【阿曇氏】海人族 part2【宗像氏】 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
前スレが落ちてしまったので再び立てます。
謎多き海人族について語るスレ
海人族とは何者だったのか?
天孫族との関係は如何なるものだったのか?
前スレ
【阿曇氏】海人族【宗像氏】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1317289551/ >>807
今日はあちこちで威勢が良いなw
お前の思いの丈をブチ撒けるだけじゃ目障りなんだってばwww
ここは海人族スレで今は阿曇族の本貫地の話をしてるんだから、阿曇の本貫地が阿波だという根拠を示してみたらどう?って言ってんの >>804
根拠がお粗末すぎ。 はずかしいレベル。 @阿波 >>808
海人族と言えば、「忌部はん(海人族)」。 当然、 阿曇の本貫地が阿波。
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 @阿波 こいつ日本人じゃないだろ
日本語が通じなすぎる
やっぱ>>792が正しかった >>811
倭国(阿波)に触れると大怪我するよ。 @阿波 阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父 彦火火出見(山幸彦)
母 豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)
『古事記』あまつひここ”ナギサタケ”うがやふきあえず、『日本書紀』ひこ”ナギサタケ”うがやふきあえず、書紀、五十猛(いそたける)と同一視する研究もある。
『太平記』『志賀海大明神御縁起』『風浪宮縁起略』『宗像大菩薩御縁起』『津島(対馬)紀事』では三韓征伐の準備中に舞によって招聘され、その舵取を務める。
太平記では住吉神、志賀海大明神・宗像大菩薩の御縁起では武内宿禰、津島紀事では小島の女が舞を奉じたとある。
この出現場所については春日大社の春日若宮おん祭で奉納される猿楽「細男の舞」において”筑紫の浜”と詠われている。
『八幡愚童訓』には安曇磯良は志賀海大明神で、常陸国に於いては鹿島大明神、大和の国に於いては春日大明神であるとされる。
同様の記述は『琉球神道記・鹿嶋明神事』にも見られる。
阿曇磯良を奉祀する主な神社
志賀海神社(海神信仰の本社)
風浪宮(おふろうさん)
和布刈神社(隼人明神または早鞆[はやとも]様とも)
多久頭魂神社(対馬下県厳原町大字豆酘)
闇無浜神社(大分県中津市大字角木)
止上神社(鹿児島県国分市重久)
疣水磯良神社(大阪府茨城市三島丘)※元新屋坐天照御魂神社境内
磯良のその後については、志賀海神社に祀られて宮司家となったとされるが、三韓征伐の功で48隻の船を賜わり難波に移住、九世孫が阿曇百足(宗像大菩薩御縁起)、風浪宮の斎主として大川榎津に留まり、宮司家となった(風浪宮社伝)、筑紫の浜から海底に還ったなどがある。
また、ウガヤフキアエズを和魂、磯良を荒魂と捉える研究もある。 >>804
豊玉彦を氏神とするのは、住之江の津守氏だからね。
諸家の系譜をそのまま信じるのであれば、阿曇氏は津守氏の分家ということになってしまう。
そうなれば、志賀阿曇氏も摂津安曇氏も、その他の安曇氏もみな津守氏の分家になるので、それでいいのかい。 阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父 彦火火出見(山幸彦)
母 豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)
↑
これ全部「忌部はん(海人族)」。 狗奴国(長国)出身。 @阿波 >>813
豊玉比売命を祀るのも倭国(阿波)。 @阿波 >>813
「三韓征伐の功績で舟48隻をもらった」というくだりを探してみたが、みつからない。
どの文献に出ているの。
また、磯良が「難波に移住した」ということだが、どの文献に出ているの。 >>814
津守は本社を自称しつつも総本社を筑前住吉神社と認めてる=津守の本家も筑前。
どちらも綿津見を祖神にもつ同族。
いずれにしても摂津が阿曇の本貫地のコジツケには繋がらないから安心して良い。 >>818
ウィキの「住吉神社(福岡市)」では、「…当社が全ての住吉神社の始源になるとする説がある」と記述している。
説だとよ、説。 >>823
お前の知識はいつもWiki頼みだな無能www >>823
そこは畿内愛にあふれるキナイコシですら認めてる事実だぞ >>821
てめは、@じゃないし。
背乗りが得意そうだなあ。 >>820
>阿波は住之江の津守の子分。
触れてしまったな。 住之江ごときが。
御祭神を豊玉比賣とする神社は、全国各地に鎮座しているが、豊玉比賣を冠する延喜式式内社「豊玉比賣神社」は倭国(阿波)にしかない。
・二つの豊玉比賣神社(上)
一つは「天石門別豊玉比賣神社(あまのいわとわけとよたまひめじんじゃ)」
徳島市眉山町の春日神社境内に祀られております。
一つは「和多都美豊玉比賣神社(わだつみとよたまひめじんじゃ)」
徳島市不動西町「雨降神社」
徳島市国府町和田「王子和多都美神社」
名西郡石井町高原「王子(玉子)神社」
三社が論社とされております。
http://goutara.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html?m=1 >>824
おめが馬鹿にするそのウィキすら、単なる説に過ぎんというとるのよ。
それを大真面目に、筑前住吉神社が住之江住吉大社の本家だというのだから、片腹いたいということになるなあ。 阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父 彦火火出見(山幸彦)
母 豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)
↑
これ全部「忌部はん(海人族)」。 狗奴国(長国)出身。 @阿波 >>827-829
06-6672-0753
「宮司の津守さんに筑前住吉神社についてお聞きしたいのですが」と電話しろ
47分以内に電話して、今日中にここに反省文な まぁ細かいこと言うと住吉大社が総本社と認めてるのは筑前住吉神社じゃなくて那珂川の現人神社だけどな >>828
豊玉姫は、豊玉彦の娘。
親の豊玉彦をないがしろにして、娘の分が立つのか。
阿波は住之江の子・分じや。
親の言うことは素直に聞くべし。 >>832
833さんが、詳しいことを知らせてくれた。
832よ、おめみたいなテンクラもんは、二度三度と病院で診察うけろよ。
一度じゃだめだろ。 >>834
>親の豊玉彦をないがしろにして、娘の分が立つのか。
豊玉比賣は神武天皇の祖母。 豊玉彦よりはるかに格が上。
住之江はだれも祀らない問題外の地。 @阿波 >>837
おめってwww 悟空かよwwwww
オラおめーみてーな無知無能みるとワクワクすっぞ!w 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう
それがキナイコシ(主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョンコ
などスレ毎の呼称も存在する
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル >>837
おめが馬鹿にするウィキの「現人神社」をみたら、博多住吉神社は「住之江の住吉大社から分霊したもの」と書いてあるなあ。
分霊だ、分霊。
意味分かるか。
本霊は、住之江ちゅうことや。
そいで、豊玉彦は津守の氏神やからな。
筑前安曇は住之江津守と同族の摂津安曇の分家で決まりやろ。 >>834
>親の豊玉彦をないがしろにして、娘の分が立つのか。
豊玉比賣は神武天皇の祖母。 豊玉彦よりはるかに格が上。
住之江はだれも祀らない問題外の地。 @阿波 >>841
まーたWikiかよ無能www
さっさと住吉大社に電話しろ!
あと15分以内に電話しろ
人並みの口をききたかったら言われたことはすぐにしろ あれ?摂津チョンコは筑前住吉神社=元住吉の現人神社が住吉神の総本社ってのは認めてなかったっけ? >>841
まぁ落ち着けよ無能
そもそもWikipediaに現人神社のページは存在してないからな
興奮しすぎて幻を見たんだろう
まぁお前は昔からの見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性があるのは知ってるから
俺は寛大に許してやるよ
ワタツミもスミヨシも生まれた場所は筑紫なんだよ
阿曇本貫地まとめにもあるように、摂津は海神とは無関係な土地
阿波の言葉を借りれば問題外の地 >>845
キナイコシは自分の思い通りにならなくなると別キャラ作って自分の発言にすら噛み付くキチガイだから気にするな。 やっぱ、知識のある人は違う。
現人神社一つで、おめらの妄説が一気に吹き飛んでしもうた。
おめらの説は確かな根拠に立ってないから、ちゃんとした根拠が出てくるともう腰砕けてへなへな説になってしまう。
やはり、ちゃんとした根拠に立って、分からんことは分からんとせんとな。 >>846
>ワタツミもスミヨシも生まれた場所は筑紫なんだよ
筑紫も、だれも祀らない問題外の地。 @阿波 >>848
そろそろ幻の世界から帰っておいでよ
明日朝一番に住吉大社に電話しような
そうしたら全てが分かるから
分かったらちゃんとここに反省文上げろよ >>846
わはははは。
現人神社をぐぐってみたのか。
現人神社を知らなんだ証拠やな。
筑前国続風土記の時とおんなじや。
あはははは。 >>852
そういう気の触れた演技は文字にしないでくれよ。
とりあえず明朝、住吉大社に電話しろ。
住吉大社 06-6672-0753
電話で聞く内容はちゃんと覚えてるか? 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう
それがキナイコシ(主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョンコ
などスレ毎の呼称も存在する
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル >>846
わけわからんこと言うとるな。
豊玉彦は津守の氏神。摂津に元々いたかどうか分からん。
豊玉彦を氏神とするタモミ族がどこかから移動してきて住之江に土着し、そこで豊玉彦を祀ったのかも知れんじゃないか。
そういう可能性も頭に入れておかんとな。 >>854
それに>846の>見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性 も加筆しといてくれ >>854
志賀安曇本家説の方々にとっちゃ、おめは邪魔なんだよ。
本家説の方々に墓穴ほらせるようなことばかり吠えておる。
本家説の方々がみんな黙ってしもうたやないか。
おめは、美容院へ帰れ。 >>855
住之江は、神武天皇の祖母 豊玉比賣を祀らない問題外の地。 @阿波 >>855
わけのわからんこと言ってんのはお前だよマヌケ
安価先のどこに豊玉姫の記述があるんだマヌケ
さっきから興奮しすぎてキャラ変にも失敗してるマヌケっぷりだし・・・
とりあえず水風呂にでも浸かって湧いたアタマを冷やしてから出直して来いマヌケ >>857
>>804と>>813を書いた俺はここにいるぞ。 横からだが、綿積を合祀または境内摂社に祭る住吉系神社は多いが、住吉を祭る海神系神社を知らない。
誰か住吉を祭る海神社を知らないか? 綿津見は住吉の兄、宗像の叔父
住吉は綿津見の弟、宗像の叔父
宗像は綿津見と住吉の甥っ子 >>863
ここだよ。
「住吉大明神こと住吉神社」
板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。
祭神は神功皇后、表筒男命、中筒男命、底筒男命。
鎮座地は神功皇后ゆかりの地で当社は全国住吉神社の元社にあたる。
神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。 息長ということは生粋の海人族である。
大陸進出にあたり航海の守護神として、底筒男命、中筒男命、表筒男命を御舟に祀っていた。
百済征伐の帰りに当地(板野郡藍住町住吉)に寄り、御舟に祀っていた住吉三神を降ろしたのであろう。
そのほか、夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。
また御子である応神天皇の葬場跡は南に位置する応神町宮島。
審神者(さにわ)で顕れた淡郡の嚴(いつの)事代主は吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社「事代主神社」で祀られている。
ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違う。 神功皇后も幼少の頃より古の各海人部族の神話を聞かされていたのであろう。
そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。
底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)
神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳である。 @阿波 阿波ごめんな安価ミス
>>866
月刊ムーに触るなキチガイ! >>866
>電波ビンビン過ぎて草www
倭国(阿波)では、たいがいの記紀神話の神々をお祀りしている。 @阿波 >>865
住吉を祭る(主祭神が綿津見の)海神系神社を知らないかと聞いてるんだが・・・ 聞いてもないことを一所懸命にベラベラと喋る
図鑑読みたてのガキにそっくり >>860
湧くのは蛆な。
頭は沸く。
勉強しろよ。 >>869
四国八十八か所主義〜。
外へ行かなくてもいいように、全部集めてくる〜。
神社も全部集める主義〜。 >>870
大海神社。
津守の氏神。
住吉大社の境内にある。 >>874
>神社も全部集める主義〜。
集めるんじゃなくて、倭国(阿波)に集まってたの。 ごめんね。
君の所には無いでしょ。 @阿波 >>870
住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。 @阿波
底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦) >>879
>全部、分霊じゃないの。
いくらなんでもそんなに集中的に勧請する訳ないでしょ。
集めるんじゃなくて、倭国(阿波)に集まってたの。 ごめんね。
君の所には無いでしょ。 @阿波 >>879
君の所には、住吉三神もお祀りしてないでしょ。 @阿波 >>881
私の上に住吉大社があって、そこに筒男が祀られている。
本家本元じゃ。 >>882
筒男ってどの筒男? それ、胡散臭いね。 @阿波 >>883
そらまあ、海の神さんだから、潮くさいやろがな。
筒男は、底、中、表をひとくくりにした神名。
世間は、筒男三神と呼んでおる。 >>884
筒男三神? 住吉三神じゃないの? それ、胡散臭いね。 @阿波 >>885
住吉というのは、住之江から転化した地名とされておる。
その地名を採った住吉大社の神さんなので、住吉三神じゃ。
元々は筒男神ということだ。
潮くさいがな。 >>886
>住吉というのは、住之江から転化した地名とされておる。
3文字から転化した? それも、胡散臭いね。 @阿波 福岡も大阪も、住之江の表記が今でも使われているね。
住居表示は住吉になっているけど。 大阪の住之江の住は、墨が書かれていたりする。
澄もあり得る。
隅も考えられる。
だから、住は当て字の可能性がある。
ということは、住吉は当て字の当て字ということにもなるな。 >>887
スミノエ=4音。
スミヨシ=4音。
おんなじ。
潮くさいのは、海の神さんだから。 筑前阿曇氏の拠点は"阿"曇郷、信濃阿曇氏の拠点は"安"曇郡、摂津阿曇氏の拠点は"安"曇江であり、阿曇氏、阿曇連の本貫地は同名の阿曇郷である(全国邪馬台国連絡協議会九州支部)
また、713年の好字令によって筑前本家と区別するために信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇とした(神歴研)
新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」 阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ
新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」 摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無
先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」 綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない
綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが、平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係
摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える
また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている
筑前本家説にこれだけの根拠がある一方で、摂津説に根拠は皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ないという結論に至るのが真摯な歴史学研究の姿勢である 阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父 彦火火出見(山幸彦)
母 豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)
『古事記』あまつひここ”ナギサタケ”うがやふきあえず、『日本書紀』ひこ”ナギサタケ”うがやふきあえず、書紀、五十猛(いそたける)と同一視する研究もある。
『太平記』『志賀海大明神御縁起』『風浪宮縁起略』『宗像大菩薩御縁起』『津島(対馬)紀事』では三韓征伐の準備中に舞によって招聘され、その舵取を務める。
太平記では住吉神、志賀海大明神・宗像大菩薩の御縁起では武内宿禰、津島紀事では小島の女が舞を奉じたとある。
この出現場所については春日大社の春日若宮おん祭で奉納される猿楽「細男の舞」において”筑紫の浜”と詠われている。
『八幡愚童訓』には安曇磯良は志賀海大明神で、常陸国に於いては鹿島大明神、大和の国に於いては春日大明神であるとされる。
同様の記述は『琉球神道記・鹿嶋明神事』にも見られる。
阿曇磯良を奉祀する主な神社
志賀海神社(海神信仰の本社)
風浪宮(おふろうさん)
和布刈神社(隼人明神または早鞆[はやとも]様とも)
多久頭魂神社(対馬下県厳原町大字豆酘)
闇無浜神社(大分県中津市大字角木)
止上神社(鹿児島県国分市重久)
疣水磯良神社(大阪府茨城市三島丘)※元新屋坐天照御魂神社境内
磯良のその後については、志賀海神社に祀られて宮司家となったとされるが、三韓征伐の功で48隻の船を賜わり難波に移住、九世孫が阿曇百足(宗像大菩薩御縁起)、風浪宮の斎主として大川榎津に留まり、宮司家となった(風浪宮社伝)、筑紫の浜から海底に還ったなどがある。
また、ウガヤフキアエズを和魂、磯良を荒魂と捉える研究もある。 >>892
阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父 彦火火出見(山幸彦)
母 豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)
↑
これ全部「忌部はん(海人族)」。 狗奴国(長国)出身。 @阿波 >>892
この安曇東遷説も、邪馬台国東遷説と同じ思考パターンだよな。
なんで、北部九州は東遷したがるのかね。
根拠がまったくないのに。 >>894
そりゃ、大宰府症候群のなせるわざだよ。
大和に占拠されて大宰府を置かれた精神的後遺症がひどく、どうにも大逆転しないと病状が回復しないの。
そこで、九州王朝を捏造して大宰府は九州王朝の都だった説、また邪馬台国は東遷させてその本国は奴国だった説、そして安曇は元々志賀発祥説を唱えている。
いかに、大宰府症候群の病状がひどいか分かるだろう。
安曇東遷説は、そうした精神的後遺症を鎮める一つのお薬なわけ。 >>894
東遷というか、東征はあったのだろう。
しかし、本貫地があくまでも博多湾沿岸であることを忘れてはいけない。 最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。 北部九州の甕棺墓制は3世紀以前にど没落した
全羅南道では存続する >>894
文盲なんか?メクラなん?むしろ根拠しかないやん
気温が上がってアタマにウジ虫湧いたんか?
で、摂津に何か根拠あんのけ?皆無やんな(笑) 王統が何度も入れ替わっているのだ。
伊都国の王統は甕棺ではなく、三雲南小路遺跡に代表される方形周溝墓だ。
甕棺を貶めても何にもならないよ。 王統が替わっているなら一連の王権じゃないな
三雲南小路遺跡は甕棺墓 >>902
甕棺を持つ方形周溝墓。
つまり、三雲南小路遺跡の一族と、平原遺跡の一族は違う。
つまり、伊都国の中で、倭国大乱の年代を挟んで政権交代があったんだよ。
平原遺跡は倭国大乱の後の女王墓であることは、概ねほとんどの人が認めているわけだし。 >>901-903
ここは海人族のスレ。
九州スレと同じコピペをすることに何の意味があるのだ?
主張したい事は適した場所でだけやってくれ。 まあしかし、摂津安曇氏と住吉大社の津守氏が同族である可能性は高い。
住吉大社神代記では、豊玉彦の名を津守安必登神(つもりのあらひとかみ?)と書いている。
また、これを延喜式神名帳では、津守安人神(つもりのあらひとかみ?)と明確に書いている。
この安必登神、安人神は、現人神(あらひとかみ)の意味だとされている。
那珂川の現人神社の社名の由来も、ここにあるのかも知れない。
この安人神を単純に発音すれば(あと)であり、安曇氏の読みを(あどん)とするのと発音がよく似ているのだ。
安曇の漢字の由来は、この(あと)(あどん)にある可能性があるのである。
志賀の阿曇氏は、安ではなく阿としているが、しょせん発音自体は(あ)であることに変わりはない。
であれば、安曇氏は津守氏と同族であり、津守氏から分かれたのが摂津の安曇氏だと解釈されることになる。
アズミの発音については、(あと=安人=豊玉彦)と綿津見(わたつみ)の二神の(あと)の(あ)と(わたつみ)の(つみ)を掛け合わせたものであることが容易に推測できる。
この(安+津見)に安曇の漢字を当てたのが、安曇(あずみ)ということであろう。曇(どん)の字が当てられたのは、豊玉彦を安人(あどん)と発音することがあったからだろう。
このようにみると、すべては住吉大社神代記に記す(安人=あと・あどん)から発していることになる。
やはり、安曇の発祥は摂津と考えるのがいいようだ。
このように考えると、綿津見を豊玉彦と同神とみなすようになるのは、安曇氏が志賀に進出して奴国系海人が祀っていた綿津見を自らが祀るようになってからと考えるのが自然である。 >>906
摂津は傍流の末裔だと何度教えられればw レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。