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司馬遼太郎 Part9
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0952日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 13:56:30.38
▽繊妍〈せんけん〉
容姿がほっそりして艶やかであること
0953日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 14:03:18.19
鮮卑の叙述が詳細なので誤解を招くな。
スキタイ文化の伝播に関して遊牧という共通項にこだわる必要はなかったと思う。
農耕民族と騎馬民族が相互に影響を受けても何の不思議もない。
満州にいた「穢貊の南下」という観点から論ずれば理解しやすかった。
0955評論随筆集−第50巻−
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2017/11/21(火) 14:29:54.25
第2章 沸騰する社会と諸思想

春秋戦国は、戦乱ということに力点を置くと、つい本質を見失ってしまう。金属の生産と入手が、前時代よりもはるかに盛んで容易になったようである。金属は農具として用いられ、また新たに農地を拓くための農業土木の工具として用いられた。
このため開墾地主や自作農がふえた。さらには商品経済が戦国末期には大きく成長した。要するに、沸騰した社会になった。
殷周のころからいえば、農奴か奴隷にすぎない耕作階級の者が、社会に対し、自分の世の中だという自信をもったのである。この自立性と自信が、人間が物を考えるという面において、諸子百家の出現という多様な思想状況を生んだ。
0957日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 14:39:47.47
大日本帝国が世界を征服すれば、世界史は日本の地方史にすぎなくなる。
0958日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 15:00:46.51
〔初出〕
集英社刊『人物中国の歴史』第3巻 / 昭和56年11月
司馬遼太郎『歴史の舞台−文明のさまざま』所収
0959日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 15:03:41.13
【1】儒教

▽春秋に義戦なし
春秋に義戦無し。彼、此より善きは、則ち之有り 『孟子』人心・下
「春秋」には周の天子の命によって討伐するいわゆる義戦はほとんど見られない。
0961日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 15:17:03.50
▽孔子
前552年〜前479年。
中国の春秋時代の学者、思想家。儒教の祖。名は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。
先祖は公族であったが家はきわめて貧しく、魯に仕え大司寇となったが権力者と衝突し、56歳から十余年間魯を去って諸国を歴遊した。
諸侯に道徳的政治の実行を説いたが用いられず、晩年は魯で弟子の教育と著述に専念し、『春秋』やその他儒家の経典を著したと伝えられる。
『論語』は孔子とその弟子との言行録である。
https://www.sekainorekisi.com/wp-content/uploads/2016/04/6c71f7df232a8927ea3ee8ca4da66640.png
http://www.duguoxue.com/uploadfile/2014/0907/20140907112422176.jpg
0962日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 15:24:36.68
▽春秋戦国時代
中国史において、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代である。
この時代の周が東周と称されることから、東周時代と称されることもある。
紀元前403年に晋が韓・魏・趙の三国に分裂する前を春秋時代、それ以降を戦国時代と分けることが多い。
春秋時代には、周王は政治の実権は握っていなかったが依然として精神面の中心であり、諸侯は王に次ぐ二番目の地位である覇者になろうとしていた。それに対して戦国時代は、諸侯自らがそれぞれ「王」を称して争うようになり、残っていた周王の権威は殆どなくなった。
0963日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 15:34:14.11
▽周
前1046年頃 - 前256年。
文王の子の武王は、周公旦・太公望らの助力を得て、暴虐な殷の紂王を牧野の戦いで破り、周王朝を建てた。
前770年の洛邑(成周)遷都を境に、それ以前を西周、以後を東周に区分される。
0964日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 15:38:55.06
身分制度については、『春秋左氏伝』によると、「王」の下に「諸侯」がおり、その下に「大夫」と呼ばれる一種の貴族層があり、その下に「士」と呼ばれる層があり、その下が「庶民」となっている。
ただし「大夫」と「士」と言う階級は金文(青銅器の表面に鋳込まれたあるいは刻まれた文字)にはない。
売買される一種の奴隷階層があったことは間違いなく、主人に代わって農作業を行っていた。奴隷階層の中には職工と思われる職もあり、青銅器の鋳造に関わっていたと考えられる。
0965日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 15:49:12.92
【2】農家

▽許行
許行は孟子と同時代人で、はじめは単に農を勧めるだけだったが、後に勤労による天下平等を主張した。これは墨子の勤倹と道家の説く平等に影響された考え方と推測できる。これが安藤昌益の「直耕」へと連なる思想であったかどうかは定かでない。
農業の始祖として「后稷」の代わりに「神農」を尊ぶ。神農の教えによれば、賢者・王侯といえども耕作や炊事の万端を自分の手で行うべきであり、このやり方に従えば物価は一定となり国中で偽りをする者がいなくなるという主張であった。
http://www.cpcjapan.com/china/history/syouzou/photo6/kyokou001.jpg
0966日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 15:57:53.14
▽民を貴しと為し、君を軽しと為す
孟子曰わく、民を貴しと為し、杜稷之に次ぎ、君を軽しと為す。
是の故に丘民に得られて天子と為り、天子に得られて諸侯と為る。諸侯に得られて大夫と為る。諸侯、杜稷を危うくすれば、則ち変え置く。
〈『孟子』尽心・下〉
国家の中で、人民が最も重要であり、土穀の神がこれに次ぎ、君主は軽い。だから、人民から歓迎されて天子となり、天子に歓迎されて諸侯となる。諸侯の心をつかみ厚遇されると大夫となる。諸侯が国家に危害を及ぼすと、廃止して別人を立てる。
0968日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 16:22:25.06
【3】墨家

▽墨子
前470年〜前390年。河南魯山の人。兼愛主義(博愛主義)。
当初は儒学を学ぶも、儒学の仁の思想を差別愛であるとして満足せず、独自の学問を切り開き、墨家集団と呼ばれる学派を築くに至った。
生誕地は魯であると思われる。墨という名前から、墨を頻繁に使う工匠、あるいは入れ墨をした囚人であったなどの諸説があるが、詳しいことは全くわかっていない。
https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/sc1e990961944342a/image/ic68c8d1e033e3216/version/1451956399/image.jpg
0969日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 16:25:09.43
▽兼愛
兼愛とは「天下の利益」は平等思想から生まれ、「天下の損害」は差別から起こるという思想。
▽非攻
非戦論である。墨子は「人一人を殺せば死刑なのに、なぜ百万人を殺した将軍が勲章をもらうのか」と疑問を投げかけている。
0970日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 16:37:39.77
▽『淮南子』〈えなんじ〉
前漢の高祖の孫で淮南王の劉安 (前 179〜前 122) が編集させた論集。 21編。
老荘思想を中心に儒家、法家思想などを取り入れ、治乱興亡や古代中国人の宇宙観が具体的に記述されており、前漢初期の道家思想を知る際の不可欠の資料である。
映画「墨攻」にみられる墨家の戦闘力は『淮南子』を典拠としていると述べられている。
https://www.youtube.com/watch?v=Rqev0o8EGjE
0971日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 16:41:09.98
墨子と弟子とのやりとりからは、功利主義的な多くの弟子を諭すのに苦労する墨子の姿が散見される。
また、墨子自ら楚に赴いて、宋を攻めようとする楚王を説き伏せようと努力することもあった。
墨家は思想集団として、また、兼愛・非攻の究極の実践形といえる防御・守城の技術者集団として、墨家は儒学と並び称される程の学派となった。
0972日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 16:44:12.61
しかし、秦帝国成立後、突如として各種文献から墨家集団の記述はなくなり、歴史から消えてしまった。
なぜ墨家は忽然と消えてしまったのか。焚書坑儒の言葉に代表される秦帝国の思想統制政策により、集団として強固な結束をもっていた墨家は、儒者その他の思想よりも早くに一網打尽にされ一気に消滅したと思われる。
さらに漢代になると、墨家と激しく対立していた儒家が一大勢力となったため、墨家思想排斥の動きが加速したであろうことは想像に難くない。
0974日本@名無史さん
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2017/11/21(火) 16:52:10.44
▽鉅子
墨家の開祖は戦国初期の宋の工匠,墨?(ぼくてき)。墨?の後を継ぐ指導者を鉅子という。
第2代は禽滑釐(きんかつり)、第3代は許犯 (孟勝)。
0975日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 17:17:34.54
【4】道家

▼道家
老子・荘子が中心であることから老荘思想ともいう。
諸子百家には、儒家、道家、陰陽家、法家、名家、墨家、縦横家、雑家、農家、兵家などがあった。基本は政治思想である。
実際に諸子が活動した春秋・戦国期に、法家や名家などといった名称が存在したわけではない。当時から存在した呼称は「儒」と「墨」と「兵」の三つのみで、道家なる呼称が登場するのは前漢初期のことである。
0976日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 17:21:36.29
▽絶巧棄利
「巧を絶ち利を棄つ」とも読む。
人によって作られた便利な機械を捨てて、自然の生活に戻ること。「絶巧」は人の力で技巧を凝らした道具を捨てること。「棄利」は人の力で便利に作られた道具を捨てること。無為自然。
0977日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 17:22:01.38
老子は、恣意的な行動や欲望、さらに知識をもしりぞけ、自然(「道」)にしたがって国を治めるという無為の政治学を説いた。これは道徳や儀礼あるいは制度や罰則といったものによって国を治めようとした儒家や法家へのアンチテーゼであった。
0978日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 17:23:56.33
▽小国寡民
国民が昔ながらの生活をし、食事や着ている服、住んでいる家や習慣に満足をしている。このような環境下であれば、例え隣国が目と鼻の先ぐらいの距離にあったとしても、国民は自分たちの国に満足をしているので、わざわざ他国まで出かけて行くこともない。
結果的に、他国と比べることがなくなり、自分たちに無いものを求め、自分たちよりも持っている人たちを妬み奪おうとする心が芽生えなくなる。また、領土を拡大しようとする欲求も生まれない。そんな世界が理想である。
0979日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 17:27:25.48
▽老子
老子は紀元前6世紀の人物とされる。歴史家の評は様々で、彼は神話上の人物とする意見、複数の歴史上の人物を統合させたという説、在命時期を紀元前4世紀とし戦国時代の諸子百家と時期を同じくするという考えなど多様にある。
老子は中国文化の中心を為す人物のひとりで、貴族から平民まで彼の血筋を主張する者は多く、李氏の多くが彼の末裔を称する。
https://stat.ameba.jp/user_images/20170829/05/milestonecanada-toronto/1d/4a/j/o0482052514015470998.jpg
0980日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 17:34:04.58
▽黄老の術
前漢初期に流行した中国の道家思想。字義は黄帝と老子とをさし、老子の教えの別称。
司馬さんは、小役人や土地の父老に「黄老の徒」が多かったと述べられている。
0981日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 17:48:40.81
▽黄帝
三皇の治世を継ぎ中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。神話伝説上の人物。
紀元前2510年〜紀元前2448年。
※三皇五帝:伝説では最初の世襲王朝・夏より以前の時代とされる。
天皇(伏羲)・地皇(女?)・人皇(神農)
五帝については諸説があるが、「史記」では黄帝・??(せんぎょく)・帝?(ていこく)・尭・舜。
https://www.honzou.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/10/ef283d6a92c9de5e1fc06eaa66b4b5d1.jpg
https://d30uxjjrk95rd.cloudfront.net/img/goods/L/4987316030180.jpg
0982日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 17:55:28.56
▽天地不仁 以万物為芻狗
天地には、人間の様な様々な感情はない。したがって善も悪も総てを平等に扱う。聖人も又然り、と老子は説く。
芻狗(スウク):ワラを束ねて作った犬。
老子の道徳経には、しばしば孔子の仁徳を重んじる思想に対する批判の為か、やや極端な表現が見られるように思われる。
0983日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 17:57:01.50
仁とは言うまでもなく孔子がとなえた儒学の最高徳目でござるが、それにまっこうから反論する言葉でござるな。
確かに自然というのは人為的な優しさや愛情を持ち合わせてはいないものでござる。ライオンに食べられるシマウマが可哀想だからといって助けていたらライオンが飢え死にしてしまうでござるな。
そういう優しさを持ち合わせていなくても調和が保たれるようにできているのが自然でござる。
人間社会でいえば、弱い者を神様や仏様が何やら不思議な力で助けてくれるわけではない。だからこそ自ら努力して人間同士で助け合わなければいけないのでござる。
0984日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 18:16:36.49
▽天下は神器なり。為すべからざるなり。
社会はいろんな人がいて成り立っている。自分の能力や価値観を基準にしてしまうと、そこから外れた人が敵に回ってしまって制御不能となる。
天下取りを目指すときは前に出ない。出世や強さは相対的なものだから、誰かが上に行けば他の誰かが下になってしまう。
出世への気持ちが強い人ほど他人を叩きつけるがごとく下落させてしまう。それで恨みを買って次は自分が引き倒されてしまう。
0985日本@名無史さん
垢版 |
2017/11/22(水) 18:18:26.52
▽幇(ぱん)
中国で、経済的活動を中心とする互助的な団体。省外や海外などの異郷にあって同業・同郷・同族によって組織される。また秘密結社を指す場合もある。宋代に始まり、厳格な規約のもとに強い団結力と排他的性格をもつ。
0986日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 18:20:28.63
このあたりまでが前菜のようなもので、後半は秦の話になる。
その中で、法家と縦横家とが語られる。
0993日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 18:32:00.76
そんなこと有名中学を受験する賢い小6なら誰でも知っている。
0996日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 18:40:37.94
中国人の古い人名は?になることがあって残念だけど、続けて頑張って。
0997日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 18:47:05.79
春秋戦国時代の中国人は、現在の中国人とは別人種のように賢いな。
0998日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 18:47:57.09
司馬さんも、漢の武帝の頃が中国のピークで、その後は衰退の歴史であると述べられている。
0999日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 18:50:03.14
中国が停滞していたために、われわれ日本人まで「アジア的停滞」に含められている印象になっている。
迷惑です。
1000日本@名無史さん
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2017/11/22(水) 18:52:29.25
黄帝〔>>981〕は漢方医学の始祖と考えられています。
日本のユンケル黄帝液は、東洋医学発祥を記してこの黄帝から名付けられています。
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