グスタフ・マーラーPart22
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そういえばテンシュテットとかいうドイツの指揮者が新解釈のマーラー全集を完成させてたな
一時はレコ芸を賑わせたが今じゃ忘れられた存在になってしまった アブラヴァネルのLPは日本盤は出てなかったんだっけ? マーラーは写真を見ると背丈がない小柄な人だったんだね 千人の交響曲初演に立ち会ったストコは1916年にアメリカ初演を行った
ストコは常に時代の先端を走っていた タイムマシンが有ったらまず行きたいのが
ベートーヴェン第九とマーラー第八の初演。 >>71
そこは10番完成させるように歴史改変だろ。 マーラー生存中に映像と録音技術が間に合ってたら良かったのに
ヴェルディの葬儀の映像はあるのに トスカニーニ、フルトヴェングラーのような大指揮者はマーラーなど無視していた
フルトヴェングラーはFディスカウの伴奏で仕方なくつきあった程度 >>75
フルベン「マーラーはワルターに任せた」って言ってたってよ 戦前は割と演奏していた方
1、3、4を演奏している 私は、カナダ ブリティッシュコロンビア州 バンクーバーを主な拠点として
世界的に活躍するピアニスト
新屋 宗一 しんや むねかず と申します。
Shinya Munekazu
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同性愛の何がいけないのですか? 千人の交響曲の極めつけはショルティ盤だ
いまだに色あせない名盤 今ならセーゲルスタムかギーレンか店主の最晩年のかなあ
シノーポリもなかなかいい
昔はホーレンシュタインとバンスタVPOが決定盤扱いされてたけど>8番 バンスタの復活の再録音をカセットでエアチェックした思い出
あのテープはどこへいったのかな マゼールもなかなか
円盤になってないものなら小澤BPO('75? '76?)
ヤンソンスが平板で今ひとつだった ストコの復活は一聴の価値あり
これほど大規模な作品はストコにうってつけ ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ ワシが初めてマーラーなるものを始めて聞いたのがワルター初のステレオ録音の「復活」だ
オケがNYフィルという豪華盤じゃったよ
これはコーホー君も絶賛した名盤じゃ ワルター当時のアメリカではマーラーなどまだ浸透していなかった
ワルターの名で仕方なく商業化に踏み切ったんだろうな リチャード・オズボーンのインタビューで
「マーラーは難しい」と言ってるしね。 マーラーはユダヤ系指揮者の十八番
ユダヤ人しか理解できない EMIではライブラリーを構成するのに
どう考えてもクレンペラーにインセンティブがあって
彼が乗らない作品をバルビローリでっていう図式だったのかと
そうすると5番6番なんか、御大は駄作だと思ってたんだろうね クレのマーラーは長すぎる
ただでさえダラダラした指揮しかできないのに長大なマーラーの演奏を聞くなんて
地獄を味わうようなものだ >>105
5番について
第一楽章の葬送行進曲は大好きですが、スケルツォは長すぎます。
それからアダージェットはとてもよい曲だが、まるでサロン・ミュージックです。
終楽章も長すぎる。だから私はこの交響曲を指揮したことがないのです。
6番について
わたしはベルリンでオスカー・フリートが指揮した公演のとき、
チェレスタを弾きました。そのときはマーラーもいたと思います。
そうです。たしかにいました。これは大作です。終楽章はほんとうに
それ自体のなかにひとつの宇宙を形づくっています。
それは生と死の悲劇的結合です。しかし正直なところ、
私には理解できないのです。さらにわたしは第一楽章の第二主題は
非常に問題があると思います。これは複雑きわまる作品です。
ピーター・ヘイワース編「クレンペラーとの対話」50〜51ページより クレンペラーは第8の録音も希望したが、資金難のためボツになった。
まさに痛恨の極みといえよう。 クレソと6番クッソ相性良さそうなのになあ・・・
まあ反事実的条件法言ってもしょうがないけどさ クレンペラーの大地の歌はせっかく名歌手を揃えたにもかかわらず駄演に終った。 マーラーが日本に浸透し始めたのはいつ頃からなんだろう バンスタ、ショルティ、クーベリックの果たした役割は大きい マーラーやブルックナーはスピーカーの前にきちんと座って聞く音楽ではない
長すぎるからBGMとして聞き流している マーラーとブルックナーは無駄に長すぎるのが欠点だ
内容はたいしたことないのに 真剣に聴いてるかというと?だけど、
音の洪水に身を任せて快感なのはどっちも同じ。
まぁ俺には音楽性などという高尚なものはわかんね。 基本的には現実に構築して行く反復の多いブルックナーと変化と発展を好み反復を嫌うマーラーでは長さの質もくどさの質もまーったくちゃいますな 文学青年だった頃にはどっちも集中して聴けたし、どちらにも別種のカタルシスを覚えたものだ。
今じゃストリーミングかItuneで垂れ流し、BGM。
とてもとても全曲なんて苦痛で聴けない。時間ももったいないし。 マラ、ブル全集をすべて所有してる人は大金持ちだろうな >>123
そんなに種類無いから、そこまでじゃない
ベートーヴェンとか凄い 一番金かかるのは大バッハのカンタータ全集コンプリートじゃね? ほんとうにマーラーを理解して聞いてる愛好家っているのか どんな芸術でも作品も、完全な理解なんて誰にも無理
>>127 みたいな疑問持つのは野暮 中学生の頃とかは「この芸術作品を本当に完全に晴れたので理解!」とか考えるやろ
笑ったるなや 宮内庁楽部のエジンバラ公演のドキュメンタリ見てたら
雅楽を聴き終わった観客のばあさんが
「マーラーの9番を聴いてるみたいだったわ」
へぇ・・・と思った 俺は英ジョンレノンの「ウーマン」の終わり聞いて「大地の歌」の終わり思い出したよ。 最後になってあの曲をかけたって言うのがすごいよな
本当に白鳥の歌というか辞世の句になってる
まあ未完成も含めれば10番もあるわけだが、あれさもう彼岸に逝っちゃってる感じ いまや伝説のワルターによる「大地の歌」はSP、モノラル、ステレオ、どれがベストか
ファンなら三種類全部そろえるべきものなのか 0028 セルスレッド6 ◆k/Pt4j/z1o 2017/11/20 02:20:05
故 宇野 功芳先生と大地の歌。
21世紀の名曲名盤2
52 ワルター&VPO、3点
91 ベルティーニ&ケルン放送so、2点
60 ワルター&ニューヨークpo、1点
新編 名曲名盤300
52 ワルター&VPO、2点
52 ワルター&VPO〈L〉2点
91 ベルティーニ&ケルン放送so、1点
>>136 ステレオだけで3種類ないか。 >>137 間違っていた。52年はモノラル。モノラルは2種類。SPは1種でステレオは
1種で4種類ではないか。 36ライヴ オーパス蔵である。36なのでSP。52のライヴについては問題が多すぎて
買わないほうがよい。名演だが聴けばわかる。聴けば本当にあることで問題あり。
聴かないほうが身のため。 おじいちゃん、他所に書き込んじゃ駄目でしょ。
-++セルスレッド6・フォン・カラヤン++-Nr.66
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1515647682/
彼のスレで、たまでいいので相手してあげて下さい。 NYP との1948.1.18 の録音もある。
Naxos 8.110029 コーホーが評価しているワルターの「大地の歌」はまずVPOとのモノラル盤
次いでNYとのステレオ盤
戦前のVPOとのSP盤はあまり高く評価していない
録音の古さもあるだろうが致し方あるまい あれだけ大げさな編成で作曲した8番の次に元のスタイルに戻った9番
マーラーは自分の死が間近いことを予感していたのだ 拡大の後に縮小が来るのが創作上の特徴の一つだとお前の大好きな80年代のレコ芸に載っていた諸井誠の論文にあるぞ
諸井は8番の次は大地の歌も挙げていたがな
3番→4番 6番→7番 8番→大地
宇野志鳥黒田福永とか月評ばかり見てないでさ 2作目の復活から声楽を取り入れたマーラー
派手好きな性格だったのか 編成が大きい曲も小さい曲も作ってるって、わざわざ論文にしなくてもw 1番2番がむっちゃ演奏されてるのにこのスレではかっこつけて語られないのは恥ずかしいと思う 大げさな8番を書いた理由は「俺、まだこんなん書けんねんで」と
嫁はんにアピールするためだったと誰かが言うていた。
誰かは忘れた。 5番を一躍有名にしたのが「ベニスに死す」というホモ映画だった マーラーがアメリカへ出向いたのはユダヤ人が権力を握っていたからなんだろ? アメリカでスコアをメチャクチャに書き代えてトスカニーニを激怒させたのは有名な話 子供の不思議な角笛だが、バンスタのピアノ版とオケ版
どちらがいいのか 大地の歌は9番となるべき交響曲だったのに
あえて9番を避けた理由はいろいろ説がある >>159
windowsが8のあと10になったしな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています