馬車すらない江戸以前の日本は後進国
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江戸時代以前の日本ってぶっちゃけ後進国じゃね?
馬車はないわ、石造りの建物はないわ、高層建築はないわ、投石機はないわ、クロスボウ(弩)はないわ・・・・
下手したら、十世紀時点の中世ヨーロッパにすら文明レベル及ばないんじゃね? 車輪を自力で作れなかった朝鮮笑えねーwww
ネジすら作れなかった日本笑えねーwwwww
笑えねぇ・・・・・・・ 盾すらなかった侍とか・・・、池沼すぎwww
お隣の中国jには盾も弩も投石機もあったのに・・・
中国には馬車あったよな・・・古代から 山が多かったって言うけど、
せめて東海道だけは、馬車用の道路整備してやれよw
あと、中世すら城塞都市の中は石畳で舗装されてたのに、舗装された道が
皆無の江戸以前日本ワロス・・・・ 中世ヨーロッパの時点で、大学があったのに、江戸時代にようやく寺子屋が出てきた日本ww
武士は私塾頼みだし、藩校は大学と呼べる代物じゃなかった。 >>5
>せめて東海道だけは、馬車用の道路整備してやれよw
俺が急ぎなら馬車でなく、直接馬に乗って走るね。
あと、東海道でも、箱根八里は馬でも越すが、馬車では越せない。
軍事的理由で橋が作られなかった大井川は言わずもがな。 >>1
脳みそバカなの?
・原始人欧米人よりも進んだ識字率
・原始人欧米より進んだ上水道整備と都市整備
18世紀まではなんもかんも優れてた世界最大の先進国、そもそも19世紀遅れたのは
・議会制導入
・重工業経済化
の主に二点だよ。けど遅れたと言ってもそれは対先進国に限った話で
幕末、明治初期のGDPや社会水準は世界10位で実は上位だってのが現実
日本は進んだ国で世界10位だから近代化ができるって話だよ >>1
先進国ではもう馬車なんかを主要な交通手段にしてないけどな >>10 江戸時代以前って言ってるから、せめて幕末時代と同時代の西洋と比べてくれ。 >>11
そんな馬鹿げた要求は却下だ
先進国か後進国かのスレなのに
時代遅れな交通手段の馬車なんかを持ち上げてるヤツは愚かすぎる 馬に直接乗ってたから、馬車作る必要が
なかっただけだろ
その時代は至る所に水路があったから
移動はすべて船だったと思われ 日本の後進性というと、石造アーチの導入が遅いのがよく取りざたされるな。
まあ、無ければ無いで済ますのが江戸っ子よ。 >>1
モンゴルに連勝した神国日本>>∞>>モンゴルに惨敗した中世ヨーロッパ モンゴル軍は船乗れなかったからな
大陸で戦わなくて良かったわ モンゴルに惨敗して支配された雑魚の子孫どもが、日本の連勝を妬んでるとはなあ 鎌倉武士たちが炎上した博多を捨てて内陸に逃げたことはもちろんヒミツだ >>20
そして博多だけじゃなく日本全土から、モンゴル軍とモンゴルの下僕どもが逃げ去った そらヨーロッパが世界中で植民地広げてるころ李氏朝鮮に惨敗する程度やし(笑) 平安時代に牛車、それ以前から楯や木製フルアーマー(埴輪で確認)もあったのだが。
どれだけ>>1はガイジなの? 移動は船だから馬車などいらなかった
昔の日本は至る所に水路が引かれ、移動は
すべて船 それは言い訳としては説得力が弱いな。
イギリスやフランスも国中に運河が張り巡らされたが、馬車も沢山走っていた。 馬車/廻船/人力荷車
・コスト(餌・労働寿命)高/低/高
・メンテナンス(部品数)高/並/並
・積載量(単位当たり)高/高高/並 >>1
おまえ馬鹿だなあ
弥生時代の日本に弩があったことも知らないのか 低温低湿低災害 石または焼煉瓦の中層階→欧州
高温低湿並災害 泥煉瓦の低層階→アラブ
高温高湿高災害 木造土壁の平屋→東アジア
帝政ローマのスブッラ地区は20万人/ku
江戸の下町(墨田江東)で5万人/ku
中世欧州の一般的な城郭都市(人口3千)で1万人/ku
なお現代の新宿は2万人強/kuで、平均階数は高層ビルイメージとは逆に3未満 >>31
ギリシャとイタリアは地震多発の高災害リスク地域だぞ >>32
心配しなくてもどんどん流入してくる
元老階級にとっての平民以下は、使用方法を間違うと火傷する使い捨てのホッカイロと考えればよろし >>33
心配なんかしてないよ住んでないんだから
ギリシャとイタリアは中世も20世紀も地震多発の高災害リスク地域だぞ >>1
江戸時代には石造の建物が完成してるんだけど 牛使って農作業やってたから馬車がなかったっ
てありえん 東海道を石畳で舗装して馬車街道にする構想は江戸時代にあったんだよ
でも地震のたびに舗装しなおすコストやら牧場を作るための農民への補償金やら馬車導入による失業者への新しい職の斡旋が無理という事で実行されなかった 籠屋が強かったってこと
馬車にすると籠屋の仕事がなくなるから >>38
判子文化なくしたら判子屋が失業するみたいな話 馬車反対運動は明治時代にもあったからな。
いわんや江戸時代においておや。 籠屋や人力車屋の仕事がなくなるから
馬車は認められなかった 中井竹山が、松平定信に馬車採用を提言していますね。
失業者が出ること、舗装と維持の費用がかかること、不穏な勢力の利用が懸念されることを
理由に、許可されませんでした。
新規の技術・制度による失業問題は明治初期に大量に起きていますから、徳川幕府は痛み
に耐える改革よりも、穏当な現状維持を望んだということでしょう。
馬車は中世欧州でもほとんど使用されず、旅では馬か人ないしは牛が運ぶ輿によものがほ
とんどで、15世紀にハンガリーで現代のブランド名にもなっているコーチが発明されて揺れ
の問題がやや解消されますが、馬車による移動が民間にも普及したのは17世紀にサスペ
ンションが発明されて以後。
少なくとも、10世紀時点では欧州でも馬車は普及していません。 盾に関しては、武士が元々馬上で弓を使うもので、片手が塞がれる盾に大金を投じなかったものです。
地上で使う盾、歩兵が使う手盾ならありましたが、木製の簡素なものでした。
場合によっては、大鎧の袖が盾のように遣われた物です。
仙石秀久は、袖だけ大型化したものを盾のように使用していましたね。
弩は9世紀まではありましたが、廃れました。
国家の工房で弩を製作するより、各地で使い慣れた大型の弓を持ち寄らせた方が、安定して多くの兵力
を募れるようになったものです。 鹿児島のベルナルドの方が欧州行きは早いですが、馬車の普及していなかった時代ですからね。
天正少年使節は「ラテラノ教会行幸図」では馬に乗った姿で描かれています。
他の面々も馬か輿(前後で馬が支える)のようで。
中国では孔子が火事の際に馬を問わなかった(あるいは問うのを後回しにした)、顔回のために
馬車を棺槨にするのを断ったという話、「後塵を拝する」や後塵を拝した潘岳の車に女性が果物
を投げ込んだ故事がある様に馬車も使われていましたが、師升以降の日本人が乗る機会がど
こまであったものか。
インドにも戦車に使われたような馬車がありましたし、ミリンダ王もナーガセーナに会いに行くの
に使っていますが、玄奘の伝記を読むと専ら象や乗馬、輿が使われています。
懸車の故事も有名ですが、身分表示はさておき、日用には使いにくかったのでは。 >>1は馬車が自動車産業の発展を妨げたという歴史を知らないのだろう 幕末から明治にかけてすぐに近代化出来たのは
江戸期から既に下地があったからではないか
朝鮮で日本の水車を導入しようとして二度失敗している
馬車や水車が出来ないと自動車は絶対に作れない
アフリカでも植民地時代のインフラを発展させられなかった地域は多い
文明開化の時に日本に入ってきたのは古代ギリシャ、ローマ時代の技術ではなく当時の最新技術だ
西洋人にとっても19世紀は文明開化の時代だったし、日本の西洋最新技術への関心は江戸期からあったと考える >文明開化の時に日本に入ってきたのは古代ギリシャ、ローマ時代の技術ではなく当時の最新技術だ
その当時の最新技術といったら、蒸気船や蒸気機関車だもんな
馬車はむしろ>古代ギリシャ、ローマ時代
の古ぼけた技術だろう 偉い人を運ぶ手段としては輿があっただろ
ただの価値観の違い
行列率いて輿に揺られていくのが偉いっていうのが日本風
同じく行列を率いつつも本人は馬車に乗るのが偉いっていうのが西欧風
古代日本だと牛車というのもあったが 「おれっち偉いんです」と見せびらかしてゆっくり移動。 大量輸送できる技術あると反乱された時に攻められるスピードがあがるからな
船も制限されてたし 江戸幕府は石造建築も禁止してたね
家光のころに平戸のオランダ商館に初めて本格的な石造の倉庫が造られたからできないことはなかった
これを知った幕閣は江戸城より立派なのを問題視した
だから倉庫に西暦が書いてあるのを口実にして破却させた
オランダ人も追放になるところだったけど商館長は屈辱を甘んじて受けたから貿易は継続になった
その後の倉庫はずっと木造だった >>42
市場を拡大するという発想が微塵もない。
誰かが得をすれば自分が損をすると思い込む下衆ども。 まず江戸時代には大きな川には橋がない。
山の上に城を築くのも禁止
馬車、大きな船は禁止
謀反防止は徹底していた >58
李朝と似たようなもんだよ
李朝は時計の針を500年止めたが、徳川は
265年止めた。 >>42 >>57
馬車を運転する御者の仕事がなくなることを危惧したから
自動車の発展を妨害する制度が作られた
馬車の優先は後進国の象徴だ >>6
日本で大学的な教養人養成施設は寺院がそれにあたるんじゃないかな 戦国時代に来日した宣教師は、足利学校や大寺院の檀林を「大学」と看做していましたね。
檀林や藩校は現存する学校の源流になっている場合もあります。 当時の和船は航洋性に劣り、シナのジャンクには程遠く、
長期の航海 に出るのは無理であった。
−−−幕末の日本を見たフランス軍士官の証言 現代の北朝鮮の漁船がやはり粗末な平底船で燃料タンクも小さいのを連想してしまう。
豊かな隣国に亡命させないためにね。 牛車、大八車など車自体はあった
馬は去勢も蹄鉄もしない日本では、馬に車曳かせる発想がなかった 馬沓(馬草鞋)というものがあって…
そもそも日本在来種は蹄が固いからあんま必要ない
馬車は大量輸送が可能となる為、船と同様に軍事的理由で制限された
(幕府内で解禁が論議された事もある)
牛車があって馬に変える発想がないわけ無いやろ 朝鮮王朝ってぶっちゃけ後進国じゃね?
馬車はないわ、石造りの建物はないわ、高層建築はないわ、投石機はないわ、クロスボウ(弩)はないわ・・・・ 複数の馬が引く馬車操るのはテクニックいるらしくて、
明治時代に清国を調査した日本人の学者が清国人の御者が4頭立ての馬車上手く操るのに感心してる >>1
モンゴルに連勝した神国日本>>∞>>モンゴルに惨敗した中世ヨーロッパ>>∞>>モンゴルに惨敗して下僕になった支那チョン 疲れた馬とか元気のいい馬でローテーションさせたりもするのかな。
タイヤのローテーションみたいだな。 >>75
地続きではなく海で隔てられ、上手いタイミングで台風来たのもある >>45
>盾に関しては、武士が元々馬上で弓を使うもので、片手が塞がれる盾に大金を投じなかったものです。
古代ギリシャのホプロンや中世ヨーロッパの騎士たちが持っている凧形盾みたいに腕輪で固定式にすれば片手がふさがるということはないのでは
モンゴルやティムール帝国の騎兵も当然ながら弓騎兵だが盾を使っていた >>72
先進国だよ
少なくともフィリピンやベトナムみたいな土人国に比べたらアジアではトップクラス >>60
安土桃山時代には、地球球体論が受け入れられたけど、
徳川幕府の時代になって、地球球体論を拒絶した朝鮮朱子学が官学に採用されたからな >>77
海で隔てられた珍島はモンゴル軍に制圧されてる >>72
残念ながら、石造建築物について朝鮮をとやかくいうと、
強力なブーメランが帰ってきて打ちのめされる。
朝鮮最古のアーチ橋:751年 仏国寺の白雲橋
日本最古のアーチ橋:1634年 長崎の眼鏡橋 >>72 >>80
朝鮮王朝がG8に入れるわけないだろ 李王朝が衰退していた事実の嘲笑しておるJapが多いようであるが,豊富ヒデヨシが入寇した現実がある 260年の停滞の江戸幕府
400年の衰退の朝鮮王朝 >>86
設計もだが、橋の建設資金も来日した中国僧や通訳が出してくれている。 古代朝鮮は確かに文明国だ、日本人が活躍して
たからな
日本は平安時代に400年間時が止まった。
そして江戸時代に265年間時が止まった。 朝鮮は李朝時代500年間時が止まった。
しかも三国時代よりも後退していた。 日本の歴史教科書読むと朝鮮人ありがとうが多すぎて泣けてくる
日本最古の寺を作ったのも東大寺の大仏を作ったのも行基や坂上田村麻呂も渡来人だし 坂上田村麻呂は後漢霊帝の大陸系…とみせかけて黒人だろ?
(坂上田村麻呂黒人説でレッツ検索) >>77
地上に上陸したモンゴル軍とその下僕どもを地上戦でも撃退した >>94
大仏も行基も田村麻呂も朝鮮人より古いんですが >>94
武蔵国秩父郡で日本で初めて貨幣鋳造に使える銅を発見したのも
新羅系の渡来人だったな。ほんにありがたいで。 白菜も唐辛子も日本から伝わったわけやから
キムチ好きの俺としては日本にいくら感謝しても足りんくらいやな 山川出版の「日本史詳説研究」だと4〜5世紀に朝鮮から犂、鍬、ため池が伝わるまで
日本にはなかったということになってるけどそれまでどうやって農耕してたんや? >>101
犂すき から‐すき うし-くわ【唐鋤・牛鍬】とか言うやつだな 牛に引かせる鍬
確かに牛に引かせる道具はなかったと思うが、縄文時代から鍬(くわ)はあったで 石器製のやつ
牛に引かせる鍬は 畑用だから、
稲作が縄文時代に伝わった日本には重要じゃなかったのかもしれんね、
水稲の場合は不耕起農法とかもあって 稲作の場合は耕さなくても割と収穫できる >>100
唐辛子は、秀吉の軍勢が半島に持ち込んだのは
ほぼ確実なんだが、白菜は
中国から半島に行ったんでは? 唐辛子伝来以前のキムチはニンニクやサンショウを加えたものだったようだ
むしろこっちのほうのキムチを食べてみたい >>104
白菜の原種は結球しない、
結球する種類もたまに出てくるが交雑に弱く結球種が根付かなかった。
白菜は 中国から朝鮮には明代に伝わったとされるが
中国から伝わった当時の白菜は こんな感じ
https://i.imgur.com/FFYEgrF.jpg
キムチに向くようなものじゃないよ、
今の形のキムチが完成する以前の朝鮮の漬物は蕪の漬物のようなかんじだった、
現在の形の白菜は 日露戦争の時に出兵してた兵士がその味を気に入り、
日本に持ち帰り栽培したのだが 栽培が難しくなかなか進まなかったが
明治の日本人が品種改良して 現在の白く結球するハクサイが完成した、
朝鮮には日韓併合を期に朝鮮に持ち込まれて広まった。 西洋化して頑張ったら即列強入り出来る国を後進国とは言えねー
李氏朝鮮どころか清でも西洋化運動しても無理だったのに >>109
清とオスマンは図体がでかすぎて、内部がモザイク状になってたから、急進的な改革はなかなかに難しいね
日本は島国で言語や文化の統一性が高かったのもポイントだわ 歴史の授業をちゃんと受けていたのなら日清戦争も日露戦争並みの奇跡的勝利だと分かるはずなんだがな
例えば1879年の日本の鉄生産量は1万4千トンに対して清は1870年代の江西省のみで16万トンと工業力でかなりの差を付けられていた
日清戦争でも西太后が戦艦建造費を10分の1になるまで庭造りに使い込んでくれたとはいえ両海軍の戦力を比較すると
日本海軍の総トン数59000に対して清軍は85000トンと断然上回っている
即列強どころかいつ滅ぼされてもおかしくない小国 そこは清がでかすぎたのにポカやってさらに日本が賭けに勝っただけで日本が小国という事では無いんじゃね
実際列強へ駆け上った訳だし
まあアメリカという本物の超大国に潰される訳だが ・馬車(軍事力、流通)
中国様:なんと「紀元前17世紀」の殷の時代から使用
ジャップ:江戸時代にも無し。しかし「ものづくりの伝統」を誇るw
・経済(紙幣)
中国様:なんと10世紀に世界で初めて「紙幣」を流通させる。すごい。
ジャップ:当然「紙幣」なんて立派なものは江戸時代にも流通せず w 貨幣も中国様の貨幣まで流用。
・経済(税)
中国様:漢の時代(紀元前206年〜)には通貨で徴税
ジャップ:江戸を通して「米」中心 w もはや動物であるwww
・科挙
中国様:598年からスタート。
ジャップ:最後まで導入できず。馬鹿でもアホでも家柄だけwwww
・文字
中国様:独自に美しい文字を創造(漢字)。
ジャップ:独自の文字は無し。中国様の文字とそこからの派生文字を利用。
・共通語
中国様:3世紀頃から発達
ジャップ:江戸時代まで実は公用語といえるのは中国語だけ。
・尊敬される政治家
中国様:漢の劉邦から孫文、周恩来、ケ小平、毛沢東まで多数
ジャップ:ゼロ
・料理
中国様:説明いる?
ジャップ:明治まで「肉料理」の伝統が皆無 w w ・お茶
中国様:数え切れないほど種類が豊富
ジャップ:緑茶、ばん茶、ほうじ茶、麦茶、抹茶くらいでおしまい w w
・最古の「稲作遺跡」
中国様:1万4000年前(世界最古)
ジャップ:3000年前
・アーチ構造
中国様:紀元前から城門などに使用
ジャップ:江戸時代にようやく伝来。「眼鏡橋」などと呼んで大はしゃぎ
・宮殿の大きさ
中国様:故宮( 約200万 ku)
ジャップ:京都御苑( 約11万 u )
・統治体制(封建制)
中国様:約3000年前に成立させた(周の時代)。
ジャップ:江戸時代でも成立せず(主な藩の藩主を徳川家の人間で独占できなかった)。
なんとジャップの政治体制は、紀元前1000年の「周」の体制にも到達できなかったのだ wwww
・貴族支配
中国様:宋の時代(10世紀)には貴族制が崩壊。
ジャップ:現代の貴族、上流国民が未だに現役(天皇、五摂家、坊主、薩長閥など)。皇族というだけで、膣に精神をのっとられた淫乱メスゴリラに尊敬を強要される。
・史書
中国様:たまに史実でないことも書いてあるから注意といわれる(歴代の浩瀚な正史)。
ジャップ:たまに史実が書いてあるので、逆に迷惑(日本書紀)。 ・国号
中国様:隋、唐、宋など一文字。
ジャップ:日本という二文字→中国様の朝貢国であることを認めた証拠w
・支配者の称号
中国様:皇帝
ジャップ:皇帝と名乗るとご主人様に堂々と反逆の意を示したことになるので、
皇帝様が一度短期間に使った「天皇」という称号でごまかす。
なお中国の周辺で「皇帝」を名乗った反逆国はある。
実は「天皇」とは、中国皇帝への恭順の意を示した称号なのであるw
・人類学
中国様:北京原人。
ジャップ:北京原人より古い「秩父原人」がジャップにはいた!と主張して「原人パン」「原人クッキー」まで売り出すが、すぐ捏造とばれ大恥をかく。
・川
中国様:黄河、揚子江という大河が有名。
ジャップ:中国からのお客さんに「日本にも大きな川があるじゃないですか!」と瀬戸内海を褒められる。
・「城」といえば
中国様:都市全体を包囲して守る高い丈夫な壁のこと
ジャップ:特権階級の山賊どもだけを守る場所。
・洛陽
中国様:自国の歴史的都市
ジャップ:江戸時代の京都土人、京都を「洛陽」と呼んでどや顔。 >たまに史実が書いてあるので、逆に迷惑
ワロタww >>115
・軍事力、流通
支那:馬車があったのにモンゴルや女真や敗戦して支配される
日本:支那を支配したモンゴルや女真や連戦連勝
・経済(通貨)
支那:いつまでたってもハードカレンシーと認められない
日本:世界でも信用が高いハードカレンシー
・経済(税)
支那:習キンペーや共産党幹部がタックスヘブンの文書にリストアップされてもお咎めなし
日本:タックスヘブン対策制度を設ける
・科挙
支那:鮮卑王朝が実施しはじめてから、清朝が日本にボロ負けするまで維持された
日本:科挙を導入した清国に何度も戦って勝利し科挙撲滅に貢献
・文字
支那:原始的な象形文字とその象形文字から全く進歩しない簡体文字を創造
日本:9世紀に象形文字じゃない表音文字を創造し現代でも使用され続ける
・共通語
支那:ない。漢民族だけでも北京語や広東語や福建語や客家語など乱立しチベットやモンゴルやウィグルなどには全く異なる言語も存在する
支那:日本人全員が日本語で高等教育が受けられ、日本語で公文書が作製できる
・尊敬される政治家
支那:愚民から尊敬されてるのは選挙で選ばれてない独裁者とその下僕ばかり
日本:ノーベル平和賞受賞者や国際連盟事務次長がいる
・料理
支那:「人肉料理」のメニューが豊富ww
日本:「人肉料理」の伝統が皆無 >>116
・お茶
支那:DDTなどの有害農薬が検出
日本:DDTは製造も輸入も禁止
・最悪の「米作」 最高の「米作」
支那:プラスチックで米を偽造
日本:支那にも輸出
・アーチ構造
支那:アーチ構造を使用した城が異民族軍によって何度も陥落
日本:アーチ構造を使用した支那の城を陥落
・宮殿の脆弱さ
支那:故宮は異民族軍に侵略され陥落し中身がごっそり台湾に持ってかれる
日本:京都御苑は外敵に侵略されたことがない
・統治体制
支那:周の時代から王朝乱立や異民族王朝支配を繰り返し立憲政治や民主主義制度を確立できなかった
日本:統治者が誰になっても皇室は維持しつづけ明治以降は立憲君主制度が確立し民主主義制度が設けられる
・貴族支配
支那:赤い貴族、太子党が選挙で選ばれてないのに特権的地位に居座る
日本:国家元首である天皇が議会設置を命じる貴族院よりも権限が強い民選の衆議院議会を設立、
・史書
支那:台湾や尖閣を南シナ海諸島を歴史的に統治していないのに核心的利益のためにデタラメな歴史を書いて世界が迷惑(環球時報)。
日本:朝日などサヨク系のメディアが出す歴史書以外はほとんど史実 >>117
・国号
支那:鮮卑系の隋唐は廃国しトルコ系の宋も廃国し、日本語で中華人民共和国と名乗る国だけが存在
日本:日本という国号で支那を軍事制圧し先進国となって繁栄
・支配者の称号
支那:女真族が皇帝と名乗り支那土人を支配するが日本軍に負けて紫禁城から追い出される
日本:天皇の軍隊が支那皇帝の軍隊を何度も打ち破り、支那皇帝の宮殿も制圧してゆるぎない完全優位を確立
・人類学
支那:原始時代から進歩しない野蛮人ばかりが現代においても生息し共産党の恐怖政治で支配される
日本:石器時代から磨製石器を作りだし、現代には知的財産大国として繁栄する
・川
支那:黄河、揚子江だけじゃなく全ての河川が汚染されて水道水も不衛生
日本:河川を水源にしてる水道水を飲料水として利用できるほど安全
・「城」といえば
支那:異民族や盗賊に落城させられるチンケな場所
日本:昔から外敵によって落城されたことがほとんどなく、現代は観光名所
・洛陽
支那:日本軍に制圧された都市
日本:日本軍が制圧した結果、治安が向上した都市 石造アーチの導入が遅れたことと、馬車が普及しなかったことは関係あるだよね。 日本人がバカにしてるのは共産中国であって
中華文明ではないからね 異民族との戦争が存在しない平和な島国で羅城つくっても無駄に金掛かる飾り物にしかならんからな
まぁさすがに町人階級が安土時代になるまで存在しなかったのは言い訳出来んが 街ごと囲む城なら小田原城の総構みたいに必要なら造ってる
南国に暖炉が無いのを文明レベルが低いと言ってるようなもの >>127
室町中期には有徳人層が形成されてたし、南北朝時代のいわゆる「悪党」って、新興の中間階級の萌芽でもあるわけでな といっても、正直大陸の先進地域と比較すれば間違いなく遅れていたのは間違いないけども >>131
鎖国していた(と、一般に言われている)江戸時代が日本の社会的大発展期 時代劇のいわゆる「江戸時代」が具体的に西暦何年頃の江戸時代か殆どの作品で厳密に出来ないほど発展変化のある時代でもあった
(たいてい良いとこのどりちゃんぽんした時代考証になる) 年中行絵巻や洛中洛外図に描かれてる京の街並みとか首都の割りに貧相すぎると思わないか?
農村とほとんど建物の作りが変わらないし
江戸図屏風になるとさすがに都市っぽくなってくるが 事実を指摘されると、貶されたとヒステリーを起こす。
軟弱者はすぐ被害妄想に陥るね。 >>1
事実を指摘した29に対して返事できないのか
>弥生時代の日本に弩があったことも知らないのか 馬を家畜にしないでモノ扱いをした歴史は、ペガサスを産む原因になったろ。
どこに自慢出来るネタがあるんだよ。 >>134
チョンよりはまだまし
>>136
チョンは半島に帰れ 表現の不自由展を脅迫した堀田修司(59)、夜中に「チョオオオオオン!」と叫んで警察が出動する近隣トラブルを起こしていた
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1565330674/
>>140も叫んでそう 末期の嫌韓病で脳が冒されると、妙な鳴き声を出すようになるのだな・・・ww ここのやつらなんか指摘するとすぐ被害妄想喚きだすのいないか? >>1には堀拓也本人がディープキス
>>100には堀拓也本人が鬼手コキ
>>200には堀拓也本人がローリングフェラ
>>300には堀拓也本人がのど輪締め
>>500には目の白い所だけをペロペロ
>>700には堀拓也本人がアナル掻き出し舐め
>>900には堀拓也スペシャル
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身長:160cm
体重:50kg
30歳 1989年5月23日生まれ
東京都北区中里1丁目10-7
駒込マンション304
腕っ節なら誰にも負けません!俺に勝てたら現金100万円!
https://i.imgur.com/4osLxKg.jpg >>134
江戸城周辺の大手町や銀座有楽町は都会だが
それ以外は目黒のサンマなんて落語があるくらいの田舎 >>146
江戸時代の歴史感覚なさすぎない?
そもそも江戸時代に有楽町って地名はないし、日本橋、神田、銀座と言った下町と、江戸城周辺の武家屋敷街は全く別世界だからな 江戸の庶民はほとんどが茅葺き屋根の家に住んでいて
時代劇の町並みは京都の寺か江戸村の景色でしかないんだよな。 >>148
あのなあ・・・・・
江戸市街では瓦葺き以外の屋根は禁止されていたんだぞ。
どんなに貧しい家でも、屋根は瓦葺きでないと奉行所から取り壊し命令が出る。
なんでか分かるか?
火災のときの延焼防止のためだよ。
茅葺き、藁葺き、こけら葺きは火の粉に極端に弱い。 いや、江戸時代からあの辺は火事が多い。
江戸城の天守ですら、大火で焼け落ちたぐらいだし。 ほとんどが放火だろ。
そして江戸の都市圏は山手線内側のさらに限られた範囲だな 取り壊しなんざやったんか?
ならその奉行所とやらがど〜みても悪人らじゃん 火付け盗賊改方とか火消し同心がいたわけだが、
債権取り立ての悶着での放火が中心だよ。 放火に限らず、当時の人口密集地ではどうしたって火事が多くなる バカが調子ついたか?
債権てかコメの取り引きみたいの約束手形が証文の始まりだよ
コメを荷車に載せて運んでた実権みたいなん握っていたのが藤原荷車商会
京都までな 街道筋のコメの運搬業務の支配権握ってたんだわな
こっから藤原氏が勢力伸ばした 確かに、馬車がないのは変だな。
なんで、大八車あるのに、馬車がなかったのか? 幕府が反乱軍の兵力輸送に使われる事を危惧したため禁止された >>162
>確かに、馬車がないのは変だな。
>なんで、大八車あるのに、馬車がなかったのか?
大八車は江戸や大阪などの市中でだけ許可されていた
ネトウヨは韓国を車も作れなかったと笑っているがジャップランドの地方では19世紀まで車すら無かったんだよw
1のスレはそんなジャップを笑ってやるのが趣旨なんだがネトウヨがスレを捻じ曲げているよね >>5
その山が問題。
箱根の峠で馬車を引っ張り上げるお馬さんの身にもなってみろ。 >>167
後進性にあぐらをかいていると
先進国の植民地にされるのだ。
ダメ。ゼッタイ。後進性。 >>167
清王朝も同じくらい長いし、タイのバンコク朝に始まる現王室もながいぞ。 ジャップは江戸時代がお似合い
徳川家康は豊臣秀吉を打倒した
豊臣秀吉は李王朝を侵略して百万人の市民が死亡した 17世紀のパリでは馬車を使って今日のバスのような
公共交通機関が運行されていたという。
さてもフランスは先進国よのう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/5ソルの馬車 江戸の街は町奉行が管理していた地域だけであって
目黒で秋刀魚という落語が有るように今の区内はほとんど田舎だな。
日本橋が東海道の終点で品川は宿場町でしかない >>172
現代ですら表通りはともかくちょっと裏道に入ると人糞が転がってる有様だけどね。 インカやマヤ文明で荷車が登場しなかったのは
それを引く大型の家畜がいなかったからというのが一つの学説だが
日本の場合も国産馬の体格が貧弱であったことが
馬車が普及しなかったことと関係しているのでは 橋がないからだな。建設してもすぐ流される。
あとは人力車とワークシェアリング 江戸時代の日本の技術じゃ、大井川に橋を架けるのはムリだったな。
軍事的理由なんて後付けの話。 中国では粗食に耐えて使役用になるロバが飼育されてたが何故か日本には居ないよな。 稲毛三郎重成が相模川に大橋をかけたのが鎌倉時代
江戸時代なら大井川に大橋をかけられる そしてすぐ流される。一級河川は渡船で移動してたんだよ。 滝のように流れの速い、流れ方もどんどん変わる日本の河の維持管理の方が問題だわな
堤防の位置が動くんだから橋を維持できる訳がない 橋どころか橋の起点が維持できない。
1970年代の列島改造以前は堤防工事すら不徹底だったよな 幕府は大井川に多連アーチ橋を作ればよかった。
ローマ帝国は紀元二世紀の段階で長さ790mの立派な石橋を架けている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Puente_Romano,_M%C3%A9rida 台風大国だしな…もとから川が氾濫しやすいのにいちいち大型台風が来るから当時の世界中の技術を結集しても大型の橋はむりじゃね
石造りも地震があるから使えないし 河川全域の堤防を石組みで固めればワンチャン
重機無しでは社会が過剰労働で崩壊するが それが出来たら都市部だけでも石畳と馬車道に出来たし、石の蔵が増えると金融業が高度化したと予想 江戸時代の大飢饉も、馬車の導入で物流が盛んになれば緩和されるしな。
東北が飢えていて西日本が豊作みたいなときに。 東北の飢饉って米偏重の作付けと飢餓輸出による、ほぼ人災みたいなもんだから
馬車があっても変わらないだろ 東北の飢饉は農村人口が多すぎたから
伝統的な農村に頼った農業ではなく、欧米みたく広大な農地に効率的に農業労働者を配置してれば防げた災害
日本の中世の荘園制度やフィリピンのプランテーション農業みたくするべきだった
それで旧態依然たる農村は廃止。
実際に中世日本に惣村的村落は無かった。 中世末期から近世にかけて成立した日本的自治村落を明治維新で解体しなかったのが悪い
平安時代の荘園領主や国衙は弥生時代からの村落を完全に解体し消滅させた
20世紀の日本政府に農村解体が出来ないわけがない 明治初期は幕府の残党や下野した西郷との内戦続きなのでそんな力はないよ。帝国議会以降は政治力を持つため解体不能 >>57
幕府は基本的には政治体制の安定が第一だったからなあ >>193
それは高度成長期以降に都市への人口流出に伴う過疎化という形で自然に解体されたのも多い。
限界集落になって日本的自治村落が崩壊してしまったところも多いし。 自然科学と人文科学の面で考える。
自然科学は島国だけで発展するのは難しい。
欧州の産業革命の恩恵を受けてないから。大陸だと陸地を通じていろいろ伝わる。
人文科学の面では日本は独自に発展してきている。
文化に限らず政治・経済・人民の教育水準・人民同士の上下関係など。
民主主義はなかったが、政治も経済も他のアジアより統制が取れていたし機能していた。
士農工商の身分制度にさえ目を瞑れば、他は世界水準では先進国家だったと思う。
欧州と比べるから遅れて見えるだけで…。 ではなく、幕府が発明改良を規制していたから
藩の力を削ぎ続けることで得られたパクス・トクガワなのでな
発明の恩恵で外様が豊かになられると牙を剥くからダメってな発想 江戸時代も吉宗までは開墾競争のフロンティアみたいな時代だったようだが、新田開墾の余地がなくなって石高頭打ちからは米相場というギャンブル中心の停滞期を迎えます。
ギャンブルが社会の中心な時点でもうだめ 難所の多い江戸時代に馬車で長距離輸送は無理なんじゃね
大規模長距離輸送なら船使うし
その船も幕府に制限されてたが 江戸時代は人が余っていたのだから、徳川吉宗が植民地開拓に乗り出していたら良かった。
大船作ってニュージーランドに日本人移民を送り込めば、米も作れて万々歳 幕府の歳入の基本が米で米価に左右されやすい。
天候の影響をもろに受けやすい。
商人が先物とかやっているけどどうにもならない。
隣国から食料の輸出入で調整も図れない。
江戸時代後期にはシェーレ(鋏状価格差)が広がりどうにもならなくなる。 技術の進歩を恐れるのではなく
各藩の優秀な人材を幕府に召し上げて
技術的リードを保てばよかった。 >>199
世界有数の酪農国となれるだけのポテンシャルを秘めた山地を無数にも抱えているのにも関わらず
日本人がまったく酪農に関心を持たないのは不思議なことである
ってシーボルトが書いてたな >>204
まあ、稲作信仰ってのは弥生時代からの日本の信仰の原風景なのは確かなんだが
とは言え、日本の山は欧州の山とは本質的に違うって感覚はシーボルトにも無さそう
そもそも牧草地作るのも難しいので、日本の山は シーボルトは日本では軍医ってイメージだけど地質学者や植物学者でもあるんだぞ
そこらへんは理解してたろうよ
ケガレ思想とか四つ足を食べることに嫌悪を持っていたことがデカいと思う
そういった禁忌がない琉球では普通に豚やヤギ肉が食べられていたし >>208
そもそも、当時の植物学の水準そのものが、植生の違いと環境についての蓄積がない状況で
シーボルト個人の能力関係なく、日本の自然環境を現代レベルで把握できるとは思えない
ケガレ思想とかそんなの後付けなんだよ
大規模な酪農に関東以西の日本は向いてない
北東北はその文化の犠牲者とは言えるかもしれんが ええええ宮崎牛や佐賀牛知らんの?
九州とか日本の畜産市場では北海道を凌ぐ産出額を誇る日本の酪農の要やで >>211
近代畜産業と中近世の酪農一緒にすんなと
近代畜産業は、飼料等の調達を大規模な物流に頼ること前提のシステムなんだぞ
これは農業もそうだし、商業も工業もそう 日本の農業は江戸時代の近海物流網の発達によりその生産性を大きく増したけど、近代以降の大規模物流とは比較にならない
中近世で酪農を基幹産業として成立させるには、基本的に全て自給自足できなければならない
食肉ではなく羊毛の生産と毛織物という北海類似のシステムなら可能かもしれないが
(しかし、高品質な羊は日本にはいない、残念ながら) 羊なら推古7(599)年に百済か伝来してるよ
その後も平安時代に至るまで新羅や唐から断続的に伝来してるけど観賞用動物扱いで一般には普及しなかった
東アジアでもっとも一般的な家畜と言えば豚だがこれはシベリアの亜寒帯機構や熱帯雨林気候にも適応できる超万能家畜で
日本でも弥生時代にはすでに養豚が始まっていたようだが不思議と本土は中世あたりで途絶えてしまった
それでも「続日本紀」天平4(731)年7月の記録には畿内の百姓から「畜猪」を買い上げて野に逃がしたという記述があることから
少なくとも奈良時代までは養豚の風習が本土にもあったはず >>214
「高品質な」って言ってるんだから、そこ読んで欲しい
高品質な羊毛獲れる品種じゃないと、毛織物産業成立しない 馬車だけでなく船でも昔の日本は立ち遅れていた。
竜骨を発明できなかったのは日本ぐらいのものであろう。 日本人はへぼい船しか作れなかった
李舜臣提督は秀吉のボロ船艦隊を還付無く打ち破った >>217
日本の水軍にやられて敗死した雑魚だろがw >>215
お隣の新羅は羊毛から作った毛氈が主要輸出品だったのだけどな
この新羅からも羊が伝わっているが新羅のように毛織物工業が発達した形跡は一切ない
食用の家畜としても普及しない
またラバ、ロバ、ラクダ、ヤギといった大陸では一般的な家畜も飛鳥時代には伝来しているが
よほど飼畜技術がなかったのかまったく根付かなった オールコック(山口光朔訳)『大君の都』岩波文庫,1962. [初出=1863年]
かれらには建築と呼びうるようなものはない。……したがって、世界最大の都市のひとつである江戸の街路ほど、むさくるしくみすぼらしいものはない。大名の屋敷でさえ、同じような建て方の低い一列のバラックにすぎず、ただ屋根が高いだけだ。(下巻, p. 176)
グスタフ・クライトナー(小谷裕幸・森田明)『東洋紀行』平凡社東洋文庫,1992-93. [初出=1881年]
実際に眺めてみると、期待した程のものではなかった。東京は大きな村という感じだった。そして、町の無数の貧弱な木造家屋の中に高々と聳え立っている帝の居城さえも、宮殿というよりもむしろバラックといった趣であった。(1巻, p. 289) >>216
和船は嵐が来ると帆柱を切り倒してしまうので、あとは風任せの漂流になってしまう。
縮帆という概念もなかったのかな? >>221
和船も帆を下ろすことは出来た。(さもないと風の日は港に停泊できない。)
嵐が来ると帆柱を切って漂流したのは、重心を下げて転覆を避けるため。 >>221
帆柱でさえ抵抗になるので切り倒した、って事では?
和船は基本的に横帆船だけど、その帆を完全に下ろす事ぐらいは出来る
筈。 和船はアホみたいに物資積み込めるからな
沿岸航法で国内に商品運ぶだけなら、ジャンク船よりずっと効率がいい
世界で一番長期間漂流して生還したのも、食料品を積みまくってた和船乗組員だったはず :|ヽ、 |ヽ: うがっ……これは捏造……これ…捏造……
:/ ヽ─┴ ヽ:
:/( ) ( )\: ノ\ ノ\
:/ !|l ⌒(__人__)⌒ \: ノ ヽ──丿 ヽ
:< ヽ |r┬-l` /u >: / \
:\ |r l -/ /: / u i 都合の悪い物は全て捏造認定か、さすがだな…
:ノ u `ー'∪ \: | |
丶 ノ
頭長幅指数分布図(大阪大)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4c/bb642b62a3fe5cb15046e1100aba3093.jpg
中頭 日本人
短頭 韓国人、畿内人
↓
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い。
で、この(過)短頭の人たちは百済、対馬、瀬戸内沿岸とつながっています。
(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授) ・奈良、京都主導の古代日本は朝鮮より下っ端の後進国
:|ヽ、 |ヽ: うがっ……これは捏造……これ…捏造……
:/ ヽ─┴ ヽ:
:/( ) ( )\: ノ\ ノ\
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:\ |r l -/ /: / u i 都合の悪い物は全て捏造認定か、さすがだな…
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丶 ノ
日本と朝鮮半島の歴史と文化の交流というものを考えてみますと、長きにわたりまして、日本は朝鮮半島よりも明らかに後進的な国です。
『古代豪族と朝鮮』京都文化博物館編
河内飛鳥(大阪府)の文化は百済につながる人々によって創造された百済色の濃い文化であった。
(『河内飛鳥』山尾幸久・立命館大学教授)
秦氏というのは新羅を母国といたしまして、五世紀の後半に日本列島に渡来してまいります。そしてこの京都に住みつきます。
(「渡来人と平安京」井上満郎・京都産業大学教授) >>225
和船はすごい小型だけど千石船で150トン程度だし
ジャンクやガレオンは500〜600トンがあたりまえなので比較級にならない
おまけに竜骨も持たないから構造的に脆いし隔壁構造もないので一か所穴が開いただけでもおしまい 日本人は自分が世界の先進国で、世界中の人が日本にあこがれ、
日本を尊敬し、日本を見習いたいと思っていると、
勝手に思い込んでいるようだ。
しかし、そう思っているのは日本人だけで、
実際は、日本人は、世界中で馬鹿にされ、
差別される立場だ >>226
人類形質学とか時代遅れの遺物を未だに信奉してる奴がいようとは
近畿に限らず北は東北から南は九州まで本土人の母系遺伝子はほぼすべて半島系だぞ >>228
”竜骨”の概念が、和船と海外の帆船とでは
どうやら違うらしい。
って、ウィキペディアに書いてあった。 >>1
事実を指摘した29に対して返事できないのか
>弥生時代の日本に弩があったことも知らないのか まず勝手に海外に出られて密輸と奴隷貿易をされたら困る幕府が船の大きさを制限したということ
それと風土病やら伝染病持ち込まれてパンデミックになっても困るわけ
台湾には蟷螂病っちゅー身体が溶ける(と信じられていた)性病もあったわけで
あと伴天連や回教や極彩色仏教なんかを広められれば反社会勢力の温床になるだけなんで甚だ迷惑なだけと、割と真面目な回答 >>1
おまえ馬鹿だなあ
弥生時代の日本に弩があったことも知らないのか >>233-234
海外の大型帆船は、中央に竜骨を置いて
そこから骨組みを作って板をはるんだけど、和船は
板を組み合わせて船体を作って行くから
”竜骨”に相当する部材が無いんだそうだ。
異論は多分あるでしょうが、それは認めます。 >>230
馬鹿チョンは日本を見習わず、日本に嫉妬し、日本が先進国じゃないと、勝手に思い込んでいるようだ。
しかし、そう思っているのは馬鹿チョンだけで、
実際の日本国は、G7入りが出来た希少な先進国で、
日本人は、ノーベル受賞常連で世界中から尊敬される立場だ >>236
日宋貿易や朱印船貿易って知ってる?
鎖国政策まで頻繁に大陸と往来してたけど外洋船を作る技術はないので中国から船を丸ごと買ってそのまま使っていた
パクるだけの技術力がなかっただけの話 >>1
事実を指摘した29に対して返事できないのか
>弥生時代の日本に弩があったことも知らないのか >朱印船
中国やシャムで作ったジャンクを輸入してたんだよ >>1
事実を指摘した29に対して返事できないのか
>弥生時代の日本に弩があったことも知らないのか >>244
船どころか航海士まで外国から雇ってきた明人や南蛮人任せだったからな
島国なのに造船技術や航海技法が未熟だったのはおかしな話だが 江戸時代の造船技術があまりにも不甲斐ないので、幕府が竜骨を禁じたから作れなかった
(だから日本の技術が劣っていたわけではない)という、政治に責任転嫁する虚説が流布した。 まあ、概念自体が無いんだから、いくら幕府でも禁じることはできまいw >>247
チョンさんデマはやめましょう
>>246
船である以上、難破して不可抗力で外国に着いてしまう可能性があるから外国人の方が都合がいい 太平洋を横断したサン・フアン・バウティスタ号は日本で作られたんだぞ 江戸時代でも室町時代や安土桃山時代と比べたら進歩してるんだけどな
朝鮮出兵時の記録である「宣祖実録」だと倭は三風のうち一風を用いることしか知らない
つまり順風帆走しか出来ないことを明・朝鮮側に指摘されていたが僅か数年後の1600年初頭には横風帆走や間切り走りまで出来るようになっている
多数の明や朝鮮人捕虜を得たのでその影響も否定できないし依然として沿岸航法レベルだったが
それでも驚くべき進歩であることには間違いない 帆船「サン・ファン号」伊達政宗の夢を石巻に再現!
https://www.travel.co.jp/guide/article/4124/
今から400年前、「スペイン国王から貿易の許可を貰う」と言う伊達政宗の命を受け、仙台藩家臣「支倉常長(はせくらつねなが)」は、日本人初の太平洋横断に臨みました。
ヨーロッパへと旅立った慶長遣欧使節船「サン・ファン号」は全長55mという小さい船。現代人から見ると信じられないほどの小ささです。でも藩に残る資料によれば大工・鍛冶など総勢4000人以上で建造されたそうです。
このガリレオ船に、常長を始め宣教師ルイス・ソテロ、商人、水夫など総勢180人が乗り込みました。そして1か月の苦しい航海を続け、太平洋を横断しメキシコに到着。 >>250
>>252
http://www.town.kawasaki.miyagi.jp/18,605,64,292.html
>スペイン特使ビスカイノの技術指導で造られたサン・ファン・バウティスタ号は、全長55m、幅11m、高さ40m、排水量500tの世界最大級の木造帆船。
プロデュースもスペイン人だけど船長から水先案内人までもスペイン人という
>>253
恒福曰: 使船, 吾用三風, 彼用一風, 不用風。(宣祖祖実録121巻 宣祖33年1月29日) 遅れていることは恥でも惨めでもない。
現実を粛々と受け止め努力すればよいだけだ。
>>255のようにすぐ拗ねる人間は幼稚だが。 実際に日本を訪れれば、期待した程のものではなくがっかりする。
江戸は大きな町程度の感じである。都市に散在している貧弱な木造住宅、その中にそびえ立つ王の居所も、宮殿というよりは単なる城壁のような姿で非常にみすぼらしい。
そして、それよりも深刻なのは、支配層の行動だ。民族のレベルの低さを放置し、それを根絶することにまったく関心がない。
文化の発展で最も重要なのは公衆道徳であるが、日本人には公衆道徳が少しも存在していない。路上で服を脱いで歩き、どこにでも尿や便などの排泄行為をする。一言で言うと公衆道徳が完全に欠如しているのである。
この点で日本人の考え方は、欧州人とはあまりにも差がある。日本を訪れる人々は、欧州とは一挙手一投足が、まったく違う姿を常に目にすることになるだろう。どんな都市や村にも銭湯はあるが、そこでは間違いなく男女が一緒に入浴する姿を見ることができる。 >>257
独自研究ですか?
せめて、資料の出典先とか欲しいですね。 奈良県には百済川という川もあるしそもそも奈良という言葉自体が古代韓国語で国という意味
桓武天皇が首都移転をした京都盆地は新羅系の秦氏の本拠地
奈良時代は百済系渡来文化で平安時代が新羅系渡来文化
武士の発祥は平安文化の軍事貴族階級
新羅三郎義光が源義光を名乗って後の日本の大名達の大先祖となる そもそも奈良という言葉自体が古代韓国語で国という意味ではないので
最初から破綻してる 都合が悪くなる自分の思ってることの反対を書き込んでワザと叩かせるというネトウヨ特有の発作だからこれ やばくなったら韓国のトンでも説、ウリジナルをかき込む トンネルがない が いっしゅんトンスルがないに見えた ウリがトンスルなしで生きていけるとでも思ったニカ? >>259
なるほど、ウリナラ(我が国)のナラが奈良の元か。
言われてみればな。 >>1
事実を指摘した29に対して返事できないのか
>弥生時代の日本に弩があったことも知らないのか 日本の古代史は新羅系と百済系の相克と考えるとよく理解できるんだよな
日本の歴史書ではあえてそれを隠しているようだが スレ主は無知蒙昧のヤカラだな。
室町時代の日本の為替システム。この時代から現金なし決済システムがあった。
ものすごい先進システムだろ?
おとなり朝鮮では物々交換の時代だ。
それに馬車はなかったが牛車は平安時代にはあった。
つまり騎乗(馬車)は社会制度上特定のものしか許されなかったんだよ。
大八車はあったぞ。 >>271
そんな中東じゃ紀元前からやってるもの持ち出されても ネトウヨご自慢の江戸時代ジャップランドの為替や先物なんて中東では紀元前から行われていた
そしてその実利と悪影響を千年以上体験して思い知った結果がイスラム教による先物の禁止
中東はジャップランドなど比較にならない超先進地域だよ 中東をパクるには距離が遠かった
それだけのこと
パクリ族に不可能はない 「一紙半銭、奉財の輩は、現世にては無比の楽に誇り…」
この「一紙」とは、「一枚の為替」なんだってさ。 古代エジプトや古バビロニア時代にもあったようなシステムが先進的ねぇ?
それと李氏朝鮮では軍布と言われる布が実質貨幣の代わりとして徴税や商取引で使われていたり
決して自然経済だったわけじゃねえぞ >>276
古代エジプトやバビロニアの預り証券制度は、近代為替取引システムとはまるで別物だけどな
商品先物に関しては割と近いけど なお、近代の決済銀行と為替決済、先物市場、海上保険、複式簿記は中世末期の北イタリア生まれ
日本の江戸時代の簿記も一部複式簿記的な扱いができるものもあったけど、不完全で萌芽的なものでしかない 後漢書の東夷列伝だと弁韓ですでに貨幣が使われていた記述があるな(市之凡諸貨易皆以鐵為貨)
また戦前の朝鮮総督府時代から燕の明刀銭(紀元前3世紀が使用の下限)の出土が確認されているので貨幣の使用は日本よりもずっと古いと思われる 日本よりも韓国の方が元々は貨幣経済も発展していたんだよね
周辺民族の破壊行為によって停滞したんだがその犯罪筆頭が倭人で次が女真
女真は滅亡して天罰食らったが日本はこれからかな 自分の思ってることとは正反対のこと書いて叩かせようとするネトウヨ例の発作 >>1
事実を指摘した29に対して返事できないのか
>弥生時代の日本に弩があったことも知らないのか >>279
燕はすでに朝鮮を領有してた、とする記述の信憑性が高まったな
その出土品によって 任那は加羅の一部
だから任那を取り上げるのは変
任那日本府を連想させる変な用語をわざわざ使う理由はない 半島南西部〜列島太平洋側が倭国百済
半島南東部〜列島日本海側が日本新羅
韓国と日本の対立は一部政治勢力によってでっち上げられた チョン北部は楽浪郡
チョン南部は任那日本府
反日種族が直視できない史実 目出度い新年のしょっぱなから
しょうもない書き込みすんな >>1
事実を指摘した29に対して返事できないのか
>弥生時代の日本に弩があったことも知らないのか チョン北部は楽浪郡
チョン南部は任那日本府
反日種族が直視できない史実 >>296
製鉄の始まり、を
どの辺にするかなんですけどね。 >>285
つまり宋銭を利用していた鎌倉時代の日本は宋に領有されていた? >>301
宋銭使ってたら宋の領域とすると、時間さえ超えてとんでもない広さと期間が宋の支配下ってことになるなw >>300
そういう言い訳はしない方がまし。
情けなさが増すだけ。 半島経由を必死に否定する必要はないんだぞとネトウヨに言ってるんだが >>279
刀銭なんて時代遅れな貨幣を通貨にしてるから弁韓は先進国になれずに消滅したんだね そんなこと言い始めたら同時代の倭なんて貨幣すらなくて
原始時代と同様物々交換の自然経済だぞ >>306
日本に限らず、あの時代に貨幣経済(それも半ば信用通貨)が成立してる地域なんて世界中ほとんどない いまや世界三大通貨はドルとユーロと日本円だもんなあ 戦国・安土桃山時代はなんで投石機とか弩が使われなかったのだろうか?中国では普通に実戦で使われていたのに。 >>1
事実を指摘した29に対して返事できないのか
>弥生時代の日本に弩があったことも知らないのか >>312
まさか弥生時代に日本に既に弩があって
古代では歩兵が使用していたが、重いので
騎兵中心になった鎌倉時代に使用しなくなったとは
>>71
朝鮮と江戸期の日本と19世紀のオマーンの権力者は発想が似ている
ただし、そんな技術を政治的理由で停滞させる事が許される地域や時代は限定される
外敵がバンバン攻めてくる環境になれば停滞してたら簡単に征服されるから嫌でも技術改良を考えざるを得ない
島国の日本だけでなく大陸でも最東端の朝鮮でも内陸部よりは安定してるだろうから停滞が許されたのだ
アジア大陸部も遊牧民や海賊、十字軍の圧力が掛からなくなると「停滞しても良いんだ」と言うノリになってきた
そこにアジアが安定してからも延々と戦争を繰り返して技術革新を続けた欧州が攻めてきた >>311
確かに日本で古代に使用され!!中世に使用されなくなった弩を復活させる動きが戦国時代にないのは謎
ただ、その頃には南蛮から大砲も伝来したからな >>313
弩を使わなくても日本はモンゴル帝国に連勝できたということか 弩はコストと技術と整備がかかるし弩より強い弓を撃てる戦士階級である武士が多かったから…と聞いたことがある
遊牧民で皆が弓を使えるモンゴルも弩は使って無いしね >>1
>弩を使わなくても日本はモンゴル帝国に連勝できた
その反面、弩を使ってた南宋はモンゴル帝国に滅ばされてしまった 弩は平安時代初期くらいまでは日本でも使われていたらしい
弩が日本で使われていたなくなった理由は分からんが >>320-321
元寇の時に、弩を装備した元軍を日本の武士が撃退したからな 律令制では「軍防令私家鼓鉦条」によって
「凡そ私家には鼓鉦、弩、牟(二丈の矛)、矛肖(ショウ、一丈二尺の矛)、具装(馬甲)、
大角・小角(角笛)及び軍幡(軍団の指揮具)有ること得じ」
と定められ
上記は「賊盗律禁兵条」によって「禁兵器」と規定され、
盗んだものには徒(強制労働)一年半〜二年の罰則があり、
擅興律の逸文によれば上記を私有した者に対しても徒、一年の罰則が規定されているように
矛や弩の私有は禁止されていた。
いっぽう「軍防令簡閲戎具条」には国司は毎年十月に民間の「戎具」を検閲することとなっており
(戎具とは『義解』によれば「国内の百姓随身する弓箭・刀剣等の類也」)
これらは「賊盗律禁兵条」に「禁兵器」に対する「余兵器」として「是官の兵器と雖も私家に有り合ふ者」
として私有が認められていた。
つまり弓矢や刀剣の私有はOKだけど矛や弩の私有はアウト。
初期の武士が弓矢と太刀で戦ってたのもこれが理由。 平安時代から牛車があった
悪路では馬車は揺れて乗り心地悪いだろうから無理 古代ローマ帝国の郵便馬車制度で「良い知らせ」より「悪い知らせ」を
運ぶ馬車が優先されたというのは、優れた制度運用であるといえる。 源氏物語では牛車の渋滞による車争いがあったのにな。 >>326
しかし、悪い知らせを持ってきた使者を切り殺した、なんて
ローマ皇帝も居たようですし。 牛車が使えるのは整地された都限定だな。
車軸が木製でサスペンションなんて無いから貴族が近隣の屋敷に移動するくらいしか使い道ない 馬を道具にしてきた歴史のヨーロッパ。
天罰が待ってるぞx
犬の尻尾も邪魔だからと切っちゃうような奴らが先進国だってかw
ただの残酷人もどきの国だろ。 >>332
気づかないということはそれだけで罪なんだよw
変なのはおまえだとつゆにも思わないからなw >>332
菜食主義者がペーチェット病になるんけじゃない、おまえなような偏った頭のものが未知の奇病に罹患するw
無知なんだよ、イギリス人がなんで日本の恩恵をうけているのよさっさと帰れw >>333
普通の牛皮だろw
牛といえば、牛もヨーロッパでは失敗してるんだよなw >>333
ペストで滅んだ呪いの場所に移住したおまえw 敵を作りすぎなのは、好き好んで敵を作るのが好きだからだよな、イギリス人はw 麻薬、劇薬だろうがその密輸が後をたたなかった理由に、イギリスの空港職員が金儲けでやっていたというのがあるよな。
検査して出てきた劇薬や阿片をくすねて、高値で裏で売っていたんだよ。 化け猫になるからって猫のシッポ切ってた国があるらしい 尻尾切ったり耳切ったりはペットの管理として現在も世界中で広くやられてるな
さすがに米国のネコの爪を無くすために指先切り落とすのは非難されてるが >>343
管理っておまえらが、管理されないとダメだろうなw >>343
自分たちを正当化すればそれで犬は納得したんならいいけどなw >>343
東京都葛飾区亀有3丁目15-11-514
イギリス中国共産党員 ただ
リチャード キンドン 37
090 1722 0542
東京都立葛飾総合高等学校
英語教師 アメリカ人と嘘をついている >>323
平将門が刀身の曲がった日本刀を作らせて騎馬隊で運用したせいで、この脱法武器がサムライの時代を作ってしまう流れだ。
馬上から振り下ろす使い方に優れています。 平将門というのは実在してないんだけどね。
平将門というのは何かなんだろうけどw 歴史上は存在するが実在しないとか身もふたもないなw
近世までは病死や戦死やクーデターで戸籍乗っ取り放題だからな。 >>352
戸籍ってw
身もふたもないってことはないよ、平将門の言葉の意味が他にあるんだから。 明治時代まで日本人は蹄鉄というものを知らなかった。
紀元前から使っていた民族もあるというのに。
日本の歴史と騎馬民族の関りを説く説があるがとんだお笑い草だと思う。
日本人ほど馬の活用が下手な民族は珍しい。 代わりに馬に草鞋を履かせていましたよ
蹄鉄は何故か普及しなかったとか
荷運びがメインだったからか? 蹄鉄は地面ではなく餌の影響らしい
干し草ばかり与えると栄養不足になり
蹄が弱るから蹄鉄を装着したのだとか
(Wikipedia参照) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています