【冊封】朝貢体制【貿易】
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歴代の中華王朝が行った周辺国との外交関係
中華から見た朝貢国、朝貢国から見た中華
貿易の実態や冊封と朝貢、藩属国や互市国など
朝貢体制について様々に語ろう 日本の進んだ文化を唐や新羅、渤海が学ぶため派遣していた
遣日使とかいう学説が近年発表されているそうだけどこれって妄想臭くて信じられない
そのころの日本に多数の留学生が学んでいた学校でもあったならしんじるけどさwww
唐では出世や金儲けの機会はないが発展途上国の日本でなら
進んだ技術と知識を持った知識人として歓迎されるから帰化した人達でしょ 753年 正月の事である
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%8F%A4%E9%BA%BB%E5%91%82
唐の玄宗皇帝が 諸外国を長安に集めて正月の参賀を行なった。
玄宗皇帝は天子南面で、その南の東西に各国の使者が並ぶ。
当初 東の第1席は 朝鮮半島の新羅であり、
日本の席次は第2位であった。
それに対し日本の遣唐使の大伴 古麻呂が玄宗皇帝に異議を申し立てる。
大伴 古麻呂「新羅は古来より わが日本に朝貢している国である。
その新羅より日本が下なのは おかしい!」
唐の大臣「日本が東の第1席の事に異議を申し立てております」
唐の皇帝・文武百官や 諸外国の代表も驚いた。
玄宗皇帝「日本は堂々とハッキリとした態度で良ろしい。
東の第1席は日本にするが良いぞ」
「唐書」「続日本記」より 軽く愛国修正してるな
原文だと日本と新羅が俺ガー俺ガーって席次をごねはじめて朝賀が進まなかったので
アッバースと吐蕃が気を利かして新羅を西の一位、日本を東の一位にして丸く収めたということになってる >>511
帰化したわけじゃないが、札幌農学校のクラーク先生もアメリカでは近年まで無名だったらしいね。
大学時代、アメリカ人教授にクラーク先生の話をしたら「誰それ?」状態だった。
日本農学の父と話したら喜んでいたが「アメリカ人の誇りを知ることが出来て嬉しい」と言っていたので、アメリカでは本当に無名なんだろう。 >>471
新羅と唐の律令べつもんだし唐が新羅王を擁立しようと企てたのも一回だけで
しかも羅唐戦争で敗退して結局あきらめてるだろ 古麻呂奏曰。大唐天宝十二載。歳在癸巳正月朔癸卯。百官・諸蕃朝賀。天子於蓬莱宮含元殿受朝。
是日。以我、次西畔第二吐蕃下。以新羅使、次東畔第一大食国上。
古麻呂論曰。自古至今。新羅之朝貢大日本国久矣。而今、列東畔上。我反在其下。義不合得。
時将軍呉懐実見知古麻呂不肯色。即引新羅使。次西畔第二吐蕃下。以日本使、次東畔第一大食国上。
別に大食やらが気を利かせたわけではなく中国側の判断
新羅を西の第一にしたという記述もない 正確には
日本が席次に異議を言ったら
新羅が事大主義丸出しで「ウリのほうが唐に近いニダ ウリのほうが偉いニダ」と喚きはじめて
「属国のくせにうるさい黙れ」と一喝されて引き下がった 古麻呂奏して曰く「大唐天宝十二年。癸巳正月朔癸卯。百官・諸蕃朝賀す。天子、蓬莱宮含元殿において朝を受く。
この日、我をもって西畔第二とし吐蕃下に次し、新羅使をもって東畔第一とし大食国の上に次す。
古麻呂論じて曰う「古より今に至るまで新羅の大日本国に朝貢すること久し。しかるに今東畔の上に列し、我返りてその下にあり
義得べからず。」と。時に将軍呉懐実、古麻呂の肯せざるの色を見知し、すなわち新羅使を引きて西畔第二、吐蕃の下に次し
日本使をもって東畔第一、大食国の上に次す。
大まかにいうと新羅が東の席次第一なのを見て西の席次第二にあった日本使の古麻呂が不機嫌そうなのを見て呉懐実が根回しして席次を入れ替えたというだけの話
ごねてるのは古麻呂だけ 脳内変換してた>>514ちゃんはどこへ消えたんだ? まあ古麻呂も、日本は唐の臣下って自覚はあったと思うよ。 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3) >>520
全くの素人だが、今日でも席次の上下に拘るのが外交というものらしい。
それと共通するかは解らないが、我が社で近々行われる暑気払いで誰が上座かを間違ったら、幹事たる私の執務能力には重大な疑問がつくだろう。 なぜ日本は古代中国にたった1度も朝貢したことがないのか=中国
http://news.searchina.net/id/1623567?page=1
→なんじゃ、この妄言はw 渡党(蝦夷)・松前には、幕府から蝦夷地との独占「交易」権が与えられたが
アイヌ・蝦夷地は「心任せにするように(勝手にさせろ)」と幕府から何度も釘を刺されてた
だから松前藩は
渡党(松前)・アイヌとも蝦夷(大和とは異民族)同士での放任主義の代理統治だった
アイヌは、清朝など大陸に朝貢・山丹交易して
蝦夷錦(中国の官服)や青玉(ガラス玉の一種)を貴重品としたが、よく借金し
山丹人がその借金のカタにアイヌを山丹人居住域・大陸に連行し下人として使役したり
家財を奪い取るなどしてた状態
(さらに千島方面からはロシアのコサック・囚人兵軍団が侵攻してきた)
そこで、幕府は松前の放任主義では駄目と判断、蝦夷地を直轄地として
アイヌの借金払ってやり、交易を官営化して外国勢力を排除し、北方防備を図った >>526
奴国王と卑弥呼が日本の支配者ではないというのは理解できるが
足利義満が支配者じゃないというのはねえ >>526
>>528
いや、サーチナが正解。おまえらが不正解。
朝貢する国王は、その属国の国内ヒエラルキーの頂点でなければならないという、
絶対の法則がある。いわゆる「臣下に外交無し」の原則。
トップを押さえなければ、その属国を従えたことにならない。
だから中華皇帝としてもこれは絶対の法則になる。
いくら野蛮な盗賊上がりの明朝でも、日本に天皇が存在していて、
征夷大将軍は天皇の任命による臣下の官位であることくらい、当然知っていた。
足利義満はここを詰問され、ごまかしにごまかして言いくるめ、
やっとこさ日本国王の位を認めてもらった。
だから、あれは中国からみれば、明朝皇帝を騙して日本国王位を騙取したようにしか見えない。 >>530
天皇が君主じゃないだけの話だろw
外交で越権される天皇ざまあwwwなだけの話だろw
日本国王位は秀吉の時もそうだが臣従を意味していることも理解できないとはw そもそも君主という概念も曖昧だろう
日本においては将軍がいて天皇より権力があって、
将軍には権威がなく天皇がそれを認めていた
対外的には天皇が日本の天子、皇帝で、将軍は文字通り、将軍や関白、便宜的には大君
中華皇帝も天皇は立場上認められないが、存在は理解していて事実上黙認するしかなかったが、
日本近代化以降はいろいろあって中華皇帝と天皇は=の存在であると認めた
それ以上でもそれ以下でもないだろう
中華皇帝だって事実上、実権を宦官に奪われたような形の時期があっても皇帝だった
秀吉は別に中華王朝の皇帝の前に出向いて冊封されてもいないし儀式らしい儀式も行ってないだろう
冊封使を受け入れても、日本からも使節を送ってもない
当然中国名も直接貰ってないし、他の冊封国の王に課せられた義務も何もない
せいぜい、中国側から一方的に服を送りつけられたくらいだろう
中華王朝は周辺の異民族に対して一方的にこういうことをやって、なびいてくるか様子を見るのはよくやっていた
中華冊封体制に入っていたのは朝鮮や琉球くらいだろう、極東地域では、
琉球の場合半属国的扱いだったし、日本との両属すら暗黙の内に認められていたくらいだからな
厳密な意味での冊封国はガチガチにやられていた朝鮮くらいだろう
日本でが厳密な意味で中華皇帝に臣従していた時代はないだろう
明らかに冊封されていた古代ですらかなりゆるゆるな、名目だけの冊封関係だった
中国は似たような冊封関係は他国とも結んでいて、こういう関係は珍しいことじゃなかった
臣従していたら天皇から位ももらうなんて中華王朝的にはありえない話だろう
仮に臣従していたとしたら、日本国王のくせに関白?、殴るぞ
とばかりに懲罰戦争されて、皇帝の前で土下座、石碑でお詫び、
奴隷を毎年数百人送れということになるだろう
征夷大将軍とかの位もありえないからな、本来中華にとっては
日本国王の位をもらいながら将軍も黙認されていたのは冊封がどれだけいい加減なものかを物語っている
中華皇帝的には自分が唯一の天子で周囲の夷の上に君臨するという建前すらも怪しくなる 【日中】「日が昇る国」 なぜ日本は古代中国にたった1度も朝貢したことがないのか[11/22] [無断転載禁止]©2ch.net
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1479793174/
古代中国はアジア全域に大きな影響力を持っていた 、
周辺国は古代中国の各王朝に朝貢を行っていたが、
中国メディアの今日頭条は18日、
日本は古代中国の周辺国家とは異なり、「これまで一度も古代中国に朝貢したことがない」と論じる記事を掲載した。
記事は「日本は歴史上少なくとも3度、中国に朝貢していた時期がある」と主張する見方が一部で存在すると紹介する一方、
実質上そのどれもが朝貢にはあたらないと否定。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ アメリカン大助教授の本の紹介の記事で
http://www.chinafile.com/library/books/chinas-hegemony
how Japan created a miniature tributary order posing as the center of Asia in lieu of the Qing empire in the seventeenth century.
17世紀に日本が清朝に代わってミニ冊封体制を築いた
と書かれていますが、これは薩摩藩の琉球侵攻の話でしょうか? 朝貢とは異なり古代から北方民族に対して「互市」という交易形式があった。
清国の時代、日本に対しては西洋とともに「互市」として交易船を行き来させていた。 足利義満の朝貢を語るなら、その前置きとして、
九州の懐良親王が「日本国王 良懐」として明に朝貢してた
ことにも触れないと、それまでの経緯が分からない。
中世の日本は中央権力が弱いバラバラな国。
明の朝廷としては「日本国王が朝貢してきた」という
名分が欲しいわけで、たとえば九州の島津氏でもいい。
京都としては、九州勢に大陸貿易の利権を持っていかれる危機だ。
足利義満としては、なんとかしなきゃいけないところ。 朝鮮は、朝貢ではなく藩属。
チベットやウイグルと同じで、中国の一部だ。
「朝鮮は、実は中国の一部だった」という、習近平とトランプの話は正しい。
韓国は、近代の日本が中国から切り取って創った国。
それがなかったら、普通に中国の自治区だっただろう。 中華の皇帝にとっては、「周辺国が皇帝の徳を慕って来貢してきました」
という、国内向けのセレモニーが大事。
それが、国内における権威の確立につながる。
この点は江戸時代の日本も同じで、朝鮮通信使や琉球使節に、わざと国内を練り歩かせた。
今の中国共産党がやってる「反日戦勝記念式典」とかも一緒。
各国首脳は、座っている習近平と会うため、
外に敷かれた長い赤じゅうたんの上を歩かされた。 朝鮮って、清朝皇帝から国王に冊封されていたんじゃなかったのか?
朝鮮の統治者は二品官っす。本来五品官の土司・宣撫使で二品官ってありえないっす。
清朝の文書の何がソースですか? >>541 >>545
同じ従属でも、明と清ではかなり意味が違う
明のときは朝貢してただけだが、清には軍事的に占領されてるから 大清皇帝功徳碑文
愚かな朝鮮王は、偉大な清国皇帝に逆らった。
清国皇帝は愚かな朝鮮王をたしなめ、己の大罪を諭してやった。
良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9e/%EC%9D%B8%EC%A1%B0%EC%9D%98_%ED%95%AD%EB%B3%B5.jpg >>537
日本が独立させてあげるまで奴隷国だろw 明清って、朝貢と冊封がセットのはずなのに
朝鮮は朝貢と任官でセットって異様だな 豊臣秀吉の朝鮮征伐が失敗したのは、たった2回であきらめてしまったのが主因。
地続きの清でさえ、5回にわたる侵攻でやっと朝鮮を屈服させた。 国力は弱小だけど、「ウリの宗主国は中華の大明ニダ。おまえら野蛮人とは違うニダ」
と、態度だけは異常にデカかった朝鮮。
ホンタイジを本気で怒らせてしまった。 アイヌは13世紀登場の新参民族だが、交易用の職業的狩猟も盛んだし
「古代中国⇔アイヌ」で朝貢交易もやってた
アイヌは、サンタン交易で、羆・エゾオオカミ・狐などを獲った毛皮と交換で
中国製の派手な絹織物・官服、ガラス玉などを、大陸から入手して貴重品としてた
アイヌ玉と琉球玉−「交易による蓄積」と「下賜による沈潜」 - 津田塾大学
http://www2.tsuda.ac.jp/kokken/48kano.pdf
> 江戸後期末に探訪した記録によると
> (出版1893年、探訪者[1775〜1864]は著者の祖母)、
> アイヌの人にとって、数個のガラス・ビーズ、銀のコイン、光るなにかは幸せにする。
> 熊、狐、狼、アザラシの高価な毛皮が、「ほとんど価値のない数個のガラスと交換され、
> 貴重な毛皮の財産を一対のブリキ耳飾りに用いる」(Lamdor, p.248)。
> また、アイヌの少女にとって首飾りは、生涯における夢である。
(日本のガラス製造は16世紀に再興済で、江戸後半は庶民もガラス製品に親しんでた)
貴重な毛皮を、大陸のガラス玉と交換 アイヌは朝貢してたな
アザラシ・オオカミなど殺してその毛皮と交換した、大陸製ガラス玉・服などを宝物扱い ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 17世紀の沖縄って、ヤマトより文明的だったんだよね。 (^^) まずアイヌ(意: 人間、成人した良い人)は1民族では無くて
部族ごと慣習・言語が違い、政治宗教の統一性もない、アイヌ系各部族の総称
アイヌは13世紀ごろ現れた新参者で
周辺の民族への侵略を繰り返し、アイヌ各部族間でも殺し合い続けてた
・アイヌが、ニヴフへ渡海侵略を繰返し、ケツ持ちの元朝が怒りアイヌに懲罰遠征した
元朝による「北からの蒙古襲来」
※アイヌが侵略したのは、ニヴフの鷹狩職人拉致、猛禽の羽根の流通掌握、と言われる
知床「オロンコ岩」↓ 、アイヌが先住民オロッコ(ウィルタ蔑称)を虐殺した口伝↓で有名
http://www.h3.dion.ne.jp/~oyama/boukenn-folder/bouken-ainu-dennsetu2.htm >>557
https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%BD%BF%E7%90%89%E7%90%83%E9%8C%84_(%E5%A4%8F%E5%AD%90%E9%99%BD)/%E5%8D%B7%E4%B8%8B
>教書,教武藝,師皆倭人,聰警雄俊則不逮倭。器械亦鈍朽,具數而已。
書や武芸を教ている先生はみな倭人です。知恵や武勇に関しては倭人にはかなわないようです。武器はガラクタ揃いで数が揃っているだけです。 アイヌが古代中国に朝貢してたのって
アイヌが樺太や大陸を侵略して、被害者の訴えで元がアイヌ懲罰したのがきっかけだよね 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
XJZ2L ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています