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清末民初の擬古派の学者たちもそう考えて「ほとんど後世の作りごと」「孔子も本当はいなかったんじゃね?」と主張し、日本でもそれを受けて「西周なんか無かった」と唱えた学者もいたくらい。
ところが甲骨文の解読が進んで殷の王系が判明すると、それが司馬遷の記録したものとほぼ同じであることがわかって、みんなひっくり返って驚いたわけだ。
司馬遷からみて千年以上前の史実をそれだけ正確に記録し得たのは、口承のみに依拠したのではなくて、何らかの記録や史料が存在して、それを参照したのだと考えられる。六国の史官が編纂した記録も当然あったろうし。

もちろん、たとえばツキジデスの「戦史」の登場人物がしばしば行う大演説みたいな、ディテールを盛った部分までは信用する必要はないけど。古代の歴史家はこういうディテールを盛ることを職業的義務と感じていたようでもあるし。