伊都国東遷スレ 5
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1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の繁栄であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html >>850
またナリスマシか
九州説はリテラシーがなってないな >>851がリテラシーについて語っているようには読めないな。 円周率が3.2とかいう虚妄について
http://ksbookshelf.com/DW/Kanjirin/appendix/Karyou.html より引用
ーーーここからーーー
当時は、円周率をどのような値と考えていたのでしょうか?
「新莽嘉量の寸法」に示した新莽嘉量にある銘文*1の数値を基に考えてみます。
「斛」を例にとれば、「方尺而圜其外,庣旁九厘五毫,冥百六十二寸」とあり、一辺一尺の正方形が内接する円の半径に九厘五毫を加えた大きさの底面(半径は上の「新莽嘉量の精度」の表のC 7.166寸)の面積は162寸2(冥百六十二寸)です。
ということは、
円周率(π)=面積/(半径×半径)=162寸2/(7.166寸×7.166寸)=3.15472427
となります。
同様に、円周率(π)を逆算してみると、「升」では 3.155604924、「合」「籥」では 3.160013732になります。
当時、円周率(π)=3.155 程度と考えられていたのでしょうか?
それでは、円周率(π)=3.155 に変えて上の表を作り変えてみると、
G
cm3=mL H
mL I
%
斛 19970.877 20000 -0.146%
斗 1997.088 2000 -0.146%
升 199.709 200 -0.146%
合 19.943 20 -0.285%
籥 9.972 10 -0.285%
となります。
見事なほどの正確さですね。
二千年も前の、設計技術や、それを形にする工作技術の水準の高さには、驚かされます。
ーーーここまでーーー
後漢の前の王蒙の新のときの話
魏晋代には
・咫は使われていない
・円周率は3.155程度の正確さで用いられていた
・円周率を3.2で近似する理由がない >>854
「ただの感想」「ちがう」「読めない」
この記述力貧困ぶりが哀れを誘う >>856
倭国の話なんだから、また違うだろう。
弥生時代の日本人が円周率を3.155の精度で知っていたと主張するのかい? 考えてみると、弥生時代の日本人が円周率を3.2までは認識していたことになるのか?
平原遺跡の八咫鏡はすげえな。 >>858
じゃ、なんで3.2を知ってると主張するんだ? 古代エジプト人は円周率を知らなかったが知らないうちに3.14を使っていた
丸太を1回転すると直径の3.14倍進むからなんだ
立てが1で横が3.14の比がピラミッドには使われていたんだ
同じ様に円周率なんて知らなくても鏡も一回転させれば円周は測ることが出来るよ。 >>860
径二尺の鏡を八咫の鏡と呼ぶと言うことは、咫が尺の8割という定義なら円周率を3.2と理解していたことになる。
まあ、小数点以下の計算をしたくないから咫を使ったとも言えるけど。 >>862
呼んだのは大正六年生まれの日本人が世界で最初だな 逆に八咫鏡の鏡を作るには八咫の紐で円を作りその大きさに鏡を作ればよい。 弥生時代を過小評価しているのかもしれないな。
文献が乏しいから、平原遺跡などの考古学的証拠しかないけどね。
硯が伊都国にあったのだから、本当は様々な文字情報があったはずなんだ。
ただ、長い歴史の中で失われてしまった。 >>865
鏡はコンパスで作るんだよ
紐で作らない コンパスで引いた円が八咫の紐の円に重なればOKですね。 >>868
紐の円って何だかわからないけど
平原で出たのが八咫の鏡じゃないのは確定だぞ >>858
>倭国の話なんだから、また違うだろう。
>弥生時代の日本人が円周率を3.155の精度で知っていたと主張するのかい?
話がぶれっぶれww
もともと、「咫」が円周長を測るために便利な単位だって伊都国説側が言って、
この話が始まってるんだぞ!
その「円周長を測るために便利な単位」が大陸から倭国に伝えられたっていう
設定だったんだから、大陸で円周率を3.2で近似するのに便利って話だろ? もともとが?
でも、大陸では後漢の前の王蒙の新の時点で、3.155の精度の円周率を使っている
倭国に入る前の話だよ
まあ、そもそも「咫」が円周長を測るために便利な単位ってのが、これ以上ないくらいの
与太話だってことだけどな >>865
>逆に八咫鏡の鏡を作るには八咫の紐で円を作りその大きさに鏡を作ればよい。
アタマ悪すぎ
コンパスは、いつの時代でも使えるんだよ
棒と紐があれば、円は書ける
円周長が八咫にこだわるから、訳の分からない話になるだけで、
半径尺の円は、日本の棒の間の紐の長さを尺にすれば簡単に書ける
それを、円周長が八咫だって主張しようとするから、端から端まで
破綻したことしか書けないんだよ
まあ、「半径尺の円」というのも、偶然だと思うがね >>871
すっっごい偶然だね!!
それで、日本一の大きさで、最古の超大鏡だったんだね!!
そして唯一無二の八葉座だったんだね!!
それって、どんな確率なんだろうか? >>872
銅矛でも銅鐸でも巨大化させる国だもの
珍しくはないだろう
モデルをなんでも2倍にしたかも知らない
半島から鋳物師の師匠が来てるかも知れない
まあ、中国の度量衡を知ってるならヘンテコな東夷伝里とかは無いなー 度量衡を調べている中で、こんな文章を見つけた
秦の始皇帝の度量衡の統一のときに作られた「商鞅方升」の大きさについての記述からの話題なのだけれど
「引用文中、「内方尺而して円其の外」は円に内接する正方形の辺長で円の大きさを規定することで、
当量器の構造が外円内方であることを示すものではない。このように書くのは、当時の古人は円の
直径を正確に測定する方法を知らず、その内接正方形を借りて表示していたからである。当時人々は
一個の円を確定したい時は、先ず正方形の長さを定め、次いで外接円を作る。計算上もこの通りで
あった。」
中国計量史話(5) から引用
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10632073_po_ART0006283764.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
これって、内行花文鏡の作図の仕方と同じだよね
※内行花文鏡の幾何的設計原理
円を8分割し、円周に内接する正方形を得る。
この正方形に内接する円を、雲雷文帯と連弧文の基調線とする。
この基調線の1/2径の同心円を圏帯の基調線とし、その内側に柿蔕鈕座を配す。
でも、平原1号墓出土鏡はこの設計原理から外れて、連弧文の領域が面径に対して狭くなっている
この、コンパスと定規だけで笵上に描画できる設計原理が、舶載の長宜子孫内行花文鏡から
大型仿製内行花文鏡(柳本大塚、下池山など)に継承されており、平原鏡と異根である。 >>874
国産内行花文鏡がその程度の違いで異根なら、
三角縁神獣鏡はどうなっちゃうの? どの内行花文鏡も同根で、分化しただけだよ。
逆に、大和が筑紫と枝分かれしたのはせいぜい2世紀末であり、倭国大乱で筑紫を出た一派がヤマト王権の基礎となったことがわかる。 >>877
分化したなら伊都国東遷はあり得ないな
廃案確定したな >>876
>その程度の違いで異根なら
その程度と言ってしまうのが物知らず
鏡面配置の「設計思想の根本」が分かってないやつが作ったってことだ 倭女王のレガリアとしては、きわめて杜撰なことだが? 説文の丈(周制以八寸爲尺,十尺爲丈)の定義から考えるとおもしろいですね。
>>37
>八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
一丈169cmなら、凡夫にしかなりませんね(笑)
> 六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ
一丈211cmなら、丈夫というより、怪物ですよ
一寸23mmなら、184cmで、良い感じの「丈夫」になりますよ。
時代によって一寸の大きさを変えて考えるのは筋悪というのがわかって、
興味深いですね。 どっちにしろ
「咫、中婦人手長八寸謂之咫」だから
八咫にならない平原八葉鏡が八咫の鏡じゃないのも
確定してるしね お鏡さんスレ3の最後のこれにも答えずじまいなんだよな、お鏡さんは
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1526223134/999
>「日巫女」としての依り代も破壊しておいたということと思います。
大型内行花文鏡は
「日巫女」としての依り代なの?
「王権の象徴」なの?
言っってることがブレブレなんだけど 大型内行花文鏡は 「日巫女」としての依り代であり、かつ「王権の象徴」ですが。
何もぶれてませんよ??
