語彙は交易路を行きかった
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日本語の語彙には、漢語語彙以外にも多くの外来語語彙がみられる。
それらをつぶさにみると、大陸の交易路を実に多彩な系統の人々が行きかい、それにともなって語彙も一緒に移動したことが分かる。
その実例をこれから探って行こう。 それ秦氏そのものじゃなくて秦氏が使役する製鉄民にトルコ系がいるという話じゃない? >>165
トルコ語のkale、カザフ語のqalaが城砦の意味を持つことを考えると、加羅地方にそのような特殊な景観があったことになるが、そのような事象はあったか。
ここで、先にみた魏志韓伝に戻ると、弁韓(後の加羅)には城郭があると記述している。
一方、辰韓(後の新羅)には城柵はあるが、城郭はないと書かれている。
弁韓の西の馬韓にも城郭はなかったようだ。
では、弁韓特有の城郭とは、どのようなものであったか。
弁韓地方では、邑の背後の山頂に宗廟を設けて祭祀をここで行うのであるが、この山頂の宗廟を取り囲むように山の中腹に石垣を巡らす山城を構築したという。
これが魏志韓伝にいう弁韓の城郭であろう。
こうした特殊な城郭が、弁韓の邑々に設けられていたわけだ。
この山城を指して、トルコ語でkale(城砦)、カザフ語でqala(都市)と呼び、その呼称が弁韓諸国の総称となったと考えることが可能だ。
そして、トルコ語を話す秦氏が日本の記録に現れるのが4世紀後半であり、沖ノ島の国家祭祀が始まるのも4世紀後半で、朝鮮半島との交易が活発になるのもこの頃からなのだ。
その直後の5世紀初頭に弁韓諸国を加羅(カラ)と呼称することが史料に現れてくるのである。
このように、加羅(カラ)の語源がトルコ語のkale(城砦)であり、その(城砦)の変化形とみられるカザフ語のqala(都市、都)であると推定することは可能である。
また、弁韓地方が加羅と呼ばれるようになるのは、倭國に移住したトルコ語を話す秦氏の交易上の影響によるものだったと考えることは可能である。
加羅(カラ)は、おそらく、秦氏のトルコ語のkale(城砦)、あるいはカザフ語のqala(都市)が語源であろう。 >>166
各種の技術集団を束ねる秦氏がトルコ語を話したものではなく、参加の製鉄集団がトルコ語を話していたとした場合、
その製鉄集団の話すトルコ語が沖ノ島の御身(ミミ)や対馬海峡の壱岐(イキ)、半島南部の加羅(カラ)の呼称となるには、
それらの言葉が伝わる経路を何段階も想定しなければならないのでは。
製鉄集団→製鉄集団の頭領→秦氏→政策担当豪族の3段階。
秦氏自身がトルコ語を話した場合、政策当事者の豪族たちがその言葉を採用して使用するようになるまでの段階は1段階で済む。
まあ、どちらにしても、加羅(カラ)がトルコ語由来である可能性は高いと思うけどね。 ,、 ,,r‐---、,_ .,
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2006年4月より、TDNスレには上記のTNOKマークをテンプレに張ることが義務付けられております。
TNOKマークの無いスレを立てた場合、8点の減点または免許の剥奪となります。 >>169
トルコ語
yarak
tnokはyarak
わははははは。 まあ、トルコ語を話す渡来ユダヤ人秦氏が海外交易におおいに活躍したのは、まず間違いないようだ。 >>168
経路が何段階だろうと現場の労働者の言葉が残る事もあるでしょ >>173
秦氏から現場職人まで、皆トルコ語を話していたとするのに100万トルコリラ。 >>174
ソウルは朝鮮語であり、(都=みやこ)の意味だとされる。
しかし、万葉仮名式に漢字音が当てられていないのは、不思議。
トルコ語で(都・首都)は、sermaye(セルマイエ)。
ser(セル)とソウルの音は似ている。
ソウルは、トルコ語のsermaye(セルマイエ)=都(みやこ)由来ではないか。 >>175
1945年に韓国が成立したときに首都につけた名がソラボンで、このソラボンが訛ってソウルになったらしい。
ソラボンは古代新羅語で、都(みやこ)の意味だとされる。
トルコ語のsermayeのserとソラは似ている。 >>176
上に書いた(韓国成立時に首都をソラボンとして、それがソウルと訛った)というのは、間違いのようだ。
1392年の李氏朝鮮が成立した時、首都を漢城(ハンソン)に置き、その地を(都・みやこ)の意味の古代新羅語でソルボンと呼び、それがソウルに訛ったとされる。
どちらにしても、トルコ語のsarmayeのserとソラボンのソラは、音が似ていて意味は同じだ。 >>177
古代新羅語に秦氏の話すトルコ語sermaye(都=みやこ)が取り入れられ、それがソラボンと訛り、さらにソウルと訛ったということだろう。 モンゴル語で(爪)を意味するのは、khums(クムス)。
これが西方拡散したさまを見てみよう。
(爪)
モンゴル語 khums(クムス)
エストニア語 kuunis(クーニス)
デンマーク語 klo(クル)
スウェーデン語 klon(クロン)
ドイツ語 klaue(クラウェ)
オランダ語 klaw(クラウ)
英語 cllaw(クラアァ)
みごとにku音が連鎖している。
エストニア語は満州のウラル語族の一派で、ウラル語のkuunisがデンマークでゲルマン語に取り入れられたことが分かる。
この(爪)は、ロシア語ではkogot(コゴッ)で、ku音からko音に変化したものとみられる。
ロシア語の原郷はベラルーシ付近なので、ウラル語族がカザフ平原の北端あたりを西進したために、スラブ語族と直接的な接触が起こらなかったためではないか。
いずれにしても、東アジアの(爪)を意味するku音が、みごとに西進している。
ところで、このモンゴル語のkhums(クムス=爪)は、日本語と無関係ではないようだ。
