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高麗時代史専用スレ
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0002世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 20:53:13.190
派生元スレの、こちらの書き込みから当スレは立ちました

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79 世界@名無史さん 2019/04/30(火) 19:47:43.04 0
スレ違いになるけど朝鮮では貨幣経済が導入されるのもだいぶ遅れてからだったそうでびっくりした
はっきり覚えてないけど壬辰倭乱以降だとか

81 世界@名無史さん 2019/05/01(水) 23:45:21.17 0
朝鮮で貨幣経済になったのは日本統治からだけど?

82 世界@名無史さん 2019/05/02(木) 18:49:12.37 0
>> 81
それが、統一新羅時代とか高麗時代には黄海の海運の主力を担う開かれた交易国家で、
高麗時代に貨幣経済への移行は済ませているんだな。

一般に、衣料品や穀物を交換財として使う経済に後退したのは
モンゴル侵攻による戦乱期とされているけど、
あれほど商業経済に力を入れていた大元ウルスのクビライ政府の藩屏に
高麗が組み込まれていた時期に貨幣経済が復調していた可能性は検証する価値があると思う。

朝鮮半島の貨幣経済に最終的にとどめが刺されたのは、元末のモンゴル帝国全体を覆った
汎ユーラシア的な社会と経済の混乱によるところが大きいんじゃないかと思う。
実際、この混乱の危機対応政権として登場した大明政権は中国大陸での貨幣経済や
大元ウルス時代の銀本位制を停止して、事実上衣料や穀物による物々交換経済に経済を後退させている。
大明が先代時代の銀本位制を復活させるのは、日本やメキシコからの銀が大量に流入して、
民間で勝手に銀建て経済が復興してきたのを追認したことによる。

ところが、李氏朝鮮ではこの大明での貨幣経済復興に連動した経済復興が起きなかった、
という視点でこの王朝での貨幣経済の不成立を論じるべきなんじゃないかな。
0003世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 20:55:38.300
89 世界@名無史さん sage 2019/05/02(木) 19:57:44.76 0
なんだったら、高麗史専用スレ立ててみんなで議論してみる?
自分も興味あるし

日本では意外に特徴が知られてない時代だけど、非常に個性的で時期別の違いも多様だと思う(略)

90 世界@名無史さん 2019/05/02(木) 20:02:50.55 0
>> 89
賛成。
ただ、私自身に中国史、モンゴル史の史書を読んだ時の周縁情報としての知識しかない。

排外主義者はまともな書き込みで圧倒するしかない。

91 世界@名無史さん sage 2019/05/02(木) 20:11:10.64 0
>> 90
高麗朝はむしろ対外的に非常に開けた時代で、君主の家門そのものが海上勢力系豪族由来だから、
中国史やモンゴル史に詳しい方がいてくださるのは、マクロ的考察の面でも非常に心強いよ
0005世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 21:06:03.230
関連してそうなスレに宣伝に行ったほうがいい?
気付いた人だけ来てくれたらいいだろうか
人は欲しいんだけどなんせ5では目を付けられやすい地域ではあるから迷ってる
0006世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 21:15:05.600
基本的にsage進行で行けば目立ち過ぎずに済むと思う
幾つか関連しそうなスレはあるよね
(古代朝鮮史スレ辺りはもろに直接関連するけど、あそこ最近荒れてるからなあ・・・  中国史関連だと、唐宋変革期スレあたりどうだろう?)
むしろ、日本史板の平安期とか鎌倉期とか室町初期あたりの人たちと連携したら、深みのある議論が出来そう
武人政権時代とか、すごく同時代性があるし
0007世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 21:20:48.560
>>6
なるほど
じゃあ後で宣伝に行ってきます
ワールドワイドにお話が出来たらいいですね
0008世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 21:22:13.260
李朝が立った時点で高麗の王族は皆殺し、
高麗の実録もみな焼かれたんだよなぁ。
0010世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 21:24:17.190
>>8
そうというばかりでもない
ほかでもない「高麗史」が編まれたのは李氏朝鮮時代
0011世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 21:39:24.500
李朝が高麗史を編纂した後で、都合の悪いことも乗っている高麗実録を焼いたんじゃなかった?

半島最古の史書は、高麗時代に編纂された三国史記
三国史記以前の歴史書は、みな都合が悪いとして焼かれてしまった
0012世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 21:45:01.050
>>11
そもそも「高麗史」よりも前に「高麗国史」が李氏朝鮮太祖の李成桂の時代に編まれたりしてる
短い小説を書いたりするならともかく、何も無いところからいきなり膨大な分量の史書を体系的に編めるのでもないわけで
0013世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 22:08:38.700
統一時代の朝鮮半島の王朝ってのは、統一新羅・高麗時代が黄海の内海に羽ばたいた
開かれた海商国家で、その後の李氏朝鮮が閉鎖的な内向き国家。

実際、統一新羅・高麗時代には新羅商人、高麗商人の商船が博多港にやってきて
交易を盛んに行っているが、李氏朝鮮時代には対馬藩が釜山に倭館をつくって
日本側から出向いて交易を行っている。

ここら辺、「どうしてこうなった」感を強く覚えるが、やはりモンゴル期末期の
汎ユーラシア的経済混乱とそれに対する対応政権として出現した大明の反商業政策
とのリンクが大きな意味を持っているのだろうか。
0014世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 22:14:23.550
>>12
李氏朝鮮でも前半期には父系一辺倒ではなく母系の家系も重視されていて
女性の地位が貶められていなかったとか、
官僚の儒学解釈も硬直化しておらず自由闊達な気風があったとか、
そういう話を朝鮮史の史書で読むこともあるんだが、
そこら辺は、高麗時代の気風の余燼があったんだろうか。

中国の方は大元ウルスの北帰直後の大明前半の方が商業否定とか
恐怖政治とか、精神の自由を束縛する要素が強くて、
後半になって日本とかの銀が入ってきて民間経済が復興してくると、
社会に自由の風が戻ってくるという印象があるんだけど、
李氏朝鮮は後半でむしろ社会の自由の風が閉ざされていく印象を受ける。
0015世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 00:38:21.070
李成桂の客将の一人にヌルハチの先祖もいたんだってな
孤立的な日本列島と違って半島は大陸と地続きだから中国や満蒙史と同時並行的に俯瞰する必要がある
0017世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 13:47:26.510
>>16
華北と満蒙の両方の陸軍力から挟撃されている。
さらに、中世末期になると日本の海上勢力の海軍力からも締め付けられる。

せめて、統一新羅・高麗時代の「海運立国」を維持していれば、海上防衛だけは有利に運べたろうに。

あれ、もしかして閉鎖的な李氏朝鮮時代に先代の高麗時代に海運業を担っていた集団って、
いわゆる「倭寇」集団に参入してしまったんじゃないのか?

松浦党とか対馬なんかの倭寇勢力の構成要素として「福建商人」ってのが重視されているけど、
高麗海商系の集団ってのもばかにならない構成要素なのかも。
0018世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 14:01:28.010
李朝時代も明と後金ちらちらしてたりね
あの位置は本当に可哀想
韓国ドラマや韓国映画を見てると蒙古や女真(もちろん倭奴も)をものっっっすごく嫌ってる描写がしつこく出てくるけど
あそこまでバカにし倒してる相手に力では全く叶わず顔を伺って肝を凍らせる日々ってキツいだろうとよく思う

学問板でフィクションの話申し訳ない
0019世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 14:07:45.530
>>18
そういうのは、
「民族メンタリティ形成にかかわるオーラルヒストリー」
にかかわってくるので、十分話としてはアリだと思う。

そうすると、気になるのが、どうして新羅海商系の豪族が新王朝を興すときに採用した国号が、
満州出自の「高句麗」の異称でもあった「高麗」だったんだろうか、ということ。
女真や靺鞨、契丹と交渉のあった国境地帯の軍事勢力だったら不思議ではない国号なんだけどね。
0020世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 14:15:07.000
>>8
そこら辺で興味深い話があるんだ。
昔、研究面でお世話になっていた出身大学の大学博物館の自然史系の研究室で教授から聞いた話。

そこの研究室に昔、韓国済州島からの優秀な留学生が院に来ていたんだけど、その当人が高句麗だったか
高麗だったかの王家の嫡流の当主だったっていうんだ。なんでも、済州島には朝鮮半島で滅ぼされた
歴代王朝の王室が流されていて、今でもその嫡流による祖先祭祀が続いているんだと。
0021世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 15:49:29.710
ああそう言えば済州島は半島とは民族が違う?だかで差別の対象なんだよね
それでかと納得が行きました
0022世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 16:13:50.920
済州島はもともとは耽羅国といって朝鮮半島の諸王朝からは半独立の存在で、
倭国>日本国に統合されなかった倭人国みたいな見方もあるみたいだね。

実際、海女の漁労文化は日本列島の東北地方から済州島まで連続していて、
朝鮮半島本土には分布していない。
そして、そこに朝鮮半島歴代王朝の王家が流されて系譜を繋いでいる。
さらに、ここで李承晩による大虐殺が起きて、そこから命からがら逃れてきた
難民が、今の在日コリアンの主流を形成している。

非常に面白い場所なんだが、排外主義者さんのネット言論でもほとんど黙殺されている。
0023世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 16:20:13.560
済州島の住民って1830年まで島外に出るのを公式には禁止されてたんだってな
0024世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 16:31:44.210
>>23
それは初めて知った。

もしかすると、内陸国家の性格の強い李氏朝鮮にとって扱いづらい海上勢力となって
日本と勝手に通じかねないという危惧からかな。
0025世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 16:38:26.760
>>22
今の感覚だと済州島の住人=韓国人でしょ?って感覚ですが面白いですね
済州島の人は日本人に気質が似てると聞くけどそういう理由があったのかとこれまた納得しました
0026世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 16:40:01.050
日本で言うと琉球みたいな感覚なんでしょうか
沖縄の人も差別する人はしますよね
0027世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 17:02:58.890
なんか、高麗王朝スレで耽羅国の話ばかりですんませんです。

今、日本と韓国の本国の方は「徴用工」の話でこじれているけど、
実は大戦中、済州島の海女が大規模に徴用されて日本の漁村に送り込まれている。
なぜかというと、軍需品生産の無機化学工業維持のため、海藻を燃やした灰が原材料として
大量に必要になり、原材料となる海藻のカジメやアラメを大量に漁獲する必要性に迫られたから。

この海女の徴用は、実のところほとんど話がこじれてない。
というのも、どうも徴用海女には返礼として送り込まれた漁村での漁業権が広範に認められ、
終戦後は非統制品である雲丹なんかを闇市に卸すことで、かなりの利益が得られたことが
関係しているみたいなんだな。

ここからは闇市周辺で育った人からのオーラルヒストリーなんだが、
済州島での虐殺を逃れてきた難民の受け皿というのが、実はこの既に日本に地盤を築いていた
徴用海女だったらしい。というのも、当時闇市で急速に形成されたコリアンタウン近傍で
幼児期を送った人から、親から彼らが「海女の親族」と聞かされたっていうんだ。
こうした新興の闇市コリアンタウンから成長していった在日コリアンの興した
パチンコ店やら金融業やらの原資は、彼らの親族の海女が海産物で稼ぎ出した
マネーである蓋然性はかなり高そうなんだな。

こういう海女や海女の一族の経済的潜在力に李氏朝鮮が警戒心を持ったというのは、
じゅうぶんあり得そうに思える。
0029世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 20:26:05.750
現代政治史関係はとりあえず脇に置いておいてほしい
アジア史関係スレが紛糾するのはだいたい近現代史の議論が(本論とは直接的には関係なくても)火種になるし
0032世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 21:02:19.650
さてそれで先ほどの、
スレ立て主さん?と思われる
>>19 さんのレスにあった、国号の話ですけど、
本来、高麗がなぜ「高麗」を名乗ったかというのは、
ぶっちゃけた話、「後三国時代からの国の引き継ぎだったから」というのが、
まあ一義的にはその理由です

後三国時代の国々については、
一般的には「従来からの新羅・北部の後高句麗・南西部の後百済の三国鼎立だった」というのが人口に膾炙した説明ですけど、
実はこの「『後』高句麗」や「『後』百済」という呼び名そのものが、後世の第三者による区別のための後付け通称でして、
それぞれの国では、自国のことを「高句麗」「百済」と古式そのままの名で呼んでたんですね
まあそれらの中でも(後)高句麗は、ワンマン君主の弓裔が、その国号をさらに摩眞、またさらに泰封へと度々改めたりはしたんですが、
そもそもの建国時の(後)「高句麗」という国号が「高麗」と縮めて呼ばれることはあったんです
そして、独裁化した弓裔が側近らによるクーデターで追放された後、空位となった君主の座に新たに推戴されたのが、
弓裔の側近でありつつ距離を置く立場を採っていた、王建でした

直接的にはそうした事情から、「高麗」の国号が再採用された、というわけですね
0034世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 03:28:07.270
この手のスレでは最近では珍しいな
昔(10年以上前)はどのスレもこんな感じだったが、
いまやすっかり政治がらみで荒れるものが多くなってしまった
そういう意味でレトロさを感じる
良スレ
0035世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 05:41:01.460
高麗 重商   宋 重商   藤原摂関   重農
                   六波羅    重商
                   鎌倉      重農
          元 重商    尊氏室町  重農      
朝鮮 重農   明 重農 
          ↓ 重商   義満室町  重商
                   織豊政権  重商
                   徳川江戸  重農


ごく大まかに言うとこういう感じになるのかな?
東南アジアや中央アジア辺りの動きはどうだろう?
0036世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 09:15:18.710
>>35
日本だと、遣唐使時代より、摂関時代に入ってくる平安中期以降がむしろ「唐物」の
国内流通が激しくなっている、つまり貿易量が激増しているんだよね。
で、中央政府も「重農主義」というよりそれまでの「郡司」の率いる伝統的な在地共同体から
新興の「富豪の輩」に鞍替えした在地掌握に舵を切っていく。
在地社会の変動を特に中央からのヘゲモニーではなく、在地の変化に身を任せて船の舵を切り、
乗り切ったという印象が強く、在地が中央に従い、中央に貢納が上がってきさえすれば、
在地が重視しているのが商業でも農業でも構わなかったという印象がある。

朝鮮半島でも、統一新羅時代から黄海を主な舞台にした海商活動は活発で、
玄界灘を渡った博多にも新羅海商はやってきている。
10世紀の統一新羅から高麗への変動で、海商活動自体は大きな変化を被っていないように見える。
そうすると、統一新羅を滅ぼして高麗を勃興させた社会的背景は何だったんだろう。

中央アジアや東南アジアに関しては、古い時代ほど商業依存が強かったように見える。

中央アジアで農業が肥大するのは、ロシア帝国・ソ連治下でアム・ダリアとシル・ダリアの
水を灌漑に使った綿花農業の発展だけど、それは短期間でアラル海の水の枯渇を招いてしまった。

東南アジアでの初期国家の勃興は、中国とインドからの香辛料などの熱帯雨林の高額特産物買い付けの
カウンターパートナーとしての「港市国家」で始まっていて、大河川のデルタ地帯を舞台にした
稲作大国のスタートは、ごく最近の近世だったりする。
0037世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 13:04:03.740
>>35
高麗って重商なのかな?むしろ重農じゃないかな。
海商上がりといっても、全国支配は婚姻同盟によるものだから、強権支配じゃないし、
王建本人は風水地理説の信者でしょ。
それに成宗の頃には儒教が導入されるから、重農的になっていくだろうし、
朝鮮に変わるきっかけになるのも商業利権の問題じゃなく、土地問題だった。
0038世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/09(木) 00:19:30.320
交替のきっかけは復讐ノリで来た前期倭寇の跋扈と退治じゃないの
0039世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 23:03:11.390
朝鮮族はだいぶモンゴルの血が入ってるんだ思ってたけど違う?
民族浄化とまでは言わないけど現在の韓国人の身体が大きいのは北方の血が取り込まれたからだと思っていたけど…

59 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/03/05(土) 00:06:33.81
>> 54
当時の朝鮮人と中国人は、今の朝鮮人と中国人とはDNAがまるで違うぞ。

モンゴルやそのほかの騎馬民族に民族浄化される前だからな。

70 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/08/07(日) 17:34:40.75
>> 59
まだこんなこと言ってる奴がいるのか・・・
人口差などから考えても、騎馬民族が中国や朝鮮の住民と入れ替わるとかできるわけないだろ
0040世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/10(金) 23:41:57.240
モンゴル人と高麗人の人口比考えてみたらすぐ分かることだろうに

ていうか人種論と民族論てそもそも根本的に概念として一致しないだろ
0041世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/11(土) 00:29:21.230
事実は逆で三国時代から李朝にかけて朝鮮の領域が北方に拡大し現地民を取り込んでいった
0042世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/11(土) 01:10:01.490
>>41
「韓」を主体とする勢力が北に拡大しながら旧高句麗の領域を取り込んでいった、という事かな。
0043世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/11(土) 01:44:19.800
朝鮮は王朝の長さが通常の二倍くらいある(李氏朝鮮の期間は日本の室町幕府と江戸幕府の期間に相当)のが
興味を持たれにくい原因だろうな
0044世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/11(土) 08:24:13.250
>>43
朝鮮は五百年といっても、明代と清代で、前期と後期に分かれる
0045世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/11(土) 09:04:24.290
高麗は、平安時代の日本や、唐代の中国と同じで、前半は都の王朝貴族の世だったが、後半になると武人が台頭し、貴族を虐殺して武人政権ができた

あのまま行ってたら、半島も日本みたいな武家社会になってたかもしれない

だが、モンゴル帝国の侵攻により、武人政権は潰された
今にして思えば、あのときが日本と朝鮮の運命の分かれ目だったんじゃなかろうか
0046世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/11(土) 09:09:13.520
(Wikipediaから抜粋要約)

武臣政権(ぶしんせいけん、무신정권(ムシンヂョングォン)、武人政権とも書く)は、朝鮮半島における高麗王朝の統治下、
1170年(明宗元年)から1270年(元宗11年)の100年間にわたり、国王や文臣ではなく武臣が朝廷の政治を掌握していた時代、
およびその政権形態を指す。この期間のことを「武人時代(ぶじんじだい、ムインシデ)」ともいう。

朝鮮史上、文班・武班の両班(ヤンバン)制度が始まるのは高麗時代からであるが、高麗では文治主義の伝統に基づき、武班官僚は文班官僚の下位におかれていた。
とくに毅宗が土木工事や仏教儀式の挙行に際して下級武臣(現職の武班)や軍人らを酷使した一方で、文臣・宦官を露骨に優遇したために、武臣らの不満は頂点に達していた。

1170年8月、毅宗の普賢院参詣をきっかけに武臣らの不満が暴発。李義方(イ・ウィバン)・鄭仲夫(チョン・チュンブ)ら武臣は多数の文臣を殺害し、
毅宗と王太子を廃して、毅宗の弟である明宗(ミョンジョン)を擁立した。この事件をその年の干支から庚寅の乱という。この事件で、実名が判明する人物だけで46名、その他40名以上の文臣が殺害されている。
0047世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/11(土) 09:21:56.120
高麗で武人政権が登場したのは、日本における鎌倉幕府の成立とほぼ同時期の12世紀後半。
ここまでは、日本史と半島史が「貴族から武士へ」という同じ流れにあったことを思わせる

ちなみに、唐はやはり数百年ほど先んじており、8世紀後半から武人の藩鎮が台頭し、10世紀の初めに貴族を虐殺して唐が滅びたときの状況が、これに相当すると思われる

しかし、日本とは異なり、大陸と半島には常に「北方民族の脅威」という不確定要因があるため、これによって歴史の流れが変わってしまう
0048世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/11(土) 21:11:23.160
日本の武士はもと天皇や藤原氏の子孫だったのに対し、
高麗の武臣たちのもともとの身分は相当に低かったらしいな
0049世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 02:07:06.520
高麗の武臣政権は、成立時期や政権の形態・位置付けから見れば、
鎌倉幕府よりはむしろ六波羅平氏政権に近そう
0050世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 04:13:51.550
コリョの時代は完全に韓国が日本よりも先進文化的でした平氏政権はコリョの武人政権を参考にして出来たのです

源氏頼朝の政府から日本は中韓と違う後進的政体になっていったのです
0051世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 07:36:51.320
ホルホル
起源主張誇らしいニダ
0052世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 08:37:15.780
50とか51とか、その手の茶々入れレスはつまらない
ここはまじめな議論をしてるスレだ
時系列なら平氏政権(1160年ごろから基盤強化)のほうが庚寅の乱(武人政権成立契機のクーデター 1170年)よりも少し早い
考えるべきはどこが先か後かということではなく、なぜその時期に東アジア各地で同時多発的に類似の政治形態が成立していったかということであって、
アジア全域の政治・経済・交通などをマクロ的に俯瞰する必要が有る
0053世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 12:41:59.110
平氏(源氏)と本格的な武臣政権の崔氏を比較すると、
2代目の崔瑀が政所に相当する政房を設置するのが、1225年だからだいぶ遅い。
0055世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 14:31:47.090
日本の律令制国家、朝鮮半島の統一新羅、マンチュリアの渤海の10世紀におけるほぼ同時の
崩壊現象は、非常に興味深いよね。

私はこれは中華の周縁地帯における、周回遅れの「古代の終焉」なんじゃないかと考えている。

ここでいう「古代の終焉」というのは、マルキシズムなんかの発展段階史観の唱える、
「奴隷制古代」の終焉、という意味じゃない。ほぼ同時代に起きた西のローマ帝国と
東の漢帝国の解体現象を比較してみると、どちらの古代帝国もローマ帝国における
キウィタス、漢帝国における邑制社会の残滓の郷里制社会と、都市国家的な共同体の
連合体として帝国が成り立っている。そして、どちらの解体現象においても、
この社会基盤であった都市国家的自治社会の解体が起きてるんだな。

振り返って、10世紀の中華周縁における国家体制の解体現象を見てみると、
これは日本人にとって史学的論考が最も集めやすい日本の律令制で検証するのが
もっともやりやすいんだが、古墳時代に成立した「クニ」という首長制在地共同体
の連合体としてヤマト政権が成立し、この連合体を中央集権化することで律令国家たる
大和朝廷が誕生している。そして、9~10世紀にはこの政治体制の背景基盤たる
在地の首長制共同体が急速に解体しているんだな。これが、従来の律令制による
統治機構を解体し、荘園公領制に基づく王朝国家体制への脱皮を促している。

統一新羅や渤海でも、在地社会で似たような現象が起きていて、それへの対応の
帰結として生じたのが、朝鮮半島における高麗王朝の成立、契丹による征服による
渤海の解体、とみることはできないだろうか。
0056世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 15:55:15.730
日本の荘園公領制王朝国家における武士の台頭、高麗王朝における武臣の台頭、
というのを相対化してみるために、その前の時代、律令制時代の軍制について
整理してみたいと思う。

これも、手元にあまり朝鮮半島史の資料が充実していないんで、日本史に偏るんだが、
古代律令国家における軍制って、庶民からの大規模な徴兵で、しかも基幹の武装が
兵士の自弁なんだよね。この、貧しい庶民までが刀、弓矢、盾などを自弁で兵役に
参加できるって背景を考えてみてほしい。これって、広域国家が成立する前からの
それぞれが武装自衛していた在地の首長制共同体の自由身分皆兵の「共同体軍」の
読み替え以外には考えにくい体制なんだよね。つまり、在地共同体の首長に率いられ、
共同体共有の武器庫の武器で自由身分の男子成員全員が武装していた武装組織が、
そっくりそのまま中央の招集に応えて軍団を形成している。

多分、これは統一新羅でも渤海でもそう変わらない体制だったはずだ。

ところが、日本の例を見てみると9〜10世紀にこういうタイプの軍団維持が急速に
困難になっていっている。その同時代の在地社会を見てみると、伝統的な在地社会の
首長層から任命されていた旧タイプの「郡司層」が没落し、共同体の自由民の戸籍による
個人把握による徴税が破綻、つまり旧来の共同体の自由民による農業経営が破綻し、
替わって「富豪の輩」、後に「名主」層に成長していく富裕層による大規模農業経営が
発展してきている。彼らは種籾や鉄製農具といった動産ファンドを蓄積し、
それを一般庶民に貸し付けて利子で縛り、在地社会における人身支配を強めていっている。

よく、平安時代中期以降の軍制の変化を、中央貴族が地方の治安維持に関心を失った、
と評する向きがあるが、どうもそうではない。地方の平安維持を担っていた在地共同体による
軍事警察力自体が解体してしまって、旧来のやり方では平和を保てなくなっているんだ。
0057世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 19:01:12.580
朝鮮の王様はよく首を思うがままにされてるね
王様に威光はちゃんとあったのかな
0059世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 19:37:12.010
>>50
サウラビってやつですね
0060世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 19:47:59.630
>>56
古代ギリシャローマやゲルマンのような市民社会を古代日本に投影してるようだけど
日本にはヨーロッパの「自由市民」にあたる階級は近代まで存在しないでしょ
軍団制にしても結局武器を自弁できるほどの百姓はほとんどいないので
結局郡司の子弟からなる健児制に移行してる
0061世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 22:22:50.860
>>60
古典古代ギリシア・ローマ社会の市民社会やケルト・ゲルマンの自由農民戦士
みたいなものを想定しなくても、共同体の運営に発言権を持った共同体成員と、
そういった共同体成員の皆兵制による軍制ってのはもっと普遍的に存在する。

日本でいえば、戦国期〜江戸時代の近世村落の本百姓身分がそうだし、
匈奴国家やモンゴル帝国のような遊牧国家の牧民戦士がそう。

中国でも西周〜春秋期の邑制社会の軍制は、士分都市貴族の戦車戦士と、
庶人歩兵戦士から構成されていた。

健児も、奈良期のものは一般百姓層からの歩兵集団を補完する
共同体上層成員によるエリート騎兵で、古代共同体の解体で
この層が戦士の役を担えなくなるとともに、軍団の歩兵制度自体が
消滅している。
0062世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 22:25:43.470
>>61

訂正
『古代共同体の解体でこの層が戦士の役を担えなくなるとともに、
軍団の歩兵制度自体が消滅している。』

『古代共同体の解体でこの層以外が戦士の役を担えなくなるとともに、
軍団から健児を除いた百姓からの歩兵層が消滅している』
0063世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 22:30:21.530
朝鮮の場合は史料がすくないんじゃないの
山川の世界歴史大系シリーズで
朝鮮史が最近やっと出たけど全二巻しかない
二巻目は近現代なので実質一巻だけ
イギリスやフランスやドイツはそれぞれ全三巻
0064世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 22:38:34.920
>>63
李氏朝鮮時代になると、王朝の実録が生で残っているし、生の戸籍も残っている。
問題は、統一新羅時代と高麗王朝時代の一次史料が非常に少ない事かな。

ちなみに、日本の律令制国家、統一新羅、渤海王国が解体した10世紀の「危機」に
関しては、日本史研究者にとっても史料が少なくて研究者泣かせらしい。

というのも、律令制国家の時代には定期的に中央官庁に集まってくる文書を編纂して
「六国史」なんてのが出来ているし、膨大な官僚組織が廃棄した木簡が地中から出てきたり、
漆紙文書なんて形で地方の戸籍が保存されていたりする。
ところが、平安中期以降は貴族の日記という形で公的に参照する記録が保存されるようになるんだが、
そこに移り変わる端境の時期がまさに国家体制が激変する時期で、極端に史料が少ないんだそうだ。
0065世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 23:30:26.530
>>61
だからその「共同体の運営に発言権を持った共同体成員」なんてものは古代日本には存在しないし
「共同体成員の皆兵制による軍制」ってのも君の脳内にしか存在しないから
古代日本では「部民制」というインドのカーストとよく似た制度によって職能ごとに集団を形成していて
「靫負部」「物部」「佐伯部」が軍事担当の部民

『国造制・部民制の研究』と『奈良時代軍事制度の研究』読めば軍団制度が何で日本に根付かなかったのかよ〜く分かると思うよ
0066世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 23:41:16.990
>>60
つうかこの人、そこら中で長文連投してるので、大体言わんとすることは見えてきたんだけど、
アジア側、日本側(など)というより、ヨーロッパ側・古典古代側の理解が致命的に誤ってる。
ギリシャのポリスや共和政ローマの「国体」を、オリエント以東にありふれた古代首長制と全く区別できてない。
これを区別できないまま、なし崩しにいろんな国の話を、表面的なアナロジーだけで似てる似てると早合点する。

まあ、後漢と平安日本と高麗を比較するだけだなら、別にギリシャ・ローマの理解が赤点でも直接的にはかまわんので、
このスレではこの辺にするけどさ。
0067世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 23:43:16.670
>>65
それは、畿内の大王直属の軍事力の話だろ。
白村江の戦とか壬申の乱みたいなもっと大規模な戦役の場合には、
地方の首長制共同体の兵力を動員している。

律令制における国造軍による地域共同体からの根こそぎ動員の体制については、
下向井龍彦の『武士の成長と院政』を読んでみるといい。
0068世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/13(月) 23:53:51.460
ヨーロッパの古典古代の理解に関してだけど、実のところ、古代のギリシア人や
ローマ人がオリエントとオクシデントの二項対立で自己定義していったその視点が
どこまで正しかったのか、強い疑念を抱いている。二項対立じゃなくて、
アッシリアのリンム制とローマのコンスル制の類似みたいに、互いにかなり類似した
側面で西アジアとギリシア・ローマ世界をくくれる部分があって、さらにその上で
ギリシア・ローマ世界の特殊性が共通性の上に乗っかっているんじゃないかという
見方ができるんじゃないかと、そういう疑いを抱いているんだな。
そういう「疑念」から出ている視点が、確かに「のどに刺さるとげ」みたいに
感じる人には感じるんだと思う。
0069世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 00:25:39.740
>>68
世の中、「オリエント」と「ギリシャ・ローマ」に分けて考えている人ばかりではない

「地中海世界」という枠組で考えるのが、いまの流行りなんじゃないか

David Abulafia の “The Great Sea”が名著
0070世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 00:30:00.870
>>63
朝鮮の古典で一番古いのが「三国史記」で12世紀、次に古いのが「三国遺事」で13世紀だからな

日本に勉強しにきた韓国の留学生は、平安時代の古典が山ほどあるのを知ってビックリする

朝鮮王国の儒教原理主義者に焚書されたってのもあるが、もともと、紙の原料となる植物が育たない気候風土のハンデ
0071世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 00:34:56.260
それにしたって、高麗が朝鮮半島の文化的な盛期だったとする声は多い

大阪の東洋陶磁美術館には、高麗青磁のすばらしいコレクションがある
0072世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 00:39:10.820
>>70
考古遺物としての木簡文書も、地下水漬けになるような極端な多湿か、砂漠気候での乾燥保存の
両極端が保存に適している。前者は日本の奈良盆地の遺跡とか、中国だと江南の楚の地域の遺跡が
典型で、後者は中国の西域の砂漠地帯の城塞遺跡なんかが典型。

そうすると、朝鮮半島は奈良盆地よりずっと乾燥していて、そうではあるけれど砂漠地帯みたいに
カラカラではない。木簡文書の保存には非常に都合が悪い環境条件。
0073世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 00:51:35.480
>>69
いやぁ、私が歴史学の専門書や論文を読むときの視点にある種の特殊性があるのは、
確かに否めないんだわ。

例えば、「地中海」どころか、
イラン高原>メソポタミア>レバント>東地中海>西地中海>ガリア
ぐらいまでの領域から共通性と相違性の変化のクラインを読み取ろうとしているし、
ローマ帝国と秦漢帝国のほぼ同時期の解体の背景として、古代帝国としての共通項は
いったい何なのか、という問題意識をやたら強く抱いている。

東アジア史でいえば、
江南・華北・モンゴリア・マンチュリア・朝鮮半島・日本列島
の歴史を個別ではなくひとつのシステムとして連結したものとして
読み取れないかという所に関心が集中している。
0074世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 01:06:37.140
>>67
お前本当に下向井氏の著書読んで書いてるか?
地域共同体からの根こそぎ動員の体制とかどこにそんなことが書いてあるんだ?

同氏の論文である「百済救援戦争の歴史的位置」によると
「大化前代の国造軍は自己武装能力を持つ国造領内富裕層で構成され、装備は在宅所持、平時の訓練は軍士たちの自己訓練に委ねられていた。」
と健児制以降の国衙軍と類似した軍制をとっていたという理解だぞ
0075世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 01:16:10.470
>>70
三国史記のもとになった歴史書なども存在していたはずだが、
高麗によって廃棄されたか散逸したか
0076世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 01:24:55.040
>>74
2016年の論文か。
そうすると、この20年くらいで認識を変えたんだな。

『武士の成長と院政』では、ちょっと今手元にないので正確な引用が出来ないが、
律令制国家の軍隊は、国造の首長権による動員に依存していて、それによって
非常に高い軍事動員率を達成してそれによって新羅を威嚇している、という議論をしている。

ただ、律令制国家の時代には、それ以前の国造軍よりもっと広範な層から首長権による
動員を行った可能性を考慮すると、両時期で下向井氏の認識に変化はないのかもしれない。

それにしても、在地首長である国造の統治する在地共同体に首長の要請に応えて武装自弁で
国造軍を形成できるだけの階層がある程度分厚く存在したのは確かじゃないか。
これは、平安時代になってからの令制国ごとの健児が数十人規模だったのと比べると、
はるかに分厚い「戦士相」が存在した証左にはならないか?

そもそも国造の統治範囲は令制国よりかなり狭いぞ。
0077世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 01:46:42.910
>>74
下向井(2016)、ざっと目を通してみた。
彼の認識としては『武士の成長と院政』の著作時と大きく変わっていない。
大化期に中央政府は在地社会を掌握しているとはいえず、旧国造、旧伴造を新たな国評制にあわせて
「評造」に任命した上で、彼らに掌握している在地社会から古墳時代の国造軍より広範な動員をかけた
「評造軍」を結成させて白村江の戦に臨んでいる、という内容。

詰まる所、私の従前の主張と同じで、在地首長の在地共同体掌握をベースにした軍制がこの時代の
「国軍」、特に大規模な対外戦争における軍制の基盤になっていた。
0080世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 01:59:14.070
>>79
それは、「1年任期の執政官」と「上層市民による長老会議」がある体制、というのが、
古代ローマに限らず西アジア〜地中海世界にある程度の普遍性をもって
繰り返し出現している政体パターンなんじゃないか、という問題提起。
0081世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 01:59:20.580
>>73
地中海は黒海と連続しているから、黒海の沿岸まで含めると、キエフ・ルーシやイラン、カフカス地方あたりも地中海世界に入る
0082世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 02:02:53.330
朝鮮貴族は日記を書き残す習慣が無かったのか
何も残っていないとは呆れ返る
0083世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 02:58:18.330
>>82
さすがにそのレスは本気で言ってるとは思えないが、
ここはそういう変な思い込みレスを書き散らすスレじゃないんで
0084世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 06:53:42.080
>>83
新羅にまったく文献が無く、高麗にほとんど文献が無いのは事実

朝鮮の儒教原理主義者に焚書されたというのもあるが、これほど徹底的に消滅したからには、もともと少なかったと見るのが自然
0086世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 08:47:17.080
日記というか、詩や上奏文などが主軸ではあるが、一例を挙げるなら、
新羅なら崔致遠、高麗なら李圭報といった文人らの自著が残ってるね
特に上奏文などは、当然ながら執筆時期なども或る程度明確だし
0087世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 12:47:18.890
李氏朝鮮時代に土着の神を祀る多神教の祠はほとんど無くなり
済州島にしかのこってないときく
シャーマンとかは根強くあったみたいだけど。
0089世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 14:41:22.820
>>87
日本でいうと、観念的な水戸学が隆盛した水戸藩で、土俗信仰の色彩の強い神社を
「淫祠邪教」とレッテル張りしてずいぶん廃絶させているのに似てるかな。
0090世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 15:11:41.520
朱子学のせいで神廟も仏堂も廃されて
朝鮮に残ったのは風水と呪いだけ
0091世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 17:03:38.620
とりあえずここ、「高麗時代」のスレなんで
李氏朝鮮の話したい人は他スレで
0092世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 18:32:33.520
朝鮮といえば人名も気になるな
高麗時代だと貴族でも日常的には朝鮮名を使ってたんだろうか
日本統治時代でも庶民は朝鮮名を使ってたりしたらしいが。
0093世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 18:44:48.980
>>86
新羅の崔致遠は、唐にいた頃に書いた中国の古典
0094世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 19:04:41.840
朝鮮王朝時代と違って、統一新羅時代、高麗時代は新羅人、高麗人が黄海をまたにかけた
海商として活躍していて、日本の博多にも新羅商人、高麗商人の商船が交易目的で渡来してきていた
わけだが、彼らの商業活動の中身ってどうなっているんだろう。

少なくとも、高麗時代の博多港に来る高麗船が、宋船と同様に日本の硫黄を買い付けていた
ことは記録に残っているようだが、商業活動の全体像はどれぐらい判明しているんだろうか。
0095世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 19:10:00.480
新羅や高麗はまだ後継国家があるからいいけど、
渤海や大理は後継国家がないからわからないことだらけだろうな
0096世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 19:17:02.330
>>95
一応、マンチュリアの統治者としては
高句麗>渤海>契丹>金>モンゴル>後金・大清>満州国
という系譜はあるんだけど、正統後継者観が寸断されているんだよね。

特に、渤海>契丹の段階。
0097世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 19:25:00.830
韓国では、「高句麗は、我が民族の歴史ニダ」というのにこだわっており、「それは中国東北部の歴史アルよ」と言われると怒って火病を起こす

北朝鮮では、それほどでもない

この問題でモメるのは中韓だけであり、北朝鮮は距離を置いている
0098世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 19:50:39.120
金王朝は漢民族の裏切者なので、保身のために喜んで中国には尻尾を振るのだ。
0099世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 20:03:34.870
北朝鮮は金氏朝鮮が正しい名称だろうな
文化レベルは1000年前の高麗より下だが
0100世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 20:19:44.340
高麗の首都・開城はソウルに近いが、北朝鮮にある

創始者の王建も、弓裔も必ずしも北の人間ではないのだが
0101世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 20:27:27.290
むしろ、高麗を滅ぼした李成桂のほうに、満州人疑惑がある
0102世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 20:48:53.150
>>94
日本から高麗への輸出品目としては、例えば、
硫黄のほかには、銅、水銀、真珠、水牛角、胡椒、鏡、机、香炉、鞍、刀、甲冑といったものがあったそうな

高麗から日本への輸出品目としては、例えば、
陶磁器、書籍、反物、麻布、(薬用)人参、米、豆といったものがあったそうだ

高麗からの輸出品目で書籍や反物のうち、中国書籍や中国産絹布といったものはもちろん中継貿易による品目だが、
日本からの輸出品目のうち、水牛角や胡椒といったものも、中継貿易による品目とみてよいだろう
0103世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 20:54:50.700
ところで、このスレを進めていく際には、sage進行を基本にしていくほうが良いのではないだろうか
age進行だと、どうも必要以上にスレが目立ちやすくて、レスの流れが横道にそれたり荒れたりしやすい
0104世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 21:16:47.860
新羅の末期には後百済と後高句麗ができたけど、
他にも国はなかったのかね?
「百済」や「高句麗」を名乗った国は他にいくつもあったのかもしれん
0105世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 21:34:58.550
>>104
弓裔は、新羅末期の地方反乱者勢力らのうち梁吉の部下として頭角を現した
その後、弓裔の勢力は、梁吉の勢力内から独自化していき、(後)高句麗を称した
0106世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 21:59:58.800
そもそも日本の戦国時代や江戸時代の大名の領国にも名前なんか付いてなかったはずだからな
○○藩ってのは幕末か近代までなかったと思うし
新羅末期の各地方勢力に名前がついてなくても不思議ではない
0107世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 22:11:25.920
日本の場合新王朝を建てて自立しようってのが平将門ぐらいしかいないし
0108世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 22:45:59.500
>>107
高麗は何回か王位を狙った反乱があったはず
0109世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 22:50:10.540
弓裔は、ホントかウソかは知らないが、「新羅王の王子」とされている

それなら、弓裔が天下を取れば、第二新羅王朝(後新羅?)でいいように思える

それでいて「後高句麗」なのだから、ややこしい
0110世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 22:51:54.190
なんで後高句麗なのかっていったら、北朝鮮の開城を首都としていたからであって、地理的な問題

まあ、当たり前といえば当たり前か
0112世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 23:12:10.970
満蒙と朝鮮半島の地理的移行ゾーンの歴史系譜は、朝鮮半島諸国史に流れ込んでいるのと
同時に、契丹、金朝、後金・大清朝を経て中国史にも流れ込んでいる。

今の朝鮮半島国家も中華人民共和国も、満蒙・朝鮮半島移行ゾーンから発した政権の
系譜をどちらもが受け継いでいるくせに、どちらの歴史に組み込むか二者択一するなど
愚の骨頂。

まるで、メロヴィング朝の歴史がどちらの国の歴史かをめぐってベルギーとフランスが
喧嘩するみたいな話じゃないか。
0113世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/14(火) 23:17:26.780
>>84
新羅時代の金石文なら浦項・中城里碑(501年)迎日冷水碑(503年)蔚珍・鳳坪碑(524)丹陽赤城碑(545)
昌寧碑 (561) 北漢山碑、黄草嶺碑 (568) 、摩雲嶺碑 (568)が現存してる

また行政文書の普及も日本より新羅のほうが明らかに古い
新羅の城山山城からは6世紀の木簡が出土してるけど日本ではどうあがいても7世紀末の国分松本遺跡出土の木簡が最古で
百数十年も遅れてる
0114世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 00:02:27.530
>>113
日本人が木簡を使い始めたのは7世紀だけど、量が違いすぎる

40年前に発見された長屋王のとこからだけでも、十万点を超える木簡が出てきて大騒ぎになった

それに比べて新羅のは、今までに発見されたのを全部を合わせても数百点で、桁が3つくらい違う
0115世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 00:06:00.200
>>114
地下水びちゃびちゃの奈良盆地は、木簡文書の保存条件としては理想的すぎる。
0116世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 00:08:42.740
>>111
高句麗は、満州に興って数百年後に、南下して北朝鮮を征服した

「征服王朝」というのなら分かるが、「我が民族の歴史」というのは筋が通っていない

乙支文徳や淵蓋蘇文を「我が民族の英雄」として扱ったり、高麗神社で「韓日友好ニダ」とはしゃぐのはおかしい
0117世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 00:12:15.700
訂正

確認したら、長屋王邸の発見は40年前じゃなくて30年前だった
わりとつい最近のことなんだな
0118世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 00:41:20.610
>>116
高句麗は新羅に征服された側だから征服王朝云々はおかしくね?

統一新羅の州郡129のうち旧高句麗だったもの52旧百済だったもの43
で高句麗が一番多いので人口的には高句麗人が多数派だったはず
0119世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 00:49:44.190
それ言い出したら旧唐書によると滅亡時高句麗69万7千戸、百済76万戸だし
0120世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 01:01:20.450
文字利用に関しては、「早いかどうか」と「よく普及してるかどうか」は、必ずしも関係ないし、
もう一つ、「何語で書いたのか?」という重大な問題もあるからね。

不思議なことに、非漢族の東アジア圏の場合、
漢文化が進むほど資料の残りが悪くなる、という謎の逆説があるようにみえる。
言語学的にはまったく不完全な当て字であっても、自国語を表記したもののほうが、わりとよく残る。
漢文化されると、なぜか後世に残りにくくなる。
0121世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 01:46:52.080
高句麗は韓民族だ
愚か者
0122世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 02:10:02.720
高句麗が滅びた時高句麗人はどうなったの?
やっぱり皆殺し?
0123世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 05:59:18.580
一番多い氏族が金ユ信の金海金氏で
横城高氏みたいな高句麗系なんぞほとんどいないでしょ
0124世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 08:26:28.990
>>123
それはあとで韓系の姓を使用するようになったからでしょ
0125世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 11:27:48.980
だから自分たち自身高句麗人の子孫だと思ってないし
アイデンティティーもないということ
0126世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 12:31:57.170
高句麗のアイデンティティを持つ者たちは、唐に送られたか、渤海に吸収されたかしたか。
0127世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 12:50:01.710
>>126
日本にも他民族いたけど今は痕跡も何もないからな
子孫がいてもみんな大和民族になってるし
0128世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 12:59:08.170
高句麗をツングースと言う奴は大抵ネトウヨ
韓国の歴史を否定する事に喜びを感じてる連中
0129世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 13:01:37.430
その割には、ツングース系エベンキ族を韓国人と同一視して貶めたりするよな
0130世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 13:08:18.460
もし高句麗の後継国家だとしたら旧百済領や加羅領を不当に「強占」していることになる
0131世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 13:13:43.880
「韓国」と言った場合、北までイメージしにくいだろ
今だって実効支配していないし
>>129
エベンキ厨は中でも独特のバカ
中国史の入れ替わり説を単純に朝鮮に置き換えているのが全くの的外れ
>>130
王朝自体は百済も伽?もツングース系の夫余かワイバクだろ
0132世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 13:16:25.280
>>122
それは、高校世界史で教わるレベルの基礎知識。

唐は高句麗を滅ぼすと、その指導者層を強制移住させて抑留したが、
彼らは強行脱出してマンチュリアの靺鞨と合流、渤海王国を建設した。

つまり、渤海王国の指導者層、支配層にはかなりの規模で旧高句麗王国の
支配層が参入している。

新石器時代後期の「Y染色体のボトルネック」が生じた時代ならまだしも、
歴史時代には民族丸ごとのジェノサイドなんてそうそう起きてないよ。
0133世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 13:53:40.940
(前)三国時代の高句麗の話ならとりあえず古代朝鮮スレでどうぞ
0134世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 14:05:37.990
高句麗=扶余族を始祖に持つウラル・ツングース

新羅=倭人始祖に持つ倭種

伽耶=ガッツリ倭人

百済=倭人に媚びへつらう元漢人
0135世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 14:41:38.360
>>122
チョッパリは皆殺しニダ!
0136世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 18:27:36.950
>>128
いや、ネトウヨじゃなくても、普通にツングース系だろ

北朝鮮なら、まだ地理的には重なっているが、韓国は高句麗と何の関係も無い
0137世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 19:09:16.800
歴史時代の言語や文化、エスニシティの分布や組み合わせ状態に関しては、
慎重であった方がいい。少なくとも、極東のそういうのが現代に近い状態に
なってくるのって、ようやく李氏朝鮮時代(明清期)になってからであって、
このスレの本題である高麗王朝時代、つまり宋・遼・金〜元代まではまだまだ過渡的な状態
とみるべきなんじゃないか。

実際、漢籍に断片的に残されている「高句麗語」はやはり断片的に残されている
「新羅語」とかなり違うと同時に、「ツングース語」っぽくもなく、むしろ
古代日本語の語彙との類似性が指摘されているほど。そうすると、マンチュリアの
言語が「ツングース語」で塗りつぶされてくるのは、案外遅い時期なのかもしれない。
0138世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 19:15:32.210
>>137
日本だって全国が均一な大和民族や大和文化で塗りつぶされたのはいつからなのやら
0139世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 19:18:34.920
>>118のいう「旧高句麗領」というのは、ほぼ南遷前の百済領だったりする。
百済というのは、もともとは今の京畿道を中心とする中部朝鮮の国だ。
だから結局、新羅は「旧旧百済」と「旧百済」と「任那」を侵略して奪取したことになる。
韓国史観の「三国時代」というのは誤りで、
中国が使いはじめ、日本に至っては王国のラインナップが変わってもかなり後世まで用いた「三韓」という表現が正確。
新羅は事実上、「旧三韓」を「統一」しただけ。

王氏高麗は自称高句麗の末だが、実際にはエスニシティの連続は皆無と見ていい。
高句麗語も何もわからず、高句麗の文化も知らない。三韓の末としての「統一新羅人」内部の王朝交代に過ぎない。
0140世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 20:02:54.010
>>132
高校世界史ではそこまで習わないよw
高句麗も渤海も国名しか覚えていないのが普通
年代も首都名も怪しいわ
お前朝鮮のことばかり考えすぎて頭おかしくなってないか?w
まさに法則発動だわ
0141世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 21:04:36.440
>>140
横レスだが
きみ歴史好きではないねありえない発想だ
存在が板違いだからどこか行ってください
0142世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 21:16:21.510
>>141
横レスだが、自分は予備校時代、駿台東大実戦の世界史論述試験で全国一位になったことあるけど、渤海なんか国名しか知らんかったぞ

まあ、古い話だから、今はもっと重要事項になってるのかもしれんが
0143世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 21:20:18.740
でも、言われてみれば確かに、「高句麗の遺民が集まって、渤海を建国しました」って話も、なんだか聞いたことあるような気がしてきたな?
0144世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 21:25:14.800
高句麗と渤海には、それなりの連続性が認められる

でも、渤海と高麗には連続性が見られない

むしろ、新羅と高麗がつながっている
0145世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 21:26:50.510
>>128
ネトウヨという言い方には感心しないが朝鮮憎しのあまり歴史言語学を捻じ曲げて嘘を信じる蔑むべき輩がいることには同意する

>>131
>>134
>>136
高句麗百済の地名人名にはツングース要素などない
一番多いのは朝鮮語に繋がる要素、それから遼河文明を経由して入ったと思われる上古漢語と同系のシナ・チベットらしき要素、そして倭人由来の日本語要素だ
渤海建国以前にはツングース系民族は満州平原には進出してはいない
0146世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 21:31:29.790
>>145
そこが左翼のおかしいとこだ

「高句麗を建てた満州の民族は、ツングース系などではない。ツングースは、もっと後の時代の人々」
と言えば済むところを、なんで、いちいちネトウヨ連呼する必要があるのか?

それとウヨは、さすがに関係ないだろ
0147世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 21:33:20.290
>>146
ポッチャマはネトウヨ連呼には賛成してないゾ
なんでも噛みつく政治豚は†悔い改めて†
0148世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 21:39:05.350
高句麗ツングース説は、20世紀半ばの旧説だろ。かつては百済モンゴル説とセットだった。
ウヨサヨとはあんまり関係ない。ましてネトウヨとは無関係。単に昔の説というだけ。

ただ、最近はやらないというだけで、否定の根拠もあまり定かでない。
0149世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 21:55:24.800
>>142
駿台の東大実践の世界史でその成績で渤海を知らない…?
たしかにここ15年の状況では考えられませんが…
0150世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 21:58:33.800
>>149
いや、さすがに渤海という国名は知ってたけど、それ以上の話はしてなかった

昔は東アジアへの注目度が低かったんだと思う
0151世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 22:03:54.230
満州もさることながら、昔は、朝鮮史がマイナーもいいとこだった

今は違うんだろうな
0152世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 22:16:19.140
古代エジプトも後世と連続性あるとは言い難い(現代のエジプト人とは血縁はあっても文化的は断絶している)けど、
高句麗や渤海よりははっきりしてそうな気がする
0153世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 22:42:00.440
せっかくだから、ネタを提供しとこう

数年前、カイカイ通信(有名な韓国専門の海外反応サイト)に、こんな記事があった

韓国人「高麗人はどのような暮らしをしていたのだろうか?」

http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/33415686.html

高麗は文献が乏しく、当時の事情を知るには宋の資料が頼り
古代の倭国を知るのに、魏志倭人伝が頼りなのと事情が似ている
0154世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 22:43:42.900
1. 韓国人(スレ主)

少し長いので、忙しい人は赤文字だけを読んでくれ
ここに記したのは、すべて中国の歴史の記録にある内容だ
画像は高麗時代の絵があまりないので、内容と合いそうなものを適当に貼り付けた

高麗は人口密度が高かった。高麗図経の記述された210万戸が正しければ、12世紀初めの高麗の人口は、既に1000万人ほどだった。人口密度に換算すると60人/kuであり、当時の宋の43人/kuより多かった。

●高麗の使者・郭元は言った。高麗の気候は中国と似ているが、寒い日が少なく、暑い日が少し長い方。(宋史)
●高麗は、土地自体は広くないが、人口は非常に多い。(高麗図経)
0155世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 22:45:32.040
>>140
別に朝鮮史の事ばかり考えてなくても、世界史を日本史と関連付けて学習すると
渤海は避けて通れないんだよ。

律令国家時代の日本は新羅と軍事的に対立していて、同時に渤海も新羅と軍事的に対立していた。
新羅と国境を接する渤海は盛んに日本に使節を送ってきて、対新羅同盟の構築に力を注いだ。
その渤海使との外交交渉の担当者だったのがあの菅原道真で、
道真と渤海使の間で盛んに漢詩のやり取りが行われている。
正に、日本の律令制、渤海、統一新羅と東亜の律令体制が連鎖倒壊する前夜の国際情勢だ。

ちなみに、私は満蒙史や華北史への関心は強いが、特に朝鮮史に傾倒しているわけではない。
年代も、共通一次世代だよ。
0156世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 22:47:27.470
風習

室内では履き物を脱ぎ、人々は家柄を重視した。

●床の上にはござを敷き、室内では必ず靴を脱ぐ。(宋史)
●高麗の風俗は中国とは別の、野蛮な風俗が残っている。(朱子語類)
●高麗の人々は、家柄を重視する。(宋史)
●高麗は礼儀を備えているが、風俗は汚らしく無情て乱雑。冠婚葬祭を適切に行うことを知らず、唐の制度を大まかに模倣したものである。(高麗図経)
●民家の道具はほとんどが銅で作られている。(宋史)
●井戸は通常、河川の近くにあり、主にハムジバク(水などをくむときに使う木をくり抜いた容器)で水をくむ。ハムジバクの形は船の外観と似ている。(高麗図経)
●家には長い竿を立てることは、占い師であることを区別するための風習であったが、最近では、高麗の人々は悪霊を追い払うために一般庶民たちも家に長い竿を立てている。(高麗図経)
0157世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 22:47:53.290
2. 韓国人
おもしろいね(笑)

3. 韓国人
人口1000万人?

4. 韓国人
男たちは、女との情事を好み、女たちに貞操観念はない。
男女は簡単に結婚し、また簡単に別れる。

5. 韓国人
男女の関係を見れば、キムチ女がリアル種族特性だということが分かる
キムチ女は一日にしてならず(笑)

6. 韓国人
朝鮮時代の女性は乳を露出している
我々が学んだのと全然違う
朝鮮時代の写真を見てパニック

7. 韓国人
野蛮な国家だったんだな
偉大な中国人が我々を開化させてくれた
今は偉大な米国人が、この野蛮な朝鮮人を開化させてくれた
我が国は上国なくして生きられない
それでこそ開化となるのだ
0158世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 22:51:29.630
高麗で注目すべき点のひとつは、「人口が多かった」ということ
この時代で人口1千万人は、確かに多い

あと、後の朝鮮を訪れた外国人が、一様に「不潔だ」「不衛生だ」と語ったのに比べて、高麗は「清潔だ」と高評価を得ている
0159世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 22:59:32.220
12世紀の高麗の方が19世紀の朝鮮よりも人口が多かったわけか
19世紀のアイルランドのように過剰人口だったのか
0160世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 23:03:08.270
1000万も居るわけない
李氏朝鮮の17世紀半ばの戸籍人口が200万人
いくら遺漏があってもそんなに沢山いるはずがない
0161世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 23:06:39.060
高麗の風俗は女性の発言権が強く、男尊女卑の風は非常に希薄だったようだね。
それが宋人の目には「女たちに貞操観念はない」と映ったのかもしれない。
李氏朝鮮時代も初期にはそれほど男尊女卑は強くなかったのが、歴史が下るにつれて
その風が強くなったとする歴史家の評も目にすることがある。
0164世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 23:42:17.600
>>148
百済モンゴル説なんか聞いたことがないな
高句麗、百済、任那の支配者層はどれもワイバクか夫余といったツングース系で、
日本語とも系統が近く、
朝鮮語に連なる新羅語だけが系統不明で語彙が独特、というのが半ば通説だった
モンゴル語と日本語の直接の比較研究は小沢重男ぐらいで、
モンゴル語と朝鮮語との比較は聞いたことがないが韓国の学者は試みているかもしれない

>>155
自分がどう言われているかばっかり気にしているようだけど、あんたの渤海への関心の強さはどうでもいい
>>132の「高校の世界史で習うレベルの話」っていうのがディープすぎるって話
強制移住だの靺鞨との合流だの、どの世代でもそこまでやらなかったと思うよ
>>143だって大学受験の時かどうかすら怪しい
自分の中の常識を過大に表現しただけだろう
0165世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/15(水) 23:52:20.900
いうて百済語や高句麗語の資料って三国史記地理誌ぐらいしかないべ
0166世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 00:09:48.980
>>122
報徳国と呼ばれる自治区を与えられたけど反乱を起こしたため
結局新羅の直轄支配を受けることになった

新羅の軍政には唐の府兵を模倣した九誓幢というのがあって
男子が成人になると数年間中央で兵士として出仕する制度があったのだが
総計九師団のうち新羅人部隊3個、高句麗人部隊3個、百済人部隊2、靺鞨人1という
組み合わせなので人口的には新羅人と拮抗していたと思われる
0167世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 00:17:02.330
>>164
扶余はツングースとは無関係
ツングースもとい靺鞨はその一部である粟末靺鞨と白山靺鞨は高句麗の隷属民であり扶余人とは明確に異なる民族だ
いい加減にしろ!
0168世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 00:23:44.770
元々中央貴族の私兵集団である六停が新羅軍の中核だったのが
外様の九誓幢を組織することで王権が直接動かせる兵力が出来て王権の強化に資したってだけでしょ
別に府兵ではない
井上秀雄によると新羅の戸籍は日本が戸別に把握していたのと違い村落単位までしか把握できておらず、結局新羅の律令制も人民の直接支配には至らなかったと評価してる
0169世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 00:26:38.490
>>165
中国史料にも、百済語その他を示す内容はいくつかある
例えば、百済で「王、君主」を指す言葉について、
「於羅瑕」と「鞬吉支」という用語が並立していたことが、唐代に編まれた中国南北朝期の史書の一つの「周書」に記述されている
「於羅瑕」は扶余系、「鞬吉支」は韓系の語彙だったと推定されている
ちなみに日本では、持統朝期以降に、百済王室の子孫とされる一族の姓として、
「百済王」と書き「くだらのこにきし」と読む姓があった
「こにきし」が「鞬吉支」と事実上同一語彙であることは、もちろん明確だろう
0170世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 00:34:42.790
>>169
日本書紀など日本側の史料にも、百済語だけじゃなくて高句麗語が断片的に残っているよね。

高句麗の権臣の「泉蓋蘇文」の高句麗語による読みが「イリ・カスミ」だったことが日本書紀の
記述から明らかになっている。
0171世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 00:37:15.740
ところで、いま手もとに史料が無いのですぐに例示することが難しいけれども、
高麗時代は、その高麗へ移民・帰化をする人々がかなり多い時代でもあった
その中には、例えばもちろん渤海や遼や女真などの出身者も含まれていた
0172世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 00:44:41.180
>>170
韓国ドラマ関連のスレで
「蓋蘇文(ゲソムン)は、かすみちゃん」
ってな調子のレスが時々あったりするんだよね
0173世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 00:46:05.350
>>167
ツングースは非常に広い範囲に分布したため、
古くから漢語圏と接触した文明化の度合いの大きい部族と
文明化の度合いの少ない部族がいたと思われる
その典型が建州女直と野人女直の違いだが、
いつの時代にも同系統でもそういう違いがあったと考えると辻褄が合う

ツングース諸語は満洲語みたいな文法が単純化したものと、
エヴェンキ語やナナイ語、ウイルタ語のように複雑な文法形態を持ったものに分かれる
前者を話す民族は文明度が高く、後者は自然民族とか先住民とか呼ばれる
前者が後者を統治することもよくあり、清朝期には後者の諸民族も満洲語を文章語として使用していた

高句麗、夫余、沃沮とワイは言語が近いと中国の史書にもあり、
ユウ婁、後の靺鞨はそれらと異なる独特の言語だといい、
後の女直・女真につながるらしいが、沃沮の分布地域はもろにアムール下流域の南ツングース諸民族に近い
ユウ婁・靺鞨もツングースで系統が少し離れているだけと考えていいんじゃないかな
0174世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 00:49:26.530
>>172
カスミちゃん、国王を弑逆す。
0175世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 00:52:30.710
>>164
北扶余の末である達末婁がモンゴル系というのが主な理由>百済モンゴル説
なぜモンゴル系かといえば、室韋と連れ立って朝貢したという行動記録を理由とする。

今や顧みられないが、わりと重要な問題を提起してると思う。
中国史書の「言語同系」を軽々しく信じてはいけないということ。
史書の編纂者とて、言語学的には素人なのだ。
素人の「あの言語とこの言語はよく似てる」は大抵は外れというのは、今でも同じ。
実際にベトナムにいる外国人に、ベトナム語は広東語とカンボジア語のどっちに似てる?と聞けば、
素人なら10人が10人、広東語に似ているというはずだ。
言語学的には広東語とは系統論上はまったく関係がなく、カンボジア語と同系なのだが。
0176世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 00:59:25.680
>>175
室韋=ザバイカリエのブルホトイ文化か。

百済の支配層の墓制からブルホトイ文化の要素が発見されたら面白いな。
0177世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 02:03:01.030
蒙古語も女真語も満洲が故地。
契丹文字の研究の進展で契丹語は訛りの強い蒙古語である事が確定している
また鮮卑についても拓跋部については蒙古語であると推定されている
なと鮮卑柔然部はアヴァール族と関連が議論されているが、アヴァールの王名バヤンは典型的な蒙古語だ
今の所謂モンゴル語は室韋蒙古部の言葉の直系子孫と思われるである

北扶余の末裔である豆莫婁は、中国の史書によると室韋や契丹と言葉が同じであったという
百済が蒙古であっても不思議ではない
0178世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 02:18:19.890
>>177
大興安嶺山脈の東麓から日本海にかけてが靺鞨=ツングース語集団の故地で、
西麓からバイカル湖にかけてが室韋=モンゴル語集団の故地ということになるのかな。
そして、バイカル湖から西がテュルク語集団の故地。
朝鮮半島は大興安嶺山脈の南方の延長線上で、ツングース語集団もモンゴル語集団も
どちらもが南下侵入する可能性のある土地だったということか。

あれ、扶余系集団が室韋と同系でモンゴル語集団だとすると、百済支配層と同様に
扶余出自伝説を共有する高句麗もモンゴル語系の集団だった可能性が浮上しないか?
0179世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 02:24:29.900
>>175
『魏書』『北史』の失韋国の条に「語は庫莫奚、契丹、豆莫婁国(達末婁)と同じ」とある
というから、行動記録以外にも「素人記述」ながら根拠はあるんだろう

史書には載っていなくても、漢人側も断片的に漢字で対訳語彙メモを残すことがあるし、
後には明・清の『華夷訳語』のようにシリーズ化するほど情報が集まることもあった
また各言語の話し手同士が円滑に会話しているのを目撃したり、漢語を解するもの、通訳など
情報を持つ者もいただろう
夷狄の情報は中華の安全保障にも関わることだから、
音声を聞いただけの印象で語るほど無関心とは限らなかったのではないか

で、達末婁については北扶余の滅亡後に北方に移住したのだから、その時にモンゴル系と同化したのではないか
こういう同化による言語の交替は、モンゴル系と言われる鮮卑を祖とするシボ族が満洲語を話していたり(異説あり)
オイラート人は元チュルク系からモンゴル語化したと言われていたりと、よくある
分化した後でモンゴル化したのであれば、扶余全体がモンゴル系とはならないだろう
0180世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 06:53:10.190
>>164
言われてみれば確かに、「高句麗の遺民が集まって、渤海を建国しました」という話を聞いたのは、大学生のときだった

反日ナショナリスト朝鮮人がその話をしてたのを思い出した

高校生でそこまで知ってるようじゃ、いくらなんでも歴史ヲタすぎる(笑)
0181世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 06:59:15.960
反日ナショナリスト朝鮮人が「我が国にはかつて、乙支文徳や淵蓋蘇文という英雄がいて、唐の侵略を撃退したニダ」と勝ち誇っているのを見て、
「そいつらは、高句麗人だ。韓国とは関係ないだろ?」と思った覚えがある。

当時はまだインターネットが普及しておらず、嫌韓サイトもなかったので、やり場のない個人的な怒りで終わったが(笑)
0182世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 07:04:57.600
>>175
有名な例として、イタリア語と、南インドのアーンドラ地方のテルグ語は、言葉の響きが驚くほど似ている

ボーッとして聞いていると、イタリア語だと思ってしまう
0183世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 07:33:48.620
>>173
語彙の実例を挙げずに出まかせを言うな
0184世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 07:52:15.380
「インターネットが普及しておらず、嫌韓サイトもなかったので」なんて発言を
学問板で真顔で言わないでくれ
その発言だと、もう結構いい歳した人なんだろうけど、自分で書いてて何とも思わないか?
ここはそういうスレではない
0186世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 08:46:07.340
>>183
どこについて言ってるのかさっぱりだ
とりあえず『言語学大辞典 世界言語編』の「トゥングース諸語」の項目を見ると
基礎語彙の対応例と各言語の文法的な特徴が載っているよ
「アルタイ諸言語」の項目も(語族としては成立しないことを前提の上で)
トゥングース、テュルク、モンゴルの三語群について文法形態の特徴をそれぞれ挙げているので
トゥングース語の概要を掴むのに役立つ
中でも満洲語の構造上の単純さは異質で際立っている
0188世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 08:56:15.580
ニダとかアルとか20年前のネット用語使ってる時点でおっさん
0189世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 09:05:20.240
ニダと書いている時点で嫌韓丸出しのネトウヨとバレバレ
何で高麗スレに来るんだろうか?
ここは頭の弱い差別主義者の居場所ではない
一応は学問版だぞ
0190世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 09:13:02.460
確かに韓国の学者のデタラメさぶりに呆れることはあるけどね
0191世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 11:58:04.350
ニダ
0192世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 12:25:58.480
>>189
お前のほうこそ、古い人間に見えるんだがな?

90年代前半までは、反日ナショナリスト朝鮮人が荒唐無稽なウリナラ史観を主張していても、マジで誰も反論できんかった

「それは違うんじゃないか?」とでも言おうもんなら、お前みたいな左翼崩れのオッサンが出てきて、差別だ偏見だとうるさいのなんの。
お前は、そういう暗黒時代の生き残りで、生きる化石だ。
0194世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 12:50:01.130
>>186
そこには扶余語は乗ってへんやろなにロンスリしとんやアホ
勝手にトンデモをぶち上げて百済高句麗はツングースニダウヨとか今時流行らへんぞ

基礎知識として板橋義三の「高句麗の地名から高句麗語と朝鮮語・日本語との史的関係をさぐる」と馬淵和夫の論文ぐらい読んだ上にスタロスティンの再構したツングース祖語を知ってれば
高句麗百済とツングースがなにも関係ない(仮に関係があるとしてもニヴフ語や日本語と同程度でしかない)ことはすぐにわかるぞ
0197世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 14:26:56.970
>>194
誰が扶余語の話なんかしてるか脳みそウンコ野郎
そもそも>>183が具体的にどの言語の語の対応例を問うているのか、何言ってるのか意味不明なんだよボケが
ツングース諸語のうちの満洲語、エヴェンキ語、ナナイ語、ウイルタ語の対応例の話じゃないのかよ
>>173に対するレスならそう解釈して当然だろうが
「大地」のnaとか「七」のnadan〜nanaとか無視できないだろ
だいいちご自慢の「百済モンゴル説」はどこ行ったんだよwww
0198世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 14:35:23.310
おいおい、相手を罵倒しあいながらじゃなくても普通に議論できる内容だろ。
0199世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 15:12:48.280
>>197
あガガイのガイw
ワイはご自慢とやらのニキとはちゃうで

だいたいnanaは日本語やしな
0200世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 15:41:45.330
だいたい豆莫婁の記述は扶余の引き写しで、百済は高句麗の王族が馬韓を乗っ取って作った国やから
仮にモンゴルと関係あったとしても高句麗の方がオリジナル扶余に近い分むしろそっちの方が近いやろ

どっちにしろ扶余・ワイ貊民族を既存の北方民族に結び付けるのは2世紀前レベルのトンデモウンコやで
文化的影響でいうなら遼寧式銅剣と北方式支石墓に注目するべきであり、エスキモーと隣接していて当時からの借用語があった北の果てのド土人エベンキツングースは完全に蚊帳の外
0201世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 16:11:13.990
>>195
先にネトウヨ連呼し始めたのはお前だろ

脳ミソが朝鮮人だな!
0202世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 18:41:17.720
最初にニダとかくっさいレスしてスレ荒らそうとしたのは誰かって話ですよね
0203世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 18:43:20.140
>>202
( ´,_ゝ`)プッ

笑わせるな、この不逞鮮人が
0204世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:10:12.100
それはともかく、高麗の話に戻ると、新羅は唐の力を借りて三韓を統一し、朝鮮は明に国号を決めてもらうなど、建国当初から中華帝国と切っても切れない関係にあった

それに対して、高麗のときは、中国が歴代最弱王朝の宋だったおかげで、例外的に自立した王国としてスタートした

さらに、度重なる契丹の侵攻を最終的に撃退するという、史上に稀な軍功もあった
しかも、高麗青磁は半島の歴史でも最高の文化遺産とされている
このため、高麗を「我が国の栄光の時代」と見る朝鮮人は少なくない

しかし、そんな高麗に、史上最凶の侵略者がやって来た
モンゴル帝国だ
0205世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:11:27.120
スレと関係ない口げんかしたい者らは、よそでやってくれ
ここで騒ぐな
0206世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:15:44.790
ヴェトナムの君主もそうだったけど、高麗の君主は対内的には「皇帝・天子」を名乗ってたんだよな
高麗の君主を指す美称の一つには「海東天子」というものもあったんだったか
0207世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:23:14.170
>>204
契丹遼帝国ってのは、草原地帯の足場を本拠地にして遊牧国家としての性質を失わずに
同時に燕雲十六州という定住農耕地帯を安定統治する経験を成熟させた、
いわゆる「内陸ユーラシア型国家」の先駆だったわけだけど、
草原地帯で実効支配しているのは満蒙境界部の森林ステップ地帯だけで、
モンゴル高原全域を支配しきれていないんだよね。
そういう意味で、戦役に際して動員できる遊牧騎士の実数が、
モンゴル帝国よりだいぶ劣ったのが高麗に対する敗因だったのかもしれないね。
0208世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:24:30.380
よく言われる「半島は二千年来、中国に従属してきた」というのは (韓国メディアの自虐記事にもよくそう書いてある)、高麗には当てはまらない

後期の高麗にしても、モンゴル帝国の属国にはなったが、「中国」に従属したわけではない
0209世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:25:43.670
高麗の君主が「陛下」でなくなったのは、モンゴルに侵略されたから

モンゴルと縁が切れたはずの李朝は、なぜ「殿下」のままだったのか。


おかげで日本の天皇に猛烈な嫉妬心を抱いて、いまだに日王などとこき下ろしているが
0210世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:26:49.910
>>204
高麗青磁、特に象嵌青磁の洗練度ってのは大したもので、
あれだけ洗練された工芸品を維持できるってことは、
職人集団を安定維持したうえで、彼らのモチベーションを高く保てた、
って事なんだよね。
李朝の宋学原理主義時代の職業差別意識のきつい時代と高麗がかなり異質な社会だということを
物語っているように思える。
0211世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:34:03.110
>>210
そうなんだよな

客観的に見て (まあ、主観も混じってるかもしれないが)、作品のクオリティとしては、どう見ても
高麗 > 朝鮮(前期) > 朝鮮(後期)
なんだよなあ

前期の朝鮮白磁も、高麗青磁ほど深みのある色合いではないが、素朴な気品があった
時代順に見ていくと、「衰退途上国」の実例を見る思いがする
0212世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:37:58.990
もっとも、これは陶磁器に限った話であり、文献に関しては、高麗は乏しく、朝鮮時代に急増する

やはり、朝鮮の儒教社会では文人が尊重され、職人が軽視されたということか?
0213世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:47:48.500
>>209
明清帝国の五百年で、すっかり属国根性を刷り込まれた

とはいっても、明の時代は事実上の独立国

本当の意味で中国に「従属」するようになったのは、なんといっても清の時代
0214世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:51:12.570
いやー属国って面子取り繕うにもコソコソセコイことやらなくちゃいけなくて大変だよねー
(棒)
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&;active_action=repository_view_main_
item_detail&item_id=11051&item_no=1&page_id=13&block_id=49
高麗では、建国後からしばらくの間、「詔」「制」「勅」など、本来、皇帝のみが使用しう
る語を国王の命令語として用いていた。しかし、一〇世紀後半、高麗が宋の冊封をうけると
宋に対する「事大」の礼を正すため、国王の命令語を、中国の礼制において諸侯が用いる語
である「教」へと改めた。その後、夷狄視していた契丹(遼)によって強引に藩属をせまら
れると、藩属によって失墜した国王の権威を回復するため、高麗はふたたび皇帝の礼制を用
いるようになった。
高麗は元に対する僭擬を避けるため、一二七五年(忠烈王元)頃までに、王命の語「聖旨」
を「宣旨」、王位継承者の称号「太子」を「世子」と自主的に改めた。また、官府・官職制
度を大幅に再編し、それらの名称のうち、元と同一のものを改称した。しかし、一二七六年
(忠烈王二)、高麗に駐屯して内政に干渉を加えていた元の達ダルガチ魯花赤(監督官)
が、高麗国内で用いられていた王に関わる称号が元の皇帝に対して僭擬であると難詰する事
態が生じた。これをうけて、高麗では、王命「宣旨」を「王旨」、王の自称「朕」を
「孤」、恩赦の語「赦」を「宥」、臣下から王への言上「奏」を「呈」と改称することを余
儀なくされた。
この後、高麗末期(一四世紀後半)にいたると、中国で紅巾軍の反乱がおこり元の支配が大
きく動揺し、それにともなって元の高麗への影響力も弱化しはじめた。この時期、高麗は元
の覇権からの離脱をはかり、官府・官職の名称や礼制の一部を事元前のものへと復帰させて
いる。しかし、こうした高麗のあらたな体制は、国内外で政変があいついだために安定せ
ず、旧制へもどされた官府・官職の名称や礼制も再変更を繰り返した。
0215世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 19:56:39.650
後期の高麗では、歴代の国王はみな、モンゴル人の王妃と結婚した

子供はモンゴル人のハーフ、孫は4分の3モンゴル人のクオーター
しかも、幼少時は人質に取られていたので北京育ち

こんなことを続けるうちに、高麗王はだんだんモンゴル人そのものと化した
中には、故郷の北京に帰ったまま、戻ってこない国王も出る有り様だった
0216世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 20:09:27.270
>>204
>それに対して、高麗のときは、中国が歴代最弱王朝の宋だったおかげで、例外的に自立した王国としてスタートした

高麗の統一は918年
北宋は960年だな

高麗の初期の中国は、歴代最弱王朝どころか、五代十国の分裂時代
0217世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 20:18:56.770
やはり、中国が分裂しているときのほうが、近隣諸国には幸せな時代
0218学術
垢版 |
2019/05/16(木) 20:38:00.740
内国の憂愁より外国の疫学。
0219世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 20:40:00.780
韓国の時代劇
吹き替え版では、家臣が王に「王様!」と呼びかけている。
原文では「チョナ」(殿下)。
でも吹き替え版で「デンカ」などと言えば、なぜ陛下ではなく殿下なのか、視聴者に説明しなくてはいけない。
それがニダさんのコンプレックスを刺激してはいけない。
だから「王様!」で通している。

ところで、高麗時代が舞台の時代劇が日本で放送されたことはあるのかな
そこでは堂々と「陛下!」と言っているのかな
0221世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 21:57:43.530
>>204
さんざん契丹に小突き回されて、いたぶられてるじゃないか>高麗

これは地政学的問題で仕方ないのだが、
朝鮮というのは、北アジア系帝国が勃興して満州を握ると、直ちに毎回サンドバッグにされるのが定番。
でも朝鮮半島自体の縦深があり、しかも向きが南北方向(進むほど気候が違ってくる)、
さらに無駄に山がちで生産性も高くなく、満州の北アジア帝国側からみて土地に魅力がないので、
征服して直轄にするほどの資源を割く気になれない。
(手許に同じだけの軍事・政治資源があるなら、華北平原になだれ込むほうが美味しいに決まってるw)
それで、朝鮮側が隷属国として手打ちを出来る。

唐が拓跋帝国であることを考えれば、唐、契丹、大元、大清は基本的に同じポジションで、
本来は北アジア帝国として朝鮮を扱っている。
0222世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 22:04:05.210
>>219
>高麗時代が舞台の時代劇が日本で放送されたことはあるのかな

「奇皇后」がそれだな
高麗王は「殿下」だし、日本語訳は「王様」だった
日本で「殿下」といったら「皇太子」を連想するので、誤解を避けるため「王様」にしてるのだろう
0223世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 22:12:42.900
>>222
「奇皇后」はテレビで放映しているのをちらっと見たけど、
モンゴル人の名前を漢字を当てたさらに朝鮮語読みで呼んでいたり、
モンゴル宮廷を史実の天幕群による移動宮廷じゃなくて固定家屋の中に
朝鮮風俗の女官がぞろぞろ歩いている風俗で描いていたりというのを見て、
すぐに見るのをやめてしまった。

攻めてモンゴルをモンゴルらしく時代考証して描いてほしかったなぁ。
0224世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 22:27:54.920
>>168
>井上秀雄によると新羅の戸籍は日本が戸別に把握していたのと違い村落単位までしか把握できておらず、結局新羅の律令制も人民の直接支配には至らなかったと評価してる

苦し紛れにすぐばれるようなウソつくなよ
「古代朝鮮」講談社学術文庫 P244 井上秀雄 
「東大寺の正倉院から景徳王十四年(七五五)に作られたとみられる西原小京(現在の忠清北道清州市)付近の四カ村の帳籍が発見された。
この帳籍には、村の戸数、人口、牛馬数、土地面積、桑・柏・楸の本数およびその出入りが記入されている。」

新羅の兵制が唐の府兵制を参考にしてるってのも井上秀雄の説だぞ
0225世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 22:33:41.980
>>224
ん?横レスだけどちょっとまて。

村の「戸数」や「人口」が把握されているのと、
「A村の甲野家には、戸主甲野一郎35歳と妻乙村花子30歳がおり、男子甲野太郎10歳と女子甲野花美5歳がいる…」
というレベルを中央が把握する話では、レベルが全然違うぞ。
(奈良時代の日本に合わせて夫婦別姓の例にした。他意はない。新羅や高麗もそうだったろう)
0226世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 22:42:56.690
>>225
さらに横レスだが、
3世紀に諸国が「共立」した「倭王権」と、辰韓を統合した後に旧馬韓の百済、旧弁韓の伽耶諸国を
軍事的に制圧して統合した「新羅王権」では在地社会との距離感にかなり差があったのかもね。
忠清北道なんて、もろに旧百済の地域だし。

あるいは「新羅王権」にとっての王畿の地である旧辰韓地域ではより深い掌握が出来ていたのかな。
0227世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 22:46:36.680
>>224
>苦し紛れにすぐばれるようなウソ

その直後に「新羅の律令制は村落=村落共同体の抵抗にあって、まだ本来の目的である土地と人民とを国家が直接支配することができない状態にあったと言わなければならない。」
書いてあるんだが。
兵制に関しても「…新羅の律令制は軍事力さえも完全に掌握できなかった王権の上に成立していたことが知られる。
権力構造の基盤となる軍事力が、貴族側に留保されている以上、古代の専制王権は絶対成立しないし、それを基盤とした律令体制は形骸的なものにしかなりえない。」と言ってる。」
0228世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 23:02:23.200
>>225
詳しくは「正倉院より発見された新羅の民政文書について」(野村忠夫)や「新羅の村落支配」(武田幸男)を参照して欲しいが
古代日本の戸籍制度と違って村落の構成員が所有している田畑や奴婢、牛馬の数、死亡記録
班田の支給対象にならない幼児すら記載れていて完全に村落全体の人口や資産が筒抜けになっているのだが
一方で個人名が記載されてないという異様な構成になっている

これは中央から赴任してきた受領が税を徴集した日本と違って新羅では人口や資産の多寡に応じて村ごとに税負担を割り振って
現地支配層である村主が直に徴発するというシステムをとっていたようだ
0229世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 23:05:19.140
>>224が読解力ゼロのガイジで草
0230世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 23:12:34.560
>>228
ちょっと待った。
律令制盛期にはまだ受領制は施行されていない。
この段階では令制国に派遣された国司四等官が連帯責任で地回りして
郡司の接待を受けつつ貢納を受け取っていた。

9世紀から10世紀にかけて在地社会の郡司層とその支配下にあった在地共同体が
解体してきて、「富豪の輩」という富裕農業経営者が台頭してきて、
彼らから新たな方法で徴税するために現地派遣の筆頭国司に権力集中して
「受領」が成立する。

つまり、律令制盛期には日本でも直接農村から徴税しているのは在地首長層である
郡司層だ。
0231世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 23:23:41.600
徴収を誰がやるかはどうでもいいんだけど、
村人の個人名を把握できていないってことは、中央政府の手が届くのは各村の村長までで、
そこから先は、人類学的構造として「不透明(not transparent)」ということだよな。
つまり、新羅政府は、村人を「村長の所有物」としてしか把握できてない。
原文にあたってない横レスなので断言は避けるが、井上が指摘していることは、恐らくこういうことなんだと思う。
0232世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/16(木) 23:29:50.250
倭国>日本国では、大王>天皇を共立した在地首長層は、
国主>国造>評造>郡司という変遷をたどって温存され、
10世紀の律令制の崩壊と時を同じくして没落している。

果して朝鮮半島の馬韓・弁韓・辰韓を構成した小国の首長たちは
統一新羅時代にはどうなっていたんだろうか。

統一新羅末の律令制解体と内乱、高麗社会への移行には、
日本と同様の古代的な小国家の首長層と共同体の解体が
関係していたんだろうか。
0233世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 00:00:19.380
このスレにはネトウヨが常駐していて高麗のネガキャンしてくるんだよね
何の根拠もなく政治力が無かっただの、実際の人口は少なかっただの、ひどいのになると王室を蒙古の蛮人扱いしたりしている
0234世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 02:21:24.180
>>199 ガイガイ節は敗北宣言だよ
nanaがもともと日本語だっていう証拠は?

たとえば「奈良」がもともと「国」という意味の朝鮮語だという妄説があるが
これに対しては日本語には「ならす」「なだらか」といった派生的な同系語があるのに対し
朝鮮語にはなにもそれ系の派生語彙がない、という事実で論破できるわけだが、

「七」にはそういう同系の語彙がないだろ
それはお前の宗教じみた信念でしかないんだよ
>>200
エスキモーとエヴェンキはぜーぜん隣接してないよ
間にはものすごい距離がある上に、
カムチャダールとかユカギールとかいくつものぜんぜん関係ない民族が横たわっている
>>205 スレには関係あるし、煽りの形をとっていてもちゃんと議論になっている
そのことに気付いていないお前は一人で間抜けに気をもんでいろ
0235世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 02:26:05.810
>>207
高麗に対する遼の勝敗は別の問題として、モンゴル高原っていうのは残りカスの土地だよ?
モンゴル高原というのは負け犬のハルハが充てがわれた生産力の恐ろしく低い土地
モンゴルの場合、常に内蒙古の地域の方がはるかに生産力が高く、経済的な地位が高く、人口もずっと多い
地図で見て広いからって外蒙古のほうが強いとか豊かだとか思うのは大間違いだ
「支配しきれていない」とかそういう価値観で見るべき土地ではないよ
0236世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 02:27:57.330
>>233
「蒙古と同系」というのが「蛮人扱い」というマイナスイメージになる、
という考え自体が朱子学的文明主義に毒された偏見だよ
お里が知れる
0237世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 02:32:08.290
>>219
高麗は初期から末期まであるな。初期のは陛下といってた記憶はある。
王建、光宗、成宗〜顕宗、武人時代、恭愍王等。
0238世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 03:04:35.470
日本の大河ドラマは戦国か幕末維新かしかないが
朝鮮は三国の動乱があったり支那やモンゴル、日本から攻め込まれたり
何度も王朝交代があったり、「絵になる時代」に事欠かない。
だからドラマネタもいっぱいあるわけだ。
0239世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 03:30:22.090
>>234
オカマ語使うなキモっwwww
「なな」には日数で「なぬか」「なのか」という異形態があることも知らないとかオカマ語じゃなく日本語を勉強しとけ頭唐澤が

これはツングースが殆どnadanでどんだけ遡っても*nada-n以外にならないのとは好対照
多様性は日本語の方が明らかに勝っている
http://starling.rinet.ru/cgi-bin/response.cgi?single=1&;basename=%2fdata%2falt%2ftunget&text_number=+756&root=config

そして北ツングースは古く見積もって2000年前、エスキモーと隣接していて語彙を借用した
https://en.wikipedia.org/wiki/Tungusic_languages
Alexander Vovin (2015)[13] notes that Northern Tungusic languages have Eskimo-Aleut loanwords that are not found in Southern Tungusic,
implying that Eskimo-Aleut was once much more widely spoken in eastern Siberia.
Vovin (2015) estimates that the Eskimo-Aleut loanwords in Northern Tungusic had been borrowed no more than 2,000 years ago,
which was when Tungusic was spreading up north from its homeland in the middle reaches of the Amur River.
0240世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 03:38:39.000
つーか疑問の「なに」「なぜ」「なぞ」等の「な」はぱっと見で数が分かりにくい程の多数というニュアンスを持つ「なな(7)」と関係あるやろ
ガイジニキネトウヨの上に日本語も理解してへんとか半分頭香山リカとちゃうか?
0241世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 03:46:32.840
例えば、第6代景宗の時代から第8代顕宗の時代までを扱った「千秋太后」(2009年作品)だと、
高麗君主とは対内的な皇帝なのか対外的な国王なのかという葛藤がかなりストレートに扱われていて
君主自身が称する一人称が朕なのか寡人なのかが君主各々の政治的理念に応じて時代ごとに揺れ動いたり
敬称が陛下なのか殿下なのかについて重臣らの間で論争が起こる場面もあったりする

いずれにせよ、史実上、中期までの高麗の君主は対内的には皇帝や天子を称していた
0242世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 07:02:39.830
>>233
だったら、お前が高麗を持ち上げて、バランスを取ればいいだろ(笑)

愚かな奴だな!
0244世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 09:50:21.980
そこの二人、そこまで!

きみらほんとに他スレでやり合え
テーマの議論にも何も、まるで無関係
まさか一人二役じゃあるまいね
とにかく、どっちが先でもいいからまず黙れ
0245世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 10:04:46.540
>>233
他は知らんが後世の人口統計や推計からして人口1000万人はどう考えても盛りすぎ
0246世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 10:09:21.230
>>238
韓流ドラマの歴史ものはマジで面白いね
日本の時代劇がレトロ化してしまったのと違ってちゃんとした現代のドラマになっている
水戸黄門や暴れん坊将軍の悪徳政治家を懲罰するシナリオも嫌いではないけど若者にはウケないよね

ネットではネトウヨが韓流時代ものの脚色がひどいというけれども時代劇なんてみなそんなもんだ
史実を元にした劇なんだから

最近の日本は大河ドラマが典型的だが小手先の映像効果を狙いすぎてアクションが殆どない
出演料ばかり高い大根役者使ってるからそうなる
0247世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 10:19:10.230
韓流時代劇にも高麗を舞台にしたものが沢山ある
時代考証は厳密ではないかもしれないが劇なんだから別にいいだろう
忠臣蔵だって史実と違うところがいっぱいある
歌舞伎の助六なんて伊東祐親だの何だの言いながら江戸時代の当時の事を描いていてそれが面白い

時代劇は過去を題材にして現代の風刺をしたりするのが常道だ
例えば水戸黄門だって助さん格さんに倒される越後屋が安倍下痢首相の顔してたり石原右翼知事のそっくりさんだったりしてもいいんだ
226で話せばわかると言って撃たれるのが竹中でもいい
0248世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 12:27:21.260
>>246
お前は、韓流時代劇を見たことないだろ?

あれのどこが「史実を元にした劇」なんだ

スターウォーズと同じで、完全なるファンタジーでしかない
0249世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 12:30:44.590
>>238
日本の平安時代なんか、宮廷陰謀劇のネタが無尽蔵だ

日本人は、中韓人ほど歴史ネタに貪欲じゃないだけ
0250世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 12:35:06.600
安部下痢首相とか石原右翼とか言ってる時点でお里が知れる
0251世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 12:42:44.620
>>238
逆に、
「群雄割拠の時代」みたいのが無いので
そこが日本で注目されにくい原因かと思う
0253世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 13:17:50.680
>>249
それこそ源氏物語とか・・・
そういえば、それにも高麗から来た人相見が出てくるな
0254世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 13:18:05.840
>>154
高麗図経の210万戸をちょっと見てみたけど、見つけられなかった。
どの辺に載っているんだろう。
0255世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 14:06:59.640
>>251
それは言える

宮廷暗闘モノがほとんどで、中国の時代劇みたいなスケール感がない
0256世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 14:59:37.670
日本の歴史でドラマになりそうなのは戦国時代か幕末か源平時代
NHKの大河シリーズは時々これを忘れて失敗している

ただ山河燃ゆだけは良かった
無謀なナショナリズムを振りかざしてアメリカと戦い、敗戦を迎えた日本政府の愚かさとそれに苦しめられた市民の姿、そして移民として異国の地で暮らす二世三世の苦しみと民訴のアイデンティティ
かなりの傑作だった
0259世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 18:56:38.200
>>248
時代考証がいんちきだらけ。
NHKが放映してチョンドラでも、
チャングムとファンジニ、チェオクと
トンイが同時代とはわからんだろう。
0261世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 19:59:24.950
>>260
そろそろ、諦めて退場したらどうか?
0263世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 20:37:53.050
誰か高麗図経の原典写本なり訳本なり手もとにある人いないかい?
自分の持ってる訳本は、いま手もとに無い
誰か、>>254 氏の手助けしてあげてほしい
0265世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 21:18:19.890
>>239
「なのか」「なぬか」の「ぬ/の」は属格助詞だろバカ、いちいち騒ぐな
何がオカマだガイガイ言ってたのはお前のほうだろが
ガイジ多用のなんJと言えば淫夢語崇拝のファッションカマホモだろ、ああ気持ち悪い

>>244
このスレには5人位いると思うよ
お前の見立ては単純すぎて的外れ
俺はネトウヨ関連は一切スルーしている

>>238>>256
元寇は何度かあったろ
モンゴルの武将はかっこよかった
承久の変もあったよ
0266世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 21:33:47.420
>>265
おっ、言うに事欠いて口から出まかせいうてて草
語根がnanaなのだからその解釈はガイジやろオカマネトウヨガイジwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
古代日本語の属格にあるのは母音調和に応じた「な」「の乙」のアプラウトであり「ぬ」なんてないわ
0267世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 21:49:57.800
古代漢語、現代漢語系諸言語が話題になったスレでもそうだったが、言語学系は
専門知識のある人間同士の荒れた衝突が酷いな。
0268世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/17(金) 22:26:48.020
知識ない奴が出まかせでイキるのがうんこなんやで
ましてや政治豚と合体して出てくるとかあガガガガガガイw
0269世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 01:55:58.420
>>267
言語マニアのレトリックが過激なのは、洋の東西を問わない
0271世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 03:13:35.270
>>266
それは文字記録のある万葉語の話だろうが
日本語はその前からあったわけで、大陸の他言語との系統関係や借用なんて話の時にまで有効だと思うなよ
0272世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 03:24:16.310
NTUYオカマ姉貴兄貴怒りの連投発狂いいぞ〜これ

まっ服部四郎の日本祖語再構どころか上代特殊仮名遣いさえ知らなそうな射精エベンキおじさんにはマジレスなんて不要だってはっきりわかんだね
0273世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 03:28:54.190
ネトウヨって恥の上塗りし続けてて恥ずかしいw
0275世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 03:45:26.510
>>274のスレチガイジの言う通りならツングースが台湾土人に近いことになって草
これ健常入っとるやろ
0276世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 07:53:46.350
「朝鮮にやってきて、威張り散らす明や清の役人」

韓流時代劇には、これが欠かせない要素だ

日本の時代劇には、これがない
強いていえば、第二次大戦後の占領軍のアメリカ軍人くらいしか
0278世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 08:45:18.370
トクガワダイナステイーにおける直轄領での徳川の代官による悪辣な搾取と暴虐で恣意的な権力の行使を、
異民族による支配の苛烈さの表象と同一視するとか、
そもそも徳川家による統治を帝国的な統治の形態とみなすとかは、
論議の余地があるとおもうの
0279世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 09:11:04.170
悪代官は同国民だろ?

朝鮮史劇で言うなら、両班か地方役人がこれにあたるだろ。
0280世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 10:01:13.260
>>274
これはHLAを比較したものだね
しかし縄文人のHLAがどれほど日本人に受け継がれているだろうか
というのも母系の場合は弥生時代に一旦断絶しているから

例えば日本人と朝鮮民族はYハプロで見るとまったく違うのにミトコンドリアハプロで見るとほぼ同一集団と言っていいぐらい酷似している

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0960982209020673-gr2.jpg

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0960982209020673-gr1.jpg

N9b、M9a、M7aといった縄文時代に主流をなしていたミトコンドリアハプロは本土ではほとんど絶滅状態で
弥生時代以降に大陸から渡来してきたとみられるD4aが過半数を占めている
0281世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 10:09:23.290
朝鮮半島に封建制が根付かなかったのは何故?
武臣政権下では有りそうな感じがするが
0282世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 10:49:32.950
高麗末期だと中央から兵員を返せと言われてるのに返さなくて自分の私兵にしたり
山川を基準に区画して勝手に土地を横領したり
充分封建制と言えると思うけどね
0283世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 11:16:15.990
>>281
高麗も、日本や西欧と同じような中世の封建社会へと順調に進んでいた

モンゴル帝国による征服が、国家体制を根本から変革した

モンゴルが去った後に残った明清帝国や朝鮮王国は、かつてないほど中央集権的で専制的な国家だった
0284世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 11:49:16.080
李氏朝鮮が中央集権的な体裁を取り始めた頃は世祖あたりで
それまでは大臣が家の子郎党を率いて宮中の警護にあたったり
平安時代末期の日本のような様相を呈していた
0285世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 11:51:17.480
>>284
そうか、それなら、朝鮮王国の中央集権体制は、明に見習ったものと見るべきか?
0286世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 13:01:26.450
>>280
現代日本人の起源は朝鮮女を日本男が娶って生まれた、記紀にいうところの「韓腹」ってやつやで
韓国を「兄さん」呼びは間違いで、ほんまは「オモニ(母さん)」と呼ぶべきなんや
0287254
垢版 |
2019/05/18(土) 14:25:45.400
高麗図経は見つけられなかったが、あれこれ調べて、宋史の高麗伝に似たのを見つけた。
「男女二百十萬口,兵、民、僧各居其一。」とあった。
0288世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 16:11:20.660
高麗は蒙古の入寇が無ければ東アジア一の盛國であった
日本は野人蛮族の侵入がなく恵まれていた
0289254
垢版 |
2019/05/18(土) 17:17:18.890
西欧も日本もモンゴルに臣従してないからな。
ロシアだけか。モンゴル組の中での勝者は。
0290世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 18:16:39.930
ロシアがロシアのまま発展したのではなく
ロマノフ朝期に西欧化して発展した
イワン雷帝が建国の地ノヴゴロドの市民を
虐殺して自力発展の芽を摘んでしまった

イワン雷帝=始皇帝
ルーリック朝=秦
ロマノフ朝=漢
0292世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 19:11:20.990
てことは、「高麗の人口1千万人」という話は、「戸数が210万戸」と見てたってことかな?

本当は人口210万人だったとすれば、たいしたことないな

いくら千年前の中世とはいえ、取るに足らない小国だ
0293世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 19:12:37.520
李朝時代に主流輸出品目だった木綿や火砲が伝わったのは元代だからな

モンゴルの支配がなかったら史実以上に交易で不利な立場に置かれたろうし
倭寇300隻を破った朴イの大勝も無くて半島南部に征服王朝が出来ていたかも
0294世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 19:27:12.600
元の総人口7千万人のうち
漢人が1千万で南人が6千万人

鎌倉時代の日本は6百万人
0295世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 19:36:00.300
日本の人口
飛鳥〜奈良時代  500万人
鎌倉時代     1200万人
江戸時代初期   1800万人
幕末       3300万人
日露戦争時    5500万人
昭和43年    1億人
平成初期     1億2000万前後
2005年頃   1憶2800万人(ピーク)
0296世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 19:51:58.960
ロシアだってモンゴルが来なかったら、
分領公国が発展して
それぞれがひとかどの国になってた
0297世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 20:32:33.400
ロシアはモンゴルが来なかったら帝国化しなかったはず
元々ロシアはバルト海と黒海を繋ぐ南北の国だから
シベリアを征服して東西に拡がる国にならなかっただろう
0298世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 20:43:03.510
ホラズムはモンゴルが来なかったら
バグダッドを征服したり西に領土拡大したはず
小アジアのニカイア帝国もホラズムに征服されそうだから
東ローマのパレオロゴス朝は全く存在しなかったかも
コンスタンティノープルはブルガリア領になりそう
0299世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 20:43:49.810
中近東もそうだ

オスマン帝国も、モンゴル無しであんな強力な国家を構築できたはずはない

それ以前の中近東はバラバラで、2度と大帝国なんかできそうになかった
0300世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 21:42:48.240
高麗の人口が210万のわけがなかろう
契丹が10万の大軍で入寇してきた時、高麗の将軍はその倍の20万の兵力でこれを撃退している
人口200万で20万の兵力を動員する事は物理的に不可能だ
かなりの人口を持った国であったのは確実
0301世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 22:21:18.910
>>300
どちらも家族込みの可能性があるから
0302世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 22:39:08.260
つまり実際は1万vs2万
われわれはチョンに騙されない
0303世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 23:18:15.820
>>297
図体だけでかい後進国になってただけや
0304世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 23:39:17.880
>>300
高麗と契丹の双方に言えることだけど、
これって前線の実戦向けの兵力だけじゃなくて
兵站線を支える後方支援ももちろん加味してあるんだよね?
0305世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 23:50:26.410
明が派遣した朝鮮救援軍も実際に日本軍と戦闘したのは10万程度だけど総数だと40万だからな
まぁ当時の輸送手段を考えると戦闘員の倍は輜重人員がいるわな
0306世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 23:50:29.570
元ネタは高麗史姜邯贊伝の
「契丹蕭遜寧來侵兵號十萬時邯贊爲西北面行營都統使王仍命爲上元帥大將軍姜民瞻副之內史舍人朴從儉兵部カ中柳參爲判官帥兵二十萬八千三百屯寧州至興化鎭…」
だろうなまあ史書のを額面通りに捉える方がアレだと思うが
0307世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 20:16:44.090
>>300
下に載せた、これなんかを見ると、中央軍で4万5000、総勢でも14万と推定されているから、
高麗史が盛ってると思うけど・・・。
(Wik「契丹の高麗侵攻」を見ると、約30万VS約40万というのもあるね。)

>>高麗・朝鮮時代の僧軍と花郎道精神について - 国際日本研究専攻 - 筑波大学
>>japan.tsukuba.ac.jp/research/JIAJS_Vol7_PRINT_04_Nishinaka.pdf
0308世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 20:26:40.910
ネトウヨが揚げ足を取ってくるから困る
悪魔の証明を求める手法で定説を否定して歴史を捻じ曲げる
こうして学問が捻じ曲げられてしまう
0309世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 22:15:31.610
で、そもそも封建制ってなんなの?
中世近世の大名領国と古代豪族の各地域国家って何がちがうの?
0310世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 22:18:07.260
イルベの書き込みが定説wwwwwww
0311世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 22:26:00.620
高麗では日本でいう藤原道長ポジションの奴も王位を狙って反乱を起こしたりするのが興味深い
藤原氏で天皇にかわって王になろうとしてやつっているんだろうか?
0312世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 22:28:10.120
>>309
古代豪族の地域国家は、かなり閉鎖的な首長制の氏族共同体のそのもの。

戦国大名や近世大名の領国は、一揆結合がベースになった町村自治共同体の上に、
重層的に組織化された武士の組織が乗っかっている。

その間の荘園公領制の体制では、名主の名田を複数統合した荘園や国衙領の経営単位に、
重層的な徴税用益の利権関係、つまり職の体系が乗っかっている。
0313世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 22:39:38.690
>>311
仲麻呂が乱を起こしたときに息子たちに品階を叙してるのでもしかしたら禅譲を狙ってたかも知れない
0314世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 22:44:18.570
>>312
古代は領主が好き放題やってて、
戦国や近世では一般人が自治してたってことか
0315世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 22:48:07.120
>>313
そういやその時は道鏡が天皇になろうとしてたりで
天皇の権威が固まり
きってなかったからありうる話かもね
0316世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 22:56:00.460
>>313
そういやその時は道鏡が天皇になろうとしてたりで
天皇の権威が固まり
きってなかったからありうる話かもね
0317世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 23:02:12.410
そういや里中満智子の「女帝の手記」で
仲麻呂が「天皇」は天皇家しかなれないけど「皇帝」なら易姓革命すればなれると目論んで漢風諡号付けた描写があったが
あれは学説的に元ネタがあるのかな
0318世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 23:18:43.550
>>314
いや、日本の古代の首長制共同体では共同体の成員はもとより、
首長たる豪族たちすら共同体の「みんな」の共同意識に埋没して縛られていたらしい。
つまり、首長の「私」と共同体の「みんな」の垣根が限りなく低かった。

中国なんかでも、春秋期まではそういう族的共同体の拘束力が強かったのが、
戦国期への移行期、つまり諸子百家の時代ぐらいからそういう結合がばらけてきて
家父長的支配に移行、君主が自らの意思に基づく恣意的な力を振るえるようになる。

対照的に西地中海のギリシアポリスなんかでは、古い氏族共同体が解体することで、
対等を旨とする市民社会が成立して市民の理性による議論の世界が現出する。
0319世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 09:00:29.280
「族的」ってなんだよ
聞いたことねえよ
変な言葉作るな
これだから歴ヲタは
0320世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 09:22:39.850
>>319
中国古代史の歴史書なんかだと普通に使ってる。

要するに、厳密な意味での「氏族社会」とも「部族社会」とも定義できないけど、
そういう氏族とか部族みたいな結合が広範に残っている社会に対して使っている。
0321世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 10:03:33.770
最近だと歴ヲタが歴史家になって本を書いてたりするからなw
教授でも何でもいいけど用語どころかテニヲハも間違ってるし
0322世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 12:10:16.720
王が身内に位を伝えるのを「世襲」という。

なんで「襲う」なんていう物騒な文字がつかわれるのか
0323世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 13:11:07.280
漢辞海より引用 襲のなりたち
説文〘形声〙襟元を左前にした〔死者用の〕下着。
「衣」から構成され、「龖」の省略形が音。
釈名尸シ(=遺体)に服を着せることを「襲」という。
「襲」は「匝ソウ」である。衣服で周匝して(=とりまいて)、着衣させるのである。〈釈喪制〉
0324世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 13:21:37.770
世界史板で歴史オタクを馬鹿にする↑の方はいったい何者?
0325世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 13:43:58.410
>>311
藤原道長ポジションの奴なんて、そんな摂政経験者の、高位の者がいましたっけ。
王式廉とかを指しているのですか。
0326世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 15:06:46.980
>>324
シロウト感覚で専門的知識のある人にイキるのがネットの作法だと心得ているタイプの方でしょ
0327世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 17:30:23.000
漢辞海からの引用がそんな悪事だったとは気づかなかった…
0328世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 18:25:55.650
特定の時代地域に関しては専門の研究者が圧倒的だが、ノージャンルの通史ならむしろアマチュア歴ヲタの出番だろ
0329世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 18:42:43.360
>>314
古墳時代の古代日本社会の在地共同体と主張の関係について、国立歴史民俗博物館が
出してるニュースレター誌「歴博」の2019年発刊の第212号の「日本列島の先史・古代」
展示のリニューアル特集号の記事にちょうどいい解説が出てるから引用するわ。

pp.21-22
『日本列島の古墳はあまりに巨大なため、階級史観が盛んだった半世紀前ごろの歴史学では、
 その主は人びとの労働の実りを奪って独占する専制君主のようにみなされていた。しかし、
 いま述べたような古墳のさまざまな要素のていねいな読み解きが進んだ近年では、倭王を
 頂点とする古墳時代の王たちは、けっして専制君主ではなく、さまざまな社会活動を主導
 して資質をみせることによって初めて、人びとからの支持を保障されるリーダーであった
 と考えられるようになった。』
p.22
『その活動の一つに、みずからが治める地域社会のための儀礼の執行がある。とりわけ、農
 耕に欠かせない水のまつりは、古墳時代の王たちにとって格別の儀礼で、その場所は埴輪
 にもかたどられた。』
0330世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 18:50:58.960
>>329
ちょっと訂正。
1行目の「主張」は「首長」の間違い。

実際、例えば群馬県南西部の平野部、ちょうど利根川と渡良瀬川に挟まれた上野国の
中心部に、前方後円墳を擁する古墳群が20も密集している、つまりそれぞれに首長を
戴く在地共同体があの狭い領域に20も密集してるんだわ。

それだけの密度での古墳造営事業を専制君主による強制労働でやったら、とても
社会がもたないんだよね。古墳時代の在地首長の古墳造営ってのは、共同体リーダーたる首長の
代替わりの祝祭の感覚で、共同体成員が率先してやったとしか考えられないんだ。
0331世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 19:09:14.600
>>330
またミスった。
訂正:群馬県南西部>群馬県南東部

体調が持病で超絶悪くて寝床で書き込んでるとろくなことないな。
0332世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/21(火) 01:50:17.600
>>283
明はともかく、清は言うほど集権的って感じではないような
特に言語圏別でみると非常に分権的
多言語合壁と言語圏自治が通例で、なんか今の欧州連合みたいな様相
0333世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/21(火) 16:07:42.380
ここ数十年の専門書を読んで専門家の知性や言語能力の劣化を感じ取れないなんて鈍すぎるだろ
0334世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/21(火) 18:59:14.480
>>325
李資謙のこと
0335世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/21(火) 19:00:28.840
>>330
首長を神かなんかだと思って崇めていたとか?
0336世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/21(火) 19:07:09.380
>>332
中央集権といったって、インターネットや飛行機はもちろん、鉄道や電話すら無かった時代だ

現代ですら「中国分裂論」があるくらいなのに、昔の政府の統治能力に過大な期待は禁物
0337世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/21(火) 19:16:30.730
明と清では、中央の正規軍の軍事力がまったく違う

明末の袁崇煥の鉄砲隊に開祖ヌルハチの無敵騎馬軍団を壊滅され、西洋伝来の鉄砲の威力を見せつけられた衝撃から、清軍は火力重視の編成

北方や西方も、やっと最終的に征服することができたのは清代

見た目の印象はともかく、清朝が、明朝よりさらに強力な中央権力だったのは間違いない
0338世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/21(火) 19:30:18.440
明朝最後の皇帝が、猜疑心から袁崇煥を処刑してしまったのはつくづくアホだ。
0339世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 08:12:07.160
>>338
まあ、いにしえの爾朱栄・李淵・安禄山から、明の永楽帝に至るまで、北方守備軍が首都に攻め込んできた前例は多いからな

インターネットどころか、テレビも電話も、電報すらない時代

疑心暗鬼になるのも仕方がないとは言えるが
0340世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 08:21:14.410
昔の皇帝の立場というのは、何を信じていいのか分からず、本当に難しかっただろう
0341世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 08:28:07.780
「史上、最も有能な皇帝」とされる清の雍正帝は、張り巡らした諜報網と、自身の情報分析能力により、すべてを知っていた

その代わり、過労で早死にした
0342世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 08:30:21.430
それに比べて朝鮮は遥かに小さくて分かりやすい国だが、それでも、高麗における武人の反乱は深刻な教訓を生んだ

この教訓を学びすぎたおかげで、次の朝鮮王朝では武人がさらに無力化し、何もできない無力な国になっていった
0343世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 08:55:13.880
そういえば、高麗を滅ぼして朝鮮を建てた李成桂も、「北方の守備軍がUターンして首都に攻め込んできた」悪しき実例
0344世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 08:58:09.880
日本に例えれば、東北遠征した坂上田村麻呂が、京都を占領して天皇になるようなものだ

日本史にはそういう例が見当たらない

源頼朝は、疑心暗鬼から義経の西国遠征軍を鎌倉に入らせなかったが
0346世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 10:38:25.220
鎌倉幕府みたいなもんだが
京都に首都を構えた訳でもない
0347世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 10:51:20.260
北方守備軍じゃなくて南方守備軍が反乱を起こした例はないのか?
南方に興り、支那全土を治めたのは明朝くらいか
日本では西郷さんの西南戦争…はすぐ失敗してるし


やっぱり北方守備軍の方が騎馬による機動力があるからなぁ
0348世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 10:53:52.050
よく考えたら
薩長土肥はすべて南西日本の藩で、
戊辰の敗者は東北の諸藩だった。
0350世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 14:01:37.290
中国、アメリカ、ロシア、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、ベトナム、インド

たいていの国は、北が南を併合する形で統一されてきた

例外は日本とイギリス
0351世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 14:18:56.570
でも北すぎるのもかえってよくない

ラップ人やシベリア先住民、エスキモーも併合された側だから
0352世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 16:14:11.860
>>350
朝鮮もそうなる流れ
0353世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 16:25:52.100
>>344
源頼朝は平家討伐軍自体は鎌倉に戻している。
でも、頼朝の政治構想を全く理解せずにスタンドプレイに走る義経に
いい加減ブチ切れて、彼だけ鎌倉に戻さなかった。

義経が頼朝の政治構想自体は理解した上でそれとは別プランをもって
独自の動きをとろうとした、というなら、それは鎌倉幕府にとって
恐ろしい結果になったんだろうけどね。
0354世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 16:51:46.990
>>347
>北方守備軍じゃなくて南方守備軍が反乱を起こした例はないのか?

そういう例は、世界にもなかなか無い

しいていえば、中国に駐屯していたフビライ・ハーンの軍が、首都カラコルムに攻め込んでモンゴル帝国を乗っ取ったという例はあるが
0356世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 19:57:50.210
>>355
それはいいんだが、そんなことより実例を挙げてくれ

それを見て再考する
0359世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 21:41:00.300
あ、そういう設問でもないのか
単純明快に南部が北部を抑え込んだ事例だね
となるとやはり新羅もありでしょ
0360世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 22:16:45.000
ヨーロッパでも紀元前後のころは、温暖な地中海沿岸に興ったローマが
北方のガリアやブリタニアを制圧した。
ゲルマニアは支配できなかったが、文化的には優位に立っていた。


だが2000年後は、北方の英国が世界の一大国家になった
そしてドイツは、イタリアと組んだせいで負けた

2000年前の先進国に…
0361世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 22:20:09.160
0363世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 23:05:27.240
>>362
「例外は日本とイギリス」とわざわざ書いてあるんだが

「ウェセックス王国が北のマーシアを滅ぼしてイングランド七王国を統一した」という意味か?
0364世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/22(水) 23:09:21.080
>>359
まあ確かにその通りなんだが、>>350は「現代の国家」の話なんだよな

古代は、まだ南の国が強かったんだよ

中世から近代にかけて、北高南低になっていった
0366世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 01:06:55.540
新羅は、隋唐に滅ぼしてもらった高句麗旧領の南半分を、ウリの分け前だとゴネて横領しただけじゃんw
韓国国定史では、「羅唐戦争」などと大げさに言ってるが、
客観的に見れば、試合が終わってからゴネて「餅を1つ余分にもらった」だけ。
唐の信義違反ガーといっても、根拠資料が朝鮮側にしかないから、
「高句麗と百済を潰し、日本を追い出した後、半島は新羅のものだと合意した」なる話の信憑性は高くない。
0367世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 01:40:37.280
新羅は九州を征服して筑紫都督府を置いていた
強大で唐は撤退せざるを得なかった
0369世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 01:59:22.060
>>347
中華人民共和国がアル
0370世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 02:09:53.420
>>364
アラブ・イスラムがササン朝ペルシャを滅ぼし
同時に東ローマからも多くの領土を奪った
さらにスペインを征服してフランスにも攻め込んだ

ロシア東欧ではスキタイやサルマタイとか遊牧民が南側で
スラブとか農耕民が北側で南側の遊牧民が優勢だった
0371世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 03:16:52.710
>>364
アラブ最強はイエメンでローマ時代に「幸福なアラビア」と呼ばれた
アクスムとササン朝の抗争でイエメンのダムが放棄され
イエメン人がベドウィン化したのでイスラムは大帝国になった
タラスの戦いで唐軍と戦ったホラサン軍は
イランに移住したイエメン人が中核だった

イラン最強は言うまでもなくペルシャ人
ペルシャはイラン諸国の最南部でソグドやバクトリアなど
商業が盛んなイラン北部がイランを支配する事は稀だった
イラン最北部のホラズムがイランを支配したのは
あのホラズム・シャー朝が最初で最後だった
0372世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 03:16:59.220
クラウゼヴィッツの説に則るなら、
戦争は飽くまで政治の延長上の事象であって、
一方の政治的勢力が他方の政治的勢力に自らの意思の達成を強制するための実力行使であるから、
新羅が旧高句麗領南部の領有を唐に結果的に認めさせたのは、
「『高句麗を完全に制圧し、旧高句麗領を獲得する』という新羅自身の『政治的な意思』」を一定程度達成したことであったとはいえる
そういう文脈に於いて、「新羅の旧高句麗領南部領有」を「南部政治的勢力が北部政治的勢力を制圧した事例」の一つに数えることは充分に可能であるだろう
0373世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 03:37:08.280
>>354
匈奴の冒頓単于もオルドスから北上して遊牧民らを征服した
匈奴は趙や秦に接する最南の遊牧民だった
0374世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 04:31:33.110
スパルタはギリシャ最南端
0375世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 06:45:37.150
古代は「南から北に向かう統一」が多い

朝鮮半島も、古代の新羅だけが南の王朝で、高麗と朝鮮は北
0376世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 06:47:41.360
倉山満は、李成桂を「謎の人物」であり「どこの誰だかよくわからない」と評して、
「韓国は当然ながら朝鮮人だと言いますし、中国人のなかには漢民族だとか、モンゴル軍閥の一人だと言う人もいます。
最も信憑性が高いのは、女真人(満州人)でしょう。」と述べる。
0377世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 07:25:21.960
その倉山満とか言う奴ググってみたら古代史が全然専門でない胡散臭いウヨの詐欺師やんけwwww
こいつそもそも朝鮮史でまともな論文出してるんか?
0379世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 14:08:31.780
>>377
桜チャンネルと喧嘩した人だっけ?
0380世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 21:36:32.890
>>378
そうだな

アレクサンドロス大王も、ローマ帝国も、エジプトやメソポタミアから見れば、北からの侵略者だ
0381世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 21:51:42.220
>>379
「チャンネル桜」に対抗して、「チャンネルくらら」を始めた

歴史家にして、憲法学者でもある
0382世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 23:27:43.530
新羅王国が現代まで続いていたら、どうだったか
0383世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 23:40:11.450
新羅の織物は色が鮮やかだと、唐でも評判だったらしい
李朝が白装束だったのに。

だから新羅や高麗が長く続いていたら、半島史ははるかにマシになっていた?
0384世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 23:55:49.700
新羅〜高麗の工芸品レベルと李朝の工芸品のレベルを比べても、
本当に別の国になってしまったような文明の後退が伺われる。

でも、その「素朴化」した李朝の工芸品をヒントに「わびさび」という
新たな価値観を創造してしまって、それをさらに「魔改造」発展させてしまう
日本というのもおもろい存在だなぁと思ってしまうのだった。
0385世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 00:15:17.020
高句麗は南下してきた異民族の王朝
朝鮮民族主義者にとっては痛い歴史だろう
0386世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 01:39:10.550
>>385
やっぱり後の女真族だったの?
0387世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 01:58:55.800
倉○満は高句麗は韓民族ではないなどと寝言を述べている人物
学問を無視して世論に媚びる曲学阿世の腐れ野郎だ
0388世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 02:25:07.350
高句麗の方が韓民族より古いんだから意味の無い話だな
0389世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 10:30:07.800
現代の朝鮮/韓民族は、古代韓族に高句麗人などが文化的にも人種的にも融合していった
果てに形成されたもんだろ。

古代の高句麗人も遺伝子面では後世の女真人、満洲人につながっているだろうが、
言語面はツングース語を話していたかどうかはどうも怪しい。
0390世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 11:42:45.190
そりゃ大陸と繋がってるんだし異民族の流入もあっただろう
0391世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 19:08:00.530
>>389
渤海の遺民は遼が金に滅ばされた後に、
旧高句麗系も含めて金から貴族身分の対偶受けてる。
女真人から見て同族と認めて良いという認識あったわけだろ。
0392世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 19:40:46.490
高麗王朝も渤海国旧領を支配する大義名分を得る口実のために
世子の大光顕のほか渤海王族の大和鈞、大元鈞、大福、大審理、大儒範らを王族や貴族として取り立てて
渤海国の遺民数十万の遺民を吸収している
このことが遼との戦いの遠因となったわけだが女真族とも当然長年混血を繰り返してるし
絶海の果てにある島国の日本と違って大陸国家はどこも混血なので隣り合う者同士の線引きは難しい
0393世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:45:09.850
高句麗には靺鞨もいたが支配階級の扶余族と被支配階級の北方野人は別民族
扶余族の言葉は靺鞨とは異なっていると中国の歴史書にも記されている
そして韓族の百済は扶余であった
高句麗の支配階級は韓族であると考えるべきだろう

因みに百済の都であったプヨの郊外からは松菊里遺跡という弥生文化の雛形となる古代韓文化の遺跡が出土している
日本の最古の弥生遺跡である板付遺跡や菜畑遺跡の支配者の住居は典型的な松菊里型家屋であった

なおこの地域には日向峠がある
天孫降臨神話は扶余の文化人が先進文明を携え弥生文化を倭国にもたらし九州の土人を征服した歴史の反映だろう
そして征服者は倭人から神として崇められて今の日本人に至っているのだろう
0395世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:50:31.210
そもそも百済が韓族じゃないから
0396世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 17:41:41.910
新羅や高麗も天皇家並みの近親婚か
0397世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 19:03:12.450
ネトウヨ特有のわざと自分とは真反対のこと書いて叩かせる習性にはうんざり
0398世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 19:32:31.250
>>397
どこを見てそう思ったのか、分かるのはお前だけ
0400世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 14:05:15.850
393の人は日本史スレで見たような気がする
あちこちで古代倭国韓国起源の自説を開陳して袋叩きにされて消えたんじゃなかったけ
0401世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 18:07:48.580
なかなか新羅や高麗の社会制度を論じた本やら論文ってのはなさそうだな
日本だと、
上でも紹介されてたように、平安時代に社会構造がガラリと変わった話があったが
0402世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 18:19:56.850
>>401
記録が無いんだよ

貴族の日記が山ほど残ってる平安時代とは比べるべくもない
たまたま訪れた中国人の記録から想像を広げるしかない、邪馬台国レベル
0403世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 18:22:51.670
朝鮮王朝の時代ともなると、さすがに史料は豊富
歴史を信仰する儒教国家だけに、積極的に記録を残している

研究がこの時代に偏るのはやむを得ない
0404世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 18:24:46.570
>>401
なんか、新羅末の動乱とか高麗の成立が日本の社会変動とほぼ同時期というのや、
高麗で日本の武士の台頭と同時期に武人政権が成立しているのを見ると、
朝鮮半島でも日本と同様の事が起きているんじゃないかな、という気がしてしょうがないんだけどね。
なかなか統一新羅と高麗の社会の中身の違いを論じたいい書籍に出会えない。

一般人向けの世界史総説の比較的新しいのというと中央公論社の「世界の歴史」の1990年代版のシリーズが
あるけど、それでも朝鮮半島統一前の三国時代(伽耶連合を入れると正確には四国時代か)と李氏朝鮮は
かなり詳細に扱っているんだけど、統一新羅時代と高麗時代はほぼすっ飛ばされている。
0405世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 19:41:18.330
半島最古の歴史書は、高麗時代に書かれた三国史記。
それ以前の歴史書は、都合が悪いとしてすべて焼かれてしまったらしい。


まぁ日本でも古事記以前、天皇記と国記は失われている。
そして風土記も大半が失われているからなぁ。

風土記は本当に面白そうな話が載ってそうなのに残念だ
0406世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 19:41:54.210
>>401
いくらもであるよ
とりあえずネットで見られるものでこのスレの住人が興味もちそうなやつだけでも
武官と文官―高麗王朝における均衡状態の模索
http://doi.org/10.15055/00002806
高麗・朝鮮時代の僧軍と花郎道精神について
http://japan.tsukuba.ac.jp/research/JIAJS_Vol7_PRINT_04_Nishinaka.pdf
高麗における軍令權の構造とその變質
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/66795/1/jic070_291.pdf
高麗時代の「叛逆伝」研究IV
http://kiyou.lib.aichi-gakuin.ac.jp/pdf/kiyou_01F/01__37F/01__37_17.pdf
高麗の国家体制と公文書
https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&;upload_id=81862
高麗事元期における官品構造の變革
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/66901/1/jic079_063.pdf
高麗末に於ける立省問題について
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/33298/1/14(1)_P123-167.pdf

高麗は宋を模範としていただけであって例えば「高麗の国家体制と公文書」を見ればわかる通り
何時だれが何の役職についたかまで復元できる
ここらへん文章に残す慣習がなかった日本の武士政権とは対照的
伊藤正敏が指摘する通り中世の日本の古記録のほとんどは公家や寺社が残したもので
織田政権ですら具体的な税制や官制度についは同時代記録がほとんど残っていない

>>404
統一新羅史なら浜田耕策の「新羅国史の研究」でほぼ完成された感があるな
モンゴル以前の高麗の官僚制なら周藤吉之の「高麗朝官僚制の研究」がダントツで詳しい
朝鮮史ですっぽり抜けているといえばむしろ後三国時代なんだよな
0407世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 20:39:58.640
>>406
そうだな、そういう面はある

当時の人々が残した直接の記録、一次史料が豊富なのが日本の特徴

当時の記録は乏しいけど、その代わり、国家が編纂した歴史書が充実しているのが中国・朝鮮の特徴
0408世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 21:17:11.750
京大出版会から結構あれこれ高麗期研究の分厚い専門書が出てなかったっけ
0409世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 22:15:53.670
>>407
日本では国家が国家事業として歴史編纂する事業が
9世紀末を記録した10世紀の頭の「日本三代実録」を最後に
終焉してしまって、そのまま復活しないんだよな。

その後は「公権」を分担して担当する「権門の家」の記録(=日記)を
公的に編纂された記録に読み替える体制に移行する。
だから、日本では編纂史料が乏しい反面、一次史料が充実してくる。

ただし、端境期の10世紀中期の記録がさっぱりらしい。

>>織田政権ですら具体的な税制や官制度についは同時代記録がほとんど残っていない

戦国大名で行政文書がきっちり残っているのって、小田原の後北条家だけらしいね。
0410世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 22:17:42.390
>>406
ありがたい。

結局、論文や専門家向けの専門書はきっちり出てるけど、
一般向け歴史書がちっとも出版されてないんだな。
0411世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 23:23:43.800
>>406
ん?その5番目の川西論文自体が、文献が少ない研究も進んでないって嘆いてるじゃん。
今世紀になってから「発掘」なんていってるし。

ただ、俺がざっと読んで思ったのは、10世紀の日本と若干似てるよな?ということ。
仮名文字が出てくる直前、京都の貴族社会が最も「漢文化」した瞬間と状況が近い。
このターンだと、なぜか有意義な資料が減るんだ。
日本三代実録を最後に続編がでなくなったあの時期。

おそらく、漢文化の進展で、「文章たるもの、きちんと正則漢文で書かなければならない」という規範が広まった結果、
文章化の心理的ハードルが上がってしまい、
社会の様々な場面で文章が残ることが減るんじゃないかと思われる。

高麗とあと渤海の資料の少なさは、ここから来ているんじゃないかね。
0412世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 00:01:12.530
>>411
日本での公的史書編纂がストップした現象は、一般には律令制の崩壊との絡みで論じられてるよね。

つまり、大学で膨大な常勤官僚を育成するシステムが維持できなくなって、
官司請負制に移行することで、史書編纂の官僚組織面でのバックグラウンドが失われた、と。

私の場合、当時の史料で確認できる古代以来の郡司層の没落と律令制の解体、
考古学で確認できる古代集落の消失を結び付けて考えると(ここでの反発はかなり強いんだが)、
日本の律令制を支えていた在地の首長制共同体が解体してしまって律令制の実現が不可能になった、
もしかすると、同じようなことが統一新羅や渤海でも起きていたんじゃないか、
という風に考えているわけなんだが・・・
0413世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 00:12:57.460
朝鮮半島の武人時代は3期にわかれる
1期は奇しくも武士の誕生のきっかけになった物部氏永の乱と同年に起こった元宗哀奴の乱で
この時代以降は赤袴賊など農民反乱軍に擁立された「将軍」と呼ばれる頭目たちが群雄割拠する時代

2期はいわゆる武臣時代であるが最終的に崔氏政権が長期にわたって国政を司るが
彼らの暴政に耐えかねた文臣や農民による反乱が各地で勃発
モンゴルの侵入でも当初は共闘関係にあった農民からなら草賊がモンゴル側に寝返るんなど人心を得られず自滅

3期はモンゴル、紅巾や倭寇の侵入が相次いだ高麗末期で崔瑩、李成桂、曹敏修といった有力将校たちが
官軍とは別に「別抄」と呼ばれる私兵を率い地方では山川を区切りとする大土地所有地を形成し
往古の武臣政権さながらの状況になる

日本は武士が誕生してから明治維新までずーっと武士の時代が続いたが朝鮮の場合は李氏朝鮮まで
群雄割拠→中央集権そしてまた群雄割拠を繰り返していた点で異なる
0414世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 01:16:01.900
>>413
武人政権っていうだけあって、その時々で最強の武人が天下を取り、天下人がコロコロ変わる状況がしばらく続いた後、崔氏政権が何代か続いた

これも、たまたま崔忠献の子孫が権力闘争に連勝しただけであり、世襲とはいえないという見方もある

いずれにしても、そんな朝鮮半島の歴史でも武闘派の最右翼が権力を握っていた頃に、たまたま史上最強の侵略者・モンゴル帝国がやってきた

実に悲劇的な巡り合わせだった
0415世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 01:28:13.960
モンゴル帝国はあまりにも強大だった

文官たちが「頼むから早く降伏してくれ」とそろって哀願する中、崔氏政権は江華島に避難して徹底抗戦を続けた

民衆の被害は甚大だった
しまいには、周囲の者たちが結託して崔竩を暗殺するに至った
0416世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 10:18:40.790
>>401
元寇関連の本では高麗の社会制度について言及してるものもちらほらあった
0417世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 18:57:48.970
源頼朝の鎌倉幕府はいきなり出てきたにしては整備されすぎている
恐らく見本になるものがあっただろう
崔氏政権が雛形だったと思う
0418世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 19:04:35.750
>>417
鎌倉幕府 1185年 〜 1333年

崔氏政権 1196年 〜 1258年)
0420世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 19:07:50.060
朝鮮人 「崔氏政権がモンゴル帝国に徹底抗戦したおかげで、日本は漁夫の利を得たニダ」

日本人 「高麗は、モンゴル帝国のお先棒を担いで日本に攻めてきやがった」
0421世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 19:10:55.900
高麗の武臣政権は、あまりにも下っ端あつかいされるので怒った粗暴な武官たちが、無秩序に起こした暴乱だ

統治機構が整い始めたのは、崔氏政権になってだいぶ経ってから
0422世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 19:28:43.500
>>417
平将門の反乱の失敗
源頼義・義家親子と坂東武者の東北戦争での主従連携の経験
平清盛の平氏政権の成功と失敗

これだけの先行事例を強烈に意識して、その功罪の取捨選択を踏まえて
成立したのが鎌倉幕府。

さらに、11世紀の荘園公領制の成立以来、武士たちは単なる武官ではなく、
荘園と国衙領の現地管理人としての在地実効支配の経験を積み重ねている。

鎌倉武士たちは単に戦闘に強いだけの粗暴な軍人ではなかった。
0423世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 23:23:02.280
原始時代は身体能力の高い人間が大手を張れたのだろうが
社会が成熟すれば頭脳能力の高い人間が大手を振る

中学高校では、バカでも運動神経が良ければクラスで威張れる
優等生は、どんなに頭や性格が良くても、芸術関係の才能が有っても、運動オンチだったら台無し。

それが大人になれば、スポーツ選手や肉体労働者でないかぎり身体能力は重要でない
頭脳能力と人当たりの良さ、それから導かれる問題処理能力がものを言う

運動神経のよさ「だけ」だった人間は過去の恨みから冷遇されることもままある。
(タイマンはれば自分たちの圧勝なのに!)

高麗の武人の反乱は、こんな鬱屈した感情にも発しているのだろう。
0424世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 00:40:09.240
>>412
もう少し事情は複雑だと思うんだよね。
10世紀頃の日本に、それなりの社会変動が起きただろうことは、俺も同意するけれど、
たった1年か2年で突然氏族制社会が大崩壊して、日本全土が血で血を洗う無政府状態になったのではなく、
数百年単位のゆっくりとした大きな社会変動の、その一部の様相だったのだろうし、
「集落が消えた」というのも、伝染病の蔓延、長期大飢饉、内戦勃発などで人口崩壊が起きたわけではないことは明らかなので、
「消えた」というのも、文字通りとるなら眉唾なのだろうと思う。
(俺の知る限り、この時期に本当に「集落がまるごと消えた」例は、気候変動か地殻変動による場合がほとんど)

文章の残り方に関しても、同じことがいえる。もっと事情は複雑なはず。
平安京内部での文章のありかたと、地方行政における文章のありかたの変遷は別問題と考えるのが自然。
0425世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 00:52:42.840
古代集落の消滅って大事件だよね
荘園つまり営利的農場の拡大でプランテーション労働者的農民が増えて自治村落が消えたと習ったけども、国衙領はどうだっんだろう。
0426世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 02:19:25.390
>>424
>>たった1年か2年で突然氏族制社会が大崩壊して、日本全土が血で血を洗う無政府状態になったのではなく、
>>数百年単位のゆっくりとした大きな社会変動の、その一部の様相だったのだろうし、

これは全く同意で、10世紀に古代郡司階層が没落して古代集落が消滅したのも、おそらく9世紀からの連続した変動の
最終段階に表出した現象だと思う。つまり、古代氏族制社会は9世紀に顕著に没落し始めて、その最終的な解体のフェイズが
10世紀中期にやってきたんだろう。

そして、古代氏族制社会の解体は完全な無政府状態をもたらしたんじゃなくて、「富豪の輩」、つまり後世の名主層の前身が
民衆を自らの配下に再編し、中央政府も彼らとの徴税や公田の請負契約のネゴシエーションの担当者として現地派遣の国司の
筆頭者に全権委任する形で「受領制」を確立した。

しかし、在地の軍事警察力が古代と大幅に組み変わった、つまり郡司のもとに古代氏族制社会の自衛軍が組織化され、それが
さらに国司の指揮下に朝廷の軍として組織化される体制が崩壊して、新たに富豪層の私兵が出現してこの軍事力が必ずしも
受領の統制に従順ではなかったために、ある程度の軍事衝突は頻発するようになってしまった。

しかし、それが国家全体の崩壊にまで及ぶようなアノミー(無秩序)をもたらさなかったことが、朝鮮半島における統一新羅から
高麗への後三国時代の動乱と根本的に異なっていて、日本と朝鮮半島の非核をする上で重要なポイントになってくるんだと思う。
そういう意味で、富豪>名主層の私兵を統制する武士による「国衙軍制」の確立というのは、非常に重要な事件だと言える。

>>「集落が消えた」というのも、伝染病の蔓延、長期大飢饉、内戦勃発などで人口崩壊が起きたわけではないことは明らかなので、
>>「消えた」というのも、文字通りとるなら眉唾なのだろうと思う。

実際には、古代集落が10世紀に古代集落が「解散」して11世紀からは荘園と国衙領への集住という形で中世集落が結成されてくる、
ただし荘園公領制の確立までの民衆社会の形態が移行期の不安定な状態でよくわからない、ということらしい。
つまり、民衆の集住システムの「再編」と捉えるべき現象なんだと思う。
0427世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 02:32:08.150
>>424
>>文章の残り方に関しても、同じことがいえる。もっと事情は複雑なはず。
>>平安京内部での文章のありかたと、地方行政における文章のありかたの変遷は別問題と考えるのが自然。

在地社会の変動と中央官制の変動を結び付けるカギがあるとすると、それは古代律令制の膨大な官人の
供給源が、古代豪族、つまり在地の古代氏族制社会の首長層だった事に求められるんじゃないかな。

平安中期以降の中世社会になると、中央官界で貴族層として生き残れたのは、ほぼ藤原氏と源氏に
限られてきてしまって、彼らは古代的な在地首長としての性格が限りなく薄い一族だよね。
藤原氏は神事を担った中臣氏のさらに傍流の一族で、史実として正しいかどうかはわからないけど、
始祖の鎌足は常陸の傍流からヘッドハンティングで中央に呼び寄せられたなんて話もある。
そして源氏は「準皇族」であってやはり在地性が希薄。

そうすると、律令制を担った官人は主として在地首長の一族中心に構成されていて、
律令制崩壊後の王朝国家を担った官人は在地性の薄い純然たる中央に集められた税で生きる階層に
置き換わっていることになる。
0428世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 02:34:41.100
>>425
荘園をプランテーション的経営の単位と見るのは多分間違っていて、
多分実際のプランテーション的経営の単位は富豪層>名主層の名田。

そして、荘園であっても国衙領であっても、荘園公領制の確立した11世紀以降のそれは、
名田の集合体としての組織性を持っている。
0429世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 13:39:31.170
>>422
いやいや年貢滞納しただけで「ミミヲキリ、ハナヲソギ」したり暴力に頼る傾向がありしょっちゅう国司や荘民から
訴えられるなど「荘園」(歴史叢書)でも著者から支配者として未熟と突っ込まれてるぞ

また識字能力にしても承久の乱の時に上皇方がよこしてきた手紙を誰も読めなかったり
時代が下って二国の守護の務めていた山名義理でも文字が読めなかったと今川了俊が記していたり
かなり後代まで低かった可能性がある
0430世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 22:06:31.200
>>426
でもそれって、結局の所、墾田永年私財法が問題のスタートという、小6社会科の教科書通りの話なんじゃないの?

俺の理解では、7世紀8世紀に律令制を地方で支えた在郷首長としての郡司層と、
8世紀後半以降、初期荘園を切り開いて経営を拡大していった開発領主層では、
「中の人はほとんど同じ」で、横滑りしただけと理解してるけどね。
実際に考えて、彼ら以外に新規の荘園を広げるなんて経済的余力は発生しようがない。

これは日本の律令制特有の問題であって、中央政府が土着の地方首長を機関化し、
氏族構成員の村民を一人ひとり完全に把握して、彼・彼女が鍬を入れられる具体的な土地まで指定する
こんな徹底した古代王朝体制のほうが、世界的には例外といってよく
さすがに、あまりの負担に郡司層自体が徐々に遁走していったんだろう、というのが俺の推論だけどね。

すでに話が出ているように、新羅も高麗も、このような土地・人まで完全に透徹した支配はできていない。
本家中華の均田制も、本来はこういう制度ではない。
0431世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 22:23:45.800
それから、弥生以来の日本の古代の村落は、中世以降の西日本や日本海側のような塊村を形成しておらず、
2〜3軒程度の家がまとまって、それがパラパラと分布する。
郡司の支配といっても、自治惣村の総代(庄屋)のようにお隣さんをがっちり支配するのではなく、
ばらばらに住んでる村民たちを、最低でも数km四方レベルで広範に統括してるだけ。
そういう存在だからこそ、班田収授なんて恐るべき制度を全国で一斉に施行できた。

ここで肝心の郡司が国家権力から遁走してしまい、独自の農園を切り開き、こっちが経済生産の主力になる。
でも国衙は、条里で整備された旧来の農地はあくまで把握してる。
こうなると、村民の側が条里制耕地の枠の外に、どんどん流出していくことになる。
10世紀の農村の「崩壊」ってのは、こういうことなんじゃないか?

つまり村が崩壊したんじゃなくて、国の手が届かなくなった。
しかし、いちど公地公民制度により機関化して固定され変質した「郡司氏族制」は、
朝廷の手から再び離れても、古墳期の部民の復活とはいかなかった。
0432世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 20:22:37.320
そういや、新羅の後期からはそれまでの王家とは別の、
どこの馬の骨ともわからぬ金氏が王になってたけど、
こういうことは天皇家ではなかったな
0433世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 23:19:34.760
新羅はヤマト王権以上に貴族の寄合所帯の度合いが強い
0434世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 09:32:38.810
新羅王家が交代して国家転覆に対する
貴族たちのハードルが低くなったのでは
無かろうか

日本の王家のように姓がなければ歴史が
違っていたかもしれない
桓武は本来なら別苗字でもおかしくない
後の大覚寺統と持明院統も同じ王家とは
考えにくい
0435世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 09:49:18.860
>>433
新羅の場合、(金官加羅系の軍人宰相の金庾信という大きな例外はあったけど、)
古来の金城(現・慶州)系の氏族の権限・権力が伝統的に非常に大きいという事情があったね
その一方で、新羅王族は真徳女王の代までずっと王位継承者を父母両系が王族の人物に限定していて
真徳女王の次の代の武烈王が、初めて父系のみ王族の王位継承者になった

上のほうのレスで、もしも新羅が存続していたら、という仮定の提示があったけど
新羅の場合は伝統的な統治システムそれ自体が内輪限定の方式だったから
外部の人材・人脈をより広範に新規導入できていた高麗のほうが力を付けたのは
必然的な結果だっただろう
まあ新羅王室そのものが最終的に禅定の形式で高麗に吸収合併されて
しかも新羅末代の王は、現代社会の企業に喩えるなら筆頭副社長の地位として高麗朝廷に迎えられたほどだったのだから
後三国時代の全体的状況から見れば、新羅王室にとっては結果的にそう悪くはない展開だったとも言えなくはない
0436世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 12:23:57.670
朝鮮半島は、倭国に近い南部ほど文化度が高い

北は野蛮人がいるところ
0437世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 12:25:02.120
新羅は、日本文明圏の国

高麗はそうではない
0438世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 12:39:13.020
天皇の場合も基本母親も皇族じゃないと駄目だったがそのうち有耶無耶になったな
0439世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 12:43:09.990
新羅は儒者を、行政のできる人材を持ってたから、
やがては、高麗が儒教を採用し、門閥を形成して、乗っ取る形に。
0440世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 19:13:09.220
新羅が日本文明圏とか分国論なみに無理があるやろ

新羅から日本に入って来た文化はあるけどその逆はまずないしな
0441世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 19:36:35.070
>>440
そもそも、新羅人は半島に進出した倭人だし
0442世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 19:37:41.220
>>440
稲作も土器も日本のほうが早い
0443世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 19:52:46.560
土器は古墳時代に新羅から伝わった須恵器にとってかわられるけどな
https://www.kyohaku.go.jp/jp/theme/floor3_2/f3_2_koremade/kouko_20180619.html
>日本の古墳時代を代表するやきものは「須恵器」と呼ばれる灰色で硬いやきもので、5世紀はじめ頃に朝鮮半島からその製作技術が日本列島に伝来したとされます。

日本書紀だと垂仁3年に新羅の工人がやってきて作り始めたのが最初となってるけど実際は5世紀初頭らしい

農業面でも曲刃鎌やU字形鋤、鍬先がもたらされた他、それまで天水農法だったのが
半島南部諸国の協力を受けて溜池も作らるようになる(いわゆる韓人池)
0444世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 20:08:46.720
>>440
デタラメ言ってるな
勾玉があるだろ
0445世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 20:16:17.140
倭王は近親交配が多かったからヤバいのが
多かっただろう
0447世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 21:44:07.350
>>444
勾玉、厳密にいうと糸魚川ヒスイは工芸品というより原料だしな

>>446
土師器は国分式を最後に断絶してるのに対して
須恵器は備前焼、越前焼、瀬戸焼といった陶器に発展していくのだからとってかわったと言っていいよ
0448世界@名無史さん
垢版 |
2019/05/31(金) 23:00:04.100
>>443
なるほど半島南部諸国の協力のお陰で朝鮮半島では李氏朝鮮時代まで天水頼みの稲作だったことから
干害により稲の全滅の危険があるので法律で禁止されていた田植え移秧法(田植え)を日本列島では弥生時代からできることになったんだ
すごいなー
0450世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 01:56:55.980
日本の稲作技術は半島から伝わった
学校で勉強をした事のない低学歴底辺の
ネット右翼なのだろう
0451世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 01:59:41.950
>>449
李氏朝鮮以前まではって意味じゃないの?
0452世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 06:41:20.100
>>450
逆だ

日本から半島に稲作が伝わった
0453世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 07:14:26.390
>>449
喋り方ゆっくりみたい
虐待したい
0454世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 08:06:03.690
イネは熱帯性の作物であり、東アジアでも南部は稲作文化だけど、北部は麦作文化

日本でも、東北でイネが安定して育つようになったのは、近代の品種改良のおかげだ

寒くて雨が降らない朝鮮から、高温多湿な日本に稲作が伝わったと考えるのは、論理的ではない

実際に、日本の水田の遺構は、朝鮮半島のそれより何百年も早い
0455世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 17:30:01.860
>>449
その論文の冒頭に17・8世紀と書いてあるように移秧法が普及するのは李氏朝鮮後期になってからで、度々禁令も出てる
広まらななかった理由は灌漑設備が貧弱だからってのは割と有名な話なんだがな

>判事「移秧法が壬辰倭乱以後に普及したということは、もしかして日本から入ってきたものですか?」
>弁護士「いいえ。ふつうモネギといっている移秧法は高麗時代に普及していましたが、当時は水利施設が貧弱だったので国でも勧めませんでした。
灌漑施設がないとモネギの時期に日照りが続くと苗が全滅するからです。しかし壬辰倭乱後には技術が発達して移秧法は全国に拡大していきました。」 
https://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/c64062c47ec2ef49d66a277d334b97b6

> 1.水のあるところを選んで、事前に実生植物を育て、4月を待って植え替えたが、その由来は古くなった。

経常、江原道の人々が実生することを禁止する法律が陸戦(太祖とき編纂された経済陸戦)に載っている。
>2.イアンボプ(田植え法)は、除草(草取り)に編一つもし一度だけ大きな干ばつに会えば間違いので、農家に危険なことである。
>3.田植えは本来、その禁が極めて厳しいのに、近年でソミン(小民)が農業を怠って利益を乗車してグァンジャクをし、
その様子が毎年増え、今では多くの道(ド)にあまねく広がっているので、すべて禁止する難しい。[備辺司登録英祖36年]
(機械翻訳ママ)
http://blog.daum.net/dandakhan/14555132

日韓併合直後でも大部分が天水田
https://i.imgur.com/Gf5rJhE.png
0456世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 18:17:01.280
>>454
韓国のオクキョン遺跡から見つかった水田跡は紀元前11世紀
一方日本最古の菜畑遺跡は紀元前10世紀なので1世紀ほど古い
でこの菜畑遺跡にしても見つかってる農具が大陸系磨製石器と呼ばれる
半島と共通したタイプなので日本の稲作が半島から伝来なのはほぼ確定

>>455
それが何で李氏朝鮮まで天水頼みの稲作だった根拠になるんだ?
そもそも朝鮮半島で天水田が多いのは日本と比べて夏期渇水時流量が少ないという地理的な制約によるものだし
0457世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 20:40:42.490
>>456
その摩製石器にしたって、大陸系なんだろ?

朝鮮なんか関係あるかっつーの
0458世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 20:45:12.580
>>456
>それが何で李氏朝鮮まで天水頼みの稲作だった根拠になるんだ?

お前はつくづくバカだな

「雨が降らない朝鮮の気候風土は、天水田に適している」と、お前だって書いてるじゃねえか、バカが(笑)
0459世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 20:56:34.060
イネはもともと、日本原産の植物じゃないんだから、どっかから入ってきたに決まってるだろ

朝鮮なんか関係あるか、能無しのクソ馬鹿め
0460世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:02:58.530
どっちにしたって、中国の長江下流から始まり、そこから広がったのは明らかなんだから、論争するようなことではない

朝鮮人なんか関係ねえわ、なんで彼奴らの話が出てくるんだよ
0461世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:05:10.980
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/4062555100/4062555100200040/ht020700
>大陸系磨製石器は朝鮮半島の遺跡から出土するものと類似し、特に抉入(えぐりいり)柱状片刃石斧・
>有柄(ゆうへい)式磨製石剣・柳葉形磨製石鏃や、擦切(すりきり)技法による孔を施す石庖丁などは
>日本と朝鮮半島南部にだけ分布するものである(第2図)。

「弥生文化論 稲作の開始と首長権の展開」雄山閣出版 橋口達也  13 ページ 
弥生文化の構成要素である大陸系磨製石器は、その名が示すようにその淵源は中国大陸に求め
られようが、直接には朝鮮半島から流入したものである。
0462世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:15:58.220
>>461
お前はつくづくバカだな

九州から関東に稲作が伝わるのだって、途中の関西や東海を通るに決まってるだろ

お前の考えだと、静岡や山梨から来たことになる(笑)
0463世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:19:05.180
古代の船だと、東シナ海の荒海を千キロ横断するのは大変なんだよ

中国の長江下流から日本に来るのに、山東半島や朝鮮半島を通るのは当たり前だ

でも、山東半島や朝鮮半島は、稲作にはあまり適していない

適しているのは、中国の長江下流と、東北を除く日本列島
0464世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:22:43.200
そもそも、朝鮮人が今ほどコメを食べるようになったのは、20世紀に入ってからのことだ

他の多くの「韓国の伝統文化」と同じく、20世紀に入ってきた日本の影響によるもの
0465世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:24:40.450
それにより、慢性的に栄養失調症だった朝鮮人の栄養状態は著しく改善され、寿命が伸びて人口が倍増した
0467世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:29:41.580
>>466
いや、発狂してるのはお前だ(笑)
0468世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:31:42.310
>>466
お前の言ってることは、くだらねえんだよ

人類は、日本原産の生物ではない

アフリカで猿人から進化して世界に広がったのは、ほぼ確定事項だ

朝鮮なんか関係あるかいな(笑)
0469世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:36:25.590
朝鮮を意識してるから、いちいち否定することになる

意識してなければ、人類はアフリカ発祥といわれても、
ふーん、となるだけだからな

異常なんだよ
0470世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:38:17.240
お前ら朝鮮人の論理からすると、東京で食べる博多ラーメンは、静岡から入ってきたことになるし、札幌ラーメンは、埼玉から伝わったことになる

でも、客観的に見れば、それは単なる通過点であり、ただの通り道
0471世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:40:38.620
一回経由して変化したものを受容してる時点で関係ないとはいえないんだよなあ

いちいち否定するのが気持ち悪い笑
0473世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:43:52.660
>>472
まあ、そうだな

このラーメンの話は、いま適当に思いついたんだが(笑)
0474世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:44:43.160
>>471
どこが変化してるんだよ(笑)

単なる通過点であり、朝鮮には意味がない
0475世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:47:48.660
>>471
普通の経由地の人間は態々恩着せがましく宣伝したりしないから
そんなことした時点で他人のフンドシで相撲取るんじゃねえと馬鹿にされるのを分かってるからな
0476世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:48:32.470
倭国が百済を属国にしたのは、鉄鉱資源もあるが、中国への通商ルート確保が大きな目的だった
0477世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:51:01.740
反日朝鮮人はシャシャリ出てこないでスッ込んでろ、くそ馬鹿馬鹿しい

高麗史の話に戻ろうぜ
0478世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:51:53.730
朝鮮半島で発展した農具をそのまま受容してるのに何言ってんだか
0479世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:53:59.660
>>475
要は恩着せがましい韓国人が気にくわないから歴史をねじ曲げて解釈したいってことでしかない
それ、韓国人と同じでは?
0481世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:56:30.140
そもそも、朝鮮学校の教育が良くない

日本の国内で反日教育なんかやらせるな
彼奴らを追放しろ
0482世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:56:44.770
歴史の教科書で見かけるおなじみの竪穴式住居や高床式倉庫、環濠集落も
松菊里型といって半島起源だと教えてやるともっと発狂しそうだな
0483世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 21:59:21.230
>>482
そんなのどうでもいい(笑)

お前ら現代の朝鮮人が鬱陶しいだけ
0485世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:04:33.490
そろそろ、「反日朝鮮人特別措置法」とか、そういう法律を作って、こいつらを日本から追放すべきだ
0486世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:08:44.600
>>484
いやいや、いまどき、左翼と反日朝鮮人はメチャクチャ嫌われてるぞ

厚顔無恥なミンジョク性のおかげで、お前らがそこに気づいてないだけだ
0487世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:25:23.680
一番嫌われてるのは専門板のスレで空気読めない罵詈雑言をわめき散らしてる奴だろう
0488世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:29:20.790
>>487
お前だな(笑)
0489世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:32:46.780
高麗史スレで、テーマと関係ない朝鮮人のウリナラ史観を展開してホルホルし始めたのはお前だ
0490世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:35:24.490
スレの流れまでゆがめ始めて、どこまで発狂するんだか。
0491世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:37:42.400
>>490
こちらは高麗史の話に戻ろうとしてるんだが、そのたびにお前が「古代の我が国は、日本に文化を伝えたニダ、ホルホルホル」の話をしつこく繰り返している
0492世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:39:25.870
実際には、朝鮮など、古代から未開の土人国だ
0493世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:41:24.480
常に朝鮮→日本の一方通行ニダ、という思い込みはいけませんわな。
高句麗神話の扶余南下のくだりが、記紀の神武東征のほぼ丸パクリであることは、読んで見れば明らかだったりする。
高麗で三国史記が編纂される(といっても民間だけど)際、
少なくとも日本書紀は輸入されて確実に参照されていたということが、はっきりわかる。

ところが、この話ネット上でも、認知バイアスがかかったアホが際限なく沸いてるww
みんな「高句麗神話を、記紀がパクった」と主張してる。頭湧いてるとしか思えない。
それじゃ「超時空太閤」ならぬ「超時空三国史記」だろうにww
0494世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:46:29.040
この、高句麗神話の記紀パクリ問題は、意外な問題を孕んでいる。
つまり、王氏高麗の三国史記編纂時には、
高句麗神話の満州からの南下の下りは、伝承として失われていたということ。

いろんな推測が可能だが、少なくとも言えることは、
王氏高麗は、高句麗とはすべての意味において縁のない王朝だったということ。
これは確実に言える。

もっと踏み込んで言えば、ひょっとすると高句麗自体、故地が満州平原ではなかったかもしれない。
最初から南満州から北部朝鮮の深山幽谷の山岳民だった可能性もある。
0495世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 22:49:20.960
誰もホルホルなんてしてないのに一人で発狂してるだけなんだよなあ
0497世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:02:23.280
神武東征と朱蒙説話はまったく似てないけど
朱蒙の高句麗建国譚は地名と人命が違うだけで魏略に載ってる東明王の扶余建国譚とほとんど同じ
0498世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:02:42.790
>>494
高句麗は、中国でも朝鮮でもなく、満州とすら言い切れない

高句麗は、高句麗だ

それに対して高麗は、明らかに朝鮮半島の国
0499世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:03:50.380
建国時の経緯からすれば、高麗は、新羅との連続性がかなりある
0500世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:05:43.410
あんたらどっちもいいかげん黙っててくれ
本題の高麗史がそっちのけだ
本題と関係ない応酬の続きはよそのスレでやれ
ここでするな
0501世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:08:17.990
残念ながら朝鮮関係のスレにはこの手の連中が必ずでしゃばってくるんだよ
0502世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:14:06.520
新羅毛氈や「高麗物」と呼ばれる半島からの船舶品が日本社会でどう受容されたか
当時の半島の手工業制を絡めて語ろうと思ったけどまたウヨに荒らされるからやーめた
0503世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:19:02.730
高麗5代王の妃は新羅王の娘だったらしいけど、
その血は後代の高麗王には引き継がれていないらしいな
0504世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:21:50.350
>>503
女系で継承されてるってことだよ
0505世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/01(土) 23:58:29.800
新羅は935年に滅亡したが、それより150年ほど前から弱体化し、混乱状態に陥っていた

新羅を滅ぼしたのは後百済

その後百済を滅ぼしたのが高麗
0506世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 00:01:41.110
高句麗は鮮卑の性奴隷だった
そして
高麗はモンゴルの性奴隷となった
0507世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 00:04:55.730
高麗の前身の後高句麗を建国した弓裔は、三国史記によると新羅王の一族

その弓裔に取って代わった王建には、中国人説と満州人説がある
0508世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 00:08:28.920
>>506
いや、高麗はともかく、高句麗は鮮卑の宿敵

隋は高句麗遠征が原因で滅びたとさえ言われているし、唐の太宗も高句麗遠征に敗れ、腐敗神話の汚点となった
0509世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 00:20:42.880
>>502
それはかなり興味深い事項だね
海上勢力系豪族が主導して君主の家門ともなった高麗の建国経緯それ自体もそうであるように、
当時の東アジア全域が流通網と商工業活動の活発化の状況下にあった
そういう中で対外貿易の隆盛や工芸品の洗練なども起こっている

スレの流れが或る程度安定したら、ぜひ解説してほしい
0510世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 00:21:30.990
外国人の王建よりも、新羅王室の血を引く弓裔に正統性があったのは間違いない

史書では、弓裔は暴虐な異常者だったので人々に廃され、代わりに人望の厚い王建が立ったことになっている

簒奪を正当化するのによく使われる論法なので、ちょっとウソっぽい
0511世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 00:34:53.640
もっとも、王建が外国人だったかどうかは、そういう説もあるだけであり、確定していない

父の王隆は、開城を拠点に海上貿易で財をなした豪族

2代目の恵王についても、Wikipediaには
>王建の第2后妃荘和王后呉氏は、三国時代に中国から帰化した貴族の後裔であり、したがってその子の第2代高麗王恵宗が中国人の血を引いている事は公式に認められている。

とあるが、三国時代は何百年も前のことであり、ほとんど関係ない
0512世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 00:50:49.310
>>508

前燕に攻め入られると、高句麗王は前燕に対して朝貢した
その後も前燕は大挙して高句麗に攻め入り、高句麗王は東方に逃れ、王母と王妃が捕らえられ父王の陵墓があばかれ遺骸を持ち去られてしまった
高句麗王は前燕の臣下になることを誓い、宝物を貢納して父王の遺骸を返されたが、王母は人質にされたままだった
0513世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 00:57:05.490
>>511
桓武天皇の母親よりも外国人意識薄かったりしてな
桓武天皇の場合は百済の神を祀ってたりしたしな
0514世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 01:21:49.120
>>513
日本の天皇はインドの神を祀ってたりするけど、
自分をインド人だって思い込んでた天皇はいないだろうしな
0515世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 06:59:39.750
>>512
そりゃ、何百年もの間には、勝つこともあれば負けることもあるわな
0516世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 07:03:33.880
>>512
それにしても前燕は、「陵墓をあばいて先祖の遺骸を持ち去る」とは、やることが儒教っぽいな?

これが最大の「侮辱」とか「復讐」とされるのは、儒教社会に特有の発想だ
0517世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 07:26:23.440
後三国時代は、群雄割拠の時期が少い朝鮮史では貴重な時代

「太祖王建」は、韓流時代劇の中でも屈指の大ヒット
0518世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 07:48:21.310
>>516
鮮卑と同じ東胡の子孫である烏桓も、匈奴の単于の墓を暴いてた
0519世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 08:01:08.150
墓あばきが最大の「侮辱」とか「復讐」とされるのは、
儒教が北方異民族に影響されたからなのだろう
0520世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 08:04:22.870
なるほど

北方民族が儒教に影響されたんじゃなくて、逆だということか
0521世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 08:10:16.080
儒教の「天道」思想も北方異民族からパクった
0522世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 10:11:27.230
孔子が墓守の一族だからだと思うよ
0523世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 12:38:53.660
孔子が墓守の一族で儒教が墓守の宗教・倫理だとしたら
ここ2500年間の東アジア世界は墓守の世界だね
アニメでなく漫画版『風の谷のナウシカ』においてトルメキア帝国(トルコとドイツをモデルとしている)
と死闘を繰り広げる土鬼(ドルク)諸侯国連合(チベット・インドをモデルとしている)のようだ
歴史認識が物語に投影され人々の集合無意識に合致したのだろう
0524世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 13:03:41.120
高麗国王も李氏朝鮮国王もあまり肖像画が残っていないな。日本だと天皇も将軍も肖像画がかなり残っているのに。
0525世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 14:33:47.450
>>524
肖像画とは特定の人物の外観を描いた絵のことをいう。偉大な人物に倣い、あるいはこれを讃え、追悼する目的で描かれた。
記録によると、三国時代(紀元前1世紀~7世紀)から描かれたことが確認されるが、わが国で本格的に肖像画が描かれたのは高麗時代(918~1392)からである。

現在、残っている肖像画はほとんど朝鮮時代(1392~1910)に描かれたものであり、王、聖賢、国に功績のある臣下、両班、女性、僧侶などの肖像画が伝わっている。

(国立中央博物館)
0526世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 14:36:22.310
書物・絵画・建築、どれをとっても新羅時代のものはほとんどない。残っているのは石仏くらいだ。

高麗だと、少しはある。

でもやっぱり、朝鮮半島で本格的な文化史を語れるようになるのは、朝鮮王朝から。
0527世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 14:41:52.530
朝鮮の城って日本で言えば弥生時代とか古墳時代に作らたものが
そのまま李氏朝鮮まで使われてる印象があるが
日本の城とか安土桃山時代のものすらほとんど残ってないのに
0528世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 14:51:25.170
高麗の太祖は建国直後から高句麗の昔の領土を取り戻すための熱望から北進政策を推進した、高句麗を継承するという意味で国号を高麗ときめ高句麗の首都であった平壌を西京といい重要視して北進政策の基地とした。

太祖は各地方の規模の大きい豪族勢力を中央貴族として迎え、小さい規模の豪族は地方の統治を担当するようにした。

高麗の王権が安定して中央集権的体制を確立するようになったのは第4代光宗のときである。
光宗は後三国時代の混乱期に豪族らが不法につれていた奴婢を調査して元来の身分である平民に回復した。
また、光宗は中国の科挙制度を取り入れ有能な人材を選抜して官吏に登用した。
このような改革は豪族の基盤を崩すためのもので、結果的には王権が大きく強化された。

国家統治体制は成宗のときになって確立された。成宗は豪族が管理していた地方に中央官吏を送って直接治めるようにする一方、地方の豪族は郷吏(地方官吏)に編入させて統制した。
0529世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 14:52:15.810
高麗は自らを皇帝の国だと考えた。これは高句麗の世界観を継承したもので、高麗が中国の支配を受けない自主国という自負心の現れである。
首都を皇帝の都邑という意味の皇都と呼び、王族や功臣たちに公爵、侯爵、伯爵などの爵位を与え、彼らを諸王と呼んだ。
高麗が独自の年号を使い、国王が円丘壇で天に祭りをささげた事も高麗が皇帝国であったことをあらわしている。
王室で使用する用語も中国の皇帝と対等であった。

ただ高麗が蒙古の侵略に屈服して元の干渉を受けていた時には各種の制度や王室用語そして廟号(王名)も諸侯国のものにさげなければならなかった。
0530世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 14:59:02.150
高麗は、いにしえの高句麗を模範とし、自主独立の帝国を目指していたようだ

目指していただけでなく、実際に契丹の侵攻を撃退した

このため、明清への服属を抜きにして語れない朝鮮時代とは異なり、高麗を「我が国の栄光の時代」と見る朝鮮人も少なくない
0531世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 15:34:50.380
10世紀の前半は、中国が五代十国の分裂時代

このとき、高麗とベトナムが、中華王朝からの歴史的な独立を実現した
0532世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 15:42:01.600
とはいっても、唐も8世紀からは弱体化しており、新羅の服属は形式的なものにすぎなかったが
0533世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 16:35:08.680
ベトナムは独立したけど高麗は違うだろ。
ベトナムは独自の暦を制定してるけど、高麗は中国が混乱し過ぎて宗主国を決められない
みたいな例外的時期以外を除いて、普通に中国の暦使ってるじゃん。
0534世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 16:51:31.680
独立してたから
宋史や遼史でも日本と同じ東夷カテゴリーに分類されてるわけだが
0536世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 18:23:01.470
宋史だと「列伝第二百四十六外国三」が高麗伝で丸まる一巻使って記述されてる
一方日本は「列伝第二百五十外国七」に流求、定安、渤海、党項と並んで併記されていて単独の伝が立てられてない

遼史だと列伝第四十五二国外記、金史は列伝第七十三外国下といづれも高麗が「外国」として扱われている
ちなみに両史には日本は伝すらたてられていない
0537世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 18:24:15.430
正朔を奉ずるというのは致命傷ですわな。あれは毎年貰いに行くもので、そうしないと国内で暦を頒布できないわけだから。

「高麗が契丹を撃退した」なるホルホル神話は、かなり悪質だと思う。
結局、高麗は契丹に詫びを入れて朝貢隷属国になることで手打ちとなった。
撃退したわけでも何でもない。
ただ、試合が終わってからズルズルと工作を仕掛けるという、新羅とそっくりの悪癖をやってるけどな。

高麗は契丹に隷属した、という事実を認めないと、その先の李朝の異常な慕明事大主義も理解できないことになる。
隣に北宋があって中原が漢族政権なのに、高麗は北方への契丹への隷属を呑まざるを得なかった。
この、「北アジア勢にイヤイヤ隷属する」という高麗の経験が、
李朝の異常な明崇拝の事大主義、そして三田渡碑への伏線になる(結局同じことをのむ羽目になる)
0538世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 18:46:42.080
そら冊封国と藩外の外国じゃ前者の方を詳しく書くだろうよ
宋代来てるのも正式な日本国使じゃないし王年代記にも天皇号が書いてあるしな
0539世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 18:51:12.510
>>536
それは日本が高麗と違って本当の意味で独立国だからだろ
0540世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 19:26:26.210
契丹は急速に高麗との国境まで版図を広げ、さらに993年から大規模な侵入を行った。高麗はこれに屈し、契丹の属国となる事を誓って赦され、994年から連年朝貢した。

1009年に高麗で王が弑逆される政変が起きると、1010年、契丹は不義を正すという名目で介入し、北部諸州を征服した後、首都開城へ迫った。
高麗朝廷は将軍・姜邯賛の策により開城を放棄して羅州へ立て篭もるも、契丹軍が1011年1月に開城を攻略すると和を乞うて降伏、契丹軍は開城を焼き払い撤退した。
高麗が再び盟約に違反した為、契丹は1013年から1015年まで継続して侵入し、高麗軍は度々破れ大きな損失を被っている。
契丹はその年のうちに再再度侵攻した。1016年、高麗が再び宋の藩属国に戻って契丹に背くと、1018年、蕭排押率いる10万の契丹軍が高麗へ攻め込むが、姜邯賛率いる高麗軍20万は、契丹軍の分隊を鴨緑江支流河岸にある亀城で迎え撃ち撃退した。

遼の聖宗は、蕭排押の敗戦を受けて本格的な高麗征伐を準備していたが、高麗からの「藩属国となり毎年朝貢を怠らない」旨の謝罪を受け容れ、1020年降伏による和睦を許した。
1022年以降、高麗は契丹の年号を用いて朝貢の義務を果たし、契丹が高麗の江東6州領有を許した事で、高麗は鴨緑江沿いの女真族の土地を占領した。
0541世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 19:32:24.650
なぜか、半島の王朝は、この失敗を何度も繰り返す。
契丹にも、モンゴルにも、清にも、同じ態度を取り続けた。

つまり、攻め込まれたら負けて、土下座して朝貢を約束する。
侵攻軍が引き揚げたら、アッサリと盟約をホゴにして何もなかったような顔をするので、怒りを買って、また攻め込まれる。

この繰り返しで、契丹・モンゴル・清とも、半島政権を最終的に屈服させるまで、いずれも5〜6度に渡って侵攻し続ける必要があった。

このような歴史を見ると、たったの2回で朝鮮征伐を中止した豊臣秀吉の日本は、話にならないほど諦めが早すぎたということが分かる。
0542世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 19:46:44.720
>>537
>ただ、試合が終わってからズルズルと工作を仕掛けるという、新羅とそっくりの悪癖をやってるけどな。
そもそも新羅の場合助けに来てもらった後で百済領と高句麗領の一部を分捕っておいて何故か
「唐の侵略を跳ね返した」ことになってるからなぁ
0543世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 19:47:03.280
高麗が、国境付近で契丹軍を撃退した件は、韓国では「亀州大捷」と呼ばれて有名だ。
この高麗の圧勝により、契丹軍は「十万の兵のうち、遼に帰れたのは数千人」というほどの壊滅的な打撃を受けたとされている。

でも、ここが不思議なところなのだが、それほどの大敗を喫したばかりの契丹は、すぐに次の侵攻の準備を始め、それに対して高麗は、戦わずして全面降伏した。

この件に限らず、半島の歴史には謎が多い。
0544世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 19:52:13.040
>「高麗が契丹を撃退した」なるホルホル神話は、かなり悪質だと思う。

相手側史料の「遼史」にも高麗に勝てずに軍を撤退させました
敵の策略にハマって滅茶苦茶人死んだので帰ります
とちゃんと書かれてるのにそれは無理あるやろ

蕭合卓等攻高麗興化軍不克,還師。(開泰六年九月乙)
蕭排押等與高麗戰於茶、陀二河,遼軍失利,天雲、右皮室二軍沒溺者衆,(開泰七年十二月丁酉)

海という防波堤がある日本と違って地続きで直で攻め込んでくる騎馬民族の大軍を相手するのはしんどすぎたのと
軍馬の購入を女真族に依存しているという懐事情があって結局は冊封されたけど高麗遠征自体は遼の負けだよ
0545世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 20:41:41.480
>>544
海は防波堤じゃないぞ。
朝鮮半島へは地続きに攻め込むと補給線が長くなって難易度が上がる。
隋も唐も海から攻め込んだ方が楽だと途中から気付いたんだよ。
だから白村江の戦いは海軍同士の戦いになったわけで。
0546世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 20:55:09.400
百済の役の時は漢江流域が新羅領で新羅王が唐軍を出迎えに行ってるぐらいなんで…
まあ朝鮮出兵の時に明軍が兵糧不足で帰ろうとしたぐらいなんで兵站がクソなのは事実だが
0547世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 20:57:49.970
新羅は白村江の戦いの後で九州を占領して筑紫都督府を設置している
唐は新羅に抵抗出来ずに撤退しただけ
0548世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 21:07:43.960
>>545
元寇ではご自慢の騎馬軍団を投入できなかったのだから騎馬民族相手には十分な防波堤にはってるよ
0549世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 21:11:33.330
>>548
元寇では普通にモンゴル軍は騎馬軍団投入してる。
日本の史料にも蒙古は馬を巧みに使うって書いてあるし。
0550世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 21:12:33.390
そういえば、高麗の制服に手間取ったのも、江華島に遷都した為に騎馬を機能させにくくなった事だった。
開城のままならば、もっと三、四十年は早く、日本に侵攻できたかもな。
0551世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 21:20:53.800
>>547
新羅が九州占領したとかファンタジーじゃん
0552世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 21:21:47.700
>>550
3,40年早かったら何なんだよwwwww
0553世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 21:22:32.810
>>547
都督府という文字があるだけでニホンモーできるとは随分と逞しい想像だこってw
0554世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 21:26:26.960
>>541
それな。失敗を繰り返すというより、朝鮮にとっては民族的な成功体験なんだろうと思う。

全く刃が立たず、完封負けのゲームセットで和議を結んだ後、撤退しかかったところで寝首を掻く。
どんな強国でも騙し討ちでは損害が出るし、応戦に入るのも手間取る。
相手が本格的に反攻体制に入ると、今度は一転して焼き土下座。
当然、こんな裏切り・騙し討ち・土下座の繰り返しでは、隷属条件はどんどん悪くなっていくのだけど、
「寝首を掻いた戦果」なるものが残ることがあって、
それが朝鮮の王朝が「領土を広げる」唯一の成功体験になってる。

もう一つ、北アジアの王朝は栄枯盛衰が早いので、相手はどんどん変わる。
そうすると、北アジア側で、「朝鮮は寝首を掻く常習犯」という情報が継承されないから、
相手を変えて何度でも同じことをやる。相手も初回は警戒しない。

それでも、ホンタイジには全く役に立たなかった。
0555世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 21:27:41.480
>>549
蒙古と漢人あわせて一万五千、高麗軍六千
蒙古漢で四万、蛮軍(南宋軍)十万で騎馬軍団を投入出来ていたとは言い難い
蒙古襲来絵詞に描かれている元軍もほとんど歩兵でしょ
近代でも軍馬の海路輸送は困難を極めたのだから当時にあっては猶更

遊牧民の本拠地から目と鼻の先にある高麗とは全然事情がことなるよ
0556世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 21:37:35.700
>>555
文永の役の兵数は、蒙古と漢人あわせて二万五千、高麗軍八千 って高麗史に書いてあるじゃん。
それだけいれは充分騎馬軍団投入してたと言える。
モンゴル帝国の騎馬軍団なんて総数でも十二万九千騎しかいないからな。
近代の馬の輸送が難しいのは品種改良し過ぎて脆弱になったサラブレッドだからだよ。
元寇の時代なら余裕。
0558世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 21:51:14.160
>>544
戦闘の後の講和で、遼側の要求を全面的に呑んで正式に属国になったのに、「撃退した」とは言わないだろ

少なくとも、西洋の基準では「敗戦」だ
0559世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 22:02:29.140
ワールシュタットが8,000〜20,000(ちな英語版だと3,000〜8,000)アイン・ジャールートだと20,000
西遼戦が30,000でまあ集めた方でしょ
0560世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 22:28:00.690
>>556
>モンゴル帝国の騎馬軍団なんて総数でも十二万九千騎しかいないからな。

この十二万九千ってのはチンギスハンが没した年のモンゴル部の成年男子の人口を数え上げた数字で
当たり前だけど五投下、女真、契丹やアスト部、キプチャク、ウイグル、タングート、カルルク
オグズ、カンクリ、ナイマン、キルギスなど諸部族は統計に入ってない

>>557
漢人ってのは金の遺民で華北漢人だよ
女真族のほうは契丹、五投下などの諸部族と共にタマチと呼ばれる前衛部隊に編入されてる
0561世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 22:35:30.120
>>517
三国以外に勢力が無かったとは思えないが、
ほかにどういう勢力があったんだろう?
0562世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/02(日) 23:44:42.920
>>560
違うよ。
十二万九千はチンギスカン死亡時のモンゴル帝国の総兵数。
だからチンギスが征服した五投下、女真、契丹やアスト部、ウイグル、タングート、カルルク
オグズ、カンクリ、ナイマン、キルギスなど諸部族は全部統計に含まれてる。

それから、文永の役に投入された漢人は、クビライがアリクブケとの継承戦争で
モンゴル高原のカラコルムまで侵攻した時に親衛隊を勤めた最精鋭だから。
0563世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 00:11:51.530
元寇ねぇ…
アレはそれ自体で杉山正明とかパフォコン爺とかやたらモンゴルに肩入れする輩が居るからなぁ
0564世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 00:55:13.440
>>562
それは一体何の史料によるものですか
「元朝秘史」を見ると確かに五投下の千人隊は見えますね
しかしそれ以外の部族や女真、契丹は見えないのですが
そもそもアスト部ってチンギスハンより後の時代に服属した部族ですよ?
0565世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 05:56:16.300
>>564
ごめん、アスト部は入ってなかった。
ジャライル3000、オイラト4000、オングト4000、バリアン氏族1万、契丹1万、女真1万は
ムカリの指揮下にチンギスの末子トルイに与えられたとドーソンが書いてる。
ソースはラシードだって。
0566世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 18:01:50.310
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0567世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 18:26:07.330
遼の聖宗は、蕭排押の敗戦を受けて本格的な高麗征伐を準備していたが、高麗からの「藩属国となり毎年朝貢を怠らない」旨の謝罪を受け容れ、1020年降伏による和睦を許した。
1022年以降、高麗は契丹の年号を用いて朝貢の義務を果たし、契丹が高麗の江東6州領有を許した事で、高麗は鴨緑江沿いの女真族の土地を占領した。

その後、北東地域では女真との戦いが続いた。女真が居住していた江東6州への侵略に際して女真族の抵抗に遭った為、1033年から1044年にかけて北部に半島を横断する長城を築いて報復に備えた。
1037年に女真水軍が長城の及ばない鴨緑江を侵したが、この後はおおむね安定を取り戻した。

この後の女真の台頭は著しく、1104年の反撃では女真軍に敗れ略奪を受けている。女真は1115年に金を建て、1125年に高麗の宗主国である遼を滅ぼした。
そのため高麗は金へ服属し、翌1126年に朝貢した。
0568世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 18:27:19.520
高麗の宗主国は、遼→金→元と移行した
0569世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 18:37:19.800
朝鮮人の傾向として、遼や金の属国だったことを認めたがらない

韓国メディアの自虐ネタでも、「我々は二千年間、中国に従属してきた」などと書かれることはあるのだが、それは事実に反する

華北を征服した金はまだしも、遼はどう強弁しても「中国」ではない
0571世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 18:45:35.800
そもそも、「中国に従属してきた」とか「中国に侵略されてきた」というのがウソであり、朝鮮半島を侵略してきたのは、主に満州、いまでいう中国東北部の勢力だ

しかし、それを認めないための論理が、各時代に存在する

高句麗については、「大陸から南下してきた我が民族の祖先」ということにした

遼については、「亀州大捷で撃退した」ということになっている

金・元・清については、「中華王朝」と位置づけた
0572世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 18:49:53.000
しかし、金・元・清とも、朝鮮半島を征服したのは、中華を制するより前のこと

まだ北アジアの帝国で、中華王朝と対立していた頃の話だ
0573世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 19:12:53.470
>>565
どうもありがとう
しかしそれが本当だとすると面白い数値ですね

契丹人から構成される宮衛騎軍は耶律堯骨の治世で50万
一方金朝の場合は大定二十三年(1183)の記録では猛安が203
この猛安から1000人の兵が出される規定になっているので女真族単独の兵力は20万3千

この当時より人口が減少したとは考えられないので
ラシードの記述が正しいとするとほとんどの契丹人や女真人は兵役を解かれたということになる
0574世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 20:11:50.040
なんにせよ、唐を撃退したことが後世に繋がった
もし併合されてたら最終的には中国の一部になってたろう
0575世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 20:28:28.590
>>574
明清の五百年で、すっかり中国の一部になった
0576世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 20:33:07.510
>>574
唐を撃退なんかしてない
単に裏切っただけ

でも、これが民族としての成功体験になった

その後も、この手を繰り返して悲惨な失敗の連続
0577世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 20:35:15.500
遥かな西の彼方、数千キロの遠方にある長安帝国は、新羅の裏切りを見逃してくれた

だが、目と鼻の先にある北京帝国は、許してくれんかった
0578世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 21:34:28.700
裏切ったのは唐のほうだろ
大同江以南の土地をやるという餌で新羅をつって
高句麗戦と百済戦で疲弊した所を一挙に攻めて都督府を置き直轄地にする予定だったのが
露見して寝首かくつもりが逆に掻かれただけ
0579世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 22:59:36.240
唐に度々救援を要請してるのは三国史記にも書いてあるだろ…
0580世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 23:55:16.130
>>571
そう。その通り。朝鮮というのは、「中華属国の長兄」ではなく、「北アジアのアウトカースト」なんだよ。
地政学的には、北アジアにぶら下がったおまけ。
最底辺といってもいいんだけど、軍事力上等の北アジア世界では、
一度も草原に打って出るだけの軍事力を持ったことがない朝鮮は、「カーストに入れない」というほうが正確。
カーストというのもあまり良くない比喩なのかもしれなくて、
北アジアは栄枯盛衰の激しい土地だから、カーストが固定されるわけじゃない。明日のランキングは全く違うかもしれない。
それでも最底辺だけは固定席になってる。逆に言えばどん詰まりだから中々滅びないんだけどな。半島の特権だ。

国家間の盟約を、兄弟だの父子だのに例えて序列をつけるのは、中華というより匈奴以来の北アジア帝国がよく使う方法で、
東亜板なんかみてると、朝鮮人がこの序列秩序にどっぷり浸かってることがわかる。
一般には李朝の腐れ儒教の遺産というんだけど、儒教より歴史的射程が長いんじゃないかね。

そうすると、高麗に夢を見ても、そこからも何も出てこないということになる。
0581世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 01:22:52.780
東亜板みたいなクソキモ板の話引き合いに出してる時点で...
0582世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 02:14:28.040
「中華王朝に朝貢していた。服属は形式的なものだった」というのは、あまりにも歴史を美化している

実際には、北アジアとくに満州の勢力に侵略され、征服されてきた歴史

日本も一時は遣唐使や日王・足利義満の朝貢貿易があったが、それとは意味が違いすぎる
0583世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 02:18:43.200
この北高南低の歴史的経緯から、満州は朝鮮を見下し、北朝鮮は韓国を見下しているところがある

そこで韓国としては、さらに南にある日本を見下したくてたまらないのだが、国力と文化水準の差が大きすぎて無理があった
0584世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 02:23:22.470
もちろん、現代においては、満州や北朝鮮より、韓国の経済や文化の水準が大きく上回っている

でも、こればっかりは、長い隷属の歴史があるから、簡単には心理的な劣勢を覆せない
0586世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 19:20:13.440
9世紀末に新羅領内に「後百済」「後高句麗」が建国され、再び3国時代となった。

936年  3国が統一され、国名を高麗とした。 しかし、993年に遼に侵略され高麗は遼に朝貢をすることとなった。

高麗はさらに宗王朝にも朝貢をしていたので、昔からの伝統である事大主義の両面外交を続けていたのである。

11世紀に高麗は遼の属国になった。

12世紀前半 満州地域で、女真族が作った金が遼を滅ぼしたので、高麗は今度は金に乗り換えて金の朝貢国になった。高麗は得意とする事大主義で上手に立ち回り辛うじて生き延びていた。

1218年 モンゴルと高麗は共同で金を倒し、高麗はモンゴルに朝貢した。

1231年 モンゴルの使者が高麗から帰国途中何者かに殺害されたので、モンゴルが高麗に侵入した。

1259年 高麗は何度も忠誠を誓う約束をほごにしたおかげで、そのたびに攻め込まれ 

      ついにモンゴルに全面降伏し、モンゴル帝国の属国となった。

1271年 高麗内の内部抗争のためにモンゴル軍を国内に引き込み、珍島の拠点を攻め落とした。1273年 高麗内の反モンゴル勢力は一掃され高麗はモンゴルの完全な属国となった。

外国の侵略軍が自国の愛国軍を討伐し、国王が感謝するという世界史上の一大珍事となった。
0587世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 19:44:34.480
朝鮮が満州に進出できた機会は2度あった1度目は恭愍王の治世
元からの支配脱却を目指し1356年に双城総管府を攻撃しこれを下す
1362年には元の太尉である納哈出が三撤、忽面に侵入するもこれを撃退
翌1363年に再び元兵1万が襲来するが鴨緑江で殲滅
1370年には李吾魯帖木児を破り東寧府を占拠し余勢をかって遼東城も落とす
1384年には合蘭府を陥落させ満州を掌握する勢いを見せるが元の旧領を返還しろという明からの圧力を巡って対立
結局新明派の李成桂がクーデターにより即位し遼東の地も明側に明け渡される

2度目は成化三年の役で明の許可を得て建州三衛を襲撃し建州衛酋長であった李満住を殺害
その後も建州の占領を目論むがまたもや明側の圧力を受けて撤兵

その後も親朝鮮派の女真酋長を属臣として冊封したり満州進出の機会をうかがっていたが
その都度明からの妨害にあって結局うまくいかなかった
0588世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/04(火) 20:23:12.250
李成桂も実は内心では満州進出を目論んでいた形跡がある
1395年に女真族を内地に酋長ごと移動させると共に強制的に朝鮮人と結婚させて習俗を改め
編戸の民とするという同化政策が行われた
この時に移動させられた諸部族は斡朶里、火兒阿、托温、哈闌、參散、移闌、海洋、阿都哥
實眼春、甲州、洪肯、海通、禿魯兀、幹合、兀兒忽里阿沙、紉出闊失、吾籠所、土門、阿木剌
、兀良哈、嫌眞兀狄哈、南突兀狄哈、闊兒看兀狄哈

これだけ移住させた満州はしばらくの間すっからかんになったことだろう

ヌルハチが後金建国時の八旗軍は壮丁300人で1ニル、5ニルで1ジャラン、5ジャランで1グサ(旗)であり
8旗総計しても6万であり400年前の金朝時代の3分の1にしかならない
金元代に多くの女親族が中原に移住して漢化したこともあるが李朝の行った大規模な同化政策の影響も大きかったと思われる
0589世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 03:35:09.160
動員力6万なら13世紀に蒲鮮万奴が建国した大真国の3倍じゃん
凄く人口増えてる
0590世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 06:56:52.250
>>587
そもそも、李成桂からして女真人(モンゴル軍閥という説もある)
0591世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 07:48:26.350
>>590
「『李成桂は女真人』説」は実証されてないし、そもそも主流説でもないよ
0592世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 08:11:53.110
>>591
最近は「モンゴル軍閥説」もある
0594世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 11:37:26.240
>>591
そりゃ、朝鮮人が認めたがらないから、なかなか朝鮮史の定説にはなりにくいだろう

だが、根拠が多い
0595世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 11:39:14.400
もっとも、「モンゴル軍閥説」を唱えているのは、朝鮮人の学者だが
0596世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 11:41:12.800
韓国史スレに何故ネトウヨが湧くのかな
李成桂の本貫は全州李氏だ
0597世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 12:31:30.970
>>596

>>591>>593 だけど、
ところが、全州李氏の家門が実際に古来代々全州だったかというと、それもまた実証されてなくて謎のままという状態
まあほんとに新羅末期〜高麗〜李氏朝鮮初期の著名人(特に武官や武装勢力指導者)はいろんな意味で個性的かつ出自不明瞭が極めて多いという実力主義
例えば日本史や西洋史でもそうだけど、そこが或る意味いかにも「古代と近世を繋ぐ中世の社会」らしいともいえて、興味深いところ
0598世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 12:38:37.320
朝鮮人の本貫の中に古代からの倭人の系統が全くないのが闇深い
倭韓混血児は記紀に韓腹という名で登場するが、おそらく統一新羅時代に徹底的に弾圧されたのだろう
賤民となって出自を忘れ去るか、さもなくば日本に亡命したり家系を偽って暮らしたに違いない
0599世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 12:52:04.030
>>598
ほらほらまたそういうふうに煽り口調・断定調で迫るから議論が荒れるんだって

済州島の高氏・良(梁)氏・夫氏の始祖伝説だと、和人系も(母系に関してだけど)かなり関わってる感じでしょ
まあそこまで遡ると、高麗時代あたりの中世よりもはるかに昔ではあるけれど
0600世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 12:59:30.570
済州島民って全体が賤民扱いじゃないんか?
0601世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 13:02:17.130
総督府時代に今西龍という人が「在家僧」と呼ばれる日本の被差別部落みたいなところを
調査したが結果は未だに同化されてない女真族だったというオチだったな
60年代まではまだ存在していたらしいが未だに同化されずに残ってるのだろうか
0602世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 14:07:47.340
>>596
お前の意見を信じない奴はネトウヨか(笑)
0604世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 17:02:03.140
済州島は確かに流刑地だったが流されて来たのは知識人や政治犯が多かった。
つまりインテリ階級に属する文化レベルの高い人たちでネトウヨが思ってるのとは違う。
0605世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 17:09:57.460
でも本当は?
0606世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 17:52:51.160
>>598
韓腹? かんばらさーんってやつかな?
しばき隊だ
0607世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 18:19:03.130
>>604
お前はバカか(笑)

済州島民を差別してるのは、「ネトウヨ」じゃない

半島本土の朝鮮人だよ
0609世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 19:18:22.860
「なぜ、われわれも対馬みたいに日本領にしてくれなかったのか?」というのが、済州島民の偽らざる本音

しかし済州島は、韓国にあるから「南国リゾート」扱いされるんで、日本にあったら目立たなかっただろうから、済州島にとってはこれで良かった
0610世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 19:19:12.080
>>608
エベンキ? 何それ?

絵に描いた便器のこと?
0611世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 22:59:22.010
高麗青磁とは、朝鮮半島にあった王朝「高麗」の時代に作られた磁器です。9世紀から10世紀頃に、中国にある呉越の越州窯から影響を受け生まれました。

この青磁は、高麗以外の場所で作られることは無く、独自の文化を築いています。12世紀に翡色青磁が生まれたあたりから、高麗独自の手法が増えていきました。

優れた装飾技術が注目されていましたが、高麗青磁の時代も終わりを迎えています。末期には作風自体が変わり、高麗青磁から粉青沙器へと移り変わっていったのです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2e/Korea_-_Seoul_-_National_Museum_-_Incense_Burner_0252-06a_edit.jpg/250px-Korea_-_Seoul_-_National_Museum_-_Incense_Burner_0252-06a_edit.jpg
0612世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 22:59:43.520
象嵌青磁
磁器の表面を刻み模様の土台をつくります。そこに、白土や赤土を入れ込み、釉を掛けて焼きあげる技法です。

青磁鉄絵
磁器の表面に鉄絵で模様を描き、釉を掛けて焼き上げます。

青磁辰砂
銅系の彩料を使用して磁器を彩る技法です。
0613世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 23:01:08.780
高麗青磁の特徴はやはり美しい模様。描かれているのは、美しい風景が多いです。山や木、花、鳥や魚などの生き物含め、
自然界から取り入れたモチーフを組み合わせています。形状も、伝統的な挑戦の衣装のラインが反映されているようです。

もう一つ特徴的なのが、表面に見られる細かなひび。これは、美しい模様をはっきりと見せるべく、釉を極限まで薄く掛けているため生まれます。
青磁に使用される釉はもともと脆いので、薄く掛けるとなればなおのこと。焼き上げる際どうしてもひびが生まれます。

しかし、そのおかげで釉の透明度が高く仕上がり、凝った模様を美しく引き出しています。ひびは特徴の1つとして評価され、
現代でも、そのひびを再現しようとあえてもろい釉を使用する陶芸家もいるようです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f4/Korea-Goryeo_celadon-02.jpg
0614世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 23:04:13.210
高麗といえば、青磁だろう

「韓国」っていったら、「文化果つる僻地」というイメージがどうしても強いと思うんだけど、高麗青磁は別格の文化遺産

掛け値なしに素晴らしい
0615世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 23:12:52.020
日本史の本で、李成桂が作っていた独立政権を鎌倉幕府と比較してるのを見たことがある
最初は高麗から独立した政権を持っていたようだった
0616世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 23:16:35.530
>>615
「モンゴル帝国の属国だった高麗から、新興国の明を討伐せよと命じられ、逆に開城に攻め込んで高麗を滅ぼした」という経緯は、どうにも不自然

「もともと満州と高麗の国境あたりにある、モンゴル系の軍閥だった」と考えると、じつにシックリ来る
0618世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 23:31:03.030
>>617
賛成の1票!
0619世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 09:22:52.530
半島の青磁は日本人の憧れだった
0620世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 10:50:55.050
異民族が流入して今の朝鮮人が出来る前は良かったんだけどね
0621世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 11:17:50.870
朝鮮の白磁は、高麗に比べて明らかに技術が劣化している。とくに後期

明清の中国や、江戸時代の日本の陶磁器がどんどんカラフルになり、造形も多様化していくのとは鋭く好対照

「文化は常に進歩するものではない。ときには退歩することもある」という例
0622世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 11:20:59.190
>>621
美意識が変わっただけ。
アートは人の意識によって変化する。
0623世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 12:47:57.330
>>616
奥州安倍氏、清原氏、藤原氏みたいなもんなんじゃないの
0624世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 12:48:28.860
なるほどなあ
0625世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 13:12:01.590
モンゴル系軍閥だったら北元と新元派の高麗見捨てて明につくとか猶更あり得んわ
0626世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 13:41:24.100
>>619
チョッパリは今もKPOPに憧れてるニダ
0627世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 16:18:44.170
>>622
いや、そんなことないって

白磁といっても、朝鮮前期は透き通った純白みたいな作品もあるのだが、後期になるほどくすんだ灰色みたいになっていく

朝鮮人は極彩色を好む派手好きな国民性であり、好き好んでそうなったわけではない
0629世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 18:07:27.890
>>628
それは染色技術が無かっただけ

白衣というより、くすんだネズミ色の服
0630世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 18:22:11.480
ああいう韓服いつからあったんだろ?
ワイとか三韓の頃は流石にそんなんじゃなかった?
0632世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 19:13:57.830
日本人は衣類を藍染にしていたが、藍染の効用の一つとして衣服が長持ちするというものがある。
白衣は純潔の色であり、衣服を染めずに白のまま使うのは非常に贅沢な行為だった。
ネトウヨが思っているのとは訳が違う。
0633世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 19:25:29.960
>>631
いや、それは違う

朝鮮には染色技術が無く、そもそも染料が無かった

織物に着色するときは、野生の獣毛を使ってた
0634世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 19:27:08.140
>>632
「白衣を好んでいた」というのはウソ

現代のチマチョゴリを見ればいい
化学繊維の蛍光塗料だ
朝鮮人は、本当は誰よりも派手好き
0636世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 19:29:57.470
>>635
お前の方こそ、なんで「白衣を好んでいた」なんてウソを信じ込んでるんだよ?
0638世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:00:28.970
>>637
「白衣を好んでいた」というのがウソ
0640世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:05:52.180
>>639
それは、ウソだからだな
0642世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:09:16.920
>>641
実際、日本の統治下で経済が発展し、染料が十分に手に入るようになると、朝鮮人は大喜びで赤青黄色に着色しはじめた
0644世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:11:21.590
それ以前にも、国王とかの偉い奴は、清朝から下賜されたカラフルな服を着て、粗末な白衣を着た下々の者たちに見せびらかしていた
0646世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:17:24.750
>>645
なんだ、「ネトウヨブログ」への反証がWikipediaか?(笑)
0647世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:19:06.670
江戸時代の日本を訪れた朝鮮人の使節も、名古屋でカラフルな着物を着た日本人女性を見て、
「なんという美しさだ。これが朝鮮人と同じ人間か?」と衝撃を受けた
0648世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:21:35.580
>>646
ほんとしょーもないな
おまえ
0650世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:23:15.490
実際に、国立博物館とかで韓国人観光客の反応を見てみると良い

粗末な朝鮮白磁のあまりのショボさに、彼らも苦笑している
0651世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:24:44.410
しかし、ワビサビを好む日本の茶人は、地味な朝鮮茶碗に「素朴の美」を見いだした
0653世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:28:40.490
>>652
それにしても、お前の反応は、教祖のインチキを指摘されたときの新興宗教信者にクリソツだな
0654世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:31:21.750
染色技術がなかったという嘘がバラされた奴がなんか言ってる
0655世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:43:10.940
>>654
わかった、わかった(笑)

そういうことにしといてやろう

お前の夢が壊れなくて済む
0657世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 20:52:26.770
>>656
プッ( ´,_ゝ`) よく言うよ(笑)
0659世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:12:23.190
なぜ学問版にネトウヨがいるのか
0660世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:14:24.400
染色技術があったのにわざと白いのが好まれたのかそうでないのかちゃんと史料出して検討しろ
人格攻撃ガイジとか無意味なんじゃワレェ
0661世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:15:55.870
日本の染織の祖の錦部氏が百済人な時点で染色技術がなかったとかありえんで
織工は李氏朝鮮では被差別民扱いだったが錦部連は百済王氏に連なる一族だったから百済時代はそこそこ地位が高ったはず
0662世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:17:54.640
染色技術がないから白い服を着てたというデマを否定したんだから十分だろ
0663世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:27:32.660
>>661
「高麗時代に比べて、朝鮮時代の文化や技術は進歩するどころか退歩した」という話なんじゃないの?
0665世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:40:42.270
>>664
「本当は染色技術や染料があったにもかかわらず、あえて白い服や陶磁器ばかりが作られていた」という、かなり無理のある説を主張してるのはお前なんだが?
0666世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:44:34.060
白衣や白磁といっても、朝鮮前期には「透き通るような純白」みたいな作品があった

後期になるほど、くすんだ灰色に近くなり、限りなく地味になる
0667世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:45:15.780
染色技術がないから白い服しか作れなかったとかいう嘘を恥ずかしげもなく書き散らしておきながら
偉そうにスレに参加してる奴にいわれても。。。
0669世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:48:40.400
>>668
そりゃ、多少はあるわな

早い話が、貧しくて染料が足りなかったんだよ
0670世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:50:09.770
現に、日本の統治下で染料や染色技術を手にいれた朝鮮人は、大喜びでカラフルな服を着るようになった

現代の韓国では、伝統衣装のチマチョゴリが化学繊維で、コテコテの蛍光塗料により着色されている

それを見れば、彼らの本当の好みは一目瞭然
0672世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:51:12.710
>>623
あと松前氏とか
0673世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 21:55:57.110
近世には、絢爛豪華な景徳鎮や伊万里の陶磁器が、世界市場で引っ張りだこになっていた

それに比べて、地味もいいとこの朝鮮茶碗は、当然のことながら人気なし

近代に入って、ワビサビを好む日本の茶人が朝鮮茶碗に「素朴の美」を見いだしたおかげで、ようやく陽の目を見ることができた
0675世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 22:01:05.490
朝鮮時代には、職人に元気がなくなり、技術が衰退したが、それと入れ替わるように文人が活気づいた

高麗時代の文献の乏しさに比べて、朝鮮時代の文献は急増する
0676世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 22:18:56.160
李王朝時代の陶磁器は味がある
豊臣秀吉の侵略で技術が奪われても、持っている範囲内でアートを実現している
0677世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 22:21:03.070
>>676
誰も技術なんか奪っていない

朝鮮人の陶工が希望して、日本に移住しただけだ

朝鮮人の陶工を活用して陶磁器産業を興したのは「鍋島藩」であって、「日本」ではない
0678世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 00:17:10.340
>>587-588
面白いな。ほとんど知られていないが、結構派手にやってるものだな。
朝鮮人は農耕民なので、拡張を図るとすれば、入植と同化のコラボでローラー式にじりじり進めるのが王道。
幸い?、朝鮮族の農業文化は粗放的で、大和民族ほど農法が特定の気候風土に固着しないので、
気候風土の上でのバリアは比較的薄い。それなりに成功したのだろうと思われる。
李成桂の出自そのものより、こっちのほうが重要かもしれんね。

それに、その明の態度が中華民国とそっくりというのも興味深い。
「北方民族を追い出した漢族政権は、北方民族の従前の支配地域まで当然俺らのものだと言い出す」
一つの定理のようなものかもね。
0679世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 07:20:03.860
明側から勧告の勅令が出されたのは成化三年(一四六七)の正月である。
ドンシャンらが入朝し、大暴れしたのが四月、
彼らが帰った後、朝廷ではこの事態を重く見て討伐軍を派遣する方向で決まった。

明の成化三年(一四六七)五月、趙輔が将軍の印を授かり、総兵官に命じられ、遼東へ向かった。
七月にはドンシャン(董山)ら百十五人を広寧師府まで連行し、勅令を読み上げ、奪った捕虜を解放するように叱責する。
ドンシャンらは怒り、袖から小刀を出し、通事を刺した。

これを見たハタハ(哈塔哈)ら百十五人もそれぞれに刀を持ち、師府の警備兵らを刺しまくった。
趙輔は全員を逮捕するように命じ、その場で二十六人を刺し殺し、残りはすべて牢に入れた。

朝廷では、趙輔からの奏文を受け取り、直ちに遼東の兵二万九千人を派遣することを決定した。
朝鮮にも援軍の派遣を命じ、朝鮮からは一万五千人が送られ、五つのルートから分かれて建州に進軍した。

十月には建州右衛と左衛を責め、九百人を生け捕り、九百三十八人を殺し、明からの捕虜千百六十五人を奪回した。
建州衛も攻められ、李満住とその子・李古納哈を始めとして三百八十六人が殺され、李親子の妻ら二十三人を生け捕りとした。

このときの討伐で建州三衛のトップはほとんど殺されつくした。
死者や捕虜の数を見ればわかるとおり、彼らの人口規模は決して大きくない。

三衛合わせても戦死者は2千人にも満たない。
恐らく荘丁の数もその倍もいかないであろう。

明は、これに四万人以上の規模の軍隊を差し向けたのである。

ドンシャン(董山)、李満住などの建州満州のリーダーらが大方殺しつくされてから、
その後を担ったのは、次の世代である。

ドンシャンには息子が三人いた。
長子トロ(脱羅)、次子トイーモウ(脱一莫)、三子シボチ(石宝奇)である。
シボチが、ヌルハチから遡って四代目の祖先となる。
0680世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 07:24:50.170
>>678
派手にやっていたといっても、小規模な満州人の集団に明が大軍を送り込み、明からの命令で朝鮮も援軍を送ったというのが実際の経緯。

あとは、モンゴル帝国が崩壊して明朝が発足し、その明朝で靖難の変が起きて南京から北京への遷都という大陸の激動期に乗じて、東北でひと暴れしようとした程度。

もちろん、朝鮮も一方的にやられっ放しだったわけではないことは押さえておくべきだろうけど、過大評価は禁物。
0681世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 07:28:55.570
もっとも、東北でひと暴れといったって、このスレにも出ているように、もともと李成桂の軍自体が
満州と朝鮮の国境あたりの北方系軍閥だったと言われているのだから、はたして「朝鮮軍が満州進出を図った」と見るべきなのかどうかは何とも言えない
0682世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 09:05:30.090
>>645
白い(漂白出来ないから生なり)服というのは庶民の服。
でも、両班も色が決められていてそんなにカラフルな服は着れなかった。
カラフルな服を来ているのは公認売春婦の妓生。
チョンドラのファンジニでチョン自身がそう解説してたが。
0683世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 09:12:57.590
染色した衣服を着られるのは裕福な両班クラスで、そのレベルでも結構な贅沢だった
庶民が白衣ばっかだったのは、朝鮮末期に貧民の洗濯の様子の記述から察するに
まず水に晒したあと棒でバンバン叩いて汚れを落とす方法を使ってたから
衣服を使い倒すのには白衣の方が都合がよかったってのはあると思う
染色技術自体はあっても、利用できるのはかなり限られた階層だったんだろう
0684世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 11:16:42.380
>>587
成化三年(1467年)だと政治基盤が強かった世祖が死ぬ前年だから、満州進出は無理だろうな。
0685世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 12:15:58.970
>>682
そう言ってたな

「両班の妻は、儒教倫理に縛られてお洒落しようにもできない。
綺麗な衣装を着られるのは我々の特権なのだ」とかなんとか、
ヘンス様が新人キーセンに語っていた
0686世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 12:20:32.770
国王クラスの貴人になると、清朝から下賜された色彩感のある服を着ていたが
0687世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 12:37:31.100
道が綺麗になって洗濯が簡単になった現代ですら上下白の服なんか汚れが気になっておちおち着てられない

庶民が好き好んで白服着てるとかありえんだろ
0688世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 12:42:06.490
>>687
だから白じゃないよ。
漂白してない麻や苧麻の生成色。
現代のオフホワイトよりも茶色い
使い古した雑巾みたいな色。
だから汚れなど気にする以前の色。
0689世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 12:49:22.250
>>687
何か、根本的なところを誤解しているな

朝鮮人のいう白衣を、「漂白した服」と勘違いしてないか?

実際には無漂白・無染色で、白というより、くすんだネズミ色
0690世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 12:50:21.470
>>688
そう、そんな感じ

「白衣」というより、「雑巾」とイメージ
0691世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 13:00:39.660
下劣なネトウヨがうじゃうじゃ集まってくるな
0693世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 15:20:45.780
>>692
祖国を美化したい心情は理解できなくもないが、歴史は客観的に見るべきだ
0694世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 15:21:17.810
いちいち悪意を込めたレスしかしてないように見えるけど
どこが客観的なのか?
0695世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 17:32:36.960
貧しい階級がいかに貧しかったかの話だろ
0697世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 17:47:07.650
>>694
客観的科学的に説明してやる。
あのな、無漂白の植物繊維の色は種類による差はあっても、
木質部の地色のベージュ、つまり、全く無漂白なら、
麻袋の色なんだよ。因みに、この麻袋のベージュの
色彩のRGB比率は188:167:141。白に近く色盲でない肉眼で
白っぽく見えるためには、RGB比率は200:200:200を
越えるのが目安。
無漂白の植物繊維の木質部の地色である以上、
200:200:200になることは科学的にあり得ない。
つまり、麻袋色≒雑巾に近い色彩となる。
科学の原則はパヨクやチョンの感情論では変わらない。
チョンはデジカメでは敗退してSAMSUNGですら、
市場から撤退したが、RGB比が大きく白からずれている色を
白と判断するなら、ホワイトバランスがいい加減なガラクタ。
市場から撤退も当然。
0698世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 17:58:26.300
今の論争、高麗史に直接関係するのか? しないだろ
史料に当たって工芸史を直接議論してるんならまだしも、少なくとも話の途中からは全くそうじゃないな
傍から見てて、単に蔑視目的の茶々入れにしか見えんのだが

高麗青磁の議論辺りに戻すのが妥当かと
0699世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 18:27:06.610
>>697
じゃあはじめからいちいちねずみ色とか雑巾とかしょーもない書き込みしなきゃいい
0701世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 18:31:00.700
純白が美しくてそれ以外は雑巾とかいう主観しかないレスのどこが客観的なんや笑
0702世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 18:35:43.440
>>698
高麗青磁じゃうまいこと蔑視できないから断る
くすんだ色の茶碗を叩いてストレス解消させろ
0703世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 18:45:09.180
>>701
んなこと言ってないだろ

お前が「白衣」という言葉から、何か違うものをイメージしてそうだったから訂正しただけだ

だからどうだってわけでもない
0706世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 19:22:31.600
RGB比が255:255:255でない限り、
純白ではない。
ホムセンで売られてる雑巾を使い古した場合の
RGB比は無漂白の天然植物繊維の木質由来の色に
近くなると科学的に説明してやってんだ。
ホワイトバランスがまともな日本製、ドイツ製(ライカ)、
スイス製(ジナー)、スウェーデン製(ハッセル)あるいは
デンマーク製(フェーズワン)のデジカメで撮って
PhotoshopでRGB比を見れば客観的に明白。
カメラについてはホワイトバランスがいい加減なチョン製は
あり得んが。SAMSUNGのスマホもカメラ部はソニー製だもんな。
0707世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 19:24:07.400
きみらここ高麗史のスレって分かってるか?
話がそれ過ぎなのに、いつまでも口げんか続けるのはやめろよ

はいそれじゃこれ論題で
「五代十国〜宋と、初中期高麗と、平安末〜鎌倉初期の日本の
商工業・貨幣経済発達と交通網拡充の相互影響」
0708世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 19:27:40.890
>>679
これはむしろ中国史の問題なんだろうけど、「いっつも軍事オペのレシオ(人間の比率)がおかしい」んだよな。
どっちかの桁が2つぐらい違うんじゃね?という話がザラにある。

衆寡敵せずで漢族側が押し切る場合は、まあそれはそれなんだけど、
逆に、ありえないレシオで漢族側が惨敗することがよくある。こっちは説明がつかない。
そりゃ漢族は弱兵だというのはそうなんだろうけど。
0709世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 19:34:25.220
李成桂は高麗人系モンゴル軍閥というところか
それとも所属が単に元というだけか
0711世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 19:46:32.910
>>707
高麗は銅資源に乏しいから鉄銭を流通させようとしたが、
貨幣経済よりも物々交換交換を好んだ農民と政府による
経済統制を嫌った貴族層の反発で貨幣経済は発達しなかった。
一方我が国においては平氏政権以降、保守的な朝廷や
幕府が貨幣流通を制限時間しようとしても、
貨幣流通の勢いは衰えなかった。
0713世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 19:59:05.900
>>708
成化十五年の人口が7000万なんで4万程度の兵力を揃えることぐらいザラでもないと思うが
むしろ少なすぎるぐらい
人口比でいうと同時代の日本の兵数のほうがよっぽど異常だろ

そもそも歩兵主体でいくら数で勝ったところでほぼ全員騎乗でゲリラ戦をしかけくる遊牧民を押せるわけないし
例えば明側が大勝した永楽帝の5回に渡るモンゴル遠征でも騎兵でひたすら追撃戦をしかけるという戦法で勝利してる
0714世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 20:04:22.270
>>711
ちょいまち
日本で平氏政権が孤立したのは
貨幣経済に不慣れで農産品現物取引が慣例だった社会一般層が物価高騰に反発したのが
大きな要因の一つじゃなかったか
高麗はむしろ商工業重視の傾向があったぞ
0716世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 21:25:47.320
>>715
数値データも出せないアホはIT時代のシーラカンス。
チョン推ししても、チョン語も話せんのだろう。
デジタルデバイド、リンガルデバイド。
0718世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 21:34:03.330
>>715
データの内容について全く無知で反論出来ない時代遅れの老害。
色目とRGB比について、科学的論理的に反論してみな。
まともに反論も出来ないから定性的な似非関西弁で戯言書くのがせいぜいだな。
0719世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 21:44:13.450
>>718
誰も色の話なんて問題にしてないのに
いつまでも一人で騒いでる馬鹿笑
0720世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 21:47:03.860
>>717
元末明初の大陸の混乱と、明代初期の重農主義政策の波及が大きく影響してるのではないか?
日本も、貨幣経済が室町中期以降に定着するまでには、宋銭・明銭の輸入と使用が長かった
永楽通宝などは日本でも有名な通貨だろう
0721世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 21:52:33.050
>>717
あと、元末の大陸は紙幣の濫発で大インフレが起こって
通貨そのものがまともに機能しなくなってた事情もあるし
0722世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 07:41:52.570
高麗は貧し過ぎて元朝の税制の適用外になったほどだから、大した国力ないだろ
0723世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 08:18:57.200
>>722
どの時期にどの程度の免税が施行されていたかはっきり説明が無いと何とも言えない
そもそも高麗は元と長年に亘って戦争状態にあった
離反の恐れを抱える元側としては放置できなかっただろう
0724世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 22:23:29.130
>>723
元は高麗よりも国主が駙馬の属国では、
ウイグルの方が遥かに上のランクとしての待遇だろ。
元にとっては、ウイグルは重要だが、
高麗なんか疲弊して住民が全滅しても、
知ったことじゃない位にしか考えてない。
0725世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 22:53:39.770
「モンゴル帝国の覇権と朝鮮半島」 (世界史リブレット)って本では高麗とウイグルは同格ってことになってたがな
0726世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 00:52:01.720
高麗は西域との貿易路にあたる要衝のウィグルと同格
元朝にとっても大きな存在だった
高麗の国王は蒙古人と結婚していたため、ネトウヨの類は高麗王を蒙古の蛮族だと大げさに言っているが、元朝の皇帝アユル・バルワダやトゴン・テムルもまた高麗人を妻としていた。
高麗王家は元朝皇室にとっだ有力で大切な姻族であったわけだ。
0727世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 01:53:18.670
誇らしいニダ
0728世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 02:04:07.360
高麗が重視されたのは日本のお陰だぞ。
日本の脅威に対する最前線としての価値なんだから。
だから高麗国王は対日機関である征東元帥府の長官と兼任だった。
0729世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 04:55:03.300
高麗時代は半島>>>>日本だった
0730世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 09:38:19.020
独立守った時点で日本の方が半島より遥かに上だろ
0731世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 10:13:50.330
>>726
歴代の高麗国王は皆、モンゴルから王妃を迎えたため、子供は半分モンゴル人のハーフ、孫は4分の3モンゴル人のクォーター
・・・という調子で、代を経るごとにモンゴル人の血が濃くなり、次第にモンゴル人そのものと化していった

しかも、母子とも人質に取られて北京生活が長いから、しまいには、現職の国王でありながら、「故郷に帰る」と言って北京に行幸したまま戻ってこない王も出るありさまだった
0732世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 10:18:55.730
>>726
>元朝の皇帝アユル・バルワダやトゴン・テムルもまた高麗人を妻としていた

それは、韓流ドラマのネタになってた話だな

貢女として献上された高麗人女性が、召し使いとして皇帝の身辺の世話をするうち皇帝の子を産んだという、元朝末期のエピソード

その頃は、高麗出身の有力な宦官もいて、ドラマにも出てくる
0733世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 10:30:14.380
>>729
まあ、世界の覇者・モンゴル帝国との距離感から言ったら、その通りだけどな

最近の韓国メディアには、極めて良好な日米関係や、改善に向かっている日中関係を妬み、「それに比べて我が国の外交は・・・」という論調が多いが、
これは朝鮮人に特有の発想で、日本人にとっては日米関係が良くなることで「日本の国格が上がった」とは感じない
0734世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 11:22:16.190
またアスペガイジがいちいち悪意に満ちたレスしとるんかw
0735世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 11:34:05.660
>>734
お前が高麗を過剰に美化するから、訂正を入れざるを得なくなる

普通にやればいいんだよ、普通に
0736世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 11:41:47.090
普通に見れば、普通の国だ
0737世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 11:50:09.640
それはともかく、高麗がどれくらいのレベルで「自治国」だったかは、征東行省をどう見るかによる↓

征東行省が臨時機関から常設組織へと変質した1287年以降は、政治・軍事に加え行政も征東行省によって処理されるようになり、
高官以下行政官の人事権も征東行省が握り、賦税も元の朝廷へ収めるよう変更されるなど、旧高麗は直接統治下(羈縻支配体制であり、
他の行省ほど集権的ではなく、一定の自治権を残していたと考えられている)に組み込まれていった。

イルハン朝で編纂された『集史』には「(高麗王)はクビライに寵愛され王と称してはいたが、実際には王では無かった」とある。
高麗王が官制をモンゴル式から高麗風に改めようとした事もあるが、元の役人から反感を買って廃され、達成されることは無かった。
0739世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 12:12:19.370
>>738
わかった、わかった

お前の相手してると、高麗の話じゃなくなる(笑)
0740世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 12:57:43.020
それにしても朝鮮人は夜郎自大だなぁ…w

ウイグルと高麗では、モンゴルからみた重要性が桁違いだろうに。
モンゴル視点からみて、ウイグル人は「一番近い隣人の色目人」であって、
「西への進出に関する最重要顧問団」なんだぞ。
この時代のウイグルは、まだ仏教徒であること以外、
今の東トルキスタンのウイグル人にかなり近い文化・人種構成になってる。
印欧語系のオアシス農耕民を取り込み、シルクロードを股にかける最強商業民族ソグド人と深い関係を持ち、
すでにアナトリア半島まで広がっていたトルコ系言語を操る。
しかもモンゴルのすぐ隣に住んでて昔から気心が知れてる。最強の顧問団だ。優遇されないわけがない。

このような有用性が高麗に一つでもあるか?全く何もない。何もないんだよ。
モンゴルからみれば役立たずそのもの。しかも中華本土と違って貧困だから収奪もできない。
逆に、なんであそこまでモンゴル朝廷に食い込めたのか?のほうが本当に謎。
言葉悪いが、下半身外交の成果?とすら邪推してしまう。それぐらいしか理由が出てこない。
0743世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 14:30:08.220
>>737
>イルハン朝で編纂された『集史』には「(高麗王)はクビライに寵愛され王と称してはいたが、実際には王では無かった」とある。
これ誤訳じゃね?
ラシードの記憶違いの可能性もあるが
「元史」108巻の諸王表だと
「駙馬高麗國王 王ェ,至元十一年封。」
王ェ(忠烈王)が至元十一年に駙馬國王として冊封されたことが書かれている
また卷二百八 列傳第九十五では忠烈王の父の元宗も中統元年四月に
「王印及虎符賜之。」と王印を与えられてるので元朝のお墨付きが与えられているので
「集史」の記述が本当にその通りだとしたら不可解

征東行省は長官は忠烈王以降は高麗王の代々世襲なので実質的に高麗王朝と同一機関とみて良い
なぜそのような煩雑なことになっているかはこれを参照して欲しい

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/33298/1/14(1)_P123-167.pdf
0744世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 14:50:00.940
下半身外交などという下劣な発想が出てくるところに人間性が表れてるな
凄まじい底辺性丸出しなのがネトウヨの特徴
0745世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 14:51:08.310
地位としては王でも、人事権や税収を元の役人に握られてる状態を、「王だけど王じゃなかった」と表現されるのは別に不可解にも感じないが
0746世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 15:10:24.740
第一章で、高麗の対元付属期に設置されていた征東行省について説明したが、要するに、
元は高麗王を征東行省長官という形で把握し、その高麗王をして高麗の統治に当たらせ
ていたのであり、一方高麗王はそのような形で元の庇護を受けることによって、国内で
の支配者としての地位を保持していたのである。
0749世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 17:00:27.290
実態が悲惨過ぎて反論できなくなるとレッテル貼りに逃げる
0752世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 17:29:30.910
>>740
まあ、まったく役に立たないは、さすがに言いすぎだけどな。
北京から朝鮮半島は、けっこう近いぞ。しかも、古来から統治困難の地である満州を間に挟んでいる。

その先には日本がある。日本も、資源が豊富な国であり、潜在的な脅威でもあり、無視できる存在ではない。

高麗は貧しくて経済的にはお荷物だが、地政学的な重要性は決して低くない。
0753世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 17:34:44.930
>>748
実際に、高麗が献上した貢女が、北京でモンゴル皇帝の子を産み、そいつらの一族が外戚としてソウルで権勢を誇ったりしているのだから、下半身つながりは無視できない

むしろ、朝鮮半島の歴史では、そういうのが重要だ
0754世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 17:35:30.050
ソウルじゃなかった、開城だな(笑)
0756世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 17:42:47.900
>>750
いや、実際に、高麗の歴史は悲劇的だ

かなり悲惨な歴史であり、朝鮮人は歴史を勉強するのが嫌になる

しかし、忘れてはならないのは、遼・金・元に侵略され支配されたのは、高麗だけではなく、中国も同じだということだ
0758世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 18:06:00.490
染色ガイジの染色体は奇形だって
はっきりわかんだね
0759世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 18:48:25.650
ネトウヨ=ガイジ
0760世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 19:28:24.840
行間空けオジサン以前も品詞や動詞の意味がわからなくてバカにされてたけど
どうしてそんな小3国語レベルのこともわからんのや?
0761世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 19:28:55.000
ナショナリズムむき出しな奴は、そろそろスッ込んだらどうか

祖国に帰って慰安婦像でも拝んでろ
0762世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 19:29:56.830
>>758
朝鮮人は朝鮮に帰れ

糞バカが
0763世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 19:31:21.780
不逞鮮人は、人間のランクが低い
0764世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 19:40:28.690
高木正雄とかいうネトウヨも朝鮮の民族史は情けないって言ってたわ
0765世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 19:40:40.970
ウンコウヨ
0766世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 19:41:32.910
反日朝鮮人には、国外退去を命ず
0767世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 19:44:03.600
ヒロヒトとかいうチョンは日本人には理性がないって言ってたわ
0768世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 19:47:00.120
ガイジ大暴れの巻w
0769世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 19:47:11.380
ウンコを喰らって生き延びてきたミンジョク
0770世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 19:51:40.820
という妄想だったのさ
0771世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 21:17:06.470
>>740
高麗が元から重視された理由ははっきりしてる。
モンゴル軍が完敗した対日本の最前線だからだよ。

1324年
「小邦は日本に隣接する極辺の要地である」

1339年
「(高麗は)未だに服属しない海中の倭に隣接してるため、事変の発生を危惧しないわけにはいかない」

1348年
「本国は日本というまつろわぬ国に隣接しており、1日として国主なしではいられません」
0772世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 22:13:39.040
>>752
>>771
その通りっちゃその通りで、モンゴルにとって高麗が役に立つとすれば、「日本対策」に限る。確かにこれはある。

だが、具体的に考えてみてほしいんだ。モンゴルにとって対日関係がどういう意味を持つのか。
この時期のユーラシアにおいて日本の役割は、「硫黄と鋼鉄武器の供給源」にほぼ尽きる。
モンゴルとしては、(南宋征服前の段階では)
日宋貿易で硫黄と鋼鉄が南宋に流れ込み、南宋の軍事力強化に使われている状態が一番の問題。

問題はわかったとして、これについて高麗がどんな役割が果たせるか?
実は何もできないんだよね。もちろん外交ルートで高麗に発言権はまったくない。割り込みようがない。
東シナ海の制海権を握っているわけでもない。
せいぜい、東シナ海に海賊を繰り出して散発的な通商破壊をするぐらいしか、できることはない。
0773世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 22:36:58.970
いいや元寇の音頭をとったのは高麗の忠烈王だぞ
元々フビライは趙彝の脅威にもならなければ大した資源もないという発言を信用して
日本に遠征せずという方針だったし
0774世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 22:42:31.660
高麗は日本遠征に反対していたのだがネトウヨの認知は曲がっているのかな?
蒙古人によって国土は禿山だらけとなり高麗の人達は大変な苦しみを受ける事になった
ネトウヨはちゃんと勉強した方がいいぞ
0775世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 23:05:56.660
ネトウヨは史料読んだことないから
読めるのはまとめブログだけ
0776世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 23:08:18.300
ぴょまうぇらちゃんと史料を出して物を言わんかい
0777世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 23:11:27.020
ここは染色ガイジの面白レス披露のスレッドじゃないんやが🤔
0778世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 03:31:49.600
ネトウヨは偏差値低いんだろ
0779世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 07:04:16.680
>>774
そりゃ、日本侵攻のために大量の船舶を建造したのだから、朝鮮の貧弱な国土では、木材を伐り尽くすことになるのは当然
0781世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 09:39:18.690
忠烈王は日本侵略に積極的だった。
理由はクビライが是が非でも日本を征服したいと考えていたから。
クビライにはモンゴル帝国が世界を征服しなくちゃいけないと言うテングリ思想があるからね。
高麗にも「朕は宋と日本とを討たんと欲するのみ」と通達してる。
忠烈王はケシク入りしてクビライの身近にいたから空気を読んだんだ。
0782世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 09:45:56.760
つくる会の神風史観を信じてしまう低偏差値
0783世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 11:50:47.710
忠烈王が日本遠征に積極的だったのは事実だろ(阿る手段に過ぎなかったとしても)
それでネトウヨ認定か…
結局朝鮮上げでなきゃ全員ネトウヨって言うんじゃその見下してるネトウヨの在日認定と何も変わらないと気付かないのか
0784世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 12:28:52.820
>>783
最初は反対していたけど、
日本遠征が避けられないようになると積極的に賛成するようになったということらしい
反対しても無駄なら日本の領土の一部でももらえるようにしたほうがいいと思ったんだろう
0785世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 12:39:47.650
ネトウヨが散々荒らしたから過敏になるのは仕方ないのでは
0786世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 18:43:22.060
>>785
早めに神経科の治療を受けることをお勧めする
0787世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 19:01:53.860
別に「朝鮮サゲじゃないと在日認定」なんてことはないぞ

「おそらく、朝鮮学校で歴史教育を受けた」と推定される人間を在日認定してるだけだ

こればっかりは、日本人の左翼とも微妙に違う
0788世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 20:06:17.190
とにかく早いとこ高麗史の話に戻してくれ
脱線水掛け論はもう見飽きた
あとそれから、議論で或る説を唱えるなら、極力、出典を添えてくれ
そうでないと眉唾ものまでごっちゃになりかねん
0790世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 21:06:58.450
>>788
お前が、ウソをウソを見抜く目を養えばいいだけだ

鍛え方が足りんぞ
0791世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 21:08:03.600
「ウソをウソと見抜けない者に、5chをやる資格は無い」だったな?
0792世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/10(月) 21:09:42.800
朝鮮半島の歴史は、ファンタジー史観が跳梁跋扈して収拾がつかなくなっている

「出典」なんか示したところで、まるで信用できない
0794世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/11(火) 01:08:57.790
>>793
お前はバカだ
0795世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/11(火) 01:21:38.380
朝鮮人は人間のランクが低い
0796世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/11(火) 02:21:38.540
品性下劣なネトウヨがなぜ学問板に沸くのだ?
便所の蛆虫かよ
0797世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/11(火) 02:25:48.670
>>796
ここは便所か?
0798世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/11(火) 02:35:31.180
創作歴史ファンタジーはもうやめろ
0799世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/11(火) 02:42:47.180
もはや、日本サゲ韓国アゲが笑って許してもらえる時代ではなくなった

親韓派は日本の社会から排斥される
0801世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/11(火) 08:23:13.400
>>771
高麗は文化的には元からTakeするのみ。
♀チョンの髪飾りのペッシテンギと
頬に赤丸描くメイクはモンゴルの真似。
ガキの時の辮髪もモンゴルと女真の真似。
ハングルもパスパ文字の真似。特に、
Rの文字要素はパスパ文字と一緒。
高麗が元にGiveしたのは貢女のみ。
おかげで、モンゴル人に顔が醜くなる
悪い遺伝子移してしまった。
モンゴル人は本来サハ族やトゥバ族と
いった東方チュルク系民族と同じ顔立ち
だったのに糸のように細い一重瞼の吊目を移してしまった。
0805世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/11(火) 12:57:11.300
新羅や高麗について書いた本ないの
0806世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/11(火) 13:02:43.540
>>805
高麗時代史の関係だと、たとえば京大出版会から専門書が出たりしてる
0807世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/11(火) 17:02:31.470
 
      ∧∧
     / 支\
  ミ ○(#`ハ´)ムカツクアルヨ!!
  ヽ  彡⌒○))
 ミヘ丿  ∩Д´;> アイゴー!!
 (ヽ_ノゝ_ノ
0808世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/11(火) 18:05:48.130
>>801
NTUY兄貴はチョンコ兄さんの文化をよく知ってるんだなあ(飽きれ)
0810世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/12(水) 10:59:28.450
そして父さんはチャンコロだゾ
0811世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/12(水) 12:43:33.810
シナ人は父

チョン人は兄の国
0814世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/12(水) 16:39:17.890
   彡⌒ミ ⌒ミ
  ( `ハ´)`д´> ニダァ〜♪
  /  つ つ
(( (_(_  ノ ノ
  し∪ ∪
0815世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/12(水) 18:16:49.750
不逞鮮人を日本から追放しよう
0817世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/13(木) 00:36:43.700
>>815
 
   彡 ⌒ ミ   彡 ⌒ ミ
  ( `ハ´)  (`ハ´ ) )).←中国人民志願軍
  ( i    つ ミr'    ヽ
  (  .っД´ll;>`⌒し  ) ))
  (_ノ_ノととノ_,. (_ンj__ン' スコスコ
      ↑韓国軍
0818世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/13(木) 05:52:56.670
慰安婦ハルモニを侮辱するな
0819世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/13(木) 06:55:14.630
反省して謝罪するニダ
0822世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/13(木) 21:51:55.540
鮮人に駆逐された
0823世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/13(木) 21:52:26.510
世界で一番すぐれたミンジョク

朝鮮 朝鮮 朝鮮人
0824世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/13(木) 22:01:21.980
馬鹿チョンw
0825世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/13(木) 22:16:52.920
高麗の建築があればいいけど、さすがにもう無いだろうな
0827世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/13(木) 23:42:09.530
>>819
ついでに賠償も要求するニダ
0828世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/13(木) 23:43:52.390
 
      彡⌒ミ
パン   ( `ハ´)←中国人民志願軍
 パン / ∪ ∪
  (( (  /⌒ヽ 彡⌒ミ
    〈__>ゝ つ ;`Д´>つ←韓国軍
0830世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 02:01:27.550
ネトウヨは存在しない
0831世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 07:15:25.030
朝鮮人民軍は存在する
0832世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 08:05:41.320
>>825
韓国政府の実効統治領域側だと、
寺院建築や客舎門といったものに高麗期の建築物で現存するものがあるようだね
0833世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 09:39:37.300
現存する最古の建造物 (高麗末期)

1376  浮石寺 無量寿殿(国宝第18号)

修徳寺の大雄殿(国宝第49号)、鳳停寺の極楽殿(国宝第15号)と共に韓国最古の木造建築の一つとされている。

扁額は恭愍王(在位1351年 - 1374年)の親筆である。1916年の解体補修のさい、1358年(恭愍王7年)に盗賊によって建物が燃やされ、
1376年(禑王2年)に再建したと書かれた墨書銘が発見された。
0834世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 10:12:42.790
>>833
そのレスの内容、違うと思う

そのレスは何の出典から引用したのか知らないけど、
韓国側で現存最古の高麗時代木造建築物は、修徳寺の大雄殿であるとされてる
(大雄殿とは、中国や朝鮮半島の禅宗系寺院でいう本殿のこと)
修徳寺の大雄殿は1308年建立

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/修徳寺
0835世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 10:56:52.330
鳳停寺(ほうていじ)は、 慶尚北道安東市にある仏教寺院である。
韓国仏教の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の第16教区本寺である孤雲寺の末寺にあたる。
韓国で最古の木造建築の一つとされる極楽殿(国宝第15号)で知られている。

1625年(仁祖3年)の上梁文には、1363年(恭愍王12年)に屋根を修理したことが記録されており、少なくとも高麗中期にあたる1363年以前に極楽殿が建てられたことがわかった。
建立年代に関する確実な資料はないが、現在鳳停寺極楽殿が韓国最古の木造建物の一つといわれている根拠はこの上梁文によるものである。
0836世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 10:59:30.830
>>834
どれも、建立年代に関して確実な証拠は無いんだよ

だから、この3つをまとめて「韓国最古の建物」と言っている
0837世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 11:22:45.950
>>836

>>833 の内容については、再建時期がはっきりしてるでしょ
その他は、それより明確に古いよ
0838世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 12:06:52.580
>>837
そうだな

「韓国最古の木造建築」といえば、通常は上の3つがセットで挙がるんだけど、人によっては浮石寺の無量寿殿を「最古」から外す人もいる
0839世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 19:43:05.890
あとは、高麗といえば高麗仏画だな

高麗仏画は高麗時代描かれた仏画である。独特で精巧な図様と、細密で華麗な装飾文様を備えた豊かな絵画表現を持ち、
韓国美術史にとどまらず東アジア美術史においても優れた芸術的価値を持つ作品群である。

現存する高麗仏画は、世界で約160点あるが、そのうち約130点が日本にあり、欧米に17点あり、韓国国内にはたったの13点しかない。
0840世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 19:44:03.270
韓国では、日本にある高麗仏画の多くは倭寇が略奪したものだとしているが、日本では、李氏朝鮮が仏教を弾圧したため日本に流出したものだとしている。

また、日本の高麗仏画には由来に豊臣秀吉の朝鮮征伐の際の戦利品と書かれてあるものもあるが、
この由来書について 上垣外憲一は疑ってかかる必要があり、当時は分捕り品とした説明した方がかっこいいこととされていたことも考慮する必要があると述べている。

李氏朝鮮政府は、仏教弾圧政策をする一方で、高麗仏画は日本に高価で取引されるため貿易品として輸出したり、また日朝親睦のため贈答したこともあった。
0841世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 19:53:27.630
韓国人窃盗団が日本から高麗仏画を次々と盗む事件が起こっている。

1998年に大阪府太子町の叡福寺の「楊柳観音像」、2001年に愛知県豊田市の隣松寺の「絹本著色観経曼荼羅」、2002年に兵庫県加古市の鶴林寺の「絹本著色阿弥陀仏三尊像」が盗まれた。
2004年10月にソウルで韓国人窃盗団が逮捕され、この窃盗団の犯行であることが分かった。
韓国では、日本にある高麗仏画は文禄・慶長の役や日本統治時代に略奪されたと認識されており、
窃盗団は「神が『日本が略奪した我が国の文化財を取り戻せ』と言った」と主張したが、盗品をすぐ売却して金に替えており、金銭目的の犯行だと判明している。
2005年1月には懲役判決を受けた。

「絹本著色阿弥陀仏三尊像」は韓国に持ち込まれた後、6回の転売を経て慶尚北道の寺に渡ったことが分かったが、その後また行方不明になった。
「絹本著色観経曼荼羅」も韓国に持ち込まれたことが分かっており、「楊柳観音像」も韓国に持ち込まれたと言われている。

2005年8月にも韓国人4人組が、大恩寺 (豊川市)で国の重要文化財である絹本著色王宮曼荼羅図を盗もうとして、
住職の長男を包丁で刺して重傷を負わせる事件が発生した。犯人たちは2014年4月までに全員逮捕された。
0842世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 20:01:12.320
朝鮮人の窃盗団に注目が集まりがちだが、もちろん、正規のルートで購入する人もいる

高麗仏画の傑作である14世紀中葉頃の「水月観音図」1点が、韓国国立博物館に収められた。国立中央博物館は17日、
(株)韓国コルマーホールディングスのユン・ドンハン会長から「水月観音図」の寄贈を受ける記念行事を開き、観音図をマスコミに公開した。

ユン会長は今年初め、日本の古美術業者から約25億ウォン(2億3千万円)でこの作品を購入し博物館に寄贈した。
「水月観音図」は、仏教経典『華厳経』の「入法界品」に出てくる観音菩薩の居所と姿を描写した仏画だ。
高麗仏画の中でも色感、構図、描写力に優れているため高麗仏画の白眉とも呼ばれる。

http://japan.hani.co.kr/arti/culture/25419.html
0843世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 20:53:14.730
しかしやはり残っている建築は高麗末期のものだけか
0844世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/14(金) 21:50:24.370
>>843
もともと東アジアの古典建築物は基本的に木造が大多数のうえに、
激しい戦が多い時代も実際に経ているから、そのあたり已むを得ない事情はあるな
0845世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 05:48:39.040
>>844
高麗青磁・高麗仏画・仏教寺院とも、本国では忘れられ、埋もれて捨て去られていた

20世紀の日本統治期に、文化財として再評価され、陽の目を見ることになった

まあ、日本でも、浮世絵などは欧米人から高く評価されなければ消えていた可能性もあるが、それと似たようなものだろう
0846世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 15:05:26.850
李氏朝鮮時代は仏教が衰えていたのも大きいだろうな
イスラム教やキリスト教になった訳じゃないから積極的に破壊したわけでもないかもしれないが、
忘れ去られて朽ち果てた文化財は無数にありそう
0847世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 15:48:19.400
>>846
いやいや、イスラム教徒も真っ青なほど徹底的に破壊した

山の上にある寺だけは、かろうじて生き残った
だから韓国では、寺といえば山にある
0848世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 15:49:02.390
李王朝時代の文化停滞は豊臣秀吉の侵略の後遺症
あと当時最先端の中国の性理学の影響もある
後金の入寇はあくまで軍隊同士の戦いだったが
秀吉の入寇は民間人を殺戮するひどいものであった

半島に歴史的文物がないと誹謗してるネトウヨは
実はその原因の多くが自分たちの先祖の戦争行為で
ある事を自覚していない
0849世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 15:50:42.480
高麗仏画は、幸運にも日本に渡った作品だけが残った

普通の国なら、「日本よ、我が国の古い絵画を保存しておいてくれてありがとう」というところなんだが・・・
0850世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 15:51:36.850
>>848
そう思いたいのは分かるが、そろそろ夢から覚めるべきときが来ている
0851世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 15:57:58.410
>>848
↓清と朝鮮の和議の内容

朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと。
朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清国へ引き渡すこと。
王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること。
清国が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること。
内外(清国)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。
城郭の増築や修理については、清国に事前に承諾を得ること。
清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること。
清国が鴨緑江の河口にある島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること。
清国からの逃亡者を隠してはいけない。
日本とは旧来通り、貿易を行うこと。
清国に対して黄金100両・白銀1000両と20余種の物品(20余種の物品とは具体的には、清国に朝鮮人美女、牛、馬、豚など各々3000などの物品のこと)を毎年上納すること。(出典:朝鮮王朝実録 仁祖録 仁祖十四年一月二十八日)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9e/%EC%9D%B8%EC%A1%B0%EC%9D%98_%ED%95%AD%EB%B3%B5.jpg/250px-%EC%9D%B8%EC%A1%B0%EC%9D%98_%ED%95%AD%EB%B3%B5.jpg
0852世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 15:59:56.580
1636年12月29日(旧暦12月2日)、ホンタイジは自ら10万の兵力を率いて当時都としていた盛京(瀋陽)を発ち、翌年1月5日(旧暦12月9日)には鴨緑江を渡って朝鮮に侵入した。
義州府尹の林慶業(朝鮮語版)は白馬山城を固めて清軍に備えたが、清軍はこれを避けて漢城に向けて進撃した。
9日、朝鮮の朝廷は清軍侵入の事実を知ったが、10日には清軍がすでに開城を通過していた。朝鮮朝廷は急遽、漢城と江華島の守備を固め、宗室を江華島に避難させた。
10日夜には仁祖も江華島へ逃れようとするが、清軍に道をふさがれ、やむなく1万3000人の将兵と共に南漢山城に逃れたが城を包囲され、40日余りの篭城の末に降伏、和議が結ばれた(三田渡の盟約)。

1637年2月24日(旧暦1月30日)、仁祖は城を出て、漢江南岸の三田渡にある清軍陣営に出向き、清に対する降伏の礼を行わされた。
仁祖は朝鮮王の正服から平民の着る粗末な衣服に着替え、受降壇の最上段に座るホンタイジに向かって最下壇から三跪九叩頭の礼による臣下の礼を行い、許しを乞うたという。
0853世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 16:02:28.090
清のホンタイジから5度も侵攻を受け、ボコボコにされて、最後は国王が土下座して隸属を誓うことで、やっと許してもらえた

これについては何も言わず、その数十年前の「豊臣秀吉」のことばかり騒ぐのが、朝鮮人の不思議なところ
0854世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 16:53:32.050
建築も絵画も仏教のものだからか、
同時代の日本とあまりかわりばえがしない
0855世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 17:03:56.200
高麗仏画で見どころなのは、なんといっても、繊細で優美な装飾です。
仏様が身につける衣に描きこまれる、唐草文、亀甲文、鳳凰文などの文様は一分の隙きもないほどの細かさです。
そのほとんどは、日本の仏画でよく用いられる截金(細く切った金箔等を張り合わせて文様を表現する技法)ではなく、金泥(金の粉末を膠でといたもの)で描かれます。

また、顔料同士を混ぜ合わすことなく使用するため、衣の地に用いられた、朱、緑青、群青などの鮮やかな色が、ダイレクトに目に飛び込んできます。

私が最も目を奪われたのが、白いベール状の布の描き方です。日本では薄く白い絵の具を塗ることで表しますが、
高麗仏画の場合、一気に塗ってしまうようなことはせず、細い線を網状に引くことで表しています。
無数の白い線を書く、気の遠くなるような作業ですが、そのかわりベールの下の肉身や衣の色が邪魔されることはありません。

また、装飾以外にも日本の仏画と高麗仏画の違いはあります。根津美術館の学芸員、白原由起子さんは次のように説明します。

「高麗の阿弥陀さんは、日本と同じ来迎図として描かれていますが、向きが逆です。
日本では向かって左から右に角度を付けて描かれますが、高麗では例外なく右から左に描かれ、角度もあまりつきません。
ゆったりふんわりといった雰囲気です。風の表現もあまりなく、画面に大きく、威厳をあらわすように描かれます」

日本でも同時代に、京都・知恩院の阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)に代表される来迎図が多く生み出されましたが、
そのドラマチックな描き方に比べると、確かに静謐で荘厳な雰囲気を感じます。

隣国同士でこうも表現が違うことに驚きます。
0856世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 17:18:55.250
インドネシアなんかイスラム化で計り知れないほどの文化財を失っただろうし、
やはり李朝以降も仏教が中心のほうがよかったな
あと、日本と違って在来の多神教が(仏教に次ぐような)地位を得てないのも残念。
0857世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 17:41:39.520
>>856
イスラム教徒は偶像崇拝を極端に排斥するので、イスラム化すると彫刻が衰退する

インドネシア美術の中心は、ジャワ島からバリ島に移った
0858世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 17:49:12.980
>>857
インドネシアだと、言語とかはそのままでも美術や文字など全てが変わるから断絶はとてつもないでしょ
さすがに朝鮮はそこまでは無いからな
0859世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 17:53:53.820
そういう面もあるけど、東南アジアの場合は基本的におおらかな南国の民なので、そこまで教条主義的に極端ではない

朝鮮人や北インド人がひどい
0860世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 17:57:08.490
朝鮮人、北インド人、あとドイツ人だな、論争が強烈でヤバいのは
0862世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 19:34:21.130
>>861
またお前か(笑)

そろそろスッ込んだらどうか?
0863世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 19:36:10.770
「お前の歴史認識はけしからんニダ」、「いや、お前のほうこそ間違っとるニダ」

こんなことで派閥抗争が延々と続き、毎年のように対立派閥の人間が処刑される
こんな国が朝鮮以外にあるわけないだろ
0864世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 20:36:31.750
少しでも朝鮮を中立的に言うと
たちまち馬鹿ウヨが朝鮮人認定してくるからなあ

馬鹿ウヨ=敵視してる脳内朝鮮人
まさに写し鏡笑
0866世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/15(土) 23:31:23.980
ということにしたいニダ
ホルホルホル
0868世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 05:51:42.870
また、在日朝鮮人による荒らしが始まったか

そんなに日本が嫌いなのに、なんで出ていかないんだ?
0869世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 05:55:24.820
そろそろ、朝鮮人を日本から追放してもいいと思うんだがなあ

人権も大事だが、奴らはダメだろ
0870世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 06:00:47.000
朝鮮人は人間のランクが低い
0871世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 06:19:26.200
天は、人の下に朝鮮人を造れり
0872世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 06:48:26.470
不逞鮮人を東亜から排除せよ
0873世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 06:50:56.810
遠からず、鮮人は日本に土下座して謝罪することになる
0874世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 06:52:12.640
出自が卑しい者たちの末路
0875世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 07:14:43.660
朝鮮人には腕章着用が義務づけられる
0876世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 07:46:57.390
一目で鮮人だと分かる
0878世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 10:52:51.820
「モンゴル人の歴史観では、かつて朝鮮半島はモンゴル帝国の属国であり、モンゴルの血統で権威を確立していた国である」
0879世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 11:02:28.390
奴らは、日本に対して威張ろうとするんだよなあ

でも、日本とは明らかに国力や文化水準で大きく見劣りするので、精神勝利するしかない
0881世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 11:40:43.460
出たな賎人
0882世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 12:24:15.120
>>864
お前が朝鮮人をホメてバランスを取ればいいだけ
0883世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 12:24:32.900
朝鮮人大好きサイコー
0885世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 16:33:21.350
>>882
でも褒める所ないんだよね
0886世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 21:26:36.050
仏教色の強さという点でも、高麗と平安鎌倉の日本はよくにている
0887世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 22:03:09.620
>>886
そりゃそうだ

似てるもなにも、東アジア全体の傾向
0888世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 22:05:07.840
しかし明清や朝鮮では、儒教が圧倒的に優勢になり、仏教は衰退した

日本はそこまで極端ではなかった
0889世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 23:11:08.250
>>888
日本では近世でも仏教が宗教のなかでは一番重要だけど、
近世になったら美術や建築に占める宗教の割合が下がってる気がする
ヨーロッパみたいに。
0890世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/16(日) 23:51:47.420
大衆文化が花開いたからな
0891世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 02:40:47.180
>>853
∧支∧
( `八´)
(  ̄|| ̄)   ニ彡 ⌒ ミ <ははぁ!宗主国様〜
| ̄.| ̄|   <`∀´ ;>⌒)  
/__l _ゝ = と と_(_つ
0892世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 09:16:21.440
町人は観念的ではない
エンターテインメントを求める
0893世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 09:50:05.370
>>889
確かに、タイやビルマみたいな本物の仏教国ではない

脱宗教化した社会だ
0894世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 10:12:16.770
「高麗は仏教国、朝鮮は儒教国」と明確に区別されるのが、半島史の特徴

日本人とは異なり、白黒ハッキリさせる国民性
0895世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 10:44:49.050
恐らく、高麗人は熱狂的に仏教を信仰してたであろう

科挙官僚はすでに儒教化していただろうが
0896世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 12:42:59.300
中国はたぶんもっと前に世俗化したはず
朝鮮もモンゴルさえなければたぶん日本と同様なルートを辿ったのでは
0897世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 13:06:48.420
>>896
それとモンゴルと何の関係が?
0898世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 13:07:23.530
モンゴル帝国が朝鮮人に朱子学を強制したのか?
0899世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 17:58:15.390
モンゴルの侵略で、
中国や日本のような経済的発展が見られなかったということな
0900世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 18:12:39.470
モンゴルのおかげで木綿が伝わって李氏朝鮮時代には主要輸出品目になってるがな
0901世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 21:14:32.870
モンゴルのおかげで交易が盛んになり、紙幣の使用も始まった

朝鮮半島史上、最も世界に対して開かれてた時代だろう
(もちろん、1960年代以降を除く
0902世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 21:15:53.920
むしろ、モンゴル帝国に組み込まれたおかげで、一時的に繁栄を享受したと見るのが正しい
0903世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 22:11:07.900
>>895
一般的に言って、その想定は大きく違う
高麗時代には、儒仏兼学はごく普通に行われていた
著名な儒学者も仏僧も、多様な思想を研究している
0904世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/17(月) 22:13:09.210
903は
>>894
に向けたレスでもある
どちらかというと894向けとするほうがレスとして分かりやすいだろうか
0905世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 00:02:53.570
>>903
そりゃ、僧侶も宗教家という以前に文系知識人なんだから、そういうもんだろ

日本でも、比叡山延暦寺が儒学研究の中心でもあった
といっても別に、儒学を信仰していたわけでもなんでもない
0906世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 00:11:13.470
高麗は、東アジアの国としては普通だった

朝鮮時代の朱子学への一本化は、中国と比べても異様
0907世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 00:18:19.340
>>903
いやいや、高麗の国教は仏教

朝鮮の国教は儒教、とくに朱子学だよ
0908世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 00:20:07.830
高麗(936〜1392年)の国王も、ひきつづき崇仏を基にして仏教を外護しました。寺院の建立や、「僧科」という僧侶の階位を設けて僧侶を育成しています。
第8代の顕宗(1010〜1031年在位)から、『高麗大蔵経』の彫印が始められ、第11代文宗(1047〜1082年)のころに完成しました。
この初版の「大蔵経」は5048巻あり、版木を符任寺に所蔵していましたが、1232年に蒙古の侵略により消失します。
この後、38年をかけ1251年に出版されたのが、6529巻の『高麗大蔵経』です。
この「大蔵経」の版木は海印寺に所蔵されており、日本の明治の『縮刷大蔵経』や、『大正新修大蔵経』の底本となっています。

しかし、従来の「華厳」と、新たな「禅」との対立がおき、文宗の第4子の義天(1054〜1101年)は、
宋に入り慈弁から「天台学」を学び、「天台」と「華厳」の教理による、「禅」を包摂する解釈を試みます。
結果的に義天の教えは「天台宗」として継承され、高麗の王室などに支持されました。
仁宗(1123〜1146年在位)のときに、妙清が道教を仏教に導入したため儒者の排撃を受けます。

 義天の半世紀ほど後に、知訥(1158〜1210年)が、「禅」を主体として「天台」・「華厳教学」を包摂する教えを説きます。
これは、「参禅」に意義をみとめるもので、「曹渓宗」として継承されます。
いご、「禅」の教えは民衆に支持され、現在の韓国仏教の主流となっていきます。

高麗中期以降、仏教界はこの「天台宗」と「曹渓宗」が主流となっていましたが、権力と結びついていた「天台宗」は次第に堕落していきます。徐々に上流階級からも批判されるようになります。

元宗(1260〜1274年在位)のころに、朱子学が栄え廃仏の運動が起きます。
0909世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 00:25:16.850
だんだん科挙官僚の力が強くなるにつれて朱子学が盛んになり、高麗の末期には、すでに仏教弾圧が始まっていた

次の朝鮮で、その流れは決定的になる
0910世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 00:30:44.300
朝鮮では、仏教が弾圧された
もっとも、朝鮮の民衆も、じつは儒教より仏教の方が好きだった

このため、結局は仏教の禁令を緩めることになった
0911世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 00:33:06.760
九一八年に朝鮮半島を統一し高麗を建国した太祖王建(八七七—九四三)は、高麗の建国が法力によると信じて仏教を保護し、多くの寺院を建立した。
高麗時代には燃灯会や八関斎会をはじめ多くの儀式儀礼が催されたが、これは戦争や内乱、疾病、風雨などから国家を守り、国民を保護しようとする目的があった。

この時代を代表する人物に義天(一〇五五—一一〇一)がいる。彼は入宋して華厳・天台・律などを学び、高麗に天台宗を開くことを誓願した。
それは華厳の教観兼修思想、法華の会三帰一思想を重視し、当時地方豪族が支持していた禅宗を包括するためであった。
入宋した際に多くの章疏を持ち帰り、遼や日本にも典籍を求めて『新編諸宗教蔵総録』三巻を編纂した。
0912世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 00:34:55.080
朝鮮時代は儒教を統治理念とする専制君主国家であったため、仏教は弾圧された。
太宗は各寺院の居僧・田地・奴婢を整理し、仏教各宗を曹渓・天台・華厳・慈恩・中神・総持・始興の七宗に改編・統合して全国二四二箇寺を公認寺院とし残りを廃寺にした。
その後、世宗が七宗を禅・教の両宗に統廃合し、全国三六箇寺を本山寺刹とし、各寺院の田地・居僧数を制限する。

しかし、世祖朝や明宗朝には崇仏政策が執られる。
世祖朝には昭憲王后の冥福を祈り『釈譜詳節』が作られ、刊経都監を設置して多くの仏典が諺文に翻訳後刊行された。
また、明宗朝には禅教両宗の僧科が認められ、度牒制・僧選制が復活した。
こうして庶民や婦女子の間には仏教が深く浸透していった。
0913世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 09:26:57.640
朝鮮の国王たちは、合理主義を重んじる朱子学の徒ではあったが、苦しくなると、やはり加持祈祷に走りたくなった

なかには、仏教を信仰する王も現れた
0914世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 09:36:52.180
高麗も、宋にならって科挙を実施し、儒教官僚の時代が来ようとしていた

それを一時的にひっくり返したのが武臣政権で、文官優位の朱子学ワールドを破壊した
0917世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 13:02:17.300
「鎌倉幕府とほぼ同時期に、高麗は武人政権時代」

この知る人ぞ知る歴史こそ、東アジア史の醍醐味だろう
「貴族の世から、武士の世へ」
これは東アジアにおける普遍的な現象
0918世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/18(火) 13:04:14.940
「律令制の崩壊」とかもそうだし、日本の歴史はだいたい東アジアと連動している
0919世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 01:33:33.910
武臣政権のコピーが鎌倉幕府
0920世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 01:40:08.000
>>919
>>418
0921世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 02:01:55.060
>>919
武臣政権は、粗暴な武官たちが文官を虐殺してクーデターを起こしただけ

幕府といえるような組織ができたわけではない
0922世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 08:05:10.270
モンゴルに焼かれた慶州の皇竜寺がつくづく惜しい
0924世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 08:56:33.130
ガキの頃は運動神経のいいドキュソがクラスで威張り、
がり勉君は虐げられる

大人になれば、運動神経のいいだけの肉体労働者は
出世したがり勉君に過去の恨みで酷使される

その恨みだろうな。
肉体の喧嘩ではがり勉君がドキュソにかなうはずがない
0926世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 11:13:49.980
>>919
チョッパリはパクってばかりだね
0927世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 12:45:24.580
>>926
別にパクってはいない

十年遅れで後を追ってるだけだ
0928世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 17:00:51.060
チョッパリも10年後にはトイレに紙を流せない国になるニカ?
0929世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 18:23:07.310
倭人は高麗仏画を拝んでいた
0930世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 19:08:37.840
ありがたや 合掌
0931世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 19:11:58.550
高麗人はモンゴル帝国に隷属した


情けなや 失笑
0932世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 19:26:06.090
どっちもつまらん口げんかやり合ってる暇あったら
もちっと具体的な歴史議論しろ
武人政権期の考察はどうなった
0933世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 19:37:21.470
>>916
要点としては、

(1)鎌倉幕府は京都から離れた東国に自立した政権を樹立したが、武臣政権はそうではない
(2)鎌倉幕府は独自の制度を構築したが、武臣政権はそうではない
(3)鎌倉幕府は後家人との間に封建的な主従関係を確立したが、武臣政権はそうではない

さらに、
(4)日本では鎌倉幕府が崩壊してからも武人の政権が続いたが、中国・朝鮮ではやがて分官優位の体制に収斂された
0934世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 19:52:51.650
帝都にあって朝廷と共存していたという点では、室町幕府にイメージが近い

室町幕府は封建的な主従関係も崩壊していたし、かなり近いものがあるのではないか
0935世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 20:02:07.630
鎌倉幕府室町幕府は全国に守護を派遣したりしてたけど
武人政権はどうなの?
0936世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 20:02:13.310
他にも大きな違いとして、源氏や平氏は武家といっても皇別氏族だが、武臣政権は本当に身分が低い武官だった
0937世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 20:09:21.620
>>935
そういう鎌倉幕府みたいな独自の体制が、武臣政権には無かった

日本に例えれば、平安時代の制度が存続した上で、トップが武人になったという感じ
0938世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/19(水) 20:11:43.520
日本の皇別氏族は他と違ってずいぶんどこにでもいる系と思うぞw
万世一系は伊達ではない
神話時代から皇室は存在し、おそらく征服過程で皇別に成り上がった氏族も多い
もちろんそれに比べれば源平は由緒が正しいが、それでも多いよ
源氏政権のときで少なくともはっきり史料でさかのぼれる3世紀あたりから見ても700年たってる
0939世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 01:01:44.460
高麗が新羅を滅ぼしたというのは、
平将門の乱が成功して独立するどころか
西日本まで併合したようなものなのかもしれない
0940世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 01:05:39.950
武士のようなものが国内のある地方に半独立政権をつくるって
他にあったんだろうか
日本が進んだ道がどの国もたどるとは限らないし
0941世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 01:37:53.970
>>928
そうなるニダ
日本のアイドルグループも6ヶ月に一度
駆虫薬(虫下し)を飲むようになるニダ

チョッパリも先進国の仲間入りニダね
0942世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 03:31:31.240
>>940
けっこうあるでしょ
日本中世〜近世
高麗中期
唐末〜五代十国
アッバース朝〜ブワイフ朝〜セルジューク朝
神聖ローマ帝国
0944世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 03:44:30.650
新羅〜高麗への政権移譲に関して言えば、それは意外にというか世界史的にも珍しいくらい穏健だったともいえる
新羅末代の敬順王は高麗で序列第二の地位を与えられたうえ、
新羅君主の家門の金氏と高麗君主の家門の王氏は相互に姻戚関係を結んだ
0945世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 08:36:52.660
>>943
いやいや鎌倉幕府と崔氏政権は全く別物だよ。
高麗の兵制では、武臣なんて王朝が正規軍を動員した後で指揮官として任命されるだけ。
鎌倉幕府のように軍事力と一体化してる訳ではない。
承久の乱で朝廷に対して19万騎を動員した鎌倉幕府のような真似は崔氏には不可能。
崔氏が直接動かすことのできる私兵なんて、自宅警備が精一杯のレベルだよ。
0946世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 08:37:09.260
それは新羅の王権が有名無実化してたからで、後百済に王宮を襲われて王妃がレイプされたり全然穏健じゃないだろ
それこそ中華の三国時代を魏への禅譲だけ見て穏健とか言うようなもん
0948世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 09:19:45.560
慶州で新羅の王統が続いて、王建が開城で幕府を開くという手もあった
0949世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 09:21:58.060
そもそも、王建のボスだった後高句麗の弓裔は、もと新羅の王族

弓裔の死後に王建が独立した
0950世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 09:29:05.080
>>947
高麗の武臣政権は、天下人がコロコロ入れ替わった。
それも、「天下分け目の決戦」なんて規模ではなく、派閥の私闘みたいなので決まることが多かった

崔氏政権は例外的に四代つづいたが、これも世襲というよりは、「たまたま崔氏の子孫が権力闘争に連勝しただけ」と見る向きが多い
0951世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 09:36:31.600
↓といっても、世襲の地位は一応あった

1209年に教定都監が創立されその長官である教定別監に任命されたことで、武臣政権の合法性が認知されるとともに、崔氏の独裁権が磐石なものとなった。

崔忠献は1219年に没したが、教定別監の地位は崔氏一族の中で世襲とされ、崔氏政権は1258年まで4代62年(崔瑀、崔、崔竩)の長きにわたって続くこととなるのである。
0952世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 10:17:44.360
日本の鎌倉政権は征夷大将軍を裏付けにしていたが
高麗にとっての蒙古や女真の野人に比べて討伐対象が
アイヌの蝦夷なので高麗の武臣たちに比べて職務が
楽で消耗しにくかったのだろう
武人政府の概念が半島から伝播して日本で花開いたと
言える
0953世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 10:20:41.050
>>947
全国レベルの内乱で政権とった鎌倉幕府と開京内の権力闘争で政権とった崔氏政権が
全く違うのは当たり前。
崔氏なんて開京内の権力闘争もためにゴロツキを私兵として養ってただけなんだから
鎌倉幕府のように首都から離れて独自の政権を築くことなんてできないのね。
0954世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 10:23:04.180
スパムは肉のはんぺんみたいなもんだから米食に
あうのだろう
韓国でもフィリピンでも沖縄でも米軍占領下に
置かれた地域で広く普及した
0955世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 12:24:25.060
>>945
>高麗の兵制では、武臣なんて王朝が正規軍を動員した後で指揮官として任命されるだけ。
これは武臣政権以前の話な
三別抄は崔氏政権の私兵なので関係なく時の別監の意向で動かすことが出来る
違いは日本は常備軍が存在しなかったのに対して高麗の場合は武臣政権の私兵と国軍が併存していたこと

>承久の乱で朝廷に対して19万騎を動員した鎌倉幕府のような真似は崔氏には不可能。
19万騎ってのは軍記物語である「承久記」や「吾妻鑑」に出てくる数字で
室町幕府の奉公衆の総数が約数千程度であることを考えると実際はその100分の1ぐらいだろう
0956世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 12:34:24.670
崔氏政権の3代目・崔伉ともなると、群臣の反対を押し切って江華島に遷都し、モンゴル帝国に徹底抗戦したくらいだから、その頃にはかなりの権力があったのは確か

たまたま、こんな半島史上にも稀に見る武闘派政権だったおかげで、モンゴルとの戦いは熾烈で悲惨なものになった
結局は、崔伉が降伏派に暗殺された
0957世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 12:35:25.430
なにかと相違点の多い鎌倉幕府と崔氏政権だが、共通点はモンゴル帝国と戦ったこと
0958世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 12:41:42.530
↓崔氏が私闘のために雇ってたヤクザの手下みたいな連中が、やがて高麗の主力軍になった

三別抄(さんべつしょう、朝:삼별초)は、高麗王朝の軍事組織。崔氏政権(武臣政権)において、
林衍(イム・ヨン)ら時々の実権を握った者の私兵として、しばしば政敵の暗殺や現代でいう所のクーデターのための武力として用いられた。
後に、高麗のモンゴル軍の襲撃に際しては事実上の国軍に発展したとも言われる。
0961世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 18:04:37.440
太平記によると楠木正成の千早城を包囲したのが
兵力100万になっている
日本の史書は誇張がひどく数字は全く信用できない
10倍以上に誇張されているのは確実
承久の乱も兵力の実数は1000騎強だと思われる

強調したいものを大きく書くのは日本の伝統芸
白髪三千丈に近く事実としては信じられない
歌麿みたいなもので期待はさせるが実際はへぼい
0962世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 18:08:08.990
武臣政権は「失敗した武家政権」であるといえるが、
逆に将門政権や平家政権や鎌倉幕府は「失敗、もしくは中途半端な高麗」とも言えるかもしれない
0963世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 18:20:23.840
>>962
高麗は、武臣政権が崩壊してモンゴル帝国の支配下に入った

支配者が高麗武人からモンゴル帝国に代わっただけ
0964世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 18:36:39.180
>>961
太平記は軍記物語で史書じゃない。
承久の乱は確実な史料で19万騎。
大軍を進軍させる時に複数ルートを使うのが常道だが、後の関ヶ原の合戦で10万人の東軍が
東海道と中山道なのに対して、承久の乱の幕府軍は東海道と中山道プラス北陸道も使っており、
19万騎という兵数は妥当。
0966世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 19:32:40.200
そもそも御家人には郎党も下人もいるのに意図的に無視してるあたりかなりトンスル入ってんな
0967世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 19:37:15.220
>>953
平安末の頃を考えて見なよ
保元の乱とか平治の乱とか、状況としてはよく似てる

高麗の武臣政権は、日本でいうなら六波羅の平氏政権の性格に近いな
0969世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 20:23:00.110
>>965
事実を淡々と述べているとしか見えないが
0970世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 20:27:48.130
>>967
そうだな

やっぱり、最も似てるのはそれだろう
0971世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 20:29:41.970
でも、やっぱり、ちょっと違うな

崔氏政権は、もっと「幕府」の域に近づいている
0972世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 20:37:57.370
高麗の武臣政権は麗蒙戦争により発展途上で
蒙古に潰された
崔氏政権は平氏政権よりは幕府に近い
0974世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 23:31:44.020
>>973
でも事実だろ?
0975世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/20(木) 23:34:34.020
モンゴル帝国が来なかったら、崔氏政権がもっと長く続いた可能性が高い

高麗王と崔氏幕府が両立したかもしれないし、いずれは崔氏が高麗王に禅譲を迫ったかもしれない
0977世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 07:05:39.730
崔氏政権はモンゴル帝国に敗れて隷属し、鎌倉幕府はモンゴル帝国に勝利して体制を固める

結局のところ、そこが崔氏政権と鎌倉幕府の運命を分けた
0978世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 07:06:23.540
統治機構が未熟だったのもあるが、それ以上に大きな要因はモンゴル
0979世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 09:14:56.690
いや…鎌倉幕府はむしろ元寇以後に不安定化したでしょ
防衛戦だったから、武士たちへの恩賞も幕府は大して出せなかったし
武人の政権が続くという意味ではあったけどね
北条に取って代わろうとする勢力が伸長する切っ掛けの一つには、なっていった
それが後の室町時代・南北朝時代につながるわけだが
0981世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 09:43:14.310
モンゴルとの距離が運命を分けた
0982世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 10:26:48.510
>>979
武士たちへの恩賞も幕府は問題なかったよ。
元寇で活躍した御家人たちが岩門合戦で二派に分かれて殺し合いしてくれたお陰で、
支給しなくちゃいけないはずの恩賞が半減。
更に敗れた御家人の領地を元寇の恩賞に当てたから幕府にとっては一石二鳥。
元寇の後、北条氏の権力は大幅に増大した。
0983世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 10:31:49.840
>>975
モンゴル軍が来てくれなかったら、崔氏政権はもっと早く契丹の金山王子によって
滅ぼされていただろ。
0984世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 10:45:10.420
>>982
北条の権力が増大?
むしろ身内人とかへどんどん実権が掌握されていって、
北条一門、なかでも得宗家の力は(表向き強化されたように見えながら)どんどん形骸化していったんだけどさ

そうでなければ、なんで足利を筆頭にあっちこっちの武士が北条に反旗を翻した?
ほんとうに実質的にも鎌倉幕府が強化されたのなら、室町時代が史実のうえでも不存在にならなければ全く矛盾するでしょうに
0985世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 10:59:06.190
>>984
足利が反旗を翻したのなんて元寇から半世紀も後の話じゃん。
半世紀もあれば、元寇の後で強大化した北条氏の権力だって疲弊するわな。
0986世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 11:21:02.410
元寇後半世紀で滅亡したのに
権力が強大とか
アホちゃうか
0987世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 11:25:59.430
>>986
は?
元寇の後で北条氏の権力が強大化したのは史実だけど
0989世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 12:20:30.100
>>985
じゃあそんなに強大化した北条がなんでそんなにあっという間に疲弊したんですか
そこの説明をすっ飛ばしてるじゃないですか
0990世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 12:21:11.650
世界のみなさんこれがチョッパリどもの歴史認識に関するディベートのやり方ですニダ
0991世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 12:51:16.490
>>989
あっという間にじゃないだろ。
半世紀もあったんだから。
半世紀と言ったら太平洋戦争終戦から高度経済成長を経てバブル崩壊まで入る長さじゃん。
バブル崩壊を根拠に高度経済成長を否定するような理屈だろ。
0992世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 12:51:42.830
なぜ将門や鎌倉幕府は朝廷を滅ぼせず、高麗は新羅を滅ぼしたかというと、
新羅は途中から王家が途絶えて権威が落ちたから
0993世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 13:24:21.620
>>991
それ、技術革新とか経済形態とか
中世と現代の社会変遷の速度の違いを無視してませんか
0996世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 13:46:41.920
>>994
暫く冷却期間置いた方がいいかもよ
本題そっちのけで暴れる人いるし
まあ、こんな調子でも朝鮮半島史関連スレの中ではよほどまともな議論が続いた部類という・・・いやはや
0997世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 13:53:00.960
>>979
昭和時代の、小学校の歴史の教科書にはそう書いてあった
0998世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 14:02:02.080
>>993
武人政権の流転は、どこの国でも早いぞ
中国の五代十国だって五十年だ

半世紀は長い
0999世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 14:04:53.980
>>998
そうじゃなくて、論理・推移上の根拠を示さないと誰も納得しないでしょ
1000世界@名無史さん
垢版 |
2019/06/21(金) 14:08:28.810
>>995
理屈で反論できなくて人格否定で精神勝利したつもりになるガイジニキすこ
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