「漢民族」とは何なのか?
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春秋戦国〜前漢時代に形成され、魏晋南北朝時代にさらなる新融合を果たした{漢民族」。
一体全体、「漢民族」と何なのか? >>1
漢文系統の文語を共有し、この共通文語から深く影響を受けたシナ・チベット語族の口語を用い、
中華国家の「郡県」に父系の一族の本籍意識を持つもの。
で、どうだろうか。 そもそも民族ってなんだ?
年末にどん兵衛を食べながら「笑ってはいけない」を見てる中国人なんて日本民族の一部じゃないのか? >>1
前スレでスレ末にかかって消化不良に終わった、
「中華都市、日本都市、欧州都市の比較論」
の議論もここで続けていいかな? >>5
そもそも、どの民族も周縁部分、境界部分はあいまいだし、
民族内にサブ的なエスニック・アイデンティティが存在する複核構造だし、
住んでいるところもモザイク状に入り混じっているのが普通なんだよ。 >>6
おめーはおれの渾身の編集結果をさんざんスルーしておいて、何を今更抜かしてくれる。プンプン。
(1分熟考)
どうぞ。 >>8
いや、前スレで以下の文を最後に投入した者なんだが、
スレ末になっちゃったんで、この説明で十分伝わったか確認できないままに終わっちゃったからさ。
以下コピペ
>>989
弥生時代、古墳時代と発展してきた首長制の在地共同体が10世紀に律令制と共倒れで解体しているんだよ。
その荒廃した更地から、荘園とか国衙領なんてシステムが発生してきて、11世紀に荘園公領制が確立してくる。
例えば、群馬県の繰り返し榛名山なんかの噴火を被っているところで考古学の発掘をやると、
古代には何度火山噴出物で農地が埋められても、同じ土地に同じ地割りで農地や集落の復興が行われている。
ところが、10世紀の噴火の後は一切復興が行われずに荒廃地のまま放置されているんだ。
この辺のドラスティックな変化が起こった時期には中央の朝廷でも文書管理のメカニズムが激変しているんで、
一次史料の残りが非常に悪い。
だから、一般向けの歴史書なんかだと(起きたことの実証がしにくいからこそ)色んな社会システムの断絶が
起きたことを適当にぼかして書いていることが多いんで、世間に周知された史実になっていないんだ。
一般向け歴史書でも、広島大学にいた下向井龍彦さんの著作なんかだと明瞭に指摘されてるけどね。 >>7
だったらもう民族なんていうあいまいな概念、消滅したほうがよくね?
まじで文化人類学者以外、誰が得してるのかわからん >>9
なんでもいいけど、レス番1000でそこまで真面目に長文書くやつを初めて見たわ。
いったい何を考えてるんだ >>11
いや、1000になりそうなことをうかつにも意識してなくて、
日頃強く問題意識の対象にしていた内容が質問で投下されたのでつい・・・(汗) >>13
今自分が生きている世界・社会の成立プロセスってすごく気になるじゃん。 >>9
だから、「どうぞ」。 「次スレ要るか?」と尋ねても誰も要るって言わなかったけど、まあおれは人がいいので
勝手に立ててみた。
誰かも書いてくれたがこちらは文化面を中心に中国史を語れればいいかなと思うけど、貴方は博識で
春秋時代についても丁寧に答えてくれたのでお好きなように。
都市論が終わったら「漢民族」についても語っていってちょ。 まあ、前スレ同様 結局雑談スレでどうぞ。 >>14
歴史の醍醐味はそこだな。 特に中国は現在の政治指導部が中華帝国の復権や「中華民族」の栄光を
やたら鼓舞してるので、前スレ同様 タイムリーなテーマだと思うんだがね。
このスレでも中国共産党の話題をビシバシ放り込んでいければと考えている。 中華人民共和国て、将来黒歴史にならんかな。
ロシアからの征服王朝的な。
漢民族の意思が反映されてると思えない >>16
現中華人民共和国の「一帯一路」構想なんて、杉山正明の指摘している大元ウルスのクビライ政権による
海洋進出と大陸通称ネットワークの結合に酷似しているんだよね。
もしかすると、日本でのモンゴル研究の成果を彼のブレーンがキャッチして、
習近平に教えている可能性は否定できないんじゃないか。
それから、確かにモンゴル帝国の解体時の世界の状況と、現代世界が抱えている問題って、
急進的なグローバル化の果ての諸問題の発生、という観点から見ると、確かに相似形の部分はあるんだよ。 モンゴルは草原の帝国であると同時に海の帝国でもあった、紙幣を発行し、科学技術の発展にも寄与した
先進的な帝国だった。決して野蛮な騎馬民族が力だけで治めた帝国ではなく、その当時としては
新たな世界システムの構築を模索するパイオニアだった。
19世紀 英国の覇権を支えたのは海軍力と貿易だった。 20世紀の米国の覇権は核戦力と国際通貨ドルだった。
21世紀の覇権国は紛れもなく通信の覇者であろう。
次世代通信技術を巡る米中の覇権争いが激化しているが、モンゴル帝国がやろうとしていた
新しい世界システムの構築を、時を超えて今の中国がやろうとしているんだろうねえ。 >>18
中国・ロシア・イラン
反米のユーラシア三大国は、そのまんま元朝・キプチャクハン国・イルハン国だからなあ >>9
均田制の崩壊が、日本史にとってそれほどまでに重大な画期なら、中国史にとってもそうなのではないか?
前スレで、北魏から唐の前半までの均田制時代をまるごとカットしたのは如何? >>17
中共とソ連か蜜月だったのなんて建国からスターリン批判までの三、四年だけやん
ほとんど自力で国家運営してるのに征服王朝になるわけ無いやろ
自力でやった結果が大躍進に文革やけども 西欧と日本の中世というとイメージがしやすいが中国史の「中世」がイマイチ良く解らなかった。
京大学派と東大学派でも中世の見方が異なると思うが前レスの博学多識さんの解説がストンと腑に落ちたんでもう一度貼ってみる。
943世界@名無史さん2019/02/18(月) 10:20:47.250>>946
中国史で、春秋戦国の都市国家に君臨する地方有力者を邑の名を付して「〇君」などと呼び、
漢代に地方の郷里共同体社会を侵食して成長してきた地方有力者を「豪族」と呼び、
漢代豪族層から成長してきた魏晋南北朝時代の名門家門を「貴族」と呼んでいるのが、
極めて妥当な認識だと思うんだよね。
漢代の「豪族」は、まさにデフォルトの社会制度を侵食して成長してきた制度外の異物に他ならないけど、
魏晋南北朝の政権にとっては、彼らは社会制度にとってのデフォルトの制度内存在。
だから、中央にいようと地方にいようと、魏晋南北朝では貴族。
日本史でこの手の「豪族」に相当するものを挙げよと問われたら、
9〜10世紀に地方の首長制共同体を侵食して成長、伝統的郡司層を没落させた「富豪の輩」、「田堵」、「負名」
と呼ばれ、のちの名主層に成長していく連中だな。 >>21
まぁ、カットしたのは私じゃなくてスレ主なんだが・・・
均田制とはいっても、隋唐の均田制と、日本の均田制はその実施現場の背景が根本的に異なる。
隋唐の均田制というのは北魏の均田制の引継ぎで、鮮卑系北族の軍事占領下で、いったん乱世で秩序崩壊
したところに農民を再定着、再入植させる制度という性格が強い。
いわば、「進駐軍による戦後復興」だね。
でも、日本の均田制は弥生・古墳時代以来の首長制共同体社会の上に行われている。
つまり、独立した自営農民などいたためしのない首長制共同体の共有農地が広がっている世界に
共同体共有農地を「天皇の土地」に読み替え、共同体成員に名目上、ひとりひとり担当の農地を
割り振った形にして徴税単位とした、というのが実情。
だから、国司による徴税も国衙官僚が人民を強力に支配して行われたというものではなく、
在地首長層から登用された郡司層に国司があいさつ回りして旧来の共同体のシステムを使って
税を集めてもらっていた。
だから、首長制共同体社会の崩壊に伴って「名目均田制」のたてまえすら維持できなくなったんだ。 >>23
既成の多くの中国史解説書で「貴族制」時代の中国が
わかりにくくなっているポイントがいくつかあると思うんだ。
ちょっと箇条書きしてみる
・非制度的な「豪族」が漢代の官吏登用制度の隙をついて「名門」性を帯びていっている
・三国時代〜五胡十六国時代の華北社会の混乱による華北人の「武装難民化」で
「名門豪族」が彼らの指導者に押し上げられ本格的に「貴族」化している
・華北に南下してきた遊牧民の社会そのものがもともと「貴族制」社会であったのが、
北魏の漢化政策で遊牧系貴族家門が漢姓を名乗るようになって外見上彼らが漢人貴族に埋没している
・江南の六朝政権は華北から南下、江南を武力侵略した武装難民軍閥の連合政権なのだが
この指導者層が精神的支柱の名門貴族と軍閥としての軍事指導者から成っており、
後者の存在が前者の陰に隠れがち。
・魏晋南北朝隋唐という長いプロセスを経て漢人貴族の豪族性、北族貴族の遊牧指導者としての性格が薄れ、
いずれも在地に根差した性格が喪失に向かって官僚貴族化への道をたどっている
・血統貴族の在地性が失われるのと並行して在地社会では比較的短いスパンで興亡を繰り返す中小地主経営が台頭し、
それが科挙官僚の供給源になっていく
・安史の乱以降、乱の参加者から帰服した北族系軍閥が胡漢混成集団化しつつ在地軍閥化していく
こうした事がはっきり起きているのだが、その具体的プロセスに未解明の点が多いため、成書であいまいにぼかした表現で
書かれているという印象があるんだよね。 唐は、都では貴族の合議制、地方では節度使の藩鎮が割拠という、全体に皇帝権力が弱かった時代とされている (それこそが中世社会の特徴なのだが)
この反省から、宋では地方に科挙官僚を送り、地方有力者の権力を削ぎ落とした。
明は、丞相を廃して実験用のない内閣大学士を置き、皇帝独裁体制とした >>26
隋唐では王朝の支配の根幹となる軍事警察力、国家の中央暴力装置の源泉が武川鎮軍閥系関隴貴族の
北族系私兵軍団だからね。
武則天>玄宗皇帝の楊氏一族登用という流れは、この関隴貴族系の中央暴力装置の解体と、新たな
皇帝直属暴力装置の創出というキーワードで理解しやすくなる。
唐朝はこれに失敗して安史の乱を招き、中央政府による統治が有名無実化するわけだが、
宋朝は唐朝の関隴系軍事力に相当する沙陀突厥系軍閥の事実上の解体に成功した。
その反面、新たに創出した皇帝直属軍事力は虚弱になってしまったわけだが。 しかし、中国の中世をめぐる京都学派と東京学派って、全く正反対の歴史観だよね。
結局どちらが定説になったのか知らないけれど、内藤先生の方に立つと、
玄宗皇帝は足利義教、安史の乱は応仁の乱(あるいは嘉吉の変)に比定できそうな。
東京学派(唐中期まで古代)に立つと後白河・後鳥羽院になるか? >>28
結局、東京学派と京都学派の論争って、当時の世界で圧倒的権威をもって世界を覆わんとする
西洋史学理論をどう消化し、どう異議申し立てするかの苦闘だったと思うんだよね。
つまり、
「歴史の普遍理論は古代>中世>近代という発展段階論、つまり進歩を跡付ける理論である(これを唯物論で語ったのがマルクス主義)」
「東洋は普遍的な発展をなし得ない停滞の世界である(非ヨーロッパに歴史はない)」
という当時の世界での絶対的な権威理論に対して、
「日本や中国の歴史はどこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴のような停滞の世界ではない」
という異議申し立てをいかにするのか、という戦いの歴史の一断面だったんだな。
歴史学を外野で見てきた限りにおいて、
日本の史学界はこの呪縛から1970年代ごろからだんだん解放されてきたように思える。 軍事技術の進歩とそれに合わせた国制の変化、
という見方をすれば古代→中世→近世という直線的な発展段階論で行ける気がする。
古代は戦闘馬車や重装歩兵の時代、中世は騎馬の時代、近世は銃の時代。
中国の場合は地理条件のおかげで中世化が中途半端にしか進まず、
古代が遅くまで続いたようにも近世がフライングでやって来たようにも見える。 >>30
近世は、正確には「銃の時代」というより「火器(銃と大砲)と騎馬のハイブリッドの時代」なんだよね。
騎兵が火器に完全に駆逐されていくのは近代になって元込めライフルと機関銃が登場してからで、
それまでは火器と騎兵が相互補完する時代が長く続いた。
火器のユーラシア全域への普及はモンゴル帝国の存在に与るところが大きいんだが、
最近の歴史学ではモンゴル帝国崩壊後、つまりポストモンゴル時代に隆盛した中規模帝国、
つまりオスマン朝、サファビー朝、ムガル帝国、明清帝国を指して「火薬帝国」という類型概念が
提唱されている。
これらの帝国は騎馬軍事力と火器の火力を補完的に組み合わせて軍事力の中核としたのと同時に、
火器兵力を維持するために先進的な徴税財務制度を発達させたことが注目されているんだ。 >>30
もうひとつ、
「技術の進歩とそれに合わせた国制の変化」
という要素で語れるパラメータが、遊牧系軍事組織による定住農耕民に対する統治技術の進歩。
最初は厳しい遊牧地帯の自然環境で減少しがちな家畜を定住民から略奪していく程度だったのが、
やがて遊牧地域に都市を築いて商工民や行政文官などをそこに定住させるようになり、
さらには定住農耕地帯の一部を一国二制度で安定的に統治する経験を積み、
最終的には定住農耕地帯全体を安定的に統治して騎馬遊牧軍事力と定住農耕生産力を結合させることに成功した >>29
戦前からの歴史ある京都学派に対し、東京学派がマルクス主義の唯物史観で戦後に台頭したっていうイメージなんだけど、違うのかな? 唯物史観はどっちも前提にしているでしょ。
近世という区分を持ち込んだにも関わらず京都学派の方が西洋史の区分に忠実で、
東京学派の時代区分はどうも日本史に引きずられているように思う。 歴史の時代区分によく用いられる古代、中世、近代という3区分法はヨーロッパの歴史を分析するために考え出された。
この区分法の起源は、ルネサンスの人文主義者たちが、古代ギリシア・ローマ時代を理想とし、
ルネサンスはその古代文明の再生であり、その間の中世を古代の文明が中断された暗黒時代と捉えたのがそもそもの始まりである。
歴史学の研究が進展する中で、中世と近代の間に「近世」を挟む提案がなされた。
これは広く歴史学者に受け入れられ、現在では古代、中世、近世、近代の4区分が一般的に用いられるようになった。 古代、中世、近世、近代の境界は概ね以下の通りである。
古代 - 中世: 西ローマ帝国の滅亡
中世 - 近世: 東ローマ帝国の滅亡、ルネサンス、大航海時代、宗教改革
近世 - 近代: 市民革命(特にフランス革命)、産業革命
なお、近代と現代の境界については、1980年代までは1914年の第一次世界大戦の開始以降を現代とする区分が一般的であった。
しかし、1990年代以降は、1989年のベルリンの壁崩壊とそれに伴う冷戦の終結までを近代の枠組みの中で捉えることが多くなってきている。 西洋史の「古代」には、古代ギリシャ・ローマ文明を賛美し、それに比べて「文化が衰退した暗黒の中世」という価値観が根底にある。
つまり、「昔は良かった」という思想。
これでいくと、中国の場合は、尭舜禹や、周あたりが古代か >>37
これをひっくり返して、
「人類はたえまなく進歩し続けているんだよ」
史観を唱えたのが、マルクス主義。 都市戸籍と農村戸籍があるからな。
都市戸籍の人間で北京語で意思疎通できる人間だけが、
漢民族じゃないの?
マジで都市戸籍の連中は農村戸籍の連中を信用していないみたいだし、 なお、「昔はよかったよ」史観が故に、19世紀までの西洋の知識人は、「堕落」の恐怖におののいていた。
つまり、「人間が神の意志にかなっていた理想状態」から人類が歴史を下るほどに
乖離していっている、という思想で、その乖離を「堕落」と呼んでいた。
そこに、ダーウィンの進化論が登場した。
堕落の不安におののく西洋知識人は、堕落の回避の可能性を進化論に見出した。
そして、堕落からの脱出を「進歩」と呼んで、社会を進歩させる方向を模索するようになった。 >>39
中国共産党が根絶した士大夫母体の「卿紳」って旧中国のエリート階層は
農村を基盤にした勢力だったけどな。 >>40
なんか仏教の末法思想に似てるな
あれはどうやって克服したんたろう >>42
うん、
近代における社会の激変を「堕落」というキーワードで不安視したのを
本来の科学的な意味を度外視した「進化」理解で乗り切った現象が、
「末法思想」と「浄土教ブーム」の関係に酷似している。
「浄土教」ってのも、今のこの世界で修行して悟りを得るのをあきらめて、
死後輪廻転生する先を阿弥陀如来の主催する極楽浄土に定めることで、
そこで仏道修行して悟りを得よう、という思想だからね。 仏教先進国であった「中国」がそうでなかうなったのは北宋から。
北宋はそれまでの「中国」を大改造した異質な王朝。 >>44
宋から、新儒教の巻き返しと、仏教の衰退が始まった
でも、それでいて、宋は最高レベルの禅僧を輩出した仏教思想の頂点でもある >>45
北宋〜元代は、知識人としての最低教養は「儒教・禅宗・道教」の三つに通じている事、
という認識だったらしい。
唐代までの仏教は、その真の教理とは別に、国の支配階級向けのサービスとして、
「方便」ではあるが、「神通力」を有するとして祈祷や呪術の類をやっていた。
これは、日本の天台宗や真言宗と同じ現象。
ところが、宋代には禅宗が台頭。
禅僧は旧仏教の僧侶と違って、支配階級の心の苦悩と向き合って、対話による
一種のカウンセリングをサービスとして行うことに心を砕いた。 宋明における新儒教の登場は、西洋史での「宗教改革」に相当する
儒教は、キリスト教やイスラム教と違って露骨に宗教っぽくないから、そういうイメージが無いのだが、社会に及ぼしたインパクトは勝るとも劣らない
西洋史では、宗教改革とルネサンスの前後で「中世」と「近世」に分かれる
その意味では、中国の場合は、宋がその画期となるだろう >>46
そう、そこも見落としがちなポイントの1つだろう
日本の平安時代が、なにかといえば「怨霊の祟りじゃ」といってビビっていた迷信深い時代なのはよく知られているし、西欧は近世に入っても魔女狩りをやっていた
唐朝も、ここまで迷信深いかどうかは別にして、国を挙げて加持祈祷に狂奔した時代
新儒教は、それに対する啓蒙思想という面もある 「日本は、遣唐使を送って唐の進んだ文化を学びました」と歴史の教科書には書いてあり、確かにその通りなのだが、実は、唐の文化のなかで日本人が最も興味を持っていたのは、加持祈祷だった
日本人が長安に来ると、仏教経典や祈祷・占いの本を争って買い求めるので、現地では「本の値段が上がる」と言われるほどだった その典型的な日本人が空海か?
へい、空海、おめーもイカれた野郎だぜ。 なにかにつけて現世志向が強く、インド人や西洋人に比べて「あの世に興味が無い」という、際立った特徴を持っていた中国人
漢代には盛り上がらなかった仏教が、なぜ魏晋南北朝から隋唐にかけて、急に極盛期を迎えたのか?
これについて、よく言われるのは、
「中国人が仏教に染まったのではない。
仏教を好む異民族が、中国に移住してきたのだ」
ということ
実際、宋で衰退した仏教は、モンゴル帝国の宮廷で盛り返したし、明で衰退した後も、清の宮廷で篤く信仰された >>52
中国よりも、日本のほうが残っていると言われている >>47
新儒教である朱子学ってのが、実は理性によるカウンセリングによって新時代の支配層に受容された、
新仏教の禅宗から大きな影響を受けて成立したようだね。
旧仏教が(方便とはいえ)加持祈祷で旧支配者層にサービスしたのと同様に、
旧儒教には現代まで継承された四書五経のような「経書」とともに神秘的な預言書である「緯書」があり、
「経書」と「緯書」を組み合わせることによって真理が読み解けるという思想が存在した。
ちなみに、「経緯」という言葉でわかるように「経」と「緯」はセットのタームであり、
布を織るときのたて糸が「経」で時間軸に沿った事象の生起のあとづけを意味し、
布を織るときのよこ糸が「緯」で表に見える現象を裏で結び付けている真理を意味する。
つまり、仏教でも儒教でも唐代までは非理性的な神秘主義の色彩が強かったのが、
宋代以降は理性主義が前面に押し出されてくる。
ただ、人間は理性だけでは精神の平衡が維持できないので、
非理性の神秘主義を一手に引き受ける存在として道教が位置付けられていくことになる。 >>55
ところで「経書/緯書」って「スートラ/タントラ」の訳語なんだろうか?
少なくとも漢代には既にあった言葉だけど。 >>57
確かに、原義が同じだね。
でも、中華に五行説あれば天竺に五大説あり。
同じような同時多発的な並行現象じゃないのかなぁ。 >>57
船山徹著「仏典はどう漢訳されたのか〜スートラが経典になるとき」という本によれば、「経」は機織りの縦糸という意味だったが、初期の漢訳者たちが大胆にも、これを「スートラ」の訳語にしたという話だ しかし、戦国時代には「詩経・易経」その他がすでに存在した
荘子ではこれらが「六経」とも呼ばれている 人種とか遺伝子とかの話は抜きにして、文化集団・宗教的な観点からみると
漢民族が完成したのは宋代からか?
欧州で言うとカール大帝が「西欧」を作り出したような感じで。 >>61
そのあと、モンゴル帝国による、人種のルツボ状態が来るからな
中国全土はともかく、北京に限って言えば、新しい民族の形成期 >>61
漢民族の「完成」は現代
中国共産党が「かつて漢人の土地だった領域の回復」とか言ってるように
周辺民族を全部漢族と設定した時でしょ 「民族」の定義は別にして、
少なくとも「中華」の歴史というのは「周縁」を「中心」に巻き込み、繰り込んでいく歴史の
繰り返しと言ってもいいんじゃなかろうか。
周代〜漢代は邑という華北の多民族都市国家社会をひとつにしていく歴史で、
魏晋南北朝〜清代はモンゴリア、江南を華北のシステムに統合していく歴史。
さて、民国・人民共和国以降はどういう枠組みで語れる歴史になっていくのだろう。 >>64
中華史観というイデオロギーでは、そういうことになるな
実際には、ド辺境の北京が全国を征服して新たな中心となり、かつての中華と呼ばれた地域は周縁となって従属しているのだから、それは現実にそぐわない
本当は、「かつての中華は衰退して、別の地域が台頭した」というのが実情
広く東アジア全体を見渡してみれば、日本もそうだ
かつては北京や上海と同じく周縁だったが、今はどう見ても最先進地域 >>65
周縁としての北京(燕)の台頭というのは、「北方」の軍事力のどこが中華という生産力を押さえるか、という
重心の移動ともとらえられる。
周代や秦代、隋唐では北方からの軍馬導入、さらには軍事集団の参入のゲートは西の方にあった。
その時代の華北の軍事センターが渭水平野、関中盆地の長安。
ところが、北方の軍事力の重心は次第に東モンゴリアやマンチュリアに移動。
その象徴が、
・東モンゴリアとマンチュリアの移行ゾーンに台頭した契丹遼帝国
・マンチュリア本国に台頭した女真金帝国
・東モンゴリアから台頭した大モンゴル国
・大モンゴル国の西マンチュリアに封建した東方三王家を権力基盤に勃興したクビライ王家大元ウルス
・マンチュリア本国に台頭した大清国
という流れ。
華北はしばしば東西分裂して抗争している(殷と周、北斉と北周)が、北方そのものの東西対立、
という背景を想定してみても面白いかもしれない。
その好例が、拓跋鮮卑(代〜北魏)と慕容鮮卑(三燕)の対立抗争に現れていると思う。
この時代の華北における北方騎馬軍事力のセンターが北京(燕)。 「なぜ、大日本帝国による朝鮮や満州の支配は非難されるのに、中華人民共和国によるウイグルやチベットの支配は正当化されるのか?」
という素朴な疑問に対する、左翼と中共の側の理屈づけが、その「中心−周縁」理論だ
大日本帝国の場合は、周縁である日本が、中華を支配しようとしたから悪い
中華人民共和国の場合は、中華が周縁を同化しているのだから良い
・・・左翼の親中派学者たちの主張は、要約すればそういうことになる >>66
編集ミスで行が狂った!
これが訂正バージョン。
周縁としての北京(燕)の台頭というのは、「北方」の軍事力のどこが中華という生産力を押さえるか、という
重心の移動ともとらえられる。
周代や秦代、隋唐では北方からの軍馬導入、さらには軍事集団の参入のゲートは西の方にあった。
その時代の華北の軍事センターが渭水平野、関中盆地の長安。
ところが、北方の軍事力の重心は次第に東モンゴリアやマンチュリアに移動。
その象徴が、
・東モンゴリアとマンチュリアの移行ゾーンに台頭した契丹遼帝国
・マンチュリア本国に台頭した女真金帝国
・東モンゴリアから台頭した大モンゴル国
・大モンゴル国の西マンチュリアに封建した東方三王家を権力基盤に勃興したクビライ王家大元ウルス
・マンチュリア本国に台頭した大清国
という流れ。
この時代の華北における北方騎馬軍事力のセンターが北京(燕)。
華北はしばしば東西分裂して抗争している(殷と周、北斉と北周)が、北方そのものの東西対立、
という背景を想定してみても面白いかもしれない。
その好例が、拓跋鮮卑(代〜北魏)と慕容鮮卑(三燕)の対立抗争に現れていると思う。 >>67
支那を支配することに成功してたら日本人も中華に同化されてたんだよなあ >>69
人種がほとんど同じで、人口が十倍以上なんだからなあ
全体で均質化されれば、中国人になる イギリスも、「もしも百年戦争にイギリスが勝利してフランスを併合していたら、いまごろイギリス人はフランス語をしゃべっていただろう」とよく言われる >>68
他スレで「唐までは、西が東を征服してきた」という話をしたところ、なぜか怒りだした奴がいて、スレが荒れた >>71
まぁ、あの時代の「中世イングランド王国」はフランス王国西部の大諸侯の属国というのが実態だからな。
薔薇戦争を経てウェールズ系の支配者層を戴くようになった「近世イングランド王国」になってはじめて、
イングランド王国はブリテン諸島の島嶼国家になった。
第一次英仏百年戦争なんて、実質、羊毛利権で緊密に結びついたアキテーヌ公国(+属国イングランド)
とブルゴーニュ公国が、フランス王国の中央集権化に抵抗して結束した「反中央集権化闘争」じゃないか。 >>72
参考までに、その怒り出した人はどういう論理で反論していたわけ? >>74
「唐は西じゃない、山西省だから北だ」とか、そういう感じ
たしかに出身地はそうなんだが、隋末の群雄割拠地図のなかでは、長安の唐であり、洛陽の王世充や河北の竇建徳を滅ぼした西の勢力のはずだ
あと、「曹操は西で、袁紹は東」というのに、やたらカミついてきていた。
正しくは、「曹操は南で、袁紹は北」なんだそうな。
たしかに、そこは微妙なとこだった。
でも、「周と殷」とか、「秦漢と斉とか魏とか」とか、「北周と北斉」とか、明らかにそうじゃんかよ?・・・と思ったが >>75
これは、グーグルアースの自分のアカウントでやってみて驚いたんだが、
殷周〜春秋戦国時代の主要な大国の大邑の今わかっている遺跡の緯度経度の情報を
Wikipedia諸言語版なんかを駆使して集めてプロットしていくと、
そのほとんどが関中盆地を扇のかなめにして、華北平原を扇の本体にする、
扇型の狭い領域にほとんど集中しちゃう。
これを既存の専門書の植生域の文献に当てはめると、
「温帯落葉樹林」を潜在植生にする領域とほぼ一致するんだ。
これをもう少し精密に表現すると、華北の世界ってのは、面としてビラっと広がっているんじゃなくて、
・陝西:関中盆地(渭水平野)
・陝東:中原+汾水流域盆地(晋)+華北平原
の二重構造で、この両者を合わせた扇型領域以外はほぼスカスカなんだ。
そして、殷周抗争以来、陝西と陝東の武力抗争というのは時代を超えた通奏低音みたいにあって、
おそらくその背景に北方の東西対立、考古学で検出されているザバイカリエとプリバイカリエの世界の対立がある。
そこに、さらに、華北と揚子江流域の対立ってのが絡んできて、東アジアの地域対立の構図が浮かび上がってくるんだと思うんだな。 >>76追加
あと、華北と揚子江流域の対立で勝敗を決める「キャスティングボート」みたいな地域があって、
それが四川盆地(巴蜀)。
「陝西」つまり渭水平野勢力が「巴蜀」を制すると、一気に陝東と長江流域の制圧がタイムテーブルに登ってくる。 盆地は、周囲の山から水が流れてくるから、古代人にとっては農耕がやりやすいんだよなあ
日本でいえば奈良盆地がそれで、地図で見ても、なんでこんなところが日本で最初に開けたのか分からないが、夏に行ってみると蒸し暑くて稲作に最適
湿地帯は天然の水田だった >>75
怒ったんじゃなくてデタラメって言ってるだけね?
しかもそれが基本だと言うから、そうでない例を出して
基本と言うにはあまりにも数が少ないよ、という話をしてるのよ
>>76の分析も本当にデタラメ過ぎて笑っちゃう
「そりゃ領域そのものが狭い時代の話を現代の国家の地図と比較したらせまいよね」
って話になるだけなんだよなぁ… ただ、盆地ったって、四川盆地なんかはメチャクチャ広くて、日本人の感覚だと広大な平野だな
長江下流の江南に次ぐ、中国大陸でも最良の地のひとつ 四川盆地 22万9500km^2
四川盆地 18万km^2
四川盆地 16万km^2
日本の可住面積 10.35万km^2
英国の可住面積 20.63万km^2
ドイツの可住面積 23.79万km^2
日本の可住面積より広いことは確か ただ四川盆地が丸っと漢民族の歴史に組み込まれるのって宋辺りからなんだよね 明末に張献忠が、四川人を大量に挽き肉にして兵士に食べさせたおかげで、四川省の人口は激減
清代の大量移民で、人間が入れ替わった >>9
この話、俺も興味があるんだけど、このスレなの結局?
中国同じことスレで暗黙の続行かなと思ってたんだけど。 >>76
要するに「山裾」なんですよね。太行山脈の山裾。といっても、山麓から100kmぐらいは余裕であるけれど。
山裾といえば、山東の泰山山塊にも山裾があって、南側に残丘というか微妙な丘が点在してる。
ここももう一つの人口密集地。
理由は植生というより、黄河の氾濫コントロールがどうしてもできなかったからで、
黄河の洪水が直撃する華北平原真ん中の氾濫原は、かなり後になるまで意外に人口密度が高くない。
漢民族(華夏族)って意外に山好きっぽいところがあって、
洛陽盆地のような、平原の終点のちまちました盆地に、まず拠点を築いた。ここが一番水害に対して安全だったから。 >>85
漢民族と華夏族を同じ存在と定義しちゃダメでしょ
華夏族って仮定の存在で過去に存在した中原の民族という話だけど
春秋時代に至ってなお各地は夷狄等と呼ばれた諸民族の雑居になっていて
そこから漢代に漢人という概念が立ち上がっていくんだから
仮に華夏族という存在がいたとしても漢民族を構成する一要素に過ぎない
客家の鎮が山岳地にあるから漢人そのものが山好きの可能性は確かにある
とは言え、客家が山岳地に住んでたのって既存の住人が平地に陣取ってたから
山岳地に住むしかなかったという面もあるんだけど >>84
あ、ここのスレでいいよ。
疑問点があったらいつでも返答するよ。 >>85
山裾っていうのは、黄河の氾濫を避けているのに加えて他にも要因がある。
まず、黄河のような大河川より、
渭水、汾水、洛水みたいな中規模河川の方が灌漑の取水がしやすいし、
水運路としても使いやすい。
次に、山裾からアクセスできる山腹には木材資源がある。
さらに、山脈には、木材の他に鉱物資源がとれる鉱山もある。
だから、黄河流域の低地だけではなく、黄河の氾濫の届かない黄土高原の真っただ中も
人口密度が低くなっている。 黄河の河岸なんて、人の住むところじゃない
侵食でえぐられて、切り立った崖になっている
人が住めるのは、黄河の本流ではなく、支川の沿岸 発射ミスww
前スレもこのスレも俺が立てたし、好きなようにしてちょ。他は知らん まあ、中国史スレは、何本たてても結局、1本しか進行しない >>92
独立した中国英雄板が別にあるからね。 それと、やっぱりヨーロッパ中心史観から日本人は未だに
抜け出せていないからかも?
三国志ブームではないが、単なる英雄譚ではなく、世界史としての中国を論じるスレが多く欲しい所。 >>93
今、ここと「なぜ、中国の歴史は同じことの繰り返しに見えるのか」スレが
同じようなテンポで進行しているから、
「世界史としての中国」スレが同時2本進行中と言えまいか。 >>88
>>89
華北の歴史的地理環境を理解する上で重要なキーワードが「原」という語なんだよね。
この語は日本語に取り入れられた時には「草原」とか「原っぱ」という用例に取り込まれていて、
ただ平たい土地が広がっているイメージしか浮かびにくいんだが、
もともとの華北での原義はそれとは大きく異なる。
華北では黄土高原に風で堆積した黄土が分布しているのに限らず、
渭水、汾水、洛水なんかの中規模河川流域の盆地や華北平原にも、
黄土高原から河川の浸食で流出した黄土が堆積している。
この黄土の堆積した土地では、黄土が中小の河川網で浸食され、
深く浸食した谷によって網の目のようなブロックに区切られている。
この侵食谷に区切られたひとつひとつの黄土のブロックが「原」。
そして、新石器時代以来華北で発展してきた「邑」という都市国家は、
この「原」ひとつずつに築かれ、「原」を自らのなわばりとして、
「原」の中に自らの依る農地も開墾してきた。
その典型例が、「周王朝」の勃興の地である「周原」。 黄土は微粒子でできていて、極めて硬いのが特徴。
掘って地下住居に住んでいる人が、今もいる。
天然の干し煉瓦というほど硬くて、プロじゃないと加工できない。
ただし、弱点は水に弱いこと。
大雨が降ると、急に脆くなる。
もっとも、こんな乾燥地域で雨が降ることなど、滅多にない。 >>98
そういう黄土の土地において発達してきたのが「中耕農法」というやつ。
「中耕」というのは、畑の作物の株と株の間の表面の土壌をこまめに浅く耕すこと。
これは日本でも華北でも行われてきたのだが、この両者で意味が全く異なる。
高温多湿の日本では、除草しても除草してもあっという間に雑草がはびこって作物を圧倒してしまう。
だから、除草鍬で作物の株と株の間に生えてきた雑草の芽生えを削り取って駆除する。
これが日本における「中耕」。
ところが、華北はたまにしか雨が降らない乾燥地。
例えば粟の栽培だと春の降雨があったらすかさず粟の種を播く。
粟の種が土壌の水を吸って発芽したら、土壌に蓄えられた水を
徹底的に節約して粟が効率的に利用するようにしなければならない。
そのために、鍬で粟の株と株の間を浅く耕す。
そうすると、土壌の奥深くから地表面に水分が毛管現象で上がってくる経路が破壊される。
この作業を毎日毎日こまめに行って、徹底的に土壌中の水が粟に利用されずに地表から蒸発するのを防止する。
華北の農業ではこの「中耕」に必要な労働力が重くのしかかってくる。
この重労働の労働力を確保するために、戦国時代以降家父長的な支配構造の緊密な家族組織が発達してきた。
この家父長的な緊密な家族組織を国家が掌握した単位が「戸」であり、それをまとめた帳簿が「戸籍」。
ちなみに、春秋期以前にはこの重労働は邑の同姓氏族共同体によって行われた。
これだけの苦労をしても、華北の農業環境は「十年九旱」と表現される。
つまり、十年のうち九年は干ばつで十分作物がとれず、一年だけ適切な降雨で大豊作となる。
邑単位、県城単位の地域社会はこの一年の大豊作で残りの九年の不作の不足を補って食いつなぐが、
時にこのギリギリのバランスが崩れて深刻な飢饉が到来する。
すると、県城単位の地域社会はこぞって武装難民となり、まだ食糧の豊かな地域を攻撃して命を繋ごうとする。
これが、いわゆる「王朝末期の農民反乱」というやつ。 >>97
ヤマト民族と日本民族みたいなもんか
アイヌをヤマト民族に同化し終わって日本民族になったとか。 アイヌ民族は同化してないけど琉球民族はもう完全に大和民族に同化した >>101
琉球はもとから一民族というよりは漢族の中の客家人みたいな族群だろう
と混血の俺は常々思う >>100
漢族と中華民族は全く別の概念で今も両方実在するよ 琉球民族はどちらかというと漢民族より大和民族に近いと思うけどな >>105
あ、いや琉球が漢民族に入るっていう意味じゃない
漢族の中の一支族として客家人があるみたいに、大和の一支族として琉球があるって言いたかったの
客家は初めは中共が民族に認定しようとしたけど、客家側が猛反発して漢族(客家人)っていう表記に落ち着いた
琉球も同じ立ち位置でいいと思う 〇〇族(民族)の下に××人(部族)
↑
この制度中共特有で草
○○人(民族)の下に××族(部族)
↑
中共以外全世界はこっちじゃね? >>107
お前ほんと民族学勉強してからもの言えよ
一民族の下の下位区分なんてどこにでもあるだろが
赤モン白モン黒モン花モンはそれぞれ別の民族なのか?
そもそも客家は中共が出てくるより前からある概念だし >>108
↑
こいつ物事の意味を理解してないガイジ >>99
その意味での中耕は、日本でも盛夏期にやったりするけどね。穀物栽培というより蔬菜作りなどで。
それはそうなんだが、その話、実は当たり前なのだが大変に重要な問題を含んでいる。
華北の畑作穀物農業って、ドライ・ファーミング(灌漑なしの天水農法)なんだよね。
これ、結構重大な話で、いわゆる「四大文明」のうち、黄河文明だけ灌漑をしていなかった。
黄河文明だけは、南アジア以西の他の3つと同列に並べてはいけない気がする。
大河川が持つ意味が、ほかの3つと全然違う。
どっちかというと、ヨーロッパや地中海世界の文明に農学的体質が近い。
西アジアでも、歴史的シリアやアナトリアなど。 >>110
華北がドライファーミングだという問題意識で議論を進めるとき、
非常に興味深いのが周や秦が勃興した渭水流域の関中盆地なんだ。
あそこは秦の鄭国渠にみられるように、古くから灌漑をやっている。
つまり、黄土高原の上とか洛水流域の中原とか、
ドライファーミングの世界が広がっている中で、
関中だけ異質なんだな。
この逆位相がメソポタミアに存在する。
メソポタミアというと一律に灌漑農業と思いがちなんだが、
それは古い時代に「シュメールとアッカド」、
後世に「バビロニア」と呼ばれたメソポタミア下流域。
上流の「アッシリア」は三日月地帯西半分の「歴史的シリア」と同じで、
天水農業のドライファーミング。
アッシリアが帝国として台頭するのは「紀元前1200年のカタストロフ」を乗り越えた後の
鉄器時代になってからだが、
その時代になると灌漑農業のバビロニアでは塩害で小麦が作れなくなっていて大麦の栽培に移行しており、
ドライファーミングのアッシリアでは小麦の栽培が持続している。
あと、灌漑農業のバビロニアでは都市国家の君主への権力集中が早くから見られるが、
「専制」とみられがちなアッシリアでは実は君主への権力集中は早くから進んでおらず、
ローマのコンスル制と酷似したリンム制が行われていたり、民会の権限が強かったりと、
同じドライファーミングの地中海世界に近い社会体制が指摘できたりする。
そうすると、中国における灌漑農業の陝西とドライファーミングの陝東における
基礎社会構造の本質的相違があったんじゃないかという問題提起につながってくる。 本当は清に征服される前の明民族というつもりだったはずが、日本では明民族というとセミみたいだから漢族、中華民族にした。孫中山が。これは定説や。 洛陽周辺はそもそも農耕じゃなくて交易の中心地じゃけえ 少しコトバの整理をしておきたいが、まず「中華民族」というのは孫文あたりが創造した新概念で
漢民族も満州民族もウイグルもチベットも内モンゴルもひっくるめて中国国内に住む住人をまとめて
総称した政治スローガンである。本来は「中国国民」と称すべきところを「○○民族」にしたのは
分裂状態の自国をまとめる方便であろう。そこで本来は独立した民族であるチベットもウイグルも
民族の下位カテゴリである「〇〇族」に格下げされた。(よって民族自決は認めん!と。)
「中華民族」という言葉はアメリカ民族 ソビエト民族 カナダ民族 という位のアフォな名詞。
ここを理解してない奴が1人2人いる。 前スレで琉球人について色々議論があったが、現在の沖縄県民を琉球民族とよべるかどうかは
少し置いておくが、
遺伝子的にも言語学的にもヤマト民族と近縁で大陸の漢民族とはほとんど関係が無い。
ここもしっかり押さえていない奴がおる。 前にも書いたけど中華民族は国族。
国民国家には必ず存在する概念で、何もおかしいことは無い
「民族の下位カテゴリの○○族」なんて全くもって意味不明
民族に関する概念は台湾が盛んに研究してるから王甫昌の『族群』あたりを読んで勉強すればいいよ 国族なんて変な造語を持ち出してきたニダ
これがかの有名な認知バイアスってやつニカ? だから、民族学とは全く無縁の新概念、政治概念のコトバが「中華民族」なるネーミング、
という話。
日本民族にはアイヌ人は入らないし、ベトナム民族なるものは存在しない。 国族はnationの中国語訳
民族はethnicの中国語訳
何もおかしいことは無いのになちょっと調べてから物言えばいいのに >>121
国民全体を総括する概念に対しに「族」の字を使った実績がないのにもかかわらず
「国族」なる謎単語を創出しnationの訳語であるなどと強弁している支共がクサい >>122
まぁ、北フランスのオック語系言語、南フランスのプロバンス語などのオイル語系言語、
ライン川沿いのロレーヌ語は互いにかなり相違した別言語にもかかわらず、方言だと言い張り、
これ全てをおなじnationだと言い張るフランス共和国ナショナリズムもたいがいに業腹なシロモノなんだが。
孫文以下中国国民党、中国共産党の「中華民族論」も、このフランスのひそみに倣ったものに違いない。 >>123
フランスは西の小中華だからな
いろんな面で中国と相似形 まあ、英独仏伊西とも、もともと北と南は別の国だったのを強引にくっつけた人工国家ばかりだからなあ
フランスは、まだ統合に成功したほう
最も失敗してるのはイギリス >>125
イギリスの場合非常に特殊なところがあって、
中世初期のノルマンコンクェスト以降、イングランド地付きの王権がイングランドを統治したためしがなく、
ほとんどすべての王権、王朝がイングランドの外からやってきてる。
そして、ウェールズもスコットランドも、かつてイングランドの外から王権を送り込んだ側にいた存在だ。
当然、「連合王国」の支配者層にウェールズ系、スコットランド系が繰り込まれているから、
下手にイングランドに統合できない。
その点、フランスはイル・ド・フランスの地付きの王権が、西フランス、南フランス、ライン川沿いの
従順ならざる諸地域を一方的に軍事的に制圧統合している。
あの「百年戦争」にしてからが、「イングランドとフランスの戦争」と見るのは不正確で、
イル・ド・フランスの王権が中央集権に反抗する西フランスのアキテーヌ公国(+イングランド王国)と
それと羊毛産業利権で緊密に結びついた東フランスのブルゴーニュ公国を屈服させて従属下に組み敷いた
一連の戦争と見た方が実情に合っている。 >>123
フランスのそれはnationじゃなくてethnicの意味での単一民族主義じゃないかな
本来のnationにおいては言語か方言かなんてどうでもいい
何語を話していようがフランスに住んでる人はみな同じフランスnationだから
nationが強調されるのは国内に語族レベルで異なるぐらいかけ離れた民族が雑居してる場合(マレーシアなど)と、
周辺国でethnicの意味での民族主義が勃興した時(タイ民族主義に対抗するための中華国族主義など)
フランスはその点どうなんだろう
ドイツのゲルマン民族主義なんかが脅威になったの? >>127
むしろ、フランスの大革命以降の「Nnatio」+「Civilisation」イデオロギーに対抗しての
「Volks」+「Kultur」イデオロギーじゃなかったっけ。 今北。 要するに「国族」なんちゅう中国語は民族学とは無縁の政治用語であるし、
そこで定義される「中華民族」なるコトバも全く考慮の外のいびつな概念。
こういうわけのわからん単語を「漢族」(漢民族)の上位概念に持ってきている様を
俺はアフォだと言っている。
漢民族と「中華民族」の違いを押さえたところでこの話はここまで。 >>128
ethnosとVolkって同義じゃないの?
ていうかなんでドイツ語w
フランスの言語運動がethnicな運動だっていう意味ならその通りで、政権がそれを鎮圧するためにethnosの違いを超えたnationを強調してる点は中共やソ連、アメリカなんかと同じだね
Kulturについてはよく分からんけど、nationともethnosとも違う集合なの?
それでふと思ったんだけどドイツがvolksなんたらっていう民族共同体なるものを掲げて分裂状態からの統一を目指したのって、
三国時代みたいに何度分裂しても必ず統一を目指す原動力になった「中華」的な何かと似てるかも
西洋については詳しくないからあくまで思いつきだけどね >>131
あ、舌足らずだったけど、フランス革命以来のフランス共和国イデオロギーに対する
ドイツイデオロギーって意味ね。 お前ら全然わかってないな。ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』でも読み直しとけ。 >>131
>ドイツがvolksなんたらっていう民族共同体なるものを掲げて分裂状態からの統一を目指したのって、 三国時代みたいに何度分裂しても必ず統一を目指す原動力
いやー、それは無いな。
ドイツ統一の原動力となったのは、プロイセンという国家の「権力への意志」。
「ドイツはひとつ」というイデオロギーなど、今でも無いくらいだ。 中国でも「北京愛国、上海売国、広東出国」と言われるように、気候風土に恵まれた地域ほど、「統一」への情熱がない
ドイツでも、プロイセンは統一したがるが、南のバイエルンはそれほどでもないし、さらに南のオーストリアに至っては全くその気なし >>135
そういうのあんまり当てにならないけどな
辛亥革命を起こした中国同盟会は広東系の孫文、胡漢民、汪兆銘始めほぼ全員南方人だよ >>127
フランスの場合は共和主義のイデオロギーで国民を統合する面が大きいんじゃないかと。
その一環として標準フランス語に通じていることを要求する。 >>137
そうそう
国族の拠り所として言語が使われることはよくある
フランス人たるものフランス語を話すべし、みたいな論
政治体制への帰属意識も冷戦時代にはよくあった
今でも台湾は中共と異なる国族(台湾が国かどうかは置いといて)として統合するために大統領選挙を中心にした民主主義をよく強調する
まあでも一番多く使われるのは歴史経験じゃないかな
同じ土地で同じ歴史を経験してきたから同じ国民なんだっていう主張
極端なのはミャンマーで、1823年の英緬戦争を経験した人とその子孫だけがミャンマー国族だって主張して、それに該当しないロヒンギャは不法移民扱いされてる >>128で概ね正解。
フランスがnationと称する集団を母体とする、みたことない単一不可分の国家を作ったあげく、
やたらと圧迫してきたから、これに対してドイツ人が対抗して作った概念がVolk。
受け身で作った概念だから中身はない。血縁と言語で情緒的(ロマン的)にまとまるキモい集団。
でももっと言えば、イングランドが海を越えてやたら圧迫してきたことに対抗して、
パリのフランス王権が作った(ボダンに作らせた)のがsouverainete'概念で、
これを軸にして練り上げられたのがnation。王様の首をはねたので、nationだけでまとまることになった。
もちろん、話の最初のイングランド王権はフランス出だから皮肉な話なんだけど、
島国が島として自動的にまとまるがゆえに、対抗する大陸側に「外縁を区切る妙な概念」を惹起させている。
この話、「中華民族」なる変態概念の形成過程と同じなんだよな。 >>136
辛亥革命のときは、全省が一斉に独立宣言した
ソビエト連邦のすべての共和国が独立したのに匹敵する事態だった >>139
概ねあってたか。よかった。
中世〜近世のヨーロッパ国際関係を理解する上でのいくつかの軸線があって、
・西フランク>フランス王国と東フランク>神聖ローマ帝国が経済中心で人口稠密地帯のロタリンギアを奪い合う
というのが第一軸
・イングランド>フランス>ドイツと波状に波及するナショナリズム形成
というのが第二軸
・奪われるロタリンギアから自立したロタリンギアを目指す運動から台頭するスイスとオランダ
というのが第三軸 >>141
スイスとオランダの独立過程は全く別個でロタリンギアという意識はないけどなぁ >>142
スイスはハプスブルク家の勃興の地で、
ネーデルラントは旧ブルゴーニュ公国領をフランスと神聖ローマ帝国が奪い合った挙句に
ブルゴーニュ公国本国がフランスに、ネーデルラントがハプスブルクに転がり込んだもの。
で、どちらもがロタリンギアの富の重要な結節点で、ハプスブルク家にとっての重要な財布だった。 >>143
うん?だからロタリンギアという意識はスイスにはないという話なのだが >>148
人間に逆恨みしてレイプ魔になりきり
子孫残す野蛮人がエベンキ人 漢民族含む東洋人はエベンキ人のDNAが
入っている!つまり日常的な犯罪行為を繰り返すDNAを遺したエベンキ人が東洋人に
集団レイプ
その一部の東洋人の中に漢民族が存在 人類崩壊のシナリオを作って細胞になり生きているエベンキ人 米朝首脳会談で嘘つく北朝鮮
経済制裁などという意味不明な嘘で
核兵器開発しない代わりに経済制裁解除しろと
経済制裁なんて受けてないのに
訳の分からないことを平気なツラでぼざく
北朝鮮政府関係者
核兵器開発やめる意思など最初からなかった
北朝鮮の金正恩
アメリカのドナルドトランプ
両名による茶番劇を毎日マスメディアが映像加工して偽造放送 >>153
アメリカと北朝鮮は最初から手を組む
巨悪な犯罪国家でした
世界をユダヤ人とクルド人にエベンキ人の乗っ取り計画立てる世界征服が目的 エベンキ人にユダヤ人のキチガイDNAを持った愚か者が掲示板サイト内にエロ広告ばかり掲載 >>155
レイプしたくて我慢が出来ず
エロ広告ばかり常時掲載するエベンキ人 エベンキ人にユダヤ人とクルド人の血が混ざったらレイプ願望のみ強い野蛮人が掲示板サイト内に乗っ取り計画してインターネット接続 >>157
性欲だけが生き甲斐加藤京平によるスレッド 本気で性欲だけが生き甲斐なんだな!
加藤京平さん。 加藤京平さん
アイドルシャッターやって画像アップして >>1
ニセ嫁の植木由佳に海外資金援助と称してマネーローンダリングさせてたんだ。 >>163
だから無職でも金があったんだな!ひろゆき >>164
ひろゆきの本職は
メディア系の乗っ取りという犯罪行為 >>165
拡散希望 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f70dfdc711a7c6ae6accccb939f27fbf) 西村博之一族っていう奴等は何名様いらっしゃるんでしょう? >>123
フランスでは、フランス国民のことを他のラテン系民族と区別して
「フランス民族」と言ってたんだろうか? そういえば、「ドイツ民族」というのは昔からよく聞く言葉だけど、「フランス民族」というのは聞いた覚えがないねえ >>171
イタリア、イングランドあたりもきかない 民族、民族とやたら言いたがるのは、ドイツ・ロシア・中国・イラン・朝鮮あたりだな
国家社会主義の傾向がある国ばかり 民族主義は文明の中心に接する後発の文明国で発達するように思う。
モンゴルや女真が先駆者で近代だとドイツが本場。
イギリスも本当はそうなんだけど君主で民族を代用した感じ。
あとイランは全然違うかと。あそこは革命の理念で民族主義を抑え込んでる。
なんせ最高指導者からして民族的にはアゼルバイジャン系だし。 >>174
そうだな
イランは民族というより、シーア派という宗教で結束している
人口の3割はトルクメン系 >>174
そうなんだよ。
日本人の多くの常識に反して、イランというのはイラン系とテュルク系の双系混在社会。 >>174
ドイツ人のドイツ人という意識って8世紀頃から存在してるから
近代に限った話ではないのだけどね
民族意識ってのは他の文明と相対して「彼らと違う我ら」を意識する時に
強く発揮されるもんだってのは間違いないんだけど ドイツ民族意識はフィヒテを利用してビスマスクが上から作ったものだよ >>179
日本にいる香港出身者と大陸出身者は日本語で会話するからな >>180
高校の時にクラスにいた大連人と広州人も日本語だったな
でも言葉と民族は関係無いぞ
言葉が通じないからって薩摩民族と大隅民族に分ける必要は無かろう
現代において漢民族の存在を疑う理由なんか何も無い >>181
そのたとえをするなら薩摩と大隅じゃないだろ >>182
じゃあ薩摩と津軽にするか?
どっちにしても方言差が大きすぎて通じないことは一民族の存在を否定する理由にはならん >>183
言語と民族は関係ないわけじゃない
ただイコールじゃないだけだ 薩摩と津軽ならルーツに別民族が混ざってると思うがなあ >>177
8世紀はまだドイツ人なんて存在してないよ
フランク帝国と抗争してたのはあくまでザクセン人やバイエルン人 >>185
だから今の薩摩人と津軽人が別民族だと思うの?
過去の話と今の話を混同するなよ >>186
古高ドイツ語の時代には既にドイツ語とそれを話すドイツ人っていう意識はあるよ
9世紀入ってすぐのカロリング朝東フランク王ルートヴィヒ2世が「ドイツ人の王」を名乗ったりして
8世紀にはドイツ人意識ってのが存在してないとおかしいとか傍証も色々あるし >>188
ドイッチュのもともとの意味は「地付きの者」みたいなニュアンスだっけ。
ガリア+ラインラントから侵略してきて征服したフランクとは別の土着の者たちという意識だったかな。
そうすると、もともとの「同族意識」というより「ガリアのフランク」への対抗意識による仲間意識
というのがふさわしそうだね。 >>187
当の中国人も北と南はルーツが別という意識があるんじゃないの? どっかの藩が幕府から独立したら、
別民族という扱いになるのかとか気になるところ 日本も、東と西はもともと別の国だったのを、強引にくっつけた感はあるな 上海と北京は、東京と札幌くらいの距離
上海と香港は、東京と鹿児島くらいの距離だ
日本が「単一民族国家」になったくらいなんだから、中国にも十分可能 そんなことはない
上代東国方言だって紛れもなく日本語だ
強引にくっつけたというのならその最たるものは北が印欧系のルーシで南がテュルク系のタタールの土地だったウクライナだろう 臨高語(タイ・カダイ語族)みたいな語族レベルで違う明らかな別言語で漢族しか話さないのって、時代をさかのぼるともっとあったのかな
自称漢族だけの話すテュルク語、ツングース語、イラン系言語、モンゴル系言語とか
それとも満州族みたいに、民族意識より先に言語が同化される方が一般的だったのかな >>194
ルーシとウクライナは、支配階層がそれぞれスカンジナビア系武装商人とテュルク系騎馬遊牧民ってだけで、
被支配階層はずっとスラブ系農耕民だろ。
あと、近しい言語が別言語とみなされるのか、それとも方言とみなされるのかってのは、
統治システムが一つになるか分かれるかなどの多様な原因で、
標準文語がひとつになるのか、わかれるのか、という部分が大きくかかわっていそう。
ドイツ語とオランダ語は、結局のところ別の政体のもとで市民共同体が別の標準文語を
発達させたことが別言語とみなされる大きな要因となっている。 >>196
いやそうじゃなくてウクライナの南部はずっとフン・ペチェネグ・キプチャクといったテュルク系遊牧民の世界だろ
そこはスラヴ人の根拠地とは到底言えん
出自の違う土地(キエフを中心とした小ロシアとクリミア・ハン国の故地たる新ロシア)を近代になって接合させて強引に成立させたのがウクライナの領土 >>197
もう少し古くからの展開をみると、テュルク系の草原地帯制覇前のスキタイ時代から、
ウクライナのチェルノーゼム地帯がパン小麦の大産地で、
その小麦栽培農耕民を遊牧国家が支配して徴税した穀物をギリシア人と交易したりしている。
ウクライナの農耕地帯と遊牧地帯は別ものじゃなくて、非常に古い時代から有機的に結合した世界だよ。 有機的に結合云々ならこのスレの本題でいうところの漢土とモンゴリアの関係も同じだろ 漢土は、特に華北はそれなりに独自の軍事力を有していたので
モンゴリアの支配下にはいったり自立したりを繰り返していたが、
ウクライナのチェルノーゼム地帯は遊牧国家による統治が
古代から切れてなかったんじゃないのかな。
遊牧国家側へのある程度有効な反撃も、事実上スカンジナビア系の
軍事力に依存しているだろ。 >>200
キエフ公国のリューリク朝は、出自が北欧のヴァイキング
遊牧民とはいえない >>201
うん、リューリク朝の時代が、スカンジナビア系軍事力による遊牧国家への抵抗の時代とも言える。
問題は、チェルノーゼム地帯をリューリク朝の存在した時代を通じて、ペチェネグなどの遊牧国家が
どれだけ実効支配の力を及ぼせているかなんだ。
これって、遊牧国家の側もスカンジナビア系の側も、どちらも相互浸透的にチェルノーゼム地帯に影響力を
振るっていて、かなりごちゃごちゃとややこしいことになってたんじゃないのか? >>188
ルートヴィヒ2世に「ドイツ人の王」のニックネームがついたのは18世紀だそうだよ
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_110010038776.pdf?id=ART0010604764
という論文によると
「フォルク(theoda)の言葉を話す人々(フランク人、ザクセン人、シュヴァーベン人、バイエルン人)を一括して「ドイツ人(Theodisci)」と呼ぶことは、
イタリア人により他者の呼称として始められたのであり、それが自称として使われだすのは、ようやく、10世紀末のことである。」
と書かれているよ >>203
そりゃ、「チュートン(テウトニー)」系の名称はラテン語古典のローマ史研究の裏付けがなければ出てこないわけでさ。
問題は、カロリング帝国東西分裂時に東の勢力が西フランクに対して自分たちを「ドイッチュ」と呼んだ、そっちの方だと思うよ。 >>204
ストラスブールの誓いは、「ドイツ語で書いた」とあるのであって、
ドイツ人という民族名ではないよ >>205
書いた、じゃなくて「ドイツ語で誓った」だった >>206
それはまだ「ドイツ人の言葉」という意味ではないと思う。
ラテン語系の誓いの文書を出してくる西フランクに対して、
我々はドイッチュ(=土着の者)の言葉で誓う、というニュアンス。
集合論でいえば、「帝国」全体の言語からラテン語系を除いた補集合が
「ドイッチュの言葉」、というイメージ。 ストラスブールの誓いに出てくるロマンス語の方もそれに近いよね >>208
というと、「それぞれのサイドの土着の者の言葉」+「正調ラテン文語」の3つ作成するってことか。 そうだね
ラテン語の内容をドイッチュの言葉とロマンスの言葉で口頭で誓わせ
その内容を書記がラテン語で記録したものが残ってる ×その内容を書記がラテン語で記録したものが残ってる
○その内容を書記がラテン文字で記録したものが残ってる 古フランス語ってのはフランク訛りのラテン語の成れの果てだときくがどれだけケルト要素あるんだろ? >>210
それぞれの陣営の戦士集団のそれぞれに通じる口語で朗誦して意思確認したのを、
そのままラテン文字で書き留めた、という形式なんだろうね。
そもそも黙読が一般的ではなくて文書とは朗誦するもの、という時代だから。
そうすると、中華世界のそれぞれの時代の諸王朝で、漢文公文書は
朗誦されたのだろうか、という疑問が浮かんでくる。 >>212
ガロ・ローマ社会の口語がどうなっていたのか気になるねぇ。 >>203
マジか…
後世の視点の資料見て勘違いしてたのか
恥ずかしい死にたい 例えば、将門や頼朝が日本から独立した国家を樹立してたら
おそらく別民族扱いされてただろうな
そう考えると、国家の存在が大きいのか ドイツ民族意識を、「受け身で中身がなくキモいだけ」と煽って書いたのが、カチンと来たかな?w
Volk概念の、なんとも言えない「ロマン主義的キモさ」ってのは、>>1を語る上ですら重要だと思うけどね。
このキモい概念を、「ドイツに傾倒する明治中期以降の日本のアカデミズム」が、喜んで取り入れてしまい、
それを日本で勉強した中国人知識人が輸入して、漢字語としての「民族」に東アジア共通でまとわりついてしまった。
ともかく、中世の「ドイッチュ」なるものは、全然別物。
日本語で例えれば、
これは、フランク分割後のアルプス以北世界において、
神父のラテン語説教が、「なんとなくわかる古文の読み聞かせに聞こえる」地域と、
これが「聞いてもイミフの漢文読経にしか聞こえない」地域に分かれた。
後者になってしまう連中を、なんとなく「ドイッチュ」と言ったというだけ。 >>218
「民族」って漢語術語も変な言葉なんだよね。
Volkに発する輸入概念をベースにしているにもかかわらず、
決して欧州知識人に共有された普遍的概念に根をもたない。 >>217 岡目八目ということなのか、一応共通の起源を有してても多様に分化してしまった諸集団を、全く民族系統が別(時には語族レベルで別)の人たちによる中央政府や学者が一つに再びまとめるということもあるな
そしてだいたいは何となく当事者も追随していってるような。力関係や偉い学者先生の言うことだから...ということなんだろうけど >>219
欧州知識人に共有された普遍的概念に根をもたない、というのはVolk自体がそうなんじゃね?
「民族」は「民族」でよく分からんけどな。
「種」という ethnic group とほとんど同じ意味の由緒正しい漢語があったというのに。 ethnosが民族じゃないのか
なんでVolkとかいうローカル言語の単語に拘る? ニューギニアでは一言語一民族という発想なのか、トク・ピジンではワントクという語があって、
これが国を代表する新聞の紙名にも用いられてるな
おそらく英語ならネーションということだろう。旧英国植民地でよくある新聞社の名前だな
ニューギニア国民を一つの擬制民族ととらえた発想の紙名か
http://pngfan.jp/special/100009/
https://en.wikipedia.org/wiki/Wantok_Niuspepa 民族の定義を言語を共有する集団というのは、世界的に割と共通認識なのかな
とはいえユダヤ人みたいに語族レベルで違う民族固有言語を複数持つ「民族」までいるし.... 場所にもよるね
東南アジアでは民族を分ける上で言語はあまり重視されない
広西のチュワン族とベトナムのヌン族、タイー族は言語も文化も同じだけど移動の有無で別民族扱いになってる
早い時期にベトナム領内に移動したのがヌン族、割と最近に移動してきたのがタイー族、そして移動してないのがチュワン族
しかもチュワン語は南部と北部でお互い通じないほど離れてて、その方言区分はチュワン、ヌン、タイーの区別と一致しない
さらにいうと北部方言はプイ族か何かの母語と疎通できるのに当人の意識ではプイ族じゃなくてチュワン族に帰属してる >>227
生業とか生活様式で分けるのはアフリカでもよくあるよね
>>228
ヨーロッパはともかく北米やオセアニアだと民族意識自体が希薄で人種意識の方が強いのな >>229
東南アジア内陸部なんて服の色で民族分けるからな
あと何民族に扱われても気にしないっていうのもある
海南島のミャオ族は本当はヤオ族なのに民族識別工作で誤ってミャオ族に分類された
けど当人らはそれでも構わないらしくて今ではミャオ族を名乗ってる ミャオ族もヤオ族も外称で、自称はそれぞれモンとミェン、かと思いきやそれすら統一された自称ではなくいくつもある部族ごとに自称あるからな
しかもミャオ=ヤオ語族の内部分類に民族識別が一致している訳ではなく、シェ族は言語分類学的にはミャオ族の一部ときたもんだ
タイ・カダイ系の言語を話しているにも関わらずヤオ族にされてるのまでいる >>231
畲語はミャオ語派に入れる説もヤオ語派に入れる説も、独立した語派を立てる説もあって定まってないよ
それより面白いのは南方諸民族はみんな自分を他民族ではなく漢族だと認識してる、してたこと
畲族も自称は山客家で客家人の一派を自認してる
壮族も初代民族識別工作の時の聞き取り調査では自身を壮族儂智高の反乱の際に鎮圧のために派遣された狄青の子孫だから漢族だと言い張った
でもみんな壮語を母語として話すし壮族の服を着るし、何より儂智高を英雄として祀る行事を欠かさず行う
ベトナム領内ではヌンやタイーではなく華族(漢族)として登録してる人も多い こりゃもうわかんねえなあ
(民族意識)がガバガバじゃねえか 「民族」っていう概念自体が19世紀に新しく登場したことだからな。それまではそんなことは気にしていなかった。 >>232 ベトナムに住むヤオ族のうち漢語が母語のグループは、サンジウ(山瑶)族として漢語系グループとして分類されてるな
そして客家が漢族(ホア族)とは別にガイ族として扱われる こういう漢民族意識のせいで中共の民族識別工作はかなり難航したみたい
一千万人を軽く超えるチュワン語話者集団が漢族入りを望んだけど、最終的にはスターリン的な唯物主義で「客観的に」区分した
その結果フランスやら西欧からはありもしない民族をでっち上げたなんていう謂れのない非難を浴びたりもした
その一方でチュワン語に近いオンべ語を話す海南島の集団は激しい抗議活動の結果漢族入りを「勝ち取ってる」
結局漢族(臨高人)という注記を入れることで妥協したとか 中国には客家というのがあるがそれが漢民族の事じゃないのか? 客家も漢族の中の一派に過ぎん
客家もまた民族識別工作の時に客家族認定を持ちかけられたけど強烈に反発して漢族(客家人)の表記で妥協した マカオのポルトガル系が独自の民族として公認される日は来るのか.... 来ないよ
中共がこれ以上民族を増やさないって宣言してる 最近は、中国も少子高齢化による労働者不足が深刻になってきている
「我が国も、移民の受け入れを検討しないといけないアル」と言い出した
この先、アメリカ合衆国のような人種のルツボになる可能性もある 中山国建てた白狄って名前からしてコーカソイド
なんかな? 背も高かったそうだしな
コーカソイドだとしたら何系なんだろうね >>248
まさか晋そのものが白狄から生まれたとか? >>249
少なくとも、「晋=山西」というのがモンゴル高原の遊牧世界と地理的に地続きの場所であるのは疑いない。
三晋の「趙」が「胡服騎射」を取り入れたのもモンゴル高原の騎馬遊牧民と和戦ともに交渉が多かった事からだし、
後世の五代十国時代の後半四代の建国ベースになった沙陀突厥は中華に定着した当初、
古の晋の中核だった汾水流域の盆地を冬営地、そこから黄土高原に上がったところを夏営地に
定めて遊牧を行ったとされている。 晋は姫氏ではあるけど、
北狄が周から嫁か婿を貰って
姫氏を名乗るようになって成立したのと違うか?
もちろん斉みたいに異民族征服のために送り込まれた可能性もあるけど >>251
「姫」は氏ではなく姓。
当時の姓は人名構成要素というより部族集団名みたいなもんだから、
ひとりの「姫」姓の君主には、ごそっと「姫」に属する部族民がくっついてくる。
で、後世の封建領主と違って、この君主と部族民が不可分な関係になっている。
だから、「姫」姓の嫁入り婿入りで集団が丸ごと「姫」になったというのは考えにくい、
とは思う。
ただ、この姓で示される部族自体が名乗りを変えてしまった実例がないわけじゃない。
周が商を滅ぼして天下の盟主になった時に活躍した周王の一族とされる人物で
召公奭というのがいる。つまり、「召」という都市国家の公爵君主で「奭」という人物。
実は、上述のように漢籍古典では「姫」姓の周王一族とされてきたのだが、
商代の甲骨文書などから、「召」という都市国家は陝西渭水平野の周とは無関係の
陝東のむしろ商の本拠地に近い集団であることが明らかになってしまった。
つまり、「召」という都市国家の部族集団は周について商を裏切って滅ぼす事に加担して、
部族の名乗りも「姫」に替えてしまった可能性が高い、とされている。 昔、封神演義を読んだときは、周公旦とか召公奭とかを「姓は周、名は公旦」だと思っていたのだが、実際には「周公・旦」だった いや違う、封神演義じゃなくて、酒見賢一の「周公旦」って小説を読んだときだった >>252
でも、周から封建された他の国家は
姫部族じゃなくてその土地の住民を支配したんじゃないの? >>255
魯の発掘で明らかになっているんだが、封建時に自らの部族民を連れて行っていて、
旧来の被征服民と居住区なんかが全然まじりあってないんだと。
つまり、進駐軍と被征服民の二重構造になっている。
そういうのが崩れてくるのが戦国時代らしい。 魯は東夷平定の為に周公旦自ら統治した土地だからなあ >>260
どこにある言い回しなのか知らないが、
漢籍に散見する日本は太伯の末裔だという記述に基いているのだろう
周の古公亶父の子・太伯は呉の祖であり、
呉が滅んだ後にその姫姓の王統と血統は日本に継がれたことになる 北京語を母語とする集団は、湖北省や四川省にまで広がっている
中国共産党による強制がなくても、最大勢力なのは間違いない 広東省の深センは、わずか数十年で漁村から巨大都市へと変貌を遂げた
住民の多くが他地域からの移住者なので、もはや広東人の国ではない >>262
それは「官話系諸方言」であって「北京語」とは呼ばない
どちらも英語ならMandarinだが、それは中国語に無知な英和辞典執筆者の定義に過ぎない
官話系方言の内部は相当に違う
官話系方言の分布地域の広さは相当なものだが、
そのかわり総人口は南方沿岸部の諸方言には遠く及ばない いや人口でも中原と河西走廊と四川盆地抱えてる官話の方がずっと多いだろ
南方諸方言は山だらけのとこにあるし 閩方言が4000万人
粤方言と呉方言が8000万から一億人ぐらいじゃなかったかな
官話方言はどんなもん?
ただし母語話者人口の話は海外の華僑華人を含めるかどうかでだいぶ変わるんじゃないかな
含めた場合南方諸方言が有利になる 粤方言や客家方言は入声が本来の形で残るけど濁音は消滅し、呉語は本来の濁音を残すけど入声は全部声門閉鎖音に変化し、
閩方言は本来の濁音は消滅し(二次的に発生したのはある)入声も一部の語彙で本来のものから声門閉鎖音に変化してるけど、全体的に語彙が古い
なんか中古漢語の姿を完全にとどめた方言ってないな。どれもどこかしら変化してる 山だらけなら四川も同じ事
少数民族多いし
河西回廊だってまばらで人がいないところのほうが多い
東北官話、西北官話、西南官話は広い割に過疎
官話に囲まれた晋語は官話ではない
江浙官話なんてまるで呉語みたいでどこが官話なんだか不思議なくらい >>268
唐詩を読んでいちばん様になるのは粤語だろう 中古音で録音した「唐詩選」
上古音で録音した「詩経」
CDとか音源配信とかあったら欲しいな。
断片的なのはYouTubeの配信がチラホラあるけど、フルのやつが欲しい。 >>270
「漢詩は、日本語で音読みするのが一番きれいに韻を踏む」
というのは、昔から言われるところだかま 遠いところほど、古い言葉が残っている
よくある話だな >>272
訓読みするから台無し
音読みでも呉音か漢音の一方しか使わないのできれいに踏まないこともあり
どの字の韻尾もオーかエーばっかりで彩りもへったくれもないから踏んだって感動もない
一体どこの誰がそんなこと言ってるのか引用してみ >>273
日本語の漢字の音読みの方が今の中国の発音よりよっぽど昔の中国の言葉の発音に近いからな >>275
そういうわけでもない。東は上古音から発音はトンだし、
王はワン。 もしかすると、首長を表すやまとことばの「キミ」だが、「ウマ(馬)」「ウメ(梅)」
「ゼニ(銭)」なんかと同様に漢語の口語に由来する語彙だったりするのだろうか。
「君」の上古音は「クル」、中古音は「キュン」みたいな音だったみたいだが。 平安以降に音が変化して潰れまくった上に、声調が完全に消え、
さらに入声が開音節になってまるでポリネシアの言語のようになってしまった日本漢字音よりは、
まさかの朝鮮漢字音で直読のほうが、はるかにマシだからなぁww
朝鮮漢字音は、かなりきれいに規範的な中古音と対応する。
入声もきれいに揃ってるし、去声は「尻上がりイントネーションの長音」として、
かなり再現性の高い感じで残ってる。 朝鮮人は、漢文の訓読みをやらないからな
音読みなので、意味は分からない
暗記するしかない >>277
それじゃあ和語のキミとはつながらないだろう >>236他
彼らが主張する「わしらは【漢族】」というのは、文明人というほどの意味なんだよね。
エスニシティとは、かなりのズレがある。
ところが、その「文明人」には伝統的に、エリート層の文言(古典中国語。いわゆる漢文)習得がもれなくついて来た。
そして、彼らは顕著な「言語連合」を形成していて、言語系統とは関係なく、音韻と文法が中国語と似てる。
そうすると、何世代も経つうちに、母語に中国語が侵入してしかも【gdgdに溶け始めて】しまう。
これで、気がつくと中国語圏になってしまう。
広東語なんかは、どこをどうみても、チワン語に近いタイ系の言語がこのルートでシナ化した言語そのもの。
北方では、母語と中国語で音韻構造と文法に決定的な差異があるので、このgdgdに溶け合う過程はとらない。
日本語、モンゴル語、満州語などはもちろん、朝鮮語ですら中国語に溶けてしまうことはなかった。 >>285
そうすると、古典漢文の祖型を提供した言語は南方系の要素が非常に強い言語だったんだろうか。 >>285
粤方言がタイ語族に近いなんていうのも眉唾ものだろ
せいぜい数える程の共通語彙があるくらい
音韻は中古漢語からの変化で完全に説明できるし、文法は後置修飾に見える要素があるけどこのスレで散々否定されたし >>287
固有語彙と音韻だよ。決定的なのは母音の長短。
どこをどうやっても中国語の枠内では内在変化として説明不能。
方言字を使って示される固有語彙が、隣接のチワン語に近縁なのも当然の話で、
借用語などではない。あれだけの文化格差がありながら後世の借用なんてありえない。
>>286
古いチベット語が、古いミャオ語またはタイ語の影響を受けて単音節化したのが、中国語(シナ語派)だろうと思う。
この過程はすなわち孤立語化の過程でもあるから、
情報論的にチベットビルマ系の能格性を維持できず、対格言語に化けた。
語順だけで能格を示すのは大変に難しい。対格なら簡単。
今の漢字熟語の基本法則である、SVとVOの語順原則がここで成立した。 >>288
母音の長短なんて簡単に無から発生するぞ
日本語族の首里那覇方言がそうだろ
大体粤方言の母音の長短なんて後世に副次的に発生したことは明らかだ
「堅」がkianからkinに変化
衝突を避けるために「斤」がkinからkanに変化
最後に衝突を避けるために「間」がkanからkaanに変化
語彙に関しては同源と見られる語彙が少なすぎるんだよ
そんな数えられるほどの単語で同系説をぶち上げるのは危険
あと文化格差ってなんだ?それ比較言語学上の概念なん? あと粤方言の中でも母音の長短を区別するのは広州香港方言ぐらいじゃなかったか
台山方言とか広西白話には無かったはず >>288
>>古いチベット語が、古いミャオ語またはタイ語の影響を受けて単音節化したのが、中国語(シナ語派)だろうと思う。
そうすると興味深いのが、中国古代史で新たな支配者が登場する定番の、
甘粛>関中盆地(陝西)>中原(洛陽)
というルートだね。
秦がもろにこれだし、周もこのルートで歴史に登場している。
そして、出発点の甘粛ってのがチベット系諸民族の土地と言っていい。
もしかすると商(殷)の出現や二里頭文化(夏王朝?)の出現もこのルートがらみ?
ミャオ語、タイ語との接触は関中盆地で既に接触していたのか、それとも中原まで出てきてから? 【新元号】 は、世界教.師マYトレーヤの主張する『分ち合い』にあやかって、分合″にしよう! >>289
具体的な2単語の同音衝突を避けるなんてアドホックな理由で、
ホイホイと新しい音韻を創作して貰っちゃ困るだろ。比較言語学の基本原則の崩壊だぞそれ。
母音連続の変化だとか、音素消滅の代償だとか、そういう音韻体系上の理由じゃないと。
アドホックな説明しかできないのなら、そこに受け皿が最初からあったということ。
借用関係云々は、比較言語学としてはノイズ問題だから、
ノイズじゃないよねと言ってるだけ。 >>293
いやいや玉突きの母音推移なんてよくあることで、比較言語学の初歩だよ
最後に新たな音素が出来て玉突きが終わることも珍しくない
琉球語派では/e/が/i/に変わったけど、石垣方言ではもともと/i/だったものが中舌の/ï/に変わることで衝突を避けた
音素なんて簡単に新設されるものだから言語はこんなに色々に変化してるんだよ
こんなどこにでもある現象にわざわざ根拠の薄弱なタイ諸語起源説を持ち出す必要は無い
語彙に関してはノイズだよ
日本語の中の南島語語彙みたいに二割も三割もあるなら検討にも値するけど、数少ないなら気にする必要もない >>294
そりゃ音韻レベルの玉突きは問題なく認められるよ。
でも単語レベルのアドホックな衝突回避による新音素クリエイトはありえない。
ところで、スレ違いだけど未だに村山なんて信じてるの? >>295
単語レベルってどういうこと?
俺が言ってるのは一つの韻母丸々変化したっていう話やで
特定の単語の話はしてないよ >>296
てかさ、広東語の漢字音って、平たく言えば「タイ人が中古音をタイ語読みした」ようにしか見えないのよ。
音韻論として、内在的かつ通時的に玉突きを起こしたようにはみえない。
音節構造として介音を知らないタイ語話者が、中古音において目立つ介音を主母音として立て、
介音無しの韻母を母語の長母音に回して受け入れたように見える。
外国語音の受け入れとしては、よくある話だと思う。
もっとも、この仮説のためには、1200年程度昔のタイ語側の音韻構造が、
今のタイ語のそれとさほど違わないことの証明が必要だが、
タイ語族の様相を観る限り、当時広東に住んでいただろうタイ語話者の音韻体系は、
今のチワン語とさほど違わなかったようにみえる。 付け足すと、タイ語族というのは、漢字圏外でもかなり中国語の影響を受けていて、
漢字で書かないまでも、中国語由来の単語がかなりたくさんある。
バンコクの標準タイ語ですら、数詞の大部分が漢語由来。
タイ語がシナ語同系でない理由は、結局のところ基礎語彙の相違の程度しかないということになる。
そういう意味で、mainland southeast asia linguistic areaの言語というのは、
ヌルヌルとした程度問題にしか判断し難いところがある。
漢字音がきれいに中古音で説明できるというだけなら、標準タイ語とあんまり変わらない。
(この事情はベトナム語でも同じ。あっちはもう少し言語学的に楔を打ち込みやすいボロがでるけど)
そうなると、方言字で書かれる非漢語系語彙の出自が問題の核心となる。 >>297
どう見えるとかいう個人の感想程度のことを検討するのもなんだけどね、
粤方言の中の広州香港方言以外のものを見たことある?
台山方言が一番分かりやすいけど、介音がしっかり存在する
で、介音消失に伴う玉突きの母音推移が起きてないから「斤」は/kin/のまま、だから「間」も/kan/のままで、長短の対立は現れない
https://zh.m.wiktionary.org/wiki/Wiktionary:漢語發音表記
見ての通り中古漢語から粤方言が分岐して、その更に後から広州等一部の方言で音韻変化が起こったとしか考えられない
広州人だけがタイ民族で他は漢族だって主張するなら別だけどね
内部の変化で説明できるものにわざわざタイ語族の影響なんていう余計なものを想定する必要は無い
オックの剃刀だよ
それともう一つ、タイ語族の音韻の影響を想定するなら、例えば「斤」/kin/の音をタイ語族も持ってる短母音の/kin/や長母音の/kiin/じゃなくてわざわざ/kan/を選んだ理由も説明しないといけないよ >>298
語彙についてはタイ語族の中に現れる漢語系語彙は無数にあるけど、粤方言に現れるタイ語族系語彙なんてわずかしか無い
一回列挙してみてよ >>300
コレメンス
いっぺんどれくらいの比率でそういうのがあるのか具体的に挙げてる研究があれば一発で疑問氷解ンゴ >>299
台山話なんて、もはやhokkienみたいなもんじゃないか…
広東については、沿岸部を南下する福建人の影響を無視する訳にはいかない。
何しろ更に飛んだ海南島の方言は、まさかの完全なhokkienなのだ。
福建人は、漢族としては例外的な「海の民」で、
まるでギリシャ語のように、海づたいに同一言語圏を形成してる。
ビン語もまた独自性の強い言語ではあるが、
広東語のように、はっきり見えるような他の言語の影響は見当たらない。
少なくとも隣接する南島語の影響は皆無に近い。 >>299
そもそも、堅、斤、間の推定中古音は、kiEn, kI@n, k&nだろ。
kiEnは介音が目立つからkinとなり、kI@nは介音が目立たずシュワーが前面に聞こえるからkan,
そうするとk&nの音長を変えて強調しka:nとなった。単に音写しただけ。 >>302
「アドホックな」暴論もいい加減にしろ
台山だけの個別の話をしてるんじゃない
粤方言軍のうち介音がしっかり残ってる方言は長短の対立をしないの
台山でも南寧でもそう
これは粤祖語の時点で介音があって母音の長短なぞ無かったことを示す動かぬ証拠
お前ちょっとは粤方言群の概観でも調べてこいや >>303
これも個別に一個だけ反駁しても無駄
他に台山方言では「溝」が/keu/になって「交」/kau/と衝突しないから長短の対立を創設する必要が無かった
長短の区別が現れたのは広州などの方言だけの特異な二次変化
ちなみにこの二つは閩南方言ではどちらも/kau/に合流してることからも、台山方言が閩南方言の影響でこの体系になったわけではないことが分かる 連投でごめんやけど追加で
中古音の入声のうち-itと-ipだけが広州方言では-at、-apに変化して、-ikだけは*-akに変わっていない
もし他言語の母語話者が耳で聞いて真似したのであれば同じ母音がこんなおかしなことにはならない
ちなみに粤方言に近い客家方言ではものによっては三つとも/a/の母音に変化しうる(「石」/sak/とか)
他言語話者が接受したからではなく内部で時間をかけて徐々に変化してからこういうばらつきが出る >>304
>>305
さあ、どっちがオッカムの剃刀に切られるか、わからなくなってきたなw
303のような、こういう「糊塗的な説明」ができてしまうということは、借用関係の疑いが出てきたということだよ。
日本の漢音のような特殊例を除き、普通は音韻書片手に演繹的に導入しないので、
借用関係の音韻対応は個別的・糊塗的になる。普通はこれでスクリーニングするわな。
少なくとも、内在的にkinがいきないkanになるなどというアクロバティックな変化より、よほど説明が容易。 もういいってお前
諦め悪すぎ
/in/から/an/になんて南方ではどこでも起きてる現象
「閩」の字を閩南語で/ban/と読むことも知らんのか
閩東語では「民」の音が鼻音合流で/ming/に変わったから玉突きで「冥」が/mang/に変わってる
客家語の「聽」は特に理由も無く/thang/に変わってる
「閩」以外は個別の語単位じゃなくてほとんどの字で同じ変化をしてるんだよ
ここまで来てもまだ粤後の音変化だけはタイ語族のせいだって言い張るか?
それともどの方言のどの変化も全部タイ語族のせいだって主張変えるか?
あとなんて?日本の漢音体系が例外?
朝鮮でも越南でも漢字音体系が完成してるのに?
それ以上に漢語の影響受けた「タイ語族」が存在したけどついに体系的な字音を確立することはありませんでしたって?
もうほんま無理するなって その/in/の/i/はIPAでいうところの/i/じゃないな
本当はもっと中舌寄りの曖昧な母音じゃないか? その可能性はあるね
鄭張は中舌で再構してる(現代北京語の「子」の子音)
カールグレンは/kiən/だって
どっちにしても、漢語音韻論でいう”i”の介音がもともとあって、それが/a/に近い音に変化するのは南方では普遍的な現象 289は、kiEnがkianになってから、介音ではなく主母音が飛んでkinになり、
他方でkI@nが、なぜか一度高舌直音のkinになってわざわざ特攻を仕掛けた挙げ句
玉突きで逃げ出し、そしてなぜか一気に低舌のkanになったつってんだぜ。
そうしないと「玉突き理論」は成立しないからな。
こんなの、オッカムの剃刀で頸動脈を○られても仕方ないだろw 漢と汗と韓は日本語の発音が似ているだけでまったく違う言葉なのか
もともと関係ある言葉なのかわからない >>311
しつこいな
「斤」/kiEn/から介音が脱落したら/kEn/になって「根」と合流するだろが
この/kEn/が粤方言では/kan/になってるの
介音の概念分かってないなお前
それに思いっきり前舌の「林」でも同じ変化してるだろ
/liim/も介音が脱落したら/lEm/になる(注音符号で書けばㄌㄧㄣ→ㄌㄣでよく分かる)
そこから「林」と「藍」の対立が生まれるのは同じことだ
漢語声韻論においては何舌でもいいんだよ
大体広州方言において長母音は/aai/、/aau/と入声や鼻音をふくむ/aaC/の三つしかない
/aai/は「鶏」なんかが/kai/に変化したから「街」は/kaai/に逃げたもの
/aau/は「溝」や「九」が/kau/に変化したから「交」「教」なんかが/kaau/に逃げた
/aaC/は上に挙げた通り
中古漢語の声韻理論だけで説明できるものにタイ語族を想定する必要は無い 鄭張尚芳の復元では斤は中舌の/kɨn/なので
/ɨ/なら曖昧な/ə/を経由して/a/になるのも不自然じゃないだろ 「真」の韻母の中で中舌寄りに再構されてるのは「斤」みたいなk、kh、g、h、ng声母の時だけで、他は普通の/in/なんだよ
中舌は単に声母に引っ張られて起きた条件異音みたいなものだろう
そもそも広州方言の母音推移は介音脱落がトリガーになって起きたものだから、何舌であろうが脱落してしまえば関係無いんだよね
広州では「九」なんかも/kiou/から介音脱落で/kou/になって「狗」なんかと合流した上で再度/kau/に変化した
一方台山では「九」が/kiu/のまま残ったから、「狗」が/keu/になった変化を被らずに区別が残ってる >>289をもう一度読み直してみろ。
現代広州話を前提に、「堅」が高舌のkinになるから、「斤」のkinと衝突する
というところから話がいきなり始まってるんだぞww
しかも>>299末尾でもう一度、「斤」はkinだからオッカムの剃刀云々とダメ押ししてる。
こんなガバガバのザル論法なんて、おちょくられても仕方ないだろww
このへんの話は結構複雑怪奇で、地元の中国人の研究者が
「中国語方言は通時的に複数接触して影響を与えあってるから、系統論になじまないアル」といって、
西欧型の系統論から全力で逃げているのにも理由がある。
いいかげんなザル論理を展開すると、逆にオッカムの剃刀で切られてしまうww >>316
いつまで「斤」一つにこだわるんや
粤方言の母音推移が始まるより前に欣韻は真韻に合流しとるやんけ
つまり「斤」も「巾」も「賓」も「新」も「真」も同じ変化を起こしてるの。
それは「ㄧㄣがㄣに合流、その後ㄣの音価が/an/に」っていうたった一行で説明できること。
何が難しいんや?反切体系が理解できひんのか?
だいたいそこばっかり突っついても粤方言の中のタイ語族要素なんか何も出てきてないぞ
そんなことより早く粤方言群の中で広州含む一部の方言でだけ/a/と/aa/の区別があって、台山でも南寧でも開平でもそれが無い理由を説明してくれよ
粤海方言地域だけタイ人で他は漢族だったんだよな?そうだよな? 漢民族とは何だったのか?
答え ゴキブリ うじ虫 サナダ虫 とても勉強になるけど
どっかの学会ですれ違ってる人達同士なのかもしれないので
ほどほどにしといたらいいと思うよ >>319
うん。
横から見ていて、どうも学問的にまだ決着がついていなくて、研究者の間でも見解が真っ二つに割れている論争みたいに見える。
そのレベルになっちゃうと、字数に限りがあるネット掲示板上で決着をつけるのはまず無理だよ。
個人的には、近現代の広東語から大きく時代を巻き戻して、殷周代の上古期の漢語形成の話に戻ってきてほしい。
できたら、「>>291」の問題提起に話を戻していただけるとありがたい。 ミャオ・ヤオ祖語ってどういう構造なん?
もとから単音節声調言語なんけ? ごめんなさいやり過ぎました
一方言の話はもうやめます
上古の話をするなら、漢語もタイ語族もその他どの言語も声調は他言語の影響で獲得したものって書かれてるけど、じゃあ声調の元祖は誰なんだろう
そこでミャオヤオが出てくるのかな
でもミャオヤオってそんなに影響力あるの? 夏王朝や三皇五帝がミャオヤオなら影響力はあるだろうけど
推測の範疇だしね チベット系の言語のうち、甘粛のあたりの西夏(タングート)系の言語は
多音節だったかのように言われているけど、それは確実なの?
例えばギャロン語などを見ると、接辞は単子音ばっかりで、
動詞はベタベタ接辞が付いてもまだ単音節だろう 言語ごとに北京民族、上海民族、広東民族という風に分けるべきなんじゃなかろうか 甘粛って秦の勃興前の故地だし、甘粛の諸言語には関心を惹かれるな。 >>326
明代までは四川民族もいた
だが、張献忠が四川人をつかまえて挽き肉にして兵隊の食糧にしたおかげで、ほぼ絶滅した 華人の中心勢力
夏 商:華北(黄河下流域) 西征
周 秦:西北(黄河上流域) 東征
漢〜共産党:華中(長江下流域) 北伐 >>326
民族は同じ漢族だから分ける必要は無いけど、〜民系っていう概念が実際にある
閩方言を話す人が閩系人、粤方言を話す人が粤系人だ
まあ客家人っていう概念の延長じゃないかな いやべつに客家だけがエスニシティとして際立ってるわけでもないし
客家に触発されて粤やビンを分けるようになったわけでもないよ >>331
エスニシティどうこうじゃなくて他者からの扱いが際立ってるんだよ
中共の民族識別工作で客家民族を作ろうっていう話があった
客家の側が拒否したけど
閩民系とか粤民系なんていう考えが出てきたのはそれ以降の話 台湾の本省人の間では、雨後の筍のようにこの四半世紀続々と先住民の新たな民族が認定されてる流れを受けて、
自分たちも漢族とは違う台湾族だ!という動きがあったりするんだろうか
実際ヨーロッパの基準だったら十分別民族の言語と言えるくらい北方語からは隔たってるな
まあでも台湾が中国に飲み込まれてしまったら(蔡政権の支持率が低迷している今、あり得なくはない話らしい)、
そんな動きもあったとしても潰されるんだろうけど。 >>333
台湾に関しては北方とどんなに離れてようが対岸の廈門方言と大した違いも無い以上そんなことを主張しても無意味
実在昔は年寄りの台独派連中が「台湾語」には日本語が多数入ってるから「閩南語」とは違う言語だとかいう主張を繰り広げてたけど、誰にも支持されないからさすがに最近は言わなくなった
民族としても台湾の閩南人は原住民族の平埔族と混血してるから漢族とは違う民族だ!とかいう主張は同じく年寄り連中から時々聞かれる
けどこれだって皆が皆混血してるわけでもないし、血が入ってても文化的にも言語的にも何ら痕跡が残ってないから広い支持は得られなかった
今では若い人ほど台湾への帰属意識を保ちつつ漢族、漢語、漢文化への人種的な帰属意識を明確に持ってる あと客家人は誰よりも漢族意識が強いし、原住民族は閩南人の台独運動に利用されて辟易してる
(その反動もあって原住民族は殆どが国民党支持)
こんな感じで同じ台湾人でも族群によって意識がまるで違うから「本省人」で一括りにしない方がいいよ そもそも現在台湾が独立してるのも、
外省人が勝手に独立政府を作ってしまったからだしな ドイツ人とデンマーク人とスウェーデン人が違うように、言語が違えば別民族にカウントすべきだよ
無理矢理ゲルマン民族で一括にするのはファシズムの発想 ただ、言語の差を、異言語レベルとするか方言レベルとするかは、かなり政治性が入ってくる。
言語学的にはオック語とオイル語は同じロマンス語派でもかなり差があって、
前者はむしろイタリア語に近い言語だが、フランス政府の見解は両者は方言の差に過ぎないというもの。 言語を基準に民族を分けるのなんて所詮は西欧のローカルルールに過ぎん
東洋においてはそんなもん重視されない
与那国族と八重山族と宮古族と沖縄族と奄美族を分ける必要なんか無いのと同じ 方言と違い全く通じないんだから、別民族でしょう
北京と広東なんてヨーロッパの南北より離れてるわけだし >>340
それ言い出したら、共通語を媒介せずに津軽弁ネイティブと薩摩弁ネイティブの会話が
成立するかどうか考えてみるといい。 方言ネイティブなんて現代に存在しないもんなあ
ただ江戸時代でも文字に書かれた言葉は、津軽でも薩摩でも同じ読み方してたと思うんだよ
中国は文字の発音がそもそも違うらしいから、これは方言の範囲を超えてるでしょ 江戸時代だと、今とは比較にならないくらいに「大和民族らしさ」は強かったわけだが、
同時に身分や職業や地域によって、
大和民族間の違いも遥かに激しかった
このように、民族という定義は曖昧すぎる >>340
だから言葉が違ったら別民族なんていう考えはアジアの特に大陸部では通用しないの
ヨーロッパの概念をアジアに持ち込む必要は無い イオニア人、アイオリス人、ドーリア人、みんなヘレネス(ギリシャ人)だという概念も「ヨーロッパのもの」だが
「そりゃ方言/訛りの違いだろう」と言うだろうが、それはフリースランドとオランダ・低地ドイツ、
カタルーニャとカスティリアの違いでもある >>336
台湾は独立していないし、
外省人の蒋介石一派は「台湾独立政府を宣言した」のではなく
「中華民国政府による台湾の統治を宣言した」のだ
中華人民共和国の成立はその後のこと >>346
アジアの大陸部じゃなくて島嶼部では通用しない
島嶼部だと島ごとに方言が発展しちゃうから民族一緒でも言葉はどんどん離れてく
大陸部は母語が割と民族集団そのものを既定してる
何でかわかるかい?言語集団で固まって滅ぼされないように必死に集まって来た歴史だからだよ >>349
言語が変化するのは島嶼部も大陸部も一緒やで
島は孤立してるから言語が変わるとかイメージで語ったらあかん
ほんで、アジア大陸部では言語の区分と民族の区分が一致しないことも多い
チュワン族とプイ族の例は以前書いたけど、それ以外にも北タイの例が分かりやすい
北タイ語(カムムアン)はバンコクの中央タイ語とは疎通しにくく、逆にタイ北部からミャンマーに広がるシャン族(大タイ族、傣族)の言葉とは通じやすい
でも北タイ人はシャン族ではなく中央タイのシャム族(小タイ族)に入る
他にもモンゴル語を喋ってようがチベット語を喋ってようが、回教を信仰する集団はモンゴル族チベット族にはならずに回族に区分される
言語よりも生活文化とか辿ってきた歴史なんかの方が民族を分ける上で重視される タイってマレー人とオーストロアジア系・ビルマ系諸民族以外は民族の分類が難しそうだな
言語的に本来タイ語と全く違ってた華人ですら、混血でタイ系の中に溶け込んでるし
イサーンのラオ系も、もはやシャム系と一体と見た方がいいのかな 「オーストロアジア系」っていうのは「お手上げ」って言ってるのと同じくらい分類不可能なんじゃね?
かつてモン・クメール語と呼ばれていたクメール語、モン語、ワ語などの近いもの同士のグループとは別に、
タイ語・ダイ語やヴェト・ムオン諸語などもオーストロアジア系に入れるようだが、大きすぎる 通じやすいかどうかは単にその言語を使う人同士の距離関係では?
しかも通じることがあるからと言って言語的に別かどうかの判定って
文法構造とか色々なものがあるでしょうに 一帯一路の本当の狙いは旧ソ連独立諸国を中華圏に組み込むことなんだって モンゴルとかツングース族(清)に支配された時点でもう中国語なんてめちゃめちゃになってる >>356
そうでもない
少なくとも満州語やモンゴル語には全然似ていない
語彙も音韻も文法も、結局似ていない
岡田英弘が橋本萬太郎を真に受けて極端な説を唱え、
それをネトウヨ系のライターが針小棒大に広げただけ
また黄文雄みたいな台独派の文化人の場合、
北京語と北方文化を謗る感情的な非学術的プロパガンダをふんだんに混ぜている 黄文雄ってどっちの?
どっちも文化人とは思えんけど 岡田英弘の説か中共のプロパガンダ歴史かって言ったら、岡田の説の方が信憑性あるなあ 岡田は中華民族の一貫した連続性なんか主張してはいないし、
56の民族すべてが中華民族だなんていう屁理屈も支持していない
同時に日本の王朝の起源について古代西日本にできた華僑ネットワークだろうと言っている でもさ
シナチベット語と膠着語って
別物ものでしょ。
だから岡田英弘や
白村江の後大和は唐に支配されたとする
八切止夫なんかは眉唾ものになってしまう。
だいたい支配者の話す言語が非膠着語なら
文献に残ってる言葉も非膠着語になるはずなんだよ。
イングランドの原住民とデーン人やノルマン人の言葉とは
比較にならないほど離れているから。
平安時代の和歌とか源氏物語とか枕草子とかが
膠着語なのが説明できない。 助辞があるとは言え
かなり違う。
女真に数百年支配された支配された後の
北京官話でも膠着語とは言えないしな。 シナチベット語族と膠着語であることは別物だぞ
中国語は孤立語だがチベット語は膠着語だ やっぱり白村江は残留倭人と百済王族の救出作戦だったんだよ 普通話では我把〇(目的語)X(動詞)で「私は〇をXする」とほぼSOV型になってる場合もあるな
条件はあるんだろうけど 漢民族の時系列での構成(人種・民族)の変化ってどうなってるの?
その辺詳しく書いた本とかあるの? チベットーアイヌーエミシー日本人
こんな感じやからよ、近縁差
アイヌは本州にきたことない エミシの伝承じゃあエミシの連中は各国を行商で旅をやっならしいんだよ
イズモあたりまで行ったらしいぞ
あの辺までが行動的には限界 >>359-360
岡田説っていうのは漢民族が黄巣の乱で絶滅したっていうやつだろ? 五胡十六国時代において北方民族の攻撃により、漢〜三国〜晋を担った古代の漢民族は滅亡し、
その古代漢民族を滅亡させ、新たな支配者となった北方異民族が定着して隋唐の根幹をなした新たな漢民族を形成した。 >>378
正確には北方の漢民族が大挙江南に移住した
その影響で古代からのY-O1が圧迫された >>349
島は海で隔てられても、交易はするでしょ
日本でもフィリピンでもインドネシアでも
だから島だからどんどん言語が離れるとは思えない
日本統治前の台湾やニューギニアみたいな
孤立した地域なら別だが >>349
島の中でもニューギニア、台湾は特殊
通常は島の言葉でも日本列島やインドネシア、
セイロン島、キプロス島、カリブ海、ブリテン島とアイルランドのように近隣から影響を受ける
台湾、フィリピン、マダガスカルですら
マレー語圏=オーストロネシア語族には分類され、ニューギニア程言語的に孤立するのは珍しい 漢民族意識は、前漢武帝のころには形勢されていたらしい
漢ができたころはまだばらばらだったが、漢が地方を圧迫したり潰したりして
強力中央政府と文化を行き渡らせた結果か
ローマ帝国やアメリカ、日本の場合もそうなのかな
共通文化が帰属意識を作る(洗脳する) それなのに楽浪郡や交州の大部分を漢民族にすることが出来ずに朝鮮ベトナムとして独立されてしまったのか(呆れ) >>385 ニューギニアでも沿岸部には大航海時代以前からオーストロネシア語族がある
アンダマン諸島が最高に孤立した島か >>389
モンゴル国は社会主義やめたが。
それで、チンギス・ハーンも復権した。 >>391
長年社会主義国やってきた影響で反米がまだ抜けてない >>392
そんなこともない。結構アメリカでモンゴルの
伝統舞踊のバヤッドとか紹介していて、
アメリカの黒人がモンゴルのデール着て
モンゴル人と混じって踊ってたりしてるぞ。 >>393
それ「アメリカで」の話じゃん
それでモンゴルが反米じゃないって主張の根拠にするのはおかしいだろ。
もう3年前だがウランバートル行ったときに「マンホールチルドレンはアメリカのせいだ!」って
噴きあがってたぞ。
「米ドルは好きだがアメリカは嫌い」だそうだ。 >>394
ロシア・旧ソ連を恨むのならわかるが、なんでアメリカを恨むのかね?
直接何かされたわけでもないだろうに >>395
そういう教育を受けてきたからじゃないのかね。
社会主義だった時代は悪いことを全部西側諸国のせいにしてきたそうだから。 >>394
モンゴルのPOPsの男性歌手の若手は殆どがLAP系だけど。
女性の若手もレディガガの模倣が多い。
当初は女性歌手のPOPs系はロシアの影響で
3人組のグループが多かったが。 モンゴル語はメタルにしたら映えそう
子音と母音の数・種類、子音連続の多さ(成因はドイツ語とモンゴル語でまた違うだろうけど)、単語が長いことががなんか響きでドイツ語と似てるような
ジャーマンメタルがあるしモンゴリアンメタルがあってもいい。もちろんホーミーや馬頭琴を取り入れて
既にあるのは知ってるけど、モンゴルではこのジャンルはどれほどの人気なのかな
https://www.youtube.com/watch?v=8qXjGx8tX3g >>396
何でも西側諸国のせいにする教育は、冷戦時代のものだろ
ポスト冷戦時代のマンホールチルドレンが、なんで西側を恨むのさ >>400
マンホールチルドレンが発生するような経済状況なのは西側諸国のせいなんだとさ。
冷戦が終わったからといってモンゴルの場合東欧みたいに教育がガラッと変わったわけでもないし
隣国がバリバリの共産国だからそのへん考慮しないと見誤るよ。 ストリートチルドレンは金持ちに買われた方が幸せなのかもしれない >>1この国で使用されてる言語をみたらよく分かるって >>1中国人の漢字が朝鮮半島人には難しいから簡体字に変換 >>363日本語も膠着語ではなく
中国韓国からの渡来語 >>372加藤京平は多民族国家のいろんな遺伝子組み換え技術で爆誕 >>414誰の子だか知らない子が大人になってしまった加藤京平 >>1歴史認識がでたらめで
なにひとつないから終わり >>414ほらまた出してるよ
ガキがエロ姉達にさ
シコシコされてるキチガイ素材画像 >>433JAPANの異文化コミュニケーションねっオッケーね >>434吉本興業のいう
天然素材の由来は
FANZA >>1スレタイからレスポンスまで完全なエビチリ最高ッ(’∇’)v(^o^) >>1スレタイを
「神エビチリとは
何か」に変更して拡散希望 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています