グスタフ・マーラーPart22
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バンスタ、ショルティ、クーベリックの果たした役割は大きい マーラーやブルックナーはスピーカーの前にきちんと座って聞く音楽ではない
長すぎるからBGMとして聞き流している マーラーとブルックナーは無駄に長すぎるのが欠点だ
内容はたいしたことないのに 真剣に聴いてるかというと?だけど、
音の洪水に身を任せて快感なのはどっちも同じ。
まぁ俺には音楽性などという高尚なものはわかんね。 基本的には現実に構築して行く反復の多いブルックナーと変化と発展を好み反復を嫌うマーラーでは長さの質もくどさの質もまーったくちゃいますな 文学青年だった頃にはどっちも集中して聴けたし、どちらにも別種のカタルシスを覚えたものだ。
今じゃストリーミングかItuneで垂れ流し、BGM。
とてもとても全曲なんて苦痛で聴けない。時間ももったいないし。 マラ、ブル全集をすべて所有してる人は大金持ちだろうな >>123
そんなに種類無いから、そこまでじゃない
ベートーヴェンとか凄い 一番金かかるのは大バッハのカンタータ全集コンプリートじゃね? ほんとうにマーラーを理解して聞いてる愛好家っているのか どんな芸術でも作品も、完全な理解なんて誰にも無理
>>127 みたいな疑問持つのは野暮 中学生の頃とかは「この芸術作品を本当に完全に晴れたので理解!」とか考えるやろ
笑ったるなや 宮内庁楽部のエジンバラ公演のドキュメンタリ見てたら
雅楽を聴き終わった観客のばあさんが
「マーラーの9番を聴いてるみたいだったわ」
へぇ・・・と思った 俺は英ジョンレノンの「ウーマン」の終わり聞いて「大地の歌」の終わり思い出したよ。 最後になってあの曲をかけたって言うのがすごいよな
本当に白鳥の歌というか辞世の句になってる
まあ未完成も含めれば10番もあるわけだが、あれさもう彼岸に逝っちゃってる感じ いまや伝説のワルターによる「大地の歌」はSP、モノラル、ステレオ、どれがベストか
ファンなら三種類全部そろえるべきものなのか 0028 セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o 2017/11/20 02:20:05
故 宇野 功芳先生と大地の歌。
21世紀の名曲名盤2
52 ワルター&VPO、3点
91 ベルティーニ&ケルン放送so、2点
60 ワルター&ニューヨークpo、1点
新編 名曲名盤300
52 ワルター&VPO、2点
52 ワルター&VPO〈L〉2点
91 ベルティーニ&ケルン放送so、1点
>>136 ステレオだけで3種類ないか。 >>137 間違っていた。52年はモノラル。モノラルは2種類。SPは1種でステレオは
1種で4種類ではないか。 36ライヴ オーパス蔵である。36なのでSP。52のライヴについては問題が多すぎて
買わないほうがよい。名演だが聴けばわかる。聴けば本当にあることで問題あり。
聴かないほうが身のため。 おじいちゃん、他所に書き込んじゃ駄目でしょ。
-++セルスレッド6・フォン・カラヤン++-Nr.66
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1515647682/
彼のスレで、たまでいいので相手してあげて下さい。 NYP との1948.1.18 の録音もある。
Naxos 8.110029 コーホーが評価しているワルターの「大地の歌」はまずVPOとのモノラル盤
次いでNYとのステレオ盤
戦前のVPOとのSP盤はあまり高く評価していない
録音の古さもあるだろうが致し方あるまい あれだけ大げさな編成で作曲した8番の次に元のスタイルに戻った9番
マーラーは自分の死が間近いことを予感していたのだ 拡大の後に縮小が来るのが創作上の特徴の一つだとお前の大好きな80年代のレコ芸に載っていた諸井誠の論文にあるぞ
諸井は8番の次は大地の歌も挙げていたがな
3番→4番 6番→7番 8番→大地
宇野志鳥黒田福永とか月評ばかり見てないでさ 2作目の復活から声楽を取り入れたマーラー
派手好きな性格だったのか 編成が大きい曲も小さい曲も作ってるって、わざわざ論文にしなくてもw 1番2番がむっちゃ演奏されてるのにこのスレではかっこつけて語られないのは恥ずかしいと思う 大げさな8番を書いた理由は「俺、まだこんなん書けんねんで」と
嫁はんにアピールするためだったと誰かが言うていた。
誰かは忘れた。 5番を一躍有名にしたのが「ベニスに死す」というホモ映画だった マーラーがアメリカへ出向いたのはユダヤ人が権力を握っていたからなんだろ? アメリカでスコアをメチャクチャに書き代えてトスカニーニを激怒させたのは有名な話 子供の不思議な角笛だが、バンスタのピアノ版とオケ版
どちらがいいのか 大地の歌は9番となるべき交響曲だったのに
あえて9番を避けた理由はいろいろ説がある >>159
windowsが8のあと10になったしな 4楽章から5楽章への太鼓2発で、狂気から絶望へのシフト
なお一音削ったラトルは無能 >>163
アダージョだけでも聴き所だらけ
気付けない人は無能 10番といえばハーディングのは驚いたな。
異質さが全くない。マーラーの交響曲として自然に聴ける。 ゆっくり暗い感じで始まる交響曲は、ハイドン、モーツァルトも沢山書いてる
1楽章途中で長調に移調してテンポアップするのが大半だけど つーか10番「アダージョ」は曲名でテンポ指定でないことをまだ知らないやつがいるんだな >>171
クック版のスコアを見ればマーラーがどこまで書き残したか分かるようになってるよ
あとは自分で判断しろ >>174
?
だからクックは元の素材は提供してるんだから自分で判断しろと言ってるわけだが
意味ありげに誤摩化してないで反論があるなら具体的にどうぞ まさかとは思うがクック版のスコアを見たことが無いとかじゃないだろうな
それなら話が通じないのも合点がいくが お前も見たこと無いようだな
見ても分からんのだろうが ttps://www.youtube.com/watch?v=2bWykCZXGDs 小生はダニエル・ガッティかハイティンク/CSOですかね
プレートルとかバンスタみたいな熱血系は最近は響いてこない わいマーラー初心者
アバド・ルツェルンはあかんやつか?
DVD買おうかと 6番だけはブーレーズいいと思う。
6番だけだけど。 アバドのようなイタリア指揮者はマーラーには向かん
あの大指揮者トスカニーニ、フルベンでさえマーラーなどバカにして振らなかった フルヴェンはマーラーをバカにしてませんよ
著作でも一項を割いているし
あの時代のドイツ人指揮者としてはマーラーをかなり取り上げた方でしょ
特に戦前
3番やるなんてむしろマーラーをやる超少数の側に トスカニーニはマーラーを徹底的に見下していた
ただ長いだけで内容がまるでない、とね やたらレスは多いが中身が無く誤謬だらけのお前もトスカニーニに叩いて貰えば 夜の歌におけるクレンペラーのスケールの大きさは計り知れない >>197
他の交響曲、ベートーヴェンとかでもマーラーの金管追加とかを継承している
田園のTpの旋律とか未完成のバストロとか トスカニーニなんて大抵の作曲家は見下してるけどな
ベトモツヴェルディワーグナーあたりは別として 昔、クレツキーという指揮者がおってな
巨人を残しておる クレツキーはオーマンディが来日したとき補佐役で一緒に来ている >>193
フルヴェンの弟子の意見
「指揮者チェリビダッケのマーラ評のことば」より。。。
「グスタフ・マーラーは節度と言うことを知りません。
確かに彼は管弦楽法と音響の偉大なるヴィルトゥオーソでした。
それで?それが今日彼に与えられた重要性、あるいは周囲が祭り上げているものを正当化することになるのでしょうか?
彼は頭が混乱していました−足と手のあるサナダムシ。
自分自身の持っている可能性をはるかに越えたスケールの大きさを求めていました。
一度始めると、初めはいいけれど、だんだん止められなくなってしまうタイプの人間。
彼には気骨がない、いつも嘘偽りばかり−人非人。
交響曲第5番の第1楽章を理解したと言うならば、嘘つきだ−ほら吹き。
マーラーなんて私はまっぴらごめん。
(「異端のマエストロ チェリビダッケ 伝説的ルポルタージュ」クラウス・ウムバッハ著)」 ミドルネームをもつマーラー
スタグフ・レーション・マーラー >>204
弟子の意見は師匠と全く同じだとか思ってる? チェリビダッケから見たマーラーはまさにそのとおりの音楽だろな。
正否はともかく、大指揮者たるものそれくらいはっきりした価値観はもってて当然だと思うな。 やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 人が完全な物を創造すると期待する方がおかしい。
まして自分が完全な物を創造できると前提しているような言動はもっとおかしい。
マーラーの余人が真似できないヴィルトゥオーソが指し示すものを想像するだけで充分楽しい。
カラヤンやチェリのような禅の上品な趣味人はクレンペラーの爪の垢でも煎じて飲めばいいのだ。 ブルックナーの大家ヨッフムがマーラーを録音していたのには驚いた
でも、「大地の歌」のみだったが ワルターの復活はステレオ初期の録音なので音がボヤけてきている マーラーはBGMとして聞いている
スピーカーの前に正座して聞くのはしんどいからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています