【昭和】政界懐古スレ Part52【平成】
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>>492
元衆院議員の橋本氏初当選 安芸太田町長選
広島県安芸太田町長選は24日、投開票され、無所属新人で元衆院議員橋本博明氏(49)が、無所属新人の前副町長小島俊二氏(64)を破り、初当選を果たした。 まあいずれにせよこれで菅は潰れた
安倍は衆院の残り任期とオリンピック中止の責任を負わさせられるから
来年の任期満了までは死に体で続行
次はキングメーカーを巡る麻生vs二階が焦点 >>497
島本 虎三
日本社会党に所属し中選挙区時代の衆議院北海道第1区で5度当選を果たした後
仁木町の有志の要請で町長選挙に出馬し当選し1987年まで2期8年務めた。
神沢浄
日本社会党参議院議員、衆議院議員。
1983年の参院選で落選後、1984年、革新陣営に担ぎ出されて竜王町町長に当選、2期務める。 >>497
飲酒運転で捕まって比例名簿も外されていた橋本がまさかここで政界復帰とは。
何が起こるか分からんね。 >>502 >>497
写真週刊誌に飲酒運転をあげられた大内啓吾はお咎めなしだっね。
あと大内は暴力団事務所に挨拶に行ったのをあげられていたね。 >>503
あの頃はおおらかというか何というか。沢田研二と田中裕子のほろ酔いドライブとか。
写真週刊誌の政界ネタは田中角栄の法廷と中川一郎の立ちションとかかな >>505
塚田十一郎が893に金を借りて返せないからと言ってカミさんの身体で返済したというのもあったね。 >>497
>>500
懐古かどうかは微妙だが、利府町長の熊谷大とかな 元副大臣が市議から再出発、とニュースにもなっていた熊代昭彦。
結局、市議では飽き足らず市長選に出て落選し、公職選挙法違反で書類送検までされて、おしまい…と思いきや、昨年返り咲いていた。
80歳で現役の岡山市議。
一方、郵政選挙で熊代への刺客として岡山市長を辞職して立候補した萩原誠司は、政権交代選挙で敗れて、
新党改革で立候補したりと迷走の末、美作市長に当選して現職。 樽床伸二が総務大臣から寝屋川市議っていうのはないだろうか? 衆議院議員から千歳市議に転じた小林ちよみはトップ当選だったな。 やっぱり悪名は無名に勝るってやつなのかな。
公選法違反で国会議員を辞職に追い込まれても、市議選ではトップ当選するんだから。
和歌山の旅田卓宗みたいな例もあるが。 樽床は寝屋川市会議員はトップ当選だろうけど大阪府会議員の寝屋川選挙区では負けるだろう。 今は参院議員の金子原二郎が知事退任後に参院選に出て、当時衆院議員だった福田衣里子が「参院は知事の再就職先ではありません」と演説していたが、
国会議員が首長や地方議員になったり、首長やっていい歳になってから国会に出るのも悪くないと思うけどな。
若くして国会議員になってずーっと永田町で生きているよりはいい。 >>518
小沢だけじゃないが。
小渕 橋本 西岡 船田元 は小沢より若くて当選して長く務めていたりる。 >>518
中村喜四郎のように、自動車学校を経営していたり、出所後しばらく病院経営に参画していたりすりゃいいけど、小沢は一切そういうのがないからね。 ついに春日一幸の演説がYouTubeに
まぁ荒木和博氏が以前ジオシティーズにうpしていたものだけど(今回も、荒木氏がうp)
https://youtu.be/P5dAAUA9Xys >>490
当選無効って、後から採決やら何やらでややこしいことになりそうな気がしないでもない。
例えば、1票差で法案や予算案の可否が決まったりした場合とか。もしそんなケースがあれば、の話だけど。
議員在職50年で名誉議員の称号と国会内の胸像というのも、もし続いてたら櫻内義雄の扱いで揉めそう。
>>496
主義主張ごとに政党をまとめればいいって言ってた。
シリウス+さきがけ+日本新党で「シリがけ新党」とか、色々宣ってたな。
オチが三井理峯を社会党左派が担ぐ、だったっけ。 >>524
それ以外にも、ニュース映画のも何件かは出てた
フルで上がったのは荒木氏のが初だけど、正直こういうのは珍しい
荒木氏は前にジオシティーズに西尾〜佐々木?塚本?辺りの演説を
揃えてUPしてたから、また追加もあるかも知らんね >>523
> シリウス+さきがけ+日本新党で「シリがけ新党」とか、色々宣ってたな。
オリジナル民主党は、ほぼ「シリがけ新党」だな 小沢が新進党を潰さなければオリジナル民主党がキャスティングボートを握るポジションになる予定だったのにな。 答弁迷走の森まさこ。ここは検察官の準司法官的役割を論じた先達にならって「初めに黒川ありきということでご理解いただきたいということで」とか答弁すれば大ウケ間違いなし >>507
その後妻との間の子供が「忖度おじさん」塚田一郎。
確か、麻生の名前を自分の体に彫ってるんだっけ?
>>521
小沢も父親みたいに弁護士になれてればよかったんだけどね。 >>528
ここで書き込みことじゃなくね。
他でやってくれ 現役大臣の自殺ってかなり衝撃的だな。
松岡がいた熊本3区は当時は無所属で山崎派で
議席を競ってた坂本が後任になってるけど
補選じゃ松岡後援会は県議を持ってきたて
坂本の勝ちでその後自民党入りしたとはいえ
坂本からしたら松岡があんなことにならなかったら
まだ無所属で彷徨っていたかもな。 掴み合いのケンカしていた魚住汎英ってのは95億円の借金で自己破産 >>518
民主だって衆院とはいえ
栃木知事だった福田 昭夫がいたしその批判はちょっと
厳しいな。
福田の場合は任期満了で知事職降りた金子と違って
自民公明が宇都宮市長だった福田富一を擁立してきて
富一に討ち取られてしまって知事職を追い出された形で
国政に流れたけど。 >>534
まぁ衣里子の方の福田も民主党らしくブーメラン投げの名人だったというかw
金子は、知事やって一丁上がりって感じだったのが、唐突に参院選に出てきた感はあったけどね。
野党の自民党はあの頃は人材不足だったのかな。 >>529
小沢もこういうことを言えば谷垣には悪いが谷垣くらい勉強させて貰えれば試験に合格
してただろう。 >>536
その辺りの経緯が、小沢のコンプレックス?ルサンチマン?どう言ったら分からんが、
もしかして負の面の一つを形成してるのかも知れないなぁ…なんて邪推してみたり。
>>537
参議院じゃないけど、議員→知事→議員なら、石原慎太郎もそうかな
ちょっとブランクがあったりするけども >>538
小沢一郎の力の根源は日本や日本国民に対する憎悪なんだろうな >>506
国民がつぎの首相はだれを望んでいるかにもよるだろう >>541
石破にはついていかない
少なくとも政局を作れるほどじゃないw >>538
参議院議員ー京都府知事ー参議院議員の林田悠紀夫がいたな。 >>529 >>538
連投すまん塚田十一郎も参議院議員ー新潟県知事ー参議院議員だったな。 社会党があったか?
林虎雄は衆議院議員ー長野県知事ー参議院議員 北海道知事は衆議院議員ー知事ー参議院議員の町村金吾
衆議院議員ー知事ー衆議院議員の横路孝弘 >>534
しかもその年の参院選で民主党は全国比例に前群馬県知事の小寺弘之を擁立していた。
>>538
そのあたりの事情を仙谷に陰でおちょくられてたっけ。
ありゃ小沢にしてみりゃムカついただろうなあ。 >>549
東大に入れず
司法試験も受からずでコンプレックスの塊 小渕君も東京外語大に2回落ちており、なんか屈折したものがあると、早大商の山崎がいっていた 東大卒の加藤が小渕に冷遇されたのは小渕の学歴コンプもあったんだろうな。
「あいつは俺を(以下略)」と激怒してたけど加藤には追い落とせるぐらいの実力も人望も無かっただろ。 >>550
竹中平蔵もそれに近いな。
団塊左翼という(当時の竹中少年にとっては)悪魔が暴れたお陰で東大受験すら出来なかったから、労働者の権利を守る左派的な政策を否定し悪魔の子供達(氷河期世代)を徹底的に冷遇して恨みを晴らす方向にいった。 学歴コンプコンプというけど橋龍・森元・小泉あたりにその手の話はないね。 >>552
昨今の人望のない大物政治家と違って、加藤は自分に人望がないことを自覚できてなかったのかなあ
>>554
逆に宮澤は東大卒なのにどことなく学歴コンプを感じさせるものがある >>555
宮沢は一高にコンプがあったんだろう。
一高→東大法はエリート中のエリートだからな。 >>554
橋龍はなぜか自信満々で自分より頭のいい奴は政界にいないと思ってた
森元と小泉はそんなことはどこ吹く風だわな
それが長生きする秘訣かもw >>554
小泉、森元は滑り止めとかじゃなくて自分の頭をフルに発揮して入った感じだしな。 >>557
そのころ橋龍が入った慶応政治なんて小泉・小沢の経済より全然簡単じゃなかったでは?
今じゃ政治は医は除いて一番の難関になっているが。 >>558
森は頭使ってない
コネでラグビー推薦、ラグビー部はすぐ辞めた
就職もコネ >>559
安住の社会学部は昔夜学だったが今は昼間に移り難化している。
今小渕の文学部西岡の教育なんかより難しい。 >>561
森喜朗は総理大臣になる直前に出した自伝で、早稲田大学第二商学部
(夜間)は、大西鉄之助監督と伝手があったので、ラグビー部の推薦枠
を自分に回してもらうように工作した縁故入学と書いてました。
ラグビーの実力はとてもついて行けるレベルではなかったので、すぐ
に退部。その後は雄弁会の活動に専念して、そこで得た知己で水野成夫
社長の元へ直談判に行き、産経新聞社への縁故入社を強引に認めさせた
とか。こういうことを自慢気に書いてしまう人。 ずっと疑問だったんだか何で角福戦争なんて名称なの?
福田なんかあやつり人形みたいなもんでしょ
角岸戦争じゃないの? >>564
岸より佐藤だろう。
佐藤が3選で辞めてたら福田政権だった。 >>562
西岡、鴻池、下村、辻元と色々な意味で触れ幅が極端な教育学部 >>534
いくら定年制で重複立候補できなかったからって、その福田昭夫ごときに討ち取られるってどんだけカネ持って公也は人気なかったんだろう。
>>556
安倍晋太郎に対しても戦争のどさくさで東大でも無試験で入れたことを茶化してたな。
「アナタ何高でしたっけ?」って切り返さなかったのかな。
晋太郎が晋三のような性格だったら絶対言ってただろうけど。
ちなみに晋三も、同級生から親父みたいに東大に行かないのか聞かれて、当時は東大でも戦争のどさくさで誰でも入れたから、って言ってたそうだけど。 >>565
そもそもあの兄弟の力関係は圧倒的に兄貴の方が上やんけ >>567
もともと大して地元で人気はなかった。
現職の農水相なのに、14年は野党議員に数百票の差とはいえ選挙区で負ける時点でお察し。
17年は福田が無所属で出たので、その判官贔屓もあったとは思うが、元大臣が1万票差で敗北。
「カネ持って公也」の蔑称は伊達じゃない。
TPP推進に回ったのも響いたんじゃないかと思う。 8月末退陣論もあるが、黒川問題より、やはり9月入学問題で党内も真っ二つにわれた。
大昔も秋入学だったんだね。収穫期はみな子供まで労作に駆り出されて
忙しい時期を越えて、地域別の独自の入学式があった。
実る時期をじっと待ち、豊穣の秋を実感し、学期が始まる。道州制いいかもな >>563
> >>561
> 森喜朗は総理大臣になる直前に出した自伝で、早稲田大学第二商学部
> (夜間)は、大西鉄之助監督と伝手があったので、ラグビー部の推薦枠
> を自分に回してもらうように工作した縁故入学と書いてました。
> ラグビーの実力はとてもついて行けるレベルではなかったので、すぐ
> に退部。その後は雄弁会の活動に専念して、そこで得た知己で水野成夫
> 社長の元へ直談判に行き、産経新聞社への縁故入社を強引に認めさせた
> とか。こういうことを自慢気に書いてしまう人。
話には落ちがあって、
入社式の時、産経新聞社の受付に行ったら、『森さんは、あちらです』と行った先が、子会社の日本工業新聞の受付だったという。
水野成夫氏もそんなに甘くはないよ(笑)。 >>572
福本邦雄には結構甘かったのに(´・ω・`) >>573
福本邦雄の「表舞台裏舞台」だっけ、竹下が国会議員の巻物持ってる話出てきたの >>571
そういや、みんなの党が意気軒高だった頃は盛んに地域主権型道州制!とか言っていたな。
創業者は党首主権型集中制で独断専行し放題の挙句、8億円熊手問題で下ろされ、道州制とやらで国をばらばらにする前に、自党がバラ売りされていったw
今じゃ、一時は改革派の旗手だったヨシミは維新に入ったり出たりした挙句、N国会派のイロモノ。
浅尾は自民党に入るも落選。
中西は自民、上野、和田、三谷は自民の比例に潜り込み、真山は立憲、松沢と杉本は維新。
江田は元の無所属で独立独歩。
なるほど、党のこのバラバラ感は、道州制に似ているかも知れないw 安藤優子そっちのけで、よしみと浅尾が言い争っていた。梃子の原理、梃子の原理ですよと繰り返していた >>574
そうそう。
あれを読んで思ったのは当たり前っちゃ当たり前だけど
人の記憶や評価ってのは千差万別てことだね。
ナベツネの回顧録と全く違うしw >>575
こうやって見ると、みん党から国民に行った人はいないのかな アメリカの暴動が中国の関与が明らかになったら第二のパールハーバーになるんかな? 西川は江渡と一緒に再任拒否すべきだった。
代わりに内閣改造のつなぎまで、村上誠一郎を農水相に再入閣させて餌を与えるとかできた そもそも林が安定してたし交代させる必要性はなかったな。
江渡は待機組というより防衛族の実務家としての入閣だったから交代は痛手だっただろうな。 >>584
片山さんが維新の核と見るならばそんなイメージかもしれない。
馬場や吉村らは完全にミニ民社党路線のように思えるが。 民社党にも佐々木良作とか永末英一なんかがいたからな?
今の維新にはいる? >>586
柳ケ瀬裕文が元民主でそれっぽい路線なのだが。
維新シンパも含めれば中村時広や諸田洋之とか。
谷畑孝は解放同盟だからさすがに違うか。 民社党だったおやっさんの影響もあるのかなぁ>中村時広 茨城の中村キシロー親子より愛媛の中村親子の方がはるかに立派だね。
共謀罪憎し?で急に共産に寝返るような輩は信用できない。 小選挙区が導入され、塚原俊平議員は、梶山静六議員と、争わなくて済む、と言っていた。
ところが、梶山弘志代議士のところには、塚原元代議士の公設第一秘書経験者が民主党から立候補していた。
これは、旧塚原陣営に、梶山陣営との融合を望まないものがいることを示すものだが、票差が毎度毎度大差なので、大したことでもないと判明させていただきました 太りすぎが早世の原因と思うが、亀井や平沼と行動を供にしていたから少なからず影響はあったろう 巨泉のクイズダービで社、公、民、共の当主と若手のゲスト大会が昔あったな 塚原俊平って生きてたら今年で73歳とまだ議員やれたら年齢だな。
親父も急に亡くなって29歳で議員になったけど
その後の旧塚原後援会ってどうなったんだろう
後継候補に70近い県議の岡部出したけど亡くなった時点で
息子が一人と娘が二人がいたが息子に
被選挙権がなかったから候補者として断念したんだろうか?
その後の塚原後援会の動きも知りたいその後の2000年の
選挙で岡部は落選してるしその岡部の息子も03年で落選して郵政でやっと当選してるが塚原の息子を擁立しなかったのはなぜか。 太っていたし梨本勝みたいにいつも汗をかいてて
いかにもぶっ倒れそうな感じだったよなぁ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています