遊牧民の歴史って、いいよな [転載禁止]©2ch.net
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ここは遊牧民の歴史を語る場ですか…?
遊牧民の種類を書き込む所? >>17 遊牧民辞典的な?
WODAABEウォダベ
フランス語で「WODA」はタブーを意味しWODAABEはPeople of Taboo 「タブーの人々、タブーを守る人びと」を意味します。タブーは「禁忌」とも訳されます
もともとの宗教は自然崇拝ですが17世紀にはイスラムへ改宗。それでもイスラム以前の文化と伝統が多く残されています。 続きます 続き
角の大きな“ボロロ牛”と呼ばれるゼブ牛、ラクダ、ロバなどの家畜を飼い、雨期の6〜9月の間、雨にあわせて南から北へと移動してきます。兄弟とその妻たち、子供たちからなる複数の家族の集団で移動し、牧草地に数日滞在し、また移動していきます。 欧州車のフォルクスワーゲンの車に
トゥアレグがありますが、何故敢えて
イスラム教圏の遊牧民の名前をつけるのか
不思議ではあります。
エルメスでもノマド(フランス語で遊牧民)
という時計があるのですが、
ヨーロッパ人は遊牧民に絶大なロマンスを感じるのでしょうか。 日本車のネーミングだって適当だろ
いちいちロマンなど感じない。 そもそも欧州車では、記号以外のネーミングつける習慣って薄かったよな
アメちゃんや日本車のやり方を無視できなくなったところに、ロマンなど微塵も感じてなさそう 確かに、BMWやベンツ(パッと思いつく所で)は記号ですね
エルメスは、スカーフにも遊牧民のモチーフがあったので、何か思いを馳せていたのかと考えました。
元々エルメス自体が、部族やオリエンタルを好むブランドというのもあると思いますが、
スレ違いになってしまうので、この辺で。 それよりもフォルクスワーゲンのゴルフって何じゃい?
あの車にゴルフの道具を積んでゴルフ場に行くことを想定してるのか? 日本車でもRX−7、GTR、NSXとか記号もあるだろ >>25
自分もそう考えました。
ビートルは車の形を形容しただけですがポロは…よくわからないですね。
トヨタのレクサスはアルテッツァ→ISハリアー→NX
という名前を取っ払って全て記号にしていますね。
ブランドイメージの為なのでしょうか。
本当にスレの方向性がわからなくなってきたので
遊牧民について、お話したいですね。 支那人 「匈奴の奴らはホントおっそろしいから万里の長城でも築くべ」 歴史に詳しいやつにタタール人は時代によって指してている民族が変化したと言われたんだがドユコト? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB
ウィキぺをざっと見てみると
モンゴル帝国以前→突厥から見た室韋や靺鞨などモンゴル高原東方の民族
モンゴル帝国時代→室韋の子孫とされるモンゴル系の塔塔児部
モンゴル帝国以降→明朝から見た部族連合四十モンゴル(韃靼)、ヨーロッパ人から見たテュルク・モンゴル系諸民族
現在→ロシア連邦タタール共和国の主要民族、中共の識別する塔塔児族(ロシア領内からの移民の子孫)
といったところか いまのロシアの一部をなすタタール共和国って首都はカザン、かなり西のほうに行ってしまったな >>39
つまり純粋なタタール人だけ指してたわけじゃないって事なんだな。まあそいつは遊牧民族はほかの民族と同じようなところに住んでるから民族としての名前というより集団としての名前だとも言ってたけど 今のタタール人は東ヨーロッパにおけるかつてのタタールの中のごく一部にしか過ぎない
金帳汗国の末裔からカザフ、キルギス、バシキールなどが個別の民族として区別されていった結果残ったのがヴォルガ・タタール、シベリア・タタール、クリミア・タタール 金帳汗国の末裔っていってももっと昔の目でみると突厥の末裔だったりフン族の末裔だったりするのかな >>44
>>45
以外に、タタールゆかりの食い物ってあるのかな 今手元にないからあれだけど、先日読んだ本に遊牧民族は上層部以外の構成員はあまり血縁が濃くないって書いてあったんだけどわけわかんねー >>50
その短文だけじゃどういう文脈かまったくわかんねー
大遊牧帝国も部族連合にすぎないとかそんな話か?婚姻政略はそれなりにしてるとは思うがな >>52
んーと、遊牧民族同士は居住域が近いから実際は大して変わらんとか吸収されて実態が区別できないとか、そんなこと書いてたかな・・・。
機会があったら見直してみる >>50
公家や両班みたいに庶民の汚らわしい血を混ぜるなというような文化は無かったて事でしょう 海外でタルタルステーキ食ったことあるけど、ネットで検索してでてくるような
半熟や生卵じゃなかったんだよね
普通のボイルド
タタール人は生卵で食べてたんだろうか、、、 >>55
まず西洋の言うタルタルとは、上ですでに述べられている通り非常に広義な意味を持つので検証不可能である。
要するにどの民族の文化なのかわかりません。 >>56
西洋人からしたら
タルタロスから出てきたような凶悪な連中がタルタルってことじゃね
いくつも種類があるウイルスが「風邪」って呼ばれてるのと同じで
馬に乗って襲撃してくる連中は見分けが付かなくて全部タルタル >>56
日本でエキゾチックで珍奇なものは何でも「南蛮○○」と呼んだのと同じ >>57>>58>>59
だから要するに解んないんでしょ? >>38
遊牧民は征服された民族が支配層の民族名を自称する慣習があるから
たとえば今のウイグル人は実際はトカラ人の末裔であって昔のウイグル人とは何の関係もない ん? おかしいぞ?
トカラ人じゃアーリア民族やんか
ウイグル族はトルコ人のはずだが 凶悪でなかったら郷土とか強度とか呼んでたんだろうか >>63
民族と人種の違いできてるか?
ウイグル人は民族的にはトルコであってるけど人種的にはイラン系民族だぞ お前もイラン系とトカラ系をごっちゃに使うなよ
R1a.とR1bで血統的に違うから >民族的にはトルコであってるけど人種的にはイラン系民族
この短い一文のなか、前半と後半で「民族」の使い方が相違していてセンスの無さがうかがえる。 >>66
帰順後の南匈奴は恭奴って呼ばれたことがある 降伏恭順したからだろうw
もともとフンヌって民族名の発音に漢字をあてた 語族的にはウイグル人はトルコ系だけど遺伝的にはあんまり関係ない >>67
現代ウイグル人はR1a.とR1b両方の血統を引き継いでるからな
遺伝的にアーリヤ系でもあるしトカラ系でもあるそれにツングース系であるC3も若干混じってる 現在のウイグル人は
回鶻のいた地域に住んでいるからウイグル人と名乗っているだけ
元朝成立後に廉希憲(「元史」126)道童(同144)や全普庵撒里(同144)高昌y氏(「新元史」136)
みたいに個別に元朝に仕えて漢地に赴任し、土着・漢化したものも多いけど
決定的だったのが元朝とチャガタイ・ハン国の抗争で
ウイグル王国が元朝側に付いてチャガタイ・ハン国に土地を取られ国を追われたこと
その後、元朝がウイグル奪回あきらめちゃって朶児的斤の代に荊南王にして代替地与えてるけど
伯顔不花的斤の代に陳友諒に滅ぼされてる↓
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%96%B0%E5%85%83%E5%8F%B2/%E5%8D%B7116
残った人々も漢文化復興の気風の明代になって漢化せざるを得なくなったんだろう
帰るべき土地も無くなっているし
チャガタイ・ハン国占領期以降に移り住んだのが現ウイグル人 別に現在のウイグル人が回鶻の子孫ではないという訳ではないぞ
言語的に見ればカルルク語群の話者は全て回鶻の子孫だがウイグル人以外はウズベクやサラールという民族名で呼ばれているというだけで ウイグル王国南遷は外部の力によるものだけど
元朝ってさ
上記ウイグル人の他に康里とか西夏とか汪古とか女真とか
反抗した者を取り潰しつつ
帰順した者に対して恩賞の名目で南に移して
北の草原はモンゴルで独占しようとしてたみたいだな
江戸幕府が天領と譜代で周囲固めて外様を遠隔地に移したみたいに 最近じゃアケメネス朝やフランク王国でさえ征服王朝て言うらしいね。前近代のユーラシア大陸全土に適用できるパターンみたいな >>78
うーん、アケメネス朝は領土の過半が旧メディア王国領なんだよねぇ
ペルシアはもともとメディアの傘下にあったんで、浸透王朝ならまだしも征服王朝というのは無理があるかな
メソポタミアとかエジプトの立場でいえば征服王朝と言えなくもないけど、単に対等以上の強国に敗れただけという感じ 移り住んだんじゃなくてウイグル人がずっと来る前からのオアシス定住民の子孫が今のウイグル人
直接の先祖としてはソクド人とかあのあたりだろ アファナシェヴォ文化人がBC2000年頃までに南下してタリム盆地に住み着いた、これが現代ウイグル人の第一基層
言語はトカラ語で唐代前半には話者が消滅、ホータン語・ソグド語などのイラン語派話者あるいはテュルク諸語話者として上書きされる
イラン語派話者は10-12世紀にかけて消滅、タリム盆地全体がテュルク諸語話者で占められるようになる >>80
でもモンゴルって
大人しく帰順すると貢納取るだけの緩い支配だけど
反抗すると見せしめとして職人以外は皆殺しだったはず
ウイグル国王が連れて逃げた以外は殺されたんじゃないの? あのさぁ・・それは攻城戦での話で現代でも一つの国の人間をすべて皆殺しにするなんて不可能に近いだろ
金とか南宋とかどうなんのって話 >>77
>北の草原はモンゴルで独占しようとしてたみたいだな
いやいや上都やカラコルムとかにめっちゃ移住させてるけど >>81
みんなミヌシンスクからやってきた〜 ってやつかな >>85
なにが言いたいのかわからん
アファナシェヴォ文化はアルタイ山脈の南側まで分布してるからタリム盆地までは近いんだが フィンランド→ゲルマンに同化
ブルガリア→スラブに同化
エストニア→バルトに同化
ハンガリー→マジャールのまんま、、孤軍奮闘 >>80
スレ違いだし大っぴらに言っちゃいけないことだけどさ
ユダヤ人とかも
今のパレスチナ人が棄教して現地に留まったユダヤ人の子孫で
今のユダヤ人はハザール人が改宗したものだよな >>76
キルギスっていうのは素人や大学受験生。
歴ヲタはクルグズって言わなきゃならぬ。 間違えねえよ
ウイグルとウイグル獄長ならよく間違えるが ユダヤ戦争で国を奪われたユダヤ人が数千年の時を経て故郷に戻って来たとか言う
イスラエルのファンタジー史観はほんと何とかなんねえかな
実際にローマが連れて行ったのは精々10万人程度だし圧倒的大多数は現地に留まってその後も何度も反乱起こしてる
アッシリアに連行された10氏族の連中もペルシャで「数え切れないほど多い」と記録されるぐらい大繁殖してたようで >>92
共同体や国家が成り立つためには、また人間が生きていくためには物語が必要です。その人が「そういうことにして」生きているなら横から「それは史実じゃない」なんて言わなくても良いやん ウイグル獄長なんて平成生まれのガキんちょは知らないだろw >>93
他の人たちの物語にそれが干渉も影響もしないのならばそう言えるかもしれんが・・・ >>93
それで先祖代々住んでいる正統な土地の所有者が
偽者に土地を奪われてるんだけど 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組の官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカメラを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミ出しとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化し使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄に落ちる、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全ては自分の出来心から起こった事で、どこに訴えると言う訳にもいかないのですが、
なんとかあの人たちと縁を切った上で新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 モンゴル帝国も元王朝もあっという間に滅んじゃったよな
(・w・)?
元はフビライ以外が空気過ぎる イラン系遊牧民じゃなくて東アジア遊牧民の国で長生きしてる国が無い
元々からして分散を繰り返す民族なんだろう
大陸の中央を勢力下において東に西に移動しやすいのに
ユダヤ人のようにどこにでも居るって印象が無いのが弱さかなあ >>105
ユダヤ人は土地に馴染んでなんでもやるけど木場民族は馬に乗って人を殺す以外何もしないし >>106
ヌルハチ即位から辛亥革命まで300年だけど >>105
ジンギスカン裔の王様を頂く国は18世紀半ばまで続いたよ。
ジンギスカンが王様になったのが13世紀頭だから、なんだかんだいって五百年つづいたことになる 大ハーン位を最後まで保持してたのは清か?
ロマノフ朝も大ハーン位を持ってたような気がするが >>110
その割には随分と長いこと黒海北岸のクリミアを攻めあぐねてたな >>105
匈奴はフン族を除いてもえらい長寿命だよ
頭曼から劉淵までだけでも550年 国と呼べるほどしっかりした統治機構があったとも思えないが 劉淵は頭曼単于の直径の子孫だよ。
頭曼ー冒頓ー老上ー軍臣ー・・・於夫羅・・・劉淵 と続く系図、見事に繋がってるぞ。
つまり、源氏、徳川幕府や足利幕府、北条・・・などと同じ。
レンテイ家っていう一族の専制王朝。 スペインの王様はブルボン家出でブルボン家はロベール家の分家でロベール家はヘスベイ家の分家でヘスベイ家はカロリング家の分家で
カロリング家とその前のフランク王家のメロヴィング家はどっちもサリ支族の出で、サリ支族はユリウス氏族から分かれ出たクランで、
ユリウス氏族はアイネイアスの子孫、アイネイアスはトロイヤの王家の出だから、トロイヤ戦争で陥落したトロイヤ王室の後裔。よう続いてるよな。 フン族と同じルートでヨーロッパを直撃した東方遊牧民族が、ついにその後1000年現れなかった。
ブルガールだのマジャールだの、ちまちま来ているのはいるが、
中部欧州以西を、大勢力で東から突いて西ヨーロッパを震え上がらせるのは
モンゴル帝国を待たなければならない。
これは逆説的な話で、今度は南から一瞬だけ突っ込んできたイスラム勢を除けば
西ヨーロッパは「誰も来ない」ものだから、
終わりなき無知蒙昧な中世封建制を、延々と続けることになり、
かえって世界の僻地になってしまった。
西ヨーロッパがもう少し、他民族に揉まれていたら、
十字軍のような、出鱈目な阿呆妄想による無意味な進軍ではなく、
きちんとした勢力拡大として
第二の共和政ローマになって東方拡大=西からの再統一が出来たかもしれない。 モンゴルがヨーロッパを征服しなかったのは貧しくて特に取る物もなかったから
ローマ帝国くらい豊かだったら間違いなく攻めてる フン族とかは東で負けて西に逃げてきたわけだけど
モンゴルは東で負けていないから西を必ず征服する必要はなかった >>120
遠すぎるからだよ
ハーンが死ぬとモンゴル帰らないといけないからね
イルハン国の位置が西の限界
それさえトゥルイ家の結束があればこその建国であったわけだし 当時イスラム世界は軍事と経済のバランスが経済寄りだった
なので武力で制圧するとおいしい
ヨーロッパは軍事寄りだった
制圧してもコストが嵩んでおいしくない
遊牧戦闘民族は海洋国家を好んで捕食してきたんだ
大陸国家は相手にすると損だから >>121
やはり匈奴西遷移説だよな、いちばんしっくりくるのは 西のフンと東の匈奴は戦果的にはほぼ同じ
勝ちはしたが継続はできなかった
中国では結果論で追い出したから中国が勝ったと主張
ローマでは最終的には瓦解したが直接戦闘で潰したわけではないのでフンは強かったと評価 >>126
追い出してないだろ。漢なんて終始貢物を納めてあんまり手痛く攻めないでくれと土下座懇願
そうこうするうちにどっぷり支那風になってしまって五胡十六国でチャイナの王様やら貴人やらになったりしだした 平治の乱後の平家もそうだけど、屈強な兵士も戦と質素な生活を忘れて
都に定住して華やかな生活に染まれば
体には脂肪がつきまくり体力武力は衰え弱体化する
これは古今東西問わずそう 野に放り出せばマッチョ化するけどね。
平家も源氏ももとはお公家さんなのに東国シメて来いと遣わされて長くいるうちに武装して…… うむ 古代って貴族が下野して武士の流れも結構あったな
匈奴だって、伝説上は中原の夏の王族で争いに敗れた一派が北西方面に逃れて
遊牧生活を始めたのが始まりってことになってるらしい
尤も大昔の半ば伝説であり信ぴょう性などない >>127
チャイナの王様やら貴人やらになったのは冉閔に虐殺された 南匈奴は漢化した後は腹に脂肪がつきだし、あれだけ強かった戦闘民族だったが弱くなってしまった http://i.imgur.com/oOpqw0U.jpg
通り道でハンガリーもいろいろ大変だったね、
いろいろに支配されて、
アバールて、いまいるか? >>133
その絵のなかの大ブルガールがハザールに圧迫されて、ハーンの息子達がそれぞれに移動
そのうちドナウ河口にいった系統が第一次ブルガリア帝国を築いて、806年にはアヴァールを併合
ちなみに別の息子はアヴァールに入って臣従したりと、大ブルガール時代から両者は繋がりが深かった
その時々の優劣で臣従したりされたりという間柄で、最終的にアヴァールはブルガリアの中に溶解したと思えばいい
もちろんその過程で両者ともスラブ化してる、そして後にマジャールの侵入でそっちと新たに溶け合った者もいるだろう >>134
混血混血の繰り返しやね?
どうもありがとう アバール柔然説ってフン匈奴説ほどメジャーじゃないよな >>134
パンノニアでスラブだからスロバキア人がアヴァールの末裔なのか? あの辺はごちゃごちゃに混血しまくってる気がする
フンの後裔のロシア人もいるしアヴァールの流れをくむ東欧人だっているだろう >>137 うーん、どうだろうね
いい忘れてたけど、アヴァール崩壊の最大の要因はカール大帝にボコられたこと
それでドナウ西岸からチェコにかけてフランク勢力圏になった
ブルガリアは既に死に体となっていたアヴァールの残りの支配域をすみやかに接収した感じ
経緯からすると、アヴァールは縁のあったブルガリアの従属下に入る道を選んだのではなかろうか
仮に両者から逃亡するにしてもフランク領からは距離をとったのでは・・・スロバキア東部とかならアリかもしれん バルカン界隈だけじゃなくユーラシアは昔も今もごちゃごちゃしてる チトーは棚上げ先送りの達人だっただけでいつかは破綻したと思うよ フンとか精々数万程度しか人口いないでしょ
スキタイの末裔のロシア人のほうが圧倒的に多いよ ________∩_∩
/ ノ ヽ ( ノ⊂ ̄))) ̄⊃
/|ヽ (_ノ ._ ̄ 0'ヽ 0'
/ |ノ .) (_) ヽ i ( ムシャムシャしてやった
∋ノ | /――、__ ./(∩∩) 草なら何でもよかった
/ /| ヽ__ノ | / ./ 今は反芻している
| ( | ( ’’’ | ( /
|__ヽ.L_ヽ Lヽ_ヽ
''" ""''"" "'''''" ""''"" ''" ""''"" ''" ""''"" ''" ""''"" "'''. ウクライナ、ロシアコサックの勇猛さはスキタイの末裔であることをよく表してる
スキタイって実はイラン系じゃなくてスラブ系だったんじゃないの? ロシアコサックがイラン系からスラブ系に言語交替した可能性が高いのでは? イラン周辺もスラブの香りがするキリル文字になればいいのに >>153
アゼルバイジャンってキリル字使ってないのか・・ >>105
遊牧国家 ゆうぼくこっか ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
> 実力主義で王位を継承することが多かったため争いが頻発し,いずれも分裂したり,
> 短命国家に終わることが多かった。
・征服した地の豊かな文化に染まり、「モノは必要最低限」の遊牧民文化が薄れる
・遊牧民の慣習「領地領民の分割相続」により、内乱・分裂・君主の弱体化を招く
・たいてい、「四方八方戦争吹っかけて回ったツケね。」 となり各国が反乱起こす 元はEUはしはいできたのに支配しなかった。
不衛生でペスト蔓延したのも理由
でそんな僻地いかなくても、中国、インド、イスラムを支配してたし、イスラム圏に文明があったから、euに価値はなかった
けど、モンゴルが支配した地域は結局その影響で近世、近代という時代に遅れるんだよな。
モンゴルは社会を単純化、原子化、荒廃化させちゃって、この出遅れで中国とか大幅に遅れるんだ
結局なんでEUには大航海やる金や日本軍がモンゴル軍規模の軍団をモンゴル脅威や中国脅威がないのに作れるのさってのが答え
遊牧民はインド、中国、イスラムって地域つながりを紛争的、混乱的つながりにして、それらの地域を送れさせたんだ。 >>159
> 元はEUはしはいできたのに支配しなかった。
そんな時代にEUがあったとは驚きだ フン族=匈奴のほうがより西へ侵入したろ
蒙古は東欧どまり 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
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