地名の日本史
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>>790
駅の場所が大平って字だったからや
宮前駅は同名があって使いにくかったらしいで
宮前平から宮側に行くと、隣は平台や 高句麗、新羅、百済はそれぞれコグリョ、シルラ、ペクチェじゃないっけ 北九州と大和は共通の地名多い、そして北九州は物部関連の地名多い。神武東征的なものを感じさせる。 >>793
世界史の教科書に登場する外国語のうち、中国や朝鮮等の漢字文化圏の用語については長らく日本語読みが基本だったが、
近年、といっても10年以上前からだが、現地語読みのルビが振ってある
だから、百済は"ペクチェ"で、安重根は"アンジュングン"、毛沢東は"マオツォトン"。
自分が学生の時は、日本語読みのルビも併記してあったが、何分10年以上前なので今はもう消えているのかもしれない >>800
日本人の田中について、韓国はタナカと呼ぶが、中国はティエンチュンだ
韓国の現地音主義に対応して、日本も韓国人については金大中をキムデジュンと呼ぶ
中国の漢字表記はそれぞれの読み方でよいという主義に応じて、日本では毛沢東をモウタクトウとやる
新聞、テレビなどのマスコミはそういう相互主義でやっているのだがなぁ 将来、東海地震が発生したとき、かの国は「東海」の呼称にいちゃもんつけるのだろうか 「くだら」については当時の現地の読み方を残してる可能性があると思うのでなんか残念 それでいながら日本語の「下らない」は「百済のものではない」という
説が半島内ではほぼ定説にw 択捉島を、オランダ領「スターテン・ラント」と呼ぶこともあった ウルップ島 「コンパニースラント」(東インド会社の土地) >>805
百済読み異説
百済は何故クダラと読むか 大山元 2005/11/15
ttp://www.dai3gen.net/kudara.htm 神奈川県秦野市の山奥にある三𒌞部(みくるべ)。出張でお寺に行ったけどアイヌ語としか思えなかった。川はベツというよりショーとかソウの感じだったけど。
出張先の寺のご住職が昭和30年代までは山賊がいた、と話していた。もしかしてサンカのことかな、と思っている。 なんで三𢌞部の「𢌞」が「𒌞」になってんの
というかこの楔形文字みたいなのはいったい何だ 7plusにみくるべ変換できないバグ。ニュースになるかな。 >>811
>川はベツというよりショーとかソウの感じだった・・・・・・・・・・・・
読解不能なんだが、三𢌞部地域の○○川の川幅が広くなく狭かったの?
ショーって何なの?ソウって何なの? >>817
本州のアイヌ語風地名とか古代語とか参照して。 京都府愛宕郡愛宕郷は、『和名類聚抄』に「於多木」とあるから「オタキ」と
読むのだろうが、「オタキ」の語義は何?
一方、京都府愛宕郡&桑田郡の式内社は、愛宕(阿多古)神社。
上記地以外の各地愛宕地名の読みは、勧請神社名由来で「アタゴ」が多いの
だろうが、「アタコ」の語義は何? そんな古い地名のそのまた語源なんてとっくに忘れられてるだろ 狭山事件の堀兼。掘りかねるほど農地開発が難しい地質だったからの縁起は信じがたい。ホリガネのネは太古はナイだったのではないかな。
ご家族が被害者を探しに行った入曽駅のイリソも気になる地名。 >>819
愛宕の原音は、地名の愛宕(オタギ)郷だったのだろうが、
愛宕郷以外の「オタキ」地名といえば、愛知県東加茂郡旧稲武町
小田木(オタギ)、三河国設楽郡小田木村くらいか?
「タキ」ならば、多岐(タギ)神社の坐す美濃国多芸(タギ)郡とか
近江国甲賀郡土山の瀧樹(タギ)神社とかが現存する。 島根に田儀ってのもあるけど、万葉仮名では別になったりするかな? 沖縄はもともと琉球王国という日本の統治権が及ばない独立国だったから日本固有の領土ではない。 >>824
伊勢神宮の辺りも多気郡。
神様にはタギつ姫命(宗像三女神の一柱)。別伝では大国主命/大己貴命の別后。神屋楯姫命。天道姫命/高光姫命(下照姫命)の母親 >>824
「オタキ」の語義は、薪の奉納産地名「オ・タキギ」が通説だろう? >>829
地元紙「京都新聞」地名取材班説では、以下だね。
「オタギ」、「アタゴ」の語幹「タギ」・「タゴ」は同源で
”山道が狭く凹凸し曲折しているさま”をいう。
「タギ」・「タゴ」は、古語形容詞「タギタギシ」、動詞「タグ」からの
派生語だと。
現代語「手繰(タグ)ル」、「蹴タグル」、「引ッタグル」、「ボッタグル」等と同源か?
なお接頭辞「オ」・「ア」は、「逢(アフ)坂関」と同様の「オ」・「ア」だと。
因みに京都新聞社説では、以下地名も、同義「タギ」地名だとされている。
大和「当麻」=「タギ+マ」、丹後「間人」=「タギ+磯(イソ)」 >>830
本居宣長『古事記伝』説では、「あたご」は、イザナミ最後の子・カグツチ=
火の神を指す「仇子(あだこ)」由来らしい。
愛宕・おたぎ地名由来・愛宕山は火打石の産地ではない 2017/01/28
ttps://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/57792383.html 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
I4S69 >>707
各地の「○生」地名の続き。
高知県南国市稲生(いなぶ)
愛媛県東宇和郡旧宇和町稲生(いのう)
三重県鈴鹿市稲生(いのう)
山形県鶴岡市稲生(いなおい) >>831
柳田国男『地名の研究』では、三河・東濃などに散見される日陰地「アテラ」地名に続けて
以下の記事があります。
山城愛宕・遠江磐田郡阿多古の「アタゴ」は、「命名者のいる所と反対側に
あること」を意味する・・・・・・ アテラといえばどこかで聞いたと思ったら奥多摩の地名だった。安寺沢 倉敷市真備町、「まきびちょう」だと思ったら「まびちょう」か >>836
町名としては「まび」だが
町内の中学校は真備中、真備東中どちらも「まきび」と読む >>833
福島県南会津郡南会津町針生(はりゅう) とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
5ID >>39
超〜遅レスだけど
祖母井の地名の元になった姥ヶ池という泉のあたりは古代から人が済んでいたんだって
古代人は漢字を使わないので音のほうに注目したほうが良いと思う
ウバ、オバ読みは岩地や崖地の地名にされやすい
カイ、ガイは狭い谷のような所の地名にされやすい
航空写真を見ると分かりやすく森山と川谷の地形だから、そんな地形から付けられたのではないか
ちなみに明治に祖母井村として統合された近隣村
・稲毛田イナゲタ村
→(接頭語)イ+薙ナギ+田タが訛った?
地形を見ると草木を薙いだ?山を切り開いた?ような所だね
・与能ヨノウ村
→ヨネ、ヨナは川が押し流す土砂を指すらしい、それが訛った?
地形を見ると川に挟まれた場所だね >>837
ミ ∧_∧
ミ ⊂ ヽ(・∀・ ) ヘェーヘェーヘェー
∩⊂~~ ⊂~)
━━━━━━━┓ >>840
単純なネーミングだと同じような場所で同じような名前になるところがいくつもあると思うけど、実際問題として案外そういうものかもね。
川が曲がりくねっているあたりを和田とか、けっこうあるみたいだし。 讃岐山脈以外の四国の山の名前は森が多い。
三方ヶ森、明神ヶ森、天狗森、貝ヶ森、鍋が森、鈴が森、二ノ森など。
森と山が未分離? 高知県だと小川川,上八川川,立川川とか川川が多い。
何でこんな名前なんだ? >>843
古代朝鮮語のmori、muruから来た山を指す言葉という説
九州にはナントカ牟礼という山がある
四国ではモリとして受け入れたか
あるいはモリは盛り上がった所の意か
ナントカ牟礼は山に限らない地名としても多いので「むれ」(群)という和語かも
‥古すぎる言葉ははっきり分からんね いきなり古代朝鮮語って言われてもなぁ。
年代で分ければ、あの国は日本が統治するまで古代だよ。
過去の歴史が気に入らないからと自国の史料を処分しちまったから
僅かな石碑を除けば紙史料は千年前のが最古だし。
その古代朝鮮語って何年前のなんという史料で確認できるんだ? 古事記の最古の写本は14世紀、600年の歴史しかない 朝鮮国士様「マウントとったニダ」(キリッ
頭が悪いからこんな意味のないレスでドヤ顔できるんですね
わかります 古代半島語って見事に残ってないんじゃなかったか?
なのに
「古代韓国語で万葉集がわかる」
などというぶっ飛び本がw 青森県も山の名前が森が多い。
シナパクリ文化到来前の形態なのか? >>843
東北でも山の意味になってなかった?
「盛りあがり」? >>845
オオムロ山なんてのもあるね。
三鷹の牟礼は盛り上がりはちょっとあるにはある程度。 >>847
史記なんかも断片以外は新しいが、それが何か? チョン家があるのチョンとの関連性がないとはこれいかに? >>843
>森と山が未分離?
森と山は、別概念だろ?
高低差に関わらず樹木の生い茂った地域が、森。
樹木の有無に関わらず周囲から屹立した地域が、山。
四国には、樹木の生えぬ岩山はないかもしれぬが。
むしろ「山」と未分離相似語は、「岳」だよ。 すんません、別スレに書いたけど過疎なのでそのまま書き込ませてください。
昔の土地台帳を閲覧しました。
土地台帳、読めば読むほど謎だらけ。
まず、「○○村□浦550番地」が除籍謄本に載ってる地名。
現在は「■郡○×町□浦??番地(550は現存しない)」
上記ともに小字は存在せず。
しかし、土地台帳には小字の欄に「小浦駄場」と書いてある。現在、そんな地名は一切存在しない。これは何だろう。
あと、駄場という言葉に差別めいたものを感じるけど、勘違い?
また、土地台帳に記載された番地は「8番耕地550番地」となっている。住所や大字で○番耕地なんて存在するの?
また、もとは耕地で登録され、後に宅地になったけど、先祖は代々そこに住んでいたはず。住んでるのに耕地ってありえる? あ、間違えつあるわ。
耕地から宅地になったんじゃなく、郡村宅地から宅地に変わってて、番地が8番耕地なだけだったわ。 まるで被差別地区だったのではないかと期待していていそうな質問
ググればヒント出てくるのにマルチするなんてバカなのかな
地域が言えないなら図書館の郷土資料で自身で調べろよ
◆Wikipedia(源氏ヶ駄場)
>駄場とは山頂や山腹の平坦地という意味から山頂の平坦部分を指す。
◆こうち森のささやき(唐人駄場遺跡)
>駄場とは平らな土地という意味だそう
◆法務省(いわゆる「山地番・耕地番」の解消作業について)
>明治時代に行われた地租改正の際,一つの地番区域(大字)内の耕作地に1番から順に地番を付した
>耕作地の地番を「耕地番」 こういう奴がいるから
各地で台帳閲覧が廃止されていくんだろうな >>29
びわ首
ビワクイ(古地図)
ヒワクヒ(古地図)
という古い地名が地元や旅行先や古地図で良く見られて気になってるのだけど
クビタが焼畑した場所を指しビヤは古語で牛のことだとする説があるらしい
牛首や丑首は確かに地名としては全国的にある
もしかすると琵琶湖も牛湖だったのかも >>858
良く知らんけど、住居の表示と土地の区分はどっちも変遷があるし、登記で金をむしられるのが馬鹿馬鹿しいからって放置していて、
ワケ分からんことになってる場合もあるみたいね。 青森県は数字がお好き?
八戸、七戸など
十二湖、十三湖
一川目、二川目、三川目など >>502
「埴生」(埴・粘土が採れる)の別表記に「半生」も
あったようだね?
伯耆國会見(おうみ)郡半生(はにゅう)郷
米子(西伯耆)・山陰の古代史
ttp://1st.geocities.jp/huhito80/H-Genti-sisatu2016.html >>858
明治になって大字ごとに土地に番号を振って管理するようになった
それ以前は何番地というのがないから、土地を特定するのに大字の下の小字も重要だった
小字となると極く狭い地域を指すから
土地に附番されて小字は使われなくなって行った 広島県の草戸千軒町(くさどせんげんちょう)って読むのですか?
ここは皇太子殿下が研究していたというのは本当なんでしょうか? 鎌倉、室町期の大規模集落跡
河口の港町、明王院門前町
戦乱で衰亡、江戸時代の河川流路改修で消滅
江戸時代の地誌に草戸千軒と呼ばれる町があったと記載される >>866
しかし、市町村によっては小字毎に番地を振ったところもある。
そこでは住所表示に小字を書かなければならない。
例)福島県いわき市の一部。 大字というのは当時の町村単位ということなんだけどね
いわき市のそれは同じ村内に同一地番を付けちゃったってこと?
最初は、宅地、農地、山林ごとに番号を振ったようだけど、その後それは解消した筈なんだが あぁ、そう言えば田舎で今でも住所を表示するのに小字をつけるところがあるのはあるなぁ
山間部の大字は山林が広大なところが多いので、散在する集落を表すのに小字があったほうが場所が分かりやすいということが有るのかな
その場合は宅地の地番が重複するわけではない
(山林と農地・宅地との間で地番が重複するのは今でもあるようだから、その種別が分かりやすいように小字を使うのかもしれない) 我が住む大字は昭和32年に2町に分割合併し、今時大合併で同じ市に復した。
それにより重複する地番があって、住宅が無いか少ない方が変えさせられた。 >>873
昭和合併 大字甲1番地→A町甲1番地 甲2番地→B町甲2番地
平成合併 A町甲1番地→C市甲1番地 B町甲2番地→C市甲2番地
‥変えさせる必要ないと思うが 遅くなったけど・・・
昭和の分村合併の時、水田の所有者で線が引かれて
すさまじいギザギザの両町境界線となった。
しばらくして水田の基盤整備が行われ、それに伴う交換分合で
境界線が引き直され、番地も整理された。
・・・は結構なのだが、新番地は両町で互いに相談無く別々に付けられた。
そして平成の大合併で公図を付き合わせたら重複地番がぞろぞろ。
どうすんべ、と協議の結果、片方の一帯には民家が全くないので
こちらの番地を変えようということになった。 摂津国嶋上郡(現大阪府高槻市)の淀川沿い低湿なところに野中村、辻子村、中小路村というのがあった
ここでは嫁入り先へ田んぼを持参金のように持ってゆく風習があった
持ってゆくと言っても不動産は持ち運べないので、場所は変わらないが嫁入り先の村のものとされるのである
野中村から辻子村へ嫁入りすれば、野中村の中にある田んぼが辻子村の所属とされる
こうして三村の田んぼは野中・中小路・辻子のものが入り乱れることになってゆく
後に大字野中・中小路・辻子となってからは、大字錯綜地と呼ばれた
今は高槻市〇〇町〇丁目のようになってしまったが、相続を明らかにするために古い登記を遡る調査では大字名を間違えずに把握するのが大切になったりする 北部九州では原をハラではなくバルと読む。前原マエバル、中原ナカバル etc. 宮崎県に航空自衛隊の新田原(にゅうたばる)基地というのがある
また、福岡県の日豊線新田原(しんでんばる)駅近郊に航空自衛隊築城基地があって、宮崎県の基地とよく混同される
宮崎県の方の新田原は新をニュウと英語みたいな読み方をする
一般に新田を訓読みするとニイタ、ニッタだろうが、宮崎ではニュウになってしまったようだ
さて、新をなぜニイというか
これは生贄(いけにえ)のニエと親戚で、神様に供える食物は食べ残しみたいなものじゃ駄目だ
新鮮なものでなくてはなくてはならない
そういうものをニヘと呼び、その形容詞形がニヒであり、初めての、新しい、と言う意味なのである >>836-837
「まきび」から洪水で「き」が流されて「まび」なのか 「高輪ゲートウェイ駅」ってなんやねん?
「高輪駅」でいいだろうにw 歴史と未来を繋げるゲートウェイらしいよ
意味が分からない 公募候補130位の出来レース
格好いいブヒー。国際的ブヒー。
高輪プリンス、高輪ゲートウェイ
漢字と片仮名のフュージョンによるシナジー・エフェクトによってイリュージョンでエクセレント
なうなヤングにエクスプロージョン。 >>885
東海道に設けられていた高輪大木戸から取った名前だろう
木戸(ゲート)のあった街道(ウェイ) >>887
そんな説明されてなかったよ
高輪から何かが始まるゥ〜wみんな来るゥ〜wって感じてほしいらしい そもそもゲートウェイプロジェクトとして進めてたもので
ゲートウェイが付くのは社内的には既定路線だから
それを説明する気がまったくなかった >>886
田端プリンスホテルはプリンスホテルから文句を言われて、このたび田端王子ホテルに名前を変えた(直訳だな)
高輪ゲートウェイ駅も皆が文句を言えば高輪大木戸駅に変えてくれるかもしれない >>890
中国人が有名会社をパクッて利益かすめ取ろうとしてたら訴えられても仕方ないでしょ
王さんならキングホテルにすればいいのに何故プリンスで王子なんだ…
無印の騒動も可哀想だったし、名称やコンセプトをパクられるのは死活問題だよ
ただのダサい駅名とは別問題 >>884
そもそも品川宿から離れちょる現・品川駅が「高輪駅」と名付けらるるべきだったのじゃ。 誰かのほんねは、高輪ゲッタウェイらしい、どっかに載ってた、、、 山手線は龍脈だとか風水だとか新宿から秋葉原陰と陽とかいうから
その中間に新たに門を作り風水的良好を求める意味か ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています