シュメール人についてどこまでわかってるの?
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ビールを考え出した ケプラーの法則を知っていた 60進法を考案した 宦官がいた 「黒い油のパン」 「白い油のパン」といった様々な種類のパンを食料にしていた 大学みたいなものがあって論文とかも書いていた などなど 高度な文明を築いていたシュメールについて ロマンティックに当たる言葉を形容詞的に使う場合、 それを「歴史」に使うのは日本人だけ あとの国ではもっぱら男女の恋愛関係に使う シヴィライゼーション6でギルガメッシュが言ってる言葉はマジでシュメール語なのか? 多分そう ただギルガメシュはアッカド語で シュメール語ではビルガメシュ、古語ではビルがメス シュメール語の最後の君主号は Lugal ki en gi ki uri ke Sar mat sumeri u akkadi King of Sumer and Akkad-King of Babylonia アッカド王国とか言うけど称号はシャル・キッシャッティでアッカド王とは名乗っていない 全土の王とか世界の王とか意訳しているけど キシュ王って名乗っているだけでしょ 英語版もキング・オブ・キシュだし シャル・マートのマートは英語で言うオブでいいのか???? >>308 紅海と地中海まで支配した、とか言われてるけど >>313 アッカド王国とか言われるけど称号はシャル・キッシャッティ(キシュ王)で アッカド市の王とかは名乗っていないなってこと この称号を世界の王とか全土の王と訳しているけど 英語版では単にKing of Kishとなっているなって 別語で「上の海から下の海までを支配した」ってあるんじゃない? >>315 それがあっても王号は真の王、キシュの王でしかないよね nam-lugal an-ta ed-de-a-ba eriduki nam-lugal-la After the kingship descended from heaven, the kingship was in Eridug. In Eridug, Alulim became king; he ruled for 28,800 years. 天から王権が下されたとき、王権はエリドゥにあった。 Sharru kin Sharru kish ati LUGAL KIŠ šar kišš ati LUGAL ki-ib-ra-tim ar-ba-im nig-si-sá >>268 何人かいた気がしますね 混ざってるだけかもしれませんが SOAS ロンドン大学東洋アフリカ学院? 国内にはないか 世界史教科書にシュメールから始まる中東史をのせよ キリスト教徒によるイスラムへの陰謀でそれが禁止されているが 歴史は間違いなくメソポタミアから生まれている メソポタミア史なんて普通に世界史で習ったけど? どこの別世界の人だ おまけに陰謀論なんていててててて イスラム教はシンボルが三日月でキリスト教が世界宗教になるにあたって誤魔化した神のルーツを隠してないからね。 >>328 ハンムラビ法典、目には目をとかだけだろ サルゴン大王から体系的に教えるべきなんだよ キリスト教はエジプトや古代ギリシャ・ローマから世界が始まったことにしたい 少なくとも重要なのはそっからだということにしたい 世界史は紀元前が半分を占めるくらいがちょうどいい >>332 サルゴン大王の名前だって習ったし覚えているよ なんで教科書や資料集をとっておいて読み返そうともせず いいかげんなことばかり言うの? サルゴンじゃなくて本当はシャル・キン(True King)なんだけどね ちょいメソポタミアにさわっただけですぐギリシャとかに行きたがる 裏にキリスト教の圧力がかかってるから 陰謀以外にないだろが でもなー 楔形文字が使われなくなってからは もうメソポタミアは文明の独自性が見えにくくなっているからな それ以外の要素は他地域に波及して独自のものではなくなった 東アジアで言うと漢字文化圏がひとつ消滅したのに匹敵する シュメール文明が続いていたら 西暦1500年ぐらいにすでに人口衛星打ち上げてたかもしれん 人口が増えすぎて 資源を取りつくしたから滅んだのか? アッカド人に滅ぼされた説もあったけど、年代的にそうではなく、 アッカド人以前にほぼ自滅、つまり アッカド人と接触した時期にはまだシュメール人は残っていたけど すでに自滅への道を歩んでいたらしい 完全に自滅した後にアッカド人と接触したのなら、 アッカド語が楔形文字やシュメール神話を 継承することはなかっただろう その場合シュメールとアッカドに接点はなく、 インダス文明とアーリア人との間のような「断絶」「無関係」 という関係になっていただろう アッカド人と接触? シュメール初期からアッカド人はいましたよ ていうことはアッカド人はシュメールを滅ぼしたんだな 聖書によると最初の大帝国の王となったニムロドはクシュの子 サルゴンはエチオピア系でアムール人と結びついてたはず 別の地に同じ地名はつけんだろう クシュは聖書ではエチオピア アッカド帝国が明らかにエブラ文字の影響うけたアッカド文字作ったのもそうだ シュメールより西の影響があるはず シュメールより西に独自の文字なんてないだろ シュメール文字を借用して文字化に成功したのはアッカド語が先、 エブラ語の文字化はそこからの方言的な派生だ >>350 エブラのが先だ エブラはシュメール時代だから そら年代がおかしいわ エブラがシュメールからどんだけ離れてると思ってんの そんないち早く文字を応用して独自表記を生み出したのなら 語順だってセム式のVSOにできただろう >>352 SOVになってないからアッカドから輸入されたわけじゃない シュメール人の身体的特徴が記録されていないのはアッカド人とあまり変わらないのかな 黒髪、短頭のアルメイド人の特徴が見られるとのことだね。人種系統は不明。 なので日本人と似てない?という話も出てくる。 セム人に支配受ける前のエラム人も膠着語の民族 同じ系統じゃないかな ヒント2 中央アジアから小アジアまで はるばる 移住したトルコ人の実績あり ヒント3 突如として消えた →塩害ひどいので戻った >>362 どこがだよ ハングルのうち子音字は北インド系文字によく似ている インド系文字はアラム文字の系統 mの字がロ型をしているのもヘブライ文字、チベット文字、ハングルに共通 ハングルはむしろ楔形文字を駆逐した側の文字の末裔だ ハングルはパスパ文字だが本国からは認められてない サンスクリットはアラム語から来てるのだろうがこれも認められてない それがハングルはパスパ文字とはそんなに似ていない その元になったチベット文字や北インドのデーヴァナーガリーに似ている 訓民正音の字母のパクリ元はたぶんその辺で、モンゴル治下の高麗ではなく 朝鮮になってから、通訳養成のために役人が明朝へ派遣されて 漢語や蒙古語や女真語を学んだ 当時の明国には四訳館とか会同館とか呼ばれた通訳養成機関があり、 アジア各国から辞書や会話集作成の協力者が来ていた そこで漢語と数十カ国語の対訳辞書「華夷訳語」が作られた 朝鮮の留学生はそこでインド系文字の知識を得て訓民正音に反映させたのだ 朝鮮って、儒教の国になる前はインドラ信仰の「巫俗」の国だったっけね。 >>368 作った張本人が書いてるやん https://ja.wikipedia.org/wiki/ パスパ文字 朝鮮の歴史やハングルの研究で知られ、コロンビア大学名誉教授であるガリ・レッドヤード(英語版)は論文で、 ハングルは元朝のパスパ文字を参考にして考案されたという説を唱えている。 レッドヤードの主張の根拠のひとつは、『訓民正音』にあるハングルの字形についての「象形而字倣古篆(形を象りて、 字は古篆に倣ふ)」という記述である。伝統的には、この記述にある「古篆」は「古い篆書体」の意だとされるが、 レッドヤードはこの「古篆」は当時「蒙古篆字」の名で知られていたパスパ文字を指すとしている。レッドヤードはまた、 ハングルの字母にパスパ文字と字体が似ているものがいくつかあり、いくつかの合成字母についても作り方がパスパ文 字に似ていることを指摘している。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「古篆」の意味を中国人に聞けばいいだけだ 篆書体調べてみたらわかるがハングルに全然にてない >>370 それはレッドなんとかが無知で頓珍漢なだけ 李朝は仏教主義の高麗と違い 儒教主義で自らを小中華と呼ぶ漢人崇拝 蒙古王朝の元を崇拝するだけ損だと知っている 世宗が自分の名で書いた訓民正音に元の産物を称える文言があるわけがない そもそもパスパ文字には楷書もある 印章によく使われたからと言って篆書だけだったわけでもない バカの一つ覚えでウィキペディアばっかり見ているから 「パスパ文字よりチベット文字やデーヴァナーガリーのほうがハングルの子音字に似ている」 ということにも気付かないんだよ >>371 中国人に「古篆」の意味を聞いてみたらいい ただそれだけではっきりするだろ? わかるのは篆書体にハングルの要素は一切なくパスパ文字は形も音素も似ているということだ アラム語からのデーヴァナーガリーのつながり パスパ文字からのハングルのつながりが公に認められればすごいことなんだけどな 「この世界のほぼ全てのアルファベットがフェニキア文字から派生した」が確定するから >>372 >中国人に「古篆」の意味を聞いてみたらいい >ただそれだけではっきりするだろ? https://zh.wikipedia.org/w/index.php?search=%E5%8F%A4%E7%AF%86& ;title=Special%3A%E6%90%9C%E7%B4%A2&go=%E5%89%8D%E5%BE%80 ウィキペディア中文版で「古篆」を中国語簡体字版フォントで検索した結果がこれ もし読めないのなら同じように入力して探すといい 日本語フォントでやっても同じ結果だ 「古篆」という専用の記事もなく、また「古い篆書体(で書かれた文書)」以外の意味、 ましてや「パスパ文字」という意味で使われた記述もどこにもない つまり中国人の間で「古篆=パスパ文字」なんていう用法は無いということだ お前はただのネトウヨで、ウィキペディアの記事を鵜呑みにして、 それがハングルパクリ説を支える唯一の希望だと思ってるんだろ? そんな硬い頭だからふだん馬鹿にされるんだよ ただ「チベット文字」「デーヴァナーガリー」の項目を見ればいい そしてハングルと見比べるといい。パスパ文字よりもっと似てるんだよ >>374 中国語で漢字は単語なんだから固まって出るわけ無いだろ https://zh.wikipedia.org/w/index.php?search=%22%E5%8F%A4%E7%AF%86%22& ;title=Special:%E6%90%9C%E7%B4%A2&profile=advanced&fulltext=1&advancedSearch-current=%7B%22namespaces%22%3A%5B0%5D%7D&ns0=1 こうしろ >>375 やっぱり「パスパ文字」の意味だって出てないじゃん 言ってることも意味不明だし >>376 汪肇龍,原名肇?,字松麓,一字稚川。安徽歙?人。 早年家貧,以篆刻為生。乾隆十七年(1752年)師從江永,与金榜、程瑶田、汪梧鳳、 鄭牧、方矩、洪榜合称“江門七子”。乾隆二十五年(1760年)?学官弟子。 精通古文字,“至于尊彝、?鼎?古篆,云?、蝌蚪之文,寓目能辨”[1],?見太学石鼓文,著《石鼓文考》,定?史籀所篆[2]。 >>377 その「古文字」って全部漢字の事を言っているんだからな >>370 とも>>372 ともぜんぜんつながらない スレの流れを読めよ アクァッホのDNA操作で誕生した アクァッホの遺伝子を組み込まれている NAM LUGAL AN TA ED DE A BA ERIDUKI NAM LUGAL LA NAM LUGAL AN TA ED DE A BA ERIDUKI NAM LUGAL LA 人大 天 聖地 人大 ALULIM ENSI ERIDU ALALGAR ENSI ERIDU EMEGIR シュメール語 IGI 目 E 家 NIN 女 SAKANKA 市場 LUGAL 王 MAH 偉大な ENSHAKUSHANNA ENSHAKUSHANNAK Lugal kalam ma.KI Lugal Zage Si Lugal kalam ma ki ウルク王エンシャクシュアンナ、国土の王 キシュの王 戦闘の神イアンナにより与えられる王の武勇の資質を表す称号 国土の王 エンリル神により与えられる地上の支配権を対抗するものなき唯一の王 シュメール人に文明を教えたのはアヌンナキという宇宙人だよ そんな名前が楔形文字で記録できるか もっと単純だろ まじでギョペクリテペとシュメールの関連性について研究してもらいたい 絶対何か関係ある 風化してしまっただけで当時はああいう文明がゴロゴロしてたんだと思うよ テペとかホユックとは「丘」を意味していて、だいたい数千年にわたって人間が住み続けた場所 遺棄されてしまった住居群跡にまた人が自然と住み着いて、それが7〜8回も続くと20mほどの丘になる 現代の考古学だと第一層(オスマン時代とか)から順に掘り進め、丁寧に文化編年を記録せねばならない なのでシュメール時代以前あたりまで辿り着くには、数十年の歳月がかかってしまうので大変だ シュリーマンみたいに「俺の興味ない時代層の破壊上等!」って出来ないのがツライところ >>394 ウバイド文明の人口変形頭骨はイラクで発掘された8000年前の文化とつながりあるんだろうか イラク人が掘らせてくれたらすべて解決 イラク人は欧米きらい だったらアジア、日中考古学が協力するから掘らせてって頼めば掘らせてくれないか エジプトは大部分欧米にとられたが、シュメールは大部分まだ土の中だ >>394 むしろマヤとかアステカとかに近い気がする ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる