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邪馬台国畿内説 VS ネッシー実在説
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0001日本@名無史さん
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2018/04/13(金) 12:36:31.70
好勝負ではないのかな。。。
0527日本@名無史さん
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2018/06/14(木) 21:26:59.82
王制(礼記の一篇)によれば、いにしえには周尺の八尺を歩としていた
0528日本@名無史さん
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2018/06/15(金) 00:36:16.65
八咫鏡の件で言い負かされたのがよほど悔しいのか。
諦めろ。
平原遺跡が卑弥呼の墓。
0549日本@名無史さん
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2018/06/15(金) 18:17:45.88
王制というのは、礼記の一篇の名称であると同時に、周朝初期やそれ以前の聖王による
理想的な治世の時代の制度、くらいの位置づけ
0551日本@名無史さん
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2018/06/15(金) 18:18:24.52
鄭注では、周尺の数(長さ、寸の数)はいまだに詳しいことははっきりしない
0552日本@名無史さん
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2018/06/15(金) 18:18:44.79
鄭注は、後漢の鄭玄(じようげん)が経書に施した古典の注釈。また,その経書。じょうちゅう。
0553日本@名無史さん
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2018/06/15(金) 20:55:20.86
礼制の(記述)から考えて、周(の制度で)も、なお十寸で尺としていたようだ(と鄭注に書いてある)
0554日本@名無史さん
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2018/06/15(金) 20:55:37.41
孔子の「礼制」による既成の秩序維持の考え方は周王朝期の礼制に依拠している
0555日本@名無史さん
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2018/06/15(金) 20:55:54.49
後漢の鄭玄は古文経の『周官』を中心として『儀礼』と『小戴礼記』を三礼として総合的に解釈する体系的な礼学を構築した
0557日本@名無史さん
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2018/06/15(金) 20:56:44.85
考えてみるに、春秋戦国時代には、変乱法度が多かった。
0561日本@名無史さん
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2018/06/16(土) 17:11:14.05
「蓋し」は、推論・推定を導く 「考えてみるに」程度の意味
0563日本@名無史さん
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2018/06/16(土) 17:11:58.62
楚斉燕韓魏趙の六国では、各国独自の制度が敷かれたので、それを変法、乱法と呼んでいる
「法度」は法律と制度
0564日本@名無史さん
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2018/06/16(土) 17:12:18.10
(周尺も十寸だったとしたが)六国時代には、あるいは周尺(一応は周代)は八寸だったとも言う
0565日本@名無史さん
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2018/06/16(土) 17:12:35.85
(周尺を八寸とすれば=以て)歩はさらに八尺なのだから、ハッパ六十四で六十四寸になる(先に書いた今以周尺六尺四寸爲步と計算が合う)
0566日本@名無史さん
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2018/06/16(土) 17:12:56.96
鄭注の(鄭玄の、としてもよいが)意味するところは、八寸で尺と為すということだ
0568日本@名無史さん
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2018/06/16(土) 17:13:32.07
周末というのは、周朝の威が衰えた六国(春秋戦国)時代のこと
0571日本@名無史さん
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2018/06/16(土) 21:18:05.58
そうではあっても、またいうことには、
諸侯(六国の王)が(王制、礼制ではない)力政を行っている
0573日本@名無史さん
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2018/06/16(土) 21:19:12.48
(周朝が衰え、天下が)(秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙の)七国を為す
0575日本@名無史さん
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2018/06/16(土) 21:20:00.46
六国時、も同じ時代だが、戦国の七雄のうち秦は西周の故地を根拠地としていたので、
周朝の制度を引き継いでいる部分も多かった
0576日本@名無史さん
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2018/06/16(土) 23:59:36.37
そのため、秦を他の六国を区別していう場合に、六国という表現になる
0579日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 00:00:54.34
周室(周の宮室)微え(おとろえ、衰微し)、諸侯力政、相併せるを爭う
0583日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 00:02:58.64
徳によって帰服させるのではなく、武力で征服する政治のこと
0586日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 09:44:41.92
農作物の植え方、農地の区画の仕方が、国ごとに異なる様子をいう
0587日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 09:47:40.96
車の涂(みち)は軌を異にす。(七国の国ごとに異なる)
0588日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 09:48:18.70
涂は、途(みち)の意味 軌は車輪の幅 交通手段、車の規格が国ごとに異なる様子をいう
0590日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 09:51:17.19
律は刑法、令はそれ以外(主に行政法。その他訴訟法や民事法も。)に相当する。
0592日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 09:52:29.84
律令の法が国ごとに異なるということは、公定尺の長さも異なることになる
0593日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 19:03:21.54
結局は周代の尺が10寸と8寸の両方あって説くところが合わないという話になる
0594日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 19:03:59.21
左伝には、「天(子の)威(徳)、(龍)顔を違らざること咫尺」と書いてある
0595日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 19:04:26.06
左伝は、左氏春秋伝のこと 左丘明の作と伝えられる「春秋」の注釈書
0597日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 19:05:43.69
天威不違顏咫尺は、「天威咫尺」「天顔咫尺」という四字熟語のもとネタ
0601日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 19:10:21.26
この部分全体が、説文解字の「咫」の「周尺也」の注な訳だが
0603日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 19:11:45.25
「国語」でも、「列子」でも、みんな、その長さ尺有咫という使い方をしている
0605日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 19:15:51.04
『春秋左氏伝』の著者とされる魯の左丘明の編纂といわれている
0606日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 20:37:55.21
『列子』は春秋戦国時代の人、列禦寇の著書とされる道家の文献
0607日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 20:38:30.74
国語には「石砮其長尺有咫」、列子には「其劍長尺有咫」という表現がある
0608日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 20:41:12.50
(天威咫尺で二尺と言わなかったように)また、二尺とは言っていない
0609日本@名無史さん
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2018/06/17(日) 20:42:10.51
こうしたことは、周の時代にいまだかつて八寸を尺と
0612日本@名無史さん
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2018/06/18(月) 14:24:12.12
説文解字では、咫の項に「中婦人手長八寸,謂之咫。周尺也。从尺只聲。」とある
0613日本@名無史さん
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2018/06/18(月) 14:24:28.10
これだけだと、「咫」の長さは婦人の手の大きさの八寸で
0622日本@名無史さん
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2018/06/18(月) 14:45:45.79
さらにこの時期は、信頼できる文書記録があまり残されていない
0625日本@名無史さん
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2018/06/18(月) 14:46:46.74
それで、秦の始皇帝による度量衡の統一が必要だった訳だ
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