意味不明です。 どうも東周銅尺という23.1cmの銅尺が南京の博物館にあるらしいですね。
畿内説の方、これは、一体何寸ですか???
東周銅尺傳河南洛陽金村出土,全長23.1厘米
↑これで検索すれば出てくると思いますよ。 設計思想の根本というのがキナイコシの決めつけだからなあ >>879
その通り。
東遷などない。
記紀でさえ、東遷ではなく東征だ。
神武らが倭国大乱で筑紫を出た後に卑弥呼が筑紫で倭王に即位したのだろう。 >>886
「日巫女」としての依り代と「王権の象徴」
って、両立するの? 太陽神なんだろ。
アマテラスのモデルなら両立して当然だ。
しかもその象徴たる八咫鏡まで見つかった。 >>887
根源的な質問だけど、
銅尺の長さそのものが一尺なの?
それとも、銅尺に一寸刻みの目盛とかついてるの? >>887
10寸だろ
東周だから漢代と同じだ
咫の計算根拠にはならない 銅尺の長さが23.1cmですよ。
目盛の話は、畿内説の方の口から聞きたいなぁ。
>>892
ですね。 寸は、親指の太さの身体尺と言われていますからね。
東周から漢代までずっと23mm程度で安定しているみたいですね。
説文解字の咫にある周尺としての一寸も23mmで、全然問題ないでしょう。
それで説文解字が整合的に読めるんですから。 >>895
目盛りがあるかどうか現物を見なきゃ判らないけど、10寸なのは間違いないでしょ
それが何か? 返答が遅いので、書いちゃいましたよ。
一尺23cmの一寸は、23mmですね。つまり東周での一寸は、23mmですね。
説文の丈の解説とも整合的ですね。 >>896
>それで説文解字が整合的に読めるんですから。
おいおい
整合的に読めないから八咫の鏡説がダメなんでしょ?
なによりの根拠史料である説文の
「咫、中婦人手長八寸謂之咫」に反するんだから >>898
おいおい
どうかしちゃったのか?
どこが整合的なんだ? もう整合的に読めないと主張しているは、あなた一人ぐらいと思いますよ。
大多数の他の方は、一寸23mm の解釈でスッキリ読めてますから。 >>899
咫、中婦人手長八寸謂之咫
漢の尺が既に成人男性の手より大きいのだから、
そこでゴネても意味が無いよん。 >>898
そうそう、>>900も言うとおり
「周尺也」がますます訳さなくなったろ? だから、尺=咫=八寸=約18.4cmですよ。
「周は夫人の手の長さを基準としたから八寸が尺だ」という観念の
もとにある説文の中の世界観では。 東周ってのが春秋戦国時代、六国時だってのはお鏡さんは分かってるのか?
その時代は変乱法度が多くて、そこで混乱してるって説文解字中にも書いてあるんだが? >>902
言い張るんなら
「周尺也」
を訳してごらん
訳せないだろ? >>908
このスレでももうなんども訳してあげてるでしょう?
同じことは何度も書きませんよ。 >>902
>大多数の他の方は、一寸23mm の解釈でスッキリ読めてますから。
読めてるって証拠は? >>906
>尺=咫=八寸=約18.4cmですよ。
すぐ直前に、東周で一尺23cmって書いてたのと整合性ないじゃん?
>>898
>返答が遅いので、書いちゃいましたよ。
>一尺23cmの一寸は、23mmですね。つまり東周での一寸は、23mmですね。
>説文の丈の解説とも整合的ですね。 >>908
あなたが訳して見たら?
一寸を23mm 以外で解釈しようとすると、同じく説文にある丈や寸の解釈で転びますよ。 >>886
>大型内行花文鏡は 「日巫女」としての依り代であり、かつ「王権の象徴」ですが。
>何もぶれてませんよ??
>意味不明です。
日巫女の依り代だから、破鏡するんでしょ?
王権のレガリアは、破壊しちゃだめでしょ?
何を言ってるの? >>909
>同じことは何度も書きませんよ。
とことん舐めてるよなぁ
こっちは九州説がダダを捏ねるたびに、何十回も同じことを書いてきてるんだがな! >>913
だから、壊さず数枚をヤマトに持っていったという説ですけど。 コメ番も900を過ぎて、矛盾を突かれたところでスレが終われば
逃げられるってタイミングで出て来るんだよな、お鏡さんは >>911
現実の考古学的発見とずれていたのは、許慎の観念的な認識ですよ。 >>909
間違えてたから恥ずかしくて書けないんだね?
恥ずかしい男、岡上 仕方ないなぁ。まとめておきます。
>中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也
(中婦人の手の長さが八寸で、咫という。周の時代の古い尺度である。)
これで、全然問題ないです。漢代に八寸と考えられていたわけですから。
漢代の遺物に適用するのにごちゃごちゃ言われる筋合いはない。
(中婦人の手の長さが八寸で、咫という。周代の尺の長さと同じである。)
説文解字注を加味した解釈ならこうです。もちろんこれでも何の問題もないですね。
>中婦人手長七寸、謂之咫。周尺也
もしこれだったなら、畿内説の勝ちですよ。 >>922
とうとう根拠にしてた許慎を攻撃しだした岡上 許慎のいう「一尺=八寸」は怪しいというのが解字注の解説だったともいますが。
昨日何読んでたの? >>926
デタラメ書くなよ
平均的な女性の手が漢尺八寸もあるわけないだろ >>929
平均的な男性の手も漢尺十寸もあるわけないから、
由来の話なだけで、実測ではないということだな。 >>928
許慎は「一尺=八寸」なんて言ってないから関係ない
岡上が間違えてるだけ >>929
だからそれは、許慎の観念的な形容ですよ。
実際に当てはめてどうするの??
許慎が、一般的な女性の手の長さを追求するべく、
複数人の女性の手を観察して書いたとお考えですか?(笑) >>922
許慎は別に間違ってないでしょ?
岡上珍訳がトチ狂ってるだけ。 >>931
よくもそんな適当かけますね
周制以八寸爲尺,十尺爲丈 >>932
知りもしないことを妄想して断定する岡上が
許慎はよく目にするものの大きさを知らないと言い張るわけか? 丈:周制以八寸爲尺,十尺爲丈
咫:中婦人手長八寸、謂之咫。周寸也
両方許慎の(観念的な)認識ですよ。
うまく満たせるのは、一寸23mmだけ。 おっと訂正。
丈:周制以八寸爲尺,十尺爲丈
咫:中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也
両方許慎の(観念的な)認識ですよ。
うまく満たせるのは、一寸23mmだけ。 >>934
ほら
「一尺=八寸」なんて言ってなかった 東周銅尺が23センチで、
周の尺が8寸だったら、1寸=23÷8=2.875センチ=28.75ミリにならない? >>937
どう、うまく満たせるわけ?
そんな(観念的な)認識じゃなく
現実的な説明をしてよ >>940
「東周銅尺」で検索しましたか?
側面に十寸が刻まれています。 >>940
周の尺が8寸だとは誰も言っていない
周代に8寸は一尺だったと許慎は言っている >>942
「周制以八寸爲尺,十尺爲丈 」
から、八寸=一尺を読み取れないのは、わたしにはどうしようもない。
>>941
>>883 をご参照あれ。 >>943
尺=10寸と考えているように思われる。
>>945
尺=8寸と考えているように思われる。 >>945
全文だと、
>周制以八寸為尺、十尺為丈。人長八尺、故曰丈夫。
周は八寸=尺とした。十尺=丈とした。
成人男性の身長は八尺だから、成人男性のことを丈夫と言うのだ。
これおかしいんだよね。
成人男性の身長が十尺=丈だったら、成人男性を丈夫と言うだろうけど、
八尺だったら、丈夫じゃなくて八尺夫だよね。
岡上氏のなにかが間違っている予感。 そうですね。
許慎は、銅尺の現物を見ることもできなかったから、観念的なことを書いたわけです。
もしそれを実験していたら、下のように書いていたでしょうね。
丈:周制以八寸爲咫,十咫爲丈
咫:中婦人手長八寸、謂之咫。 どっちにしろ
咫が漢尺で八寸と言い張るのは
無理筋だと分かったろ? >>950
尺寸が周代から漢代まで変わらなかった考古学証拠があるのだから、
どっちにしろ、咫=漢尺八寸だ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。