないと思う、ジュカノビッチが大統領と首相を行ったり来たりできなくなるからね >>575
ミロシェビッチって東欧からドイツ人が追放されるハメになったヒトラー並みに最悪やな そういやセルビアでも王族一家(カラジョジェヴィッチ家)がセルビア本国に住んでるけど,
モンテネグロみたく”儀礼時における自国の代表“として迎えてるんやろか。 アルバニアの王族の結婚式に参列したセルビア王室当主(写真右端)&
モンテネグロ王室当主(写真左端)
ttp://www.royalfamily.org/royal-couple-at-royal-wedding-in-albania/ >>582
人気がない
国外逃亡してずっとイギリスのスイートホテルに籠ったまま終戦 南スラヴつながりでブルガリアの話題もあがってたんで・・・
かのアンドレ・ザ・ジャイアントがブルガリア系だったことをつい最近になって知りますたorz オスマン帝国支配時代のベオグラードは、街のあちこちにミナレットが立つ、
今よりもずっと東洋風の都市だったらしいな
19世紀以降、欧化政策のせいで西欧風の街になった ペータル1世ってセルビア国王となる以前にジョン・スチュアート・ミルのセルビア語訳も
手掛けてたのな。 バルカン諸国では、自治や独立が達成されると
国外から公や国王を招聘する例が多かったが、
セルビアでは蜂起の指導者が公位に就いた
その点で他のバルカン諸国とは異色 『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』(塚本哲也、文藝春秋)に、
「セルビア人は気性が激しく、命知らずで誇り高く、ナショナリズムに燃え、
何を仕でかすか分らない民族として知られていた」
とあるが、セルビア人に限らずバルカンの諸民族はみな似たような感じだろ 農夫上がりということで他の国々からバカにされたんやろか>セルビアの君主 この間のスロベニアの選挙で反移民政党が第一党になったが安定多数には遠いので多分強行策は取れない 暗殺教室の○ッ○先生(伏字)のネーミングは旧ユーゴのサッカー選手にちなんでるっぽい 冷戦時代、トリエステには多くのユーゴスヴィア国民が
西側製品の買い出しのために来ていたな 関税逃れのためにジーパン重ね着で税関突破しようとしてたユーゴ国民が結構したそうな
ユーゴのパスポートは80年代までは優れもで西側との行き来も自由だった アルカン(セルビアマフィアのボス)は冷戦時代、西欧で
凶悪犯罪を繰り返してきたっけ 冷戦中の西欧人にとってのユーゴってどんなもんだったんだろう
日本ではユーゴの印象は他の東欧共産国よりややよかったと聞くけれど 前も書いたが80年代までは良かった
ユーゴ内戦で全部おじゃんでセルビアは世界の悪魔に
思えばこの国は優れた外交感覚やシステムがあった訳ではないことはミロシェビッチ時代で証明されてる
朝起きてから各国の新聞を20誌ぐらいチェックするのが日課だったチトーありき 第一次世界大戦前のセルビアには黒手組(統一か死か)という過激派組織があったな
大戦を起こしたのはオーストリアだけど、そこに至るまでの過程を調べてみると
セルビアも結構アレだ マケドニアが「旧ユーゴスラビアマケドニア共和国」から北マケドニアに改称するそうな
ギリシャもこれで文句は言わんそうだ マジかよwwwww
確かに単なるマケドニア人を名乗るのは図々しいにも程があるがな 「旧ユーゴのマケドニア共和国」からコブ付きとは言えマケドニアを名乗ることを許したのはギリシャ側の結構な譲歩
EUからマケドニア入れておきたいからはよ折れろと圧力があったようで >>597
チトー時代、有力な共産党員は民族主義反対のポーズをとっていたというけれど
結局はみな偏狭な民族主義を剥き出しにしているしね…
仮にも70年以上続いたユーゴスラビアという国家に対してアイデンティティの形成がこれほど希薄だったとは >>602
ソ連人というアイデンティティも希薄だったな バルカンは、キリスト教世界から見てもイスラーム世界から見ても辺境なんだな
西欧がバルカンに興味を持つようになったのは、ロマン主義の時代、
ギリシアの周辺地域としてだったし 第二次大戦後〜50年代の旧ユーゴ国内ってウスタシャ残党の
テロ活動に悩まされてたんかね? UDBAの無裁判殺人が認可されてた時期なんでそんな事はできない、治安維持のためなら怪しいというレベルでも問答無用で投獄
48年の時点でもアメリカ国務省は「コミンフォルムを追放されても政情の悪化は見られない」と報告出してる クロアチア作成のユーゴシークレットサービスのドキュメンタリーがあるが戦後すぐにチェトニックが19箇所でテロを図ったが全部阻止されたらしい
ウスタシャももちろん狙ったが大半が即射殺されて運悪く生き残った構成員が激しい拷問にとても耐えきれずに逆に機密を吐かされた
UDBAは恐ろしく優秀 ユーゴ初期の粛清は結構エグい
「国家の敵」粛清は56万人ほどやったというのはランコビッチの弁 コミンフォルム脱退後は粛清の矛先が国内のスターリンシンパへ… 秘密警察職員とか共産党関係者ってユーゴ分裂後は民族主義者や民衆の報復に遭わなかったのだろうか?
特に混血者だったりすると行き場がなさそうだけど >>610
秘密警察関係者は分裂後のだいたい失脚してないし年金生活で悠々自適
トゥジマンでも秘密警察の犯罪については深く詮索を避けてる トゥジマンがユーゴに疑念を持ったのは家族が戦後すぐに他殺されてて捜査がすぐ打ち切られたのを秘密警察の仕事だと疑った所からなんだがそこは堪えてるんだろう
若い頃に在り方に反抗してたクロアチア独立国の再評価にも舵を切ったし「クロアチア独立」を是が非でも達成するために色んな矛盾を抱えた人物でもある 旧ユーゴの二大地域をスペインにたとえると
セルビア=カスティーリャ
クロアチア=カタルーニャ
っぽく見えんくもないように思えてきた。 チトーの父親の名前ってトゥジュマンの名前と同じ“フラニョ“だったのね。
>>612
トゥジュマンだけど家族が殺されなくてもいずれは民族主義に走ってたんかな? >>611
トゥジマンの念願だったWW2中のパルチザンの戦争犯罪の開示にはUDBAの内通がどうしても必要だったんでそこは便宜した
今でも機密資料の大半は共産主義者同盟後継のクロアチア社民党の手の中にあって読めない チトーの自伝読んでると意外と若い頃はクロアチア民族主義的な考えをしてる
立場が上がるにつれてだんだんとバランサー的な態度になっていく ワールドカップカップのセルビア対スイスでコソボを追われたアルバニア系移民の選手に点とられてセルビアが負けたそうな ブルース・ブラザーズのジョン・ベルーシがイタリア系ではなく
アルバニア系だったことをつい最近知りますたorz >>616
母親はスロベニア人というのを聞いていたせいか最初から汎ユーゴ的な人物だったと勘違いしていました
スロベニアのルーツを持つ混血であることにあまり感傷や葛藤は無かったのかな? >>620
そういう葛藤はほとんど無かったな
戦争行って帰ってきたら地元が訳わかんねぇ国になってて困惑してるのが面白かった、おそらく当時の若者の偽らざる感想なんじゃないかねそれが
憎しみに駆られる人間が出てくるのもさもありなん >>621
その頃の東欧人は自分のアイデンティティや感性に反して国境線やら支配体制やらが目まぐるしく変わって混乱したんだろうね
チトーの芸術関係の趣味哲学とかについて何か書いてあった? >>622
ウィーンの軽音楽が好きでクラシックならベートーベンとチャイコフスキー
絵はルネサンスが好きで近年ならドラクロワ、社会主義リアリズムは全く絵になっちゃいないと酷評
芸術関係はこんな感じ ああ、あとオーストリアの文化は愛してるけど二重帝国は大嫌いで早く崩壊してほしかったみたい ユーゴ崩壊に一番未練がないのはクロアチアなんだがイストリア半島では未だに違うらしい
歴史上クロアチアが統治してた時期がほとんど無いから民族主義に共感できない イストリア半島あたりの人はセルビア人との間に葛藤が無いから、時々ベオグラードの言葉を聞くとあーいいな懐かしい、くらいにしか思わないみたいね まあスロベニアとクロアチアは先進国の一部だったというプライドがあるからね オーストリアからスロベニアに入ると途端にヘビースモーカーが増えてバルカン世界に入ったのをしみじみ感じるけどな トゥジマンが生きてる頃でも強硬な民族右派だったクロアチア民主同盟がイストラ郡選挙区では全く議席が取れなかった
地域政党イストリア民主同盟はチトーの時代を否定しないので通りの名前とかに共産主義政権時代の残滓がまだ残ってる >>625 >>629
クロアチア民族主義者から裏切り者扱いされることもあったんかな
>イストリア半島のクロアチア人でクロアチア民族主義に積極的ではない人たち >>630
そりゃもうな
トゥジマンに連日メディア攻勢をかけられたがそれでも陥落しなかった
沖縄とか大阪の維新とかの次元じゃないぐらい強固な地域主義 ユーゴやチトーという枠組みの恩恵を受けたという意識が強いんだろうか?
イタリア化を防いでくれたからとか? どう歴史を振り返ってもクロアチア独立国は何一つイストリアの解放には絡めてないからな、あそこのクロアチア人を解放したのはパルチザン以外の何者でもない
あとマイノリティ対策であの辺はイタリア語を公用語に盛り込んだがトゥジマンかそれを守るか怪しかったのでイタリア系住民にも嫌われた
そういうイストリアの住民の為に用意されたのがイストリア民主会議 地理にあまり詳しくなかった頃,スロヴェニアは海に面してない
内陸国だと思ってますた。
でもイストリア半島の一部はスロヴェニア領だったんですね。 逆に旧ユーゴのクロアチア人地域の中で最もクロアチア民族主義が
強いのってどこなんだろ? >>635
ブコヴァルとかあの辺のセルビア国境に近いゾーン
クロアチア紛争で一番被害を被った所なんで なぜか知らんけどボスニア=ヘルツェゴヴィナのクロアチア人地域も
クロアチア民族主義が強そうなイメージがあった
ウスタシャのパヴェリッチが同地の出身だったりボスニア紛争時に
セルビア人勢力と血みどろの争いを繰り広げてたりってのがあった
からだと思ふけど >>636
同地のセルビア人(クロアチア国籍)もゴリゴリのセルビア民族主義 あのシェシェリのボスニアのセルビア人居住区出身なんでどうも本国から外れた奴は極端な思想に走りやすい ワールドカップブラジル行きが掛かった試合でボスニアサポーターの横断幕に「助けてくれチトー」って
横断幕があったらしい ボスニアで一緒に暮らしてるクロアチア系やセルビア系には恨みがあっても、
統治者チトーは良い思い出として記憶されてるってことなのかなボスニア人には ボシュニャクだけはそうだろうね
スルプスカは未だにシェシェリ級の民族極右がウヨウヨしてる ウスタシャによるクロアチア独立国ではボシュニャクの閣僚もいたのね
ttps://en.wikipedia.org/wiki/D%C5%BEafer_Kulenovi%C4%87
>>641
ボスニアだけでなくセルビア本国のセルビア人やクロアチア本国のクロアチア人に
対する憎しみも深いんかね>ボシュニャク まあ当のチトーはクロアチア本国のクロアチア人ではあるけど ボスニアはチトーみたいなコスモポリタン的人物が多いな。
オシムやハリルホジッチ(母親セルビア人)もそうだし。 >>643
クロアチア独立国ではイスラム教徒もクロアチア人扱いだった どう頑張って再評価しようとしてもウスタシャは無能
過度に苛烈な殺戮を行った結果初動で大量にパルチザン参加者を増やして自分たちじゃ治安維持もおぼつかなくなってドイツSS部隊にご出陣願った腑抜け あとさぁ、ボスニア山間部の治安を早期に失った結果ダルマチア沿岸部が常に脅威にさらされてイタリア軍にまで迷惑かけてるのこいつら
マジでクロアチア愛国オナニーぐらいにしか使い道がないゴミだったとまで言っていい ウスタシャの残虐ぶりにはドイツ軍も唖然となったんだっけ >>649
そうだよ
あといずれコントロールできない存在になるとも追記されてる 統治しやすいように傀儡国を用意したのにこいつらは何をやってるんだという呆れも見てとれるよ パヴェリッチやミハイロビッチみたいな売国奴を持ち上げないと独立の正当性を主張出来ないというのも惨めな話だなと思う 浦和レッズのズラタン・リュビヤンキッチと大宮や名古屋でプレーしたミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチってセルビア人だったんだな
スロヴェニアを知るための60章に書いてあって驚いたよ サッカー元スロヴェニア代表のレジェンド、ズラトコ・ザホヴィッチもセルビア人だね
Wikipediaの英語版に記載されてる
元々旧ユーゴ内では冬季スポーツが強くて球技は弱かったスロヴェニアだけど、セルビアやクロアチアやボスニアからの移民のおかげで近年は球技の強化も進んでる マケドニアだけはクソ弱いな
コソボは皮肉なことに紛争で移民した奴らの二世の活躍が目立つ セルビアと対戦し物議をかもしたスイス代表
ジャカとシャキリ=コソボ
のほかにも
監督ペトコビッチ=クロアチア
セフェロビッチ=ボスニア
ドルミッチ=クロアチア
(ジェマイリ=アルバニア)
と、セルビアが「スイスにだけは負けるな」というのも分かる布陣 >>655
セルビアからの移住者って独立後のスロヴェニアでは迫害を受けてないんやろか?
クロアチアと違ってスロヴェニアはセルビアとの接点や直接的な利害関係が薄い
イメージ(違ってたらスンマセン) スロベニアのセルビア人は普通に溶け込んでいるイメージ
リュブリャナ中心街にセルビア正教会がある
なおクロアチア、ボスニアなど他のユーゴスラビア系も同様
あまり民族主義が強くない スロヴェニアは歴史が浅いの
なんたら王国とかが大昔にあった歴史が存在しないので極端な奴が生まれにくい スロヴェニアは国民の9割がスロヴェニア系で
旧ユーゴ紛争のときにもクロアチア以南よりは戦争が小規模かつ短期間で終結したから
その後も民族間対立が深刻化せずに済んだ事情があるね スロヴェニアは経済的にも他の国と比べると豊かだし、西欧社会との繋がりの方が濃い >>660
この地域の揉め事はだいたいそれだよね
なんたら王国の最大版図を自分の領土だ‼と主張して紛争になるパターン
ある意味スロベニアは冷めているというか Wikipediaの英語版確認したが、バスケのスロヴェニア代表だと中心選手のドラギッチとドンチッチの父親がセルビア人
サッカーだとインテルミラノのハンダノヴィッチがボスニア移民のムスリムなんだな
移民を積極活用してスポーツの強化を図る国は多いけど、スロヴェニアの場合は旧ユーゴ内からの移民限定なのが面白い スロヴェニアの民族居住のキリがやけにいいのも「民族の定義」をごく最近新設したからなんだわ セルビアからの移住者VSクロアチアからの移住者
セルビアからの移住者VSボスニアからのボシュニャク移住者
セルビアからの移住者VSコソヴォからのアルバニア系移住者
…
むしろ移住者間での民族対立が激しそう>スロヴェニア 旧ユーゴ時代に”ユーゴスラヴィア人”を自称してた人達,
崩壊後も旧ユーゴ内にとどまってるとしたらスロヴェニアとか
クロアチアの中でも民族主義の薄いイストリア半島あたり
なんかな? スロベニアは意外と社会主義政権時代を否定しない
まぁクロアチアの次点で独立肯定が多いんだが崩壊の震源地の割には意外と低調とも言える(肯定が過半数いかない) 博物館にチトーの胸像とユーゴスラビア国旗が掲げられてるよ@スロベニア 分裂当時ユーゴから一番抜けたがってたのはスロベニアだと思ってた チトーの名前を通りとかに使うのは違憲だという判決をスロヴェニアは出してるが従わない自治体だらけで改名は進まないらしい 既に定着しているチトー関係の地名も変更しなければならないということ?
現憲法だと反ユーゴ条項みたいなのあるのか wiki英語版に記事があるよん
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Tito_street_decision_in_Slovenia
2009年にわざわざチトーの名を冠した通りを作ろうとしたことに対する判決なんで既存の通りに関しちゃグレーのま明言を避けた形 戦後のチトーの「人権侵害」が争点なのかな
従来の地名まで手を出してたらキリがないんだろうね コソボでのユーゴ共産党の組織作りは戦前からいまいち熱心じゃない
コソボ出身の大幹部だって居ないしアルバニアにくれてやる気だった説もある 初代コソボ共産党書記長はアルバニア共産党結党に派遣した奴をついででやらせてる
チトーらしからぬ杜撰さなんだよねこの辺 コソヴォの故・ルゴヴァ大統領、旧ユーゴ関連の本でこの人を
知ったけど線の細いインテリって感じだった。 チトーは元々アルバニアを合併するつもりだったと聞く。それがスターリンにバレてソ連と対立。ギリシャに関しても同様で今のマケドニア問題へと繋がると。 バルカン連邦構想だな
ブルガリアやギリシャやアルバニアと組んで長年紛争の元になってた国境線を引き直すつもりだったが頓挫した 民謡だけでもいいけど、メディアプロモでいろいろ見聞きしたいよなあ。 ホッジャはチトーがコソボで約束を違えたと批判してるな
発言元がホッジャなんでアレなんだが 冷戦中ハンガリーがトランシルヴァニア問題で同じ東側のルーマニアを徹底批判してたように
アルバニアもコソヴォを我々に返還しろとか文句言ってたの? チトーがコソボのアルバニア譲渡の約束を反故にしたというのはホッジャの言い分
もちろんユーゴは認めてないが いっそチトーがコソボを譲渡しておいた方がユーゴ国内の南スラブ率が高くなってよかったのにな 「日本で言うと京都が別の民族に占拠されてるようなもんだぜ?」と説明したセルビアのサッカー選手がいたようないなったような
チトーと言えどここをパージするのは難しかったと思われる 6世紀にもなってバルカン半島へ不法占拠しにやってきた南スラブ人どもが、
イリュリア時代からのバルカンの住人アルバニア人に何ぬかしとる?
偽マケドニア人といい、なんて図々しいやつらだ!!とか思ってそう イリュリア運動ってのがあったな
クロアチア人が南スラブ人じゃなくてイリュリア人だと勘違いしてた時代があったがのちのちの南スラブ統一運動にも繋がる 第一次大戦後に発足したセルボ=クロアート=スロヴェーン王国だけど
クロアチアやスロヴェニアではキリル文字の強制などのセルビア化が
図られたりしたんかね? 強制つうか元々クロアチアではキリル文字やグラゴル文字も併用されてたけどな
(民族主義高揚でセルビアとの違いを際立たせる為)ローマ字だけになったのは本当にここ最近だよ https://i.imgur.com/2rqVfor.png
クロアチア語で面白いことに気付いた
シュト方言が話される地域では民族右派のクロアチア民主同盟の党勢が強いがカイ方言やチャ方言の地域ではそうでもない
イストリアで弱いのは上でも言ったが北の方のザゴリエ辺りもあまり勝てない ザゴリエはチトーの故郷だね
川向こうはスロベニア
本人もハーフ スロベニアって元神聖ローマ帝国だからもしかしてドイツの一部になりたがってたりする? スロベニアはユーゴにせよEUにせよ、小国でありながらキャスチングボードを握れるポジションにいたがる向きがあるから、ミロシェビッチ→独立の時もそうだが大国に吸収される立場は望まないだろう。 バイリガル、トリリンガルがざらにいるがスロベニア語をやめないのがスロベニア人だよ
プライドほ高い スロベニア語とクロアチア語ってどこまで違うんだろう?
カトリックの南スラヴという点では共通しているのにここまで民族識別されているということはよほど言語形態が違うのか
スロベニア語は印欧語族やスラヴ諸語の古い形態を残しているというけれど スロベニア語は山地の言葉が基準だから離れている
標準としている言語がクロアチア、ボスニア、モンテネグロ、セルビアは平地の言語「シュト方言」で同じ サッカーまたクロアチアがベスト4か
セルビアは面白くないだろうね セルビアはスイス戦の審判の大誤審がなければ普通にベスト16に進んでたのにもったいなかったね
スイスDF二人の悪質なアメフトタックルに対してセルビアにPKを与えず、VARも意図的に無視した審判団の行動は現地メディアでも大きく取り上げられている
この審判団による意図的なPKスルー事件はスイスのアルバニア人選手によるジェスチャーの件よりも遥かに罪が重い 未だにセルビアというだけで悪魔の遣いのような嫌われっぷりだからね
審判は欧州以外にしてやるべきだった 出場メンバーの格からして、クロアチアに比べてかなり劣ってる
面白かろうがなかろうが、差は歴然としている 戦後欧州最悪の人権侵害を起こした国という印象が強いのだろう
ルーマニア革命も悲惨だったがこちらはジェノサイドではなく同民族間の戦闘だし スロヴェニア人とクロアチア人ってお互い仲が良かったり、
仲間意識を持ってたりする? 仲は悪い
海上の国境問題がユーゴ時代以来解決していない スロベニアにとっちゃ唯一の領海だから必死だわな
交友はあるがこれだけはクロアチアからしたら腫れ物の話題 モンテネグロがシレッとどことも揉めてないポジションなの本当に強か スロヴェニアの海を守る海軍
ttp://www.slovenskavojska.si/en/structure/force-command/430th-naval-division/
ttps://sl.wikipedia.org/wiki/430._mornari%C5%A1ki_divizion_Slovenske_vojske
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Slovenian_Navy
>>711
セルビア… 今回のロシア対クロアチアではロシア応援する人もおったんやろか>セルビア人
>>699
>小国でありながらキャスチングボードを握れるポジション
したたかに生きる山国の小国(スロベニアは海にも面してるけど)という点では
スイスとかぶる気がした。 >>711
アルバニア系やらセルビア系が領土内に思いっきり食い込んでるんじゃなかったっけ
コソボとも国境画定したばかり >>711
クロアチアとモンテネグロはユーゴ紛争時にダルマチア南部で激しい戦闘やってて仲悪いよ
民族意識としてセルビア正教のセルビアとモンテネグロは同胞だから仲が良く、クロアチアは共通の敵という認識 よくよく考えるとクロアチアってセルビアだけじゃなくてスロベニアやモンテネグロとも仲悪いし旧ユーゴのどの国とも仲よくないよな
周囲の旧ユーゴ外の国々との関係をみても国境問題や歴史的問題からイタリアやハンガリーとも上手くいってない
結構な嫌われ者国家だよな クロアチアは民族主義が強すぎて周辺国から煙たがられてる。
スロベニアの飲食店でクロアチアとトルコだったかのサッカーの試合が流れていて、客が皆トルコを応援していてへーそうなんだ、と思った。 チェコとスロヴェニアはオーストリア、スロヴァキアとクロアチアはハンガリーの
文化的影響が強かったと聞いたことがある(違ってたらごめんなさいorz)。
ハンガリーってスロヴァキアに対しておこなったような同化政策をクロアチア人に
対してはとらなかったんかな?ウィキには二重帝国時代にハンガリーが
クロアチア=スラヴォニア王国への自治権を認めてたって書いてるけど。 スロヴェニアが海を持たない内陸国(かつ現スロヴェニア領の沿岸部の
住民がクロアチア人)だったらクロアチアとは仲が良かったんだろうかとか、
セルビアとモンテネグロってセルビア=モンテネグロ解体時の不和(おこった
としたら)を現在も引きずってるんだろうかとかちょっと気になった。 >>718
やってたよ
ハンガリー人の駅員がドイツ語かハンガリー語じゃないと聞こえないふりしたりしてたんだとよ セルビアとモンテネグロはコソボを承認するか否かで考えが割れたけど、モンテネグロ人はイリュリア人(今のアルバニア人と繋がる)の末裔という意識があるのがセルビアと袂を分かった一因かと思う コソボ承認あっという間にしたし通貨も勝手にマルクに切り替えちゃうしNATO空爆もちょっとどうでもいい場所に爆弾数個落ちただけで回避したしモンテネグロも結構エグいね セルビア人とモンテネグロ人、セルビア語とモンテネグロ語の現代における差異がよくわからない
支族や方言と呼べるほど密接な存在ではないの? モンテネグロ人には少数ながらイスラム教徒やカトリック教徒もいることかな >>721
それはないな
イリュリア人意識が一因なら92年のユーゴ崩壊の時点でセルビアから分離してるはず
実際は住民投票でモンテネグロ国民の95%がセルビアとの連邦維持を選択してる 2006の独立投票で勝つためにジュカノビッチはあらゆる仕込みをしてる
イリュリア人説もそのうちの一つなんじゃないかね その結果セルビアは内陸国に…
ある日突然海に面さない国になるとはどういう気分なのか島国の人間は見当もつかない >>726
そん時の住民投票はコソボ抜きだね
でないとそんな高率にならない 2006年のモンテネグロの分離独立国民投票は55.5パーセントの独立賛成で分離が決定したんだっけ
独立条件が55パーセント以上の賛成だったから本当に僅差だったんだよなあ・・・
なんか53パーセントの離脱賛成でEUからの離脱が決まったイギリスのようだ モンテネグロは人口60万しかいなくて、細かく分かれた旧ユーゴ7ヶ国のなかでもダントツ小規模だからな
独立してやって行かれるのかかなり不安があっただろう いくらセルビアに親近感があってもセルビアと共倒れして欧州の後進地域になるのは嫌だったんだろうな >>731
国全体でベオグラードの半分くらいの人口しかいなかったのね>モンテネグロ >>729
>>726は「モンテネグロ国民の」でしょ
コソヴォはもともとモンテネグロとは別だよ セルビアとモンテネグロの違いってなに?
殆ど同じ言語と宗教なのにどういう経緯で違う国になってんの? 人種 モンテネグロはイタリア、スペインと同じ地中海人種との混血で海洋民
セルビアはドイツ、ノルウェーと同じ遊牧民 ジュカノビッチがモンテネグロの経済発展のためには分離独立してEU入りするのが近道と煽った影響も大きいな
2000年前後はユーゴ(セルビアモンテネグロ)に対する経済制裁が続いていたし、NATOの空爆があったりしたから当然その流れになるのは分かる
でも、それから10数年後の今、セルビアの現政権や国民の多くがEU入りを望む事になって、モンテネグロと共にEU同時加入の結論になってる事が笑えるな >>711
旧ユーゴの国々と一番揉めないで平和にやってるのはマケドニアだろうね
国名問題で長年揉めてたギリシャとも譲歩の国名変更で和解したし
大人だよ >>737
セルビアはコソボ認めないと加盟できないのでは
モンテネグロは差し当たり支障はないが >>738
もともと歴史的な関わりが薄いんだよな
暮らしぶりという点では未練が有るみたいだが >>739
当然それも込みで加盟が議論になっている
コソボの承認を回避したうえでなければEU加盟はしない(でも本当はしたい、承認回避出来ればOK)
コソボの承認は本意ではないがEU加盟のためなら止む無し
コソボ承認云々は別にしてそもそもEU加盟の必要など無し
などなど色んな層があるそうな、どこかに政府統計があったはずだが 親EUの進歩党が与党で交代できそうな政党が有るかというと無いね
連立組む社会民主党もそういうスタンスなんでこれらを打ち倒して過半数取れる勢力はない ハシム・サチが現役のうちはセルビアは承認したくねぇだろう クロアチアがワールドカップ準優勝以上確定か
ユーゴ時代に来れなかった領域だな 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
FTW トーナメント3試合とも90分で決着つかずの延長かクロアチア
根性すげえよな
3試合とも対戦相手が欧州中堅というクジ運の良さが味方してくれた影響も多分にあるが魂見せたよな ユーゴ時代の成績越えたことで民族主義者がオラついてそう 意外とハンガリーやチェコスロバキアの方が今まで決勝まで来た経験あるのな 「俺はクロアチア応援してるよ」と言ったジョコビッチにセルビア人からクソリプが飛び交う一方、モンテネグロの元大統領は普通にクロアチアおめでとうとか言ってるという わざわざクロアチアのキタロビッチ大統領からジョコビッチへと決勝進出おめでとうツイートが
色々ややこしいねぇここ 自動翻訳を頼りにクロアチアのニュースサイト見てるとメシッチ元大統領が出てくる記事はコメント欄が荒れてる
右派にどうやら憎まれてるらしい セルビア人・クロアチア人の姓の中には語尾に-vic,-ic,-vac,-acが
付かない物もあるのね。
ブロズ、プリンツィプ、シェシェリとか クロアチアは準優勝だがその裏でジョコビッチが久々にウィンブルドン優勝したんでセルビア人はそれ見てた模様 モンテネグロやスロヴェニアってクロアチアとは仲が悪いと
書かれてたけど,前二者どうしではどうなんやろ?
仲云々以前に赤の他人みたいな感じ?
>>757
フランス、20年ぶりのワールドカップ優勝なのね >>758
悪かないみたいだよ
スロベニアのポータルで「両国の関係は良好だ」と書いてあったしモンテネグロのNATO入りの仲立ちを積極的にしたのもスロベニアだったらしい シェシェリみたいに-ljで終わる姓は
スロヴェニア人に多い印象。
あと、Lon?arとかKova?みたいな
職業そのままの姓はクロアチアに多い気がする。 ハーチェク付きが文字化けしたけど、
Loncar、Kovacね。 >>760
ljで終わる姓のスロベニア人といえばチトーの側近カルデリ(Kardelj)もそうだっけ
>>759
方や正教・東方文化、方やローマカトリック・西方文化だけどセルビア、クロアチア間の
仲の悪さとは対照的やね>モンテネグロとスロベニア 隣接してない方が上手くやれるんじゃないかね…
調べてないけどマケドニアも悪い関係ではないはず >>762
ていうかセルビア×コソボ、セルビア×クロアチア以外はそんなに悪くないでしょ >>764
よもや、オシムさんやハリルホジッチさんのご事情をお忘れではないでしょうね・・・ ボスニアは今も一番火種を抱えてるわな
妥協案の輪番制度残したままだし90年代から変わらん民族極右が今ものさばってる ユーゴ時代の8輪番制がそのままボスニアの3輪番制に縮小
ただし実権を握るのは各民族右派 セルビア人からするとアルバニア人だけはどうしても相容れない輩みたいね
クロアチア人やボスニャク人は何だかんだ言っても言葉も通じる南スラヴ人同士だから大丈夫らしいがアルバニア人だけは駄目だと バルカンのスラブ語源は多少は相互理解できる言語らしいがアルバニア語はマジで分からない
ここら辺が対立が起きたり仲間はずれにされやすい理由かもな スラブ人やハンガリー人は少子化なのに、アルバニア人はどんどん増えているのも脅威みたい アルバニア人がイスラム教徒に改宗せずキリスト教信仰を
守りとおしてもやっぱり言語の壁がネックになんのかね? 考え方や文化が違い過ぎて折り合いが付かないらしい
アルバニア人にも正教やカトリックの信者はいるから彼らとはどうか分からんが そもそもアルバニア人はムスリムなのに豚肉普通に食うし酒もガバガバ飲む
ムスリムにも分からないかもしれない W杯決勝は予想通りクロアチアがフランスに虐殺されて終わったか・・・
強豪国のいない山を延長PKだけで勝ち上がっただけだから当然の結果だな アルバニアは無神国家を宣言したからね
宗教に対する意識は日本人より薄い 南イタリア(シチリア島含む)にはオスマントルコ時代に渡ってきた
アルバニア系キリスト教徒のコミュニティがあるのね。
>>774
その後のワールドカップで誰かがまた頭突きをかましたりしてw
>フランス代表 アルバニア語というのが印欧語の中で孤立した系統でこれまた出自にミステリアスさを感じる
イリュリア人の子孫を自称しているそうだが… イリュリアが最後にローマ帝国に滅ぼされたときは、現アルバニア領が中心地だったしね。
全くの赤の他人が後に他所の土地から来てアルバニア人となったという可能性もなくはないが、
今のところイリュリア人の末流候補である確率が最も高い民族ではあるだろう、言語学的にも否定はされてないし。 アルバニアといえば冷戦後のネズミ講。
アルバニアマフィアが仕組んだってどっかのサイトに書いてたような。
>>716
接点の薄そうなコソヴォのアルバニア人やマケドニアなんかも「お高くとまってる」
とかでクロアチアを嫌ってたりすんのかね? >>776
アルバニア人はイタリア語を話せる人がかなり多いな >>780
コソボはセルビアへの当て付けで真っ先に承認したんで悪くないじゃないかな
アルバニア人が国内にほとんど居ないから完全に他人事で動ける イタリアではアルバニア人が農産物収穫をやってる
マケドニア人はきこりをやってる モンテネグロってオスマントルコ時代でも自治が許されてたようだけど,
そういう面でセルビアに優越感持ってたりする? ミロシェビッチって実はモンテネグロ人なのな
大セルビア主義を叫んで連邦を崩壊させた張本人がセルビア人ではなかったという茶番劇 父方の祖父がモンテネグロ軍の将校だったってウィキ英語版に書かれてた。 ミロシェヴィッチを国際戦犯法廷へ引き渡したジンジッチ,
その後因果応報な最期を遂げてたのな(てか報復か) ミロシェビッチを後継者に推し、のちに激しく後悔したスタンボリッチも不審死を遂げている。 現在のモンテネグロ軍トップだけどユーゴ内戦勃発の年に士官学校を卒業してたのね
ttp://www.vojska.me/en/forces/commande こっちだったorz
ttp://www.vojska.me/en/forces/commander ジュカノビッチはまだやりたい放題してるというのにどこで差がついたのか ジョコヴィッチとかミロシェヴィッチみたいにセルビア国籍なんだけど実はルーツがモンテネグロ人って人は割といるね
こないだのサッカーW杯でセルビア代表の監督やってたクルスタイッチも父親がモンテネグロ人
有名所だとハリウッド女優のミラ・ジョヴォヴィッチも父方のルーツがモンテネグロ人 テニスのミロシュ・ラオニッチがカナダ国籍のモンテネグロ人だと勘違いしてる人が多いけど、彼はモンテネグロ生まれのセルビア人なんだな
英語版のWikipediaにちゃんと記載されてる ムスタファ・ケマルが学んだ士官学校ってマケドニア(当時はオスマントルコ領)に
あったのね
tps://www.kaho.biz/turkey/a.html クロアチア語ってハンガリー語由来の語彙も結構あるんやろか?
(ダルマチアあたりだとイタリア語由来の語彙もありそうな感じがするけど) マーク・マゾワーは『バルカン―ヨーロッパの火薬庫の歴史』(中公新書)で、
暴力はバルカンの本質ではないと書いているけど、欧米の一般大衆レベルでは
これからもバルカンの諸民族については暴力的、残忍、後進性といった
ネガティブなイメージで語られるんだろうな
研究者が何を言おうと、一般大衆のイメージは変わらない 去年NATO入りしたモンテネグロだけど,以前は西欧やアメリカから
セルビアの共犯者と見なされてたんだろうか。 なんか
セルビア=ドイツ
モンテネグロ=オーストリア
ぽく思えるのは気のせいか。
方やミロシェビッチがモンテネグロ系、方やヒトラーがオーストリア出身なトコや
戦争時の悪行を片方(セルビア、ドイツ)が一手に背負わされてるような感じとか。 >>798
クロアチアもウスタシャの蛮行を見るに暴力的・残忍・後進性ぽく
思えるけど、ローマカトリック&西方文化圏ってことで欧米では
ひいき目に見られてるのかしら? >>797
スラボニア(クロアチア領)、ボイボジナ(セルビア領)にはハンガリー語由来の地名がかなり多い >>797
クロアチア語自体はセルビア語、ボスニア語、モンテネグロ語とほぼ同じなので、特段ハンガリー語に近いという事はない。 クロアチアで用いられてる単語の中にはハンガリー語由来の物も
なんぼかあるんだろうかって事やと思います(ボソッ) あるとすればクロアチアよりボイボディナでしょ
ハンガリー人とセルビア人等が混合して生活してるから クロアチア人の名字にはハンガリー語が由来になってるものが結構ある
例えばハンガリー語で加治屋を意味するコバチがそう
派生語のコバチッチも同様 加治屋はSBのリリーフ投手
今年ようやく開花しつつある モンテネグロとセルビアが今微妙な間柄になってきてる
セルビアで名誉回復が図られてるチェトニックだが、一方でモンテネグロは刑法改正してチェトニック称賛に罰を貸すのを決めた
あと未だに逃亡中だったコソボで虐殺をしたというセルビア軍人をモンテネグロが拘束していてセルビアは解放を求めてるがモンテネグロは応じない 領海をめぐってクロアチアとスロベニアの仲が悪いと聞きまして・・・
スロベニアではウスタシャ称賛が罰されるんでせうか。 スロベニアは被害者の立場(地図上から消され粛清されてる)なんだから肯定されるわけがない クロアチアはアルバニアとは友好国の間柄のようだな
先日のキタロビッチ・クロアチア大統領のアルバニア訪問で兄弟国発言があったし、経済的な交流をより深めていく方向らしい 第二次大戦期のクロアチア国王トミスラヴ2世こと
アイモーネ・ロベルト・マルゲリータ・マリア・ジュゼッペ・トリノ=ディ=サヴォイア
マリア/マリーはともかくそれ以外の女性名を持つ男性もいたんだな
(王族や貴族の間では珍しくない?) テロが怖くて一度もクロアチアに入らずに終わったヘタレか 嵐作戦の記念日でまたセルビアとクロアチアがガタガタしてるがもう毎年恒例の行事らしいな ミロシェヴィッチが去った後のセルビアとトゥジュマンが去った後のクロアチア。
両者がいなくなった後も国軍同士での小競り合いとかはあったんかね? 国連の停戦部隊がまだボスニアとかコソボ駐留してたから流石に空気は読むだろう >>818
両国だけ見ていてもなかなか掴めないかと思う
緩衝国のボスニアがあるので ユーゴの場合共産政権とはすなわちチトー政権時代と重なるから
暗黒とはとらえられないのでは。
スターリンや毛沢東などとは違う。 つまり共産政権=民族紛争を防ぎ平和を維持した政権
という意味ね チトー時代も実態はバラ色じゃないが、この地域にしては相対的に良い時代だった・・・
というのはどの民族も感じてんじゃねーの バルカン諸国ではオスマン帝国支配の時代はどうとらえられているんだろう >>826
ブルガリアは暗黒時代と思ってそうなイメージがあるけど
実際にはどうなんだろ アルバニアはマシだったんじゃねぇかな…あとボスニアもか?
中東の方が惜しむ声はありそう ハンガリーも自身が東洋系なこともあってオスマン時代の評価は悪くない ハプスブルクに抵抗したラーコーツィ・フェレンツ2世の
亡命を受け入れ終生匿ったのもオスマン=トルコだっけ >>826
トルコに好意的な東欧人に未だ会った試しがない
教科書でどう教えているのか知らないが >>824
民主化後も全共和国で共産党の後継政党に与党経験が既にある
なかなか異例だと思うよこれは >>832
教育というより実体験による民度の低さだろう
中国人が忌み嫌われているようなもの >>829
アラブ人はトルコ人に対して優越感を抱いているそうだが トルコ人は自分たちのことをヨーロッパ人だと思っている >>835
ペルシャ人はアラブ人に対して優劣入り混じった感覚を抱いていそうだな ペルシャ人は自分たちのことをアーリア人、
つまり白人だと思っている 最近セルビアはユーゴノスタルギアツアーを観光で推してるそうだな
ユーゴ時代の調度品で固めたホテルやブルートレインに乗って最後は花の家で締める
クロアチアとかのポータルニュースでは懐古趣味と軽くバカにされてるみたいだが俺はそういうの興味ある >>838
そういやウスタシャはクロアチア人(ボシュニャク人)はアーリア人、セルビア人は非アーリア人というトンデモ説を展開していたな。 現在のセルビアでミロシェビッチを英雄と見なす人と自国の恥と見なす人、
どちらが多いんやろか。 恥の方が多いんじゃねぇかな
シェシェリもカルトな需要はあるがそんだけだ、大統領選挙でカスみたいな票しか入らなかったし >>841
セルビア人が非アーリア系白人なのは事実だけどな 後の首相となったゾラン・ジンジッチ暗殺の黒幕として
ボスニア・ヘルツェゴヴィナのラドヴァン・カラジッチにも影響を及ぼした点でミロシェヴィッチは暗黒の恥だね。
ジンジッチの声明文
(日本語訳)誰かが、私を消し去ることによって法の執行を阻止できると考えるならば、彼らは大きな誤解をしている。なぜなら、私は体制そのものではないからだ。政治家の一人や二人殺したところで、体制は機能し続けるし、彼らの罪を消してしまうことなどできないのだ。
— Политика 21. фебруар 2003. и Глас Јавности 24. фебруар 2003. године. ジンジッチがミロシェヴィッチを国際刑事裁判所へ引き渡した時、
(彼の支持者を除いた)多くのセルビア国民はせいせいしたんやろかね。
でもってジンジッチは現在のセルビアで英雄として見なされてるんかな? どうだろう?ジンジッチが英雄ならセルビア民主党は今零楽してないと思うがな ttps://www.youtube.com/watch?v=_-HYhvSsG3s
大昔の5分番組「うまい話」のテーマソングだけど
これを手掛けたヤンコ・ニロヴィッチってフランスで活躍した
モンテネグロの人だったのな。 コトルか、いいな
ドゥブロヴニクより人少なくて物価も安いから穴場 もしかして、英国と米国がノルマンディにかまけてるから、
ソ連に、バルカンと東欧を荒らされたのか? モンテネグロは交通マナーが悪いらしいと聞いたのでそこは気を付けてな 皆さんありがとう。まだしばらく先ですが気をつけて行ってきます。
世界遺産ということなら、ドブロブニクが白川郷でコトルが五箇山?みたいなイメージを勝手に抱いているけど、また書き込みます。 身長メチャクチャ高いらしいな、モンテネグロ人
統計によっちゃオランダより上に来る モンテネグロ人の有名人ってサッカー選手とかスポーツ関係の筋肉馬鹿しかいないのな
科学者、哲学者とか学問系の有名人が一人もいない
人類の発展に全く貢献してない民族 他の民族から怠け者が多いとよく言われるモンテネグロ人
勉強は苦手なのよ 19世紀ぐらいだとモンテネグロ人の評価は大柄で勇敢な戦士だったんだがすっかりチトーに牙を抜き取られた
つかモンテネグロだけ社会主義政権が終わってないし いよいよマケドニアの国名変更の国民投票が30日にあるぞ
主導する左派与党とEU関係者は賛成を呼び掛ける攻勢を強めてるが果たして 今さらモンテネグロの首都にチトーの銅像が立つんだとよ >>861
ポドゴリツァ (Podgorica)
1945〜92迄の間はチトーに因んだティトーグラード (Titograd)と改名されていた。 チトーと対立したミロヴァン・ジラスはモンテネグロ人だったっけか 形質人類学で言うところのディナール人種だな
遺伝子的にはクロマニヨン人の影響が強いようだが 反ファシスト団体なる生きた化石がまだ残ってて活発に仕事してんのがモンテネグロ
マジでユーゴ共産主義者同盟の組織が一番無傷で保存されてる マケドニアのイヴァノフ大統領が投票のボイコットを呼び掛けたみたいだな
国名問題の解決を掲げてたのに不可解だな セルビアとマケドニアはともかくモンテネグロとマケドニアって仲いいの? 今のマケドニアは古代のアレクサンドロスのマケドニアと全然関係無い民族らしいけど
今のマケドニア人はアレクサンドロスを誇ったりはせんのかな? セルビアがオスマントルコの支配を受ける中で主教公(ヴラディカ)による
自治が敷かれていたモンテネグロ。
モンテネグロの人ってその事でセルビアに優越感抱いてたりすんのかしら? >>870
アレクサンドロスの出身地は現ギリシャ北部だし、ギリシャの英雄
マケドニアはマケドニアを名乗るのやめろと言われ‥‥
今度、北マケドニア共和国に国名変更する国民投票するそうだ
新国号にもマケドニアが入っているからダメだとギリシャは言っている マケドニア共和国の人達(スラブ系)ってマケドニアという名に
誇りやアイデンティティを感じてる人多いん?
国号をめぐる件でギリシャの事嫌ってる人多いのかなって気も >>873
今のギリシャ与党はその反対意見を無視する意向だよ
EUも早いとこバルカンへのロシアの浸透を排除したいからな モンテネグロはコソボとの国境問題も一応の解決まで持っていったし外交の立ち回りは明らかにセルビアより強か 上のほうで仲がいいといわれてるモンテネグロとスロヴェニア。
お互い強かに生きてる小国同士よな。 クロアチアとコソヴォが仲良くて(セルビアへのあてつけかw)
スロヴェニアとモンテネグロが仲良くて…
旧ユーゴでセルビアと仲良さそうなのはどこだろう ボスニアのボシュニャクとコソヴォのアルバニア系も仲良さそうな気が
せんくもないけど実際のところどうなんだか ポドゴリツァは観光客に「なんにもない」と不評なんでチトーの銅像でもあった方が記念撮影にゃちょうどいい そもそもポドゴリツァは古都ツェティニェが地政上の問題で不利だから遷都された訳 セルビアとコソボの国境問題は相変わらず不調らしい
いつ解決するやら モンテネグロの有名人は筋肉馬鹿のスポーツ選手しかいないっていう書き込みからレスが加速しまくってて草
モンテネグロ大好きマンが発狂しまくってんなw モンテネグロ人は遺伝子的にはアルバニア人に近い非アーリア系の白人だな >>872
モンテネグロの宗教指導者の自治って基本ミッレトだからセルビアと変わらんでしょ
18世紀後半になるまでは村とか集落レベルの人口での自治だから完全にミッレト ポドゴリツァやニクシッチなど現在のモンテネグロの中心都市はオスマン帝国の直轄統治エリアだな モンテネグロ近世最大の偉人はミロ・ジュカノビッチになるよ
「チトーの孫」という評価も見掛けた TBSの「世界遺産」、次回の紹介はモンテネグロのコトルだそうな コトルはオスマン領だった時代はとても短い
ヴェネチア建築がよく残ってるようにヴェネチア領有の時代が長い それやのにトルコをもじったような名称なんはなんでや >>883
セルビア的には国境画定どころか国家承認すらしたくないんじゃないのか
EU加盟のため? >>892
小トルコ→コトルコ→コトル
これで決まりでしょう >>892
マジレスするとカッターロなんだわ元々
セルビア読みに直してコトル >>895
>カッターロ
この書き方やと全然トルコと似てないな マケドニア国民投票、投票率50%をクリアできず
賛成票が大半だったがボイコット作戦に敗北したことになるな マケドニア与党は解散総選挙に打って出るらしいが正直手詰まり感は否めない チトーが植え付けたんだがな、マケドニアナショナリズム
ブルガリアへの帰属意識を潰すためにな ボスニアで選挙したらまた民族の対立が表面に出てきた オスマンがコトル取るの諦め理由がまぁなんとなく分かった
あれは攻めにくい ボスニアの選挙でクロアチア代表が非民族主義者に変わるという波乱があったらしい コトルはオスマンに支配されたり何度も侵略されてるけど、15〜18世紀頃は戦略上重要ではない寂れた漁村だったから放置されたってのが実情 なんと意外なことにマケドニア議会で新国名の為の憲法改正要綱が可決された
右派の野党から造反が出た >>905
イストラ半島て元々神聖ローマ帝国の一部よな
そこに住んでるクロアチア人は本当にクロアチア人なんですかねえ?
じつは殆どスロベニア語に近い言語を話してるとかないんですかねえ? https://imgur.com/a/fpxjAjO
クロアチア沿岸部にはチャ方言という方言がある
ロマンス語の影響が強くて残ってるクロアチア語では最古らしい スロベニア語に一番近似してるのは北部で話されてるカイ方言
チトーもこのカイ訛りがあったそうな モンテネグロに放置されてるチトーのボートが買い手募集中だって
1000万から ポドゴリツァにチトー像建てるのが議会の賛成9割で可決 1821年、ギリシャがオスマン帝国からの独立戦争のさなか制定した憲法は
共和制だったが、ギリシャ人はこれを有効に運用できなかったので、
32年にロンドンに集った英仏露の代表は、
「ギリシャは長い間の奴隷生活の結果、自治能力を欠く」
との結論に達し、ギリシャ人に君主制を与えた。
この時期のギリシャの民度がどの程度だったのかが推し量られて
哀しいエピソードだなあ… 敗戦で瀕死のトルコを凹って返り討ちにされてスミルナもコンスタンティノープルも諦める羽目となったへっぽこぶりなだけある >>915
戦争中にヴェニゼロス政権が終わって前線の指揮官交代とかアホなことやったのが悪い
ヴェニゼロス自体は傑物だと思う >>914
ブルガリアに大変失礼だと思いつつ、19世紀後半の露土戦争後の
ブルガリアで共和制ではなく君主制が敷かれたのも自治能力の欠如から? ブルガリアのトルコ人問題は、日本ではほとんど知られていないな
1984年にはブルガリア国内のムスリムはオスマン帝国支配下で
強制的に改宗させられたスラヴ人だとして、氏名をスラヴ的に
改めさせる強制改名が実施された 割とまともな方であるジフコフ最大の悪法だったな、それ
結果として民主化したら弾圧されたムスリム勢力が結託して無視できない議席数を取るようになった そういやブルガリアのムスリムって旧ソ連は中央アジアのイスラム教徒
みたく姓の語尾に-ov/-evが付いてるん?
ボスニアのボシュニャクはセルビア系やクロアチア系同様,姓の語尾には
-vic/-icが付いてるけど ブルガリア語話者のムスリム(ポマク)にしろ、
トルコ語話者のムスリム(いわゆるトルコ人)にしろ、
ブルガリアのムスリムはついてないのが主流かな なんだかんだこの辺はムスリムでも人種はスラヴだと思う
アルバニアだけようわからんが コソボ解放軍にはボスニアからのボシュニャク義勇兵も
結構いたのかしら マケドニア軍の軍服(↓の右側)
ttp://www.arm.mil.mk/images/vesti/pocetna/2018/09/francuski_ambasador/2.jpg
ワイシャツの色が黄色ってのも珍しいような 第二次大戦中のナチス武装親衛隊にはボスニアのボシュニャクで
構成された部隊もあったそうだけど,当のボシュニャク隊員自身に
エリート意識はあったのやら あるわきゃないしあったとしても思い上がり
SSはピンキリでそん中でもボシュニャク師団やアルバニア師団は間に合わせのハリボテ ヴェネツィア共和国の記録では、ウスコクというアドリア海沿岸地域の
海賊が悪鬼のごとく描かれているが、彼らの実態はどうだったのかね
民族的にはクロアチア人? コソボが対セルビアに100%の関税措置発動
ICPO加盟を組織的に妨害した報復らしいぞ スレのざっと見だと
コソボはクロアチア
モンテネグロはスロヴェニア
と仲良くやってるみたい(クロアチアの場合はセルビアへのあてつけかw)だけど,
旧ユーゴの中でマケドニア、セルビアとそれぞれ仲のよさそうな国ってどこなんやろ >>929
関税措置からセルビアに工場のあるクロアチア、スロベニアの製品は除外しますといのが実に露骨
モンテネグロ(反対票)に関しては今回裏切られたとお冠だが最近国境の協議が終わったばかりなんで黙認しそうな空気 >>931
セルビアはなんだかんだモンテネグロじゃないかね
あと、ボスニアのスルプスカはセルビア愛
マケドニアは旧ユーゴで括るなら多分セルビア >>933
ボスニアのスルプスカ以外みんなから嫌われてるのかと思った>セルビア キリル文字と言えばセルビアのキリル文字にはロシアでは見かけん物があって,
ロシアでのлとьがくっついたљという文字もその一つなんだっけ。
母音アルファベットと組み合わせた場合だけど,ロシアでのキリル文字ではそれぞれ
ља⇒ля
љу⇒лю
ље⇒ле
љо⇒лё
に対応してんの? ついでながらセルビアでのлеはロシアでのлэに相当するんかな? 内陸国かと思いきや海にも面してたボスニアヘルツェゴビナ ブルガリア人はスラヴ人というより、ロマ系がマジョリティ 質問です。 ユーゴスラビアにアルバニアが加盟しなかった理由なんですが
ユーゴスラビア、特に王国時代は「大セルビア」の性格が強く、ww1で中立国のアルバニアは加盟しなかった。
ww2後で同じ南スラブ国家の社会主義国でありながら指導者同士の軋轢で統合しなかった。という認識で合ってますか? >>941
アルバニアはスラヴじゃない、言語体系が孤立してる
だからややこしいの
バルカン連立構想はあったがアルバニアのホッジャは明らかにスターリンのスパイなので立ち消えた >>942 なるほど それでhoi4のユーゴスラビアNFでアルバニアに関係するのが共産ツリーだけなんですね。 連立構想ではギリシャも赤化させてしまって三か国に分けられたマケドニアを合体させる他、構成民族を理由にアルバニアにコソボを押し付けてしまうつもりでもあったらしい >>931
スロベニアとモンテネグロは特に仲がいいわけではないな
モンテネグロとスロベニアが好きな奴が勝手に言ってるだけの話
俺が好きな国同士は仲が良くて、俺の好きな国と嫌いな国は仲が悪いという謎理論
そして俺の嫌いな国同士は仲がいいらしいw
馬鹿丸出しだなコイツ モンテネグロとマケドニアは正教の同胞同士で仲がいい
スロベニアとセルビアは領土がらみの紛争もなく普通の仲 各国の国民意識調査のデータで友好関係など色々分かる モンテネグロ、マケドニア どっちもスラヴの国という響きがしない。 セルビア- コソボ関係がまたピリピリしてきてる
まぁピリピリしてない時期があるのかと聞かれると無いがな モンテネグロのポドゴリツァでチトー像が今日除幕式
国防相までわざわざ参加 クロアチアの民族主義者ってトゥジュマンが第二次大戦中、
チトーのパルチザンにいたことをどう思ってんの? >>953
想像はできる
「チトーの時代は良かった」
「チトーの弟子なら民族主義の時代になっても上手くバランスよく乗り切れるだろう」
チトーのカリスマ性はイデオロギーと関係ないから >>954
マケドニア国名問題もついに終止符か
まぁ合意する与党がマケドニアもギリシャも双方あまり強くないので不安は残るんだが 早速ギリシャで与党の連立から一つ政党が抜ける
あっちも大変 ttps://en.wikipedia.org/wiki/Mirko_%C5%A0undov
現クロアチア軍トップのSundov氏、語尾に-ovがくる姓のクロアチア人って
珍しい気がするけど本来はSundovicだったんやろか 民族的にはセルビア人ながらクロアチアで生まれ育ったニコラ・テスラ、
セルビアでは首都ベオグラードの国際空港にもその名を冠してるけど
現在のクロアチアではセルビア人という事でこれでもかというくらいに
こき下ろされてんのかな? トリエステ市のサンヴィト地区は、
オーストリア=ハンガリー帝国→イタリア王国→ナチス・ドイツ→
ユーゴスラヴィア→トリエステ自由地区→イタリア共和国
と帰属が変わっている トリエステ市が18世紀にハプスブルク君主国の主な港となったとき、
経済発展に伴い人口が増えたが、トリエステに移民した多くの人は、
クラス地方とイストリア半島内陸のスラヴ系(スロヴェニア人とクロアチア人)
であった。
1848年に起こった「諸国民の春」革命を節目に、この領域に住んでいた
イタリア人、スロヴェニア人、クロアチア人などがそれぞれの
民族運動に参加し、対立し始めた。 オーストリア人の中にはドイツ化したスラヴ系を祖先とする人がいるみたいだけど、
ヴェネツィアとかトリエステのイタリア人の中にもイタリア化したスラヴ系を祖先と
する人がいたりして(ヴェネツィアはダルマチアを支配下に置いてたし) そりゃいると思うぞ
スラブにルーツがあると自覚して目覚めた人間も多いようだが スカンデルベグ
アルバニアの英雄、抗オスマンの英雄
イスラム教徒の心境は複雑か? 別に…
ギリシャだって多神教時代の歴史を顕彰してるし
民族ナショナリズムの接着剤足りうる偉人はいろいろ免除されるのだよ カトリックのポーランド、スロヴァキア、クロアチア、スロヴェニア、
プロテスタント〜無神論のチェコ、
正教のロシア、ウクライナ、ベラルーシ、セルビア、ブルガリア、北マケドニア、
イスラム教のボスニアほかのムスリム人、
ソルブ人はカトリックとルター派、
スラブ民族は見事に割れてるな そういや第二次大戦中はクロアチアのカトリック聖職者が率先して虐殺行為に
加担してたような 率先してチトーに弾圧されたけどな
偉いのはステピナツ以外死刑にされたレベルで粛正されたんじゃないの >>938
あの国境は面白いぞ。
アドリア海沿岸道路は、
モンテネグロ〜クロアチアに行く時、一瞬、ほんの800メートル位?だけ、
ボスニアを通るが、律義に、
モンテネグロ出国⇒ボスニア入国⇒ボスニア出国を繰り返す。
クロアチアの先に、一瞬スロベニアを通ったり、旧ユーゴ国境のトリエステから
イタリアに抜けたりもする場所があるが、最早ここはEUなのでパスポート審査はない。 >>312
旧ユーゴでは、しゃがむタイプの和式トイレは普通にある。
というか、トルコ式トイレというのかな、あのスタイル。 半世紀くらい前だと、日本の文化人の留学ものや旅行記など読むと
パリでも「トルコ式トイレット」を使っていたりする
「洋式」と呼んでいるあれは元々アングロサクソン圏、いやアメリカだけだったのかもしれない ユーゴ国民歌謡:Od Vardara pa do Triglava【ヴァルダルからトリグラヴまで】
ヴァルダルは、マケドニアのテッサロニキ国境近くの地名。トリグラヴは、スロベニアのトリエステ国境近くの地名。
クロアチア語の歌だけど、多くの旧ユーゴの人がみんな歌える。とても良い歌です。
ユーゴ国民歌謡:ヴァルダルからトリグラヴまで@
https://www.youtube.com/watch?v=6UtsPxI-0X8
ユーゴ国民歌謡:ヴァルダルからトリグラヴまでA(英訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=y7qGsL2vfAo
ユーゴ国民歌謡:ヴァルダルからトリグラヴまでB(ユーゴ風景・歴史写真バージョン)
https://www.youtube.com/watch?v=DeZR5vK6qZ0
ユーゴ国民歌謡:ヴァルダルからトリグラヴまでC(ユーゴ風景・歴史写真バージョン)
https://www.youtube.com/watch?v=FSKo38c7lJo
ユーゴ国民歌謡:ヴァルダルからトリグラヴまでD(ユーゴ軍バージョン)
https://www.youtube.com/watch?v=r7OwB3SqX-g
ユーゴ国民歌謡:ヴァルダルからトリグラヴまでE(ユーゴ歴史写真バージョン)
https://www.youtube.com/watch?v=xBB9RvVr-2k
ユーゴ国民歌謡:ヴァルダルからトリグラヴまでF(チトーバージョン)
https://www.youtube.com/watch?v=2gGLo4prhNQ
ユーゴ国民歌謡:ヴァルダルからトリグラヴまでG(チトーイズムよ、永遠なれ!)
https://www.youtube.com/watch?v=2oGA-2njRVo
ヴァルダルからトリグラヴまでH (オーストラリア移民バージョン メルボルンにて。)
https://www.youtube.com/watch?v=mXi_oTSgodQ
ヴァルダルからトリグラヴまでI (きれいなパーティ会場にて。)
https://www.youtube.com/watch?v=vxtJr0QKrHM
ヴァルダルからトリグラヴまでJ (セルビアテレビ 60周年バージョン)
https://www.youtube.com/watch?v=1byesXTiHak
以下のような、大セルビア主義丸出しの歌は、仮にセルビア人でも敬虔深いチトー主義者引いてしまうので、ちょっと勘弁。
セルビア軍歌:コソボはセルビア
https://www.youtube.com/watch?v=ca5wKP8vtMQ
ユーゴスラビア軍歌(ミロシェビッチを讃える歌)
https://www.youtube.com/watch?v=CeOgYHfOTTY スロベニアが他より経済的に一歩飛び抜けているのは
イタリア・オーストリアのお蔭? >>979
山がちではあるが立地が明らかに良いからな
鉄道網の整備も早いうちに終わってる >>979
スロベニアの旧通貨トラルはドルと同じくターラー由来か >>981
長らくイスラムの支配下に置かれその影響を強く受けた
スペインやポルトガルでもそんな感じ? 南欧と東欧、特に公衆トイレではしゃがみ型が普通だって言ってる
フランスはイスラム化したことなんかないだろ
つまりイス型はアングロサクソン圏から広まったんだよ
https://en.wikipedia.org/wiki/Squat_toilet バルト三国の公衆トイレも20年ぐらい前はしゃがみ式だったな
思いだしたワ インド・パキスタンのトイレもトルコに似たしゃがみ型。
でも、インドやパキは、お尻を洗う水を調達するのに苦労する。
万が一足りなくなったら半裸のまま桶に水汲みに行ったりしなきゃいけないし、
トイレも汚いことが多い。
イラン以西のトルコ式だと、流せる紙がある場合も多いし、
トイレの中にホースがあって、水をふんだんに使えるので清潔。
トイレの個室に備え付けのホースで放水して、お尻に直接噴射するか、
水をかけ流しながら手洗いして手動ウオッシュレットにしたり、
万が一便器の周辺が汚い場合も、ホースの放水で掃除してしまえばよい。
トイレのキレイ度は、高級ホテルとかでない限り、
インド・パキスタン<<西欧<東欧<トルコ=イラン
かもしれない。
インドの場合は、手動ウオッシュレットにしても、遠くにある桶から汲みに行って、
汚れた手も桶の水をまた汲んで洗わないといけない。
桶の水もボウフラが湧いたり、限りなく腐っているような場合もあって、
水道の水が直接使えるわけじゃないと、衛生的に心配だったりもする。 水槽や桶を便器から離す意味ってあるのか?
ああ桶が共用なのか
インドネシアなら個室で便器のそばに水槽があって柄杓に手が届く
インドでも水差しがあって汲んでおけるだろ どれが「それ」なのかよくわからないけどもういいだろ クロアチアのメシッチ元大統領、今はチトー信者爺さんみたいな扱いになってるな
右派のポータルにボロクソ書かれる程度には嫌われてる メシッチはトゥジマンと決裂してからだんだん左旋回してて今は反ファシズム協会でスピーチしたりする存在
第三世界の縁で親中にも傾いてるから親西側の民族主義者というのは過去の話 乙〜
スレ完走に7年かかったが半分ぐらい去年からの書き込みだな チトーの生まれたクムロヴェツのユーゴ共産党の政治学校跡の廃墟を
中国の富豪が買ってチトーの功績を観光に活かすつもりらしいね
全体主義時代を顕彰なんぞするなという層と歓迎してる層に別れてるようで チトー時代のユーゴは中国で人気あるからな
改革開放時代に真っ先に入ってきた外国映画は
日本の君よ憤怒の河を渉れと意外におしゃれなユーゴ映画だった 映画マニアで一度見た映画の内容はだいたい覚えてたらしい、チトー
記憶力も良かったそうな >>997
チトー、周恩来、マスード将軍(アフガニスタン北部同盟司令官)
このあたりの政治家が、中国や旧東側諸国辺りの人には人気があるね。
ルーマニアのチャウシェスクとかみたいに、
スターリン批判以後改革派を気取ってたら、孤立したり制裁食らったりもあって、
フルシチョフ時代のソ連よりも、もっと散々な目にあった東側諸国民も多い中で、
ユーゴは相当によくやっていた方。 このスレッドは1000を超えました。
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