モンゴル語 khums(クムス=爪)
日本語 kuma(クマ=熊)
熊は強力な爪を持っている。
日本語のkuma(クマ=熊)の原義は、おそらくこのモンゴル語khums(クムス=爪)だろう。
つまり、日本語のkuma(熊)と英語のclaw(爪は)、つながっているのだ。
わははははは。 >>179
訂正
上から10行目のcllaw(クラアァ)→claw(クラァ)が正しい。 >>181
ちょっと気分転換。
日本語の火(ヒ)、日(ヒ)、光(ヒカリ)、昼(ヒル)は、皆(ヒ)が語幹だ。
また、火(ヒ)は(ホ)とも読む。火明(ホアカリ)、炎(ホノオ)の(ホ)である。
日本語の語彙には、タガログ語の語彙と同系のものが相当みられるので、タガログ語の(火)をみてみるとapoy(アポイ)なので、このタガログ語のapoy(アポイ)のpo音と日本語のホノオ(炎)のホ音とは関連があるのかも知れない。
タガログ語のほかに(火)をみると、マレー語api(アピ)がある。これは日本語のヒ(火)によく似ている。
そして、タイ語の(火)はfi(ファイ)、クメール語の(火)はakkiphy(アキハイ)。これは日本語のホノオ(炎)のホ音とよく似ている。
そこで、タガログ語のapoy、マレー語のapiのa音は外来の付加音ではないかと考え、(火)の語彙を追っていくと、次の語彙がみられる。
(火)
パンジャブ語 aga(アガ)、ヒンディー語 aag(アアグ)、ネパール語 ago(アゴ)、ベンガル語 aguna(アグン)
これらをみると、タガログ語のapoy(アポイ)やマレー語のapi(アピ)のa音は、ヒンディー語などの(火)の語頭音aが付加されたものとみることが可能だ。
とすると、タガログ語のapoy、マレー語のapiは、元々はpoy(ポイ)、pi(ピ)であったことが推測されるのだ。
そうであれば、(火)を意味するタイ語のfi(ファイ)、クメール語のphy(ハイ)などとも類似することになる。
このようにみると、日本語のヒ(火)、ホ(火)は、タガログ語のapoy(アポイ)、マレー語のapi(アピ)、タイ語のfi(ファイ)、クメール語のphy(ハイ)などと同系の言葉である可能性が相当高くなってくる。
どうやら、日本語の火(ヒ)、火(ホ)は南方由来の言葉だとみなすことが妥当なようにみえてくる。
おそらく、日本語の火(ヒ)、火(ホ)の原郷は、中国南部あたりにあるのだろう。 >>177
秦氏はトルコ語を話すユダヤ人だったとの想定のもとに、日本や韓国のトルコ語由来と考えられる語彙を拾い出しているが、赤穂にある大避神社の能楽面が興味深い。
大避神社は秦河勝が創建した神社で、主祭神は大避大神。大避大神は秦河勝とされる。
そして、大避神社が所蔵する能楽面は、秦氏が持ってきたもの、或いは河勝が作ったものとされる。
髪が巻き毛的で、目が大きく、鼻は天狗のように高い。
そこで、天狗(てんぐ)の語彙をみると、漢語の天狗は流星のことだそうだ。
天を素早く走る星を意味している。
しかし、このテングの発音と極めて類似する語彙がトルコ語にはある。
トルコ語
tangu(タング)=神
秦氏が持ってきた面が天狗(てんぐ)に似るとされ、トルコ語で神はtangu(タング)なのだ。
秦氏が大切に持ってきた天狗(てんぐ)面は、実は神(タング)だったというのは、有り得ない話ではないだろう。
天狗は中国では流星のことであるが、日本では人の形をし、鼻が長く、空中を飛ぶ怪物とされている。
中国の天狗(流星)とはまったく異なる。
トルコ語のtangu(タング=神)が、漢語の天狗(流星)の意味と入れ替わった可能性が高い。
その日本語の天狗(てんぐ)の意味は、まさに神が変容したイメージにふさわしい。
秦氏がトルコ語を話すユダヤ人だったことは、ほぼ間違いないだろう。
わははははは。 >>181
日(ヒ)、火(ヒ)を表すヒ音が1万2千年前の縄文草創期に中国南部から南九州へやって来た種族によってもたらされた語彙だとすると、それ以前から列島に住んでいた先住縄文人は、このヒ音とは異なる発音の日、火を表す語彙をもっていたはず。
その日、火を表す先住縄文人の語彙とは、どのような言葉だったのだろうか。
ここで、ヒ音と対照する言葉をみてみよう。
ヒカル(光る)→テカル(照かる)
ヒカリ(光)→テカリ(照かり)
ヒル(昼)→テル(照る)
明らかに、(ヒ)と(テ)は対照する関係にある。
しかし、ヒ(日、火)を表す言葉としてのテ(日、火)の語彙はない。
また、テラス(照らす)に対照するヒラス(日らす)という語彙もない。
これをみると、先住縄文人の日、火を表す(テ)の語彙は失われ、南方から来た種族のヒラス(日らす)は元からの縄文人のテラス(照らす)のために定着しなかったと考えるのが妥当だろう。
つまり、日、火を表す先住縄文人の(テ)音は、実は、南方からの種族の渡来前には存在していたことが想定できるのである。
では、先住縄文人のテ(日、火)は、どのような系統の語彙であったのか。
続く >>183
続く
ここでモンゴル語、フィンランド語、漢語の(天)を指す語彙をみてみよう。
モンゴル語
tenger(テンゲル)=天空
teng(テン)=太陽
フィンランド語
taivas(タイバス)=天、空
漢語
tian(ティエン)=天、日
tai(タイ)=太、天帝
これらは、日本語の照る(テル)、照り(テリ)、照かり(テカリ)のテ音と極めて類似しており、日本語のテル(照る)のテ音と同系の語彙であるのは明らかだ。
この日本語のテ音は、先住縄文人の日、火を表す語彙であった可能性は、極めて高い。
さらに、日本語の照る(テル)のテ音は、これら(モンゴル語のteng(テン)=太陽、フィンランド語のtaivas(タイバス)=天、空、漢語のtian(ティアン)=天などの語彙の原語である可能性も視野に入れることができる。
日、火を表す(テ)の語彙が、先住縄文人の言葉にあったことは、ほぼ間違いないだろう。 >>185
根競べ=根気競べ→根気を競う→根気強さを競う。
con-clave(クム・クラーベ)=鍵を掛けて(出られなくする)
コンクラーベなんて発音はないよ。
根競べ、クムクラーベ、発音も意味もチェンチェン違うよ。
あいにくだなあ〜。 >>187
根競べ、クムクラーベ。
カプセル、かぶせる。
どちらも、他人の空似というやつ。
一方、先住縄文語のテ(照)と、モンゴル語のteng(テン)=太陽、漢語のtian(ティアン)=天、フィンランド語のtaivas(タイバス)=天・空などのテ・タ音は、皆同系の語彙だ。
しかも、先住縄文語のテ(照)のほうが、基礎的な古語のようにみえる。
おそらく、先住縄文語は北東アジア系の言葉の親に相当する言葉だな。 日ユ同祖論で日ユの同音同義語があげられるが他人の空似か… >>189
日本語の語彙とヘブライ語の語彙によく似たものが少なからずあるとの説は、他人の空似の部類ではないか。
しかし、秦氏がギリシャ系あるいはペルシャ系のトルコ語を話す改宗ユダヤ人であるのは、ほぼ間違いないと思う。
そして、そのトルコ語の語彙が、5世紀以降に日本語の語彙として定着したものも少しはあるみたいだ。 >>190
ヘブライ語は近代以前の中世などにはすでに文語であり、その主軸は聖書の文章語として継承されてきたという。
口語としてのヘブライ語は、近代以前にはすでに衰退していたのを、19世紀後半になって人工的に復活させたものだそうだ。
したがって、5世紀頃以降に日本にヘブライ語が入ってきたとすれば、それは文章語としてであり、そうしたヘブライ語の文献が残っていても不思議ではない。
しかし、古代の日本では、ヘブライ語の文献は一般的には皆無ではなかったか。
また、文章語のヘブライ語が、万葉仮名に音写変換されていた可能性については、そうした観点で調べたことがないので、よく分からない。
万葉集の歌に難読語彙というのがあるが、ヘブライ語と対照させてみると面白いかもしれない。 >>191
縄文土器似の土器が出てるそうだからな。
アメリカには、意外に先住アメリカン=縄文人系説があるようだ。
しかし、Y-D系の先住アメリカンはおらんだろう。 古代日本に西洋の文献とか学問とか入ってきてたら古代日本でアリストテレスとかソクラテスとかの学問も入ってきてたかな >>193
縄文人にはY-CもY-Nもいるから
まあ土器だけ流れ着いた可能性もあるがな まあ、文章語であるヘブライ語をあやつるユダヤ人が日本に入ってきていたと想定よりも、
トルコ語を話すギリシャ系改宗ユダヤ人が来ていたとするほうが現実的だ。
これまでに、秦氏関連のトルコ語をみてきたが、その線で諏訪大社の四本柱がユダヤ人の聖数4を表したものではないかとする説に焦点を当ててみると面白い結果になる。
諏訪大社の神は、持統天皇の頃には「須波」の神と書かれていて、これは(スハ)の発音となる。
そこで、トルコ語と対照させてみると、
トルコ語
su var(ス・バ)=水がある
つまり、諏訪湖を意味している言葉がsu var(ス・バ=水がある)であり、
持統天皇の須波(スハ)=諏訪は、トルコ語のsu var(ス・バ=水がある)に由来する言葉だと考えることができる。
諏訪大社はユダヤ人の祭りの場であったとする説が喧伝されているが、太秦のトルコ語を話す秦氏との結びつきを想定することで、諏訪大社=ユダヤ教説が信憑性を帯びてくることになる。
もはや、秦氏がトルコ語を話すギリシャ系改宗ユダヤ人であったことは、動かしがたいのではないだろうか。 >>200
追加
グーグル翻訳で聴くと、su varは、スワアンと聞こえる。
まさに、諏訪(すわ)だな。
わははははは。 >>201
喧伝される秦氏ユダヤ人説によると、宇佐八幡の八幡は(ヤハタ)と読むのが元々の発音で、その(ヤハタ)はヘブライ語のyehuda(ヤフダ)由来だという。
ヘブライ語のyehuda(ヤフダ)は、南ユダ王国の民を指し、その変化形のyehudi(ヤフディ)がユダヤ人を意味するとして、
そのyehuda(ヤフダ)の発音が、ヤハタ(八幡)となったのだというもの。
そして、その本家本元の宇佐八幡の祭神応神天皇は秦氏(弓月氏)の血をひくユダヤ系の大王だったとする。
しかし、これまでみてきたように、秦氏はトルコ語を話すギリシャ系改宗ユダヤ人だとする立場からすると、トルコ語の(ユダヤ人)はヘブライ語とほぼ同じでyahudi(ヤフディ)、あるいはyahud(ヤフド)であるので、
八幡(ヤハタ)はヘブライ語由来でなく、トルコ語由来だとすることが可能である。
これまでのトルコ語の語彙の痕跡から、八幡(ヤハタ)はトルコ語由来だとするのがよい。
ではなぜ、宇佐に八幡神が現れたのか。
博多から宇佐を経て山陽道へ周防灘を渡るか、宇佐から周防灘を経て瀬戸内海を舟行するルートが交易の幹線となっていたために、宇佐の地理的位置が交易ルートの要の場所にあったからだろう。
交易ルートを握っていた秦氏が、そこに自らのユダヤの神を祀ったということになる。
その八幡神が応神天皇とされるのは、一種のカバーであろう。
実態は、秦氏が奉じるユダヤの神ということになる。
そして、応神天皇が秦氏の血をひく人物だからとするのは、少し無理があるようにみえるのだ。 >>202
千葉県横芝光町の芝山古墳群の最初の古墳とされる殿塚古墳は、6世紀後半の前方後円墳だが、その周囲を巡る二重の周溝はなんと長方形だという。
別の古墳から出土した人物埴輪の中には、帽子をかぶり鬢の長巻き毛を垂らした武人埴輪が出ている。
この人物の造形は、ユダヤ教の超正統派のそれとそっくりだ。
トルコ語を話す改宗ユダヤ人秦氏の拠点が、太秦のほかに諏訪とこの芝山古墳群の土地だろう。
そして、この芝山の前方後円墳の周溝の形が長方形なのだ。
諏訪の四本柱と同じ長方の形で、この長方形はユダヤ教では神の居場所とされ、数詞4は聖数なのだ。
芝山にも、トルコ語の痕跡があるかも知れない。 >>203
ところで、日、火を(ヒ)発音するのは南方語由来であり、元々の先住縄文語の日、火は北方由来の(テ)ではなかったかと考えたが、日本語の語彙にはこのような南と北に由来するそれぞれの語彙があるのではないだろうか。
二重構造論の学説がすでにあるが、現在はまだ決め手がないようだ。
そこで、北方系とみられる語彙について、あれこれみてみることにしよう。
風(かぜ)は、(か・ぜ)の複合語と考えられる。
いろいろな方向から吹く風のの中で、南風を(まぜ)と呼ぶが、これは(ま・ぜ)で(真・風)の意味だろう。
そうすると、風を意味する語彙は、(ぜ)の音ということになる。
(かぜ)の(か)は、強いを意味する(コワ)のko音の変化と考えると、(か・ぜ)は(強い風)を意味する言葉であることが推測される。
では、(ぜ)を風の意味とする類似語はあるのだろうか。
そこで、風を意味する韓国語をみるとbalam(パラム)である。
この韓国語balamのbalは、風を意味するモンゴル語のsalkhiny(サルヒニ)のsalと同系とみられる。
そしてモンゴル語のsalkhinyは、風を意味するカザフ語のjel(ジェル)と同系と考えることができる。
風(かぜ)
カザフ語 jel
モンゴル語 salkhiny
韓国語 balam
これらはみな同系の語彙であろう。
こうした風(かぜ)を意味する言葉の流れをみると、日本語の風(か・ぜ)を意味する(ぜ)音と非常によく似た言葉は、カザフ語のjelであることが分かる。
日本語の風を意味する(ゼ)音と、カザフ語の風を意味するjel(ゼル)は同類の言葉のようだ。
おそらく、この日本語の風を意味する(ぜ)音は、カザフ語のjel(ゼル)の原語に当たる位置にあるのではないだろうか。
つまり、風(かぜ)を表す日本語は、アルタイ地方に根を持つ語彙なのではないかと考えることが可能だ。
Y-D1bは、アルタイ発祥ということかもな。 >>205
発声時期に2万年ほど差がある。
Dは6万年前。
Oは4万年前。
Oの親のNOが発生した時期も4万5千年前。
NやO、Cなどがアルタイへ来て、Dの言葉を取り入れたわけ。
その後、Dは南下し、N、O、Cらはそのまま止まったが、寒さが厳しくなって南下した。 >>204
日本語の風(か・ぜ)の(カ)は、コワ(強い・硬い)の変化音であり、カ・ゼは強風の意味だと考えた。
そして、風そのものは(ゼ)音で、カザフ語の風を表すjel(ゼル)と類似語だろうとした。
ここで、面白い発見があった。
日本語の風(カ・ゼ)は、元々は強風の意味だとしたが、カザフ語で強風はqatti jel(カティ・ゼル)だ。
qattiは(大声で)という意味。
また、qattは(しっかりした)の意味。
なので、qatti jel(カティ・ゼル)が強風の意味になる。
で…、このカティ・ゼル(強風)は、日本語のカ・ゼ(強風)と発音も、語の構成も、意味もまるで同じなのだ。
カティの語頭のカとゼルの語頭のゼを合わせると、カ・ゼになる…。
しかも、意味も同じ。
日本語の風(カ・ゼ)とカザフ語のカティ・ゼルは、同じ言葉だったのだ!
わははははは。 >>207
そして、日本語のカゼの(ゼ)とカザフ語のjel(ゼル)と英語のjet(ジェット)は、つながっているかもしれないな。 >>206
そこまで遡ったらアルタイ祖語より古いぞ >>209
チュルク、モンゴル、ツングースが現れる前に原縄文人がアルタイにいた可能性がある。 ああなるほど
Y-C縄文人とY-D縄文人の区別が付いてないのか >>211
Cと言っても複数ある。
C1a1は、縄文草創期前頃にナイフ型石器を持って北部九州へ渡ってきた者たちだろう。
そして、C2は、弥生に朝鮮半島から渡来した者たちだ。
双方に1万年近い時間差がある。
しかも、縄文本体のDに比べると少数だ。 >>212
訂正
(ナイフ型石器)は間違いで、縄文草創期前に現れるのは(槍先型尖頭器)だな。 >>213
まあ、いずれにしても、Dの縄文語語彙がカザフなどアルタイ地方と関係があるのは、動かしがたいな。
それも、N、O、Cの種族がやってくる前にすでにそこにいた、ということだ。
そのうち、骨が出るよ。 >>214
日本人のD1aの祖形であるDE-YAP(+)はいたるところで痕跡を残していて、もちろんアルタイ地方でもみられる。 >>215
DEから分岐したDは、YAP(+)のうちのM174と定義されるものだそうだ。
Dの分類の大枠がM174ということになる。
その大枠であるM174の保持者が南アルタイで6.3%みられるという。
また、トルコ系、ペルシャ系、アラブ系の部族が移住したとされる中国寧夏回族自治区でも、このM174が9.3%みられたそうだ。
ちなみに、日本人はM55、57、179、359など8種類がみられるという。
アルタイ地方は、Y-Dと無関係ではないようだ。 どうも、先史時代のアルタイ地方と縄文の関わりでは、チュルク系であるカザフ語の語彙にその痕跡がみられるような気配だ。
一方、歴史時代の語彙では、チュルク系であるトルコ語の語彙との関わりがみられる。
どちらもチュルク系ではあるが、歴史時代のトルコ語の語彙については、5世紀に渡来したギリシャ系、あるいはペルシャ系の改宗ユダヤ人と考えられる秦氏(弓月氏)と深い関わりがありそうだ。
ここで、これまでみてきたように、引き続き秦氏関連の語彙をを探ってみよう。
旅(たび)は、トルコ語ではseyahat(セヤハト)。
この語彙の構成では、at(アト)は馬のこと。
seyah(セヤフ)の意味がグーグル翻訳ではよく分からないので、カザフ語でみると、
カザフ語で旅行は、sayaxat(サヤハト)。
sayax(サヤク)は旅行、at(アト)は馬。
これからすると、トルコ語のseyahatは、seyah(旅行)、at(馬)の構成であることが分かる。
つまり、トルコ語の旅(たび)の語彙は、馬に乗って旅をすることを意味していることになる。
さて、ここからが日本語との関連である。
日本語で旅の宿屋は、旅籠(はたご)である。
平安時代の和名抄に、すでにこの語彙がみられるそうだ。
では、旅籠(はたご)とは、どのような意味なのか。
馬の飼料を入れた竹籠を(はたご)と言い、江戸時代にはこの馬の飼料を入れた竹籠を宿屋の目印にしたという。
そこで、旅籠(はたご)が、旅宿所の意味となった。
(はたご)の(ご)は、籠(かご)の短縮語なので問題はない。
問題は、旅と書いて、これを(はた)と読むことである。
旅=(はた)と何か。
続く >>217
ここで、冒頭のトルコ語の旅(たび)を意味するseyahat(セヤハト)をみると、at(アト)は馬の意味であった。
そこで、このseyahatからseyaの発音を省略するとhat(ハト)となり、このhat(ハト=馬)に籠(かご)の(ご)を付け加えると、(ハトゴ)という言葉になる。
この(ハトゴ)は、和名抄の旅籠(はたご)が馬の飼料を入れた竹籠の意味であるのと、寸分違わないまったく同じ意味となるのだ。
また、seyahat(セヤハト)の単語そのみものが旅(たび)の意味であることからすると、(はたご)=馬の飼料を入れた竹籠が(旅籠)と表記されたているのは、まさにseyahat(セヤハト)=旅の言葉通りの意味を表していることになる。
このようにみると、旅籠(はたご)の旅(はた)は、トルコ語seyahat(セヤハト=旅)の短縮形のhat(ハト=馬)由来であるのは、ほぼ間違いないと言える。
このトルコ語を話したのは太秦の秦氏であったことは、これまでにみてきた語彙からして、まず確かであろう。
そして、そうなってくると、秦氏の秦(はた)は、通説で言われるように機織の機(はた)由来であるのかどうか、再検討の必要が出てくるということになるのだ。
わははははは。 秦(はた)氏という名称は朝廷から賜ったもので自称じゃないぞ >>219
欽明天皇からもらったとされるのは「秦(しん)」の字。
この秦を「はた」と読むのは、もともとから「はた」と称していたからだろう。
その「はた」の意味が機(はた)由来とされるが、実際のところは分からないようだ。 >>220
機の字に(はた)の意味があったのだろうか。
機織物は(はたおりもの)と読み、織物を作る機械が(はた)と呼ばれているものである。
しかし、朝廷に属して機織物を作る組織を機織部と書き、これを(はたおりべ)と読んでいる。
この機織部(はたおりべ)が訛って(はとりべ)となり、さらに短縮して(はっとり)と変化した。
そして、この(はっとり)には服部の字が当てられていて、もとからある機の字は用いられていないのだ。
ということは、(はたおり)を機織と漢字を当てているものの、(はた)は服、すなわち服地、布地の意味ではないのか、ということになる。
そこで、服(はた)と同じ発音をする幡(はた)の字をみてみよう。
この幡(ハン)は(ひるがえる布)を表す字であり、(ひるがえる布)を意味する幡(ハン)は日本語の(はた)と同じだということが分かる。
つまり、服地、布地を意味する(はた)と、(ひるがえる布)を意味する幡(ハン)はほぼ同じ言葉であり、発音も類似している。
これらのことから推定されるのは、服地を意味する(はた)は漢字の幡(ハン)由来の言葉である可能性が高く、機が(はた)を意味しないことは明らかである。
では、旅籠(はたご)と幡(はた)はつながるのだろうか。
わははははは。 >>221
つまり、秦氏(はたうじ)の(はた)は、漢字の(ひるがえる布)を意味する幡(ハン)由来の服地、布地(はた)とは、もともと別であることが考えられる。
後に、服地、布地の意味の(はた)に転嫁されたものの、もともとの(はた)は、旅行、旅を意味するトルコ語のseyahat(セヤハト)の短縮形hat(ハト)が(はた)と訛ったものだと想定するのが妥当だ。
旅籠(はたご)の(はた)が、本来の秦氏(はたうじ)の(はた)だろう。 >>222
秦氏の周辺をトルコ語で探ると、秦氏の神話が解けてくる。
極めて興味深い。
伏見稲荷大社は、秦氏の分家が創建したとされる。
宗家は太秦であり、太秦の地は宗像から中国地方の山間部を通り京都に至る交易路の山陽道の京都側の入り口に当たる。
一方、分家の伏見稲荷がある深草の地は、京都から琵琶湖の大津、名古屋、長野の諏訪方面、関東へとつながる交易路の京都側の出口に当たる。
つまり、秦氏は、一族が宗像から関東へつながる交易路の中枢部に陣取っていたことが分かる。
その伏見稲荷は稲荷神を主祭神とする神社で、稲荷神は伏見稲荷の東方にある稲荷山の神である。
山が神体山となっている。
これは、宗家が太秦の西方にある松尾山を神体山としていることと同じだ。
では、この稲荷(イナリ)と秦氏のトルコ語と、どうつながるのかというのが肝心なのである。
続く >>223
秦氏の分家は深草の稲荷山の神を祀り、その神が伏見稲荷大社の主祭神となっている。
その伏見稲荷の(稲荷)は当て字であり、元々は伊奈利と書かれる。
伝承では、分家の当主が餅を的にして弓を射ち、その餅が白い鳥となって山頂へ飛んで行き、
その場所に稲が生ったので、「伊弥奈利生いき(いねなりおいき)」とされ、それが伊奈利の社名となったというもの。
しかし、山の頂に稲が生えるわけがないので、これは山を水源とする食物神についての説話であろう。
実際、伏見稲荷の稲荷神は食物神のウカノミタマと同一とされている。
この伝承は、山城国風土記の逸文にみられるそうだ。
つまり、伊奈利神は(稲生り神)のことだというわけである。
…本当にそうか。
続く >>224
ここで、秦氏のトルコ語の登場となる。
トルコ語で、神はtang(タング)。
降りるはiney(イナイ)。
(神が降りる)は、tang iney(タング・イナイ)となる。
iney(イナイ)は下降という意味なので、これを神と合わせると(降臨)するとの意味になるというわけ。
このトルコ語からすると、餅を弓で射って、その矢が貫いた餅が山頂に飛んで、そこでイネに生ったという説話のイネは、元々は(下りる)という意味のiney(イナイ)であった可能性が高い。
つまり、何が降りたのかというと、稲ではなく、秦氏の神が(降りた)ということになる。
その後、iney(イナイ)は伊奈利=稲荷(イナリ)と書かれるようになったが、その稲荷山は現在も秦氏の氏神が宿る神体山なのである。
そして、その氏神とは、言うまでもなくユダヤ教の神ということになるのだ。
たぶん、間違いないだろう。 >>225
追加
ユダヤ教の聖山は、シナイ(sinai)山だ。
民を連れてエジプトを出るように神がモーゼに伝えたのが、このシナイ山の麓。
そして、エジプトを出てこの山の前を通過するときに、モーゼは神から十戒を授けられた。
これがシナイ山(sinai)である。
秦氏の分家の神体山である稲荷山(イナリ)の元と考えられるトルコ語は、inay(イナイ=降りる)。
sinai(シナイ)山とinai(イナイ)山は、発音も意味もよく似ているではないか。
sがあるかないかの違いだけだ。
神が降りた山であるのは、同じだ。
イナイ(inay)山→(神が)降臨した山…。
シナイ(sinai)山→(神が)降臨した山…。
わははははは。 トルコ系ユダヤ人で多神教なの?スゴイ集団だね
秦氏が使役する製鉄民の中にユダヤ系やトルコ系がいたとかならまだわかるんだけど 神社などの建立は、商品流通ネットワークの営業所を設けたものと考えればよい。
お寺が文化センターの機能を果たしていたのと同じ。
秦氏が祀る神については、これはユダヤ教の神だろう。
いらん摩擦を避けるために、偽装したことも考えられる。
ワイのトルコ語説からすると、秦氏が祀る神はすべてユダヤ教の神であるようにみえる。
製鉄は、今の通説では5世紀には始まっていた可能性が指摘されているので、蹈鞴製鉄に渡来した秦氏が関わっていたとすることも十分可能だ。 >>227
秦氏一族がトルコ語を話すギリシャ系、あるいはイラン系の改宗ユダヤ人であったと考えるほうがいいと思う。
太秦の三本鳥居や諏訪大社の四本柱、千葉の芝山の古墳の周溝が長方形であることなどをみると、製鉄技術者の中にトルコ語を話す者たちが一部いただけとするよりは、集団の中枢部がトルコ語を話す改宗ユダヤ人だったと考えるほうが合理的だと思うね。 >>230
どちらも、そのなんだ、ヤハウェ…とかいう。
稲荷は、(降臨した)。
稲荷山は(降臨したもうた山)
だれがその山へ降臨したもうたのかというと、そのなんだ、ヤハウェ…とかいう。
一方、八幡(やはた)は、ヤハド(ユダヤ人)に漢字を当てたものだとする意見あるが、トルコ語のseyahat(セヤハト=旅行)から語頭のse(セ)を取ればyahat(ヤハト)になる。
つまり、ヤハド(ユダヤ人)という語彙は、(旅する者、移動する者)という意味のどこかの国の言葉が語源である可能性がある。
しかしまた、ユダヤの神のヤハウェのヤハも八幡(やはた)のヤハに通じるし。
とにかく、語源的にはいろいろ解釈があるなあ。 >>231
応神天皇は秦氏の血脈だっので、秦氏の権威付けのために応神天皇が宇佐に顕現したという話がつくられたという説がみられるし。 語源的にいろいろな解釈があるって事は
自分にとって都合が良い説が真実の可能性は低いって事だからな どちらもヤハウェで片方が製鉄の神で片方が農業の神?
それがユダヤ人の信仰なの?
本気では言ってないよね
無理があるって自覚があるんでしょ >>235
稲荷は、元々はイナイ(下降)だろうね。
(ヤハウェが)降りた山、という意味だと考えることが可能だ。
つまり、秦氏の分家は深草の山をシナイ山にみたてたということになるね。
一方、宇佐の八幡(ヤハタ)神社のヤハタについては、これはまさにいろいろ解釈できる混乱状態だね。
まあ、おいおい考えていくことにしようや。 マニ教や景教のように一部ユダヤ思想を取り込んでるんじゃないの? >>237
そのユダヤ思想がいつ、誰によって5世紀頃にもたらされたか、ということだよね。
秦氏自体がその当事者というのがワイの考え。
だ〜がしかし、その秦氏は実はトルコ語を話す改宗ユダヤ人だったというのがミソ。
単に、ユダヤ思想を齧った者らではなかったような。 淡路島でヘブライ語を記した指輪と丸石がみつかっているそうだ。
そのヘブライ語は紀元前の形式だという。
ちゃんとした発掘がなされたものなのかどうかは、分からんがな。 >>240
文字の流れは、エジプト・ヒエログリフ→原カナン文字→フェニキア文字→アラム文字→ヘブライ文字、アラビア文字などとされているなあ。
そのフェニキア文字とヘブライ文字は、ほとんど同じらしい。
指輪には、鹿が彫られているのもあるそうだ。
鹿は、十支族のひとつの紋章とされているそうだ。
しかし、これ、ゴッドハンドの産物じゃないのかね。 ユーチューブの(古代日本ミステリー「稲荷」と「INRI」)というのをみると、キリストのことであるJNRI(ラテン語=INRI)が群馬県の多胡碑に刻まれているらしいな。
この映像では、景教のことなども触れている。
お主が言っていることと、ほぼ同じ内容だし。
トルコ語のinaiと、このINRIと、よく似ているのじゃな〜いの。
わははははは。 >>242
この多胡碑の近くの石郭に「JNRI」の文字が刻まれているのだそうだが、これも江戸時代の隠れキリシタンによるゴッドハンドの産物ではないかとする意見もあるようだな。
ユダヤ教やキリスト教関連では、どうもあちこちにゴッドハンドの臭いがするゾ。
とはいうものの、し〜かし、INRIとトルコ語のinaiがよく似ていることは事実だな。 >>243
5世紀頃に渡来した秦氏は、ユダヤ人であったとする説が少なくない。
多くのケースでは、この秦氏=ユダヤ人はヘブライ人とするようである。
なので、ヘブライ語による秦氏関連の解明が行われる。
ところが、ワイ説では、秦氏=トルコ語を話すギリシャ系、あるいはペルシャ系の改宗ユダヤ人説をとるので、トルコ語による秦氏関連の解明を進めているもの。
つまり、ヘブライ語対トルコ語の対立となる。
これまでに、ワイ説で見た限りでは、トルコ語による解明のほうがリアルである。
ここで、さらにその例の一つを挙げよう。
古代ユダヤ人の指導者であるのは、モーゼ。
ヘブライ語では、モーシェ。
一方、トルコ語では、musa(ムサア)。
さて、渡来人が多く移住した東国は、埼玉県や東京都がその中心。
この埼玉県や東京都のあたりの古代の国名は、武蔵(むさし、むざし)の国だ。
その(むさし)の(し)は方角を意味するので、(むさし)の(むさ)が本来の意味を表していることになる。
つまり、(むさ=武蔵)の国というわけだ。
一方、漢字の武蔵の発音は、(ブゾウ)である。
多胡にユダヤ系の者たちが入植したとすれば、これまでの探査では、必ずその痕跡があるはずだ。
そこで、(むさ=武蔵)とは何か。
続く >>244
そこで、(むさ=武蔵)とは何か。
前出のユダヤ人の指導者モーゼのトルコ語発音が(ムサア)であった。
ヘブライ語発音であれば、モーゼは(モーシェ)である。
どちらが(むさ=武蔵)に似ているか。
いうまでもなく、トルコ語の(ムサア)である。
つまり、武蔵(むさし)の国とは、「モーゼの国」のトルコ語発音だった可能性が極めて高い。
古語としては、武蔵(むざし)の国であったとされるが、この場合は当然(モーゼ)の国の発音ということになる。
決して、ヘブライ語の(ムーシェ)ではない。
もう一度確認したいが、武蔵(むさし)の国とは、(モーゼ)の国のトルコ語発音だったのだ。
そして、秦氏はトルコ語を話していた。
わははははは。 >>245
訂正
上から8行目の(ムーシェ)は、(モーシェ)が正しい。 >>245
この「武蔵(むさ)の国」=「モーゼ(ムサア)の国」説からみると、千葉の芝山の前方後円墳の周溝が長方形であり、その古墳から出土した人物埴輪の中にはもみ上げを長く延ばして垂らし帽子を被ったユダヤ人の超正統派に似た人物の像があるその理由が理解できる。
このようなユダヤ人の集団が5世紀以降、「モーゼの国」へ次々と移住したということなのだ。
そして、そうしたユダヤ人の集団を安全にその「モーゼの国」まで送ったのが、太秦と深草の秦氏という図式になる。
集団は、深草のイナイ(シナイ)山の前で十戒を唱え、途中で諏訪のモリヤ山を遥拝し、やがて関東の「モーゼの国」で旅装を解いたのだ。
これが日本の正しい歴史なのだ。 https://images-na.ssl-images-ama zon.com/images/I/51PXZV7157L._SY445_.jpg
武士と書いてムサと読むしな >>248
武者が登場するのは、平安時代からだし。
武蔵国は7世紀頃にはすでに牟佐志(むさし)、牟射志(むざし)と書かれて、文献に登場しているからな。
武蔵=武者説は、成り立たん。 >>248
images-na…。
アマゾンのパソコンバックの宣伝をみせて、どうすんのよ。
ついでに、このアドレス、開けんぞ。 >>252
ウィキペディアの「武士」をみてみるのが良い。
武士の登場は、平安時代中期からと書いてある。
それ以前は、武官としている。
有名な坂上田村麻呂は武官だという。
そうだろう、そうだろう。
それが正しい。
そして、その武官がいた奈良時代の木簡には、武蔵国=牟佐志、牟射志の国と書かれている。
その奈良時代の牟佐志(むさし)と中世の武士(むさ)は、ぜんぜん関係ね〜よ。 >>253
武蔵=牟佐志(むさし)は、トルコ語のmusa(ムサア=モーゼ)由来の語彙である可能性が極めて高い。
わはははは。 イエス・キリスト 石切 石切といえば石工 石工といえばフリーメイソン でも、モーセは約束の地にたどり着いていなんだよね
ユダヤ系移民が新天地にモーセと付けるはずがないんだよ
その手の説を唱えるなら聖書くらい読みなよ >>256
モーゼは、約束の地を山の頂から望みつつ死んだ。
モーゼがヘブライの民を率いて夢見たその土地に「ムサア=モーゼ」と名をつけたのは、自ら一族を率いて長い旅をしてきた秦氏自身の温情からだろう。
「ムサア=モーゼ」の国は、「ムサア=モーゼ(が夢見た)」国ということで、OK。
聖書は長い。
ウィキの解説で十分だよ。 >>257
まだあるぞ。
分家の深草秦氏が神体山イナイ(シナイ)山=稲荷山を持っていて、本家の太秦秦氏は松尾山を神体山としているので、この松尾山もユダヤ教と関連があることが推測される。
松尾(まつお)山とは何か。
過ぎ越しの祝いの前日にユダヤ教徒が食べる種無しパンの呼び名が、(マッツァー)だ。
エジプトを脱出する直前に急いで造った種無しパンのことを記念して、祝日の前の日にこの(マッツァー)を食べる。
その(マッツァー)のイディッシュ語風の発音が、mztzo(マッツォ)だそうだ。
太秦の西の神体山である松尾山の(まつお)は、この(マッツォ)に松尾の漢字を当てたものだな。
で、エジプト脱出の時の食べ物(マッツォ=松尾山)→シナイ山(イナイ=稲荷山)→モーゼが夢見た国(ムサア=武蔵の国)という出エジプト記のダイジェストが完成する。
わははははは。 >>257
ユダヤ教への理解度が全然足りてないから言ってるんだよ
理解度が足りてないという事はウィキの解説では十分じゃないという事
モーゼは自らの意志で約束の地へは行かなかったんだから
温情で行った事にするのは信者のする事ではないよ >>259
モーゼが約束の地に入れなかったのは、神の指示に従わなかったからだそうだ。
杖で岩を打てば水が出て、民が欲する水を得ることができるというのが神の声だった。
しかし、モーゼらは二度杖で岩を打ち、水を出した。
一度というのが神の指示だったので、二度打ちは神に逆らったことになった。
そういうわけだそうだ。
この水の問題については、長野の諏訪湖の名の(スワ)が、トルコ語の(ス・ワン=水がある)由来だと考えられるので、太秦のマッツォ(松尾山)を振り出しとする
聖書のストーリー通りの水の問題が解決される配置となっていることが分かる。
さらに聖書通りに進めば、モーゼは武蔵の国に入る手前で死ぬことになるので、約束の地には入れなかったことはユダヤ教の信者には自明のことだったに違いない。
そこで秦氏が付けた約束の地の名が、(ムサ・シ=モーゼが向ったところ=武蔵)だったのだ。
秦氏の温情の部分は、修正する。
(むさし)の(し)は方角を意味する言葉であるので、(むさ・し)は(モーゼの方向=モーゼが向ったところ)でよいだろう。
これであれば、聖書のストーリー通りになるわい。
わははははは。 >>260
訂正
上から6行目の(ス・ワン=水がある)は、(スワア=水がある)が正しい。
聖書のストーリーの秦氏によるダイジェスト版の中に、なぜ諏訪湖の(スワア=水がある)が登場するのか疑問に思っていたが、お陰でその疑問が解けた。
太秦、深草、諏訪、武蔵が出エジプト説話のダイジェスト版であることは、いよいよもって疑えない事実であるようにみえる。
秦氏は、間違いなくギリシャ系かペルシャ系のトルコ語を話す改宗ユダヤ人だ。 さて、日本語の語彙には、太古のアルタイ地方由来のものが少なからず見られることは、これまでに見てきた通りだ。
そのアルタイ地方由来と考えられる語彙をさらに探索してみよう。
日本語の(とっととうせろ)という言葉の(とっと)とは何か。
この(とっと)は、(とくとく=疾く疾く)の略だそうだ。
漢語の疾(しつ)を(とく)と読んでいるもの。
(とく=疾く)は、速くという意味。
つまり、(とっととうせろ)は、(すばやく姿が見えないようにしろ)ということになる。
そして、この(とく=疾く)の語幹は(と)であるので、(と)音に速いの意味のあることが分かる。
この速いを意味する(と)音がどのような背景を持っているか、というのが今回のテーマだ。
続く >>262
速いの意味をこの(と)音が持っているとすれば、(とぶ=飛ぶ)、(とび=鳶)、(とり=鳥)などの語彙がすべて速いという意味の(と)音から発した語彙であることが推測される。
では、この速いを意味する(と)音とアルタイ地方とどうつながるか。
速いを意味する語彙は、モンゴル語ではturgen(トゥルゲン)だ。
日本語の速いを意味する(と)音と同系であることが分かる。
この速いを意味するモンゴル語のturgen(トゥルゲン)は、フィンランド語のtuulen(トゥレン)と発音が極めて似ており、このtuulen(トゥレン)は風の意味である。
フィンランド語の風を意味するtuulen(トゥレン)がモンゴル語の速いを意味するturgen(トゥルゲン)と同系の語彙であることは明らかだ。
(トゥ)音が、速いの意味の語幹となっている。
速く吹くのが風というわけである。
日本語の速いを意味する(と)音とまったく同じということが推定される。
そして、この速いを意味する語彙は、チュルク系のキルギス語がtez(テズ)、カザフ語もtez(テズ)、トルコ語ではhiz(ヒズ)と変化しており、
これらの速いを意味するチュルク系の語彙も、日本語やモンゴル語、フィンランド語の(と)音、(トゥ)音と同系の(テ)音が語幹となっていることが分かる。
このように、日本語の(とっととうせろ)の(と)音が、モンゴル語や満州発祥のフィンランド語、そして元々はアルタイ地方にいたチュルク語と同系であるばかりか、これらのアルタイ地方の語彙の親に当たる語彙である可能性すら出てくるのだ。
(とっととうせろ)は、その俗語的表現にもかかわらず、このような背景を持つ太古以来の由緒正しい言葉である言葉なのだ。
わははははは。 >>218
ハタ(秦)氏のハタの由来ではないかと考えることができそうなのがトルコ語のseyahat(セヤハト)。
このseyahatのat(アト)は馬を意味するので、seyahatが旅行の意味をもつ理由が分かる。
旅をするのは馬に乗るからだ。
しかし、atの前のseyahがどのような意味の言葉であるのか、グーグル翻訳などでは意味不明であった。
そこで、精査してみると、重要なことが判明した。
seyahにyを追加してseyyah(セイヤ)とすると、seyyah(セイヤ)は巡礼者の意味であった。
そして、seyyahat(セイヤハット)は、まさしく旅(たび)を意味する言葉だったのだ。
つまり、旅行を意味するseyahatの元の形は、syyah(巡礼者)+at(馬)なのだろう。
トルコ語では、旅(たび)とは神を参拝するために行う巡礼の旅という意味だった。
この巡礼の旅を意味するseyyahatを短縮したhat(ハット)こそが、ハタ(秦)氏のハタの意味ではなかったか。 >>264
秦氏が商業活動に馬を使っていたことを示す逸話がある。
欽明天皇のときに秦大津父は大蔵省の役人に抜擢されるが、そのきっかけが、伊勢での商業活動の帰り道を馬に乗って進んでいたところ、狼が二匹争っているのに出会い、これを止めさせて漁師に獲られるのを防いで命を永らえさせたことだった。
秦氏は、荷を馬に乗せて運ぶ運輸も行っていたことが分かる。
まさに馬による旅は、seyyahat(セイヤハット)=旅そのものであり、その短縮形のハットが旅籠の旅(ハタ)なのだ。
秦氏のハタの由来はさまざまな解釈がなされているが、秦氏のハタは機(ハタ)や肌(ハダ)、幡(ハタ)由来ではなく、旅を表すトルコ語seyyahat(セイヤハット)の省略形のhat(ハット)であり、その意味はまさに交易で(旅する者)の意だと考えられるのだ。
この考えは、非常に興味深いと言える。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています