超マイナーな歴史上人物を挙げるスレ

1世界@名無史さん2018/02/12(月) 22:58:12.340
偉業を成し遂げたけど無名の人物含め、色々挙げてけ

2世界@名無史さん2018/02/13(火) 01:04:46.270
ステファン・ドゥシャン
セルヒア帝国の王で黄金期を築き、皇帝を名乗る

ポール・バラス 
フランス革命で恐怖政治に終止符を打つ
しかしその中身は革命を食い物にした悪徳の士

レオポルド2世 
極悪人ながらあまりその事実は知られていない

3世界@名無史さん2018/02/13(火) 12:47:31.020
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%B3%95
ハーバーとボッシュ(アンモニアの人工合成法の発明者)
これにより大量の化学肥料と爆薬の製造が可能に
20世紀の人口爆発と世界大戦の創出者
>>2
レオポルト2世はスターリンなみにやばい
ベルギーとコンゴという国自体がマイナー

4世界@名無史さん2018/02/13(火) 12:54:45.300
>>2 >>3 超マイナーというほどかな?
下手すれば高校教科書に載っていそう。

5世界@名無史さん2018/02/13(火) 13:01:30.990
高校理系化学履修者は知ってて当然だよ ハーバー・ボッシュ法
灯台受験生ならばその名を全員知ってるんじゃないかな

6世界@名無史さん2018/02/13(火) 13:28:59.850
俺の先祖は地元の1万2千石大名の家老の三男坊。
幕末に年貢率を急にあげたのに反対して立場をわきまえず
一揆の先頭に立ち、座敷牢に入れられ、廃藩置県で解放されるまで10年。
家からは絶縁されたので村民の協力により荒れ地を開墾して住み着き
今に至る。

7世界@名無史さん2018/02/13(火) 17:31:48.940
座敷牢10年か、家族も大変だったろうな

8世界@名無史さん2018/02/13(火) 18:36:12.780
バラスとかハーバーとか、そんな有名人の名を挙げるとはどういうつもりか。

9世界@名無史さん2018/02/13(火) 19:19:34.340
>>3
レオポルトってスターリンみたいに人民代議員の97%を粛清したり
20代男性の人口を9分の1になるレベルの虐殺や戦争をしたの?

10世界@名無史さん2018/02/13(火) 19:55:37.400
述律皇后
耶律阿保機の皇后。八部大人を抹殺して耶律部の独裁を確立したのも、渤海を落したのもすべて皇后の謀略による。
阿保機自身は渤海を落してすぐに崩御しており、大興山脈以西の版図はすべて、皇后が自ら戦陣で馬を駆って平定したもの。
事実上、遼の実質的な建国者である。

ホエルン
夫のイェスゲイ亡きあとボルジギン氏を率いる。
ジャムカを破って覇権を確立した十三翼の戦いもチンギスではなく指揮を執っていたのはホエルン。

睿智蕭皇后
南征軍を起こし澶淵の盟を結び、遼の北宋に対する優越性を確立する。
史書では三軍を統率していたのは睿智蕭皇后だと明記されているのにも関わらず、なぜか教科書では聖宗の功績にされている。

三娘子
アルタン・ハーンの王妃。騎射を得意としアルタン亡きあともトゥメトの首領を率いてオイラート部の覇権を維持し
明からは宣府、大同、甘粛に至るまで20年間、兵を用いる必要がなかったと称される。

女の軍事指導者というのは、どうも学者の女性像からは大きくかけ離れてるらしく
大抵その功績は夫か息子かもしくは最初からなかったこと扱いされることが多い。

11世界@名無史さん2018/02/13(火) 21:25:08.180
ムカリ ボオルチュ チラウン ボロクル
ジェべ ジェルメ クビライ スブタイ
いずれも四駿四狗でチンギスハンの優秀な側近

12世界@名無史さん2018/02/13(火) 21:40:19.180
>>8
世界史に残る偉業をなしとげた人物なのにマイナー
偉業を成し遂げた人物は当然有名なわけで
つまり矛盾するから視点によっては有名人が挙がるのは仕方ない

13山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/13(火) 22:10:53.760
シャナクダケト
紀元前2世紀以降、それまで女王が基本的に存在しなかったスーダンには「カンダケ」の称号を持つ
女王たちが相次いで出現したが、その初代に当たる人物。
自らを「ラーの息子」と称し、レリーフには武装して描かれているが、同じカンダケで後にローマと衝突
するアマニレナスも武名で知られた。
『ナショナル・ジオグラフィックス』は世界史上の偉大な女王50人の1人に挙げている。

けっこうな偉人だと思うのですが、スーダンの歴史自体がエジプトのおまけのような扱いを受けている
せいか、某やる夫聖杯戦争スレで初めて知りました。
同じスレで>>10の述律皇后やティン・ヒナンも出ていて、初耳ではなかったものの感心。

14世界@名無史さん2018/02/13(火) 22:21:34.200
教科書に載っていないなら、マンコ・カパック

15山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/13(火) 22:32:52.860
倪瓚(げい・さん)(1301-1374)
字は雲林。元末明初の文人。富裕な家に生まれて仕官せずに風雅を事としていたが、後に
混乱の中で52歳にして故郷を離れ、74歳にして帰郷し、親戚の家に没した。
山水画で後世に名を残した人物であるが、彼ほど渇筆を利用して描いた人物も珍しい。
余白を大胆に使用して空間と水を表現したが、そこに現れたのは水を見て水を欲するほどに
乾いた世界であって、花鳥はおろか人物すらまず描かれることがなかった。

近代日本の文人画家である長井雲坪(死後、夏目漱石が評価)は山水に人物を描き込むこと
を好まず、頼まれれば後姿の人物を一人描いたというが、倪瓚の場合は人物を描いた作品は
一点だけであり、誰も居ないことを指摘されると「この世に人間というものがいたとは知らなか
った」と答えたという逸話が残されている。

文人画家というのは近代に至るまで変わり者が多いが、倪瓚は極度の潔癖症であり、例えば
客が庭にあった桐の木を汚した際には、根元から切らせたという。
孤高の気を漂わせた彼の絵は、絵の境地は真似がたいものであるが、後世惹かれる者が多
く、贋作も筆意に倣った作もおびただしく作られ、影響は現代東洋画にも及んでいる。

16世界@名無史さん2018/02/13(火) 22:56:18.060
日本史の話になって恐縮だけど物部氏永
国衙軍や後に武士へと発展する軍事貴族が台頭する遠因を作った人物
なのに教科書や概説書では何故かスルーされがち
奇しくも同年新羅で反乱を起こし後三国時代のきっかけを作った哀奴、元宗とは
えらい違いである

17世界@名無史さん2018/02/14(水) 05:48:37.920
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AA
バルトロメオ・クリストフォリ
ピアノを発明した人物なんですが
あんまり有名でないような…
http://www.googletop.info/?p=587
3年前に生誕360周年ということで
googleトップページを飾った人

18山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/14(水) 05:56:50.600
王維(699〜759or701〜761)
詩人として著名な人物ではあるが、マイナーなのは彼の偉業の内、文人画の祖としての絵画面である。
文人画とは、要は職業画人の絵に対する、文人が詩の素養と書の技能で以て描いた絵を意味する。
王維が詩・書・画の三者(この三者に秀でた人物を三絶と呼ぶ)に秀でていたからこそ可能となった技で
あり、山水画の皴法の一つである披麻皴は、彼の創案にかかるという。

実に器用な人物であり、音楽にも詳しく、どんな曲を演奏しているのか分からない絵を入手した人がいた
時、王維に見せるとたちどころにどの曲のどの場面かを言い当てたという逸話が残されている。
後世、文人画は技量以上に感性と閃きで魅せる絵であると言われたが、技能的にも優れた面を発揮して
「(気韻よりも)技巧に走り過ぎている」と却って批判されたほどであった。

残念ながら、宋代にはまだあったらしい王維の絵は(真作らしき物は)現存しない。
阿倍仲麻呂と懇意にしていたことから、彼が帰国していれば貰った絵を持ち帰って日本国内に伝えていた
可能性もあるが、帰国が叶わなかったのは周知の通り。

同様に絵画面での偉業が知られない人物に、与謝蕪村がいる。
かつては俳人蕪村を知る者が画人蕪村を知らず、画人蕪村を知る者が俳人蕪村を知らぬことがあった。
しかし、今では俳人蕪村の方が著名であろう。文人画を能くし、また俳画を極めた偉人である。
「偉業を成し遂げたのに知名度に繋がっていない」という意味で挙げた。

19山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/14(水) 06:12:22.730
韓志和
唐の穆宗に仕えたとされる日本人。
鳥の木彫りが得意であったが、内部にカラクリをとりつけると鳥は百尺も飛び上がり、彫ったの
がネコであれば、ネズミやスズメを捕らえてみせたという。
足を踏み入れれば竜の姿が現れるカラクリを披露した際には皇帝を驚かせてしまい、その謝罪
として蜘蛛の集団の細工を披露、これは涼州舞を舞って見せ、勿論ハエも捕らえて見せた。
皇帝は喜んで褒美を下賜したが、それらは人にやってしまった。終わる所を知らずという。

金剛三昧
晩唐の随筆『酉陽雑俎』に、著者の知人として名を挙げられた日本人の僧侶。
中天竺を二度訪問してナーランダー僧院で玄奘三蔵の壁画を見たといい、四川にも足を運んで
いたという話が書かれているが、日本側に記録はなく、伝記は不明である。

霊仙三蔵
興福寺の僧侶で、最澄や空海と共に唐に入り、後に日本でも珍重された『心地観経』の翻訳事業
に参加、皇帝から訳経僧の称号である「三蔵法師」を下賜される。
玄奘が最も有名であるが、同じ称号を持つ僧侶は複数存在する。
しかし、日本人で中国皇帝に認められた三蔵法師は、霊仙だけであった。
最後は名声を妬まれて毒殺されたといい、円仁の『入唐求法巡礼行記』に記録が残されている。

20山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/14(水) 21:09:23.950
「然(938〜1016)
平安中期の僧侶。東大寺に入って華厳宗・三論宗を学び、また真言宗も学んだ。
972年、友人の義蔵と「愛宕山に一大伽藍を建立し、仏法を興隆せしめ、死後は兜卒天に転生
して弥勒菩薩の弟子となり、衆生を救済しよう」という誓いを立てる。
それから11年後、呉越国を経由して宋に入り、太宗に拝謁。
よくネットでここだけコピペされている「宋の太宗が日本では王朝が途絶えていないことを聞い
て嘆息した」という逸話は、この時のことである。

中国(※)ではすでに廃れていた『鄭注孝経』等を献上し、紫衣と旅費・物品を与えられて文殊
菩薩の聖地である五台山(清涼山)に巡礼。
巡礼後に都に戻って太宗に再度拝謁すると法済大師の号を授けられ、完成したばかりの勅版
大蔵経5048巻を始めとした経典を下賜されると、帰国の途に就く。
当初は中天竺までの巡礼をも考えていたらしいが、現実不可能と判断されたらしい。

台州で印度から伝来した「生きた釈迦を写した」という像を模刻するよう工匠に依頼、完成した
像を携えて帰国すると、天皇・貴族に歓迎される中、愛宕山に念願の大伽藍建立を企図した。
しかし、延暦寺の反対により頓挫。
東大寺別当に上るものの計画は果たせず、代って没後に弟子が愛宕山下に新寺を建立した。
五台山(清涼山)を意識した寺の号は、五台山清涼寺。
宋の工匠によって手がけられた本尊と共に現存する同寺は、現在浄土宗に属している。

※「哲学ニュース」あたりに転載された際、コメント欄で「当時中国なんてない」と言われた時の
ために述べておくと、四夷に対する「中国」は『詩経』や『呂氏春秋』にも見られる言葉である。

21世界@名無史さん2018/02/15(木) 00:50:30.740
哲学ニュースの管理人って昔よく狼板で暴れてたヒスおばさんでしょ
こんな過疎板でもその名を聞くようになるとは感慨深いなぁしみじみ

22山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/15(木) 06:17:35.750
>現実不可能と判断されたらしい。
現実的に不可能、の間違いです。失敬。
高岳親王、栄西、明恵らも中天竺行きを計画して果たせませんでした。
明恵に至っては道中の日数まで計算して実現出来なかった。
もっとも明恵が天竺行きを諦めた年には、ヴィクラマシーラ僧院がイスラーム勢力により破壊されており、
その10年前にはナーランダー僧院も破壊されていたので、この時期には就学ではなく聖跡の巡拝が目
的になっていたとはいえ、行っても居づらかったでしょう。

23世界@名無史さん2018/02/15(木) 10:55:28.530
>>17
去年1月〜3月のNHKラジオ第二放送、芸術その魅力「バッハ一族とその音楽」
でジルバーマンとクリストフォリを並べて取り上げていた。
クリストフォリがピアノ製造を本業にしたのに対し、ジルバーマン弟はオルガン製造の
片手間にピアノに手を出してた程度。
大バッハが使っていたのはこのジルバーマン。
バッハはやたらとピアノには注文を出してたらしいけど現存する曲は結局みあたらず。

24世界@名無史さん2018/02/15(木) 11:20:50.320
早速脱線するけど、かつてNHKFMバロック音楽の楽しみで皆川達夫氏が、
大バッハは草創期の技術未完成のピアノには全く関心が無かった、と言ってた。
ジルバーマンのピアノを複数台所有し、こうしたほうがいい、ああしたほうがいい
と口うるさく注文をしていたことは当時知らなかったのかな。

25世界@名無史さん2018/02/15(木) 19:13:08.870
インドと中東の学者全般
教科書に載ってるのってイブン・スィーナーぐらいか?

26山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/15(木) 19:46:49.570
バッハといえば、バッハが「死後忘れ去られていたのがメンデルスゾーンの再演で再評価された」
とよく言われますが、音楽家・インテリの間ではその間も知られており、楽譜が何度も書写されて
いたということですね。
メンデルスゾーンはバッハの「マタイ受難曲」をコンサートに引っ張り出し、自らの指揮で演奏した
が、そもそも過去の曲をコンサートで演奏するという習慣自体が定着していなかったとか。

27山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/15(木) 20:15:27.250
>>25
こういうスレで真っ先に挙げられるのはラマヌジャンでしょうか。
かつては扁鵲と並び称された名医の耆婆(ジーヴァカ、ジーワカ)も今やマイナー偉人。
マキャベリは有名なのに、『実利論』の著者に仮託されたカウティリヤは無名。

学者では初期の進化論者であるウォレス(ウォレス線に名を残す)、感染防止のための手洗い
を主張したゼンメルヴァイスも功績の割に無名。
ゼンメルヴァイスと同時代人のナイチンゲールは、当時の常識通りに包帯を使いまわしていた
ところ、感染したせいでナイチンゲールが来る前に放置されていた頃より兵士が死亡、統計の
結果、自分に問題があることに気付き、新規の包帯を大量に用意する様かけあっています。

1、原因を数字で突き止める 2、自分に問題があったことを認める 3、物資を全力で確保する
これを全部やったところが、ナイチンゲールのナイチンゲールらしい偉業。
運もありますが、ゼンメルヴァイスの中身がナイチンゲールなら、あんな最後は遂げずに済んだ
やもしれず、その辺りが同じ偉人でも知名度を分けたと言えるかも知れません。
子供向けの伝記小説・漫画にするにしても、救いが無さ過ぎる。

28山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/16(金) 06:07:16.920
牧谿
日本限定の中国の偉人、というややこしい人物。
13世紀後半に活躍した禅僧であり、水墨画で名をなしたが、その作品は線を用いない没骨という
描法を用いた物であった。
中国では画の六法といって踏まえるべき六つの要諦が存在していたが、牧谿の作品は穏当に過
ぎ、かつ筆跡による感情表現に乏しかったことから、六法中最も重視された「気韻生動」に欠ける
ところありとし、中国では重んぜられなかった。

ところが、ちょうど禅文化を輸入していた日本では、牧谿の作品がおおいに好まれた。
元々日本では掛軸と言えば仏画・神画の礼拝用であり、観賞用には屏風や絵巻が用いられてい
たのだが、日常生活の万事に仏道を見出す禅宗の影響で、山水や花鳥、禅宗史上の人物の姿
も掛軸で鑑賞されるようになっていた頃であった。
温雅な作風が、画の六法について知られていなかった日本人の好みに合致したのである。

足利将軍家では、夏珪や梁楷と並んで最上級に位置づけられ、模倣する画家が続出した。
ただの後追いではなく、実力も見識もある一流の画家も牧谿の作品を意識した作品を残した。
漫画『へうげもの』には牧谿の作品や名前が何度か登場しているが、主人公古田織部が俵屋宗達
に対し「いまだ牧谿の模倣」と言っていたのは、その影響の甚大さを前提にしている。
全ての画家があからさまに模していたわけではないが、意識するなというのは「永井と富野を連想
させることなくロボットアニメを作り、かつ名作化せよ」というくらいの難題であった。
現在、作品の多くは日本に伝存しており、日本向けに明から贋作も輸出されたと考えられている。

近代日本で最も上手い日本画家である竹内栖鳳(弟子の上村松園や、同時代の横山大観よりも
マイナー)は画室に牧谿の竹雀図の複製を掛けていたが、雀図を得意としていた彼ですら、牧谿
ほどに上手い雀を描くことは容易ではないと、自ら述べていたという。

29世界@名無史さん2018/02/16(金) 12:39:09.460
俺の祖父

30世界@名無史さん2018/02/16(金) 21:52:41.980
すぎはらあだち

31世界@名無史さん2018/02/16(金) 22:40:34.550
潘銅
www.geocities.jp/jiangnankejp03/book/jnihonzo/nihonzo_3-4.htm
>もともと浙江省の人だったが、幼いころ倭冦にさらわれて十年ほど日本に住んでいた。その間、鏤金の技術を習って、「金銀倭花」を彫刻する技をことごとく身につけた。
>帰国してからはその特技を生かして銅器をつくり、世には「仮倭炉」と呼ばれる。
>潘銅のつくった「倭尺」は一見して他と違わないが、中腹を空にして文房具十数点を内蔵している。またハサミは折り畳み式につくられ、当時は珍しいものとされる。
>その他、「銅合子、途利筒、彝炉、花瓶」などは金銀を象眼し、模様を彫り刻み、倭製の本物に勝るとも劣らないほど精巧を極めているという。

32世界@名無史さん2018/02/16(金) 23:17:04.810
鳥居強右衛門のエピソードは涙不可避
なお名前

33山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/17(土) 06:35:02.920
国友一貫斎(1778〜1840)
江戸後期の銃工。京都新聞の連載小説で主人公を務めたこともあるので、同紙の読者にとってはマイナーでもないか。
ロシアやイギリスの船が日本近海に出没する緊張した時代、西洋の知識を貪欲に吸収し、オランダ製品を調べた上で
改良した空気銃を製作したこと、硝石の不足を懸念しつつロシアの樺太襲撃に悩んでいた幕府の命を受け、鋼鉄製の
弩を製作したこと、銃の製法を公開した上で規格化したことが、武器に関する主な功績である。
空気銃を製作した際、充填する空気から「空気に重量がある」ことに気付いた最初の日本人ともいう。
彼の空気銃は、最終的には20連発が可能な性能となっていた。
また倍率60倍の反射望遠鏡を製作し、月面等のスケッチを残したことから、小惑星の名前にもなっている。
実際に飛ぶような構造ではなかったが、グライダーのような飛行機械の図面も残していた。
スケッチも含め画力も優れていたらしく、彼の肖像画は、彼が自分が描いた鷹が絵から飛び出したという夢を見たので、
絵師の山縣岐鳳に描いて貰った物である。

同時代人の久米通賢(1780〜1841)も、空気銃を含む技術者としての成果を出した有能な人物。
1815年に中国の兵書からホイールロック式の銃を考案し、1839年には雷管式の銃も開発している。
しかし、戦後の平和教育の影響か、この二人が「郷土の偉人」とされる場合でも銃器関係は等閑にされている気がします。

34世界@名無史さん2018/02/17(土) 12:33:47.310
ところで、ムササビの世を忍ぶ仮の姿である山野野衾氏はメジャーなお方なの?

35山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/17(土) 16:54:43.610
ヘンリー・キャヴェンディッシュ(1731〜1810)
イギリスの化学者であり、両親とも父が公爵という名門に生まれた。
家柄相応の莫大な遺産を相続しており、英国有数の資産家であったため、引きこもって好きな
研究に熱中することが出来る環境にあった彼は、生涯に多くの重要な発見をした。
水素やアルゴンの発見、シャルルよりも早いシャルルの法則の発見、オームよりも早いオーム
の法則の発見などである。
しかし、極度の人間嫌いであり、人と会っても会話をしない程であったため、彼の研究成果の多
くは死後に発見されたものである(応答は基本的にジェスチャーや筆談)。
とにかく変わり者であり、以下のような逸話が伝えられている。
(仲良くしている夫婦を見て)「あれは何をしているのか?」
(肉は羊しか食べなかったが)「羊は何本脚があるのか?」
(死の前に告解僧を呼ぶことを勧められて)「僧とはなんだ?」

係累のジョン・キャヴェンディッシュ(?〜1879)も、極端に風変わりな人物であった。
父が死ぬと十年の歳月と莫大な遺産の一部を費やして屋敷の地下に一大空間を建設、中心に
は100m四方を超える居室があり、一角にはどういう訳か古い髑髏が飾られていた。
主のジョンは常に仮面をつけており、死んだ時にも仮面を外させず、そのまま葬られたという。
地下空間からは五十以上の出入り口が伸びており、出しぬけにどこからか現れると使用人たち
に命を下したり、なまけているのを叱責していた。
また地下室から直接馬車を繰り出させてロンドンへ行ったが、その際従者たちは馬車を置き去り
にして一旦立ち去り、また迎えに来なければならなかった。
主がその間どこで何をしているかは誰も知らず、そもそも窓も閉められているので、主が本当に
馬車の中にいるのかすら分からなかったという。
貴族院議員であったが、議会にも顔を出さなかった(こういう人は結構いたらしいが)。

36山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/17(土) 16:56:24.920
数学者の岡潔(1901〜1978)も、天才と変人で著名な人物。
突然道端で数式を書き出す、くらいならよくある行動であるが、滔々と喋り出しもした。
ネクタイは締め付けるので嫌い、着物を着ても帯で締め付けるのは嫌い、革靴も嫌い。
天皇陛下の御前に革靴を履いていかせるのに家族が必死になったという、5歳下の本田宗一郎
のような逸話がある。
広島で教鞭をとっていたことがあるが、ある日精神を病んで突発的に強盗(複数の中学生から
所持品や自転車を奪う)を働いて外で寝ていたのを逮捕され、療養生活を送ったことがあった。
数学の問題に熱中しすぎたためともいう。療養させてくれたのは、雪の結晶で有名な一つ上の
友人である中谷宇吉郎。

憂国者であり、神代には健康的であった日本人の精神が大陸文化の影響で衰えてしまったとい
う持論を展開していたが、山崎弁栄(これも変人)の思想に帰依した、熱心な仏教徒でもあった。
しかし、大学へ行く途中にあった石の地蔵に石を投げるのが日課であり、当たればそのまま行き、
外れると帰って休講にしてしまっていたという(真偽不明とも)。
ある講演に呼ばれた際には、呼んだ方が待ち合わせ場所を間違えてしまい、相手が間違えてい
ることには気付いたが「正しい側が間違った側に合わせることはない」とそのまま帰ってしまった。

37山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/17(土) 16:56:55.200
>>34
今年の『史学雑誌 −回顧と展望−』でお探し下さい。

38世界@名無史さん2018/02/17(土) 17:43:47.050
キャベンディッシュって現在メジャー品種のバナナ?

39世界@名無史さん2018/02/17(土) 17:47:47.710
>>36
ドラマ化される程の超メジャーな有名人

40世界@名無史さん2018/02/17(土) 17:51:26.180
超マイナーな歴史上の奇人変人を挙げるスレになってまいりました

41世界@名無史さん2018/02/17(土) 18:00:34.210
あまり知られていない偉人ではなく、単にマイナーなだけの人物を挙げるスレになった

42世界@名無史さん2018/02/18(日) 18:54:26.550
山野さんのキャヴェンディッシュで連想したが、
世界史的にかなり著名な割に日本ではほとんど知られていない人物として
トーマス・キャベンディッシュ(Thomas Cavendish 1560-92)の名が挙げられる。

いったい何をした男か?マゼランとドレークに引き続き、史上3番目に世界周航に成功した
航海者である。日本語版のWikipediaには項目すら出来てないが・・・

Why? せめて銅メダルぐらいまでは注目しようよ日本人。

43山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/18(日) 21:27:28.550
航海で思い出したので。
ロドリゴ・デ・トリアナ
コロンブスの「アジア航路」探索の航海で使用された三隻の船の内、ピンタ号に乗っていた人物。
初めて陸地を見つけた人物に褒賞を出すと約束していたコロンブスは、ピンタ号の合図の大砲の音
により、「あと三日で陸地が見つからなければ引き返す」という約束は守らなくてもよいことを悟った。
コロンブスが「あと3日」と約束したのは10月10日、発見は11日の午後10時、確認は12日の午前2時。
まさにぎりぎりの所であり、どの道ヨーロッパ人により「新大陸」は「発見」されたであろうが、コロンブ
スが失敗していれば、細かいずれが大きな流れを変えていた可能性もあろう。
アメリカの人工衛星ディスカバーの初名はトリアナであり、同名の競走馬も存在する。

コロンブスたちは「発見」の前に、人工物にしか見えない杖が流れているのを見つけていた。
それで士気が上がったようであるが、まさか流した当人もそれで地元が悲惨な目に遭うとは思うまい。

44山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/18(日) 21:51:02.560
>>42
>Why? せめて銅メダルぐらいまでは注目しようよ日本人。
三番目どころか、二番目に高い自国の山(正解は北岳)すら知られていないでしょうね。
一番と二番より、二番と三番以下の方が近いと言います。
しかし、ドレイクが二番目というのは、本人の功績もあって有名ですね。

キャヴェンディッシュでは、マーガレット・キャヴェンディッシュ(1623?〜1673)が、英国では
初めて出版を意図して文章を書いた人だとか。これも偉大かつマイナーでしょう。
女の身で目立つことをして批判されたというのは、時代は違っても世界各地でありえた話。

ドレイクと同時代に活躍したイングランドの探険家がジョン・ディヴィス(1550頃〜1605)。
世界を股にかけた末に、なんと日本人との戦闘で死んでいる。

鹿児島のベルナルド(?〜1557)
日本名不明。フランシスコ・ザビエルから洗礼を受けて、彼の旅に同行した。
ザビエルが日本を離れても同行し、ザビエルの死後にゴアを経てリスボンに入り、日本人で
最初にヨーロッパに到達、ローマ教皇にも謁見したが、コインブラで死去した。
ネットで検索しても、天正少年使節を「最初にヨーロッパへ行った日本人」と勘違いしている
人がかなり多い。

45世界@名無史さん2018/02/18(日) 21:56:25.440
バナナのキャベンディッシュもグロスミッチェルも人名由来なのかな?

46山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/18(日) 22:33:26.250
>>45
ざっと検索しただけですが、前者は温室栽培させた第六代デボンシャー公にちなむようですよ。
水素を発見したキャベンディッシュの祖父が、第二代デボンシャー公です。

47世界@名無史さん2018/02/18(日) 22:38:53.310
>女の身で目立つことをして批判されたというのは、時代は違っても世界各地でありえた話。

キャヴェンディッシュ自身は相手が女だと挑発されても世辞を言ってやり過ごし
反論しようとしない紳士気取りの男ばかりなことにむしろ心底嫌気がさしていたんだけどね

48世界@名無史さん2018/02/19(月) 03:11:24.250
まあだいたい女を批判するのは女

49世界@名無史さん2018/02/19(月) 09:18:49.050
バントゥースタン諸国の政府首脳の存在はこれからの世界史において
永久にマイナー扱いになるんだろうなー

50世界@名無史さん2018/02/19(月) 21:05:05.610
生物学者なら

岩崎卓爾
30歳で気象台職員として石垣島に赴任、69歳で死ぬまで石垣島の自然を研究
イワサキクサゼミなどその名がつけられた生物多数

堀川安市
32歳で台湾へ渡り自然を研究するも
63歳で終戦を迎え財産を失い研究成果も台湾に残したままいち引揚者に
しかしそこから96歳で亡くなるまで長崎の貝類を研究

51世界@名無史さん2018/02/19(月) 21:44:55.200
藤原実方

平安時代中期の貴族。
百人一首の「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」を読んだことで知られる。

あるとき宮中でほかの貴族と口論のすえ、彼の冠を放り投げる。
それを帝に見とがめられ、陸奥の国に左遷されてしまった。

死後にスズメに生まれ変わり、出世できなかったことを恨んで宮中の米を食い荒らしたという。

なんてみみっちい…
天神さんくらい、壮大な祟りをなせないものか

52山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/19(月) 22:31:13.370
>>51
恋の熱さを灸に喩えたのが面白い歌ですね。
百人一首には上手い歌なのに入っていないという意見もありますが、文屋康秀といい、春道列樹といい、
上手さ(定家基準ということもある)以上に「外せない歌」を入れています。

『源平盛衰記』にある話ですが、死因は道祖神を侮ったことへの神罰というものでした。
出典が同じ話で、物部守屋は死後啄木鳥となって寺をつついたとされています。
当時の鳥の性質の起源に関する伝承を取り込んだものでしょう。
実在する入内雀(ニュウナイスズメ)は、秋になると東北地方から南下するそうです。

なお、喧嘩を売ったとされるのは日記『権記』の記主であり、三蹟でも知られる藤原行成。
父の藤原義孝も百人一首に歌が収録されており(因縁のある右近の歌もある)、日本初の往生伝である
『日本往生極楽記』に往生人として記載される、知る人ぞ知る人物でした。
義孝は兄の挙孝と同日に病死して両親を嘆かせていますが、行成は藤原道長と同日に死んだせいでほ
とんど注目されたなかったという話があります。

慶滋保胤の『日本往生極楽記』は源信の『往生要集』、源為憲の『法華経賦(現存せず)』と共に宋の有志
宛てに送られたものの、流布はしなかった様ですね。
保胤の父の賀茂忠行は陰陽師で、弟子が安倍晴明。
本レス中、知名度が高いのは晴明と源信くらいなのが残念なことです。

53世界@名無史さん2018/02/19(月) 22:40:40.540
アッラー・ヴェルディハーン

サファヴィー朝のシャー・アッバースの忠実なるグラームの将軍
グラームとはサファヴィ版イエニチェリみたいなもの
アッバースの黄金期を支えた将軍でイスファハーンに彼の建設した橋が残る
この橋はアッラー・ヴェルディハーン橋もしくはスィー・オ・セ橋と呼ばれ
世界で最も美しい橋として知られている

54山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/20(火) 05:49:21.550
釈迦の妻子
まずヤショーダラーとラーフラ、この二人は有名。
マノーダラー:詳細不明。死別か別居かは不明であるが、釈迦出家時には城内にいなかったらしい。
ゴーパー:美貌で知られた釈迦族の娘であるが、釈迦が成道後に帰還した頃には亡くなっていた。

ウパマナ:釈迦の息子
スナカッタ:釈迦の息子とする説もあるが、釈迦の教えに反逆した人物として知られている。

以上は出典により異なる。とりわけ妻については三人とする複数の文献があるが、名前は一致しないものが多い。
祖父の代に現在のアフガニスタンあたりに移住し、更に本人が中国に移住して鳩摩羅什と問答したという仏駄跋
陀羅は、釈迦の父の子孫であるというが、釈迦の子孫とはされていない。
事実とすれば釈迦の異母弟の子孫であろう。少なくともナンダという人物がおり、本人も妻も美貌であったという。

55世界@名無史さん2018/02/20(火) 17:35:00.810
>>40
山野さんも2ちゃん世界史板の歴史に残ろ奇人変人だよねw (これは称賛してるんだよw

56世界@名無史さん2018/02/20(火) 18:49:11.410
✕ 2ちゃん
○ 5ちゃん

57世界@名無史さん2018/02/21(水) 02:32:47.990
すぎはらあだち

リトアニアの英雄、日本人の誇り、安倍総理も絶賛

58世界@名無史さん2018/02/22(木) 07:40:28.950
文天祥も日本ではマイナーよね
政治家では緒方竹虎とか

59世界@名無史さん2018/02/23(金) 02:15:34.920
ソフィア
イヴァン3世の妻 最後のビザンツ皇帝の姪

60世界@名無史さん2018/02/23(金) 03:47:33.570
>>58
昔の日本では文天祥は常識的知識だった
文天祥に習って「正気の歌」を自作した人も多い

第二次大戦後になってから文天祥が日本人の常識の範囲から外れた
太平記と同じ

昭和の軍人達が「正気の歌」を信奉してたのがまずかったのだろうな

61世界@名無史さん2018/02/23(金) 17:17:49.140
>>58
そうかね?高校世界史で習うレベルじゃないのかな?

62山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/23(金) 19:49:51.150
>>60
>文天祥に習って「正気の歌」を自作した人も多い
藤田東湖の「和文天祥正気歌」は歴史上の「英霊」を謳い上げ、死しても護国の鬼となることを述べたもの。
文部省の『国体の本義』にも引用されたもので、靖国神社の「英霊」と典拠と考えられています。
国のために殉じた死者を顕彰することは、儒教の影響下に成立したものと考えるべきでしょう。

謝道清(1210〜1283)
宋の理宗の皇后。生まれた時は色が黒く片目が見えなかったが、後宮に入ってから病にかかり、本復すると
同時に色は白くなり、目も見えるようになったという。
賢明な人物で、皇后に立てられてからも皇妃たちに嫉妬することはなかった。
ちょうどモンゴルの脅威が迫る頃であり、理宗は遷都も考えていたが、皇后に諌められて取りやめている。

理宗が60で崩御すると皇太后に、跡を継いだ甥の度宗が35で過度の飲酒により崩御すると太皇太后となり、
恭帝が5歳に過ぎなかった為、摂政を務めた。
その直後、「百雁来たりて宋滅ぶ」という予言の流行していた宋に元将伯顔(バヤン)が襲来。
つまり、百雁=伯顔が襲来したのである。迎撃した宋軍は大敗した。
かくして、宋の運命は謝氏に委ねられる。彼女は三日間江海に祈り、いっそ栄華全てを押し流して空虚にして
欲しいと望んだが、波涛が変わるはずもなく、降伏を決意せざるをえなかった。

国家としての体面に拘る文天祥(謝氏が降伏交渉のため右丞相に任命)の要求を、バヤンは拒絶。
他の宋の臣はただ要求を持ち帰るばかりであった。
「臣妾謝道清」。宋朝最後の太皇太后にして摂政が行った、屈辱的な降伏文書への署名の名義である。
かつての皇帝、皇太后、太皇太后は大都に送られることになった。謝氏は心労で出発が少し遅れたという。
謁見後、元朝から寿眷郡夫人に封ぜられ、74歳で波乱に満ちた生涯を終えた。

63世界@名無史さん2018/02/23(金) 21:34:30.520
>>36
>>39
今日やってんだろ
おれは用事で見れないけど

64山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2018/02/23(金) 22:37:08.250
地保奴
フビライの子孫としては最後の元の大ハーンであった、トグス・テムル(天元帝)の次男。
父と兄である天保奴がアリクブケ系のイェスデルに殺され、地保奴が洪武帝によって琉球に流された
ことで、フビライ系の皇統は断絶した。
ここでいう「琉球(明代に定着した表記)」は台湾とする説もあるが、沖縄だとすれば沖縄県内でフビラ
イの子孫が続いているのかもしれないという話になる。
なお、大琉球が現在の沖縄、小琉球が現在の台湾を指した言葉である。

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